もしニンテンドウ64(N64)がCDを採用していたら?2
>>236
64より古い初代プレステやもっと古いPCエンジンCDROMやメガCDも問題なく読めてるからその理屈はありえないだろ >>238
それは今西氏が言ってました。ガシャポンの世界だと。
カートリッジの良い点の一つ。子供が使うんですからね。
でもゲームキューブではディスクになったけど。 ディスクシステム(の失敗)があったからこそディスクが嫌いになったのだろう ファミコンのディスクシステムは大成功っしょ
周辺機器で本体より高いのに400万台以上も売れて一時代を築いたんだよ >>247
ディスクシステムの説明書に付いてた、漫画を覚えているか?
あの頃からあったマルチメディア機の夢。
結局、その後のどのゲーム機でも実現できないんだけどね。
する必要もないし。 メガドライブのソフトはSFCの同タイトルのソフトより、随分安かったけど海外生産だったからなのか?
N64のソフトが6800円にまで下がったのは、海外生産に切り替えたからなのか? >>250
> メガドライブのソフトはSFCの同タイトルのソフトより、随分安かったけど海外生産だったからなのか?
需要の差よ
売れないソフトの価格は下げなきゃならんのが世の常
高くても売れるものは限界ギリギリまで高くして売る スクウェアのハワイのスタジオは2002年に無くなってたのか スタジオは無くなったけど、ヒゲは住み着いたんだね。 >>5
今更なレスだけど揉めたってのが剣持たせようとして不仲になった噂のこと言ってるなら
あれは単に案を出して没になったという世の中どこにでもある話、それ以上でもそれ以下でもないぞ
そもそも剣と魔法のファンタジー作ってる会社とコラボするんだからそりゃそういう案も出て当然だって話で
それで案を出すことすら許さんってなったら逆に任天堂どんだけ心狭いんだってなるわ そんなの関係ないよ。
CDかカートリッジか、と流通の2点が離れた理由。 離れた理由なんかどうでもいいわな
その離れたときに何か変な揉め方したのか、そういうこともなかったのか?っていう問題
当時任天堂から離れたといえばナムコだったりカプコンだったりも同じなわけで
なんでスクウェアだけずっと後ひいてたのか?っていう… 「任天堂がアホやから売れんのや」と江本さんも言っていたな CDにすると子供の雑な扱いですぐ駄目にしてしまうからというのはあったと思うが
サードからぼったくれなくなるからという理由のが大きかっただろうな。 CDだってぼったくれるでしょ。
ロイヤリティを高くするだけの事なんだから。 ROMの製造原価は絶対の秘密だったからCDと同列にはできない ゲームのカセットの原価は秘密にできてもそのカセットに入れるROMの原価は秘密にできないしな
別に任天堂が作ってるわけでないし世界中で流通してるものだから
そしてそのROMの原価ですでにCDとは比べ物にならないほど高額で勝負にならない >>257
スクウェア・エニックス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org//wiki/スクウェア・エニックスより
任天堂との関係[編集]
Question book-4.svg この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。(2015年10月)
ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン全盛時代、ドラゴンクエストシリーズというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂のサードパーティーとして重要な位置にあった。
ファイナルファンタジーシリーズで追いかける形にあったスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館(ゲーム・オン!編集部)との合同企画として1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、
1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようと模索していた。
しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェア側のスタッフが独立してしまうなど必ずしもスクウェアの思うようにはならなかった。この時期と前後して、
『ファイナルファンタジーVII』の製作スタッフである坂口博信が「プレイステーション」(PS)の映像力に魅了されており、FFシリーズのPSへの移籍への道を探っていた。
スクウェア自体もまたこの流れに同調し、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフト開発(NINTENDO64(N64)用に企画していた約10タイトル含む)を中止する。鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、
PSに独占供給を決めた際に任天堂の山内溥社長(当時)は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたというが、その際にスクウェアの社員がエニックスをPS陣営に誘うために、
エニックスに加え他のソフトメーカー達にN64は駄目だと吹聴していたことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との深い確執が生まれてしまうことになった[7]。
この時期、
エニックスもソニーからドラクエシリーズの移籍の勧誘を別個で受けており、その際の返事は「プレイステーションの本体売り上げが300万を越えたら考える」というものであった。
その後、1997年になりエニックスは当初N64かPSかで迷っていた『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売することを発表する。ただ、エニックスはスクウェアとは違い、PS参入後も任天堂携帯ハード用のソフトを販売し、任天堂との関係を続けた。
2001年、スクウェアは映画事業の失敗により多額の特別損失を計上する。そうした中で行われた子会社のデジキューブの株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主からの「土下座してでも任天堂と和解しろ」
との声にデジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えるなど、任天堂との関係修復は急務であった。
その後、スクウェアはエニックスに接近し、2003年4月に合併が完了。この直後、スクウェア・エニックス代表の和田洋一が、既に社長から相談役に退いていた山内溥に謝罪に行ったことでようやく関係修復がなされることになった[要出典]。 ぼったくりと言ってもね。
メーカー「ロイヤリティが高すぎる。」
任天堂「それなら他のハードで出せばいいじゃないか。パソコンならゼロだよ。」
メーカー「ソフトが大して売れないから儲からない、FC(SFC)の方が普及してるから
売れるし儲かるんですよ。」
任天堂「うちだってソフトを出してるんだよ。うちのソフトの売り上げにだって影響が
出るんだからロイヤリティはもらうよ。金額に納得できないなら出してもらわなくて
結構。どうぞ他のハードで。」
メーカー「他社のは普及台数が・・任天堂さんのハードでロイヤリティを安くしてもらえるのが
一番儲かるんですよ。」 >>266
その上から目線の見下した態度も低迷した原因の一つだろうね。SFC末期なんて4kくらい巻き上げてたんではなかろうか ソニーもPSが勝利してからは似たようなもんだったらしいよ。 ハードメーカーはそれぐらいカネ引っ張らないと無理だろうね
本体で赤字出すのも普通な商売だから それをできないならハードメーカー無理よ 逆ザヤ価格なんてハードはサターンが初めてだったんじゃないか。
PSも後発のN64も逆ザヤではなかったのではないか。
DCは逆ザヤ。PS2はどうだったんだろう。 PS3は直前に13K下げたからこの分逆鞘と考えると一番なんではなかろうか PS3もね、最初からPS2とのコンパチ機能なんかつけないで、39,800円で発売していれば
別の流れもあったかもしれない。
任天堂と同じく3つ目のハードで自滅した。 >>277
任天堂はファミコン→ゲームボーイ→スーパーファミコン→ロクヨン→GBA…だろ
三つ目はスーパーファミコン
自滅どころか大成功 PS3は原価計算で9万5000円って調査会社が報告だしてたね >>279
ゲームボーイを数えるならバーチャルボーイも入れよう 据置型と携帯型は別に考えるべき。
>>280
凄いね、過去にも後にもそこまでの逆ザヤハードはないだろう。 SCEの債務超過でせがた三四郎も成仏できたかと思っていたが、
去年サターン25周年記念とかで復活してた。
成仏はしてなかったようだ。 25年前の95年末商戦は凄かった。大作目白押し。
サターンはPSにこの年末商戦には勝利した。
と言うか、PSは結構やばい状況だった。 シャイニングフォースVがやりたい。
PS5で配信されないかな。 グランディアこそ64のユーザー層の子供たちに、やってもらいたいゲームだった。 >>288
64ユーザーは小学生でもそれは見る目のある選ばれた小学生だからな
グランディアみたいな子供だましゲーは楽しめない まぁ4倍速が安くなった頃で多少利益最初キツイのを我慢すれば使えたわけで
結局判断ミスだったのは明白だな。
8や16ビット時代は早すぎたCD-ROMも4倍速なら早かった PSとサターンはマルチされたものがあるけど、ギレンの野望なんて仕様がかなり違う別ゲーで驚いたな
スペックの違いでああいう形になったらしいけど、今の時代じゃちょっと考えられない。グランディアはサターンのしかやってないから知らないけど ドラクエ7はムービーなしで64でも良かったろうけど、
グランディアからムービー、音声をはずすのは考えられないね。
最初からグランディアをPSで、さらに販売はスクウェア(テクザーがそう)で
出していたら、ミリオンは軽く超えていたかもしれない。 https://news.yahoo.co.jp/articles/02119168cdcdbd509613df73a006e2e604e599f3?page=3
――シリーズの中で一番苦労したのは「IV」ですか?
いや。実は「VII」ですね。ちょうどその作品から、メディアがCD−ROMになったんです。
容量を気にしなくなったことで、世界を大きくし過ぎて、逆に開発が終わらなくなり、
発売が2年も延びてしまいました。プレイ時間も長くなったので、プレーヤーも大変だったと思います(笑)。
64だったなら、内容はシェイプアップされて98年に出ていたって事か。
FF8が出た年だね。 「結局CDって、読み込めるのは16メガまでで、それ以上はできませんから。
ロムだったら24メガも32メガもありますからね。おいしい部分があります。」
内藤寛がサターンの頃に語っていた事。
こういう事ならカートリッジにこだわる理由になるだろうが、
何故N64ではこんなに良い特性が無くなってしまったのでしょう? >>297
何故ってレンダリングバッファが必要な時代になったからだよ >>298
そんな言い方したって、プログラマーにしか分からないよ。
分かるように教えて。 メガCD,PCエンジンCDは少ない内臓RAMの
読み込みの繰り返しの中では大容量と言えたが、
内臓RAMより容量の大きいカセット、Huカードなら、
ある意味では、カセット、Huカードの方が容量は大きかったって事? コップで大海の水を汲み出すような…と例えたのは誰だったっけな?
堀井雄二もDQ7のときに似たようなことは言ってたと思うが CDなら容量は無限だと思っていたら、幻想だったとか言ってたね。 >>2
昭和の子供はディスクカードというCDより繊細なものを扱わされてたんだし大丈夫だろw 普及台数444万台だけど、ゲーム好きな奴は大体持っていた印象。
この数字とのギャップは何なのかと考えたが、たぶん女子の家には
ファミコン本体はあっても、ディスクまではなかったのだろう。 >>304
俺の周りでは男子でもディスクシステム持ってる奴少なかったよ
ディスク全盛期に幼稚園〜小学校低学年だった世代だけど 当時の大抵の親はゲームに関心なかったから今よりさらにゲームへの風当たりが強かったしな
だから社会人はともかく子供にゲーム機二台なんて買い与える家庭は少なくて当然 >>305
俺が小5の時にディスクが出た。
その違い。 独自の付属ハードを開発して容量問題を解決するのが間に合わないスピードでROMやRAMやらが進歩してたからな カセットの3倍の容量と言うのが売りの一つだったのに、5カ月の6月には1メガの魔界村、
7月には2メガのゴエモンが出たからね。 ドラキュラの書き換えが終わってしまって、周りに持っている奴もいなくて
困っていた。 >>309
出たっ!2メガビット新製品 ってパッケージに大きなステッカー貼ってたゴエモンの発売タイミングってそういう時だったのか >>311
今となってはそれでも極小な容量だけど
やっぱその大容量の恩恵か、ゴエモンあたりから目に見えてファミコンのグラフィックが賑やかになったり、全体的なボリューム感が増していった印象はあるな 任天堂が1番やりたかったのは大容量化でなく店頭での書き換えだと思うね
ディスクシステムの書き換えの後もスーファミとゲームボーイでロッピーの書き換えサービスはじめてたし
本当はニンテンドー64でもロッピーのニンテンドーパワー書き換えサービスをやりたかったらしい
64DDのディスクでね
現在のようにゲームの通信によるダウンロードが実現するまでは店頭書き換えしか1000円以下でゲーム売る手段ないものね あの店頭書き換えと抱き合わせ的に
フロアの一角に任天堂専用売り場を強制したんだよな
地方のおもちゃ屋に行くとその時の名残を見れたりする >>313
本で読んだんだけど、ディスクのゲームは、ゲームの権利が任天堂とメーカーが
半分づつになるようになっていたんだとか。
冗談じゃないとナムコやハドソンがディスクで出さなかったのは分かるんだけど、
何故他のメーカーは出したんだろうね。 やっぱハード作ってる胴元はいろんな意味で強いからなあ
ナムコは一時期任天堂と不仲になるしハドソンもその後PCエンジン開発に参画するし、資本力あるところはハード作りたいんじゃない そして時はたちスーファミCDROM(プレイステーション)のときに
「CD-ROMゲームの権利はソニーのもの」って条件突き付けられてご破算にした アーケードアーカイブスの会社はハドソンの元スタッフの会社のようだね。 どっちかというと
人にふんどしを履かせて相撲取らせる >>317
SCEの副社長だった丸山氏が言ってたんだけど、「ゲーム機のソフトメディアがCDになって、
音楽CDがゲームソフトとして売り出されたら、その版権はどこに行くんだ?」
と言うのがソニーがゲーム機に参入を考えたきっかけだったんだってさ。
いらぬ心配だったと思うけどね。 >>316
ナムコが新ハード出すなんて噂もあった。
ファミコンの任天堂との最初の契約が切れる頃。
任天堂もな、SFCからはナムコに他メーカーと同じ条件でやってくれと言うのもわかるけど、
ファミコンなんかその頃には終わりかけだったんだし、ファミコンに関しては
それまでの条件でも良かったんじゃないか。 なんかおやじギャグ使ったCMやってるけど、
「買わなきゃハドソン」「靖子のレンジは使いやすこ」
この二つにはかなわん。 >>322
噂ってか本当に作ろうとしてたよね CPUはMC68000系列って話
時期的にナムコはアーケードで独自基板をガンガン投入してた時期
SYSTEM21 SYSTEM22 SYSTEM SUPER22 等だね
ここら辺の基板のままでは当然とんでもない値段になってしまうから参考程度の話だがね
ただ93年ころに投入するなら89年のアーケード基板であるSYSTEM21に近い程度の性能は出したかっただろう 89年の基盤に近い性能のハードを4年後の93年に発売?
98年発売のドリームキャストは94年のMODEL2より性能上だったよね。 >>325
ナムコの幻の家庭用ゲーム機の話か。
68000採用(予定)の話はあっているが、あれは3Dハードじゃないぞ。
スーパーファミコンに対抗する2Dハード。
家庭用の話はうやむやになって、最終的にはアーケード用の「システムNA-1」として1992年に世に出た。 スーパードンキーコングのグラフィックには驚いた。
SFCが出た90年のアーケードゲームよりも、上ではなかったか? 当時の限られた環境の中で、映像への細かい工夫でゲーム体験を向上させる技術を理解しないのはね
スーファミドンキーもだけど、ぱっと思いつくところでPS2ワンダの技術も革命的なものではなくても海外でも賛美されてる SFCとサターン、PSをRGB出力からHDMIに変換できる機器が
あり綺麗に映るんだけど、当然64はできない。
64がRGB出力付けていてくれれば良かったんだけど。
64は32型液晶でも、ビデオ端子だととても見れたもんじゃない。 >>331
そこまで環境整ってるなら64のRGB化はやるべき
電子工作初心者でもハードル低いしね 何故PS,SSはRGB対応なのに、64は非対応だったのでしょう? >>333
その頃、マルチ21ピン(15KHz)搭載テレビは絶滅してたと思う
SONYのWEGA系ではマルチAV端子付きがあったが
競合相手用に対応したくなかった、叉は時代はD端子になったと云うだけではないかな SFCの時はAVケーブルを付属しないで、なるべく綺麗に映るものを使うよう
案内してたんだけどね。
ただその頃でもRGB対応テレビなんて、少なかったのではないか?
約30年もの月日を経て、その出力を使う事になったけど。 RGB端子は登場の初めからかなりマイナーな存在 マニアしか知らない
そもそも対応テレビが少なくて一番使われてたのがソニーのプロフィールって業務用モニター
チューナーが入ってない純粋なブラウン管(トリニトロン管)モニターだ それで40万とかした
普通のテレビと違い一般家電店ではおいてなく注文品のため値引きもほとんど期待できない
本当に金に糸目をつけないマニアのものだったんだよ その当時、使えなかったマニア以外の人も約30年の月日を経て
RGB機能を使えるようになったんだが、わざわざそういう機器買って
接続するのもマニアかな?
それに今どうも、生産が止まっているらしい。あるいは終了したか?
コロナの影響かと思ったが、ゲーム需要は増えてるんだからね。 スーパーマリオ3Dコレクションのスーパーマリオ64を
スイッチのクラコンでやってるんだが、操作感覚がなじまない。
Wiiのクラコンはすぐ慣れたんだが。 >>330
取りこみ画像のゲームがスーファミドンキーだけならその理屈は成り立つ
ただほかにも取りこみ画像ゲームが複数あってドンキーだけを称賛するのはナンセンスだわな
取りこみ画像のゲームはドンキーしか知らない人じゃないかと疑念を持つな 良く分からないけど、SFCの取り込めるだけの性能があったから、取り込めたんだろ。
90年のアーケード基盤に取り込めたのかな?
出来るのかな。90年に出たネオジオはアーケード基盤としては、高性能ではなかったのだろうから。
SFCとネオジオを考えたら、出来たんだろうね。やっぱり。 そもそもそいつはスーファミというかレンダリング自体を理解してない
ドンキーのリアルな見せ方が単純に取り込み画像だからというのもあまりに浅はか。知らないならイキらなければいいのに迷惑な奴 CG絵の取り込みにSFC本体の性能とか一ミリも関係ないからなw