「イベロ・マンガ」より引用

1992年に、プラネタ・デアゴスティーニ(Planeta deAgostini)社という出版社が、『ドラゴンボール』をカスティリャ語とカタロニア語の両方の版で販売し始めた。その大きな成功は他の出版社を勇気づけ、数多くの新しい日本作品がリリースされることとなった。

しかし、この初期の浮かれようは、ターゲットとなる読者層が刊行される作品のほとんどに関心を持たないだけでなく、さらに供給される量をきちんと消化することなど明らかに不可能な、肥大した市場をもたらした。

マンガについてなにも知らない日本の出版業界の幅の広さに無知で、極めて約束事の多いマン
ガの表現スタイルに不慣れな出版社たちは、大量の凡作を仕入れてきた。

「ドラゴンボール」の販売部数が際立ったものである一方で、それ以外の多くのシリーズは発行部数のほんの10%程度にしかならなかった。
その結果として、スペインのマンガ市場は凋落し、ほとんど完全に消滅してしまった。

読者層の基盤はマンガに対してまだ忠実であり続けていたが、利益を爆発的に生み出すような新たな起爆剤「ドラゴンボール」のようななにかを欠いており、セールスは小さなものに留まっていた。