【天才】橋本宇太郎【火の玉】
95年前の2月27日は橋本宇太郎先生の生まれた日です。
激動の人生を歩んだ宇太郎先生に付いて語りましょう。 今月の碁ワールドは宇太郎先生が3つの記事に登場しています。探してみて下さい。 >>320
棋譜の出ていた2つの記事はわかりましたが、もう一つはどこですか? >>321
フリガナがいっぱいのページです。
宇太郎先生の詰碁集で分厚いのって有ったかなあ? 読売新聞西部版で掲載されていた「橋本囲碁講座(橋本宇太郎講座に改題)」
は、昭和28年から平成6年まで12,651回にわたり連載されました。
亡くなられたときもストックがあったので、9月20日頃に終了しています。
連載1万回記念の出題で、正解者のうち、10名に揮毫色紙、30名にサイン
入り書籍が贈られるとのことで応募したところ、幸いにも揮毫色紙をいただく
ことができました。おそらく直筆だと思います。
「風と刻」によると橋本宇太郎講座1万回記念の祝賀会が昭和60年となって
いたので、先生78歳頃のものかと思います。 へえ、大阪版だけじゃなくて西部版にも掲載されてたんですか。知りませんでした。 宇太郎先生のひそみにならってか
関西棋院の男どもは女子院生に手をつけて
(それはいいんだが)院生をやめさせて嫁さんにしてしまう。
今村、湯川、森山、そして結城。勝間っていう無名プロもそうだ。
楊嘉源や黒滝正憲を見習えよ。
小林礼子・泉美の場合は院生の時から付き合っていたわけではないから。 鈴子夫人は入段してたはず。秀哉名人も入った入段披露式の集合写真を見た覚えがありますが。 そうか。
昨日たまたま日本囲碁規約を参照する必要があって
冒頭の
「財団法人日本棋院 理事長 朝田 静夫
財団法人関西棋院 理事長 橋本宇太郎」
の名前を何ともなしに見つめていたんだが、
命日だったのか。(合掌 ちなみに、61年前の今日、第三期本因坊戦第1局が終わりました。(白番岩本七段の五目勝ち)
同じ日に米軍の偵察機が撮影した広島市の写真があります。
第1局の対局場であった広島市中島本町の藤井氏の別邸も写っています。
この写真が撮られたとき、この建物にいた人たちの運命が12日後どうなったか
瀬越師、岩本師、橋本師は、見るに忍びない写真かも知れません。
棋士は認知症とかにはならないんだろうな。
でも、高血圧(例:木谷九段)とか脳血管疾患(例:橋本九段)とかには弱そう。 >>335
>棋士は認知症とかにはならないんだろうな。
根拠なさそう。
でも宇太郎先生がかくしゃくとしたまま逝かれたのは
本当にあの人に相応しいと思う。 認知症の始まりは頭を使うことを放棄した時からと言われてるので、
囲碁を続けてる限りはその確率は低そう。 中沢彩子(現姓池田)のホームページ(今は消えてる)によると
黒田幸雄さんは晩年ボケてたらしい。
石田章を破って棋聖戦七段戦に優勝したこともあるのに。 座隠談叢の棋士列伝によると対局中に昏倒して死んだ棋士が何人かいる。 対局中に具合悪くなって、事実上引退した後に亡くなったと記憶している。 棋士じゃないけど、竜騎兵も原稿書きの最中に発症し、
右手が利かなくなったんで左手で書き上げて、それから
病院行ったけど、っていうんじゃなかったっけ。
対局中の棋士が脳味噌の使いすぎで逝ってしまうというのとは
違うだろうが壮烈だな(合掌 棋道の昭和26年7月号を古本屋で買いました。(定価80円が500円でした。)
第6期本因坊戦1〜3局の解説を安永一さんが書いていました。ただ、棋譜が漢数字なので少々読みづらい。
第5局の「鬼の写真」も載っていました。できれば8月号も欲しい。
祝!生誕99年11か月(来月は生誕100年)
囲碁関西2月号に、宇太郎先生のことがちょこっと載ってました 祝!生誕百年。
>>346
普通、生誕100周年とは言わないでしょう。会社の創業とか団体の設立なら、○○周年といいますけど。
しかし、零時1分に書き込まれると、なかなか先手は取るというわけにはいきませんね。 モーツァルト生誕250周年
去年、よく見た記憶があったのでぐぐってみた
「周年」も使われてますね >349
確かに言うよな。頭痛が痛くないとか言うもんね。 百回忌は死んでから100年目(死んだ年の99年後)なのでまだ数十年先 しかし関西棋院は生誕100年イベントをする気はないのか? 「総帥」の肩書きは未だに使用されています。
橋本師の一生はまさにドラマですから。 補足
橋本師(又は鈴子夫人)を主人公にして、朝の連続テレビ小説やったらいいのに。
大恋愛で五段昇段が遅れたとか、原爆対局とか、関西棋院独立・昇仙峡の大逆転・
63歳十段獲得・第一期棋聖戦七番勝負登場とか、見所満載だと思いますけど。
原敬暗殺現場に立ち会ったなんて、フィクションを完全に超えてますよね。 朝の連続テレビ小説って、若い妙齢の女性が主人公と相場が決まってるんじゃないの? >>355
過去に男性主人公もの(「走らんか」とか)あったと思いますが。
やっぱり妙齢の女性主人公ということで、鈴子夫人を主人公にした方がよいでしょうか。 宇太郎先生の場合、生涯の1局て決めにくいよね。
原爆下の対局、昇仙峡の大逆転、本因坊防衛の局(賢島)、第十期十段獲得、第一期棋聖戦第二局、
最年長リーグ入りなど。橋本先生自身は、昭和18年の対呉清源白番持碁の局をあげて折られるけど。 橋本先生のスレがあったとは!
先生が趙vs片岡の本因坊戦の解説をされているところに偶然行き合わせ
高齢にもかかわらず矍鑠した姿と手の見えることに感心したのですが、
それから数ヶ月で亡くなったと知り今でも不思議な気がします。
死因は何だったのでしょうか・・・ >>358
先生の場合、エピソードも碁も人並み以上な場面がいくつもあるからね。
今の人、というか俺に分かりにくいのは対呉清源十番碁の重みだな。
>>359
>>263 >>355
とりあえず、お前が橋本宇太郎の小説を書け!!
読んでやるからw ゲーセンのクイズゲーム「クイズマジックアカデミー」で出題された難問を紹介。
【雑学・線結び】 (全国正解率3%)
日本の囲碁のタイトル戦と初代優勝者を線で結ぶ
A:本因坊戦 1:加藤正夫
B:碁聖戦 2:橋本宇太郎
C:十段戦 3:藤沢秀行
D:棋聖戦 4:関山利一
実は橋本宇太郎ファンにとっては易問だったりする。
A:本因坊戦→第1期本因坊・関山利一の病気棄権により橋本宇太郎が第2期本因坊となる
C:十段戦→橋本宇太郎本人が第1期十段戦を制覇。
D:棋聖戦→第1期棋聖の藤沢秀行と7番勝負を戦ったのは当時69歳の橋本宇太郎
B:碁聖戦→消去法で殺し屋加藤w 11月公開の映画「呉清源 極みの棋譜」。宇太郎先生を演じるのは、1年前ならほぼ無名といってもよかった大森南朋氏。
今年2月〜3月にNHKで放送され、国内外の数々の賞に輝いた「ハゲタカ」の主人公、鷲津政彦役を演じ、一気にマニアックな人気を得た。
その大森氏の演じる若き日の宇太郎先生、果たして如何に? ようやく当地でも「呉清源 極みの棋譜」公開。公開初日夜の上映は観客数人。
昼は多かったかも知れないが、次の金曜日まで一日2回上映で、次の一週間は
夜のみの1回上映。
宇太郎先生(大森南朋)の登場回数は少ないが、第三期本因坊戦の打ち合わせ、
原爆下の対局、第一次十番碁、最後の呉九段引退式典の第一着天元打ちなど、
要所ではしっかり出演。
関西棋院が後援に名を連ねたのも、呉九段が名誉客員であることにあわせて、
こうした所が作用したかも。
呉清源もいいけど、宇太郎先生の生涯の方がドラマティックな気がする。
原爆対局や関西棋院独立の暗闘、昇仙峡の大逆転、などに重点をおいて、映画化してほしい。 >>367
ドラマ性はあるだろうけど弱いのが玉に瑕だよな。
どうしても呉や坂田や高川や両藤沢に見劣りがする。 >>368
朋斎には勝ってると思うけど
呉藤沢の十番碁はプロレスの小川橋本みたいだ。 生誕101年&スレ立て6周年あげ
杉内雅男・窪内秀知両九段が未だ現役であることに驚嘆する。 >>24
読売新聞社発行の「第1期棋聖決定7番勝負」の
巻末の方に詳しく解説付きで
橋本vs大竹戦の棋譜が掲載されています。 なんかの本で最後に王座戦を取った碁の題に書いてあった「生きていた明治」っていうのと
明治は遠くなりにけりっていうのからとった「明治を遠くにさせない人である」っていうのがすきだなあ。
あと対局写真がいつも正座してしゅっとしてるのがすごくカッコイイ。
>>376
「昭和の名局4若獅子の時代」に「生きていた明治」とあります。
ただし、王座ではなく十段。大竹英雄を3−2で降した局の解説です。
いつになったら関西棋院は橋本をこえる棋士を世に送り出せるようになるんだ?
劣化コピーだらけじゃないか。 日本棋院から関西棋院を独立させちまったおっさん。
その時、本因坊ってタイトルもいっしょに持っておん
出たもんだからもう日本棋院はカンカン。刺客として
登場したのが坂田栄男。本因坊戦七番勝負の死闘が、
始まった。後の七冠王、坂田栄男は強い。橋本は、第四
局を終わった時点で1勝3敗と絶体絶命に追い込まれた。
日本棋院のサイドは祝賀ムード。しかし、橋本はそこから
踏ん張った。第五、六、七局を三連勝。大逆転で本因坊位
を防衛したのだった。瀬越憲作門下。同門の弟弟子が碁聖
呉清源。橋本は天才坂田に勝った翌年、本因坊位を日本棋
院の高川格に奪われてしまった。爾来関西棋院は大三冠タ
イトルを一度も手に入れたことがない。1950年ごろの
話だよ。 現在は、棋聖戦、名人戦、本因坊戦が大三冠と呼ばれているが、70年代に棋聖戦が創設されるまで、三冠といえば名人戦、本因坊戦、十段戦だった。
棋聖戦創設までに、関西棋院岸は、十段を橋本宇太郎2回、半田道玄1回、橋本昌二1回と、合計4回取っているので、大三冠はともかく、その辺りのことに触れないのは関西棋院に失礼では。
山海堂の古典詰碁集とか、誠文堂新光社か毎日コミュニケーションズあたりで
復活してくれんものかね。てか、そのあたりの宇太郎九段の本の権利って
どうなってるんだろう。 生誕102年&スレ立て7年あげ
先程NHKのニュースで、引退をかけた大一番に挑む有吉道夫九段を特集していた。
有吉先生は73歳。この年齢で宇太郎先生は名人リーグに入っていた。 命日(16回忌)。「囲碁関西」で連載中の雨洗風磨も佳境に入っています。 昔、宇太郎先生の「詰め碁歳時記」を持っていたけど、名著。
手の解説はほとんどなかったけど、俳句歳時記と風流な文章がすごいと思った。
もう、こんな詰碁の本を書ける人はいないんだろうなあ。 文章は志智嘉九郎さんによるものだろう
囲碁ライターでもあり、図書館の館長でもあった スレ立て8年&生誕103年あげ。
有吉道夫先生が74歳でNHK杯本選入りを果たした。
宇太郎先生は77歳でNHK杯ベスト8入りしている。 ヤフーオークションで、「橋本宇太郎全集」全六巻を購入しました。
昭和50年までの打碁集ですが、まさかその後棋聖戦の挑戦手合いに出たり、
古稀を過ぎて名人戦・本因坊戦リーグに在籍したりするとは誰も思わなか
ったんでしょうね。 前レスの直後に圧縮があって古いスレが大量に落ちた。危ないところだった。 【映画】広島の爆心地を精密なコンピューター・グラフィックスで再現した記録映画「ヒロシマからの伝言」が完成
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1282439976/
藤井邸も再現されているのなら見てみたい 坂井新碁聖誕生。関西棋院にとって29年ぶりの7大タイトル獲得。
泉下の橋本総帥もさぞお喜びでしょう。 スレ立て9年&生誕104年あげ
会心の局と言われる対呉清源3番碁第2局暗譜中 原爆対局をくぐりぬけてきた橋本師に敬意を表してあげ。 YouTubeで「羽根 昌二」で検索すると良いことがあります
アカウントを持ってる方はUP主に完全版をリクエストしてもらえませんか 橋本師の全盛期は戦前だったのはないか。
坂田の挑戦を退けた頃はもう衰えていると思う。
それ頃から碁が薄くなり、失着が増えている。
呉清源先生の兄弟子だけど、呉清源先生は宇太郎先生を
本当に尊敬していると思われ。
才能も実績も呉清源先生の方が上だったけど、宇太郎先生は
呉清源先生をいじめたりはしなかったのであろう。 >>401
坂田を下した時点で44歳だからね
あと関西棋院の運営に忙殺されたり
関西棋院独立の件だけど、宇太郎先生が『関西独立すっぞ、野郎ども!』と
号令したとは思えないな。
人物や棋力から大将に祭り上げられて責任を背負い込んだんではなかろうか?
中国の皇帝でさ、酒を飲んで寝ている間に反乱軍の大将に
祭り上げられて、勝って、皇帝になった人がいたよね。
誰だったかな? >>405
そもそも誰かが先頭に立って独立に動いたわけじゃない
それでいて東京に対抗できる棋士が宇太郎ちゃんだったってだけ >>408
何局も打ってるけど?
タイトル戦を打たせたかったってこと? >>407
今と違ってタイトル戦が少ない時代だったからねえ。
地元のタニマチの影響力は今よりも大きかっただろう。 17年前の7月31日はNHK杯を見ていた。対局はどうでもよくて解説の橋本先生のお姿をじっと見ていた。
最近一部がつべにあがっている。 >>393-394のような事情で古いスレが大量に落ちた。
加藤正夫スレが落ちてしまったのは悲しかった 日経1979年10月4日付け夕刊、橋本宇太郎−小林光一戦観戦記より
「白番が当たったとき、小林八段はいやな予感がしたという。
宇太郎九段の黒に対抗できる棋士はせいぜい五人あるかなしと彼は断言する」
この碁は黒71と優位を築き、91の時点では小林八段は必敗を覚悟するも、93や113などのいらぬ反発が裏目に出て敗北。
棋譜は棋譜でーたべーすにあると思う。 今期の碁聖戦第1局は関西棋院で打たれたが、観戦記によると、
橋本先生愛用の盤石が使用されたそうだ。