>>204-205
それはさすがに全然違うと思う。
人間の機械化に否定的な映画ではないよ。
冒頭の文章について、押井は最初に結論を持ってきたと言っている。
「われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」

また、機械化は必然であり、そもそも人間自体が機械であり
肉体に特別な価値などない。自分もこれからどんどん機械化して
サイボーグになりたいと押井は発言している。
(劇中でも何度も強調されている)

その極まった状態が素子で、
ようは愛情なんて思い入れの問題だから、機械だろうと、データが相手だろうと関係ない。
なんでも同じだし、想いさえ持てればそれでいいんだ。その気持ちは本物だ。
っていうことを言いたい映画だよ。

肉体が尊いとか人間らしくあらねばとか
そういう考えをぶっ潰すために作ってる。

なのに、肉体が大切みたいなメッセージを勝手に生成してしまったということは
204さんにそれだけ強固な思い込み
(そういう説教がほしいという気持ち)があるってことで、
そのような映画として自分の人生に使うのは、まあ構わないんだけどさ。