【沖浦監督】ももへの手紙【作画】 5通目
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2012年4月21より全国公開 絶賛上映中
公開終了前に早く観に行こう!
◇公式サイト
http://momo-letter.jp/
◇ストーリー
“ももへ”その一言だけを手紙に遺して、亡くなったお父さん。
お母さんとふたり、東京から瀬戸内海の田舎に引っ越してきた少女もも。
辿り着いた汐島は、昔ながらの家々と自然に囲まれたどこか幻想的な町。
なじめない新しい生活に、ぽっかり穴の開いたももの心。
「お父さん、本当はなんて書きたかったの・・・?」
ある日ももは、屋根裏で一冊の古めかしい本を見つける。
その日から、ももの周りで不思議なことが起こり始めるのだった――。
◇スタッフ
監督・脚本・絵コンテ:沖浦啓之
作画監督:安藤雅司
作画:井上俊之、井上 鋭、本田 雄、西尾鉄也、青山浩行
美術監督:大野広司
◇主題歌
『ウルワシマホロバ 〜美しき場所〜』 原由子(サザンオールスターズ)
前スレ
【沖浦監督】ももへの手紙【作画】 4通目
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/animovie/1337048020/ つまんねー奴だなぁ
ただ否定するだけなら小学生でも出来る >>661
レイアウトや作画は凄いが総合的に観た時に華がないって言ってる様に感じるかな
個人的にアニメーションには誤魔化しや目を引く過剰な演出は必要不可欠だと思ってる
リアルにすれば良いってだけじゃないもの…
色彩捨ててなければまた印象変わってたかもしれないのが勿体ない まあこれは押井的な方法論で宮崎映画作っちゃったってヘンテコな映画だからね
押井みたいな作風なら過剰な演出とか要らんよ
押井は押井で色んな工夫凝らしてる監督だけど
見守り組みはあえてファンタジーにしすぎず、つかず離れずの距離感にしたって言ってたし
そういう試み自体はアリだけどそれを可能にする工夫がないんだよね
そのせいでただ単に魅力のないつまんないキャラになってるし
宮崎映画みたいに飛ばせたり空を沢山映すとかってのもあえて抑えたとか言ってたけど
一方を地味にするならどこかを派手にしないと映画としてはね
ひたすら地味な方向へ、かと言って押井映画のような映画の空気感で語るような話でも題材でもない
リアル系アニメーターの悪い癖だね
電脳コイルの磯光雄は頑張ってたのにね。あれも企画書段階ではキャラクターはもっと気持ち悪くて
暗い作風だったけど完成品は結構キャッチーなデザインに仕上げてたし
当人からは想像出来ないお涙頂戴な展開も入れてたし
そもそも「自分には藤子的居候キャラは描けない」という自覚が磯にあったからああいう世界観にしたらしいし
沖浦も明らかにソッチ方面の素養はないのに、無理してやっちゃった >>日本にはなぜピクサーのような制作体制が馴染まないのか、これは不思議
ラセターが乗り込むまでのディズニーの迷走とか見るにあれは合議制による
集知による製作ではなく、ラセターなりによる管理製作システムなんじゃないのという、
ならラセターがいないと成立しないシステム。 監督個人の批判になるから、あんまいいたくなかったけど、
つまるところ、この監督の絵は表層的でちっとも本質的な部分を捕らえてないんだよ
絵描きにはさ、「絵を描く」必要性から物事を具体的に捕らえようとする傾向があって、
有名な画家にもなると超絶的に細部まで突き詰めないと気が済まない天才肌の人間が少なくない。
古くはレオナルドダビンチ、パヤオもそうだな
彼らの特徴は、物体の表面だけにとどまらずにその内部構造にまで立ち入って、
その本質を知った上で絵を描こうとする点
だからダビンチは解剖学までやっちまったし、パヤオもとんでもない博学を身につけてしまってる。
特にパヤオのすごいところは、得意とする機械工学や社会学だけでなく、人間の表情や感情の領域まで
踏み込んでるとこだな。だからパヤオのデフォルメには説得力があり、個性もある。
なら、この監督にそうした気質はあるだろうか。少なくとも俺にはそれがないように見えた。
なるほど、言われてみれば確かに絵はきれいだし、写真のように細部まできちんと描かれてる。
でもそれは、ただシャッターを切るだけの写真家のそれなんだよな。
もちろん写真家だって、一流の写真家は物事の本質を描き出す術を心得てるさ。
でもその技術は絵描きと共通するものであって、ただ写真のような緻密な絵を描くこととは本質的にちがうんだよ。
たとえるならパヤオは物事の本質を描き出そうとする絵描きであり、一流の写真家
この監督は単に絵がうまいだけの人
だから、彼に描かれるものは個性が不足し、印象にちっとも残らない。
おそらく本質を捕らえる努力をせず、ただ表層にみえる特徴だけ捉えて平らにならしてるだけだからだ。
これはもものストーリーにも同じ事がいえると思うよ
それゆえオリジナリティがなくて、単調な説明ばっかで、しかもご都合主義の結末になるのだろう
ようは物語の本質であるエモーション「人間の情動」の理解が圧倒的に足りないってことだな いっとくけど、コレ別に難しいこと言ってるわけじゃないんだぜ?
自分がいま見えてる事で満足せず、もう一歩踏み込めよってなレベルの話
他人より一歩踏み込むから新しい発見があり、新しい絵が生まれ、新しい物語が生まれるってだけ
それがなってないだろつーことだn >>671
沖浦が写真家ってとこはいいけど、お前さん宮崎駿に関しては根本的に誤解してるというか
根拠のない盲信をしてしまってるぞ。後学のためにも教えておいてあげるけど
宮崎駿は細部まで突き詰めないと気がすまない天才肌じゃない
それは高畑勲のほう。これはあの二人の関係やエピソードを知ってる人間なら誰でも知ってる
高畑はほんとに頭の良い人で、海外の風景を出すにしてもまず建築から調べるような人で
その高畑の下で三千里やハイジの場面設計をやったからこそ宮崎駿には圧倒的なレイアウト能力がついたわけ
でも宮崎は根本的には快楽主義の人で、そういう下調べや整合性を合わせるのは至極面倒臭いと思ってる人
高畑の博学さや徹底ぶりに比べると、宮崎駿はある程度の取材はするけど最終的には妄想力が勝る人間でそっちのほうを大事にしてる
後年、高畑と宮崎はここで袂を分かつことになるわけだけど
画力にしたって宮崎駿はそこまで高くない。沖浦のほうが遥かに絵が上手い
ただアニメーションのセンスは宮崎のほうがいいだろうな。沖浦や井上俊之等のリアル系作画の連中は
べらぼうに上手いし他の人間には描けないレベルの絵が描けるけど、動きのケレンミが足りないんだよ
例えば走り作画。有名な”宮崎走り”ってのは原画や中割りの枚数の法則が決まってて
脚をピーンとさせて走らせる、動きの快感を重視した手法だけど
沖浦や井上が描くのは電脳コイルでも見られる、千年女優の制作の時に本物の女性を走らせて取材したリアルな走り
重心の移動や髪の毛の揺れ方等ハッキリとした特徴がある
でも、いくらリアルなタイミングでもアニメーションとして気持ちがいいのは宮崎走りなんだよね
千年女優メイキング
http://nicogame.info/watch/sm10610898
宮崎走り
https://www.youtube.com/watch?v=iMWtWCnmH0E
ちなみにもののけや千尋で宮崎の右腕だった安藤雅司は、宮崎の走り作画に疑問を持ってジブリを出て
今敏の下でリアル系作画を学び、もものキャラデザ作監をやったりした
宮崎駿の本質ってのはそういう、整合性よりも自身の快感原則に基づいた法則の無視にあるわけ
だから宮崎映画は宮崎にしか作れない。別になんたら学に沿って正しい知識が〜とかいうわけじゃなく
単にあの人の眼を通した世界を写し取ってるだけだから誰も真似できないわけ でも、沖浦は、日本のアニメ監督で5本の指に入ることは確かだよね。
否定するなら、沖浦より才能のある監督を5人挙げてみよ。 もののけ姫はこうして生まれた アシタカの走りについて
https://www.youtube.com/watch?v=pFTczx-yhjA&feature=youtu.be
これを見ればよくわかる。ほんとは不自然な走り方なんだけど、アシタカの勇ましさを表現するために誇張してる
沖浦や井上は確かにべらぼうに上手いんだけど、芝居に演出意図を感じないんだよね
ももが妖怪から逃げるシーンもイノシシに追いかけられるシーンも一律に「上手い」ってだけ
走り作画自体は滅茶苦茶上手いんだけどね。宮崎駿じゃあれ描けないもん
でも見てて面白い、気持ちがいいのは宮崎走り 5本の指に入るアニメーターだからといって、5本の指に入る監督になれるとは限らない
その生きた見本が沖浦
アニメーターとしても監督としても同じように優秀な人間は5人もいない >>675
井上が宮崎の動きをコピーしようと思えば簡単にできる
ももでは沖浦に合わせて宮崎っぽく動かさなかっただけ
イノシシのシーンを宮崎に任せれば自分でコンテ切り直す
そして、そっちの方がオリジナルより面白い 宮崎はそういう人 沖浦が、日本のアニメ監督で5本の指に入ることを認めた上での批判なら良し。
そうでないなら、ただの妬みやっかみ。 >>678
現実から目を反らすな
ももで使いものにならないことが分かったから干された
沖浦が5本の指に入る監督なら、とっくに次の企画を任されてる
社外から原を招くまでもない 監督未経験の黄瀬に攻殻をやらせるまでもない
沖浦は杉浦漫画の原作をアニメ化する企画を石川に上げてたのに、石川は原に振った ももは海外のナンタラ賞を取りました〜ってネタでなんとか繋いでたけど
まあ次作が作れるほどの評価も支持もないだろうからなぁ
押井でさえ最近の劇場アニメ制作は時間かかりすぎって言ってるのに
平気でその何倍もかけそうなのが沖浦だもんな
そりゃ作らせないでしょ。あのジブリで、高畑でさえそういう制作したかぐやで痛い目見てんだし >>674
沖浦はアニメーターとしてトップクラスだが目を見張るド派手なアクションは描けない飽くまでもリアルよりの人だしな
上手いし正確無比だけどつまらないと感じる人は多いと思うよ
アニメ監督で5本の指に入るとかは意味不明
押井はスカイ・クロラでやらかしてアニメ仕事依頼こないとか言ってたがそらそうだろとしか言えないわ...
大友もスチームがダメで金集められないから短編映画止まり
細田が語ってたがどれだけの高い技術で作品を作ったとしても人に見てももらえない作品とか意味ないからね
商業的に大ヒットさせる事に価値があるとかではなく採算ラインくらいは最低超えられないと干されるだけ
自分の首絞めてるだけだ それが分かってて沖浦がももをやったんなら、5本の指に入る間抜けとしか言えない。
アニメ監督引退記念作品にしたかったのか?
>飽くまでもリアルよりの人
そりゃ違う。あまり知られてないが、実はリアルの他にも引出しを持ってる。
リアルでない作画の依頼がないだけだ。 >>679
スレ違いだけど、IGでテレビ局がついた上で芸能人がメインのキャスティングという点は同じにもかかわらず、
百日紅の公開規模はもものときより少ないし、角川は関わらないんだね。
角川が東急の洋画チェーンを使って300館には近い規模で公開し、
ロケハン地の広島と愛媛では先行公開もして観光客誘致を狙ったけれどその効果も薄い。
角川の一般向け芸能人起用アニメ映画は沖浦が時間かけてる間に細田が複数作品で稼いで、
おおかみ、バケモノと東宝配給にこぎ着けてるからなあ。 原はだめだよ。カッパ、カラフルと客層を絞り込む方向だもの。
百日紅は国内ではアートアニメの枠で売るしかない。で、配給は順当にテアトル。
角川は当面イケイケで量的拡大がテーマになるから原作品なんか買わない。ももで騙されて
痛い目に遭ったのもIGを嫌気する一因だ。 >>684
つか、ももは角川でもアニメ部署ではなく文芸もの映画の管轄だったそうだけど。 >>682
作画の依頼がないのはリアル系以外だといくらでも代わりが効くって事だよ 代わりが利くかどうかと沖浦が持ってる引出しの数の間に何か関係でもあるのか これから使う事がない引き出しとか合っても意味ないよ
沖浦は無駄にリアルな動き以外はベテラン以外でいくらでも代用可能なレベルなんだから… まあ使いにくい原画マンではあるな
あまりに上手すぎるから目茶苦茶浮くし
こないだ放送された攻殻ARISE一巻の格闘シーンとか笑っちゃったよw つまり監督業の未来はないし、特殊技能アニメータとして生きるしか道はないということか >>689
でも上手いだけで大して迫力ないんだよな... >>673
お前こそ天才を誤解してるなw
パヤオが天才に見えないのはお前ら動画オタの評価基準が世間とズレてるからだし
その基準を除けば、お前と俺の考えはなにも矛盾してないだろ
おれは絵には詳しくないが、写実主義がとっくに廃れた過去の遺物なことぐらいは知ってる
その後ピカソやらダリやらの分けわかんねーのがくるんだったよな
つまり歴史的にみれば、この監督の特技は初心者が勉強する類いの時代遅れの技法にすぎないわけだ
その程度の「うまさ」が映画の評価に大きく貢献するわけないだろう
それより父親を失ったももが着る服や髪型やらを物語のテーマにふさわしく、より印象的に
デザインすることに頭使えって感じだ。真っ黒な喪服調にしたり、逆にサイケやクレイジー系にしたりとか。
そういうのが映画監督としての「うまさ」演出家としての「技術」だろ
ようはこの沖浦ってやつの仕事は大事なとこにピントがあってねーんだよ
創作に必要な知識はあっても、本質を見極めようとする姿勢や創作意欲そのものが未熟なんだろう 自分に合った映画を作ってくれないからこの監督はバカだ
まで読みました >>692
評価基準が世間とズレてる?なんのこっちゃ
お前みたいに無知なまま賞賛してるんじゃなくて
個人の技能がどういう資質でどういう研鑽のもと発展していったかちゃんと知ってるだけ
そういうことを知らないから「天才」とかいう抽象的な単語で片付けちゃってるんだろ
で、>>671みたいな頓珍漢なこと書いちゃうわけだ。少しは勉強しろよバカ
ちなみにももの服装に関しちゃ一応服のどこかにピンクを入れるようにしたとか工夫はしてるみたいだけどな
父親との喧嘩による悔恨を隠した構成(良し悪しはともかく)だから、回想で初めて喪服が出てくるってのは一応「演出」
宮崎駿みたいにわっかりやすい作品コントロールだけを「解」とされてもなぁ
ももや妖怪達のキャラクター造型へのアプローチ自体は悪くないと思ってるけど
描き方がヘタクソだなってだけで >>694
あんたは無駄なオタク知識があるだけのタダのど素人じゃないの?
なにをやってきた人間なんだ?関わった有名作品があるなら教えてくれ それを聞くことになんの意味があるのか説明したら教えてやるよ バカが黙ったと思えば今度は仲間割れか
まったく、駄作は駄人を呼ぶもんだ
二人とももっと派手にやれ よくもまあこの特別過ぎる面子集めてここまで地味で何も残らない作品作ったもんだ
これも沖浦の才能なんだろ その才能でカネが儲かるなら何の問題もなかったんだがね・・・ >>694
落ち着けよ動画オタ、お前はパヤオが天才だと親でも殺されるのかよw
つか難しいことを解りやすくするのも監督の仕事だろが
ぶっちゃけ、お前の思考はキレるタイミングも含めてちとヤベーぐらい世間とはズレてんだよ
もっと天才のやる事や言わんとする事に素直に耳を傾けろよ
たとえばな
>父親との喧嘩による悔恨を隠した構成(良し悪しはともかく)だから
これとかは、沖浦やお前の感覚が世間から絶望的にズレてる証拠そのものだ
父親とももの絆を描こうって映画なのに、肝心な父親の情報を観客から隠してどうすんだよ
普通警察に盗難届けを出すときに、自分の名前や盗まれた物が何かを隠したりはしないだろ
おかげで観客は父親がどんな人間で、いつどこでなぜ死んだのかすらよくわからないw
そんな脚本で、どうやって父娘の絆を伝えようってんだよ
これが糞だとなぜ気づかないんだ? 常識以前の問題だろが
ようは沖浦もお前も物語の表面を見てるだけで、内容なんざ少しも理解してないってことだろ
それからな
>宮崎駿みたいにわっかりやすい作品コントロールだけを「解」とされてもなぁ
なぜパヤオがそうするのか。その答えは観客にお前みたいな底なしのバカがいるからだw
お前ごときの知能でそこまで悟ったような気になれるのも、パヤオの技法のおかげだと気づけよ
ここまで説明すれば、お前がどれほど愚かな存在なのかお前にも自覚できたろ
もしお前のような連中を四六時中相手にしてたなら、さすがのパヤオもキレるだろうし、俺だってキレるわw そんな、あってもなくてもいいようなレス返すほどの叩き合いじゃねえって・・ なんだ動画オタはもっと噛み付いてくると思ったけど、意外とおとなしく引き下がったなw
でも、コイツはなんでパヤオネタで突然キレたんだ?
いきなりすげ〜長文書きだしたし、パヤオとも面識ありそうな口調だし・・・
ひょっとしてゴローかw ふう、やれやれ、「楽しいムーミン一家」をやっと全部見終わったよ。
全部で100話以上あるんだもの。
最初の原作準拠のシリーズは面白くて、最後のオリジナル冒険日記シリーズはゴミだね。
冒険日記の退屈さは、何が原因なんだろう?
なにからなにまで酷いから、特にこれが原因だと特定するのが、かえって難しいな。
会話劇中心で展開がスローモーなのは、1クール目も同じだ。
ただ、コンテや演出は1クール目のほうが気合が入ってる。
脚本が退屈でも、ビジュアルが良ければ引き込まれるものなのかもしれない。
冒険日記のコンテは、紙芝居ばっかりで、ネタも昭和のムーミンみたいだしなあ。
もちろん脚本もチープで、喫茶店で半日で書いたのを煮詰めもしないでコンテに渡したようなのばかりだし。
眠い目を擦りながら見るのが苦痛すぎた。
ももは、脚本がだめだとか言うけど、見始めると引き込まれるのは、
やっぱり、コンテ、演出、作画が一級品だからだろう。 ももに引き込まれるとかないわ
正直沖浦補正で思い込んでるだけだと思う 青色スーパーサイヤ人なる前に
通常スーパーサイヤ人で闘う演出のが盛り上がるよな。
ノーマル時で闘うと手抜き感否めないし、
そっちのが青色の変身が更に引き立つはずだし。
ピルスも闘いの途中に出さない方が良い
一気に緊張感なくなったし…
闘いの後に実は地球で見ていたって設定にして
私は破壊神だからどちらの味方でもないからってセリフを
入れて貰いたかった。
ゴールデンフリーザーは、最後に変身して
そっから悟空、ベジータをボロボロにして
追い詰めて
地球を守る一心で悟空が最後の最後で
でボロボロになりながら限界超えた力でフリーザー!!
と吠えながらカメハメ波で競り勝つ
みたいなストーリーで良かったんじゃない?
それがドラゴンボール本来の求められるストーリーじゃないか?
強敵にゆとりある闘いは違う!! 大きな違いは、レイアウトだと思う。
レイアウトが実際のカメラで写したように、その場の空間が感じられるようなものだと、
画面の密度が上がるし、作画も手を抜けないから作画レベルも上がる。
ムーミンが走るにしても、斜めの俯瞰から走らせるのと、真横からのアングルで走らせるのとでは、
リアリティが全く違ってくる。
真横から見て走らせる作画はいくらでもごまかせるが、斜めの俯瞰で走らせるには、相応の動画テクニックが必要になる。
立体的なレイアウトで作画されたものは、ムーミンが立体的に動き、臨場感が増す。
真横のレイアウトを多用されると、紙芝居みたいになって全体が退屈な印象になるんだ。
予算の範囲で安い動画マンに発注できる範囲のレイアウトにしようとするとクオリティが犠牲になる。
アニメーションのクオリティは、やっぱりレイアウトとそれに応えられる動画マンの存在だな。 だからよ、そういう難しいレイアウトばっか使って沖浦は馬鹿じゃねえのかと。
原画マンに嫌がらせしたのか? いくら自分がうまいからって天狗になりすぎだろ。
そういう凝ったレイアウトは、ここぞって時に使ってこそ生きる。だから上手い奴の
スケジュールをわざわざ押さえて発注するし、本人も納得して描く。
ももは才能を無駄遣いしてんの。凝らなくていいカットまで凝りすぎてる。ももは
ギャグの域だろ。高畑の使い方ならまだ納得できるんだよ。もものは無意味に豪華。 そりゃ、どんなアニメだってももぐらい高レベルな作画陣で作れれば万々歳だ。
ももは業界のトップレベルの絵描き連中が「そうか、沖浦が監督やるなら一肌脱がにゃ」と
こぞって参加してくれたから、作画が破綻せずに済んでる。そりゃあ大したもんよ。
問題は、そこまで豪華な作画をやるほどのネタだったのかって話だ。
あんな話はド根性ガエル程度の作画でじゅうぶん。その方がかえって面白くなったかもしれん。
商業アニメーションとして見た場合、予算配分のバランスが悪すぎ。はっきり言って破綻してる。
だから失敗作だって言われちゃうんだよ。尺が長すぎるしさ。
これは監督ひとりの責任ではなくプロデューサーとの共同正犯に相当する。かなり悪質だ。 >>713
沖浦って一本の映画としてどうまとまってるか客観的に見れてないよな
これは監督として致命的な欠点だ
参加してるトップレベルのメーターかぶってる今敏作品と見比べたら一目瞭然だもん...
沖浦は絵は上手いけど作品だと原画集見せるられてる感じで面白くない その通り。
出来上がった作品の好き嫌いはどうあれ、今敏のは映画として立派に成立してたよ。作品全体を
コントロールできてた。本人の人格を知ってるから、奴の仕事を全面的には肯定できないけどな。
そこへいくと沖浦は監督失格。うまい絵をつなげば何とかなると思ってんじゃないのか。そうは
問屋が卸さねえのよ。映画ってもんを舐めてるね。
沖浦に引っ張られて難儀なカット描かされた連中はいい面の皮だ。ここで俺からこんなに馬鹿に
されちゃってさ。文句も言えねえでやんの。ギャラ払ってもらえれば文句ないのかもしれんけど、
せっかく苦労したのにあんな映画になっちゃったら空しいだろ? γ~三ヽ
(三彡Oミ)
(´・ω・`) どんな願いも
( ∽ ) 聞き流してやろう
( (~
~) )
Ω ((~~
_γ⌒ヽ、)
(_| ̄ ̄_フ
> < レイアウトや作画が豪華なのに、面白くもなんともないのが、メトロポリスとかスチームボーイだ。
あれは、キャラクターの芝居が全然だめで、感情移入できないのが原因だろう。
あれこそ、作画の無駄遣い。
ももは、キャラの芝居がしっかり作りこまれてるから、
そのへんの実写映画より見ごたえが有る。 メトロポリス、スチームボーイとももは大差ないと思うわ メトロポリスとももは、作劇において全然ちゃうわアホんだら!
メトロポリスのラストは、主人公と女ロボットを助けようとするまで〜落下して部品だけになるまでが、
キャラになんの芝居も無くて、BGMに名曲を流して、感動的なラストっぽく偽装しようとしてるだけ。
ももの作りこまれた無駄の無い芝居とは雲泥の差だわ。
メトロポリスのラストは、女ロボットが「ワタシハダレ?」とか言っちゃって、落下していくだけで、
最後まで気色悪いロボットと、そのロボットにストーカーする変態メカフェチ男の話しになってしまってる。
バカじゃないのか?という。
あそこは、女ロボットが自我を取り戻して「ワタシハ、アナタガスキ」と言って、男を助けるために自分で手を離して落下するのが、鉄板の展開だろ。
そんなこともわからんのか?
ロボットもののテーマは、自己認識と他者への愛だ。
無機質なロボットが、自分を認識し、他者へのプラトニックな愛を語る。それが「人間」の本質を映す鏡になる。
ラストで自己認識を完結せずして、斬新な展開のアニメだとか思ってるんだとしたら、勘違いも甚だしい。
単に、作劇をわかってなくて、ラストをどうしたいか何の計画も決められなくて、
サイバーな雰囲気だけで脚本コンテ切った結果があのザマだろ。
古今東西、ロボットが主役の映画アニメは必ず、ラストにかけて自己認識し、自分の存在意味を悟る。
あらゆる映画がそうなっているのは、そうしたほうが面白いからで、
そうしない映画は駄作になるのが、常識としてわかっているからだ。 書けば書くほどドツボにはまるのが
なぜ理解できんっ!? じゃ、ももが駄作だとするために必要な要件を書こう。
まず、後半の台風以後のくだりを全て削除。
↓
何事もなく、父の魂は天に昇ったので、みまもり役の妖怪も帰ることに。
↓
もも「帰らないで!ずっとここにいて!」と、妖怪に泣きつく。
イワ「諦めるでござる。わしらは、おぬしの父親代わりにはなれないでござる」
もも「通行証を壊してやる!」
カワ「そ、それだけは止めてくれ〜!」
マメ「ももも、一緒に天に行くか?」
一同「ええ?」
↓
一同、不思議なダンスを踊ると、ももが幽体離脱して魂が天に昇る。
死んだ父と感動の対面。
父「父さんが悪かった。これからは、母さんのことよろしく」
もも「うん、わかった。あたしこそごめん。」
↓
ふとんで目が覚めるもも。
もも「今日から、飛び込みの練習しようっと」
どうかね?ここまで酷くて、はじめてももは駄作というレッテルを貼れるんだ。
ここまで酷くない以上、ももは駄作では無いのである。 そんなことより、マーニーの原画スタッフに沖浦啓之の名前見つけて、
微妙な気分なんだよ。
宮崎がサザエさんの原画手伝ってるようなものじゃん。
あんな一流監督が、あんな仕事を受注しないといけないなんて……。 エヴァQはいいのかい、一目で沖浦とわかるカヲルきゅん描いてたじゃないか。 やっぱ完成した映画がクソだとムカつくのは給料が労力に見合ってないから?
それとも絵描きの職人魂が妥協を許さない感じ? 誰に向かって物を聞いてる?
シロートは黙ってアニメ見てればいいの 出入口が満潮で水没しちまったな。
こりゃ、潮が引くのを待つしかねえな。
潮が引くのは深夜の2時。
夏と言っても夜は冷えるので体温低下は時間の問題だな。
私はプラグスーツ姿なので体温低下を抑制できるが…。
さすがに夕方になると、この洞窟内は冷えるな。
ももちゃん、寒くねえか?
スクール水着一着なので震えているみたいだけど…。 今更ながら見たんだが、予想に反してクソ過ぎて泣けたわ・・・
妖怪は何のためにいたのかわからんくらい扱いが適当だし、
悪さだけして妖怪だから〜分投げ出し、
母親は体調悪いのかなんだか知らんが、知らない土地に娘をほおって置いて
自分だけ大変ですの押し売り。保険降りてんだろうから、そんな無理して働く必要性がまったくないだろうが。
ケンカのシーンとかもう意味が分からん。だれとく?
クライマックスも母親を助けるために大雨の夜に無理やり橋を渡ろうとしてるんだが、
友情がまったく深まってもいない妖怪軍団が協力するのも意味分からんが、
そもそも、ももは橋を渡って何をするつもりだったんだ?
母の病状なら電話で伝えられるし、原付で医者を連れてこられるなら、
向こう側から車で来てくれればいいだけだし、何をしたかったんだあれ?
これらを差し置いて一番酷いのは、ラストの「ももへの手紙」
「ももへ」とだけ書き残された父の書こうとしていた手紙はなんだったのか?
ってはずなのに、父親からの手紙は
死んだ後に書いた手紙まるだしやんけ!
おかしいやろ!死ぬ前に何を言いたかったかを知りたかったのに、
なんで俺がいない世界でもがんばって生きろ的な手紙やねん!もうイヤ! 何ヶ月前かに録画してたの観たよ
家族モノに弱いからボロ泣きした。
普通に楽しめて満足だけど、妖怪?神?の設定はもっと掘り下げてよかったねw 掘り下げたら3時間あっても足りない
最後まで早送りしないで観るのか? 寒い!凍え死んでしまう!
夏でも水の中に長時間いると、容赦なく体温が奪われていく。
水風呂に長時間浸かってみればわかる。
猛烈な暴風雨が降った日でずぶ濡れになる方が危険。
激しい雨風は容赦なく体温を奪っていきます。 ギンコは危険を冒してでもガイガーカウンターを片手に、
神社の放射線量を計測した結果、驚くべきの事情を知ってしまう。
ギンコ
「所長、大変です。
膨大な放射能漏れが検出されています!
ガイガーカウンターがスケールアウトで測定不能なほどの放射線量です!」 >>745
演出も冴えまくってるし
沖浦作品の最高傑作だな 見本市見た。もももそうだったけど沖浦は視聴者が「面白い」と思うメカニズムが根本的にわかってないらしい
本人的には妖怪とかロボとかがおもしろおかしく動いてれば面白いと思ってんだろうけど じゃあ見本市のはももと並ぶ最高傑作ということで
手を打ちましょう 盗撮ロボ短編、ももちゃんぐらいの年頃の娘が盗撮される話なら傑作になったのにな 見本市みた
おっぱいとお尻は激しく進歩してたけど、脚本は素人のままだった
いっそ俺が脚本書いてやりたいわw 間違ってももを見てしまった犠牲者の泣き言を読むのが大好きなもので >>759
ももちゃんすげえ可愛かった・・・
今夜の人狼も楽しみっ 心が病んでいる人にしか理解されない
いわゆる ポ ン コ ツ 映画でつね w あまり知られてないけど宮崎駿のポニョとこの映画は同じ瀬戸内海を舞台にしてる
ロケハンした場所もかなり近く風土もほとんど同じ
ポニョはほとんど架空の街になってるけどももはほとんどそのまま
宮崎駿はロケハンのさいに「そのまま描いてもつまらない」と言ってた
どちらが良いという話ではなくスタンスの違い スタンスねぇ・・
母親が乗った客船が遠ざかっていくスピードは駿っぽかったが 田舎の寂れた感じをそのまま出したのは失敗じゃあるまいか
だってそんなもの見てもおもしろいわけがないもの 都会を舞台にしたら、面白くするためにイノシシを出すのはむずかしかろう そのままなんてのはありえないよ、
映像ってのは作ったものの視点でしかないから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています