押井守 「イノセンス」を真面目に語るスレ
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画質も内容の濃さもぴかいちだろ。
ただ、前作の「劇場版攻殻機動隊」の続編だということを匂わせず、
あたかも独立した作品みたいに告知していたCMは功殻機動隊を知らなかった
俺からしては騙された、はめられたという気がしなくも無いが
見てるうちにだんだんこの作品の奥深さにはまった。 久しぶりに一作目観たら、あのメイン曲歌ってるの上々颱風じゃないんだな
今さらだったw 判る人いたら教えてくれ
ロクス・ソルス社の検査部長が殺された現場で、鑑識の親分が「○○のパーツが足りねえからきた」って言ってるんだけど、あれなんて言ってるんだ?
イシカワも直前にたぶん同じこと言ってるんだけどよく聞き取れないのと意味が判らない
「オロク」って聞こえるんだけど当たってる?仮にそうでも意味が判らない
誰か教えてくれないか? イノセンスはdisられる割に、これから見ようとしてた初心者から「じゃあ見ない」と言われると一斉に「見ないなんてもったいない」と言われる作品。 攻殻が好きで押井監督の作品が好きってやつが観ればいい
神山監督の攻殻ではまったやつらだと賛否まっぷたつだろ GISでハマった奴も,もちろん原作でハマった奴もぽかーんだよ ひとりでぽかーん言ってろ。それ以上に楽しんでる観客がいる。 でもその結果が数字だから、信者がいくら擁護してもねえ アンチがでかい顔をし始めるとまともな書き込みがなくなるな それは論理のすり替えだな
好き嫌いは確かに個人の趣味の問題で、他者の評価に左右されるものではない。
だが其れと、支持者が少ないこととは別問題だろう。
商業作品として失敗作の烙印を押されても仕方がない。
あの黄色か金色だかが全編に散りばめられた映像は綺麗だったよな
独特の効果を出してて。
ハダリはセクサロイドてことだけど、弾が当るとパネルがパタパタ開いて
とても抱き心地が良いとは思えん。あの上に肌ゴムでもつけるんだろうか。 キムってハッカーはこの事件にどんな関わりがあったの? 劇場公開時、家族連れやカップルでごった返してたな
バトーが唐突にヤクザ撃ち殺す場面以外は終始会場が無反応で・・・ 押井最高
批判内容が拙いアンチは最近沸いとる押井に大好きな萌えアニメを貶されて怒り狂っとるだけな奴だからスルーしとけ
押井アンチって言葉のボキャブラリーが少ないですよね(笑)
言葉って実は無意識なので、オナニーばっかしてる萌豚は無意識の領域が少ないので
言葉も少ない。
逆に押井は抑圧が高く、無意識の量が多い もっと評価されてもいいのになこの映画 フルCGの映画がクソに思えるわ
しかしなんだねこれだけ中国が力を持った次世代見せられるとなんか萎えるな
なっちゃいそうでこわい >>185
しかし
けいおんのリピートには苦言、そして批判しか言わないだろ
なぜ3回見ることを強要するんだと >>19
瞳に映った人影はもしかして少佐なのかなぁ?
映画の最後に、少女が「暴れたら誰か助けに来てくれるって(言われた)」、
というようなことを言っていたのだが、少女達の中の誰が、そんなクレバーなことを
思いついたのか、ちょっと疑問に感じてたので。
いや単純に、向かい合った人形が二体あって、
人形の瞳にもう一体の人形が映ってるのかもしれないけど。
(その映った人形の瞳の中をよく見ると、さらに人形の瞳が映っているのかもしれない。
これが無限ってやつかしら。)
それとも、人形に人のゴーストが吹き込まれる表現なのかなぁ。 >>30
>イノセンスは「なぜ人は自分の似姿を作りたがるのか」っていう
>テーマが完全にわからない。
死にたくないからじゃないかな?
死ねば何もかもガタガタになってしまうし、
そういうのがイヤだから子どもを作ったりして
自分の死後も秩序を保とうとしているのではなかろうか。
不老不死への憬れではないかしら。
逆に、自分の似姿のような人形や子どもを作って
それを虐待して、自分が神になったような全能感を持ちたいのかもね。 >>194
俺はおまえさんの最後二行が正解じゃないかと思ってる >>そういうのがイヤだから子どもを作ったりして
子供を作るのは生物が存在するためのシステムだから、
かわいいとか分身がほしいとかなどの他の理由は後付 >>194
>イノセンスは「なぜ人は自分の似姿を作りたがるのか」っていう
>テーマが完全にわからない。
もし、自分そっくりの人形を作ってくれるとしたらどうする?
俺は嫌だ、なんとなく気持ち悪い。
独裁者が自分の銅像などを飾るのは、権力を誇示するためであり、
超人気アーティストが自分の蝋人形などの制作OKするのは、ある程度理解できるが、
一般庶民の俺は、嫌だな。 >>198
ピントずれてる
「お前に」そっくりな人形ではない
「人間に」そっくりな人形の話をしている >>199
「なぜ人は自分の似姿を作りたがるのか」の話じゃないのか?
自分の似姿であって、人間にそっくりな人形の話だろ。 >>200 自己訂正
自分の似姿であって、人間にそっくりな人形の話じゃないだろう。 押井がずっとやってる自分探しの話しを
じゃ、自分と同じものつくって考えてみようってだけでしょ
思春期やそれを過ぎたお嬢さんが大好きな自分探しの旅とかと
対して変わらん、何がわからないのかのがわからない ハラウェイ「何故彼等は人の形、それも人体の理想型を摸して
作られる必要があったのか?
人間は何故こうまでして自分の似姿を作りたがるのかしらね。
(´A`)y-~ 監督がこの映画を作った動機(本当かどうかは知らんが)が、携帯やパソコン
なんかの電子機器を使って互いのコミュニケーションを図る今の若者に一言物申す
意味合いで制作したんだろ。
相手に告白するのも携帯で済ます今の現代社会の若者の滑稽さを映画に
したんであって、劇中出てくる小難しい身体論は、作品のディテールアップに
利用されてるだけで、それこそ大した意味があるようには思えん。
きっと監督のことだから、全てのセリフに意味があるとは思うが、そこに
注視するのは、監督の仕掛けた罠にはまるようなもんだ。
監督にしてみれば劇中のセリフが難解なら、今のネットに溢れるの書き込みだって
難解に思えるって事を言いたいんでしょ。
バトーが危険を冒してまでロクスのプラントに潜入して素子に出会えたのも、
今の若者に向けて告る時くらい自分の体を使って相手に直接告白すれってことを
言いたいだけであって、こんなに分かりやすい映画は無いと思うが。
お前らの書き込み読んでるとなんかズレてるように思うのは自分だけか?
まだ身体論に絡んだテーマに拘り続けるなら、この先ずっと答えが出ないと
思うぞ。
>>今の若者に一言物申す意味合いで制作したんだろ。
そういったことを公言するようになったのはスカイクロラ以降、
それ以前はむしろネットとか興味ないというスタンス >>205
公開直前のスペシャル番組かニュースのインタビューで聞いた覚えがある。
スカイクロラは別の制作動機。
イノセンスは自分の体を意識しなくなった若者に向けて
制作したと言ってるのだけは覚えてる。
ネットには興味無いだろうね。ネットをしてる若者に批判的立場で制作
してるんだから。
>>204
携帯でも電話でも、告白するだけマシ。
滑稽とは思わない。
平安時代は和歌のやりとりだった。
それに少佐はもう身体が無いし、
バトーも似たようなものだぞ。 ジェームズキャメロンが宮崎映画の影響を受けまくっててたから押井的にはそれが一番ショックだったんじゃないかな。韓国映画のアジョシもまるで宮崎映画観てるような錯覚を覚えた。最後少女を抱き締める場面もカリ城みたいだった。 スカイクロラと共に最高の子守歌代わりで眠気を誘います。
静かな音楽と綺麗な情景の組み合わせはイイネ。 押井作品は余計な
説明が多いから好き嫌いが大きく分かれる アニメ監督佐倉大(北久保弘之)氏による、
アニメージュ/イノセンス/ジブリに関する裏話(ジブリの声優がアレな理由など)
ttp://togetter.com/li/374120
>>209
結局押井が自分の犬を出したかっただけの映画だよね 少佐ってさ、コンピュータウイルスになっちゃたのかね?
だってさ、脳核がなかったら電脳だけじゃん >>204-205
それはさすがに全然違うと思う。
人間の機械化に否定的な映画ではないよ。
冒頭の文章について、押井は最初に結論を持ってきたと言っている。
「われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」
また、機械化は必然であり、そもそも人間自体が機械であり
肉体に特別な価値などない。自分もこれからどんどん機械化して
サイボーグになりたいと押井は発言している。
(劇中でも何度も強調されている)
その極まった状態が素子で、
ようは愛情なんて思い入れの問題だから、機械だろうと、データが相手だろうと関係ない。
なんでも同じだし、想いさえ持てればそれでいいんだ。その気持ちは本物だ。
っていうことを言いたい映画だよ。
肉体が尊いとか人間らしくあらねばとか
そういう考えをぶっ潰すために作ってる。
なのに、肉体が大切みたいなメッセージを勝手に生成してしまったということは
204さんにそれだけ強固な思い込み
(そういう説教がほしいという気持ち)があるってことで、
そのような映画として自分の人生に使うのは、まあ構わないんだけどさ。 この後、空手初めてにわか肉体派に転向ですよ
>>そういう考えをぶっ潰すために作ってる
ここまで主張してはつくってないよ、押井は意図的にそういうのは避けるよ コンピュータウイルスになっちゃった素子と
ちょっとは脳核が残ってるかもしれないバトーの愛の物語でしょ
俺はそう理解した たしかにオレいいすぎた。
映画は、事実と仮説を積み上げたあと、
最後の価値判断はお客さんに任せているよね。
ただ、「こうあらねばならない」みたいな良識的な押し付けは
あの映画とは反するってことだけは言いたかった。
どちらかというと、どうであってもいいんだよっていう
多様性を認めて楽になる方向だと思う。
近作だとAVALONも、ゲームへの逃避を否定しない
それも立派な情熱だっていう姿勢だった。
たぶん、押井が学校の先生みたいなお節介
「こうしてみたらどう?」を言ったのは、
スカイクロラの最後のモノローグが唯一で、あれが精一杯なんだろうと思う。
立派に生きろみたいなことを、とにかく言わない、
若者のプレッシャーになるのを避ける作風は
宮崎駿と正反対の部分だと感じる。
「命令も強制も嫌い」だからなのか。
あるいは「映画館は行き場の無い人間が来る場所だったし、それでいい」
という、押井自身の映画観が関係しているんだろうか。 >>225
基本的に、人間は愚かしいものだという出発点だからなー
生きてるだけで愚かなことは一通りやっちゃうものだ
伝説の中で作られた、英雄や偉人たちの水準では生きられん >>225
むしろ作風は真逆だよね。押井作品から受ける印象は価値の多様性の否定だし表現の幅を狭めてる。だから押井作品を観てる時は物凄い窮屈だし何かにがんじがらめにされてるような気分になる。押井自身が正しいとする物以外は全否定されて魂が解放されない その匂いというか空気が映像から流れ出してくるんだよな
押井監督の作品が好きな(俺も含めて)やつらはそこがいいって感じてるんじゃないかね
押しつけがましいと取れるし妥協しないとも取れる >>221
押井がテクノロジーの進歩を全肯定し盲信してるなら何故あんなにも登場人物が揃いも揃って全員不幸を絵に描いたような辛気臭い不機嫌そうな死人みたいな顔してんだ?押井が思い描く理想の世界なら幸せの絶頂みたいなキャラがいても良いと思うんだが 極論すぎ
ゼロか1のどっちかなんてことはだれも言ってない
そう受け取っている時点で先入観にどっぷりつかってる 押井は、作中でこうあるべきだっていうような主張はしないからね
バトーは、意識だけの存在になった素子を守護天使と呼びつつ、
ラストでは、肉体をもつ犬を大事に抱えている
本音では、素子に肉体を持ってほしいと思っているわけだが、
それが本当に正しい考えなのか迷いがある
迷いがあると辛気臭くなる
迷いがないと活き活きとする(素子とか犬とか・・・価値観の両極)
そういういくつかの価値観を提示して、
答えは主張せずに観客に考えさせるのが、押井の作風でしょ むしろトグサの娘が抱えている人形を見つめるバトーの胸中が気になるところだがな アイボってロボット犬の玩具が発売された時物凄い薄気味悪さを感じた。年間50万頭もの犬猫を殺処分しながらロボット犬を愛でる歪さ。人間にとって都合の悪い物は処分される。人間もいずれアイボにとって変わる。押井はそういう世界を容認してるわけだろ? 親にとって都合の良い子供。夜泣きもせずオシメの交換もいらずだだもこねずたとえ置き去りにしようが殴ろうが蹴ろうが一切文句を言わない。それ以外の子供は淘汰される社会。都合の良いペットに都合の良い親に都合の良い恋人。 >>232
久々に少佐と共闘して、ハッスルした後だけに
なんか物悲しい気持ちなんじゃね?
ネットにアクセスしたときは、いつも側にいるって、なんだよそれ
離れていても心と心は繋がっているから、それでいいわよねーってことかよ
心だけかよ
だいたい、人形も人間になりたくなかったって言っただろうって、意味分かんねぇ
俺も被害者の女の子、怒鳴っちゃったけどさ、その言いぐさはないよな
自分こそ、人形に自分の一部を書き込んで乗っ取っていたじゃん
マジ、勝手な奴だよ
女ってみんな勝手だよ
寂しくて犬抱っこしている俺の気持ちも分かってくれっていうの、ホント
なに、この人形
うざっ
こっち見んな
みたいな感じだと思う >>229
人間の機械化は、単に当然そうなるってだけのことで
それが幸せに繋がってるわけじゃないだろう。
生身だろうがサイボーグだろうが、生きるのは辛いことである。
使える技術は全部使うが、これといって進展は無いし、問題も解決されない。
科学を用いた人間が、過去の人間より幸せかどうかは怪しい。
しかし、人間は欲望のために使える技術は必ず全部使っちゃう。
それは「当然そうなる」し、「それを咎めることに何の意味もない」。
科学的な愛が幸せなわけではない。
今後必ず、愛は科学的になるのであり、それは原始的な愛と何も変わらない。
当たり前のことを当たり前として肯定していると思う。
それは現在の我々の話でもある。
愛の対象が犬でも人形でも、メールだけの相手でも、
もう死んじゃった相手(記憶の中の情報だけの相手)でも、
単なるプログラムや擬似人格が相手でも同じこと。
人間を愛するのだって、結局それらと変わらないんだから。
愛する人を喪って辛い現実を生きるバトーにとって、
そんな想いの価値を確認できたことは小さな(でも確かな)救いだったと思う。 〜愛もまた科学的であってはいけないいわれがありましょうか。
とあるが、科学を理解できるのも自らの意思で利用するのも開発できるのも「大人」だけなんだよな。
なら赤子や子供(カオスって言ってたっけ)を育てるうえでは、科学的な愛ばかりではいけないような気がする。
科学的な愛かそうでない原始的な愛、二つの違いによって子供に与える影響も違うと仮にみなすなら。
最近スマフォをいじりながら子供に接する若い親を見たんだ。子供はどうみているのかなって。
科学的と原始的愛この二つを明確に分けて使用方法を考える必要があるんじゃないだろうか。 ‘’何か(スマホ)をしながら子供に接する若い親”なんて大昔からいるだろう >>231
つまり平たく言うなら自分の意見を持ってないとも言える これも面白さの点では最低ランクの映画だな。
こんなの作るから惜しいは干されるんだよ。
そんで他人の作品酷評するとかw >>241
押井監督としては、
脳と体は、切り離せるものではなく、どちらも相互に依存し合って、自己同一性が生まれる
現代の多くの人は、自分自身とは脳の中の意識だと思っているようだが、それは間違いである
脳と体どちらがその人の本質か、(本来不可分なのだが)あえて選べと言うならば、むしろ体の方が重要である
だから、自分は空手をやって、体を鍛えているんだ、エッヘン
みたいに思っているらしいよ 心身二元論でなく一元論ということか
ネットする限りで身の必要性は無いかもしれないが、自我保全のために実体は必要だよ。
ということか
どういうことか誰か説明してくれ >>242
基本的に探偵物、バディムービー、犯人追跡劇の体なんだけど
そういう作品て、見えない犯人にいつ襲われるか、邂逅するかっていう緊迫感を常に保持しないと続かないのに
北端以降そこを放棄しちゃってるんだよな。ヤクザの事務所辺りまではその予感がまだあるから面白い
結局明確な犯人が居る話ではなく、企業の犯罪なんだけど
そういう話なら体制対体制規模の話にしないと盛り上がるわけがない
なんのための「攻殻機動隊」なんだと。話が進むにつれて「犯人」が不明確になるのに
捜査はどんどん小規模、内面に向かっていくのが、結果的に娯楽性を著しく損なってるよね
まあそういう映画にしたかったわけじゃないし、作品としてちゃんと成立してはいると思うけど
もう少し観客を楽しませるような趣向があっても良かったと思う 久しぶりに観たらなかなか面白かった
でもこれ今からたかだか19年後の話なんだよな バトーを仮に40歳とするなら今年ちょうど成人式を迎えたくらいなんだよな
俺たちと同じようにWBCやサッカーのワールドカップに熱狂したり警察学校通いながらAKBやももクロに夢中になってたり少佐も幼稚園に通いながら芦田愛菜に憧れで子役スターを夢見てたりしてさ いや、少佐はすでに全身義体
6歳で飛行機事故に遭って今8歳のはず
血のにじむようなリハビリをやってるところだろう なるほど
子役スターを夢見るが事故により挫折
病床でリハビリに励みながらテレビで観た女だてらに奮闘するイモトアヤコの勇姿に勇気づけられ笑いのとれるアスリートとしてパラリンピックを目指すがサイボーグの出場は認められず二度目の挫折 目標を見失い自暴自棄になった素子はひょんな事から町のチンピラと傷害事件を引き起こしてしまうがその時その場に偶然居合わせ助けてくれたのが荒巻であり現在に至るとそんな感じか 芦田愛菜は順調にキャリアを重ね着実にスターダムをのし上がって行く
一方自分はと言うと実写ですらない三流のアニメ監督のオナニー映画で訳のわからない台詞を言わされるのが関の山
同じ時代に生まれながら何故こうも違うのかと
それが素子失踪の一番の原因だろうね 素子の突然の失踪により脚本の変更を余儀なくされる押井と混乱を極める制作現場
それに付き合わされる公安9課の面々
とんだ食わせもんだぜ糞ビッチめ
こうなるって分かってたら一発やっとくんだったぜ!
それぞれが不満を抱えながら完成したのがイノセンスだったのだろう その頃素子は夜の繁華街でドすけべサラリーマンに股ぐらを晒すマッチ売りの少女として日銭を稼ぐ毎日を送っていた
芦田愛菜はまだ良かったの
問題はその後出てきた剛力とかいうブス女よ
あんなブスには次々と大きい役が来るのに何でアタシには三流アニメの仕事しか来ないのよ! でも一番腹立たしいのはあの押井って変態よ
アイツは最初からアタシを女としてしか見ていなかった
キャメロンに紹介する事を餌にアタシの体を散々オモチャにしたの
海外で有名とか言うのもきっと全部大嘘ね
あぁ本当ムカつくわ!
あっはい
マッチ一本三千円になります 押井は何故リアルな人間の似姿のキャラクターを好むのか
押井にとってアニメのキャラクターとは人形そのものではないのか
押井にとって映画を作るという行為は人形ゴッコの延長ではないのか 多分押井くらい映画を自覚的に作る監督はいない
大友克洋などは単にリアルな絵が好きなだけでその為にアニメを利用してるだけで何故アニメでなければならないのかと言った事まで考えた事もないし全くの無自覚
故にアニメ技術の表面的な表現に終始するのみで映画になってない >>257
キャラクターのリアル化でわかりやすいのは、パトレイバー1
OVAからキャラをリアルに変えて(製作会社も)、パトファンに不評だったが
押井監督は、OVAのキャラではストーリーが成立しないから変更したそうだ。 パト1はリアル化というより普通に作画の品質を上げた感じだと思ってた
初めて2を見たときは誰こいつ状態で笑ったけど >>OVAからキャラをリアルに変えて
2の絵柄ならわからんでもないが、別に最初のやつはリアルってわけでもないよ。
ほうれい線描いたからってリアルになるわけでもない、あの時代なんか流行ったというだけ。 一瞬面白く思えたりしばらくするとやっぱり物凄くつまらなく思えたり一応話は理解出来るんだけどじゃあ何を描いてたのかって冷静に考えると何にも残ってない
意味ありげな台詞と圧倒的な映像技術だけが表層を流れて行っただけ
心揺さぶられる物が何もなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています