【○田中米太郎】BI砲を考える9【●大木金太郎】
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名勝負でも二人の確執でも友情でも
前スレ
【王道】BI抱を考える8【闘魂】
過去スレ
【馬場】BI砲を考える【猪木】
【32文】BI抱を考える2【コブラツイスト】
【アトキンス】BI砲を考える3【クラウザー】
【清水一郎】BI砲を考える4【古舘伊知郎】
【慎重居士】BI砲を考える5【夢追い人】
【ジャイアントサービス】BI砲を考える6【アントン・トレーディング】
【スナイダー&ホッジ】BI砲を考える7【ブルーザー&クラッシャー】 二人のデビュー戦、門茂男によると力道山は馬場にプロレスをやらせ猪木に真剣勝負をやらせたらしいが
ホンマかいや? 何よりもわざとらしく安っぽいプロレス劇場をあーだこーだと「幼稚極まりない」理屈付けして「得意げに」語る姑息な全日ヲタに代表される中高年・高齢プヲタのマインドが傍目にも恥ずかしいがね。。。
最近はレトロプロレスの記事も、あまりにも反響がないからネットニュースで配信されなくなったね(^o^)
891 お前名無しだろ (ワッチョイ cf24-IDGI) 2023/02/05(日) 13:03:07.24
アイスオタも酷いが、ダムオタとか情ない団体オタのオッサンや爺を、わざわざネタつくって釣ったり、釣られたりしてるくだらんやり取りが面白いなw
一昨年にリンダ・マクマホンがCBSのインタビューで英米欧の女子プロファンのマーケティングについて、
女子プロとファン層が一番被るのはポルノのコンテンツマニアだから、社会通念・構造的に彼女達はメインストリームのセレブリティにはなれないのよ、ってステファニーの分析の受け売りだけど、って断り入れて答えてた
だから前々からWWEを意識してる日本の女子プロの客がこういうネタに食いつくブサい高年齢男だけなのは仕方ない
万国共通で客層考えると若い客は避けるよね
それから偶然だと思うけど去年、藤本やWAVEの桜花が選手に見切り付けたみたいに半引退&女の幸せを掴んだり、アイスでマシロさんがあっさり引退したりw
671 お前名無しだろ (ワッチョイ 9924-5I03) 2023/03/08(水) 00:43:30.35
藤本さん、女として母として幸せ掴むラスチャン生かしたな
旦那ともども潮目を見たのが大正解
猪木お別れの会も巷で何にも話題にならないし
コロナがやっぱり潮目だったな
潮目を悟ったネット世論が動いて
まずは一つ潰したと・・・
https://twitter.com/shupromobile/status/1671172563018612737?cxt=HHwWgoDUkfClmbEuAAAA
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 3 レーンブランW (オッペケ Sr87-+1Qp) 2023/05/19(金) 14:10:35.19
蘊蓄ひけらかす40代以上の懐古プロレスオタクの正体はW
https://twitter.com/T1futami/status/1659173135537799170?cxt=HHwWhIDQyaLLyIYuAAAA
確かにツイッターであんまり女子プロレスの話題書き過ぎると女性のフォロワーが減るね
これが原因だったか。。。
☆女子プロレスを支える40〜60代の男性客の容姿の醜さがそのまま、選手や関係者の(他に類のない)精神、心の醜悪さに反映されているとすれば、一つの現象として考えると分かりやすい
当に両者は写し鑑☆
動画配信で会場の客席が映ると、独身男の最悪な人生の墓場っぷりが嫌でも目に入るが…痛ましい限り
あれじゃ女子だけじゃなく、同業の男子プロレスの関係者も憂鬱になるだろうなあ、、、
まあバカバカしい推し活の延長で関係者、オタ同士が誹謗中傷合戦やってんだからメンタル面での醜悪さは、男女変わらんな(笑)
当にプロレス絶望空間。。。
識者曰く、まあ猪木が亡くなって半年以上経つが
色んな動き総括すると懐古でも何でもプロレスってのはコンテンツビジネスとしては高齢者頼みの金にならないモンだってハッキリしたね
週プロ、東スポ、ナンバーとか
未だに若年層から失笑を買ってしまうような子供騙しの駄文でお茶を濁してるが
これまた将来的には絶対に金を生まない
ゴシップ好きな恵まれない高齢者頼みの部数、広告激減の紙媒体しかプロレスをフォローしてないからな
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) これなんかも現に東ス○や週プ○のカメラマンなんかもさ
それとなく編集から性的欲求を喚起する写真、エロいの頼みますって含みを持たされてきたんだし…
これネタにしてパブリシティになるかって言ったら女子プロレスの客層の実態が広く周知されただけだし…
https://twitter.com/nico_nico_news/status/1667122416362090497
これも女子プロレスの性的欲求をを満たさんが為の写真と同根の問題
女子プロレスの客層みたいに「ほぼ全員独身の男性、40〜60代、暇でモテなそう。」なのが大半かどうかだけの差
女子プロレスの場合、小会場の大会やイベントの売店でそんな内情や客層の本音を重々承知した選手が
哀れな独身高齢男達と引き攣った笑顔で白々しい会話してフォローしてるのが端から見てると失笑モノ(笑)
グッズ買わせるのだけが目的のうら若い女子レスラー相手に何の実用性もないレトロプロレスの蘊蓄かます独身爺が一席ぶったりするのはさながら地獄絵図
まぁ独身オワコンプヲタ親父&爺を手懐けて商売敵を叩かせる複垢なんぞも作らせて情けない推し活させるのも目的だが(笑)
https://twitter.com/jcp_sai/status/1665974353874538497
何よりもわざとらしく安っぽいプロレス劇場をあーだこーだと幼稚極まりない理屈付けする中高年・高齢プヲタのマインドが傍目にも恥ずかしいがね。。。
最近はレトロプロレスの記事も、あまりにも反響がないからネットニュースで配信されなくなったね(^o^)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 武藤のコメント、赤井、岡林残り引退(休業)…
コロナ以降、心身共に醜悪な独身中高年男や高齢プヲタの巣窟となったプロレスに絶望したってのが良く分かるな
https://twitter.com/SportsHochi/status/1666241336532688896?cxt=HHwWgIDT4dvq1p8uAAAA
武藤「〜もしかすると距離を置いて楽しみたいかなって」と明かした。
https://twitter.com/ddtpro/status/1661715200733777922
赤井沙希「美しいまま散る花でいたい」
https://twitter.com/BJWOfficial/status/1666354357070340096
岡林「(老害老悪プロタがいなくなって…)いい未来を見つけていけたらなあと思っています」
この三人は人間的にマトモだし、リアルに会場でもネットのSNSでもお互いに誹謗中傷し合って団体や選手の推し活が蔓延る「絶望プロレス空間」に嫌気が差したんだろう
残るのは複垢で単発クソリプやなりすましまでやって競合団体を誹謗中傷して推し活する独身男達の最悪な人生の墓場と化したプロレス業界で禄を食むしかない奴らだな…
選手や関係者でもヲタと一緒になって誰かを誹謗中傷して
営業面でアドバンテージ取ろうと必死になってるメンタルが醜悪なのもいるし、まぁ仕方ないか(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 693 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-Sytj) 2023/04/15(土) 20:00:53.58
大谷翔平みたいに競技者、アスリートとしての実力、実績もあって尚且つ高額所得者でありながらSNSとかで余計な事も言わない大人格者がメディアを席巻すると
まぁSNSでチマチマ当て擦りしたり、どーでもいいような蘊蓄やくだらん人生論を披瀝して御意見番気取りするようなプロレスラーは、やればやるだけ器の小ささを世間に露呈ずるだけだな、今や(笑)
687 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-Sytj) 2023/04/15(土) 18:54:49.69
まあ男女とも対抗戦とか、無原則に他団体交流やるのは何にしろ激烈に集客落ちた時の一山いくらの安売りセールみたいなもんだから
「一枚のチケットで色々な団体望まれるプロレスが観れる」(大笑)
そんな業種全体のお寒い台所事情を見透かしたら、賢いマスコミはもう乗ってこないな
オリンピック、WC,WBCと続いてガチ勝負の醍醐味に酔った大多数は今さら何でプロレス?ってなるわな
加えてSNSで気持ち悪くて姑息な団体アゲするマニアオタクのダサさが白日のを下に晒された日にゃ
もう、プロレスなんてダサいオタクのダメダメ娯楽って世間は認識しちまったからな
どうでも良いけど【絶対不屈彼女】って超絶恥ずかしいね(笑) ネタ元が既にオワコンてのもあるけど
中坊の男女が絶対着たくないTシャツのネーム、フレーズだって 中高年のサブカルオッサン受け狙いのダサ臭さだけど(笑) 最低限の世間体というものは顧慮すべき 851 お前名無しだろ (オッペケ Srfb-foDO) 2023/04/20(木) 16:47:29.36
>>744
一般マスコミだけじゃなく、SNSの書き込み見りゃ誰でもプロレスの団体オタクってかなり幼稚だと思うよ
レスラーや関係者、プロレスマスコミまで何でも団体オタヲタクレベルでSNSに書き込みするから相乗効果でバカっぷりがますます増幅されてる
レスラーのインタビューも、とにかく仕事としての問題意識のレベルの低さには呆れるな
それからプロレス関係の奴らがやる大喜利や受け狙いの捏造ネタとか偶に見るけど、もう知恵○○としか思えん
この間WWE所属のレスラーが、まあまあ浅ましくもWBCに乗っかって球場来て売名行為してたな
その影響かもだけど大谷や吉田関連のSNSでしつこくランディ・まっちょまん・サベージの動画を何回も貼るバカ(外人)プヲタがいて野球ファンに顰蹙買ってた(笑)
誰にも受けてないの見かねた奴らに「お前は何歳になるんだ?一体、幾つになったらプロレスをleave(卒業)するんだ?」とかコケにされてたよ(笑)
そしたらムキになって連続ポストしてて更にウザがられてたのがプロレスオタクらしいとね
万国共通でプロレス関係ダサいなと(笑)
ヤフーやMSNでプロレスのニュースバリューのレーティングがガタ落ちしました。。。 333 理由↓プロレスの蘊蓄が社会的に全く無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
https://imepic.jp/20230715/561630/jhNX
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
https://imepic.jp/20230715/559380/95S4
1968年のゴング誌も哀れ一冊一円也(笑)(笑)(笑)
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな ブロディが亡くなって今日で35年
アドニスの事故死があったばかりだから衝撃がでかかった
生きていればハンセン同様四天王の壁になってたのかな >>1
前スレのアドレスくらい貼れよ
アホかお前は >>10
あのまま生きてても
四天王時代までには全日から再度離脱してると思う ブロディの性格からしてマスカラスの様にインディー団体で王様として扱われることを選びそうだね。 ブロディは「セミファイナルだって嫌だ。主役になれないならこのリングに上がらない」とまで言いきっていたからな
でもプロモーター馬場を二度まで裏切るだろうか
健在のうちは全日に尽くして四天王とも戦ってたんじゃない?
三冠ベルトも一度は巻かせてあげて アジアタッグの渋いベルトは最初の王者の吉村と大木に合わせた物かな ヤマハが新日じゃなく全日だったらアジアタッグは盛り上がっただろうな 小鉄と星野の仲ってのは分からないんだよな
少なくとも小鉄が星野の新日本入りに全く動いてないのは間違いない >>13
マスカラスがインディーのスターだったのは還暦くらいからでしょ
ブロディはその歳の頃にはどうしようもなくなってる 間違えてもマスカラスには三冠ベルト似合わないw
ブロディはインディーで王様やるくらいなら引退しているでしょう
特に目の肥えた日本のリングでは‥ ブロディはあの事件がなく生きてたとして、
うまく煽てたらハッスルで高田モンスター軍入りしたり
DDTで男色ディーノとシングルやってくれそう
キャラチェンジしてWWFにも上がってたと思う >>19
練習の鬼、駒と小鉄が全日だったらだいぶ雰囲気が変わっただろうな
(旧日プロ勢が入ってどうなるかだが)
ヤマハの日プロ時代はNWAタッグリーグに一度出ただけで
タッグとしての活躍というより星野がマスカラスの来日第1戦を務めたり
小鉄がモンスーンに金星をあげたくらいかな
あぁ、星野は猪木と組んで第1回NWAタッグリーグ優勝があったか 「駒がいなくなって全日の前座はぬるくなった」と月刊プロレスに書いてあった
ミステル・コマの名は未だメキシコの伝説らしい >>25
駒の試合となると武道館での百田とのタッグあたりが代表かな 駒といい栗栖といい向こうでクラスのトップになっても日本に帰ればまた前座というのがなんとも
浜田みたいに永住覚悟で3階級制覇するぐらいじゃないと日本で認められないのかね 豊登がエースで馬場が凱旋、猪木が初の海外修行に出かけた1964年
何気なくニック・ボックウィンクル初来日の戦績を見てたら金剛なるレスラーの名が‥
日プロにこんな人いたかな?と思って調べてみたら大木金太郎なんだね(笑) >>30
馬場がアジアタッグの初防衛戦をやった三条大会でニックとシングル戦 金剛じゃなくて、この時期に話題になった大木の二代目力道山襲名の約束は
今まで豊登主導で計画されたとばかり思っていたけど
児玉誉士夫と町井久之の半強制的な社長豊登への要請だったみたいね
その裏には韓国・朴大統領の思惑が…って皆、半共産主義
統一教会と関係ありそうな、なさそうな?? >>19
駒が生きていれば小鹿は裏方的な仕事はせず、純粋にトップ選手兼ジョバーとして扱われたかな。アジアタッグも鶴田&小鹿組でとか。
それかずっと海外暮らしか。
>>25
確かに駒が居る頃のリングサイド、セコンドの動きもピリッとした緊張感があるね。 >>33
>駒が生きていれば小鹿は、、アジアタッグも鶴田&小鹿組でとか
ちょっと意味不明。駒が亡くなっても、小鹿はアジアタッグ王者だったのだが、、
鶴田に就かせることでアジアタッグをもっと格
鶴田はインタータッグ王者、そしてシングルでもUNを狙っていた。
わざわざ格下のアジアタッグ三冠王にはしなかっただろう。 猪木がUN,インターとアジアの両方のタッグ王者で三冠王という時代があったが
アジアタッグ戦線で馬場や大物外人の存在に頼らずに
大阪府立や愛知県体育館、札幌中島などの
地方の大会場のメインを務めあげるという経験は
自分がエース格として試合を造っていく事にに大いに生きていたと思うけど
若いころの鶴田もそういう経験があったほうが
その後の低迷もなかったかもしれないな
80年前後に鶴龍でアジアタッグを持っていてもよかったと思う >>34
駒が吉村みたいなアジアタッグの常連になったか アジアタッグで大会場のメインを経験したと言っても、猪木の場合NETのエースとして数字を稼ぐようなマッチメイキングをされてたからなぁ
確かに鶴田には下積み経験をもっとさせてじっくり育てた方が気概というかハングリー精神が宿った?かもだけど
いきなりメインのパフォーマンスをやってのけたし、馬場も早く看板にしたかった事情もあるんでしょう
仮に鶴田を前座から育てても、押しのけてもトップに立つ猪木のような性格じゃないから
結局、馬場が一線から退く頃まで怪物に化けないと思う。 全日本のアジアタッグの原型はやはり日プロ最後の小鹿松岡の印 全日本のアジアタッグの原型はやはり日プロ最後の小鹿松岡の印象 アノキはぁチョリキよりもぉジャンツを欲しかったらしいかんな。
ジャンツがぁーシンニプロレならぁフジナとぁライバル関係んなれたかはぁ微妙だぞぇ。
キャリアでぁ麻疹の方がぁー先輩だしぃ。
サカグとはぁ大型コンビ組んどっただろぉけどもぉ。
さぁなりゃあチョリキはぁゼンニプロレかぁ?
ジャイバのバワイはぁ大きいのを中心に選んどったかんな。
ジャイバはぁチョリキをぉ獲らんかったかもぉだぞぇー。
そぉなりゃあチョリキはぁプロレ界にゃ入らんかったかもぉ。
シンニプロレもぉジャンツ獲ってチョリキまではぁ獲らんだろぉにぃ。 全日でのアジア・タッグは初期は中堅レスラーが巻くベルト
フットルースあたりからは将来のメインイベンターが巻くベルト
天龍が「青春の忘れ物だ」と言ってアジア・タッグを巻いていたが
そりゃ天龍が20代の頃は将来のメインイベンターが巻くベルトじゃなかったからな 取れなかったが馬場が小橋と挑戦した辺りから皿に用途が広がった
現在ではレジェンドやジュニア用としても使われてるし 全日のアジアは新日に対抗して無理やり復活させた王座という感じ
新日版がなくてもいずれ中堅のガス抜き対策で復活しただろうけど
インタータッグとの格差が露骨になったのは日プロ最後の王者を基準にしたのかね 新日本版は結局は全日本に本家ベルトを復活させるだめだけに終わった あと昭和全日本期のアジアタッグは挑戦者も含めて生え抜きと外様の融和用という感じも強い
そもそも代表な極道コンビ自体がそれだし 67年テネシーのプロモーター、ニック・グラスが小鹿&大熊を「ライジング・サンズ」星野&小鉄を「ヤマハ・ブラザーズ」と名付けたみたいね
ヤマハは納得するけど小鹿大熊のライジング…はカッコよすぎる(笑)
それにしてもアジアタッグは吉村坂口の時までは現役NWA王者が挑戦してるんだよね 最後のは決定戦の相手までやってるからな
それもインタータッグとの二冠王で インタータッグだけど
素直にエリッククラップ組に(ダラスとかで)挑戦したら
馬場杉山組でも獲れるんじゃないかと思ってた。
猪木坂口が挑戦しても獲れるだろうから先にやらないと
と考えてた小学生の頃
後で知ったがクラップスタイガー組なんて誰でも勝てそうに思える プロレス史的にはインタータッグ海外流出になってるけどエリック&クラップ組はベルトを日本プロレスの金庫に置いて帰国したのが真実
ベルトは日プロから馬場の手に渡り馬場がファンクスに預けた形 >>49
日プロ最後のアジアタッグ決定戦の相手なんだよな
要するに小鹿松岡に負けたのにインタータッグ王者 クラップはこの時期に色々と目立ってて面白い。
日プロでインタータッグをとって、高千穂のUNタイトルマッチの防衛戦の相手で
外人弱体だった初期の新日のエース外人。 クラップは昭和四団体制覇した中ではマードック・ヘニング父と並んでビッグ3になるかな?
B級っぽいが初来日からラッキーが続いた >>52
外人なのに二シリーズ連続でインタータッグ奪取だからな
あとアジアタッグにも二度挑戦 74年頃にルーイン・クラップは馬場・猪木のシングル王座に挑戦してもよさそうだが無かった キラーコワルスキーも、ワールドリーグに2回、
NWAタッグリーグにも決勝進出経験者なのに
一度も、日本でシングルタイトルに挑戦していない。 最後のワールドリーグ準優勝のモンスーンもか‥
ジョナサンは力道山のインター挑戦やスナイダー同様、世界王座争奪戦にでてるんだな。 >>52
クラップは高千穂に負けたのは
なかったことのような好遇を新日本で
受けたな。
もっとも実力からすれば高千穂が
勝っても不思議ではなかったが だったw
ジータスで馬場vsモンスーンのインター観たわ >>59
あれは日プロがNETに見捨てられた後でTV中継が無かった事がクラップには幸いしたって話。
閑古鳥が鳴く会場での試合で、雑誌でショボく扱われただけだったので
高千穂に負けた事はほとんど知られていなかったらしい。 高千穂に負けたクラップが猪木に勝つ、
面白い展開があったな。 新日本ワールドリーグ面白話
⚪︎高千穂に負けたクラップが
猪木に勝つ
⚪︎鶴田と引き分けたマンテルが
木戸に負ける 1975年ワールドリーグ戦は、得点1位通過はクラップで、2位は猪木、坂口、大木、小林が並んだので
猪木、坂口、大木、小林が争ってクラップとの優勝決定戦進出者を決めると言うVIP待遇を受けている 上位2名で決定戦でなく最高得点者が優勝の方が公平だよね
ワールドだと第3回モラレス、第4回スーパースターでいいし
MSGは第1回アンドレ、第4回ハンセン
カーニバルは第5回鶴田、第6回ブッチャー優勝 ブレーンクローの使い手エリック、ラシク、クラップは何故かナチギミック クラップはラシクより日本で成功した。
もちろん実力はラシクが上だが ラシクは子供心に怖かったw
クネクネして妖怪みたいで、タイガーマスクのミスターノーを想像してしまう
クラップはギョロ目で何となく愛嬌があってそうでもなかったし
恐怖のアイコンKKKだったらやっぱりコックスだな コックスのような普通のおじさん顔でメリケンサック使う方が怖い(笑 一シリーズでパートナーを替えて同じ王座に二度付いたのは外国人ではコックスだけか とにかく灼熱地獄の毎日だがちょうど昨日は馬場とドリーのインター戦の日 >>67
NPBのクライマックスシリーズや
MLBのワイルドカードみたいなもんかもしれないが
プロレスのリーグ戦ってめちゃくちゃだよね
シード権はあってもいいけど決勝だけに出てくる力道山とか
アリ戦のために出なくなる猪木とか
毎年システムが変わるCCとか 都合よくいじくれるのがプロレス
リアルっぽく見せめてもケツ決めがあるからね 今日はハーリー・レイスの命日
上のスピリットじゃないがレイスも全日テレビ初登場の時は覆面姿だった
しかも刺青を隠す為全身タイツ(日プロとの契約の関係か?)のプロフェッショナル
でも独特のサウスポーからのパンチで正体バレバレだった >>82
その試合はドリー・ファンク・シニアが「そういう試合には良い相手じゃないといけない」と
ハーリー・レイスをブッキングしてくれたと馬場が書いていた。
初期全日はシニアがバックアップしてくれたからね。 >>82
同時にUN奪取の日
とにかくあの決め手には驚かされた プロフェッショナル、トルネード、スピリット
全日初期にマスクマンになった大物は皆ブレーンバスターの名手・・
バーティカルスープレックスは少し違うかな? >>59
初期新日はアンドレやシンは替えのきかない本物。
パワーズがNWA世界王者の代替品で、クラップがフリッツ・フォン・エリックの模造品って印象。
でも物心つかない糞ガキ(自分)にクローの恐ろしさを刻み込んでくれたのは当時のエリックではなく新日参戦時のクラップだった。 で、マスカラスの代替がカネック?
その感覚分かるわ〜w
新日はアンドレいたのが絶対の強みだった。 1970年の今日はBI砲とファンクスが初対決した日
反則含むファンクスのストレート負けだが同年対決したブラジル兄弟?との評価は大違いだった >>92
ストレート負けしたファンクスが翌年にインタータッグを取るとは誰も予想出来なかったろうな
そう言えばテリーはアジアタッグに挑戦した事が無かったか >>92
ストレート負けしたファンクスが翌年にインタータッグを取るとは誰も予想出来なかったろうな
そう言えばテリーはアジアタッグに挑戦した事が無かったか 猪木が除名されなかったらあの時点でのインタータッグ移動劇はなかったと思われるし
アジアタッグにも兄以外と組んで挑戦していただろうね
ところでファンクスって日本での実績は有名だけど、アメリカやカナダではどうなんだろう
インタータッグが移動した時だけ日本用に組んでた印象があって、コンビとしてのキャリアはあったんだろうか ファンクスへのインタータッグ移動は猪木追放が内定していたからああなったんだろうけど
猪木でも「会社を困らせてやれ」と会社が決めたブックに逆らうってできなかったんだな 四面楚歌の状況で逆らったりしたら控室で集団リンチ食らうでしょw
無気力試合になるのは仕方ない ファンクスとしてアメリカでは何度かタイトルも獲得しているが、兄弟コンビとして力を入れてたのは本国より日本がメインみたいね >>98
決勝フォールを取られたのは馬場だったんだよな
それで最終戦でのテリーのインター挑戦に 猪木の追放騒動に目を奪われがちだけど
あのシリーズで馬場対ドリーが組まれなかったのは異様だな
当時のテリーでは東京体育館のメインを務める格ではない
前年の馬場脱水事件が何か尾を引いてるのか
それとも集客力のないカードと思われてたのか
年に一度の現役NWA王者の来日なのに何かおかしい 大阪府立でドリー対猪木のダブルタイトルが組まれていたから明らかに猪木エース体制にシフトを替えてきてるのはわかるけど
インター王者が3年続けて勝てないでは日プロも困るから猪木追放後も馬場でなく坂口が代打で挑戦したのかな?
どうせNWA王座が移動する約束は出来てないと思われるし… 猪木は、71年暮れに追放されなければ
NWA世界王者、ドリーとのダブルタイトル戦をして
翌72年の新春シリーズで、当時WWWF王者
ペドロ・モラレスとの対戦(UN戦?)が予定されていた。
時代は猪木に向かっていたのに。 上田が猪木に日プロ改革を懇願したのがそもそもの始まりなんだよな 日プロのお家騒動でBI砲が解体されプロレス人気が覚めてきた71年から73年頃、実は国際プロが面白かった。
外国人三つ巴のワールドシリーズや小林がIWAを獲得し日プロでも名を馳せたクラッシャーやイヤウケア・オースチン等との防衛戦
欧州やAWA圏内のまだ見ぬ大物、木村の挑戦も退けたしデスマッチもあった
決して国際の人気やテレビ視聴率が好調な訳ではないが一ファンとしては関係なく楽しめた >>106
国際にとっては天下をとれる唯一のチャンスだったのに何もしなかったな。
それどころか新日にS小林を引き抜かれて返しも出来ない体たらく。 日プロクーデターの裏で
国際はテレビ放送が30分に短縮が決定していたころだから
何かできる力もなかった 個人的に、71年〜73年の国際が
面白かった、というならそれはそれでいいが、
>外国人三つ巴のワールドシリーズ
それは71年春で、まだ日プロにBI砲を解体していなかった。
また、オースチンは小林のIWAに挑戦していないね。 元祖ドリルアホールのオースチンも40超えてたからなぁ
調べたらIWAタッグにはドロモと組んで小林草津に挑戦してるけど
シングルではノンタイトルで小林、壮行試合の木村、最後に草津と全て金網で対戦し敗れてる
ちょうど杉山の全日移籍が発表されたシリーズだった 杉山は表向きはトレードだったけど実際は
国際退団→将来事業で独立する用意→馬場が声をかけて全日入団
だったって話だね。 馬場がスズケンの社長と吉原にスジを通して金銭トレードでの移籍で
杉山とはフルタイマーレスラーの約束だったが約束は守られず禍根を残したよね 76年エキサイトシリーズ開幕戦の後楽園大会で馬場と杉山が揉めたんだよな
馬場が杉山の副業をたしなめたら口論になって杉山が会場を出ていったもんだから
小鹿が2試合やるはめになった >>102
今日は蔵前で馬場がテリーにPWF防衛
この時もファンクスがインタータッグ王者 それ74年の話だよね
前年73年8月9日はアマリロでファンクスのインタータッグに鶴田&ハンセンが挑戦している 74年は日本でファンクスは実現せずアマリロ地区で防衛戦 そんなファンクスもドリーはPWF会長?でテリーは高齢者施設入所か‥ ドリー・テリーは何とか健在だけどファンクファミリーはほとんど鬼籍に入ったかな
ハンセン、デビアス、バックランドくらいか?
鶴田、レイス、マードック、スレーター…皆いなくなっちまった 馬場とテリーのシングルはカーニバルやインタートーナメントでも行われているが一番注目なのはテリーがNWA王者として来た時のノンタイトル戦かな
テリーには挑戦したくないが一応は義理を立てるって感じで フレアーの時にいったように「もう自分が挑戦しても」な感覚だったんだろ
どうも格付けが歪みが明らかになるので止めとくか、と。
それがレイスに戻ったり、テリーが大ブレイクしたりで
「そっとしておく事象」になっただけじゃないかな そもそもブリスコなんかじゃなくて憧れや尊敬の念を抱いていたテーズやキニスキーから奪いたかったんだもんな テリーの後にマードック、レイスの後にデビアス
が王者になってても挑戦試合はなさそうだ。 馬場はドリーの初来日時ですら
「俺のほうが格上」みたいなコメントをしてるから
全日時代は営業的な妥協があったんだろう >>122
キニスキーには逆に自分がインターの防衛戦だからな
昨日はちょうど田コロでの初戦日 馬場はどうせ取らせて貰えないんだったらドリーのNWAに挑戦しないでインターの防衛戦やってリングアウト勝ちあたりで勝ったほうが良かったんじゃないか
ドリーと手が合った猪木がフルタイムノーフォールの名勝負やってしまってあれで馬場と猪木の差が縮まってしまった リアルタイムで見てた清水とかいうハゲは馬場戦のほうが名勝負と言ってた ドリー猪木のフルタイムはトルコのシナリオが秀逸だったって話 キニスキーが王者として来日した時にNWAに加盟してたけど、まだNETが中継してなかった時代で
インター王座を最高位にという日プロの戦略ではないかな?
そこがドリー政権時と違うような気がする。
2局体制になって馬場と猪木どちらが優位というより、まだ上があるよみたいな WWA王座を立てるためにか一年もインターを放置したのが力道山 馬場の時代を終わらせた大阪でのドリーとのインター戦 「お母さん助けて〜」の試合か
脱水状態で無理矢理両リンに持ち込んだみたいだけど、引き分けだけ決まってて後は任せたのかな? 本来は時間切れのはずじゃなかったかな
前年末の猪木がそうだっただけに また同じ大阪での年末におけるキニスキーへの移動はあるいはこの時の落とし前かもな
キニスキーには負けたがドリーには負けてないって >>135
同じ大阪での意味
あとなまじインターの防衛戦の方だったので馬場が逃げた印象になってしまう インターやPWFが馬場の代表タイトルに思われがちだが、保持期間や防衛回数を考えると
一番愛着のあった タイトルはインタータッグといってもいいのかな インタータッグは馬場時代に作られたベルトだから馬場時代の一番の象徴と言っても問題ない ブルクラ揃っての来日は初だから超獣コンビ合体くらいインパクトあったのかな
ちなみに今日は馬場とキニスキーの大阪球場とマツダエース時の国際大阪府立興行戦争 >>141
超獣コンビより遥かに凄かった、とじいちゃんは言ってた 蔵前の床板剥がしたブルーザーと隅田川決戦で大暴れしたクラッシャーが組むんだからなw それにしてもタッグとはいえ四十過ぎでブルクラやバレンタインと対戦した吉村の負担は想像を絶する 歴代エースやエース候補とタッグを組むと常に脇役に徹し、血だるまになりながらパートナーを引き立てる。
馬場猪木が大スターになれたのも吉村の存在は大きいな
シングルではゴッチにも引けを取らない実力者だっただけにもっと脚光を浴びる舞台があってもよかった 歴代日本のタッグ王者で吉村ほど格上とされる相棒を引き立てたバイプレーヤー
がいただろうか
たまに起死回生の回転エビ固めで良い役やってたらしいが‥ >>149
ブルーザー組との対戦も最後はミラノに決めてたらしいし >>148
その意味で引退試合が最後のアジアタッグでなくシングルマッチだったのも面白い
相手のファーレスもそれで名を残したわけだし 吉村も猪木の追放者リストには入っていたって話
ミスター・ヒトは「あの人(吉村)ほど若手を可愛がってくれた人はいなかった」
馬場は「日本プロレスの頃に戻れるなら吉村さんとタッグを組むことを俺は選ぶ」で
幹部の中では比較的悪く言われない人 元軍人だったのには驚いたわ
それだけに猪木のように秩序を乱すような馬場挑戦表明は許せなかったんだろうな
表に出せない暗部、序列に関わる事だから‥
猪木はそれを窘められたから追放リストに吉村を入れたのかな?
引退試合では「ラバウル小唄」が流れたみたいね >>156
猪木と坂口の悪口ばかり言っているカーンですら
吉村を仏様のような人だったと言っていたな ジョー樋口は兄貴と慕っていたそうだ
梶原主導で描かれた列伝では猪木を悪く言う幹部の一人に吉村をあげているが悪意を感じる かつて会社の金をギャンブルに使い込んだ豊登を追放したんだから責められても仕方ないが
確かに吉村も豪遊したクチだろうが遠藤のように私服を肥やしたりしてないだろ
血だるまで会社のために滅私奉公に徹し現役を続けたんだし他と一緒にするのは酷だよ
それより闇社会に流れたとされる使途不明金の方が問題 馬場が猪木を許さなかった理由の一つとしては東京プロレスに行く流れの時に馬場と吉村が待ってたが吉村に挨拶しなかった事と言ってたな
だから対談を申し込まれた時にハワイでと場所指定していた >>158
「馬場ちゃん、もっと怒れよ!」と言ってたのが吉村だな
リアルだと「寛ちゃん あかんやろ…」ぐらいか >>163
ちなみに飛行機が飛ばなくて欠場したのは本当で、その用事の真相はこれなんだそうな。
妻が電話で放った一言で……「アントニオ猪木」が大事な王座防衛戦を欠場した本当の理由(レビュー)
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/936c31257f2321dabeb31c57142a2d90dacd8f43 ハワイの件は大先輩に対する礼儀として当たり前のこと
豊登と行動するのも猪木の人生だから好きにすればいいとまで言ってるし ハワイの時は日プロが猪木をハワイまで呼び出してたのに
会社のミスか何かで猪木の宿泊を用意してなかったのが
最初のボタンの掛け違いになったんだよな
猪木は取材に来ていた山田隆の部屋に居候する羽目になり
不信感を持つきっかけになった
その様子を山田は東スポ本社で待機中の桜井に電話で話している >>163
吉村がリリーフで決定戦に臨んだんだよな
大木が名乗りを上げたが却下されたので東郷の誘いに乗る一因になったとか >>155
ドリー&マードックとの最後のアジアタッグ防衛戦の前に二シリーズもブランクがあったのも気になる
どうせならブリスコ&リベラとの防衛戦もやって欲しかった >>168
1971年シリーズ(以下S)で言えば、
暮れのワールドチャンピオンSの前はNWAタッグSで
タイトルマッチはなかった。その前のサマーミステリーSも
ミニシリ―ズのためかなし。その前のサマーSもなし。
ゴールデンS(5月24日〜7月10日)に遡って、
やっとインターとアジアタッグ戦があったな。
この年は、タッグタイトル戦が確かに少ない。
猪木が馬場に挑戦したこともあるが、
猪木がシングルタイトルホルダーに
なったのも一因でしょう。
あと吉村は年齢的にキツカッタんだろうな。
特に夏場は。 結局ブリスコは日本ではタッグ王座やタッグリーグに絡んだのが一度も無いんだよな
一番大きな特筆は新日本でハンセンと組んだ時になるのか 最強タッグでファンクスとブリスコ兄弟の対決観たかったな ブリスコ兄弟は日本では一度しか組んでなかったんだな ブリスコ弟の名がジェリーかラリーか いつも一瞬だけ迷う 75年日大講堂でブリスコに挑戦したブラジルのセコンドにルーファス・ジョーンズが付いてちょっかい出してるが
ジョーンズは一時期ホボ・ブラジルのリングネームだったことを思い出した
あとドリー・ディクソンもホボ・ブラジルを名乗っていた
ふざけたプロモーターが英雄ブラジル人気で名乗らせ興行を打ったらしいw >>174
この時のメインではファンクスが師弟コンビのインタータッグに挑戦してたんだよな
この時にテリーが年内にブリスコからNWAを取ると予想出来た人はいたのか
そして次に日本でファンクスが実現したのはオープンタッグ テリーの快挙はオープン選手権の最中に知らせがあったよね
翌年の来日ではヘアバンドの印象が強いが王者転落してオープンタッグに来たときに短髪だったのには驚いた
結局二人ともレイスに引きずり降ろされたのはファンク一家との信頼関係かな? >>176
あの漫画では、レイスが未知の敵のように描かれていたが
実際はレイスもマードックもプロモータードリー・ファンク・シニアの下で試合をしていたからね。
1981年にレイスがローデスに敗れてタイトル陥落した時にテリーが
「これだけ長期間NWA世界王者でいたことに敬意を表する」とコメントしていた
NWA世界王者のスケジュールはそれだけキツい 70年代のNWAにおけるファンク一家の力を感じるね
フロリダ勢力もあったがドリーはブリスコにだけは譲るのを嫌がったみたい
80年代フレアーが出た頃はミッドアトランティック勢になるのかな なんか、あいつには嫌だがあいつにならいいだろ、っての王者やエースにはあるみたいだね。
それもファンが思うような許容とは違うセンスで。
バックランドの時のホーガンは嫌だがシークなら、とかよくわからんもんね。 >>177
あのバーベキューも本当は新旧チャンプの歓送迎会だったのかもね
「やあボス、おかげさまで!ジュニア、おつかれさま!俺もがんばりますぜッ!」なんて ちょうど昨日が開幕日だった五十年前のシリーズはNWAから下りた後のドリーとレイスが参加だったな
あと実に十年ぶりのオコーナーも >>177
ドリーの初来日ではレイスも同行でアジアタッグに挑戦してたし >>179
古くは、NWA王者ルー・テーズも1957年王座を
降りる時、NWA総会で次期王者候補となった、
人気絶頂のショーマン派のバディ・ロジャースに
負けることを拒否し、レスリングで五輪代表になった
ディック・ハットンに譲った。
しかし、ハットンは実力はあったが、全く人気が
出なかったそうだ。 >>183
ラリーマティシックもハットンを評価してなかったんだよな
どんなに強くても客を呼べなきゃダメって >>179
海外の掲示板に出ていた話だが、バックランドはホーガンどころかビル・イーディ(M・スーパースター)ですら
「アマチュアレスリングの下地がない人間にタイトルを渡したくない」と拒否したそうだ。
それでレスリングのエキスパートのアイアン・シークにつなぎ王者がまわってきた。
ttps://forums.wrestlezone.com/threads/blast-from-the-past-bill-eadie.270589/
Did You Know: The Masked Superstar was originally slated to be the man to take the belt off of Bob Backlund and transition to Hulk Hogan.
Backlund refused to do the job to Eadie however, as in a time where even the WWF protected kayfabe,
Backlund didn't want to lose to a wrestler without an amateur background. Enter The Iron Sheik, and well, the rest is history.
ttp://wrestlingclassics.com/.ubb/ultimatebb.php?ubb=get_topic;f=1;t=139848
Because I didn’t have an amateur background, he refused to drop the belt to me. >>184 別にプロレスに強さなんて関係ないもんな
テーズだって強かったわけでないしな >>186
ある程度の強さは不可欠だろう
強いだけではダメだってだけで >>186
勝ったら力道山襲名でブック破りに出た大木金太郎を病院送りにしたテーズは弱いですな >>186
テーズを引き合いに出したら言われるよw >>185
逆にアマレス経験者なら誰でもいいのか?TAKAみちのくとかでも テーズには品格があったからな
あとドロップキックやボディシザースドロップみたいな華の部分もあったし 晩年の上田がプロレスを端的に語っている
「筋書きがよくても力量が伴わなければ決してお客を満足させる事はできない。そしてストーリーがあってもプロレスはライブであり
客の反応によって左右される。だからストーリーどおりにいかないこともある。
その時はトップレスラー同士がお互いに盛り上げ方を考えながら試合を作っていく。そこで『筋書きにはない』ドラマが生まれるんだ」 >>191
経験がある、と下地がある、は明確に違う >>194
八百長論の危険は安易と混同して死亡事故を引き起こす点 >>197
バックランドの判断レベルは明確にはわからんが、アマレスの技術が身についているかいないかだろ
経験がある、なら一日体験練習しました、でも言える バックランドはディーゼルにも牡牛座明け渡してるのに アウアウウーTSa45-+JjHはこちらを煽っておいて何も言わずに逃亡か
こういう奴多いな 結局アイアンシークに「無様にホーガンに負ける役」を押し付けただけ。
確かにシークは「観客の期待通りに無様に負けるのを見せる」技術も一級品だったけど。
こういうところがバックランドをイマイチ好きになれないところかな。 >>189 あんなのブック破りでもないプロレスじゃない
本当に大木がブック破りしてたら即日、テリトリーからおいだされるだろ
確かテキサス地区だったけど、大木は追い出されもせず翌日から試合に出てるんだよ
あれはテーズを強いと売り出す作り話
ガチンコやられたはずの大木が何で額から流血してるのよ? 前年のMSGシリーズで最下位だったT・シークがWWFになるとは思わなかったな。 所詮オリジナルシークの二番煎じだったしな
アメリカでは中東情勢で一気にヒールギミックとしてブレイク
それを退治するリアルアメリカンの登場w
80年代になってもプロレスは勧善懲悪が一番分かりやすくストレス発散になるんだな >>203
あるいはブック破り隠しのために平常運転とか
とにかく虚実交じりなのもプロレス ホーガン戦の前にガニアはアイアン・シークに「試合でホーガンを潰せ。その後は俺が面倒を見る。」と連絡したが
シークはそんな指示には従わなかった。今更銭ゲバのガニアに義理を立てる気もなかったんだろうけど。 >>202
そんなバックランドにピン負けで王座返すのが嫌でシンを使って没収試合で王座返上なんてやってる猪木は相当なもんやね あの頃、新間が会長だったね
ところで猪木の王者は公式記録になったのかなぁ 馬場はNWAは3度ともピン負けで返してるのに
猪木はバックランドにピン負けは嫌がったんだな バックランドは「アマレス出来ない奴が嫌い」というよりも「とにかくホーガンが大嫌い」だったんじゃないかな。
そうじゃなきゃ猪木とのブックを飲まないだろうしUインターなんかに行かないよ。 リターンマッチではシンに気を取られた猪木がバックランドに3カウントとられた
没収試合になったのはその後の話 >>201
1日だけで経験あるなんて普通言えるかよw
それにこっちはお前ほどヒマじゃねえの
こんなバカはなかなかいないな >>214
なら何日から経験あると言えるのか
お示しくださいませ 明確にw >>213
取られてねーよ
シンに気を取られてフォールされたのは王座転落したバックランド
返す時はシンの乱入没収試合で猪木が返上 >>216
それも間違い
猪木が卍固めやってるときにシンが現れたので技を解いて詰め寄り睨み合う
その隙をついてバックランドが背後からアトミックドロップ
3カウント入ったと勘違いして喜んでるバックランドの背後から猪木がバックドロップで勝利
だから王座転落した試合でもシンに気を取られのは猪木
流智美が何年も間違い書き続けたせいで>>216のように間違ってる人が多い 後年になっても猪木の口から
「俺はWWFの王者だったんだ」みたいなコメントって
一切聞いたことがないなあ
猪木本人は興味がなくて会社に無理押しされた戴冠だったんだろう >>218
猪木はそのへんは分かりやすい
ブレーンの梶原一騎の企画でアマチュア空手家との引き分けブックだったウィリー戦も
消したい過去なのか全然語らない。
アリ戦については誇りに思っていて語ることが多かった。
プロレスだとシンとの抗争とドリー戦が気に入っていたみたい。 去年出した書籍
生きるために闘う リングで命を燃やした「魂のライバル40人」
では徳島のバックランド戦もウィリー戦も触れてる >>216
リターンマッチと書いただろう。蔵前ではシン乱入から猪木が3カウントとられたんだよ
試合終盤、またしてもシン乱入で猪木がリングを降りて場外乱闘
戻ってきて猪木がエプロンに立った所をバックランドがトップロープを使った急所打ちアトミックドロップでピンフォール
https://i.imgur.com/LUmqV4p.jpg
https://i.imgur.com/g0bvIXk.jpg
ベルトはバックランドに帰ったもののその場で没収試合が宣告された。なのでフォール負けにはなっていないという事 >>219
ウィリー戦はキラー猪木のビデオのインタビューとかで語ってるよ >>211
流石に対立の激しかった時期の最初のはノーテレビだったな >>221
その二戦の間の大阪で猪木はモラレスにNWF防衛
そしてバックランドとシンが対戦 >>224
三十二文からフライングネックブリーカーってのはあの時だけかな 猪木とバックランドの試合てYouTubeに無いのな >>215
ほんとにほんとにヒマなんだなw
1日短時間で「経験あり」とする異常な感覚のやつに言ってもしょうがない
ただもう一度だけ機会をやるから
「経験がある」と「下地がある」の違いをお示しくださいませ 明確に違うんだろ?
繰り返してやるが 短時間の体験=「経験がある」なんて世間じゃ通用しないからね >>224
レイスが自伝で書いていたが、馬場の三度目のNWA奪取については、馬場への恩義から
予定にはなかったがアクシデントで落ちてしまったフリをしてタイトルを渡したそうだ。
馬場にだけは飲んだ時にさりげなくタイトルを渡すと事前に伝えたとか。 その話は知ってるけど、またすぐ取り返されるんだろうと思ったからシラけたのよえ >>225
二度目の防衛戦のジンクスというのがあったが最後は初防衛戦で落ちて意表を突いた印象
鶴田がAWAを取った時もニックの日程が余ってたのでノーテレビの地方会場で返すかと疑ってた >>229
ごまかしてないで早く>>215に答えてくれよ
「何日体験すれば『経験がある』と言えるんですか?」
はいどうぞ! >>234
ごまかしてるのはどっちかなー
きみ 小学生の頃「何月何日何時何分何秒!?」なんてやって嫌われてたクチでしょ自覚はないだろうけど
あっ 今でもやってるか 出バラハゲ頭でw 馬場が見せてくれた(笑)世界奪取。やったぞ、すげえ、10日もしないうちにこっそり返還というフォーマットは踏み外せないんだよな バックランドのダブルアームは投げっ放しの元祖のイメージ 馬場が64年以降も米国に留まっていたら短期のレンタルなんかしなくても
東洋人初のNWA王者としてサーキットしてただろうか、、
ヒール王者だろうが マツダがキニスキーの後のNWA王者候補の一人だったらしい マツダはテーズやドリー王者時代に何度もヘビー級に挑戦しているね
9割方フロリダ地区で、キニスキーには66年に一度挑戦
候補に挙がったのはエディ・グラハムの発言力があったんだね そしてマツダに代わってブリスコがグラハムお抱えの次期王者候補になる もしマツダがヘビー級王者になっていたら初の2階級制覇か NWAとしてはエリックを次の王者にしたかったがテーズはそれは嫌で
テーズとしてはキニスキーならレスリングは未熟でも爽やかなスポーツマンだったので
譲っても良いと思ってタイトルを譲った
ただしこの話もマツダの話もソースは流智美だからイマイチ胡散臭い。 スナイダーは風格も実力ある
良い選手だが、NWAと競合する
AWA系(経営にも一枚かんでいたとか)
選手なので、NWA王者になれなかったと。 今、丁度列伝BI編読んでるんだけど。
東京プロレスが潰れて猪木は日プロに復帰したけど豊登はその後どおなったの? 豊登は国際に上がった
元々は東京プロレスと国債の提携には反対して
猪木と対立する原因の一つだったんだが
上がるリングが無くなっては背に腹は代えられなくなった >>247
列伝に載ってなかったので後で豊登が馬場と組んでトロフィーのアジアタッグを持ってたのを知って驚いた >>248
日本プロレスが猪木を厚遇で呼び戻したのはTBSプロレスにとられたくなかったからなんだよね
列伝は国際のことはほとんど出てこない
ゴッチVSアンドレ位じゃなかろうか 猪木復帰前、芳の里と遠藤の間に既に派閥が出来てたみたいね
それはともかく猪木の復帰デモンストレーションは写真でしか見てないが二枚看板時代の到来を印象付ける歓迎ぶり 芳の里は復帰に反対したが遠藤が推したんだな
この判断がなければBI砲はなかった バレンタイン戦がコケてたら猪木の国際入りがあったかも >>252
テレ朝の栗山が「猪木は恩人の遠藤さんをあっさりと捨てた。それが猪木と言う男だ。」と
罵倒していたのはそれも含めてなのかな。
(NETが新日に鞍替えしたのは遠藤あってだったらしい)
ただ遠藤って「おれのカネはおれのカネ、会社のカネもおれのカネ」だったって話だから
切りたくなるのも理解できるんだよな 猪木を復帰させたのもカネのニオイしかしないんだけどなw >>255
アウトローは金のなる木を見抜く目は敏感だったとも言える。
猪木と遠藤が親しかったなんて話は聞いたことがないから
理由は「金」だろうね >>256
あと反馬場だろう
遠藤はとにかく馬場を嫌っていた トロイカ体制と言っても一枚岩じゃなかったんだな
豊登が社長の時、社内で部署を増やしたらしく幹部間で派閥ができるのを吉原も危惧していたみたいよ 豊登ってどうして社長になれたのかな?
年齢的には四天王の中で一番若く
力道山との関係は遠藤や芳の里のほうが深かったのに 遠藤は力道山時代途中からフリーだった
いつ再日プロ入りしたのか >>259
エースが社長ってのを引き継いだ感じかな
あと力道山以外では唯一のタイトルホルダーだったし 昨年の猪木に次いでテリーもか…
思えば猪木最後のNWA挑戦試合があった70年夏のシリーズがテリーの初来日だった
ファンクスとしてのベストバウトはやはり77年オープンタッグ最終戦になるなぁ
シングルだと一連のブッチャー戦か世界王者としての晴れ舞台になった鶴田戦かな >>264
ブッチャー戦なら文体を札止めにしたUN戦が代表かな 悔やまれるのは8.26でBI砲との再戦が叶わなかったこと
事情があるにせよあの時期のファンクスと猪木の絡みは価値あるよね ファン投票でも実際はファンクスが上だったという説も 実は1位はファンクスだったが
メインで全日が3/4になることを新日本が拒否したらしい だったら馬場猪木坂口vsファンクス&アンドレなんかでも‥ 東京タワーズも師弟コンビもインタータッグの初防衛戦はBI最後の札幌なんだよな
特に後者はファンクス自身を相手に迎えてるし テリーNWA王者時代のベルトが一番酷いのがヤンチャな荒馬らしくて笑える。エンブレムの地球儀は馬場の時よりへこんでいるし
黒の塗装部分も完全に剥げ落ちて、、、
荒々しいファイトスタイルはシニアを受け継いでいるのかな?
ドリーの心痛は察するがどうか乗り越えて欲しいな。
テリー・ファンク!安らかな永眠を >>272
馬場が言うには晩年のドリー・ファンク・シニアと試合をして「テリーを老けさせたらこうなるな」と思ったそうだ >>272
BIを破った時にはインタータッグのベルトを逆さまに巻いてた あの凹んだ地球の部分ってたぶんベルトで殴ったりしたせいだろうなあ 幼馴染で悪友マードックと再開したかなw
二人ともトンパチと言われたが日本ツアーで一緒になるとふざけた写真が載ってたのを思い出した 伝家の宝刀スピニング・トー・ホールドがシニアのオリジナルじゃなかったことに驚いた テレ朝chでやったテリーvs小鹿戦を見たんだけど、この頃は平凡なラフファイターの印象
翌日BIからインタータッグを獲るとは思えない試合ぶり >>276
テリーとマードックとなると80年秋にブッチャー&カマタとノーテレビで何度も対戦してるのが目を引く マードックのUN、テリーのインター挑戦抜擢は近い将来シリーズの柱になる事を見込んでのものでしょ
NWAへの忖度もあるかもねw アジアタッグにはドリーとマードックで挑戦だったんだよな
前年にストレート負けした会場でインタータッグ王者として挑戦というのも面白い
また決勝フォールを馬場から取ったのもテリーだったがやはりインター挑戦の発表はその後?
そして今年もまたオールスター戦の日に メインの試合後に猪木が余計なパフォーマンスしたせいで第2回がやりにくくなったのは
どうせ馬場はシングル対決拒否することがわかってしたんだろうな
(「よし!やろう」は言わざるを得なかったが)
出来っこないことを馬場のせいにして自分を優位に見せるという相変わらずの姑息な手段
使用したのが新日のリングというのも気にくわん >>283
全日本がシリーズ中で新日本がオフだったのもある
あと猪木とすればあそこでやらなきゃ猪木じゃないってのもあったろうし
あとシリーズ構成で面白いのはその後の大阪にブッチャーとのPWFリターンマッチを持って来る事でオールスターをその前哨戦に位置付けた点か >>283
それは経費や設備を新日が出すだろうから
文句言うのはおかしい 全日や国際が文句言うのはおかしいが
一ファンが文句言ってもいいだろ 全日としてはオールスターには乗り気じゃなかった
参加したのは東京スポーツへの義理があったからだった オールスター戦から44年か。
完全に大昔の出来事となってしまった。
でも歴史には刻まれる。 全日がギャラの現物支給とかやってて経営的に一番苦しい時期だったから
東スポとその辺いろいろあったのは容易に想像できる 全日がダメなところは一流選手はコンスタントに呼べるのに
大一番(世界戦とか)で大会場を確保できなかったところ
新日に比べて営業力が決定的に弱かった 馬場の3千試合記念大会とか
ハンセンブロディ初対決を後楽園ホールでやって喜んでるようじゃなあ
プロレスファン以外から見ればスケールの小さい話にしか見えないだろうし
新規ファンの獲得には何の意味もなさないんだよな 当時はテレビが全国ネットの時代だから経費を掛けての会場のライブ収入にはあまり拘らなかった感じだな
そもそも全日本は日本テレビの主導で作られたわけだし地方のタイトルマッチが多かったのも興行を高く売るためだろうし
あと日本テレビとの関係で後楽園が安く使えたのも大きい
後に武道館を年に何回も使える時代になっても個人的なイベントは後楽園でやってるし テレビの視聴率が良い+会場は超満員
というのは力道山時代の黄金期とタイガーマスク時代の80年代前半の新日くらいしかない
BI砲時代でもカードによっては東京体育館に8000人前後なんてこともたまにある 全日本は営業が弱いと呼ばれるが内部政治的に強く出来なかったとも言える
札幌なんかは全日本が強いと言われるが担当者が経費が掛かり過ぎだと馬場から怒られたという話もあるし >>291
大会場埋まらないのに確保してどうすんだよw
ますます借金嵩むだけだろ いつも全日本の大阪のカードが弱いのはなんでだ、とファンに聞かれて
「売り興行だから」とシュート発言したキラー馬場 =T=i=k=T=o=k(←迷惑でしたらこちらをNGしてください。)
更に家族友人に紹介する側になり、追加で¥3500を入手できます。
https://i.imgur.com/nbCIvzY.jpg >>298
全日分裂後に「我々がいることを想定して興行を売ったから出場しないと筋が通らない」と
ノア勢も売り興行の興行には出場した
藤原が「UWFでもこんなにお客さんが入ったのは見た事がない」と言ったほどだったので
プロモーターにとっては結果オーライだった
それ以前の団体分裂や選手離脱ではそういう処置を見たことがなかった そら売り興行の決済したのは当時トップの三沢なんだから当然じゃないの
それ以前の団体分裂、選手離脱で責任あるトップが売り興行ほったらかして離脱なんて例あったのかね ディファのコケラ落としを開幕戦に入れてたから離脱はギリギリの決断っぽいが 原が興行を任されたのに失踪した事はあったな
ちょっと違うが、 と思ったが板橋事件は売り興行じゃないのかオリエント・プロダクションと揉めたのは確かだが >>304
おかげで園田ドラゴンのアジアタッグ挑戦が流れてしまったのが一番赦せない >>301
最後が旧UWFが発掘した博多スターレーンだったのも面白い
馬場もポスターに載ってるシリーズまでは出るという姿勢だったし >>307
突然のことで失踪の詳細もわからなかったから決定戦も組めなかったな
>>309
馬場が日プロ辞める時もポスターに自分が載ってる責任から最後までシリーズに出場
各地の興行師への挨拶もあったと思うが >>310
実現してたら石川と佐藤の元コンビ同士の初対戦も見られたんだよな
結局実現したのは二年後で全てが元王者対決 >>311
二年後って86年?
どんなカードだったの 石川井上vs浜口寺西
石川井上vs原鶴見
石川井上vsマシン原 >>315
井上と浜口
井上と原
石川と原のつもりだった ああ「元コンビ同士のタイトル戦」が初ってことか
了解 あと同様のパターンは実に十四年後の本田雅央vs泉田馳まで途切れる事になる 極道からアジアタッグ奪ったオーツ兄弟ってどんな試合するのか見てみたい オーツ兄弟は久しぶりの奪取と共に初めてメインを経験しなかったアジアタッグ王者
そして今日はその十年前に馬場吉村がビジランデスに防衛の日 >>293
日テレとの関係と言えば、旧日大講堂も安く使えたんだっけ?
解体されたのは83年だが、消防署からスプリンクラーとりつけるように命じられたのに
屋根が老朽化していて取付工事ができなかったとかで、77,8年ごろから使えなくなってたはず
取付工事ができたら、80年代初頭まではビッグマッチに使えたんだろうな >>321
77年3月がラスト興行
メインはロビンソンと鶴田のUN戦
セミがデストロイヤーとマスカラスのUS戦でスカイハイを唯一使用 日大講堂は消防法改正で
古い建築のため
スプリンクラーが設置できないことがわかって
興行で使用できなくなった BI時代の日プロが使ったのは第12回のワールド大リーグ決勝だけ? 馬場vsジョナサンのWリーグ決勝が有名だけど、調べたら日大に譲渡する以前のメモリアルホール時代には力道山がデビューしてるし
アジア選手権等が何度も行われているね。
正式な全日旗揚げ戦も日大講堂だし吉田光雄のデビュー戦もここ 新日本は吉田デビューの猪木ゴッチ戦と坂口大木のガチ試合の第二回ワールド大リーグ決勝
力道山時代は暴動事件を挟んだアジアタッグ三連戦 国際が使ったのはあと草津木村とグラハムラシクの時か
そして今日はちょうど鶴田とブリスコのUN決定戦の日 >>328
完全な同時刻の隅田川決戦は76年末
この時は全日本の日大が勝利 初期の全日って毎シリーズ日大講堂使ってたな。
正直集客力に全然見合ってなかったのに。 日本テレビとの関係で安く使えていたから実質五千人くらい入れば御の字だったのかも 日本テレビが「馬場がいるかぎりバックアップする」と慎重居士の馬場を動かして
旗上げした団体が全日だったので危機感はなかった。1981年の引き抜き開始時も日テレの原プロデューサーが
「プロレスは社内で大事にされていますので打ち切りはありえません。むしろ強固にバックアップします。」と言った程だった レイスとブッチャーが大場外乱闘したのも日大講堂だった
京葉道路まで出て行ったんだもんなw
始末書まで書かされたの新宿伊勢丹前以来じゃないかな 日テレは全日の提供する興行、試合を放映するだけという不文律だから、
馬場はちゃんとシリーズ組んで興行打たなきゃならなかった。
テレビが付くまで喰っていくために興行やってた新日との危機感、営業力の差はどうしても出ちゃうか。
>>321
70年代後半に屋根の補強やスプリンクラー取り付けしてバブル期頃まで持ってれば、
歴史的建造物として国から補助が出たりして根本からの修復工事と近代化して今も残ってたかな。
もしそうだったらテリー引退、鶴龍対決、四天王も日大講堂か… 旧蔵前国技館と違いロイヤルアルバートホールみたいな客席はカッコよかった。 会場ネタとなれば今日は新日本のラスト田コロ四十年
猪木としての一番の特筆もあの時か >>335
武道館も八角形で円に近かった
あとテリーは日大健在時から蔵前が多かった そのテリーも出ている『オーバー・ザ・トップ』BSでやってるね >>334
高架で乱闘してるのを想像してしまったw
千葉街道と言った方が雰囲気出るかも >>340
決着戦はブッチャー優勝後の川崎だったか
そしてその次の対戦は三年後のNWA戦で 松永アナ「ブッチャーとレイスが京葉道路まで出て乱闘してます!
おっとブッチャーが停車してるタクシーに突進しました!」 >>333
>日本テレビが「馬場がいるかぎりバックアップする」と慎重居士の馬場を動かして
猪木追放後まもなくNETが「馬場を出せ」と言い出し、日テレが「馬場を出したらプロレス中継を打ち切る」と強硬に反対したとき
開かれた取締役会で、馬場が「日テレは本気ですよ」と周囲を説得したにもかかわらず、ダラ幹は揃って「大丈夫大丈夫。日テレが
プロレス打ち切るわけない」と、馬場以外の役員は馬場のNET出演に賛成したらしい。馬場のいう通り、日テレはそのわずか1月後には
中継打ち切りを決断した。馬場が日プロに愛想つかしてたのは間違いないから、日テレが新団体の中継さえ確約すればすぐに落ちたと思うけど、
それでもこれだけの好条件を引き出したのは馬場の交渉術なんかな? 日プロの連中は、NETの時すら「NETはうちの放映を打ち切らない」と能天気なことを言っていたって話だしな
逆に新日が仕掛けを連発して、ゴールデン末期には高橋の悪のレフェリー化、海賊男、TPGと言った
糞アングルだらけだったのは「もしテレ朝に見捨てられたら日プロや国際プロレスのように崩壊してしまう」と
脅えていたからとも言える >>343
馬場として興行団体を一から起こす事の苦労とリスクは理解していたからな
それに馬場とNETの現場とは悪くなかったらしいので残留しでも構わない腹はあった感じ
馬場が警戒したのはむしろ猪木と日本テレビが組む事で日本テレビがその素振りを見せた事が馬場を最終的に動かしたとも考えられる >>346
日テレと猪木が組む素振りて、そんなの何かありましたの? >>346
いつ、どういう形でかは知らんが、日テレが猪木に接近するそぶりをみせたことはあったらしい。
もちろん、あくまで「そぶり」で、本当の目的は馬場に日プロ退団→新団体旗揚げを決断させるためのブラフ
で、日テレの想定通り、馬場は「日テレと組むのは俺だ。猪木に渡してたまるか」と新団体設立に向けて動いた
馬場が日テレのブラフにひっかっかったのは、前年の倍賞との1億円挙式をバックアップするなど、
猪木と日テレの間にもパイプがあったことが要因かと。
にしても、ダラ幹の銭ゲバ振りからまず考えられないけど、馬場の説得に応じて
日テレ出演を拒否していたらどうなったんだろう? 猪木の新団体はほとんど相手にされなかったから
NETがすぐ日プロ中継打ち切って代わりに放映に動くとも考えにくいし。
また東郷あたりが新団体の話持ちかけてのったりしてたんだろうか。 日テレが金曜8時枠に全日を放送してたらどうなってたんだろう(「太陽にほえろ」を9時にスライドさせ)
そうなると翌年のNETはバッティングを避けただろうかな >>348
日プロの打ち切りを主張したのはむしろスポンサーの三菱電機
当時は既に単独スポンサーでなくなっていたのであるいは日プロとしても三菱電機が無くなっても大丈夫と思ってたかもだが日本テレビとしては三菱電機との関係を優先した形 >>350
>日プロの打ち切りを主張したのはむしろスポンサーの三菱電機
一連のゴタゴタで三菱の心証損ねたのはまずかったな。高視聴率であっても、流血や八百長でイメージの悪い
プロレスを支えてくれてた貴重なスポンサーなのに。つくづく目先の鐘のことしか考えていなかったダラ幹は罪深い。
以後、どこの局であれどの団体であれ、プロレス中継に三菱ほどの大企業のスポンサーはつかなかった。
>>349
太陽の放送を誰よりも強く望んだのは三菱なのだから、その仮定自体がありえない。
つくづくダラ幹は罪深い ダラ幹の中でも遠藤だけが存命してるのかしてないのかハッキリしていない
wiki の更新も止まったままだし
新日から神奈川のプロモートを任されていたらしいが、いつ頃までやっていたのかね
8.8 は遠藤が仕切ったという話だが、、あれからもう35年か >>351
日プロとしては恩義のあり過ぎる三菱電機と日本テレビが重荷で不快でもあったんだよな
だから後発で低姿勢に見えたNETの方が愛い奴にも見えた
結果的には容赦なく切られたが
とにかく一年足らずで二局放映からノーテレビに急転直下し崩壊などまさにジェットコースター 三菱ダイヤモンドアワー「日本プロレス中継」だからな
NETが新日に鞍替えし猪木が息を吹き返した >>352
>ダラ幹の中でも遠藤だけが存命してるのかしてないのかハッキリしていない
しばらく前にGスピが取材申し込んだら、家族から高齢を理由に断られたとかいう話があったような
名士ってわけじゃないから新聞に訃報載らないだろうし、関係者の証言くらいしかソースはなさそう
あと生死不明なのって松岡とか田中忠あたりか
>>353
>一年足らずで二局放映からノーテレビに急転直下
そのわずか数年後には、TBSと日テレで二股かけてたキックボクシングが数年でノーテレビに転落
21世紀になっても、フジとTBSと日テレで三股かけてたK1が数年でノーテレビに転落
選手の顔触れやカードに限りがあるのに、どの局にもいい顔しようとした結果どの局にも見限られた
こういうのは一局独占じゃないと長続きしない。
まああの目先の金のことしか考えてないダラ幹じゃそういう判断はできなかっただろうけど。 シンや小林大木戦で団体が軌道に乗った頃、馬場への挑発は激しくなって内容証明で対戦を迫っていった
それまでの経緯があるから仕方ない部分もあるが「馬場さんのプロレスと私のプロレスは違う。ファンの皆さんには内容をみて判断して欲しい」
くらいに留めてくれたらそんなに嫌いにならなかったのにな…(高橋本の後だが) >>355
伊藤政雄はカナダにいるかしいんだっけ? >>357
伊藤正男ね。下記の通りらしい。
>1980年代半ば頃に後藤からの連絡を受けたケンドー・ナガサキとザ・グレート・カブキは、
>「モントリオールの日本食レストランで料理人になった」「そのレストランの女性と結婚した」などと、
>その後の消息を2016年の対談で明かしている。 >>354
ダイヤモンドシリーズなんてのもあったんだよな
それこそジャイアントシリーズや闘魂シリーズみたいに >>359
あんな不良債権みたいな人物引き取る団体も無いでしょ >>360
三菱は自前でサッカーチーム持ってたし、他局でダイヤモンドサッカーってサッカー番組も提供してたな
ライバルの松下がナショナル劇場、東芝が日曜劇場のスポンサーやってたから、
内はよそと違ってスポーツに力いれてますよってアピールで、プロレスもその一環だったんだろう
プロレスの社会的なイメージが悪いのは承知の上で、大概なことには目つぶってきたけど、
それでもダラ幹たちのあまりの自堕落ぶりには堪忍袋の緒がもたなかったか >>355
力道山のパートナー って一事だけでも訃報ぐらいはあがるんじゃないか
たしかにプロレス界隈の評判はアレだから俺らは遠藤なんてと軽んじがちだけど
一般メディアはそんなの知ったこっちゃないからな 昭和40年春のゴールデンシリーズを皮切りに
シリーズ名が付いたらしい(ワールドリーグは
第一回の34年からだが)。
夏はサマーシリーズで、秋はハリケーンシリーズと
名付けられたがエース格のドン・ジャーデンが
交通事故で途中帰国など悪いことが起きたので
縁起が悪いということで翌41年からダイヤモンドシリーズ
に改称。45年〜47年にはNWAタッグリーグになった。
ワールドリーグ前の早春のシリーズも当初はマチマチ
だったが、43年からダイナミックシリーズに定着した。 >>363
遠藤となるとむしろ空手バカ一代のイメージ
あっちではむしろお人好しの善人なのに いわゆるダラ幹の中で一番癌だったのは誰だろうな
ギャンブル狂で追放された豊登は別とすると芳の里か 豊登追放後、立場的には芳の里ですが
遠藤>芳の里>吉村 >>364
46年にはサマーミステリーシリーズなんてあったのね
アイアンクローシリーズやMSGシリーズは斬新だった アイアンクローシリーズは最後のシリーズ名でも名を残した
MSGシリーズは後に全日本や新日本でも使用 >>367
吉村は最後まで現役だったから自分でも体酷使してたし
例の騒動の時も馬場が追放リストから外そうとしたことが明らかになっている。
他の2人は、イメージを悪化させずに引退してさっさと業界からフェードアウトしたのを
「みっちゃんはずるい」とか言っていたらしいが
芳の里は列伝の豪遊描写でイメージ落としたけど、カブキが「親父は自分の金で飲んでいた」
というなど、自分の派閥だったレスラーにはかばう声もある
遠藤は日テレが独占していたプロレスを自分たちにつないでもらった縁でNET(テレ朝)関係者からは
感謝されてたみたいだけど、それ以外はいい話聞かないね。 >>370
高千穂は芳の里を非難 罵倒する大木を日本刀で追いかけ回したらしいからなw >>365
あくどい手段でカネを稼ぐ東郷に対し激怒して抗議したりしていたが
結局は学んだということか >>372
遠藤という暗愚は常設会場リキパレスを守るべくスポンサー集めで奔走していた吉原を
会社乗っ取りを企てていると吹聴して退社に追い込んだくらいだからね F・V・エリックを招いて「アイアンクローシリーズ」、
MSGの強豪を招聘し「MSGシリーズ」、
NWA世界王者を招聘し、「NWAシリーズ」は
分かる。
しかし昭和45年の暮の
「インターチャピオンシリーズ」って何だ?
インター王者のG・馬場は、どのシリーズにも
参加しているじゃないか?
と思ったら、ジン・キニスキーが
新インター王者になった。
あれ?そういう意味なの?(苦笑) >>372
と言うかあの漫画では「極真は集金マシーンではない!月謝はお金ができたら払えば良い!」とか
書かれていた大山も実際は銭ゲバだったと暴露されていたし >>374
翌年末はワールドチャンピオンシリーズだったか 全日本のインターチャンピオンシリーズはインター王座復活トーナメントのミニシリーズだったな
久しぶりのファンクスのインタータッグ挑戦もあったし 芳の里はつくづく勝ち組だなぁ。
力道山時代は幹部レスラーとして、BI時代は幹部として、
そしてBIが袂を分かった新日全日国際三団体時代もレフェリーやら解説者やらで関わってた。
プロレスが産業として成り立ってた美味しい時期を存分に味わい尽くしてる。
>>377
元世界王者が4人参加。
全日暗黒期に開催されたオープン選手権って感じ。 日プロ、昭和47年暮れの「インターナショナル選手権シリーズ」は
馬場が返上したインターヘビー級とインタータッグ選手権者を決定する
シリーズだから、これは、これで良かったのだが。 >>379
馬場を破ったブラジルとキニスキーの二人を呼んで組ませたのがポイントか >>378
一番の勝ち組は遠藤でしょ。
長寿だし、財産も残したみたいだし。
芳の里は、表舞台から姿消した後は
田舎の新聞社の役員やっていたって
どっかのブログで見たな >>379
荒法師&黒い魔神コンビはBIとのインタータッグが見たかった
時期的に全日の旗揚げにぶつけた切り札だろうが >>382
坂口大木と蔵前でやった決定戦が一番の山場だったんだよな
ある意味では翌年の最強タッグ戦にも繋がったアイディアか 昭和47年に東スポのプロレス大賞があったら
MVPは坂口だったと思う >>384
日プロ=坂口がUN、インタータッグ、アジアタッグ3冠保持
国際=小林vsロシモフ戦でWシリーズ日本人初優勝
新日=猪木vsゴッチ戦で旗揚げ敗戦スタート
全日=馬場vsデストロイヤー戦で魔王を支配下選手に
猪木のベルトがそのまま坂口に受け継がれた形だけど、まあ72年プロレス大賞があったら
坂口のMVPは確実だろうな。(新日、全日は地盤固めにバタバタしてた)
特にインタータッグはBIに勝ったファンクスから東京タワーズで奪還。馬場返上後もキニスキー&ブラジルから奪っているし
個人的にはUNとアジアタッグを返上させてインターヘビーも一気に坂口に任せた方がよかった気がする。
そうなると73年のプロレス大賞MVPは難しいなぁ、、 73年の戦績なら馬場がダントツだな
サンマルチノブラジルエリックシークドリーレイス
ほとんど勝ってしまった。 >>387
そうだったな。馬場がPWF防衛しまくってたw
BIはシングル王座戴冠したけど最高試合となると世界最強タッグ戦か鶴田凱旋のインタータッグのどちらかだな >>386
S小林は、IWA世界ヘビー級王者として、
47年にB・ロビンソン、C・リソワスキーら
を相手に9度防衛。
またT杉山離脱後、7月からは草津とのコンビで
IWA世界タッグ王者にもなった。
単純に比較できないが、実勢なら
坂口に劣らない。
でも、やはりMVPは難しいかな。 >>389
坂口小林に共通するのは大物対戦相手が終始試合を作ってリードしていた点 >>387
日プロ時代は不透明決着ばかりだった強豪相手に連戦連勝か。
自分が経営者としてもトップになって好きにブック書けるようになったのもあるけど、
急造タイトルのPWFの権威付けのためには圧倒的な戦績が必要だと思ったんだろうな。
でもこのときトップ外人の戦績に傷をつけると観客が次の対決に興味なくして客入りが悪くなることに気づき、
馬場全日はトップ外人へのケアが行き届いた外人天国へと変貌していくわけか >>391
この時期は猪木新日本との抗争も苛烈なガチでありブックを緩められなかった事情も大きい 坂口とS小林は、共に次代のエースとして
昭和44年に凱旋帰国。
共に、怪力型、昭和17年生まれ(と当時公表)
そして決め技もハイアングルアトミックドロップと
被るところが多かった。 >>388
世界最強タッグ戦は3本目の組体操みたいなフィニッシュが不細工だった >>394
猪木に花を持たせたのか、ゴッチが自分で伝授した技で負けるのって珍しかった
旗揚げ戦では頑なに卍を受けなかったのに
でもジャパニーズレッグロールやオクトパスもゴッチオリジナルじゃなくて諸説あるみたいね >>394
二年後のテーズへのブロックバスターも
結局どちらも一番のインパクトがあったのはバックドロップな攻防だった >>395
そもそも卍固めがゴッチオリジナルなんて説は聞いたことない >>392
この時期は猪木も外人相手に無双だったんだろうけど、所詮相手はクラップやパワーズだしね。
外人レスラーの商品価値って点でいえば、全日の方がずっと損失でかいわな。
馬場が日プロ時代はそこまで重視してなかったNWAをありがたがるようになるのもこの頃だっけ?
若手時代の鶴田をガンガン挑戦させて促成栽培するにはうってつけだったけど、
その後の善戦マン化までは予想できてなかったかも。 >>398
馬場として尊重する面もあったろうが猪木にNWAを奪われないために尊重せざるを得ないという面もあったろうな
あと鶴田の善戦マンは馬場が望んだ部分が大きそう >>397
ゴッチの卍は見たことはないが
欧州レスラーの卍と猪木の卍は重心の掛け方が少し違うね
猪木以外は後ろ寄り >>399
善戦マンを望むって自分の実績を超えられたらまずいの? レイスにしてもフレアーにしても、遠征してヒールになって地元の挑戦者を立てるのが仕事なんだが
なぜか鶴田の場合は「鶴田がだらしない」「善戦マン」になるという
鶴田がヘタなのもあるが、馬場が解説席で厳しいこと言ってたのも一因ではあるな
あとはジョー樋口の失神芸が毎度毎度でお粗末なのもな
その辺含めて馬場の望んだ部分が大きいというのは一理あるようなw 馬場は鶴田に「何でお前は猪木のような表情、闘志が出せないんだ」と言ったらしいねw
レスラー猪木を認めている発言ともとれる、、パフォーマーとしてだが >>403
要するに力道山に対する豊登のポジションなんだよな
あとクツワダ事件の後遺症もあるし鶴田自身に猪木みたいな強烈な野心があったわけでもない といって鶴田も勝つわけにはいかないし
苦労したと思うよ 善戦マンはフレアーの頃まではまだ許容出来てたけど
遥かに年下のケリーやマーテル相手では鶴田のイメージが下がってしまうわな
AWAを返却した後の鶴田の立ち位置を馬場はもっと考えてやるべきだった 鶴田にしろ天龍にしろ全日でレスラーの序列を上げるのに時間をかけたのは
プロレスラーって一度グンと序列を上げると「これが俺の適性の格だ」と勘違いする輩が多いという事情もありそう
上田「インタータッグ王者の俺に礼節を欠いている」
高千穂「おれのUNタイトルとりあげたあ~っ」
G高野「後輩の三銃士より格下は受け入れられない」 その点日本人対決が主流の頃の新日はいいな。猪木以外には勝敗をどうにでも弄れる
全日は世界王者にはヘタに勝てないし、勝っても王座を奪えないジレンマ
特に馬場は外国人レスラーの格を大事にしてるから世界王者でなくてもなかなか勝たせてもらえない
善戦マンはなるべくしてなった >>408
AWA後の鶴田はNWA後のテリーと同じ
むしろそこからが最後の本番 少し逸れるけど、UN選手権が日本テレビで放送されたのは鶴田とブリスコの決定戦が初めてであってるよね
だとしたらNETが猪木のために用意した王座だから日テレと揉めなかったのかな?
建前は日本プロレスが管理(後に全日)ということだが… >>408
せめてマーテルとのインター戦はスカ勝ちさせてほしかった 鶴田のNWA挑戦
ブリスコ⚫︎⚫︎⚫︎
テリー⚫︎
レイス⚫︎△△△△△
フレアー⚫︎△⚪︎
ケリー△
フレアー△🔳
こんな感じか。レイス戦の引き分け
続きがダレたかもしれない ジャイバ×アノキ
ジャイバ×サカグ
アノキ×ジャンツ
サカグ×ジャンツ
フジナ×ジャンツ
これらはぁ見たかったっちゅうにぃ思うちょるぞぇー。 >>404
全日が日テレの完全子会社で最初から社長も、経営陣も、営業もすべて日テレの社員が出向してやっていれば
馬場→鶴田の移行はもっとスムーズに進んだんだろうけど、
誰に対する言い訳かわからないけどで「プロレス団体・全日本が提供する試合を日テレは中継するだけ」って最初にやっちゃったから
全日本プロレスは馬場の個人商店になっちゃった。
その個人商店の女帝・元子が79年ゴールデン陥落以降のもう日プロ時代の颯爽さ躍動感が一切失せた馬場でも
「全日トップは馬場」という意向だったから、そりゃ鶴田も空気読むしかない。
あの時代の馬場より弱々しく頼りなく見せるにはあれ(善戦マン)しかなかったろうと思う。 >>417
日本テレビとしても興行会社としてのノウハウまでは無かったって事かな
そうなれば馬場をアシストするしか出来ないわけで 元子が介入した事で同族経営のデメリットがでたんだな だが同時に経営の核が出来たんだよな
その前はかなりアヤフヤな物だったらしいし >>418
同時にマッチメークというプロレスの厄介な部分を仕切る
自信もなかったろ。
TBS国際プロレスはそれで失敗してるし。
ただ外人招聘には高額マネーを用意してバックアップした。 >>421
TBSも一度東郷の法外なブッキング料でトラブっているのにAWAと提携した後もよくバックアップしたな
銭ゲバ東郷に比べたらガニアはまともに映ってたりしてw 東郷は吹っ掛けても相手が呑むと鷹を括ってたのかあるいは吉原を復権させるため裏で示し合わせていた可能性もある
最初に東郷を引き込んだのが吉原とすればだが >>423
マツダが離脱して東郷をブッカーに選んだのは日プロで散々東郷の悪事を見ていた吉原本人でしょ
米マットに顔が利くのは彼しかいなかったのはわかるが自業自得の感もする 結果的に吉原の復権に繋がったから本人としては結構だろうがTBSが一歩引く契機にもなったんだよな ただ日テレが全日本にぶっこんだこともある。
大木ら旧日本プロレス勢の合流、ヘーシンクの獲得など。
馬場はそのへん、徐々に飼い殺し作戦に出たけれど 馬場や猪木はテレビ局との付き合いも上手かったからな >>427
テレビ局の方からアプローチがあった全日新日と頼み込んで放送に漕ぎ着けた国際の差というか >>427
担当者としても「あの馬場だ」、「猪木だよ」ってオーラを感じてしまうってことはあるだろ。
それが吉原なんて見たことない人が社長だと交渉のテーブルに居るのとは違うよな。 >>428
頼み込んだ癖に態度がデカかったから尚更
まあ間に入った相手には流石に低姿勢だがその分現場には高圧的だったらしい 間に入った広島の岩田氏はTBSから実権が戻った時には吉原と決別している
なんでもプロレス界の経営体質に嫌気がさしたらしい >>431
それはTBSの森が言ってる話
リングアナの長谷川は「岩田さんが社長だと全国の体育館が貸出を断ってきたから退かされた」と言ってる
岩田一族は広島の右翼暴力団 >>432
平成以降ならともかく昭和は「893と付き合わないと地方で興行は打てない」と言う時代だったのに
そんな理由で切られるのかね?
そもそも日本プロレス協会の副会長が田岡だったのにな。
龍虎は「(相撲の)地方巡業を仕切っていたのはみんな893だった」と言っていたし
北島三郎が稲川会の新年会で歌った事が問題になって紅白を辞退したのも1986年になってからだった >>434
大野伴睦が亡くなって日プロの人事が刷新された頃だと思う。
暴力団が警視庁の取り締まりの対象にされ児玉、田岡、町井らが表面上辞任
クリーンなイメージが求められていた >>434
大野伴睦が亡くなって日プロの人事が刷新された頃だと思う。
暴力団が警視庁の取り締まりの対象にされ児玉、田岡、町井らが表面上辞任
クリーンなイメージが求められていた 美空ひばりが暴力団との関係が
表ざたになって、全国の公会堂から
使用を断られ、17年連続出場、
10年連続トリを務めた紅白歌合戦を
辞退したのが1973年。 スノロング小林は右翼の大物飛田東山からリングガウンを贈呈されてた。 中学生の頃は、反社的なものとつきあいは絶つ、って風潮はなんとか理解できたが
高校生の頃に地元の神社には地回りの組長とかの芳名がいっぱいできているのを見てよくわからなくなった。 結局、カリスマがいなかった国際プロレスって育てた選手や発掘した欧州レスラーをBIに利用され
新日全日を引き立たせる団体だったんだな >>437
美空ひばりが所属していた神戸芸能社は、前身は山口組興行部だからな。 >>440
最後のトドメが崩壊後の国際軍団か
まさに骨までしゃぶられたわけで 経営センスも?で実社会での経験もないレスラー社長の新日全日に比べ、早稲田大学法学部出身で一流企業で勤務経験もある吉原が社長の国際
プロレス団体はヒット商品や目玉商品がないと廃れて淘汰される他業種と同じだな 週プロで猪木とエリックのUN戦
翌年は坂口とシークでだったんだよな 1971年9月、シークの初来日が
キャンセルになったおかげで
猪木対エリックのシングル戦が
実現した。
これを逃したら、その後も実現しなかった
だろう。 猪木vsエリックのシングルは70年刈谷市体育館でやってる
NETで中継あり シングルのタイトル戦としては唯一
エリックとして唯一のUN戦にも エリックvs馬場・猪木・大木・鶴田…一番の名場面は馬場が鉄の爪を寸前で掴んで防ぐ攻防
猪木戦はストマッククローとインタータッグの指折り逆十字、鶴田の頃は迫力はあったが遅すぎた印象
インター王者大木の大流血戦も観たかった
坂口が憧れのレスラーと言っていたが対戦がなかったのは残念 鶴田のはトップロープ越しに引き摺り込むののがハイライトか ロス?だかでやった馬場×エリックは酷かった
レフリーおよび客へのアピールばかりで手抜きそのもの
日プロ時代の馬場や貫禄と迫力のエリック
みたいな幻想があれで剥がれ落ちた。 >>451
手抜きというかエリックはロスでもヒールだったから客を煽ってるんじゃね
反応がおとなしい日本と違って本場はアピールするほど盛り上がるし‥
たしかこの日のメインは解説ゲストだった小鹿なんだよな。小鹿も気分良かっただろうにw 馬場エリックは同じ試合内容の繰り返しだから
どんどんマンネリにはなるが
それでも最も手の合った印象
やっぱり「馬場の顔面にスッポリと鉄の爪」というのが
良かった。
猪木は顔が隠れると表情が出ないから今一つ。
なのでストマッククローだったのかな 初来日に武道館でインター開催したのも大物ぶりが伺える
あの年はビートルズに貸し出すのも一悶着あったのに、よくプロレスの興行で許可がおりたもんだ
それにシリーズに自分の必殺技名が使われたのもエリックだけなんじゃない? >>454
東プロが旗上戦に蔵前を使用したので対抗的により大きく出たとか >>454
長州対ハンセンがあったジャパンプロレス主宰の短期シリーズが、ビッグラリアートフェスティバルという名称 エリックと鶴田の試合は
長野の試合のほうが面白かったな
十番勝負の川崎は絵エリックが一方的に暴れ続けて
最後はなんだかよくわからんうちに
鶴田のドロップキック一発で終わってしまった 最後に馬場とテキサスデスマッチをした時か
この後にNWA会長に就任 エリック一家の映画「The Iron Craw」の公開が楽しみだ 呪われた鉄の爪一族の盛衰を描く、久々に見たくなったプロレス映画
レイスやブロディも出演するらしいから過去映像で繋げるのね
ザック・エフロンがケビン役のようだがノアに入団したケビンの息子2人はどうなったのか気になる ケビンの息子は2人とも器用なタイプじゃなかったし、強い個性を持っているわけでもなかったから
プロレスラーは廃業したのかもな ケビン自身がそうだったし
だからというか生き残ったのか フリッツは70年日プロのシリーズに12歳のケビンを連れて来てるんだよな
名古屋のインター戦では篠原リングアナの隣で父に加勢しようとしてたらしいが、既に自分と同じ道を歩ませようとしてたのかな? ケビンってヒールやったことあるん?
っていうかフリッツ自体が日本以外でヒールやったことあるんかな? >>464
テリーが著書で「エリック家の悲劇の根本原因は息子たちはみんなエリックから
「お前はプロレスラーになるんだ」と決められて逆らえなかった事にある」と書いていた
どう見てもレスラー向きじゃない170位のクリスすらプロレスラーになっていたもんね
ファンクスは2人とも自分の意思でプロレスラーになると決めたそうだ エリックは銀行とかホテルとか経営してたんだから、ビジネスマンの道進ませてやってもよかったのにな
なんであれだけ息子いてプロレスラー一辺倒だったのか 幼少時に事故死した長男のジャックがプロレスラーになって大成していたら
ケビンとダビッドはともかく、その下の弟たちは強制されなかったかもしれないな >>465
息子達は知らないが(多分ベビー)フリッツはダラス以外基本ヒールだと思う
でも影響力は凄くてビジネス兄弟もいたな エリックがレスラーやってた時代はアメプロ全盛でトップクラスの稼ぎは尋常じゃなかったからな
それで息子を全員レスラーに強制したのかもな
息子の代ではプロレスは完全に衰退してたが エリックがケビンに裸足を命じたのはロッカを意識したともいうな >>470
サンソン一族の伝記で処刑人の親が子供に同じ処刑人になるのを強制したのは子供に馬鹿にされるのを嫌ったからだとあったな >>472
ただ、対戦相手には憎々しく睨みを効かせるが花束嬢やコミッショナーの前ではいつもジェントル。勿論リング外でも
ヒールといっても姑息な凶器攻撃などしない凄玉のレスラーで
子供達に馬鹿にされるどころかエンタメとしてのプロレスに財も成したしプライドもっていたと思う
猪木が八百長発言にムキになるのと少し違って国民性の問題でね >>466
子どもは親のあやつり人形じゃないからな 他にも親子レスラーいるけどマードックやニック、ジョナサンなんか自分の意志で継いだのかな?
サンマルチノ、キニスキー、百田光雄とかも… >>467
ウィキはじめ英語でエリックのプロフいくつか検索したけど、銀行やホテル経営していたってのは出てこないね
日本語ではいくつかあるけど、これって例によってソースは列伝だけ? 正確にはそういう所の株を持ってたってくらいじゃないかな 一応エリック銀行のソースは東スポだな
確かに英語ではその記述は見当たらない
↓ここにこんな記述はあった
https://www.onlineworldofwrestling.com/profile/fritz-von-erich/
Fritz von Erich’s dream was to build an entertainment empire ? his plan was to use his sons as the foundation to build that empire.
要はエリックはエンターテイメント帝国の設立を夢見ていて、息子達をその計画の礎にしようとしたと
プロモーター業は確定として、他の事業もやっていた、もしくはやろうとしていたって感じか >>466
兄弟のプロフィール検索してみたら、ケヴィンとデビッドは大学でフットボール経験してからプロ入りしているけど、
ケリー、マイク、クリスの3人は大学にはいってないようだ。
親父が上2人の伸び悩みを見て、大学出るの待ってたんじゃ遅すぎると早めにデビューさせたのかも Kevin をケヴィンと表記するなら、
Davidもデヴィッドと表記するべきだな。
でなければ、普通にケビン、デビッドと。 ケビンはダラスのプリンス的存在だったろうけどデビッドはNWAのメインテリトリーの常連だったから
プロレスラーとしては順調にキャリアを重ねていたと思うよ
早世しなければフレアーから王座を奪ってケリーよりも長く保持していたんじゃないかな デビッドがNWA王者になると確定だったとしても天龍にUN移動は動かなかったのか、、 クリーンフォールじゃなく反則かリングアウトで王座移動 デビッドはもう10キロ増量したらケリーより良いレスラーになってたと思う
ツラ構えもフリッツに似て闘う男の顔だった。 エリック兄弟は若くて格好良すぎるから日本では使えただろうか?
使うとしたら日本側をヒールにしないといけなくなる 佐藤&石川がアジアタッグ奪取した相手がケビン&デビッドだった。
youtubeに動画あるけど、エリック兄弟はヒール的なファイトも普通に出来てるような。
もっとも会場は後楽園ホールで、どん底時代の全日のコアなファンたちは
試合を楽しみつつ、日本陣営の新しいスターの登場、
新王者コンビの誕生を待望してたから良い雰囲気(自然とエリック兄弟がヒール的)になっていたんだろうけど。 >>489
極道コンビから取った時は完全なベビーフェイスだったな >>468
ダラスつながり(不穏で失礼)で
長男ジャックが早世して親父が次男らに余計にプレッシャーをかけてしまって
結果、よくない死に方をした家族がいるね。
>>477
信用組合みたいなものだという話だが
その出資をしているということ程度なのかもしれない
でもそういうことならおれだって地元の出資金を10口持ってるから
銀行をやっている、といえる。
一回や二回、理事をやったことはあるかもしれない。 >>492
79年初来日はブロディと同じか
81年秋田の鶴龍vsケビン&デビッド戦観てもまだ素足だね
それよりデビッドが鶴田よりデカいのに驚いた
>>493
ダラス繋がり‥ケネディ一家の事?
あの一族は何世代にも渡って呪われてる >>494
>デビッドが鶴田よりデカいのに驚いた
2メートルくらいあったんだっけ?
弟より小さいケビンでも190近くあるし、あの兄弟はみんなデカいからね。
夭逝した長男も、成長したらデカくなってたんだろうな。
末弟だけはチビだったけど。 結局エリック兄弟の全日登場は2度だけで、85年からはブロディを追うように新日移籍
ブロディと違って最後まで全日復帰がなかった。
なんで新日と提携したのかね。PWFに挑戦しフリッツ引退試合の相手バンディとかも‥ >>497
新日とWWFの提携が切れて、新日の外国人レスラーのルートが無くなってしまったので
新日側からエリック王国にオファーをして提携した。どっちかと言うと提携に必死だったのは新日の方。 エリックもこの頃にはもうNWAにはこだわりがなかった デヴィッドは華があった。
プロレスクラシックでのダラス中継かな。エリック王国の回があったけど、一際光放ってカッコ良かったたもん>デヴィッド エリックで思い出したが馬場はブレーンクローの受け方が絶品だったな。
(のちのラシクやクラップでも同じ)
顔が半分、あるいはそれ以上に掌で隠れていても、ちゃんと表情が観客に伝わる。
逆に猪木はエリックのストマッククロー、シンのコブラクローのように苦悶の顔が
はっきり見えたほうがサマになっていた。 馬場がエリック戦について「俺の顔は掴みやすいんだよな(笑)」って記者に話していたな ラシクやクラップに比べ、こめかみからの流血率が高かったのがエリック(本物かどうかはベツにして)
だから迫力があった。 >>500
あの頃のエリック王国は面白かった
ブロディ、エリック兄弟、フリーバーズ、カブキ、バンディ、ミッシングリンク…
世界王者レイスに女性マネージャーのプレシャスやサンシャイン >>418
佐藤曰く、馬場は優柔不断で経営者には向いてなかったから奥さんに頼らなくならざるなったらしいが
現場介入と過干渉がすぎたみたいだな
全日が会社というより個人商店になったのがわかる あんなババアのやりたい放題になるぐらいなら
最初っから日テレから人呼んだほうがうんとマシだったな >>506
優柔不断かな?
外野から見ているとむしろ「やる時はやる」人に見える
引き抜き合戦ではハンセン引き抜きで報復して新日に白旗あげさせた
長州の新日復帰では契約違反でリングに上げさせなかった
日米レスリングサミットでは同席した坂口が
「ビンスにNOと言ったのはプロレス界で馬場さんだけだ」と評していた
SWSに移ったレスラーとの裁判も全日側が勝った 元子が馬場が大好きだったのはわかるが馬場の親族にも亡くなってから知らせたらしいから
お姉さんは最期にも立ち会えなかったと言ってる
所属選手は病院を出るとだけ聞かされ退院すると思って集まったらお棺で出てきて絶句!
後に謝ったみたいだが「弱った馬場さんを見せたくなかった」って言われても…
エース交代がスムーズにいかなかったのも馬場を一番にしておかなければ気が済まなかった元子のせいに思えてくる >「弱った馬場さんを見せたくなかった」
病床の馬場が親族、選手、日テレの担当者に対して今後の経営について元子にとって都合の悪いことを言ってほしくなかったとか、
会社の実権を巡っての綱引きもあったのかな。
シャットアウトしたからこそ実権は波風立たずに?馬場から元子に移行(三沢はお飾り)したものの、
その無理がたたって結局分裂し日テレにも切られちゃったけど。 逝去した後に親族に連絡するというのは人間としてどうかなぁ
容態が急変したとでも言ったのか 猪木の嫁・田鶴子さんは2019年に亡くなったから猪木を看取ってないんだな〜 元子は良いとこのお嬢様で高校生でGS経営任されたりしてたんだよな
色々と自分でできちゃうからどんぶり勘定に慣れてたプロレス業界のやつは疎ましかったろ
オーナー様だし経理もできて生活の面倒も見てもらってる
狂信的な馬場命だが、馬場が頭上がらないからどうしようもない バラエティー番組で見たドリーの後妻もキツそうで口出しそうw
マネージメントしてたんだろうな >>515
ドリーはまさにその後妻の口出しが過ぎたために全日に切られたはず 親族にも弟子にも看取らせないって鬼畜だな元子
そもそも馬場本人も死ぬ前に会いたかった人もいただろうに >>514
猪木は元子を世界一のマネージャーと評していたというのが新間証言 新間が元子に会った時に
「あなたと馬場さんは世界最強のタッグチームでした。私と猪木でも崩せなかった。」と
言ったって話があった オジー・オズボーンとシャロンの夫妻が近い。
あの夫妻もマネージャー兼任のシャロンが辣腕なのよ。 >>520
新間はアントニオ猪木というレスラーが好きで好きでたまらなかったが、人間 猪木寛至には相当恨みつらみがあるはず >>522
「アントニオ猪木のPKOは……です」て放送禁止用語連発して訣別した時は、
参議院選挙の時当選圏内の名簿に載せてくれる約束を土壇場で反故にされたことに文句タラタラだったな 議員秘書にも告発されてたし、都知事選不出馬の時の金銭授受疑惑やピストル輸入疑惑もあった
新日設立時に新間がいなかったら猪木は単なるイキがったレスラーで終わってる気がする >>524
新間が抜けた後の新日本の迷走が全てかなと思う 新間が抜けた後の新日は糞アングル連発
ただし新間も一人じゃ失笑を買う活動しかできなかった >>524
あの議員秘書は綺麗だったな
新間と繋がりがあったんだっけ? >>515
その人バーバラとかいう名前じゃないだろな >>527
佐藤久美子は高校生の頃モデルやラジオDJのバイトしてたらしく
テレ朝にも出入りしてたみたいよ
その頃に新間と知り合い、後に新間の健康食品政治連盟?で働いてスポーツ平和党へ 訂正
健康食品政治連盟→健康産業政治連盟という政治団体
>>528
俺もバーバラだった気がしたけど、ウィキではマーティと再婚とある ドリーに列伝のファンクス編ストーリーをしたら「バーバラ?誰それ?」と言われたとか 2017年の『ワールドデンジャーインタビュー』を見直すと
犬を抱えた“デンジャーワイフ”マーティーさんと紹介テロップw >>531
芦原英幸ですら「わしは梶原さんから取材をされたことがない。取材もしていないのに
わしの過去を知っているわけがない。」と言っていたって話
「芦原は四国で道場を開いた」とか「テーズとマスカラスは同時期にIWAにいた」という
一行位の史実をネタに面白いホラを吹くのが梶原の凄いところ キラーコワルスキーの耳削ぎ事件も、コワルスキーがベジタリアンって事実を
「コワルスキーはあの事件以来肉が食えなくなってしまった」にしてたしな
流智美が本人に聞かせたら大笑いしたらしいが 梶原一騎が初めて猪木と遭遇たのが原作を書いたプロレス漫画『チャンピオン太』がテレビドラマ化され
その第1話に出てくる死神酋長役に当時力道山の付人をしていた猪木が抜擢された時
力道山に憧れプロレスラーを目指す物語だからね 力道山とはその前から顔見知りで取材したときとか付き人の猪木とも会ってるんじゃないの 「男の星座」には馬場と猪木の入門会見の席に梶原も居たことになってる 中村忠が「梶原兄弟が大山館長と昔からの友人と言うのはホラ。私がちょっと離れていた時に極真に入り込んでデカい顔をしていた。」と
書いていたが、それが真実だとすると馬場猪木の入門会見も疑わしくなる。 >>531
先妻はジミィさんじゃなかったかな?
因みにジュニアをコーチしたのはキニスキー ブッチャーの空手の師ガマ・オテナ先生は実在するのかな? 今放送しているBS松竹の梶原原作「悲愁物語」に出ている白木葉子は「あしたのジョー」にも出ているからね
実在する女優も関係ないアニメの登場人物もごっちゃにして創作するからややこしくなるw >>534
「それは最高のストーリーだな!いったい誰が考えたんだい?」と絶賛したとも
日本が産んだ最高のストーリーテラーですよ コワルスキーさん… >>531
俺はテリーのインタビューでの話と聞いた
最初は困惑していたが説明を受けてすべて察してくれ
「思い出したよ!アイツは悪い女だったなー」とコメントさすがw
ドリーだったら「いや やはり知らないな それよりも…」となりそう 「男の星座」は連載時「梶原一騎引退記念作品」と銘打っていたな
完結前に亡くなったから本当に引退作品になっちゃったけど、
無事完結・引退していたら、テリーのように復帰していたのかも
逮捕で幻に終わった列伝の鶴田編、読みたかった。 >>547
列伝の鶴田編が出るとしたら83~84年位だから梶原が全日寄りの頃
入門会見からテキサス修行時代、クツワダのクーデター未遂、長い低迷期、新日からの誘い、AWA戴冠…面白そう
虚実混ぜてもプロレスファン拡大にはなった >>548
クツワダのクーデタが明らかになったのは馬場死後の2003年だから、この時点ではまだまだトップシークレット
それに鶴田編なら当然全日が取材協力するはずだから、広報がOKするはずがない。
それでも梶センセイなら、わずかな情報から妄想を膨らませて何か描いてくれそうな気がするが。
それと、例の「アントニオ猪木・談」では猪木は何を語るんだろう。
「鶴田よ、俺はいつでも君の挑戦を待ってるぞ」とかかなw ファンク道場時代のハンセンとバックランドとの絡みは間違いなくネタにしただろう 鶴田編だとオリンピックの辺りが結構脚色されそうだな
アマレス歴わずかだが数々の強豪を倒してミュンヘン五輪出場!的な ラーメン食われた話はするかな
このエピソードでは東海林クンの「ラーメン大好き」でも語っていたな ハンセンネタはラーメン ボブネタは飲み屋でベルト巻いて呑んでる 「アマリロは青春だった」のがベタかな? カブキ編が終わった1983年26号時点では
鶴田はインターやAWAをまだ取っていないのだけどどう構成するのだろう
新章第一回はたいてい戴冠話になるのでチャンカー優勝あたりか 真偽の程は分からないが テリー人気に嫉妬しファンにサインをねだられた際に「オレのサインなんて欲しくないんだろう?」といい色紙に「テリー鶴田」と描いたエピも入れて欲しい 「涙でしょっぱい味のしたラーメンを食べたものでないと、本当の力は出てこないものである」
鶴田とハンセンが2人してしんみりとラーメンを啜るシーンを出してほしい。 >>554
カブキ編のすぐ後に鶴田編が始まったとすると、全10話くらいとして、
AWAは無理でもインター奪取までは描けるから、ブロディを破って馬場から
「今日からお前がエースだ」と祝福される場面がラストかな
時系列としては、オリンピック→就職します→アマリロ修業時代→帰国即NO.2→
試練の十番勝負→UN王者時代って流れになるけど、梶センセイだったら、ブッチャーの地獄突きや
ハンセンのラリアットに「ホゲェー」と悶絶しながら、善戦マンの殻を破って
成長する鶴田をカタルシスたっぷりに描いてくれるはず >>554
あの辺りで最近の特筆はレイスからUNを奪還した時かな
あるいは元NWA王者のリッチに防衛した時か >>556
そこはステーキ大食い大会のリメイクにしときましょうよ…
ミソラーメンだけはアメリカ人達にいまいち不評だったとかいう地味ネタはいいからさ >>553
ボブの話題が出たところで、ビンス・シニアが新日に来て驚いたのが客層の大半がネクタイを締めたホワイトカラー層だった事
WWWFの客層は殆ど労働者階級で占められプロレスの社会的地位は良く思ってない低く見られているコンプレックスがあった為
本格的レスリングが出来るボブに白羽の矢が立ったのではないのかと、、
でないとブルーノ、コロフ、モラレス、グラハム等ブルーカラー層の支持で客入りは良かったはずなのに
全然タイプの違うボブを王者にする意味がわからない
日本で猪木の対世間の目を振り向かせるストロングスタイルを目の当たりにしたシニアの戦略変更で
NYでは異端の王者を誕生させたのではないかな?
結局、全米侵攻を目指すジュニアによって覆されアンチが顔をしかめるプロレスで繁栄したけどね N.Yのサブカルチャーを牽引していたのは流行にビンカンなゲイピープルだとしたら 白羽の矢が立ったのはボブVSグラハムの抗争だったのでは? グラハム政権時にローデスをNWAから招聘してるのも然もありなん か? >>561
ボブの王者が謎だったから勝手に想像しただけで‥
申し訳なかったw 外国人レスラーは「与党のNo.2がプロレスのコミッショナー?」と驚いたそうだ >>558
85年の今日は鶴田のインター13度目の防衛戦(対レイス)
会場も後楽園ホールで両リン防衛と、馬場黄金期に比べると悲しくなる、、
同時刻、すぐ近くの東京体育館では猪木vs藤波の名勝負が行われたが満員にはならなかったね >>563
日本に来て一番驚くのがプロレスを理解しているファンが多く
レスラーにリスペクトをもって接してくれることだとか
だから新日が積極的に政治家を呼んだり国歌吹奏で厳正さを演出するのは
パパビンスには参考になったと思うよ
ファンに軽蔑されたら業界の繁栄はないからね >>564
いくら、猪木対藤波が名勝負でも
この頃の新日は、維新軍のみならず
カリガリーハリケーンズにも離脱され、
選手層がカスカスだったからね。
残った二人で戦う、という侘しい構図だったよ。
ちなみにセミファイナル以下は
〇坂口&健吾(反則)×Gマシン&Sマシン
(アンドレとマスクト・スーパースター)
〇力抜山対ヒキンズ
〇星野&荒川対上田&×Sクレアー
外人もアンドレにマシンマスクを被せただけ
後は、越中、佐野、小杉、デビューして2年目の
山田、武藤ら。 >>566
「脚を折ってみろ!」で本当に折ったら選手層は壊滅していたw 坂口他の日プロ離脱時に大城をボコボコにした桜田
初期新日から追い出した関川(ポーゴ)にまで声をかけて
リングにあげた位だったからね。 >>564
夕方五時半の最後のカードか
後楽園での鶴田レイスとなるとやはり三年前のUN戦を思い出す >>570
世田谷のインディアンデスロックで決めた試合があまり語られない
そんなに悪い試合じゃないが… いかにも魅せ技の猪木のリバース・インディアンデスロックと違って
フロントから入るレイスのそれはギブ取っても納得できる拷問技 >>573
プロレスごっこで試したらすぐわかるよね
同じデスロックでも、フロント式はリバース式より遥かに痛い! >>574
マスカラスのリバースロメロとオーソドックスなロメロスペシャル
サソリ固めとテキサスクローバー、あと足4の字とパワーズロック、、、
どちらが効果的か言い合いしてたわw >>577
サソリとテキサスクローバーじゃテキサスクローバーの方が痛いしよく効く
ただあれは技をかける方もキツいので、長時間かけ続けるのはムリ
トライアングルスコーピオンはさらに痛くてよく効くけど、
かけてる最中に両手ががら空きってのはプロレス技としてダメだろうな >>577
ブリスコの四の字とデストロイヤーの四の字
どっちが効くかみたいな記事がゴングにあったな。
結論はどっちもすごく痛い、ってことだったが 4の字でしょ 四の字っていったいどんな絡み具合なのか想像もつかん 馬場は足4の字によく掛かるがインディアンデスロックを掛けられてるの見たことない 馬場はデストロイヤーの4の字は力強さとしつこさ、ブリスコは仕掛けの巧さとスピードって書いてたかな。 流
「パワーズほど「猪木にやられて絵になる」レスラーはいなかったと思う」 初期新日に貢献したパワーズは8の字しかないデク
最初は格下パートナーだと思っていたパターソンの方が数段上手かったのは今になってわかる そんなにパワーズはデクかな?
仮にも、次期NWA王者候補の一角に
なったほどだ。
ただ彼は人間性が悪くて、他のレスラーの
評判は散々だった。それを聞いたファンが
「パワーズはプロレスも下手。木偶の坊」
と思い込んでいるだけだと思うなwww
そんなに下手なら、たとえ元NWF王者と
してでも、新日は何度も招聘しないよ。 後年の猪木は「試合の流れを作ろうとしてもしつこいエルボーで流れや間を断ち切ってしまう
非常にレスリングの下手な選手…パワーズとああいう試合が出来たのも自分で言うのも照れ臭いけど
アントニオ猪木だから可能だった」
NWFから世界の二文字を取る取らない問題でストーリーが展開できたけど
WWWFとの提携で外国人レスラー勢が強化されると扱いが小林状態になっていった >>587
デクは言い過ぎたったw
シンと共に新日が軌道にのる過程での重要人物だし、ローンホークなんかと一緒の括りは失礼だった。 学校のプロレス大会でも、パワーズのエルボーを真似する奴は多かったな
坂口がバワーズをコーナーに振って、カウンターのエルボーをで逆襲されるシーンは、昭和プロレスの象徴だった NWFを取られた後は
あんまり来なくなったけど
その頃に全日に行ってたら酷い扱いを受けただろうな。
馬場のPWFに挑戦して0−2
デストと4の字決戦で完敗
シリーズ終盤には小鹿に負けるくらいの 馬場と対戦ない数少ない昭和エース級外国人だな
他はビリー・グラハム、ホーガンくらいか 新日選定のグレーテスト18クラブにパワーズを入れていたから
新日の評価は高かったんだろう。
外国人弱体時代のエースで功労者だし何よりもNWFタイトルを格安で売ってくれた功績が大きい。
新日がどれだけあのベルトで稼がせてもらったか。
ケロが「このベルトが一番好きかも」と言っていたがデザインがかっこ良いんだよね。 >>592
モラレス、モンスーン等を招聘したMSGシリーズの頃までにWWWFとも提携してたらなぁ
馬場の人脈といえども反主流派の取り込みは難しかったのか‥ モラレスを全日に送りながら
ビンス本人は新日の会場に足を運んだりしてる
この時のWWWFはしたたかだな ビンスシニアにしてみれば「馬場はワシが育てた」(才能を見出してスターにした)的な部分もあるのかなw ビンスシニアというよりサンマルチノやモンスーンとの直結なんだよな
モラレスは新日本に行ったが アンドレが新日の常連になったことはすごく大きいな
サンマルチノ、モラレス、モンスーンが3人合わせてくるよりも値打ちがった >>599
アンドレはロシモフ時代から馬場が長いこと呼びたがらなかったからね。
国際から抜いてしまえば、あとは心配無用だった。
例の引き抜き合戦の時もリストアップされた新日系のレスラーのリスト見て
「ほかの奴だったら誰に声かけてもいいけど、アンドレだけはダメだ」
と言ってたらしいし。
自分よりデカいアンドレが来ることで、自分の商品価値が落ちるのがよほど嫌だったんだろう。
日米レスリングサミットの時にようやくその心境が変化したようだが。 「アンドレだけは契約が特殊で難しいが他は全員引き抜いてやる」
って言ってたんだよ
新間に頼まれUWF旗揚げシリーズの外国人ブッキングに協力したときは
「新間君のルートでアンドレだってうちに呼べるんじゃないか」
と上機嫌だったらしい >>597
ババ・ザ・ジャイアントと名付けたのはシニアだっけかな
>>602
馬場と新間が組んだら最強だった >>601
「列伝」では「彼ひとりのために3人分の航空券を用意した!」てな感じだったが
それだと横はよくても前後がね
といってファーストクラスは独立してるから複数席をいっぺんにという手が使えない
全盛期の小錦など飛行機のトイレに物理的に入れないということでニューヨーク公演の時などは大変だったらしい 一般的に世の中のシステムは右利き用に作られてるから左利きはストレスで早死にしやすいとか
その理論で言うとアンドレなんかストレス抱えまくりだっただろうな
飛行機、車、ホテル、通路とか全部狭くて使いづらいものばかり >>603
新間はUWF旗揚げで外国人レスラーのルートで困っていた時に
馬場からテリーを紹介されて以降は馬場を悪く言わなくなった
ただ一貫して
「プロレスラーアントニオ猪木については私はいつでも大ファンだ!
しかし猪木寛至という男は大嫌いなのよ!」だったので
猪木を完全に敵にまわすことはなかった >>605
アンドレは試合の前と後で体重が8kg違っていたことがあるらしい
あの巨体を激しく動かすと、想像を絶するカロリーが消費されるんだろうな 新間「馬場さんにはよく言われたよ。“新間君、オレはアンタの発言でカーッとなり
コノヤローと思ってベンチプレスを何回も何回もやったんだよ。
そんな気力を引き出してくれた面も多少あるんだな。
オレを一時期本当に燃えさせたのは新間寿だった”とね。
私は猪木さんが馬場さんを超えるためにいろいろと考えた。
が、その道を示してくれたのも馬場さんだったんですよ」 >>607
なぜならアントニオ猪木は自分が作った最高傑作だから >>603
ブルーザー・ブロディを命名したのもシニア >>610
何度裏切られても自分が作り上げた虚像に未練タラタラなのはドMそのもの >>607
>>610
新間によると、猪木は「昔の俺と今の俺は違う人間なんだよ」
というのが口癖だったらしい。
何を言いたかったのかというと、「今の俺は昔の俺じゃないから、
昔の俺が借りた金を今の俺が返す必要はない」ってことらしいw
こんなのと一緒に仕事してたら、そりゃ何本血管あっても足りないわw 「悪い、昨日は嘘ついてた。今日は本当のこと言う」と、毎日、言う奴もいたな 馬場は猪木を「悪い奴じゃないが、取り巻きが悪い」と言っていた。
入門当時からよく知っていただけに、その性質も見抜いていたんだろうな。 >>616
夢のオールスター戦の準備段階で馬場、猪木、新間の三者会談が実現した時、途中で
猪木が「馬場さんと二人だけで話をしたいんだ。10分でいいから、席を外してくれないか」と、
新間や同席していたマスコミ関係者を人払いしたことがあったそうな。
予定通り、2人だけの話は10分くらいで終了したが、話が終わった後で
馬場は「猪木という男は何を考えているのかわからん」とずっとボヤいていたそうな。
結局、そのとき2人っきりで何を話したのかは明らかにされなかったが、
竹内氏は「猪木は馬場にハイセルへの出資を呼び掛けて断られたんじゃないか」と推測していたな 何があっても互いの話は他人に明かさないって所に二人の最後の信頼関係があるんだろうな
田中角栄もこのタイプだったらしいが >>617
84年4月猪木がアポなしで岡山武道館の馬場を表敬訪問した時もハイセルの事情説明したらしいね
第2回オールスターがクーデターやUWF問題で流れた詫びも兼ねてだが >>619
>猪木がアポなしで岡山武道館の馬場を表敬訪問
いい話!!
>ハイセルの事情説明したらしいね
やっぱり猪木だw ジャイバとアノキがぁー団体背負って争っちょったころがぁーおもろかったかんな。
ジャイバ、ジャンツ、リュウゲン、あのあ、カサグ、フジナ、チョリキ
もぉプロレはぁそぉゆぅ状態にゃあ戻らんあぞぇ。 >>619
この時のメインが馬場最後のインタータッグ戦だったのも因縁深い >>623
元インタータッグ王者でもあるんだよな
そして翌年には鶴龍コンビにも挑戦 ハイセルはサトウキビのしぼり汁をアルコール燃料として精製し、
しぼりかすを飼料として牛に食わせて肥育するという、
バイオエタノールの先駆にして食糧問題の解決を目指すすばらしい理念の事業だが、
アルコールを生成する過程で有毒物質が発生し、またしぼりかすを牛に与えると
下痢を起こしてしまうという欠点があり、当時その欠点を解決する方法は発見されていなかった。
猪木はその解決のめども立たないまま、新日の興行収益をつぎ込み続けた
結果、タイガーブームに沸いていた新日の金庫はあっという間に空っぽになった。 >>625
1984年の6月か7月の週刊プレイボーイに猪木が事業について語った記事があった
「猪木が食糧難を救う!」「期待しようぜ!」と持ち上げてばっかだった >>622
その年の1月に、自分はもちろん鶴田よりもずっと若い
ゴディ+ヘイズとのタイトル戦で引き分けたとき、
そろそろ潮時だ、天龍に譲ろうと思ったんだろうな
それで、最後の相手はやはりハンセンにしたい、
でもパートナーがブロディじゃ勝てないから、バスにしようと
思ったとか、そんなところだろうね >>627
ハンセンとバスなら前年に一度明け渡してるから奪還後のリターンマッチの形になるし
最後のNWA挑戦が前年の陥落のリターンマッチだったみたいに >>628
どうせブラジルの政府高官あたりからの話だと思ったら
美津子さんの友人から紹介された男が猪木に持ちかけたらしい
普通はどうするべきか戸惑うがそこは猪木で迷わず投資w
あっという間に金目当ての連中が群れをなしてたかってきたんだろうな 誰とは言わないけどファン相手に、招待券を値引きして売りつけて奴もいるし
ハイセル名目のカネが、全てハイセルに注ぎ込まれたわけではないだろう ブラジルの政府高官が八百長屋を相手にするわけないだろ アノキはぁもぉすぐぅ毎日だかんな。
今年ゃあ夏にぃテリファもぉ亡くなってもぉたしぃ。
アノキの死去直後にゃあジョニパもぉ後を追う様にぃ亡くなったんよぉ。
ジョニパもぉシンニプロレでぁもっといい扱いすりゃあ良かったぞぇ。
しかしぃタジェシやスタハがぁーおったからぁジョニパはぁ仕方なかったかもぉ。
エムエタグリでのぉ途中帰国がぁー現役最後の来日っちゅうのもなぁ。 >>630
誰か(たぶん小鉄)が言ってたが、当時新日はタイガーブームで
旗揚げ以来最高の収益を挙げていたはずなのに、その収益はすべてハイセルに吸い尽くされ
選手の懐には全く入ってこなかったとか。それでも金が足りなかったのか、
猪木は放映権を担保にテレ朝から12億円借り入れたけど、それもあっという間に消えてしまったらしい
こりゃクーデタがおこっても当然だわ 猪木が事業に色気を見せずプロレスに徹していたらと思うと…
クーデターは勿論、UWFもなく自社ビルも建ってただろうな
なんか事業家力道山が志半ばで他界したのを近場で見て師匠を超えようとしたのか ブラジルに行くところからして、天性の山師の血が騒ぐんだろ
猪木は金塊奪い合う西部劇に出てきそうだ 猪木「こんな投資を続けていたら新日本プロレスが3年か4年しか持たないかもしれない
だが、それでも私はつぎ込む!」 >>635
アリ戦という最高の刺激を味わったら他に何やろうとつまらなかったかもね
猪木個人として本当にやりたかったことはあそこで終わってたのかもしれないな
もちろん社長レスラーだから引退するわけにもいかなが >>639
体力的にもピークで下り坂の頃の力道山と猪木が事業に手を染めたのは似ている
その後の高度成長期、数年後バブル期というのも 猪木のあのプロレスの才能は事業欲と一体のものだからな
事業欲を失ったら、プロレスも途端に魅力を失っていただろう。 アントンリブ、ひまわりナッツ、タバスコ、ハイセル、永久機関
猪木の事業はすべて失敗、唯一成功した事業がプロレスだった
力道山はどうだっただろう ある意味ではプロレスに次ぐ成功だったのが
「闘魂注入ビンタ」
あれを引き出してくれた拳法経験者の予備校生には足を向けて寝られんな
「闘魂注入ビンタ」でどれだけ稼がせてもらったか それを言うならダーの方だろ
各種イベントで一回ウン百万とか >>643
先ずクラブ・リキ、レジャーが流行ると思えばリキパレスとその中にボーリング場(東京で三番目の早さらしい)
相模湖に土地を買いゴルフ場建設、マイカーブームや海外旅行ブームがくると思えば世田谷に土地1000坪を買って
ターミナルを建て羽田と繋げる構想もあったらしい。まさに後に箱崎ターミナルで実現した
これらはアメリカの文化に触れ事業として日本で成り立つものを見極めたものだろう
残念ながら構想途中で亡くなったから頓挫したものの方が多いが
猪木と決定的に違うのはその後実現しているものばかり >>646
いまだにリキマンションってのが残っているけど
それって名前だけなんかな
あと川越にリキゴルフコースってのがあるがそれは関係無いか 川越は知らないけど赤坂でリキマンションやリキアパートを経営してたらしいね
権利は売却してる筈だが?
まぁ、力士時代から髷のままバイクで出入りしたり
レスラーになっても外車数台を乗り廻してた人だから新し物好きだったんでしょう 事業センスはすごくあったんだろうね
勘もよさそう。
有能な右腕がいればさらにすごい人物になっていた可能性は大きい
たリキは素晴らしい人間だ、酔ってさえいなければ
問題は酔ってない時がないことだ----なんてところが結局同じ結末のような気もする。 >>649
全く同意するわw
遅かれ早かれ殺された気もする 力道山は晩年、プロレスのほうもヨレヨレだったようだし、
借金抱えながらの他の事業も、高度経済成長でオイシイ思いする前に他人に売却してた感じじゃないかね
まあ土地持ってたからそれだけでも維持できてりゃ大金持ちだけど >>646
調べてみたが、リキパレスは61年に力道山の系列会社の施設として開館。
63年の力道山死後、営業部長だった吉原功が日プロで買い取ろうとしたけど、
経理部長だった遠藤が乗っ取りのうわさを流してそれを阻止し、
社内抗争に敗れた吉原は退社して国プロを設立した
結局リキパレスは担保物件として66年に興行会社に売却され
日プロはその年の暮れに開館した後楽園ホールを常設会場にするようになった
リキパレスの買取に成功してたら、吉原は退社しなかったし
日プロもホールを使わなかっただろうから、その後のプロレスの歴史もかなり変わったはず
にしても、遠藤が経理部長とかどんな会社だよw いつの事か知らないけど新間はシリーズの初日リキパレスでの馬場vs猪木を見に行ったそうだ
曰く、30分1本勝負で馬場が首を固めてヒザの上に落とすネックブリーカードロップで
猪木がギブアップしたのを覚えてるらしい。 >>653
全16戦の馬場VS猪木のなかで、リキパレスで行われたのは以下の2試合
1963年7月19日
○ジャイアント馬場[17分21秒体固め]アントニオ猪木●
1963年8月16日
○ジャイアント馬場[2-0]アントニオ猪木●
(1)○馬場[11分45秒体固め] (2)○馬場[4分8秒体固め]
猪木がギブアップした記録はないから、そこは記憶違いだね
たぶん、馬場が上の技(ジャイアントバックブリーカー
かと思ったけど違うっぽいね)を決めたら猪木が落ちちゃったから
そのまま上になってピン取ったのでは? >>655
多分そうだろうね
シリーズ初日とギブ負けは新間の記憶違いで、テレビ収録とも書いてたからそれも金曜生中継の間違いだw 生島治郎の力道山をモデルにしたプロレス小説だと
「事業の才覚もないのに事業にのめり込んだ。亡くなった後は事業の後始末が大変だった。」とか
ミもフタもない書かれ方だった
確かに成功したとはとても言えなかったんだろうけど >>651
力道山の後半はシングルもキツくなっていてタイトル戦線もアジアタッグが中心に >>658
それいったら、馬場の最後のシングルは90年1月のリップ・ロジャース戦だし、
鶴田も92年秋のセミリタイア後は一切シングルはないはず
(保子夫人によると、復帰はタッグ限定というのがドクターの指示だったとか)
引退試合で、ドン・フライとの格闘技戦に勝ってしまう猪木が異常 力道山の後半三回のワールド大リーグは全て決勝シード >>659
年齢とコンディションは人それぞれだろ
ルーテーズは40代後半でNWA王座戴冠、防衛してるし
50代で馬場のインター挑戦、草津KOもしてる
異常というなら、ロープにもたれなきゃ脚上がらない馬場、肝炎キャリアの鶴田がシングル云々以前にリングに上がってたこと自体が異常 力道山の性格だと存命だったら衰えてもメインに居座って老害化しそう
結果的には豊登をつなぎにして当時20代のBIにエースを移行できて良かったんだろうな >>663
存命なら引退して院政を敷き自らは実業家に本腰を入れそう
とて、絶対的権力者で実権は握っている訳だから遠藤に経理なんて任せるハズもなくダラ幹なんて以ての外
造反して新団体を興そうものなら徹底的に潰すだろうし国際プロもなかったろう
ただ事業が危うくなると日プロの利益を廻してハイセル状態になるかもw >>664
馬場が凱旋帰国したらアメリカで稼いだ金は全て
「俺に貸してくれ」と言われて力道山にぶんどられたって話だし
アントン・ハイセル状態になる兆しはあったのかもしれん 後だしジャンケンだけど、力道山も猪木も金儲けするには絶好の時期に事業やってるんだよな
力道山は高度経済成長前だし、猪木はバブル直前だし
この時に土地を買っておくだけで、後にどれだけ値上がりしたかって話で >>666
馬場に対してさん付けまでしたというんだから尋常じゃない
まあ馬場もさるもので借りるなら借用書を書いてくれとやったんだよな
それを屈辱に思って付き人の猪木に八つ当たり >>663
力道山存命なら馬場はドルを稼ぐために日本のシリーズオフ期間はアメリカ遠征かな。
文字通り馬車馬みたいに働かされて望み通り38歳ぐらいで引退しそう。 馬場はシーク戦で鉄柱に生で激突してから性格が変わったらしいな 現在プロレス関係者で生前の力道山に会った事あるのは未亡人や光雄は当然だけど小鹿だけになるのかな?
高千穂は生前に入門を直訴しに行ったらしいが会えずじまい
遠藤や田中忠治は存命かどうかも不明だし、、 >>668
借用書なしで借りようと思ってる人が凄い
飲み代じゃないんだから 1000円や2000円ならともかく馬場が貸した金って◯万ドルだからな
それを借用書無しで借りようとする常識の無さは確かに凄い 金に対する執着心もあったが最低料金の入場料300円だけは変えようとしなかったとか
「この300円は絶対に上げるなよ。貧乏な人間がいつでも来れるようにしておけ。プロレスは金持ちも貧乏人もみんな一緒に楽しんでもらうんだ」
といつも言ってたそうな
『力道山の真実』大下英治著 力道山に会っただけなら、タイガー戸口も。
父親が力道山と大相撲時代、同部屋だったので
生前、プロレス入門を申し出たが、力道山は
「友達の子供は預かれない」と断られた。
https://www.youtube.com/watch?v=QubjYv49Ado いつも小鹿、北沢は名前出るのにミスター鈴木がスルーされる謎 マティさん存命だったのか‥(失礼)
対戦した外国人レスラーは流石に全滅だろうなぁ 比較的最近まで生きてたのがデストとジョナサンか
2人とも力道山より年下だったしね >>671
新間は道場で会ったことあると言ってる
原章は「力道山を見たのはほとんどが中継車のモニターの中」
らしいが流石に会ってはいるだろ >>679
その二人やテーズは馬場猪木とも好試合してるんだよな 今日は馬場が出世したおかげでスレタイの米太郎が有名になった日
そして明日は猪木一周忌…早いなぁ 今日はフレアーがNWA王者としては初の全日参戦
仙台で天龍の挑戦を退けているね 今日はフレアーがNWA王者としては初の全日参戦
仙台で天龍の挑戦を退けているね 同時に師弟コンビが野獣コンビにインタータッグ防衛
馬場としてはインタータッグへの初挑戦と初陥落の日でもある プロレスの世界にどっぷり嵌ったらワクワクするアングルなんだけど裏事情を知るとシラけるw
馬場もよく許可したもんだが、どうしても10周年興行は新日に負けたくなかったんだろうな ブッチャー、シークの解体のツケがここ出来た感じだな
ブロディとの因縁を急造しないと年末の蔵前の盛り上がりに欠けると思ったんだろう
実際にハンセンの移籍がなかったとしたら
あの年の最強タッグの印象は全然違ってくる ハンセン引き抜きはシンより先に決まっていたから
すでにこの頃は年末のセンセーションに向けて計画を立てていただろう
慎重居士と言われる馬場だけど「やると決めたら徹底的にやる」人でもあった 81年は全日vs新日戦争の最大の見せ場だったな
ブッチャーを引き抜いてくれなかったら全日は本当にヤバかった皮肉 年末まで待てない、とにかく10・9の蔵前に負けたくない、で
ディンク事件を起こしたんだろうけどあれでどれくらい客が増えたかというと
ゼロに近いだろうからねえ。
だいたいプロレスのリング上ではインターの決着戦だからそれ以上の舞台装置はないのに。
素人を襲うよりも調印式でベルトを持ち逃げみたいな方がいいと思ったりする。 観客動員は10.8新日、10.9全日ともに1,3000人と同数だったが全日は2階に空席が目立っていたらしい
それにしてもインター王座が10.9蔵前でブロディに反則移動、11.1後楽園でドリーに反則移動とは… 二階席の端は客がいないのは当時の月刊誌の写真でもわかる。
10・8が13000だとするなら10500というくらいだろうか。
ハンセン登場の蔵前11500より入ってなかったんじゃないかな。 新日が8月まで国際のエースだった“こんばんは”木村と猪木の一騎討ち
ハンセン&ホーガン対ブラボー&長州にタイガー対ハリケーンの覆面剥ぎマッチ
全日が馬場サンマルチノの友情タッグにNWA世界戦と因縁のインター、マスカラス対井上のIWA
東京に住んでたら連チャンで観たかったなぁ〜
でも直前までNWA王者だったローデスがフレアーに負けなければローデス対鶴田戦になったのか? >>696
馬場はNWAの有力会員だからローデスは短期ですぐにフレアーに移るのは知っていたはず。
「うちはNWA世界王者を呼びたいのであり、ローデスを呼びたいわけではない。」と言っていたのは
それを知っていたからでもあっただろう そのフレアーは前回78年の来日時に青森で鶴田のUNに挑戦した試合で
既にギャラクシーエクスプレスで入場している レイスの次の代のNWA世界王者はフレアーかデビアスだって言われていたからね
最終的にフレアーになったのは60年代に稼ぎまくってくれた
バディ・ロジャースに似ていた事がポイントだったのかな デラプロの記事だったと思うが、フレアー曰く「デビアスが世界チャンプに成れなかったのは、居るべき時に居るべき場所に居なかったから。」だとさ。 NWA世界王者ってもしかしたら
引き受け手の少ない不人気職種なんじゃないかな?
レイスとフレアーの時代になってからは特に 77年のオープンタッグに来日したドリーが、専門誌のインタビューに答えながら
そこにあった専門誌をめくって「ここに取り上げられているリック・フレアーは
来年日本に来るよ。近い将来、彼はNWA世界チャンピオンになるだろう。断言
していいよ」と言っていた。この時点でもうそういう路線が敷かれていたんだと思う。 77年のオープンタッグに来日したドリーが、専門誌のインタビューに答えながら
そこにあった専門誌をめくって「ここに取り上げられているリック・フレアーは
来年日本に来るよ。近い将来、彼はNWA世界チャンピオンになるだろう。断言
していいよ」と言っていた。この時点でもうそういう路線が敷かれていたんだと思う。 >>700
>居るべき時に居るべき場所
ミズーリ州セントルイス?
そういえばマソニックって長生きしてたんだな
ぎりぎりnWoやストンコそしてロックを知っているかも >>695
最強タッグ以外で数年間も蔵前を使ってなかったからむしろ当時としては健闘した方だろう
とにかくハンセンとのバランスの意味でもブロディを持ち上げておく必要があった印象 >>699
デビアスがテーズ型、フレアーがロジャース型だったかな‥
時代はネイチャーボーイを選んだ。
そう言えば天竜デビュー戦の相手がデビアスだったよね 海外デビュー戦したエリート候補でいうと、坂口がロスでスティーブ・コバック(誰?)
鶴田がテキサスでエル・タピア、谷津がなんとMSGでカルロス・エストラーダくらいか、、
BI、長州、藤波は国内デビューだった >>707
石川(フリーだけど)、維新力
北尾はどうだったかな 坂口はゴッチ、鶴田はドリー、石川はオコーナー、北尾はテーズとそれぞれ現地で大物に指導されてんだな。
谷津がWWFに居た頃は誰がトレーナーだったんだろう。フロリダでマツダってのはわかるけど。 >>710
プロデビュー戦はMSGでカルロス・ホセ・エストラーダ戦じゃないの? >>687
ディンク君襲撃は77年オープンタッグ開幕戦でのショッキングシーンが蔵前を熱狂させた成功体験があるから
その焼き直しを狙ったのではと、ふと思った。 子供のケンカに親が出る、ってことでもあるからなあ
なんかしょっぱい方向にしかいかないと思うだろ、普通は。
ブロディも嫌だったんじゃないかな。 >>714
猪木をブラジル人だと思っていた大木は猪木筆下ろしの相手w
>>716
伊勢丹前襲撃は語り継がれているのにねぇ >>718
本当だ!日本では報じられてないんじゃ…
MSGデビューの方が箔がつくから捏ち上げたっぽいね(有難う) >>715
ドリーとブロディのインター戦は蔵前でのドリーのシングルだったんだな
また馬場対ブラッシー以来実に十二年ぶりの蔵前のインター戦でもあった 83年力道山死後20周年の銀髪鬼インタビューより
「天国にいる力道山に一言」
「力道山が天国にいるわけない。奴は地獄へおちたのだ。俺がおとしたのだ」 カシアス・クレイがインスパイアされただけのことあるわ 大木金太郎の名勝負と言えば、ワールドリーグ戦における坂口征二との遺恨試合に尽きるな
同時に舟橋アナの実況、櫻井のあたかも試合結果を知ってたかのような的確な解説も素晴らしかった >>721
正しいですが あなたが落としたのではありません >>722
昔からアリと友人だったので、対猪木のプロレスラー対策アドバイザーとして
アリについたんだけどファンから
「ブラッシーはプロレスラー魂を売り渡したとんでもない奴!」と脅迫されたそうだ。
流いわく「日本でならありそうな話だがアメリカにもそういうファンがいたのは意外だった」とか >>722
アリはブラッシー(ビッグマウス)の大ファンだったが彼の事をゴージャス・ジョージだと思っていたとさw >>723
猪木との一戦で共にアジアタッグを持っていたのに触れてくれたのも嬉しかった 10.12は東京プロレス旗揚げ記念日
猪木出世試合のバレンタイン戦
木村政雄は永源のデビュー戦を務めた 最後の蔵前でクイックで勝利したのも馬場と猪木
全日は知らないが新日には土俵の上に設置する蔵前専用リングがあったそうな 土俵に被せる形にするから通常のそれより少し大きめだったらしいね。
全日は持っていなかったので蔵前の際は日プロに借りてた、という話もある。 日プロ時代のメイン会場はむしろ東京体育館だったんだよな 日プロ時代の東京体育館でBIの印象深い試合
馬場vsテーズのインター選手権
猪木vsマルコフのWリーグ優勝決定戦 1969年12月3日のNWA世界戦も
(12年ぶりに日本で開催)
挑戦者、ジャイアント馬場対その時点のNWA世界王者
(12.2ドリー対猪木の勝者) 主な新日全日時代の東京体育館
73年パワーズvs猪木 NWF移動試合
74年馬場vsモラレス PWF&MSG杯
80年猪木vsブッチャー(初シングル)
82年馬場vsハンセンPWF(初シングル)
85年猪木vs藤波 師弟対決 >>736
猪木vsブッチャーは82年
80年は猪木vsハンセン(NWF移動) >>736
74年の馬場×レイスとか
74年の馬場鶴田×ブラジル兄弟
75年の馬場鶴田×ブルクラ
あまり記憶に残る感じではないし客も入っていないが。 86年新日とUWF5対5イリミネーションが旧東体最後で
新装東体最初が90年タイガーが三沢になった興行か‥
でもベスト興行は日プロ時代の力道山vsデストロイヤーの天井カメラの試合になるのかな >>734
一応は猪木次第で馬場との対戦機会を得られたんだね
翌年か翌々年に猪木の馬場への対戦要求を認めなかった日プロの口実も
「二人の対戦がNWA世界戦なら認める」ってものだったし
猪木がドリーに2フォール獲っていたらBI対決は実現していたんだな >>741
馬場は幻のNWA王者にはなっているw
62年8月オハイオ州コロンバスでロジャースに馬場が挑戦者としてリングに上がっていたが
ロジャースが控室で暴行事件に巻き込まれ腕を骨折して急遽欠場(ドアに挟まった説が有力)
闘わずして王座移動がコールされたが2フォール奪ってないので当然公式記録には残ってない >>741
日本プロレスの上層部としては
日本テレビ:馬場がエース NET:猪木がエース
で稼ぎ続ける方針だったわけだから
「猪木の野郎、何考えてんだ?」だっただろうな >>725
プロレスラーの前にアメリカ人だろう
例えば具志堅がシンと戦うとして猪木が具志堅陣営に入り策を練り手厚く肩入れしても、
非難されにくかったはず。
シンが悪役だからあれならロビンソンでもいい。 >>744
グシケとタジェシっちゅう発送がぁーおもろいぞぇ。
そこにぃビルロっちゅうのもぉ意外だしぃ。 >>736
82年猪木vsブッチャーは初シングルではない…念のため >>743
>日本テレビ:馬場がエース NET:猪木がエース
>で稼ぎ続ける方針
猪木がそんな図に収まるタマじゃないって東京プロレスの時点で
わかっていたことなのに、ダラ幹もつくづく目先の金のことばっかで
展望がないよね
たぶんBIをONになぞらえたんだろうけど、王が長嶋を
立てたように、猪木が馬場を立てるわけないだろw
いずれにせよ、お互い番組のエースを負けさせるわけにはいかないから、
日テレ独占時代ならひょっとしたら実現していたかもしれないBI対決が
二局体制になったことで完全に不可能になってしまった 芳の里によると
70年代に入って日プロも大物外人が飽きられ始めていたから
その打開策として馬場対猪木を後楽園球場でやってみては?
というのは幹部内で話には一応は出ていたらしい
日本人対外人の路線を続けてるだけでは下降線は目に見えてるからね >>740
全日本は1月の鶴龍とジャパンのインタータッグが最後 >>746
馬場に挑戦表明したワールドリーグがあったのを忘れてました
>>747
>猪木が馬場を立てるわけないだろ
復帰した時は負い目があるから立てたけどね
>二局体制になったことで完全に不可能になってしまった
仮に両テレビ局で話がまとまってもドロー案じゃあ「やっぱりプロレスは出来レース‥」と
その後の視聴率下降は免れないだろうし、日テレが後塵のNETに妥協する訳もないしねw >>750
猪木は69年のワールドリーグ戦優勝で馬場との差を大きく詰めたけど、
あれはNETプロレス放映開始のご褒美だったからね
NETの参入がなければ、当然あの優勝もなかったから、馬場との差を詰めるのは
もう少し時間がかかっただろうな
仮に馬場猪木戦が発表されたとしても、2人にばかり注目が集まるのが面白くない
大木あたりが絡んでくるの必至だし、一筋縄ではいかなかっただろうね
>>747
>復帰した時は負い目があるから立てたけどね
復帰直後のシリーズで、エース外人だったキニスキー相手の負けブックを呑んだんだっけ?
> >>751
猪木対キニスキー戦(60分1本、、確かメインか
ダブルメイン扱い)は、復帰の翌年(1968年)の
11月29日。
67年8月にも来日しているが、この時、猪木との
対戦はない。
負けブックを飲んだと言っても、当時、キニスキーは
NWA世界王者で馬場のインターに挑戦するために
来日した。猪木が勝つわけにはいかない。
むしろ大物外人とシングルマッチをメインで組んで
もらったと考える方が妥当では? 前にも書いたけど“右”の読売グループと“左”の朝日系列では放送局の性格からして相容れる筈もなく
その代表になったのが馬場と猪木
猪木は対抗できうるNETがバックに付いたおかげで暗黙のルールを無視して本性を出してきた
ご褒美のWリーグ優勝やUN王座獲得だけでは満足できなかったんだろうな
黙っていても馬場の衰えでエースの座は転がってきていたのに
内部崩壊は二局体制になったせいで主流派と反主流派の対立構図が激しくなり幹部連中の勘違いが始まっていった >>752
この試合こそ本格的な猪木推しの起点だよ
テレビ中継でのシングル初のメイン
負けても世界王者と互角に戦うまでに成長したと高評価
さらにこのシリーズの最後に卍固め初披露 馬場が「レスラー人生で最高の戦いができた」と語った67年大阪球場でのキニスキー戦
猪木は68年室蘭の試合も良かったが「国内ではドリー、海外ではキニスキー」と両雄ともに荒法師戦をベストバウトにあげていた >>755
キニスキーとドリーが両方NWA世界王者だったのは偶然ではないな
やっぱり試合を作るスキルがあるんだろうな
大木が一番気に入っている試合はニック・ボックウィンクル戦だったが
ニックがAWA世界王者なのも同様 >>756
モノクロの古い動画で、キニスキーとテーズの試合を見たことがある。
テーズが一方的に攻め込み、リング上で大の字になったキニスキーが
なんとかベルトだけは守る展開で、当時は「キニスキーの方が若いし
デカいのに情けねえな」とか思ったけど、あれもタイトロープ防衛という
王者としてのスキルだったんだろうな そんなキニスキーは75年バンクーバーをサーキットをしていたマサ斎藤の誘いで新日の第2回Wリーグ参加を応諾していたが
その動きを察した馬場が新日を上回るギャラを提示してあっさり全日の同時期開催第3回Cカーニバルへ来日
大物キニスキーの不参加で外国人レスラー側は弱体となったがWリーグは事実上の日本選手権の様相を呈してきた >>757
烈伝を読んでいると信じられない展開w
実際のNWAのテーズ→キニスキーへの移動って
フォールじゃなく反則だったけどテーズが自ら放棄したんだっけ? >>758
そうなんか!
馬場の"引退試合"の一人だったんで新日には見向きもしなかったと思っていた>キニスキー >>760
むしろあれが全日本への初参戦じゃなかったかな
全日本の初期には日プロの方に出てたし >>761
74エキサイトに参戦
馬場のPWFに挑戦し2フォール負け(初? >>761
前年のエキサイトシリーズに参戦してPWF王座に挑戦しているよ これについては記者も意外に思ったみたいね。
そう思っていたなら新日に呼ぼうとしても不思議じゃない。
アントニオ猪木さん、真の自選ベストバウトは「ジン・キニスキー」…酒席で記者に語る
ttps://hochi.news/articles/20221001-OHT1T51317.html?page=1 猪木はサービス精神か知らんが、聞き手によってこの手の回答を変えるからな
リングの魂で自分のベストバウト選んだときは「タイガージェットシン戦でいいんじゃないですか」と言ってた
本音はドリー戦だったっぽいけど、実は東京プロレスのジョニー・バレンタイン戦だったかもしれんし 聞き手の側の聞き方によって変わるかもね
思い出に残る「相手」と「試合」では違ってくるし キニスキーといえば馬場、な日本プロレス正史みたいな語りがあるし
そこで立ち上がる「三角関係」は好んでいなかったんじゃないかな。
プロレス正史的には猪木はバレンタインでいい、ってことを受け容れてるけど >>768
日プロの大物外人は対馬場が基本だからね
対猪木で語れることが多いのってドリー、ブリスコ、マルコフくらい?
マルコフは「大物」というには微妙だけど >>769
猪木のWリーグ戦制覇でのクリス・マルコフといい
鶴田のチャンカー制覇でのディック・スレーターといい
ナンバー2というか若大将をリーグ戦で優勝させる場合
決勝に超大物はあてがわないって傾向がある? あのまま日本プロレスが続いても分裂してたとか、
後だから言えることで分裂はああいうクーデターとかでもなきゃ無かったか、
だいぶ後になったんじゃないかな
その場合この国のプロレスの人気や地位はどうなっていたんだろ
もっと人気で盤石になっていたのか、
あるいは尻すぼみして中途半端なとこで安定してたか・・
後世から見ると馬場猪木がそれぞれ団体旗揚げして
競い合っていた方が絶対面白かったようには見えるけどね。 >>770
動員力のある大物はなるべく傷つけたくないから、なるべくダークホース的なマルコフやスレーターを選んだのは? まあ、たられば過ぎて不毛かな
ごめんなさいね、流れ断ち切ってw >>759
テーズ⇒キニスキーのNWA移動の試合は、
1本目、普通にテーズのフォール勝ち
2本目、テーズの誤爆か不注意とかで反則決着
3本目、そのままの流れ(?)でキニスキーが行き応ずいてフォール勝ち
反則込みでも決着ラウンドがフォール勝ちならタイトル移動とかで新王者キニスキー誕生、と。
(昔の月刊ゴングだかにこんな感じに書かれてました) 馬場によるとマルコフは69年に来た時はとても良く「ひょっとしたらフレッド・ブラッシー
位まで行くかも」と思える程期待できたそうだ。ところが、翌年来た時にはもう落ち目にな
ってしまったという。 >>775
猪木が卍で初優勝し馬場に抱きつくシーンは感動した
でも馬場のインターや全日でPWFに挑戦した時にはストレート負け
意識していたのかな? >>755
米国武者修行中にキニスキーとフルタイム引き分けの試合だったかな。
キニスキーは当時大物だから、猪木も地区によってはいい扱いだったんだな。
80年代に新日カナダ遠征時にキニスキー猪木の再会が雑誌に載ってた。
当時はキニスキー=馬場派の印象だったので、子供ながら不思議だった。 >>776
元々マルコフのランクはそのくらいだから 宍倉もこれを日本プロレス時代の猪木のベストバウトだと書いているな
オールディーズ・バット・グッディーズで来日した時に猪木戦について聞きたかったが
場所が全日だったので聞けなかったと
>昭和43年11月29日、室蘭市富士鉄健保体育館 ジン・キニスキー(25分35秒、体固め)A・猪木 キニスキーは足技、特に逆(片)エビでギブする確率が高かった印象 猪木修行時代のシングル戦績で馬場のインターに挑戦したレスラーを調べると
デストロイヤーに3勝5敗3分け、ブルーザーに1反則勝ち、ブラッシーに1敗
コックスに3勝1分け、エリックに2敗、キニスキーに3敗
インター挑戦は無いがレイスに1分け、スナイダーに1敗
単なるジョバーじゃなく、なかなかのポジションを与えられてる >>781
21,2歳の異国から来た地味な若手としては異様な好待遇だね
しかも猪木の場合は
東郷の影響下でもなければNWAに加盟してない頃の時代の話 >>783
Wリーグの豊登、インターの馬場、UNの坂口にも逆エビor逆片エビでギブアップ
ドリーにはスピニングトーホールドで世界王座陥落とキニスキーの弱点は足関節じゃなかろうか? >>784
当時は逆エビが必殺技設定だったんじゃないの?
アニメのタイガーマスクでも、「逆エビ固めが完全に決まったら誰も逃れられません」
って絶叫する場面があったよ 馬場=エリート 猪木=雑草
の様に宣伝されていたが、馬場が超エリートで、猪木もエリートなんだよね。
17歳の新人がデビュー戦で敗北なんて当り前だし、猪木は3年後に海外遠征に出してもらっている。
豊登は「俺だけじゃ日本プロレスに対抗できない。期待の若手の猪木を引き抜こう。」と
猪木を引き抜いて東京プロレスのエースにして、
日本プロレスは「猪木をTBSプロレスにとられてはいかん!」とNo.2の待遇で呼び戻している。
どう見てもエリート >>785
エリックのクロー対策で手首を攻めたりハンセンのラリアット対策で腕を集中攻撃するように
キニスキーの得意技ニードロップ、キッチンシンク、バックブリーカーを封じる設定だったのかな
特に逆片エビは膝、股関節を極める技だし >>786
それが基準ならあの時期に入門できたのは皆エリートじゃね
マンモス鈴木も大木金太郎も海外出たのは3年〜4年ぐらいだろ >>788
エリート→他競技で実績があって、スカウトされてプロ入りした奴
雑草→他競技の実績がなく、テスト受けて入門が認められた奴、ってぐらいなのかな
でも長州なんか、出自は間違いないエリートだけど、すぐにコースから転落して
かませ犬発言で浮上するまでの扱いはエリートとは言い難いし
逆に猪木は出自は雑草もいいとこだけど、力道山の目に留まってスカウトされて
20代前半の若さでメイン張るようになったし、その後の扱いは明らかにエリート
出自もその後の扱いも一貫してエリートだったのって、やはり馬場鶴田が筆頭か >>784
Wリーグの豊登、逆エビor逆片エビでギブアップ
その試合は、場外でダウンした豊登目掛け、
キニスキーがニードロップを落としたが、
避けられ自爆。豊登がリングに生還、
リングアウト勝ちでは?
(とにかく豊登のリングアウト勝ち)
その他の試合でもキニスキーがリング内でも
ニードロップを自爆、逆エビで敗れるという
パターンが多い。
ドリーがキニスキーを破ったスピニング
トーホールドは当時、彼の唯一の決め技だったし(苦笑) >>788
>あの時期に入門できたのは皆エリートじゃね
馬場、猪木、大木、鈴木は「力道山道場四天王」だよ。
この他に,’60年前後に入門したのは
田中 忠治、長沢秀幸(57年)ミツ・ヒライ(58年)
上田 馬之助(60年)ミスター林(59年)北沢 幹之(61年)
がいるが、エリートではない。
上田は、後にヒールとして成功したが、前座時代は
パッとせず海外遠征まで6年掛かっている。 >>790
に自己レス、キニスキー、二―ドロップの
自爆→逆エビで負け、の他
シュミット式背骨折りの自爆(膝を痛める)
→逆エビで負けもあった。70年ロスインター戦 >>791
ドリーがキニスキーからNWA取ったのは
確か11回目のチャレンジだったんだよね
確か列伝にも、シニアがキニスキーのファイトマネー工面するために
牧場を売却する描写があった
最終的に結果出たとはいえ、ある意味鶴田の善戦マン以上かも
4年3か月でベルトを手放したのは、それくらいで投資分を
回収したからかもね >>790
Wリーグ決勝のキニスキー戦じゃなくてデストvs豊登のWWA世界選手権2本目と勘違いしてましたw >>790
Wリーグ決勝のキニスキー戦じゃなくてデストvs豊登のWWA世界選手権2本目と勘違いしてましたw >>786
若手時代の猪木は第一試合を経験していないとあったな >>786
エリートと雑草と言ってもどうすれば二人が競い合って伸びるか力道山の指導方法が違ってただけでしょ 力道山の思惑通り馬場猪木は育ったと思うけど、その後の展開をどう考えていたのか聞いてみたかったね >>800
馬場猪木はもちろん、大木も大成したと言っていいと思うから、四天王で育たたなかったのは鈴木だけか
力道山の育て方がまずかったのか、元々素材からしてダメだったのか >>801
だらしない、不甲斐ない、気が弱い、おまけに糖尿病…
修行中に女とトラブル起して強制送還されマンモスからゴリラへ
四天王から脱落するのは当然 子どものころ、地元で国際の興行見に行ったときに
鈴木がレフェリーやっているのを見たことがある
背は高いけどひょろっとしてて全然迫力無くて、
試合が終わった後、自分よりずっと小さいレスラーに簡単に吹っ飛ばされていた
パンフレットにかつて馬場、猪木、大木と並んで力道山四天王と呼ばれたレスラー
だったと紹介されていたのを見つけたときは信じられなかったよ。 マンモス鈴木は「蔵前国技館でタニー・アルフォード相手にデビュー戦を勝利で飾る」だから
いかに新人の頃は期待されていたかわかるな。その期待を見事に裏切ったわけだ。 >>805
一緒にアメリカ遠征に出発した時点では、馬場より扱いが上だったんだよね
でも上に出ているようにトラブル起こして強制送還、馬場は代わりに回って
きたチャンスをモノにして大ブレーク、鈴木はゴリラへの改名を強制されたうえ
猪木にも抜かれてしまった
>>806
多分国際時代だと思うけど、マスク被って試合している
鈴木の腹に斜めの大きな傷跡があるんだが、
ひょっとして病気して開腹手術したんだろうか >>807
マンモス鈴木をググってみたらホラーのような話が出てきて引いてしまった、、、
なんでも鈴木は双子で産まれてくる予定だったが産まれてきたのは鈴木一人
鈴木はいつも体調が悪くて厳しい練習についていけなくなり、ある時病院で受診すると体内に双子の肉体が発見されたそうだ。
これが体調不良の原因で、もちろん体内の双子に生命はなかったから摘出手術したが鈴木の体重は激減し
プロレスが出来なくなりレフェリーに転向したそうだ。 >>786
力道山は半島出身の大木を韓国プロレス界の発展や日本における在日ファン層の獲得のため
馬場猪木は二代先まで見据えた自らの後継者に考えてた気がする 大木は押しかけ弟子みたいなもんだろ
馬場より年上なのに海外遠征行ったのも後だし、力道山がそこまで考えてたとは思えない それでも大木は年長で半島出身の自分こそが力道山の後継者に相応しいと信じて疑わなかった >>813
後輩のBIが自分より上に行き、猪木は追放、馬場は退社して
ようやく自分に力道山が持っていたインターナショナルがまわってきた。
坂口が「このままでは会社が潰れる!」と新日との合併を纏めようとしても
合併すれば当然猪木がエースでインターナショナルも猪木に渡す事になるから
大木は合併に反対するわな。 >>813
本人がその気でも力道山は大木を日本マットでの後継には考えてなかったと思う
60年代後半韓国にプロレスが根付いてるかは知らないが朝鮮半島への想いは二人とも強いはずだから
両国を股にかけ活躍できるレスラーに育ってくれればと
まぁ上の人が書いてるようにそこまで考えてなかったかもだが
日本ではあくまで自分の後継者は先ず馬場であり猪木にバトンを繋げていくという青写真
でないと入団発表の3日後にデビュー戦もしてない馬場猪木の二人が
第2回ワールドリーグ観戦記掲載(スポニチ)を許可されているくらいだから最初から特別なんだよ >>814
坂口が合併話をまとめるより前に、ダラ幹(多分遠藤)が猪木に
「お前の大嫌いな馬場は出ていった。最高の待遇で迎えるから帰ってきてくれ!」
と復帰を懇願するも、新日がようやく軌道に乗ってきた+もうダラ幹と仕事したくない
猪木は「自分は悪役だから必要ないでしょう」と断ったことがあったな
この時当然インター王座の空手形も切ってたと思うけど、もし猪木が説得に応じて
復帰したとしたら、大木はどうしてたんだろう。ベルト持ったまま日プロ退団したりして 皮肉にも大木の巻いたインターのベルトは力道山の巻いた物ではなかったんだよな
アジアタッグやアジアヘビーもだが大木は力道山と同じ物を持った事はない 皮肉にも大木の巻いたインターのベルトは力道山の巻いた物ではなかったんだよな
アジアタッグやアジアヘビーもだが大木は力道山と同じ物を持った事はない >>817-818
まぁ馬場も力道山ベルトは世界ヘビー級戴冠時だけだった筈
力道山自身そのベルトをあまり使っていないんじゃ?
意外にも?天龍のJ1は力道山ベルト? >>817
大木が’67年に巻いたWWA世界ヘビー級ベルトも
力道山のベルトとは違うものだったな。
力道山が巻いたベルトを巻いたのはG・馬場
=初代PWFベルト=力道山のWWAベルト
=2代目インターナショナルベルト('62〜63年)
そして天龍のJ1ベルト=日本ヘビー級ベルトくらいか? >>819
力道山も持ってたアジアヘビーが手に入ったから >>821
二代目インターベルトは三つのタイトルに使われたという意味で珍しい例
二つまでは結構あるが >>822
アジアヘビー戴冠2年前に返上してるんだが アジアタッグの方の時か
わざわざ返上してたとは知らなかった >>821
初代インター王者テーズのベルトを入れると力道山ベルトは2〜3代目(コピーベルト)で全日に寄贈されたのは3代目
馬場が日プロ時代に巻いた復活ベルトは馬場のサイズに合わせた4代目で
3代目の初代PWFベルトも馬場サイズに造り直したから…何代目と言っていいやらw
もともとテーズの初代インターベルトは制作してなかったとか、NWA王者時代に7本のベルトを作ってそれが乱立の要因になったとか
諸説あるみたいですよ 日本プロレス四天王ですらなく
馬場猪木からも相手にされなかった上田を
芳の里の頼みでリングに上げてIWAタイトルをとらせる厚遇
自分の団体のエースをかませ犬にしてどうする >>826
力道山の最初のインターはテーズベルトのデッドコピーで後にWWAから降りた後にベルトだけ譲ってもらったとか
その間に一年も防衛戦をやってないのも含め力道山時代のインターはあくまでNWAやWWAの代替でしかない印象
インターが日本独自の最高権威となったのはやはりオリジナルベルトになった馬場時代から 力道山って自分の死後のプロレス界の発展とか心配する人物だったのかな 馬場がテーズルーツの力道山ベルトを世界ヘビー級王座として争奪してた同時期に
猪木がオハイオ版AWAのゴッチベルトを活用していたのも面白い
フランク・ゴッチから続くと大ウソついてたけどね 馬場のニックネームあるいはリングネームとしての”Ishope Baba”って読み方とか
意味はなんなんザマスか?知っておられる方よろしかったら教えてください。🙏 正平→ショウペイ→Iを先にしてIshopeか?
読みはイショーペでいいのだろうか? 三冠に統一されたけどインターだけは別格の印象がある >>835
そりゃ力道山から続いているからな。
インターナショナル王座の復活トーナメントは元NWA世界王者4人に
ブロディ、ブッチャーと気合が入りまくり。 >>830
そもそも力道山は自分が死ぬなんて考えもしなかっただろ
当時まだ40歳だし、刺された当日も即病院行かないで自宅に帰ってるぐらいだし 我々が言うインターとは実質的に馬場が初代の印象
力道山時代のインターはむしろPWFに衣替えで 日プロが消滅してから韓国で行われた大木と猪木のインター選手権はNWAもJWAも認定してないから
マスカラスのIWAと同じ大木個人所有のタイトルマッチって事になるんだろうな
韓国プロレスがNWAに加盟できたのは全日に出戻った後の話だし 全日本も日プロ消滅後のインターは空位という解釈
猪木のNWFの場合はどうなるか 管理団体が新日に移った時点で新日本プロレス認定NWF世界ヘビー級王座
76年からはNWA認可になり世界を名乗れなくなる >>840
韓国で防衛戦やってる分には馬場も黙認していたが、国際で防衛戦やったのにはさすがに我慢ならず
NWA本部を通じて返上するように圧力をかけた。大木にすればどうしても日本で防衛戦やりたかったんだろうけど、
レスラーとして落ち目だったうえに副業もうまくいってなかったからなくなくアジアへビートの交換で手放す羽目に 認められた日本での防衛戦はビリー・レッド・ライオンとFVエリック戦のみ
テレビ中継されて満員の会場でやりたかっただろうに ビリー・レッド・ライオン戦(73年1月27日)は、
まだNWA会員、芳の里のプロモート下で行われたから
OKだっただろう。
その後、2月3日、NWA緊急役員会が開催され
ジャイアント馬場が急遽、NWA会員になった。
一地区一プロモーターの原則から言えば、日本に
2人NWA会員がいて可笑しいのだが、もう芳の里は
死に体と思われたんだろうね。
4月13日のF・V・エリックとのインター戦は、
日プロの主催興行ではなく、選手会の自主興行だから、
もうNWAの管轄外で行われたと見て差し支えないだろう。 >>844
記録でしか知らないけど、ノーテレビだったエリック戦の客入り悲惨だったみたいね
残酷だが、大木は王者の器じゃない、客を呼べないことがはっきり示されてしまった。
わからないのは、それから10年近く経って、なぜ突然大木が国際に上がってインターの防衛戦やったのか
大木が王者じゃ客呼べないことは既に証明されてて、力道山門下生の上田をありがたがるあまり
自分とこのエースの木村の価値を落としてしまった吉原社長でさえ獲得には動かなかったのに 大木の国際入団は12chの意向
韓国遠征したときの視聴率が良かったから >>845
ライオン戦は滝川の小会場だったんだよな
そして次の坂口の最終シリーズでは坂口絡みのタイトル戦しかなかった アジアタッグも獲ったライオン&デストロイヤーは義兄弟だったよね
デストは日本でウィルマ夫人と離婚したけど再婚したのが同名ウィルマさんとややこしい
ライオンはその後クルセイダーズ1号で最強タッグに出場しているけど
レッド・バスチェンといつもごっちゃになって間違ってたわw >>849
ライオンは吉村の最後のアジアタッグ防衛の相手も >>845
馬場が言うにはドリー・ファンク・シニアが
総会を待たずに役員会で
「俺が保証するんだから間違いない」で加盟させてくれたそうだ。 >>845
>>851
猪木が独立した時には、徹底的に圧力をかけて
ゴッチ以外の外人ルートをつぶした日プロだが、
アメリカマット界に太いパイプを持つ
馬場相手に同じ手は使えなかったな
でも結果、日プロ時代にはNWA王者を挑戦者として
迎え撃っていた馬場が、何かというとNWA、NWAという
NWA至上主義者になってしまった。
今にして思えば、馬場がNWAをありがたがっていたのは、
王者の権威よりなにより、猪木のウザがらみを
退けるカードとして仕えたことではなかっただろうか >>852
NWA全盛と自身、BI全盛期が符合してたから馬場はNWA至上主義になりファンもそれを喜ぶと信じていたのが勘違いの始まりで
ルートを断たれた猪木は伊勢丹前襲撃や大物日本人対決等ファンを刺激するストーリー展開で支持を拡げていったよね
そこにNWAなど全く関わっていなかったし60年代迄の絶対的権威も微妙に弱体化していた >>853
それでも隙あらばNWAに食い込もうとしたんだよな
そしてNWAに配慮する必要は無くなったと見た後に三冠を全盛期のインターみたいな最高権威に押し上げた >>856
同時にそれは全盛期の馬場に遠く及ばんって事でもある ≻≻851
馬場はシニアにはずっと感謝していて、全日事務所の社長室に長い間
シニアの写真を飾っていた程だった。 最大公約数的なインターの全盛期はやはり68年一杯くらいかな
反則でもNWA王者キニスキーに勝利防衛した時点がピークかも
翌年からむしろBIでのインタータッグがトップになった印象も >>859
馬場はキニスキーは王者として迎え撃ったことで
インター≧NWAの状態を維持できたけど、
次期王者のドリーの王座にチャレンジしたことで
NWA>インターになってしまった感じ。
線の細いドリーの大物感演出するためにはNWA王者であることを強調しないといけなかったうえ、
猪木売り出しのためのチャレンジマッチ組む必要があったからだろうけど 決定的なのはむしろ翌年にインター戦で迎え撃った時か
暑さのため明らかな逃げ切り防衛を馬場がやってしまい馬場の最大のターニングポイントに >>830
敬子未亡人は「主人があのまま生きていても猪木さんを後継者に据えたと思います。だから猪木さんをずっと手許に置いた。
馬場さんのことはあくまでもレスラーとして期待した。身体も大きいし自分にない物を持っている。それで早くに海外に送った。
それはそれで凄いことですよ。だって馬場さんはアメリカで大成功を収めたんだもの」
後継者は猪木でレスラーとしては馬場に期待って‥よく分からんな >>862
そのインタビューは猪木がらみの企画なので、当然猪木ageの返答をしなけれならない
とはいえ、百田家はずっと馬場全日と近く猪木とは疎遠だったので、今更馬場をsageることもできない
結果、自分でも何を言っているのかよくわからくなっているのでは? >>863
「今後は力道山の弟子と名乗って欲しくない」と破門しておきながらw なんの本か失念したが、こう書かれていた。
力道山から
馬場は「実」を、猪木は「花」を
大木は「根」を受け継いだ。 なんともブンガクだけれど
「血」を受け継いだ百田兄弟が…… >>867
百田弟は自分の意志でプロレスラーになったのかなぁ‥
でも力道が生きていても後継者にはなれなかっただろう >>862
なんとなくわかるよ。
馬場は「アメリカを蹂躙して世界に翔け」
猪木は「ワシの跡を継いで日本を引っ張れ」
はい、私は列伝愛読者で昭和プロレス大好きプオタです。 >>869
弟は自分の意志だろ
問題は兄のほう
全日では役員待遇だったのに
レスラーなんて今更志望するかな
しかもデビューしても何一つ売り出されていない >>871
元々はリングアナだったんだっけ?
ある日中継で突然レスラー転向が発表されたときはビックリした。
その時点でもういい歳だったし、周囲のレスラーよりずっと小さいし
とても成功するイメージ湧かなかった。
テレビでは、弟とのタッグの試合を一度だけ見たことあるけど、
どんな試合してたかは全く覚えてない。
大学でアメフトやってたらしいから、最低限の基礎体力だけは
あったんだろうけど。 >>872
1975年12月の「力道山13回忌追善試合」で
ブッチャーに襲われたのが、プロレス入りの動機
とされているが、、
>大学でアメフト
力道山は1962年の秋、右胸を負傷し欠場する
訳にもいかず、義浩のアメフト用のプロテクターを
借りて試合にでたという。
その間、義浩はアメフトの練習はどうしたんだろ?
本当は、力道山が亡くなった後、義浩が20歳に
なった時(1966年)に、社長にするという約束が
未亡人と日本プロレス幹部の間で取り交わされていたが
反故にされた。芳の里らが同名の別・日本プロレスを
設立。酷い話だと思うが、反面、プロレスのことを
知らない20歳の若造に社長になられても、他の幹部や
所属選手は面白くはないな。実際、実務も出来ないだろうし。 >>874
日本プロレスの幹部は契約書もないのも良い事に馬場のNET出演を強行した。
反対したのは当の馬場だけ。日本テレビもこれには堪忍袋の緒が切れた。
プロレスに限らず、こういう世界で口約束なんて99%破られると思った方が良い。
相撲の板井は部屋へ入門の時に「入門すればこうする」と言われた約束を破られまくり
祝儀をピンハネされまくったと回想していた。
馬場と日本テレビは、そういう経験をしたから全日旗上げ後は選手を契約固めにしたんだが
それが正解だったのは、長州を契約固めにしてマサ斎藤の「紙切れ一枚(契約書)で縛るな」と
いう迷言を産んだ事や全日がSWS裁判で勝って「谷津は違約金を支払え」になった事でわかる。 >>875
マサなんて契約に厳しいアメリカで活躍してたのにな >>875
マサが言いたかったのは、「本当に価値があれば、誰かが解決してくれる」ってことだろ。
長州の違約金はテレ朝が払ってくれたのだから、それはそれで正しかった。
谷津の場合は、誰も肩代わりしてくれなかったのが問題なんだよ。 アメリカのプロレスって昔から事細かに書面で契約してたのかな >>876
マサがやってた頃のアメリカは各地のプロモーターが
その日の売り上げの中から試合後に各レスラーに現金/小切手で渡して終わり!って世界だろ
ギャラに文句いったら少し上げてくれた、とかそんな感じの >>875
マサは死ぬまでこの時の弁明をし続けたんだよな >>877
そもそも谷津はSWSに誘われたわけでもなかったし >>874
に自己レス、補足。
力道山の死後、敬子未亡人が日本プロレスの
社長になったが、長男、義浩が成人になった時、
社長に就任させることを条件に退陣。しかし、
この約束は履行されず。
敬子さんも、黙ってはおらず、日プロを告訴。
2000万円の支払いで和解した。
口約束ではなく、一筆取っていたんだろうね。 >>875
マサの発言当時は学生だったこともあって
じゃあ紙切れ以外の何を証拠にしていけばいんだ、大馬鹿か
と憤ったもんだったが、今思うと
契約の話をマネジメント側が言い募るな、マネジメント側ならともかくレスラー(社長だけど)馬場がいうな
ってことなんだと。いってみればケーフェイじゃねえの、って不満だと思う。 >>875
堪忍袋の尾を切ったのは番組スポンサーの三菱電機で日テレはむしろ継続派
当時は単独でなくなってた事もあって日プロとしてあるいは色々とやり難い三電切りの思惑もあったかもだが日テレは当然に三電との関係を優先
そして日プロは駄目だが馬場は欲しいで全日本設立に >>883
二代目ブラック・タイガーの試合中に解説で
「エディはね・・・」と言っちゃうマサがそこまで深く考えていないと思うw 要するにカタイ事言うなよという以上の意味は無さそう 当時は一連の離脱劇を見てて
高野俊二を抱えた団体が最後には衰退する
となんとなく思ってたなw >>886
そんなとこだろうけど
馬場の「シューティングを超えたものがプロレスである」的な発言だと思えてね
契約条項を超越したところにプロレスラーは存在している、ってな感じの >>889
契約契約と言わずにもう少し融通があってもいいんじゃないのかという意味合いだったとか そんな事がまかり通ったら団体運営なんて出来やしない >>887
全く関係ないが、そういやTAJIRIと高野俊二って接点あったっけ? >>867
力道山最初の結婚は北朝鮮時代、百田兄弟は2度目の妻(京都の芸妓)の息子で3度目が育ての親(日本橋の芸者)
敬子さんは4度目の妻で力道山の死後に田中姓に戻しているから兄弟との関係も微妙とのこと >>895
レスラーの社会常識の無さの見本みたいに事ある毎に何度も持ち出されたからな マサの契約書云々のコメントは
>>879 が物語っていると思う
アメリカが契約書社会だからといって
各地のプロモーターがレスラーにしっかりと契約書を意識させているとは思えん
ハルク・ホーガンクラスじゃないと契約書なんて意識しなくね?
(これだって本人が読んでいるとは言えんかも…)
だからこそ馬場は稀有なプロモーターと評価された
ロートルや塩でも気に入ったら
ファーストクラスに乗せて高いファイトマネーを支払うといった
法外な待遇もあるだろうが >>884
馬場のNET放映について日テレは容認だが三菱電機がそれを口実にプロレスと縁切りって話は
全日本スレ(前スレ以前)でも話題になっていたな >>897
スティーヴ・ライトはローランド・ボックの興行でギャラを踏み倒されてからは
ボック関連の興行には出ないようにしていた
マスクド・スーパースターはジョニー・パワーズにギャラを踏み倒されそうになって
ジート・モンゴルと2人でパワーズをボコボコにした
裁判じゃなくて実力行使に出たあたり、まともな契約書とか無かったんだろうな >>898
単に自分が縁切りなだけでなく日テレにも切らせたのがポイント 毎週オープニングで三菱ビルの映像が使われ、リング上では三菱掃除機『風神』の生コマーシャル
カラーテレビ『高雄』の売上げとかにどれ程貢献したものか >>901
三菱は流血、八百長と社会的イメージの悪いプロレスを長年支え続けてくれた優良スポンサー。
高視聴率だったら、宣伝効果は相当なものだったんだろうけど、
一連のゴタゴタとダラ幹の度重なる不義理はそれを上回るマイナスと判断された 賞味期限切れ気味のプロレスよりも石原裕次郎を選びたいだろうなぁ >>904
裕次郎も映画俳優としてはピーク過ぎてたけど、テレビではまだまだ可能性あったからなあ いろいろ不義理があって、猪木まで追放してたらそら見限られるわ
馬場もピーク過ぎてるの明らかだったし 小林社長命令で「力道山ゆかりの日本プロレスの正当の後継者は馬場だ。馬場を中心に新しい団体を起こして放送する」と
運動部長だった松根光雄と原章Pが動き馬場に独立を促したんだよな >>903
使徒不明金っつったって、そりゃ、その筋への上納金だろうに。 >>903
使徒不明金っつったって、そりゃ、その筋への上納金だろうに。 >>908
その手の話だとピンクレディーが凄い。ピンクレディー解散の数年後に所属していた事務所が倒産した。
ピンクレディーが稼いだ500億円と言われる金はどこに行ったのか? >>899
ジートと一緒にならボコボコというよりボロボロにしたと ジートつながりで馬場が日プロ最後に戦った相手が大木と組んだジート&ベポ・モンゴル(ニコリ・ボルコフ)戦
その後にジートと組んだボロはマスクド・スーパースターよね >>911
パワーズをボロボロにしたのは
マスクド・スーパースターで、
パートナーは、なにもしなかった。
ジートしていた。 >>875
マサ斎藤はWJ旗揚げ時、既にパーキンソン患ってたらしいな >>910
馬場とボルコフは後に二度インタータッグで対戦 >>913
パワーズとスーパースターの同時来日は77年のワールド大リーグだけか >>916
本来80年MSGタッグリーグにパワーズ&スーパースター組でエントリーされてたんだよな
スーパースターのスケジュールでベーカーに変更されたが何か勘ぐってしまう ビル・イーディーとボルコフは本国で帯同した事はあるけどモンゴルズとして
タッグを組んだ事はなかったかな。流星仮面とボルコフが組めばパワーもジャンプ力も
あって強力なチームになっただろうな。 >>917
M・スーパースターがインタビューで言っていた。
新日で、パワーズとタッグを組まされそうになって「ありえない」と断ったそうだ。 >>918
本国ではないと思うが第4回ワールドリーグでタッグを組んでるはずだよ
公式戦ではスーパースターがボルコフに勝利
覆面とロシア人ギミックに変身してたけどね >>919
流星仮面は誰と組ませても違和感ないからな
そら新日もそんな事情があるとは知るよしもないw >>920
その77年ワールドリーグ戦で、一緒になったM・スーパースターとボルコフは、シリーズのトップ外人の座(リーグ戦進出)を
巡って、仲が険悪になったと当時の東京スポーツあたりに書かれていた。
パワーズも参加したが、途中でリーグ戦をリタイヤ。
結局、スーパースターが全勝で予選を勝ち抜き、決勝進出。
このシリーズで、大いにブレイクし、ボルコフを追いぬいた感があった。 >>922
パワーズがNWF挑戦に専念するためリーグ戦を途中棄権した事になってるが
リーグ戦でスーパースターに仕掛けられるのを怖れた可能性もあるのでは?
ちなみに幻のモンゴルスコンビ戦績
3.28館林 猪木&坂口(2-1)スーパースター&ボルコフ
4.01蔵前 スーパースター&ボルコフ(2-1)坂口&吉田 海外のサイトだと1977年3月12日 和歌山
ジョニー・パワーズ&M・スーパースターVS坂口、木戸
2-1でパワーズ組の勝ちって試合でタッグを組んだらしい。
ただしその1戦だけみたい。 >>919
両者の因縁を知ると不穏な試合になりそうだがパワーズとスーパースターのシングルマッチは見たかった。
83年唐突にカードが組まれたマードックとブッチャーのシングルマッチについて馬場は「あの二人は対戦させてはいけない、
新日本プロレスはレスラーの気持ちがわからない」と非難(実際は何回かタッグをやらせているが…)
猪木は「対戦する当人がやりたくない組み合わせが面白い」と返している。 >>926
とかなんとか言って
全日のリングで組ませたり対戦させたりしていた馬場 >>926
そういう猪木も前田とのシングルマッチは避けた
自分の事だとそんな能天気な事は言ってられん ブッチャーとマードックの因縁は第14回ワールドリーグからなんだよな
この時はコックスも一緒の来日で、マードックはブッチャーを見るなり鼻をつまんで「スカンク」「ニガー」と
差別的な態度をとりブッチャーは控室に入る事ができず通路で着替えをしていたそうだ ↑↑訂正
ブッチャーは第13回がコックス、第14回がマードックと一緒で2年続けて差別を受けたそうな
記憶では最後のリーグ戦は外国人レスラーが一致団結してモンスーンを補佐するみたいなストーリーだったと思うが‥ >>927
80年ではそれぞれテリーやカマタといった緩衝役と組ませてたな 1971年の第13回ワールドリーグでは、
ブッチャーはコックスの差別を受けた
というか、二人は仲が悪く、到着した
羽田空港で、もうケンカをした写真を
覚えてる。それを仲裁したのがデストロイヤー
同シリーズでは、デストロイヤーとコックスの
タッグはよく組まれたが、ブッチャー&コックスは
一度くらいだったと思う(それもよく組んだと思うよ)
14回のWリーグは、ブッチャー以外にカリプソ・ハリケーンも
黒人の血を引いているが、マードックから嫌がらせは
受けなかったのかな?イタリヤ系でボス格のモンスーンは
マードックの差別をどう思ったんだろ? ブッチャーとハリケーンでアジアタッグに挑戦してたな >>932
ハリケーン(サイクロン・ネグロ)は
ベネズエラ人でアフリカ系じゃない。 >>933
ブッチャー&ハリケーンがアジアタッグに
挑戦した試合、覚えているが強力なチームだった。
戦力からすればインタータッグに挑んでもおかしくない。
>>934
そうだっけ?どこかで
黒人の血を引いていると聞いたが
思い違いか?
でも、マードックから見れば
「白人とは言えない(有色人)」
だったのは間違いないと思う。
ブッチャーも、顔を見れば分かるが
インド人の血も引いていて100%
アフリカ系黒人でもないんだな。 >>935
羨ましい
ハリケーンはキニスキーと組んでの元王者だがブッチャーはこれが唯一のアジアタッグ戦
そしてブッチャーのインタータッグ挑戦は全日本から BI砲で対ブッチャー・シークとかシン、上田とか見たいな >>937
シン&上田はとにかく、ハンセン&ブロディ戦は見たい。 今日はインタータッグとアジアタッグを同じ日にやった二度目の日
意外にも二団体を通して僅か二回しかない
インターとアジアタッグなら結構あるが あと鶴田のインター戴冠後のインタータッグ初防衛戦
馬場はハンセンにPWFを奪われてのシングル無冠で鶴田がAWAを取っても最後までそのまま
基本的に力道山と豊登のコンビに近い師弟コンビだが最後は豊登と馬場のコンビに近い感じ
もしあのまま豊登が離脱しなかったらアジアタッグのコール順とかはどうなってたかとかも気になる >>935
あと本日この時アジアタッグ防衛の坂口の息子が親子二代での戴冠を実現
アジアタッグだからこそ出来たというべきか
それともアジアタッグでもここまで掛かったというべきか 親父の時は現役のNWA王者が相手で自民党副総裁のコミッショナーが立会いだからな
むしろ当時が凄すぎたかもだが >>935
ブッチャーはネイティブ・アメリカンと黒人とのハーフだろ、インディアンとも言ってたから。 マードックもブラジルには『ニガー』と言わないだろうな ハリケーンは馬場か猪木のシングル王座に挑戦させてもそこそこの試合は出来ただろうな
デストロイヤーやマスカラスに比べて地味すぎた感じはするが実力者だと思う ハリケーン、イヤウケア、ルーイン
っていう馬場の第一回CCの相手は粒揃いだよな >>947
モンスーン、ハリケーン、トルネード(マードック)っていう第14回Wリーグは大荒れの日本列島 >>946
でもハリケーンは馬場の凱旋帰国試合でフルタイムやってるし、アジアタッグやインタータッグも奪取している。
(BIには敗れたがコックスと組んでファンクスへの繋ぎ役)
全日ではヘーシンクの日本デビュー戦や柔道ジャケットマッチにCCで南米ヘビー級王座?の防衛戦、デストの覆面十番勝負等
目立たないけど重宝されているな ハリケーンの最大の功績は背中から落とす体に優しいブレンバスターを考案したこと
コックスやマードックみたいな垂直落下型の使い手ばっかりだったら、
ブレンバスターは不詳者続出で禁止技になっていたかもしれない >>945
日本通だから「ヘーイ ボボ!ボボ!」と呼んで内心バカにしてるかも ['75オープン選手権]
デスト&木村(木村13分21秒体固めマードック)ブッチャー&マードック(12.12鈴鹿)
['76スーパーパワーシリーズ]
NWA・PWF賞争奪スーパーヘビー級バトルロイヤル(12.2川崎)
['80ジャイアントシリーズ]
テリー&マードック(18分33秒両軍リングアウト)ブッチャー&カマタ(10.28北海道紋別)
鶴田&テリー&マードック(2-1)ブッチャー&カマタ&アステロイド(10.29北海道中標津)
テリー&マードック(15分55秒両軍リングアウト)ブッチャー&カマタ(10.31群馬)
馬場曰く、76年のバトルロイヤルが相当荒れたらしい。
感情剥き出しの懸念があるシングル対決はさすがにないが、結構組んでるな。 アレンはマードックがKKKだと証言しているがタッグを組んでたのを覚えている KKKって秘密結社じゃないの?
あいつ(おれ)はKKKだって言うのは真実味に欠ける。
だいぶ違うんだろうけど、日本であいつは行動右翼だ、みたいなことではないの?
身分証とか出してるのかな。 マードックが生涯を通してKKKだった話は後年アレンが語ってたはず
でも白人至上主義者のわりに日本人とは親しくしてたなw
83年大阪府立のブッチャー戦を観てみると場外でのマードックのイス攻撃は尋常じゃないし
最初はアクシデントだと思っていた垂直落下のブレーンバスターもわざとじゃないかと思えるほどエグい
まぁワットやマードックは確定だろうけどコックスの場合は抗争アングルのギミックらしいよ >>956
だけどペッツ・ワトレーは「ビル・ワットがアメリカUWFを大きくできたのは黒人レスラーを
上の方で使っていたからだ」と語っていた
白人のハンセンがビル・ワットについて、出会った中で最低のプロモーターで
ブロディがプロモーターを敵視するようになったのはワットのせいだと批判していたし
ワットの人間性がアレなんじゃないかと思う。 ワットは日本人と肌を合わせるのが嫌で国際ではTシャツ姿で試合したみたいね
流石に待遇のよかった日プロではそうでもなかったみたいだけど >>956
行きつけの屋台でもシロばっかりじゃなく ラッドがワットのところでブッカーだったのかな、それでジャンクヤード・ドッグが
マードックとタッグ組んだり重用されてた。 理不尽判定といえば78年蔵前の馬場vs木村戦が槍玉に挙げられるが、74年クリーブランドの猪木vsラッドNWF戦も明らかにおかしいのにあまり語られない 試合動画を見た限りでは
1本目 両者カウントアウト
2本目 ラッドがフォール勝ちしてベルトを持って引き上げる
↓
猪木側が肩が浮いていたと抗議
↓
抗議が認められ判定が覆り試合再開
↓
引き上げたラッドに場外カウントが数えられラッドが慌てて戻る
↓
戻ったラッドを猪木が猛攻してフォール勝ち
だったから本当は2−1で猪木の勝ちなんじゃないかな >>963
今は、その通り、1本目、両リン、
2本目、猪木のフォールで2−1防衛だが、
当時の実況では、1本目、両リン。
2本目、ラッドのフォールが認められ、
本来なら、ここでラッドの勝ちなのだが、
なぜか3本目を行い、猪木がフォールで1−1の
引き分け防衛と伝えられた。
2000年発行の「ゴング」の「日本プロレス50年史」の
タイトルマッチ完全記録の欄でも、
この試合の結果は、A猪木(1−1)Eラッド。
1本目(両者カウントアウト15:15)、
2本目ラッド(体固め5:17)、
3本目猪木(体固め8:16)で猪木の防衛とある。 >>964だが、1本目は両リンではなく
リング内のカウントアウトだったね。
訂正する。
後の部分、「ゴング」の「日本プロレス50年史」
に書かれていることは間違いない。(P148) >>963
改めて動画を見ても変な試合なのよw
1本目はリング中央で両者ノックダウン
決勝の2本目はスパイダーキック2連発で微妙なカウントだがラッドのフォール勝ち
これで王座移動と思われたが奇妙なローカルルールで3本目が始まり猪木がフォール
1−1というか2−2でドロー防衛
猪木贔屓の解説やテレ朝のカット編集にも惑わされてしまうね
猪木に対するブーイングもラッドに浴びせられてると言ってみたり >>967
2本目のラッドのフォール勝ちは無効になってるので元々3本目は存在しない
そうでないとラッドがベルトを持って引き上げるのも
レフリーが場外カウントを始めるのも意味不明になる 普通に一対一から猪木がフォールするブックだったけどラッドのキックが思いの外
効いてまたラッドの巨体を思い通りには返せなくてレフェリーが3カウント入れちゃった。
新間や猪木がテレビ収録してるしタイトル移動の予定なかったから台本と違うだろ!
と猛抗議したから当初の予定通りの結末に無理やりにしたんでしょ。
Cagematchの記録では> Draw [1:1] (28:48)となっている。 見返したら新間いないな、記憶違いでした。
普通なら1本ずつ取り合っての一対一だけど猪木はフォールを滅多にされない
設定だったから両者ノックダウンだったんだろね。 ラッドと言えば、ジャイアント台風に出てきた七人の悪魔の一人だったな
体重300kg以上オーバーのハッピー・ハンフリーを場外に吹っ飛ばした強烈なタックルが印象的だった 唯一のNWF圏での防衛戦だったんだよな
あとラッド戦としては札幌でボーアンドアローを決められた場面も印象的 なんか猪木の全盛期を基準にし過ぎたり自分の好みだけで
名勝負だのそうでない語ってるのが多いなあw
個人的好みで言えばとっくに全盛期は過ぎてるけど
88年の有明でのベイダー戦なんてすごくいい試合だったよ >>971
漫画では7人の悪魔でも実際に馬場と対戦経験あるのは
カーペンティア、カルホーン、ラッド、モーターの4人だけ
カーペンティアは米国で何度か当たってるし、ハンス・モーターはターザン・ゾロとして対戦している 7人の悪魔ってもしかして7人の悪魔超人の元ネタかね?
ラーメンマンがモンゴルマンとしてキン肉マンをヘルプするのは
馬場がグレート・ゼブラとしてタイガーマスクをヘルプするのが元ネタなのは有名だが
梶原漫画から影響されているのね >>973
自分として究極の名勝負はやはりドームでのベイダー戦 >>974
ラッドの日本ラストマッチは後楽園の馬場とのシングルだったんだよな
そしてメインは鶴田とブロディのUN戦 >>977
ラッドは来日前トロントでブロディのパートナーとしてインタータッグに挑戦する予定だったが
怪我の回復具合が思わしくなくスコット・アーウィンに変更
その年の最強タッグにも馬場はブッチャーと組ませるつもりだったがカマタになった
本国では大物らしい活躍だったのに日本は鬼門だったのか全ての来日でパッとしなかったね >>974
ハッピー・ハンフリーとは実際には対戦してないのか。
あまりにデブすぎて飛行機に乗れなかったから
力道山も日本に呼べなかったというエピソードが好きだった >>978
結局は館林で挑戦したんだよな
三団体に一度ずつというのはループも同じ 靴のサイズ USサイズ
アンドレ 24 ビッグ・ショー 22 ラッド 18 馬場 16 チェンバレン 15 >>973
>88年の有明でのベイダー戦
俺も生観戦したよ。確かに良い試合だったが、
あれは「首都圏の大会場で、猪木がメインに出場して
スカッと快勝した最後の試合」でしょう?
(98年ドームの引退試合は除く)
その後、「ファイナルカウントダウン」94年横アリの
メインで、Wルスカを破っているが、名勝負とも言えなかった。 >>979
馬場は腹ばいになって両翼に腕を差し入れれば乗れるのにな >>982
猪木の全盛期は74年から延髄をフィニッシュにする頃まででしょ
馬場は全日設立以前に終わってるし、誰でも体力が低下すると満足なパフォーマンスができなくなるから
後はキャリアとインサイドワークで何とか好試合に組み立ててる感じがする。 >>984
延髄切りを最初にフィニッシュに使ったのは80年の小林戦かな 猪木の延髄斬り5ちゃんねるでは酷評されがちだけど技としては綺麗だと思うけどな ハンセンとの抗争まではまあ良かったが、1982年に欠場が増えてきて糖尿病が悪化し、
1983年のホーガン戦が猪木の実質的な引退試合だと思う。
そこから後は同じ名前の別のレスラー。 >>986
猪木独特のタメとかシナリみたいなのが確立したのは国際軍団との抗争あたりかな
特に浜口が食らいまくっていた印象 個人的には猪木は79年の暮れあたりから
優れたアスリートとしての動きは影を潜めてプロレスラーっぽくなったと思ってる >>986
技そのものより どうということのないタッグマッチに最後だけ出てきて延髄イッパツはい終了
みたいなのが批判されてるんじゃないか? >>992
天龍が地方の試合でも20分以上の試合をやりだした頃に
週プロで「はっきり言って今までのエースは地方で手を抜きすぎた」と
「これ書いて良いのかな?」って事を書いていた。
天龍が手本にしたのはテリーで「テリーがボロボロの体でもド田舎の駐車場でも
全力ファイトな事に感動した」と書いていた >>993
テリーのようにボロボロになっても全力ファイトする姿はカッコいいが
全盛期にスパッと引退するのも語り継がれ伝説になりそう
プロレス業界でそんなレスラーは皆無だろうなw
まぁ、馬場や猪木のような団体を牽引するスーパースターになると後継問題が伸し掛るけど
ただ栄光の座から退くのを嫌っただけのようにも思えてしまう。 ジャイバ、アノキはぁ引退したくてもでけなかったっちゅうこっちゃわぃ。
ジャイバはぁ結果的にゃ生涯現役っちゅうにぃなったかんな。
アノキはぁ取り敢えずぅ引退はしたけどもぉ。
ジャンツ、リューゲン、チョリキもぉ正式にぃ引退したぞぇ。
フジナはぁこのまんまならぁ引退せずにぃ生涯現役っちゅうにぃ。 上には上が…81歳で電流爆破マッチ決行したグレート小鹿というバケもんもいるんだな 藤波の名曲、マッチョ・ドラゴンを久々に聴いたら、もう脳裏から離れない
どこへ行っても、藤波の歌声が付きまとってくる
マッチョ・ドラゴン >>994
この時期になるとやはりオープンタッグを思い出す
テリーが!テリーが行ったー! >>997
なんで発禁にしなかったのかなw
インストゥルメンタルだけで良かったのに歌わせるんだから‥
目立たないけどドラゴン体操の歌詞も大概なもんだよw このスレッドは1000を超えました。
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