箱根駅伝のアンカーだった石川拓真について例の2年前の、彼が成した疾走に関して、1万メートル持ちタイムは同一部内に、石川の持ちタイムよりも早い選手はざらにいたのだが箱根駅伝史上誰より、此の岸の孤独苦悩の立脚点から、更に向こう岸へ疾走を夢に真剣に祈り且つそれを唯一彼が成し遂げた。彼以外の他のコマがもしあてがわれたからといって、誰も、疾走し、孤独の一本道を駆け抜けることはムリ。当初の先頭創価の小野寺選手につけられた3分19秒差、内心心を、「所詮ホントは元々ウチらに言わせりゃただの箱根駅伝っしょ」などと、器用にズルく使い分けテキトーに流して走ったなら絶対追い抜くことはムリ。孤独なニヒリズムの一本道を彼だったから、誰より真面目に走り新たな地平線を鋭利かつ繊細に突き抜けたのに、その恩を数々の他人が「別に」などと内心クールに乙にかまえ無視して寧ろ小馬鹿にしてみせ、恩を単なる仇で裏切りかえしとすると、性格の陰険ズルがしこさは、罪が軽くなどありえなかった事だろうか?