何故ホモである必要があるのか?に対して新説を書いておく

結論から言うと、それは好む側と好まない側とで(聖書の解釈が違うから)
オタク文化というのは平和な偶像崇拝。怪獣然りロボット然り、異形や超然といった未知に対する好奇心と情景が信仰心の根底には必ずある
ただし、その信仰の対象である偶像(神仏)にはリアルさ(自己投影する為の親近感)とフィクション(夢を具現化する全能性)の両方の側面が必要になる
これは宗教もアニメも同じ
神話や聖書の世界の神々が人の形を借りた超然者である事と、ロボットや怪獣がヒーローである事は両者が近しい偶像崇拝だという事実を語ってる
そして、リアルと非リアルを兼ね備えた偶像というのはアンドロギュノス的な発想に行き着く
両性具有であったり、無性であったり
何故か?それは人類にとっては結局のところリアルの究極が同性で非リアルの究極が異性であるから
超然者の姿が人間的であり、それでいて理解と未知を併せ飲む矛盾した理想形をアンドロギュノスとして記号化する事が老若男女問わない理想的な神の姿になるから

話をBLと美少女動物園に戻すと、両者がやっているのは人間の姿を借りた偶像の崇拝
その偶像達は、男性向けでは戦士だったり友人だったりする男性性を美少女に付加したアンドロギュノスであり
女性向け(BL)では世間で美女の記号とされる要素を付加したアンドロギュノスのラブロマンスであるわけ
互いに同じ発想の元に偶像だが解釈が違いから、例えばカトリックとプロテスタントの信者同士が感じる様な嫌悪を抱きやすい

「何故この人達は○○なんだろう」と考える場合は、むしろ「何故自分は○○だと思いがちなのだろう?」と逆方面から思案する方が真理に近い解答が得られやすい