ますは否定から入る人
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そういうゴミ屑が旧友に居た
無論絶縁したのは言うまでもない( ´,_ゝ`) 若い頃は万能感の塊。自分が神と思ってないほうがおかしい。
ただそれが3040代だったら困るけどな
ホリエモンとひろゆき。 頭から相手を否定することによって自尊心を満たそうとしている人々が本当に多い あほな父親な
小学生相手に自尊心
お前働いてないだろう
子供:はあ? 学校の先生
おまえら働いてないだろう
先生は偉いんだぞ 先生:働いている人は美しい
生徒:ついていけんわ、この先公 あほな父親な
小学生相手に自尊心
お前女いないだろう
子供:はあ? 世の中の大半はそんな奴
少なくとも俺にとってはそうだ
肯定される事なんてない 一度だけ否定されることを見越して、
俺はこのぼろ屋に一生住みたいとか言ったら、
親は引っ越しの準備を
したがな、うっししし 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
小学生レベルの学力の分際で"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ コンプレックスが強い奴ほど、否定から入る
哀れだな( ´,_ゝ`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています