実際に解体屋を見ていると、そのほとんどが無事故車で、かつ自走可能な車が多いことに驚きます。筆者はひどく心を痛めています。
日本で出る廃車、年間300万台あるとも言われています。まだ乗れる車を廃車にして解体することって本当に環境にいいのでしょうか?
貴重な絶版車が、まだ乗れるのにリサイクルで消費されていくのは、毎日生きてる中で非常に悲しい。

生き過ぎた自動車リサイクルで旧型車を消費することにより、残存車の高騰、盗難リスクが発生していると思います。
自動車リサイクル法はあるのに、なぜ自動車リユース法はないのでしょうか?解体業者だけに対してリサイクル行程がどーの、法で満たされた設備を要求するだけではなく
法律である程度限定的に廃車の基準を規定して、自動車ユーザーの意識を高めることが必要だと思います。少しでも廃車を減らしていくべきではないでしょうか。
現状、廃車は誰でも、新車でも旧車でもまだ乗れる車でもできます。全ての人が正しい決断で廃車にしているとは思えない。

まだ乗れる車が捨てられているのに、まだ使える部品が有効活用されるはずもありません。ほとんど部品を外されずに、ドライブトレインを外されたボディが
平ボディ車でスクラップ屋へ運ばれているのを見かけます。廃車を減らしていかないと、部品の有効活用率も低いのではないでしょうか。

自動車をリサイクルした鉄筋なんかよりも、絶版車を後世に残すことの方が、未来への贈り物だと思うのです。
失われた車を作るのはそう簡単ではないでしょう。だけど失われるのは簡単なのがとても儚いです。
あくまで私達が乗っている車はほとんどが自分で作れない既製品なのですから、もう少し重みというものを考えてもいいのではないでしょうか。