【プロ3階級アマ7冠】井上尚弥 194【Monster】
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>>157
殺すとか壊すとか、たてるとかいやす、
という単語にこだわる必要がないのかもしれないよ
あくまで聖書の読み方として、そのまま理解する部分も必要だけれど、もっと文脈として読むこともできる
形而上的に捉える事も出来る
例えばこの場合は、何にでも反対時がくることは避けられない
だからその瞬間瞬間を大事に賛美していこう、みたいな
地上においてはすべてに時がある
花が咲く時があれば枯れる時も絶対にある、みたいな
だからすべては必然だ、だから時は美しい、みたいな
すべては一様であって繋がっている
だから悲観する必要もないし、もちろん楽観する必要もない、みたいな事と思います
ちなみに答えが書かれているけどソロモンの事ですね 第 1 章
1 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
こうはじまるから、ダビデの子とはソロモンのこと
神が夢で何でも与えると言われソロモンは、知恵の心と判断する力を願ったといわれている(だったかな?)
そういう至上の知恵者がいうすべてが空しいという結論は、とても大きな答えになる
キリスト教云々じゃなくて、コヘレト読んでみるいいと思う
もちろん最後はだから神の裁きを怖れよという聖句なんだろうけどね 造物主たる唯一神からの派生なら「すべての命は同じ」となる
しかしその場合は何故、この様に悪しき者が存在するのか?
という疑問が発生する
中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
という説明がなされる
つまり悪所が悪の発生原因であるということで
カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される >>163
> 中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
> という説明がなされる
すごい説明ですね!
> つまり悪所が悪の発生原因であるということで
> カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される
いま、世間の耳目は「れいわ」に集まっている。
出典は万葉集であるか、中国古典であるか。いずれにせよ、
日本国ならびに日本国民というものは、キリスト教的あるいは西欧的伝統の連続性の上にはないのである。 文化伝統的に土着的に
キリスト教信仰と無縁であることが即座にソロモンやカラマーゾフについて議論することが
無益を意味するものではありません。
むしろそういう現実を踏まえて信仰とはなにか?考えていくことが実り多いのではと
つまりなにが言いたいかというと
キリスト教信仰のみなさんも公明党に入れてくださいっ
そして大阪のみんなはぜったいに「維新を叩き潰してくださいっ」
なぜか?
公明党=信仰
維新=不信仰
だからですっ。信と不信の戦いだからです。 鈴木大拙の「日本的霊性」を読みなさい
鈴木大拙とドストエフスキーは、仏教とキリスト教の違いはあるが、大きな共通性がある
鈴木は、万葉集や平安文化には否定的評価である
その時代の仏教も、大地から遊離した宮廷人の軽いものだ
日本人、日本民族が本来持っている「霊性」は、鎌倉時代になって目覚めたと言っている
それは、農民に初めて仏教が浸透し、仏教と大地とが結びついたからである >>171
> 仏教が伝来するまえから神道はある
> 外来の仏教がきたときに神道と仏教は揉めた後に共存することにした
> 日本民族本来のものがあるとすればそれは神道だけである
かのドイツの地では6000年前にはなにが信ぜられていたのか?
外来の思想信仰だったとしても広範な民衆生活に受容された時点で民族の信仰となるのでないか
その日本民族本来が仏教をとおして顕現してる。
原始仏教は尊く、大乗仏教は劣るなどというのは、あさはか。なぜなら、古代中世のインド中国日本の祖師や僧侶たちが
それこそ我々が夢想することもできない祈りと修行によって「原始仏教」など思考し尽くし
大乗仏典による信仰を作り上げてきたのである ... ... とぼくらは信ずる
信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です
アレクセイであれば「神とキリストが正しい」と感じ、どんな場合も「ゾシマ長老であればどうするか?」と
考える。そして「長老の教えのとおりに振る舞おうと努力する」そのシンプルさが、清潔で透明感があり
頼れる青年や壮年を生み出す基盤です。 >>177
本心ではどうなんだい?
たまにはドストエフスキー以外のレスにものってみるかな
それに、そういうのなら聞いてみたいと思う
指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
だからなんら変わった事ではないのだけれど、指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
そういう客観的事実をど処理するのかな
受け入れる?それとも見て見ないふをみんなしている?
もし受け入れているのなら、何を根拠に受け入れているんですか
あ、煽ってるとかではなです
興味の範囲なので個人的な何かがあるならスルーして >>178
ぼくは誠実なひとにしか答えません。つまりあなたは誠実だから答えるんです。
177の彼などはフザケてるだけです。ですから放置してる。
> 指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
> だからなんら変わった事ではないのだけれど、
いっけん簡単で自明ですが、じつは一番難しい。大半のひとにはできない。それはカラマーゾフの長老についてや
服従について書かれてあることを思い出してください。
>指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
そのとおりです。
> だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
> そういう客観的事実をど処理するのかな
逆に、こう質問したい。カラマーゾフにおいて「ゾシマなきあとはアレクセイはダメ人間になっちゃうんですか?」
>会話でき、思想に触れられ、言葉の交換のでき
たって
意味ないおしゃべりなんかして、そこに革命はあるんですかっ? 三世の生命を体得できるんですかっ?
絶対的幸福に到達しますか?
深夜になってしまい明日書きますねww 信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です。
アレフであれば「地下鉄にサリンを撒いた麻原総帥が正しい」という認識になります。
池田大作先生がおっしゃる何かではなく、池田先生そのものを信ずることに意義があるのです。
どんなに人として間違った犯罪や荒唐無稽な虚言であっても信じる。
絶対的幸福とは、そういうことなのではないでしょうか?
僕は池田先生に「殺せ」と一言命じられれば、誰であろうと迷わずに殺るwww かつて僕の友人に、「哲学は自由恋愛にして、宗教とは縁談である」と恋愛で例えた人がいます。
付き合って相手を品定めし、納得したら結婚。最初は上手くいっても、相手か自分の気持ちが変わったら別れるのが自由恋愛です。
したがって哲学の付き合いは「常に条件付き」であり、小さな意見の相違によって「簡単に袂を分かつ脆さ」があります。
一方で宗教とは、親が決めた得体の知れない相手といきなり結婚し、その人が良い人だと信じて好きになろうと努力する過程そのものです。
たとえ家庭内暴力を振るう酒飲み夫であってもひたすらに根拠もなく信じ続ける――それが信仰の本質にして意義であると僕は聞きました。
だから僕は池田大作先生を信じ、麻原彰晃総帥を信じる。
一度も人を殺した経験もない人に、ポアの何が分かるというのでしょうか?
麻原の風呂の残り湯から作った聖水を買ってない人に真実が分かるというのでしょうか?
ポアは人類を救済する。それはいっぺんやってみた人間にしかわからないことです。
だから公明党に一票いれなさい!! >>188
>ドストやニーチェをヨイショするのは教養のない中二病だけ
ドストエフスキーの小説はシェークスピア悲劇やドン・キホーテの
再解釈のようなところがあるし
ニーチェはドストエフスキー経由して同じようなことをやっている
まあオリジナリティー云々はともかく解釈軸が問題であってね
ドストエフスキーには進歩に伴う懐疑と信仰の問題が
ニーチェには大衆化と世俗化にともなう生の凡俗化といった危機意識がある
このあたりの問題意識の方がシェークスピアやセルバンテスよりも
現代人のそれに近いわけであってね ニュー速+で500連投達成!!
> 責任はとらんだろうけど
> 2Fからは人が離れていくよ。
> いま中国べったりの親分についていくのは
> 泥船に乗るのと同じ。
> 官房長官になりたがってるらしいが
> 自分が落ちた穴に気づいてないw
評論家きどりのバカがWWWWWWWW
ねらーのおめえのゆーことなんか 誰が信じんだよ!!
710 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:47:48.13 ID:Zqscy7pG0 (24)
おまえらよーく おぼえとけWWWWWWWW
維新なんか 日本ぜんごくで だ〜れも知らん
それでおれたち公明党さまに勝てるだと??WWWW
維新は全国で国会議員なん議席あんだア〜〜〜〜〜〜〜〜〜? >>428
しかも勝ち上がってしまったからな残念ながら > 9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
意味が取れなかったのて解説をお願い
あなたがたは目に見える現象(外の景色)に一喜一憂して動かされ
ただ苦労しているが、それで本当の豊かさを得ることができるの? キリストは
「答えは私が示すものでもなければ師や親が示すものでもない。それは自身の奥深くに存在すると言っている」
トップアスリートや一流企業の取締役が瞑想を欠かさないのはそのためである。 川崎の刺殺犯、51歳だとさ。
近所からも オカシナ奴 だと思われてたんだと。
多賀井パイセンもやらかしそうだね。 >>434
ほんとそれが怖い
5chあらして満足してる内はいいが・・・ 多賀井パイセンくらいだと、平素から完全に危ない奴扱いされてるだろうからね。近所から。 警視庁サイバー犯罪対策課の相談窓口からメールが送れます すげーな
・座間9人大量殺人
・相模原障害者施設19人大量殺人
・神奈川県警息子子供死体サイト作成
・川崎介護士施設転落殺人事件
・川崎簡易宿泊所放火
・川崎カミソン君殺人事件
・平塚5遺体事件
・横浜港バラバラ殺人事件
・坂本弁護士一家殺害事件
・大口病院大量殺人
・川崎登戸18人殺傷
神奈川では座間、相模原、川崎、横浜中心部がヤバい
特に座間みたいな小さいエリアなのに凶悪事件が起きるのは治安がヤバいから
寿町より安いアパートがあるから テテとか確かに王者とやってから来いって話だが井上もバンタムじゃ相手探すの大変だからどうぞどうぞだと思うぞ 一人づつ相手しても構わない思ってるよ ただテテは逃げると思う クアドラスがバンタムで2勝目あげてるな
パヤノよりこっちがネリとやってくれないかな >>440
井上にはテテやウーバーリの挑発に乗らず
バンタムの他団体の王者から正式に対戦のオファーがあれば
インタビューで報告しますみたいに暗にチクりをして逃げれないようにしてほしい テテもウーバーリも口だけで実際はやりたくないんでしょ
井上にはまず勝てない >>439
タガイアンチが何をしたんだ?想定される罪名とその客観的理由は?
もし納得できる客観的理由があれば俺も手伝わせて頂きたい
勿論さしたる理由もなしに言っているのであれば
場合によるとおまえの脅迫になる可能性もあるが >>444
まぁ相手にされんだろうな
5ちゃんコピペして送んの?
笑えるからやってくれ >>445
「納得できる客観的理由」と言った筈だが
ただ名誉棄損だけではおまえのようなサルでも言える
名誉棄損のどの要件をどのような理由で満たすんだ? なんかタガイタガイとか
気軽に書いてるけど
ガチで警察沙汰になってら
逮捕されるのはおまえらの方だよ
タガイってのが本当にいて
名指しでよばれてるんなら
間違いなく管理者側なんだし それだと逮捕されるのはタガイを騙った奴になるな
まあそれでも匿名掲示板ばら単なる勘違いになるだろうが
もしタガイ(自称)本人が自演で「タガイさんは〜」とか言っているのであれば
悪意があるのでそいつがout 「タガイ」を匂わせるようなことを言っておいて
それで周りが「タガイ」と呼んだのでは罪になどなりようがないよ
このことで罪に問われる人物があるとしたら考えられるのは二種類
@本人を貶めるために適当なキチガイを「タガイ」呼ばわりするように仕向けた人物
(そしてそれを(せいぜいボク板の中とはいえ)広めた)
→場合によっては名誉棄損または侮辱罪
Aキチガイが自分をボクサー経験者であると偽りたいタガイを自称した自演をした人物
→場合によっては詐称罪
これらに関しては例えば金品や利益の損失でもない限り成立は難しい
侮辱罪ならまあ、頑張りによっては5%くらいはあるかも知れん
しかし原告側が得する可能性は限りなく0%に近い(賠償となる理由が不明確)
経験者の振りをして理由をでっちあげてまで
少なく見積もって億に近い金銭のやりとりが発生する試合を
執拗に八百長連呼する行為とは訳が違う 失礼、詐称罪じゃなくて詐欺罪な
まあそんなので利益や損失が発生するとは到底思えないが 多賀井そうとう悔しかったようだなw
いままでやってきた愚行を反省するがいいw
あとこれな
ほら、逃げた(笑) もしタガイが逮捕されてそいつが多賀井本人じゃなかったとしても「やっぱりな」で終了 792名無しさん名無しさん@腹打て腹。2019/05/29(水) 08:40:42.96ID:PQz6XHhq
「マニー・ロドリゲスは我々もポール・バトラー戦で見ているように、
いいファイターなんです。
それが2ラウンドですよ。あれは衝撃でした。
2度ダウンした後です。跪きながら目はほとんど開いていません。
そして、彼は震えていたんです。
コーナーを見ながら頭を横に振っていました。
あんなに優秀なファイターが……。
彼の顔を見るだけで我々は理解しました」
司会のアンディ・クラーク氏は、
かつて英国のバトラーも破っているプエルトリコの無敗王者のダウンシーンを、
思い出した様に興奮気味にまくし立てていた。 今度はさいたまの方でキチガイが暴れて警官に撃たれたそうだな。
そいつの苗字が多賀井だったら笑えるな。 ネリもパヤノKOしたら井上との試合決まるのかな
いくらなんでも一ラウンドはそりゃ無理だが >>466
これ可能性あるよな
体つきからロドリゲスもフェザー位までイケそうなんだよな。
バンタムで再戦、Sバンタムで再再戦はなくはない。
それまでにコケるなよw 階級を上げればパンチ力も上がるのでそこは心配してない >>466
ロドリゲスって誰?
それよりもっと強い人を >>475
相手のリーチが長くなり耐久性も増すぞ?
今と同じ戦い方ができなくなる 他の階級に移る奴ら続出でバンタムスッカスカになりそう 日本でも無名だよ
井上戦の低視聴率が全てを物語っている
亀田は最高視聴率43.1%を叩き出している 普通に髭だな、他にも髭面をインスタに載せてる
これならモンスターの右も緩和出来るな 茶髪がよくない印象が薄くなる
黒髪にした方強く見えるし外国にも評価が高くなる >>466
ロドリゲスはやっぱ階級変えるんだな
あの骨格でバンタムでは生きないと思ってた スーパーバンタムで再戦をか、うむ、井上を倒せる確率は少しは上がると言うだけ
5%→10%くらいの確率アップくらいかな、恥の上塗りになるだけだからやめとけ 711 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:51:36.68 ID:Zqscy7pG0 (24)
おれたちは どこまでも南無妙法蓮華経の選挙だ!!
維新はてめえの「権力とカネと名誉だ」
支持者の愚民であるてめえらも ケツのあなの小せえ ガリガリ君だあ
うほっは
おれらは全世界広宣流布だけしかねえ
朝鮮とも中国とも、アメリカとも、国籍関係なく、仲良くしてゆく!!
おれらは いっさいしゅじょうが 幸福になれと、毎時まいばん 祈りまくってる
てめえらは「他人の不幸だけを願ってる」!!
そんなてめらが おれらに 勝てるわけねえだろがっ!!!!!!!!!wwww
712 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:52:40.28 ID:Zqscy7pG0 (24)
もう一回再確認しとくぞ?
維新に入れたバカ。これから入れるクズは
「地獄へ落とす」やくそくだWWWWWWWWWW
713 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:55:33.71 ID:Zqscy7pG0 (24)
ちっ、また完全勝利かよ?
また明日なW
717 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 02:02:23.02 ID:Zqscy7pG0 (24)
バカヤローW
29億6千万円の予算 を使ってるじゃねーか
橋下がカネ出したんか?っ
そんなもんカネの配分の問題だろが?
赤バス廃止したやろがっ ドストエフスキーの有名な「プーシキン演説」からシェイクスピアやセルバンテスについて述べた部分を書き出してみると
第三期には、主として全世界的な理念が輝き始め、他の諸国民の詩的比喩的表現が反映し、他国民の示した天才が具現化されている系列の作品が帰属する。
わが詩人は、彼以前には、どこでも、どの作家においても見たことも聞いたこともないような、ほとんど何か奇跡的な存在となっている。
事実、ヨーロッパの文学には、シェイクスピア、セルバンテス、シラーのような巨大な、堂堂たる芸術的天才がいた。
しかし、わがプーシキンのように、全世界的に共鳴し得るこのような能力を有している人が、これらの偉大な天才の中に一人でもいただろうか。
ヨーロッパの最も偉大な詩人たちでも、天才とその精神を、その精神の中に秘められているあらゆる深みを、その使命についての憂いを自分の中に体現した例は一つとしてないのである。
ヨーロッパの詩人の多くの場合、他国民を自分の国民性に合うように変身させ、自己流の解釈をほどこした。
シュイクスピアについても、たとえば、彼の作品のイタリア人はほとんどすべてイギリス人である。
ただプーシキン一人が、完全に他の国民性の中に化身し得る特質を有している。
『ドン・ジュアン』『石の客』を読み返してみるがいい。もしプーシキンの署名がなかったら、作者がスペイン人ではないということなど、知りようがなかったであろう。
『プーシキンについての演説』に関する説明のための数言(『作家の日記』1880年8月第1章 )
プーシキンの意義について私が特筆しておきたい思った第三の点は、全世界的に共鳴する才能、他国の天才に完全に同化する才能、それもほとんど申し分ないほどに新しいものになりきる能力である。
私は演説の中でも、ヨーロッパにはシェイクスピア、セルバンテス、シラーのようなこの上なく偉大な世界的天才がいるが、そのうち誰にもこの才能を見出すことはできない、ただプーシキンにのみこの才能を見ることができる、と述べた。
私は、他国の天才に同化し得るというこの上なく天才的なプーシキンの才能を指摘するにあたって、シャイクスピアやシラーの世界的意義を侵害するつもりはなかったのだ。 西欧文学でドストエフスキーを超えて日本人に影響を与えた作家はぜったいにいない
ですから米川正夫は偉大です!彼の翻訳こそスタンダードだったんですからっ
三島由紀夫ほか純文学に引用されてるのもすべて米川正夫訳
この厳然たる事実はどうにもできん
であるからして、さいきんの なんたら訳などで読むのは愚の骨頂です!
もちろんこのことの反対意見があるのは承知です。ぼく自身も「白痴」をそれしかなかったという理由で
木村訳でよみ、その文体の磁器のような硬質の美しさに感嘆したものです。
それでもなおかつ米川の業績を超えることは不可能です。 >>205
ヨーロッパの偉大な作家はそれぞれの民族性に限定されるが
我が国の偉大な詩人プーシキンは民族の軛を離れた普遍性を確保しており
これはプーシキンのみならず我がロシア人に共通の性格である
つまり我々ロシア人が自民族について思索するとき
それは民族性を離れた普遍性に到達するのであり
これはわが民族が世界にとって指導的役割を担っていることを意味する
というトンデモ理論だよ
単に民族的統一性を確立する前に
西欧先進国からの文化移植を実施したので寄せ集め状態になっており
それ故にナショナルアイデンティティについた考えなければならない
というだけの話に過ぎない
で、ロシア民衆は貴族階級ほど汚染が進んではいないので
そこに希望があるのだが同時に「学」もないので
民族的純粋化よりも土俗的信仰の世界に向かう
しかしその信仰は土俗的であるが故に蒙昧さと背中合わせである
そこで「罪と罰」の世界にループしてしまう
ドストエフスキーの問題設定に出口は無いんだよ >>211
> つまり我々ロシア人が自民族について思索するとき
> それは民族性を離れた普遍性に到達するのであり
> これはわが民族が世界にとって指導的役割を担っていることを意味する
> というトンデモ理論だよ
------------------------------------
う〜ん... いつもあなたの文を読んで思うんだけども、前提の理解には完全同意なのに
結論がなぜそう感じるのか?ぼくにはわからん。
なぜこれが >トンデモ理論 なのか?
自国が、世界的な使命を持ち、「わが民族は世界にとって指導的役割を担っている」と考え信じるのは
健康な精神と「ナショナルアイデンティティ」のために、とうぜんの帰結と思うがどうでしょう? >>212
> ドストもナチスや大日本帝国紛いの当時よくある民族主義者だったのか
> 関東軍も日本民族は中国を支配して指導的役割を果たさなければならないとか吠えてたらしいな
その理解がせんぱくですよ。最高の民族主義者であるからこそ他国ともなかよくできる。
ぼくは日蓮大聖人の教えどおり、この日本国こそ全世界へ仏法を広めいく使命をもった国であり
全世界が憧れる国だと思っている。 ぼくはあなたに個人的怨みがあってつっかかるんじゃない
あなたの文は教養があるが、「信仰という地盤がないゆえに」
ほんと「根無し草」になってる。だからカラマーゾフやドストエフスキーについて論評しても
肝心なところで、最後の結論部分で「ドストエフスキーの真意に到達しない」
これは難しい理屈をこねくり回してるのではない。
あなたはカラマーゾフの登場人物で言えば、まさにイヴァンのごとくなってる。 さらに40連投達成!!
ギロリ... !
維新愚民はおらんがあああ〜〜〜?
殺してまうどっ
700 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:05:32.62 ID:hdt38pJt0 (9)
おめらは白痴なんかっ?
701 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:05:50.73 ID:hdt38pJt0 (9)
なんでイシンなんか入れんだ?
馬鹿やろ?
703 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:06:28.40 ID:hdt38pJt0 (9)
わかった。おまえの嫁は糞ブスだから それで復讐で維新かっ? 704 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:07:51.88 ID:hdt38pJt0 (9)
>>702
だいじょうぶだあWWW
あと、3週間の命だしWW 維新なんて
吹けば飛ぶような泡沫政党だしWWWWWWWWWW
705 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:09:00.87 ID:hdt38pJt0 (9)
なんの信念もねえ
思想もねえ
実績もねえ
愚民だけが支持してるWWWW
706 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:10:41.16 ID:hdt38pJt0 (9)
公明党に入れないやつは
たいへんなことに なりますよっ
教えといたからね?
でも、ちみらってなんで入れないの??こうめいに
707 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:12:48.09 ID:hdt38pJt0 (9)
あ、わかった!
根無し草で
ひとりぽっちで
仏法の大切さもわかんないんでしょう?
大予言するよ。「7年後に維新はこの世に存在してません。」
「はしもとも この世にいません」ぜんいんコジキになってます!
維新応援したおまえらも!!!!!WWWWWWWWW
708 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/10(水) 02:15:14.52 ID:hdt38pJt0 (9)
北は北海道から南は沖縄まで!
ひとりも、ただの一人も! 維新なんか応援してませんWWWWWWW
ムードで 騙されて、おまえら愚民が、応援してるだけ。
だから「今だけ」これを忘れないように。 >>214
>なぜこれが >トンデモ理論 なのか?
>自国が、世界的な使命を持ち、
>「わが民族は世界にとって指導的役割を担っている」と考え信じるのは
>健康な精神と「ナショナルアイデンティティ」のために、
>とうぜんの帰結と思うがどうでしょう?
そういう事じゃなくて
民族的統一性や純粋性が確立されていない(特に知識人層)のに
その非統一性を多様性と置き換えて一気に世界性に持って行くのは詐術に近いのね
また、知識人層と違って土俗的信仰の世界に生きる民衆を評価するのはいいとして
この土俗性も突き詰めていくと無知蒙昧や
アジア的異教性や汎神論的世界につながりかねない
このあたりに見られる苦闘は作品の中にも見られるが
明確な回答は最後まで出されていない
そのくせ飛躍した理論で正体の定まらない自民族こそ
世界をリードするのだ!と世間受けの良いスローガンを掲げるのはどうかな?
劣等感を優越感に逆転させるような詭弁は感心できないよ
これは健全なナショナリズムではない
「悪霊」におけるキリーロフの神と民族に関する議論の方がまだマシであって
ドストエフスキーの演説はこれよりも後退しているんだよ
民族と神の問題はシェリングやフィヒテといったドイツ観念学派の考え方に近く
スラブ主義の源流でもあるのだけど
ドストエフスキーはこれには距離を置いている
しかし問題設定としては避けて通ることはできない 石原慎太郎の言を借りるのなら
「真にナショナルなものしかインターナショナルになれない」
というのはそれなりに正しい
もっというとナショナリティーの確立によって
インターナショナルに向かうことが出来る
だからまずは神の定義や信仰の強度も含めて
ナショナリティーの確立に力を注ぐべきなのに
その前段階で大見得を切っている
それも理論操作でね >>214
言葉をもし文脈というような区切りができるならば、前提と結果で分ける事も出来うる
その時の前提とは普遍性であり、その時の結果とは個別性になる
そうならば、前提に同意できてもそのあとの結論は引き出す個々の意見というものに近くなることになる
なので前提は肯定できても、結論は反対に思う事は結構あるんじゃないかな
人間は死ぬ
だから精一杯生きよう
だから生きる事は無意味だ、つまり自殺だ
これは同時にあり得ること、そして同時にあり得る事が言葉の闇でもあり崇高な特性でもある
アリョーシャが、イワンに殺したのはあなたじゃないと言ったのに、イワンは「おまえが殺した」みたいな解釈を勝手に想像して拗ねてしまうね >>224
> 世界に冠たる神国日本が
日本人にとっては土着信仰としての神国であるが、世界はそうは見ない。
世界宗教としての仏教国と世界は見る。
>外国で賛美されているのは当たり前のことだろう
賛美されているのは日本国だけではない。どんな小国にもその国だけの良さがある。
>それを認めたくないのは反日朝鮮人だけ
きみのちっぽけな世界観・宇宙観ではそう感じる。創価学会は全世界に信者を持つが
特段に多い国のひとつが韓国だ。人口比率でいえば日本国内より多い。ゆえに韓国朝鮮人を
下に見るなど夢にもありえないことなんだ。 宗教の話題があがっているのでスレチになるけど、トルストイの要約福音書を読みたくて探している
廃刊されていて売っていないし、去年に近くの図書館行った時もなかった
これどこで読めるんだろう
ネットだと主の祈りの部分くらいしか載っていない
1 人は無限なる本源の子である。肉によらず霊による父の子である。
2 ゆえに人は、霊をもってこの本源につかえなければならぬ。
3 万人の生命は聖なる本源を持っている。そしてその本源だけが神聖である。
4 ゆえに人は、万人の生命中に存するこの本源につかえなければならぬ。これは父の意志である。
5 生命の父の意志に対する奉仕は、生命を与える。
6 ゆえに自分一個の意志の満足は生命にとって不必要である。
7 一時の生命は真の生命の糧である。
8 ゆえに、真の生命は時間を超越しているーそれはつねに現在のなかに在る。
9 生命の欺きは、時のなかにある。過去と未来の生命は、人の前に、現在の真の生命を隠蔽する。
10 ゆえに人は、過去と未来の一時的生命の欺きを破却するために、つねに努力しなければならない。
11 真の生命は、万人に共通なる現在の生命であって、愛によって表現されるものである。
12 ゆえに、現在において万人に共通する生命であるところの愛に生きるものこそ、父、本源、および基礎的生命と一致するものである。 >>222
> 人間は死ぬ
> だから精一杯生きよう
> だから生きる事は無意味だ、つまり自殺だ
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人間は死ぬ → だから生きる事は無意味だ、つまり自殺だ
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こういう方程式を現実の人間において見たこと感じたこと ありますか?
自殺者はたくさんいるけど、いっぱんてきに普遍的に必然的に「人間は死ぬ」から、人生における努
力そのほかが無意味に感ずる、だからぼくは自殺する―というのはほんとうでしょうか?
> そして同時にあり得る事が言葉の闇でもあり崇高な特性でもある
言語論としてそうですよね。ぼくも2ちゃんカキコのとき「わざと意味的に矛盾・倒置させて、キチ
的にするように努力してる」とはいえそんな小手先だけで「キチを演じるのは甘くないです」が。W
> アリョーシャが、イワンに殺したのはあなたじゃないと言ったのに、イワンは「おまえが殺した」
みたいな解釈を勝手に想像して拗ねてしまうね
あのあたりも本文引用しつつ、いっしょに考えていきたいですねW
> 今話にあがっているドストエフスキー土壌主義がどこまで国家主義と重なっていたか、どういう意
味で国家主義を捉えていたかの明確な判断は難しい、とぼくは思います
> 勉強不足で明確に書いてある箇所がわからないのですw
> もしあったらレスよろしくー
ぼくこそ、カラマーゾフと罪と罰と白痴の一部のみしか読んでなくて、あなたの引用するプーシュキ
ンの演説とか参考になる。
ずーっと体調不良で、レスが遅くなりすいませんでした。もしコンディションよくなったら、まず第
一番にあなたのカキコにレスつけたいとおもってた。 >>231
> 宗教の話題があがっているのでスレチになるけど、トルストイの要約福音書を読みたくて探している
> 廃刊されていて売っていないし、去年に近くの図書館行った時もなかった
> これどこで読めるんだろう
国立国会図書館デジタルアーカイブでは? ぼくはぎゃくに紙の書籍が目の関係でダメなんだけど、だから
キンドルや青空でさがすけど。ぼくが少年時代にはたいがいの図書館には(東京ですけど)かならず
中村百葉訳のトルストイ全集がありましたが!
これもたぶんみんなとぎゃくで「新訳のたぐいは受けつけない」古い言い回しじゃないと純文学読んでる気がしないちゅーのもありますW
もともと母親といっしょに読み出した純文学が芥川ほか、明治大正昭和初期のころのが多かった。 > 1 人は無限なる本源の子である。肉によらず霊による父の子である。
西洋的な肉体と霊を立て分けるかんがえ。仏法の色心不二の反対か。
> やっぱりトルストイは直球というか正道というか、ほんとに宗教者と感じる
言わんとすること良くわかりますW
> ドストエフスキーは宗教者と言われると何かの違和感すら感じる
> それでもドストエフスキーの方がなんか惹かれるものがあるんだよね
しかし、カラマーゾフ中のゾシマの遺訓は? ドストスレだけど、トルストイのいう死の先駆について面白い箇所がある
ロシア人が書いたとは思えないくらいとても東洋的
古い東洋の寓話の中に、草原で怒り狂う猛獣に襲われた旅人のことが語られている。
猛獣から逃れて、旅人は水の涸れた古井戸の中へ逃げ込んだ。
が、彼はその井戸の底に、彼をひとのみにしようと思って大きな口をあけている一ぴきの竜を発見した。
そこでこの不幸な旅人は、怒り狂う猛獣に一命を奪われたくなかったので、外へ這い出ることもできず、
そうかと言って、竜に食われたくもなかったので、底へ降りて行くこともできず、仕方がなくて、中途のすき間に生えている野生の灌木の枝につかまって、そこにかろうじて身を支えた。
が、彼の手は弱って来た。
で彼は、井戸の上下に自分を待っている滅亡に、まもなく身をゆだねなければならないことを感知した。 それでも彼はつかまっていた。
とそこへさらに、黒と白との二ひきの鼠がちょろちょろとやって来て、彼のぶらさがっている灌木の幹の周囲をまわりながらこれをかじりはじめたのである。
もうじき灌木はかみ切られて、彼は竜の口へ落ちてしまうに違いない。旅人はそれを見た。
そして自分の滅亡が避け難いものであるのを知った。
が、しかも彼は、そこへぶら下がっているそのわずかな間に、自分の周囲を見まわして、灌木の葉に蜜のついているのを見いだすと、いきなりそれを舌に受けて、ぴちゃりぴちゃりと嘗めるのである。
──私もまたこの旅人のように、私を牙にかけようと思って待ち構えている死の竜の避け難いことを知りながら、生の小枝に掴まっているのだ。
そして私は、何でそんな苦悩の中へ落ち入ったかを知らないのだ。
私もまたいままで自分を慰めてくれた蜜を嘗めてみる。──が、その蜜はもうこの私を喜ばせてくれない。そして白と黒との二ひきの鼠は、日夜の別なく、私のつかまっている生の小枝をがりがりと齧る。
私はまざまざと竜の姿をまのあたり見ている。
だから蜜ももう私には甘くないのである。
私の見るのはただ一つ、──避け難い竜と鼠だけである、──そして私は彼らから目をそらすことができないのだ。これは決して単なる作り話ではない。
まさしくこれは真実の、論じ合う余地のない、全ての人が知っている真理なのだ。 竜に対する恐怖をまぎらせていた生の喜びといういままでの欺瞞は、もはや私を欺くことができなかった。
お前は人生の意義をさとることができないのだ、考えずにただ生きよ、とどれほど自分にいってみても、
私はそれをあえてすることができない。
過去においてあまりにも久しくそれをくり返して来たからである。
今や私は、たえず私を死の方へ引きずりながら駆けて行く日々夜々を見ずにはいられない。
私はこれのみを見つめている、なぜなら、これのみが唯一の真理で、
その他のすべてはみな欺瞞だからである。
他のなにものよりも長いことこの残酷な真理から私の瞳をそらさせていた、
二滴の蜜──家族に対する愛と、私が芸術と名づけている著作に対する愛──さえも、もはや私には甘くないのである。
『家族か、──こう私は自分に言うのだった。──しかし、家族、つまり妻や子供達も、やはり人間である。
彼らもやはり私と同じ条件の下にあるのだ。したがって彼らもまた、偽りの中に生きて行くか、
さもなければ恐ろしい真理を見なければならないのだ。
一体なぜ彼らは生きなければならないのか?
またこの私は何のために彼らを愛し、いたわり、はぐくみ育て、保護してやらなければならないのだろう?
私の内部に渦巻いているこの絶望に導くためか、
あるいはまた痴呆状態に導くためか?私は彼らを愛しながら、彼らにこの真理を隠すことはできない。
──したがって、彼らの内部に目覚めてくる自覚の一歩々々が、
彼らをこの真理へと導いて行くのである。そしてその真理とは、すなわち──死!』 ほかでもない、神は再びヨブを奮起せしめて、再び彼に富を与えたのである。こう
してさらに数多の歳月が流れて、もう彼は新しい別な子供らの親となり、その子供
らを愛することとなった。ところが人は『ああ、なんたることだ! 以前の子供らがい
なくなったのに、以前の子供らが永久に奪い去られたのに、どうして彼はこの新し
い子供らを愛することができたのか? どんなに新しい子供らが可愛く思われるに
もせよ、以前の子供らのことを思いだして、前と同じように十分な幸福を味わい得
るだろうか?』ところが、それが可能なのである。大いに可能なのである。昔の悲し
みは人生の偉大な神秘によって、次第次第に静かな感激に充ちた悦びと変わってゆく。
若い時の湧き立つような血潮のかわりに、つつましく晴ればれとした老年が
訪れるのである。私は日々の日の出を祝福し、私の心は依然として朝日に向かっ
て歌を歌うけれども、しかしどちらかというと、むしろ入日の方を愛する。斜めにさす
夕日の長い光線を愛する。それを眺めているうちに、静かな、つつましい感激に充
ちた追憶や、懐かしい人のおもかげなどが、長い祝福すべき生涯の中から 甦ってくる、
――そうしたすべてのものの上に、人を感激せしめ和解せしめ、かつ一切を許す
神の真理がさし昇るのである! 私の生涯はまさに終わらんとしている、それは自
分でも分かっている。しかし、わずかに残れる日の訪れごとに、私の地上の生活が
既に新しい、限りない、まだ知られない、とはいえ近く訪れるべき生活と、相触れ
んとしているのが感じられる。その生活を予感すると、私の魂は歓喜に震え、知性
は明らかに輝き、感情は喜悦に 咽び泣くのである。...... 第3 イリューシャの埋葬 アリョーシャの弔辞
(要約)
アリョーシャは部屋へはいった。白いひだつきのレエスで飾られた空色のひつぎの中には、
両手を組み合わせ、眼を閉じたイリューシャが横になっていた。その顔はやつれていたが、
死ぬ前とほとんど変わりがなかった。そして、ふしぎなことには、死骸からほとんど臭気
が発しなかった。
顔には厳粛な物思わしげな表情が浮かんで、十文字に組み合された、さながら大理石で刻
んだような手は、ことに美しく見えた。
その手には花が持たせてあった。それに柩の内側も外側も、きょう早朝リーザ・ホフラコ
ワが送って来た花で一面に飾られてあった。そのほかカーチャからも花が贈られていた。 >>246
> やはりキリスト教的道徳臭がキツくて嫌になる。
気持ちはよくわかりますw 裁判官がしぬ瞬間を描いたあの中編を読みました?
道徳として読むのではなく、19世紀当時そして今でも「自分は穏健なキリスト教徒」だと
(知らんけどw)諸外国では そう表明することは常識人・社会人としてとうぜんのこと
と聞きます。
ところがそうした人々(これはもちろんキリスト教批判ではありません。日本でも原理は
いっしょです)がその宗教の教えをどこまで現実のものとして、肉体化?してるでしょう
か?
カラマーゾフ中でアリョーシャの少年時の誓いとして
>聖書にも、『もし 完からんと欲せば、すべての 財宝(たから)を 頒ちて我の後より来
たれ』といってある。で、アリョーシャは心の中で考えた。『自分は「すべて」の代わり
に二ルーブリ出し、「我の後より来たれ」の代わりに、 祈祷式へだけ顔を出すようなこ
とはできない。』
とある。
トルストイには狂信のそしりを受けようとも、全世界全人類へむけてモラルを説く情熱が
あった。
トルストイの欺瞞への怒り、死という絶望を乗り越えたいという叫びは、先の引用を読め
ば明らかなように、腹の底か ら湧いてくるよ うな、魂を引き裂 くよ うな感情であった。
寝不足で文がねじれてるけど、何が言いたいかわかりにくいだろうけど!
それともうひとつ。
宗教と道徳はまったくの別物ですよ。あなたは(わたしは)キリスト教を信じていないか
ら道徳と感じる。宗教というのは「行動」です。「なぜその教えがあるのか?」をつかむ
のは宗派の中に属して皆と行動をともにしなければ、ぜったいに体得できません。 >>246
読書として、むしろガッツリ宗教色が強い作家も時たま読みたくなる瞬間があるよ
そういう時にトルストイはもってこいの作家です
だからこそ嫌になる気持ちもわかるけどね
ちなみにトルストイのいう欺瞞の考え方は好き
キリスト教会は迷信と恣意的な欺瞞が入りこんでしまっているけど、その教会なくしてキリスト教そのものは存在しなかったと書いている
歴史は常に前提に重ねて築かれていく
前提がなくなればその後もなかった、みたいな
批判は批判だから正教会とから破門される異端だけどね
天才なんてどこかおかしいからしょうがないんだけどねw
https://jp.rbth.com/arts/2015/02/24/52101 >>253
トルストイについてはじつはほとんど読み込んでいない。だからコメントを避ける。
だが、とても正しく書けていると感じる。ただし、本文の引用がなく、この深夜のアタマでは
理解しづらい部分が多い。その上で印象に残ったのは
> 言葉や真理はすでに内にあって、その個人との関係において見出して身につけていくものとした
> あくまで持っている本来のものを思い出していくことになるし、だからそのには相反する葛藤が書かれる
> 人間には神聖な性質がすでに誰もが持っていて、それを思い出すことや見出すこと
この部分であり、日蓮の「観心本尊抄」の「末代の凡夫出生(しゅっしょう)して法華経を信ずる人は人界に仏界を具足する故なり」という言葉だ。
「言葉や真理」「神聖な性質」という語句を「仏界」置き換えればだ。 さくらという 極限に美しき 薄紅色のあの花びらが
醜くゴツゴツとした あの桜の木の なかに備わっていると誰が信ずるのか?
しかし、縁に触れてたしかに出生(しゅっしょう)するのだと。
それと同じことだ―― と日蓮は仏界の生命が我らあさましき凡夫の生命のなかに
内在することを教えた。
当時の人々は、釈迦や仏という極限に清らかにして力強き生命に、われわれなどがなれるはずがないと
理解していた。 第3部 ジョージ・オーウェル『1984年』
(要約)
最初に認識すべきは、権力が集団を前提とすることだ。
個人が個人であることを止めたとき、はじめて権力は生じる。
君は《自由は隷従なり》という党のスローガンを知っているだろう。
この逆も言えると考えたことはないかね? つまり《隷従は自由なり》ということだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています