【高畑勲】 火垂るの墓 Part4 【清太・節子】
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引き続き語りましょう
監督 : 高畑勲
脚本 : 高畑勲
原作 : 野坂昭如
公開 : 1988年4月16日
出演者 : 辰巳努(清太)
白石綾乃(節子)
前スレ
【節子】 火垂るの墓 Part3 【清太】
https://kanae.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1386059715/
>>1
【ジブリの警告に国民は絶賛、天皇制から日本を解放せよ】
ジブリの長編アニメーション『かぐや姫の物語』(高畑勲監督)が、日テレ系列『金曜ロードSHOW!』でテレビ放送された際、
姫の最後の求婚者である天皇(正式名称:御門)の「長すぎるあご」に視聴者が釘付け。
twitterでは「#帝クソコラグランプリ」というハッシュタグまで生まれ、「アゴ祭り」が大発生した。
高畑監督はかぐや姫は今の日本人のことと警告している。変態天皇のセクハラにかぐや姫は必死に抵抗する。
高畑監督は『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』などの名作を生み出したスタジオジブリ所属の名監督。
映画人九条の会や日本共産党などで反戦活動も行う高畑監督は「やぶにらみの暴君」を見てアニメーションに
社会的メッセージを送る力があると考え、アニメ映画監督の道に進んだ。
東映時代には『安寿と厨子王丸』の天皇崇拝描写に宮崎駿監督らとともに労組で抗議したこともある。
『火垂るの墓』では日本を何も変えられないと悩んだ末に完成したのが『かぐや姫の物語』だった。
「アゴ祭り」が同じジブリの『天空の城ラピュタ』の「バルス祭り」のような社会現象となりつつある今の日本では、
天皇など馬鹿にされ笑われる程度のちっぽけな存在であることが証明されたかっこうだ。
スタジオジブリは日本を代表するアニメ制作会社であり、アニメやデモを通して反戦を訴えてきた。
同じジブリの監督であり、沖縄基地反対代表に就任した宮崎駿監督も現在の日本に危機感を覚える一人である。
「日本は悪かったんですよ。それは認めなきゃダメです。慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。
日本の若者が歴史感覚を失ったことが問題だと思う。歴史感覚を失った場合、その国が滅びるからだ。慰安婦問題は、早くに清算すべきだった。
今の日本には、戦前に似た有害な空気が流れていて、二つの時代は驚くほど似ている。堕落の予感が柄の悪い愛国主義など悲観的思考を生んでいる。」
今までに、沖縄基地反対基金、戦争法反対シールズデモ、原発反対デモ、安倍晋三糾弾活動などを展開してきたジブリであるが
ファンの間には愛知県に建設予定のジブリパークに変態天皇の展示を期待する声もある。 >>600
二人に集めてきたホタルが死んだシーンと
軍隊に集められた特攻隊が飛んでいくのを見てホタルみたいっていうシーンが
対比になっててあそこは泣けるシーンではなくないか? おばさんの家を出た時に近所の農家のおじさんに
「今すぐ誤って許してもらえ。そして家に住まわせてもらえ」って言われてる。
周りの人たちはしっかりと清太と節子のことを見てるし言ってくれるだけ優しい。 ×今すぐ誤って許してもらえ
〇今すぐ謝って許してもらえ ちょっとした反抗心やちょっとした意固地
ちょっとした過ちがすぐ死とつながってしまう時代だったんだ 空襲の後に学校で乾パンくれたお姉さんに着いて行って西宮に行かずに学校に居たら助かったかな? 常識的に考えたら海軍の巡洋艦の艦長の親族なら海軍の部下が絶対に面倒見ると
これ宮崎駿が言ってるのが有名だしうちの祖父母も当時この映画を見たすぐ後に
「実際はあんな事にはならんよねえ、海軍さんが絶対面倒見よんしゃるよねえ」と言ってたから
当時を知ってる人には当たり前の違和感なんだろうなと思う
ただ清大は感情的になって大人との関係を全て断ち切ってしまって過去関係があった人たちからは行方不明同然となってしまったから
それでも運が良ければと言うか、普通なら当然見つけられて保護されてる筈のところを
たまたま運悪く発見される事も無く妹と二人だけの世界に閉じこもったまま二人とも餓死してしまった
この話ってかなり運の悪い成り行きに転がって行ってしまった顛末なんだと思う 映画見ると清太が感情的になって怒り出すタイミングが自閉症児と同じ。 >>607
西宮の小母さんてのが父親の義理の弟の奥さんの実家のカーチャンなんだろ。
そしてなんで場所知ってるかというと父親と母親とでオジサンの結婚相手の出自や
門地とか調べに来てたからなんでしょ。家族自体ズレてる人たちなんじゃないだろうか。 岡田心中説がでたあとで、あらためて見直すと、
横穴へ持ち込んだ、お母さんの遺骨(骨壺)が光ってるシーンは、なにを意味してると思いますか? お母さんの遺骨は放置して
妹をサクマドロップに入れて
持ってたんやろ ジブリの教科書より
高畑勲
60p
戦争でなくてもいい、もし大災害が襲いかかり、相互扶助や協調に向かわせる理念もないまま、この社会のタガが外れてしまったら、
裸同然の人間関係のなかで終戦直後以上に人は人に対し狼となるにちがいない。 節子焼いてから駅で死ぬまでどないして生きてたんやろ
一人なら身軽だからむしろ今までよりしのぎやすいんちゃうんかと思ったりもするが 空き巣や畑泥棒みたいな事をして何とか食いつないでたんじゃ無いの
あと駅に浮浪児がたむろしてたのはゴミ漁りでという話を聞いた事がある
それもそんなに上手くは出来なかったんでしょう
そういうやり方でつぶしが効くようなら端っこさがあったら節子死なせたりしていないよ 宮崎駿のコメント
「『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
(中略)
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。
それは戦争の本質をごまかしている。
それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、
自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。 (以下略)」 >>624
まぁ設定に無理はあっても、実際に戦後浮浪児たちがいて自殺餓死病死してたのは事実だから良いんでない?w あれ現代人に怠けていたらああなるでって警鐘を鳴らしていた作品だからな >>42
一番貧しいのはお前だと思う
何が貧しいのかは自分で考えな >>624
それは宮崎駿と同世代のうちの母親も言ってたからあの世代にとっては当たり前の違和感なんだろうけど
一つ不思議なのはそんな事は重々承知してる筈の野坂昭如が何故そういう設定にしたかなんだよな
そんな違和感を持つ人が今より段違いに多い時代に發表した作品で敢えてそんな設定にわざわざしたのは
何か狙いがあると思うんだが 野坂は火垂るの墓を彼にとってのファンタジーとして書いたんだよ。
野坂も高畑も蛍は心中ものだっていってるし。
野坂の、現実には妹をひとり餓死させながら自分は死ねずむざむざ生き残った罪悪感を、自らのファンタジーの中では妹・節子と一緒に自分の分身である兄・清太を殺す事で無念を昇華したかった。いや簡単に言葉には出来ないだろうが恐らく野坂にとってそれは妹に掛けられた呪いでもあっただろう。そういう極私小説なわけ。
そしてハヤオが指摘している事は、兄妹が自ら大人の庇護から逃げた駆け落ちとして描いていた事により無効化している。
その事にあのハヤオが気づかなかったとは思えないから感情的イチャモンだとおれは思ってるけど。
実際トトロ製作中既にハヤオは、トトロみたいな呑気なものを作ってる場合じゃない!と、蛍の内容に激しい嫉妬を見せていたのは鈴木らの証言にある。
たぶんハヤオは完成映画を見てさらに激しい嫉妬と批評精神を刺激されてそんな事を口走ったんじゃないかな。 あーあれは駆け落ちなのかー
なるほどねー
2人が心中する前に駆け落ち表現してたんだ
普通分からんよねー ただでさえ高畑勲の演出は控え目で自然すぎて分かりにくいが、火垂るの墓は観るのに体力いるからなかなか何度も観て確かめようとは思わない。
一回みたくらいじゃわからない所は沢山あると思う。 >>629
他のスレでも見たけどこれ凄いよね。勲と駿の絆だよ。 絆じゃねーだろうよ
潰し合いだろ
俺の表現の方が上だって言いたいんでしょ もしお互いになにを描いてるか知ってわざとやってたらね。その辺の事実は知らん。 ジブリの教科書よりp228
蛍の墓 解題
前半省略
さて、改めて、映画館で併映された『火垂る』と『トトロ』の関係を確認しておく。『トトロ』 の表現の一つ一つに『火垂る』の中の表現が対置される仕掛けとなっていて、 それは 『トトロ」
における「ファンタジー」をことごとく潰していっているように見える。そのことが一番はっき りわかるのが『トトロ』解題で触れた、『トトロ』においてススワタリをメイが掌の中で潰すと ススだけが残るくだりと、『火垂る』における節子が捕えた蛍を掌の中で誤って潰すくだりの対 比だ。二人の妹の掌の中の「死骸の有無」が二つの映画の表現のあり方を決定付けている、とぼ くは感じる
しかし、それでは高畑は二人三脚的な関係から一人立ち。を始めた宮崎への問いかけとし て、何故、そのような表現を試みたのだろうか。 そこにはに先達としての高畑が後進としての宮崎に与えた試練に留まらない、この国の戦後 のサブカルチャーの歴史とも関わる大切な問題がある、とぼくには思える トトロの同時上映が火垂るの墓だったな
当時小学生でリアルタイムで観たが、休憩挟んでトトロの数分後にアレはなかなかパンチあった
でも年齢関係なく観なきゃダメだ 火垂るの墓、冒頭で母親がバケツで火を消火しようとするシーンってありませんでしたっけ?
地域のみんなでバケツリレーの練習してたような台詞と一緒に。 >>639
逆ならまだ見終わった後の気分が違うけど、トトロが先でそのあと火垂るの墓は辛いな 火垂るの後にトトロ見るのも気持ちの切り替えが大変だったぞ 節子に似た娘がいるのだが、歳も同じくらい
見てられない…
あまりにも辛すぎる… おいおい現実の実の娘だろ?悔いなく思いっきり愛してやれよ
あっという間に大きくなって後悔するなよ >>630
発表された当時は誰が読んでも明らかに違和感あったから「そういうものだ」で
逆にスルーされてたんじゃないの
文学作品であって歴史の教科書じゃないから 高校生の時この映画を映画館で見に行った時、自分は涙が出てきたのですが、つれは平然としていて驚いたのを思い出します >>630
上の方で母ちゃんがお妾さん設定だった説のコメ見かけたけど
確かに妾の子なら色々な事に筋が通ると思った 道徳観のないサイコ糞ガキは火垂るの墓を見るべきだと言うと
こんなん言ってくる爺さんがいるんだが何だ?意味わからん
>火垂るの墓とか、クッソアカやんけw
>お前アカの工作員かw 兄が畑泥棒をして逮捕された時、釈放された兄を見た節子が
「どこ痛いのん?いかんねえ。お医者さん呼んで注射してもらわな」
と言って兄がハッとするシーンがあるんですが、なぜですか?
あんだけボコボコにされてるのにどこが痛いのかわからないというのはないですよね
栄養失調で視力が落ちていた? 何度見てもおばさんが米なしの味噌汁を注いでくるシーン酷い
僕が持ってきた梅干しないんですか?
そんなものとっくに無くなりましたよ!
も酷い…酷すぎる ドラマ版も見たけどおばさんがエグくて…
空襲泥棒で捕まった時におばさんが迎えに来るんだけど、清太が謝ろうとしたら「謝ってもらっても困る。あんた達に食べさせるお米はないの。例えあっても一粒でも自分の子どもに食べさせたい」つてはっきり拒絶→餓死
この流れ残酷だよね〜
おばさんは母親としては正しいけど清太からすれば死刑宣告よ おばさんの対応見るために映画版も見るつもり。
叔母さんの対応が兄妹の生死を決めてる
アニメ→戻ればワンチャン置いてもらえたかも
ドラマ版→おばさん完全拒否 NHK BS1 9月20日 1:15〜1:40
四国地方推し! @okayama「高畑 勲〜日常へのまなざし〜」 原作読めよ 新潮本で 火垂るの墓とアメリカひじきってのも読めよ。二つの話が対だよ。
戦災孤児が死んでも生き抜いても結局はって話な。 >>624
宮崎駿の嫉妬やな。いい作品作ったことに対して批判したくなるんだよな NHK総合 明日12/12 5:40〜5:50
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 野坂昭如(作家)」 火垂るの墓は、今までに無いエロアニメですよね。
高畑勲監督恐るべし!
節子は、ある意味魔女的存在ですよね。
そして、兄は糞ニート。
映画の中でちゃんと二人のセックスシーンと言うべき場面が描かれているのには、驚きましたね。
貫通シーンと同時にフェラシーンが有りましたね。
分かるとは思いますが、節子が針仕事をしていて、指を刺すシーンが貫通、その後指から流れる血を吸うところがフェラシーンを表しています。
また、映画の後半に裸の節子がシーツをマントの様に翻して走る回想シーンは、節子が魔女の様に描かれて居ましたからね。
その他、台詞の端々にとてつもない台詞が織り込まれています。
リアリズムと、幻想的なシーンを織り交ぜ、今までに無い最高のエロアニメとして作られています。 >>624
当時のエリート一家の奥さまが肺か胸を患ってるなら
お付きの人がいるはずなんだけどそういう人いなかったし
清太もエリートの家の長男の教育受けてる様子も考え方も振る舞いはまったく見られない
あの母親って3号さんか4号さんくらいの地位として描かれてると思うけど
そういう人にも援助ってあるの? 北海道函館市のタイガーマスクさん桶作孝次様は日本地図書くの上手すぎる事で有名な大天才
函館オーシャンスタジアム高校野球ファン一同 火垂るの墓は、「反戦」映画でもなく、「お涙頂戴」映画でもない。
これを見て、涙が止まらないとか、何度見ても泣けるとか言ってる奴は本当に見るべき
ところ(原作者や映画監督の意図)が見えていない。
この物語の真の意図するところは、「社会のレール(ルール)から外れては生きてはい
けない(まして、子供なら尚更)」という残酷ながらも歴然たる事実を表現しているの
だよ。どんなに本人達に信念があろうとも精神論だけでは生きていけないというメッセ
ージがまさにエンディングの部分。
これを読み解くヒントは、映画の中の随所に描かれている。
まず、清太は親戚のおばさんの家での態度が悪過ぎる。節子の面倒を見なければいけな
いというのは分かるが、せめて「何かお手伝いできることはありませんか?」とか、節
子を一時的におばさんに預かってもらい、勤労動員に赴き僅かながらに金や食料をおば
さんの家に供給することくらいは出来たはずだ。しかし、実際は謙虚な言葉は一切なく、
毎日遊び惚けて、挙句におばさんの小言に不機嫌そうな(不満そうな)顔をするだけ。
そりゃ、おばさんも怒るわ(笑)
飯を別々にしようという話になったときも、おばさんの娘が、「お母ちゃん、またキツイ
こと言うたんちゃうの?」と突っ込むも、おばさんは「せやけど、ごめんなさいの一言も
のうて七輪から何から買うてきてからに、まるで当てつけやん!」と発している。
これは文字通り、おばさんは「ごめんなさい」とちゃんと謝って、言動や態度を改めれば
飯を食わさんつもりではなかったということ。実際、作中でおばさんは直接的には出てい
けとは言っていない。飯が食えなくなったのは、100%、清太の態度のせい。
また、おばさんは清太達が出ていくことになったシーンでも引き止めこそしないものの、
家に入る直前に心配そうな顔で二人が去っていくのを見つめている。これはどう見ても、
二人が出ていってせいせいしたという意味ではなく、子供二人では生きていけないことを
知っているため、心が少し痛んでいるという意味だろう。(だからといって、引き止めて
まで面倒を見る気はないという意味もあるが・・・)
また、おばさんの家を出て行った後、農家のおじさんに食料を分けてほしいと頼みに行く
シーンがあるが、ここが一番重要。ここでおじさんが、「今は何でもかんでも配給やし、
となり組に入っとらんと暮らしてはいけん」と最大のヒントをくれる。このシーンの直前、
近所の子供達が留守中の穴蔵を見に来て、蛙の干物を見て、「えらいもん食うとるなー」
と言うシーンがある。農家のおじさんに頼みに行く時点で既に窮乏を極めていたのだ。 それでも、自分達の現状を直視できない清太。
農家のおじさんに食料を分けてもらうのを断られた後は、とうとう畑泥棒を働く。
夜中に畑泥棒をしているところをみつかり、ボコボコにされて警察に突き出され、釈放された後
は節子の前で号泣するも、それでも反省の色はなし。畑泥棒の次は火事場泥棒。空襲で焼けた町
で、人々が逃げ回っている隙に食べ物を盗み食いし、着物等を盗み出す始末。さらには、空襲の
真っ最中に、「やれやれ、うえーい!」などと叫びながらテンションMAX。
このシーンの清太は狂気と呼ぶ以外にない。
その後、節子の容態が急激に悪化し、医者に診てもらうも「滋養を付けるしかない」とバッサリ。
最後の切り札であるお母さんの貯金を下ろしに行くが、そのときになって、既に戦争が終わって
いたことを知る。終戦後、何日経過していたかは明らかでないが、周りの大人の雰囲気からは、
一週間程度は経っていたのではないかと思われる。(このシーンは、社会のコミュニティから外
れると、致命的な情報不足に陥るというメッセージが込められている。)
お母さんの貯金で買った食料を持って節子のもとに戻るも、既に手遅れ。スイカを一口食べさせ
ただけで、そのまま節子は息を引き取る。どうして、お母さんの貯金をもう少し早く下ろして飯
を食わせなかったのか? まだ14歳の清太には小さな子供が餓死するタイミングを見定めること
が出来なかったのだろう。信念だけでは生きていけないというメッセージはこういうところから
も垣間見れる。もっとも、いずれにしても、清太一人さえも最終的に餓死することからも、二人
の死は避けられなかった。しかし、作中に描かれているのは、ほとんどが清太の身勝手で愚かな
行為ばかり。
このような本作が、「反戦」映画や「お涙頂戴」映画なわけはない。冒頭で述べた通り、
「社会のレール(ルール)から外れては生きてはいけない(まして、子供なら尚更)」という残酷
ながらも歴然たる事実を表現しているのだ。そして、それは現代にも当てはまることを受け止めね
ばならない。ニート、ネットカフェ難民、年金未払い、生活保護、これらに当てはまる人々は社会
保障が消えた瞬間に清太と節子と同じ末路を辿るだろう。 >>624
単純に、原作の設計ミスじゃないのかな。実話ベースだったら不味いだろうけど。
清太の人格形成のために、士官の息子にしたのはちょっとまずかったのかもね。 >>665
てか節子死んでからエッチなことしてね? 宮崎
『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
まず、幽霊は死んだ時の姿で出てくると思いますから、ガリガリに痩せておなかが減った状態で出てくる。
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。 それは戦争の本質をごまかしている。それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスのエリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
……それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。
戦争というのは、そういうかたちで出てくるものだと僕は思いますけどね。
だから、弾が当たって死ぬのもいるけれど、結局死ぬのは貧乏人が死ぬんですよ。
稲葉振一郎「ナウシカ解読」 インタビュー
http://kazesoku.com/archives/5610
http://mangadojyo.doorblog.jp/ar てか昭和30年代40年代は少々現実と違う事書いても「小説だから」で済んでたけどな
特に火垂るの墓が書かれた当時は海軍さんの子供が飢え死にするわけ無いのは皆知ってたんで
そこは承知のうえで「小説だから」で済んでた
これがあれが現実と違うなんて無粋な事を叫ぶ人なんか出て来なかったもんだ なんか、このスレの連中って、自分が見て経験したような書きぶりだね。
>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」
とか、戦争を知らない世代が、一体何を知ってて何を見たというんだい?
そして、どうして何も知らないはずの世代が、いろんなことを断言してしまう
のかがよく分からないね。この物語の本質は、社会のレールから外れてしまう
とどうなるかってところにあるんだよ。 >>676
もちろん、子供の頃はいろんな話を聞かされたもんだ。
昔は警察もヤバかったそうだな。闇米が当たり前に流通してる状態だった頃、警察が一般
市民に執拗な職務質問をしては、闇米を「違法」だからという理由で没収し、自分達で食
っていたという話を聞いたことがある。これは、俺のじいちゃん、ばあちゃんの体験談だ
から嘘ではなかろう。でも、俺はそんな話をまるで自分が体験したことかのように他人に
断言口調で語ったりはしない。
海軍さんのエリートも然り。そりゃ、生きてたら特権階級の生活が保障されてたかも知れ
ないけど、物語上はとっくに連合艦隊が撃沈して、おそらく清太の父親もとっくに死んで
いたものと思われる(物語が始まった時点で、とっくに死んでいただろう)。
そして、実家まで丸焼けになって、焼け出されで乞食同然になった幼い兄弟(第三者から
は、この兄弟も生死不明扱いになっているはず)を、大掛かりな捜索までして保護すると
は思えないな。現代の科学技術を以ってしても、行方不明者を捜索するのは依然として容
易なことではない。
だから、清太と節子が生死不明(空襲の状況から生存可能性は絶望的)と判断されたら、
いくら親が偉いさんであっても、放置される可能性はある。
当時は今とは比較にならないくらい科学技術が低いし、資源もない。戦争の大混乱の中、
空襲の直撃を受けて行方不明になってる奴にいつまでも構ってられるとは思えんね。
これが俺の考えだが、キミ達はそれでも「海軍さんのエリートの子供だけは違うんだ!」
と熱弁を奮うのかね? 何を根拠に? キミ達が当時の何を知ってる? 小学生の頃にテレビで放送されているのを観て、包帯に巻かれた母親のシーンと、節子の火葬シーンで、少し気分が悪くなったのを覚えている
大人になってもう一度みたら涙が止まらなかった >>678
>>669-670を読んでくれ。その後にもう一度感想を聞かせてほしいな。 >>677
うちの母親は全くただの一般庶民だが映画を見てポロポロ涙を流した後で
「でもまあ海軍のお偉いさんの子供なら部下が絶対探し出して面倒見るけどね」と言っていた
昭和13年生まれだから宮崎駿とだいたい同世代と言って良いと思うが
別に宮崎駿が物識りだから「こんな筈は無い」と言ったわけでは無く
当時のだいたいの人はそういう事は了解のうえで原作を読んでいた事の証明では無いかね 母親自身の意見じゃねえだろ
どこかで有名な説を見聞きしたとみた >>680
昭和13年生まれだと、終戦の時点で7歳じゃん。まだ、物心が付き始めた
くらいの年齢じゃん。その年齢で、海軍さんの息子は違うなんて認識できる
のかね?
俺は、>>677に同意だな。
今の時代でも人探しは困難なのに、戦死した人の子供を「絶対に」探し出す
なんてことが本当に可能なのかね? >>683
旧軍人の絆は終戦でいきなり終わったのでは無く終戦後も元上官の残された家族を援助したりするのが普通に行われていたんだよ
そういう事が身近に普通にあった時代だよ
うちの母親が高校生の時には孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰還して来て引き取られていった
7才で戦争が終わったらいきなり現代になったわけでは無いんだよ
そうして育った昭和30年代40年代の大人はおしなべて”海軍のお偉いさんの孤児なら部下が面倒を見る”って認識を持ってたって話をしている
そういう認識を持ってたって事に何か疑問を持つ根拠は何かあるのかな
そういう認識を持っていても野坂昭如の火垂るの墓は小説として「こんなのはおかしい」なんて野暮な事は言わず
小説だから少々実際と違う事があるなど承知のうえで読んでいたっていう話なんだが
そんなに分かりづらい事かね
重ねて言うが疑問を持つならその信じられないという根拠を言って欲しいものだね
信じられないから信じられないじゃ話にならない >>684
話にならないのは、お前さんの方だよ。
そもそも俺も、>>677も、特権階級が存在していたこと自体は否定していない。
火垂るの墓のストーリーは、元の実家とその周囲が焼け野原にされ、そこにいた
住民の安否を正確に確認できる状況にない。清太も節子も安否不明の行方不明状
態だと言ってるんだよ。そして、この二人が戦禍の中で生きていたのは時間軸で
はほんの1〜2ヶ月程度だ。
今現代でも行方不明者の居場所を特定して保護するのは困難なのに、当時の捜査
能力で「絶対に」探し出すことなど現実的でないという話をしているんだよ。
あと、お前さんの例え話は、今の話題の例えになっていない。
>「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰
還して来て引き取られていった」
↑ これは、その子の父親が生きているから成立する話じゃないか。そして、そ
の子は自分の力だけで生きていけないから孤児院に入っていたんだろう。火垂る
の墓とは全く対照的な状況じゃん。そして、極め付けは・・・
>「昭和30年代40年代の大人はおしなべて”海軍のお偉いさんの孤児なら部下が
面倒を見る”って認識を持ってたって話をしている」
↑ 俺も、>>677も、この認識を疑うような発言はしていない。生死不明の行方
不明者を「絶対に」探し出して保護するというのは現実的じゃないという話をして
いる。要するに「絶対」という言葉は、言葉が過ぎると言ってるだけ。 >>685
安否不明の状況になんか無いよ
叔母さんの家に引き取られてそこから学校に通ってるんだから
そして叔母さんの家に居る間に海軍の方から誰も来ないのがおかしいんだよ >>684
ついでだから、最後まで突っ込みを入れさせてもらうよ。
お前さんは、
>「そういう認識を持ってたって事に何か疑問を持つ根拠は何かあるのかな」
>「重ねて言うが疑問を持つならその信じられないという根拠を言って欲しいものだね」
などと言っているが、俺の方こそ重ねて言おう。俺達は当時の人々の「認識」自体に何の
疑問も持っていない。ただただ、行方不明者を「絶対に」見つけ出して保護するなど現代
科学をもってしても不可能だと言ってるだけ。(当時なら、更に精度は低い)
そもそも、宮崎駿の発言自体が軽率なんだけどね。この人は巨匠中の巨匠だから、一般人
が何か疑問を持っても、宮崎駿がおかしいことを言うはずがないと盲目的に信じてしまう。
しかし、社会政策や個人の保護うんたらに、「絶対」なんて言葉を遣ってしまうあたりが
ナンセンス。絶対という言葉は、「100%」という意味だよ?
一人の例外もないという意味になってしまうわけだが、そんなことをどうやって証明する
の? 証明不可能なことに「絶対」などという言葉を当ててしまうところに疑問を持って
いるんだよ。 >>685
あと
>「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰
>還して来て引き取られていった」
という話は>>683が7才で戦争が終わってるのに認識できるのかという主張に対して
終戦後も戦後は長く続いたんだという実態を話したものだよ >>687
絶対に起こりえないとは言えないから何だと言うんだ
通常起こり得ない事が起こってるのに何故起こったかという理由は野坂の本には書かれていないよ
理由も無いのに起こったのは何故だなんて小説に詮索するのはナンセンスだから誰も言わないってだけの話だよ
起こり得ない話だが小説だから別にいいよと読まれるのは何か悪い事なのかね
もしかしたら実際にあったかも知れないと思えないとお前さんにとってこの小説の価値は無くなるのかね >>686
反応が早いな(笑) >>687の書き込みは、>>686を確認する前に発信してしまった。
火垂るの墓の状況は、第三者目線では安否不明の行方不明者だよ。
映画の作中では、「親戚のおばさん」としか表現されていないが、このおばさんは血
の繋がった親戚ではないよ? 確か、清太の父親とこのおばさんの旦那さんが従兄弟
同士という設定だったはずだ。清太の父親が死に、このおばさんの旦那も死んだなら、
このおばさんと清太達を繋ぐ姻戚関係はもはやない。
映画では、明確に描かれていないが、「みなしご二人預かったっって、そう言われた
ら世話ないわ」というセリフがある。このセリフからも、血の繋がりがないことが窺
われる。(血が繋がってたら、いくら憎くても「みなしご」とは言わんだろう)
だから、第三者目線でそんなに分かりやすい親戚関係ではないし、清田達は正規の届
け出などしていないだろう。何より、清太は学校に通っていない!(笑)
>>688
また、ちょこちょこ書き込みしてるな。しかし、そんな反論をしても無意味。
全く状況が異なることを事例として掲げている時点で的外れだし、今一度言うが、俺
の論旨は、当時の人々の認識自体に疑問を持っているわけではない。
お前のお母さんの知り合いで、そういう実例があったところで、それを紹介しても今
の話の骨格には何の意味もない。
>>689
もっと、冷静になってから書き込みすれば? もう、耳まで真っ赤になってるのが容
易に想像できるwww
だから、宮崎駿の「絶対」という言い方がおかしくて、それに影響されて、戦争を知
らない世代の人間達が、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてことを
断言口調で熱弁を奮ってる行為が滑稽極まりないと言ってるだけだよ。 >>690
君はどうもさっぱり分かって無いな
>清太は学校に通っていない!(笑)
いや、清大は学校に行くのをやめたんだが
学校に行かないと清大が言ったからと学校の手続きもしないわけが無いだろうよ
そして手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い
>そんな反論をしても無意味。
重ねて言うが7才で終戦なのになんで認識出来るという疑問に対し終戦後も戦後は続いたという話をしている
それが何故無意味か君の文章には何も書かれていない
>宮崎駿の「絶対」という言い方がおかしくて、それに影響されて、戦争を知
>らない世代の人間達が、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてことを
言ったのは母親で戦争を経験した世代だが
君は当時の経験も無いのに当時の経験をした人間の言葉を否定するのはおかしいな
何も知らないで顔真っ赤にして熱弁しようとしてるのはどちらでしょうね
やはり話にならない >>691
感情任せで書き込みするのは、そろそろ止めた方がいいんじゃない?w
>「いや、清大は学校に行くのをやめたんだが
学校に行かないと清大が言ったからと学校の手続きもしないわけが無いだろうよ
そして手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い」
これはお前さんの想像だ。作中で清太は、「動員行っとったコウベセイコウは爆
撃でメチャクチャやし、学校も焼けてしもて、行ってもしょーがないんです。」
と発言している。つまり、学校はもう機能していないということ。
そんな状況で、「手続きもしないわけが無いだろうよ」なんて発想がナンセンス。
そして、「手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い」とか言っ
てるけど、おばさんが最初に学校のことを訊ねたときに初めて清太が上記の状況を
説明した。それ以来、学校の話は出ていない。だから、「手続きもしないで学校に
行かないのを嫌味を言うわけも無い」というセリフは的外れ。
>「重ねて言うが7才で終戦なのになんで認識出来るという疑問に対し終戦後も戦後
は続いたという話をしているそれが何故無意味か君の文章には何も書かれていない」
まぁ、7歳時点だけの認識ではなかったという点は認めよう。しかし、お前さんのお母
さん個人の実体験だけで、
「でもまあ海軍のお偉いさんの子供なら部下が絶対探し出して面倒見るけどね」なんて
断言はできない。別に、お前のお母さんを否定するわけではないが、まだ年端もいかぬ
少女時代だったろうし、世の中全体を見渡せる立場でもないだろう。
そして、お前のお母さんの体験談である、「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に
抑留されていた父親がようやく帰還して来て引き取られていった」という話は、火垂る
の墓の状況と全然違うんだから、話の例として成立していない。
しかも、火垂るの墓は終戦直後に清太と節子が餓死した話。お前のお母さんが7歳のと
きに終戦を迎え、高校生のときに旧友がお父さんに引き取られていったという話とが何
の関係があるんだ? たまたま、その旧友のお父さんが無事でよかったねというだけの
話にしかならないんじゃないか?
>「君は当時の経験も無いのに当時の経験をした人間の言葉を否定するのはおかしいな」
こう書いてあるが、否定など何もしていないよ? どこに否定するようなことを俺が言った?
火垂るの墓と状況が全然違うから比較対象にならないという主旨のことを言っただけだが?
>「何も知らないで顔真っ赤にして熱弁しようとしてるのはどちらでしょうね」
紛れもなく、あなたです(笑) まぁ、話を要約すると、宮崎駿にしても、お前のお母さんにしても、
軽率に「絶対」という言葉を遣ってしまった点がよくない。
この意味においては、お前のお母さんの発言を否定していると言えなく
もないが、自身の体験だけならともかく、社会全体のことを「絶対」と
表現することはどんな時代背景であっても成立しない。(一人の例外も
ないことを証明することなど不可能なのだから・・・)
また、お前のお母さんの旧友の経験を事例として紹介してるけど、話の
骨格である「火垂るの墓」とは状況が違い過ぎる。だから、今の議論で
は何の関係もない。だから、無意味と言っただけ。
結論として、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてこと
は誰にも断言はできないということ。そのため、火垂るの墓が必ずしも
現実離れしてるとは限らないということ。
付随して言えば、俺自身は当時のことを能動的には何らの自己主張もし
ていない。むしろ、何も知らないのに、当時のことを断定口調で発言す
る輩に注意喚起をしてるだけ。 >>692
さて、どうも君は最初から何の理由も書いて無いが
まず海軍の偉い人の子供が被災してるのに何故海軍の同期や部下はどこに行ったか探し出せないのかね
清大の母は誰とも交流が無かったと?
そして当時の警察が管轄に居住する人を把握して無いと考えるのは何故かね
見慣れない者が歩いているだけでとりあえず引き止めて職務質問するような時代なんだが?
また引き取った叔母さんは何故清大の学校の手続きもしないのかね
ちゃんとした息子や娘も居る人が何故そんな世間体の悪い事をしたのかね
絶対は無いと言うが無いのならどういう理由でそんな非常事態が起こるのかね
そして現代でも行方不明はなかなか見つからないから当時はなおさらと言うが
君は当時の事は何も知らず断定してるよね ほたるのの墓のは二人の心中物語であるということ
冒頭の一分にこの話全て入っています。
一番初めは僕は死んだから始まって
自分を見ている、自分が死んじゃって、駅員さんがドロップの缶放り投げたら
その中から節子の骨が出てくる、
最初に出てくるのは節子の亡霊
節子は死んだ兄ちゃんを見ている(お兄ちゃんが本当に死んでくれるのか見張っている)
死んだに兄ちゃんのところに行こうと何歩か踏み出そうとすると(死んだかどうか確認しようとする)
後ろから呼び止められて、振り返るとお兄ちゃんがわらっていて
安心して節子は画面の左に抜けて、タイトルバック
どういう意味かと言うと
本当は節子の遺骨を捨ててくれば、取り殺される事もなかったはずだけど
ついつい自分の言うとうりに美しく死んでくれて、一瞬生への欲望が出たんだけど
結局、節子の遺骨を持ち続けてしまったが為に呪われたように、恵んでくれたお握りを食べることもなく衰弱して死んでいった
それをずーーーーと待ち続けていた節子はようやっと走っていこうとしたら、大丈夫僕はここにいるよ、二人はずっと一緒だねと言っているのを
映画の冒頭に見せている。だからわかるはずでしょって監督は言うけど
心中物は死を美しく描く事が目的
高畑勲が描きたかった事は、美しい死の輝き、死は美しいと言う文芸でしかいえないこと
蛍と同じ、命が限られていて今死ぬから精一杯生きる、翌朝には死骸で転がっている、そのはかなさこそが美しい(全ての場面で滅びるさまは美しいでしょと言っている)
でも普通の人は、悲しい話だから犯人探しをしてしまう(永遠に論争してしまう) >>694
これ以上の恥の上塗りは止めておいた方がいいんじゃない?
お前は俺の言うことに「理由がない」と言ってるが、俺自身はそもそも当時の時代背景に対して
何らの自己主張もしていないと結論として書いてるじゃないか。俺の論旨は、「絶対」という
ような断言口調でモノを言うべきじゃないということ。この論旨に何の理由を求めてるんだ?
そして、お前は得意気に、これは何故だ、これは何故だと問い掛けているが、滑稽極まりない。
現代人に、そんな理由など断定できないということこそが俺の論旨なのだから。
最後に、行方不明者の捜索が現代よりも当時の方が精度が低いであろうことは、文明の進化、
捜査ノウハウの蓄積を考えれば、戦時中の混乱の渦中よりも現代の方が優れているであろうこ
とは自明の理。
そんなことにも理由を求めないと生きていけないのか、お前は? >>695
あんた、誰か知らんけど、改行も句読点も無茶苦茶だし、
誤字脱字も多過ぎる。日本人か?
一応、あんたの主張にも返事を返そう。
あんたの論旨は分かるけど、「心中物語」と断言するのは
ちょっと苦しい。「心中」ってのは少なくとも一人は自ら
死ぬことを望んでいることだからね。
死んだ後の節子が、早くお兄ちゃんにも来てほしいと願っ
ていたという考えはあってもいいかも知れんけど、それを
「取り殺された」と表現するのは乱暴過ぎやしないか?
この物語が、死を美しく描こうとしているのは同意。
一瞬の生の輝きと死の儚さを蛍のごとく描いているのはタ
イトルからも明らか。これが戦時中の悲劇であることを強
調するために、「火垂る」という当て字で表現しているこ
とも明らか。
でも、「心中」とはちょっと違うと思う。 >>696
つまり理由は分からないが絶対は無いと言った次には
当時の事は知らないが現在より探す事は困難に決まってると言うわけか
どうも空っぽなうえに支離滅裂だな
証明を必要としない楽な論陣を張ろうとしているそばから自分の言葉で破綻してるのはちと恥ずかしくないか
そんな事をさせる為に野坂も高畑も作品作ったわけじゃ無かろうに 父親、昭和11年の観艦式の時大尉なのに、摩耶沈没の昭和19年に艦長職の大佐と言うのは進級早すぎ
そもそも作中に艦長してることが言われてないだろ >>698
楽な表現(俺としては、無難な表現と言ってもらいたいが…)をしていると言われれば、その
通りだが、一体何が支離滅裂なのかね?
俺の主張の何がどういう意味で支離滅裂なのか、君の大好きな「理由」を説明してみたまえ。
ついでに付言するが、世の中ってのは分からないことの方が圧倒的に多いんだよ?
お前のように、何にでも「理由」を求めるタイプの人間は、客観的な論理よりも自分が納得
できるかどうかで理由を判断してる場合が多い。
つまり、お前が「理由」だと思い込んでいるものは、お前の思い込みに過ぎない可能性が高い
ということ。
「無知の知」を自覚することがモノを学ぶ第一歩だ。無知の知を自覚している人間は、「理由が」、
「理由が」、って言わないんだよ。
どれだけ恥ずかしいことを喚いているか、胸を手を当てて考えてみることだな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています