不死がないならもはや生きていけなくなる、これはトルストイも似たようなことを言ってる
死ぬこと自覚した時、生の付属は意味を失う
なぜなら、すべて例外なく誰もが、死ななければならなだから

やがて死すべき存在であるという事実に直面した時、挫折・絶望し、いかなる幸福も光を失う。──「死の竜と、私の生命の綱である灌木の幹をかじる鼠とを見ると同時に、いかなる蜜の甘さも私には甘美でありえなくなったのである」(トルストイ『懺悔』)