なぜ「構造改革論」が消えたのか
https://www.newsweekjapan.jp/noguchi/2018/06/post-16.php
このことは、もう一つの重要な真実を示唆している。それは、「日本経済の長期経済停滞の原因は需要不足にではなく
供給側の構造問題にあり、したがってそこからの脱却にはマクロ経済政策ではなく構造改革が必要である」という、
日本の経済論壇をかつて支配した構造改革主義の政策命題が、現実そのものによって反証されたということである。
このいわゆる「構造改革論」が、近年の経済論壇では、反市場原理主義的な立場から批判されることはあっても
積極的に称揚されることはなくなったのは、それを裏付けている。

1990年代初頭にバブルが崩壊して以来、日本の歴代政権は、景気浮揚のために「緊急経済対策」や「総合経済対策」
といった財政政策を繰り返してきた。とりわけ典型的であったのは、1997年の経済危機を受けて1998年7月に成立した
小渕恵三政権である。小渕政権は、政府財政赤字の拡大を厭わず、景気浮揚のための巨額の公共投資を実行した。
それは、ケインズ主義的な赤字財政政策そのものであった。

このように、1990年代全般を通じて巨額の公共投資が毎年のように行われたにもかかわらず、日本経済は結局、十分な
回復にいたることはなかった。それどころか、当時の日銀が金融緩和にきわめて消極的だったためもあり、日本経済は
デフレという重い病を抱えることになった。その結果、膨れ上がった政府財政支出と景気低迷による税収減の相乗効果
によって、日本の財政赤字は拡大し続けた。公共事業性悪論が1990年代末頃から盛り上がったのはそのためである。

(続く)