元保育士のひとりごと
元保育士による過去に保育園で受けた事を書き連ねていくスレ >>1
1です。保育士やってました。
今は退職しうつ病・社会不安障害にかかった為自宅療養中です。
自分の中でどんな事をされたのか整理する為にここに書き連ねていこうと思います。 保育園でのお制作の時間。12月担当だったので1人で準備をしていた。新卒で入って1年目にお制作の企画を任されたので、今回はサンタクロースを作る事にした。
何度も主任に確認し、試作を作っては修正し、作っては修正を繰り返し、「うん、じゃあこれで行こう。」と言われ、園児30人分のサンタクロースを作る事になった。 保育に限らず教育の現場はアカが多い
そこに日本人が知らずに入るとノイローゼ等精神疾患まで追い詰められたり退職させられたりする 0歳児クラスなので、貼る、クレヨンで描くができるくらいの子達。当時同じ時期に入った同僚が辞めてしまい。1年目の先生は私1人だった。他にも主任が1人、他3人の計5人で20人程度を保育していました。
主任に許可も貰えたし、と20枚+予備で5枚のサンタクロースを作った。その日がお制作する日の2日前。
前日、主任に確認してもらい、いよいよ初めてのお制作の担当となった。
次の日。いつものように保育をしていると、主任ともう1人の年長者の先生(ここではU先生とする)が子どものロッカーの付近で話し合いをしていた。
こっちを見ている。
そのあと、無事に保育が終わり、居残り保育の時間となったので「お疲れ様でした!お当番行ってきます。」と声をかけ、部屋を移動し今度は担当の預かり保育中の年中さんのお部屋へ行き、子供たちと触れ合っていた。
少し経った頃、主任が私を訪ねてきた。そしてこう言った。
「このサンタクロースだけどさ。作り直してくれない?」
「え…今日中にですか?」
「そう。明日だから。後でU先生に確認したんだけど、全然ダメだなーと思って。これもこれも、全部作り直し。」
そう言って渡されたサンタクロースと画用紙を彩る装飾品の数々。
主任はそれを言い残し、足早に仕事場に戻っていった。
その時の企画担当は私1人だったので、家に帰ってから泣きながら1人で全員分の装飾品・サンタクロースを作り直し、細かいパーツも作り直した。
次の日。作った?と聞かれたので手渡すと「んー…ちょっと雑じゃない?まぁいいや。やろう」と言われた。私と話したあと、主任とU先生は奥で私から貰ったサンタクロースと装飾品を手に持ち、こちらをチラチラ見ながらなにやら話していた うちの保育園は上下社会がきつい所だった。
休憩所は、1、2年目は仮眠室という小さな部屋で5人〜多い時には10人くらいが座布団やクッションをひいて休憩。4、5年目になるとやっと小さな体育館が使えて、そこで雑魚寝する事が出来るようになる。
上の人の意見が絶対で、下の人は上の人の命令に逆らってはいけないというルールがあった。
保育士同士の集まりやお茶会の準備などでは下の人が積極的に動くのは当たり前だが、上の人は手伝いもせずお喋りをしていた。準備に来ない人もしばしば居た。 通常保育の後に別部屋で少し残業をするのだが、帰る時は先輩が帰るまで絶対帰ってはいけない。
遅い時は20時まで残ることもあった。早番で17時に帰れる時が一番幸せだった。
2、3年目の優しい先輩方は「私はもう少しやっていくから、先帰ってても大丈夫だよ。」と言って下さる方もいたが、主任やUさんが他の部屋で仕事をしているかもしれないので、無闇に帰ると次の日「昨日17時半に帰ってたよね?」と言われ、目の敵にされる。 うちのクラスには1人、障害児の子がいた。その子は体が弱く、成長も他の子よりも遅いためなかなかつかまり立ちが出来ずにいた。
主任とUさんはいつもその子をベビーベッドてわ無理やりつかまり立ちさせて泣いているのを笑ってみていた。「こんな子自分の子だったら嫌だわ笑」「ほんと、ブサイクだね笑」
などと言っていた。 ある日。インフルエンザと水疱瘡を貰ってしまい、長期間お休みを頂いた。
お詫びに、と菓子折りを保育園に持っていった。職員は40名ほどだったので、園長、総主任の方へご挨拶に行ったあと、総主任に菓子折りを手渡した。
その日の夕方、保育士の集まりがあった。
総主任のクラスの主任さんが、お菓子をクラスごとに分け、その後にこそっと「こういうのは自分でやらないと駄目だからね!」と教えていただいた。「すいません!ありがとうございます。」と伝え、自分でクラスの名前を呼び何とか全員のクラスに行き渡るように配った。
その後、自分のクラスに戻ると主任に呼ばれた。
「〇〇さん、なんで自分で分けて配らなかったの?」
「申し訳ありません。」
「〇〇組の主任にわざわざ分けてもらうなんて、人としてどうかと思うよ。礼儀がなってない。今すぐ〇〇組の主任と総主任に謝ってきなさい」
その後すぐに謝ったが、総主任さんも主任さんも「大丈夫大丈夫。」と言ってくれた。 Uさんは、主任よりも保育士歴が長いため、主任はUさんに頭が上がらなかった。
展示会が近づいたある日、クラスの先生全員で案を出し合おうという話になった。
まず主任とUさんが案を出した。見本を作り、どのように使うかなどを伝えてもらった。
私は初めての展示会なのでどのように案を出せばいいかわからず、紙に絵を描き、提出した。
するとUさんは「あれ?見本は?」と言ってきた。
「すいません。どのように案を出せばいいかわからず、絵に書いてきました…」
というと
「見本がないとどんなのか分からないじゃない。明日までに作ってきて。」と一瞥。
次の日、今回は身の回りにある廃材を使ったものを展示会に出すため、私は毛糸や色つきのボタンを使ってウサギとヒヨコを作り、画用紙に貼り付けるという作品を提出した。
主任に見せると、「うん、いいんじゃないかな。ちょっと待ってて。」と一言。
そしてなにやらロッカーの方でUさんと話し合いをしていた。
その日の昼、ご飯が終わったあと、クラスの先生全員が呼び出された。
出されたのは私の作品で、この作品を指さしながらUさんはこう言った。
「なんなのこれ。気持ち悪い。しかもこんなの誰でも出来るじゃない。【私】さん、やる気あるの?」
それを聞いて私は絶句してしまった。主任に目を移すと
主任「私もそう思ってました。なんか、ボタンで目を作ると気持ち悪くなるっていうか…(笑)変ですよね。てことで、【私】さん、もうちょっと考えてきて。今でさえ遅れてるのに、あんまりモタモタされるのも困るから、今日中に。」
ここまで否定されると、保育士としての自信も、人間としての自信も無くなっていく。他の保育士さんも、見て見ぬふりをしていた。その日から、この仕事辞めよう、と思い始めるようになった。
私の心が弱いだけなのかもしれない。他のことに比べたら、些細な事かもしれない。
でも私にとっては、保育園こそが初めての社会であり、秩序であり、絶対だった為、いとも簡単に心が折れてしまった。 私は園長に悩みを打ち明け、もう辞めたいです、と言った。
すると園長は「それは、全部貴方のせいなのよ。」と言ってきた。
「1年目は辛い事も沢山ある。でもね、私は貴方はそんなんじゃへこたれないと思って採用したの。でも辞めちゃうって言うなら、期待違いだったかしら。」と。
「それは貴方が頑張れば、我慢すればいい事なのよ。」
ああ、私の味方はどこにも居ない、と思った
「はい。辞めたいです。もう無理です」
「そう。でもすぐに辞められると私困っちゃうから、1週間はいてもらわないと。丁度月末だし、月末に辞める事にしましょう。」
その時私は何も考えられず、1週間後には辞めれるという希望だけを頼りだった。ただひたすら頷き、離職届を書くことと、離職に必要な持ち物と手続きを聞いて、放心状態で保育に戻った。
その光景を主任が通りがかりに窓から見ていたらしく、その後、園長室に入れ替わりで入り、私が1週間後に辞めるということを聞いた。
その日から、主任とUさんの態度は冷たくなった。 辞める1週間前、私は震える声で「実は1週間後にこの保育園を辞めさせて頂くことになりました。」とクラスの先生に伝えた。2、3年目の先輩方はびっくりしていた。
その後、保育をしていた時に、Uさんに呼ばれた。
「【私】さん、どうして保育園辞める事になったの?」出来る限り優しいトーンでUさんが聞いてきた。
「その…別の県へ引っ越す日程が早まってしまいました」と私は嘘をついた
「それが理由じゃないでしょ?ちゃんとホントの理由言いなさいよ」
「…もう、保育士としての自信がなくなってしまいました。すいません。途中で辞めるのは凄く申し訳ないんですが、もう無理なんです、すいません…」
そう言うと、Uさんは
「あんた、最低だよ。子ども達にどんな影響出るのかわかってるのに辞めるって言うの?人として最低だわ。わかってんの?」
と言った。
私はただ恐る恐る目を見て「申し訳ありません」とひたすら言い続けるしかなかった。2、3年目の先輩方は、自分に標的が変わらないように見て見ぬふりをしていた。 それから1週間、展示会の制作の準備で「お手伝い出来ることはありますか?」と主任に聞くと
「【私】さんは子どもたち見てて」
と言われ、仲間外れにされ続けた。クラスの中では私と他の先輩方が距離を取り、こちらを見ながらUさんと主任がクスクスと笑っていた。Uさんにぼそっと「辞めるからって手伝わないとかほんと最低…」と言われたりもして、生きた心地がしなかった。
保育園に預けていた印鑑を離れた所にいた私に子どもが持ってきて「どじょ!」と手渡してくれた。主任とUさんが持たせたのだろう。
銀行印代わりに使っていた印鑑だったが、それ以上に私が見ていない間に子どもが口の中に入れて誤嚥してしまわなくて良かったと少しホッとした。
Uさんと主任は離れた所でこちらの様子を見ながらクスクスと笑っていた。
その後、面倒くさそうに「【私】さん、〇〇ちゃんから印鑑貰った?」と聞かれた。私はいつもと変わらず「あっ、はい!ありがとうございます」と言った。 最終日。やっと長い1週間が終わった。
辞める1週間前から毎日休憩の時間を使い、各クラスの担任の先生一人一人に辞めさせて頂くことを伝え、感謝を伝えて回った。
同じ時期に入った1年目の他のクラスの同僚から大丈夫?などとLINEが来ていたが、今までの事を言う気にもなれず、そこから悪い噂や報告などされても困るので、ただ一言「大丈夫!」とだけ書いた。1年目の人達も嫌いになった。
なかには他のクラスの先輩方も心配してくれる方がいて、「今日辞めちゃうんだって?今までありがとね。他であったら宜しくね! 」と笑顔で握手してくださる方や、体調を心配してくれる方もいて、少しだけ楽になった。
最終日は18時半までクラスの先生達が展示会の制作をしていた。私は18時半までの自分のお当番があったが、丁度移動先がいつもの保育室だった為、先生方に近づき
「今日で辞めさせていただきます。今までありがとうございました。」と土下座しながら伝えた。最後の方は震えて声が出なかった。
2、3年目の先生方はありがとうございますと一言言って軽く会釈をしてくれた。
主任とUさんは無視して作業を続けていた。
その後、パートで一緒の当番になった方に「あんな小さい声じゃみんなに聞こえてなかったと思うよ?」と言われたが、どうでもよかった。 以上が今思い出せる思い出です。
他に思い出したら書くかもしれません。
長い長い独り言で文章も読みにくいとは思いますが、暇つぶしに見て頂けたら幸いです。
心弱いなーくらいの気持ちで見てください。 >>6
5人の後文字化けしちゃいましたw
5人から、です! >>17
1です。
私自身もそう思います。17さんも私みたいな面倒くさそうな奴に捕まらないようしっかり自衛してくださいね! たぶん上下関係のきついところが性にあわなかっただけでしょう
探せば人間関係が楽な職場なんていくらでもある >>19
そうですね。身をもって実感しました。
私にとっては初の仕事でしたので、これからの仕事選びの参考にしたいと思います。 >>23
ありがとうございます(ノ◎ヾ)ズズズ >>23
ありがとうございます(ノ◎ヾ)ズズズ 新人が0歳児見るの?
ベテランの担当のイメージだったわ
とりまお疲れさん。
読みごたえあった。 ポケモンは一生懸命育てるのに
人間の子供は育てない
vtuberには青天井で貢ぐのに
人間の女には貢がない
闇が深い 保育士の給料をあげろ。
あげる為には、保育士業界は永田町で発言力高めろ!
保育士を比例代表で参議院選挙勝たせよう。
みんなの代表を永田町へ送ろう。
みんなが保育士へ投票すれば必ず当選ライン越える。
保育士160万人、保育活動者60万人が力を集めるべき。
保育士の人員配置も改善させよう。
2019
立民3万票台
2022
自民5万票台
2025
比例は保育士へ投票しよう
10万票で当選ライン入り
あと少しだ! 学生もいるけどなんか色々してて今またいろんな思いあるんだろうな しかし
血圧が理想的な捜査をしましょう
外国人社長にしゃぶり尽くされてなかったら学歴だけはすごいと認めるよ
今日はディフェンシブ関連か・・・・ 事故前にフラフラしそうなカラーもあるじゃん。
婆と情弱と中卒連発の仕手銘柄にできるの信じられん >>18
そういうのって結局色気出して順当に燃えてるけど 入れて調べろ、って話なわけで、ワクチ打ってもいいのに
ケトン燃やしてないからドラレコで詳細分かりそうなの分まで歌う」 これは>>11がすべてかな?
うつ病が発症したんじゃ
それ以上そこに居る事はない
全く別の仕事に転職するか理解がある保育園に行くしかないのだが・・・
自分のペースで合う所は必ずあるからね。