あるダメ男の自分史
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俺は今まで親友と呼べる人や彼女が居なかった。両親と姉が居たが腹を割って話をすることが出来なかった
俺が孤独死する前に、これを読んだ誰かが「自分より馬鹿な奴が居るんだな、こいつより自分の方がましだから前向きに生きてみるか」と思ってくれたら幸いだ 誤解しないで欲しいのだが、当時の俺は決して嫌われてる訳ではなかった
同学年の生徒が40〜50人の、のどかな小学校ではイジメは無かった
放課後、家に遊びにおいでと言われたことはなかったし
部活に誘われたことがなかったが存在感が全くなかった訳ではない
俺は男子からも女子からも○○ちゃんと呼ばれていたからだ
○○というのは苗字ではなく下の名前のことです 帰宅すると姉と遊んだ
姉は外では大人しいのだが家に帰ると男勝りな女子に変わる
いわゆる内弁慶というやつだ
兄のような姉と遊ぶのが一日の中で一番楽しかったし人生で一番楽しい時間だった 前にも書いたが、同じような年齢の子供は100メートル以上先にあるし
唯一の同級生は更に山奥にあるので、遊び相手は姉だけになる
だが夏休みや冬休みになると地方都市の高専に通う伯父が帰ってくる
伯父は8人兄弟の末っ子だが俺より9歳しか離れてない
一緒に遊ぶというより遊ばれてた感じだ
よく身体を押さ付けられズボンを脱がされた 当時、親父の姉夫婦が近くに住んでたらしい
それで従姉が俺たちと一緒に食事をしたり遊んだりしたらしいが全く記憶がない
親父は建築業をやってたのだが従業員の子供たちとも一緒に遊んだらしいが
それも殆ど記憶がない
どちらも5〜8歳あたりらしいが、そのあと体験する出来事が衝撃的だから記憶にないのかもしれない >>28
過去を振り返り後悔ばかりしているせいだろうな
しかし最近のことは忘れるんだよ。年取ったという証拠だね 若い従業員たちとも遊んだのを思い出した
彼らは家の近くにテントを張って生活してた
親からトランシーバーを買って貰ったので彼らのテントに行き遊んだのだが
俺と姉の二台のトランシーバーを奪いとり彼らだけで遊んでた
もしスマホを見せたら目の玉が飛び出るほど驚くだろう
それと休みになると川釣りに一緒に連れて行ってくれた
しかし釣り竿を持たされることはなく釣った魚を持ってと命令されるだけだ
俺は生臭い魚を手掴みして、釣りが終わるのを待ったが良い思い出だった それと当時、家の隣に大型トラック3台が止まれる程の空き地があり
そこに建設関係者用のユニットハウスがよく建つことがあった
そこには家族連れて宿泊する人もいて同世代の女の子とも仲良くなった
遊んでくれたお礼なのだろうか?小麦粉を練って油で揚げたおやつを貰ったことがある
その子の母親が作ったのだろう。近くに商店はないので甘い食べ物に飢えていた
だから今でも美味しかったあの味を思い出す 俺はそんな商店がない田舎に16歳まで住んでたのだが
更にその奥には鉱山で栄えた集落があった。
そこには多くの長屋が立ち親父もそのうち何件か建てたらしい
親父の姉夫婦もその鉱山で働いてたらしい
俺が小学校に入る前に閉山となったのだが、それでもまだ商店が二軒あった
小学校のある町よりその集落にある商店の方が近いので
お菓子が食べたい時はその集落まで歩いて買いに行った 夏休み 家には俺と姉だけしか居ない日があった
二人とも缶ジュースが飲みたくなったので俺がその店で買うことになった
姉は代わりに昼食用のカレーライスを作ってあげると言った
俺はその店までテクテク歩いて缶ジュースを買った
その日は暑かったので缶ジュースを飲みながら歩いて帰った
1本飲み終えると俺は姉の分の缶ジュースまで飲んでしまった
俺は約束を果たさず帰ってきたのに姉はカレーを作ってくれてた
男勝りな姉は何故か怒らず悲しそうな顔をして俺を見るだけだった
大人になってから姉には随分と嫌な思いをさせられたが
あの日の出来事があるから言い返すことが出来ない その日はたぶん母親は親父の手伝いをし
婆さんは親父のきょうだいの家に行ったのだろう
その頃すでに爺さんは他界してたはずだ
>>2>>3にも書いたが俺は爺さんと話した記憶がない
馬車から落下して怪我をしたので寝たきりになったらしいが
今から思えば脳梗塞で落下したのかもしれない
親戚に脳梗塞になる人が多いからだ
爺さんと婆さんの部屋は茶の間に隣接してるのだが、いつも小便臭かった
尿瓶からこぼれた小便が畳に吸い込んだままなんだろう
それに爺さんは何を喋ってるのかさっぱり分からなかった
脳梗塞を患ってるような喋り方をするし部屋は小便臭いので
俺と姉は爺さんを避けるようになった
今から思えば爺さんは可哀想な人だった
四国では相場で儲けて良い思いをしたかもしれないが
借金取りから逃げるため北海道にやってきたら農業経験がないのに荒れた土地を任された
そのあと事故で下半身不随になるし、可愛いはずの孫からも疎まれ死んだのだから 爺さんは俺が今住んでる町の墓地で火葬された
当時は墓地があるところに火葬場があったのかもしれない
火葬場には今とは違い休憩室などないし煙を出さないような設備などなかった
爺さんが焼き上がるまで自宅に戻り、時間が来たら遺骨を取りに行ったと思う 俺はそこで奇妙な声を聞いた
爺さんが窯で焼かれたのを確認したので俺らは一旦自宅に戻ることにした
何気なく煙突を見ると黒い煙が上がっていた
その時「あぁぁ…」というエコーがかかった断末魔の声を聞いた
男の声なので爺さんだと分かった。だが俺は誰にもそれを言えなかった
きっと信じてくれないだろうと思ったからだ
両親の寝室で新聞紙を敷き、その上に爺さんの骨を無造作に広げた
今とは違い軽く叩けば砕けるものではなかった
田舎の火葬場だし当時はこれが当たり前だったのだろう
まるで動物の骨を扱うかのように皆で叩いて骨壺に収めた 爺さんと話をしたことがないと書いたが
大人になるまで親父とも殆ど話をすることがなかった
俺を叱ったことはなかったが怖い人という印象だった
親父と同世代の大工が住み込みで働いていたのだが二階の一室がその人の部屋だった
俺と姉は一階の部屋の二段ベッドで寝てたら親父の怒鳴り声で目覚めた
その人は毎晩のように仕事を終えるとスナックで酒を飲み深夜帰ってくる人だ
寝タバコをしてボヤ騒ぎになったこともあったので
親父は堪忍袋の緒が切れたのだろう
ピシャッというビンタの音が聞こえた
その人は「□□さん、リバイバルだよ」という意味不明の言葉を叫んでたのを覚えてる 親父は他人に良く思われたい人だ、それが例えきょうだいであってもだ
親父の妹夫婦が家にやってくると幼い従妹の遊び相手になってた
俺は幼心に親父は子供嫌いな人なんだと思ってたので違和感があった
妹夫婦が帰ると「○○とも遊んでやれば」と母親が言うので
親父と部屋で相撲を取ったのを覚えてる
親父は幼い従妹らと遊んだ流れて躊躇なく俺と遊んでくれたのだろう
姉と親父とは仲が良いようだ。姉は大人の会話に遠慮せず入ってくるからだろう 母親とは姉と同じように普通に話せた
俺が不平不満を言っても殆ど怒ることがなかったし
テレビをずっと見てても「勉強しなさい」と言われたことは一度もない
母親は3人きょうだいの長女だが俺や姉を放任してた
体が弱いのに親父の手伝いを時々してたので疲れてたのかもしれない 母からは挨拶や礼儀作法など教わったことがない
親戚が来ても俺は挨拶せず部屋に隠れた
両親とも、それを咎めることはなかった
そもそもなぜ親戚が来ると隠れたかと言うと
本家の長男のくせに引っ込み思案な自分が恥ずかしいから
母から親戚の悪口をよく聞かされるので会うのが嫌だったからだ 親父は給料の全額を親に渡し、必要な分だけ親から貰う生活をしてた
それは母と結婚してからも変わらなかったらしい
親に渡った給料は親父の弟や妹たちに配分されたので母は面白くなかったのだろう
それで悪口を言うようになったが親父はそれを咎めることがなかった
親父は中学を出てすぐ丁稚奉公したので金銭感覚がない人だった
盆と正月だけ給料を貰ったが何を使えば良いのかわからず大工道具を買ったと言ってた 仕事以外にかねの使い方分からないって落語に出てきそうな人
昭和にもいたんだな >>42
コメントありがとう。親父は昭和7年生まれで今年88歳になる
今もクルマを運転する元気な爺さんだよ 当時の俺は手のかからない少年だったように思う
そんな俺でも、わんぱくな時もあった
姉と追いかけっこをしてたら母が大事にしてた鉢植えを足で引っ掛けて割ったので
ビンタをくらったことがある
両親から体罰を受けたことはこれだけだし怒鳴られたこともなかった
こんな少年が十数年後、刑務所に入るくらいの罪を犯すとは思わなかっただろう 俺は家では普通のわんぱく少年だったが外を出ると大人しい少年になのだが
奇跡的に授業中に積極的に挙手する少年になってたことが一時期あった
それは小学校4〜5年生の頃だったと思う
俺の得意な科目である社会の授業で挙手したことをよく覚えてる
休み時間には女子と授業の話題で普通に話せた時期があった 俺は姉とばかり遊んでるせいか体育は苦手だが
図工と社会、特に地理だけは得意だった
図工は絵を描くことのみだが何故か上手く描けた
母親も姉を絵を上手く描ける人なので遺伝によるものだろう
だが絵を描くことが好きと言うわけではなかった 社会科の地理が好きなのは、たぶん駅の待合室で地図ばかり見ていたからだろう
当時、駅の待合室の壁には観光地のポスターや鉄道地図が壁に貼ってあった
俺は小学校を下校すると真っすぐ駅に行き一人遊びに興じたのだが
遊び飽きると駅のポスターや鉄道地図を眺めたりした
それで地理が好きになったんだと思う 俺が更にシャイな少年になってしまったのは小学校5年生あたりではないかと思う
二つ上の姉が中学に入学した頃だ
通学のため俺は姉と駅に行った。その駅は無人駅でトイレもなく屋根が少しあるだけの
簡素な駅なのだが当時は小学生から高校生まで合わせて20人ほどが汽車を待っていた 俺は汽車が来るまでの間、唯一の同級生である男子とふざけたことをしてた
彼は後に高校で生徒会長をする男だ。生真面目な男なので馬が合わなかった
だがその時は何故か彼と遊んでた。すると遠くから姉の冷たい視線を感じた
帰宅後、姉は母に朝の出来事を話した「○○がバカみたいなことするので私も恥ずかしかった」
というようなことを言ってたように思う 親父は外でも家でも変わらない普通の人のように当時は思えた
だが母は外では上品に振る舞うのだが家では真逆の人だった
姉はそんな母の影響を受けたのだろう
俺は親父とは話ができず母としか普通に話せなかった
遊び相手は姉だけだった
そんな俺は母と姉以上に内弁慶な男になってしまった 小学校の隣に自動車学校の走路を小さくしたような公園があった
交通公園と呼ばれるここで信号の渡り方や自転車の正しい乗り方を教わる授業があった
俺はここで自転車を逆走してしまい女子に「○○ちゃん逆でしょ」と怒られたことがある
俺は内気なだけではなくアスペルガー症候群だった
もちろん当時そんな言葉は無かった。なぜ俺はいつも他の人と違うんだろうと思ってた
実は大人になり親父と一緒に働くようになってから気付いたのだが
親父もアスペルガー症候群だった。つまり俺は親父の遺伝を継いだということだ たぶん小学5年生の夏だったと思う
運動会のリハーサルのため男女各1列になり行進の練習をさせられてた
俺はなぜか先頭を歩かされた
担任の先生が「次、右」の掛け声で俺は左に歩いてしまった。
つられて隣の女子も左を歩いた
こんな事が何度あり先生からは「□□は困った奴だな」と言ったあと
「それにしても今日は暑い日だな」と汗を拭いながら困った表情を浮かべてた
後の列からは「○○ちゃん何やってるんだよ!」と怒られてしまった 最近になってそれは「左右盲」であることを知った
それを教えてくれたのは↓このスレを読んでくれた人だった
しくじり男 (´Д`) 自分史
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1572608105/l50 去年の11月に、そのスレをヒッキー板に立てたのだが
本格的なイジメが始まる中3からの自分史を書けなくなってしまった
やはり今が幸せでなければ昔の苦労話は書けないと判断し打ち切ってしまった
現在の俺は幸せではないが気分が安定してきたので
最初から詳しく書くことにした
俺の稚拙な文章を読んでくれてたヒッキー板の人達には申し訳なく思う 運動会のリハーサルの件は家族には、みっともなくて話せなかった
その後の運動会での思い出は全く記憶がないので
たぶん俺は先頭を外され滞りなく進行したのだろう
左右盲の件だがヒッキー板で教えてくれた後ググってみたら
同じ悩みを抱えてる人が意外と多いことに驚いた
この時だけネットが身近にある今の子供たちは幸せだと思った 俺は体育の授業でも皆に迷惑をかけたことがあった
皆でサッカーをやってると俺の近くにボールが転がってきた
俺は皆に注目されながらサッカーボールを追う姿が
恥ずかしく思えたので全速力で走らなかった
休憩時間になると一人の男子が俺を叱りつけた
他の生徒は彼をなだめてたり、お嬢さんのような横座りをしてる俺を笑った >>58それは良かった
こんな俺だがイジメられることはなかった
のどかな田舎の小学校だからだろう
姉とばかり遊んでたせいか体育は全く駄目だが
母親ゆずりの絵の才能があったので一目置かれてた
校内で何度も賞をもらったことがある
それと俺が金持ちの息子だと思われてたようだ
親父は個人経営だが使用人を多く雇ってたのでそう思ったのかもしれない
そんなこともあり小学校時代はイジメられることはなかった 中学校は鉄筋コンクリートの校舎だった
便所の個室は和式だが水洗だった(当時は洋式なんて都会に行かなければなかった)
暖房はファンヒーターなので木造で石炭ストーブだった小学校とは大違いだ
男子は普通の学ランなのだが女子の制服は変わってた
紺色のブレーザーで下はズボンだった 数年前、各世帯に分厚い郷土史の本が配られた
そこには半世紀くらい前の中学生の写真が載ってたが、女子はスカートの制服だった
どんな経緯でスカートからズボンになったかは知らない
そのせいで俺の中学生時代は女子を見てもムラムラすることが殆どなかった しかし一人だけ気になる女子がいた
その人は近くの集落の小学校を卒業しバスで通ってくる人だ
その小学校からは男子3人、うち1名がアイヌ、2名が和人
女子は4人、うち1名がアイヌ、1名はアイヌと和人のハーフ、1名は和人のブス
そしてもう一人の和人がその人だった そのTさんは、それほど美人ではないが都会の雰囲気がある人だった
今の有名人に例えるなら卓球の石川佳純ちゃんに似ていた
実は小6の時も好きな人がいた。その人も小3の初恋の人のように転校生だったが
中学に入学する前に転校してしまった
俺は小学校からずっと一緒の女子は、きょうだいのような感じがするので恋愛対象外だった そんな思いが通じたのだろうか。Tさんの肩と髪に触れる機会があった
何の集会だったか全く覚えてないのだが、1年生の男女が校舎前に集合させられた
前列左端がTさんでその後が俺だった
先生の合図で後ろの生徒が前の生徒の肩に手を載せることをさせられた
俺は休憩の間もTさんの肩に手をずっと載せ続けた、そして後頭部を見つめ続けた
Tさんは不審に思い、右を向いて皆を見たら驚いた顔をしてた
たぶん俺だけが肩に手を載せてたのだろう
俺は親兄弟も含め他人の肩や髪の毛も触れたことがなかった
Tさんは意外とガッシリした肩をしてた
Tさんが右を向いたとき髪の毛も触れることができたので嬉しかった
だがTさんは恥ずかしくなり、うつむいた
俺には何となくそう思えた しかしTさんへの恋心は数日で終わった
Tさんが嫌いになった訳でもなければ、フラれた訳でもない
自殺したくなるほどの出来事があったので眼中から消えたのだ 今でこそ母校は1学年10人にも満たない小さな中学校になってしまったが
当時は1学年40人が2クラスに分かれるほどの規模だった
1クラス20人が四つの班に分かれ掃除などを担当させられてたのだが
授業中に挙手した回数を班ごとに競わされることがあった
最下位になった班は放課後に残され生徒同士で反省会をさせられたのだ 毎日残される班は決まってた。俺がいる班だ
先生の簡単な質問にみんな挙手するのに俺だけ手を上げないから残されるのだ
二人が挙手するから上島も挙手してしまうダチョウ倶楽部のコントがあるが
俺は上島になるかもしれないから挙手できなかったのだ
>>45に書いたが、わずか2〜3年前には積極的に挙手してた俺が
恥ずかしくて手を上げられなくなってしまったのだ 大人しかった俺がが更にシャイな少年になった理由は>>49に書いたが
授業中挙手しなかったのは俺が頑固だったからだ
それと女子を見下してたことも原因だったように思う
俺は幼いころから女性に「可愛い」と言われ、ちやほやされてた
その班の男子は俺と大人しい男子の2人だけ、あとは女子が3人の計5人だった 大人しい男子と女子の1人は優しく俺に挙手するよう諭した
だが1人の女子が「なぜ簡単な質問なのに手を挙げないの?」と俺を叱りつけた
俺は小さな声で「分からないから…」と答えるしかなかった
その女子が怒るのは仕方ない
俺のせいで放課後に残されることが何日も続いたからだ
その時お嬢さんのようなキャラのもう1人の女子は堪忍袋の緒が切れたのだろう
たまたま廊下を歩いてた1学年上の男子が「何やってるんだ?」と聞いたので
そのお嬢さん女子は「△△くん。(この人を)叩いてやって」と彼に言った
お嬢さん女子とその上級生は知り合いだったのだろう
さすがに叩かれはしなかったが、これはショックだった やっと反省会を終え帰路につくまでの間ずっと死にたいと思うようになった
当時は登校拒否なんて発想はなかったし、親に学校に行きたくない理由を話せなかった
登校では同じ駅から通う同学年の男子が、駅から中学校まで一緒に歩きながら
「○○ちゃん、しゃべれよ」と何度も言ってきた
たぶん担任の先生から、そうするよう言われたのだろう
しかし「しゃべれよ」と言われても何をしゃべれば良いのか分からない
中学校に着くと別のクラスなので、やっと一人になりホッとした
小学校からなのだが汽車の運行時刻の関係で、俺は毎朝一番最初に登校してた その頃、生徒全員と担任の先生が交換日記をすることを義務付けられていた
先生からは「一緒に河原に行って大声を出そう」と書いてあった
まるで青春ドラマのワンシーンのようなものだ。俺は拒否した
当時は「この先生は俺の事を何も分かってくれない」と思った
今から思えばそれで問題は解決できたかもしれない
当時を振り返ると俺は頑固だったし物事を複雑に考えすぎてた そんな毎日が数日続いたので早朝、牧小屋で首つりしようかと本気で思った
自分さえ居なくなれば…そう思ったからだ
思いとどまった理由は幾つかある
今でこそ中学生の自殺は普通だが、当時は子供の自殺なんてあり得なかった
もし俺が自殺したらマスコミから好奇の目を向けられ大きく報道されるかもしれない
そして母親が父方の親戚からバッシングされると思った
もう一つは爺さんの葬儀を見てしまったからだ
俺の田舎では葬儀屋だけではなく地域の人達も協力する風習だった
親戚も大勢やって来るだろう
これ以上俺の事で多くの人に迷惑をかけたくなかった
そして新聞誌の上に無造作にばら撒かれた爺さんの遺骨をみると怖くなった
もし爺さんが死んでなければ俺は首つりを実行してたかもしれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています