もしニンテンドウ64(N64)がCDを採用していたら?2
>>195
だから「クソゲーの洪水」単体がアタリショックの原因にはならない、っていう話だろw
クソゲーが異常な数あるSteamでアタリショックが起きないってことはね アタリショックの研究本みたいなの昔読んだことあるけど、かなり複雑な事象の結果だったみたいよ
詳細はあんま覚えてないけどw >>194
サターンとプレステがCDかカートリッジか、寸前まで検討されていた事の方が意外だった。
64がCDだったならば、ソニーはPS出す事を止めていたとも思っていたんだが、
そうではなかったんだね。
64がカートリッジだから、それならばCDでやれば勝てるかもしれないと、PSを出したのかと
思ってたよ。 セガは当時サターンとは別にカートリッジ式のハードも一応開発は進めていたらしい
PSは当初からCD-ROM式ハードだけ考えていただろう >>200
> セガは当時サターンとは別にカートリッジ式のハードも一応開発は進めていたらしい
32Xとは別で?
…SEGAの一番の欠点は企業として内部統制がとれてないところというか企業戦略がいい加減すぎたというか…
悪い意味で技術者集団だったのかな、経営陣まで含めて >>201
カートリッジ式がジュピター
CD-ROM式がサターン
というコードネームだったとか
どっちもメガドライブの後継機
なお、間違ってたらすまん アメリカ側が後継機にジェネシスとの互換を求めてたんじゃなかった?
ツインCPUもたしかいくつかあった案を統合した結果だったみたいな記事も読んだことがある >>201
セガはAMとCSが明確に分離していて、利益を叩き出すのがずっとAMだったので、中山社長がAMを可愛がりAMが実権を握っていた。
だからCSの意向が反映されない企業風土だったんじゃない?
サターンは、初めてAMのハードチーム(SEGA SYSTEM32の設計者たち)が作ったCSの機種だった。 >>200
サターンのパワーメモリーを差す部分に、カートリッジを差してゲームできるんだよ。
初期型PSの背面にある拡張スロットはカートリッジにするか悩んでいた
名残なんだってさ。 初期のPS1にあったその背面のパラレルI/Oポートって帯域どれくらいだったんだろ? カートリッジのプレイステーションw
なんか想像できない。サターンならともかく。
ソフトの値段はいくらで出すつもりだったんだろ? >>132
PS4ではサターンの配信は可能だったって事か。
PS5なら余裕かな。実際やりそうな雰囲気はないけどね。 >>208
switchでも可能なんだぞ
PS4なら余裕すぎる PS,SS,N64が仲良く揃ってカートリッジだったら、FF7はN64で出ていたのだろうか。
SSのみがCD機だったら、FF7はサターンで出ていたのだろうか? >>210
スクウェアから見たサターンは、そもそも性能が低いという散々なレビューだったのでまあ無かっただろうな 性能ってポリゴン性能の事ね。
トータルで見たら、凄いハードだったんだけどね。 >>210
その場合、両方64ですね。
サターンはありません。 1994年当時ならMS-DOSや1年後のWin95のほうがまだ可能性あったかもな
PCはCD-ROMドライブ標準搭載だったし、
スクウェアが3Dゲームに傾倒しようとしている時期で、
3DゲームのリードプラットフォームはPCだったから
ポリゴン弱いサターンが3Dゲームの選択肢として無いのは確かなこと >>214
PCは一番無いわw
ユーザーが少なすぎるから候補にすらあがらん スクウェアはあの当時、「当社としては次世代のソフトメディアとしてはCD-ROMを前提に考えてましたので、N64
と言う選択肢はありません。」とTVの取材で答えてたけど。 スクウェアはデジキューブで会社を拡大していく戦略だったからCD前提なのは
何十万もするPCはまだシェアがそんなになかったのは確か。価格破壊のソーテック台頭ももうちょっと後だし >>216
それならサターンのみがCD機だったなら、サターンに参入してたって事じゃないか。 悪いけど当時のスクエアにサターンを使いこなせるとは全く思わないけどね。FF7はPSで正解。
センスはともかく技術は当時のゲームアーツに完全に負けてる。 技術はどうだか分からんが、グランディアはFF7より面白かった。 >>220
スクウェアは超厚遇で優秀なプログラマーが大勢集まっていたんじゃないのか。
もっとも、仕事をこなしておけば後は自由に過ごせる裁量労働制と言う制度。
プログラマーは出社してハンコ押して、お散歩なんてわけにはいかず、激務の長時間労働。
それでクリエイターたちが出社してハンコ押してお散歩に行って、どんなアイデアを
出してくるのかと言えば、アニメのパクリ。
バカらしくなって、辞めていったプログラマーも相当いたと考えられるが。 >>223
それだけ長文かいて全部妄想とか恐れ入ったわ 当時のドキュメント映像とかで
スクウェア社員は一日に一度出社したという印のハンコを押しておけば
何時に出社も退社も自由、とあったのは記憶してる >>226
人間の記憶って当てにならないって知ってる?
すぐに記憶の捏造とか起きちゃうんだぜ
だから確実なソースってのが必要になるんだよ スクウェアがSFC/PS時代が裁量労働制だったのは確かな話(すまんが出せるソースは無い)
そんなのどうでもよくて、
>>223 >>226
こわいのは下4行のほうだわ
↓↓↓↓
プログラマーは出社してハンコ押して、お散歩なんてわけにはいかず、激務の長時間労働。
それでクリエイターたちが出社してハンコ押してお散歩に行って、どんなアイデアを
出してくるのかと言えば、アニメのパクリ。
バカらしくなって、辞めていったプログラマーも相当いたと考えられるが。
↑↑↑↑
なにこれ? >>226
NHKじゃなかった?
ゲームが完成したら一か月間の有給休暇とか、ある社員にボーナスが700万円支給されて
役員の年収を超えましたとか。
鈴木尚氏「公平と悪平等とは全く違う。」
その人事評価が本当に正当にされていたのなら、良かったのだけれどね。 64はCDを採用しない
製作してたCD-ROMはSFC用
なぜなら3Dゲームは立ち上がったばかりでゲーセンなどの他のアミューズメントビジネスを妨害しかねないから
本格的な3Dゲーム機でもROMのみに縛ればそれを防げると考えた
セガもその考えで当初サターンは2Dゲーム機だった
プレステの登場で急きょ3D機能を追加しただけ
それと64は開発が難しいというのは嘘
コストの問題で初期は物理的に任天堂独占にしたかったのであの仕様にした
しばらくして原価が下がったら25000円のままメモリ拡張を標準にしてリニューアルする予定だった
メモリ拡張パックの効能は説明しないが開発はぐっと楽になるのでサードもソフト出せるようになる
ところがプレステが「すべてのゲームが遊べる」とか言い出し価格競争をしかけたのでその競争に対抗するため変更
実質任天堂のゲームしか遊べないハードになった
その戦略がゲーマー以外の一般層の任天堂に対するブランド力を高めDS、Wiiの伝説的ブームを生みswitchでも「任天堂のゲームしか売れない」現象を作り出した
こんな感じでいい? >なぜなら3Dゲームは立ち上がったばかりでゲーセンなどの他のアミューズメントビジネスを妨害しかねないから
本格的な3Dゲーム機でもROMのみに縛ればそれを防げると考えた
セガはともかく、任天堂にとっては関係のない事では?
>プレステの登場で急きょ3D機能を追加しただけ
メインCPUをもう1個、増やしただけらしい。
それで対応できたのだから、ある意味凄いハードだった。 >ところがプレステが「すべてのゲームが遊べる」とか言い出し
「すべてのゲームはここに集まる」は初期の頃のキャッチコピーだが、任天堂とセガの
ゲームはできないんだから、陳腐なキャッチコピーだったと言える。 その戦略がゲーマー以外の一般層の任天堂に対するブランド力を高めDS、Wiiの伝説的ブームを生みswitchでも「任天堂のゲームしか売れない」現象を作り出した
>N64とDS、Wiiの間にはゲームキューブ、GBアドバンスの時代があり、随分時間差があるんだけど。 >>230
一カ月どころか二カ月だった記憶があるけど。 出来るだけ長く遊んで欲しいってのがあったからカートリッジ形式を主軸においたんじゃないかな
64は3Dスティックですら耐久性がボロボロだったんだし、あの時代にディスクメディアのハード出しても今頃は遊べなくなってると思う
どうぶつの森にフラッシュメモリ積んだのもそれが理由 >>236
>出来るだけ長く遊んで欲しいってのがあったからカートリッジ形式を主軸においたんじゃないかな
さすがにそれは無いだろw 物理的な壊れにくさという意味でなら合ってるんじゃない? 「すべてのゲームはここに集まる」と言ってFFもDQも桃鉄も引っ張ってきたのは大したものだと思う >>230
>>235
何ヶ月かずっと仕事でそのあとまとまった休みが貰える、って船員みたいだね >>236
64より古い初代プレステやもっと古いPCエンジンCDROMやメガCDも問題なく読めてるからその理屈はありえないだろ >>238
それは今西氏が言ってました。ガシャポンの世界だと。
カートリッジの良い点の一つ。子供が使うんですからね。
でもゲームキューブではディスクになったけど。 ディスクシステム(の失敗)があったからこそディスクが嫌いになったのだろう ファミコンのディスクシステムは大成功っしょ
周辺機器で本体より高いのに400万台以上も売れて一時代を築いたんだよ >>247
ディスクシステムの説明書に付いてた、漫画を覚えているか?
あの頃からあったマルチメディア機の夢。
結局、その後のどのゲーム機でも実現できないんだけどね。
する必要もないし。 メガドライブのソフトはSFCの同タイトルのソフトより、随分安かったけど海外生産だったからなのか?
N64のソフトが6800円にまで下がったのは、海外生産に切り替えたからなのか? >>250
> メガドライブのソフトはSFCの同タイトルのソフトより、随分安かったけど海外生産だったからなのか?
需要の差よ
売れないソフトの価格は下げなきゃならんのが世の常
高くても売れるものは限界ギリギリまで高くして売る スクウェアのハワイのスタジオは2002年に無くなってたのか スタジオは無くなったけど、ヒゲは住み着いたんだね。 >>5
今更なレスだけど揉めたってのが剣持たせようとして不仲になった噂のこと言ってるなら
あれは単に案を出して没になったという世の中どこにでもある話、それ以上でもそれ以下でもないぞ
そもそも剣と魔法のファンタジー作ってる会社とコラボするんだからそりゃそういう案も出て当然だって話で
それで案を出すことすら許さんってなったら逆に任天堂どんだけ心狭いんだってなるわ そんなの関係ないよ。
CDかカートリッジか、と流通の2点が離れた理由。 離れた理由なんかどうでもいいわな
その離れたときに何か変な揉め方したのか、そういうこともなかったのか?っていう問題
当時任天堂から離れたといえばナムコだったりカプコンだったりも同じなわけで
なんでスクウェアだけずっと後ひいてたのか?っていう… 「任天堂がアホやから売れんのや」と江本さんも言っていたな CDにすると子供の雑な扱いですぐ駄目にしてしまうからというのはあったと思うが
サードからぼったくれなくなるからという理由のが大きかっただろうな。 CDだってぼったくれるでしょ。
ロイヤリティを高くするだけの事なんだから。 ROMの製造原価は絶対の秘密だったからCDと同列にはできない ゲームのカセットの原価は秘密にできてもそのカセットに入れるROMの原価は秘密にできないしな
別に任天堂が作ってるわけでないし世界中で流通してるものだから
そしてそのROMの原価ですでにCDとは比べ物にならないほど高額で勝負にならない >>257
スクウェア・エニックス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org//wiki/スクウェア・エニックスより
任天堂との関係[編集]
Question book-4.svg この節のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。他の出典の追加も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。(2015年10月)
ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン全盛時代、ドラゴンクエストシリーズというビッグタイトルを持つエニックスは、任天堂のサードパーティーとして重要な位置にあった。
ファイナルファンタジーシリーズで追いかける形にあったスクウェアは、任天堂との関係が深かった小学館(ゲーム・オン!編集部)との合同企画として1994年に『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、
1996年に『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、任天堂との関係を強めようと模索していた。
しかし『ライブ・ア・ライブ』はさほどヒットせず、『スーパーマリオRPG』はヒットしたものの、スクウェア側のスタッフが独立してしまうなど必ずしもスクウェアの思うようにはならなかった。この時期と前後して、
『ファイナルファンタジーVII』の製作スタッフである坂口博信が「プレイステーション」(PS)の映像力に魅了されており、FFシリーズのPSへの移籍への道を探っていた。
スクウェア自体もまたこの流れに同調し、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフト開発(NINTENDO64(N64)用に企画していた約10タイトル含む)を中止する。鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、
PSに独占供給を決めた際に任天堂の山内溥社長(当時)は「機種の選択という意味では仕方がない」と語っていたというが、その際にスクウェアの社員がエニックスをPS陣営に誘うために、
エニックスに加え他のソフトメーカー達にN64は駄目だと吹聴していたことが山内社長に伝わってしまったことから、任天堂との深い確執が生まれてしまうことになった[7]。
この時期、
エニックスもソニーからドラクエシリーズの移籍の勧誘を別個で受けており、その際の返事は「プレイステーションの本体売り上げが300万を越えたら考える」というものであった。
その後、1997年になりエニックスは当初N64かPSかで迷っていた『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売することを発表する。ただ、エニックスはスクウェアとは違い、PS参入後も任天堂携帯ハード用のソフトを販売し、任天堂との関係を続けた。
2001年、スクウェアは映画事業の失敗により多額の特別損失を計上する。そうした中で行われた子会社のデジキューブの株主総会では任天堂商品が扱えない事が問題となり、株主からの「土下座してでも任天堂と和解しろ」
との声にデジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えるなど、任天堂との関係修復は急務であった。
その後、スクウェアはエニックスに接近し、2003年4月に合併が完了。この直後、スクウェア・エニックス代表の和田洋一が、既に社長から相談役に退いていた山内溥に謝罪に行ったことでようやく関係修復がなされることになった[要出典]。 ぼったくりと言ってもね。
メーカー「ロイヤリティが高すぎる。」
任天堂「それなら他のハードで出せばいいじゃないか。パソコンならゼロだよ。」
メーカー「ソフトが大して売れないから儲からない、FC(SFC)の方が普及してるから
売れるし儲かるんですよ。」
任天堂「うちだってソフトを出してるんだよ。うちのソフトの売り上げにだって影響が
出るんだからロイヤリティはもらうよ。金額に納得できないなら出してもらわなくて
結構。どうぞ他のハードで。」
メーカー「他社のは普及台数が・・任天堂さんのハードでロイヤリティを安くしてもらえるのが
一番儲かるんですよ。」 >>266
その上から目線の見下した態度も低迷した原因の一つだろうね。SFC末期なんて4kくらい巻き上げてたんではなかろうか ソニーもPSが勝利してからは似たようなもんだったらしいよ。 ハードメーカーはそれぐらいカネ引っ張らないと無理だろうね
本体で赤字出すのも普通な商売だから それをできないならハードメーカー無理よ 逆ザヤ価格なんてハードはサターンが初めてだったんじゃないか。
PSも後発のN64も逆ザヤではなかったのではないか。
DCは逆ザヤ。PS2はどうだったんだろう。 PS3は直前に13K下げたからこの分逆鞘と考えると一番なんではなかろうか PS3もね、最初からPS2とのコンパチ機能なんかつけないで、39,800円で発売していれば
別の流れもあったかもしれない。
任天堂と同じく3つ目のハードで自滅した。 >>277
任天堂はファミコン→ゲームボーイ→スーパーファミコン→ロクヨン→GBA…だろ
三つ目はスーパーファミコン
自滅どころか大成功 PS3は原価計算で9万5000円って調査会社が報告だしてたね >>279
ゲームボーイを数えるならバーチャルボーイも入れよう 据置型と携帯型は別に考えるべき。
>>280
凄いね、過去にも後にもそこまでの逆ザヤハードはないだろう。 SCEの債務超過でせがた三四郎も成仏できたかと思っていたが、
去年サターン25周年記念とかで復活してた。
成仏はしてなかったようだ。 25年前の95年末商戦は凄かった。大作目白押し。
サターンはPSにこの年末商戦には勝利した。
と言うか、PSは結構やばい状況だった。 シャイニングフォースVがやりたい。
PS5で配信されないかな。 グランディアこそ64のユーザー層の子供たちに、やってもらいたいゲームだった。 >>288
64ユーザーは小学生でもそれは見る目のある選ばれた小学生だからな
グランディアみたいな子供だましゲーは楽しめない まぁ4倍速が安くなった頃で多少利益最初キツイのを我慢すれば使えたわけで
結局判断ミスだったのは明白だな。
8や16ビット時代は早すぎたCD-ROMも4倍速なら早かった PSとサターンはマルチされたものがあるけど、ギレンの野望なんて仕様がかなり違う別ゲーで驚いたな
スペックの違いでああいう形になったらしいけど、今の時代じゃちょっと考えられない。グランディアはサターンのしかやってないから知らないけど ドラクエ7はムービーなしで64でも良かったろうけど、
グランディアからムービー、音声をはずすのは考えられないね。
最初からグランディアをPSで、さらに販売はスクウェア(テクザーがそう)で
出していたら、ミリオンは軽く超えていたかもしれない。 https://news.yahoo.co.jp/articles/02119168cdcdbd509613df73a006e2e604e599f3?page=3
――シリーズの中で一番苦労したのは「IV」ですか?
いや。実は「VII」ですね。ちょうどその作品から、メディアがCD−ROMになったんです。
容量を気にしなくなったことで、世界を大きくし過ぎて、逆に開発が終わらなくなり、
発売が2年も延びてしまいました。プレイ時間も長くなったので、プレーヤーも大変だったと思います(笑)。
64だったなら、内容はシェイプアップされて98年に出ていたって事か。
FF8が出た年だね。