【坂田】昭和の囲碁界について語るスレ【高川】
>>251
ビッグタイトル取らなかったのにずっと忘れられない梶原先生最強だね。 宮下はキミオほど実績を挙げていないが、>>251の棋士の中から外されて
いるのはかわいそう。 宮下はタイトル5、キミオは6。当時の棋戦の数から言えば宮下が上だろ。 宮下は少なくとも251の面々より格上な気がする(大平除く)。 大平はなぜか名人、本因坊のリーグで活躍できなかった。
山部や杉内はリーグ常連だったのにね。 大平さんはリーグ入りは何度かしてるけど挑戦までは行かなかった。昭和一桁としては希有な活躍ではあったが、 戦後三羽ガラスは秀行、梶原、山部。
新戦後三羽ガラスは大平、加田、加納。
みんな亡くなった。 「芸の探究シリーズ」が秀行、大平、朋斎、梶原、山部という謎の人選。 >>268
秀行は出版された頃まだ棋聖戦の活躍はなかったし、
スター的な人を外した結構しぶい人選じゃね? >>268
今はそういう本がないのが残念。
例えば王立誠や王メーエンや小林覚の打碁集を出してほしい。 7、8年ぐらい前に囲碁文庫で凄い打碁集シリーズがあったけどね。
たしか、片岡、山城、工藤、宮沢あたり。
嬉しかったが宮沢とかもはや採算考えてねえだろ。 昭和戦前生まれだと、林・大竹・橋本昌は文句なしに一流。
これ以外に、大平、加田、工藤、高木、石田章、
羽根父、東野、本田といたが、
大平は日本棋院選手権戦の活躍から、加田以下より
抜きんでている。それ以外だと、工藤、羽根父はタイトル
経験あるし、本田がNHKで優勝した上名人リーグに
長くいたか、工藤、羽根、本田は一流といえるんじゃないかな。 リーグ未経験棋士で史上最強は苑田で満場一致だろうか。
苑田ほど番碁経験がありながらリーグ未経験というのは異常な気がするが。 本筋から外れた質問で申し訳ないのだが。
昔のタイトル戦の会場がわかるサイト又は資料があれば教えてください。 山部俊郎が高川格に対して本因坊(高川)のパンチではハエも殺せないって言った言わないで棋聖戦スレで揉めてるんだが…。昭和の囲碁界スレで話して欲しいね。 山部の正確な発言はあのスレに書いてあるとおりだけど、ハエも殺せないを最初に言ったのが
誰かはわからんね。〜と言われているみたいなことを新聞か何かが書いたのが発端だとは思う。 >>278
山部俊郎は優しかったって治勲が言ってたな。ほんとにそんなこと言ったの? 高川は過小評価されていると思う。
タイトル取った実績は秀行より上のはずだ。 >>280
秀行自身は、高川の実績を評価しているよ。
「本因坊9連覇は、呉さんの十番碁の実績に匹敵する」って。
ソースは岩波新書の秀行の本。 50過ぎてから名人とってるとか凄い打ち手なんだなあ 大正生まれで、呉清源、高川、坂田、秀行。
昭和戦前生まれで、林、大竹。
超一流棋士というのはこの辺でしょ。 3大タイトルの中でも特に高川の本因坊
坂田の本因坊
林の名人
ソンジンの本因坊
山下の棋聖・張の本因坊
井山の名人
は時代の流れを変えたタイトル戦だと思う。
次代の覇者は伊田だろうか、一力だろうか、それともしばらく井山の天下なのだろうか >>284
石田が林に勝った本因坊戦も時代を変えたでしょ。 ゲイの時代であり 古き良き時代だった
もうあの頃には戻れない ゲイの碁では勝負の碁に勝てない >>284
村川が時代を変えるかもしれないし。他の伏兵もきそう。 棋風、という言葉一つとってみても囲碁界はどこか風化した言葉を扱うような慎重さを隠さない
囲碁が真に生活に密着している理由を考えてみたまえ
人々はみな囲碁をやるが、その勝ち負けに至る暴虐なまでの感覚による制圧力の意味を解せるのは対局者のみである
童貞である私の考えでは、近代国家における夫婦間の囲碁対局は年に1回が限度であろう
大晦日の前日までに掃除を済ませ、紅白の代わりに対局を行う
このような次第である
勝ち負けによるペナルティなどは無論なにもない
戦績も残らない >>284
橋本−坂田の本因坊戦もな。
あそこで橋本が負けていたら、関西棋院の存続すら怪しかったらしい。 Alpha対セドルで昭和の碁のようだと解説されてたんで面白いもんだなと
杉内さんは間に合ったが、呉清源さんもあと少し長生きしてこの対局を
見せてあげたかった >>295
ちょっw 失礼なw
杉内さん今も現役じゃないかw 木谷道場さえなければ橋本昌二(12歳で入段!)が
林海峰と名人本因坊をずっと争っていたかもしれない 3 mu・si 2ru・i 2-3 massuguhanaika
3 1s・i 3ru・i 2-1 mouhitotu in miseteokitaina
3 mu・si 1,2ru・i 2-3 furiokurya
3 1s・i 1,2ru・i 2-0 otosukanaichido su-raka
kiyoudasiyanihachikaradeositekurude
3 1s・i 1,2ru・i 2-1 su-rakana matusu-gudattara katto
3 2s・i 1,2,3ru・i 1-2 in matusu-gumiseteokitaina
3 2s・i 1,2,3ru・i 0- 1 haittehensina 3 2s・i 1,2,3ru・i 2-3 mouhanbunhikukeriya sukinakousunandaroukedo
tamaerabiyo
takaga ituturenjyokude syangatukarakachituduketakaraiutenaa fuaurunojitenndehakitaidekinkatta 1960年代昭和30年代の坂田は将棋で例えたら、大山康晴、野球で例えたら王貞治で無敵だ セントサイモンならぬ木谷一門の悲劇が囲碁界で現在進行形。
セントサイモンの血脈は競馬が滅びるまで消えないと言われてるが、囲碁界はどうなるか。 木谷の最初の師匠、久保松勝喜代の系譜は絶えないだろうね
木谷一門、宇太郎一門、窪内秀知一門に加え、前田陳爾ー大枝雄介ー大渕盛人の流れもあるから 高峰秀子さんの著書によると、親交のあった梅原龍三郎画伯は、孫娘の婿にと、林海峰さんや、大相撲の横綱・柏戸関を、考えていたとのこと。 昭和にタイトル取った棋士が今も現役でいることが驚き。
しかも大半は老醜を晒しているだけというのが。 大正昭和のころにAIがあったなら大倉財閥や俄か成金を騙せないだろうから、
日本囲碁界にとっては幸福な時代だった。「詐欺師の幸福」でしかないが。 藤澤秀行は日本囲碁界の体質気風を心底嫌っていたのだろう。もうすぐ願いが叶う。 高川格「大手合再開」(昭和21年)より
昭和20年5月25日の夜から26日の暁方にかけての空襲で、麹町の日本棋院も丸焼けになつてしまつた。
棋院が焼けた時は、丁度春の大手合の期間中だつた。
あのはげしい空襲下に、大手合をつゞけるかやめるかといふ事が問題になつた。
何時警報が鳴るか分からぬし、食糧や交通事情の悪い情態では、それは生やさしい事ではなかつた。
しかし手合が棋士の生命である以上、如何なる障害があつても大手合だけは続行すべきである、
といふ議論が大多数を占めた。そうして大部分の棋士が参加した。
棋士といふ人種は、それが職業といふばかりでなく、本質的に碁が好きなのだ。
碁が打ちたくて仕方がないといふのが正直な気持らしい。
坂田君との手合中に、警報が鳴り出して、山王さんの防空壕へ2時間ばかり退避して、
又のこのこ出て来て手合を続けたこともある。
棋院の焼失によつて、大手合も遂に中絶の止むなきに至つた。 >>322 投稿者ですが、この記事は市販の書籍からの無断転載であり、
著作権侵害の懸念が生じてきたため、見なかったことにしてくださいませ(^_^;
なお、転載元は、作品社刊「日本の名随筆・別巻11・囲碁U」です。
棋士の逸話やエッセイ、囲碁の歴史などに関する記事に加えて、
碁会所通いをする”ヘボ碁打ち”の作家たちのエピソードなどが大変面白く、
紹介したかったんだけどなぁ
無断転載なので、とりあえずやめておきます。
出版社様、何卒ご容赦くださいませ m(_)m 昭和はみんな囲碁やってたからそういう本もふつうにあったんだね。
最近だと作家の新井素子さんの本くらいかな。 >>323について
下記のリンク先のスレに補足説明を投稿させていただきましたので、
よろしければご覧くださいませ。かなり長いですけど・・・
【解説会】囲碁関連イベントスレ【就位式他】
(レス番号0012〜0018)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1706125974/ 将棋世界2018.11月号の中原十六世名人のインタビューに
名人戦・順位戦の移管問題への言及があって
そこにちょっとだけ囲碁の話題が登場
関西棋院側の契約(の詳細)が曖昧だったと言われてるがどういう事だろう スレ乱立スクリプトが続いてるようなので
まともスレ age保守しておきます