そもそも先代の東清総長は
初代東組本家総長を名乗ってた

総長の実弟は、分家として清勇会を立ち上げて居た

滝本組長が二代目を継承する際、分家も統合するカタチで二代目東組とし、総長ではなく組長と改た

故に川口会長が初代東組分家二代目清勇会とするのもある面分かるが、、、

それと本当に二代目継承の際、行く行くは三代目を川口に継承させると言う密約なのか?先代の遺言なのか良く分からないが、そんな約束事が本当にあったのでしょうか?

その辺の事が気になりますし、絶縁が本当なら初代東組分家名乗りもないと思うし、仮に一本独鈷でやって行くと言う話が本当だとしても、それなら絶縁もないと思うのですが、、、

詳しい人居たらその辺の書き込み宜しくお願いします。