【プロ3階級アマ7冠】井上尚弥 194【Monster】
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大橋バカデブ会長
清水聡はフェザーとスーパーフェザー両方やらせておく
あの階級は交渉大変ですからねえ
ボクオタ
は?
フェザーとスーパーフェザーが?
京浜川崎とかでもマッチメイクしてたのに?
だめだあのデブ 井上の秘密わかっちゃった!
喉や首明らかに狙ってるよね
反則じゃないのか? ヨネクラジムヨネクラ会長もフェザーで
普通にマッチメイクしてたのに
松本弘司にスーパーフェザーもやらせとく
なんてなかったぞボケ
大橋バカデブ会長は人はいいがほんとダメだ 井上もトーナメントなかったらまともなマッチメイク出来てなかったしな マッチメイク難しいですからね
ミドルで言えボケ
ミドルはさすがに帝拳とトップランクじゃないと
無理だっただろう
大橋だとスーパーミドルに挑戦しかできないけどな 結局井上が強いから逃げられたんじゃない
大橋バカデブ会長の交渉力のなさで逃げられたんだよ
そりゃ井上がすぐ負けるチャンピオンなら
大橋バカデブ会長でもマッチメイクできただろうがね
長谷川穂積がモンティエルとやれるのが帝拳ジム
モンティエルは長谷川を恐れて逃げた!
と交渉力のなさ棚にあげて言い出すのが大橋バカデブ会長 交渉力高い!しかしファイトマネーはけちる
交渉力低い!ファイトマネーはいっぱいくれる
井上はどちらが幸せなんだろうw 井上は協栄ジムがよかったんじゃないか
帝拳なら親父がトレーナーなんて認められなかっただろう
協栄ならOK
亀田で落とした評判を井上があげられるし
協栄の会長はロシア語とかしゃべれたり
元ボクサーのおばかちん大橋と違って
商売うまいし
亀田みたいなので商売するのが良くないが
井上みたいな本物で商売上手い人がつくのはでかい
協栄なら多分井上はもっと早く有名にもなれただろう >>581
大橋はいい人ってだけ
興行のノウハウもないし
交渉力もないし
リゴンドーとか呼べるのは協栄の会長の力よ
協栄のダークなイメージはあるがね 名ボクサーがいちゃいけないジム
大橋ジム
ワタナベジム
そのへんは世界チャンピオンがやっとの選手に
とっていいジム
名チャンピオンになれるならまず帝拳
そして協栄 内山だって帝拳ジムならもっと名のあるやつとも
パッキャオの前座も試合できただろう
ワタナベジムだから後援者の方々が見れない
パッキャオ前座はダメですわって
内山にとって損でしかないことしかいわねーバカ会長 >>584
帝拳は蹴るだろうね
素人親父トレーナーなんて認めないから >>586
そりゃおめーがボクシングしらねーからだボケ
フェザーごときでマッチメイク大変て
いままでどれだけ日本でフェザーのタイトルマッチ
あったと思ってんだ
おまえはそれもしらないから言ってる意味がわからんだけ
俺っておまえみたいな無知に親切だなあ 会長がウォータースから逃亡したんだよな
内山とウォータースなら噛み合ったろうな 井上は座間の9人殺しを人生ストーリーに埋め込めば
海外人気UP 昔ならともかく協栄とか本気で言ってんのか
今の協栄A級ボクサー4人しかいないんだぞ 協栄って没落ぶりが甚だしい感じだけど・・・
亀3だって地上波との関係つくれずじまいだし 帝拳ならコラレスのタイプ見て
足の速いアウトボクサーのスパーリングパートナー
がんがん呼んであんなことにはならない
負けるにしてももっとスピード慣れしてる
アホ渡辺会長は内山ならだれがきても大丈夫ですわ
こんなに防衛してるんですよがっはっは
ってスパーパートナーを金かけて招へいする
なんて発想もなかっただろうアホ会長が >>589 アマは禁止だからね 総合でいうところのフェイスロックにあたるかな
失神KO無いでしょ? >>594
だからそりゃ選手がいないからだろ
井上ほどのほんものがきてくれれば
あとは協栄の交渉力がいきるんだろうが
天笠VSリゴンドーとかあんなの協栄の力だぞ
大橋じゃテレビ局も金も出さんし
交渉力もねーし >>552
流石にそんな破格の条件でやってくれるところはないんじゃない。 内山は本当にもったいなかったけど
テレ東ゆえ国内でも全国区になれなかったよね
その意味では田中ももったいないなあ
名古屋のローカルスターのままでいいのか? 井上が協栄TBSラインなら
もっと人気早くでて
大みそかにWBSSなんかなくても
ロドリゲスだテテだ呼べる金だしてもらってるわ 大橋バカ会長にまかせてみ
WBSSなかったらチャンピオンと全然できねーぜ
それをナオヤにびびってますからね
と言い出すバカデブなんだよあいつは >>599
アマは禁止って事はプロては問題無しですか? >>600
それはTBSの力でしょう
TBSに切られてしまった今では
バルガスも日本に呼べない 良心的経営バカ男大橋
悪徳経営やり手金平
さあどちらが井上は幸せなのか これからは海外プロモーターが仕切るからいいんじゃね >>607
だからTBSが協栄のやり手を知ってるから
金を出すんだよ
へぼジムがリゴンドー呼びますで
TBSが金だすと思うならアホ まぁ清水が未だに世界戦出来ないのは謎ではあるな
帝拳ならとっくに組んでそう >>611
ボクオタはみんなそこできづかなきゃいけないんだよ
大橋はスーパーフェザーもやらせますーなんて
ほんとあいつだめ
交渉力ゼロ会長のせい
そして井上が逃げられてきたのも
ああ大橋のせいだったんだときづかなきゃ ていうか、井上はデビュー当初はTBSだったよね
なんでフジに移ったんだろう? 元ボクサーの会長なんてそりゃ社会的にはバカで
交渉力なんて帝拳本田とか協栄金平とは
ほんとに雲泥の差なんだと思うわ
逆に元ボクサーでもない本田金平は
交渉とかでものすごい力を発揮しなきゃ
抱えてるボクサーからおまえなんなんだよ
ってバカにされはなれられるし
翻訳アプリで交渉しましたー
それをまわりに言うほどのバカ
こんなやつが交渉かけひきなんて出来るわけねーだろと
けどバカでもリカルドロペスとやった大橋って
井上親子もそれほどバカにしないから
大橋はだめなまま 大橋会長は選手を口説き落とすのがうまそう
それでエリートが集まる >>617
>>618
おまえら現実かんがえてみ
勉強もせずボクシングやってきたやつが会長
こんなのビジネスでつかえるわけがねえ
このバカのせいで井上は逃げられ逃げられ
清水はタイトル戦決まらずなんだよ
ボクシングビジネスにおいてはバカボクサーはほんと不利
ボクサーじゃなくプロのボクシングビジネス
経営者が会長のほうが絶対的にいい 能力が違う
それが現実ぐらいわかれや ボクサー会長の何がだめって
経営者にまわったときにへぼでもあほでも
俺はもと世界チャンピオンだって
自分がヘボだって認識もたないんだよ
ボクサーじゃ無ければ
俺はジム経営マッチメイクでがんばらなきゃ
存在価値ゼロだ
選手から認めてもらえないって感覚になるが
だから元世界チャンピオンのジムなんて
名ボクサーになれるやつはぜったいはいっちゃだめ
世界タイトルぎりぎりボクサー以下がはいっとけ まあ、ボクサー上がりのジム会長の昭和脳プロモーションが限界なのは頷けるな
ジムがプロモーターというシステムも既に機能不全だ
やっぱり興行のプロが必要だよねえ
なんだかんだで、榊原には才覚があると思うよ 村田はジムやらないと思うよ
選手の中じゃ一番いい素材だと思うが
ボブアラムとか見てあんなふうになれるわけがない
ってジムやらないと思う >>627
交渉で英語もつかえない
そもそも交渉の漢字で書かれた書類すら
ぜんぶきちんと読めてんのかおいなんて
知能レベルのやつが交渉なんて
よほどプロのビジネスマンにまかせたほうがいい JBCがプロモーターやマッチメーカに課すライセンス制度が
外部の有能なビジネスマンにとっての参入障壁になっているとは思うね プロ野球選手が野球チーム経営したほうがいい
なんて絶対ならないのと同じだ
そんなの選手は選手
経営ビジネスは勉強してきたプロに任せろって
あたりまえの話
ボクシングジムも大手がみんな世界チャンピオンとか
じゃないの見りゃわかんだろそれぐらい 大橋ジムじゃなきゃWBSS参加出来なかったかもよ?
「あんないつ無くなるかもしれない無謀なトーナメントの参加なんて無理」
みたいな 自分がボクシングを見始めた時は帝拳、協栄、ヨネクラがビッグ3だったけど今は帝拳、大橋、協栄、ワタナベのビッグ4時代かな?協栄は昔ほどの存在感はないよね トップランクと契約したら大橋は井上に関してはマネージャーだな
でも英語話せなきゃマネージャーもエージェントと務まらんし本田会長が間に入るのかもしれん なんでジムの話になってるかわからんが、とりあえずワタナベじゃなくてよかったのは事実 >>635
グラスゴー(LAでも)で井上の通訳してた人
あのオジサンは帝拳の人でしょ
伊藤のときもいた
結局、そういうことなんじゃ? しかも憶測の上に成り立ってる話やな
協栄だとTBSだしセニョールとも距離感違うんじゃないの、よくわんからんけど アマチュアホープの堤選手は東京オリンピックが終わったらプロ入りするのかね? テレ朝はボクシング中継から撤退したの?沼田さんの解説が懐かしい 好きかどうかで言えば大橋は帝拳協栄ワタナベより好きなんだけど、
今の井上の力量に合ってるかどうかは確かに疑問だな
井上弟や井上従兄弟クラスにとってはいいジムだと思うけど ワタナベはたしかにあかんのかもね
交渉力とかはしらんけど大橋会長はマッチメイクに関しては思い切ったことは結構出来る人じゃないのか
若い八重樫をイーグルにぶつけるくらいだし まあ、このタイミングでトップランクやマッチルームが出てくるのは
やっぱり必然なんだろうね >>643
大橋はそれなりに出来る方だと思うし、若手にはいいジムだと思う
井上に関しても8戦目で2階級制覇をかけてナルバエスとぶつけたのは凄い
ただ今の井上に関しては大橋ジムの出来るレベルを越えてしまった気がする
大橋が悪いと言うよりは井上が凄すぎることが問題かな 詳しくは知らないんだけどなんか以前と比べると
局とジムの決まりきった関係みたいの薄れたのかな
解説者もいろんな局跨いでやってるもんな >>638
実況では帝拳の本田会長の娘婿だと言ってる人がいたけど 井上は英語勉強する気ないんかな?
これから世界を渡り歩くんだから少しでも喋れないときついと思うんだが 米英の大手プロが触手を伸ばして来たら
器の小さいジム会長ならプロテクトしそうなもんだけど
大橋会長は快く受け入れてくれそうじゃん
ある意味、自分の力量を心得ているのだと思うよ
良心的じゃん >>646
そうすると結局帝拳なのかな
協栄は今どんな感じなのかわからんよね、かつてはあれだけいろんな選手だしてたけど >>649
俺も多少出来るようになってほしいな、マリナッジもそんな事言ってたみたいだし
いま日本人でも英語結構できるアスリート増えてると思うし >>647
日テレ→大阪帝拳、グリーンツダ
TBS→協栄
フジ→三迫
テレ朝→ヨネクラ
だった気がする、子供の頃は 天才と呼ばれた元世界チャンピオンが経営する、
そこまで大手ではないけど良心的なジムに家族で所属して史上最強のチャンピオンになるとか、
漫画みたいで大好きではあるけどな
帝拳や協栄って漫画では確実に悪役だし >>324
少し違う立場で話をするよ、あなたとは歴史がある
だから批判ではなく、個人的な意見を偽りなく伝えた、と受けてほしい
もし君がその信仰のために、他にも生活や人との関係のために、創価学会が大切ならばその通りにいくのも悪いことだとは思わない
それでも一つ言いたいのは、ドストエフスキー読者としての個人的な意見だけど、宗教と政治は相入れることはないという考えは結構大事なことになる
積極的に信仰につくなら、出来るだけ政治的な行いには消極的になるべきだと思うよ
おそらく組織に属しする以上は課されている義務があって、現実的には難しいんだろうけど
宗教とは、無限性なるもの、永遠という時間のないもの、形而上的な天上を目指すことが本質になる
政治とは、どれだけ現実的で物質的か、それだけ現実化できるかの形而下の地上で実現可能な行為の見える形で実現することが本質となっている
もしそうならハッキリと言えることがある
宗教の反対語は政治なのだと
だけど個人的な考えだから、反論がわくのも当たり前だろうけど、こういえば少しは伝わるじゃないかな
曰く、大審問官は政治的でありキリストはどこまでも宗教的であったと
そしてこれは大審問官のテーゼの一部でもある >>326
表向きは聖地エルサレムのイスラム諸国からの奪還であるが、
実態は西方・東方同士のキリスト教に対する権力争いであり、自らの勢力を拡大しようという政治的な野望である
キリスト教徒による「正義の戦い」という大義名分は、指導者の「政治的野心」を神聖化するための方便として用いられ、虐殺の命令は末端つまり民衆によって行われる、云々
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みんなが、この十字軍のようなことを書きたい、ということはもちろんわかっていた。
ぼくはあえて聞いたのだ。きみのように、ある程度の説得力をもって主張を書きうる人間がいることを
知っていたからだ。ただし、これについては、こう反駁する。
「きみの十字軍理解は、歴史教科書的理解であると」それに参加した、喜びと悲しみをもったじっさいの
人間を捨象している。ちょうど創価学会と同じです。外部にいる人間は権力争いだとか、政治的野望とか
そういう方面へと抽象化することしか知らないし、できない。
少なくともこのぼくが体験した学会は、カラマーゾフの兄弟に描かれたゾシマやアレクセイや民衆の世界
であり、それを遥かに凌駕するものでした。
信仰に生きるということは「よく生きる」ための唯一の道です。むしろこのことがカラマーゾフの兄弟の
根幹のテーマだと理解している。 >>327
シェークスピアについて。巻末の解説においてこういう文を読んだことがある。
「シェークスピアが何を語ったかは重要ではない。シェークスピアがどう語っかが重要だ」と。
それと同じことです。きみには、人格の香気が文から感じられる。それはカキコの内容それ自体より
重要です。
なぜなら、我らの目的は論理的文を書くことではなく、相手をやり込めることではなく、人格力によって友情をはぐくむことだからなんです。
> それでも一つ言いたいのは、ドストエフスキー読者としての個人的な意見だけど、宗教と政治は相入れることはないという考えは結構大事なことになる
> 積極的に信仰につくなら、出来るだけ政治的な行いには消極的になるべきだと思うよ
ぼくも ドストエフスキー愛読者として「カラマーゾフの兄弟」から引用して、「そのことはちがうんだよ」
ということをお知らせしたい。しかし、こんどにする。夜遅いからねw
> おそらく組織に属しする以上は課されている義務があって、現実的には難しいんだろうけど
とんでもない見当違いです。究極的な誤解ですw 義務でやってるのではない。ひじょうに内発的な「仏道修行」としてやっているし、究極的には、選挙より大事なのは相手との友情と信頼の構築です。そのための選挙です。
ぼくらが頼むのは「好きな相手」「信頼する相手」です。
今夜も、すばらしい文をありがとう。 大審問官における政治と宗教の問題は
地上の生活、つまりパンの事情から
形而上的な宗教の論理を捻じ曲げたことへの批判であり
この考えは懐疑主義的無神論が根底にある自己欺瞞の所産に過ぎない
福音書中でイエスが憎むのはこういう現実主義的宗教理解であり
それはドストエフスキー作品でも変わらない
しかし社会行為である伝道から政治性を排除することは不可能である
問題は信仰の純粋性を確保した上での伝道であり
カソリック的な天上/地上という使い分けから生じる
信仰の分裂とそこから生じる懐疑と虚無(社会主義もその一種)の克服が
作者の念頭にあったのだと思う
ゾシマ長老の死とアリョーシャの受けた天啓と世俗への回帰はその答えであり
かかる意味合いでカラマーゾフはやはり一定水準の解答を提示した
非常に完成度の高い作品であることは疑いえない もしすべての人が信仰を持っているとしたら、どこからそれを
得たのでしょう?
ある人の説によりますと、すべてこういうことは、はじめ自然界の
恐ろしい現象に対する恐怖の念から起こったもので、神だの来世だのというものは
ないのだそうでございます。
ところで、わたくしの考えますに、こうして一生涯信じ通
して、死んでしまえば急に何もなくなってしまって、ある文士のいっているように、『た
だ墓の上は 山 牛蒡が生えるばかり』であったら、まあどうでございましょう。恐ろしい
ではありませんか!
一体どうしたら信仰を呼びもどすことが出来ましょうかしら?
もっとも、わたくしが信じていましたのは、ほんの小さい子供の時ばかりで、そ
れもなんの考えなしに機械的に信じていたのでございます......どうしたら、本当に
どうしたらこのことが証明できましょうか、
今日わたくしはあなたの前にひれ伏して、
このことをお訊ねしようと存じまして、お邪魔に上がったのでございます。だって、もし
この折りをのがしましたら、もう一生涯わたくしの問いに答えてくれる人がございませ
んもの。どうしたら証明ができましょうか、どうしたら信念が得られましょうか?
わたくしは全く不幸せなのでございます。じっと立って周りを眺めましても、みんな大抵ど
うでもいいような顔をしています、今の世の中に誰一人そんなことを気にかける人
はありません。それなのに、わたくし一人だけ、それが堪らないのでございます。本
当に死ぬほどつろうございます!」 「それは疑いもなく死ぬほど辛いことですじゃ! しかし、このことについて証明とい
うことは所詮できぬが、信念を得ることはできますぞ。」
「どうして? どういう方法なのでございます?」
「それは実行の愛ですじゃ、努めて自分の同胞を実行的に、怠りなく愛するように
してご覧なされ。その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の
不死も確信されるようになりますじゃ。もし同胞に対する愛が完全な自己否定に
到達したら、その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も
あなたの心に忍び入ることはできません。これはもう実験を経た正確な方法じゃで
な。」 >>337
しかし社会行為である伝道から政治性を排除することは不可能である
問題は信仰の純粋性を確保した上での伝道であり
カソリック的な天上/地上という使い分けから生じる
信仰の分裂とそこから生じる懐疑と虚無(社会主義もその一種)の克服が
作者の念頭にあったのだと思う
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了解。 五 アーメン、アーメン
より
「この人の至極珍しい論文の話をしておるところでございます。」図書がかりの僧ヨシフ
がイワンを指さしながら、長老に向かってこう言った。
「いろいろ新しい説が述べてあり
ますが、根本の思想はあいまいなものでございます。
この人は教会的社会裁判とその権利
範囲の問題について、一冊の書物を著したある聖職者に答えて、文を雑誌に発表された
ので......」
「残念ながら、わしはその論文を読んでおりませんじゃ。しかし話はかねがね聞いており
ましたよ」と長老は鋭い眼つきでじっとイワンを見つめながら答えた。
「この人は、きわめて興味ぶかい観点に立っておいでです」と図書がかりの高僧は語をつ
いだ。「つまり、教会的社会裁判に関する問題において、国家に対する教会の分離を
ぜんぜん否定しておられるらしゅうございます。」
「それは珍らしい、しかしどのような意味ですかな?」と長老はイワンに訊ねた。 イワンはとうとうそれに返事をした。が、その調子は前夜アリョーシャの心配したように、
上から見下したようないんぎん無礼な態度ではなく、つつましく控え目な用心ぶかい
所があった。 底意らしいものは少しもなかった。
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イヴァンはなぜ「いんぎん無礼ではなく、つつましく控え目な用心ぶかい」態度だったのでしょう? 「ぼくはこの二つの分子の混同、すなわち教会と国家というべつべつな二つのものの混同は、
むろん、永久につづくだろうという仮定から出発したのです。
もっとも、これはありうべからざることで、ノーマルな状態どころじゃない、いくぶんたりとも調和し
た状態に導くことすらできないのです。
なんとなれば、その根本に虚偽が横たわっているからです。
たとえば裁判のような問題における国家と教会との妥協は、純粋な本質からいって不可
能なのであります。
僕が 論駁を試みた僧侶の 方の断定によれば、教会は、国家のなか
に正確な、一定した地歩を占めているというのですが、僕は反対に、教会こそ自
己の中に国家全体を含むべきであって、国家の中にわずかな一隅を占めるべきで
はない。たとえ現代において、それが何かの理由によって不可能であろうとも、将
来、キリスト教社会の発達の直接かつ重大な目的とならなければならぬ、とこう
論駁したのです。」
================================================================================= >>350
いやいや、ここは直接的に、宗教と政治について、イヴァンの言葉として語られている
わけではない。そのエッセンスを読み取らないとダメなんだ。ここから長い議論が始まる。
その書き出しの引用に過ぎないんだw
ぼくもわからないんだ。むしろ同志諸君にぼくが教えてもらいたいんだ。
ID:ZMAXf40Rさんなら、説明可能だろう。 >>324
創価相手にマジレスしてもしょうがないが、あまりに無知なのでちょっとだけ説明してやる
「革命か反抗か」は、サルトルとカミュの間でかわされた有名な論争だ
上に書いた定義もそれであり、オレの考えでも偏見でもない
革命か反抗かは、現実の社会運動に関る重要なもので、「人間革命」などというマヌケな言葉の遊びとはわけが違うのである
戦後のフランスでは、アルジェリア戦争をめぐって暴力による正義を受け入れるか否定するかは切実な問題であったのである
サルトルは革命を支持し、カミュはあくまで暴力を否定した
そして重要なのは、これは「カラマーゾフの兄弟」でのテーマでもあることである
ドストエフスキーは、ヘッセのように個人の救済のために小説を書いているわけではない
ドストエフスキーに限らず当時のロシアの作家はもっと社会的なのである
農奴解放後のロシア社会の改革が問題であった
書かれなかった13年後の現在の物語では、アリョーシャは、反抗的人間イワンと革命家コーリャの間で揺れ動くはずである
キリストが現在生きていたら革命家になっていただろうとベンリンスキイが書いているとコーリャが言う場面
コーリャ 「キリストは人道的な人格者だったのです。もし彼が現代に生きていたら、それこそ必ず革命家の仲間に入っていて、あるいは華々しい役目を演じたかもしれません、きっとそうですとも。」
アリョーシャ 「ベリンスキイが?覚えがありませんね。あの人はどこにもそんなことを書いていませんよ。」
ここで重要なのは、アリョーシャがベンリンスキイをよく読みこんでいることをドストエフスキーがほのめかしていることである
アリョーシャは、ゾシマの説教をおとなしく受け入れているだけのアホではないということである ベンリンスキイはロシアで最初に社会主義を広めた人物である
ドストエフスキーは、ベンリスキイのゴーゴリー批判の手紙を朗読したかどで逮捕され死刑になりかけた
当時の社会主義に対する意見の対立は、ブルジョワの力による革命か、民衆による革命かであった
前者がマルクス・エンゲルスであり、ベリンスキイである
後者はバクーニンのような無政府主義者やゲルツェンのような農民社会主義者がいる
ベリンスキイよりゲルツェンに近いドストエフスキーの関心は、社会主義と無神論との関係であった
13年後の話ではコーリャが無神論的社会主義を目指すのに対し、アリョーシャはキリスト教的社会主義を目指し、対立することになるはずである
これは最初の方でミウーソフがフランスの公安刑事から聞いた話として既にほのめかされている
「われわれは実際のところ、アナーキストだの、無神論者だの、革命家だのという、あんな社会主義者たちを、さほど恐れちゃおらんのです。しかし、連中の中に、ごく少数とはいうものの、何人か特別なのがいるんです。
それは神を信ずるキリスト教徒でありながら、同時に社会主義者でもあるという連中なんですよ。この連中をわれわれはいちばん恐れているんです、これは恐るべき人たちですよ!
キリスト教徒の社会主義者は、無神論の社会主義者よりずっと恐ろしいものです。」 >>352
> 「革命か反抗か」は、サルトルとカミュの間でかわされた有名な論争だ
> 上に書いた定義もそれであり、オレの考えでも偏見でもない
なるほど。サルトルとカミュの論争なんですね。詳しいですね。よかったらもっと教えてもらえますか?
> 革命か反抗かは、現実の社会運動に関る重要なもので、「人間革命」などというマヌケな言葉の遊びとはわけが違うのである
「人間革命」とは両義を含むとおもう。そのうちの1義が「現実の社会運動に関る」すなわち環境に
対して変革を加えることと。
このことはいま問題となってる「宗教と政治」の問題をも含むのではあるまいか?
> 戦後のフランスでは、アルジェリア戦争をめぐって暴力による正義を受け入れるか否定するかは切実な問題であったのである
そうでしょうとも。
> サルトルは革命を支持し、カミュはあくまで暴力を否定した
サルトルは革命を支持したという。サルトルはバリケードを築いてポリ公と戦ったのか?
私達の人間革命とは、誤解を恐れずにいえば、ゾシマのいわゆる「実践の愛」に相当するとぼくはおもう。 ここで重要なのは、アリョーシャがベンリンスキイをよく読みこんでいることをドストエフスキーがほのめかしていることである
アリョーシャは、ゾシマの説教をおとなしく受け入れているだけのアホではないということである
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おそらくはベリンスキイであれ、サルトルであれ、それらをよく読み込んでいることが
アレクセイの本質ではあるまい。
アレクセイのアレクセイたるゆえんは、ゾシマの教えを「わが命」としたことであろう。 上のレスで一定の定義はすでに述べました
まとめれば、宗教とは形而上的事物であるという根拠、と、政治とは形而下的事物であるという根拠、これらに基づいて宗教と政治は相容れないとしました
ここにおいて反抗と革命の定義も同意されます
反抗とは自分と神の個人的問題であり、革命とは他者を含む自分と神の全体的問題である、とします(この場合の神とは世界や環境と置き換えても同じ)
我反抗す、ゆえに我らあり、でしょうね
もし反対の場合は、宗教と政治がなぜ混同できるのか聞いてみたいです
あと書かれなかったもう一つのカラマーゾフについて
アリョーシャはおそらくイワンとコーリャの間で揺れ動き、革命家を目指して世俗を翻弄し、最後に問うのだと思います
「キリストに倣うとはキリストのように考えるということならば、果たしてあの磔にされること分かっていながらただ沈黙した人はーーーと、イワンとコーリャはどちらかにーーーと」
だから、同じ理由で反抗と革命もまた別次元の問題で相容れないだろう、という結論かな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています