【宮崎駿】君たちはどう生きるか28【ジブリ】ワッチョイ
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2023年7月14日(金)全国劇場公開
原作・脚本・監督 宮ア駿
スタジオジブリ公式HP
https://www.ghibli.jp
スタジオジブリ公式Twitter
https://mobile.twitter.com/JP_GHIBLI
東宝HP(ポスター、シアターリスト)
https://www.toho.co.jp/movie/lineup?modal_open=kimitachihadouikiruka
前スレ
【宮崎駿】君たちはどう生きるか27【ジブリ】
https://itest.5ch.net/medaka/test/read.cgi/animovie/1690798967/l50
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 【参考】宮崎駿にとっての「辻褄合わせ」
宮崎駿「なぜそんなに つじつまを合わせなくては いけないのか」
『熱風』2014年7月号 「クルミわり人形」との出会い
(岩波少年文庫『クルミわりとネズミの王さま』 (ホフマン 作/上田真而子訳 を初めて読んでみて)
この本、読んでいくと、全然つじつまが合っていないんです。 でもそれに対して、まるで原作者のホフマンが
「君、何でつじつまがそんなに必要なんだね」
と言っている感じなんです。 そうすると「つじつまというやつは本当に愚劣な行為なんだな」とか、僕も思い始めるようになりましたね。
つじつまばかり気にしているというのは本当に腹が立つんです。「説明されていない」 とか、そういう映画の感想がものすごく多くて。 僕の率直な感想は「おまえは分からなくていい」(笑) ですね。
実は作品なんて、 分からないものだらけなんです。
分からないものだらけなのに 「分からなきゃいけない、説明しなきゃいけない、それはこういう意味を持っている」とか「こういうテーマがある」とか、そういうことを整然と理屈で言えなきゃいけない、全部もれなくしゃべらなきゃいけない、なんてのは病気です(笑)。
誰でも思いつくことで映画を作ってもしょうがないんです。 石で自分を殴ったのはイジメの対抗手段ではない!リスカと同じ!
こんなのが君生きはアートとか、知能が無いと楽しめないとか言ってる
単に馬鹿すぎて何も理解出来ないから楽しめてるだけだよ
そりゃ幼稚園児しか楽しめないって言うわけだわ
楽しめる奴の知能が幼稚園児レベルなだけ
前スレ終わり際だったから転載 ワクワク感やハラハラ感もなく冒険活劇?って感じでしたね トトロ、魔女宅の頃
■宮崎駿「僕がいま純粋娯楽漫画活劇を作らない理由」(1989年7月)
「思春期の観客層から、以前の作品の方が面白かったと言われるのは
よく判るんですよ。その層を落として作品を作ってる気持ちも物凄く
ある。でも、僕が変わったんじゃないんです。歳とっただけ。ジジイ
にはジジイの感じるところがあるんですよ」
「それより何でワーッと大笑いしてドキドキして、ああ面白かったって
いう映画を作る若い人が出てこないんだろうと。その方が不思議ですね。
僕もバカな話書いてる時が一番楽しいんです。でもそれは『余技』でなくちゃやってはいけないっていう気持ちがあるんです」
「今、活劇をやるには動機付けの問題から逃れられないんです。
要するに、ここまで色々あったけどもう後は活劇するだけだ、という
構造を作るのが活劇ものなんです。そこに行くまでが一番大変で、
その労力が説得力を持っていれば、後のドンパチを堪能できるんです。
いまの作品は『あとはドンパチだけだ』って所までもっていくところ、
前段がいい加減なの。だから面白くない。前段を抜いてドンパチだけ
作っちゃおうっていう話があるんですが、それはやっちゃあいけない。
ウンチク傾けて訳わからない専門用語を一杯並べてドンパチやるのも
『趣味』としては判りますよ。でも、それは趣味です」 ■宮崎駿「僕がいま純粋娯楽漫画活劇を作らない理由」(1989年7月)
「今の時代、素朴な動機でやっていけなくなってる。ビッグになりたい、 リッチになりたい、女をモノにしたい、っていう根源がどこかで崩壊 している。素直に信じられなくなってるんです、僕らは。」
「世界の敵役がいればいいんですけどね。だけど現代、僕らが抱えてる
悪の問題っていうのは、自分たちの日常を基盤にして生まれてるものなん ですよね。その飽和が地球を汚染して、日本にバカなことをさせている。
どこかに影の支配者がいて、っていう話が多いけど、それは違うでしょ。
そんなの問題の根源から随分ズレている。一番自分たちを苦しめている
のは根源の問題なんです。それは一番通俗的じゃないものでしょう」
「それで僕がその根源ににじり寄ろうとすると、とたんに『昔の方が
よかった』って言う若者たちがいる。そういう若者のために自分の
残りわずかな時間を費やしたいとは思っていないんです」
「ぼくは日本のアニメーションが一番やっちゃいけないのは、ファンと
いうものはこういう人たちだと限定して、特に好きもんの活動をしている 人たちを相手に作っちゃうことなんです。アニメーションなんか全然
見たこともないっていう人が見ても納得できるものを作るにはどうしたら いいか、その普遍性ににじり寄っていかないと映画というのはやっぱり ダメなんだということです」 ■「隅々まで計算しつくした」古いスタイルにはもう関心がないという宣言
(1990年代)
―それにしても、宮崎監督の映画作りはずいぶん変則的な方法ですよね。
「もちろん理屈で作る事もできますよ。ここに悪役を設定して、
ここで 山場を作って、ここでグッと一回沈めて、ここで一気に爆発させてカタルシスのあるハッピーエンドに持っていくんだ、 っていう。そんな 骨法なんて誰でも語れますよ。
『カリオストロの城』なんか、その典型的な枠の中にピタッとはまるように作ったんです。あの時はそういうクラシックな事をやろうとしたんです。
今もそういう事は出来ますよ。出来ますけど、それはもう面白くないんですよ。作る側だけじゃなく、見る方ももう飽きているんじゃないかと思うですけど。
そういうものが完成して一つの文体になった瞬間に、つまらなくなるんですよ。そういうものを、生き生きさせるのは何かって言ったら、あとは過剰な思い入れだけです。たとえば恋愛映画なんてもう無数に作られているわけだけど、そこには素晴らしい女優がいたり、本当にドキドキ出来る監督がいたら、新しい映画は出来るんです。
そういう要素がなくて文体を思い出しながら映画を作るようになったら
もうおしまいですよ」
―すると、そういう形骸化したスタイルではないものが映画に必要だと。
宮「映画で大事なのはその時のビジョンなんです。耳たぶの産毛が金色に 光ったりとかね、そういう部分だけが印象に残って、映画は残って いくんです。ストーリーが残るんじゃないんですよ。
ストーリーなんて何とでもなるんですよ。でもストーリーが出来上がっている事が、映画が出来上がっている事ではないんです。そういうものは全部棄てちゃってもいいんです。テーマだなんて言ってるものだって
そうです。言葉で言えるようなものは映画のテーマではないですからから。」 積み木崩して力があると言われる石が無くなる。結局、空から降ってきた石ってあっても無くてもどうでも良い物だったんでしょ。 こんな分かりやすいアニメ見て理解できないのはガイジ 君はどう生きるか…題名は作品で視聴者に問いかけてるのかなと思い、作品で表現されてるかなともイメージしたけど、主人公の苦楽や葛藤、成長表現がなく最後の積み木の選択にいたる。視聴者の感情移入も無いでしょ。弓矢を作る表現に時間をかけてたけど物語の中ではどうでも良い部分だったなと振り返ると思った。 登場人物の所作や風景描写は相変わらず拘ってる・上手いなと思うが、それだけでしたね。宮崎駿が詰まっている表現のオンパレード。
ただ話としてつまらない・魅力がないというのが致命的。ほんと期待してただけに残念。 >>9
いや...あの謎隕石の構造がそうなってんのよ
穴だらけで中空がある部分が外殻
その内部コアとして宙に浮かぶ船形の岩がある
(このコアにたどり着くためには何重もの異空間を超えていかなきゃ行けない)
そのコアこそ大伯父の世界創造の力の源泉
その創造した世界の維持のためには、あの積み木が必要なわけ
あの積み木の石のことを大伯父は「石との契約」と表現ししていた
眞人に与えるために用意した石は「遥かな時と場所を旅して見つけた石だ」と大伯父は言い「悪意に染まっていない石だ」とも言う >>13
「君たちはどう生きるか」
この題名が鑑賞者への問いかけだと思っちゃうよな
(まぁ最終的にはそうなるんだろうけど...)
ピンと来ない人は海外での英題『少年と青鷺』の方がしっくりくるんじゃないか
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』は、劇中では眞人が心を入れ替えるきっかけとなった児童文学として出てくるだけ
生前の母親が眞人が幼児だった頃に買っておいた本で、思春期頃に読んでんで欲しかったもの
だから孤立も良しとして荒んでいた眞人は亡き母のごとくに読んで涙を流す
なので母ヒサコがその本に何を託していたのか、眞人は亡き母からどのようなメッセージを受けたのか、それを知りたい人は読んで下さいね...といった程度
一方で劇中では(言うなれば)「君たちはどう生きるか」と問うているのは大伯父で、問われているのはヒミと眞人、という理解でもいいと思う >>15
異空間、幾つもの世界、違う時間軸と繋がってるのは分かるけど、それが無くなることによる影響は主人公の世界に戻ってきても何も変わってない様に見える。
石には力があるとは言うがそれがどの様なものかはよく分からずじまい。 >>17
そうだね、大伯父の創造した世界は時空間がとんでもないことになってて、ちょいとSF要素がある(ファンタジーなのでガチSFではないけど)
謎隕石の謎パワーがどのような機序を持ってるのかも不明だが、つまり舞台装置だと思う
舞台装置といっても何種類かあるんだろうけど、いわゆるマクガフィンに当たるんじゃないかな
マクガフィンとは何者か?と問うても答えは出ないというアレ 理解の度合いにもよるだろ
全部のシーンを正確に理解して初めて理解したと言えると思ってて俺は理解したぞってやつからしたら自分と違う捉え方をひとつでもしてる奴がいたらあーだめだめこいつぜんぜんりかいしてないやんってなるし >>16
二人の子供の選択が、まさに君たちはどう生きるかの答えなんだよね
それをわかりやすくしたいならポスターをわけわからんバードじゃなくて大叔父をバックにどんとおいて二人の子供を立たせておけばいい >>19
というか俺の場合だと、とりあえずおおよその全体像はつかめたと思ってたら、鑑賞のたびに新発見があったり、ここで他人から指摘されたりして、「わかってなかったやん俺」ってなることの方が多い
得体の知れない作品だと感じる >>20
そりゃいいやw
めちゃくちゃわかりやすくなるな 親や先輩の期待を子供や後輩は裏切るしやってきた成果も大したものじゃないと受け止められるだけなのかもしれない、あとは継がないかもしれないが、それでも君たちが悩んできたこと選んできたやって来たことには価値があるから君たちは君たちの人生を送りなさいって映画だよなたぶん、そうすれば前半と後半のつながりも割とスッキリできる
場所やものは提供はしてやれるけどそれをどう使うかなんてのは所詮は本人次第なんだ、提供してやったんだから俺の望むようになれってのは傲慢なんだ、でも俺は提供したことに誇りを持っているし、そうして行くことが俺の生きかただったんだ!って感じだね >>21
確かにな
階段の爺さんに反応してるのが夏子、キリコ、眞人だけってのなんかは
初回じゃ拾いようがない情報だもんな
複数回鑑賞を想定して作ってるんだろうな
ただ、そこに深い意味はないんだろうと俺は思ってるけど >>25
前スレで、階段の幽霊爺さんに夏子も会釈してると言ってた人が居たが(その人はまだ初見のみ)、確認したけど夏子は無反応だったぞ
眞人もそうだったはず(基本的に眞人目線で描くので、眞人に幽霊が見えるなら画面のあちこちに幽霊を描かにゃぁいけん)
アレはキリコが「見える人」であることを示す伏線で、物語の本筋ではないけど深掘りしたい人には格好の材料にはなってる >>9
どうしてあんなムーに載せればいいようなものに頼ったのかね タイトルの話は何度も出てるな
君生きの最大の問題点だろう
広告出さなかった事も相まってタイトル詐欺と思う奴多数
そりゃ評価1にもなるわ
視聴者がどう生きるかを駿が示す話だと思って見るから、その答えが分からなくて難解ストーリーと解釈される
タイトルが少年と青鷺なら大分評判違ったろうな
そして残ったのはアートとか低能には理解出来ないとか喚き立てる信者だけ 大叔父とはだれか
凄いアニメを作りたくてあがいている宮アのことかね >>27
そりゃ『君の名は。』だからでしょ
謎隕石の謎パワーによって時空を超えて出逢えないはずの二人が出逢う
ムーやね >>28
お品書きに丼ものって書いてあって親子丼や牛丼が出てくるならともかく
出てきたのは料理なのかこれ?いちおう食えるけど…って首をひねる代物
それも和洋中の味付けぐちゃまぜに一口ずつ
って感じ 宮崎駿作品だから批判しちゃいけないって事で、アートとかって言うのかな?アートとは思えなかったのだが。 >>29
「大伯父様」とは眞人の祖母の大伯父(高祖父母の誰かの兄)
青鷺屋敷の主だった人で、庭の奥で謎隕石を見つけ、それを塔と呼ばれる大きな洋館で覆った人(死傷者が多く出た)
とても頭が良かったけど本を読み過ぎておかしくなってしまった人 あ〜
ん〜
の〜
く〜ん♪
マリがアスカの母親だと「言わないこと」が面白さだと思った?
言ったら面白くなくなると思っちゃった?
https://i.imgur.com/Ao6szGj.jpg つ〜
る〜
ま〜
き〜
く〜ん♪
マリの正体さえ誤魔化してしまえば新劇終わったあとも5人組のチルドレンで〜すみたいな顔してキャラクタービジネス続けていけると思った?
https://i.imgur.com/Srifmn3.jpg 観客を楽しませようなんていう気が全くない
無責任な映画だ >>33
婆や連中がおおおじ呼んでるのがよくわからんのよね
嫡男じゃないよね おおおじの血筋の男子って眞人だけなのか知りたい
あと血筋って直系なのか気になる ムシャクシャして人工物に頭突きをすることは他者に危害を加えることの代替行為である。
当作においては自然物を使っての頭突きであるため、常識で考えれば自傷行為であると結論付けたいところではあるが、どちらの表現も記号的なものであるため、現段階においてその様な事物に拘ることはプロット主義的な病であり、その病根は作品外にまで拠したのち悪意 青サギがしゃべりだすのは、頭に傷を負ってから。
チャクラが開いたんだな。 このままだと余所者として小突かれる学校生活になることを予期して子供の喧嘩の範疇に収まらない大事にして大人に介入してもらって抑止してもらおうという(悪)知恵
もしかしたらこんな田舎に大人の都合で連れてこられたせいで辛い目にあっているんだぞっていう父親、夏子さんへの意趣返しも含まれているかもしれない 昨夜観てきた。千と千尋の神隠しの男の子版って印象だったな。思い出のマーニーとコクリコ坂から、も混ざってる感じ。
あとは、宮崎駿監督にとっての「天使のたまご」を作っちゃったの?と思った。
押井監督がよくやる、水中から水面へ浮かび上がっていくカットもあったし。 >>4
自傷行為だからアートなんじゃないか
ゴッホと同じ >>40
>婆や連中がおおおじ呼んでるのがよくわからんのよね
大伯父は祖父母の兄
大叔父は祖父母の弟
...で、曽祖母の兄弟や高祖父母の祖父母の兄弟も独自の言い方は無いので、代が下ってもそれ以外の呼び方は無いと思う
あの大伯父様は青鷺屋敷の主だった(パンフ情報)のでそう呼ぶのだろう >>40
大伯父様は子を成さなかったと見える
だから弟か、妹が婿養子をとって今の家系なのだろう
大伯父様から見てヒミや眞人は直系の子孫ではない
だから彼にとって子孫と言えるのは傍系子孫のみ
彼は眞人と初対面の時にこう言った
「来たね、子孫よ」
大伯父様は夏子の「母」の大伯父だから母方の先祖
眞人も夏子の姉ヒサコの長男だから、やはり母方の先祖
父系を原則とする明治民法の家父長制からすると、夏子姉妹のところで父系の血筋は途切れ、眞人のとこでさらに別の父系の血筋に変わる
大伯父様の言う「私の血を引く者」が父系ではないことははっきりしてる 常識人の公務員みたいな奴が
芸術作品なんか作れないからな
せいぜい趣味のコピーバンド止まり Tiktok触ったことないやついたら10日ログインで5000円
資金の足しにしてね
今日で受付終了
https://note.com/social8/n/n550e406555a7 先祖に精神病者がいたような描写もあったから
血を継いでると見ることも可能 分かる分からないで言えば、客それぞれが個別に分かることはある、
この映画が、面白かったかどうか。
意味がわからなくても面白いというのもあればそれがつまらない原因と言う人もいる、
映画をビジネスとして捉えるならより多くの人が何度も足を運んでくれる、最大公約数的に面白い要素を盛り込んだ作品を作る必要があっただろう。
しかしこれはそうじゃない、
ジブリによる同人映画に等しいので、つまらないという感想も織り込み済みで公開した可能性は極めて高い。
従って受け手つまり世間の作品評価はなにかしらあるが、作り手の思惑と信念で用意された演出意図がわかりにくい描写も含めた各場面の本質的な価値は、まったく別の場所で存在してると言ってもいい。
つまりそここそがアートの本領であり、駿の原液をすすると表現されるような穿った映画の見方をする必然性が出てくるのだ。 駿と切り離した創作として作品を観ることは可能だが、それなら別に駿ではない、なんならジブリでもない、適当に選んだ新作映画を観れば創作を楽しむことは同じだろう。
駿の最終作品でありジブリの持てるコネカネを潤沢に使ったからこそこのわけのわからん作品を観る意味があったのだと思っている。
しかし、あまりおもしろくなかった。 アートの定義を述べるつもりは無いけど、現代のアートには説明が必須
作成意図や作者の考え方、作者の経歴等の長々とした説明を聞きながら作品を見るのがアートの楽しみ方
最近の藝大入試でもエスキース、つまり作成意図の説明資料が作品と同じ配点になってる
アートが教養がないと楽しめないというのは、作品ではなく作品説明こそアートの大部分を占めるという事を理解してない人を指してる
そういう意味では作成意図の説明が無い君生きは現代のアートでは無いね >>54
アートの本質は人が作ったもの、ただそれだけよ
人の手が加わってない自然物になにかの細工をするだけでアートである。
駿が自身の人生で得た多くのものを脚色して動く絵にして再構築した創作を、アートと言わなかったらこの世にアートは存在しなくなる
まあ現代アートという特定の界隈のみ通じるジャンルで議論するなら、これは現代アートじゃないよね。なにしろ作品の舞台は近代日本だから。 >>55
アートの定義を論じるつもりは無いと最初に言った
ただ現代でいわゆるアートを見に行く、アートを楽しむという場合のアートには君生きはなり得ない
何故なら説明が無いから
それだけ まあ工業製品、実直に機能だけ持たない道具、食べたら無くなる料理なんかも広義のアートに含めてしまうと話が散らかるので、一応は創作作品、日本で著作物と呼ばれるものに限定した話にはなるかね。 もしパンフレットで作成意図とかシーン説明が詳細に記されてたらアート判定だったかもな
ただ見て感じてくださいは残念ながらアートではないんよ >>56
いや、説明はあるだろ?
駿がやりたいように作ったものだという最上級にアートな説明を、鈴木Pが事前に示したじゃないか。 これまでの作品がある上での、ひとりのアニメ監督の創作の集大成がこれですから、良かったら観てください、っつってジブリファンもアンチもどっちでもない人も観に行ったんだから、完璧にアートだよ。 あとで絵コンテとかもし出てきたら、岡田氏とか熱心なファンは穴が空くほど見て研究するだろね
そこはジブリの積み上げた実績が為せるものだわ
自分はそこには興味ないけど >>59
アートの説明はwikipedia並に長くて詳細なやつだよ
美術館行ったことあるだろ
アトリエなら作者が横に張り付いて長々と語ってくれるし、藝大入試なら作成意図帳が作品と同配点だ
映画なら各シーンの作成意図から社会的背景などを詳細に語った資料を読みながら実映像を見るのがアートの楽しみ方 >>60
現代で一般的に用いるアートの定義からすると君生きはアートではない
何故なら詳細な説明資料がないから
お前にとってアートなのは別に良いけど一般人からするとアートでは無いんだわ
残念だな >>62
まあ、うちらは日本人であり、若い人はアレかもしれんけどそれなり人生やってりゃ駿が生きてた戦後時代も知識はあるので、それを踏まえて映画の前半を見て各自で解釈するだろね
後半は、これまた日本的な気はするけどだいぶわけわかんなくなるから、確かに解説ほしいとなるし、それがここまででもスレ民が語りまくる主要因になってると思うよ
このまま解説しないふいんき出してるし、研究したい人らには投げっぱなしジャーマンすぎてつまらんかも >>62
てかさ、その説明でいくとローマの休日クラスしかアートな映画なくなるけどそれはそれでいいの? エンタメとアートは両立可能という前提で話したけど現代アートというとそれは否定されるのかな? そうでもないよな なろう系映画とか逆の意味で現代アートだしな
荒唐無稽な展開やあまりにも監督と脚本家の個人的な性癖出し過ぎな演出とか。
もちろん駿がなろう系という意味ではないのであしからず >>56
作品自体を見れば意図を理解できることなんてしょっちゅうあるけどね
説明が無いとアートでないという考えは非常に狭い考え方だと思う
俺とは違う世界の人だな 何でもない日記がナチスに追われるユダヤ人の少女が書いた物だった
ただのボロい建物が原爆被害を受けた物だった
音楽も、好きな作品の主題歌だったり思い出のゲームのBGMだったら大きなプラス評価になる
つまり作品に付随する要素を盛る事で作品自体の価値を高めようとするのが現代のアートの動きだよ
藝大の大学院に映画専攻あるけど、基本的な考え方は一緒だよ
作品自体の魅力は前提として、アートでは作品外の要素を非常に重要視してる
その最たる物が説明だから、説明がない君生きは現代のアートでは無い 因みにこれが漫画やアニメがアートではないと言われる最大の理由でもある
即物的で作品の魅力のみに特化してるからね
まあ俺はアートより漫画アニメのが好きだけど アートって何だろう?とググってみたら、世の中的には映画もアートの位置付けにあるんだね。知らなかったけど。
ただ、宮崎駿作品は多数ある中で今回だけアートだ!って表現が目に付く。何故だろう?映画内の表現含めた芸術性は昔から変わらずにあると思うし今回が特別に秀でてる感じはしない。凄い!や感動した!っていう内なる気持ち・心の高まりは無かった。
現代の映画やアニメ描写が発達して凄さを見慣れてしまったかもしれないが。
ストーリーにワクワクやドキドキ、展開の驚き・謎が知りたいなど面白いとは感じませんでした。そこが非常に残念。 一人で語り続けてて気持ち悪いな
ブログでもやりゃいいのに あの自傷行為によって
この映画は、子供用の劇場アニメではなくて
芸術作品ですよって宣言したかったのかなと
個人的には、推測してる もったいないよなーもっと情報を小出しにしとけば初日からもっと小難しい考察がーとか映画評論してますーみたいな人らもいつものジブリのノリでタイトルに臆する事なく気軽に見に行ってただろうに 見た後の理解もはやいだろうし
結局、あの情報だけでも見てやろうってのはよっぽどのジブリオタかよっぽどのアンチか映画評論好きくらいかのもんよな
で、ジブリオタの感想は最高!って涙を流し、アンチは当然酷評、ジブリ信者のカルトぐらいしかみねーよってかんじでなるほどってなり、評論系はわからん、難解だ、って感想になる
そうなると映像もみてない一般層はじゃあやめとくかなってなるのは自然な成り行きだった >>77
あ、まちがえた、そういう人以外のいつもの一般層な 広告をうつことでまっさきにくる一般層 主人公が、一見
戦時中の無口で礼儀正しい少年風だが
パヤオの投影でもあるから
自傷行為をするような芸術家要素も含んでる
という結論でいいかな? 長文ってレスバトルしてない時もこんなに長文なのなw
読む気失せる
内容はところどころ同意出来ることはあっても、所詮本編の読み込みが甘いので賛同一辺倒にはならんよ
長文で圧倒なんかされないし、知識量で認めさせるつもりかもしれんけど、そういう承認欲求こそが余計なんだよ、匿名掲示板で 仮にアートに振った作風だとしてもキャスティングや主題歌がいま流行りのメンツで俗すぎる ひとこと、おもんない、で片付くものに何エネルギー消費してんの? アートっていうんならもっと先鋭的な絵が必要だ
あんなマンガチックな絵じゃしょうがない >>82
いや、おもんないではない
もっと悦に入り細に入り批評しなけりゃいけない パヤオには残る短い余生をののしられながら過ごしてもらう >>86
中身のない長いだけの文章だから
ただの、直接的な荒し 長文君は理解が浅いというか、単純に頭が悪くて読み違えた状態で長文をアウトプットするから不快感がすごい 今回ネットの評判見て判断するのだけはダメだなと思ったよね
直接自分の目で観ないと判断しちゃいけないこともあるんだなと
幸い身近な人の評価は高くて絶対観た方がいいとのことで観に行ったんだけどね
センス良い奴が身近にいて良かったよ 同じ家族内でも夫や妻、子供で評価が違っていたりもするみたいだからなあ
なんでこの映画の良さ(悪さ)がわからないんだい?
が日本中のいたるとこでおきてると思うとなんかおもしろいね ジブリ新作『君たちはどう生きるか』
公開1ヶ月で興収62億円突破 前週比+8億円
https://www.oricon.co.jp/news/2290786/full/
7月14日に公開された
スタジオジブリの宮崎駿監督(※崎はたつさき)が
手がける10年ぶりの長編映画
『君たちはどう生きるか』の興収情報が7日、
発表され、公開から1ヶ月で
観客動員数412万5000人、
興収62億3500万円を突破した。(興行通信社調べ)~ >>91
お盆ブーストとぉ!パンフブーストぉ!
夏休みブーストぉ! >>90
これさ、配偶者とか彼女に全然分からないとか言われたらすごい悲しいよね
まあ他にも愛せる部分っていくらでもあるとは思うし、本質的には関係ないのかもだけど
この映画お互い分かる!めちゃそこ良いよねとか共感できたらバチクソ惚れ直すというか、やっぱおれの選んだ女だなとかってなるよね 見る人によってみた感想が違う、いろんな見方がある、いろんな解釈をすることができる
そういう意味ではアートともいえるかもしれない そういう部分で言うとコロナワクチンの事象にも似てる気がするな
家族でも全く意見が違かったり、全く伝わらなかったり
人間の思考ってここまで違うのかというのを見せつけられる感じ コロナワクチンか、なるほどね
たしかにあれも家族が一つにまとまるわけでもなかったね
結局、何が正解だったのかもよくわからない
この先そういうことにもっともっと直面していくんだろうかなあと思ってみたりするねえ >>95
問題はアートとして作られてなくて
ただ尺の配分間違えて肝心のところが駆け足になって色々足りないだけの作品なところだな タイトルが問いかけ形式でぱやおってだけで多分チートなんよw 勘違いしてる奴多いけど、アートて高尚な意味ではなくて、単につまんない作品に付ける言い訳の事だよ
作品だけで十分な魅力出せないから付属情報に頼ってるだけ
昔のゲーム語る時とかに~MBとか売上とか制作者付けてるのは、付属情報が無ければ今の人に魅力が伝えられないから
大衆文化が後の世にアート扱いになるのは全部同じ理由で、作品の魅力が無くなったから社会情勢や制限みたいな言い訳を付けて無理やり価値を高めてるだけ
だからアートだよって言うのは作品単体では魅力十分に出せてないっていうのと同義だから決して褒め言葉じゃないぞ 絵を描く人間だったら、この作品は(デッサン力が)スゴイと思うけど、3Dゲームに慣れてしまっている人が見たら
よくある異世界ものでしかないだろう
手描きアニメ・漫画が生き残る道としては、『哲学を絵にする』といった方向が存在価値となる
そうゆうジャンルのさきがけとして評価されていくものだろう
「面白さ」というのは、実際、人によって変わる
面白さを追求しても仕方がない諦めも必要だろう
面白さだったらゲームの方が優れているので、「哲学を絵にする」といった挑戦が、これからの作家の生きる道となる よくよく考えると駿は芸術家と名乗ったことはないから周りがアート扱いすると嫌がりそうやな >>100
まあ昔のビデオゲームはアート面は、あまりにも貧弱な表現しかできなかったんで仕方ないと思う
わずか数kBのドット絵やチップチューンは単体ジャンルとしてファンから今も妥当にに評価はされてるけどな 駿はアニメーション監督であり漫画家でもあり自分の手で絵を描けるプロとしては間違いないと思うけど、作品への哲学というか原動力はあまり素直じゃない感じ
創作でも人を虐殺したくない強い制約を課してるみたいやし、その他のインモラル領域にも容赦なく踏み込みまくる危険な創作は自制する感じ
手塚治虫や永井豪と違うのはたぶんそこ
今作も母親(夏子含む)の描写は、本心では相当屈折してるものを出したいけどおそらく意図的にかなり自制して一般が理解できる程度に演出したのではないかなと思う ファンタジーを絡めすぎたんちゃう?
題材的に風立ちぬくらいの感じがちょうど良かったんやと思うなぁ >>106
夏子の描写は駿らしさ全開だもんな
大嫌いと言ったあとにすぐに主人公を逃がそうとするところとか複雑さがたまらない
これが普通の監督なら大嫌い→主人公ショック受ける→でそのまま次のシーンに移って和解は後ほどだろう 宮崎は、この作品で戦時中の軍国主義を独特な仕方で皮肉ってるような気がするね
現代人や外国人から見たら、下の世界だけでなく、上の世界(戦時中の日本)も
ある種の異世界の様に見えるという作りになってる まあ、小説の原作が概ね2つあることも考えるとやっぱ安易なアート呼びはそちらの作者にかなり失礼にあたるからやめるわ、
あくまでもこれまでのジブリの延長線にあるアニメーション、と言うとそれもやっぱ違うけど。
ここで宮﨑駿名義を使ったのには十分に意味があったわな。
説明されなくても、微妙におもしろくなくても、作品に色んな意味を込めてるっぽいことはさすがに分かるし、やりたいことやる創作行為はこと日本においては最上級の賞賛をもって迎えるべきなんで、レビュー1はちょっと厳しすぎかな。
俺は初見での印象60点付けて後で反芻して5…点に下げたけど、少なくとも赤点落第な映画とは思わんわ >>109
若い人や海外の評価はそういう意味では貴重なデータになるかもな
明日、あえてこれ観に行く人は少ないと思うけど この作品もいずれはコモンズになるし、そこまで見据えてずっと残る作品として作ったのなら、みんな知りたい内部設定はそのうち制作に関わった人らが死ぬ前にNDAを自然に解いて、さらっと思い出話のようにリークする感じになるかもな
今の若い人ならそれまで余裕で生きてるやろ 色んな見方なんかねえよ
あるとしても、それはどの映画にも普遍的ないろんな見方でしかない この映画から
>>109みたいな統失もいいとこな感想持つやつまじでなんなの
大喜利してんのかってレベル これ、本当に冒険活劇ファンタジージャンルでいいのかなあ。
他人からは見えない駿の中の心象世界は駿が生きてるうちはそこに実在するわけなんで…
現実と違う世界と言っても、子供が頭打って寝込んでる間に見た夢って言えばそれで通りそうな程度には現実とリンクしてるとこがなんとも。
トトロ同様にアオサギもワラワラもそりゃファンタジーの産物だが、人間キャラクターは架空なのにモデルが誰なのかで揉めるくらいには現実的な存在だから、
宮﨑駿世界(仮)がより適切なジャンル分類になる気がするわ。
オンリーワンジャンルというやつだな >>114
多態性(別の言葉で言えば混沌)を具現したアニメ映画として、見る人が自分の人生経験を映し込んで咀嚼するのは別にいいんちゃうかね。
毒男の感想と子持ち母親の感想がぜんぜん違うならそれはそれで面白い。 批判的な人間がいてもいいけど
海外の映画賞を取った後に
手の平を返すのだけはやめてほしいな
最悪、手の平を返してもいいけど
私の感性が鈍すぎて気づきませんでした
って、ひと言謝ってもらいたいね >>21
初見で「得体のしれない作品」という感想を持つのは共感できる
でも、二度目だと又印象が変わってくるけどね
得体の知れなさの中に不思議な面白さが加わってくるよ
もし初見なら、ぜひともリピートするのをお勧めするわ >>21
よく見たら、何度も鑑賞されているガチ勢の方でしたね、すまんかった トロントなんて三流映画賞気にしてる日本人殆どいねえよ 「冒険活劇」は鈴木の見立てだけど、そんなんじゃないわ
別に冒険なんかしてねぇし(鈴木は鈴木でそういう見立てになったことまでは否定せんよ)
現代のジャンルで言うなら「異世界訪問ファンタジー」だろ
そのジャンルは神話学や民俗学あたりでいう「異界訪問譚」の現代版
だから王道なんよね
あと「バディもの」でもある、眞人とサギ男のね
最後の最後にお互いを友達と受け入れ合う
これまた王道だよ >>109
過去をそのまま皮肉るのでは悪趣味だと思うぞ
そうじゃなくってもっと普遍的に直近の歴史を現在に生きる問題だと認識しての(大人向けので)寓話として描いてるのがインコ部分だと思う
(それは前スレの終盤に書いた) >>94
まぁ夫婦仲ってのは「何が好きか」より「何が嫌いか」の方が大事だし、嫌悪感が一致してたら同じ屋根の下で暮らせるよ
好きなものはお互い違ってても別にいいしな
「何が好きか」でキャッキャできるのは恋人までだろう >創作でも人を虐殺したくない強い制約を課してるみたい
自分が監督する劇場用アニメ映画についてはそうなのかもね
鈴木が言ってたが、パヤオは納期をものすごく大事にするそうな
どんなに素敵な構想でも「納期に間に合わん」となったらサッとゴミ箱に捨てて畳んでしまうんだと
だから今作には納期を設けなかったと鈴木は言ってたよ
漫画版ナウシカなんて血みどろじゃん(物語それ自体が)
膨大な人々がゴミのように死んで行く ヨーロッパの反応が遅いのは
風立ちぬのトラウマが原因だろうな
今回はファンタジーで芸術性が高いから
どこかで気づくとは思うけど >>106
>普通の監督なら大嫌い→主人公ショック受ける→でそのまま次のシーンに移って和解は後ほどだろう
新海のことかw ポニョ、風立ちぬで
内容的にも落ちてきてたけど
肝心の映像も劣化してたから
今回もヤバいかなと思ってたが
ただの最高傑作だったな 今度こそ宮崎駿の遺作になるかもだから、とりあえず観るだけは観よう(気に入ればリピートするが気に入らなきゃそれまで)くらいの軽い気持ちで公開当日に行った
...ただの最高傑作だった >>114
全くと言って良いほど軍事組織の存在感がなく、文の表記の仕方も異なり、門地
家柄で人生がほぼ決まってしまう階級社会でもなく、着るものも、話し方も違う、
現代の日本人にとって、君生きで描かれた戦時中の日本はある種の異世界のよう
なものだと思うが これほどジブリの中で賛否が別れた作品もないよな
そういう意味ではすごいのかも知れない・・・ 歩兵戦車とかいうものが町を走ってたのは現実にあった光景なのかね
戦争の概略はわかってるけど当時の町並みとか戦時下生活のことまで見てないからよくわからん >>127
監督によって人の心情の表現は全く変わるよな
あとでシン君生きが作られたら今作とはぜんぜん違うことになると思うし >>117
海外の映画賞って何が良いのかよくわからん
平たく興収で比べるのが平等な測り方だと思ってる >>133
シン君生きってつまりエヴァになりそうで草 >>135
コペルがシンジにすり替わるならそうなる可能性もあるが庵野は原作小説を極端に逸脱するような翻案はしないだろう
駿は、また別の小説のあらすじを借りる謎の作り方したからな
そっちの許諾は取ったのかな 大伯父が眞人に放ち、彼が拾おうとするや否や砕けて消える赤い薔薇の暗喩
が分かった
あの赤い薔薇のシーンは、眞人が手に入れようとすると消えてしまうモノを象徴
していて、ヒミが赤い服を着ている事、赤い火を操る能力を持つ事、赤い薔薇が
ヨーロッパの図象学において、「聖母マリアの満開の母性」を表すものとされている
事を踏まえると、ヒミと眞人の異世界における邂逅と離別の暗喩だったんだな
物語のクライマックスを思い起こすと、宮崎があのシーンに込めた意味が切なすぎる 赤いバラでなくても花が散る(砕ける)のはだいたい女性が死ぬことの暗喩じゃね?
ヒミは、赤のイメージがあるから、演出として青いバラを持ち出して、とはいかないと思うけどさ >>138
ヒミは別に異世界で死んでないけどね
赤い薔薇=「聖母マリアの満開の母性」という象徴性が重要なんだよ
ヒミは眞人に対し、出会ってから別れるまで一貫して母性満開だっただろ 昨日見てきた普通に面白かった
ワケわからないなんてことはなかったけど一ヶ所だけ
夏子が「お前なんて大嫌い」ってとこ
あれはあの時点での夏子の本音ってことでいいのかな?
それとも追い返すために咄嗟についた嘘なのかな?
みんなはどう解釈してる? >>140
あれは夏子が自殺衝動があったから塔の中に導かれたと思ってる
マヒトが怪我したことに対して泣きながらお姉様に申し訳ないって言ってたくらいだから罪悪感とか申し訳なさに囚われてたんだと思う
嫌いって言ったのは自分の中に溜め込んだその感情があの場で溢れ出たんでしょ
だからマヒトを憎んでるというより自己嫌悪の果ての発露があれだったということだと思う マヒトはそれを一瞬でわかった、わかってたからお母さん、夏子お母さんって呼んだんだよね
彼女の苦しみの発露からのエネルギーが包帯になって取り巻かれそうになったのを振り解いて救い出したかったんだよね そして2人ともその負のエネルギーに取り巻かれそうになったとき、ヒミが気絶するほど危険を負っても2人の関係性を修復させる為に祈るとこは少し泣いたよね
もうそこで母親は利他の精神で息子と妹の幸せを願えるんだなってね、無償の愛だよね >>138
凍った赤い一輪の薔薇
過去スレでは花言葉を紹介した人が居たよ
「一輪の薔薇」からは「あなたしかいない」
「赤い薔薇」からは「愛情」
そんなあたりが該当しそう(後継者指名と先祖愛)
ずっと凍りついていたその想いが今、溶けて行くといった感じか 夏子の「あなたなんか大っ嫌い!出てって!」もまた彼女の本心の一部だと思う
心の奥底に溜まったドス黒いどろどろとした情念
姉の葬儀にも顔を出さなかったほどだから、姉妹の間によほどのことがあったと思われるし >>147
いや、おれの意見と少し違うだろ?
だから自由だよねと言ったんだが、何か悪いことでもあるのか?
お前は自由ではなくお前の解釈のみが正しいと思ってるってことだな? >>148
いやそれなら否定すんだろ
お前死ぬほど馬鹿だな てか考察でもなんでもないしなこんなレベルのこと
これを考察とか言ってる馬鹿は一切のエンタメに触れる資格無いだろ 本当に本心でマヒトのこと嫌悪してたら自ら死のうとしないんだよ
他責でマヒト嫌悪してたらそこまで罪悪感に苛まれねぇよアホ 優しさでアホを擁護してやればそれにも突っかかってくる低脳さ
そりゃ姉の旦那と関係あれば葬式に出るのも躊躇すんだろ そう猛り狂われたんじゃ話もできないんだがなぁ
時間もあいたし一応言っとくよ(落ち着いてくれてたらいいが)
お前さんの当初の意見と俺の意見は対立関係には無い
まとめてひとつの意見にすることも可能
(俺のは「本心の一部」であり「心の奥底」だから)
全体と一部の区別がつけばわかると思うんだが 今作は「悪意」がひつとのテーマでもある
眞人の悪意、サギ男の悪意、勝一の悪意、夏子の悪意...
誰だって悪意がある
自覚的な場合はその悪意と向き合いながら生きてる
(無自覚な場合もあるが)
眞人は己の悪意を自覚して向き合う生き方を選んだ
一切の悪意を排除したのは大伯父だけじゃないかな
>そりゃ姉の旦那と関係あれば葬式に出るのも躊躇すんだろ
姉妹の間に何事があったのかはわからんから、そういう可能性もあるね俺が思うにヒサコだっておそらく、夏子に「死んでも許さない」と思わせることをしてしまったのだろうと思ってる なるほどなあ
やっぱあそこの台詞の解釈が難しいし夏子、ひさこ、まひとの人間関係が複雑なんよなあ
夏子は自分の意思で塔に入ったのか、それとも塔の魔力で引き寄せられたのかの説明がないんよね
なつこはひさこの葬式に出なかったの?そういう台詞があったなら見落としてたわ >>161
>夏子は自分の意思で塔に入ったのか、それとも塔の魔力で引き寄せられたのかの説明がないんよね
おそらく、どっちもじゃないかな
例えば「心が弱ってる時に憑かれやすい」とか、よく耳にすると思う
劇中では、眞人は夏子が「行きたくて行ったんじゃないと思う」と言い、サギ男(アオサギ)が誘いこんだと決めつけていた
でもサギ男はそれを否定する
「おいらにそんな力はありません」
これが本当なのか嘘なのか
眞人にすれば、一度サギ男の術にかけられた体験があるから「嘘だ」と言うが...
ちなみに夏子が姉の葬式に出てないことは、冒頭にサラッと述べられてるよ
「眞人さんが赤ちゃんの頃に、一度だけお会いしたことがあるのよ」 >>162
めっちゃ台詞覚えてるねw
なるほどそういうやり取りあったんだ
あと夏子は弓を持っててアオサギを追い返そうとしてたし
その辺も事情を知ってのことなのか
まひとの身代わりのために自分で行ったとも考えられるのかな? 大叔父はまひとを後継者にしたかった
インコの王は夏子が産む子供を後継者にしたかったってことでいいのかな?
赤子のうちから自分の管理下におけばコントロールして実質自分が世界を支配出来るし >>163
サギ男の術中にハマり身動きひとつできないでいる眞人
そこへ弓矢を持った夏子が駆けつけ鏑矢を射る
放たれた鏑矢は見事にサギ男の目の前に落ちて退散させた
夏子も青鷺が怪しいことを知ってそうなんだよね...
眞人の身代わりかぁ...どうだろうな >>164
塔内の「産屋」と呼ばれる、結界に守られた石室で夏子が産む男子こそ本命の後継者候補だったのだと思う(過去スレでも同意見の人は居た)
それが「石」の意思だったのだろう
大伯父はあの世界の創造主ではあるが、コアである宙に浮かぶ船形の岩の力を借りねば何もできない
大伯父は「石との契約」と言っていた
あの世界において、船形の岩は「神」のようなもの
大伯父とて神の意思には逆らえない
とはいえ大伯父も限界だ、中継ぎとして眞人に白羽の矢を立てたのではないかな
インコ大王の内心の思惑はわからないな
(あなたの言う思惑もあるかもしれない) >>166
>大伯父はあの世界の創造主ではあるが、コアである宙に浮かぶ船形の岩の力を借りねば何もできない
大伯父があの世界の創造主なんてどこでわかる? 途中からあの世界を通して現実に干渉したり調律してた事はわかるが、創造した?のかどうかは何も語られてなくないか?
大伯父もあの世界の何代目かの守人であって、次の後継にそれを渡していくだけの人間だろ
だからあの世界で自然発生じゃないペリカンは塔の世界において持ち込まれたと嘆いて死んで行くわけだ、他に食う物が無いと溢して >>167
ペリカンは持ち込まれたものなの?
細かいろころ全然あたまに入ってないわw
もう一回見ようかな
最後米津玄師がかかってエンドロールが流れ出してそのまま席立って出て来たんだが
wikipedia見たらもしかしてエンドロールの後に映像あった?それ見てないしw だいたい大伯父は何をやったんだ
若い時の姿でも見せなきゃわからないだろうが >>168
ペリカンもインコも大伯父が持ち込んだ
俺は安易に他人に対して「もう1回観ろ」とは言わない主義なんだけど、あなたの場合は再視聴はオススメかな
この映画への向き合い方や、作品内部への関心の寄せ方などからすると、そんな気がする
(気がするだけやけどw) >>168
あ、忘れてた
米津玄師の「地球儀」をバックにエンドロールが流れて終わり
その後に映像は無いよ >>169
大伯父は「とても頭が良かったけど本を読み過ぎておかしくなった」人だった(失踪時の時点で既に)
そんな大伯父なりの理想の冥界を創造して来た
そこは「死が終わり、生が始まる場所」(パンフの説明)
大伯父は言う
「悪意から自由な王国」
「豊かで平和で美しい世界」
だが「道半ば」だとも言い「世界は生き物だ、カビも生えればムシも湧く、私もまた老いた」とも言う
必ずしも大伯父の想いどおりの世界が実現できてるわけでもなさそう >>172
まだ発展途上って言い訳があるにしろ
結局は行き着く先って現世の姿じゃない?とか思ったw >>167
あの謎隕石は幕末に降って来た
女中の婆さんが証言する「御一新の少し前、天から降って来た」
(「御一新」というのは明治維新のこと)
それから30年ほどすると、すっかり森に覆われていたけど、そこで大伯父が見つけて隕石を覆う洋館を建てた(多くの死傷者を出しながら)
やがて彼は読みかけ本をそのままに塔(洋館)の中に入って、足跡ひとつ残さず失踪してしまった
だからあの世界の創造主は大伯父が初代なんよ
(どんな世界を創りたかったのかは>>172に書いた)
以上が俺の見立てなんだが、仮に納得出来なくてもパンフに「創造主・大伯父」と明記されちゃったので納得してもらうしかない
(こういう言い方は俺は好きじゃないんだけどね、でもパンフでタネ明かしされたからにはどうしようもない) >>117
夜明け告げるルーのうたっていうのを見たら「つまんねえw」と思ったがその後アヌシー映画祭でグランプリを獲得した
グランプリを獲得しても俺の中の評価は一切変わらなかった
その年のアヌシーの長編部門には日本からルー、この世界、聲の形が出品されていたが聲の形は無冠、この世界が審査員賞
アヌシーの審査員はバカなのかと思った >>173
なるほどねぇ、インコどもを見てたらそんな気もする
インコどもはパンフによると「戯画化された大衆」とのことだから
そしてインコが象徴するのは国家やナショナリズムだそうな
(ウィキによればね、ただし実例が貧弱だったけど)
過去スレで「塔の内部世界は、塔の外部世界の影響下にあるのではないか」と考察してた人が居た
卓見だったかもしれんね
塔の外部世界の時間軸(つまり眞人の時間線)で言えば、世はまさに国家主義の時代、過激化したナショナリズムが吹き荒れていたから アカデミー賞ノミネートされたとしても別に俺はこの作品への自分の評価は変えないなあ
尺の使い方や説明セリフの多さや最後の歌も正直に言ってあまり…
世間ではアイドルとかいう歌が人気らしいけど自分には何が良いのか分からんかったし
NFMだけはどうしようもない
ラピュタを高く評価しなかった先人どもの見る目がなさすぎたよ 今のところ色々な人の考察を見て自分なりの解釈でよく分からんかったとこも勝手に納得しましたw
・まひとは夏子が母になることに不満があったが夏子は夏子で複雑な思いがあった
・まひとは子供だから不満を表に出してが夏子は大人だから平静を装って良い母になろうとしていた
・まひとが心を開いてくれないので心労で病気になった
・良い親子関係を作りたいのでお見舞に来て欲しかった
周りに言われ渋々来たが心のこもっていない形だけのお見舞いに心を痛めた
・悲しみの弱い心につけこまれ塔に誘いこまれてしまった
自分が身代わりになるという言い訳もあったがこの世から逃げたかった
・母の残した本を読んで母の思いを知った
夏子を受け入れるのは母への裏切りではなく母の願いだと知った
・大人になり夏子を助けに行った
・助けに来たまひとに「あんたなんか大嫌い」と子供のように罵声を浴びせる
(あなたが助けに来たのはあの時のお見舞いと同じでしょ?形だけの偽善であなたは私を嫌っている、あなたが嫌っているなら私だってあなたを嫌って偽善の親子ごっこなんてやめたい) ところで、何で夏子が久子の葬儀に出なかったことになってるの?
眞人が心を病んで病院に長期入院し、全ての法事を欠席していた可能性だってあるだろ
夏子の死後の眞人の感情を押し殺したような態度から見ても、彼が病み上がりである
可能性は否定できないし、周囲の人間が久子について不自然なくらい言及しないのも、
心を病んだ眞人に配慮していたからかもしれない 父親が夏子と何をしてたかよく知らないとこ見ると眞人がかなり蚊帳の外に置かれてたのは間違いないのだが
しかしそれ以上のことは映画見ても分からんだろ
詮索するだけ無駄 >>179
うん、細部はともかく俺もおおよそそう思う ・塔の中は理想の世界なんかではなかった
・理不尽と思えるような殺生に遭遇しペリカンに問いただした
・ペリカンにはペリカンの事情があることが分かった
ペリカンにはペリカンの役割がありそれを邪魔するヒミにはヒミの役割がある
それぞれの役割により生命は間引かれ秩序が保たれそれが運命だと知る
・インコが暴力により支配していた
インコの王はさらなる権力を欲して夏子を犠牲にしようとした
・結局行き着く先は外の中も中の世界変わらないことを知った
それぞれの立場やそれぞれの事情で世界の均衡は保たれている
理不尽と思われるものもその副産物で捉え方によっては違って見えることを知った
・新しい世界を作ることよりも全てを受け入れて今ある世界を大事にして生きていくことを選択した >>180
訂正
「夏子の死後」←×
「久子の死後」←〇
「心を病んだ眞人」←×
「心を病んでいた眞人」←〇 >>180
「眞人さんが赤ちゃんの頃に、一度だけお会いしたことがあるのよ」
この台詞を小難しく考えずに素直に受け止めたら、葬儀には出てないということになるかな
心を病んで長期入院してたというのはどうだろうね
それだと火災現場に駆け寄る場面と食い違う
母の死が原因で心を病んで葬儀に眞人が出れなかったとする
だとすると日数的に、発症から急激に病状が進み過ぎてないか
(愛する人との死別が原因で鬱を患う例は多くあるけど、葬儀に出れないというのはほとんどないんじゃないか。通常は葬儀も納骨も終わって、一息ついた頃から発病すると思う) >>180の続き
勝一が眞人と夏子に会った際に、重い荷物を息子の眞人ではなく、妊娠中の夏子に
わざわざ持たせたのも、長期入院で体力が落ちていた眞人に配慮した可能性がある
又、勝一の「学校なんか行かなくてもいい」という発言も、眞人が元々学校を休んで
いて「復学にはまだ早い」という判断によるものかもしれない >>187
うん、想像は自由にしていいと思うよ
ただ、
「眞人さんが赤ちゃんの頃に、一度だけお会いしたことがあるのよ」
↓(この台詞を劇中根拠として)
・ということは夏子は姉の葬式に出ていない
これに対して、
「眞人さんが赤ちゃんの頃に、一度だけお会いしたことがあるのよ」
↓(これだけでは劇中根拠が足りないとして)
・夏子は姉の葬儀に出たが、眞人が病気で母の葬儀に出れなかった
※この場合はその足りない部分を補う劇中根拠はあるのかな
(そのような劇中根拠は無いよ)
>>180の例は、完全に読み違え
・重い手荷物の件
→夫の勝一に身重の妻を気遣うデリカシーが無い
→眞人もまた夏子を気遣う気は無い
・「学校に行かなくていい」と勝一が眞人に言った件
→「(戦時演習ばかりで)どうせロクに授業もしてないんだ」と勝一自身が理由を語ってる(学び舎ではなくなってる場所に行っても学ぶべきものは何も無い、という勝一の価値観) >>174
ワラワラに代表される生命が生まれ死んでいくライフサイクルは江戸時代の前どころか地球上の生命の発生まで遡るのになんで塔の世界の創造主が大伯父なのか全然わからんな
まぁパンフで記述されてるなら大伯父は創造主なんだろうが、今度はどこからどこまでを創造したのかは謎という事になる
まぁ別に良いよパンフの記述に逆らうつもりは無い 大伯父が創った世界に外界から持ち込まれたものって、インコとペリカン、それにマヒト、ナツコ、ヒサコ、キリコ。アオサギも? ついに画像公開されたぞ
【映画】『君たちはどう生きるか』から初の場面写真が海外向けに公開 北米での劇場公開に先がけて [muffin★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1692077093/ >>188
心の病気に関して、俺は急性ストレス障害と心的外傷後ストレス障害を想定していた
当時はそういった概念も治療法もないから、眞人の入院が長期化してもおかしくないね
あと、眞人が長期入院していた、さらなる劇中根拠は以下の通り
・あおさぎ屋敷へ続く石段を夏子はなんなく登っているのに、眞人が登るのを躊躇していた
のは、長期入院で体力が落ちていたから
・自分の部屋に入った眞人が直ちに深い眠りについたのも、長期入院で体力が落ちていた
ことを示唆している
・転校先の同級生の顔が眞人に比べ一様に幼いのは、眞人が長期入院により一年留年
した結果である
・眞人と、おそらくは年下であろう同級生との喧嘩の流れを見ると、眞人が殴り返した後、
一方的にマウントを取られてボコられているが、これは長期入院により体力が落ちていた為
・眞人が自傷行為に走ったのも、長期入院で留年し、挙句年下との喧嘩にも負ける
自分の弱さ、不甲斐なさ、惨めさに嫌気がさしたからで、さらには自傷行為により被害者の
立場を偽装する事で傷ついたプライドを保とうとした
・眞人が最初に塔の中に入った際、内部の土砂が邪魔をして通り抜けられずに諦めるが、
これは眞人には自力で土砂を取り除く体力がないことを示唆している
・眞人がアオサギに襲われた後、婆さんにつきっきりで看病されるのも、オマルを用意されるの
も、眞人には長期入院で体力がないという情報が、屋敷の皆に共有されているからである 戦中って、離れている家族にそんなにすぐに会えたんだろうか?
本当に近しい人だけで終わらせて、後から連絡することも多かったんじゃないかな。
そう考えると、葬儀に出たか出ないかっていうのは、人物の関係性に意味を持たないかもね。 >>194
そっか、あなたとして劇中の様々な描写を眞人の病気に関連づけているのはわかった
そこでひとつ聞いてみたいことがあるんだが、いいかな
「眞人さんが赤ちゃんの頃に、一度だけお会いしたことがあるのよ」
↓(劇中の様々な描写から関連付けて)
「夏子は姉の葬儀に出たけど、眞人は病気で母の葬儀に出れなかった」
その場合に、なぜ夏子は眞人のお見舞いに行かなかったのだろう?
不慮の事故で母が急逝したショックでPTSDになって、葬儀にも出てなくなるほど神経衰弱(当時の言葉)に陥ってる甥っ子でしょ
これだと夏子には眞人を思いやる気は全く無く、親族としての常識的な行動をする気もさらさら無いってことになりそうに感じるんだよ
それだと、劇中の夏子の言動は支離滅裂にならないだろうか
俺はまぁそう感じたんだけど、あなた自身はどう考えてるんだろうか >>195
親父が行き来してんのに夏子が来れない理由ないやろ 母親死んで塞ぎ込んでる少年に母親そっくりの妹会わせるは如何なもんかってとめられたんじゃねーの、知らんけど
理屈はなんでもつくから否定するだけの根拠はないでしょ >>192
大伯父が自ら持ち込んだと劇中で明言されてるのはペリカンとインコだけだな
・鍛冶屋→インコどもが喰っちまったからわからん
・キリコ→自ら塔の中に入ったのか誘い込まれたのか不明
・サギ男→大伯父から「愚かな鳥よ」と言われてるので、勝手に住み着いてる気はする(でも案内役に命じられてるので、大伯父は彼の存在自体は認めてそう)
・ヒミ→自分から入ったのか誘い込まれたのか不明(俺は大伯父から呼ばれたと考えてるが割愛)
・夏子→ヒミと同様
・眞人→映画を観てのとおり >>198
姉妹の間で何事か(夏子が「死んでも許さない」と思えるほどの事が)あったことが想われるが、そこはもう、空想の域を超えないな >>201
だったら子供のヒミ見てあんな薄いリアクションのわけないじゃん >>203
>>196
疑問の体にして否定してんじゃん嘘つき >>195
なにしろ夏子姉妹の家は観てのとおり名家だからね
交通費に困るような家ではない
ちなみに国内の交通網が寸断されたのは、度重なる本土空襲によるもの
戦争末期に都会の食糧難が深刻になったのも、そのせい
交通インフラがズタズタになったので、生産地では食料品がダブつき、都会では大いに飢えた
今作はサイパン陥落直後だけど、本土空襲が本格化するのはそれからしばらくしてからだね 妹と再婚した事情って工場を運営するのにお金が必要だからだよね
社員の面倒を見ないといけない立場だし
塔の中でキリコが魚を釣ってみんなに分け与えるのって
その他大勢の人たちは1人の優秀な人の分け前をもらっているって社会の仕組みのことを表していると思う
それをやってるのが現実世界ではあの家の主である父親で塔の世界では使用人のキリコになってるので逆さまになってる
こう考えると現実世界と塔の世界は逆さまになってるところがある
ヒミが火を使って他人の命を救う→火によって自分の命を失う
ペリカンが産まれ行く命を奪う→コウノトリが赤ちゃんを連れて来る
探したら他にもありそう >>202
ヒサコと夏子は歳がやや離れてそうだよな
夏子からヒミを見ると、まだ幼な心に慕ってた頃の姉そのもの
ヒミの夏子への呼びかけも、まだ幼い妹への言い方そのもの
そんな風に俺は観てる >>204
質問くらいいいじゃんよw
うがった見方をされてもね... >>196
見舞いの件だが、結論として父勝一の意向が働いた可能性が高いだろうね
勝一が、重いつわりと自責の念で苦しむ夏子を見て、眞人に「見舞いに行ってやれ」と要求する
シーンがあるが、これは勝一が夏子に対して「見舞いに行かなくていい」と要求出来る立場にある
という事を意味している
当時の日本では一家の家長の立場、要求は絶対だからね
被害者の立場を偽装する為に自傷行為も辞さない眞人のプライドの高さを前提して考えると、
父以外の誰かが精神病を患う自分の見舞いに来ることを嫌がった可能性も考えられる >>209
質問したいなら「御見舞に行かなかった点が気になるのでその点どうお考えですか?」でいいだろ
やれ、支離滅裂だの親族としてありえないだの否定の言葉並べといて、「否定してないですよ」だ?
眞人見習って自分の悪意と向き合ったらどうだ? >>210
なるほどね、あなたの考え方は了解した
ありがとね >>211
いや、彼の方から俺(たち)の見方に対して、否定的な疑問を寄せて来たんだがな
俺はそれに向き合っただけ
お互いにそのスタンスで議論したっていいじゃんよ
(あなたと話しててもキリが無さそうなので俺はこれでやめるよ) >>210
あっそうだ、眞人が大伯父に「友達を作ります」と言ったのも、眞人が精神病を患ったことを
知った友人たちが眞人から離れていった事を示唆しているのかもしれない >>197
>>205
そこまで葬儀に出ていたかどうかを重視する理由があまり見えなくてね。
単に大っ嫌いのセリフの深読み?
ナツコも葬儀には出ていたけど、マヒトは葬儀に出れんかったのかもしれんよね。
死体も見つからなかったし、現実を受け止められていないマヒトは出れなかっただけという線は? 相変わらずガイジ妄想繰り広げてる馬鹿がおるなあ
その手のカンジャサンを引き付ける何かがあるのかもねこの映画 夏子=@若い女性としての母
ヒミ=A見た目美少女の母 >>206
塔の世界の見方については、素敵な視点と感じた
再婚理由については、逆の見方もできるんじゃないかな
あんな名家が、なぜ成り上がりの青年実業家に姉妹ともに嫁がなきゃいけないんだろう
青年実業家と言っても軍需工業の下請け工場の経営者だよね
あの家は没落華族じゃないかと思ってる
すごく大きな屋敷だけど、使用人は爺婆だけだし人数もあれでいいんだろうか
しかも代々あの場所に住み続けて来た一族ではないはず
眞人に対する田舎っ子たちも、遠慮なしに皆んなでやっちまえ!って感じだった
おそらく土地の人らからしたら他所者(よそもの)なんだと思う 戦時中は親族一同が会するような大きな葬式はできなかったんだよ。 しつこくて嫌われそうだが、
さらに言えば、冒頭の火災現場に駆け付ける眞人のシーンの、パースペクティブやディテールが
歪む疾走感あふれる超絶作画も、眞人が受けた精神的ダメージの大きさ、深刻さを、これ以上
ない形で表現していると思うよ まさか宮崎駿がラヴクラフト系のコズミックホラー伝奇モノをやるとは思ってもいなかった 石に何らかの意思があり、あの世界を作るために動いていたとすると、不気味な物語にも思えてくるよね。
多分、そんな不気味な話ではないのだろうけど。 話を理解してれば主人公に精神病の設定を加える理由は全く無い事が分かる
葬式にやたら拘ってるけどもっと全体を見ろよ >>216
うん、そんなこだわる話じゃないと俺も思ってる
先にも書いたが、そこを考えても空想の域を超えないし
空想領域の話だから、俺は自論は自論として、異論を否定できないよ 「石」に意思があるのは、大伯父もヒミも眞人も皆が言うから、そうなんだろうと思うほかないよな
不気味な話と言われると「そうだね」と俺も感じる あの自傷行為は病的な印象を受けるから
精神病家系の伏線ではありそうだけどな >>224
劇中の描写から見ても、眞人が母の焼死の衝撃で深刻な精神的ダメージを受けた可能性は
否定できないだろう
葬式に拘るというか、夏子と眞人が久子の葬式に参列したか否か、参列しなかったとしたら
どんな理由が考えられるかを、それぞれの立場から考察してるだけだよ >>229
否定出来ないというか受けてるしね
基本観客は眞人を通して世界を見る訳だから、認識が歪む精神病てのはかなり大きな意味を持っちゃうんだよ。つまりよっぽどの理由がない限りそんな設定は加えない >>230
精神病という言い方が誤解を招くというなら、単にPTSDでいいよ
当時はそんな言葉も概念もなかったから、PTSDの患者も精神病患者として扱われただろうと
思ってそう書いただけだから つか、俺は眞人に対して、「認識がゆがむ精神病」だと断定したことは一度もないけどね
だから、>>230がやってることは、いわゆる藁人形論法に過ぎない
ちなみに俺は以下のように書いた
>心の病気に関して、俺は急性ストレス障害と心的外傷後ストレス障害を想定していた
>当時はそういった概念も治療法もないから、眞人の入院が長期化してもおかしくないね
ここの「当時はそういった概念も治療法もないから」というのは、当時の臨床の現場において
はって意味ね >>232
じゃあ余計に意味ないじゃんw
全ての事に本筋に沿った意味があるこの作品で、取って付けたような精神病歴の設定が浮いてると感じないのかねw >>233
劇中の眞人のトラウマ描写はPTSDとは無関係ってこと?
健康な人でも風邪をひくことがあるように、健常者でも災害や事故や身内の不幸が
きっかけとなってPTSDを発症することはありえるから、眞人の長期入院という裏設定が
あったとしても、それが取って付けたようなものだとは全然思わないけどね >>234
それはこの映画の本筋やメッセージに関係無いでしょ、まずこの映画はキャラクターモノじゃないからねw
登場人物は世界観やメッセージを伝えるための存在なのw >>234
あとトラウマ描写って時点で正しく把握出来てないよ...眞人が夢を見るのはどんなタイミングか、覚えてるかな? 眞人が母方の実家に行くまで、新しい母夏子に会った事もなく、彼女が懐妊したことも
知らないという奇妙な状況は、母の死から最近まで眞人がどこかに隔離されていて情報
も遮断されていた事の一つの傍証になる 仮に、この映画の本筋やメッセージと直接関係ない「裏」設定があったとしたら、何か不都合でもあるのか?
もし、君生きにはいかなる「裏」設定も存在しないと言うなら、お前とこれ以上議論するのは無意味 これ最後学校に行ってなじむラストだと思ってたら
全然学校のシーンなくてびっくりした いや、自分の考えを述べたまでなのでw
裏でもメタでもお好きにどうぞ。
分かって無いなw幼稚だなwと笑うだけなのでw ヒミと夏子については、母親でありながら
眞人は異性として好きな感じだけど、
母親として必要な残りの要素を補完するのがキリコの役割だったと思われる
「強い母ちゃんに甘えたい」的な。 あ、言及し損ねてた
>>216
>死体も見つからなかった
これ
こっちの方がずっと重要な観点だと思ってる
俺もそう考えてるよ
(その点について前スレで別の人と論争になった) >>241
まずは、設定と「裏」設定を区別しよう
公式な設定と整合する限り、「裏」設定に関しては自由に考察していいんだし、
公式設定と整合しないという具体的な批判・反論はウェルカムだよ 2回目見てきた
初回より細部までじっくり見れた
ジブリは本当に丁寧に作る
内容は絵本見てる感覚に近いね
伝えたいこともストレートでわかりやすいし
監督・宮ア駿ってエンドロールがもう見れないかもしれない事実が本当に悲しい
パンフレットも、ハードル下げてたら普通に楽しめたな
パヤオの企画書とか、ポスターの元の設定画とか
これで知り合いに紹介しやすくなった お前らがやってんのは考察じゃねえよ
もはや二次創作に近い >>246
パンフレットいいなあ
欲しいしもう一回見てくるわ ヒミのロリマッマqミのロリマッマが全編誘導するような話なら
そんなに文句も出なかったろうなあ >>242
別れ際いきなり抱きつくの唐突で気持ち悪かったなぁ 見てきた
言われてるほど難解じゃないじゃん身構えて観たから拍子抜けしたほど
駿版アリスワンダーランド村上春樹風味的な?
面白かったよ >>256
なんか見てきて人に感想を聞かれた時
つまんなかったと率直に言いにくい相手だったらなんて答える?
その答えが
「難しかった」
「理解できなかった」
という言葉なんだよ
古典原文を読んだり19世紀のヨーロッパ哲学書を読むような「難解さ」があるなんて誰も言ってない >>257
なるほどなあ
気になって「君たちはどう生きるか 村上春樹」で検索したら村上春樹と絡めて書いてる記事とかレビューがいっぱいでてきたwwみんなやっぱり似たような感覚持つんだな 駿版 8 1/2かな
プラス駿版 銀河鉄道の夜
そういえば菅田将暉が宮沢賢治演じてたっけ 普通の脚本のセオリーからしたらおかしなことしまくってるんで
その結果面白く感じた人は気にならなくて
つまらなく感じた人は意図が分からんとなっているのでは キャラがマンガチックだからアートと言うにはもう一つだ まだ観てないんだけど元気とか貰えそうな映画ですか?
最近鬱ぽくて気分転換したい >>262
このスレ見ててもわかるように
精神的にあれな人には刺さりがちな映画だよ 鬱が悪化したと報告した人が居たからどうだろうな
いたってシンプルな異世界訪問ファンタジーだし、バディものとしても王道だから、小難しく考えようと身構えないならいいと思うんだが >>262
元気貰えるかという観点だと危険だと個人的には思うが
自分は鬱病等なったことないので想像でしかない
自分はアニメっていいなという感想を持った 喧嘩したやつと友達になれとか学校に馴染め、みたいなツッコミのレスを時々見るけど本当に同じ作品を鑑賞したのか不安になる スレ冒頭のインタビューでもあるけど
宮崎さんは年相応にアニメの内容を変えてきたんだな
最晩年だから自伝みたいになるのも当然
分析は大学教授あたりにまかせるしかない >>262
死を意識せざるを得ないので絶対に観るな
俺は警告したからな >>262
個人的にはスーパーマリオムービー観たほうが良いと思う しかし、鬱でも死にたいとは微塵も思ってないなら見ても良い
なぜなら作中で既に亡くなってる主人公の母親やその妹以外はぶっちゃけ死んでも死ななくてもどうでもいいモブしかいないので、
これは駿にも死期が近づいてるのかねーくらいの軽い気持ちで創作として見る分にはただの昭和前期ファンタジー ムスカが墜落死する人をゴミ扱いしたような気持ちで眺められる精神の持ち主なら恐怖も何もない とにかく死の影が濃い、死の匂いが強い
それは言えるね 死者自体はたくさん出てくるからな
なぜか黄泉の世界的な場所に行く羽目になるのも含めて、基本的に明るい要素は無いと思う
ビーストウォーズとか観たほうが良いぞ >>262
絶対にやめとけ
ただ怒りで元気は出てくるかもな 月末にはローマの休日リマスター上映も一部の劇場でやるからそれが一番オススメ
既に世界的に評価が定まってる名作デートロマンス映画は人間のの生存本能を揺さぶるのでこんなんよりは万倍元気出るだろ 宮崎駿の表現の仕方が増えてたからその辺見てみると生きる活力が増えるかな よく宮崎駿はこれで幕を下ろしたとか葬式とか生前葬とか聞こえがちだけどそれは肉体がそうなるだけであって描かれてる手探りで新しいものを見出そうとするような表現の強さは生きようとする力そのものだったよね
割とこの感覚を味わえるのはもののけ姫以来かもしれない 駿の幼年期として見ると敗戦で貧しい日本をむりくり復興で盛り立てようとする時代につながる時間軸の作品になるから、令和の俺等がこんなん観て何を得られるの?という素朴な疑問はある 大伯父が創造しようとした理想の冥界は、ひとことで言えば、彼独自の「黄泉の国」だと思う
死者の赴く所であるが、黄泉帰りの場でもある
ただし哀しいかな、あの人はもう静かに狂ってるからな 言葉としては死が何回も出てくるけど
現実世界の生物的な死と同義かは疑問がある
現実の死を表現するなら若おかみみたいのが素直なような
死が終わり、生が始まる場所
とあるけど現実の死は終わることはない
死生観が表れているという解釈も可能だけど
死という単語が別の意味を持っていると考えることもできると思う
自分としては活動が止まっている状態全般を死と言っているのでは考えている やっぱもう死ぬ寸前のジジイだから、脳みそが固まってイメージの飛躍がないんだよ
いろんな奇抜なものを出そうとしてるんだけど、結局「ああ、前にも出したあれね」っていうのばかり
奇想天外な発想で楽しめるっていうものがない
だからとにかく退屈で仕方がない >>289
初めて見た人からしたら新鮮に思えるし、みたこと ある人からしたらこれは人生を振り返っているのか、今までの作品を振り返っているのか、夢を現しているのか、走馬灯のようななのではないだろうか 年齢が年齢だしそういうことなのか?
と色々と勘ぐることも可能なんだ
13個の積み木も出てきたからそれと合わせてそうなのかと思えてくる それを狙ってやったのか、老人だからという悲しい理由でそうなってしまったのか?いろんなことを考えることが可能だ
まあどちらにしろそれは崩れ去るものとして描いている
風立ちぬでは創造的な時間は10年とも言っている
本人も自覚していてもおかしくはない、だが、自虐的とも言えるそのやり方でそれを作品のギミックにしてしまうのはさすがだと思う
そもそもこの年齢でまだ新しい映画をつくり、表現を模索していこうとする様は確実にこの作品の魅力を底上げしていたよ 13個の積み木はもう、やめといた方がいいんじゃないの? たとえそれがミスリードだとしても、そうなんじゃないのか?と考えさせる余地を産ませれば答え合わせがされるまでは人は平等に謎を楽しむことができるのだ 昔 探偵ナイトスクープって番組で茶碗蒸しを「プリンです」って偽って食わせるって実験があったんよ
一流のシェフが作った茶碗蒸しだから本当は滅茶苦茶美味しいんだけど
プリンだと認識して食うと「不味っ!」ってみんな吐き出すわけよ
そこでネタばれして「茶碗蒸しですよ」って教えてあげて改めて食べるとみんな美味しい美味しいって食べるわけよ
もののけ姫とかラピュタみたいな面白さがなかったってガッカリする気持ちは分かるけど
それはプリンだと期待して茶碗蒸しだったことにガッカリしてるようなもんだと思うよ
プリンも茶碗蒸しも両方好きって人は楽しめるけどプリンしか食べたくないって人は一生楽しめない
だけどプリンだと思って失敗したけど頭切り替えて茶碗蒸しだと思って見直してみたらやっぱり面白いと思える人も中にはいるんじゃないかな?と思う >>296
問題はこれがなんなのかよくわからないところだ >>297
それももしかしたら茶碗蒸しをプリンだと思って食べてるかもしれんよ
もしかしたらだけど
それも人によるよ なんかこないだ外人旅行者を寿司屋に連れていくYouTube見てたら茶碗蒸しをジャパニーズプリンだって食わせてた
うめえうめえ言って食ってたけどな むしろ宣伝しないことで先入観なしでの鑑賞だったろ
料理の種別抜きにしてまずかったんだわ ライスプリンが海外では割と有名だからな
米を主食にする習慣が無い国は、和食が出ると白米を甘くないデザートと思って最後に食べるというのは聞いた >>301
だからそういうことだよプリンとは言わなかったんだよ
そういう狙いだよ
だけどプリン好きな人は自然とプリン期待して見るじゃん
何も想像せずに頭真っ白にして見れた人もいるだろうし色々だよ
その中で意見が分かれててるっていってんの これあれだなねじまき鳥クロニクルだ
あれをジブリ風味に作り替えてる 鬱気味の人は、暗い物語とか死を連想する物語を見ないほうがいいという意見の人が多いようだけど、逆にパリピな物語を見たら見終わった後に現実との落差で鬱になるぞ。
個人的には、苦しい話でも最後に希望が見えるような物語のほうがいいんじゃないかと思うけど。 >>296
公式が広告なりパンフレットなりである程度これはこういう映画ですよと先入観を与えてやれば観客は0.5周ぐらいの感覚からスタートダッシュできる、考察の方向性も定まりやすい
それが最初からなく最初の段階で影響力のある人がズレた解釈を広めてしまうと、それが最初に述べた公式の役割のようなことをはたしてしまうことになる、もしそういった人たちがこの映画はこうだよ、つまらないよ、見る価値ないよと広めてしまえば、多くの人がああそうなんだ、じゃあこの映画はこうなんだから見なくていいやとなる、公式の情報が少なければ少ないほどそうなりやすい >>307
星を追うこどもが
ラピュタのパクリだろ 宣伝の効果ってやっぱり大きいとは思うんだけど
ぶっちゃけ今回はなさすぎただけで方向性はそれほど悪くなかったと思う さすがにここまではやりすぎだ パンフレットの情報の半分ぐらいの情報は最初に出すべきだった >>312
学校行かんでも単位貰えるように賄賂やろ >>309
好きじゃないけど影響力はある岡田なんかは高評価だったわ
けど結局見た多くの人達がつまらない、人に勧めようと思わない、もう一回見たいと思わないって思った結果がこの興収でしょ >>312
学校から戻って来た勝一は「犯人を絶対を絶対に見つけてやるからな」と眞人に言ってた
つまりそういうことよ
寄付と言う名の買収 >>303
それを言うなら巨匠の料理というバイアスで
うまいと思い込んでる
またはうまいと言わないと失礼みたいに思ってる人も多いように見える 米津も映画主題歌で一番良かったのは打ち上げ花火だな
映画は爆発落下したが ねじ巻きとかは本で読むと面白いのに駿がアニメにするとつまらんなあ
エロが無いからかな? >>317
あー、そのセリフと繋がるのね。ありがとう。 こんなに面白いのに途中で席を立つ人がいたからなぁ
それで1人だった観客が0人になってしまったm9(´・ω・`)ドーン! >>323
お前かよっていうツッコミ待ちですか?
ギャグのつもりですか? >>323
やりたい事は分かるが下手くそすぎるぞ豚 死ねm9(´・ω・`);y=ー(゚д゚)・・∵. ドーン!>>324-325 >>327
おっ!わかってるねー!キミはお笑いのセンスあるね!m9(´・ω・`)ドーン! 自演してんじゃねーぞタコ!
m9(´・ω・`);y=ー(゚д゚)・・∵. ドーン >>328 トロント映画祭のCEOが
「喪失と愛というシンプルなストーリーから始まり驚異的な想像の作品に昇華されています」
と言ってるように
イマジネーションのかけらもない奴には
理解できないということだな 彡 ⌒ ミ ワッチョイも知らん池沼は死ね!
( ´・ω・`)
/⌒ヽ_.ィ、~;y=ー(゚д゚)・・∵. ドーン!>>329
( r. ) ^ / )
ヽノノー‐l //
|__/_/
└一'一 割と穴というか空白の多い作品なので、そこを想像力が掻き立てられる人には向いてる
そういう穴や空白を想像力で脳内補完させる作品を嫌う人もいる
そういうこっちゃなかろか 作品である以上、考察要素を抜いた状態でも最低限一本、起承転結の筋が通ってないと駄目だろう
異世界に行ってからは延々と流されるまま
どこに面白さを感じればいいのか…
せめて異世界で何かしらの成果を出した上で大叔父の所にたどり着いたなら印象は変わったかもね
色んな人の感想を見てて思うが
わからない、難解といった無難な表現でごまかす人
わかったフリをする人、楽しめなかった人にマウンティングする人
健全じゃなさ過ぎて怖いわ こればっかりは仕方がないんだよ
本当にこの作品は見ただけで泣いてしまう人もいるんだから
どの部分でどんな理由で泣いたかも人それぞれなんだよ、それはつまりこの部分のどこが悪くて何がつまらないかも人それぞれということも同時に言えるということで、
本当に人がどう思うかはこればっかりは仕方がないんだよ
そしてもうわかる通り考察を辿れど辿れど結局は答えは自分で決めるしかないことに気がつくんだよ、じゃあ考察なんてのは結局、自分がこう思うんだからこうにちがいないでいいんだということに落ち着くんだよ、みんなそれぞれにそれぞれの答えがある それでいいんだよ 監督が宮﨑吾郎なら泣いてなさそう
怒りの血の涙なら流すかもしれんが 驚異的な想像をしないと楽しめない作品っていう皮肉じゃねーのwww
ここにも病人みてーなのいるし 確かに、聖域(下層世界)に行って以降は「眞人の物語」というより「大伯父(および彼の創造した黄泉の国)の物語」に比重が移って行く感じはするね
だから眞人が「延々と流されるまま」というのは正確な指摘だと思う
もちろん産屋のシーンあればこそだし、終盤前の大伯父への眞人の返答、締めのサギ男の「あばよ、友達」で綺麗に終わるんだけども
(『少年と青鷺』としては一貫したバディものだし)
『千と千尋』もそういうとこあるよね
「千尋とハクの物語」かと思ってたら、途中から「千尋とカオナシの物語」に比重が移っちゃうとか
(でも俺は千尋も今作も大好きなのである) 泣いた人はたくさんいるよ
でも泣かない人は泣いた人をすぐに理解できないだろう?
不思議だけどそういうものなんだよ
いつか理解できるかもしれないし一生理解できないのかもしれない、そういうものなんだよ なんか幻覚見てるやついて草
こいつは取調したほうがいいんじゃねぇか 大叔父は現在のパヤオであり
眞人は子供のときのパヤオだから
どちらに比重が片寄っても問題なし 感性は人それぞれだからな、好き嫌いも含めて
感性の合う合わないは決定的なものだから、諦めも肝心よ
ただ賛否いづれの意見であっても(ちゃんとその人の意見になってれば)「この人はこう感じるから、そう考えるのか」と理解することはできるよね >>343
そんな...シンジとゲンドウみたいに言わないのw >>344
嘘つけよ
テメーは自分の意見にそぐわなわけりゃ延々粘着するだろ >>346
は?粘着されたことはあるが(お前のように)
俺は粘着なんかしたことは一度も無いぞ
「ある」と言うなら過去スレから引っ張って来い気違いめ >>347
質問口調で散々否定しといて「ぼくちゃん質問しただけだもん」で逃げといていざ決定的に言い返せなくなると「お、お前とは平行線なんだもん!」とか「良い指摘だね(ニチャア)」で相手が呆れるまで粘着するもんな そんなにつまらないか?
なんだかんだ宮崎駿アニメって感じで楽しめたけどな >>348
昨夜のあの眞人PTSD説の人とのやりとりのことか?
そりゃ「俺からみたらこんなめちゃくちゃな話に思えるけど、あなた自身はどう考えてるの?」って聞くわな
あの人から俺に異論をぶつけて来たんだし当然だろ
それにあの人は、自説への批判大歓迎だと言ってたじゃん
だから俺と彼は淡々と議論してたんだが、横からギャーギャー俺に粘着して来たのはお前じゃん
何も読めてない馬鹿なんだから、自分の粘着行為を少しは考えやがれ >>349
俺は正直言って千尋以降のジブリ作品は楽しめてないから
千尋、ハウル、ポニョを楽しめた人なら今作も楽しめるのかもしれない
風立ちぬは未見 風立ちぬのときもそうだったけど学童の表現とか顕著だけど
今作も日本の庶民に対する宮崎駿が根源的に持ってる偏見みたいなんものが素直に絵に出てしまってるように思う
やっぱ学習院大学出のお坊ちゃんからはこう見ててたんだなぁと
こういうの含めて作品の作りもそうだしパンフの件もそうだけど不快なだけの映画だったわ
マジでまったく合わなかった >>349
最後の方は宮崎アニメの主人公やってたねー
序盤はどこのガンダム主人公?というくらいヤバめだったけど >>298
現状レストランで1900円の料理注文するのと変わらんからなあ
2回食べる気になるかどうか以前に2回目注文する気になるかどうか
そして2回目に美味しく扱えるかどうかも疑問 見てきた
これまでのパヤオの集大成のような映画だった
あくまでカットについてだけど
あこれ コナン あこれカリ城 もののけetcな感じw
お話は 劇中の積み木みたいな状態
かろうじてバランスが取れてるかなぁと思ったら、ぶった切りやがったw
ラストカットがあれだったのでスタッフロールの後何かあるだろうかと待ってたら終わり、何も残らなかったwポニョ でも残ったのに… アオサギは手塚治虫か まぁ中に猿田彦が入ってたからなぁ
でも鈴木さんは絶対自分の事だと思い込んじゃってるよね 最初にパヤオが手塚治虫に誘引されたとすると
次の東映動画は海の場面で
ヒミは名作劇場で育てられたことを言っていて
友達を探しに行くというのは、何か別のキャラをパクッてくるという事だろう 今日も元気だ暴飲暴食!くら寿司で豪遊してきた!
タコ12皿!イカ3皿!茶碗蒸し!ポテト!味噌汁!ビール500㍑!これでたったの2830円!m9(´・ω・`)ドーン!
ttps://i.imgur.com/Y37sIie.jpeg ラストシーンで気づいたことがある
終戦2年後、東京へ戻るシーン
眞人が『君生き』を鞄に入れた後で、ズボンのポケットから何かを取り出して、じっと見ている
玄関から呼ぶ声がして「はーい」と眞人は返事をする
(玄関には勝一、夏子、弟くんがいる)
眞人は握っていたものをポケットに戻して部屋を出て行く(終わり)
眞人がポケットに入れてたものって、拾って来たあの小石だよね... この日をどんなに待ちわびたか、わかりません。
宮崎駿改め、宮〝﨑〟駿氏の監督作となるスタジオジブリ映画『君たちはどう生きるか』が先日公開になりました。
内容については、さまざまなレビューが飛び交っていますが、まず本作のタイトルそのものに、今を生きる人々をかり立てずにおかない大きな力があると思います。
とりわけ信仰を持つ私たちにとってこの問いは、日々の実践の中で切っても切り離せないテーマです。学会員として〝どう生きるか〟。ちょっと考えてみたいと思います。 一例。つまり映画の中身はあくまで宮﨑氏なりの『君たちは~』であって、それぞれの『君たちは~』は文字通り、タイトルと目が合った〝君〟がつくっていく。もはや、タイトル以外は全部余白くらいの〝委ねられた感覚〟を私は感じました。
まさに価値創造ってヤツです。
ただ何もない中で「とりあえず生きろ」とだけ言われても、困ってしまいますよね。
私たちの規範である仏法の根底には、「幸福」というデッカいテーマがあります。
今日、あすではとても答えの出ないような命題とぶつかることで、同時に〝なぜ自分は生きているのか〟という問いも湧いてくるのではないでしょうか。
そのもとに、時に悩み、もがきながら日々を歩む。私たちの生き方は人生というキャンバスにそれぞれの色を塗り重ね、「幸福」というタイトルの絵を描いていく作業と言えるかもしれません。 その色のつけ方は、10人いれば10通りあっていい。桜梅桃李(自分らしく)ですから。〝生きづらい〟とされる世界で与えられる正解ではなく、自分の歩んだ過程が新たな選択肢になる。そういう意味でも、私たちの哲学はとても余白にあふれていると思います。 「基本的に子供たちに『この世は生きるに値するんだ』ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた」
(2013年9月7日付 日本経済新聞)
第2次世界大戦を題材にした、スタジオジブリ作品『風立ちぬ』公開時の記者会見で、宮﨑氏(当時は宮〝崎〟名義)はこう発言しました。
小説『君たちは~』の出版時もまさに、日本がその戦争へと向かう渦中。このタイトルは、〝争いの時代〟の中で生まれたものなのです。 人類史は、争いの繰り返しと言えるかもしれません。
ただ技術や文化の発展の中で、武力に訴えずに生きる方途を模索してきたことも事実。厳しい検閲をくぐり、当時の子どもたちに届いたこのタイトルは、戦争のない未来への出発点として掲げられた、大人たちの願いでもあったのではないでしょうか。
学会のオリジン(原点)もまた、そこにあります。
初代会長・牧口常三郎先生は、「軍事的競争」の時代から「人道的競争」の時代への移行を訴えました。武力で争う時。それは、人々が未来を志向する〝余白〟を失うことでもあります。学会員の目指す幸福。その一歩は、身近な他者の余白を守ることから始まるのだと思います コペル君は、物語の中で叔父さんの言葉を頼りにしますが、それ以上にまず、叔父さんの存在そのものに安心や希望を見出していたのではないかと思うんです。他者の存在を隣に感じた時、人は初めて生きようと試みることができる。
〝隣の一人〟に──人類が、紛争をはじめ世界的な問題群と直面する今、未来は、お互いが〝人間なんだ〟という共通認識に立ち返って、それぞれの居場所を確かめ合うところから築かれていくのではないでしょうか。 ↑
自己都合で好きに受け取って観た人なりの解釈してよいと
このスレでも似たようなこと言ってた馬鹿いたな
学会員だったんだな >>360-367
荒らし死ね!m9(´・ω・`);y=ー(゚д゚)・・∵. ドーン! >>359
その石を拾ってきたというのは原作のゲド戦記で
アレンが地獄の道を通ったときに拾ったという石の話をマネしてんだよ >>369
へーそうなんだ
絶対それが元ネタだな
持ち帰ったこの石で未来少年コナンを作るのだろう げ、何だこの連投は(学会員か)
埋もれちゃうの嫌だし加筆の上で再掲しとく
ラストシーンで気づいたことがある
終戦2年後、東京へ戻るシーン
眞人が『君生き』を鞄に入れた後で、ズボンのポケットから何かを取り出して、じっと見ている
玄関から呼ぶ声がして「はーい」と眞人は返事をする
(玄関には勝一、夏子、弟くんがいる)
眞人は握っていたものをポケットに戻して部屋を出て行く
(終わり)
眞人がポケットに入れてたものって、あの草原から拾って来た小石だよな...
サギ男は「たいした力も無い石だ、そのうちだんだん忘れるさ、それでいいんだ」と言ってたから、石の力が消えても忘れないように、眞人はずっとズボンのポケットに入れて、日々取り出しては思い出すようにしてたのだと感じた >>372
それならいいんだ、みんな等しくそれはわかってるというなら
俺が気付くのが遅かっただけで、誰にとっても共通認識ならね
それを確かめたくて再掲しただけ >>369
へー、そうなのね(元ネタがちゃんとあるんだ)
ゲドのアレンの方はどういう意味合いになるのかな
下で加筆再掲したんだけど、俺が思うに
サギ男は「たいした力も無い石だ、そのうちだんだん忘れるさ、それでいいんだ」と言ってたから、石の力が消えても忘れないように、眞人はずっとズボンのポケットに入れて、日々取り出しては思い出すようにしてたのだと感じたよ >>374
俺は気付かなかったよ再掲は不要だったけど
このエピローグ要るのかとか
出発間際まで用意してないのが変な感じあったけど >>376
俺もずっと、あのエピソードにさほどの深い意味は無いと思って来たよ
・母からの『君生き』を今でも大切に愛読書にしてますよ
・生まれたのは弟くんでした
何度も観てるせいで、弊害として「このシーンの意味はこう」みたいに固まっちゃいがちなんよね(良くないことなんだけど、否応なく)
結果として「わかってなかったやん俺」の繰り返し
・眞人は石の力が失われても覚えてますよ
...これでエピソードとしては余韻のある深みが出て来るな 魔力ってのは失われて行くもんだっていう風に魔女の宅急便でもハウルでも描いてるでしょ
だから石の魔力は失われて当然記憶はなくなってる
だけど潜在的には真人の中に残っていて真人の糧になってる
同様にヒミも少女時代に戻って記憶はないのだけれど塔の中の体験はヒミの糧となっている
だから真人に必要なものを無意識に残すことが出来て結果自分を塔から救うことになる
って解釈してる 過去の駿眞人少年が現在の駿大叔父に会いに行った話だろう
13個の次をお前に託したいと言うがこんなくだらない13作なんか全てぶっ壊してしまえ
あの頃の自分ならきっとそう言っただろう
でもそのうちの一つの石は持ち帰って
ここから宮崎駿少年の創作活動が始まったのであった「完」 映画「君たちはどう生きるか」の公開後初めて、鈴木敏夫プロデューサーがこの作品について語った朝日カルチャーセンター講演(8月1日開催)の後編をお届けします。この作品と「いま」という時代との関わり、次回作について、そして鈴木さんにとって宮崎監督はどんな存在なのか――。映画とスタジオジブリについて深く考えるヒントになる言葉に満ちています。 この映画は英雄物語」
――今回の作品で宮崎さんの描いた絵コンテを見て、鈴木さんは「これ、だいじょうぶかな。見る人がわかるのかな」と心配しなかったのですか。
「全然しなかったですね。小説家の池澤夏樹さんと話した時に指摘されたのは、『この映画は英雄物語である』ということでした。英雄物語で何があるかというと『試練』ですよね。宮崎駿はそれが大好きじゃないですか。ギリシャ神話やケルト神話も試練に満ちあふれている。そういう試練をくぐり抜けていく中で主人公が何を獲得していくか、という王道は守っています。だから子どもが理解できるし、楽しめるんだと思う。僕はよく『作品についてみなさんにメッセージを』と求められるんだけど、答えはいつも『楽しんでください』です。楽しめないと理解できないし、楽しむから理解できるんだと思います」 「今年の夏は期待作が多かったのですが、他の作品がもっとヒットして欲しい。そうすると『君たちはどう生きるか』も、もっと多くの人に見てもらえるんじゃないか。僕が雑誌『アニメージュ』を作っている時も同じでした。アニメ雑誌が一つだけではなかなか売れない。『ジ・アニメ』や『アニメディア』など、競合誌が出てくるとアニメージュも売れるようになった。切磋琢磨(せっさたくま)した方が絶対おもしろいと思うんです」 「分かりやすいものはつまらない」
――最近のエンターテインメント映画は見ていて分からないところはないし、たいていの人が一定の感動やカタルシスが得られるように作り込んである。「泣ける」「エモい」と評されるそうした映画に対する飽きがあるのかもしれない、と感じます。恋愛でも、自分の要求を受け入れてくれるだけの相手はつまらないですから。そういう中で、この映画が公開されたインパクトはものすごいと思います。映画を見る本当のおもしろさは、分かりやすさや快適さではなく、「わあっ」と叫び出したくなるような衝撃にあることを思い知らされました この記事は有料記事です。残り2211文字
有料会員になると続きをお読みいただけます >>386
大した内容じゃないのでコピペは結構です >>387
まさか全部見てんの?
ならここで返信しろよw
いや良いけど (あくまで解釈は人それぞれというのは大前提として)
魔女宅やハウル、あるいは千尋
そこから類推すれば明らかだというのは、俺の場合は今はそう考えない
なぜなら俺自身がある人から批判的に指摘されたから
俺「ベックリンの死の島が描かれてるし、千尋に出てきた黒い影の人たちも出てくるから、死後の世界なのは明らか」
彼「それは作品の外部情報に過ぎず、劇中の根拠ではないから明らかだとは言えない。作品の内部情報から先に作品世界を読み解くべきだ」
なるほどそのとおりだと思った
絵画の教養が無いとわからない、同じ作者の過去作を知ってないと(参照しないと)わからない...これでは一本の独立した作品とは言えない
そこで、宮崎駿の過去作は棚に上げて、劇中根拠から俺の解釈を述べてみたい(別稿とします) まず挙げるべきはサギ男の台詞
「たいした力も無い石だ、そのうちだんだん忘れるさ」
このことからわかるのは、脳の記憶部分に対する影響の仕方だ
・小石の効力は微力である
・小石の効力は、ある日いきなり消失するのではない
ある日いきなりブツンと記憶喪失になることはわかる
石の力だけに頼ればサギ男の言うように少しづつ忘れていくだろう
でも日々小石を見つめながら、サギ男、塔の中での体験、そこで出会った人々を自分の力(記憶力)を駆使して記憶に焼き付け直すとどうだろうか
小石の力は微弱であり、次第に失われて、人の脳の記憶に干渉することもできなくなってゆくと考える
眞人が屋敷を去り際に、小石を取り出して見つめているのは、あらためて塔での出来事や人々を想っているのだろうと思う
(他に傍証も考えているが割愛) イザナミ神話がベースとは言え、考えれば考えるほど、星追う子どもとの共通点が多い
駿チルドレンの新海がジブリのエッセンスを吸収して作った星追うと「新海後」のアニメ界で紡いだ物語が君生き
まさに創作の流転の宇宙 >>390訂正
× ある日いきなりブツンと記憶喪失になることはわかる
○ ある日いきなりブツンと記憶喪失になるわけではないことはわかる 小石とは宮アが過去に観て感動したアニメとかじゃないかね >>390
誤字脱字、クソみたいな内容
お前、いい加減にしろよ 長文くんってまじまじ頭悪そうなやつばっかだよな
このスレに限らず >>390追加
他に傍証というのは、冒頭の眞人のモノローグだ
「戦争が始まって3年目に母さんは死んだ。4年目に東京を離れた」
明らかに述懐だ
エピローグもそう
「戦争が終わって2年後に東京へ戻った」
これも過去形であり、述懐とみなしていいと思う
つまりこの物語は眞人の述懐(思い出語り)なのである
パンフに「自伝的ファンタジー」というのもそれだろう(もちろん宮崎駿の自伝的要素という趣旨もあろうが)
そこであらためて冒頭の眞人のモノローグの内容を見つめたい
彼の言う「戦争」とは具体的にどの戦争だろうか?
牧家が疎開したのは、サイパン陥落直後だから昭和19年(西暦1944年)7月だ(疎開先は北関東と考えていいと思う)
これが「戦争が始まって4年目」だとすると、それは西暦1939年9月にナチスドイツがポーランドに侵攻して始まった「第二次世界大戦」のことであると考えるほかない
しかし考えてみたい
当時の小国民にとって「戦争が始まった」と感じられるのは、昭和16年(西暦1941年)12月8日の真珠湾奇襲に始まる「大東亜戦争」のはずである
眞人の述懐は、明らかに戦後の歳月を経てからのものだ >>397
1941年が1年目で、1944年が4年目だろ
何でもかんでも書けばいいってもの
じゃないからな
お前は、少しは推敲して、1日1回にしろ >>391
俺もつくづくそう感じるよ(君の名はも入ってるな)
新海誠からのリスペクトに対する宮崎駿からのアンサーに思えてならない(もちろんパヤオの脳内なんてわからんのだけど)
「君が使ったそのモチーフは、僕ならこうするよ」という >>398
俺もはじめはそう思ってたんだよ
でもそれだと月が合わなくね?
真珠湾奇襲が1941年12月、サイパン陥落が1944年7月だろ?
1941年12月から4年経つと1944年12月になっちゃわね? >>402自己レス
いや待てよ、○年目だからそれでいいのか
丸4年経過したら次は5年目か
年齢の数え方とごっちゃになってたわ
指摘ありがとうな、>>397の後半は丸っと撤回するよ イザナキ・イザナミ神話と言えば、大伯父は、彼独自の「黄泉の国」を創造しようとしていたのだと思う
黄泉の国とは、死者が赴く所であると同時に黄泉帰りの地でもある
そして「黄泉の国」と聞いて連想するのは、焼死したイザナミの神話だろう(イザナキは妻を連れ帰ることに失敗したが)
さて今作で「焼死した」のは誰だろうか?ヒサコである
ここからまたいろいろ考えられると思う 戦争の話でいうと空襲で病院が焼かれるけどいくら戦争でも病院を狙うのは倫理的にタブーとされてるはずなんだよね
だからあれは病院を狙ってそうなったんじゃなくて軍事施設とか工場を狙った結果流れ弾が病院に当たってしまったって考えるのが妥当だと思われる
(当時のアメリカならわざと狙うこともあり得るとかいう話は置いといて)
そうするとヒミがペリカンを狙った流れ弾がワラワラに当たってしまうところと重なる
「多少の犠牲はしょうがない」的なことを言うのが流れ弾の犠牲になった張本人であるヒミだってとこに意味があると思われる
本来の標的どぁる軍事工場を営んでいるのが父親であるところも皮肉な話である >>405
事実確認のとこだけ指摘
誤解されがち病院火災は空襲ではないよ
灯火管制で真っ暗な街にサイレンが鳴り響いて、夜空の雲が赤くなるほど延焼範囲の大きな火災事故だったので「空襲」を連想する人が多いのも無理はないけど
劇はサイパン陥落直後から始まるけど、米軍の本土空襲が本格化するのは、そのしばらく後なのよ
B29の往復飛行圏内に本土が収まるようになったので >>405
あれ普通の火事じゃないのか?
じゃないと消化活動などであんなに人手こないし
もっと あちこちで火のてが上がっている
なにより親父がもっと厳しく止めるだろ 空襲だー!
防空壕じゃなくて火事場に野次馬いくぞー! 眞人の言う戦争=第二次大戦説
39年9月〜40年8月までが1年目
40年9月〜41年8月までが2年目
41年9月〜42年8月までが3年目
42年9月〜43年8月までが4年目
眞人の言う戦争=太平洋戦争説
41年12月8日〜42年12月7日までが1年目
42年12月8日〜43年12月7日までが2年目
43年12月8日〜44年12月7日までが3年目
44年12月8日〜45年12月7日までが4年目
どっちにせよ、眞人の「4年目に東京から離れた」という回想は、
44年7月のサイパン陥落の史実と整合しないように思えるが、
眞人のいう1年目とは、いわゆる「数え年」的なカウントなのか? 訂正
眞人のいう1年目とは←×
眞人にとっての1年目とは←〇 >>409
詳細な試算ありがとう
そうすると、これはこれで別の考察要素になるね
いずれにせよ俺の>>397の後半は「眞人が覚えてる」ことの傍証には全くならない見当違いなもの、ということに違いは無いと判断する
だからて後半まるごと撤回で行くよ
ご協力感謝 >>411
>そうすると、これはこれで別の考察要素になるね
眞人のいう「4年目に東京を離れた」の意味だが、もしかしたらこれは叙述トリックなのかも
しれない
この「東京を離れた」を、自分も含めて皆当然のように「母方の実家に疎開した」という意味
で受け取っているが、実はそうではないのかもしれない
ひょっとすると、母の死のショックでPTSDを発症した眞人が、地方の病院やサナトリウム等の
医療施設に入院もしくは入所していたことをほのめかしているのかもしれない 眞人のいる世界がフィクションということを気づかせるための仕掛けか
当時は数え歳のような数え方が一般的だったか
単に間違えたか
このくらいしか思い付かない
あれ?と思わせること自体が狙いって可能性もあるか >>412
それも念頭に浮かんだよ、パヤオには前科もあるし
(『風立ちぬ』のクライマックスとも言える菜穂子の離別の挨拶「行って来ます」は、実は戦後言葉だそうで、戦前なら「行って参ります」と言わなきゃならんらしい)
ただ考察の場において「作者が間違えたんだろう」は極力避けるべき
それを持ち込むと歯止めが効かなくなって、手前勝手な妄想だらけになってしまう
なので、誰が考えてもどう考えても、これは作者のミスだとファンが同意できるレベルでしか使っちゃいけない禁じ手なんよ >>414
うん、それも考えてみた
ただそうすると、この物語自体が根底から瓦解しないだろうか
「あくまで架空史ですよ」だとする
すると冒頭の3年目だ4年目だとかいう年次は特に気にする必要はない
サイパン陥落直後だという設定も無意味化する
田舎っ子たちの都会っ子への羨望・嫉妬から来る喧嘩も、実際の時代背景とは無関係
婆さんが証言する「御一新の少し前に天から降って来たのでございます」も、幕末だと認識していいのかわからない こんなとこで的外れな長文連投してないで自分のブログやSNSで世に発信したら? >>413
ふふ、年表作成は眞人PTSD説の方でしたか(先日はどうも)
あなたの自説はさておき、例えば「入社1年目」って新採の入社した当年だよね
作品内の独自用語はさておき、このような一般的な言葉って世間一般の常識の範囲で用いないと意味が通じなくなる
ところが、あなたが作成してくれた年表からは眞人のいう「戦争」が何を指しているのか、サイパン陥落という史実を基準に考察すると全く不明で、どうしたものかと頭を抱えてしまう >>417
黙れ小僧!
みんなで検証すべき事柄だろw 「○年目」という言葉の一般的な語用を棚に上げてみる
(>>409が作成してくれた年次を1年ずらす)
眞人の言う戦争=第二次大戦説
39年9月〜40年8月末までが当年
40年9月〜41年8月末までで丸1年経過
41年9月〜42年8月末までで丸2年経過
42年9月〜43年8月末までで丸3年経過→ヒサコ死亡
43年9月〜44年8月末までで丸4年経過→サイパン陥落
眞人の言う戦争=太平洋戦争説
41年12月8日〜42年12月7日までが当年
42年12月8日〜43年12月7日までで丸1年経過→ヒサコ死亡
43年12月8日〜44年12月7日までで丸2年経過→サイパン陥落
44年12月8日〜45年8月15日で終戦 >>418
普通、会社や公的機関は暦年より事業年度や会計年度で一年を区切る >>420
少しは考えてから書き込め
このスレはお前専用じゃないんだよ
当時の日本人の戦争といえば
日中戦争と太平洋戦争だから
第二次世界大戦説なんか、そもそもない >>422
当時の認識で言えば「支那事変」か「大東亜戦争」
その時代の中の眞人少年にとってはそうなんだよ
で、眞人の言う「戦争が始まってから」の場合は、支那事変はありえんよね(年次が全く合わない)
では大東亜戦争かと思うに、こっちはこっちで409が示してくれたように「○年目」とズレる
「○年目」ではなく「丸○年経過」だとすると、第二次世界大戦と合わないかな
眞人が戦後になって回想(述懐)してる場合には、第二次大戦という線が出て来て、それを俺は先の>>397の後半に書いたわけね
ただしこれで俺が撤回した後半部分が復活するとは考えない
「パヤオが台詞を間違えた」というのは俺にとって禁じ手だから この作品全体がファンタジーだとすると史実とは違う戦争でもおかしくないね こまけぇことで盛り上がってるなw
軍オタじゃないから全然気にならなかったわ >>423
当時の日本人としては
1941年12月8日に戦争が始まったというより
その前から、すでに始まってる感覚が強い
本格化したのが1941年くらいということ
文章はもっと端的に書けよ >>424
その場合は>>416で書いたようになるよ
劇中の台詞の中にあるサイパン陥落だとか御一新だとか、完全に無意味化する
それらを劇中根拠として考察の基準にすることが不可能になる
よって架空史説は却下すべきだと考えたよ
(そもそも論になるが、そんな無意味な台詞を登場人物に言わせるわけがない) >>427
この話は東京→青鷺屋敷→塔と2段階で非日常に行って戻ってくる話と捉えている
何故2段階にしているのかと考えると
もう1つ外側に1層あるということに気付かせるためではないかと考えていて
それが我々鑑賞者なのではないかと
この観点からすればフィクションと気付かせる意味はあるかと
時代設定を否定する必要はなくてフィクションとさえ言えればいい >>426
大人の人たちには、北支事変→支那事変→大東亜戦争と、ずっと戦争が続いているという感覚を持ってた人も多いとは聞く
その一方で、真珠湾攻撃のニュースに世相が一変したとも聞くよ
世の多くの人は晴れやかな気分で喝采を送る人々が多く、「大変なことになってしまった...」と暗澹たる気持ちになった人は少数だったそうな
で、眞人ら小国民はどうだったろうね
生まれた頃には既に泥沼化してる支那事変を「戦争が始まった」とは感じないだろう
「戦争が始まった」と感じられるのは大東亜戦争の方だったと思う
でも、眞人の言う「○年目」は409が示してくれたように年次がズレる
第二次大戦の経過年数となら合う
今んとこ確実に言えるのはそこまでじゃないかな
※繰り返し言うが、それは俺の撤回した部分の根拠には使えない >>428
なるほどねぇ、冒頭のモノローグのみ史実どおりではなく、フィクション性に留意させる叙述トリックということか
それは一考の余地はあるね
ただし、するとエピローグのモノローグ「戦争が終わって2年後」はどうなるんだろうか
冒頭のモノローグは偽であり最後のモノローグは真であるという根拠に乏しさを感じる
そして個人的には一考の余地はあると思うものの、それはこうして考察議論を経ればこそでもある
広く一般客に対してそうした叙述トリックは、果たして必要だろうか
特に子どもたち、今作は児童文学路線の異世界訪問ファンタジーだ
無用な叙述トリックに思えもするよ >>425
俺も全くミリオタでも戦史オタでもないよw 俺も戦争=第二次大戦だと思う
確かに第二次大戦でも整合しないけど、しようと思えば整合させることは出来る
つまり、眞人が実家に疎開する以前に既に東京を離れていたと仮定すれば整合する
とはいえ、戦争=太平洋戦争は、当時の日本人の一般な用法ではあるのだけれど 眞人くんの世界はループしてるから年次くらいのことはちょっとずつズレて当たり前なのよ
青鷺「さあ、約束の時だ、眞人君
今度こそ君だけは…幸せにしてみせるよ」 この議論も行き詰まったし、言い忘れてたことだけ書いて俺からは終わりにする
そもそも論になっちゃうけど、エピローグの描写の意味
ズボンのポケットから何かを取り出して、じっと見ている
玄関から呼ぶ声がして「はーい」と眞人は返事をする
眞人は握っていたものをポケットに戻して部屋を出て行く
眞人に塔関連の記憶が無いとすると、この描写の意味が無い
何を取り出してたのか描かれてないから小石じゃないかもと考えてみても、じゃぁ何のかは全く手がかりがなく、やっぱり無意味な描写になってしまう
作画コストの面から考えて、そんな無駄な描画はしないと思うのよね >>436
足が見えないとただの着ぐるみおじさんだなあ 2行で済むだろ、その内容
バカほど文が長いの典型だな >>437
パヤオは無駄な描写はしない
意味ありげなことは必ず何かがある この映画見てて不思議でならなかったシーンがある
眞人が庭に出るとき
靴を履き始めから履き終わりまで描写してて5秒ぐらい使ってた(体感)
あのペラペラの靴そんなに見せたかったのかな >>435
うん、あの世界はループしてるよね(たぶん)
起点はヒミ(ヒサコ)
ヒミ(ヒサコ)が無限ループしてね?って感じる
二次元平面上の円周をぐるぐる回るモデルじゃなくて、三次元空間の螺旋をぐるぐる回りながら昇ってくモデルの方(だから同じ座標には二度と戻らない)
※ もちろん眞人と一緒に出て行くことも可能だし(多世界モノとして)、そういう世界線だってあるかもしれないが、ここでは関係ないので割愛
「永劫回帰」ってやつじゃないか
ニーチェの原典は知らんけど、パヤオ流の解釈による永劫回帰の方
ループするたびに少しづつ変わる(エヴァのカヲル君のように)
『On Your Mark』のアレ >>437
塔の中の体験を忘れまいと肌身離さず持っていたけど、アオサギが諭すように語っていた通り、
結局は忘れつつあることを意味している
眞人の孤独が強調されているのも、「友達を探します」という大伯父との約束を忘れている
ことを示唆している 宣伝無しで62億とかやばいな
正直宣伝しまくってたら65億くらいだと思う でも探せないとタイトル回収にならないよw
というか急に友達が出てきた感があるんだけど
いらないって思わせるぐらい学校のいじめ部分もう少しまねちっこく描いても良かったかもね
1回の喧嘩で自傷行為するのも主人公の後の行動から考えると薄いかな? >>443
アオサギの台詞に関して、そうは考えてないので上の390に既に書いた
文中に脱字があるので、もう一回書くよ
「たいした力も無い石だ、そのうちだんだん忘れるさ」
このことからわかるのは、脳の記憶部分に対する影響の仕方
・小石の効力は微力である
・小石の効力は、ある日いきなり消失するのではない
ある日いきなりブツンと記憶喪失になるのではないことが
わかる
石の力だけに頼ればサギ男の言うように少しづつ忘れていくだろう
でも日々小石を見つめながら、サギ男、塔の中での体験、そこで出会った人々を自分の力(記憶力)を駆使して脳に焼き付け直すとどうだろうか
常に同じ記憶の上書き保存をしていけば消えるメカニズムが無い
小石の力は微弱であり、次第に失われて、人の脳の記憶に干渉することもできなくなってゆくと考える
眞人が屋敷を去り際に、小石を取り出して見つめているのは、あらためて塔での出来事や人々を想っているのだろうと思う >>442
螺旋を描くさまはわらわらが天上へ登ってる時の絵で表現してるじゃん >>446
忘れていないことを表現するとしたら、宮崎はもっとアップで小石を見せたはずだよ
宮崎が小石をはっきり描写しなかったのは、眞人にとって自分が持ち歩いている小石に
どんな意味や価値があるのを忘れつつあることを示したかったから
あのシーンで眞人が小石を一度ポケットから取り出したのは、部屋に置いていこうか
迷っていたからだと思う
小石の力が大したこと無いというのは、逆に言えば、現実世界の圧倒的な忘却の力の
方が強大であるということを意味していて、それは個人の努力では如何ともしがたいもの
なので、別に眞人に何か問題や欠陥があるということを意味しない
最期のシーンは、もはや眞人にって、塔の中の体験を記憶し続けるより、「君たちはどう
生きるか」の方が重要であり、価値があることを意味している そこは、よく言われているように
石はパヤオの映画のことで
世の中を変えようと思って作ってきたが
たいした力もなく、忘れさられていくと
自嘲気味に言ったまでのこと
覚えてくれてたらいいな的な願望も含む まああれはアオサギとのお別れの場面を作るための小道具だよねw
塔を出たとたん「誰だっけ?」って場面にするわけにはいかないしあそこでは塔の記憶は必要になるわけ
大事なのは記憶じゃなくて体験だからラストシーンとしては記憶は全てなくなりましたって方が着地点としては美しいと思うな
あれもよくある表現で異世界から持って来た物を見てると
友達に「それ何?」って聞かれて「分かんない」って答えて
友達が先に行っちゃってて「待ってー」って追いかけて行って終わるやつだよ
ただそういう説明的な台詞を入れてないから好きなように解釈してくれってことじゃないかな?
そういう説明をしない映画だよね スイッチの表紙
もー!!!!
本当に裏切らない!徹底してるよすごいよ アオサギは
観客をファンタジーの世界に誘う
パヤオの分身ということだろうね
眞人は、パヤオの少年時代であり
同時に観客でもあるような設定かな >>448
この話題を振ってみて良かったと思えるのは、
1.眞人がポケットから取り出して見つめているのが小石であることに異論のある人は(少なくともここでは)いない
2.その描写に何を感じたかは各人各様である
...ということが確認できたことだな
>宮崎が小石をはっきり描写しなかったのは
上記2.のためだと思うよ
鑑賞した人それぞれの中で様々に思い浮かべられるように、過度の意味付けをしない
例えば>>450のように「記憶は全てなくなりましたって方が着地点としては美しい」と思う人もいるわけで
>現実世界の圧倒的な忘却の力の方が強大であるということを意味していて、それは個人の努力では如何ともしがたいもの
それだとどんなに自分にとって忘れ得ぬ記憶も時が経てば消える
(現実にはそんなことはない)
まして絶対に忘れないと心に刻み込み続ける記憶は消えないもの
(脳の損傷による記憶喪失とか認知症による健忘とかは除く)
※『君の名は。』の瀧や三葉が一連の出来事 を忘れてしまうのは、別の世界線(2人が出会わなかった世界線)に移ってしまったから
...こんなとこかな きもすぎる(´;ω;`)
ttps://eiga.k-img.com/images/buzz/105093/7314a70b464ce563/640.jpg >>447
あぁ、あの螺旋にはそっちの意味を感じられるのか
遺伝子のイメージ説もあったけど、二重螺旋じゃないので合点が行きかねるモヤモヤ感もあったんよね
かと言って精子説だと「じゃあ卵子はどこに?」ってなるし
そもそもワラワラ一体一体が、人ひとりの魂だし
前世→転生→来世...と繰り返しして行くから、魂としては永劫回帰か 【映画】君たちはどう生きるか:初の場面写真解禁 主人公の眞人、青サギ・サギ男、インコ大王ら14点 声優陣も一挙発表 [湛然★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1692310624/
公開されたけど?ますますパンフレットの存在意義が パンフにも載ってなかったキャスト情報がサラッと公開されてて草
数少ない見どころだったパヤオ版サギ男も普通に公開されてて草
マジでパンフは買う価値ないから、買おうと思ってる人は買わないように 「頭がいい人にしか分からない映画」というのは
「バカ者には見えない生地で作った王様の服」ってことだよな
原作は「君たちはどう生きるか」というよりは
「裸の王様」(アンデルセン)だったというわけか 宮崎駿もすっかり裸の王様化しちゃったからな
批判すると干されるからタレントや著名人は表立って批判することすら出来ない >>461
じゃあ僕が公開します
少年眞人は、
母を追って、
生と死の世界へ向かった────。
そこは、死が終わり、
生が始まる場所だった。
眞人を導いたのは、
嘘と真を使い分けるサギ男。
少年は友と出会い、
母と再開し、
創造主・大伯父と向き合う。
あなたがいてくれて、
本当に良かった。
宮﨑駿が友情をこめて描く、
生と死と創造の
自伝的ファンタジー。 >>444
鬼滅以降アニメ映画は伸びるようになってるから100億は言ってたと思う >>459
そこね、たぶんTOMOR
(かつてTOMOD...と見てTOMODACHI説があったんだけど誤認)
何度も観て確認したんだけど、その画像のとおり最初はティーカップが邪魔してて文字の下部が見えない
次のシーンになるともっと見やすくなって(やはり最下部はカップに接続してるけど)5文字目がBかRかと言われたらR、下の部分が曲線ではなく斜め直線なので
1文字目はIではないな、その字体だと上の横線が長過ぎるし、IOMOR…から予測できる単語が思いつかない(TOMOB...も同様)
TOMOR...なら「TOMORROW」と容易に予測できると思う >>462
それは賢いつもりの馬鹿が言ってることだから間に受けるもんじゃないよ >>467
ありがとう果物の名前じゃなさそうなのね スタジオジブリの最新作「君たちはどう生きるか」は監督の宮﨑駿氏も“訳のわからなさ”を認めている映画だ。この作品の謎を、サブカル評論家として知られる朝日新聞の太田記者が解き明かす。「文藝春秋 電子版」より一部を無料公開します。(※本稿は映画『君たちはどう生きるか』の内容に触れています。未見の方にとってはネタバレになる情報を含んでいますのでご注意ください) 手書きのアニメーションとは、こんなにも自由で、豊かで、人の心を魅了できる表現なのか――。映画「君たちはどう生きるか」を観て、そんな驚きと興奮に囚われない人はまれだろう。人力車の重そうなペダルを漕ぐ、ナイフで竹を削る、飯粒を嚙むという日常的な動きから、全身を使って船の帆を操り風を捉えようとする機敏でダイナミックな動き、そして壁面に飾られていた鳥のレリーフが突然膨れあがり生命を得て飛翔するという幻想的な動きに至るまで、この映画に満ち満ちた「動き」は、実写映画ともCGとも異質な、そして圧倒的な生命力にあふれている。 その一方で、この映画は「謎」にも満ちている。従来の宮﨑駿の映画は、現実離れした世界や突拍子のない展開があっても、主人公らの心の動きは明確に描いていたため、主人公への感情移入を通じてスムーズに物語世界へと入っていくことができた。「千と千尋の神隠し」はその典型だろう。
しかし、宮﨑駿が「君たちはどう生きるか」で試みたことは、さらにその先にある。自らのうちから湧き出すイメージの奔流を極限まで映像化すると同時に、主人公らの内面の心の動きを繊細に表現することで、「誰の心の内にも潜む『悪意』にどう立ち向かうか」という根源的なテーマを描こうとしたのだ。その結果、観客は、奔放な異世界の描写に圧倒されつつも、登場人物たちの複雑な内面を推し量ることを求められる。宮﨑駿自身も認めるこの映画の「訳のわからなさ」の理由はここにある。 80歳を超えても映画の完成度よりも新たな挑戦を目指す宮﨑駿のエネルギーと気概は、宮﨑映画の中でも最高のみずみずしさをこの作品に与えている。ここでは映画の核心と直結している主人公・眞人が自らつけた額の傷、そして額の傷が象徴するとされる「悪意」を巡る謎を、これまでの宮﨑作品も参照しつつ解き明かしたい。これが理解できれば、「君たちはどう生きるか」という作品の印象は一変するはずだ。
「誰にやられたんだ」「転んだんだ」
日本の敗戦が迫りつつある夏、眞人は父親と共に母親の実家のある田舎の街へと移り住む。駅に降り立った眞人と父を迎えたのは、前年に空襲による火災で亡くなった母の妹で母そっくりの美しい女性、ナツコだった。ナツコは自分が眞人の新しい母親になることを告げると、いきなり眞人の手を握って自分のおなかに触らせる。ナツコはすでに妊娠していた。眞人は父親と共に、ナツコの実家である豪邸の離れに暮らすことになる。 翌日、転校先の小学校に初登校した眞人は、下校時に同級生たちとケンカになる。ケンカの後の真人は、服は汚れているが、ケガをしているように見えない。しかし、眞人は帰宅途中、道ばたに落ちていた石を拾い、自らの頭に思い切りたたきつける。 一見、ケンカでケガを負ったことを偽装するためかと思えるが、傷口からの出血量は尋常ではない。よほどの強い葛藤や衝動がない限り、人間はあんなにも激しく自分の体を傷つけられるものではない。帰宅後、「誰にやられたんだ」と詰問する父に対して「転んだんだ」としか答えないことも、眞人の自傷行為の動機が単純ではないことを示唆している。
眞人が異世界へと旅立つと共に、それまで絆創膏に覆われていた額の傷が顕わになる。異世界で最初に出会い、眞人を助ける女性・キリコの額にも同様の傷がある。そして物語のクライマックス、異世界の「創造主」である自らの血族の老人「大叔父」に対して、眞人は傷痕を示しつつこう告げる。「この傷は自分でつけました。僕の悪意のしるしです」と。 なぜ、眞人は自らを傷つけたのか。その傷がどうして「悪意のしるし」なのか。
「新しい母」になろうとしているナツコに対して、眞人が亡き母への思いの裏返しとして強い拒否感を抱いているのは疑いない。その一方で、母親にそっくりの美しい女性に出会ったことで、眞人はいや応もなくナツコへの思慕の念も抱いてしまったのだ(「天空の城ラピュタ」も「ハウルの動く城」も、主人公が異性に一目ぼれすることから話が始まる。実はこの映画もそうだ)。
母が亡くなって間もないのに、ナツコと再婚しようとする父親に対する嫌悪も眞人の中にはある。しかし、ナツコを父親が愛した理由の一端は、ナツコの中に亡き妻の面影を見たからであることも眞人は直観している。父は亡き母を裏切った。 しかし、その裏切りの原因は、母への深い思いそれ自体の中にある。そして自分も同じ心の動きによって、母を裏切ろうとしている――。そのことへの激しい葛藤と自己嫌悪と罪の意識こそが、眞人が自分自身の頭に激しく石を打ちつけた真の動機ではないか。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
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新規登録は「月あたり450円」から ↑結局「訳のわからない完成度の低い作品」と言ってて草 『君たちはどう生きるか』は、なぜ「死の島」をモチーフにしたのか
宮﨑駿監督による最新作『君たちはどう生きるか』。この話題作を、『シン・エヴァンゲリオン論』(河出書房新社)などで知られる批評家・藤田直哉がアルノルト・ベックリンの《死の島》を参照しながら読み解く。
『君たちはどう生きるか』のクライマックスのひとつである「お墓」のシーンは、19世紀に活躍したスイス出身の画家、アルノルト・ベックリンの《死の島》をモチーフにしていると解釈されている。《死の島》は、前作『風立ちぬ』において、そのものとして作中に登場している(軽井沢の建物の中に飾られている)。
《死の島》というタイトルの絵をベックリンは五枚描いたが、そのうちの三枚目は、アドルフ・ヒトラーが入手し、執務室に飾っていたと言われる。つまり、ファシズムや戦争を強く連想させる絵画である。
宮﨑駿は、なぜこの絵を作品に登場させたり、自作の重要な箇所のモチーフに使ったのだろうか? その答えのひとつは、『君たちはどう生きるか』および前作『風立ちぬ』は、これから先、暗い戦争と破局の時代、軍国主義の時代に入るという確信のもと、その時代を「どう生きるか」を教えるために作られた作品だ、ということである。
破局に向かって突き進んでいく時代をどう生きるか
この記事は有料会員限定記事です ベックリンの「死の島」シリーズの1枚をヒトラーが飾ってたのは、この絵を知る人にはよく知られた話だけど(確かに印象的なエピソードではあるが)、そこから「死の島とファシズム」みたいに印象を固定化するのは誤った方向性
ベックリンも最初の依頼者もそんな気ではないし、シリーズの購入者が皆ファシストだったなんてことはない
ヒトラーがなぜこの絵を好んで飾ってたのかは、ヒトラー論として別に語るべきテーマだ >>464
これ営業妨害にはならんの?
こんなとこ覗いてる人も少数だろうし、ジブリから法に問われることもまず無いだろうけどさ >>481
他人の妄想こじつけ遊びにはおかしいと気づけるんだねwww >>483
いや、俺自身がある人から批判的指摘を受けたからね>>389参照
あと、前にも書いたが「こじつけ遊び」なら別にいいんじゃね、遊び事と自覚してるなら
考察って鑑賞の余興の知的遊戯だし >>482
wikipediaに詳細なストーリー書かれてるぞw >>484
そうなんだ
じゃぁ杞憂かな
>>486
どんなに詳細でも粗筋だからねぇ
パンフの(その部分の)全文転載は危うくね?と思っただけ おお伯父って言うのが正体不明な奴で
パヤオの親族なのか、ただの本読み過ぎの廃人なのか
なぜあんな奴を出した >>488
へ?
なんでパヤオの親族とか言う話になるわけ?
現実世界とアニメの区別つかないタイプのキチガイさん? この映画であの世の秘密を解き明かしたんならパヤオ先生は聖人
そうでなきゃただのヨタ話 >>489
だって宮崎家を舞台に取ったような話だからよ ツイッターで流れてくる映画公開前の想像で作った
青鷺のコスプレの方が100倍格好良くて草 >>493
あれほんと大振り過ぎて笑った
単なるアマチュアならもっと褒めてたかも >>473
>駅に降り立った眞人と父を迎えたのは、前年に空襲による火災で亡くなった母の妹で母そっくりの美しい女性、ナツコだった。
どっか他のブログでも見たけど偉そうな講釈垂れてるやつに限って空襲と火事の区別もついてないよな
あの場面、言葉をこねくり回すのが好きなだけで見る目の無いエセ教養人ホイホイになってるわ 「常識の範囲でご自由にお使い下さい。」
スタジオジブリ すずきとしお
カンヤダに会社の金を使ったりするのも
鈴木の常識の範囲内だろうから
実質、何に使ってもいいということだな >>492
俗世を嫌い自ら異界を創ってその中に居たから仙人みたいな人
謎隕石の謎パワーを使って彼が理想とする冥界を創造して来た
ただし頭がおかしくなってるからか、あの世界も歪んでいる
眞人の父・勝一に宮崎駿の実父が投影されてるのは確かだけど、大伯父は眞人の母方の先祖筋の人
宮崎駿の母方の先祖筋に、あのような人が居たかどうかは知らない
あなたも知らないようだし、わからない方向で考えても余計にわからなくなるだけかと
(そういう詮索が物語の鑑賞の助けになるとも思わない) >>479
死の島が火の鳥に見えたw
輪廻回帰する火の鳥をイメージして
炎の力使うヒミ書いたのかな
非難したのに引用流用って手塚先生に謝れw 眞人が友達を探しに行くって言ってたか
それは宮アがまた別の会社で別の話でも作りたくなったと言ってるのかな だからアニメ監督が友達を探すと言ったのは
単なる遊び仲間じゃなくて、別の傾向の話を作りたいという意味ではないか >>495
(みんな謎に思ってるし俺も謎だが、あくまで個人的な想像)
眞人が墓石の奥を覗きこむと、真っ暗な中で、何やらうごめいている
うっすらとしか見えないが、淡く青白いようなゆらめきが明滅してる
眞人が気絶中に大伯父と初対面した際に、見せられた積み木の石を見つめて「これは木ではありません、石です。墓の石と同じで、悪意があります」と言うと、大伯父の見せた石は青白い閃光を放っていた
あれはチェレンコフ光じゃないか
もちろんチェレンコフ光そのものではなく、それに象徴されるもの
(チェレンコフ光そのものだとすると、墓所で核反応が起きてることになってしまうから) >>469
別スレの方で、ある人がヒント出してくれた
「Jam Tomorrow アリス」でググるといいよ 死んだ人に会えるって本来ならありえないことだから
お盆を公開期間にするのは狙ってやってたりして 君たちはどう生きるかは戦争中なのに、なんで私利私欲の話しが多かったか謎だった。 >>505
そりゃいつの世も人には私利私欲があるさ
「滅私奉公」が叫ばれた時代であっても 2回目観てきたけど
前半の現実世界はかったるいから
前半で終わってたら風立ちぬ以下だったな
後半のセルフオマージュファンタジーが真骨頂
感想は、1回目の第一感とほとんど同じだが
大伯父=アインシュタイン+モーゼ+パヤオ
浮いてる石=原爆
悪意のない13個の石=宮崎アニメ
(今回が12作目だから、もう1本作る予定)
映画のメッセージとしては
・原爆は独裁者によって使用される
・忘れ去られるだろうが、自分の死後も子供が
石を持っていてくれればいいなという願望
のようなパヤオの遺言ということで
個人的には納得した >>509
岡田のYouTubeは見てないが
同じだとしたら不本意 >>511
お前の感想を言ってみろ
馬鹿が露呈するから、言えないか 13って数字は西洋でよく使われる不吉な数字の定番でベタなやつ
13日の金曜日とかキリストを裏切ったユダが13番目の使徒とか北欧神話の13人目の神とかそういうのw それに対してその一個前の12って数字は2でも3でも4でも6でも割り切れる便利な数字
1ダースが12なのはセットで購入して分配しやすい
時計の文字盤は12
一周は12の倍数の360°
そこから1個進んだだけで素数の13になっちゃって嫌われる >>514
役目を継いでここに石を足してくれってことは13じゃなくなるから良いこと
ぐらいの意味しかないと思うw 大伯父自身が積んでいた石は6個
矣チ人が大伯父と緒苑ホ面した際に=A眞人に対して荘蜚剣モヘ「君はbサれに1つ加えることができる」「世界をもっと穏やかにすることができる」と語る
ところが最後の場面で眞人に渡そうとした石は13個
「悪意に染まっていない石」だと大伯父は言い、「はるかな時と場所を旅して来たものだ」と言う
「悪意から自由な王国」「豊かで平和で美しい世界」を創りたまえ、と説く
変化してるんだよね
最初は、自分で使っていた石を譲るからそれに1つ足して、もっと穏やかにして欲しいということ
最後は、見つけて来たけど使わずにいた石を全て渡すから、それで君の世界を新たにこのように創って欲しいということかと >>520
最初の石は世の中に無数にある映画という意味
(眞人が拾った石の山も同様)
悪意のない13個の石はパヤオの映画
自我自賛になるかもしれないが
遺言だからしょうがない >>520
全部で13個か
3日に1個積めとかなんか言ってなかったっけ?
見つけて来たってことは探せば無限に見つかるってことなのかな? >>522
スタジオジブリとかそんな狭いせまーい世界のことをパヤオがあんな壮大な世界で表現するわけないじゃんw >>524
ネット上で煽ってくる奴は
大体こういう自分では何もできない奴
なんだよなって言おうと思ってたけど
かわしかたが上手いね 13て数字に深い意味はないんじゃないかと最近は思いだしてる
数字入れておけば注目しちゃうってのを利用した
ミスリード的なもので戦闘力53万みたいなもの
13て数字は連想されるものが多数あるから好都合 どんな石(映画)に感銘をうけたか具体的な事を描いてない もっと魅力的なロリマッマが出ていれば観客も文句を言わないのではないか >>523
3日に1個積めと言ってたね
悪意に染まらぬ石が無限にあるのかどうかはわからないが、なにしろ大伯父がその長い人生をかけて集めた数がたったの13個だったわけで、極めて珍しいのだろう >>522
そっちの線(大伯父=パヤオ)で考えるなら、逆だと思う
最初、大伯父は自分の使ってた石を譲り、それに1つ足せと言う
なので宮崎作品を指すならこっちだろう
(6個+1個は作品数のことでは無さげ)
自分が見つけて来たけど使わずにいた悪意に染まらぬ石は、パヤオが見出したけど作品にはしなかった事柄を指すことにならんかな
(やはり13個というのは作品数のことでは無い) >>529
あの世で石を積むと言えば三途の川なので、仏教方面で「13」に結びつくのが無いか調べてみたことがある
十三仏、あるいは胎蔵界曼荼羅(院と呼ばれる13区画がある)が該当するかもなと過去スレで述べたことはあるよ >>532
あいみょんの声が
最初はなんとなく良さそうだったけど
結局、ちょっと違う感じがあるんだよな
声フェチとしてはベストではない 誰だよ最初に13個を宮崎駿アニメって絡めて言い出したの >>539
シンエヴァの真希波マリ=安野モヨコだって実は岡田斗司夫が言い出しっぺじゃないんだよ
公開直後からそう言う人たちは居た(目立ってなかったけど)
岡田はそれを参照したわけではないが、彼が言ったことで一気に広まって、その種の劣化コピーが流行してる感じだな そういえば宮崎駿って
紅の豚で若ポルコが乗ってた戦闘機が4番だったのはジーナの4番目の夫だからとか
数に設定を織り込んで遊ぶことはあるのよね >>503
要するに不思議の国のアリスでそのジャムを塗りたぐる場面があるってこと?
クイズ大会じゃねーんだから要約しろよバカ マリが誰であろうが庵野はモヨコと結婚した
それでもう十分なんだよな それだけで新劇の意味はあった
駿も同じ、宮崎駿はあの歳になっても映画を撮り続けている、それだけで君たちはどう生きるかの意味はあった
やっぱり作品というものは製作者の人生とリンクしているんだよな 切っても切れるわけないんだよ 宮崎駿と鈴木は最後に大嘘をついた
老人となった宮崎駿はふと、自分がもしいなくなったらジブリは一体どうなるかと考えた
吾郎とスタッフたち、映画を作っていけるか?
君たちはどう生きていけるかどうか
宮さん今回彼らに任せてみませんか でも客入りが…
宮崎駿作って事にしてしまえば、最後の作品だったら絶対大丈夫です完璧
吾郎くんも力つけてきてますし彼らに自由に任せてみましょう
そうしよっか 考えてた資料五郎に渡しといて >>545
そうやってわかった気になっても虚しくないか
作品の面白さで勝負して欲しい
最近の駿は心が高揚する場面すら全くない >>547
作品そのものがつまんないゴミ駄作なんだからしゃあないだろ >>547
この映画
作品の面白さを語り合ってるスレって一つもないよね ラピュタやちひろを求めてた人は肩透かしだね
絵本に近い作品
宮崎駿って本当に挑戦するなって思うよ
同じような作品作るのは簡単なのにね
批判も来づらいし
2を作るのが利益的にも確実なのに、そうしない方針に決めたんだよね、ジブリは >>547
スレ冒頭にパヤオ自身の考え方がいくつか載ってるから、それが参考にならんかな
>>550
アンチスレなら、つまらなかったことを語り合ってりゃいいんだろうけどね
その分アンチスレは(今作のもそうだが)寿命が尽きるのも早い
批判スレで長持ちしてたのは、すずめのつまらなかったスレくらいじゃないか
311を扱ってるので問題作でもあったから、新海ファンから新海まで住民も意見も多様だった >>552訂正
×新海ファンから新海まで
○ 新海ファンから新海アンチまで トトロの続編に関してはあり得ると思ってる
宮崎がすでに絵コンテを完成させていたとしても驚かない >>543
ググればJam Tomorrowにどのような含意があるのかいろいろ出て来るだろ
何でそれを俺が要約せにゃならん
アホかお前はw 「宮崎駿・ジブリなら面白い可能性が高い」から
信じて観に行っただけで
「宮崎駿こと俺を観に来ている」ってのは
勘違いでしかないんだよパヤオ トトロはメイとこねこバスでトトロがみんなあの世に行った ある意味今作トトロの続編じゃね
カウンタートトロ的な >>556
パヤオがそんなもん描くわけないだろ
パヤオを信じろ 遅ればせながら吉野源三郎『君生き』を終えた
いいお話だったな
まずは、亡き母の遺言のごとく読んだ眞人目線で読んだ
眞人がなぜ友達を作る決意をしたのか、とても伝わって来た
劇中で眞人の涙が挿絵付きの頁にこぼれ落ちるシーンがあるが、それが本の中のどの場面かもはっきりする(挿絵で)
眞人はただ母の想いとしてだけではなく、心の底から友達が欲しくなって、孤高を捨てる気になったんだと感じた
一方、母ヒサコがもっとも伝えたかったのはノブレス・オブリッジ的なエピソード部分だろう(もちろん全編とおしてのうえで、その部分が特に)
あそこは名家だしな、ヒサコが託したかったものもわかる気がする 原作ナウシカ読んどくとわかりやすくなるとはよく言われてるけど
読んだことある? >>564
読んだことはあるけど、君生きを
見に行く気になれないんだよなあ >>564
わかりやすくなるわけではないよ
むしろ余計に混乱するまである
漫画版ナウシカの既読者にとっては、眞人が大伯父の後継者氏名を断った理由がナウシカの決断と通底するものがあるので、印象がより深くなるけど
過去スレで参考推奨図書として挙げられて来たのは以下の3つ
・吉野源三郎『君たちはどう生きるか』
・ジョンコナリー『失われたものたちの本』
・江戸川乱歩『幽霊塔』
...あと、アリスシリーズもよく比較に挙がる 主人公が異世界の体験を通して現実世界を見つめ直したように
俺らも映画の世界を通して自分たちの世界に答えを求めたらいいってだけのことだよ 隕石が落ちて来た時期と壊滅した時期に気づければ、隕石が何を象徴しているのか、解る奴にはわかる
ヒントは、隕石が日本の外からやってきた事、30年後に塔で覆われたこと >>573
こういうバカな考察って物語 全体としてどういう関係があるかとか一切考慮されないよなw >>572
「お」と「か」当てごっこはまだ始まってない なんか象徴してるってのはあるけど
物語の登場人物が何を思ってどう行動してるかを見ないと
物語の外から広げてこれがこうだからこうってのは映画の中身を見てないw 隕石とは言ってないでしょあのサイズの隕石ならそれこそ降ってきた時点であの一帯壊滅してる >>570
すでによく言われてることだろ
今回は自画像だからそれでいいんだよ >>577
あの謎隕石は確かに正確な「隕石」の定義からは明らかに異なるのだけど、便宜上とりあえず隕石と呼ぶ以外に言い方が無いと思う
あの大きさの隕石なら結構な質量だと思うに、クレーター自体は広いものではなかったから、質量は見かけほどではないのかもしれん
そもそもあの謎隕石の物質それ自体が得体の知れないものではあるが
見かけ上の大きさから予測されるよりずっと狭い範囲しか破壊されてないようだが、もし青鷺屋敷がその頃からあそこにあったなら一家全滅してるはず(庭園の奥という至近距離)
大伯父は青鷺屋敷の主だったので、彼らは他所の土地から移って来たのではないか >>573
その辺について俺も一度、過去スレで書いたことがある
それはそれとして、とりあえず時系列だけ推測しておく
謎隕石は明治維新の少し前に宇宙から飛来した
30年ほどするとすっかり森に覆われていたところ、大伯父によって発見され、謎隕石を覆い尽くす洋館が建てられた
さて幕末と言っても具体的にいつ頃だろうか
宇宙という外部世界からの飛来物であるという点に注目すると、日本にとっての黒船来航が連想される
嘉永6年(1853年)のことである
それから30年ほどして洋館で覆われたという点に注目すると、明治22年(1889年)の大日本帝国憲法公布が連想される
そして大伯父が創造した異世界は、昭和19年(1944年)サイパン陥落後まもなく、インコ大王の愚挙によって崩壊する >>564
読んだけど全く君行きとは関係ない作品だから無駄だぞ やっと観てきたけど前半は冒険活劇としてよかったのに後半は大叔父が出てきてから現実に引き戻されて冷めてしまった😥 >>581
婆さんの「御一新の少し前」を、明治元年の数年前の話だと仮定して、
それと明治30年の出来事との関連に気付ければ、解る奴にはわかる
おそらく、知らなくてもいい裏設定なんだと思う・・・
この裏設定が作品においてどういう意味を持つのか、俺自身まだ良く分からない >>585
「明治元年の数年前だとして、それと明治30年の出来事との関連」
...というのはわからんなぁ
黒船来航により始まる開国と文明開花(と呼ばれた近代化=西洋化)
西洋式近代憲法としての大日本帝国憲法
それらを宇宙(外部世界)から飛来した謎隕石と、それを覆う洋館という具合に連想したんだけども
裏設定というか、眞人少年の物語としては背景部分であって、鑑賞の主題ではないとは俺も思う
参考までに、過去スレに投下した意見を手直しして、以下に別稿として貼っとくよ >>585
インコどもはパンフによると「戯画化された大衆」とのことだ
ちなみにウィキによればインコが象徴するのは国家やナショナリズムとのこと(ただし実例が貧弱だったが)
塔の外部世界の時間軸(つまり眞人の時間線)で言えば、世はまさに国家主義の時代、過激化したナショナリズムが吹き荒れていたので合いそうではある
インコ大王はあの世界を守らねばならぬ、このままでは滅ぶと危機感を強め、使命感で突っ走っていた
だが皮肉なことに、積み木の価値を彼が理解できず癇癪を起こした愚挙によって守るべき世界は崩壊した
(以上はあくまで大人向けの寓話として)
過去スレで「塔の内部世界は、塔の外部世界の影響下にあるのではないか」と考察してた人が居た
そうなのかもしれんね >>586
少なくともここでは、過去スレから今に至るまで(俺を含め)誰もが「それだ!」と思える答えに行き着いていない
特定個人とかではなく概念的なもんじゃないかなと俺は思ってるが...
眞人や大伯父らが「石の悪意」「石は悪意に染まりやすい」とか言ってるのでね
それを念頭に置いて>>502に書いてみた ようやく観たがキャラクターの行動に対する動機が分からない場面が多い印象だった
よく分からないという評判を観る前に知ってたからいいけどもし分かりやすい冒険活劇を求めて行ってたなら不満に感じたと思う
周囲からの圧力とか期待なんか気にせず好きなようにやろうよというそのままの読み取りしかできなかった
もう一度見たいとは思わないけど宮崎駿が一つずつ解説してくれるならぜひ聞きたいと思わせた >>591
封印して、二度と外に現れないようにしてるのかw >>590
行動の動機が不明
みんなそうなんだよな
いわばずっと無理問答を見せられているようなもので、だから一切理解できないし理解したいとも思わなくなる
5chの荒らしでニュー速+などに全く意味不明のキチガイじみた書き込みが延々と書きこまれていたけど
それと似たようなものだ 宣伝しなかったのとかパンフ途中で販売したりとかって戦略じゃなくて
ジブリとスポンサーがもめてそうなったよね
詳しい人教えて 君生きは100%ジブリの出資だからスポンサーはいないはず
ジブリと関係の深い日テレや興行サイドの東宝なんかとは揉めたかもしれんが >>595
鈴木敏夫の無宣伝方針については、いろんなインタビューを読んでみた中で、NHKのが一番わかりやすいと感じたので紹介しとく
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230706/amp/k10014119971000.html
↑これは「事前情報を与えたくない」という主旨だね
※パンフの発馬時期や一部映像のスクショ公開時期のタイミングについては、なぜその時期なのかはわからない
スポンサーって今作にあるのかな
ジブリの全額負担で制作したから、自主制作映画だと言われているほどだけど 眞人の行動の動機が不明...というのは意外だな
自傷行為の動機については、ここでもよく話題になってたけど
自室で亡き母が生前に自分宛てに贈るつもりだった吉野源三郎「君生き』を読んで涙して改心した
※改心の手始めに、友達を作ることを決心したということは最終盤に語られるが、何をどう心を入れ替えたのかは伏せられてたわけで、そこでつまづいてしまったのだろうか?
それまで眞人が冷ややかに接していた叔母・夏子の失踪を知るとすぐに、塔に誘い込まれたと感じたのが動機で探しに行く
夏子のことだけじゃなくて、死んだはずの母ヒサコが生きているとサギ男が言ったのを確かめたいという動機もある
これがストーリー展開上、重要な動機として眞人自身が語るのでわかりくいとは思えないんだけどなぁ YouTubeのCMなんかほとんど記憶にないけど
YouTuberが広告収入で年収1億円以上って
世の中間違ってないか
広告に意味があるっていう勘違いが
甚だしいよな >>598
お前は偉そうに長文を書くなら
自傷行為の動機を明確に言ってみろ
俺は家系的な精神病だと思っているけどな >>600
あぁ、精神病家系説をレスしてた人か、覚えてるよ
自傷行為に病的なもの感じたから、だったかな
俺のは、悪意の塊になって父親を利用した復讐劇を図ったもの、というやつさ
それについて他の人とのやりとりもあったから、その時からお前が居たら覚えてるだろうね(居なかったら過去スレを読め)
...ていうか「偉そうに」って何だいきなり喧嘩腰に
眞人の行動の動機がわからない(ことが多い)という会話があったから、意外に思って、どこでそうなったか俺なりに推察してみたわけ
眞人の自傷行為の動機はここでもいろんな意見があったと最初に触れてる
精神病家系説が出たのも覚えてるが、それと俺のと、ここで出す必要があるかね
喧嘩売るのは構わないが、スレの流れと関係無いレスバは俺は買わんよ 3回目観てきたけどそれに耐えうると思った
特に後半は未だに見飽きない >>602
同じく
前半の湿っぽい和風ホラー味もすごく好きだけどね
後半がとてもいいよな
特にクライマックスの崩壊シーンは、あれを観るためにリピートしてるまである 吾郎の駄作と考えればキャラも言動も何もかもショボい謎は消える
命がけで助けに行く理由が 「父が好きな人だからです」 なんだそれ
タバコ盗んだり買収したりズッこい暗い主人公を誰が応援したいと思うんだ
パヤオ作品の主人公にそんなの1人もいない
深そうなセリフだけ散りばめて全キャラ魅力ない所がゲド戦記と一緒
ヒロインの絆も薄っぺらい >>604
「父が好きな人です」ってのは自分も好きだけどそれを認めたくないって心の現れだよ
夏子自身には魅力を感じてる、母の顔が好きなんだから当然そっくりな夏子の顔は好きなんだよ
最初に田舎に着いた時に「疲れたでしょ」と優しい気遣いでお茶を入れてくれる
アオサギが塔に誘って来た時に弓を持って体を張って助けてくれる
夏子がいい人なのは分かってる、だけどそれを受け入れてしまっては母を裏切ることになってしまう
本を読んでそのわだかまりがなくって助けに行くんだよ >命がけで助けに行く理由が「父が好きな人だからです」
違うな
夏子がサギ男によって誘い込まれたと思い込んだからだよ
夏子が森の中に入ってく時は見て見ぬ振りしてた
知ったことか、くらいに思ってたんじゃね
それより妖怪サギ男を退治するための弓矢作りを優先させた
ところがその際、亡き母が自分のために遺してくれた本で改心した
なので夏子が帰って来ないと知って塔に向かった
眞人にはさらに目的もあった
「死んだ母さんが生きてると言うんだ。嘘だと思うけど、確かめに行かなきゃ」
眞人はサギ男に言われてたからな
「母君がお待ちです」
「母君は死んじゃぁいませんよ。失礼ながら、あなたは母君の御遺体を御覧になってないでしょう?」 アオサギが手塚治虫だとして、夏子が取り込まれたのはどうして? アオサギはアオサギですよ
手塚治虫ではありません
手塚治虫は実際した人物です
日本の漫画家・アニメ監督・医師。勲等は勲三等。学位は医学博士。本名:手塚 治。 戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的な存在として活躍した。兵庫県宝塚市出身で同市名誉市民。出生は大阪府豊能郡豊中町。大阪帝国大学附属医学専門部卒業 >>607
サギ男(アオサギ)を手塚治虫に見立てたとする
すると、なぜ手塚治虫が夏子を誘い込んだのか?
その場合、夏子とは誰なのか?
そもそも手塚治虫が誘い込んだと思い込んでるのは眞人だけど、この場合に眞人は誰なのか?
手塚治虫は後に眞人(誰?)に「おいらにそんな力はありません」と否定するがその意味は?
それに対して眞人(誰?)は「嘘だ!こいつが連れ出したに違いないんだ!」と認めないがそれは何故?
キリコ(誰?)が「全ての手塚治虫は嘘つきだと手塚治虫が言った。それは本当か、嘘か」と有名なパラドクスを言うが、その意味は?
まぁひとまずこれらを自分の中で考えてみることをおすすめする >>532
ロリママとハグする的なのは
100%実現しない原始欲求のようなもので
分からなくもないが
最後にパヤオがしっぽを出してきたらしいな >>607
ちゃんと映画の中身見ようよ
なんで映画の外のものに答えを求めようとするんだよ >>607
手塚をアオサギとするなら
夏子はアニメそのものじゃないかな?
手塚が鉄腕アトム作ったことで製作体制そのものが変わっていき
相場が時代とズレて貧困な環境を作った要因扱いしてる
でそれでも結局自分にはアニメしかないから
夏子母さんってよんで改めてアニメと共存してる
じゃあヒメは東映動画時代のことか
アニメーターの自分として育ててくれたのは 東映動画だから
我ながらちょっぴり 腑に落ちたw >>611
本作がジョン・コナリーの『失われたものたちの本』に影響を受けていることは制作側が明言しているが
誰かが本作と『失われたものたちの本』との関連に言及したら、お前は同じこと言えんの? >>615
言える
それが元ネタになってたとしてもそれを見なくても分かるように作ってある
元ネタといってもそれそのものでもない
「君たちはどう生きるか」も読む必要がない
本の内容は人物の行動から逆算的に分かるようになってる
ちゃんと作品の中身を見ろよ >>614
そっか、では「夏子」に「アニメ」を代入してみよう
すると、なぜ手塚治虫がアニメを誘い込んだのか?
そもそも手塚治虫が誘い込んだと思い込んでるのは眞人だけど、この場合に眞人は誰なのか?
手塚治虫は後に眞人(誰?)に「手塚治虫にそんな力はありません」と否定するがその意味は?
それに対して眞人(誰?)は「嘘だ!手塚治虫がアニメを連れ出したに違いないんだ!」と認めないがそれは何故?
キリコ(誰?)が「全ての手塚治虫は嘘つきだと手塚治虫が言った。それは本当か、嘘か」と有名なパラドクスを言うが、その意味は?
「全ての手塚治虫」と言うが、手塚治虫は何人もいるのだろうか? あのな大伯父のモデルはアインシュタインなのか?って言ったらそらアインシュタインだよ
「時間」の概念がない世界でヒミは「空間」を移動するよね?石は「重力」に反して宙に浮いてる
「時間と空間と重力」なんだから相対性理論を象徴してるよね?
じゃあ大伯父はアインシュタインなのか?って言ったらアインシュタインじゃないじゃん
大伯父の人物像は大伯父の人物像としてちゃんと作品の中で表現されてるじゃん
キャラの肉付けとしてアインシュタインを使ってるだけアインシュタインそのものじゃない >>616
だったら、戦争が始まって「4年目に東京を離れた」と、「44年7月サイパン陥落の史実」が
整合しない問題も裏設定を持ち出さずに説明してもらおうか? >>617
東映動画は手塚の鉄腕アトムを馬鹿にしてたんだよ?
だけど後にテレビで狼少年ケンを作ることになる、メイン企画は元手塚のアシスタント
このことから最初は夏子はアオサギを追い払うぐらい整然としてたのに
夏子がつわりがひどくなった>テレビ(アニメ )が主流となり映画に翳りが見える
そのきっかけとなったのが手塚治虫のアトム という意味合いでのアオサギ
まさとが窓から ボーって見てたの自分の知らないところで似たような体制になったのをいかんともしがたい状態、不可抗力の例えじやねーの?
ていうかもともと 整合性 ないものに
全てのものを推しはめてモノ語るのってしんどくない?
こっちは草 つけてるのに馬鹿じゃねえのw >>617
どう読み取ったかは知らないけど
まさとはパヤオ一択だろ?
あくまでこのシーンでの考えであって
ぶっちゃけ後のことなんて考えてねえわ
それでやつぎばやに押しはめたものあれこれ言われてもなw
リアルで早口でまくし立てて相手に二の句継げなくさせるさまが目に見える >>620
いや、そういうこっちゃないんだけど...
ちゃんと設問に答えて欲しいな
じゃぁ新たに設問してみるね
「サギ男=手塚治虫」として「夏子=アニメ」とする
夏子は名家のお嬢様である
つまりその時代に極めて高い社会的地位にあった
手塚治虫は当時、極めて高い社会的地位にあったアニメを「塔」に連れ込んだと眞人(誰?)は思い込んでるが何故?
この場合の「塔」とは何だろうか?
この物語は戦時中のことであるが、手塚治虫はその時代の人なのだろうか?
アニメは戦前から極めて高い社会的地位にあったのだろうか? >>616
>「君たちはどう生きるか」も読む必要がない
>本の内容は人物の行動から逆算的に分かるようになってる
必要がないというなら、眞人があの本のどこで涙を流したのかページを特定
できるように表現する必要はないし、何なら本のタイトルが『君たち〜』である
必要もないという事になってしまう
お前の逆算と本の内容が整合しているか否かは、実際に本を読んで照合
してみなければ分からないという矛盾も指摘できる >>621
俺がどう読み取ったかって?
そりゃ劇中において牧眞人は牧眞人だろ
父の牧勝一の人物像に、宮崎駿の実父が投影されているのはわかる
だから眞人少年が父親の稼業の恩恵で裕福なところに、幼い駿ちゃんの境遇が重ねられるのもわかる
だが「牧眞人=宮崎駿」ではないよ
眞人は昭和19年7月に小6で11歳なので立派な小国民
終戦時には旧制中学1年で12歳か13歳
宮崎駿は終戦時にまだ幼く、戦時中の記憶がほとんど無いことにコンプレックスがあったそうな
また、自分がもう少し早く生まれていたら熱烈な軍国少年だったと言う
でも眞人少年は軍国少年ではないよね、ここで既に駿少年ではない
それに宮崎駿の母方はあんな名家だったかね?違うだろ
ちゃんと物語に向き合いなよ、牧眞人は牧眞人だ
宮崎駿とイコールではない ホンマにゴミみたいな映画だな
本当は吾郎が作ったろ 文句言ってるやつってマジック見てタネがわからんてキレてるおじさんと同じだな >>622
端的に答える、これまでの書き込みから解釈してくれ
大叔父以降は逆算して追記してみた
夏子>アニメ
懐妊>これから作られる作品
アオサギ>手塚
塔>テレビ(業界の流れ)
まさと>パヤオ
ヒサコ>東映動画
ヒメ>過去の思い出?
大叔父>これもパヤオ、自己疑問の象徴
パズル>自分の作品?か表現方法か
ぶっちゃけ根本はどうぶつ宝島から変わってない
組み立てバランスが成立している=見れる作品
1日しか持たないは続きがない作品ってこと
パヤオののナウシカ2はないw
魚と墓石>これまでに作られたたくさんの作品群(適当)
ワラワラ>魚与えて魂の昇る様は換骨奪胎の隠喩、新たな作品候補
ペリカンとオウム>視聴者や消費者
ともだち探す>多分 パクさん
ヒメといることから過去の郷愁
キムタク>金満スポンサーかな?
夏子がいないと色々困るからあせる
まだ1回しか見てない、その時は上のような思いつきもしなかったけと
オウム大王がパズルぶったぎった時点で問題丸投げしやがった!とは思った
逆に言えばパヤオ自身自分の作品が消費者に望まれてないと思ったうえでの行為なのかもしれない、老人の逆切れw
だから塔が崩壊しても後は知らねえw
ですんじゃうわけなのか >>622
手塚は昭和3年生まれの
ディズニー かぶれ アニメが作りたくてしょうがない
本来、制作費がクソみたいにかかるアニメを
アニメ作りたいからかなり低い額で引き受けた
足りない部分は自分の漫画 原稿料とかでまかなった
テレビアニメ が主流になったら制作費の相場は当然 一発目のが基準になる
なので パヤオは手塚死後非難したの
のは有名な話
と言うか手塚の話知らないでそういう疑問書いてたの?
まあ 夏子が金持ちのお嬢っていう補足はありがとう この映画はパヤオのことはなんでも崇め奉る信者には傑作なのだ >>624
生年月日とか育ち方をパヤオをそのままという
君の中の絶対イコールっていうバイアスかかってたら例えとか隠喩、引喩使ってる他人様の論、通じるわけねえじゃん
元レスの手塚がアオサギ から考えてただけなんだから
論そのものを否定したいなら重箱隅ではなくちゃんとしよう もしこれ監督の名前が吾郎だったらお前ら掌返すくせによく言うわ
ただ駿のブランドをありがたがってるだけ >>631
ちょっと誤解があるようだ
俺の624は、相手が「お前はどう読み取ったんだ?」と尋ねて来たから、俺が読み取ったところをそのままに述べたもの
相手が明確に俺を揶揄して来たので、レスバでもする気だと俺が判断するのはおかしいだろうか
だから俺も思い切り相手の論を否定した
俺はレスバ上等なんでね まさとへの考えのスタンス違うんだからレスバにもならないよw
あくまでアオサギが手塚としてどう見えるかっていうのを前提でかいてるからな
こちらは必然的にまさとはパヤオの分身と定義したわけ
その意図を汲み取らないと齟齬は生じるでしょ?
まあ端的に書いた書きこから判断してくれ
というかレスするならそれにレスしろよw
アニメ業界の歴史とか知らんとしんどいとかあるけどな >>627>>628
うん、詳細な回答ありがとう
あなたの考え方はわかった
こういうのって難しいよな...
俺の当初の返信は、>>607の質問へのものだ
>アオサギが手塚治虫だとして、夏子が取り込まれたのはどうして?
そう自分で仮定して(あるいは他人の説を見て)疑問を抱いた
であれば、その疑問はこういう視点で自分で考えてみてはいかがだろうか?という趣旨で設問してみた
だからそれに乗って来たあなたへも、同じ設問をしてみた
それへの直接的な回答はなく、あなたはご自身の視点で述べる
ここら辺からもつれるのよね...仕方ないけど つか、眞人を「まさと」と描いている時点で「君生き〜」に真面目な関心がないことが判る そういえば眞人って聞き取りにくいんだよな映画館によるのかもしれないけど
俺なんかまきとかと思ってて
まきまきとっていうんだーみたいに勘違いしてたもん >>636
まずオレは>>607じゃないからw
607に対して夏子>アニメと仮定したのを書いた
それに君がアンカつけてきたわけで
正直こちらへ踏み込みつつもよくわからない内容だった
まあ 言葉悪いけど後半文章が複雑になって、考えるのが面倒くさくなったのねw で端的なレスを書いたわけ
こちらとしてもそこから大叔父以降思い つけて引っ張り出せて、結構説明できた気分になって楽しかったわ
あれなら物語の構造的矛盾も多少 解消できたような気がするw これをパヤオだと思ってるとはお前らの中のパヤオはそんな程度か >>635
投稿のタイミングがずれちゃうな(よくあることだ)
とりあえず、あなたへの返信は>>636に書いたのでそっちを見て欲しい
どうしてもズレてもつれるのよね...
せっかくだから、あなたの考え方も了解した上で、別視点で尋ねてもいいかな
あなたの視点からすると、物語の時代設定についてはどう受け止めてるのだろうか
手塚治虫は戦後の人だし、アニメの発展もそうだよね...というのが俺が疑問に感じた点
(議論はちゃんとしようというのは同意だし、レスバする気も無いのは了解したので、先のような相手を揶揄するような言葉は無しにして欲しい) 長文君は括弧の使い方に発達障害の特徴が顕著に現れてて悲しくなる >>642
あくまでバヤオの幼少時期とリンクさせるためじゃないのかな?
いわゆる舞台装置?
まず病院の火災から実家に引っ越しするまでの流れで必要な要素抜き出せば
戦時下にする必要性はないからな
これが、まさと>パヤオとする考えの一端
あえていうなら戦時下における空気と学校で起こるいざこざぐらい?
でもよそもの云々は戦後でも起こったことだろうし
2年後に生まれた弟はアニメ作品とすると東映動画の白蛇伝だな
(製作は昭和22年じゃないよw)
これはまさとが持つ母さん=ヒサコとしたのも強いかもしれない
加えて塔内でまさとへの姉妹の意思疎通もあっただろう
つまり夏子をお母さんと呼ぶことで
母親という価値を東映動画とした
しかしながら自分をアニメーターとして産んでくれた大人ヒサコ(これまた東映動画)もパヤオなので否定はできない、
その表現がポケットの石なのかな
手塚が売れるのもアニメが作られるのもリアル史では全て戦後の話
劇中は全部例えのファンタジー、リアル史ではないのね
君生はパヤオが自身を振り返ったけど恥ずかしいから時系列入れ替えて分かりにくくしたフィルムw
ぶった切って塔崩壊の丸投げよくない アオサギが何でハゲてるのか
そんなに気にしてなかったけど
手塚治虫がモデルだったのか
アオサギは火の鳥も入ってるということか 火の鳥の口から手塚治虫が
出てくる設定だとすると
けっこう馬鹿にしてるのかな >>644
俺の疑問への詳細な回答ありがとう
そういう風になるのね...
それはそれでひとつの鑑賞の仕方ではあるか
自分が味わい深く楽しめるなら、それもいいよね
>ぶった切って塔崩壊の丸投げよくない
これ
折しも別スレでその話題が出てたので、俺の視点での意見を述べてみた
ご参考までにどうぞ
インコどもは馬鹿っぽく描かれてるよね
パンフによるとインコは戯画化された大衆だとされる
愚民化した大衆ってとこか
インコ大王はひとり使命感で突っ走る
でも所詮は彼も愚民に支持される愚者でしかなかった
使命感に燃える愚者の癇癪が起こした愚挙により、彼が守りたかったはずの世界は彼自身の手によって崩壊し滅びた
大人向けの寓話やね 手塚治虫をディスってるということは
風刺要素が強すぎて
宣伝はしにくいね 宮崎駿が良く言ってたけど「テーマが大事なら、テーマを紙に書いて貼りだして置けばいい」ってことだわな
それと同じで、誰が誰を表しているメタファーであってそれが面白いんだ、だとかいうことなら
それを全部書いて最初から映画に出しておけよってことになる
なんだったら「誰それは高畑、誰それは宮崎」といった名前にしてすぐわかるようにしておけばいい
そしたら映画を見る意味があるだろ
エヴァを見てもわかるように「裏に隠された謎」だのなんだのは全然意味がない
意味ありげにして作品に深みを持たせようとしただけで、実際にそれがなんであるかなんて別にどうでもいいんだよな この映画はなにも暗示してないし
宮崎駿はそういうことするタイプじゃないよ
君生きはまじでなんも中身ないだけ >>649
その理屈で言えばアニメ的面白さが全く無いこの作品は駄作の一言で終わっちゃうじゃん 今まではスポンサーがいたから
やらなかっただけで
パヤオはネクラなのを笑顔でごまかしてる
らしいからな >>649
キャラに厚みを持たせてるだけで別にいらんのよな >>651
そうだよ
異世界に行ってからはダイジェスト10分でいい程度の内容しかないのに1時間もやればそりゃダレる >>644
調べてみたら
火の鳥の登場人物にマサトっているな
アオサギ=手塚治虫
説は、けっこう有力かも まあどう感じるかは人それぞれだからな
画像が公開されてから高評価が増え出したきがする
ジブリっぽいものを求めてたひとらが安心して劇場に向かうようになったみたいだな 思ったより難解じゃなかったって感想をわりと見るようになったな >>656
手塚治虫とアオサギの人物像って全然違うじゃん…
お前には何が見えてるんだ? 声優が棒読みで、、、って声優オタクがごちゃごちゃ言ってるのがマジうける。
それ以前に内容がつまらんかった。
そのお金で宅配ピザでも頼んだほうがよい >>649
宮崎駿の考え方はスレ冒頭の>>8の末尾にあるよね
>テーマだなんて言ってるものだってそうです。言葉で言えるようなものは映画のテーマではないですからから。
庵野版の映像エヴァ(貞本版の漫画は別)だってそうだよね
庵野は自分のエヴァについて衒学趣味だと公言してる
考察はその上で楽しめばいい
カラー公式も、作品の余白について「考察における知的遊戯の場として提供しています」とする
庵野は宮崎駿を師匠と呼び「映画の創り方は、みんな宮さんに教わった」と言う
この師匠にして、この弟子あり >>658
晩年の手塚治虫がベレー帽を取ったら
アオサギの感じでハゲてるのを
知らないのか >>660
尊敬する先輩だけど
方向性が違うという関係だった気がする >>659
火の鳥のマサト
→パヤオのマヒトの可能性が
あるということだな
これは偶然かもしれないけど >>665
あなた眞人の名前の由来分かって無いでしょ。キリコに名前イジられたシーンも?でしょ 今日初めて観てきた
色々作品に対して言いたい事はあるが、
宮崎駿が80代で作ったという事実に衝撃
只々リスペクトだ ◯◯はパヤオだ!はまだしも
◯◯は手塚だ!は狂気を感じるわ >>663
アニメ界で「禿」と言えば富野由悠季...
いや何でもない >>666
由来は知らないから教えてもらいたい
悪意の反対語ってこと?
マサトマサトうるさい奴がいたから
わざと言ってる可能性を考えただけ >>669
ブツブツのデカイ鼻は
一見して手塚だとは思ってたけど
ハゲをディスってるのは今日気づいた
絶対手塚だとは言い切れないけどな サギ男の容貌は万人が不快に感じるようにデザインされている 鼻は鷺のくちばしを模しただけだろ
手塚てギャグかと思いきやマジで言ってんの?
この映画と何の関連があるんだよ >>671
666が何を言いたいのか本人が答えない限り俺にもわからない
キリコ姐さんの台詞については、私見で述べてみる
「真(まこと)の人で真人(まひと)か、道理でお前には死の臭いがぷんぷんするよ」
真人(シンジン)というのは神仙思想等の言葉で「神仙の域に達した人間」を言う
「仙人」はもともと「僊人」と書く
「僊」は「遷都」の「遷」と同じく「うつる・うつす」の意味で、肉体を捨て精神だけの高みに達した人間を「僊人」と呼んだ
考えようによっては死に方のひとつと言えなくもないが、生前の霊魂のまま肉体を脱ぎ捨てた人のことだ
こうした「僊人」は山深くの幽界に住まったりするものと考えられたから「仙人」と書くようになった
キリコの台詞は、これを指してると思う
なお日本でも神仙思想は飛鳥・奈良時代に大いに流行ったし、神仙思想の影響を強く受けた天武天皇が定めた氏族の階級制度での最高身分は真人(まひと)だった 美術監督の山本二三さんが胃がんで亡くなったみたいです。
ご冥福お祈りします。それでこの「君たちはどう生きるか」
のスタッフだったのでしょうか? でもインタビューで手塚のことはフルアニメーションにこだわったってバカにしてなかった?あんま手塚尊敬してるような話聞いたことないな >>681
手塚はアニメ制作者としてはダメだが、漫画家としては圧倒的な神である
というような扱いが宮崎のスタンス >>618
相対性理論の投影についてや、モデルとなった人と登場人物との兼ね合いなどほぼ同感
大伯父の人物像は「とても頭が良かったけど本を読み過ぎておかしくなった人」というのが大事なことだから、その点でもアインシュタインそのものではないしね
(小泉八雲の投影説も捨てがたいがここでは触れない)
異論も少しだけあるので書いとく
あの世界は時間の概念がないのではなく、やはり独自の時間がある
(時間が無いとなると一切が静止した状態になってしまう)
あの世界でも着実に大伯父は老いていくから不可逆的に時は流れている
眞人の高祖父母の兄だから、現実世界よりやや時の流れは遅いようだ
「異界では現し世と時の流れが異なる」というのは古代からの定番
時間とは相対的なものである...相対性理論も無い大昔の人々が何故そうした観念を持っていたのか不思議に思う >>678
グダグダ書いてるけどなんの根拠もないあなたの妄想じゃん このスレではキリコ姉さんはどう定義してんの?
当然バアサンキリコのウツシミだと思うけど
海で魚とって、かっさばいてるだけでよう分からん
巻き込まれたくないと言ってたワリによく働くw 妖怪サギ男(アオサギ)の醜く滑稽なチビハゲデブの姿は、あれが正体ということだろう
なにしろサギ男がフルパワーになるのは化け物じみた鳥形態の時だ
人の顔を出してる時は、慌てふためいて余裕を失った時、嘴に穴をあけられ弱体化した時、あるいは気を許して妖力を出してない時だ
普通の野生の青鷺の姿の時はおそらく、多少の気を張っていると思われる
妖怪は人を怖がらせ惑わせ操ったり取り憑いたりしてなんぼのもの
醜く滑稽な正体を晒して笑いものになってしまうともう、妖怪としては無力である(キリコ婆さんに大笑いされてたが、彼女の処し方が正しい) 眞人は宗助に似ているね
特に頭の横刈り上げてるところ 眞人は宗助に似ているね
特に頭の横刈り上げてるところ >>680
無理矢理すぎで草
じゃあ最初の敵とメインキャラに鳥が居て、中盤に火事事件が起きる天体戦士サンレッドも手塚モチーフだなw >>685
根拠?キリコ姐さんの台詞それ自体が俺なりの根拠だが
「真人」という漢字を確かめたうえで、死の臭いがぷんぷんすると言う
そしたらそれは神仙思想への皮肉が感じられるわけよ
彼女はワラワラという魂の世話をするのを生き甲斐にしてる
ワラワラは前世を終え、あのような没個性の純真無垢な存在になり、来世をまた人として現世に転生する
仏教の輪廻転生とは似て非なるものだが...
俺の見立てを批判するなら、もちろんそれは歓迎するよ
俺のが絶対に適切だとか思ってないし
あなたはまずあなたなりの根拠を示しつつ、俺のは根拠にならないと言わなきゃダメでしょ
てか、この流れではキリコの台詞をあなたがどう考えたか、まずそれを先に言わんとな >>686
キリコについては、ここで何も定着してない
キリコ論それ自体がまだ始まってすらいない
ある人と俺とがキリコ婆さんについて少し話し合ったほか、散発的にキリコの話題が出てはいる
キリコ論の叩き台は俺なりに用意はしてるけども 一般論として
手塚治虫の方が内容的には上だが
アニメーションの技術はパヤオの方が上手い
というのがあって
アオサギのリアルな動きを再現することで
手塚の非現実的な抽象論を暗に批判している
ということじゃないか >>693
手塚治虫がモチーフであるかどうかは別として
こんな抽象的な作品の中で「抽象論を批判している」はないんじゃないの >>686
あ、具体的にお答えするの失念してた
そのウツシミは現し身(現世での姿)だよね
するとそれは違うかな、キリコ姐さんが歳を取ってキリコ婆さん
大魚を釣って捌いて、自ら殺生できない死者の霊に与えつつ、ワラワラの世話をするのを生き甲斐にしている
謎の墓所の墓守りもしてるが、墓の主をそこに封印する役割も担ってる
本人は「あたいは、ずぅっとここにいるんだよ」と言ってるから、かなりの間その勤めをして来たことはわかる
ヒミのことをヒミ様と呼び、とても敬っている
ヒミの焼くパンが大好き このスレ一人でずーっと自演しながら変な考察してる奴いるな まぁワッチョイスレだからマシだよ
前はこの障害者が無しスレで暴れてて地獄だったんだぞ >>677
大きな鼻といえばユダヤだけどそれだと問題になるからしつこく手塚って言ってミスリードしてるんでしょ パヤオは面白くない映画は作らない
ぽにょのメイキングで「ヘボい映画はヘボいんだ」とか言ってた
誰がどう観てもパッとしないものを作るのは吾郎だけ
吾郎の映画はいつもレビュー賛否両論になる
今回と同じパターン >>679
こんな場だけど、二三さんの功績を讃えると共に御冥福をお祈りしたい
山本二三さんは宮﨑さんのデビュー作コナンからの相棒で、美監として支えてくれた大事なスタッフでした
コナンの真っ青な空、ホームズの暴走したような煉瓦の表現、ラピュタの雲など強く記憶に残る仕事多数
本当にありがとうございました
宮﨑監督が落ち込んだりしないと良いんだけど、映画完成直後の燃え尽き期なんで心配 また見に行きたいんだけど、米津と菅田の対談で宮崎監督を『彼がー』彼の才能に触れられてとかって勘違いな呼び方をしてたのがただただ不快で見に行く気が起きない。お前みたいなバケモノより何百倍も偉大な年上の監督に対して気持ち悪い呼び方は辞めてほしい。見に行ってもEDで即離席だわ。作品が汚された >>699
ロリマッマが「バッ」と眞人に抱き着いたところなんかはパヤオの表現だ 終盤ロリマッマとの冒険がコナンとラナっぽいなと感じたな あいかわらず長文投下してる奴らの中身のないことよ
映画が虚像なんだからそこにどんな意味をもたせようとしても足元ふわふわなんよ 感動したとかよかったとか泣いたとかめっちゃ深いっていってるひともたくさんいる
それに対して泣くやつはバカとか信者にだけ評価されてるのは映画として正しくないだとか意味がわからない何の意味もたいした意味もない映画だったとかわかったふりしてるだけだとかいってる感じがする >>707
承認欲求が貯まってるおじいちゃんをいじめないで メメントが評価されるなら君生きも評価されるべき
やってることはメメントより高級
ただ、エンタメ的につまらないことが問題
面白いと感じた人には何の問題も無い 承認欲求かぁ...エスパー気取りかな?w
以下コピペ↓
この映画は「考えるな、感じろ」系だと思うし、鈴木が「考えさせたいわけではない」と言ってるのも知ってる
あれこれ考察すんのは野暮で酔狂な話
あくまで鑑賞の余興の趣味であり遊び事よ
↑ココまで
何度も同じこと言わせんなよ、記憶力の無いおバカさんたち >>708
その逆もまたしかりだよ
今作を評価しない人たちへ、それと全く同じ見下し目線の意見は履いて捨てるほどある
やれ知識教養がない奴にはわからんだの、やれ感性がどうたらこうたらだの...
多くの人は「面白かった」「感動した」「つまらなかった」「意味がわからん」などなどの一言で終わるのよ
それ以上に語りたい人には、その人の語りたい動機があるだけ
(俺の場合はこの映画観て感じることが多々あるので、ここで言語化して遊んでる) だって俺レスバ上等だからなぁ、レスバもまた楽しからずや
これも何度も言ってるが、ほんとに記憶力ねぇのな
揶揄や罵声が飛んで来た時、スルーしたり応じたり、相手の意見の中身によって様々に変わるよ オナニー長文なんて誰も読んでないから記憶力と言われてもw いや読んで安価付けて意見を寄せて来る人たちいるじゃん
昨夜もある人と長話になったばかり
>誰も読んでない
主語を大きくするなw
そりゃ読まなくていいけど、だったら触るなよ
それかNG登録しろ(これも何度も言ってる)
ほんとに学習能力も無ければ手元の機種の操作もできないんだな 暇なんだよ...だから普段はスルーしてる馬鹿の相手して暇つぶし
「あーあー聞こえなーい!お前は図星突かれて顔真っ赤!」てか
幼児かよw 長文おじさんイライラしてて草
嫌な事でもあったか? >>722
いや長文長文言うからよ...
だからお望みどおり2ちゃん以来の伝統の返し方してやったさ
てか飽きた
あとはご自由にどうぞ 初っ端の空襲警報も要らん
あの空襲で恐ろしい緊迫シーンいらん
その後に機能してない ダラダラ長ったらしく書き連ねて
俺は俺はって感じでみんなに認めて欲しいアピール凄いやつに限って
なんでTwitterやブログやらねえのかほんと不思議だわ X(Twitter)はほとんど使ってないなぁ
ブログはよく言われ続けたよ
その気は全く無かったけど段々それもいいかなと心境変化
メモの文量もすごい溜まってるので、今どれがいいのか調べてるとこ >>726
まず空襲じゃなくて火事だろ
火事のシーンは眞人が何度も夢でフラッシュバックするくらい鮮烈な記憶になってるんだから、恐ろしくて緊迫するぐらいじゃなきゃ駄目なんだよ >>726
よく誤解されてるけど、あれは空襲じゃなくて火災事故
街が灯火管制で真っ暗な中にサイレンが鳴り響く
夜空の雲が赤く映えるほど炎症範囲の広い火災
だから空襲って思っちゃう人が多いみたい
米軍の本土空襲が本格化するのは翌年のサイパン陥落(テニヤン島も)以降
B29の往復航空圏内に本土が収まったので アニメージュとジブリ展で、君生きの冒頭シーンは空襲だと名言されてた
アニメージュ本誌にも載ってるんじゃない?しらんけど
意味のないシーンから糖質真っ青な妄想繰り広げるくせに
戦時中に空襲警報、燃え盛る病院
これが火事ではないと言うのも不思議だなぁ
大叔父はパヤオだ!火事は空襲だ!押井守が~庵野~手塚治虫!悪意が成長なんだ!パヤオ!
お前らこんな感じやん >>729 730
空襲かと思ってたわ
火事の怖い記憶がある主人公がそれを乗り越えていくストーリーとかだとしたらなるほどなぁとは思うけどね どうせ架空の空襲ってことならいいんでない?
史実で病院まで焼けるような空襲は東京では45年3月までないんだし ファンタジー作品で史実にこだわるほど馬鹿げた鑑賞態度もないわな だいたいあれが空襲だろうが油料理中に目を離しただろうが
君生きという作品にはなんにも影響ない枝葉末節
母は焼け死んだという事実だけあればいい >アニメージュとジブリ展で、君生きの冒頭シーンは空襲だと名言
へぇ!そうなのか...じゃあ、
>架空の空襲ってことならいいんでない?
それでいいんだな
お二人ともありがとう
※ちなみにこういうことがたびたびあるから俺はブログより5ちゃんを選んで来たわけ(独りで考えてたら修正も本格的見直しも出来ない)
批判や指摘こそ欲しいのでね、物凄く影響を受けた批判的指摘もあった ロシアのウクライナ侵攻の影響で変更したのかもね
作品のテーマと時代背景をあの時代にしたことを考えれば空襲と捉えるのがふつう
史実に基づいて観てる人なんか少数なんだからそうなるのは当たり前
空襲という表現としてもB-29が襲来して来る画はインパクトが強すぎて邪魔になる
ハウルの時は変更したらしい
https://i.imgur.com/pVI8Mm0.png 変更したって上部だけ火事に変更したって意味な
つまり空襲 とりあえず今回の教訓としては、あまり微に入り細に入り史実と照合させる必要はない作品だということだな(枝葉末節になる)
とはいえ、ファンタジーだから史実を考えるのは無用、となるとそれもまた暴論
時代設定がいろいろある作品であることは変わらない
なぜ物語は戦時中が舞台なのか
サイパン陥落とか、御一新の少し前とか、それから30年ほどとか
大伯父が眞人に問いただす「じきに火の海となる世界に戻ると言うのか?」という予言的な警告とか
それら時代設定に何の意味も無いというなら、今作の鑑賞の仕方として重要な要素をバッサリ切り落とすことになる >>739
わざとやってるなら意味はあるよ
史実と合わなくしてる
あり得ない変な戦車出てくるしw 重要じゃねえよばーか
根本的に意味のない駄作だということを忘れるな >空襲という表現としてもB-29が襲来して来る画はインパクトが強すぎて邪魔になる
架空の小規模な空襲、でいいと思う
で、B29がやって来る本格的な爆撃はサイパン陥落以降、というのも同時におさえておきたい
そうでないと父・勝一が「これでまた大忙しだ」などと商機到来と喜んでるのが異常になってしまう
眞人もキャノピー見て「美しいですね」などと言ってる場合ではない
想像を絶する恐ろしいものがやがて襲って来ることを、父子はまだ知らない
大伯父は知っている >>740
へぇ、あの戦車も架空の戦車なんだ
パヤオはミリオタだそうだから、わざと少しずらしてるんだろね
そうすると以前に議論になった「眞人のモノローグが史実の戦争と微妙にずれる」のも意図的なもんかも
そう言ってた人もいたね 冒頭は空襲だったのか。火が重要なストーリーなのに、ただの火事で久子が死ぬのは違和感あったからスッキリだ >>743
だってそこは重要じゃん
既にB29の本格的爆撃が始まってるとみなすと、何もサイパン陥落直後と描く必要性が全くないでしょ
あの勝一の言葉も大伯父の警告も意味をなさない
大伯父は「じきに火の海となる世界」と言ってたよな もうこういう議論させるためにわざとやってるとしか思えんわw
俺らみんなパヤオの手のひらで踊らされてるわ ランキングが4位→3位→2位とランクアップしてる。 >>745
そうだね
かく言う俺も心スッキリだ
情報提供しつつ批判してくれた人にはマジ感謝 ひとつ言えることは
「映画観て空襲だと思ったけど史実で火事だと教えてくれた人ありがとうございました」とか言ってる人は絶対スッキリしてないわw あまりミリミリせずに史実と照合したらいいってことだろな
物語の内容とピッタリ合うならそれで良し
微妙にズレてるならパヤオに何らかの意図がある
とはいえパヤオの脳内なんて知りようもないので深追いしない方がいい
ちなみに「作者が間違えたんだ!」は禁じ手
そんなの持ち込むと歯止めが効かなくなるからね >>752
いや彼は俺を皮肉ってるのよ
それは言われても仕方ねぇわ 全盛期ではないにしても晩年のぽにょや風立ちぬでも感動するいいシーンがある
でも君生きには何もない
吾郎か別の誰かとしか思えない
パヤオとはレベルがぜんぜん違う 少年とサギ=宮崎駿と手塚治虫
って、はっきり言った方が
客が増えるかもしれないな
おっさん二人が旅してるという
分かりやすい映画になるからな 完全に宮崎駿の自伝的な映画だから
キリコ=高畑勲だろうね
顔の系統も似てると言えば似てるし サギ男のモデルが知りたいなら、紫色した豚さんに教えてもらえば
そこから″隕石”の有する隠された象徴性にたどり着けるかもね
ただ、それが本作においてどのような意味があるのか、正直良く分からない
深堀しようかと思ったらクッソ固い岩盤にぶち当たった気分だわ キリコ=高畑+色指定の保田
だから中性的という可能性もあるね 「じつは、いま宮さんが作っている『君たちはどう生きるか』の中に、高畑勲と思しき人が登場します。この人物を宮さんがどう扱うのか、興味深いです。高畑さんが亡くなったあと、順調だった絵コンテがもう2カ月余ストップしています。」――鈴木敏夫が語る高畑勲 >>759
豚のYouTubeは
生理的に見たくないんだよな
隕石は、持って生まれた才能ってことか 俺も二人の死が作品に反映されてたり作中にモデルになってたりしてるんだろうなあとは薄々思ってはいたしそういやなんか前に誰かがそう言ってたなって思ってみていま調べたら、やっぱりそうなんだなってなった
「今度の映画の中に(略)なんか特徴的なある男が出てくるんですよ、サギ男っつってね。なんかちょっと悪い奴なんですよね。そしたらこいつがね、主人公と喧嘩しているわけ。なんか事あるごとに喧嘩するのよ。そしたらあるお姉さんがね「ふたりとも仲良くやんな」つってそんなセリフがあって。だいたい近い人をモデルにしてるでしょ。だいたい僕わかったんですよ。その「ふたりとも仲良くやんな」つったのは、ジブリにずっといた色の職人で保田道世さんという人がいて、この人なんですよね、年は若いけれど。で、大体そうなんですけど主人公自分なんですよね。問題は詐欺男なんですけど(笑)。そのシーンが実に感動的に描かれてたんですよ。(略)聞いてみたんですよ、このサギ男ってモデルはいるんですかって。そしたら彼(宮ア監督)が「モデルはいないよ。鈴木さんじゃないよ。」って聞いてないのに自分で(言うんですよ)」 >>764
まあ、モデルは1人じゃなくて
いろいろ入ってるだろうな そう、いろいろ入ってる
もしかしたら複数のキャラクターに少しずつ同じモデルからも入っていってるかもしれん 結局、君たちはどう生きるか⇔俺たち(彼らや彼女ら)はこう生きた
ってことなんだと思う 鈴木の発言ソースで作品の内容語る奴はアホとしか思えない >>763
豚は豚でも豚違いだからw
まぁヒントは出したから、あとは自分で検索してくれとしか… 鈴木はサギ男を自分のことだと思い込んでるからな
そっち系のメタ考察したくて、なおかつ鈴木の言うこと信じたいなら、「サギ男=手塚治虫」じゃなくて「サギ男=鈴木敏夫」に修正するといいんじゃね >>919
あぁそれね、先日ワッチョイスレで議論・検証があったんだけど
眞人の言う「戦争」が、当時の言葉で言う大東亜戦争なのか第二次世界大戦なのか
結果として「史実とはズレてる」ということしか確認できなかった
問題は「○年目」で、それだとどっちもズレる
「○年経過」に置き直したら第二次対戦になる
参考までに後のレスで転載しとくよ >>771
ズレてるなこいつ
770をしっかり読めよ ジブリのツイッターは山本二三さんの訃報に触れないのかよ。 >>757
ぽにょをもう一度観てみろ
ぽにょと宗介の可愛らしいシーンに満ち溢れている その手の与太話するなら、手塚はむしろインコ大王なんだよな
大伯父の創造性が象徴する、大金かけた芸術性の高いフルアニメーション時代の末期に、
一気に台頭してきたチープなリミテッドアニメの大王的存在が手塚だと考えると面白い
「大王」の二文字がお笑いとして反語的に響くようになっている訳でw >>775
そりゃそうよ
さっきのはお前宛てのレスのつもりじゃないもん
特に誰宛てってわけでもないが...
お前の中で手塚治虫と鈴木敏夫を重ね合わせる意義がきちんとあるんならそれで良くね
「大伯父=アインシュタイン+小泉八雲+キチガイ博士(マッドサイエンティスト」とかの方が、まだ俺の好みではあるかな 二回目観て来たw
一回目見た時若い時の写真がニコラテスラに似てるなと思ってたけどやっぱり似てたw
あんまり意味ないってことだよ
石積むとこ勘違いしてた
大伯父が積んだところに続きを足すのかと思ってたら大伯父の石と真人に用意した石は別だった
大伯父が積んだ石は8個
真人に用意された石は13個
ストーリーは頭に入ってるので一回目よりも映像やら音楽を楽しめた
二回目見てよかった 夏子が塔に入る→アオサギが来なくなる
ってことは夏子の子供を後継者にするから真人は要らなくなったってことでいいよね?
ところが
真人が大伯父の所に到着するともうこの世界は崩壊寸前だと言われる
大伯父が積んでる石を軽く小突くと石はグラグラ揺れて少しズレて止まる
「(崩壊寸前だったが)これで1日の猶予が出来た」と言う
崩壊寸前だったなら夏子の子供が生まれて石積めるようになるまで待つ猶予がなかったじゃん?ってなってしまう
・夏子の子供を後継者にするプランは石の事情を知らないインコが勝手に進めてたプランで最初っから間に合ってなかった
・夏子を後継者にするプランを実行する猶予は残されてはいたが禁忌を侵したことにより時計が早まってしまい崩壊寸前まで進んでしまった
どっちかだけど後者かな?と思った >>777
公開当時に観たときそう感じなかったから俺には合わないかな >>779
サギ男=手塚治虫は
直近では俺しか言ってないだろ
回りクドいんだよてめえは 小説の君たちはどう生きるか読了
分からないことが逆に発生してしまった
パヤオは小説の君生きをやりたいと言って
今作を作ったのだと思ったけれど
パヤオは小説の君生きをどう捉えていたのだろうか
私的感想は「ハリーポッターのような児童文学で教訓的なことが具体的に書かれている作品」
といったところ
映画君生きとは食い違っていると思う >>780
それよそれ
俺も全く同じ視点で>>520にまとめてみた
大伯父が使ってた石は8個だったか...
※520文中で6個と書いてるが、あなたの確認した8個に置き換えてok
(個数にも意味はあるんだろうが、あまり重視はしてないので)
大伯父の心変わりは、途中のヒミへの台詞に表現されてる
「眞人はいい少年だ、帰さねばならないようだね。ヒミもお帰り」
大伯父は最後、眞人へは内心を明かさぬまま、あのように説き、そして問いただしたんだよな >>785
斜め下からのカメラアングルで撮ってるシーンがあって
下から二番目までがテーブルの縁に隠れて6段に見える場面がある >>784
亡き母の遺言のごとく読んだ眞人目線で読んでみたよ
眞人がなぜ友達を作る決意をしたのか、とても伝わって来た
劇中で眞人の涙が挿絵付きの頁にこぼれ落ちるシーンがあるが、それが本の中のどの場面かもはっきりする(挿絵で)
それは友人の存在がどれほど有難いものかを、主人公コペル君が思い知るエピソード
上級生の横暴に対抗するため、友人たち3人およびそのお姉ちゃんと指切りまで約束してたのに...のとこ
眞人は心の底から友達が欲しくなったんよ
母の想いも伝わり涙がこぼれて止まらなくなった
それゆえ自尊のための孤高を捨てる気になったのだ >>786
あぁ、そのシーンよ
最後の「私の石はもう支えきれぬ」のとこで確認できるかな
前回はそこで数え損なったのよね >>787
小説君生きのそのシーンで自分は涙が潤んだ
あとそのあとの母が話したことにコペル君が感じ入ったシーン
この小説の山場と言っていいと思う
でもそのシーンの感情、教訓が映画の中には盛り込まれていないと思うのよ 正直なところぽにょどころか千尋の時点でブランド>内容で評価されてたと思っているので
今作でようやく魔法が解けたかって印象 >>789
自分もそう、全エピソード中であの友人エピソードが白眉だと感じた
それとは別にノブレス・オブリッジみたいなエピソードのとこ、母ヒサコが最も息子に伝えたかったのは、おそらくここだろうなと(彼女の生家はあのとおり名家なので)
>でもそのシーンの感情、教訓が映画の中には盛り込まれていないと思うのよ
そこまでは反映させてないね、難しい匙加減になるよ
この映画は吉野『君生き』を読まなくても物語の把握に支障が出ないように作ってある
眞人がなぜ心を入れ替え、まずは友人作りからだと固く心に決めたのか、あるいは母ヒサコの同書に託したかったであろうこと、それを具体的に知りたい人は読んでね!という匙加減かと思う >>789急遽追加
>教訓
その逆説的反映が、あの田舎っ子たちへの、悪意の塊となり自傷して父親を利用した復讐劇だったのではないかな >>783
お前のレスを特に留意したのではなく、鈴木がまたくだらねぇこと言ってんなぁと思いながら書いたもんだけど、お前のレスのすぐ後になってるな
配慮不足だった、すまん >彼女の生家はあのとおり名家なので
これはどうかな
屋敷はやたらデカくて立派に見えるが、もし古くからある名家ならば
地元民の子が、眞人を転校早々喧嘩のターゲットにするだろうか?
勝一のような戦争成金と結婚する辺り、屋敷を維持する収入も無く、
かつては大勢いたであろう使用人たちも、行き場のない爺婆を除いて
とっくに見切りをつけて、相当貧窮しているようにも見える >>781
眞人は、夏子を人質にサギ男が自分を誘ってると思い込んでる
サギ男はサギ男で眞人を待ち受けてた
対決に勝った眞人が夏子のところへの連れて行けと矢を構える
サギ男「行かねぇ方がいいと思うんですけどねぇ」
後にキリコ姐さんの家でサギ男は身の潔白を主張する
眞人「こいつが夏子さんを連れ込んだに違いないんだ!」
サギ男「おいらにそんな力はありません!」
...どうも、サギ男は何らかの思わくで眞人こそ眼中にあり続けてる気がする
それとは別に、謎隕石の外殻部分の奥深く、結界によって厳重に守られた「産屋」と呼ばれる石室で出産を予定されてた弟くんこそ、「大いなる石の主」が選んだ正統な後継者だと思う
大伯父は大伯父で、眞人を帰す気なのが本心だったから、「大いなる石の主」の意向と一致はしてる
大伯父は眞人に中継ぎとしての役割だけでもして欲しかったのでは
外の世界に戻るのも良い、友達を作るのも良い、ともかくここで石を積むのだ...3日に1個、積み終えたら維持だけのため塔に通えというつもりだったように思える >>798
夏子を探しに行く前
真人「今日はアオサギがいなかった」
夏子を探しに行く道中
真人「夏子さんは自分の意思で行ったんじゃないと思うんだ」
これはまあ真人がアオサギが連れ去ったと思ってるってことよね
塔に入ってアオサギと遭遇
真人「夏子さんを連れ去っただろ」
アオサギ「わたしにそんな力はありません」
これで誤解が解ける
という流れだよね
その後だけどアオサギは連れて行く気がないんよ
大伯父が上の階に現れて案内しろって言われてみんな下に落ちて案内する流れ
真人を後継者としてしつこく勧誘→夏子が自分で塔に行く→真人は要らなくなった
夏子が自分で塔に行ったことはイレギュラーに起こったことで
それを目撃したことは偶然で探しに来ることも想定外の出来事なはずなんだよ
だからその偶然が起こらなければそのまま夏子の子供が後継者になる予定
ところが世界は崩壊寸前なので間に合わないって話 あの一族の血をひくものは塔の声が聞こえ惹かれるようになっている
そしてそれは精神状態も影響するのかも
母の死後、吸い込まれるように入ろうとした眞人と
同じく病んだナツコも引き寄せられた
二人の母・姉であるヒサコもむかし塔に入っていたが、当時のヒサコが心を病んでいたかは不明
婆さん「ヒサコは塔から出てニコニコ」→ナツコと眞人も晴れ晴れと笑顔で出てくる
塔は一種のセラピーかもしれない? 聖書の解釈として、「聖句は、聖句に寄って解かれる」
1.出エジプト記の「安息日を護れ」との戒めが「24時間」である事から、根拠となる「七日目に休まれた…」との「日」が「24時間」と考え、創造の六日も同じ…との考えです。
2.「一日は千年の様であり、千年は一日の様である」 と、ある事から、6,000年の創造で、安息の1,000年王国(黙示録)と創造記の七日間に合致する…との考え…
3.「日」は原語で「ヨーム(時代)」、此の「ヨーム」がプロジェクトの「期間」を表す言葉で、不定期間を表す事で…各創造の「日」は異なる時間との考え… 34.ご紹介頂いた「神の時間」…妥当と考えます。 しかし、あくまで「説」なので、伝統的な教派は「24時間」と考えてます。 此れは、1.が理由と聞きます。 ↑
3日に1個積むとかペース早すぎやろと思ったから
これの2みたいに「1日」という長さが違うのかな?とか考えたけどこれだと分かりにくすぎるw >>797
全く同じ着眼点を自分も持ってる(これまでにも折に触れレスしたことはある)
結論から先に言うと、青鷺屋敷の一家は没落華族だと考える
そう仮定した場合のみ、それら全てを説明できると思う
ひとつひとつ確認してみたい(かなりの長文だが大事な観点なので)
1. もし古くからある名家ならば
→それはあり得ない>>580参照
彼らはあの土地に馴染みの無い他所者であろう
2.地元民の子が、眞人を転校早々喧嘩のターゲットにするだろうか?
→ 当時、華族制度への風当たりは極めて厳しいものがあった。眞人に対する田舎っ子たちも、遠慮なしに皆んなでやっちまえ!って感じだった
「青鷺屋敷のお嬢さんの子ぞ、くれぐれも失礼の無いように」
そう親たちから念押しされてはいなかったことがわかる
3.勝一のような戦争成金と結婚する辺り
→ 後述
3.使用人が行き場のない爺婆(中略) 相当貧窮しているようにも見える
→ そのとおり。以下、Yahoo知恵袋より拾いもの
・公家系の華族は家格の割に収入は乏しく家を維持出来なくて、新興財閥に娘を嫁がせたりした。
・家の財産に対して華族としての品位を保持することが求められた為に、財産を保持する特権は与えられました。
☆以下、当方より追加
4.なぜ勝一は警察沙汰にしないのか(息子への傷害、妻・息子・女中の失踪)
→警察沙汰にすると華族のスキャンダルとして報道の餌食となる。当時、華族の醜聞は庶民にとって格好の好奇の的だった
5.青鷺屋敷の立地と建築様式
Wikipediaに詳しいので添付参照
5.戦後2年目に一家全員で東京へ戻った
→華族制度は昭和22年に廃止された。無理に屋敷を維持していく必要は無くなった(売却し勝一の事業再編に充てたのではないか)
華族制度についてはWikipediaがよくまとまってわかりやすい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%97%8F ポニョのときには、声優として出演してた矢野顕子に
鈴木敏夫が、月が近づいてるだの何だの裏の隠された話を言おうとしたら
途端に矢野顕子が不機嫌になったことがあったな
そんな裏がどうこうなんてのは二の次三の次のことで、まずは映画にそのまま現れてる話を面白くしろよ!
みたいな怒りがあったんだと思う >アニメージュとジブリ展で、君生きの冒頭シーンは空襲だと名言されてた
>アニメージュ本誌にも載ってるんじゃない?しらんけど
蒸し返したいわけではないんだけど
ただ、ワッチョイ無しスレでも情報共有したくて早速これを伝えたところ、対話中の相手から即座に否定されたので、こっちにも情報共有しとく
>あれは火事。断じて空襲ではないしパンフにも書かれてる。
慌ててパンフを再確認したところ、確かにそう書かれてる
手元にパンフがある人は自分で確認できるが、パンフ未所持の人のために引用する
>「母を火事で失った11歳の少年・眞人は(以下略)」
ジブリの監修はどうなってんだ
とりあえずアニメージュ確認するしかないかもね
(展覧会情報はとてもありがたかったが、現時点では未確認情報)
まぁ議論・考察において火事か空襲かというのは物語の本質からは些末なことだけどね、今後に冒頭の話が出た時に無駄に混乱したくない
史実との整合性うんぬんは自分は>>753のスタンスで行く
※ワッチョイの有無でスレが割れてるのってやっぱ良くないよね... >>802
塔内の時間は外側の現実世界より、やや遅い時の流れがあると思われる
夏子の母の大伯父ということは、眞人の母方の高祖父母誰かの兄
とてもじゃないが、現実的に出会える世代の人ではない
と言いつつも、極端に塔内の時の流れが外側より遅いのではなく、さすがに大伯父も老いている >>782
ぽにょも風立ちぬも傑作ではないかもしれないが見終えた時に熱い感動が押し寄せてくる
だが君生きは何もない…本当に何もない… スタジオジブリが山本二三氏の訃報に全く触れないのは流石に駄目だろ パズル積み上げるほど演出的パーツ持ってないはずなんだけどw?
それより理屈で作品組み立てるから感性というパズルのようなタイトな組み合わせなんてしない人 墓所の王の方がしっくり来るな
死してなお隙を見せたら殺しに来そうだし
タバコの煙で鎮まるのもそれっぽい 「高畑さんはとても頭が良かったけど本を読み過ぎておかしくなってしまったらしい」
「ある時、高畑さんは読みかけの本を開いたまま行方知らずになりました。足跡ひとつ残さなかったそうです」
...こういう感じ?
あるいは、
高畑勲はあの世に行ってもそこでまた墓を造られて、その中に封印されて2度と出て来れないように厳重に管理されてる
あの世でも好きに出歩かせない
しかも封印されてるあの世の墓の門には「我に学ぶ者は死す」とか書かれる始末
どっちにしても酷すぎて草 もうちょっと言うなら
パズルを組み立てるのが作品っていうのなら、作品そのものがそんなにないw
1日しか持たないっていうのもかなり厳しいし、次がねえw遅延上等な人だしね
墓の王の方がバクさんらしいかもしれないね
上のように作品のクオリティのために 延期上等なんて真似しちゃダメな話
戒めの言葉は正解だろう
開放してそれがセカイに蔓延したら破綻しちゃうw >読みかけの本を開いたまま行方知らずになりました
大伯父の失踪を反復するかのように眞人も又、本を読んでる途中で神隠しにあった
このことは何を意味するのだろうか? >>740
>あり得ない変な戦車出てくるしw
ヒント「九五式軽戦車」 >大伯父の失踪を反復するかのように眞人も又、本を読んでる途中で神隠しにあった
そうか、言われてみりゃまさにそうだな
その意味するとこはわからんが、重なるよう意図的な演出だとは思った マヒトが同じ道をたどるかもしれないっていう意味合いじゃないの? >>814
風立ちぬのカストルプ氏はもろに身内だったからな
しかもあれはたいへん良いキャラだった 風立ちぬの二郎の上司黒川のキャラは宮崎自身が投影されている 大伯父は後半の主人公と言ってもいいから
基本はパヤオだよ >>800
あの世界は不気味ったり恐かったりもするんだけど
癒しの効果みたいのが確かにある
眞人の場合だと自己回復、本来の自分を取り戻していく
>あの一族の血をひくものは塔の声が聞こえ惹かれるようになっている
キリコ婆さんが言う「塔の主(あるじ)」が何者か?
それに何で彼女はそんなことを知ってるのか?
謎は多い シンエヴァでいう、シンジも庵野でゲンドウも庵野...みたいな? 墓は、誰の墓というよりは
日本神話から着想を得ているのを
示したいだけで
日本神話自体、安っぽいまじない程度で
回避できるくらいのものでしかない
と言っている、ということかな 神話部分か、どうなんだろ
その目で見れば物語の核心部分で古代神話を入れてるように見える
イザナミとヒミ、黄泉の国、巨石信仰、磐船(いわふね)信仰...
中でもコアである船形の岩を天磐船とみなすなら、ニギハヤヒの天孫降臨まで連想可能になる
でもパヤオ本人について知るところが少ないので、内心どう扱っていいのかわからんのよね
パヤオと日本神話とのイメージが結びつかないんよ
もののけ姫も、民間信仰をパヤオ流にアレンジしたものだったし パリーンて割れて溶ける薔薇の演出だけは妙にムカつくんだよなあw
なんかのオマージュか? 凍りついた一輪の赤い薔薇の花が溶けてゆく
これについてはこれまで多くの意見が出されて来た
個人的に最も納得いったのは花言葉
・一輪の薔薇;「あなたしかいない」→後継者の指名
・赤い薔薇;「愛情」→子孫への想い
凍りついていたそれらが今、溶けてゆく >>831自己レス
今作は新海誠『星を追う子ども』『君の名は。』へのアンサーも兼ねてるように思えてならない
そう見立てていいなら、宮崎駿その人に日本神話の印象がなくても、新海がそれらで扱ったモチーフとの対比も多々ある
(SF要素やオカルト要素も込みで) 眞人が触れると溶けて消える作り物の母
眞人が触れようとすると溶けて消える赤い薔薇
ここにもある種の反復がある うーむ、まあそういう薔薇の様々な意味もあるだろうが
そもそもパヤオが関わった作品で赤いバラが使われたことあったかねーという
いきなりこんなもん出されても?
それならインコの持ってそうな皿でも割った方がいいかな 何が薔薇だよ積み木バラバラにしてやる!とインコ大王さまが >>836
インコも初めて出てきてるだろ
薔薇=運命の人+魔よけ バラがバラバラとか溶けたのよく覚えてないや
床に沈んでいったのかと思ってた 今日はじめて観てきたが観て良かったわ
戦後からのファンタジーへの変遷は素直にワクワクしたわ
そこまでがタルいというのも正直なくはないがある意味カタルシスのためかな、と >>840
鳥自体はパヤオ作品じゃ常連だからなw
基本主人公やヒロインのペットや鳥の人とか善性だが
花とかの小道具はほんと使わんのよな、薔薇投げて招待とかウテナかよwと ・期待値が高かったのかもしれないが、個人的にはいまいちだったかな。
・これをみて、どう生きるか?って思ったか。私は思わなかった・・・。
ストーリー展開も、思い出のマーニーぽい部分(湖畔で謎の建物)もありながら、
不思議なことがありました。ぐらいで、千と千尋やもののけ姫みたいな心が動くようなところはなかったかな。
・スタジオジブリは、ハウルやポニョより前は良かったけど、それ以降の作品はなんかいまいちに感じてしまう
宮崎駿監督作品でいうなら、風立ちぬとどう生きるかを見ても戦争実体験がないから、いまいち感じるところもない。 前半タルいとは言いつつそれは後半の異界がメインだと薄々気づいてたからってのもあるな
前半の雰囲気のまま行くなら行くで気にはならなかった
舞台の屋敷も中々好きだったし 多分だけどお盆の実家への帰省から話膨らまして
各出来事とキャラクター作ってんじゃないかな
眞人は4才くらい。母は夏子でヒミはいとこの姉ちゃん。
キリコは叔母さん、ちょっと意地悪なこととか意味ありそうな無さそうなこととか言う。
実家でめちゃくちゃ暇だった。夏子に教わって工作した。
墓参り、花火、料理手伝い、ヒミとままごと、応接で弓で遊んでて花瓶割った。
眞人は知らないけど実家は由来があるものが沢山ある。
工作教わった後も夏子追い回してたらすごく怒られたけど意味わからないから
「本当のお母さんはヒミちゃんなんだ」って泣いた。
爺ちゃんから盆栽とか石とかやるかとか言われる。
インコ大王はヒミの父かな?爺ちゃんとなんか難しい話してた。
老ペリカンは言ってること反転、
「一族は各地に広がりますます反映している」乾杯の挨拶かなんかでは
ケガは癇癪かな
子供だから流されるままなのは当たり前。花火は怖くてまだできない。
ペリカンもインコも親族だけど後半は少し慣れて人型に近づいたのかも
青サギはまだ分からんイマジナリーフレンドかも
眞の人で眞人ってのが既にミスリードかもしれん
暇だー暇だー言ってたから暇人とキリコに呼ばれたのかも
そうだとすると1つのメッセージは
「小さい頃は分からないことだらけだった。思い出せ。みんな歳取りすぎ。」かな
認識を更新していくこと自体が面白いって発想が肝なきがす
あとは今までの感情表現を捨てたパヤオの若さか このキャラは誰を投影してるとかどういう意味があるとか岡田の悪影響すぎる
ストーリーの行方すらその場その場でどうしよかこっちの方がいいかなと決めていくパヤオが
何もかも計算してたり創作に謎パズル組み込んで楽しんだりする人間とは思えん この映画が難解とかワケが訳が分からなかったとか言われてるのって
裏の意味がーとかじゃなくてふつうに人物の行動の意図が分からないって部分だよ
まずはそこを考察しないと順番が違う >>847
考察し過ぎて頭パンクしてるぞ
パンダコパンダでも見て頭をリフレッシュさせてきなさい >>850
異世界に行ってからは終始行き当たりばったりな上に何も解決しないからな
何だこの支離滅裂な物語は?の意味でわけがわからない そもそもストーリーの整合性とか二の次三の次で描きたいシチュエーション優先だと思うぞ
ストーリーは一応の流れもあるしわかるから良いんだけど、
そこから人物や世界観の深掘りをしようとすると途端に難しく受け取っちゃうんでは ドキュメンタリーでも「自分が子供の頃に見て好きになった作品はストーリーで好きになった訳じゃなく、良い場面があったから」みたいな話してたし 結局インコは後継者が大伯父の血縁じゃないとダメってことと石を積める資格が自分にはないことも知らずに
大伯父と取引すれば自分が後継者になれると勘違いしてたってことでOK? >>855
血縁である必要は無かったんじゃなかったか?
他は同じ解釈してた >>856
わしの血を引く者に限ると石と契約金したって言ってた >>857
そういう台詞あったのか詳しくサンクス
観たばかりなのに会話全然覚えてないの痛感するわ
映像はよく思い出せるのに >>858
そうなんよw
台詞を追って行かないと状況が分からんのよ
ふつうはもっと説明的な台詞があるんだけどそれがない 吾郎のいつも通りの駄作
千と千尋みたいにダメダメな主人公が不思議な体験をして成長して戻ってくる話を描こうとしたんじゃないの
パヤオならキャラの言動1つ1つ筋が通ってて魅力的に見せられるけど吾郎だから単なる支離滅裂になってる >>860
ハウルのが酷いわw
あれに比べたら台詞のやり取りを整理していけばまだ理解出来る作りにはなってる >>861
ハウルそんなに酷かったか!?
パヤオ本人酷評してたけどあれは良い映画だと思うけどな…
また今度ハウル観てみよ おれ>>847だけど
あくまで制作のスタートはそうじゃないかと言ってるだけのつもり
ただ、眞人の動機については説明ついてると思う
解釈はどんどん更新されていく方が好ましい作品だと思うし
皆様の解釈の一助になれれば >>862
良い映画だけで好きなんだけどソフィーが魔女になってるって設定がまず分からんし
そこが分かってないと矛盾だらけになってしまう
終盤に城を破壊する動機もサリバン先生の立ち位置も唐突には理解出来ない >>859
バヤオは説明セリフはあんま使わない
状況も絵で見せようとするスタンス
なので見る人によって解釈が変わってくるところが色々出てくる スタジオジブリってどんどんつまらなくなるよね
傑作レベルの映画最後に出したのはいつだったか >>865
前半の屋敷でのマヒトの夏子に対する態度とかもその最たる物かもな ちひろ ポニョ ハウルは話は微妙だったけど アニメとして とにかく面白かったんだよな >>865
お前はやお本人なん?
駿のスタイルは過去作観る限り説明過多もしくは説明不可能なイミフの二択なんだが? >>865
説明台詞はいつになく多くて、逆にそれで冷めちゃった人も割りと目にする
登場人物の内心を台詞ではなく絵で表現しようとするのは、>>868の言うように前半の眞人が顕著
しかも眞人が意識的に感情を面にあらわに出さないように固い表情をしてるから微妙な顔つきを追うことになる 説明台詞って気になるぐらいあったっけ
異世界パートは色々説明しなくちゃいけないから仕方ないような >>872
ヒミ「私の力はここでは制限される」(なんで?)
ヒミ「私はここには入れない」(なんで?)
説明セリフで謎を増やすアホ采配 久々に風立ちぬのプロフェッショナル見たがあれから10年よくぞ新作を完成させたと思うわ 見てきたんだが最後の終戦後東京に戻るのシーンはどういう解釈されてるの?
窓に青サギが映るとかそういうのもないしエピローグや余韻にしては何も無さすぎる
単にあのあと家族うまくやってるよってだけ? そういうこと
鞄に入れた本(君どう)は信条として
過去への思いと決意はポケット(石として)に忍ばしてる >>873
wikipedia 見るなのタブー(日本神話)参照
理解できない奴は知識がないだけ
アホの露呈 君生きに限らず、民俗学的素養がない人って作品まともに理解できてなさそうだよな エピローグの意味としては>>877に加え、夏子もあの屋敷から離れることになったことになったということを示してる
勝一の稼業(軍需工業の下請け工場の経営)も強大な発注者を失ったわけだし、妻の実家の邸宅の維持は無理でしょ
夏子も着物ではなく普通のワンピースで顔も晴れ晴れとしてた 何の知識もないちっちゃい子でも楽しむ子は楽しんでる
頭で理解しよう考察しようという人には、民俗学的知識かその方面への興味が無いと辛いかな
日本神話が好きとか諸星大二郎が好きとか、その辺を検索して調べるのが好きという程度で充分だとは思うが
あと多世界モノとかタイムリープ系のSFガジェットに馴染みがあると、大伯父の創造した世界観に馴染みやすいとは思う >>873
「私なら入らない」は究極的には、878の示す“見るなの禁忌”になる
サギ男「あなた達が禁忌を冒したからせですよ、タブー」
大伯父「産屋に入ったのはさすがにまずかったねw」
ただ神話の知識が無くても、ヒミの台詞を追っていけば彼女の気持ちはわかるよ
「石に触るな、石は私たちがここに来たのを喜んでない」
「石は私たちがここに来たことに気づいて、すごく怒ってる(だったかな?)。私なら入らない」 >>847
内容はさておき結論の、
>「小さい頃は分からないことだらけだった。思い出せ。みんな歳取りすぎ。」
これは感じる
「童心に帰れ」って感じ >>873
>ヒミ「私の力はここでは制限される」(なんで?)
違う家だから
>ヒミ「私はここには入れない」(なんで?)
怒られるから
眞人4歳の解釈だとこうなる
参考まで >>881自己レス
あぁ、大伯父の創造した世界観というのは言い過ぎだった
大伯父の創造した世界の時空間、に訂正しとく >>873
>ヒミ「私の力はここでは制限される」(なんで?)
こっちの方は俺もまだよくわからない
劇中で描かれたヒミの能力とは、
・火を操る能力(自身まるごと火に同化出来る火の化身)
・塔の下層世界と上層部を一気にワープ出来る能力
・「石」の意思あるいは思念を感じ取る能力
時の回廊では眞人の入って来た扉を意識集中させて慎重に調べてた
「口をきくな、間違える」
...わからん 眞人と同級生が喧嘩した直接の原因は、授業の終わった同級生たちが皆
勤労奉仕しているのに、眞人がそれを無視して一人だけ帰ろうとしてたから >>887
なるほどそれもあるか
それが皆んなで袋叩きにする格好の口実だったかも
いきなり、これ見よがしにダットサンで乗り付けて来たし
転入時点で男子は睨みつけ女子はクスクス笑う
そういう目で見られてたんだろな青鷺屋敷の一家は
他所から来た一族で、その時の当主は頭のおかしな人
多くの死傷者を出しながら巨石を覆う洋館を建てさせたかと思うと失踪してしまった
地元の人々の間でも語り草になってたのではないか >>852
あの異世界がおかしくなって起きる出来事は眞人が解決すべき問題じゃないだろ
眞人には解決しなきゃいけない自分自身の問題があって、そっちはきちんと解決して見せたじゃないか キムタクパパはキャラとして一貫性があって好き
暗喩ばかりの面倒臭い世界で一人だけわかりやすい 確かにw
声優キムタクは冒頭の一言二言までは凄く気持ちのこもったいい演技だったけど その後の食卓のシーンとか眞人の様子を見に来る場面の長台詞になると 一本調子すぎて本来のキムタクって感じだった キムタクは俳優としては頭打ちだが、声優としてはまだまだ伸びしろを感じさせるね
ハウルの時はキムタクの顔がちらついてしょうがなかったが、今回の演技は見事なまでに
キムタク臭さを消している >>886
>ヒミ「私の力はここでは制限される」(なんで?)
ヒミの力が”石”から与えられたものだからではないか
つまりヒミにを力を与えた”石”は、それを制限する事も出来ることを示唆している >>889
それなら異世界のシーンはダイジェストでさっさと終わらせるべきだよ
観る側からすれば物語になんら影響しない退屈なシーンの連続でしかない >>889
つまらないって感想の大半は後半部分に物語性がないことに起因していると思う
眞人が異世界で遭遇する出来事に何らかの痕跡を残した上での終着点として大伯父と邂逅していたらもっと評価されてると思うぞ
RPGゲームで例えるなら
イベントが起きる→スルー
イベントが起きる→スルー
いつの間にかラスボスへ、こんな感じだよ 大伯父って何食べてんのかな
眞人と食事すれば良かったのに 大伯父は下の世界の創造主だから、生きるのに食べ物を必要としない存在なのでは? >>894
それやっちゃダメだよ
あの異世界は大伯父の創造した冥界(下層世界のほう)でもあり、そこで死生観が如実に表現されているから、最もじっくり描くべき世界なわけで
前世→黒い影の人たち→ワラワラ→来世(現世へと転生)
ひとことで言えば大伯父なりの黄泉の国であり、黄泉帰りの地
ヒミが火の化身だけど、あれは言わば復活イザナミ
そして眞人はそこで自己回復してゆく
(この辺は古代のイザナミ神話や中世の黄泉帰り信仰とか知ってないと、取っ付きにくいのは仕方ないけど) >>898
俺は映画は予備知識無しで楽しめるのが大前提で、考察はその後にあるものだと考えてるからその意見は全く受け入れられないな
つまらない作品に考察する価値はない >>895
こっちはわかる
鈴木が冒険活劇だなんて言うのが悪い(鈴木のせい)
異世界訪問ファンタジーのRPGとしてなら、まるでダメなシナリオ構成だね
だからそういうのを期待した人たちには糞ゲー認定されるよ
...でもゲームじゃないよね >>899
でも何の予備知識もないちっちゃい子でも、楽しんでる子は楽しんでるぜ?(皆が皆どの子もとは言わんが)
大人の方の賛否両論でも、賛の人たちのうちどの程度の人たちにその方面の素養があったものか(おそらく無い人の方が多い)
あなたにそれを受け入れろと強要する気はさらさら無い
でも後半はダイジェストにしてさっさと終わらせるべき、ってのは暴論
俺はそんなの興味ないから全く面白くない、で充分 >>895
邂逅は
思いがけない偶然の出会いだから
使い方が違う
意図的に会いに行ってるだろ 包丁インコがバズる流れが来るかも知れない
無意味に鮮明で強烈 ゲルマン風だったのではない。族を父母を大切に、あとを継ぐみたいな要素が。 >>893
確かに
大伯父は創造主ではあるが、あくまで契約者に過ぎないとも言える
契約相手は「大いなる石の主」だろうな
そして時の回廊におけるヒミの能力制限も、あなたの言うことを考えると、制限かけてるのは「大いなる石の主」だと思った
(とはいえ時の回廊で制限をかけられてるヒミの能力はどの能力で、それが何故なのかは、やはり謎) >>893
大伯父の神産みによって
ヒミが生まれたから
大伯父はいくらでも制限可能 ヒミが火を使えるのは自分が火事で死ぬからじゃ
眞人のイメージでも炎をまとった母親いるし >ゲンドウって何食べてんのかな
>シンジと食事すれば良かったのに
...に幻視した >>897
世俗を嫌い世捨て人となって自分の幽界を創りそこに住まったから、仙人みたいな人
だけど仙人のように不老不死となったわけでもなく、着実に老いてゆくから生きた人間であることは変わらぬようだ
老いるということは代謝機能があるわけで何か食べてるはずだ
シッコもウンコもすると思う >>908
ヒサコが焼死したから→ヒミは火の化身となった
現実世界では時系列が逆転してるように見えるけど、塔内では現実世界の過去も未来も同時に存在出来るから因果律は破綻しない
ヒミをそうしたのは大伯父だろうな >>907
下の911にも書いたんだが、ヒミを火の化身にしたのは大伯父だと思う
下層世界と上層世界を一気にワープ出来るのも、ペリカンを焼くために大伯父が付与した能力だろうし
「石」の意思や思念を感じ取れるのはどうだろうか
そこは血筋かも知れない(眞人も石の悪意は凝視すれば感じ取れるし)
時の回廊において彼女の何の能力が、なぜ制限されてるのかわからない
ただ大伯父の側に制限かける動機が見出せない
どうもヒミは「大いなる石の主」から決して快くは思われてないようだし、彼女もまた同様だと感じてる 最近の現実に存在するかのようなリアリティ演出に慣れてしまうと、リアリティ無視の宮崎駿は違和感ごあるな。リアリティ無視の世界だと理解できてない 高畑勲のハイジ以降の食べるシーンかほんとは嫌いなんだろうな。あの不味そうなパン 押井守も言ってるけど宮崎駿は矛盾のない話を作る作家ではない
矛盾があっても演出や映像で見せるのが宮崎アニメ 一番気になったのはアオサギが出てきて異世界に
行くまで間延びした事かな
映画館で見て間延びするって事はテレビで
見るともっと間延びするから 絵のどこにリアリティを置くかの違いだろ
今作だと重力を感じさせる細やかな描写や、内に秘めた心理が僅かに顔に出る緻密な描写がパヤオの重視するところのリアリティ
逆に新海を例に挙げると、極めて写実的な都市風景や田園風景など、背景描写にリアリティを持たせる
登場人物の非現実的な動作(三葉があんな速度で山頂から町まで駆け降りれるはずがないし、鈴芽にいたってはフィジカルモンスター)は気にしない >>917
千尋が階段を超人的に駆けるのはリアリティあるのかい? パヤオはなんも重視してない
ラフ画を制作会社にわたして
制作会社が出してきた動画を受け取るだけ
だからシーンごとに絵柄までバラバラ >>918
無いね
あれは現実世界での出来事じゃないし、例に挙げるのは野暮だと思うが テレビシリーズが大量に作られているし、覇権争いしてるのは世界市場相手だから予算も潤沢なんだろう。若手の力のある人はジブリなんて見向きもして無いのかもね というか、リアリティ云々じゃなくて単に絵柄の古さだろう
世界名作劇場の絵柄そのものは、もう世の人々(特に若年層)の好むところではなくなって久しい
それを見事に証明した形になったのが、ほかならぬ新海の『星を追う子ども』だったわけで(あれは物語として未成熟だった面も大きいが)
新海としては(パヤオリスペクトが根底にあるにしても)あの手の物語を描くなら世界名作劇場で確立された絵柄が最もふさわしいという判断があったと本人が言ってる
しかし鑑賞者からは劣化ジブリ、パヤオのパクリと烙印を押された
あの時点でもう人々は絵柄に関して「ジブリ(パヤオ)だから観る」でしかなかった 作画とかリアルさとかはクオリティをどう使うかが肝心なんじゃないのか
まるで豪華俳優陣を集めてへぼ監督が作ったクソつまらないドラマのようだ
ゲド戦記もドロドロとか背景とかジブリスタッフ優秀だからクオリティはすごかったけどクソ映画だった 才能ある若手は漫画行くでしょ。
漫画書けば大金稼げる人が月収数万円のアニメ業界に入る訳ない 名作劇場風のキャラデザでも片渕須直監督は恐ろしくリアリティがある、パヤオの演出が古いんだと思う。
いまはテレビシリーズ時代の高畑勲演出の発展系か、セーラムーンの佐藤順一の魔法少女とか日常系演出だよな。
パヤオは人気漫画家くらいは稼いでるんじゃ無いのか、wikiの2馬力の項目みたら驚いたよ。 そりゃパヤオレベルならね
片渕監督ですら貧乏してんだぞ 人物や干渉物の動きや動作がリアリティーあるわけで、
起こっている現象(瓦礫の中を駆け抜けたり、飛んだり、魔法のシーン)はアニメ的外連味を強めて描くのが駿イズムだと勝手に思ってる テレビアニメのわた婚くらいに友禅の柄を絹の質感だして動かしたり、着付けも立体的で、歩くときの重心移動まで描いてるのを観たあとだと、君生きは、モブが大量に動いたり、ワサワサしてるだけで、動きが陳腐だなと思ってしまった。 君生きは人物が全然描けてない
絵じゃなくて人物像
映画は人間ドラマだろ >>930
こよなぁ
アオサギの描写の作画オナニーしてる尺で久子なり夏子なりの描写入れたほうが良かったわ >>931
メガネかけてピーピー言ってるパヤオさんが出てくればよかったね >>927
あぁ、じゃあ千尋が配管を突っ走るシーンはどう?
千尋の体重で見る間に配管は崩れ落ちるのをギリギリで向こうにたどり着くシーン
俺はすごく千尋の体重と配管の脆さが感じられたんだけど www
それのどこがリアルなんだよwwwwwwwwwwww
典型的アニメ表現じゃねえかwwwwwwwwwwww いや俺もあのシーン好きだけどリアルじゃねーだろw
牽強付会な論評は逆効果だよ そういうもんなのか
アニメ全般については詳しくもないので、見当違いなこと言ってたのかもな
了解 アニメに詳しいとか全く関係ないな
おまえが極端に頭が悪くて理解力がないだけの話だ >>915
そういう作品に対してあーだこーだ解釈してる連中は馬鹿みたいだな 映画君生きと小説君生きが違いすぎて
いつものパヤオ観たい人は小説読んでね
映画では違うことをします
に思えてきた いや...ろくに知りもしないで見当違いなことをいってたらしいってのは了解したが
映画のリアリティって頭の良し悪しとか理解力の問題じゃないことだけはわかるぞ
なに調子こいていい気に馬鹿なこと言ってんだお前らw >>943
その辺は上の>>784から始まるやりとりで相手さんと少々語り合った
吉野源三郎『君生き』が、いつものパヤオって気はしなかったんだが >>888
>転入時点で男子は睨みつけ女子はクスクス笑う
鑑賞中は男子の反応ばかり追っていて、女子の反応まで注意して見てなかったけど
金持ちの親を持ち、都会から来たキリっとした顔立ちのイケメンで、少し影のある眞人は
田舎の女子たちにモテそうな感じだけどな…
そら、男子の反感買うわなって感じで観てたわ >>937
牽強付会=こじつけ
馬鹿のくせに、頑張って四字熟語を
使わなくていいから あそこは魔女宅の逆パターンて感じ
町でお洒落な女の子とすれ違う時キキは劣等感で顔をしかめ目を逸らす
ダットサンで学校に乗り付ける都会の坊ちゃんに田舎の子供たちが抱く思いもそんなだろう
ただ人数は逆だけどな >単純に友達は大事だって話しでしょ
友人の「有り難さ」が眞人にはわかってなかった
亡き母が今の自分に贈るつもりだった吉野『君生き』を読んで涙ぼろぼろになって、心の底から友達が欲しくなって...というお話 じゃあ大叔父とインコ大王は友達?
どうしてあの世界でペリカンとインコに差がついたんだろう >>952
下層世界はサントラの曲名によれば「聖域」
でも瀕死の老ペリカンは地獄だと言い、呪われた海だとも言う
上層世界のインコどもはパンフによると「戯画化された大衆」
で、王国だの帝国だの言ってるが、インコ大王が君臨する
つまり「聖と俗」ってことで、下層世界は聖域で上層世界は世俗
インコ大王は世俗権力の頂点に立つ統治者
なのでインコ大王は大伯父を「閣下」と呼ぶ
つまり世俗権力上は大伯父が下位
インコ大王は創造主に最大限の敬意は払いつつも疑念も抱く
ちなみに戯画的なインコに対してペリカンは写実的
ペリカンの象徴性はキリスト教義だと自己犠牲の精神の象徴
欧州の民間習俗では古くから母性の象徴
このあたりだろうと思うよ SWITCH読んだ。鈴木、本田がパヤオのお茶目エピをいろいろ語ってた。ボケかけてるのをオブラートに包んで面白エピソードとして笑ってあげてる雰囲気を感じて、ちょと悲しくなった。
血のドバドバ 、ジャム、内臓吹き出しは宮崎駿の指示で盛ったらしい。何か意味があるというより、単純な悪ふざけのような雰囲気。
本田
宮崎さんが手を加えて血をドバドバと足すんです
(中略)
線画を動かしているのを見ていたら、宮崎さんも「いや、これは、死んでしまいますよ」と言っていて(笑) >>946
>943も>>784も自分だけど
映画はまず分かりにくいという点からして
小説と同じものを目指していないのではないかと思ったのよ
で、パヤオは意味の外出しをする人だと自分は思ってる
(千尋のいつも何度でもは映画の内容と合ってない)
パヤオは過去の映画では小説でやっていることをやろうとして作っていたとしたら
>>943はあり得るのではないかと思ったわけ >>943
めちゃくちゃなこというなあ
駿が書いた本だと思ってそう
君生きの考察()とか書きたがるやつってどうしてこうもバカすぎる人ばかりなの >>954
眞人4才の解釈だと
小さい頃は各体験がどれも新鮮で鮮烈に思えた
ってのを表現していると解釈できる 鈴木pの「宮さんが〜」発言
いつも真実とは限らない あれ敏夫から見える宮さんだろ?
特段話し合ったわけじゃないし 宮さんはインコ大王が自分って語ってるんだね
眞人はなりたかったもう一人の自分とか >>962
ジャムパン食えてないのかな
糖尿病かなんかで インコ大王が自分のことだってのは、鈴木が勝手に思い込んでるだけだぞ
鈴木の作品語りは、まるで当てにならないこともある
例えばこれ
https://ghibli.jpn.org/report/the-journey-of-shuna/
↑
鈴木は得意げに「シュナの旅」の原案は「ゲド戦記」だと、とうとうと述べてるが大間違い
原案はチベット民話の「犬になった王子」な
あとがきでパヤオ本人もそう書いてる
あとがきのその部分だけならAmazonの同書の書誌紹介に載ってる 敏夫視点で君生が破綻したように見えてよくわからないから
パズルぶっ壊したインコ大王と思ったんじゃね? >>964
ちょっと鈴木のフォローもしとく
鈴木は商人だから商魂たくましく商才があればいい
どんだけ作品についてアホなこと言っても彼の領分じゃないし
名物プロデューサーだし今は社長だから立場ってのもあるわけで、思いつくままテキトーなことペラペラ言わんで欲しいとも思うが、彼は一切そういうポジショントークをする気はないんだろね >>503
おお
すげぇ
ヒサはめちゃくちゃ現実世界が楽しくなかったんだな。塗りたくってたもんな。 >>964
この文章を読んでゲド戦記が原案は間違いて指摘するの的外れすぎないか?
ゲド戦記から受けた影響が宮崎の創作の源流に流れてるってこと言いたいんだろ
駿自身もそう言ってるし >>586
夏子のお腹の子供だと思ってた、まだワラワラ【タマシイ】が入っていないから死人と同じ。という意味かなと感じた。 >>962
そういう物語の作り方してるんならもういいかなジブリ >>968
えらく鈴木に優しいな
その作品の「原案」だと断言して、その線で語るなら事実として大間違いだと批判せざるを得んよ
「原案」と「影響」は違うじゃないか
影響うんぬんで言えば、何もゲド戦記だけがパヤオの創作に大きな影響を与えた唯一の作品でもあるまいに >>962
それ、どこ情報?
でもそうなら面白いね、インコ大王の場合は自虐的だし
>眞人はなりたかったもう一人の自分とか
こっちが特に目を引いた
パヤオは、以前こう言ってた
https://www.ghibli.jp/docs/0718kenpo.pdf
>もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした。
・if「もう少し早く生まれた場合は?」→熱烈な軍国少年になった
・ifのif「もしその場合でも?」→眞人のようになりたかった >>970
そう深刻にとらえなくていいと思うんだけどねぇ
その物語を作者ひとりで作劇する場合に、複数の登場人物に作者自身の何らかが投影されるのはよくある話だと思うよ
とは言えその物語の中では、それぞれの登場人物が独立した人格として、作品世界の中で活動してゆくのだし >>955
なるほどその流れか
自分は今、今作の原案に当たる作品と言われているジョン・コナリーの『失われたものたちの本』を読み始めたよ
まだ物語の入り口付近だけど、なるほどこっちが今作の原案だ
あなたの言う「いつものパヤオ」は、こっちの方にある 幼いころの母に会うなんてめっちゃ駿の願望丸出しじゃん・・・思ったけどなw
頭の自傷はそのための代償と >>503
「あしたのジャム」 高森朝雄 ちばてつや しかし気色悪いな
ロリコンマザコン丸だしでしかもとてつもなくつまらないアニメって いまだに100億円を突破できるか
みたいな馬鹿なネット記事を見かけるけど
内容的にはハウルを超えてるから
200億円を突破できるかどうかのレベルだよな https://www.cinra.net/article/202308-kimitachihadouikiruka_ymmts
宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』を民俗学から読む。鳥と異界、「産屋」のタブー、ワラワラについて
「宮さんはシナリオは二の次で絵が先の人です」。
映画『君たちはどう生きるか』の雑誌インタビュー(※1)において、スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫は宮﨑駿についてこう語った。
その「絵」を支えているのは宮﨑駿のずば抜けた視覚的な記憶能力で、日常のやりとりや旅先の風景、幼少期の記憶、そして毎月4~5冊読んでいるという児童文学をはじめとした読書などが、その作品づくりの糧となっているという。鈴木敏夫はそんな宮﨑監督について「誤解を恐れずに言うと、宮﨑駿という人は、空想で描かない。全部見たものです。それのコラージュというのか、組み合わせが実に鮮やか」とも語っている。
その宮﨑駿が繰り返し読んでいた作品のひとつが、民俗学者・宮本常一(1907年–1981年)の『忘れられた日本人』(1960年、初版は未來社)だった。これまで宮﨑駿作品には民俗学的なモチーフと思われるものが表出することもあったが、鈴木が「宮﨑駿は抽象的な概念のない人です」(※2)と言っていることからも、作品にとけこんだ民俗学的な要素に対して、監督自身どこまでの意図があったのかは実際のところはわからない。 前置きが長くなったが、本稿は『今を生きる思想 宮本常一 歴史は庶民がつくる』(2023年、講談社)の著者で、民俗学者の畑中章宏による映画『君たちはどう生きるか』評である。「鳥」というモチーフと「異界」、「産屋」のタブー、「ワラワラ」などについて考えをめぐらせながら、「『死の島』は、『生の島』に至るのか」というテーマで執筆してもらった。 宮﨑駿の「集大成」を期待された『君たちはどう生きるか』
宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』はこれまでの宮﨑作品のなかでもとくに、観る人によって見方が異なる作品だと思う。それは宮﨑監督が(鵜呑みにするかどうかはともかく)、この作品が「最後の長編映画だ」と宣言したことから、「集大成」を期待されたことも原因のひとつだろう。
ただし宮﨑自体、主題も対象も多彩であるため、「集大成」を期待するといっても、その期待が観衆一人ひとりによって、違ってこざるをえない。 あらすじ:少年眞人は、母を追って、生と死の世界へとむかった——。そこは、死が終わり、生が始まる場所だった。眞人を導いたのは、嘘と真を使い分けるサギ男。少年は友と出会い、母と再会し、創造主・大伯父と向き合う。あなたがいてくれて、本当に良かった。宮﨑駿が友情をこめて描く、生と死と創造の自伝的ファンタジー。 私の場合、どうしても『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』といった、なにかしらのかたちで、「日本列島の民俗や信仰」にふれた作品を期待していたが、タイトルが発表された時点で、そういう作品ではないだろうと想像していた。そして、たぶん宮﨑の人生、あるいは現在の心境を反映した作品になるのでないかと予想していたのだが、それ自体はあたっていた。
「日本列島の民俗や信仰」にふれた作品だったかというと、そうした要素がまったくないわけではないものの、それほど前景に現われてはこなかったように思う。 君たちはどう生きるか』ににじむ戦中・戦後の文化と思想。原作との関係から紐解く
この映画は吉野源三郎(1899年–1981年)が戦前に執筆・刊行した教養小説(※)、『君たちはどう生きるか』(1937年)を原作にする。
しかし、吉野の児童向け教養小説は今回の映画の直接的な原作ではなく、あくまでも動機(モチーフ)にすぎないと知り、さらに鳥のイメージがポスターその他の宣材に描かれているのを見て、なにかと想像を膨らませていた。 2017年に羽賀翔一により漫画化されるまで、もっとも普及していただろう岩波文庫版の解説は政治学者の丸山眞男(1914年–1996年)によるもので、洋画家・脇田和(1908年–2005年)が描いた挿絵が収められている。
丸山眞男は、敗戦からまだ日が浅い1946年に吉野が初代編集長を務めた雑誌『世界』5月号に、「超国家主義の論理と心理」(1946年)を発表し、日本の戦前の日本を政治史、政治思想史の立場から根底的に批判し、戦後日本に民主主義を定着させることに腐心した人物だ。
宮﨑駿は前作『風立ちぬ』(2013年)の主人公を飛行機設計者の堀越二郎をモデル(※)にし、関東大震災(1923年)から敗戦までを描いていたので、戦中から戦後を舞台にしていることが想像された その際に、吉野や丸山の戦後民主主義的な思想が、神話化・寓話化されたかたちでも取り込まれていると予想したのだが、私の想像ははずれた。しかし、まったくはずれていたかというとそうでもなく、戦中・戦後の文化と思想が影を落としていることは疑いえない。
そのことについて私論を述べていくつもりだが、その前にひとつ。宣材の鳥のイメージとタイトルの「君たちはどう生きるのか」を重ね合わせてみたとき、私のうがった想像は、意外に脇田和の画業を反映しているかもしれないと思った。脇田は「鳥」の絵を数多く描いているからだ。しかし、アオサギやインコやペリカンなど何種類かの鳥が登場するものの、脇田の影響は感じられなかった(※)。
ただし、主人公の牧眞人(まき まひと)という名前は、丸山眞男を意識した命名なのかもしれない 編注:宮﨑駿は脇田和による『君たちはどう生きるか』の挿絵について、以下のように語っている。「冒頭に主人公のコペル君が叔父さんと一緒に雨の中をハイヤーで帰って来る挿絵(注:岩波文庫版のP.21に掲載のものと思われる)があるんですけど、それを見た瞬間にわけもなく物凄く懐かしくなったんです。 まだ小学生だった僕が、「懐かしかった」なんて感じるのはおかしな話ですが、本当に懐かしかった。(中略)懐かしいという感覚は、自分の記憶にあるから懐かしいのではなく、もっとべつの何かがあるんじゃないかということを、子供ながらにうすぼんやりと意識したことを覚えています。ある意味で、そういうふうに何かを懐かしく想う感覚を、僕はこの本の挿絵を目にすることで学んだといえるかもしれません」——『SWITCH Vol.41 No.9』掲載「鈴木敏夫 宮﨑駿の新作『君たちはどう生きるか』を語る 訊き手 池澤夏樹」より孫引き アオサギら数多く描かれた「鳥たち」について、柳田國男と折口信夫が記したこと
本作にはなぜ多くの鳥が登場するのかについては「宮﨑監督が描きたかったから」というしかない。
「空を飛翔するもの」に対する偏愛は、これまでの宮﨑作品でもしばしば描かれ、そうした飛翔体は、風を利用したものだったり(『風の谷のナウシカ』)、魔術によるものだったり(『魔女の宅急便』)、戦闘機だったり(『紅の豚』『風立ちぬ』)、竜(『千と千尋の神隠し』)だったりしてきた。
しかし、生物学上の鳥そのもの(といっても擬人化されているが)をこれほど数多く登場させてはこなかったと思う。なぜアオサギなのか、なぜインコなのか、ペリカンなのかについては、おそらく深い意味はないだろう(※)。
※編注:本作とアオサギの関係について鈴木敏夫は、「彼(注:宮﨑駿)の自宅に小さな庭があってそこに池がある。そこに鷺が来るようになった。物語の発端はそこからです。鷺を観察していて思いついたらしいです」と語っている ただ、このうちアオサギについては、古代エジプトでは、聖鳥「ベヌウ」として神格化されていた。一方日本では、怪異としての「青鷺火」というのがあるが、これはゴイサギらしい。
しかしサギは日本の民間で、夜に飛ぶ鳥の一種として怖れられており、柳田國男(1875年–1962年)も以下のように記している。
鵺(ぬえ)は単に未明の空を飛んで鳴くために、その声を聴いた者は呪言を唱え、鷺も梟も魔の鳥として、その異常な挙動を見た者は祭をした。(中略)鳥が突如として天空の一角から、我々の眼の前に現れて啼くのを見て、神の使のように思うのは自然である。
- 柳田國男『野鳥雑記』より つまり、サギはかつて「魔の鳥」とみなされ、それが飛ぶ姿を見たものは「祭」をおこなったという。民俗学者・折口信夫(1887年–1953年)も『「とこよ」と「まれびと」と』(1924年)という文章で次のように書いている。
我々の祖先は、時を期して来る渡り鳥に一種の神秘を感得した。其が大きな鳥であり、色彩に異なる所があると、更に信を増した。
- 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より
柳田も折口も、空を渡る鳥には亡くなった人の魂が宿っていると、人々はかつて信じていたと指摘しているのである。 風立ちぬ』でも描かれた「死の島」のイメージ
今回の映画を観て、筆者が象徴性の高さをもっとも強く感じたのは、「異界」の入り口にある島のイメージだった。暗く高いイトスギが茂るこの島は、スイス出身の象徴主義の画家アルノルト・ベックリン(1827年–1901年)の作品『死の島』そのものである。
ベックリンは『死の島』というタイトルの絵画を5作(1880年–1886年)描いているが、すべてに共通するのは、暗い水辺に浮かぶ岩の島に、小さな船が接岸しようとするところが描かれている点だ。船には2人の男が乗り、船の上に棺桶のようなものが乗っている。岩の島はイトスギに覆われ、祭壇のような建物がある。 死の島』はヨーロッパではかなりよく知られた絵画で、ウラジーミル・ナボコフの小説『絶望』には「ベルリンの家庭という家庭でみることができた」と記され、心理学者のフロイト、革命家のレーニン、作家のヘッセらが愛し、セルゲイ・ラフマニノフは交響詩『死の島』を作曲した(筆者がこの絵を初めて知ったのはこの曲を収めたLPのジャケットによってだった)。
1883年に画商のために描かれた3作目はその後、アドルフ・ヒトラーが入手し、その絵は最初別荘に置かれ、のちにはベルリンの総統官邸に掛けられるようになったという。 ベックリンの『死の島』はじつは、宮﨑監督の前作『風立ちぬ』にも登場していた。堀越二郎が滞在していたドイツのホテルの部屋に『死の島』(おそらく1880年に描かれた第1作)が掛かっていたのである。
宮﨑監督が、『死の島』を繰り返し作品に登場させているのは、その図柄の通俗的な美しさとともに、「死」に憧れることの危うさを表現しようとしているのかもしれない。 君たちはどう生きるか』で宮﨑がなぜベックリンの『死の島』のイメージを借用したのかは、実際のところよくわからない。また、無数のペリカンが上空を乱舞する、この島の位置づけ自体も明確ではない。
ただし宮﨑は、ベックリン作品の表象とともに『死の島』という「観念」そのものに魅かれているのかもしれない。先にも引用した折口信夫の『「とこよ」と「まれびと」と』には次のような一節がある。 海のあなたの「死の島」の観念が、段々抽象的になつて幽界(カクリヨ)と言つた神と精霊の国と考へられる。其が一段の変化を経ると、最初の印象は全然失はないまでも、古代人としての理想を極度に負うた国土と考へる様になつたのである。
- 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より 本作では「異界」は塔の内部に想定されているのか、あるいは地下に思い描かれているのか。また海の上、海に浮かぶ島はどのような意味を持つ場所なのだろう。
眞人は、妊娠したまま「神隠し」のように姿を消した継母のナツコを探しため、塔のなかに入る。その後に展開するこの作品の舞台である「異界」は、地底なのか、天空に向かってそびえる塔の内部なのか。つまり、天井にある「常世(とこよ)」なのか、それとも地下・地底にある「根の国・底の国」、あるいは「冥府(黄泉/よみ)の国」なのか。
折口によると、「常世」に対して「根の国・底の国」を想定するようになったのは、水葬から土葬へという、葬法の変化から来ているという 常世は富み・齢・恋の国であると共に、魂の国であつた。人々の祖々(オヤオヤ)の魂は常世の国に充ちてゐるものとした。其故に其魂が鳥に化し、時としては鳥に持ち搬ばれて、此土(しど)に来るものと考へられた。
- 折口信夫『「とこよ」と「まれびと」と』より 現実世界とも、またそのほかの世界とも扉でつながる塔の構造から連想したのは、戦後文学者・福永武彦(※1)の初期作品『塔』(1946年)である。
主人公である「僕」は、蝶を追いかけるうちに、塔のなかに閉じ込められる。7つの鍵を手にして螺旋階段を昇り、「権威・未知の風物・富・知識・愛・老・死」という人生の7つの局面を象徴する7つの部屋を遍歴する――。
映画『君たちはどう生きるか』の「死の島」にある墓の門には、「我ヲ學ブ者ハ死ス」と刻まれているが、蔦かずらの生い茂った塔の壁に「MEVM EST(メウム・エスト。我ガモノナリ)」と記されているのも示唆的だ。
福永武彦はフランス文学者でもあり、小説『風立ちぬ』を書いた堀辰雄の強い影響下で創作活動をはじめた。代表作にはまさに、広島の原爆をモチーフにした『死の島』(1971年)という長編小説がある また、宮﨑監督の『風の谷のナウシカ』の「玉蟲(オーム)」を、怪獣モスラの幼虫になぞらえる説もあるが、モスラの原作は福永が中村真一郎(1918年–1997年)、堀田善衞(※)と共作した『発光妖精とモスラ』(1961年)だった。映画『君たちはどう生きるのか』を『風立ちぬ』の続編としてみたとき、堀辰雄の文学的継承者である福永武彦の「影」を見てしまうのである。
産屋」のタブーがもたらす神話的な印象。そこに重ねられた「創作」という営み
異界の部屋にある「産屋(うぶや)」で、生みの苦しみにもだえるナツコの姿は、神話的な印象を与える。紙垂(しで)が何枚も垂れ下がっているが、民俗学的にはケガレに対処するためのもの、と読めるかもしれない。
産屋の形象は日本の古代神話『古事記』でも、入ってはいけない場所、見てはいけない禁忌(タブー)とともに物語られる。
木花咲耶姫[コノハナサクヤヒメ]は)出入り口のない、広さ八尋(やひろ)もある御殿を作り、その中にはいって、内側から土を塗って塞いでしまった。いよいよお産する時になると、この御殿に内から火をつけて、子供を生んだ。
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