…承前


大阪、キンシャサでそれぞれ起こった奇跡的なタイトル奪取は、悲壮なアイコン性を帯びてきたこの道化師たちに身を切らせて勝利を戴冠した。
だが辰吉のその後、アリの現在を見ればわかる通り、アスリートとしてのピークはとっくに過ぎてからのドラマだった。

地球総人口におけるアリへの注目度、日本総人口における辰吉への贔屓は、観客の属性があらわれている。
ボクシングを強さだけのインジケーターで見るとすれば中期以降のアリや辰吉は傑出した王者アスリートとは言えないが
背負っているもの、観客を引きつけて満たす劇場性、自己プロデュース能力の点では他の同時代同種目アスリートとは次元が違った。
その言動を受け入れ、愛し、批判しながらも無視できず引きつけられ続けた大衆は、自分が生きた時代とそのアイコンとの相関性を生涯愛する。

その点で、スレタイの試合は、日本のボクシング史では70年代の輪島×柳-Aに匹敵するバウトとして歴史に残った。
アリや辰吉にとってこの試合がなかったら伝説にはなりえなかった、まさに身を切って得た生涯の価値でもある。

80年代のベストバウト浜田×アルレドンド@には拳闘史としての価値はあっても、大衆にとっての物語性、伏線がなかった。
00年代における畑山×坂本戦や亀田興毅×内藤戦には物語性はあったが、辰吉における薬師寺戦の次元の価値しか残していない。