信長の野望で過大、過小評価されている武将スレ28
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>>145
糞雑魚ミジンコにぼろ負けしてあっさり降伏した徳川さまの旗本八万旗の悪口はやめてください >>147
クソ雑魚ミジンコ基地外島津は自分と同じくらいの相手には強いんだよ
犠牲を顧みず粘着攻撃してくるから
ちょっと強い相手と戦うとすぐ全滅www >>145
同族で殺し合いばっかりしてた蛮族だから結束は強くないけど
京文化に強い義弘が出てくるまでロクに身動きとれんかったんだが >>134
大きな活躍したから忘れてるかもしれんけど依田は小勢だからな
前にいようが後ろにいようが弾の当たる場所に居なければいけない部隊長が
勝ち戦で弾に当たって死んだとか事故とまではいわないが確率の問題で多きなマイナスにはならんのじゃ
岩尾城は堅城、大井行吉も歴戦の武田旧臣でどうでもいい相手に思わぬ不覚というわけでもないし >>146
もはや、数字でどうjこう評価できるレベルじゃないようになってる気もする
今までスポット当たらなかった、いぶし銀的武将
能力60くらいで落ち着いてる奴らを、どんどん再評価していったら
殆どの武将が能力70越えとかになってしまうような
もう特技とかそういうので特別感出すしかないんじゃね
能力普通だけど、強力な士気挙げ技能あるとか
本人ヘボいけど、大将の防御力強化できるとか
鉄砲や弓の有効範囲広げられるから便利とか
一回こっきりの強烈自爆技があるから、イチかバチかで連れてくとか
そういう能力以外のキャラ付けするしか
武将の個性出せないと思うんだわ
有名武将はみんな能力グラフ五角形とかどうなん?っていう 真田昌幸は信濃先方衆旗頭という家柄もあるけど
勝頼期には既に重臣として働き、以降関ヶ原までコンスタントに活動しているのに対し
依田は武田時代は依怙地な一部将、天正壬午の乱で徳川に招かれてようやく活躍…した矢先に死んでるんで
武田では見出されなかった逸材だったのか、たまたま確変したのか
はたまた地縁血縁のない旧武田領や信濃以外でも活躍できる人物だったのか不明瞭で
高い評価が難しいんだと思う 勝頼期には最前線の城を任され徳川をたびたび退けてるんですが
信玄時代に地味いわれても依田も親父の代だもん 天正3年に家督ついでるからほぼ真田昌幸と同条件だぞ
んで、二俣城・田中城とも「少しも惰気を生ぜず」とか「勇を奮って禦ぐ」とか
籠城して耐える→付城作られて包囲下→説得に応じて開城で撃退はしてない
これも上田合戦で撤退させた真田とは違う
”たびたび退けてる”は言いすぎで
これで真田昌幸並というのは無理筋 >>142
生麦事件起こすような蛮族だし島津ならありえるから流行ったんだろうな
肝ねりとか普通に考えれば不可能だしな 今度は島津叩きかよ
島津なんか最初から天下は無理
過大評価と言いたいのは解るが
どう考えても朝倉、一条よりはずっと強い
大友が駄目だったのは宗麟自身に
問題あるし龍造寺もそう
でも九州はかなり強いよ。 越前が九州にあったら九州は朝倉に統一されていたと思うよ私は >>160
無い、無いwwwwww
大友、龍造寺もかなり強い。 越前の国力も高いけど、肥前肥後のポテンシャルも相当高いからどうなんだろう
大隅に越前レベルの国力があれば面白かったと思う 金森長近、過小すぎないか?
武功を見る限り、前田くらいと同等の数値があってもいいくらいだ。 信長最古参の家臣、本来なら生ける伝説でありながら
そんな存在感を発揮した形跡が見られないところが下がっちゃうのかな
官兵衛や真田家みたいに「秀吉が一目置いて助言を仰いだ」「関ヶ原は金森家が鍵を握っていた」
ぐらいのことを子孫が書いておけば良かったのに慎ましい人たちだったんかなw 赤母衣衆に選ばれるエリート。
長篠の戦いでは別働隊を率いて武田軍の後方を強襲。
一向一揆鎮圧で武勲。
甲州征伐では飛騨口の大将。
前田さんと一緒にさくっと柴田さんを見限って秀吉の配下に入る世渡りの旨さ。
富山の役では飛騨をさくっと統一、平定。
関ケ原では80歳近い歳で東軍で参戦。
85歳の寿命を全うする。
やばい。小説の主人公になってもおかしくないオールマイティーキャラや。 そうかなあ?
参陣しただけとか誰かと一緒に〜とかそんなんばっかりやん
個人でやったのは飛騨征伐くらいでこんなのは負けるほうがおかしいし
前田で言うなら末森後詰めのような逆境を跳ね返す武功も無い
蜂屋や川尻もだけど織豊のこのレベルを水増し評価しだしたら
みんなが一等賞のゆとりの運動会になるよ 金森のおかげで飛騨から信濃に入るルートが非常に険しいのがわかるのいいよね >>168
つっても最後には一国手に入れた武将なんだから金森も川尻も(蜂屋も?)
統率か武勇か70台あって良いと思うわ
一国手に入れるほどの武功って大変な運動会だぜw 武田家だと初期シナリオでも簡単に飛騨まで取れちゃうんだけどね >>60
滋賀県に出るのが鉄則だろ
福井と滋賀は違いが美濃は遠すぎ >>167
あと利休七哲の一人でもある。
ここ重要だから 飛騨程度って言うけど信玄だって甲斐一国持ちながら一枚岩で、もない信濃に十年掛かってんだから、山間ばかりのクソ田舎舐めんなって感じなんですけどね 飛騨って本来は信濃の1/10程度だしな。ノブヤボの姉小路はむしろ過大国力 河尻・蜂屋・原田直政あたりは強化していいと思うけど
インフレしないようその分過大勢を落とせればいい
でも織田家臣って控えめなのが多いのかあんまり過大な武将が思い付かない
それこそよく過大と言われる蒲生氏郷くらい なにも織田家内でバランスとらなくても
東北四国九州、講談武将、大坂方、姫武将、PK追加タイアップ武将あたりに過大武将が山のように居るしそいつらから取ってくればええ >>179
笑うしかない
仙石は島津にはボロクソ叩かれたが
領民の評判も悪い。 >>178
また水心ちゃん叩きに躍起になるが
人気は非情に高い信長の野望の
アイドルも行ける能力は高くなくても
野郎の人気は非情に高い。 将軍が馬を鹿と言っても「違います」なんて言えるわけないからね >>182
馬鹿で結構だが
昔より遊び方が増えたのは良い事だ。 >>179
フロイスも、独善的だけど優秀って評してるからな
小諸での逃散はあったけど内政も頑張ってたし
大失態があった上でも、現在の能力は少し低いかなとは思う 森=坂井>鉢屋=河尻=武藤=金森>塙=中川=簗田
俺の中で織田家の能力値はこんなイメージ >>184
戸次川の戦いだろう
人間として山内一豊と並び
最低の人間であり評価も高過ぎる
逆に長宗我部信親は統率73、武勇78は
あまりにも評価が低い
戦国群雄伝の時は統率83もあったのに
知略、内政も低すぎるよ。 >>73
真面目に査定するとこんな感じで
有名で評価低いやつは50〜70台で収束しそう >>189
正気か?
義景にそんな能力は無い
宗滴に軟弱な当主と言われたのに。 >>191
いやそれは元親だよ
信親は土佐のイケメンだよ。 毛利大友三好長宗我部にいつもちょっかいかけられてたのに末期まで生き延びてた河野さんって実は有能?
それとも大国の緩衝地帯として生かされてただけ? >>193
よくやったと思うよ
同じ伊予の西園寺家と共に毛利家と
手を組み反元親勢力として戦った
河野家との戦いは元親は苦戦している
反明智の羽柴家とも三好家と共に
手を組んでいたが領土復活はならず
伊予は全て小早川隆景のものになった。 信長の野望の時代だと東予は備中細川残党との対立の火種もそこそこ残ってたし
大内氏が健在だった時代は義隆から盛んに瀬戸内海の島嶼部にちょっかい出されてたよ
大内氏との対立の関係上、大友氏が河野氏を庇護してた様な側面もあったのかもね
今治を中心とした分家との対立や山方の国人衆の独立した行動など悩み事のオンパレードの家よ河野氏は 革新では実弟の通宣しか出てなかったからちょっと影が薄いけど
近作ではまた登場するようになった晴通(通政)なんかは
性廉直で武備に長じなんて形容される人物ではあったようだけど
顔グラ見ると全然そんな感じじゃない… 顔グラといえば斉藤義龍
あのままの路線でいくのかねえ 義龍は残ってる肖像画がアレだからね…
これは肖像画を模写した画らしいけど
早い時代の当主のほうの河野通直のこれなんか落書きレベル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E9%80%9A%E7%9B%B4_(%E5%BC%BE%E6%AD%A3%E5%B0%91%E5%BC%BC)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E6%B2%B3%E9%87%8E%E9%80%9A%E7%9B%B4%E5%83%8F.png 義龍はもっとカエルぽくしてほしかった。そうすれば一部で人気出そうだったのに 仙石権兵衛は優秀なんだろうけど
権力握らせたらダメな奴の典型だったんじゃないの?
四国攻めも九州攻めも酷いの一言
名選手名監督にあらずってやつだな 九州へ十河長宗我部らを率いての先鋒なんて誰が指揮しても死ぬだろ
大友なんで迎えに来んねん
というか戸次川の戦いの大敗の直接原因が信親が釣り野伏に引っかかって瞬殺されたことだし
仙石程度の身分で大名連中を指揮するのは無理があったな
秀吉が本拠地近所の四国大名の力を削ぎたかったという思惑もありそう >>203
前にも書いたけど
元親の正室である水心は斎藤利三の親戚
秀吉は無論の事家康も敵意丸出し
仙石は、最初から秀吉の指示通りに
やっただけで長宗我部信親が非情に邪魔だった
十河存保は上手く利用され捨てられた
家康も明智光秀との関係が深い
長宗我部家が大嫌いで潰したがっていた
だから仙石の復活に力を入れた
三好家、河野家は秀吉に接近したが
復活どころか完全に潰された
長宗我部家に反秀吉の同盟に誘ったのは
織田信雄で家康は乗り気じゃなかった。 >>201
いや全然優秀じゃないし
戦場でも活躍しておらずゴマ擦りだけは
超一流だった。 >>203
>というか戸次川の戦いの大敗の直接原因が信親が釣り野伏に引っかかって瞬殺されたことだし
渡河は仙石の指示だろ
なんで信親が引っかかった事にしてるんだよ 仙石の大失態は四国まで逃げちまったことだからな
だいたい大元は要の地を取られそうなのにビビって出てこない大友義統やで
戦自体は仙石が伊集院をボコって家久真っ青になってる所で長曾我部が瞬殺されて総崩れちゅうから仙石の責任以外もある 信親は釣り野伏見抜いて仙石に渡河やめるように申告してたのに仙石が聞く耳持たなかったんだよね 全体的に能力がインフレしすぎ
曹操、劉備、孫権、孫策より
能力高い万能武将だらけ
張良が
統率70武力40知力100政治80とかなんだから 長宗我部、「仙石と十河がアホで無謀に攻めたから負けた」
十河、「仙石がアホで長宗我部が弱いから負けた。旧恨を水に流して長宗我部救援に行ってともに死んだ十河は義将」
大友、「仙石がアホで負けた。俺たち悪くない。仙石は三国一の臆病者」
フロイス、「島津が策を持て待ち構えてた。土佐の鉄砲隊が鉄砲撃つ間もなく抜刀突撃で瞬殺され皆逃げ出した。道知ってる豊後勢は速攻逃げれたけど四国勢は可哀想なことになった」
島津「最初押されてびっくりしたが逆転大勝利。強いあいつ等負かせた俺ら超強いみたいな?」
まぁそれぞれの史料でいい感じに責任押し付けあってて軍記編纂物の作られ方が垣間見れて面白い >>211
基本的に資料が少なくて魏呉蜀の三傑や重臣くらいしか評価しようがないから仕方ない >>212
仙石家はそういうの残ってないんかね?
当事者がどう言い訳してるか気になる バカな主君に親父が殺されたのに先導役の戸次隊は全滅したね 鈴付けて槍働きした故事でも分かる通り仙石が目立つお調子者なのは間違いないわけで個人としての優秀さは認めざるをえない
けど大軍の指揮官としては無能の極みなのはさすがに言い訳がきかん…挽回もしてないし… >>215
戸次統常か?
あれはかなり救いがないね 実社会でもわりとあるけど、優れた営業や技術者が必ずしも優れたリーダーになり得るかって事ですかね
いち武将としてそれなりに優秀かもしれないけど、同じ立場の武将を統括した上に降って間もない長宗我部を使うには足りなかった、明らかに羽柴による人選ミス
まあ、仙石の統率は凡将並みにしとけばいいのでは >>219
だから仙石は信親抹殺の命令を
実行しただけ。 >>217
だから秀吉、家康の受けは良かった
秀吉は仙石を助けたかったからね
能力は信親、盛親の方が上でも
条件が悪くては生き残れ無い。 >>216
元親、信親親子は仙石のやり方に
最初から反対島津の釣り野伏の脅威を
知っていたが仙石は全く聞かず
戦になると真っ先に敵前逃亡。 長宗我部や十河は四国の中だけとはいえ自力で戦って生き残ってきた連中だからな
丁稚あがりみたいな千石権兵衛にデカい顔で指図されるなんて無念だったろうな 本当は蜂須賀を軍監に任命するのが適格っぽい
秀吉は不幸にも前年に死んだから仙石を抜擢したんだろう 仙石の敗戦については援護できなかったクロカンも叱責されて大友義統も折檻状に書かれてるから
仙石と四国勢だけの責任でなく九州豊臣勢全体の失策だったというのが秀吉の認識
長宗我部元親については何かいわれたか調べてないが長宗我部がずっと不遇だった原因のひとつかも 九州征伐関連の書状読んでると、秀吉近臣は豊後方面にあまり関心無かったような印象しか受けないんだけど >>215
母親から死んでこいと言われ、後も断たれてたからな
死場所を求めてた感じ(えらい粘ったけど)
別次本家だが野望に出てないんだな >>230
気持ち悪いも何も長宗我部が大嫌いだし
盛親は烏帽子親が増田長盛だからね
南部利直が前田利家に対し
かなり悪いが。 いや、好き嫌いがあるのは別に構わんけどそれを元にヨタ話書き込んでくるのが気持ち悪い ときおり混ぜこんでくる「かなり使える」とか「まったく使えない」の表現
あれ、「時の上位権者が有能と認識していた」ってことなのか
「ゲーム内で使える使えない」って言ってるのかわかんねえ
後者だったら粒子加速器みたいで気持ち悪いからほんとやめてほしい
「ゲーム内グラがかわいいから能力あげてほしい」
⇒「ただの趣向なら自分で数値いじれ」の流れを甘んじて受け入れてほしい >>211
三国志もむしろ三傑は過小評価なんだよ
曹操は若い頃に大立ち回りしたのに武勇70だし
劉備とか曹操軍中枢の夏侯惇も夏侯淵も于禁も破ってるのにあの能力で明らかに弱い
劉備に至っては全能力90くらいでいいのに >>210
>>212
実際のところどうなんかね。
最初に先陣の仙石秀久が敗走してそれが敗因みたいに書いてるのは土佐物語とか長宗我部側の史料っぽいけど
普通に考えて豊臣の軍監が先陣で突っ込むってありえんのか?っていう。
個人的に戸次川合戦で「長宗我部元親が仙石秀久らの軽挙妄動を戒めた」ってのはかなり怪しいと見ている。
なにせ羽柴秀吉直筆書状で「毛利輝元の軍勢が後からやってくるから軽率に動くな」って言った3名の中に
長宗我部元親は入っているんだよね(あとの2人は仙石秀久、大友義統)
その後の大友義統書状で、大友義統、仙石秀久、長宗我部信親が「島津軍を撃退する覚悟がある」と言ってあるから
長宗我部が戸次川に反対だったってのは責任転嫁の判官贔屓だと思うわ。
長宗我部信親以下、長宗我部中枢が尽く壊滅している点から考えても、
長宗我部は戸次川への参戦に賛成だったのだろうと思えてくるのだが?
個人的に朝鮮出兵で大友義統が日和って改易されたの、
秀吉からすれば「(戸次川と合わせて)二度目だぞ!」という強い意思を感じるんだけどな >>237
むしろ曹操自身が場外乱闘以外でほぼ劉備に勝ててないのがな
いざ直接ガチった状況になった赤壁、漢中ではあのザマだし
まあそこから知略で挽回するのは流石曹操だが
あれだけ劉備が弱いと成都つく前に敗死しそうなんだよな 赤壁は詳細がわからないし漢中は劉備が一番勢いに乗ってた時期だからなあ
まあ三国志シリーズの劉備は演技の聖人君子の劉備ってことで 劉備は北方三国志のイメージの方が好きだし史実に近いと思う 仙石秀久の後釜に来たのが立花宗茂説を提唱してみる
戸次川のあたりから仙石貶し、立花称揚の書状やたらと出てくるし >>240
赤壁はだいぶわかる方だろ
曹操本隊は雲夢沢(巴丘湖)に到達したけど船がなく、渡河しようとして周瑜に撃退されたため現地で船を作り始めた
しかし曹操軍で疫病が発生し増援として進軍していた趙儼七軍(于禁張遼らが所属)が劉備に足止めされて、不利な状況での対陣を強いられる
この状況を打破したい曹操に黄蓋の降伏の報が届く
曹操は降伏を受け入れ黄蓋を招いたが、黄蓋の船団が曹操軍の艦隊に接触しようというその時、一斉に火が放たれ東南の風を受けて大いに曹操軍の艦隊を焼いた
疫病がますます猛威をふるう中艦隊の焼失により攻撃手段を失った曹操は残りの船も焼き、華容道を引き返して江陵へと撤退を開始した
赤壁の戦い本戦はこれ 今川義元、北条氏康は
袁紹くらいの能力でいいんじゃないかな
そのかわり、名声や経験といったパラメーターを高めにして
武勇は乱戦の強さだと思うから
義元、氏康、信玄は武勇、低めで副将で補う方がそれっぽい >>238
いや強制的に参戦させられた
逆らえば潰されるからね
十河は、長宗我部にはかなりの恨みがあり
それを秀吉が上手く利用した
とにかく長宗我部家の弱体化が最大の狙い
長宗我部家は、明智家と親しかったから
完全な反秀吉であり軍の士気は
非情に低くバラバラだった
いくら仙石が今必要なのは勝ち戦よ
と言っても険悪な関係同士が同じ軍では
最初から勝てない仙石は聞く耳持たない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています