【プロ3階級アマ7冠】井上尚弥 194【Monster】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>394
選ばれたいとは思わない。村上春樹オタのように、現実に戻れない、あえて戻らない人もいる。
また、話は変わるが翻訳が信用できないのは、冒頭の単純な文章でも何種類かの翻訳があるということ。
あれは、単に「長い間、早くから寝た」で十分。文法なんて「代名動詞+複合過去」に過ぎない。
>諦めて
諦めるも何も読了してるし、原文も持っている。
>星の王子さま
原文は「小さな王子」なんだが(笑) プルースト『失われた時を求めて』の冒頭は、様々な訳で溢れ返っている。
文法構造を見れば、これが代名動詞+複合過去なので、「長い間、早めに寝た」で良いと思う。
それなのに、他者と同じでは嫌なのか、様々なバリエーションがある。
翻訳は色々でも、原文は1つだ。なのに某訳は味わいがあるとか、勝手なことを言って原文にあたろうとしない。
それではいつまで経っても本質に迫れないということではないだろうか?翻訳者は小説の作者ではない。
まるでブログの受け売りやないか 収容所のプルースト (境界の文学)
Joseph Czapski (原著), ジョゼフ チャプスキ (著), 岩津 航 (翻訳)
出版社: 共和国 (2018/1/27)
1939年のナチスとソ連による相次ぐポーランド侵攻。
このときソ連の強制収容所に連行されたポーランド人画家のジョゼフ・チャプスキ(1896 - 1993)は、
零下40度の極寒と厳しい監視のもと、プルースト『失われた時を求めて』の連続講義を開始する。
その2年後にチャプスキは解放されるが、同房のほとんどが行方不明となり、
「カティンの森」事件の犠牲になるという歴史的事実の過程にあって、
『失われた時を求めて』はどのように想起され、語られたのか?
現存するノートをもとに再現された魂の文学論にして、この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック。 >>409
ムージルの表現主義的言語は通常のドイツ語ではない
印象主義的(Impressive)の逆の表現主義(expressive)
プルーストにおいてはベルクソンを読みながらムジールにおいてはマッハを読みながら、であるかのような表現が頻出する
どちらも意味をそのまま素直に伝える語順を時に無視している
その無視の仕方が、例えばムジールにおける可能性世界、なんでも出来るけれどもアイデンティティを固着される描写をぐるりと回避した形でしか描写されない
プルーストで言えば唐突な記憶の割り込みを思わせる、文末に至るまでイメージが浮かび上がらないように工夫され、奇妙な時制を使うフランス語を駆使する
古井由吉がムジールのドイツ語の難解さとその翻訳の苦労に触れているけれど、自分で訳しながら読んでいくとよくわかる
何を描写しないかに細心の注意を払っている二人の作家
いびつなドイツ語・フランス語
これがまたクセになる 5 名前:屁人 ◆rBF.qZ4G9ZnX 2019/05/30(木) 11:20:31.51 ID:lRCE6g/M
PED(運動能力向上薬)を片手にご満悦のドネア(笑)
http://livedoor.blogimg.jp/tanuki_street/imgs/b/8/b8d033d1.jpg 古井由吉のムージルへ執着をもっとも味わう小説は行隠という彼にとってのはじめての長編小説
小説が進むに連れて、失われた姉が失われていないかのように現れ続ける
これこそムージルの残滓を吸い込んで生みだした異常な「可能性世界」
角を横切る度に魔物が生じる「体験」がある
これは経験と体験を厳格に峻別したムジールの影響を抜きにしては考えられない
たったひとつの角を曲がる、そこに経験でなく体験が、世界を変える発見が存在する
それが個人的な私的な感覚的な「知覚」という虚妄とされる経験に過ぎなくても体験となりうる
それをムジールは書き続け、プルーストも経験でない体験を、特権視されたなにものでもない無意味でありながら記憶を喚起し、それが表現主義的なフォルムを獲得するに至る経緯を書き続けたのだった
そのような体験は、未完の近親相姦としてムジールに書かれたにもかかわらず、可能態として完成されられなかった
近親相姦ですらなく、同一物の愛の一致を書くために、双子でもなく、ただの交渉のない兄妹を選んだ選択に古井吉吉は賛同できないだろう
それでもあの兄妹関係に憧れ続ける古井由吉は良い作家だ、成功しているかは別として しかし古井由吉の悪戦苦闘、らしき恬淡は挑発でもある
全集をゆっくりと、langsamに読み続けていくしかない
langweilを自身の標語とした
lang長くweil時間の掛かる/langweil退屈な/読書を強いる古井由吉を単純な切り口によって切断し要約する愚行は戒められなくてはならない
langweiligに読めば読むほど得るものが大きいという確信は揺らがない
愉しみたければゆっくりと向き合うこと
プルーストやムジール、現代の数人の素晴らしい作家、と同じ態度で接さざるを得ない作家
t しかし・・・行隠れは本当に長編小説なのか、という疑問がつきまとう
角を曲がり(行って)、そこにある幻影(姉)が「隠れ」続ける
それは暗い他者(杳子)に遭遇する彼の短編小説の延長ではないのか
古井由吉は、経験によって変化していく長編小説を一編でも書いたことがあるのか
ただ、どうしても幻想の杳子に出会い続ける行き隠れという小説が独自のものだという印象は強い
姉が失踪し、弟が姉を探し、次の角には姉がいるのではないかと希望を持つ
それだけの筋を、「表現主義」、あたかも姉が待ち受けていて、姉にあったかのように読者に思わせるだけの技巧を凝らす
Expressionism、横光利一の文章と、(渋々ながら川端とも)比較しなくてはならない文章 又吉という作家の書いた「火花」は経験を徹底的に否定し、「体験」を書いている
経験侮蔑主義者の主人公は、にもかかわらず経験によって成功していく
生きていること自体が経験に支えられながら、体験に憧れ、体験の失敗を見つめ続ける
暗い他者を、敬しながら、杳子と添い遂げることのない主人公は実に古井吉吉の世界に似ている
そうはいっても、なんだか近年において違う「古井由吉」が書かれているようでもあって、しかしlangsamに/ゆっくり時代遅れに古井を追う読者としてはついていけていない >>441
あなた、原語でシモン読んでもおんなじこと言えるの?
あれ、相当きついフランス語だよ
翻訳ならともかく原語だとお手上げ、つきあってられない
パリ留学してるとき、カフェで知り合ったパリジャンとシモンの話ししたら
言下に「クロード・シモンなんか読んでるのか?おまえスノッブだな〜」といわれた
すくなくとも一般大衆が読むようなものじゃないと思うが フランクのソナタと言うとオイストラフ&リヒテル、フォーレはグリュミオーと歴史的名盤がすぐに上がるが
サン・サーンスのソナタと言うとはて?誰のだろうとなる
フランクのソナタはとりあえずとっつきやすい第4楽章を聴いてみるのがいいと思う
この楽章は本当にわかりやすいから
気に入ったなら、第1楽章から聴いてみるといいよ
リンク先はBSで繰り返し放送されたロシアの名手、マクシム・ヴェンゲーロフの演奏 第4楽章からスタート
Franck Violin Sonata mov.3+4
https://youtu.be/uM2nnZAS-H4?t=464 2011/07/09(土)
「文蔵」2008年8月号入手しました。
鹿島茂の
「謹厳で敬虔とすら言える筋に隠れて、あれほど官能的なまでにむっちりとした
お菓子屋の小さな貝殻の形もそうだが」(高遠訳によった)の謎解きは
かなりぶっとんでいますが興味深いものでした。
詳細はエッセイの現物を見てもらうしかないのですが
フランスのお菓子屋(パティスリー)でマドレーヌの隣に大抵置かれている
ルリジューズreligieuseという別のお菓子を持ち出してくるのです
http://www.gateaux.or.jp/g/dictionary/vari-religieuse.html
ルリジューズとは修道女の意味であり 襞ないし筋は修道女の法衣の襞
(pli)を指すというのです 法衣の下の宗教的かつ官能的な肉体
風俗史に詳しい鹿島の面目躍如といった説です
2つの菓子がフランスで大抵隣あって置かれているというだけでルリジューズを
持ち出すのは実証性に乏しい恣意的な解釈にすぎないという批判もあるかもしれません
鹿島はさらに補強的な理由をいくつかあげてはいますが
文学作品の常としてある特定の解釈を決定的なものとして
実証することは多くの場合 不可能です
テキストの自然な読みと整合する解釈はいずれも ありであって
その解釈が 読者がテキストから想起するものを豊かにする
ことに役立てば なおよいという性質のものではないかと思います 今日はこの辺にしておきます
皆さん仲良くしましょうね 井上尚弥は街を歩いていても日本人にすら気付かれないだろ
井上は160cmで50kgの体型だから小学生とか中学生くらいにしか思われないだろ >>976
ケンシロウはどうだ?
あと福原ワンヘン戦あるけど誰もしらないからみんなに教えてやってくれ。
そう考えると井上は知名度あるだろう。 チビすぎてビビる可哀想だよ
もう少しデカければパッキャオクラスになってたのに ど素人のクソあほは、サイズのことしか話題ができんのか
いいかげん首きれよ
質の悪い桜は総入れ替えしろ タイソンがIBF総会ドタキャンかよ
井上とのツーショット見たかったのに パッキャオもう突然変異かなんかだから比べても仕方ない気が… 福原もあかんかったか
これでいよいよ5月世界戦井上一人勝ちだな パやおのKO
アングル変えてみると、えげつないパンチやな 実写版ドラゴンボールZに井上尚弥を出演させてみたい。トランクスの青年時代の役で。 >>986
パッキャオは168cmじゃなかったっけ? このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 6日 4時間 57分 56秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。