この成功体験から豊臣相手に同じことしたってのが何を指してるかはわからないが、まず宣戦布告されるまで氏政上洛の交渉はしていた
もちろん交渉が決裂した時のために城の改修等は行ってはいるが
小田原城を総構えにしたのはただの防備ではない、ここから自分の推測になるが、総構えは市井を取り囲むものだから秀吉の得意とする兵糧攻めが効かない
実際のところ兵糧が不足した話を聞かない
要は特別に秀吉の対策をしていたぐらいには秀吉に対して警戒心を持っていた