監督がこの映画でやりたかったことがだんだんわかってきた気がする

「君の名は。を叩いてた人を怒らせたい(笑)」てネタっぽくいってるけど
本当は逆だと思うんだよね
実際にマガジンでは
「君の名は。を無視してた人が今度は何か言ってくれるかも」と希望的なコメントをしてる

「君の名は。のとき幼稚だとか、世界を都合よく見てるみたいに言われてすごく心外だった」
と言ってたけど
元々監督の映画は幼稚だったり、世界を個人の都合で見てるだけじゃない

むしろ世界っていうのは個人に対してどこまでも非情で、だから二人は引き裂かれるんだけど
引き裂かれるのにラブロマンスが成り立つ
同じ画面に映らないのにコミュニケートが成立して見える、ていうのが
「僕たちは本当は結ばれなきゃいけないんだ、いけないはずなのに」ていう究極的なセンチメンタルを逆説的に証明してた

ロマンチックを究極的に高めることで、単なるロマンチックを越えて
個人とか自我みたいなものまで象徴しようとしてたはず

でもこの複雑な構造に気づかない人達に「とにかくロマンチック、なんでこんなにロマンチックなの?新海が童貞くさいからだろ、恋愛したことないからだ」とレベルの低い嫉妬むき出しの批評をされた

だから新海はやり方を変えてピカレスク的に
「ロマンスを求めて世界とぶつかる若者」の正しくなさを描いた

たまに偉そうに「この物語は正しくなさを描いてるんだよ」とか「暴力が嫌いだからこそ残酷なシーンが描ける」みたいなことをいうやついるけど
それって誰でもわかるんだよ
正しくないことを正しいかのように描くのはすごく陳腐な表現だから

新海は君の名は。で理解されなかった逆説的アイロニーを封じて、分かりやすいピカレスク的な反証で
自分の作家性、あるいは自分の人格価値観、人生が単なる幼稚なロマンチックではないと訴えたかったんだよ