>>385
僕は嫌いな人参を食べられた。

「られ」が可能だとしたら、可能は「〜ことができる」と言い換えられる。
「人参を食べられた」は「人参を食べることができた」と言い換えられるから、ここでの「られ」は可能だとわかる。

僕はお金を盗まれた。

「れ」が可能だとしたら、「盗まれた」は「盗むことができた」と言い換えられる。
が、「僕はお金を盗むことができた」だと意味が変わってしまう。

よってこの「れ」は可能ではない。


>>386
動作主が書かれていないだけで、「誰かに」盗まれたことはわかるな。
書かれていなくとも(省略されていても)「〜に」「〜から」として意味が通るならそれは受け身。
受け身尊敬自発可能の判別とはそういうこと。文語文法を学ぶと、古文では省略されている問題が多いから普通に習う。
https://kou.benesse.co.jp/nigate/japanese/a13j0111.html
僕はお金を(誰かに)盗まれた。
ということ。

乗客が次々と助けられた。
↑「られ」は受け身。
「た」は過去ないし完了だから、これは受け身+過去か、受け身+完了だな。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/229909/meaning/m0u/

動作主が省略されて書かれていなくとも受け身は受け身。
僕はお金を盗まれた。←「僕」が盗んだのではなく、「僕」は盗まれる側。動作の受け手。
乗客が次々と助けられた。←「乗客」が助けたのではなく、「乗客」は助けられる側。

灯火には点滅も含まれ得る。←「点滅」が何かを含むのではなく、「点滅」は含まれる側。