【プロ3階級アマ7冠】井上尚弥 194【Monster】
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>>28
> 言葉足らずだったけど、そういう人も含めて自然から人間を見ると強者になる
> 才能とか高知能とか強靭な身体の持ち主とかも
> つまり物資的な、という意味が内包される
イヴァンが使っていた「自然法則」ですね。
> 一方で人間を人間として眺めれば、精神とか形而上的な感情とか、もしかすれば優しさなどの情緒さえも飛び抜けていれば、新しい非凡人の価値になり得るかもしれない
> その時に最上の人間的な価値があるとすれば愛ではないだろうか、という持論です
そうです!そうです!「優しさ」こそ人間が持ちうる最大価値です。愛という言葉は混乱を呼びがち。それは
せっこすの愛ではないし、恋愛の愛でもない。仏教の文化圏の用語に翻訳すれば「慈悲」です。しかもいま
話されていることは、特定の文化に限定されたものではない。言葉の表面的な字面なんか関係がないんだ。
ゾシマやアリョーシャは「愛のひと」だったし、イヴァンやミーチャは心の奥底に慈悲や愛を内包してはいたが
それは、日常の振る舞いに自然とあらわれるものではなかった。
ラスコーリニコフもしかりです。青年期の各過程をドストエフスキーはとらえ、それをば巧みに形象化し表現した。
> だけどドストエフスキーだってゾシマやアリョーシャの生みの親なんだから、そういう思考はあったはずと思う
いちばん忘れがちで、こんかい目が覚める思いしたのはここ。ゾシマやアリョーシャのもつ、わたしたちが
あこがれる、あの大感情も、天上の高みへと登っていくあの苦悩も、ちっぽけな自分を制覇しようとする
あの勇気も、悪からの誘惑を退ける瞬間的な愛の爆発も。
すべてドストエフスキーの「心」から生み出された。それはまったく同じものが、いやそれどころか
はるかに壮大かつ深甚のものがあるから、できるワザです。 ぼくは、論議しやすくするために、映画やまんがの登場人物のように
イヴァンやミーチャは一段低い劣ったもののごとく言い、ゾシマやアリョーシャは
ただ崇高そのものの人物と書くが、ぼくの真意はちがう。
彼らはすべてロールモデルです。問題はだれに自分を当てはめて考えるか?です。
ぼくたちは若い頃ラスコーリニコフを読んで、彼に同化した。青少年にとってひじょうに同化しやすい
共感しやすい人物像を、若い詩人であるドストは創造したから。 ぼくは告白しますが、若いときからこんにちに至るまで
ぼくのロールモデルはつねにアリョーシャです、でした!
あなたがたにも、そうなってほしい。イヴァンやそのほかを捨て去ってください!
「えw?おまえのどこが、アリョーシャ?」かって?
そんなことはイイんです! 自分の中で卑小なものを見つけたら、その都度修正して見つめ直せば。
「いや、むしろここはフョードルでゆこう!」「こういう腹たつやつには、スヴィドリガイロフしたれ!」
という感じでゆきましょうww ところでな、アレクセイ、わしはこれまで幾度となく心の中で、そういう顔を持っている
おまえを祝福したものじゃ、今こそ打ち明けて言ってしまう。」長老は静かな微笑を浮か
べながらこう言った。「わしはおまえのことをこんなふうに考えておる、――おまえはこ
の僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ。いろいろ多くの
敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。また人生はおまえに数々の
不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸福になることもできれば、人生を祝
福することもできるし、また他の者にも祝福させることができるであろう――それが何よ
り大切なのじゃ。よいか、おまえはこう言ったふうな人間なのじゃ。皆さん。」と彼は喜
ばしげにほほ笑みつつ、客人達の方を向いた。
(我)
1,>そういう顔を持っている
とは、目が大きいとか、賢そうな顔をしているとかではなく、福運が如是相に出ていると
いうことだと。
2,>おまえはこの僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ
この僧院を出て俗世で暮らすのは、その目的は「自分自身が」人生を祝福し、「他の者に
も」祝福させるためである。つまり「自他ともに幸福になるため」である。僧院の中にい
るよりも、アレクセイは俗世間においてこそ、より大きな仕事をなすからである。 3,>いろいろ多くの敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。
これこそ信仰者にとってもっとも大事な生き方だとおもいます。最後は信頼されるという
こと。だから勇気です。
4,>また人生はおまえに数々の不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸
福になることもできれば、人生を祝福することもできるし、また他の者にも祝福させ
ることができるであろう――
青年がもっとも信頼し傾倒しきっている長老、その言葉は奇跡としてぜったいに予言通り
になると。だからこそアリョーシャは、今後の人生においてなにが起きようと、どんな不
幸な事件が来ても、長老の自分にたいする予言を思い出し「自分はぜったいに幸福にな
る」「苦悩を使命に変える」「他の人々をも救いきっていく」そういう使命が自分にはあ
るのだ! と考える。そしてじっさいにいかなる堕落からも立ち直る。
--------------
「第六編 ロシヤの僧侶」ぜんぶんにコメントをつける
を一ヶ月ぶりに再開します。上は前回までのところ 「この若者の顔がわしの心にとって、なぜこれほど懐しいものになったかというわけ
を、いままで当人のアレクセイにさえ一度も言うたことがない。今はじめてこれを打
ち明けますじゃ。
>(我)先生はゾシマ長老の生まれ変わりなどではない。先生は先生。小説中の登場人物
たるゾシマはゾシマだ。
しかし、その精神の核心部分はひじょうに似ている。それは弟子をきづかい、その成長を
祈り、ときには厳しく指導する。それはなんのためだ?ほんとうの幸福をつかませるため
だと思う。仏にするためだと思う。
この少年の顔はわしにとって、まるで追憶と予言のように思われ
る。わしの生涯のあけぼのに、わしがまだ小さな子供のとき、ひとりの兄があったが、花
の盛りの十七やそこらの年に、わしの目の前で死んでしまいましたじゃ。
>(我)このゾシマと同じような体験をぼくは持たないが、しかしここに書いてあること
はストンとぼくの胸におちてきた。当時少年のぼくにさえ。
その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤め
た、とな。 >>36
> その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
> なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤
めた、とな。
ある人物との出会い。しかもそれはひじょうに短い言わば瞬間的ともいえるような出会い
だったかもしれない。
それが年齢を経るに従って、それは「神の指し示していたもの」「神によって予定されて
いたもの」(宗派によっては仏とおきかえてもいい)そう感じられてくるような人生の出
会い!
大なり小なりだれの人生にも思い当たるのではないか? だから大事なのは、その心の奥
底にねむっている原点をたいせつな思い出を、いまいちど思い出すことじゃないか? ぼくはアリョーシャの言葉が気に入ってる
「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。
君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそおそらく最良の教育に他ならないのです。
そういう思い出をたくさん集めて人生を作り上げるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。」
「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません!何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」 本棚にゲーテファウストがねむってる。
100円で路上の段ボール箱で見つけたのさ
ほんとに本が読めなくて
目が悪いからなあ、ハズキルーペがあったらいいのか?
マンの魔の山もいつまでたっても読まないなあ >>50
たとえば中国史には光武帝というすごい人がいてだね
並外れた力量を持っている凡人(常識人)もいるわけだよ
だから能力と人格はあまり関係ないと思う
実際、多くの奇人はただ周囲に嫌われているだけで、能力は低く、社会の底辺にいる
でも阮籍のような奇才もいるだろうし
李賀のように後世の人に評価される狂人もいる
馬謖のように「言が動を超えた(ようするに口だけ)」結果
やらかして斧で斬首される秀才もいる
日本では東條英機がこのタイプだろうけど
あるいは辻正信とかね
人間の能力と評価は本当に難しい もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、
それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、
むしろ奇人に近い人物だということである。
しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。
そうではないだろうか?
ーカラマーゾフ 序文よりー >>56
> ミケランジェロやレオナルドダヴィンチは典型。
> ……余りにも天才。
> 健常人からは距離の感覚を払拭し難い蓋然性。
> では〜(-^ ^-)♪
なんかテクスチャー的にちがうんだよね〜〜
職業人として究極的絵画技法のひとですよね。ボク的にはむしろ
>>54
> もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
> ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
> ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
> 奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。そうではないだろうか?
> ーカラマーゾフ 序文よりー
で表現されてることこそ、もっとも美しくすばらしい人間像ということじゃないかと? >私 は アレクセイ を 自分 の 主人公 と 呼ん で いる けれど、 彼 が 決して 偉大 な 人物 で ない こと
は、 自分 で よく承知 し て いる。 従って、『 あなた が アレクセイ を 主人公 に 選ん だ のは、 何 か
偉い 所 が ある から です か? 誰 に なんで 知ら れ て いる の です か。 一体 この 男 は どんな こ
と を し た の です? どういう わけ で 我々 読者 は この 男 の 事蹟 の 研究 に、 暇 を つぶさ なけ
れ ば なら ない の です?』
と読者から質問されるだろう、というのだ。
その答えは
>『 ご 自分 で 小説 を 読ん で ご覧 に なっ たら わかる でしょ う』 と 答える ほか ない
これはつまり「ひとことではいえない」という意味ではないか?
>私 にとって は 確か に 優れ た 人物 で ある が、 果たして これ を 読者 に 証明 する こと が 出来る
か どう か、 それ が 極めて怪しい
>つまり 彼 は 事業家 で ある けれど、 曖昧 で はっきり し ない 事業家 なので ある。
アレクセイを「事業家」とよんでいる。これは第二部をも視野に入れた発言であろうか。「曖昧 で
はっきり し ない 」事業家だと。
いわゆる「偉大 な 人物 で はない」
ミケランジェロやダヴィンチのごとき偉人ではない
なにか特別な能力をもっていたのでもない
誰 に なんかで 知ら れ て いるのでもない
そういった何重もの「非」によって、逆証明される優れた人物ではないか?
>ただ 一つ ほぼ 確実 らしく 思わ れる のは、 彼 が 奇妙 な、 むしろ 変人 とも 名 づく べき 男 だ と
いう こと で ある。 しかし、 奇妙 な こと や 変 屈 な こと は、 注目 の 権利 を 与える より、 むしろ
傷つける 場合 の 方 が 多い。 ことに 現代 の 如く すべて の 人 が、 部分 を 統一 し て、 世界 全体 の
混沌 の 中 に、 普遍的 意義 を 発見 しよ う と 努め て いる 時代 には なおさら で ある。 そう では な
い か?
変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、 かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し
て、 その他 の 同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人 から 離れ た もの に すぎ ない、
という よう な 場合 が しばしば だ からで ある…… ギャンブル依存症だけではないよ
幼児虐待までやってるし
くだらない虚栄心のためには平気で駄法螺をふく
しかし、小説家というのはそんなものだよ
屑に徹した人間ほど人間存在の深奥に近づくのは
人間というものの本性がどうしようもないほどの屑だという事だろう
人間は他者から賞賛される限りにおいて自分を卑下する
というのはラ・フォンテーヌの箴言であるのだが
太宰やドストエフスキーの場合はもっと屈折していて
他者の賞賛を勝ち取るためにあえて自己を卑下する
その際に自己の暗部を人間一般の業として普遍化するので
その告白が受難者のそれとして聖性に転化する
しかしこういう見え透いた戦略は自意識に滓として残るので
さらに苦しい言いを訳続けなければならない
この人たちは生きている限り救われることは無いね
かといって開き直るほどのふてぶてしさもない
ようするに弱者でしかないのだが、
悪あがきを続けるのも人間の一生であるので アリョーシャを「愛の天才」「形而上的・霊的世界へのセンスを持った青年」
あるいは単に「育ちのいい」「生まれつき性格の温和な青年」と考える人も多いし、
作者もそういう方向で描出してみせる面もある。
ぼくは違うと考える。
俺達は誰でもアリョーシャとなれる。むしろもうすでにアリョーシャだとさえいえる。
この作品を愛読し、その姿に憧れるその一点のみにおいて。 無駄に改行して頭悪い中学生のブログみたいだな
くだらない信念の表明は他でやってくれよ
> 声闘(ソント)とは朝鮮人の古くからの風習で声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、
> 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、というしきたり。
韓国系創価学会員の書き込みには辟易する >>75
> ゾシマ長老は死後死体が腐敗したエセ聖人
その解釈おかしいでしょww
カラマーゾフの兄弟を理解できてないよw
おれといっしょに第六編から第7篇を精密に読んでゆこうな
> つまりその生まれ代わりの池谷大作もニセモノ
そのネタすきやねwwww あんまくだらないと、そのうちアボンするよWWWW? 何年も前から思ってたけどいま告白しちゃう
このスレでおれと同レベルの愛情をこめて
ドストを読んでいる子はひとりしかいないね
おれはそいつのためにだけ書いてる
もちろんタイピングそのほかが不得意なだけで、
深く情熱をもって読んでいるメンバーは複数いるでしょうが https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治#創作、乱れた私生活
>除籍になった10日後の11月28日、銀座のバー「ホリウッド」の女給で18歳の田部シメ子と鎌倉・腰越の
>海にてカルモチンで自殺を図る。だがシメ子だけ死亡し太宰は生き残る。この事件について太宰は『東京
>八景』『人間失格』などで入水自殺と書いているが、当時の新聞記事では催眠剤を飲み海岸で倒れて
>いるところを発見されたと報道されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/小山初代
>この後、太宰と共に谷川温泉付近でカルモチンにより自殺を図ったが未遂に終る。
太宰は2人殺している、一人は未遂に終わっている
心中って信じてるか? >太宰は2人殺している、一人は未遂に終わっている
おんなは好き好んで恋愛ロマンスで死んだんだろ?
当時の法律じゃ、そんなものは処罰される対象じゃなかったんだろ?
それに殺人殺人って大騒ぎするが、日本人の大半は中絶などで我が子を殺してるけどな。笑い事じゃなく。
ましてや、ドストがクズってWW なにを根拠に書いてんの? この核エネルギーは途方もなく強力で、それは肉体の免疫システムを弱体化させ、
人々は肺炎やインフルエンザ、慢性疲労、癌、 HIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
【3.10、3.11】 東京大空襲「逃げるな耐えろ」死者10万、福島原発事故「安全だから住め」死者毎年20万
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1552189012/l50
逃げて、逃げて、福島から、早く逃げて! 薦 むる 詞
はや
昔 我が 濁 れる 目 に 夙く 浮び し こと ある
よろめけ る 姿 ども よ。 再び 我 前 に 近づき 来 たる よ。
なんだち
いで や、 こ たび は しも 汝達 を 捉 へん こと を 試み ん か。
我 心 猶 そのかみ の 夢 を 懐かしみ す と 覚 ゆ や。
せま
汝達 我 に 薄 る。 さらば 好し。
靄 と 霧 との 中 より
我 身 の めぐり に 浮び 出 でて、 さながら に 立ち振舞 へ かし。
つら
汝達 の 列 の めぐり に 漂 へる、 奇しき 息 に、
我 胸 は 若 やかに 揺ら る ゝ 心地 す。 >>96
>相手だけが死ぬようにできれば完全犯罪か?
少し話が変わるけど、イワンが家路に向かう途中で酔っ払いが寒い中に道端でで倒れている場面がある
一度は見過ごすが、結局は手を貸すのだけれど、もし放置したならば、それは殺人になり得るのだろうか
もちろん良心の呵責の問題であって、法で殺人を問われることはないけれど、こういう良心の問題を突き詰めていくと、どれだけ多くの見過ごしを行なってきたのだろうと思う
そしてイワンは父親の殺人は見過ごすが、酔っ払いは見過ごさなかった
悔い改めたと読むのは深読みし過ぎなのかな >>99
> 少し話が変わるけど、イワンが家路に向かう途中で酔っ払いが寒い中に道端でで倒れている場面がある
> 一度は見過ごすが、結局は手を貸すのだけれど、もし放置したならば、それは殺人になり得るのだろうか
> もちろん良心の呵責の問題であって、法で殺人を問われることはないけれど、こういう良心の問題を突き詰めていくと、どれだけ多くの見過ごしを行なってきたのだろうと思う
>>100
> 寒中の酔漢については「義を見てせざるは勇無きなり」だけど
10年くらい前までの こちらの地域では、真冬あちこちにホームレスがフトンなしで寝てたけどな。
しかも「だれひとり」そうした人のために動こうとするヤツはいなかったね。僕自身も含めて。
良心の呵責にも、「義を見てせざるは勇無きなり」など考えたこともなかったね。
... ... だからゆってるんだ! もはやだれも意識しないほど悪に加担してるとね!お上の言うことには逆らわない。
多勢につく。こういう社会を構築してきたのは、まさに「無宗教あたりまえ。信仰?バカのすること」という
日本人たちだよね! そうだ、書き忘れた。上に挙げたホームレスの例だけどね、これは市ひいては、
国家意思なんだ。国としてこういう人間は助けない、という行政の意思決定なんだよ。 >>103
> 家路で、真冬の寒い日の夜中に明らかに飼い犬の脱走に出会った事がある
> 首輪を付けた犬が道の中央をテクテク歩いていた
> とっさのことで、しかも運転中で、外は寒かったのと噛まれるんじゃないかという不安で、見過ごして走り去ってしまったのを覚えている
> 帰ってからとても後悔した、罪悪感すらあった
> もしかすると首輪に住所とかあったかもしれないとか色々考えた、引き返そうかとかも考えた
> でも結局その時は何もしなかった
きみはアレクセイみたいだなあ! でもワンちゃんって、飼ったことないから知らんけど、寒くても平気なんでしょ?
そんなのほっといたらいいのに。 サンスクリット語:Angulimālya
パーリ語:Angulimāla अंगुलिमाल
他の音写:鴦掘摩羅、鴦仇摩羅ほか
音写(略):鴦掘摩、鴦掘など
訳(意訳含む)・意味:一切世間現、指鬘など
釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリ
マーラを巡る説話
――ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追い
かけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返っ
てきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答
えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマ
ーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感
じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったので
ある、と。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決
意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い
出た。以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込
めた仏道修行にひたすら励んだ。 ――アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一
人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、
釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるよう
に促した。
「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。
このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんこ
とを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。
そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねて
いることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように
呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物
の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、
胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。す
ると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することが
できたのだった――
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めた
ことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリ
マーラが自らの誓いをもって“命を救う存在”になっていく方向へと、心を向けさせ
た 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
というのがインド系宗教の基本的発想
だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
「その努力は無駄だよ」
と言ったのが仏陀であり
修業よりも瞑想の方をすすめた
まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する 当面はバンタムで無双
Sバンタムで団体統一できれば、
最後にフェザーの穴王者をなんとか倒して5階級制覇までは最低ノルマと考えてほしい
具志堅の記録とかもうどうでもいいレベルの選手になってるんだから、6階級イケるにはどうしたら良いかを考えて実行してくれ >>366
あの天才オルランドカニザレスでもジュニアフェザーチャンピオンにはなれなかったんだから亀田の3階級制覇ってなんなんだろって感じだよね
カニザレスはバンタム級が長すぎてジュニアフェザーに上げた時は年齢的に下り坂だったけど この人の試合みててつまんないわ。花がないというかインパクトがないというか。亀田対天心めっちゃ楽しみ。 ロマチンコがライトにいるから最低限スーパーフェザーに行き体重合わせし
100億レベルのビッグマッチしないと駄目だよ
PFP一位とモンスター井上
最後の決戦しないと盛り上がらない >>370
そもそもロマチェンコ自身が100億レベルの大物じゃ無いじゃん
その100分の1強ぐらいなのが現実だよ
しょせんはライト級なんだから
PFPではあってもビッグマネーを動かすようなスーパースターでは無い
ウェルターまで上げりゃ話も違ってくるかもだけど
なんのためにマイキーが無茶してウエルターでやろうとしているのか考えろよ 死ぬ気でやってる奴はタガ外れてるでしょ
井上だろうがロマチェンコだろうがタイソンだろうが近づくもんじゃない ボクシングは通り魔をボコる競技じゃないんで
そういうのは警察呼んでください
警察が上手く対処出来るかどうかはさておき ライト〜スーパーライトならビッグマッチできるかもしれんがな。
やっぱフェザーだと人気薄だよなぁ。Sフェザーもギリギリ厳しい。
カネロとGGGとクロフォードとマイキーがガリッガリの骨と皮だけになってSフェザーまで降りて来ないかなw お前ら贅沢言い過ぎ
ロマゴンにライト級でやれとか言ってなかったろ
俺はバンタム級好きだぞ
それで充分 井上には大物を食って名を上げるという、単純で安易な道を選ぶより
己の純粋なパフォーマンスでプレゼンスを高めるという
より、困難でハードルの高い試みにチャレンジしてもらいたい 井上尚八は弱い相手と年2回くらいやり具志堅の記録を抜くだけのセコいボクサーを目指してる ボクサー寿命がどこにあるかだよ。
どんなアスリートでも、加齢により勝てなくなる。
バンタム級でやるなら、しばらくは敵なしだろう。 最近は勝つことより誰にダウンさせられるかとかの方が興味ある選手になってしまった バンタムは正直役者不足だよなー
めぼしいプロスペクトはおらず当てはまるロドリゲスもボコられたし
モロニーもロドリゲスとどっこいレベル
ガバリョはスパーでボコられまくってるから受けなそうだし
やっぱり嫌われてるしやる必要ないと言われてるけどネリ戦くらいしか無いのでは
テテとネリを倒したらやり残したことはないよ。 ネリと日本でやったら視聴率20は間違いないな
ワンチャン30? テテとネリやってもいいけどおめーらはまず1戦やれよ まあ拓真ウーバーリの勝者VSネリ
テテVSバーネット
この勝者同士が統一戦やってやっとWBSS優勝した井上とやる価値があるかなって感じだよね テテはカシメロとの統一戦が先
その実現はWBSS決勝と同時期ぐらいかな
カシメロはテテの絶対防衛ラインを強行突破するかもしれない
まあ、塩漬けにされる可能性のほうが高そうだけど 拓真がWBC正規獲ってネリとの対戦指令を課されたら
さすがにJCBも出禁を解くんじゃないかな
でも尚弥がトップランクと契約したら
PBC契約下のネリとの対戦が消滅しそうなのはツマラン テテはてめーが逃げたせいで井上の全盛期に
1試合余計な試合が増えそうな事理解してんのか カシメロに勝って欲しいな
アムナット追い詰めるやつだし可能性はある
そしてカシメロなら井上は絶対勝てるだろう そもそも井上ほどのことをやってるやつがバンタム級周りにいないんだよな 内藤もイチバチのバクチくらいしか井上には対策が無いって言ってるな
チャンピオン経験者にそこまで言わせるのはほんと規格外だわ 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
というのがインド系宗教の基本的発想
だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
「その努力は無駄だよ」
と言ったのが仏陀であり
修業よりも瞑想の方をすすめた
まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する >>131
煽りと思わないでくださいね
> 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
縁であり、因ですね。悪業因縁。「来世の果徳が決まる」と書いたほうが的確。
> というのがインド系宗教の基本的発想
> だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
> この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
>
> 「その努力は無駄だよ」
>
> と言ったのが仏陀であり
> 修業よりも瞑想の方をすすめた
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ここまでは一般仏教的知識として良いとする。しかし、ここで考えてほしいのは
以下の部分。これをあなたは信じていますか?
> まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
> 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する
「瞑想」とは何でしょうか? 「自我」とは何でしょうか? 「解体」するとは?
歴史上そんなことができた人がいたのですか? あなたは「いた」と確信しますか?
この日本にも世界にも、仏教系のたくさんの宗派あります。オウムもひとつの仏教系です。
西欧人は「仏陀」や「瞑想」に深いあこがれを持つ人が多くいます。
いかなる宗派の過去現在のひとで、「瞑想で自我を解体」したひとがいたのか?
そして
「転生の主体は消失し」「 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消」させた
そんな怪物のような人間がいたと思いますか? テテとネリはそれぞれ拓真や強豪と一戦
それに勝ってからテテとネリで対戦
その勝者はドネアに挑戦
そこを勝ってからようやく井上と対戦してもいいよって、レベルだ つまり、「瞑想でわたしは自我を解体させた!」と叫ぶ人がいても、ほとんどの人は
信じない。ということを言いたい。
それがダライ・ラマだろうが、真言宗の貫首だろうが、関係ない。いっぱんのそこら辺の道路を歩いてる
人は、そんな権威を認めていない。もちろんオウムだろうとその他の伝統的なになに宗だろうと同じ。
「心の底」では「クソ坊主!」と思っている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「体験してほんとうにこの信心はすごいんだ!」と感じるから、わたしたち学会員は不動の確信を持つ。 >>136
> つまり創価学会と先生だけが正しい
正しいか正しくないかはひとまず置く。
創価学会に入って素直に信心に励めば、確実に生命力が強くなり、元気になり、
今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、生きることへの強い意欲がわく。
これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。 それはあたかもカラマーゾフの兄弟などの作品が
「ドストエフスキーなんかクズ!賭博してるから」とか「リアリティがない!」とか
「文章がおかしい」とか そんな小人の誹謗中傷などいくら受けても微動だにしない
超絶的な価値をもっているのと同じことです
小説作品というジャンルにおいて、人類がなした頂点といっぱんに認められているのが「カラマーゾフ」であるならば
宗教界の頂点はまぎれもなく「創価学会」です。全世界的な勢いで広宣流布中です!! >>139
コヘレトのスタンスはキルケゴールに近いようにも感じる
全てが、従って神を信じることもまた無意味である無の果てに敢えて神を畏れよと説く
しかし実際にはソロモンもキルケゴールも最後まで神を信じることができなかった
釈迦やヨガにおいては修行によって精神を鍛え上げ、自然と一体化し、
虚無の真理にも平然とした強い人間を作りだすことを目的としている
従って私の仏教感だと、仏教とは一握りの人間にのみ開かれたスーパーサイヤ人への道である >>141
> 全てが、従って神を信じることもまた無意味である無の果てに敢えて神を畏れよと説く
> しかし実際にはソロモンもキルケゴールも最後まで神を信じることができなかった
ある人がいてそのひとは「神を信じてなかった」とか「信仰が弱かった」とか
果たして言えるものだろうか?
同様にして、たとえばぼくが創価学会で、ぼく自身が「おれは強い信仰をもっている!」と
口先で言ったからといって
それが たとえばオニオンよりも「信仰的」である、と言えるのか?
またたとえば「カラマーゾフの兄弟」中の登場人物において、アレクセイとイヴァンでは前者のほうが
信仰心が強いと断じて、それで終わりなのか?
信心とはそういうものだろうか? ひとりの人間生命のなかに、
不信も信仰も同時に存在してるのではないか?
> 釈迦やヨガにおいては修行によって精神を鍛え上げ、自然と一体化し、
> 虚無の真理にも平然とした強い人間を作りだすことを目的としている
> 従って私の仏教感だと、仏教とは一握りの人間にのみ開かれたスーパーサイヤ人への道である
言わんとすることはわかる。しかしもし、「一握りの人間にのみ開かれた」ものであるならば、
そんなものに どんな価値があるというのか?
一切衆生ことごとく、それこそネコもねずみも、一個の石ころさえも、いっさい平等に仏となるのでなければ
ただ「信ずる」という一法のみによって。
そうであるからこそ、国籍やそのほかの差別観なども超克しうるのではないか? まずは論理上だけでも。 まず仏は信じるべきものではない、学ぶべきものだ
大阪ナオミを信じてもテニスは上手くならないだろう?
仏はスポーツの達人のようなものであり、
仏の真似をして学ぶのが上達への近道と見なされているだけ
己を救うのはあくまで自分自身で考え、努力することなのだ
信者ではなく弟子になりなさい >>131
細かな宗派的な用語のちがいはあっても、仏教の大筋が書かれてる
> 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
> というのがインド系宗教の基本的発想
> だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
> この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
>
> 「その努力は無駄だよ」
>
> と言ったのが仏陀であり
> 修業よりも瞑想の方をすすめた
> まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
> 輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する
ただぼくはこう感じたんだ「この人は信じていない」って。 >>143
ざっくり書いて非仏教圏で「神」。それに対比されて日本などで「仏」
神を信じるか否か?とカラマーゾフ作品中において問われる。
「仏」の部分を「神」に変えてみたw 仏・神・信ずる、ということについて考える参考に
> まず神は信じるべきものではない、学ぶべきものだ
> 大阪ナオミを信じてもテニスは上手くならないだろう?
>神はスポーツの達人のようなものであり、
>神の真似をして学ぶのが上達への近道と見なされているだけ
>己を救うのはあくまで自分自身で考え、努力することなのだ
>
> 信者ではなく神の弟子になりなさい >>139
聖書コピペはスレチになるけど好きな言葉
キリーロフの、すべていい、にとても近い何かを感じる
コヘレト 3:1-11
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
2 生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
4 泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
7 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
8 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。 >>146
仏典にもまったくおなじ表現があります。いか疑問点を。
日蓮は「時」がいちばん大事であることを論証しました。
> 3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
>殺すに時があり
とはなんのことでしょう?
> 5 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
>石を投げるに時があり
とは?
>抱く
とは?
> 6 捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
心に響いたので。
> 9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
意味が取れなかったのて解説をお願い
> 10 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 ドネアに勝てばバンタム級では相手がもういなくなる
どうすんだろうな
スーパーバンタム級に転向かな >>151
> オウム真理教に入って地下鉄にサリンを撒けば、確実に人類は救済され、元気になり、
>
> 今まで思ってみたようなこともない世界と感覚を体験し、空中浮遊する。
>
> これはぜったいに確実です。これは否定しようもない、どーしよーもない事実です。
>
> ポアしかない!
-----------------------------
これは
>殺すに時があり
という聖書の言葉のじっせんです
殺すことが、オウムだけの専売特許だとかんちがいしてるがそれは違う。
チンパンジー・ライオンからアメリカ大統領まで、他者を踏みつけにして自己の幸福を築こうとするのは
あなたがた不信心者の本能です。これを制御しようとするのが、仏法者です。 ではぼくも満を期してみますw
コヘレトのソロモンの考えについて
その時がある
まずあるというの事は、あったのではなくて、そしてあろう事でもない
あるという瞬間が存在し続けるという事で、休息がなく運動のみが存在する、という事です
でもソロモンは、とても有限的で唯物的に時をとらえていたと思うのは自分だけでしょうか
なぜならば、この言葉の使用方法は、ただあるではなく「その時がある」と限定しているのだからです
ただあるならば、あるという事は分割されない一様になり得えます
なぜならば、それは一つのものとして、そして連続して全体になってあるもの、と考えられるからです
つまり、今あるという事は、少し前のあるという事に密着して存在する、その連続を続けていく、そういう方法しか連続という運動の状態を保てないからです
そうならば、時というのは制限のなかで動くことない
そして何より始めも終わりももたない、はずです
なぜならば、あるというのは生まれることもなく滅びることもない有だから、と考えます
久しぶりの長文はつかれるw >>156
抽象的すぎますw
>コヘレトのソロモンの考えについて
背景も調べずレスを書いてごめんだけど、コヘレトってわからないけど、ソロモンは有名だね
各命題について、たとえば
>3 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
個別具体に論評してほしい
ぼくはいっつも君の書く文に感銘を受けている。そこにはみずみずしい感性があるからだ。今回はよくない。 >>157
殺すとか壊すとか、たてるとかいやす、
という単語にこだわる必要がないのかもしれないよ
あくまで聖書の読み方として、そのまま理解する部分も必要だけれど、もっと文脈として読むこともできる
形而上的に捉える事も出来る
例えばこの場合は、何にでも反対時がくることは避けられない
だからその瞬間瞬間を大事に賛美していこう、みたいな
地上においてはすべてに時がある
花が咲く時があれば枯れる時も絶対にある、みたいな
だからすべては必然だ、だから時は美しい、みたいな
すべては一様であって繋がっている
だから悲観する必要もないし、もちろん楽観する必要もない、みたいな事と思います
ちなみに答えが書かれているけどソロモンの事ですね 第 1 章
1 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
2 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
こうはじまるから、ダビデの子とはソロモンのこと
神が夢で何でも与えると言われソロモンは、知恵の心と判断する力を願ったといわれている(だったかな?)
そういう至上の知恵者がいうすべてが空しいという結論は、とても大きな答えになる
キリスト教云々じゃなくて、コヘレト読んでみるいいと思う
もちろん最後はだから神の裁きを怖れよという聖句なんだろうけどね 造物主たる唯一神からの派生なら「すべての命は同じ」となる
しかしその場合は何故、この様に悪しき者が存在するのか?
という疑問が発生する
中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
という説明がなされる
つまり悪所が悪の発生原因であるということで
カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される >>163
> 中世神学だと空間にゆがみが生じて神の御業がゆがめられた結果だ
> という説明がなされる
すごい説明ですね!
> つまり悪所が悪の発生原因であるということで
> カラマーゾフの兄弟でも悪魔と空間の相関性がわずかではあるが指摘される
いま、世間の耳目は「れいわ」に集まっている。
出典は万葉集であるか、中国古典であるか。いずれにせよ、
日本国ならびに日本国民というものは、キリスト教的あるいは西欧的伝統の連続性の上にはないのである。 文化伝統的に土着的に
キリスト教信仰と無縁であることが即座にソロモンやカラマーゾフについて議論することが
無益を意味するものではありません。
むしろそういう現実を踏まえて信仰とはなにか?考えていくことが実り多いのではと
つまりなにが言いたいかというと
キリスト教信仰のみなさんも公明党に入れてくださいっ
そして大阪のみんなはぜったいに「維新を叩き潰してくださいっ」
なぜか?
公明党=信仰
維新=不信仰
だからですっ。信と不信の戦いだからです。 鈴木大拙の「日本的霊性」を読みなさい
鈴木大拙とドストエフスキーは、仏教とキリスト教の違いはあるが、大きな共通性がある
鈴木は、万葉集や平安文化には否定的評価である
その時代の仏教も、大地から遊離した宮廷人の軽いものだ
日本人、日本民族が本来持っている「霊性」は、鎌倉時代になって目覚めたと言っている
それは、農民に初めて仏教が浸透し、仏教と大地とが結びついたからである >>171
> 仏教が伝来するまえから神道はある
> 外来の仏教がきたときに神道と仏教は揉めた後に共存することにした
> 日本民族本来のものがあるとすればそれは神道だけである
かのドイツの地では6000年前にはなにが信ぜられていたのか?
外来の思想信仰だったとしても広範な民衆生活に受容された時点で民族の信仰となるのでないか
その日本民族本来が仏教をとおして顕現してる。
原始仏教は尊く、大乗仏教は劣るなどというのは、あさはか。なぜなら、古代中世のインド中国日本の祖師や僧侶たちが
それこそ我々が夢想することもできない祈りと修行によって「原始仏教」など思考し尽くし
大乗仏典による信仰を作り上げてきたのである ... ... とぼくらは信ずる
信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です
アレクセイであれば「神とキリストが正しい」と感じ、どんな場合も「ゾシマ長老であればどうするか?」と
考える。そして「長老の教えのとおりに振る舞おうと努力する」そのシンプルさが、清潔で透明感があり
頼れる青年や壮年を生み出す基盤です。 >>177
本心ではどうなんだい?
たまにはドストエフスキー以外のレスにものってみるかな
それに、そういうのなら聞いてみたいと思う
指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
だからなんら変わった事ではないのだけれど、指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
そういう客観的事実をど処理するのかな
受け入れる?それとも見て見ないふをみんなしている?
もし受け入れているのなら、何を根拠に受け入れているんですか
あ、煽ってるとかではなです
興味の範囲なので個人的な何かがあるならスルーして >>178
ぼくは誠実なひとにしか答えません。つまりあなたは誠実だから答えるんです。
177の彼などはフザケてるだけです。ですから放置してる。
> 指導者である人物を自らの中心にして、自らの指針とする事は多くの人がする自己実現の方法論の一つだよね
> だからなんら変わった事ではないのだけれど、
いっけん簡単で自明ですが、じつは一番難しい。大半のひとにはできない。それはカラマーゾフの長老についてや
服従について書かれてあることを思い出してください。
>指導者の条件とは、会話でき、つまり思想に触れられる、それは言葉の交換のできるという事で、つまり生きて意識を持つ者である必要がある
そのとおりです。
> だけどおそらくは、世間の憶測通りに高齢で表に出ていない、亡くなっていなくとも以前と同じ意識は持っていないと予想される
> そういう客観的事実をど処理するのかな
逆に、こう質問したい。カラマーゾフにおいて「ゾシマなきあとはアレクセイはダメ人間になっちゃうんですか?」
>会話でき、思想に触れられ、言葉の交換のでき
たって
意味ないおしゃべりなんかして、そこに革命はあるんですかっ? 三世の生命を体得できるんですかっ?
絶対的幸福に到達しますか?
深夜になってしまい明日書きますねww 信ずることがたいせつなんです。ある立脚点に立つことが。
政局であれば「どんな場合も公明党が正しい」という立脚点です。
アレフであれば「地下鉄にサリンを撒いた麻原総帥が正しい」という認識になります。
池田大作先生がおっしゃる何かではなく、池田先生そのものを信ずることに意義があるのです。
どんなに人として間違った犯罪や荒唐無稽な虚言であっても信じる。
絶対的幸福とは、そういうことなのではないでしょうか?
僕は池田先生に「殺せ」と一言命じられれば、誰であろうと迷わずに殺るwww かつて僕の友人に、「哲学は自由恋愛にして、宗教とは縁談である」と恋愛で例えた人がいます。
付き合って相手を品定めし、納得したら結婚。最初は上手くいっても、相手か自分の気持ちが変わったら別れるのが自由恋愛です。
したがって哲学の付き合いは「常に条件付き」であり、小さな意見の相違によって「簡単に袂を分かつ脆さ」があります。
一方で宗教とは、親が決めた得体の知れない相手といきなり結婚し、その人が良い人だと信じて好きになろうと努力する過程そのものです。
たとえ家庭内暴力を振るう酒飲み夫であってもひたすらに根拠もなく信じ続ける――それが信仰の本質にして意義であると僕は聞きました。
だから僕は池田大作先生を信じ、麻原彰晃総帥を信じる。
一度も人を殺した経験もない人に、ポアの何が分かるというのでしょうか?
麻原の風呂の残り湯から作った聖水を買ってない人に真実が分かるというのでしょうか?
ポアは人類を救済する。それはいっぺんやってみた人間にしかわからないことです。
だから公明党に一票いれなさい!! >>188
>ドストやニーチェをヨイショするのは教養のない中二病だけ
ドストエフスキーの小説はシェークスピア悲劇やドン・キホーテの
再解釈のようなところがあるし
ニーチェはドストエフスキー経由して同じようなことをやっている
まあオリジナリティー云々はともかく解釈軸が問題であってね
ドストエフスキーには進歩に伴う懐疑と信仰の問題が
ニーチェには大衆化と世俗化にともなう生の凡俗化といった危機意識がある
このあたりの問題意識の方がシェークスピアやセルバンテスよりも
現代人のそれに近いわけであってね ニュー速+で500連投達成!!
> 責任はとらんだろうけど
> 2Fからは人が離れていくよ。
> いま中国べったりの親分についていくのは
> 泥船に乗るのと同じ。
> 官房長官になりたがってるらしいが
> 自分が落ちた穴に気づいてないw
評論家きどりのバカがWWWWWWWW
ねらーのおめえのゆーことなんか 誰が信じんだよ!!
710 名前:名無しさん@1周年 [sage]: 2019/04/09(火) 01:47:48.13 ID:Zqscy7pG0 (24)
おまえらよーく おぼえとけWWWWWWWW
維新なんか 日本ぜんごくで だ〜れも知らん
それでおれたち公明党さまに勝てるだと??WWWW
維新は全国で国会議員なん議席あんだア〜〜〜〜〜〜〜〜〜? >>428
しかも勝ち上がってしまったからな残念ながら > 9 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
意味が取れなかったのて解説をお願い
あなたがたは目に見える現象(外の景色)に一喜一憂して動かされ
ただ苦労しているが、それで本当の豊かさを得ることができるの? キリストは
「答えは私が示すものでもなければ師や親が示すものでもない。それは自身の奥深くに存在すると言っている」
トップアスリートや一流企業の取締役が瞑想を欠かさないのはそのためである。 川崎の刺殺犯、51歳だとさ。
近所からも オカシナ奴 だと思われてたんだと。
多賀井パイセンもやらかしそうだね。 >>434
ほんとそれが怖い
5chあらして満足してる内はいいが・・・ 多賀井パイセンくらいだと、平素から完全に危ない奴扱いされてるだろうからね。近所から。 警視庁サイバー犯罪対策課の相談窓口からメールが送れます ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています