Aleph 辛
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世界には日本語に翻訳しにくい言葉がある。 カリブ・スペイン語の「コティスエルト」。 この一言で、日本語にすれば 「シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人」 という意味になるそうだ。 『翻訳できない世界のことば』(創元社)で見つけた。 だらしないなどの悪い意味ではないらしい。 「人生も着るものもリラックス」した人。 そんな前向きなニュアンスがこの短い言葉には含まれているそうだ。 シャツの裾を入れるべきかどうかをめぐって、 前橋市内の中学校の先生がおもしろい実験を行ったそうだ。 体操着の裾を入れた生徒と入れない生徒に運動してもらい、 その後の体温を調べたところ、裾を入れない生徒の体温の方が 4度も低かった。そんな違うものなのか。 実験結果を受け、この先生は夏の運動時などは体操着の裾を出した方が良いと指摘している。 猛暑だったこの夏を思えば、もっともな話で熱中症対策に一役買うだろう。 かつてシャツの裾はズボンに入れなさいと教えられた世代だが、 1990年代に入れない派が次第に拡大していった印象がある。 最近はむしろ入れる方が少数派で見かけるのはゴルフ場ぐらいか。 ちまたの傾向がそうであるならば、体操着の裾も柔軟に対応した方が子どもたち の夏の運動をより楽にするだろう。 大切なのは行儀よりも身体である。 「コディスエルト」は悪くない。 温かみ伝わる手紙やりとり 今年の暑さは超絶級だ。 私は、親友に涼しげな暑中見舞いを書くことにした。 学校は違うが、頻繁にメールでやりとりしていて近況は知っている。 先日、彼女から先に手紙が届いた。 書かれた文字の温かみをとてもうれしく感じ、茶封筒がなんだか面白く見えてワクワクした。 返事の代わりに暑中見舞いを書いていると、彼女のことを考え、言葉を選びながら 間違えないように書いている自分に気が付いた。 手間がかかる分、自然と言葉の一つ一つに気持ちをこめているように感じた。 最近は便利なコミュニケーションツールが増え、手紙のやりとりは少なくなってしまった。 だからこそ、人の温かみに触れることができる手紙がもっと広まってほしいと思う。 <「あいさつ」で地域を幸せに> 最近、身の回りであいさつが減っているのではないかと感じる。 私はマンションに住んでいるが、しない人をよく見る。 特にスマホに夢中で周りを見ていない人が印象的だ。 あいさつは大切で、メリットがある。 だから多くの人が積極的にしたらよいと思う。 あいさつをすることは何よりも気持ちがよい。 地域とのつながりを感じることができ、お互いに礼儀を示せる。 あいさつを面倒くさく感じている人は、 一度だけでも笑顔であいさつをしてみてほしい。 今後も絶対にしたくなってくるはずだ。 皆があいさつをすることで地域が、日本が良くなることを願っている。 多くの小中学校で夏休みの終わりが近づき、図書館がいつもの年のようににぎわっていた。 およそ40日間の自由の代償ともいえる宿題と最後まで格闘する子も多いはずだ。 作家安岡章太郎にも格闘の経験がある。 小学生の時、夏休みの最終日まで宿題に手を付けなかった。 白紙の宿題帳を見た母は驚きと怒りで <お前、死になさい、お母さんも死にます> と口走った(『まぼろしの川』)。 そこから母子による宿題との闘いが始まる。 でたらめな答えを二人で書き込み続けた。 <その夜のことを、私は一生忘れまい>。 作家は初めての徹夜に大人になったような興奮も覚えた。 話は傑作の短編小説『宿題』にもなる。 夏休みの終わりと手付かずの宿題。 文学に昇華可能なテーマだろう。 ネット上での宿題代行の出品をめぐり、文部科学省が規制に乗り出したというニュース。 読書感想文なる商品が定着していたことに加え、格闘しないという選択肢が普通になっていたのに驚く。 時間を受験勉強にあてるという言い分には考え込んでしまうが、正面突破は悪くない。 本や自然との出合いが宿題にはあった。 苦しみが鮮明な大人としてはそう言いたくもなる。 世の中は解決に代行不可能な問題ばかりである。例の障害者雇用率の水増し問題。 省庁は、再発防止に正面から取り組まないといけない。 大人の宿題も思う夏休みの終わりだ。 <天井のあたりに音がしたと思つたとたんに、激しい揺れと家鳴り… そこいらじゆうが埃(ほこり)くさい空気になつた>。 19歳で関東大震災にあった作家幸田文(こうだ あや)は小説『きもの』で、 その時を生々しく描いている。 町に火が上がる中、主人公は不安に感じながらも、家を離れ上野を目指す。 火が迫りそうな場所や津波が怖い川沿いを避けての道中、 見たのはわれ先に道を争ってパニックに陥った人々やなぜか火の手の方角に逃げる人々の姿だった。 死者や行方不明者は10万人以上で、逃げた場所で火に巻かれた人も多かった。 そんな大地震の切迫感が伝わる。 父の幸田露伴(こうだ ろはん)も随筆で無念を <人々は…自ら大なりとした其(その)大なることが、猛火の前の紙片よりも つまらぬ小なるものであることを悟らされた> (『震は亨(とお)る』)と表現した。 災害多発の国で、経験が生かせず、犠牲を防げなかった無念だ。 大震災からきょうで95年。 忘れたころどころか天災が忘れようもないほどの間でやってくるようになった。 その中で迎える防災の日でもある。 西日本豪雨の被災者から「まさかこの場所が」の声も聞こえてきた。 避難にさほど気を配ってこなかった反省が込められている。 いつ、どこに、どう逃げるか。遅すぎず、パニックにも陥らずに。 95年前の課題と反省は、災害が絶え間なくやってくる今、 よりはっきりと目の前にあるようだ。 「哀蚊」。そう書いて「あわれが」と読む。太宰治の短編小説「葉」の中に出てくる。 「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻(かいぶ)しは焚(た)かぬもの。不憫(ふびん)の故にな」。 そう聞けば、哀蚊の「哀」にほだされて9月の蚊を打つ手もためらい、見逃してやるかという気にもなる。 蚊に刺されても、かゆみを感じなかったという物理学者の寺田寅彦は 「蚊のいない夏は山葵(わさび)のつかない鯛(タイ)の刺身のよう」で物足りぬと書いている。 蚊ぎらいの身にはまったく同意できぬが、この夏がそうで、いつもの年に比べ、 あまり蚊に刺されなかったという人や未明の不快な「ぷーん」の羽音を聞かなかったという人もいるのではないか。 どうも猛暑と関係があるそうだ。 専門家によると、蚊は暑くなりすぎると飛ばなくなり、寿命も短くなるようで、気温が35度以上になると、 人の血を吸う気さえややうせるらしい。 気温が上がれば、ボウフラが成長する水たまりも干上がりやすい。 種類にもよるが、蚊には猛暑がドラキュラのニンニクだった。 異常な夏を乗り越えた哀蚊だが、不憫を感じる必要はないだろう。 なんでも、初秋にメスの蚊は卵を何とか残そうと吸血欲求を高めるそうで、 涼しくなった頃合いを見て、あの「ぷーん」とかゆみが戻ってくるかもしれぬ。夏の分を取り返したいか。 ホモサピエンスの長年の宿敵も必死であろうて。 カクテルの「王様」、マティーニの作り方はおおよそジンが「三」に対して、 ベルモットが「一」でこれよりもジンの割合が高いものがドライ・マティーニとなる。 ヘミュングウェーの小説「河を渡って木立のなかへ」にかなり辛口のマティーニを飲む場面がある。 ジンが「十五」でベルモットが「一」。 ほとんどジンである、そのカクテルの名は「モンゴメリ将軍」。 第二次世界大戦で活躍した英陸軍の軍人。 なんでもこの将軍、相当慎重な人らしく、味方と敵の戦力比が「十五」対「一」 にならないと攻撃しなかったとか。 もっと辛口のマティーニがご所望なならばその名は皮肉をこめてこうなるか。 「日本共生社会」。中央省庁が障害者雇用者の数をごまかしていた問題である。 ひどいバーテンダーがいたもので機会の開かれた社会のため、 働く人のうち一定の割合で障害者を雇う法令を定めたにもかかわらず、実際は雇っていなかった。 ただでさえ、その比率は低いのに、入れたふりをして入れていたのはその半分。 これが「共生社会」の現実なのか。 雇用を待つ障害者には無情の仕打ちである。 既に亡くなった人を障害者として算入していたケースもあったと聞く。 ごまかしのカクテルを障害者雇用の手本となるべき中央省庁が作った。 飲めば、気分が沈み、大声で泣きだしたくなる、その悪い酒。 一から作り直さねばならない。 <まだ青い素人義太夫(ぎだゆう)玄人(くろ)がって赤い顔して黄な声を出し>―。 蜀山人(しょくさんじん)(大田南畝(なんぽ))の狂歌と伝わる。 思い出すのは落語の「寝床」。 旦那が下手な義太夫を長屋の店子(たなこ)や店の者にむりやり聞かせて、苦しめる。 「下手なだけならいいんだよ。あの声を聞くと患うからいけねえんだ」 「この間なんか、耳の遠くなったおばあさんまで旦那の義太夫をまともに受けてひっくり返った。 胸に大きなアザが残っている」。 人体に悪影響を及ぼすとはすさまじき旦那の声の破壊力である。 そのニュースに、さては旦那の声は「マイクロ波」だったか、などとあまりふざけてもいられまい。 2016年以降、キューバ駐在の米外交官ら25人が聴覚障害などの不調を訴えていた問題。 その原因は「マイクロ波」攻撃だったとの疑いが強まったと米紙が報じた。 被害者は脳に損傷を受けた可能性があるという。事実なら深刻な話である。 電子レンジなどで使われる「マイクロ波」。 かつて旧日本軍も「怪力線」として兵器利用を研究、断念したと聞くが、 現代では数ブロック離れた距離から対象を狙って照射できるレベルまで開発が進んでいるのか。 見えない波でひそかに敵を…。 こんなものを使い始めれば、世界は「マイクロ波」の応酬になりかねない。 <赤い顔して黄な声を出し>。 怒りでこっちの顔が赤くなり、恐怖で黄色の叫び声が出る。 さくらももこさんの「ちびまる子ちゃん」の「りぼん」連載第一話はまるちゃんが一学期の終業式に 学校からたくさん荷物を苦労して持ち帰る場面から始まる ヘチマの鉢植えや絵の具箱なども見える。 「あーあ工作で作ったヘンな人形がランドセルからはみだしちゃってマヌケだなあ」。 ランドセルが重そうである。どなたにも記憶があるだろう。 教科書や学用品など学校の荷物は結構重い。 ジャンケンで負けた子どもが友だちのランドセルも電柱十本分の距離だけ運ぶ という遊びをしたことがある。 最近は見かけぬと思っていたら原因はこれかもしれぬ。 われわれの時代に比べて、さらに学校の荷物が重くなっているようなのだ。 教える量が増え、教科書は大型化。副教材も豊富。 ランドセルメーカーの調査によると最も重い日の平均は約6キロ。 低学年には苦労だろう。 小中学校の重い荷物の軽減に向け、文科省が全国の教育委員会に 適切に工夫するよう求める通知を近く出すそうである。 通知には宿題や予習復習で使わない教科書は学校に置いておくことも 工夫例として提示する方向という。 教科書はすべて持ち帰りなさいと指導された世代から見れば、 ずいぶんと話せる対応である。 こんな例示も加えたらと思う。 小さな子が苦労しているのを見かけたら大きな子がちょっと助けてあげる。 優しさに荷物も心も軽くなればいい。 「禅」は一歩一歩と段階的に登るような修行を重ねて何らかの境地に到達するというものではなく 迷いを超越して一気に悟り得たことを主張し、生きたまま仏になることを考えにするものだ まあ、巷の言葉でわかりやすく例えれば「信心」するというところか 泣きっ面にハチ、踏んだり蹴ったりなど凶事(きょうじ)が重なることを 意味する日本語の言い方は多いが、英語の慣用句は雨と関係する。 「IT NEVER RAINS BUT WHAT IT POURS」。 「降れば土砂降り」と暗記した人も多いだろう。 往年の米女優ジュディ・ガーランドが古い映画で同名の曲を歌っている。 朝、ベッドで転び、つま先をぶつける。 顔を洗えば、石鹸(せっけん)の泡が目に。 タオルも見つからない。 髪形(かみがた)も決まらないし、朝食でジュースをこぼして服も台無し。 歌には同情するが、こっちの話は不運が重なった結果だけではあるまい。 台風21号の影響で関西空港が冠水(かんすい)し、空港内に利用客や従業員ら 約8,000人が取り残された。 潮位(ちょうい)の高い時期に「非常に強い台風」。開港以来の強い風。 それに流されたタンカーが空港の連絡橋に衝突して、橋は通行不能に。 確かにいろいろ重なった。 その日は開港記念日だったというおまけもついた。 が、この「踏んだり蹴ったり」は本当に防げなかったか。 以前から地盤沈下が心配された空港でもある。 高い潮位への備えや、一本しかない連絡橋に万が一が起きた場合の対策は 十分に練られていたか疑問もある。 「想定外の大きさの台風でして」の言い訳では、同じことの繰り返しになるだろう。 異常気象で、「降れば数十年に一度の土砂降り」となる想定外の昨今である。 最近、巷では「生きる力を教える教育」だとかが持てはやされている。 これもまた意味のわからない嫌な標語である。 そもそも、人が人に教えられるのは、およそ事物に限られるのであって、 情操に関わる事など、けっして口舌で教えられるものではない。 それは両者が全身全霊を持ってぶつかり合う中で、 互いに体感するより仕方のないもので、 それを箸(はし)の持ち方やキーボードの押し方のごとく学校で教えたりできる、 と思いこむ所に最大の問題がある。 それが可能であると錯覚するのは、教育に対する買い被りであり、 人間に対する買い被りであり、 自身の内面的探求の欠如を示す以外の何ものでもない。 蛙(かえる)の神経に刺激を与えて、ピクピクと動かす実験を、一つ人間にも……、と思っての事だろうか。 生きる力なるものを与えれば、怠惰で厭世的な人物が、突如として勤勉で前向きな青年になる、とでも言うのだろうか。 言葉を弄んでいるとしか思えない。 いや寧ろ言葉に弄ばれ、観念の奴隷になっているのだろう。 教育とは、事物に関する事柄、全く無味乾燥であるかも知れない事柄を、 ただ淡々と教えるしか他に方法の無い、果てしなく、悲しい人間の営為である。 しかし、そうした行いを倦(う)むことなく続ける人の闘志、その内に秘めたる情熱、 その全人格的な広がりが、ごく自然に学生にいい影響を与えて、 ここに本質的な教育効果が生じるのである。 すなわち、人が人に教えるなど不可能であると知ってなお、 それを諦めない教育者の真摯(しんし)な姿勢が、その難事を奇跡的に可能にするのであって、 心を教える、生きる力を教える、などという思い上がった態度で、なし得るものでは断じてない。 そうした僭越(せんえつ)、あるいは、偽善を青年は決して見逃さず、最も激しく反発するのである。 草花は、人が水をやったから花を咲かせるのではない。 それは大自然がもたらした大いなる恵みであり、花自身に備わった生への意志の発言である。 提唱者に問いたい。もし、生きる力、や、心の教育、と称するものに失敗した場合、 あるいは、学生がそれを拒んだ場合、その人物には、もはや、生きる力、も、人間の心、も存在しない、 と言うつもりだろうか。 まさかそんなことはないだろう。 では、それは既に彼らの中にあると認めたことであり、あえて教えるには及ばないだろう。 これは揚げ足取りではない、言葉の綾(あや)で済まされる問題ではないのである。 逆に、生きる力の教育が不十分だったから、俺には生きる力が無くて当然なのだ、 と開き直られたらどうするのか。 もっと深刻に、心の教育の意味する所が理解できないから、私には人間らしい心がない、 生きるに値しない人間に違いない、と言いだしたら、どう答える心づもりなのか。 こんな危険なことがあるだろうか。 その意図がどれほど、崇高(すうこう)、であろうと、これほど人のやる気を失わせる言葉は 存在しないのである。 いかに生きるべきか、最も真剣にそのことを、自力で、考えようとしている世代に対して、 その外側の安全地帯に居る人間が、既にそうした根本的なこと考える力を失った老人たちが、 ご丁寧にもマニュアル片手で教えてやろう、というのである。 これほどの偽善が他にあるだろうか。 やがて利発(りはつ)にして皮肉な彼や彼女は立ち上がって、こう訊ねるだろう。 われわれに教える前に、先生がまず学ばれたらどうでしょうか、と。 心の教育、の根本に見える、物と心、なる単純至極な二分法は、全く意味が無いばかりか、 人間精神の本質を捉えていない。 物と心のどちらが大切か、と問えば、必ずや、心である、と返事がくるとの無反省な想定から、 出発しているのではないか。 これは質問が誤っているだけではない、答えも大いに間違っている。 こうした幼稚な問いにあえて答えるとすれば、詭辯(きべん)でも逆説でもない、 心より物が大切、なのである。 控えめに言っても、その順序が逆である。 次の単純な例を考えてもらいたい。 亡くなった家族の遺品は、果たして物だろうか、心だろうか。 他人には、ただの壊れた時計でしかないものが、当の家族にとってはかけがえのない、 正に故人の存在そのもの、となるのは何故だろうか。 それは、故人が常にその時計を携帯し、暇があれば磨き、人に会ってはそれを自慢し、 時計の出所、手に入れた背景を語って倦(う)まない過去が存在するからである。 物、を大切にするところにしか、心、は存在しない。 故人が、その時計に費やしたあらゆる行為が、その人の心の反映、いや心そのものなのである。 だからこそ、ただの鉄の塊(かたまり)に過ぎない、壊れた時計に対してその人を想うのである。 極端な場合には、自らの命を危険にさらしてまで、その時計を守ろうとするのである。 具体的な物を通してしか、心のありようなど論じ得ない。 物より心、などという浅薄(せんぱく)極まりない発想からは、本当の温(ぬく)もりある人の心は育まれない。 あんな鉄屑(てつくず)のために命をかけてどうするの、と言う人は、 その瞬間に故人の心に泥を塗り、同時に自分自身の心まで虚しく捨て去っているのである。 こうした物心の逆転現象の末に、ついにわが国の技術の果て無き凋落(ちょうらく)が始まった。 技術者の誇りとは、自分の分身である、物、を作ること、その手助けをしてくれる道具を愛すること、 ただその事に尽きる。 職人の使う道具を見れば一目りょう然である。 およそ一流と呼ばれる人で、道具を大切にしない人はいない。 大工ならノコギリを、調理人なら包丁を、野球選手ならグラブやバットを、学者なら紙や鉛筆を、 暇さえあれば手入れして常に最高の状態に保っているはずである。 そうした物に対する不断の努力の中にのみ、それに見合う美しい心が存在する。 もし、これらの道具を足蹴(あしげ)する者が居れば、ただちに決闘が始まるだろう。 高々バットを跨(また)いだぐらいで、何も殴らなくても……、 などとは言えないのである。 こうした職人気質(かたぎ)を前時代的で無意味と断じたために、 技術者一般の志(こころざし)が低下したのである。 住宅の手抜き工事、新幹線のトンネル事故、核燃料の臨界事故、などなど、 技術に関わる事故はいかに制度を直しても決して無くなりはしない。 それを扱う人の心が、すなわち、物を愛する気持ちが育てられない限り、 増えることはあっても減ることはない。 標語、生きる力、心の教育、には問題が多すぎる。 濃い、淡い緑が広がっているはずなのに、地肌の茶色があちこちでむき出しだ。 巨大な爪にそこらじゅう引っかかれたかのような北海道厚真(あつま)町の姿に驚きと恐怖を覚え、 助けを待つ人々の無事を祈る。 びっしりと植えられた木々の下から、冷たい土が一瞬で表に出てきた。 災害に備える難しさを突きつけられているような最大深度7の地震である。 近代的でもろさなど感じられなかった関西空港が風と高潮でまひしたばかりだ。 自然の災厄の無情な力を連日目のあたりにしている。 これほど地震が北海道を襲うとだれが想像できただろうか。 ただ、かの地では、アイヌ民族が、災害が多かったことを思わせる物語 を口伝えで受け継いできた。 現代への警鐘に思える。 神話では、この地は洞爺湖(とうやこ)などにいる巨大な魚が暴れると 地震が起きることになっている。 その一つでは、英雄神が苦労して退治するのだが、退治した後に踊ると波が立ち、 今度は地滑りが起きた。 <十勝(とかち)川へ大山津波が下り/わが沙流川(さるがわ)も大山津波が下る> (金田一京助(きんだいち きょうすけ)著『アイヌ文化志』) アイヌ語由来の地名にも災害の跡を思わせるものが多いという。 アイヌ文化研究家 更科(さらしな)源蔵 によれば、札幌を流れる豊平川(とよひらがわ) の「豊平」も崩れた崖という意味だ。 われわれの足元の下には災厄があり、すぐにその恐ろしい顔を見せる。 再認識しつつ力を合わせるときだろう。 夜更け。私は歩いていた。厚く大きな灰色のコンクリートが私の目から縦に、等 間隔に並んでいるので、橋の下だろうか。地面には茶色く枯れた猫じゃらしなど の鬱蒼している雑草。周りに人気はなく、草を踏む音だけを意識させる。 背中をコンクリートに預け、しゃがんだ。なぜここにいるのだろう。無意識がそ うさせているのか、考える気力さえなかった。ただ今感じるのは、何もかも逃げ 出して安心したい。そう、不安だったのだ。そう思うと、私は死にたかったんだと 気持ちがわいてきた。 だけど、ここには死ねる手段はない。首を吊ろうにも引っかけるものはなく、 ただ壁に頭をぶつけることはできようが、体力はいるし、中途半端に死ねな かった場合、障害もたせるだけだと考えて勇気が入らなかった。 私は橋の下の天井を仰ぎ、ため息をついた。これからどうしよう。何かが耳を くすぐった。風だ。風の音が私に語りかけているのだ。言語化にはできない、 ただひゅうひゅうと耳を触るだけ。肌にも触り、少し寒気を感じ始めた。半袖半ズ ボンを着ているのに気づく。 今は夏だ。だけど虫の鳴き声はまったくしなかった。よって虫もまたいない。 蟻一匹さえも。こんなところでは住み心地が悪く過ごしていけないのだろうか。 不思議に思ったが、追及することはよした。 私はなぜ死にたかったのだろう。ここに来ただけで、その思いは揺らいだのか、 安らいだのか、ただなびく風と草の音だけが励ましてくれているかのように。 ・分史世界(仮)に迷い込んだ4人の家族(母・姉2人・長男の私) ・その4人の家族は二人存在している。全く同じ姿 ・そこは戦時中なのか警報が鳴り、焼夷弾が降っているが昭和ではない ・なんとかして自分の世界に戻ろうとするが分史世界の家族も入ろうとする ・コミュケーション取るが相手も狡猾。どちらが本物かわからなくなる ・他の人には二人いることは認識できないらしい。どちらか一人だけが存在できる(設定不足) ・町会議の会話の中で隙を見つけて、本物を見つける ・ようやく元の世界のゲートが開いている内に戻ろうとする ・本物が確定しない限りみんな入れない ・私だけ分史世界に戻って、みんなを探す ・町会議の会話の中で偽物か本物かどうかを把握する ・その世界でやっと本物の姉を見つける ・ゲートが閉まらないうちに入る ・なんとか戻れたと思うが、途中姉の赤子が行方不明でもしかすると分史世界に迷い込んだらしく私も後を追う ・一人、焼夷弾の雨が降る中、子どもを探す ・姿は見つかるが赤子のため本物かどうか把握できない ・結局本物だと思った分史の赤子を連れて帰り、本物は空襲の中で生き延びることとなる ・私は本物が強く生きることを願うしかない、そうつぶやいた ・To be continued 番長の物語もこういった顛末のメモをしておくべきだった <闇があるから光がある>。 作家小林多喜二は若いころ、恋人にあてた手紙でそう書いた。 北海道小樽市の飲食店で、家族の借金のため、苦労して働いていた不遇の女性だ。 手紙は続く。 <闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分るんだ>。 今はつらくても必ず明るい日があなたに訪れると励ましている。 弾圧の中でも才能を発揮した作家の悲劇的な人生を思えば、いっそう心に響く。 希望の言葉として今も語られる理由だろう。 地震で北海道中が、闇に包まれた。 復旧は進んでいるが、全道が一時停電する異常事態はやはり想定を超えている。 電力システムの弱みが露呈したという。 電気が欠かせない世の中で地震の秘めた怖さをみせつけられた思いだ。 日常生活から公共の交通まで、影響は広く及ぶ。 中でも、輝かしい先端技術が集積した携帯電話は、電源を失ったときの弱さをみせた。 情報の収集も伝達もスマホへの依存は進む。 光のない夜、不安にさいなまれた人は、多かったに違いない。 その不安に乗じるようにデマも流れた。さいわい致命的混乱はないようだ。 信号機が光を失った中でも、保たれた人々の落ち着きもあるだろう。 多喜二の手紙は言う。 <世の中は…不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある>。 闇をくぐり抜けてきた被災者たちの苦労や忍耐。将来への糧となってほしい経験だ。 THE ENDのほうが綺麗だな。連載漫画ばりに格好つけてしまった 結論から言うけど 日本青年社とかに入るよりは ずっと良いだろう 学生がアルバイトに励むのはもっぱら糊口(ここう)をしのぐためである。 81歳で亡くなった一橋大名誉教授の安丸良夫さんもそうだった。 先輩から勧められて大学院生時代に軽く引きうけた仕事が生涯の航路を決めた。 週2回、京都・亀岡にある神道系の教団「大本」の本部に通った。 70年史を編むよう頼まれた。 邪教、怪教と弾圧された歴史を持つ教団だが、開祖の出口なおが残した書き物に引きこまれる。 無学無筆の控えめな女性がなぜ神を名乗ったのか、庶民があつく信心を寄せた背景は何なのか。 研究の出発点となった。 西洋哲学への憧れは薄らいだ。 関心は宗教から百姓一揆、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)、自由民権運動へと広がる。 支配者の思想ではなく支配される側の思想を見つめた。 たどりついたのは勤勉、倹約、謙譲、孝行、忍従、正直、献身、粗食、早起き――。 これらを「通俗道徳」と呼び日本社会の近代化を支える背骨だったと論じた。 生まれ育った富山・砺波(となみ)地方に根付いた浄土真宗の教えに通じる価値観である。 舞台は近未来に焦点を当てる。 恐ろしい発明によって、数多の時代からタイムリープしやってきた各々の兵が、 それら時代に見合った鈍器や銃器などの兵器を抱え、激戦を繰り広げる。 戦争に理解あるもの血を、ないものが血と涙を流し、 栄光を掴んだ者の出した答えは、やがて全ての人類を消滅させる結果に至るだろう。 好きなんだよな。もともとこういうの。今の気持ちがそうさせてる そりゃあ、オウムに入りたがるさ。今の若者は現世よりも来世を欲している 世代がわかってしまうが、私にはネバーエンディングワールドが一つの答えだとも思っている この主張はいつだって揺るぎないがな。何度も言っている みんな、わかっているんだ、きっと。自分も、わかったような顔をしている… そしてこの行いが、善人の沈黙に繋がるだろうということも 己魂に語りかけるのは止めて、今度はサタンと対峙している。それが魂だとも主張できるが、今度は敵として見ている だから前スレ「静閑寂雅」とは違って文章に遠慮するつもりもない(とは言っても後半は酷い文章だったが) 科学者がなぜ心霊を崇拝するのか。そしてそれをマスコミが語るのか。視聴者はそれを見たがるのか 今は違うだろうが、90年〜2000初頭はそういう雰囲気があった やや主張が前後するが、科学者達による世紀末思想、かつて騒がれていたな。なんとなく耳にするだけだったが その予想は掴めず。人類、特に日本人のほとんどは暫くまだ悠久の時を経るだろう 言うまでもなく、私もそれを望んでいる。身体のどこかをおかしくしない限りではな どの新興宗教も科学者を引き合いに出していることが多いと認識している。信者が自覚しているかは怪しいが 特にデリケートな話だが、中では非科学的を崇拝する者が圧倒するであろう。理論物理学者からすれば可愛いものだと揶揄われる事実もあるが 私の興味ある分野は、物理学なのか心理学なのだろうか。時間はまだ許されるから、じっくり網羅しながら考えよう それらも等しく文化であるから、区分けする必要はないという考え方もある 分野として区分けしているか。頓珍漢なことを言ってしまったかも テニスの全米オープンで錦織・ジョコビッチ戦をテレビ観戦していて、 松本大洋さんの漫画『ピンポン』のある場面を思い出した。 それにしてもジョコビッチが強い。ああ、また、錦織がブレークされた。 漫画の中で、ライバルの選手が試合に負けた主人公にこうささやく。 「お前にひとついい事を教えてやんよ。ペコ。絶対に負けない唯一の方法さ」。 本当にそんな方法があるのなら、誰だって知りたい。今の錦織だって。 どんなに強烈なフォアハンドを決めても、ノバクは打ち返してくる。 もう1セットを失ったか。 絶対に負けない唯一の方法とはなにか。漫画の男が教える。 それは、「勝つ事だ。ひひ…」。 それでもそれは真実。走れ、錦織。 ゲームセット。またしても旧ユーゴ出身の元世界一位にはじき飛ばされたか。 これで14連敗。通算成績はジョコビッチの15勝に対して、錦織2勝。 なんと高く険しい山なのか。 なかなか勝てぬ相手に悩んだ選手を知っている。 2010年までの通算成績は相手が16勝で自分は7勝。 が、挑み続けた結果、やがては通算成績で追いつき追い抜くようになる。 挑み続けた選手とは、ラファエル・ナダルに対するジョコビッチである。 コートを引き揚げる錦織。さすがにややうつむいていた。 さあ顔をあげてほしい。挑み続けるしかない。 それが「勝つ事」に近づくための唯一の方法。 <変わり始めた「保守」の意味> 日本の各地を歩いていると、現在ではどこに行っても移住者たちの姿をみかけるようになった。 私の村の家がある群馬県上野村でも、住民の2割強が移住者である。 移住者が定着し、さまざまな活動を生みだしている地域では、 必ずといってもよいほど、その人たちに活躍の場を提供している、元々の地域の人たちがいる。 昔から暮らしていた住民が新しい人を迎え入れ、支えている。 そして、この昔からの地域の人々の精神は、本当の意味での保守主義に根ざしている。 政治的な意味での保守ではない。 昔からつづいてきた地域を守りたい、この地域の暮らしを守りたいという思いがその人たちにはあって、 この心情のなかに、私は本当の意味での保守主義を感じるのである。 何もしないでいたのでは、伝統的な農山漁村は崩壊してしまいかねないのが今日の現実である。 新しい試みを導入していかないと地域は守れない。 だから移住者たちも迎え入れるし、彼らに活躍の場も提供する。 そのことをとおして、伝統的な地域やそこでの暮らしを守っていこうとしているのだから、 考えてみればそれは、保守の心情である。 保守と革新という言葉を使うとき、ソ連が崩壊する1991年までは、革新の側は、 内容はさまざまであっても、社会主義思想を参考にする立場をとっていた。 資本主義的な社会を、より自由で平等な社会につくり替えていくというのが、革新の立場であった。 革新の側は改革をめざし、保守は改革を拒む勢力だった。 ところが今日では変わってきている。 政治的保守の側が新自由主義、市場原理主義的な改革や、 戦後社会のかたちからの脱却を主張している。 憲法改正もその路線にもとづいて提起されている。 それに対して、この動きに批判的な人々は、戦後にめざした平和主義や自由、平等といった理念を 守ろうとしているのだから、ある意味では戦後的保守主義なのである。 かつては、変革を主張する人たちが革新の側であった。 ところが今日では、戦後の理念を守り、地域や地域の暮らしを守ろうとする人たちが、 政治的には改革派の役割をはたしているといってもよい。 私の暮らす上野村でも同じである。 村人たちは伝統的な上野村を守りたいと思っている。 自然とともに暮らす村、人々がごく自然に助け合う共同体としての村、 村の外の人たちとも結び合う開かれた村の伝統を守りたい。 そのために新しい試みを重ねていく。 村を変革するためにではなく、伝統的な村を守るためにそうしているのである。 現在の上野村は自然の力を使った地域エネルギーで暮らせる村をつくろう と努力しているが、それも伝統的な村を守る試みのひとつである。 政治的保守の側が原発の必要性を主張し、 すべてを市場にゆだねた弱肉強食的社会に向かって社会を変えていこうとする。 この動きを批判する人々が、自然とともに生きる社会や共同体的な助け合える社会、 経済成長よりも充足感のある生き方ができる社会などを主張する。 そしてその奥には大事なものを守ろうとする、本当の意味での保守主義が流れている。 振り返ってみると、歴史が変わっていくときには、 必ずといってよいほど言葉の意味も変わっていった。 とすると保守という言葉の意味が変わりはじめた今日もまた、 歴史の変動期なのかもしれない。 釈尊は生老病死の四苦に悩んで出家されたといわれますが、 宗教といわれるものは生死の問題とか、罪業の意識とか何らかの苦悩に直面したり、 人間の力の限界に直面しその壁にぶつかった場合などに、 これを脱却しようとするところに起るのが普通だとおもいます。 この頃では四苦の中とくに「生」の苦しみ、つまり生活難の問題から宗教心を起す人も多いとみえて、 現世利益本位の新興宗教が大そう流行するようです。 それに学問が進んで参りますと、老病の苦しみなどは、宗教よりお医者さんか科学者の手に かかった方が賢明だと考える人も多いこととおもわれます。 また「生」の問題は、宗教によるよりは、社会運動による方が解決が早い場合も多いとおもいます。 そんな訳でこの頃の宗教家は成ってない、ちっとも偉くないといわれますが、 たしかにそういわれても弁解の言葉もありません。 昔は弘法大師にしても、伝教大師にしても、その他の祖師方にしても、人身の救済は元より、 病気を癒したり、政治に顧問をしたり、道路を開いたり、橋をかけたり、戦争の参謀をしたり、 天文地理人事の万般にわたっての最新最高の知識をもっていて、 それらを適切に指導処理する実力をもっていました。 それが社会の複雑化や、学問知識の発達に伴って分化してまいり、 ついに宗教家は葬儀法要を分担するだけの専門家になってしまったのです。 ところが妙なもので、科学が最高度に発達して原子核の構造まで判ってきたら、 逆に人間の知識の産物によって人間が滅んでしまいそうになってまいりました。 そこで改めて“人間とは何ぞ”が問われることになりました。 つまり歴史や文明の根底に向って、宗教的証明をむける必要が生じてきたようです。 ガブリエル・マルセルは『人間―それ自らに背くもの―』の中で 「かつて、ニーチェは、“神は死んだ”という断定を下した。 それから75年を経た今日“人間は死に瀕している”という、いまひとつの断定が、 はっきり言葉にならずにむしろ苦しそうに呟かれながらも、 ニーチェの断定にこだまするごとくにきこえてくる」 と書いています。 “神は死んだ”からこそ人間中心の自我文明が生れたのですから、 こんどは“人間は死んだ”とならなければ原子力時代にふさわしい新たな超現代文明は起らないと考えますが、 それはともかくとして個人的な不安とか煩悶とかではなく、歴史とか文明とかの根底に不安が生じ、 そこに人間とは? との問いが起り出したのです。 宗教家はその部面に新生面を開いて、葬式専従者の汚名を返上しなければなりますまい。 むかしは人間は神のドレイで、死ぬのも生れるのも、一生の運不運もすべて神さまの思し召によるものでした。 ところが近世になって 「何人によっても(神によってさえも)決して単に手段として使用せられ得ない」 ところの自由な人間として、 「普遍妥当的立法の原理として妥当し得るよう行動」(カント) する人間として自覚されるようになって、神と人間と主客が転倒し、 神が死んで人間中心の時代になりました。 この人間道中はカントからフィヒテ、シェリングを経て、ヘーゲルの絶対我まで登りつめ、 そこから左と右の降り坂にさしかかりました。 左はフォイエルバッハの道へ、右はショーペンハウエルの道へと分れたようです。 そのどちらの道もが原子力にぶつかって行き詰りの袋小路 ―曲り角という人もあります― に入ってしまったのが現在です。 「自我」などというものを本来の人間だと錯覚してきたおろかさよ、 どちらへ行ったらよいか判らぬ曲がり角で迷うより、いっそもと来た道へ戻り、 親の懐ろに帰ろうとはおもうけれども、 さて、進まんとすれば路多くしてどれが故郷への道かも判らず、 退かんとすれば日はすでに西に傾いて家山の方角すら知り難いという有様です。 といおいつ、どうしたらよいやら、サッパリその方法も立ちかねて、 徒らに迷いの念がハチの巣でもつついたように群がり起るばかりです。 たとえ禅の道に入ったとしても、まだ坐禅の本当の要領が手に入らず、 またよしんば「内に向って」求めているにしても、 内と外、つまり求める自己と、求められる対象とが二元的に対立している状態です。 それでは駄目だ、間違っている、といってみたところで、 誰しもみな一度はとおる関門ですから、 その駄目を経験してみることも決して悪いとばかりは申せません。 エンニャダッタという婦人が、ある朝、自分の頭をなくしたといって、 気狂いのようになって探しまわった話はある譬喩(ひゆ)として有名ですが、 世界中の大学者が「自我」を追求すべく「区々として外に向って尋」ね、 ついに虚無絶望の深淵に立つ外なかったとすれば、 その一狂婦人をわらうわけにはまいりません。 「われ」は求められる対象の側にはありません。 「外に向って尋ね」ているうちに、肝心の「われ」は「脚底すでに泥深き」ところに埋没して、 一層その行方が判らなくなってしまいます。 「われ」というものは対象的につかもうとすれば、金剛経にいうように、 心不可得で、到底これを捉えることはできません。 なぜならばそれは本来固定的なものでもなければ、 形相のあるものでもないからです。 「白露のおのが姿をそのままに、紅葉におけば紅いの玉」で、 無自性なのが「われ」の本質です。 ですから向う側に尋ね出そうとすれば、求めれば求めるほど迷いが深くなって、 ますます不可解になってしまいます。 けれども、もしひとたび翻ってこれを自分の脚もと、求めているもの自体に反省したらどうでしょうか。 臨済禅師の言葉を借りるならば、われわれの目にあって見るという働きをしているもの、 鼻にあっては香を嗅いでいるもの、耳にあっては音をちゃんと聞きわけるぬし、 手にあってはつかみ、足にあっては歩くそのもの、 それは一体何ものでしょうか。 それが本来の「われ」の働きではないのでしょうか。 百姓は日に用いて知らず、という句がありますが、 朝から晩まで、目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、手で握り、足で歩いていながら、 一向その働きのぬしを気付かずにいるのが、われわれ丹夫のつねではないでしょうか。 それは「手に鼻頭をとって」現に心牛の鼻づらを引いていながら、それに気づかないと同じことです。 牛すなわちわれ、われすなわち牛で「同じく」起き臥しておりながら、それを他に求めているわけです。 「極意とは己のがまつ毛の如くにて、近くにあれど見付けざりけり」で、 余り近すぎるため、却って気づかないのでしょう。 答えが一つじゃないことはわかっています。ただ答えを出されるのが怖いんです。求めているままのほうが楽しいかなって ネタバレなんて本当にいえることだ。そのせいで物語が楽しめなくなる 過程を経て自力で結果にたどり着くのが物語の醍醐味なのに その時その都度に情緒を巡らせながら話を進めていくのだ 繰り返し読むと情緒から思考になり、また違った雰囲気を体感できる そういうわけで、割かし有名な映画などの物語は不意にネタバレを突かれることがあるので、あまり触れません… 自力が成功すればまた見たく、読みたくなるんだけどね ネタバレされて本当に悔しかったのは、アトラスのゲーム「キャサリン」だ。この会社のゲームはこのソフトが初めて だから次の展開はどうなる?! と胸たかぶらせながら進めていたわけなのだが、とうの昔の友人にヒントを出されて超絶さめた 本当にロマンティックなゲームなので、自力でプレイしていれば周回プレイしたくなるのに、本当に悔しい。あいつはもう知らない 論点は擦れたが話を戻って…、ネタバレされるとやる気が失せるのは、それだけ話と真剣に向き合ってるからだ 大抵オチは知っておくといいんだが、最近は祭りの後みたいな気持ちになるのが嫌で、終わりそうなムードを感じるとそこでプレイをやめてしまう その点、本はページの厚みがあるのでムード云々は言えないが、読後の感動は味わえる 本とゲームだけにすればいいのに映画で話をややこしくしてしまったな。最近のゲームは映画っぽいんだけど 84は最近、別の人からの意見を聞いて大変納得したから書いたわけだ。ゲームはそんなにやらん 外出中で物思いふけることもあるので、やはりこちらの端末でも登録しておこう やっぱり高校時代がデカかったなぁ。自分が人間になれない。本当の自分をつかめていない ネトウヨをただ忌まわしく思うのも本来の自己を掴めていないからだ。だから彼らも話を聞く気にならない。 ただ愛国心を自身のアイデンティティだと思い込んでいる。間違っているとは言えないし、彼らも信じる気持ちのほうが強いから 諭すなんて奢った考え方をしやすくするから、相手はわからないが、自分は自分がわからなくなる 合理的に諭して隙のない意見を言える人はいるが、はたしてその人が本当の域に得られているのか、疑問でもあります わたしの父のようにお前の考えは間違いだ、あれも間違いだ、これも間違いだと否定するのは正しいことなのでしょうか 生の声に惑わされてそれを抵抗しているようでは、まだ私は語れないレベルだ 禅には大いに興味があるのでな、感じた気持ちをここで書きつづる。あとで見直す ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる