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マラソン日本最強は瀬古か中山である
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0404ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 12:12:04.93ID:jDD+sw9A
>>403 モスクワ五輪10000のラスト400は54"04で5000が55"03だから21世紀の
キッカー程ではない。例えばエルゲルージはアテネの5000で51"91だった。
0405ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 12:59:41.66ID:gcX0TwAf
因みに瀬古は5000mで日本記録を作った時56"54で80年に10000の日本記録を
作った時は57"くらいだったと思う。
0406ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 14:56:16.10ID:Mmpzbr8c
イフターのモスクワ五輪のスプリントは凄かったけど、確かにラスト400は、そのくらい
掛かっていた。
0407ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 20:00:20.56ID:VkpYWCWn
瀬古が80年のDNガランで27‘43“44の日本記録を出した時のラスト1周は57”2。
0.01秒刻みのラストは最後の1周のトップが通過してからトップがゴールするまでの
時間なので鐘が鳴った後に抜いて優勝した場合には誤差がある。
0408ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 21:55:00.70ID:JdYwtC+S
クレイアーロン竜波に将来1万を走らせてみたい
0410ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/20(火) 22:23:54.00ID:VkpYWCWn
2014年に廃止検討された種目だけに今の高校生がシニアになる頃には50km競歩の様に
廃止される危険性がある。そうでなくても日本選手権の期間外種目としてひどい扱い
の上にアジア大会ですら勝負にならないので派遣が見送られるマイナー種目をわざわざ
やらないだろう。クレイアーロンにはマイラーとして名を馳せて欲しい。
0411ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/22(木) 03:20:03.60ID:yXTtob1D
クレイアーロンはアウィータの雰囲気を感じる
0413ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/22(木) 10:08:49.31ID:zwE69sCY
因みにちょっと古い(1954)が、マイル4分の壁を初めて破ったロジャー・バニスターのレース
https://www.youtube.com/watch?v=wTXoTnp_5sI
0414ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/23(金) 04:32:04.27ID:uqAldHTT
どんなに厚い記録の壁でも1度破る選手が出ると後に続く選手が次々に現れる。
短距離もマラソンもフィールド競技も例外ではない。
0415ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/23(金) 21:11:25.98ID:Yazaqocf
>>414
しかし陸上の記録の伸びは飽和しており、世界記録の多くは古いものである。男子中長距離も
例外ではなく、順調に記録が更新されているマラソンを除くと、1500が21年、1マイルが
20年、5000が15年、100000が14年も世界記録が更新されておらず、これらは世界記録が公認
される様になってから何も最長のインターバルである。殊にレース数が減っている10000では
記録更新のチャンスが少なく、これで打ち止めになっても驚かない。
0416ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/23(金) 21:41:03.12ID:aXLX0zJP
コーメンの3000mと2マイルの世界記録も23年程破られていない。
1マイル4分の壁は1度破られると次々と破る選手が続出したが2マイル
8分の壁を破ったのはコーメンのみ。
0417ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/24(土) 03:17:51.87ID:0jc5lBlw
20歳から22歳にあたる96年から98年にかけてインドア2種目を含めて3種目(3000,2マイル,,
5000)で6個の世界新を出し、未だに2マイルと3000の世界記録保持者であるダニエル・コーメン
は1978年(21歳)に81日間に4つ(3000,3000障害、5000,10000)の世界新を出したヘンリー・ロノの
再来を思わせた。コーメンは97年の世界選手権金は取ったものの、アトランタ、シドニー
両五輪の代表を逃した。ロノもモントリオール、モスクワはケニアのボイコットもあり、
代表にはなれず、81年に自ら5000の記録を更新したものの78年の様な輝きは2度と戻らなかった。
コーメンの低迷の原因は大金と名声が手に入って、尊大化しコーチからも独立し、真剣に
競技に向き合わなかった事が原因の様だが、彼はそれなりに幸せな余生を送っている。
一方、ロノは良く知られている様に後年アル中に苦しみ無一文になって施設に入った事も
あった。現在は立ち直って高校のコーチをしているが名ランナーに相応しい余生とは言い難い。
0419ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/24(土) 09:38:52.91ID:oKcnMc0I
>>417
シドニー五輪の5000mに出てよい結果を残していれば更に富と名声を
手に入れることが出来たのに勿体無い。ゲブとの世界新合戦は本当に
熱かったよ。
0420ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/24(土) 21:28:36.25ID:0jc5lBlw
コーメンの世界選手権(97)を見るとラスト勝負のキッカーではなく、中盤で不条理と
言える程のペースアップをするタイプの様だ。
https://m.youtube.com/watch?v=b6NEEFcd-1E
例えばこのレースでは3000辺りの2周ではラスト並の58秒とか59秒で走って他の選手を
振り落としている。コーメンと5000の世界記録を交互に更新していたゲブレシラシエは
世界大会では93年を除き10000に専念してコーメンとの対決はなかった。この年は10000
の世界記録を代わる代わる更新していたテルガト、ヒソウとの3強対決だったが、ラスト
600辺りで抜け出し楽勝。シドニー五輪ではラスト200での壮絶なレストスパート合戦で
テルガトを胸の差で交わした。シドニーまでのゲブは、大レースの10000でほぼ無敗だったが、
大レースでのコーメンとの対決がなかったのが惜しまれる。テルガトはあれだけ強かったが
シルバーメダルコレクターになってしまった。
0422ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/24(土) 22:36:16.38ID:0jc5lBlw
全盛期のゲブレシラシエとコーメンの直接対決(テルガトは3位)だった97年のGPチューリヒ
。この時、ゲブレシラシエは世界新。コーメンもケニア新の世界歴代2位。5位のバウマンも
ヨーロッパ新。コーメンがレースを主導したが、ラストの切れ味はゲブが上というのが分かる
好レース。
https://m.youtube.com/watch?v=8TrkL8OqxJU
0423ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 08:46:42.12ID:GrG7BWjm
このスレは追いかけるのが大変だ(笑)
ほとんど見たことがない映像で、ありがたい。
0424ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 09:34:16.68ID:aftTLwxR
シドニー五輪10000の映像には映っていないが高岡が自己新(日本歴代2位)の記録で7位
入賞を果たした。100000の入賞は史上4人目(村社、円谷、金井に次ぐ)で、今後現れそうも
ない快挙である。
スター選手が10000に集中したため、優勝タイムが13‘35“も切れない凡タイムでウォルデ
が優勝。おまけに2位でゴールした本命だったサンディ・シェフがドーピングで失格という
締まらないレースになった。(youtubeで検索しても見つからない不人気ぶり)。しかし、この
レースで戦後唯一かつ64年ぶりの決勝進出を高岡が果たした事は人知れない快挙と言って
おきたい。予選記録は13’30”を切っており優勝タイムより良く、決勝では14位と言え、優勝者
との差はわずか11秒程であった。
0425ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 12:18:26.68ID:h69EnQKq
>>422
コーメンはその敗北から僅か9日後3000mに出場予定だったのを急遽5000m
に変更させて見事世界新を出しました。この大会はテルガトも10000mで世界新
だったりしてすごかった。
0426ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 16:15:37.40ID:aftTLwxR
>>424
シドニー五輪の10000mは
https://m.youtube.com/watch?v=b9aSVLV_tOw
の方が前半から鑑賞可能で、高岡の活躍もある程度分かる。彼は7200迄集団に付いて
周回63秒台に上がった7600には遅れた。
0427ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 16:19:24.71ID:qucyzitt
トラックで入賞した高岡はやっぱり凄い人。
アテネでマラソンで出て欲しかったなあ。。。。。
マラソンでも結果は出ているけれども。伊藤国光にやっぱり、どこか似ていた。
0428ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/25(日) 17:17:56.03ID:WMy9BZfK
コーメンの3000mの世界記録って
あれはほんとに不滅の記録だろうな。
エルゲルージでさえ何度か挑んでダメだったし。
0429ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/26(月) 05:41:42.03ID:OjbwogAF
御意
0430ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/26(月) 09:46:14.14ID:DbTIyJHJ
コーメンの記録として3000mのレベルが高いのは同意だが、より不朽の記録になりそう
なのは2マイル走の7'58"61である。実際
1.実施回数が少なそう。英連邦のケニア選手はともかくエチオピア選手の参加が余り
期待できない。
2.記録価値は2マイルの方が上。100m当たりに換算すると3000の記録は15"02だが、
2マイルは218m以上長いにも拘わらず14"87.
3.何しろロジャー・バニスターの記録の倍より速く、1マイル日本記録3'58"89の倍
から僅か0"83遅れ。
4.歴代2位に2"47差をつけてぶっちぎり。史上8分を切ったのはコーメンのみ。
ゲブレシラシエ(歴代2位)、ファラー(歴代3位)、ベケレ(歴代5位)も遠く及ばない。

以上から異常にレベルの高い2マイルの世界記録が窺い知れる。
0431ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/26(月) 19:41:40.22ID:kh6Tb8Mk
>>430
割り算間違えてないか?3000mの方は14秒69くらいだが。
0432ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/26(月) 22:04:59.90ID:3+MMQ7FC
そうですね。割り算を間違えています。失礼。
0433ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 00:01:54.66ID:0VaYfy0z
瀬古の2度目の優勝の翌年の1988年のボストンマラソン
https://m.youtube.com/watch?v=otleVsck-Co
は歴史的に重要なマラソンである。謂わば87年は旧世代最後のマラソンであり、
この年初めてアフリカ人の覇者が出た。それだけでなくこの年以降、ボストンの
殆どの優勝者がアフリカ人である事が雄弁に歴史の転換を物語っている。

このレースの覇者であるイブラヒム・フセイン自身も前年のNYCの優勝よりも
このレースの優勝の意義をより強調している。フセイン自身はこの年を含めて
ボストンを3度優勝する等の活躍をしたが、優勝候補の一角に挙げられたソウルでは
途中棄権だった。強調すべきは彼がケニアで初めての名の通ったプロランナーであり、
それまでレースが少なく稼ぎが難しいと参入を躊躇したケニア人の後輩を刺激した点では
世界チャンピオンでかつ五輪銀のダグラス・ワキウリ凌ぐ程の影響があった。以降、
ケニア人マラソンランナーが席巻する。

因みにこのレースの2位がイカンガーであるのは言うまでもないが、3位がロス銀の
トレーシー、4位に欧州チャンピオンでソウルを制するボルディンが入っている。
日本勢は10位に谷口、12位に喜多が入っている。
0434ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 16:48:05.85ID:rfcbwnqM
ボストンマラソンの勝者一覧
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_winners_of_the_Boston_Marathon
1988年以降はほぼケニア、たまにエチオピアの選手が優勝。それ以外はエリトリア
(エチオピアから独立)出身のアメリカ人であるケフレジギ(14)、ボルディン(90)、
李鳳柱(01)、川内優輝(18)のみである。
0435ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 17:50:35.51ID:J3qgsN/2
>>433
谷口伴之ですね。
0436ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 17:53:06.09ID:J3qgsN/2
>>434
瀬古利彦の2勝が燦然と輝いてますね。流石日本史上最強クラスですね。
0438ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 19:56:25.32ID:H+mul9DB
今だと全盛期の瀬古でもケニエチには勝てないだろうが今いる日本勢よりは強いだろうな
とくに瀬古はペースメーカーがいると半端ない記録が出そうだし。
ヴェイパーが瀬古にあうかどうかはわからんけど。
ただ全盛期の中山だとヴェイパーで記録が大幅伸びそうな予感。
0439ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 21:07:21.19ID:0VaYfy0z
>>435 はい。アジア大会代表になりながら悲劇的な事故で金井等と共に亡くなった彼です。
>>436 偉大な選手である事は間違いないのですが、瀬古の最後の勝利がゲームの終わり
(アフリカ人のみのゲームの始まり)になっているのは象徴的ですね。
0440ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 22:50:32.07ID:0VaYfy0z
ケニア人がマラソンに参入する前に彼等はダメージが少なく何回も走れて実入りの良かった
トラック競技を主戦場としていた。彼等の力を満天下に知らしめたのはメキシコ五輪で、
1500、10000、3000障害で金、5000で銀を取った。その中心選手は東京五輪の5000で5位に
なり、1965年にはケニア人で初めて世界記録(5000で13‘24“2)を作ったキプチョゲ・ケイノであった。
メキシコでの彼は胆石を患っていたばかりか感染症にかかりまともに走れる状態になく、
ドクターストップもかかっていた。そのせいか最初の10000では前半レースを主導したものの
ゴール手前で苦痛に上体を曲げフィールド方向によろめき出たが、担架を拒み何とかゴール
した。そのレースでケニア史上初の金メダルをもたらしたのは同僚のテムであった。
ケイノは5000でも体調が悪い中、健闘し、ガムージ(チェニジア)との激闘に敗れ銀であった。
https://m.youtube.com/watch?v=_MyrFVbGnIE
ケイノが最も力を入れていたのは最も人気のある種目1500であった。しかしその種目には
前年に世界記録を作り、ケイノに完勝したジム・ライアン(米)がいた。体調不良の中で
ケイノは医師の勧告に従い1500決勝の棄権を決めていたのだが、急に翻意して参加を決めた。
しかしメキシコ市悪名高い渋滞に阻まれて絶対絶命の中、彼はタクシーを降りて走ってスタジアム
に駆けつけて、何とかコールに間に合った。その時のレースが
https://m.youtube.com/watch?v=Q_9AAy7yZTc
である。後輩のジプチョがオーバーペースでペースメーカー役を務めて、メキシコの薄い空気
を警戒したライアンは後方待機作戦を取った。結果的にこの作戦選択の誤りもあり、ケイノは
ライアンに3秒差をつける歴代2位の好記録で圧勝した。
ケイノはミュンヘンでも3000障害で金、1500で銀を取り、ケニア人の尊敬を集めているが、
ライアンは復活したミュンヘンの1500の予選で他選手と脚を絡ませて転倒し、敢え無く予選落ち
となり、憐れを留めた。
0442ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/27(火) 23:42:40.80ID:xrcHTVDy
しかし凄いなあ、このスレ。
なかなか全部映像を見れない(追いつけない)が必ず全部見ますね。
ありがとうございます。
0443ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 00:34:31.96ID:FpvhxVGc
エチオピアはケニアより早くマラソンに進出してローマから五輪三連覇を果たし、ミュンヘンでも
銅を取った。それでもケニアほどマラソン界を席巻するに至らなかったのは、政治的な不安定性
(帝政=>社会主義的軍事独裁政権=>内戦=>不安定な連立政権)と貧困、英語が通じないために
エージェントが入りにくい等様々な理由があろう。彼のマモ・ウォルデも帝政崩壊後にメンギスツ
政権下で逮捕され9年も投獄された程であった。
しかし、アフリカ史上最初の金メダリストであり、五輪二連覇を何れも世界新で飾った
アベベ・ビキラこそ史上最強のマラソンランナーであろう。特にローマでは途中で靴を脱ぎ、
裸足で走った事でも名を馳せた。ローマ五輪の下馬評は世界記録保持者のポポフ(ソ連)が優勝候補
に挙げられていた。涼しい中、20キロでは早くもラジ(モロッコ)とアベベをマギー(NZ)と
ポポフが追う展開になり、暫くするとラジとアベベの一騎打ちになり、その体制は陽が落ち
暗くなった40キロ過ぎ迄続いた。しかし40キロ過ぎのアベベのスパートにラジは付けずゴールでは
25秒もの大差がついた。そのレース映画が
https://m.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
である。
0444ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 03:19:39.64ID:P4v01tQd
YouTubeが世界に拡張したおかげで未見の映像をたくさん見られて嬉しいです。
NHKもせめて国際マラソン選手権くらい保存してほしかった。
0445ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/28(水) 12:48:37.82ID:xaKmD3xc
メキシコ五輪の記録映画
https://www.youtube.com/watch?v=pVsQYRZgb10
10000は1:07辺りから、マラソンは1:30辺りから。マラソンは独立して
https://www.youtube.com/watch?v=c4n_8hpkDEg
にあるが途中がノイズで視れない。余り説明的でないので分かりにくい面が多々あり。

メキシコ五輪マラソンは東京の3000障害の覇者ローランツが途中までリード、
それを10000の金銀コンビのテム、マモ・ウォルデが追う展開。アベベは早々に
棄権。ローランツは途中で大きく遅れ(11位)、テムも大きく遅れ19位に終わる。
途中からマモが独走。後方待機だった君原は次々と選手を抜き、銀。銅は第1回
国際マラソンの覇者ライアン(NZ)。年末の第3回を制するアドッコクスは5位、
世界記録保持者のクレイトンは7位で入賞を逃す。前半先頭で映っていた宇佐美は9位。
佐々木は棄権。
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1968_Summer_Olympics_&;#8211;_Men%27s_marathon
0446ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 13:52:52.92ID:KZqPelZw
改めて凄いことですね。メキシコ五輪にしても、もう50年くらいたっているんですから
はるか昔にあった話。貴重な映像ですね。
0447ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/28(水) 19:26:28.05ID:m18BNUkG
日本マラソン史上7強
男子:瀬古、中山、谷口、森下、藤田、宗茂、君原
女子:高橋、野口、土佐、有森、山口、鈴木、坂本

中でも瀬古、中山、高橋、野口が別格なのは言うまでもない
0448ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/28(水) 20:08:00.43ID:Ujsbf/Rt
キリのいい10強にされてみては?
0449ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 21:05:39.68ID:gyV8EHGZ
>>445
この映画の題名は「太陽のオリンピア」日本語版を小学校の体育館で見ました。
印象に残ったのは走り幅跳びのビーモンの8m90という驚異的な世界新記録の場面。
それとマラソンの最終走者が足を引きずりながらゴールするまでを長時間映していた。
タンザニアのジョン・スティーブン・アグワリという選手だった。
0450ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 21:16:12.35ID:FpvhxVGc
ドーピング疑惑が拭えないにしてもラッセ・ビレンの残した足跡は大きく、五輪では
劇的なレースを行っている。ミュンヘン、モントリオールの4冠のダイジェスト映像は
https://www.youtube.com/watch?v=xFVKBK0eM24
にある。

まずミュンヘンの10000m
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1972_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
映像でも分かる通り12周目にビレンはチェニジアのガムーディと脚を絡ませて転倒して
いる。ガムーディは2周後に棄権したが、ビレンは先頭に追い付くどころか世界新で優勝。
2位のプテマンスも従来のクラークの記録を上回り、3位には8年後に無敵の強さを示した
イフター、5位にマラソンで優勝するショーター、6位に優勝候補でかつ前半をリードした
ベドフォードが入った。ベドフォードは翌年世界新を記録する。

ミュンヘンの5000m
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1972_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_5000_metres
は、ビレンと脚を絡ませて転倒、棄権を余儀なくされたガムーディがビレンに挑んだが
及ばず銀。彼としては4つ目のメダル(東京10000銀、メキシコ5000金、10000銀、ミュンヘン
5000銀)。3位には猛然と追い込んだスチュワートが、途中までビレン等とトップを争い最後
失速したプレフォンテンを交わして銅。彼はアメリカのトップランナーであり続けたが、
1975年にフィンランド-NCAA交流大会で優勝した晩のユージンでのパーティーに参加した後、
ショーターをケニス・ムーア(ミュンヘン4位)の家に連れて行った帰りに自損事故で事故死。
飲酒運転だった。彼の名前はプレフォンテンクラッシックという大会名に残っている。
0451ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/28(水) 21:16:47.58ID:FpvhxVGc
(承前)

モントリオール10000の結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1976_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
にある。このレースは4冠の中で最も楽だった。2位だったカルロス・ロペスは8年後に
ロス五輪のマラソンを制し、世界記録も作った。しかし物議を醸したのはビレンがゴール後に
靴を掲げてウィニングランをしたこと。当時シェアが圧倒的だったアディダスではなく、
世界的には無名だったオニツカ(翌年アシックスに社名変更)だったため、一挙にオニツカ
ブランドが世界に知られるようになった。

モントリオールの5000mの結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1976_Summer_Olympics_&;#8211;_Men%27s_5000_metres
2位のクァックス(NZ)は翌年に世界記録を作る(同じレースで鎌田が日本新)。3位は
ゴールで転倒したヒルデンブランドが僅かにロッド・ディクソン(NZ)を凌いだ。ディクソンは
ミュンヘンの1500で銅、74英連邦の1500で3位ながら世界歴代5位で走り、モントリオールでも
1500の有力候補だったが、同国の優勝候補ウォーカーとの競合を避けて5000に出場し、10中8,9
手にしていたメダルを手に入れ損なった。彼は1983年のNYCマラソンに2:08:59で優勝し、ロス
五輪でもマニアはダークホースに挙げていた。しかし本番は10位。それでも瀬古やサラザールに
先着した。
0453ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/28(水) 23:17:29.95ID:FpvhxVGc
因みにビレンはミュンヘンの5000の4日後にヘルシンキで13’16”4の世界新を出したが、
その6日後にミュンヘンの5000で5位、10000銀のプテマンスが13‘13“0の世界新を出し、
4年間の記録保持者になった。
0454ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 02:42:57.70ID:RbIVvEcx
最近勢いが凄いスレですな
0455ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 03:12:45.27ID:kCwyjX3O
瀬古も中山も所詮穴場の時代で稼いでただけのくせに五輪でメダルも取れなかった敗北者じゃけえ
今おってもたいしたことないじゃろうな
0456ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 09:37:23.73ID:Rq+7ifCV
瀬古・中山最盛期を穴場の時代と言い切ってしまう455氏は、ド素人ということ
だけは良く分かった。
素晴らしい選手が何人もいた時代を・・・・・・・・・・
0457ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 10:42:01.45ID:3zVdgIXi
>>447
現役の選手がいないのは何故?大舞台での実績がないから?
0459ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 17:02:15.09ID:B5WtpY9f
現役の選手は、複数回の活躍が求められる。一発屋では信用されない。
0460ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 18:00:59.76ID:ar4gYa9J
戦後になって5000mで世界で戦えた選手は少なく、それが五輪、世界選手権で決勝に
残った人がシドニーの高岡しかいない事でも分かる。(高岡でも最下位だった)。
 しかし戦後最強の日本人5000mランナーは澤木啓祐である事に異論を挟む人は
いないだろう。実際、Track & Field Newsのランキング
https://trackandfieldnews.com/mens-world-rankings-by-athlete-2/mens-world-5000-rankings-by-athlete/
で年間ベスト10に入ったのは66年(6位)、68年(8位)の澤木のみである。その他にも
65年と67年のユニバーシアードの連覇(67年は10000との2冠)もあり代表的なトラック
ランナーであった。澤木のハイライトはハイライトは1966年の6月22日、ロンドンの
クリスタルパレスで開催した、ロンドン4大学対抗競技会5000mで、当時のトップランナー
のロン・クラーク(オーストラリア)、ガムーディ(チュニジア)等をラストスパートで
振り切り優勝。タイムも年間ランキング4位の13分36秒2(日本新)であった。
この様にラストも切れて勝負の出来る名ランナーであり、68年には5000,10000とも
日本記録を更新し、メキシコ五輪の活躍を大いに期待されたが、メキシコシティーの
酸素の稀薄なコンディションに苦しみ10000m決勝の3000m手前で転倒し、鈴木従道に
も遅れを取る全くの不振で終わり、5000mも全くダメだった。動画もほぼ残っていない
様で残念である。
0461ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 18:22:29.49ID:AdrQnwYJ
>>460
で出たロン・クラークは不世出の大長距離ランナーであり、世界記録を17回(五輪種目では
6回)も更新している。因みに5000,10000の両世界記録を破ったのはビレンである。

彼はメルボルン五輪の聖火ランナーを務めた後、63年に10000の
世界記録を破り、64年の東京五輪の10000
https://www.youtube.com/watch?v=5F5iCsymMj0
では優勝候補筆頭だったがキックのなさで銅メダルに甘んじた。
またマラソンでも序盤をリードし、高速レースを演出し、
アベベの大記録をアシストする形になった(9位でゴール)。
翌年の活躍は素晴らしく、世界で初めて3マイル13分の壁と
10000m28分の壁を破る等11の世界記録の更新があった。
翌年も活躍が続き5000で従来の記録を大幅に更新する素晴らしい
世界記録をマークする等大いに活躍した。その様子は
https://www.youtube.com/watch?v=H1RBZUwHWBU
にダイジェストされている。しかし、絶対的な優勝候補で臨んだ
メキシコ五輪では高地の薄い酸素に苦しみ10000mで6位でゴール
したものの昏倒してしまった。2日後の5000m予選には辛うじて
出場し、決勝で5位になるのがやっとであった。
 しかし平地であってもクラークの様なキックのない選手が金を
取れたかは疑問である。実際、英連邦大会では全盛期の66年を
含めて4つのメダルを取っているが全て銀メダルであった。
また南半球の選手のハンディはあったと思われる。
0462ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 19:47:08.60ID:B5WtpY9f
ロン・クラーク。名前は聞いたことがありました。
0463447
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2019/08/29(木) 19:58:48.60ID:ClgAMMf1
>>452
スレタイに則り「力強さ」または「勝負強さ」で再度選んでみました
どんなもんでしょうか?
>>457
最近の選手だと世界大会でメダルや入賞した中国電力勢他、
ボストンで勝った川内などがいますが、先頭集団から早々と遅れ
後方から着を拾っていくような走りは「強さ」という点ではどうなのでしょうか?

日本マラソン界ベストナイン
瀬古(83東京、87ボストン他多数)
中山(87福岡、五輪2回入賞他多数)
谷口(91東京金、92五輪入賞他)
森下(二回中山に競り勝ち、92五輪銀)
藤田(00福岡他)
宗茂(78別大他)
君原(五輪銀&入賞他)
高岡(02シカゴ他)
宗猛(84五輪他)
0465ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 20:24:02.47ID:3zVdgIXi
森下という人をリアルタイムでは見てないのですが戦績見たら
ある意味最強ですね。五輪以外全勝。五輪にしても銀メダル
獲得。見事勝ち逃げしたって感じですよね。
0466ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 21:21:38.12ID:r5Uc1M0c
森下はベテラン中山に対する新鋭という感じで現われた
中山に対しては全盛期は過ぎていたとはいえ3戦して3勝
逆に中山は森下がいなければ、優勝ー優勝ーオリンピック銅メダルだった
0467ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 21:27:32.31ID:fTbKRCGt
私もこちらの書き込みとっても為になります
10年以上前に立っていた「日本マラソン史上もっとも強いランナーは?」のスレッドを筆頭に
歴史的に読み応えがあるスレが多かったのですが再びこのようなスレに出会えて嬉しいです
以前よりもレース動画を観るのも容易になりましたし…
ありがとうございます
0468ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 21:48:32.74ID:obAwC3UX
1977年のワールドカップは二つの意味で意義深い大会であった。一つには五輪以外で初めて
世界のトップ選手が競う大会であり、もう一つは前年の五輪でボイコットしたアフリカ諸国
とそれ以外の対決によって真の世界一が分かる大会であるためである。特に男子中長距離は
熱い種目が目白押しであった。例えば800は五輪覇者で世界記録保持者のファントレナが
ケニアのボイトの挑戦を辛うじて退けた
https://m.youtube.com/watch?v=_9C2CDZvOOY
レースは見応えがあった。また5000、10000ではイフターが強烈なラストスパートで
2冠。
https://m.youtube.com/watch?v=rY1W-8iPJS4
https://m.youtube.com/watch?v=4KO7Gtvc4uE
以降、79年のワールカップ、80年のモスクワ五輪と同じ様なレースを繰り返し王者として
君臨した。

しかし最も興味深いのは覇者の交代を象徴した1500である。75年に初めてマイル3分50秒
の壁を破り、前年の五輪でも順当に戴冠したウォーカーは77年も圧倒的にランキング1位
であったが、このレースの途中で棄権し、一方で圧勝したオベットはこの年からモスクワ
五輪までマイルと1500で無敗を誇るようになった歴史の転換点になったレースである。
https://m.youtube.com/watch?v=uBw2uRzHASg
皆さんは気が付いている思うが石井隆士も健闘し、長く残った日本新を出している。
0469ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/29(木) 23:47:06.70ID:VsFqzj19
イフターは、ホンマ凄いですわ。ぜひ一度、マラソンを走って欲しかった。
ラストスパートがとにかく感動的。

>>463
この9人は私も全く異論ありません。ベスト10にすると、あと一人誰になるのか、で
ハタと考えてしまいますが・・・・・・・・・・・・・・
0470ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 03:16:47.28ID:7G456c2x
>>468
79年ワールドカップでイフタ―と先頭争いをしていたのはクレーグ・バージンですね。
81年ボストンマラソンで瀬古と激戦を展開して2位になったので印象が強い選手です。
その後は内臓に異常が見つかったようであまり活躍していないようです。
0471ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 12:34:29.97ID:chmt6lwJ
バージンて世界クロカンで優勝したことあったような
0472ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 14:01:35.40ID:A7cM505O
ああ済みません。どうも変だと思ったら10000mは1979年の奴ですね。79年WC10000mの2位は
クレイグ・バージンで81年ボストンマラソンでの瀬古の相手です。79年に10000で27'39"4の
全米新で走り、翌年に史上2人目のサブ27'30"(27'29"16)で走っています。またご指摘の様に
クロスカントリーも強く、世界クロカンで2連覇(80,81)しています。マラソンは4回走って
初マラソンで平凡なタイムで優勝、誰も覚えていないと思いますが(私も熱心に見ていたが
全く記憶にない)79年の福岡で17位になったのが2回目で瀬古と競ったボストンが3回目です。
77年の動画はすぐには見つからない。。。
>>463
古い人が入っていないような。宇佐美は世界歴代3位で走って国際マラソンで優勝し、五輪も
3回出て、69年にも世界歴代4位で走っています。重森は65年にボストンとウィンザーの
世界2大マラソンを制して、おまけに世界記録を出しています。寺澤は63年に世界記録を出し、
その後もそれを上回る記録を複数回出しています。65年にも世界歴代3位で走っています。
藤田の様な一発屋で良いなら川島がメルボルン五輪で5位です。広島庫夫は意外にも
Track & Field Newsの実力ランキングに多数回登場しています。
0473ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 14:03:06.95ID:A7cM505O
因みに全ワールドカップの詳細(記録とレース寸評)は
https://web.archive.org/web/20121026100106/http://www.iaaf.org/mm/document/competitions/competition/05/79/40/20100809103225_httppostedfile_split2010_21818.pdf
にあります。
0474ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 17:46:06.96ID:YnUBf1it
記録よりもいかに世界を相手に戦ったか、が重要ポイントですね。
0475ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 18:09:20.78ID:NjYExmXi
>>474
勿論、円谷や佐々木も忘れてはいけません。
世界と伍していたかどうかという観点を入れると藤田、高岡等の90年代以降の選手は落第ですね。
日本のマラソンは60年代には世界のトップを争っていたので。勿論、アフリカ勢が本格参入
する前なので単純比較は可哀想ですが。
0476ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 19:48:09.88ID:omVi6mmw
すごい為になるスレ。そうそう、じっと昔にあった「日本マラソン史上もっとも強いランナー」を彷彿させる。
川内は拾っていくレースだが言い換えれば粘り強く、十傑なら入るのでは?個人的には円谷も入れたい。
女子は>>452 の選手が接戦かも。渋井を上げたいがもう一歩か?ここに安部、増田、福士も入るとちょっと薄まってしまうか。
0477ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 19:50:44.87ID:pfcHo6Y9
たぶん同じひとたちが書いてるんじゃないの?
自分もそうだけど。
0478ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 23:27:45.74ID:Ydanriob
スティーヴ・オヴェットとセヴァスチャン・コーの2人は中々直接対決がなく、またマスコミも
2人の間に確執があるかのように書き立てたこともあって、2人の直接対決はモスクワ五輪の
最大の目玉だった。オヴェットは77年5月から1500と1マイルで45連勝を続けて、79年には
1500の公認記録を上回る3’32”09で走った。記録面で上を行ったのはコーで79年の41日間に
800で従来の記録を1秒以上破る1’42”33,1マイル3’48”95, 1500 3’32”03の世界新を3つ立て続けに
出している。

実際には彼等の対決は78年の欧州選手権の800mで実現してオヴェットが2位、コーが3位
https://m.youtube.com/watch?v=Tifw-nxWIcw
となっている。この時に接触があり、オヴェットがコーに何事かを語ったようである。

それを踏まえたモスクワ五輪の800、1500は興味深い。大方の予想では800はコー、
1500はオヴェットが有利との事だったが、逆の結果になった点も皮肉である。
https://m.youtube.com/watch?v=HqHXv6Q5eh0
https://m.youtube.com/watch?v=KMz0WZzWWlw
0479ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 01:59:09.36ID:JBytLktd
アベベが裸足で優勝をしたローマ五輪で、モロッコは初参加にもかかわらず既にラジが2位入っていたので、
エチオピア、ケニアに続く中長距離強豪国ってイメージがあったけれど、
その後は80年代のアウィータが出てくるまでは目立った選手はいなかったんですね。
0480ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 03:31:19.76ID:JBytLktd
モスクワ五輪10000mは後半からはエチオピアとフィンランドの2国の選手だけが5名残ってのレースで(バイニオは13位)
フィンランドは血液ドーピングをしていての強さだったので、それも無ければエチオピアが圧勝のあっさりしたレースだったと思うが(最後にマーニンカに抜かされてコツは4位)
ここに不参加だったロノやバージン等が参加をしていたらかなり違ったレース展開だったかもしれない。(マラソンだけれど瀬古のトラックレース参加も見たかった)
動画を見るとマーニンカはこの10000mでも後の5000mでもエチオピアの選手をやたら押し出している。

イフターは名前、年齢も不鮮明な人だったようなので、歳はこの時で(1980年)36才説と44才説がある。
44才でトラック競技2冠ならば空前絶後ですが、マラソンに移行するのも年齢的に遅かったでしょう。その後、83年にはマラソンも走っているが、途中棄権。
モスクワ五輪のイフタースパートも圧巻ですが、全成績を見るとイフターはこの五輪以降は意外にも優勝していない。(Wikipediaには82年まで負け無しとありますが)
ミュンヘンでの10000m3位、5000mは遅刻欠場で、それ以降は「イフタースパート」を獲得して絶対王者となるも、
次のモントリオールが不参加だったので、モスクワまでは何とかグッドコンディションを維持し、8年越しの五輪の舞台でビレンに勝ち2冠達成の雪辱を果たしたので、これで肩の荷が下りたのでは。
数年後にはイフターを始め、この時参加をしたエチオピア選手団の幾人かはカナダに亡命。マモも逃れていたら痛ましい晩年は避けられたと思う。
0482ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:08:56.16ID:JBytLktd
今マラソン現役ではファラーやベケレ、国内では福士などがベテランですが、
ロス五輪のロペスが高齢(37才)金メダリストでは有名で、更にはミュンヘン五輪マラソンで銅メダルを獲得したマモは40才(推定)であった。
調整の為か、マモはこの時10000m予選にも出ている(9位)同じくマラソンを走る宇佐美も出ていて、彼はマモに続いての10位。
https://more.arrs.run/race/30295
しかし、もっと驚くべきことはアベベやマモの親衛隊の先輩にあたるワミ・ビラツ(ブラトとも)はローマ五輪マラソン参加時で43才(推定)であった。(アベベの兄という誤報もあった)
結局この時はローマに発つ直前に原因不明の病気でローマには行けなかったが、翌年のびわ湖毎日マラソンにアベベと共に来日し、44才にしてレース結果もアベベに次いでの2位であった(寺沢は8位)。
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?016
ローマ五輪マラソンで裸足で優勝したアベベは数日前の10000mにも出場していたという話もあったが、これも誤報。マラソンで2位になるラジは走っている。
アベベはスタート時から裸足という説と、途中で靴を脱ぎ捨てたという説がありますが、映像でもちょっと確認し辛いかなあ…。(判別できる方居ますか 笑)
https://www.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
https://more.arrs.run/race/13826
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1960_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
ワミは12人も子孫を残し、現在なんと102才で今も矍鑠とジョグをしているという。
https://borkena.com/2017/01/13/legendary-ethiopian-athlete-wami-biratu-celebrated-100th-birth-day/
https://www.cmdsport.com/running/entrevistas-running/wami-biratu-predecesor-bikila/
0483ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:13:55.13ID:DRa/Btvu
戦績からイフターが73年以降不敗の10000を落とす可能性は低かった様に見える。しかし
5000は絶対王者とまでは言えなかった。
>>468 の動画では77年のワールドカップで好勝負をしているが、負けてもおかしくない
展開だった。結果は生涯自己ベストで歴代3位の13‘13”82で辛勝したけど、この時の2位の
リクオリも全米新で走っている。このリクオリは良く知られたマイラー/1500の選手で
同じ年の直前のチューリヒの大会では優勝、イフターは世界記録保持者のクァクスにも遅れを
取った3位だった。またモスクワ前年にも敗戦があるが、その相手も良く知られたマイラーの
トーマス・ヴェシングハーゲだった。彼はコー、オヴェットが席巻する1500/マイルから
5000に活路を求めて82年の欧州選手権を取ったりしている。イフターを上回る中距離ランナー
のキックはイフターにとっても脅威だった様であるが、幸か不幸か西ドイツはボイコットを
したためモスクワでのヴェシングハーゲとイフターの対決はなかった。
https://www.letsrun.com/forum/flat_read.php?thread=3550274
モスクワでのイフターの相手は世界歴代2位を出したばかりのニャンブイであったが、
寧ろ4位になったコグランの方が脅威だったかもしれない。しかし強敵とまでは言えず
楽勝だった様に見える。
0484ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:38:23.81ID:gASAtp9A
うわあ、凄い読みごたえがあるなあ。まだ全部見て
ないですけど、必ず全部閲覧しますからね。
今後も楽しみに来ます。
0485ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 07:41:33.64ID:DRa/Btvu
>>482
なるほど、僕も誤解していましたが、
https://archive.org/details/olympicmarathon00mart
に基づく
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Abebe_Bikila#CITEREFMartinGynn2000
をの記述を見ると、新しい靴を買って試したところ豆が出来たので、結局裸足で走る事を
決意したとありますね。という事でローマ五輪のレースでは最初から裸足だったのでは
ないでしょうか。ローマ五輪の記録映画で確認出来るのは裸足のアベベのみです。
0487ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:50:28.06ID:JBytLktd
>>485
レスありがとうございます。今、
https://www.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
を見返していたんですが、スタート直後のゼッケン11のアベベを見ましたが、やはり最初っから裸足みたいですね。
「東京オリンピック」の映画の中でもビキラ・アベベと言われていたり、当時はアフリカ大陸からの情報も少なかったと思います。
0489ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 08:41:02.57ID:JBytLktd
ミュンヘン五輪のトラック長距離はビレンよりも同じフィンランドのバータイネンの方が有力と見られていたようだ。
独特の風貌のバータイネンは短中距離からこなしていたようで、五輪前年の自国ヘルシンキでのヨーロッパ選手権での10000mラスト一周は
ロン・クラークの後継であるかのような新記録を生み出すイギリスのベドフォードもいたが、ドイツのハーセとの400m走のような脅威のスパートは圧倒される。
https://www.youtube.com/watch?v=Qrp2K9zxgrs
まるでメキシコ五輪10000mラスト1周のナフタリ・テムとマモ・ウォルデのスパート合戦を思わせる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ifny_zFx6U4
バータイネンはヨーロッパ選手権での5000mでも優勝(3位には息の長い活躍をしたドイツのノルポトがいる)
https://www.youtube.com/watch?v=jXNfmF-VYFw
https://more.arrs.run/race/35638
この時、ビレンも走っていたが、10000は17位、5000も7位という結果であった。
ビレンはミュンヘン五輪10000m予選でもショーターに遅れての4位での通過であったが、
https://more.arrs.run/race/35730
決勝では最後まで粘ったプッテマンスをも引き離し、クラークが出した記録を1秒更新しての世界新での優勝。
5000mも最後でガムーディを抜かしての五輪新の優勝。一方でバータイネンは最下位であった。
戦績を見てもイフターに比べると、ビレンは安定していない。五輪だけは強かった。
https://more.arrs.run/runner/5739
0490ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 09:20:29.91ID:JBytLktd
チュニジアのガムーディはファラーのように記録などには縁がなかったが、
東京五輪から3回出場したオリンピックでは必ず表彰台に上がっていた。予選レースも殆どが1位。
五輪のみならず、他でのレースも常に安定した強さがあった。
全レースでリタイアしたのも、ビレンの転倒に巻き込まれたミュンヘン10000決勝のみであった。
https://more.arrs.run/runner/9266
チュニジアはモントリオール五輪も当初はボイコットの予定はなく、開会式にも出たが(当時の映像ではカットされている)
https://www.youtube.com/watch?v=AsJOKRjqMbM
急遽帰国を余儀なくされた。この時、ガムーディは38才で流石に全盛期のような走りではなかったが、インタビューなどからモントリオール五輪を引退レースと考えていたようだ。
チュニジアはガムーディの金メダルから次の水泳の金メダルまで40年の月日が経過していた。
2010年代までは獲得した半分以上のメダルが陸上のガムーディによるものであり、レジェンドと呼ばれている。
0491ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 09:43:59.88ID:teyM/LRA
中山のオリンピック2大会連続4位は悔しいね。
両方とも惜しかったな。ソウルのときはサラがもうメロメロだったし、
バルセロナのときは周回を間違えたんだっけ?
どっちか1つでもメダル獲ってほしかったなあ。
0492ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 09:53:53.25ID:DRa/Btvu
このデータベース、例えばビレンの項
https://more.arrs.run/runner/5739
は素晴らしいけど、幾つか抜けがある事が一瞬で分かるので、限界がある事は認識して
おく必要がある。例えばビレンでは1976年6月23日のサリヤリビ国際の1500で2位(3’43”9)
が抜けているし、1980年7月9日、10日のワールドゲームズの5000の2位、100000の4位が
抜けている。因みに前者の1位は石井隆士(3‘43“4)で、後者の10000では1位バイニオ(28’00”7)、
2位伊藤国光(28“01”2)、3位瀬古(28‘09“5)で5000の優勝はヘルレ(西独)、2位のビレン、
3位のオルチスに次いで4位に森口達也が入っている。
0493ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 10:16:02.56ID:DRa/Btvu
このビデオ
https://m.youtube.com/watch?v=QB5DxltIkTI
は興味深い。載っているレースはモントリオールの5000が主だが、1983年のNYCマラソン、
ミュンヘン、英連邦、モントリオールの1500等。ディクソンとクァックス(故人)のインタビュー
が主だがビレン、ウォーカーも出て来る。ヒルデンブランドが出てこないのが画竜点睛を欠く。
やはりモントリオールの5000は劇的。
0494ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 10:49:15.36ID:DRa/Btvu
ビレンは1973年の春季サーキット(スポニチ国際他)に参加しるために来日しているが、
その結果もデータベースから抜けている。サーキットでは凡走だったけど、日本の
若手だった佐藤市雄等が健闘したのみで勝った思う。

因みに鎌田は高卒3年目の72年のサーキットでケイノに食い下がって代表までもう
少しの処まで行きながら、その後腐って75年辺りまで不振で、チームメートの高尾が
日本新、伊藤が30キロで日本新を出した事に刺激されて75年秋から復活、
モントリオールの代表になり、10000で27分台、5000で13分20秒台を初めて出した。
一方、同学年の佐藤市雄は高卒4年目の73年の日本選手権の5000、100000の2冠で
記録的にも日本記録まであと少しまで行きながら、その後不振。後に駅伝男として
復活するが日の丸を背負うことはなかった。
0495ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 10:56:21.87ID:c3OhCfHl
佐藤市雄は駅伝がもっとも能力を発揮出来たと。
大久保初男や柏原竜二(こちらは派手でしたが)の系譜ですね。
0497ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 12:48:25.26ID:DRa/Btvu
完璧ではないけど、このデータベースは凄く、幾らでも時間を潰せますね。例えば
https://more.arrs.run/runner/search
でsurname にSeko, given nameにToshihikoと入力すると下にSekoの欄が出て、それを
クリックすると
https://more.arrs.run/runner/6043
という登録されている瀬古の全成績が出てくる。どうも調べた限りでは1マイル1500等
の中距離はなく、3000以上の距離限定の様。また試合の詳細についてもレースの右端の
アイコンをクリックすると分かる。例えば80年のDNガランであれば
https://more.arrs.run/race/37012
である。先のワールドゲームズも
https://more.arrs.run/race/37016
の様に、実は登録があるけど4位のビレン以下が未登録。例えばそこでバイオ二の名前を
クリックすると
https://more.arrs.run/runner/5044
といったバイニオのページに飛ぶことが可能。今まで曖昧な記憶とオフラインの昔の雑誌や
本の記録に頼っていたものの大部分がこのデータベースで代替可能。
0498ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 13:49:42.93ID:IOLznf7m
>>497
これは凄いですね。
瀬古が黒歴史にしていた78年のミルトンケーネスマラソンの結果まで残っている。
https://more.arrs.run/race/28318
0499ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 17:55:25.17ID:DRa/Btvu
5000mで史上最も速いファイナルラップとも言われる2006年チューリヒでのラガト
https://m.youtube.com/watch?v=r2rHmSKqs2w
最終ラップは51“96と表示されているが、ラスト1周の時点でラガトはトップでないため
おそらく51”8を切っている。これはアテネ五輪のエルゲルージより速いタイム。
0501ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 19:29:29.37ID:3lPxAROg
スローペースではあるが、5000mのレースで50秒89というのは俺が知ってる中で最速。
0502ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 21:00:45.59ID:rfkgextE
ミルトンケーネス! これ、知ってましたけど、練習の一環でマラソン歴には
加えてないんですね。
宗兄弟とか喜多秀喜はマラソン歴に加えてるようですけど。
実井謙二郎も初マラソンが練習として出ているので、実質91年のびわ湖が初マラソン
みたいなものでしたし。
0503ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 21:09:06.68ID:rfkgextE
ボストンの記録は79年は2時間10分13秒で、優勝した81年が2時間09分27秒と
私が記憶していたタイムよりも1秒下に修正されているんですね。
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