常陸上総上野はもともと大国
江戸が家康が来るまで湿地の田舎のイメージがあるから関東は田舎のイメージがあるけど
特に常陸は対東北の最前線だったから源平以前の時代から開墾されてたし軍事も整ってた
徳川が水戸にたまたま御三家の1つをあそこに配置したわけじゃない
古来から要衝だったから新王任地になってたし敵に寝返ったりしないように朝廷を第一とする教育も民にしっかりしてた
その思想が徳川幕府の脅威になりかねないから佐竹を転封して御三家の1つを水戸に置いた
常陸に根付いた思想に感化されて水戸徳川家はそっち側に染まってしまった
そういった礎があったからこそ水戸学が生まれた
朝廷第一で朝廷が肩入れした勢力に味方をしていたから下手に攻め込めば朝敵なるし
朝廷工作すれば味方になるんだからわざわざ攻める必要も無かった
常陸上総上野あたりの小領主があっちこっちするのは朝廷が肩入れした勢力に付いていただけと気づけば理解できる
朝廷に対する忠誠ステータスや外交の影響力をもっとしっかりやればこのあたりの再現も可能になると思う