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マラソン日本最強は瀬古か中山である
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0304ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/21(日) 11:27:52.02ID:RwAVYjSQ
>>303
そうだね。高校時代に800mで高校新を出し同着優勝しているし、トラックで切れ味鋭い
ラストスパートを極めた方が良かった。実際、ロードでは箱根で区間賞も取れていないし、
中村孝生や遠藤司同様マラソン向きではなかった。ロスで期待以上の入賞をしてから85年前半まで
絶好調で瀬古を一蹴する力を発揮していたけど、故障だったのか体調不良だったのか覚えて
いないが元の金井に戻ってしまった。
0305ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/21(日) 13:11:59.57ID:+HQ5vvbq
中村清門下だったのが微妙に影を落としていると思う
0306ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/21(日) 13:12:47.96ID:uN85gdR+
マラソンは芸術です
0307ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/24(水) 07:26:54.37ID:y/oZ6Dsh
高校時代400の選手だった篠田正浩氏も中村氏の勧めによって長距離転向。
箱根駅伝2区を走っている。
0308ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/25(木) 09:28:41.80ID:HS5WAuCr
>>307
http://www5.nikkansports.com/sports/hakone-ekiden/2011/column/archives/20101223_6679.html
だね。篠田は区間5位の好走だったが、その後は走っていない。走る事より映画製作に没頭したか。
中村も(幾らベルリン五輪で惨敗して孫基禎の優勝を目の当たりにしたと言っても)中距離選手だった
のにマラソンのみならず駅伝好きというのも変わっているよね。戦後の第一期競争部監督時代は
箱根優勝こそ2回あったものの、大した選手は育っていない。やはり瀬古は彼にとっても宝だった
のだろう。
0309ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/25(木) 13:36:33.63ID:q7D8xeeL
篠田氏の高校時代の400のベストタイムは52秒台。大学入学直後、
中村監督から「キミのスピードでは400では通用しない。だけどキミの
400のスピードを生かして長距離に転向すれば通用するな」と転向を
持ちかけられた。
中村監督の長距離信奉は揺るぎない。もし現代に生きていたら、
クレイアーロン竜波は何が何でも欲しがるだろう。
そうして箱根駅伝を走らせようとするに違いない。
0311ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/26(金) 09:54:16.00ID:Fql891Uy
中村と言えば、昭和29年の箱根駅伝の昼田の失神ゴールが有名。早大の10区・昼田は、新橋付近で失神しながらも中村監督の
「都の西北」に励まされ、 そのままゴールし、優勝。
0312ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/26(金) 12:26:55.30ID:4f7A+Of1
次に早稲田が優勝するのが30年後。その時も中村氏が指導していた。
0313ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/26(金) 20:19:37.00ID:LyTAtqPc
昭和59年の早稲田は2位の日体大を除いてすべての大学を繰り上げスタートにしてしまう
現代では考えられないほどの圧勝だった。
0314ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 01:57:09.92ID:+381Kb2F
>>313
 1区 田原貴之 区間5位
 2区 坂口泰  区間2位
 3区 高橋昇  区間4位
 4区 高橋雅哉 区間1位(区間新)
 5区 木下哲彦 区間2位
 6区 越智房樹 区間5位
 7区 伊藤雅弘 区間1位
 8区 川越学  区間1位
 9区 谷口伴之 区間1位 
10区 遠藤司  区間1位(区間新)
http://www13.plala.or.jp/jwmiurat/taikai/60kai/60_m.html
0315ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 02:13:20.14ID:+381Kb2F
早大の総合優勝より東大が予選会を通過して箱根駅伝に初出場したことの方が凄いと思う
0316ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 06:06:59.67ID:E5I9C+wY
この年は記念大会で増枠だったことが大きい。
0317ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 08:01:25.50ID:GXJQSStH
東大、17位で明治に先着していたんだ。東京学芸大とか慶応とか記念大会の
恩恵を受けたとしか思えない出場校もある。
0318ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 08:04:17.54ID:GXJQSStH
競歩が本職の園原が明治の8区を走っている。
0319ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 10:55:51.13ID:UvelxmpD
この時はもう卒業していたけど、東大の瀬古君と呼ばれた坂本 修一が活躍して関東インカレで
2位等の実力を示していた。東大卒業後、旭化成で暫く走っていたけど、現在は専務だな。
https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/aboutasahi/officer/
0320ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/27(土) 13:00:54.49ID:DfQlc3hZ
早稲田は翌年も伊藤雅弘7区だったが、ややこしいことに別人。
田原→遠藤→坂内→高橋雅→木下→赤堀→伊藤→尾崎→川越→豊福で2連覇
0322ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/28(日) 02:48:37.46ID:P1a2SFeL
ベルリンの金と銅は半島系だった。
0323ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/28(日) 03:16:49.12ID:zaJB7l0c
中村清だってソウル出身じゃん。
0324ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/28(日) 08:04:38.55ID:H1UDmIuv
朝鮮籍の木下哲彦を韓国籍にしてソウル五輪に出場させたがっていた。
0325ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/28(日) 09:50:00.01ID:zaJB7l0c
>>324
結局、金さんは韓国籍に変更して4年遅れでバルセロナを目指したが、金メダルを
取る等、急激にレベルアップした韓国勢の中で代表権を勝ち取る事は叶わなかった。
中村見込み通り早く準備してソウルを目指せたら代表になれただろう。
0326ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/29(月) 08:55:12.77ID:EqClx/OY
87年別大3位の時の記録は実は韓国記録よりも上。
0327ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/29(月) 15:37:50.38ID:wOimwx+D
中村清は中山竹通に目を付けたと聞くが。
0328ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/30(火) 03:40:28.57ID:epf5Vwr6
>>327
自分が中山竹通の名を始めて知ったのは1983年の中日ロードレースだった。
男子30kmは中村孝生が優勝し女子20kmは佐々木七恵が2位だったと記憶している。
その時の男子30kmの3位に当時無名の中山竹通という名前が新聞に書いてあった。
おそらくこの時のことだと思う。
中村清とマラソンに対する考え方が正反対の中山だから決裂したと思う。
0329ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/30(火) 13:41:59.38ID:dggUtWpo
究極の一匹狼・中山は、今見ても異端児で、面白さは別格だった。
こういう男を逆に指導者にしたら面白いのだが。
0331ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/31(水) 09:44:47.96ID:xpPFoyLW
>>330
中山ネタで100幾つしかレスが付かなかったのは残念としか言いようがない。
0332ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/31(水) 09:53:36.97ID:xpPFoyLW
天才と言うより異才と私は見ていたが。
0333ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/31(水) 18:40:05.20ID:4zYQ7smI
鬼才・中山
0334ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/07/31(水) 22:30:28.71ID:Md3sSAuW
スタートから高速で飛び出して優勝した選手はフランク・ショーター
ショータ―福岡国際マラソン4連覇した時の最初5kmのラップタイム
71年 14:44
72年 14:52 
73年 14:36
74年 15:00
以降の福岡国際マラソン優勝者5kmラップタイム
75年 15:15 ドレイトン
76年 15:19 ドレイトン
77年 15:19 ロジャース
78年 15:27 瀬古
79年 15:25 瀬古
80年 15:27 瀬古
81年 15:31 キャステラ
82年 15:25 バリンジャ―
83年 15:18 瀬古
84年 15:36 中山
85年 14:56 新宅
86年 15:15 イカンガ―
87年 14:35 中山
88年 15:35 渋谷
89年 15:29 マティアス
0335ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/01(木) 10:32:43.96ID:TLmKpzN7
ショーターは記録よりも勝負強さが際立つ大選手
0336ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 07:08:07.61ID:Ra3niurA
ショーターの後、ビル・ロジャースが台頭する。アメリカ華やかなりし時代。
0337ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 08:50:54.39ID:PgWxo4aI
ペースメーカーがいない時代は毎年ペース展開が変わって面白いな
0338ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 14:31:13.23ID:2J+GzRou
中村清は独占欲が強く有望選手を全部自分の支配下に置きたかったのではないか。
有名なのは急遽台頭してきた増田明美に秋波を送ったが、瀧田を通して袖にされた
事と、それに対抗すべく駄馬と思っていた佐々木七重を徹底的に鍛えて意趣返しを
しようとした事。ロス五輪でも増田だけには負けられないとおかしな対抗意識を
燃やし、微妙な成績で佐々木がゴールし、増田は棄権で実質的に引退に追い込まれた。
その一方で、中村不在の瀬古は暑い北海道で調整を失敗し、血尿を出し、ロス五輪の
惨敗に繋がった。
0339ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 16:32:20.38ID:2J+GzRou
>>335
記録でも彼がベストを出した72年の福岡の優勝タイムは当時世界歴代3位。
レース中の大便も複数回やっている。
0340ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 18:36:51.86ID:TVvEQse3
勿論今の方が記録は上だけど個々のキャラが際立っていた当時のマラソンのほうが親しみ深い
0341ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 21:30:12.62ID:PgWxo4aI
80年代は一発野郎が少ないなあ
0342ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 22:55:09.29ID:9OYEyeL8
80年代の一発屋は少ないというより浮かばない。
0343ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/02(金) 23:13:58.77ID:+Mk+9KGm
児玉泰介
0344ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 00:40:07.80ID:BmlfUoCJ
大槻憲一が好調だった71-73は実業団駅伝の最長6区で3年連続区間賞を取っている。
72年の福岡では競技場でセポ・ニッカリを抜き3位に入った。翌74年の6区区間賞は
20歳の伊藤国光で年を明けての熊日30キロで日本新。翌75年の6区の鎌田の記録は
瀬古に破られる迄長く残り、年明けの熊日で伊藤の記録を1分以上更新する日本新で、
トラックシーズンに入っても無敗で日本選手権も2冠で代表を手繰り寄せた。こんな
感じで実業団駅伝の最長区や熊日が伸びる選手の指標になっていた。
0345ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 02:11:13.13ID:BmlfUoCJ
因みに71年の熊日は年末の福岡で世界歴代3位の記録で優勝した宇佐美が日本新で優勝。
73年には年末の福岡で3位の大槻が優勝。74年には箱根と別府(2位、初マラソン日本記録)
で活躍した服部誠が優勝している。
0346ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 08:44:52.18ID:PYKzkVRn
宇佐美は毎日マラソン独走優勝オリンピック惨敗を繰り返して次第に衰えていた。
モントリオール五輪マラソン代表は2人に減らすことも検討された。
しかし他種目の出場枠を削ってもマラソン3人枠を維持する方針が決定された。
高橋進コーチは喜多秀着を10000m代表に強く推薦したが却下された。
喜多はモスクワ五輪10000m代表に選出されたがボイコットで幻の代表になった。
ロサンゼルス五輪はマラソンで出場を目指したが瀬古宗兄弟の厚い壁に阻まれた。
0347ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 13:56:03.98ID:BmlfUoCJ
喜多秀樹は記録面でも運がなかった。彼は75年6月30日と80年7月7日に日本記録を上回りながら、
何も日本人選手に先着を許し記録変遷史に名を残す事はなかった。後者については鎌田の記録を
4/100秒上回りながら当時は1/10秒単位で公認されたので日本タイと発表された。このレース
での1位は瀬古で27:43:44で3位の伊藤が27:47:35、喜多は27:47:59で5位だった。前者では高尾信昭
が沢木の記録を7年ぶりに25秒余更新する28:10:47(6位)で、喜多は順位不明ながら28:32:0の日本新
だった。因みにに高尾はこの年の2月に奥さんを亡くし、奮起したのか日本選手権2冠の勢いで
日本記録の大幅更新に繋げた。しかし、糸が切れた様に翌年の活躍は全くなく、五輪代表を掴む
事はなかった。
0348ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 14:42:34.74ID:/IZVvzZ4
喜多は好不調の波が激しい代わりにラストが素晴らしく切れた。競り合いに強かった。
0349ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/03(土) 17:28:02.17ID:N5OYL3v0
>>348
北京マラソンだったか伊藤国光とラストスプリント勝負で勝って優勝したはず。
伊藤はトラックのスピードあり、マラソンも安定していたが
勝負勘がイマイチだったのが残念。
その後、カネボウで高岡を世界トップレベルに育てたが
師匠に似たのか高岡も勝負という面ではイマイチだった。
0350ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/04(日) 06:45:08.61ID:f7r/UnEn
記録はあっても確かに勝負強いとは言えなかった高岡。
福岡での3位が惜しまれる。
0351ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/04(日) 17:21:22.63ID:38DrBdEm
高岡は広島アジア大会2冠とじゃシドニー五輪の10000での7位入賞、アトランタ五輪の
最終選考会である日本選手権での鮮やかな逆転勝ち等もあるから必ずしも勝負弱い印象は
ない。ただマラソンに関しては2003年の福岡の仕掛けが少し早過ぎたのは返す返すも
残念。僅かの差の3位だし、世界選手権5位の油谷との比較も微妙だった。どちらかと
言えば運がなかった。実際、92年もバルセロナの代表が決まった後の欧州遠征で5000の
日本新を出したけど、後の祭りだった。
0352ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/04(日) 19:10:02.43ID:IMdKBDSC
そういや高岡と阪神の藤波って似てるね。
0353ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/04(日) 20:53:47.18ID:cf5bR0oV
高岡はマラソン転向が遅すぎたと思う。
25歳頃からマラソンを走っていれば五輪金と世界記録両方出来た可能性もあった。
日本人がオリンピックで金メダルを獲得できる可能性があった選手は高岡が最後だろう。
0354ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/05(月) 01:22:55.54ID:PohOQr/7
渡辺康幸の故障による早期引退も惜しまれる。
0355ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/07(水) 19:29:20.08ID:S1MPIEaW
高岡とタピオカって似てるよね。
0356ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/07(水) 23:18:34.01ID:od5l1hhj
大学生で日本新出したといっても10000は29分台だからね
故障がちで距離を踏めないタイプだから徐々に距離を伸ばす必要があった
しかし後付だけどマラソン適性は抜群にあった
0357ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/08(木) 16:31:54.62ID:Y1Smacrm
関東の大学に行かなかったのは大正解。箱根にこだわらないトレーニングが出来て
距離を踏むよりもじっくりとスピード強化に取り組む練習が出来た。
0358ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/09(金) 07:00:20.17ID:1Ykdfsqm
洛南高校時代にいた同期の秋山武史って、いつの間にか消えた。
0359ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/10(土) 18:33:31.48ID:A0gLCFaM
早田俊幸も初マラソンでは森下中山に次ぐ3位になったがその後はやや期待外れだった。
0361ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/10(土) 23:48:05.98ID:Wf54cju+
いにしえの野球少年・早田
0362ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/13(火) 10:00:18.21ID:QZ7Cp5Ci
実家に1935年の日本学生陸上競技聯合の欧州遠征記があった。中村清は遠征に参加して
おらず、長距離の中心は翌年ヒトラーの心を捉えた村社講平、中距離の中心は青地琢磨
だった。
0363ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/14(水) 17:05:12.81ID:G2wT3QrN
1500元日本記録保持者・中村清
0364ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/14(水) 17:54:13.24ID:3iWHIEgZ
ベルリン五輪10000でのサルミネン等のフィンランド勢vs村社講平
https://m.youtube.com/watch?v=_MoQr52oxqU
最後の1周で置いていかれたが、ヒトラーがいたく感激したとのこと。50000も
似たようなレースで村社は4位。この時の村社が五輪、世界選手権での両種目
の最高成績になっている。
0365ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/15(木) 09:40:06.31ID:ZN1PC8Gq
今にして思えば、たいへんな偉業。
0367ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/16(金) 21:51:58.32ID:2xMUpHEk
ミュンヘン五輪で優勝したショーターにストップをかける男として期待されたのは
イアン・トンプソンだった。デビューマラソンを好記録で制して出場した英連邦大会
https://m.youtube.com/watch?v=4fwdXKXp2co
は圧巻で世界歴2位の記録で圧勝した。その後の欧州選手権も制して74年は彼の年だった
と言ってよかろう。2強が走らなかった75年を経て76年モントリオール五輪での対決が
期待されたが、トンプソンは国内予選でまさかの7位で代表として選ばれなかった。
五輪後の福岡に来て2位になったが、世界記録を期待出来る走りからは程遠かった。
0368ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/16(金) 23:00:56.49ID:2xMUpHEk
因みに同じ大会の1500mでは1、2位が世界記録を上回り、3位も世界歴代4位の好記録だった。
レースの後半は
https://m.youtube.com/watch?v=xjhC-1W9QTE
で観られる。前半から大きくリードするのがフィルバート・バイ(タンザニア)で、この年、
1500と1マイルの世界記録保持者となった。2位のジョン・ウォーカーは翌年史上初めて
1マイル3分50秒を切る大記録を打ち立て、アフリカ勢不在のモントリオール五輪の覇者
となった。2人の1500と1マイルの世界記録は1979年にセバスチャン・コーによって破られる。
0369ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 03:23:46.73ID:ANdXDLFM
>>367
74年英連邦大会は世界最高記録保持者のデレク・クレイトンも出場したが途中棄権。
足底筋膜炎など故障が多く医者の忠告もありこの大会を最後に引退した。
マラソン22戦14勝の怪物も2度のオリンピックでは7位と13位に終わった。
女子のラドクリフなどオリンピックのマラソンは本命だった選手が不振なことが多い。
0370ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 10:13:55.16ID:zhUZezQt
ただし、五輪で負けても勝率の高さは文句のつけようがない。立派なものだ。
瀬古氏は15戦10勝だったと記憶している。
0371ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 11:45:04.84ID:z2vgsLqD
クレイトンは2回世界記録を更新し、(距離疑惑があったにせよ)世界記録を14年以上
保持し続けた。世界記録の保持期間としては最長。
 世界記録を2回以上更新した人はピータース(4回)、アベベ、ハヌーシ、ゲブレシラシエ
と彼の5人。このうちアベベを除く4人は五輪マラソンでは不発。特にハヌーシとゲブは
全盛期に五輪がありながら出場機会すら失っている。(シドニーのハヌーシは国籍変更で
そもそもエントリー資格がなかったが)。
 年別の世界最高も67,69,71年の3回。これも4回のゲブ(05-08)に続き史上2位タイ。
因みに年別最高3回を記録しているのは他にピータネン(46-48),ピータース(52-54),
ポポフ(57-59),ド・キャスティラ(81,83,86),キプチョゲ(15,17,18). クレイトンが
歴史に残る大選手であったのは間違いない。
0372ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 13:05:42.29ID:z2vgsLqD
年別ランキング1位を取った日本人は戦後5人が5回。61年の中尾隆行(中京大)、65年の
重森森雄(福岡大)、78年の宗茂、87年の中山、91年の森下である。瀬古は長過ぎた83年に
1秒差でトップを取り損ねた等、トップになる事はなかった。

(距離の信頼性が乏しいと言え)戦前にランキング1位を取った日本人は多く、
孫基禎(2回)等韓国人を含めると9人10回トップであった。特に30年代は30、32-36、
39でトップであり、ベルリン五輪の金は必然であったといえよう。
0373ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 19:06:05.13ID:gzoBEs8U
78年宗茂は70年代歴代1位と知って驚き
0374ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/17(土) 21:25:06.92ID:igaXiczg
65年ボストン・ウインザー(アベベの世界記録を更新)マラソン優勝の重松森雄は86年ロンドン・シカゴマラソン優勝の瀬古と同等の価値がある
0375ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 05:27:30.96ID:BnrP6bFG
加えてボストン2回優勝の瀬古は、やはりさらに上
0376ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 09:34:45.43ID:TLxcM9qp
>>375 ボストン優勝だけでは瀬古が凄い事にならない。最も権威のあった福岡の3連覇
をはじめ今では日本人がペースメーカーのラップが公開された段階で敗戦が決まるロンドンや
シカゴでも優勝した瀬古としないと。
実際、重森も65年のボストンを優勝している(2位も宍戸)。66年では日本人が4位まで独占
(優勝は君原)。69年もウネタニが優勝。少なくとも60年代後半でのボストン優勝は難しく
なかった。
0377ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 09:55:24.31ID:TLxcM9qp
一応歴史のあったボストンがグダグダになってしまった60年代にIAAFも危機感を持ち
マラソンの世界選手権を作ろうという動きがあった。結局、世界選手権とは銘打たれ
なかったものの世界で唯一のIAAF公認のマラソン選手権が(福岡)国際マラソンであった。
その経緯は
https://www.iaaf.org/news/news/a-history-of-the-fukuoka-international-marath
に詳しい。またpart 2-5で67-70年の大会が詳しく述べられている。このマラソンの権威は
明らかでアメリカのTrack & Filedsの実力ランキングでは68年では五輪優勝者より福岡
優勝者を上に、69年も世界記録を更新したクレイトンより福岡優勝のドレイトンを上に
看做していた。皮肉にも70年に歴代3位で優勝した宇佐美が初めて実力ランキング1位を
逃した選手になった。それでも10回くらいまでは誰もが世界一の大会と考えていた。
皮肉にも日本人の舶来志向とマラソンブームのため日本でも東京マラソン等が創設され
自ら世界一のマラソンをダメにしてしまったのは残念であった。
0378ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 10:30:36.38ID:d0drhNdI
81年に開催された東京国際マラソンは読売主催と産経主催とで別々に開催された。
警視庁は警備の都合があり陸連に1本化の要請を行った。
翌年から隔年で主催されることになったが過密日程で既存の大会の権威が低下した。
陸連はテレビ放送権によって莫大な利益を上げたが選手のレベルアップになったかというと疑問である。
0379ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 13:38:41.82ID:TLxcM9qp
良く知られている通り東京NY友好マラソン1981(フジサンケイ)のテクニカルディレクターは
東京五輪の最終聖火ランナーだった坂井義則氏であった。レースではロドルフォ・ゴメスが
圧勝し、上位も外国勢が独占したが、映像では5位だった阪本峰照を大きく映した。勝負を
度外視して日本人に焦点を当てる手法は現在では当然だが、当時では斬新であった。その一方で
日本人1位というレースと無関係の価値観を持ち込んでしまった事は功罪相半ばする。
0380ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 17:46:37.79ID:TLxcM9qp
1983年ロッテルダムマラソン
https://www.youtube.com/watch?v=WQiOhfpMsac
(幻の)世界記録保持者でマラソン全勝だったサラザールと(真の世界記録保持者で当時)
世界歴代2位で英連邦の覇者のド・キャステラに加えて、サラザールや瀬古と好勝負をした
前年の覇者ゴメス、モントリオール五輪10000銀のロペス等、日本勢以外の世界トップを
集めて世界1決定戦と銘打ったマラソン。結果はサラザールがまさかの敗退(5位)、東京
から僅か2カ月のインターバルのゴメスはほぼ自己ベストの3位。ラストはド・キャステラ
とロペスの一騎打ちで、ド・キャステラが2秒差の2.08.37でゴール。このタイムはこの年の
ランキング1位、ロペスは3位(2位は瀬古で4位が宗猛)。トラックの一流ランナーをラスト
で凌ぐ底知れぬ強さを示したド・キャステラは世界選手権も制し、ロス五輪での本命に躍り出た。
復権を狙ったサラザールは年末の福岡に急遽参戦。途中までイカンガー、瀬古と競い合ったが
宗兄弟に抜かれ5位に終わり、本番での期待はしぼんだ。ロペスは84年に10000で従来の世界記録
を上回る記録でゴール(マメーデに次いで2位なので世界記録保持者にはなれず)。マラソン
ではド・キャステラ、瀬古に次いで3番目の評価を受けるに至り、本番では五輪新で圧勝。
0381ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 18:26:12.19ID:d0drhNdI
1982年英連邦大会も好勝負
https://www.youtube.com/watch?v=4-VvFAFWb3w
58分頃からのキャステラとイカンガ―の競り合いからキャステラが抜けだし優勝
0382ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 18:48:17.44ID:wr+QL8Np
>>380
83年ロッテルダムは、
ラスト400が60秒くらいのスプリント勝負だったらしい。
0383ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 18:56:53.81ID:aQG5MhKl
この時代に瀬古がいたら当時以上になれたのか、それとも当時以下になるのか
0386ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 19:20:52.83ID:MPcbGcqp
キャステラのレースは意外にアップされているんですね。
強さが分かる。ロッテルダムのラスト2.195kmは6分19秒だったとか。
0388ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 20:06:18.18ID:MPcbGcqp
>>387
いやあ、これは驚いた。キャステラの長髪は確かに見たことないです。
しかし懐かしい選手だなあ。それに強い。
これだけ重厚な走りを見せてくれるマラソン選手は、そうはいない筈です。

82年の英連邦大会は、イカンガーの出世レース。当時は18歳などと紹介
されていた記憶が・・・・・・・
序盤、イカンガーとシャハンガが突っ走り、なかなかキャステラが追い付けない
地元民がジリジリしそうな展開の中、終盤、キャステラが底力を発揮して、
シャハンガを後方に追いやった後、遂にイカンガーに並ぶ展開。
驚いたのは、追いつかれた後のイカンガーに抵抗力が凄くあって、スタミナ切れを
起こしておらず、2度も再度キャステラの前に出て抵抗していたこと。
直後にキャステラがもう一度仕掛けて振り切ったものの、12秒差で2位につける
大健闘。キャステラは最盛期の強さが全般的に滲み出ていたもののイカンガーの
抵抗力も見事だったクオリティの高いレースでした。
0389ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 20:09:24.04ID:MPcbGcqp
ヘルシンキで行われた世界選手権は、キャステラが勝つべくして勝った感じでした。
バルチャと競り合っていた時に「おれは、なんて強いんだろう」と思っていながら
走っていたとか。傲慢に聞こえず、結構笑えるコメントでした。
改めて、いい映像ですね。アップ主さんに感謝です。
0390ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 21:17:22.40ID:wr+QL8Np
そういえばマメーデが日本で5000m走ったときも凄かったね。
国立競技場でおこなわれた日刊ナイター陸上の5000m。
終始独走で13分08秒54の1983年度世界最高記録。
まだムーアクロフトの13分00秒42が世界記録だったかな。
ちょっと離れて新宅が2番手を1人で走ってたな。
0391ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/18(日) 21:55:25.90ID:TLxcM9qp
マメーデのロス五輪10000決勝での途中棄権は不可解だった。予選はトップ通過だったので
好調そうだったのだが。
0393ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/19(月) 08:08:44.58ID:4ei+kdkC
勝負強いロペス。87福岡で初マラソン、ロペスの再来か、と期待を持たせたマメーデだったが。
0394ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/19(月) 11:07:51.54ID:+JGBDFKc
一寸マニアックだが78年の欧州選手権10000mの決勝のビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=NmgMo0LHAZo
が興味深い。結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/1978_European_Athletics_Championships_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
にあるが、1位〜3位は当時の世界歴代4-6位の好記録ラッシュ。

1位のバイニオは長く活躍しロス五輪の10000mで2位でゴールしたがドーピングで失格。
83年の世界選手権等のそれまでの記録は有効になっている。モスクワで銀、銅を取って
活躍したマアニンカが後にドーピングを告白しているが、モスクワで活躍出来なかった
バイニオがロスで使ったのみなのか常習なのかはっきりとしない。因みに84年のロッテルダム
マラソンのBサンプルで陽性となっているので五輪のみということはなさそう。

2位のオルチスは78年のハか国陸上のため来日し、瀬古を子ども扱いし、瀬古のトラックへの
未練を絶った事で有名。しかし活躍はこの年のみと言って良い。

3位のアンチポフは80年のDNガランで瀬古が10000mで日本新を作った時の相手。
当時ソ連だったが本来リトアニア出身。モスクワ五輪では活躍出来なかった。

4位のフォスターも好記録でゴールしたが実は彼は6月23日に前年の世界記録を
上回る世界歴代2位の27'30"3で走っていた。彼はモントリオール五輪10000m
でビレン、ロペスに次いで銅を取る等、当時の代表的なランナーで数多くの栄誉に
輝くと共にビジネス界でも成功している(Nike Europe等のvice-presidentを経て
Nova Internationalを創始)。
0395ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/19(月) 12:07:57.91ID:gflnpaI6
当時の陸マガ記事によるとマメーデの400mベストは47秒0だったらしい。
それで、5000mで年度世界最高を出した日刊ナイター陸上の男子400mの優勝記録が
たまたま47秒00だった。半田昌一だったかな。
日本のトップ・スプリンターなみのスピードを持つ選手に
5000mを走られたら勝てるわけがないという記事だったな。
その後に400m46秒台のアウィータが出てくるんだが。
0397ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/19(月) 13:38:15.96ID:Psm2ODIC
アウィータは45秒行けそうだが、たまたまレース機会が乏しく、46秒台がベスト、という
ところではなかろうか。
0398ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/19(月) 13:43:45.48ID:Bt6olMqB
>>394
(誤)1位〜3位は当時の世界歴代4-6位の好記録ラッシュ。
=>(正)1位〜3位は当時の世界歴代5-7位の好記録ラッシュ。

https://sites.google.com/site/projectnurmi/home/world-records/10000m-men-s
は抜けがあるものの10000mの歴代世界記録のビデオが並んでいる垂涎のサイト。
0399ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/19(月) 16:04:26.03ID:gflnpaI6
>>396 >>397
たぶん、そういうことです。
ジェイランもファラーに勝ったとき
「400のベストは?」と聞かれて
「測ったことないから知らない」と言ってましたね。
0400ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/19(月) 16:38:26.25ID:BykbKYj2
>>399
誰がそんな質問したんだよww
0401ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/19(月) 17:16:35.26ID:gflnpaI6
>>400
もう覚えていませんがこういうバカな質問はモッチーあたりでは?
0402ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/19(月) 22:33:54.87ID:5F7ew4H3
昔瀬古がボストンでロジャースと競ってた時、中村監督が瀬古は400m49秒台で行ける、と言ってた。
今のマラソントップ選手、大迫や設楽、井上、服部、佐藤悠基は400mどれくらいで行けるだろう?
上野がかろうじて50秒切れるかどうか位で、他はみんな切れないような気がするが
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