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マラソン日本最強は瀬古か中山である

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0505ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 00:12:37.42ID:luMR1BcY
>>500
有り難う。それまで遅かったとは言え、凄いスパートですね。
>>495
佐藤市雄は73年の太平洋五カ国大会で日本勢唯一の優勝をしています。その意味で日の丸
経験あり。後年の駅伝では主要区間を走らなかったので微妙なところがあります。
0506ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 09:14:47.40ID:R4sp54DS
中山が台頭してから瀬古との初対決、スポニチ国際の10000m
金井のスパートに中山が対応できなくて、それを瀬古がカラダをのけぞって確認。
このシーンがいちばん盛り上がった。陸マガにも見開きで載ったし。
けっきょく金井が優勝。瀬古が中山に先着。
中山はW杯マラソンから1ヶ月で28分50秒の自己新。
負けたけど中山やっぱりすごいなと思った。
0507ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 09:32:25.52ID:MVUycyZw
中村監督急逝は、確かこの後すぐの出来事ですね。
中山は初の28分台。25歳と4カ月くらいでの到達。中山ジュニアの卓也は
須磨学園高校3年で28分48秒台で走っていたので、将来、日の丸をつけて
走る選手になれるのでは、と期待したんですけどね。
0508ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 11:40:12.58ID:HDQT30oc
ファラーは800mでも五輪メダリストになれる気がする。
0509ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 14:12:17.66ID:S4ZEocJF
質が高いスレですね
0510ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 15:18:07.47ID:luMR1BcY
50:9というと800の2周目としてもそうはお目にかかれないハイペース。例えば
https://m.youtube.com/watch?v=gtsTHhep_DA
の前半はモントリオール五輪でファントレナが世界新で優勝した時のビデオだが、
50:85-52:65だった。因みに2位のイボ・バンダムは1500も銀を取って大いに期待
された22歳のベルギー選手だったが、その年の年末に交通事故で命をおとし、
今はイボ・バンダム記念陸上大会に名前残す。

追い込みで知られているのはミュンヘン五輪金bのデービッド・ウォトル(米)
https://m.youtube.com/watch?v=5LHid-nC45k
最初は断トツのドベからスタートとして徐々に差を詰めたけど、最後のストレート
でも4番。そこからまとめて抜いて金。2周目は何秒だったのだろう。
0511ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 15:55:32.76ID:dY1Fj33n
>>511
陸上選手の交通事故って多いような気がします。
アベベ、プリフォンテーン、金井豊、谷口伴之、オツオリ、チオンカン、ニコラス…
数日前にはルディシャが事故に遭ったそうですが、無傷だったようで良かった。
0513ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 16:09:22.33ID:luMR1BcY
ところで、このサイト
http://www.apulanta.fi/matti/yu/yl/
が過去の年毎のランキングを調べるのに便利。IAAFのサイトでも始点と終点を指定した
ランキングが出せるので同じ内容を調べることは可能だけど面倒。因みに60年代のデータ
が揃っていない年のランキングを調べた限りでは同じ結果を出すので同じデータベースに
基づいている様だ。

残念ながらマラソンのランキングはないので10000のランキングを調べると過去年間ベスト10
に入った日本人は3人で述べ5回。
瀬古 80年5位、85年5位、86年10位
新宅 83年9位
中山 87年4位

10000のランキングながらスレタイに対応した結果で興味深い。
0514ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 16:10:27.18ID:R4sp54DS
ファラーの50.89の動画を観ると、
なんか、4600mペース走をしてそこから
400m T.T.をしているような感じですね。
 
0515ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 16:48:21.95ID:eUDiSNcu
瀬古利彦は、モスクワに出ていたら1万でも入賞出来ましたね、きっと。
0516ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 16:52:53.55ID:eUDiSNcu
ファラーもそうですが、凄い人発掘スレですね。
必ずしも瀬古&中山にこだわっていないから、ココは
長持ちしそうな感じがします。
0517ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 17:13:11.83ID:luMR1BcY
昔のマラソン史上..のスレでも出てきたが Track & Field Newsでは年毎に各種目の実力
ランキングを発表している。
https://trackandfieldnews.com/mens-world-rankings-by-event/
長距離でランキングインしたのは
5000 沢木66(6), 68(8)
10000 円谷64(10), 瀬古80(4),85(4), 金井85(7), 新宅85(8),中山87(10)
のみ。

マラソンは多数ランクインしている。全部網羅するのは面倒なので複数回入った人
のみにすると
西田 52(10),53(8), 55(7)
広島(庫)53(5),55(2),57(2),59(3)
浜村 53(4), 55(3)
貞永 53(6),58(6),59(10),61(4)
中尾 60(9),61(5),63(3),64(10),65(3)
寺澤 62(2),63(5),64(8),65(2),66(4)
君原 62(7),63(3),64(9),66(5),67(4),68(4),72(6)
広島(日)65(6),66(2)
岡部 65(10),66(6)
宇佐美 67(6),68(7),69(4),70(2),71(2),74(8)5
采谷 68(2),69(9),70(5)
0518ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 17:18:46.87ID:luMR1BcY
(承前)
宗猛 75(9),79(6),80(9),81(8),83(4),84(5)
瀬古 78(3),79(2),80(3),81(3),83(2),86(4),87(5)
宗茂 78(5),79(4), 81(5), 85(10)
伊藤 80(10),81(4),86(5)
中山 84(10),85(4),86(8),87(1),88(8),92(4)
谷口 87(2),91(1)
森下 91(10), 92(2)
 以上である。
因みに2000年以降でランクインしたのは藤田00年5位、油谷01年9位、高岡02年4位。
高岡以降にランクインした選手はいない。
0519ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 17:35:19.78ID:R4sp54DS
宗茂が別府大分で2時間09分05秒6を出したときは
テレビ中継がなかったんだよね。ラジオだけだった。
だけど、宗茂が世界記録を大きく上回るペースで独走したもんだから
途中からあわててテレビ中継が始まった。信じられない出来事だな。
0520ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 18:52:38.64ID:SPM3E+SP
今では考えられない話。そう言えば80年の箱根駅伝
の2区は、急遽NHKで実況生中継したと聞いた。
0521ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 20:05:36.48ID:dY1Fj33n
あまり詳しいデータが見当たらない大会なんですが、1967年、スペインのサラウスマラソンの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=V44nI2ua0ZY
アベベは前年も参加をしていて、その時は優勝していますが、この時は長引いている故障の為か、途中棄権でトレーナーのニスカネンと共に車に乗っている。
代わりに優勝したのはマモで、この時既に翌年メキシコオリンピックでの王者交代劇の前兆があった。
因みにこのレースの参加者には、翌年のサラウスでは優勝、更にメキシコでも6位入賞するゲブルや
ミュンヘンの10000mでアクシデントの為に途中棄権したガムーディの代わりに8位で健闘した同国チュニジアのザーンダムという選手も走っている。
0523ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 21:11:04.04ID:dY1Fj33n
ザトペックも感動し、彼のその後の人生に大きな影響を与えたベルリン五輪10000m、5000m共に4位と健闘した
伝説のランナー村社講平のように、メキシコ五輪10000m、5000mで大きな感動を呼んだランナーにメキシコのマルチネスがいる。
地元の選手ということもあって、当時会場でのマルチネスへの声援は凄かったらしい。
21才の若手で小柄な身体ながら何度も先頭に立って走る姿に観衆は興奮し、正にベルリン五輪での村社を彷彿させ、10000m、5000m共に4位と結果まで同じであった。
https://www.youtube.com/watch?v=fWuAMm0GxyI
https://www.youtube.com/watch?v=7fMCQhIx-C8
70年には来日もしていて、ミュンヘン五輪の10000mも走っているが、この時は決勝まで残ったが10位という結果だった。
0525ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 21:24:53.42ID:luMR1BcY
>>523 サンパウロマラソンの方には沢木が走っていますね。
0526ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 22:20:56.48ID:dY1Fj33n
ARRSはプレオリンピックのトラック競技のデータなども全選手の記載が無かったりしますね。
1963年の東京国際スポーツ大会の5000mは円谷は5位、ガムーディ4位、6位は澤木で、
優勝したイギリスのブルース・タローは「裸足のタロー」の異名を持っていました。
https://www.youtube.com/watch?v=wpE58uiFlR4
本戦の5000mで優勝したアメリカのシュールは故障続きで次のメキシコは難しかったみたいですが、
10000mで優勝した同国のビリー・ミルズがメキシコ五輪に出なかった理由が分からないままです。
ミルズは映画化されたりしていますが、当時の走っている映像は少なくて、同国リンドグレンとの接戦や
https://www.youtube.com/watch?v=8enmHE2bZJ8
フランスの長距離選手の英雄、ミシェル・ジャジが優勝したヘルシンキのレースで観られました。
https://www.youtube.com/watch?v=h7haylwQdMc
0527ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 22:28:59.02ID:luMR1BcY
一寸クリアではないけど
https://www.youtube.com/watch?v=dyj8yIvFM90
はヨーロッパ選手権(アテネ)でのロン・ヒル等の雄姿。結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/1969_European_Athletics_Championships_%E2%80%93_Men%27s_marathon

実は所謂アテネ古典マラソンは春先に行われ、アテネ五輪と同じ難コースながら
欧州選手権を棄権したアドコックス(メキシコ五輪5位、その年の国際マラソンで
世界歴代2位で優勝し、マモ等を差し置いてその年の実力ランキング1位に推される。
また70年のびわ湖毎日でも大会新で優勝)が2:11:07という世界歴代3位相当の好記録
で優勝。このコースレコードはアテネ五輪まで残った。2位の君原も2:13:25:8の
生涯最高記録だった。これは猛烈な追い風が吹いた際の片道コースならではの恩恵
故だった。

一方、前年のメキシコ五輪では10000のみの代表(東京五輪ではマラソンと10000の
代表)だったヒルは、これで自信をつけたのか、年末の福岡では2:11:54の好記録で
2位、翌年のボストンでは世界歴代2位の2:10:30で優勝、更に英連邦で史上2人目の
サブ10である2:09:28を記録し、(年末の福岡では惨敗したものの)文句なしの
年間実力ランキング1位に選ばれた。3強(クレイトン、ヒル、宇佐美)の一角として
優勝候補として挙げられたミュンヘン五輪では君原から遅れる事10秒余の6位で
不完全燃焼だったと言えよう。
0528ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 23:09:33.93ID:dY1Fj33n
1967年のプレオリンピックに当たるメキシコ国際スポーツは澤木は不参加だった模様。
10000mにマラソンも走る選手が出ていて、8位佐々木、10位宇佐美、12位君原。ベルギーのローランツが3位(3000mSCの方では優勝)でマルチネスはここでも4位。
5000mは日本選手は不参加でマルチネスは3位。この時、5000m、10000mの2冠はチュニジアのガムーディ。
メキシコ五輪長距離は高地民族の圧勝だったということで、その中にガムーディの名前も入りますがチュニジアは高地ではないので、他国の選手と同じように高地トレーニングが大変だったようです。
プレオリンピックは2冠達成でも果たして本戦では通用するか戸惑いがあったようで、3日間も眠れないで五輪10000mに臨んだという事です。
http://www.garycohenrunning.com/Interviews/Gammoudi.aspx
メキシコ五輪のラスト1週は10000が56秒、5000が54秒とラストは平地と特に変わらなかったようです。
0529ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 23:42:46.04ID:luMR1BcY
>>528
メキシコ・プレオリンピックのマラソンではローレンツが優勝、君原が2位、宇佐美が3位、
佐々木精一郎が4位になっていますね。
https://more.arrs.run/race/34821
この結果がクレイトンの世界記録の際の高橋進のコメント「人類が2時間10分を
最初に割るとすればローランツだと私は確信した」
http://www.coara.or.jp/~hinoue/World/Fukuoka/1968_Fukuoka.html
に繋がった。

佐々木精一郎は10月22日にプレオリンピックで走ってから12月3日に福岡で世界記録を
上回る記録で走り、2月4日に別府で大会新で走って
https://more.arrs.run/runner/9394
ダメージは相当でかかった筈。レース過多で選手寿命を縮めたと思われる。因みに6月27日の
https://more.arrs.run/race/35116
3位28:40:8も日本新だったが、同じレースで沢木が28:35:2で2位になっているために
日本記録変遷史に残っていない。これは佐々木のマラソン記録が世界記録変遷史に残って
いないのと同様。
0530ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/02(月) 12:11:21.89ID:ELD7YUad
色々な強豪の歴史をココで学べる
0531ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/02(月) 23:12:36.90ID:u26zwd2y
アルベルト・コバ(イタリア)
https://m.youtube.com/watch?v=W0Iv5pz6JtI
https://more.arrs.run/runner/5741
82年欧州選手権、83年世界選手権、84年ロス五輪と10000の大レースを3連勝したキッカー。
そのキックはラスト1周にわたってというよりも必要な時の一瞬のみに発揮され、勝負勘の
良さが光った。しかし、それ故に記録とは無縁で玄人受けもせず、余り覚えている人は
多くないかもしれない。少なくとも同じロス五輪のもう一人の長距離5000の覇者である
サイド・アウィータやモスクワの覇者のミルツ・イフターとは知名度で大差がある。
0532ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 00:09:35.17ID:wHQdl4nq
エミール・ザトペック
https://m.youtube.com/watch?v=qINaVe0oyx0 ヘルシンキ5000
https://m.youtube.com/watch?v=RqozVyagbyc ヘルシンキ10000
https://m.youtube.com/watch?v=hHaT5beAdQI ヘルシンキ、マラソン
https://m.youtube.com/watch?v=KvEBEK8_vqc ロンドン 5000
力感溢れる走法で戦後すぐの陸上長距離を席巻。400mx100のインターバルを
行ったりしたが、そもそもインターバルは彼の発案。上記ビデオの中では
ヘルシンキ5000が最も好勝負で、一時期金メダル間近と思わせ転倒した
チャタウェイはメダルにも届かず。5000,10000の双方で銀と苦杯を舐めた
ミムンはメルボルンのマラソンで金メダル。ザトペック(6位)に雪辱すると
共に溜飲を下げた。
0533ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 01:18:05.62ID:8XZUtK4L
プレオリンピック・マラソンに当たる1963年の朝日国際マラソンの動画が
「あるマラソンランナーの記録」に少しありますね(マラソン動画は6分辺りから)。
https://www.youtube.com/watch?v=CNehMv0jsLY
https://more.arrs.run/race/14706
http://www.hakone-ekiden.jp/s/record_marathon.php?m=117
5分辺りでは80mハードルの依田郁子も好走。14分辺りには円谷の映像もありますが、こちらは記録会でプレオリンピックの円谷も観たかった。
この朝日国際マラソンは1位ジュリアン(NZL)、2位君原で、3位のベルギーのバンデンドリッシュは同年のボストンマラソンで優勝。
このボストンはアベベが初めて負けた(5位)として有名な大会で、同行したマモも12位。ブライアン・キルビー(英)は3位。
https://more.arrs.run/race/16795
このレースには当時のエチオピアランナー達の支柱であったスウェーデンのコーチ、オンニ・ニスカネンが初めて不在のレースだったと言われている。
アベベはこのボストン以外では、67年のサラウス、68年のメキシコが途中棄権で終わっている(この2レースの優勝者はいずれもマモ)ので、メキシコ五輪では3連覇も期待されていたが、競技生活最後の2年間は不調であった。
https://more.arrs.run/runner/8948
元々、円谷と再会した東京五輪翌年の65年来日辺りには既に足を痛めていたという話もある。
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?020
先日亡くなった東京五輪マラソンの2位だったヒートリー(英)は元々はクロスカントリーがメインのキャリアが長いランナーであったので、東京五輪を引退レースとして有終の美を飾った。
https://more.arrs.run/runner/8949
0534ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 08:09:03.18ID:BEMlhwGs
ザトペック投法(故・村山実)という言葉があるくらい、野球界でもザトペックの名前は
浸透している。
0535ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 10:04:33.25ID:55TKLZX/
フィンランドも世界水準に復活して欲しい
0536ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 19:27:39.33ID:x9JIt7nW
インターバルは、長距離練習の定番になり過ぎ。
少なくとも市民ランナーには必要ない。
0537ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 21:36:36.99ID:F/Km6y8T
インターバルトレーニングの後に一世を風靡して現在も使われているヒルトレーニング
(ファルトレク)を前面に出したのがリディア―ド氏。その成果として、ニュージーランド
の中長距離選手が席巻した。その中でもリディア―ドの愛弟子として中距離に君臨したのが
ピーター・スネルで、ローマ五輪で800の金、東京五輪では中距離2冠。1962年の800の
世界記録は11年残った。また1マイルの世界記録、1000mの世界記録も残している。
https://www.youtube.com/watch?v=RK0woLEtQQA
を見れば分かる通り、他の選手との差は歴然。もしプロとして続けられたらもっと長く
君臨しただろう。
0538ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 01:38:24.91ID:W2R6SNoc
森下銀メダルのバルセロナ五輪
韓国の黄永祚との一騎討ちの激戦の末に破れたため、
当時の実況は残念ムード満開だった。
その後の表彰式でも国歌斉唱のあと
しばし沈黙後
「やっぱり中央に日の丸が立って欲しかった…」
旨を呟いていたのが記憶に残る。
ただし、後日知ったことだが
黄永祚は日本のマラソンランナーをリスペクトしていて
たしか中山のポスターを部屋に飾って目標にしていたはず。
0539ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 04:33:43.32ID:g5nlVa9s
かなり有名な話
0540ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 04:37:35.31ID:g5nlVa9s
>>537
リディアード式は、中村清氏にも強い影響を与えた模様。代々木公園を利用したトレーニングも瀬古氏の練習にかなり登場しているようです。
0541ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 18:00:48.55ID:sUO/XoE8
森下と宗茂がレース後、
ホテルに帰るタクシーで無言だったらしい。
勝てる確信をもって臨んだだけにすごく悔しくて
重苦しい雰囲気だったと。
0542ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 19:29:42.29ID:W2R6SNoc
前年世界チャンピオン谷口、
絶好調の森下
前回4位でリベンジ目指す中山への期待は物凄く大きかった。
モスクワ(辞退)→ロス(宗猛4位)→ソウル(中山4位)という悔しい流れもあり、
さらには有森の銀メダル獲得でいやがおうにも盛り上がり、80年代の往年ランナー達も高齢になり他国はいまいち世代交代進まない状況で
直前はメダル独占を信じて疑わない雰囲気が漂っていた。
0543ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 20:19:44.89ID:ofmuTuyC
>>542
しかしその内実は綱渡り。特に谷口は5月中旬に右足指に痛みを感じ、右足第2中足骨に
疲労骨折の疑い。5月27日に骨折が確定し、1か月の入院で、五輪の代表辞退も必至と
見られた。一応箝口令が引かれていたものの、テレビでもプールの中を歩く谷口ばかり映って
勘の良い人は谷口はダメと感じ取ったに違いない。また中山も前年の世界選手権を棄権した
他、91年別大、92年東京と森下に連敗し、多くは望めずメダルは無理、という見方が大勢を
占めた。この中で若い森下にかかるプレッシャーは強く、張り切り過ぎた事もあり、
若干、調子のピークが早くなり過ぎた様である。尚、骨折入院から退院した谷口は思った
より順調にトレーニングをこなし、調子のピークを五輪(8月9日)に合わせる事は成功したが、
例の「こけちゃいました」で万事休す。
0544ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 21:19:41.80ID:Ki0GoVjp
谷口は、ホント良くやった。
専用スレがあってしかるべき偉人。
しかるに特定の人物・団体叩き、かもり某など、本当
にどうでもいいクソスレが幅を利かせている。
そんなのは閲覧する気にもならん。
0545ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 23:29:58.83ID:ofmuTuyC
陸上長距離史上屈指のスキャンダルだったのが1992年のバルセロナ五輪10000m。
https://m.youtube.com/watch?v=f6ISseFy3Fg
ここで周回遅れでチェリモの邪魔をしたブータイブはソウル五輪の10000の覇者とは
別人。
0546ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 23:55:46.87ID:mIb3dWOS
>>543
中山はメダルは無理という見方が大勢を占めたってお前の脳内妄想だろ?

お前どうせ陸上ヲタのガキなんだろうけど、wikiなどをソースにして語るのは恥かしいからやめておきな。
0549ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/05(木) 09:47:53.23ID:UOOUnTrC
入賞圏内だったから過小評価されていたわけではないと思うが、国内第3代表
の扱いだったから騒がれなかった。ソウルの時とは全く違って目立たなかった。
せっかくの良スレに水を差す>>546 がイタイ人物に見えるのは私だけだろうか。
0550ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/05(木) 19:13:00.41ID:qB68ik85
そういうのいいから。
ほんとイタイやつだな。
0552ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/05(木) 20:27:12.93ID:yrfZVYvO
>>549
いいえ、当時生きてなかったくせに、ウィキやナンバーなどで得た知識をいい加減にひけらかしているリクヲタのガキが一番イタイデスヨ!
0553ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/05(木) 21:06:19.05ID:T5wVHWg7
どうも最近スレの空気が悪くなってきているので暫く放置しようと思います。
私個人としては森下は東京オリンピックの円谷と共通点があると思います。
円谷は生涯マラソンを6回しか走らず、そのうち4回が東京オリンピックの年です。
ヒ―トリーに逆転負けして銅メダル。ここで燃え尽きてしまったのだと思います。
0554ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/05(木) 21:35:44.34ID:GKirSeT0
バルセロナ選考の東京マラソンで、優勝森下、2位中山だったけど、宗さんが「今日の中山、オリンピック出ても相当やれそうですね」って評価してた。
中山は前年の別大でもサブテンで2位、当時のサブテンは今と価値が違う
ソウル五輪程の勢いはないけど、30代前半でマラソンやるには脂が乗っている時期で、かなり力あったと思う。
0555ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/05(木) 22:22:09.36ID:bj8iswb5
何かえらく若く見られて面映ゆい。文体とか書いている内容から爺いという事くらい
分かりそうなものだが。

中山の思い出と言えば在米中の89年のボストンで活躍を期待しながら全く報道されず、
どの結果にガッカリして若干点が辛くなっているかもしれない。ソウル以降、優勝は
一回で、それもバルセロナの2年以上前に後半ヘロヘロだった東京のみでメダルを期待
するのが酷だったろう。逆に大事な3代表の中山がメダルを取ればメダル独占という
事になりかねず、それは無理だろうというのが大方の予想だった。

因みに事前予想の書いてあった月陸は流石に捨てたが92年10月号の日本チームの大串啓二
監督のコメントが当時の中山の評価を物語っているので載せておこう。
「いやあ、中山はよくがんばりましたよ。何度か練習を見せてもらいましたが、これは
厳しいな、と思っていたんです。それをあそこまでやりましたからね。本当によく入賞
してくれました。」
まあ、これを読んでも大方の玄人筋が中山のメダルは期待せず、3位を争う形で競技場に
戻り、やっぱり4位になってしまったが、期待以上だったから誰も責めなかった事が読み取れる
だろう。

でも懐かしいね。実は92年の6月にバロセロナを訪れ完成間近の競技場を見、モンジェイック
の丘も歩き回った。フニクラには乗らなかったけど意味もなく対岸からゴンドラに乗ったり、
スペイン村でパエリアを食べたり。その後、2回バロセロナを訪れたけど92年の訪問が
一番印象に残っている。(更に言えば89年当時はアトランタに住んで居たので、あの五輪も
懐かしかった)。
0556ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/05(木) 22:34:41.76ID:bj8iswb5
>>510
でウォトルの動画を紹介したのも懐かしさ故。実はミュンヘンで800はリアルに見ていないが、
モントリオールの際にABCのCMでカネローニを食べる彼と、あの最後の逆転優勝の映像が
嫌になるくらい流れていた。
0557ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/06(金) 10:05:23.98ID:s2YiQFnI
84年ロスから3大会連続で日本人が4位だったことに気が付いた。
文句なしの偉業だが、取って悔しい4位という順位。来年の東京五輪は、正直下位入賞
ならば御の字だろう。当時のほうが世界の中心軸で勝負出来ていた「いい時代」だった。
0558ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/06(金) 10:16:08.71ID:s7HsR6gC
またマラソンの五輪連続入賞は君原、中山しか成し遂げていない偉業です。
0559ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/06(金) 12:33:32.45ID:X863Wvzx
Wikipediaが信頼ならないということで、それのコピペだと騒いでいる人に問題を
出します。以下の3つのWikipediaの記述の誤りを訂正せよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%9B%BD%E5%85%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
https://ja.wikipedia.org/wiki/1976%E5%B9%B4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%81%B8%E6%89%8B%E5%9B%A3#%E9%99%B8%E4%B8%8A%E7%AB%B6%E6%8A%80

まあWikipediaに書いてあるような低レベルの話(下手すると間違っている)はこのスレにはあまりないから。
0561ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/06(金) 14:06:26.65ID:UE3LXm0Q
>>559
伊藤国光の引退年が1991年になっているのは1989年の誤りですね。
あとは私には分からなかった(笑)
もちろん、↑の人とは無関係です。
0562ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 16:47:49.48ID:tS6E4KtK
>>561
私が把握しているミスは以下の通りです。Wikipediaは間違いが多いのが通例ですが、
陸上関係はその中でも相当レベルが低いでしょう。信用しない方が良いです。

伊藤国光に関して:
そもそも彼のマラソン成績の項を見ただけで「1977.04毎日マラソン」が2つあります。
正しい彼の初マラソンは「1976/4/18 2:31:05 毎日マラソン 46位」 
 https://kateodata.biz/itoukunimitu.html
他にもあるでしょう。かなりこの項は雑ですね。

ショーターについて:
ここでも彼のマラソン成績及び「ミュンヘン・モントリオールの2度の五輪予選はいずれも2位で」
という記述が間違っています。正しくは両方とも1位です。ミュンヘンの五輪予選は1位タイ
ですが。
 https://more.arrs.run/race/15049
 https://more.arrs.run/race/12348
が正しい五輪予選の結果です。

モントリオール五輪の日本選手団の成績について
 鎌田の男子10000m:7位(28分36秒21)が誤りです。
これは予選3組の結果で予選落ちです。
 https://more.arrs.run/race/41624
予選の動画が Montreal olympic men's 10000m heat にあって鎌田も映っています。
0563ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 18:20:46.49ID:xKA/c8JB
そもそもwikiは、陸上に関しては見ないからなァ。
ショーターの誤植は、かなり強烈です。
0564ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 18:34:49.29ID:GamL6hqJ
新宅が10000mで27分44秒を出したときも強烈だったな。
エスビーが国立競技場を貸し切って、たしか3人だけでの記録会だったかな。
瀬古は走らないで応援してたんだけど、あわや日本記録(当時は瀬古の27分43秒44)
となって無言になっちゃったとか。
これで新宅のオリピックへの選択肢が3000mSC、5000mにさらに1つ増えてしまった。
けっきょく10000mで出たんだけど、五輪本番では同僚の金井豊に油揚げを
さらわれてしまった感じ(金井7位入賞)。
あの頃のエスビーはすごいメンバーだったな。
瀬古、新宅、金井、中村孝、谷口伴、坂口、ワキウリ、まだ誰かいたような。。。
0565ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 21:29:15.64ID:/nRCpV5D
モントリオール五輪10000m予選の動画を貼り損ねた。
https://m.youtube.com/watch?v=kgjFguD7DgY
3組は16:30くらいから。その直前にソンブレロをかぶってインタビューに答えている
のは20km競歩の覇者ダニエル・バウチスタ(メキシコ)。5000の予選は
https://m.youtube.com/watch?v=LQOM91JVacI
くらいしか見つからない。
0567ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 22:27:15.40ID:/nRCpV5D
考えて見ると中村スクールのSBエリート集団は浪人生が多いな。瀬古を筆頭に、
金井、遠藤も浪人だし、谷口伴之もほぼ確実に浪人。新宅、中村の日体大組や
ワキウリを抜いて早稲田卒に限定するとすんなり大学に入ったのは坂口だけか。
0568ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/06(金) 22:35:14.52ID:LfcB35IV
>>545
前年、日本で行われた世界選手権10000mではチェリモがリードし、タヌイが優位な戦局になり、スカーは破れ3位。
このレースには翌年の五輪でチェリモを妨害するハンモウ・ブタイブ(ブラヒム・ブタイブと重複するので、以降はハンモウ)も走っていて、この時彼は8位。
https://more.arrs.run/race/4562
まるでモロッコからケニアへの1年前の報復劇のような役者が揃ったバルセロナ10000m。
同国選手同士のチームプレイで強敵をマークしてやっつけるという作戦はままあるものですが、
ハンモウはチェリモの真ん前を長いこと走り、走路を塞ぐというもので、そのやり方が露骨過ぎたのでしょう。
もう少しチェリモの集中力を削ぐくらいに留めるものでしたら、ここまで大きな騒ぎにはならなかったかもしれません。
ただハンモウは周回遅れなので、やはりどうやってもその行為に不自然さは出てしまうでしょう。
この時ハンモウは既に36才で、どちらかというとクロスカントリーの方が主戦場の人でトラック競技の選手としては些か高齢で、当日決勝の参加者の中では一人だけ年代が違う。
https://more.arrs.run/race/3746
現在、Youtubeにはありませんが、ほぼレース全篇がdailymotionに。
https://www.dailymotion.com/video/x5p5nt9
ハンモウが介入せずとも、レース後半は完全にスカーとチェリモの一騎討ちだったので、失格か優勝かという措置も極端な気が。
暫定2位などの提案は出なかったのであろうか。
0570ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/07(土) 02:12:20.50ID:VHsh/Ujh
>>567
谷口伴之は現役
0571ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/07(土) 04:38:02.75ID:8NbHEhYZ
佐々木(永田)七恵も中村門下生
0572ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/07(土) 07:24:47.62ID:dmCRdDqk
>>568
≫失格か優勝かという措置も極端な気が。
暫定2位などの提案は出なかったのであろうか。

これは、スペインとモロッコが海を隔てて微妙な関係(最近のアジアの…以下自粛)だった事が大きい。
0574ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/07(土) 09:24:25.81ID:qIHp1F2j
>>569
おまえこそIDの末尾が“HG”じゃないかwww
0575ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 00:18:02.53ID:23VP8IE9
>>537
ピーター・スネルはローマで1500を走らなかったが、走っても金メダルを取れなかっただろう。
というのも遂にスネルが1500の記録を更新出来なかったハーブ・エリオット(豪州)が無敵の
王者として君臨していたからである。ローマ五輪の動画
https://m.youtube.com/watch?v=Pr0dWz_6oEI
を見ても2位のミッシェル・ジャージー以下とは別次元の走りをし、ゴールでは2秒8の大差を
付け自らの世界記録を更新する3:35:6でゴールした。この記録は7年間更新されず、74年になる
まで歴代3位に君臨していた。アンツーカーのトラックでの記録である事を考慮すると尚、
一層の価値が見えてくる。驚くべきはローマ五輪の際に彼は弱冠22歳だった事かもしれない。
アマチュアリズムが遵守されていた当時、五輪で金を取った後の競技上の目標もなく、五輪後、
ケンブリッジ大に進学して勉学に励み、2年後には完全に引退した。その後、彼はFMGという
鉄鉱石採掘会社の取締、非常勤代表に上り詰める等、実業家としても大きな成功を収めた。
0577ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 06:40:24.95ID:RjyPEo5K
ピーター・スネルは名前は聞いたことがあるな。やっぱり偉大な人だと再確認。
0578ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 08:24:21.28ID:WTtPxn4t
>>576
静かにしろ、まさはん
0579568
垢版 |
2019/09/08(日) 09:32:15.86ID:WzO3vv9j
>>568
1991年世界陸上10000m動画
https://www.youtube.com/watch?v=uGHoiCH9yQk
バルセロナ五輪10000m、youtubeにもありました。
https://www.youtube.com/watch?v=1EfdGpLanXM
https://www.youtube.com/watch?v=xDGDYsJXanY

去年、ケイノに横領疑惑があったみたいですが、その後どうなったのだろう。
https://www.theeastafrican.co.ke/sports/Kipchoge-Keino-Kenyan-athletics-legend-faces-graft-charges/4494642-4807880-q9icz/index.html
https://www.sankei.com/sports/news/181015/spo1810150009-n1.html
0581ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 10:39:38.15ID:23VP8IE9
ケイノも加わっていたが73ー76年に仇花の様にプロ陸上(International track association)が
興行をし、74年春には来日して話題を呼んだ。東京にはメキシコ、ミュンヘンで活躍した
米元五輪選手に加えてボブ・ヘイズも参加したと記憶する。しかし中心選手はライアン、
リクオリ、ケイノ、ジプチョ(74英連邦後に参加)の中距離勢に加えて棒高跳びのシーグレン
や砲丸のオールドフィールド、400のエバンス等の様だった。発足の時代背景にブランデージ
IOC元会長の厳格なアマチュア主義があった。しかし後任のキラニン元会長はプロ化を認める
方向に布石を打ち74年のIOC総会で方針の変更を公的に宣言した。その結果、普通の陸上大会
でも70年代中盤からアンダーザテーブルという形で賞金が出るようになり、プロ陸上の意義が
急激に薄れ、76年のモントリオール五輪後にニュージーランドの3強(ウォーカー、クァックス、
ディクソン)他と契約を結べず、ひっそりと幕を閉じた。

プロ陸上の失敗には幾つかの要因があるだろう。まずは資金難と限られた選手。次いで契約選手がほぼ
アメリカ人でたまにケニア人という偏った人選でヨーロッパの選手から無視された事、
更に女子選手が殆どおらず、上述の様に通常の陸上がプロ化する中で存在意義を失ったことが
致命的であった。記録的にはオールドフィールドが世界記録を1m以上上回る22m86を出したり、
棒高跳び、走り高跳びでも世界記録を上回ったが、記録は公認されず、世界的に認知されるに
至らなかった。
0582ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 17:16:09.01ID:23VP8IE9
古くからケニア、エチオピア、モロッコの3カ国のランナーは中長距離で覇を競ってきたが、
不思議と10000mの世界記録を作るアフリカ人は中々現れなかった。遅ればせながらアフリカ
人として初めて10000の世界記録を作ったのはサムソン・キモンバ (ケニア)であり、1977年
6月30日でのヘルシンキでのワールドゲームズに於いてであった。このレースは日本人にとっても
忘れ難いものであり、5位ながら鎌田俊明が27:48:63という史上初めての27分台を記録している。
https://more.arrs.run/race/36278
当然、その年に行われたワールドカップでキモンバ の勇姿を見られると思ったがアフリカ代表は
イフターであり、ガッカリした事を記憶している。キモンバ のランナーとしてのキャリア
https://more.arrs.run/runner/18024
は76年から79年の短い間であり、国際的活躍は77年のみであった。動画はNCAAで優勝した際の
https://paulmerca.blogspot.com/2013/01/washington-state-hall-of-famer-samson.html
が残っている。基本、プロランナーではなくワシントン州立大学の学生だったという印象が
残る。後年は母国に戻り教師の傍らコーチを務めていた様である。2013年1月に逝去。
享年57だった。
0583ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/08(日) 20:00:14.94ID:lYPj2dDw
早過ぎる。合掌。
0585ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/08(日) 23:56:47.49ID:1gNVUMV1
まあ、良かった。
0586ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/09(月) 00:02:52.81ID:OdxLNg7M
キモンバ の前の世界記録保持者であったデービッド・ベドフォードもユニークな選手であった。
彼は長髪で無精髭を蓄えヒッピーの様な風貌で、世界記録保持者でありながら危うく1974年の
英連邦大会の際にニュージーランドから入国拒否を喰らうところだった。レースぶりも
完全なフロントランナーでキックがまるで効かず大大会では屡々振るわなかった。
例えば1971年のAAA championship
https://m.youtube.com/watch?v=kraiMbRQtFc
で圧勝し、世界歴代2位の27:47:0を記録し、5000でも翌年の同じ大会でやはり世界歴代2位の
13:17:21を記録し、両種目ともダントツでランキングトップの優勝候補として臨んだ
ミュンヘン五輪は10000が6位、5000が12位だった。ミュンヘンでも
https://m.youtube.com/watch?v=MkXsjfVnG0k
でビレンとガムーディが接触転倒をする時にトップを走っていたのがベドフォード
である。しかし、おそらくミュンヘンの敗戦は識者には予想されていた事で、既に
このスレでも紹介された71年の欧州選手権の10000を見ても
https://m.youtube.com/watch?v=Qrp2K9zxgrs
鐘が鳴るまでトップで居ながら、1周でトップから11秒56も遅れを取り6位に終わっている。
従って世界記録を作った時のように
https://m.youtube.com/watch?v=6TFV0jjRrug
無人野を行くようなレースを得意としたが、競い合うとまず勝ち味がなかった。
入国拒否騒動のあった英連邦大会でも
https://m.youtube.com/watch?v=oDr3QAmp-6E
のように体良くペースメーカーを務め、10000は4位、5000は6位に終わった。
故障もあって74年から77年まで走っておらず実質74年でキャリアを終えた。
0587ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/09(月) 09:45:08.98ID:L4tZJBrq
フロントランナーというと思い出すジュマ・イカンガー
0588ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/09(月) 10:20:33.04ID:WCwhDJlc
ビル・ロジャースが75年のボストンで史上4人目のサブ10を出した時は驚きがあった
https://www.youtube.com/watch?v=wW9Dnm8O5Dk
と同時に(歴史だけの)田舎片道レースで好記録を出しても信用ならないという受け止め方
が多かった。実際、それまではアメリカのTrack & Field Newsの実力ランキング
https://trackandfieldnews.com/wp-content/uploads/2019/01/11-mMarRank.pdf
でボストンはほぼ評価されず、福岡は下手をすると五輪より評価される権威あるマラソンで
あった。(68年のランキングの1,2位は福岡の1,2位で3位以下に五輪のメダリストが並ぶ。
72年でもランキングの1,2位は福岡の1,2位。特に2位のファーリントンは五輪不出場(国内予選落ち?))
。しかし米国内では違ったのかもしれない。劣等感を拭い去る良い機会として実力ランキング
でボストン優勝のロジャースを1位、2位のホーグを4位に据えた(2,3位は福岡1,2位の
ドレイトン、チェトル)。
 ロジャースは五輪予選はショーターに7秒遅れの2位ながら好記録であり、有力なメダル候補として
モントリオールに臨んだが腹痛もあって40位と惨敗。しかしその2か月半後のNYCでは
ショーターに圧勝し、覇者の交代を印象付けた。その映像が
https://www.youtube.com/watch?v=kXsA5f6Ds_g
であり、村上龍の小説にも驚きをもって覇者の交代が触れられていた。その後の活躍は
言うまでもない。79年の
https://www.youtube.com/watch?v=XvM50uNQ4_A
では前年の福岡のチャンピオンである瀬古をボストンの王者ロジャースが迎え撃って
圧勝したという意味でマラソンの格の逆転があった分水嶺のマラソンだったのかもしれない。
0589ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/09(月) 11:56:25.66ID:JIuPmuDY
モスクワボイコットが悔やまれるという点ではロジャースは瀬古以上。
まだ24歳と若かった瀬古に対してロジャースはラストチャンスだった。
0590ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/09(月) 20:26:54.65ID:OdxLNg7M
1983年の第1回世界選手権の5000mを制したのはイーモン・コグラン(アイルランド)だった。
https://m.youtube.com/watch?v=SSJfsnhW0Hc
彼は元々良く知られたマイラー/1500の選手であり、特に室内競技会では無敵の王者として
君臨した。1983年に史上初めて室内でマイル3分50秒を破る3:49:87の世界記録を出した。この
記録は未だ歴代4位である。
五輪では76年の1500、80年の5000共仕掛けが早過ぎた事もあり、惜しくもメダルを逃す4位
であった。世界チャンピオンとして臨む筈だったロス五輪は怪我のために出場出来ず、ソウル
五輪では準決勝落ちで一線のキャリアから退いた。
彼は引退後ハーバードで学ぶ傍ら走りも続けて41歳でもマイル4分を切る走力を維持した。
その後、政治家として上院議員として活躍した。
https://more.arrs.run/runner/4352
0591ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/09(月) 21:01:38.63ID:gwVkxKqj
S・ジョーンズが福岡国際のゲストで来日したとき
ボストンで敗れた瀬古のことは絶賛したのに対し、
中山については「Nakayama? Who?」てのにはまいった。
0592ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/09(月) 21:38:41.63ID:J4gJa6g8
ヤバイ、面白すぎる。
陸マガとかでこのスレの覆面オフ会やってくれないかな?大変有意義な陸上談話になりそう。
0595ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/10(火) 00:06:48.49ID:yY0r+ADc
>>586
ベドフォードは心機一転の為か気紛れか、ミュンヘン5000mの予選を終えた後、決勝を前にそのトレードマークである長髪をバッサリ切っていますね。
https://www.mediastorehouse.com/colorsport/athletics/1972-munich-olympics-mens-5000m-heats-6114032.html
https://www.youtube.com/watch?v=ASmL_8f95KM
次に何をやるのか予測がつかない天衣無縫な人物だったようで、レース運びは70年にオスロの10000mで人々に惜しまれながら引退した巨星、ロン・クラークを思わせますね。
クラークは前に書かれていました、ローマ五輪1500金の同国のエリオットと50年代はよく走っていて、エリオットの活躍が一因で再び走るようになったと言われている。

70年代はロックやフォークなどの音楽が黄金期だった所以か、陸上界にも長髪や髭のランナーも見掛けるようになる。
ビリー・ミルズの映画「ロンリーウェイ」のように、上記のミュンヘン5000m決勝も「プリフォンテーン」で映画化されている。
https://www.youtube.com/watch?v=SuEn_DKIh_E
こちらの番組は当時の関係者や多くのランナーがコメントしている。
https://www.youtube.com/watch?v=5ghnepo096Q

ミュンヘン五輪中長距離はメキシコに続くケイノの活躍やウォットルの800m、ビレンの2冠等が語られることが多いが、1500でもビレンと同国フィンランドのバサラが金であった。
https://www.youtube.com/watch?v=xAtd55lQrYA
https://www.olympic.org/munich-1972/athletics/1500m-men
0597ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/10(火) 03:35:33.65ID:e4P3Euyu
どんどんレスが伸びていて追い掛けるのが大変(笑)
0599ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/10(火) 12:39:52.34ID:X/PwHCSm
瀬古&中山、ほぼ忘却の彼方。だがそのうちまた語られることもあろう。
0600ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/10(火) 17:46:32.10ID:ZLkeZhMO
なんでもあり
0601ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/10(火) 20:15:50.19ID:VIn40XNJ
中山が33年前に出したソウルアジア大会のマラソン記録が未だに大会記録で破られていない
独走で出した2時間8分21秒
中山自身3回目の8分台だった
0602ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/10(火) 20:50:49.57ID:z900Ats/
日本勢以外は全くの二線級だったにも関わらず記録を出してしまった中山は素直に凄い
0603ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/10(火) 20:52:47.60ID:6QxQHOGk
消えた天才で中山さんを取り上げてほしいよ。数年前ランナーズで農業やってるという
記事を目にはしたが…
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