ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス2
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全日本プロレスが最も盛り上がっていた時代
前スレ
ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1674913215/ 谷津が全日に残っていたらどんな存在になってたのか気になる 引退した武藤とゴディは年齢が一つしか違わないんだな。
とりあえず武藤は無事に引退出来て良かったよ。 おとぉーちゃんだざなやぁー。
武藤のバワイはぁスパイビー以外には全員と対戦してるしんが、ベイダー、ビガロ、ノートン、ホームとも全員対戦だがなや。
武藤が最後にはノアっちゅうのも以前は予想でけなかったけんが、髪がある時代よりもスキン時代の方が長い、かんが。 >>2
その後の鶴田の離脱は避けられないとして、川田か田上か小橋の誰かをパートナーにして一勢力を保ってたか。
もしくはハンセンやウィリアムスといった外人と組んでいたか。
それなりの地位は保っただろうけど、その分田上川田小橋あたりが割を喰ったかも。 >>2
残ってても微妙だな
メガネに行った連中はやっぱりいらない奴らの集まりや 俺的には馬場が亡くなって頓挫したWWFとの業務提携が続いてたらどうなってたかのほうが気になる
JBLなんてかなり馴染んでたし面白い存在になっただろうに >>002
三沢&小橋の踏み台にされていただろうね
大宮で鶴田&谷津vs三沢&川田というカードがあって谷津は彼らに怖気付いて逃げるようにして急きょ退団したんじゃなかったかな?
カブキもそのオフに退団したが世界タッグを獲ったというのに不自然な退団だったな
実際に残り続けていたらどうなったかは気になるが五輪コンビ継続、よって田上も超世代軍のままだったかな
エース&小橋組は谷津の退団前に始動していたから三沢&川田組は決定として田上は浮くことになるな 武生の殺人魚雷vs鶴田&カブキの世界タッグの前に三沢が
「鶴田さんとカブキさんが取ったら小橋とのタッグで挑戦したい」
と宣言してたから三沢&小橋が本線だった気もするが
後年川田がボヤいてたし「あの時は皆が三沢&小橋って」 全日のスーファミソフトはハードオフとかにあるのかしら Amazon にあるけど高えぇーっ!!
ほとんどが10000万超えww 谷津が残っていたら四天王プロレスなんて生まれなかっただろうな 谷津以外に鶴田とゴディとブロディが健在だったらさすがに四天王プロレスにはならなかったか。 延髄斬りを放とうとしたがロープに足を引っ掛けて自爆するような奴に密度が濃いプロレスなんかできねえだろうなw 東京体育館、大宮のときの谷津は三沢と川田にいいようにやられてた
身体もブクブク太ってて動き悪いし踏み台にされてただろう 谷津の歴史は裏切りの歴史であると評した人がいた
ジャパン・プロ分裂で全日に残った事は
「契約を守ることで社会人として良識を守った」と批判されなかったが
後にSWSに移った事は裁判で負けたのを見てわかるように契約破りだし
SWSで団体崩壊のトリガーを弾いてWJで団体崩壊のトリガーを弾いてだから 谷津が「今日は手を抜こう」的な発言をしていたのを聞いた三沢川田がその日の試合で谷津をボコボコにしたとかいうエピソードがあったような。 全日所属谷津はジャンボとのタッグはまあ見れたけどシングルはきつかったな
武道館の対俊二、対ローデスjr、どっちもトイレタイムにすればよかった >>22
高田戦くらいかね
高田にとっても1番の名勝負 >>15
90年代じゃ国内外どこも激しい大技スタイルのプロレスに移行してたから誰々がいようが四天王プロレスには突入してたんじゃないかな
ゴディは身体壊さなければ適応できそうだが40代突入したブロディはキツそう >>19
その話は90サマーアクションシリーズの開幕戦なのかね
2大会だけ出て逃げるようにして辞めたけど 他の人も触れていたが90年5月〜7月。三沢&小橋組を推すのかと思っていたら最強タッグでは三沢&川田でエントリー
ジャイアントシリーズの後楽園でも三沢&川田vs殺人魚雷が組まれていた
サマーアクションシリーズ2でエース&小橋がアジアタッグを獲ったことでタッグ編成を修正したということかな 手を抜こう発言にキレてた三沢が典型的な手を抜くレスラーになるなんて 若い時は理想に溢れてるが年取ると現実見るようになるんだよ 90年の小橋と川田のシングルで川田を勝たせたから小橋>川田って感じはなかったからなあ 三沢はせめて森嶋に負けた時点で引退発表していればな
誰に何を言われても若手路線を進めるべきだった そもそも三沢川田っていつから組み始めたんだっけ?
超世代軍の前の川田は天龍同盟なりフットルースなりだったけど。
三沢というか二代目タイガーはマスクを脱ぐ直前に小橋とアジアタッグ取ってたからそのまま小橋と組むのをイメージしてたファンも多かったのかな。 天竜がいなくなってからかね
谷津冬木対タイガー川田というカードはなんかすごい苦しい台所事情見せられた
みたいで違和感が強かったな >>31
三沢&小橋とエース&小橋を平行して模索していた感じ
エース&小橋組が上手くいかなかったら三沢&小橋組で川田と田上は余った者同士で組んでいたのかなあと想像する
結局、谷津もカブキも去って鶴田のパートナーに田上が起用されるわけだが >>27
あの時は団体存続の危機なんて言われていたのを三沢たちが救ったからなあ
大宮で椅子、松戸でハンセンのブルロープを使うなんて後の三沢からは想像できないような凶器攻撃もしているし本気度を感じたよ
SWSに行ったレスラーとは結局、覚悟が違ったんだと思う
三沢の場合はタイガーマスクから解放されて溜めていたものを吐き出せたのが良かったと思う
川田にしてもS勢離脱で自動的にランクが上がったのを本人の驚異的な努力でチャンスをものにした感じ
ハンセンと年間最高試合と認められるくらいの試合をしたしね おとぉーちゃんだけんがなや。
取り敢えずオブライトがもう少し上がれたら状況的にゃあ違ったしんが、外人絡みももっとおもろかっおけんがな。
やっぱりオブライト純粋なプロレスはイマイチ苦手だったんかも?かんが、スパイビーレベル止まりだった、がなや。 おとぉーちゃんだけんがなや。
取り敢えずオブライトがもう少し上がれたら状況的にゃあ違ったしんが、外人絡みももっとおもろかっおけんがな。
やっぱりオブライト純粋なプロレスはイマイチ苦手だったんかも?かんが、スパイビーレベル止まりだった、がなや。 こないだの武藤引退試合はこの辺の世代つまり三銃士四天王世代のプロレス卒業式なんだよね >>31
天龍離脱後すぐ組んでたと思う
最初は三沢、川田、田上、小橋で超世代だったけどカブキが抜けたあたりで田上が鶴田軍にいったんだよな >>29
テレビで観てるだけの子供の目から見た四天王前夜。
小橋は最後は負けるにしても鶴田やハンセンに向かって行く姿が将来のエース候補に見えた。
川田はカンナムとかに買ったり負けたりで中堅で終わるレスラーに見えた。
田上は存在をあまり認識してなかった。 小橋は上がるだろう感は89年にはあったね
川田は石川敬士ポジション、田上はロッキー羽田ポジションで終わる可能性もあった 90年7/12後楽園
田上はテリー・テイラーに勝ったが予定通り谷津とのシングルだったらどんな内容になったかは興味がある
谷津の勝利は堅かったと思うけどそれは度外視して おとぉーちゃんだけんがにゃやぁー、
♪〜〜〜♪
おとおちゃんっ
アソォーリャッ
おとぉーちゃん
アヨイッショッ
おとおちゃんっ
アワッショイッ
スゥーパァースットロングおとおちゃんっ
アドッコイッ 元々フットルース時代から川田の試合内容は安定してたけどね
ヤジられてたのも冬木だったし
天龍離脱直後での札幌大会のvsハンセン戦は不甲斐ない負けしたけどね 前にも2月にカブキ&井上が天龍&川田に勝ち
後楽園のTVマッチで井上にフォール負けした川田 YouTubeで冬木をまとめた動画あったけどフットルース時代は変なポーズと奇声でプロレス上手いのに毎試合失笑が絶えなくて勿体なかったと言われてた。まぁ最後まで奇声は変わらなかった気がするけど 89年前半の天龍同盟は天龍川田冬木で6人タッグか天龍川田or天龍冬木という
組み合わせになったけど見に行った日が天龍川田組ならまあ当たり、天龍冬木組ならハズレ
という風に考えてたな レスリングサミットの2日後?の大阪府立大会(アンドレ緊急参戦)を生観戦した
天龍VS田上のシングルが組まれてて、田上全くいいところ無くボコボコにされて僅か数分で天龍の圧勝に終わりました
この頃の天龍ってすでに気持ちはメガネの方向に行ってたのかな 田上ってあの天龍のパワーボムを屁で切り返そうとした策士でもあるんだよな。まさに龍の逆鱗に触れてボコられたけど
初めは話半分に考えてたけど田上本人も語ってたな。後にも先にも屁でキレさせた選手は田上だけだろう >>48
最強タッグの武道館のvsハンセン&ゴディ
あれが天龍&冬木組ならあのような感動的な試合にならなかっただろうな 馬場ってデカいのが好みのはずなのにテンタにはやたら辛口なんだよな
テンタが全日残ってトップ行くってことはありえたのかどうか
顔が地味でハゲだからやはり厳しいかなぁ 「大きいことはいいことだなんて言いますけどさすがに大きすぎるんじゃないか
少し痩せないと」みたいなことは言ってたな
想像だけどテンタは馬場になつかなかったんでないかと。それと元子の好みでなかった デカいのはいいけどデブは駄目って事だろう。
田上や高野俊二とか後年では高山あたりが馬場の好みなんじゃないかな。 >>50
切り返そうと意図したんじゃなくて、出ちゃっただけだよ。
しかも屁じゃなくて、ウンコ漏らしたんだよ。 テンタはギリギリ全日本枠でキンコロ2に収録されたな
個人的にはスマッシャー・ガンガン・ギガスがサンプルでも欲しかった
WJだのゼロワンだのの若手はゲームに出れるって最高の思い出だっただろうな >>54
嵐(高木)も可愛がってたってね。周りから見て高木が付き人として使えないから小橋に変えたんだけど、馬場からしたら高木を気に入ってたから、小橋にはしばらく辛く当たってたってね。 >>55
田上曰く屁をかましたとトークショーで質問に答えてた…ウンチなのか!?それなら天龍の怒りも分かる。
中西もウンチ関係で白パン止めたって話あったな。ライガーのウンチ事件とか平田(?)のウンチ廊下事件とか 琴天山入門のニュース映像の後、放送席の馬場が
「タイガーマスク、高野と3人で3年後のプロレス界を背負って立つ人材」
めっちゃ上機嫌そうだった
全日本に上がって間もない高野へ早くも高評価 はじめてプロレス生観戦した時の驚きは想像以上にテンタがでかかったことと
百田が小さかったことだな、馬場やジャンボはTVで見たまんまの大きさで驚きはなかった >>58
田上本人は屁だって言ってるよね。
ウンコ漏らしたってのは、当時のマスコミと天龍が言って有名な話になってたから、どっちが正しいのかわかんないけど。
けど、リングサイトまで異臭が漂ってたってさw >>59
高野は勿体なかったな。
鶴田と組んでた試合見たけど、あのまま全日に居たら鶴田の正パートナーでいってたな。
2人のバランス良かったし、馬塲の好きなタイプだし。 谷津の代役で鶴田とタッグ組んだ時のブッチャーシン戦は中々良かったな
膝サポート外してブッチャー額にニードロップとか、工夫した戦いが見られた >>41
逆に小橋推しがちょっと…だった。
地元大阪でアンドレが来た府立を観戦したけど、メインが鶴田小橋対ハンセンスパイビーだったかな?
大会場でチャンスをみたいに小橋を抜擢したんだろうけど、その試合はやっぱり大善戦の小橋が力尽きて最後に取られるってのが丸わかりで。
試合は鶴田が技を決めれば「オー」ハンセンなら「ウィー」小橋なら「うーーコバシ」スパイビーも「スパイビッ」なんて悪騒ぎして。フォールカウントでは「ワン、ツー」ではなく「ジョー、ジョー」だった。
その頃の全日本は後楽園武道館でどっちが勝つか判らないタイトルマッチを組んで連続満員とかやってたけど、大阪とかではそんなんばっかりだったんだよね。
長文失礼 >>66
世界タッグなのに鶴田、谷津対天龍、川田と言う結果丸わかりのカード組まれてたね 小橋は善戦マンが長くてかわいそうだった
91年9月の武道館のハンセン戦あたりからもうハンセンの格下という気がしなかった 三沢と小橋の間に川田と田上がいたから年功序列を崩すわけにはいかなかった。
しかし小橋の抜擢ぶりは全日本にしては鶴田以来の異例さと言ってよい。 おとぉーちゃんだがなやぁー。
小橋のバワイはぁ天龍が抜けたのが大きかったけんが、天龍が離脱せんかっあらあの大抜擢はなかっあ、がなや。
田上に於いては言わずもがな、しんが、田上は本来ならば羽田みたいな存在で『第二の羽田圭介で終わったはずだがな。
三沢にしてもマスク脱いであれだけ大ブレイクしたかもわからぬ存ぜぬだけんが、川田、小橋、田上も天龍が抜けたからのあれだけの存在になれたかんが。 >>70
でも三冠を獲ったのは小橋が最も後なんだよな
馬場もそれは気を遣ったんじゃないの?
スレタイとは主旨が違うけどw >>70
でもスーパパワーSではタッグで小橋が冬木から初フォール勝ち
一方川田と田上は冬木にフォール負けと布石は売ってる感じがする
川田はともかく田上よりは大量離脱で強制的に下にされた感じ ディートン&ブラック
ヤングブラッズ
ファンタスティックス
キッド&スミスら中堅タッグチームがローテーションのように入れ替わりで来日するのは楽しかったな
ステイトポリス、ブラックハーツのような個性的なタッグチームも良かった
サザンロッカーズはしょっぱかった でも、川田が最終的に頂点取ったしデビュー戦から考えたらストーリー的に絵になるよね。三沢もタイガーマスクなったり念願の鶴田超えとか話題盛り沢山のレスラー人生だったけど。 いや、小橋はあんな身体してたんだからトップにはいずれ上がってただろ いや、確かに小橋は当時はルックス良かったし女性ファン多かったから上には行けただろうな。
でも、田上のライバル関係がよかった。しかし、俺的な希望でしかないけど 思えばこの時代は本当に色んな外国人レスラーが単発で来てたな。
とんだ一杯食わせものも多かったけど キマラ1、スレーター、ブランゼル等の昭和に来日したレスラーも見れたのも有難かった イワンコロフ、ドンムラコといったひと世代前の大物も見れたのはうれしかったね 良くも悪くも自分大好きなんだと思う
だからあんなにトレーニングするんだろうなとも >>84
昔は同期の菊池のレスリングと北原のシューティング技術を学んでたってさ。同期の3人で、そういう練習もよくやってたと。ただ、キャリア後期だとフィジカルしかやってないっぽいけどね。 馬場が「あれだけ練習しているのを見たら誰も小橋に文句は言えない」と言っていた
ベテランが「お前(小橋)はリングの上に寝泊りしているようなもんだな」と評したとか
色々な逸話があるね 小橋も膝を壊していくほど超世代の頃みたいに躍動感のあるファイトは失われていったからなあ。
そこから上半身と剛腕を鍛えあげてレスラーとしては更に大成はしたけど。
ムーンサルトプレスを使うレスラーの宿命だけど、小橋がムーンサルトを使わず膝も壊さなかったらどんなレスラーになっていったんだろう。 昔のビデオ見てたら小橋オレンジバックブリーカーなんて技やってたんだな
完全に記憶の彼方、というか全く憶えてない >>89
ゲームにも収録される程定番ムーブだぜ。ファイナルカットみたいな形に変わったなw
雑誌で小橋の技特集あってサンダーファイヤーパワーボムがあったのは驚いた >>91
ゲームは全然やらんから知らんかった
パワーボムではなくサンダーファイヤーなら89年に使ってたな
あとカナディアンロッキーバスターとか試行錯誤してた >>84
全日時代は朝一番早く道場来て
昼まで自主トレして、昼は若手との合同練習をやって、その後はジムへ移動して筋トレってのが日課だったらしい。
道場のウエイト器材だと重量不足だったようで
オーバーワークにも程があるww >>92
小橋の昔は技多すぎたと色んな選手が言ってたねw確かに言われてみたら多すぎるしハーフネルソン気に入ったのか最終的にハーフネルソン乱発で蝶野戦では批判の嵐だったな 小橋の場合、気に入ったり誉められた技をやり過ぎる
美味しかったと褒めたら最後…トドメ刺すまで同じ料理出してくる家の母と同じなんだよ おとぉーちゃんだがな。
小橋はああとして田上のあの身体は酷すぎたけんが、新日なら練習しない時点で通用しないかんが。
特に猪木、小鉄の時代ならあり得ない、しんが、そういう環境下なら田上も仕方なく練習したかも、がな。 いや、田上はデビューした頃は胸板も厚く締まったエエ身体しとったで~ >>95
小橋は自分に似合う技が分からなくてとりあえず試合で試してたからあんなに技多かったらしい
ムーンサルトも俺でも出来そうだなくらいの軽いノリで使い始めたとか なんかの試合で小橋が田上のダイナミックボムを普通に三沢の定番ムーブのヘッドシザースで切り返した時に
見境なさすぎだろ小橋・・・と思っちゃったわ 考えたら全日本の選手で小橋は入場曲も変えすぎだったな。色々飽きやすいのかな。 >>101
CD売るためでしょ
鈴木修の曲ってどれ聞いても似たようなものw >>95
スリーパーで締め続けてからのネックブリーカードロップは良かった、チャンピオンカーニバルのオブライト戦ではそれがフィニッシュに
その後、ラリアッターになってから急激に小橋の試合はつまらなくなった まぁ小橋の試合で名勝負って無いかな。それで勝ちブックっていわれてるのか ウイリアムズ対小橋の三冠戦は両選手にとってのベストバウトだと思う。 >>101
やはりスナイパーかな
曲のクライマックスの所でジャンプするのが格好良かった >>72
アジアタッグを取ったのは小橋が先だが世界タッグは田上なんだよな >>71
小橋は天龍がいた頃から既に抜擢が始まっていたからな
SWSに流れた連中にはそれが気に入らないってのもいたかも 国際プロレスで阿修羅・原が売り出された時に他の選手から嫉妬があったそうで
比較的常識人が多そうな国際ですらそれなんだもの
馬場もその辺の順番には気を使うはず >>108
高野も高木も冬木も冴えない試合ばかりだったからな
天性のものがある三沢は別格として川田、小橋は凄い練習量で努力して成功を掴んだんだよ
Sに行った奴らは結局、力不足、努力が足りなかったんじゃないの あの頃の俊二は単発的にいい試合やって見せるんだけどそれが続けてできない
すごくムラのある奴だなという印象だった、後楽園でやった対天龍、対ゴディの
シングルはすごくよかった >>109
嫉妬したのって寺西勇くらいかね。
>>110
高木、高野とナマクラの見本みたいな存在だもんねえ。
冬木は頑張ってたと思うけど、腹見るとやっぱり(センスとかは別にして)練習事態は疎かだったのかなあ。 当時の全日をサンリオに例えると、
中心人物で華もある三沢やハンセンはキティやマイメロディなんだろうけど、
ウイリアムスは、ぐでたまだな。
何をやってくるかわからない怖さがあるというか >>113
カンナムとやった時フットルースの方がヒールになってたからな
特にアジアタッグのリターンマッチは典型だった >>115
クロファットはタイガードライバー使っていたけど、三沢からは何も言われなかったのだろうか? タイガーマスク後期時代は、試合がしょぼくて、川田小橋より低い印象だった三沢。あの覚醒は意外だった。 >>113
冬木はあんなんでもステロイダーなんやで >>106
確かに小橋はスナイパーが一番よかったよね スパルタンXもグランドソードももったいぶった前奏がない初期verがいいわ >>105
そっか。ウィリアムス戦は良かったね。小橋は試合長すぎて見てる間に飽きるのが名勝負の邪魔してる気もする 菊池の地元でやった小橋菊池対カンナム戦をストンコがポッドキャストの番組で世界一良い試合って挙げたらしい 何気に菊地毅の試合にハズレ少ない気がする…ってか思い当たらない
本人の見た目がアレなだけでかなり損してる。技も豊富だし秋山より先にノーザンライトやブルーサンダー(火の玉ボム)も使ってるしダイヤモドダストや火の玉レーヴァテインなんて最大級の隠し技まである 小橋は大量離脱の前から、最強タッグこそ出てないものの7番勝負や、俊二から勝利など抜擢されてた。
見事に外様の人達が離脱していったね。もったいなかったのは高木。 >>117
後期っていうか復帰後の正月シリーズは仕方ないよ。本調子じゃなかったんだから・・・
足も細かった。 >>123
それでもフォールを奪ったのは小橋だったんだよな 晩年の逆水平とラリアットだけの頃はともかく若い頃は本当に頑張ってたと思う
あれで評価されなかったら歪むわ >>126
たしかその次のシリーズの武道館でタイガー対小橋のシングルがあった
あれでタイガー>小橋を改めて周知徹底したかんじ >>129
あったね!世界タッグ、三冠戦の前セミ前でタイガーvs小橋ってすごい期待度だよね
あれで俊二や仲野は移籍決意したと思う もしSの田中社長が現れなかったらどうなってたんだろう
天龍、谷津、カブキ、高野、仲野、高木、冬木・・・7段飛びか。すごいな。 >>123
福沢アナも実況した試合で最高の試合と言っていたな >>127
さすがに当時の菊地がカンナムからフォールを取るのは無理がある
防衛戦では渕や秋山からフォール取っていたがさすがにカンナム相手の試合は全て小橋がフォール取っていたな >>134
実はカンナム相手に防衛成功した唯一のアジアタッグ王者でもある あと渕をフォールした時は渕がジュニア王者
翌年に逆の立場で当たった時はバックドロップ十連発に轟沈 菊地も新日行ってれば長州馳のレスリングの流れで好待遇受けてたのかな
ジュニアとヘビーがはっきり別れてるから無駄にデカいのにボコられる役目もなく今も健康だったかも ライガーや高岩の危険技受けまくってもっとボロボロになってたかもしれんぞ サムライより2年後輩
橋本、船木がいて山田も帰ってくる最悪の時期
鈴木より1日でも早く入門できなければ完全アウト >>140
みのるより前に入ってもみのるにバカにされそう 91年〜92年頃は菊地の試合が毎週のようにテレビで放送されてたね
毎回鶴田軍や外国人にめちゃくちゃにされるんだけど 三沢が小川を評価していたのはわかるけど馬場はどうだったんだろうな レスラー馬場としては小川の事は高く評価してたと思う。
でも経営者馬場としては評価は低かったんじゃないかな。 >>134
最強タッグの公式戦で菊地がクロファットに勝ったことがあるような気がするがパートナーはドリーの年だったか >>128
完全同意
若い頃、良い試合をしても善戦マン扱い
三冠挑戦も遅かったし93年までは三沢&川田がいたから3番手扱い
晩年に勝ちブックおじさんなんて言われてその通りなんだろうけど若い時の扱いが酷すぎてああなってしまったと思う 個人的には小橋は試合スタイルとか抜きにしてもコスチューム黒にしてからなんか魅力無くなっちゃった
浅子の引退試合だったかで一度だけオレンジに戻した事あった気がするけどやっぱりよく似合ってたもんなぁ 小橋自身がバックボーンのあるエリートじゃないんだから超世代の頃にせよ四天王時代にせよあそこまで登りつめただけで凄いだろと思う。
勝ちブック云々も若い頃から築きあげたレスラーとしての格によるものなんだから。 問題は小橋の存在が大きくなり過ぎてNOAHのフレームを破ってしまったんだよな
だから小橋への評価はあくまで小橋一人の物でNOAH全体に還元されない >>150
四天王+秋山のタイツの色分けってほんと上手くできてたよね 小橋は、善戦マン時代のほうが面白くて、絶対エース化して、ドン引き。本来、秋山のほうがエース向きと思ったが、こちらも劣化していった。 >>136
あのBD10連発は鶴田さんに届け!って思いだったんだろうけど、馬場さん大激怒。 渕-菊池は、よく見たが、渕-小川は記憶にない。仲野がいた頃、ジュニアリーグ戦があって、小川も参加していて、対戦しているはずだが。 >>156
89ジャイアントシリーズでやってるな
渕対小川はノーtvの土岐市体育館でもちろん渕の勝ち
渕仲野マイティ寺西百田小川の6選手参加のリーグ戦で小川は全敗してるが
菊地はリーグ戦エントリーされてないので小川の方が一応上扱いだったのね 小橋は四天王なのに自分自身は次世代のエースと思っていたのか、川田には俺達と同じ世代でしょって言われていた。 >>156
松戸の挑戦者決定戦で小川が菊地に勝って翌シリーズタイトル初挑戦した
全然憶えてないけどTVでもやったんじゃないか おとぉーちゃんだけんがなや。
菊地は気の毒に思えたしんが、今はかなりぃの後遺症が出てもうちゃるかんが。
菊地は結局はお笑い路線になってもうたけんが、本人の意思ではなかったはずだがな。 >>160
92年の旗揚げ記念シリーズの横浜で対戦している(テレビマッチ)。ただ、その大会は他にも注目のカードが多かったから冒頭にちょっと放送しただけ。 小川はあの入場曲がいただけなかった。あんまり強そうに思えないチープな感じが。個人的にはイージーリスニングとして好きだけど。 >>159
小橋は三沢と五年差、秋山とは二年差だから本人は第三世代寄りのつもりだったんだろな ていうか第三世代と四天王、三銃士は年代もほぼ同じだからな
ただ前者と後者では絶望的な格差があるが >>156
90年の最強タッグだったか地方で渕vs小川のシングルってあった気がする
あと96年6月の後楽園。小川が渕に敗れてベルトを落とした、そしてすぐに菊地に渡る 小川も上手いのはわかるけど、客を沸かせられないレスラーだったな。
でも、不遇な中で秋山から四の字ジャックナイフでピン→シングルで大善戦→三沢のパートナーに。の流れはそれまでの扱いの酷さもあって熱かった。
でも、三沢と長く組みすぎたな。ノアジュニアが盛り上がってた時に丸ケンの壁としてジュニアに戻ってれば良かった。 小川、北原にコケにされたエピソードあり。折原には苛めができても、ガチ強い人には??? 小川(弱)は人気ないってかアンチ多いけどオレは嫌いじゃないな
確かに大技ないし必殺技のハズのバックドロップ乱発は説得力ないけど
しかも同じ軍団の渕も必殺バックドロップ乱発だったし結局必殺技は何なんだ?と中学生ながら思ってた
ファンをナンパとか虐めとかいわれてるがそこはハッキリ言ってどうでもいいしナンパなんて漢なら当たり前だしなwナンパも出来ないハゲデブ達の僻みにしか見えない
地味と言われてるがノア初期の試合見ると動き速いしw虐めが本当ならソレはダメだな。僻みハゲデブに裏付けする証言ないけど >>168
永田と棚橋を相手に三沢と小川で奪還戦というのが頂けなかった 世界ジュニアの小川の名勝負と言われても思い出せない
結局秋山戦が真っ先に思い浮かぶ >>172
むしろ奪還されるのが当たり前の気しかしない 小川が叩かれて垣原にボコられた大森さんが忘れ去られている 小川は、川田と小橋菊池北原の中間の、不遇のポジション。
しかし、越中も、大仁田世代と三沢世代の中間で、苦労した。小橋みたいな大抜擢があれば。 菊地みたいなボコられる役回りじゃなかっただけラッキーだな小川
やっぱイケメンはそういう扱い受けないのか >>169
オレも小川エピの流れのどさくさにまぎれて、スレ違いの話を。
小川が北原になんか練習を無茶振りさせようとしたら、北原が「あぁん?」って返して黙らせたんだよね。縦社会のイジワルな先輩をビビらせて黙らせるってのが、なんか溜飲下がって聞いてて爽快なエピソードだった。
新日とか健介オフィスでも健介にも仕掛けられるヤツいたら良かったのに。
というか、北原がプロレスでは少し先輩の健介と海外でタッグ組んでた時に健坊呼ばわりしてたのも、一発かましてたのかもね。 昭和42年生まれの俺はプロレスラーになりたいと思った頃があった。
もし全日本に高卒で入門していたら小川良成のすぐ下だったな。
きっとイジメに耐えかねて辞めていただろうw プロレス見始めの中学の時、小川の蹴りで川田の顔に靴紐の跡がついて抗争になるのかと思ったな。
手首にバンダナ巻いて若干の主張をしてたね。
上にも書かれているけど、南国っぽいテーマ曲がいただけない。
あの曲かかるといつも友人と小川だーと言いつつクスっと笑ってた。 >>181
オレもプロレスラーになりたいと柔道、ボクシングとか習ってたけど55年生まれの自分は入門してたら誰に虐められて辞めてたかな。
まぁチビだから目指してたのみちのくプロレスだけど。デルフィン軍団入りたかった >>179
その話知ってるけど、なんか北原はガチでは強いのが分かる(笑)
スーパータイガージムでトレーナー任されるくらいだし強いのは当たり前だけどプロレスラーとしても川田ばりの強キャラになれなかったのは謎だ。コスチュームも川田の黄色い部分がピンクなだけだったよね >>182
ある意味ではそれに耐えられる精神性がまずは必要だって事なんでしょうね
この世界の理不尽さにそんなのはまだまだ序の口だって あの体格の小川が、よく辞めなかった。当時、脱臼癖でよく欠場していたはず。 鶴田田上−ハンセンスパイビー
三沢川田−ゴディウィリアムス
最強タッグリーグのペーパービューをどっかの会館に見に行ったなぁ 四天王時代の小川(弱)は意外にデカいし動きも速い
今になると別人のように小さいし鈍くさい。だけど丸藤よりは動けるし顔も勝ってる ペイパービューじゃ無くてクローズドサーキットじゃないかな。
当時は地上波か会場でしか観れない時代だったからなあ。
そういう意味ではネット配信がある今はいい時代だな。
あの時代の最強タッグとかチャンピオンカーニバルとか見たかった試合は一杯ある。 >>180
新日でも山田や船木の下になるから
この世代は高卒でプロレスラーになるのは無理だな。 この時代だと試しに入門してプロレスの裏側を探ろうみたいな輩も多そうだからまずはシゴいてふるいにかける的な感覚はありそう。 まぁ考えてみたら1980年生まれの自分が18でプロレス入門してたら1998年って事だからSKがギリギリ猛威をふるってた時代くらいかな
SKに虐められて散ってたか…みちのくプロレスに入門できててもヨネ原人のジョバーで終わりそうだけど 同い年で全日本の下っ派の小川とジャパンの下っ派の健介で仲は良かったというエピソードは結構聞くな。 この頃、付き人で興行に同行して、デビュー出来なかった人が、いた記憶が。週プロのグラビアで見たような。 みちのくプロレスには全日新日からの脱走者が来るから
なめられちゃいけないと練習厳しくしていたというね
健介も虐めじゃなくて厳しいだけだろ 北原はSが無かったら、売り出されたんじゃないかな
フットルースとドームで抜擢など、生え抜きならではの待遇は良かった。 >>192
新日だと柴田、井上で全日だと小林健太あたりが同期になるのかな
新生FMWとか大日本プロレスに入門したら多少緩そう あっ。ケンタとは同年代だからそうか
SKは間違いなくヤバいよね。武藤がSKが先輩じゃなくて良かったと語ったり西川とか色々あるからね
まぁ自分は全日本、新日本は絶対に無理だろう。どこの団体でも無理か ジャンプスクワット500回とか受け身100本とか絶対無理
やはりプロレスラーは選ばれし者 しかし、三沢が高校の部活のほうがきつい、というから格闘技経験者にとっては???
苛め担当は、未経験者が多い気が。 船木はライガーにすら、俺より貴方のほうが厳しいとか言われていたぐらいに相当きついあたりしていた。 >>193
仲が良いのではなく下積み時代に一緒に雑用をしただけだよ
仲が良かったら対談の一つくらいとっくに企画されているよ sに行った連中は、行かなきゃあんな惨めな晩年にはならなかっただろうな
そして四天王の位置も違っていただろう >>205
天龍はSWSを経由したから新日系のレスラーと試合する機会が持てたので
あれはあれで良かったんだろう
あと新日のレフェリー不足が幸いして新日入りできた海野もついていた
二度とメジャーのフィールドに戻れなかった高野兄弟が失敗 竹内と菊池は、高野高木押しだったか。で、ター山が、三沢押し。一時期、長期欠場のせいで、三沢を無視していたので、意外な結果に見えた。マスク脱ぐ頃は、川田のほうが格上に見えていた。 高野俊二が残ってたら田上の代わりに鶴田のパートナーだったかな。
川田はどのみち超世代抜けてそうだからいずれは川田高野と三沢田上になってたか。
そうなれば小橋はパトリオットと早めに正式なタッグを組んでたかも。 >>205
カブキなんかは後悔したくないからその前を思い切り腐してる印象
離脱は絶対間違ってなかったって >>208
三沢はNOAHでは小川とのタッグに拘らず田上と組むべきだった Sの誕生、Sの存在、そこを選んで意識した選手の意思、それらは否定しない
彼らがファンから支持されるプロレスを見せれば良かっただけのこと
プロ意識が低かったんじゃないの、日本を舐めてる外国人レスラーみたいに試合して金もらえればそれで良い、その程度の意識しか無かったんだろ SWSが無かったら鶴田、ゴディの戦線離脱は決定してるのだから天龍がその分活躍したと思う
SWS後に様々なレスラーと戦ったが、全日に残って高い壁になってもらいたかった 全日からSWSの移籍後にレスラーとしての格が上がったのは、天龍とちょっとイレギュラーだけど冬木弘道ぐらいじゃないか
後は全日よりもSWS在籍時は高い年俸をもらっていたんだろうけど、結果的に全日に残った場合よりも廃業が早まってレスラー人生をトータルで見たら損をしていることが多いと思う 小川はSWS行きそうな感じだったけど意外にも残ったね >>206
天龍のプロレスキャリアにはプラスだったけど、付いてきた奴らやWARに還元はできなかったね。 >>217
新日本の高いギャラでWARの給料払ってた >>216
天龍にお前は使えないから来なくていいと言われたから >>204
いや、ジャパンが離脱後の微妙な関係の中でも、全日の会場に健介が小川に会いにくるくらい仲は良かったみたいよ。
ちなみに、健介が入場する時に元子がいたんだけど、この子はジャパン離脱の件とか下っ端だったから流されただけだったって認識で健介を会場に迎え入れてあげたっていうのが、共に評判悪い健介と元子の数少ない美談だね。 フリー時代の健介はノアが主戦場だったし新日程嫌われてなかったんだろうな スパイビースパイクって、
「ただのDDTじゃん」とか「橋本の方が強烈だ」とか言われるけど、
素人が喰らったらマジヤバいからね。
91年、スパイビー全盛期。当時高2の俺。
クラス仕切ってた額賀ってバカが当時全盛期のダウンタウンの影響受けて、つまらねえパクリネタで無理矢理笑わそうとしてうざかった
キレた俺は額賀にスパイビースパイク。
床にゴツンというかドゴッ!って音して額賀のたうちまわった。
そういえばスパイビーみたいに指をクルクルしなかったと思って、
今度はクルクル付きでスパイビースパイク。
額賀の意識吹っ飛んだよ
あれは鍛えてるレスラーだから耐えられるのであって、素人には一撃必殺の技だよ >>219
当時の小川良成の評価は低いだろうから声がかからないのも無理はない、俺は小川の渋いスタイルは好きだけどね
ああいうプロレスってライトなファンには受けなくて当然なんだよ、基本跳べば沸くファンが多いし
今、金丸が新日で高く評価されているのも若い時に小川と対戦して身についたものが活きていると思う。金丸本人の努力ももちろんあるだろうけどね SWSは田上や渕にも誘いをかけたって話だからある程度若い選手は全員引き抜こうとしたんだと思う そこまで行くと明らかな全日本潰しですよね
そうなれば馬場が激怒するのも当然で UもSも発起人や担がれた人辺りはBIの偉大さを嫌と言う程味わったろうね
器が違ったんだよ。天龍や前田高田も良いレスラーには違いなかったけど。レスラーとしてだけは一流だった、だけ Uは猪木に裏切られてSは馬場のネガキャンの被害に遭ったのに果たして偉大だと思ったのだろうか 馬場なんて赤字垂れ流しの無能経営者じゃん
日本テレビが義理で支援続けたから団体が存続してただけで 何だかんだ言っても共にさっさと潰れてるんだもん、イキっても格が違う事は気付いたんじゃない? >>229
天才レスラー武藤敬司の光と影を川田利明が激白「レスラーだけやっておけば」
ttps://news.yahoo.co.jp/articles/c9bc051581c58e561da86f2877887fbc2acecfc5
「全日本という会社は、ずっと(社会保険料の)半分を支払ってくれていた。
だから、馬場さんという人は経営者としてしっかりしていたんだよ。
経営なんて誰でもできるだろうと思って、ノアに出て行った人たちも、
経営に関してはもうどうしようもない状態に最後はなったわけでしょ。
昔の全日本はお客さんがあまり入らない時期でも、ちゃんと保険は支払っていてくれたわけで、
いかに馬場さんが経営者としてうまくやってきたかということ。しっかりしていたよね。
安いギャラでも、馬場さんの場合はどんな時でも欠かしたことがない。
ましてや、厚生年金とかでも会社にちゃんとしたシステムをつくってくれていたしね。
(その制度でいま助けられている元選手も)たぶん、いっぱいいると思う」
次ページは:武藤体制になって生じた“異変”とは >>224
天龍同盟時代の小川は、しょっぱい印象。パートナーのハンセンに、ボコられた。
鶴田軍時代に、突然覚醒した記憶ある。 >>233
鶴田軍に入ってからも小橋&菊地より下の位置にいたけど92年夏あたりから菊地と同等の扱いになった感じ、技術は他の選手に一目置かれるだけのことはあるよ >>225
田上はSに行っても失敗だっただろうな、高野&高木があんな感じだから
残留して無理やり鶴田のパートナーにされて大変だったと思うけど三冠王者になってチャンピオンカーニバル、最強タッグも優勝したから勝ち組だな >>214
お爺ちゃん何か言っているの?
コメント非表示にしてあるからわからん >>224
金丸は成功したと思うが、
志賀は・・・。一時期、異様にプッシュされたがあれば。 >>236
悪友がいなくなって田上にはよかったんでないかな
俊二とか高木とかどう考えてもつるんで練習さぼったり田上の成長に悪影響しか与えなさそう >>229
義理じゃなくて日本テレビが馬場が頼んで作ってもらったんだから支援する義務があるが正しい >>238
志賀は誰がどう育てても駄目だな
努力が出世に結びつかない典型例
かわいそうではあるよね、凄く真面目らしいんで >>239
嵐は武藤全日本で選手がいなくなって仕方なくプッシュされたなw 高木、S行かなかったら、どういうポジション?鶴田も三沢も、もて余す・・・。 田上が伸びたのは川田の存在がデカ過ぎるからSだとただ大きいだけのモッサリレスラーになってたと思う 川田はいずれ三沢と袂を分かち対立するつもりだっただろうから、タッグ戦線ではスーパーヘビー級の田上と組むのが理想と考えていたのかもな。
そのために田上にトップの自覚を持たせるために抗争を仕掛け、ライバルから盟友に育てあげた。 田上の川田は組むのも悪くはないけど戦ってた方が面白かった。
逆に三沢と川田は組んでる方が好きだったな。 >>248
No.1の三沢とNo.4の小橋のタッグ
No.2の川田とNo.3の田上のタッグ
という分かりやすい序列の組み合わせだったけど、
三沢&川田vs田上&小橋も見てみたかったな >>247
ウイリアムス&エースから世界タッグを取り返した時に川田が「俺が(田上の)サポートに回った方がこのチームは良い結果が出る」と
田上を活かす川田ってやっぱすげえよ、でかい外国人に体格で負けない田上の存在も凄いけど >>251
口約束レベルの話だろそれ
義務じゃなくて義理だよ >>249
いいね!鶴田欠場の最強タッグは、馬場&小橋が内定していたが解体してでも田上&小橋が良かったと。
あんな惨めな優勝戦にはならなかったかと・・ >>244
嵐ってブリッジきいたジャーマンやフライングニールキックをキレイに決めたりと技はいいんだけど、試合の組み立てが下手くそだったね。
タレント不足の武藤全日の中で、見た目が良かったからプッシュされて格上げしたのに、同タイプで下手くそな橋本戦でボロがでて散々だったな。 このスレに感化されて元週刊プロレスの市瀬英俊が書いた「夜の虹を架ける」を読み返した。
今さらだけど三沢鶴田戦の後にもボロボロSWSに抜けてたんだなあ。 カブキは武生で世界タッグ獲ったけど殺人魚雷相手に何もできなかった印象
既に衰えていたから抜けてくれて良かったかな
テクニックは凄いけど歳には勝てないか カブキのピークは、フレアー戦かしら。三沢タイガーとの抗争は、圧倒的に力の差を見せられた。 >>255
あ、そっか。6.8の三沢勝利後、谷津カブキが離脱か。次は自分が負ける番と思ったか。
5大シングルに入ってない人たちが辞めて行った印象 >>253
馬場&田上
小橋&パトリオット
でよかったのでは。 92年最強タッグも殺人魚雷とハンセンエースで勝った方と三沢川田で決定戦なら盛り上がったとは思うけど、三沢川田は大丈夫でも、外人組には流石にトップ対決やった後で三沢川田ともやれとは馬場も言えなかったのかな。 秋山は上手くて基礎もできた良いレスラーだと思う
しかしながら華と色気とトンパチさに欠ける
今も第一線で戦えてるのは勿論凄いんだけどね 三沢と川田みたいな感じに大森と秋山でなれたら理想だったと思う そう言えば旧全日で馳が外人と絡む事あった?
色々と物議を醸し出した5強との負け試合位しか印象に無いが >>268
ジョニーエースと絡んだのと後三沢と組んで、タッグでベイダーと対戦したのは覚えている。
ベイダーと組んでたのはモスマンだったかな? 馳とジョニー・スミスはタッグ組んだか戦ったか記憶曖昧だけど絡みはあったはず 馳と泉田がアジアタッグに挑戦したことがあったな。
王者になっても国会中は防衛戦できないのに。 >>256
なぜカブキさんに獲らしたのかな
無理がありすぎ >>273
五輪コンビが挑戦する予定だったが谷津が退団、パートナーが他にカブキしかいなかった
ハンセンが乱入してウイリアムスの攻撃を妨害することで辻褄を合わせたね
でもカブキじゃねえ… >>270
人生全日初登場のスミス&人生vs秋山&馳
馳は「武道館ではスミスの良さを引き出す」と宣言
その武道館からスミス人気が上昇していったね
昔、カルガリーで戦ったんだっけ? >>261
田上もそうだけど渕と小川もかなり得したと思う
渕は超世代軍を散々苦しめたし、小川も技術はあったんだろうけどいるのかいないのかわからないレスラーだった
皮肉なことに小川と対照的に菊地がどんどん転落していったな 秋山のすぐ止めたワイルドペガサスみたいな白ロングタイツはなんだったんだろ
三沢は何日間か茶髪にして小橋にまで似合わないと言われてすぐ止めたな >>277
菊池が聖鬼軍入りしたとき、???の印象だった。 >>183
トレーナー、インストラクターなら山ちゃんも宮戸もだぞ >>280
菊地が現状打破のために聖鬼軍に行ったのに小川&菊地組で浮上したのは小川だったな 小川菊池対秋山大森の攻防があったはず。確かに、小川の株が上がった。 >>275
その前のハンセンゴディの三冠戦でウイリアムスの乱入アシストでゴディ勝ったよね
シナリオ的には面白かったけど >>283
その後タッグで小川が秋山を二度フォールして三沢のパートナーになったのはまだいい
しかしノアで秋山からヘビー級のベルトを奪ったのはさすがにやらかしにすぎない
当の本人は完全にヘビー級転向してないのがね 小川のGHCもワンポイントリリーフならともかく力皇相手に防衛までさせたのが不味かったな。
あの試合もとにかくしょっぱい試合だった。
逆に高山に負けてタイトル取られた試合は良かった。 >>276
馳が新崎にジャイアントスイングをやってるときコーナーのスミスは金玉直してた >>281
山崎、宮戸は一般会員の指導だけだから強いとか全く関係ない
北原、中村、平が初期プロシューティングの選手を育てた >>283
どの試合か忘れたけど(多分後楽園)試合後小川が廊下か控室にいる秋山を襲撃したことあったな
週プロに「全日本史に残る大事件!」みたく書かれてた >>288
サマーアクションシリーズの武道館だよね
スミスの玉直しの前の年は多聞が側転ヘッドバットして失笑浴びていたし パートナーの三沢が当時笑い堪えられなかった多聞のスペースローリングヘッドドロップか…体操してたから分かるけど全く側転の意味ないよ。とか語ってたなw
多聞って技のセンスはいいと思うんだけどな。 >>290
95サマーアクションシリーズの開幕戦だ
菊地が大森にDDTで負けた 小橋VSハンセンの三冠戦がセミに回されてメインで世界タッグ奪取したウィリアムスとエースが締めた武道館はかなり冒険したな >>293
考えられる可能性は売り興行だったかな? >>296
当時、福井住んでたけど
「えっ 武生のあの汚い体育館でタイトルマッチするん?」
だったもん。 >>295
あれはむしろハンセンに不安があったからメインに出来なかった >>294
ありがとう
当時の週プロで確認した
大森菊地のあと小川も秋山に負け。控室前通路でインタビューを受けてる秋山に仕掛け乱闘
「とにかく驚いた!1995年6月30日は全日本プロレスにとって歴史的な1日となった」 >>297
武生だけでなくチャンピオンカーニバルでなぜか毎年のように開催されていた福井市体育館
トイレが臭くて体育館全体が汚い印象、ほんとボロい この当時発売されたバップの全日テーマ曲CDのカバーはどれも聴くに聴けないレベルだったな
田上のなんてどうしてああなったって感じで
でそれぞれオリジナル音源のCD集めたけどそれにも効果音なり編集とかされてていたたまれない気持ちになった
ハンセンのなんて数曲の合体曲だもんな >>300
東京、大阪、名古屋、札幌、横浜以外でリーグ戦の好カードや、世界タッグ以上のタイトルマッチを何度もやっている地域は売り興行でプロモーターも優秀なんだろうな。
全日だと、石川、千葉、長野(松本)、高知、宮城辺りかな?
広島や福岡は都市のわりに優遇されていなかったような気がする。自分たちで興行しているのもあるかもしれないが、会場も大会場じゃなかったのもあるかも。 昭和だと秋田だな
PWF、UNのタイトル移動
カーニバル決勝
天龍上田のランバージャック
ハンセン失神
等々盛りだくさん
スレタイの時代だとTVマッチさえほとんど無かったような せっかくのチャンピオンカーニバルなのにメインが何でもない6人タッグで
公式戦がジョニー・エースvsダグ・ファーナスみたいな下っ端同士の消化試合だった時のガッカリ感 鹿児島は馬場がNWA戴冠以来好カードが組まれるようになったが、ブランクが長い時は3年開いたりした。 仙台大会で
三沢&秋山vs小橋&エース
川田&田上vsハヤブサ&人生
ウィリアムス&オブライトvsウィンダム&ブラッドジョー
公式戦3試合だったから、地方会場でも差があるよね。 >>295
①2大会前の川田vs田上の三冠戦が凡戦→三沢&秋山vsウィリアムス&エースが大会ベストバウトになっていた
②95年の三冠戦で余り外しの無かった川田vsハンセンが凡戦だった事、コンディション的にピーク迎えていたハンセンの試合にムラがあり不安だった事
加えてハンセンが絡む三冠戦がセミだったのは、あの一度きりじゃなく
ノンタイトルの鶴田vs三沢の前にも経験していて、それでも文句言わずにやっていたから、だからあの位置で三冠やれた感じ。 >>309
世界タッグを三冠の後にやった最後のケースでもあるんだよな
今では世界ジュニアを世界タッグの後にもやってるが当時では想像も出来なかった >>280
後年の菊池のどっかのインタビューで、聖鬼軍に移ったのは川田と戦うのがシンドくて逃げた部分もあるってゲロってたな。 97年に発売されたCD
キマラの曲はなぜかお蔵入り >>279
三沢って94年後半~95年末辺りまで
髪茶色っぽかったよね 旧全日の川田は色々と不憫な所あったよね
前年に田上と小橋に負けたハンセンに三冠取られて、タッグで三沢を初フォールしたと思ったら田上と小橋がシングルで三沢に先に勝たれたり、ドームで三沢から完全勝利して三冠奪取したら初防衛で小橋に取られ、翌年三沢から再び奪取するも怪我で返上
特に最初の三冠はCCで破ったウィリアムスに挑戦と言う形になりしかもその時のセミが三沢ハンセンVS田上小橋で食う形となった 馬場は面白い場面で川田にアドバンテージを与えてるんだよな
最強タッグでの武道館メインをはじめカーニバル優勝にドーム勝利
特に最後のは三沢と小橋が散々に愚痴りまくったもんだからかえって価値と意義が高まった印象に スパイビーとオブライトの対決を見たかった。
入れ違いで重なってないはず。
共に全日ではイマイチ、力量等はあったのにイマイチ対決。 九州住みの俺は90年代に何度か全日観戦のために上京したが、偶然にも川田が主役(注目される)の大会ばかりだったな。
・オブライトとの初シングル
・最強タッグ田上と初優勝
・オブライト&高山との世界タッグ戦(メインの三沢対ウイリアムズがしょっぱかったから入れ替えたほうが良かった)
・カーニバル優勝決定三つ巴戦
・武道館、高山と全日本初シングル戦
・25周年ドーム、三沢戦
・馬場引退ドーム、対馳戦 >>317
結果論とはいえ高山初参戦をいきなりメインはギャンブルすぎるでしょ
確か三沢とウィリアムスの三冠戦はジョーさんと福沢アナの全日卒業マッチだったね 大仁田が「メインイベントがしっかりしていれば興行は丸くおさまる」と言っていたが
その通りだね
FMWの前座は「これプロレスになってねえぞ」と言いたくなる試合もあったが
メインが終われば「面白かったなあ」だった
メインイベンターの責任はそれだけ重いってことでもある 96年7月の武道館ではカード変更して川田vsオブライトになったけどオブライトを活かした川田ってすげえよ >>320
後年になるけどプロレス偏差値0の小川や藤田ときちんと試合を作り上げたのも凄いよな
小川は橋本戦が代表的だけどプロレス的に見たらちょっとなあ >>314
96年の田上も。CCと最強タッグせっかく制覇なのに、三冠は小橋に奪取され東スポMVPならず。
全日はシナリオが下手だな〜〜って当時思った >>321
小川! お客さんが待ってるからやるぞ! >>322
シナリオじゃなくてバランスなんだろうな
そう言えば冬春冬の連続三連覇をやったのは川田だけか >>322
東スポMVPなんて眼中に無いからそうなったんじゃないの?勝手に決めてくれという感じで
そもそも始めから気にしていないんだろう、気にしていたら三沢の受賞ももっと早かっただろうし 三沢の受賞はほとんど功労賞か慰労賞だったな
とにかくベストバウトを一戦だけの小橋が取ったから多くが白けた 長州は秋山を欲しがってたらしいが秋山の性格で新日に入ったら橋本やライガー、健介と癖の強い連中に潰されてただろうな 何日か前にスーファミの話が出たが俺は小川で最後は必ずジャーマンで決めていた
92年2月にバックドロップホールドを初公開してからジャーマンを使っているのを観たことは無いがw
91年に菊地相手にジャーマンをやったのを観たことがある 三沢が全盛期にMVP取れなかったのは不憫だったね。
三沢の時代だと、いくら良い試合してもMVPに限っては新日やU系、さらにはインディーのセンセーショナルな出来事を起こした選手に持ってかれたからな。
それなのか、三沢って東スポの授与式をしばらくボイコットしてなかったっけ? スーファミの全日本プロレスゲームの時って投げっぱなしスープレックス系は収録されてなかった気がする。ジャーマンスープレックスホールドはやたら使うキャラ多かったなw
小橋やパトリオットのフライングショルダーの格好が滑稽過ぎてランニングしまくってた。 >>329
あの頃になるとベストバウトの方が重くなってた印象 >>329
95年に武藤がインター制圧でMVP、三沢には特別大賞だったかな…
三沢がへそ曲げて「意味が分からないけど、ありがとうございました」とかコメントして疎遠になってたし、選ばれても出席しなかったw
三沢が満身創痍で頑張った年を「コップの中の戦い」と表現されて新日インターを絶賛してたからな… >>332
ベストバウトは川田にフォールを取られた世界タッグだったな >>333
チャンカン(三沢的表現)で目を負傷しながら優勝したんじゃなかったっけか…
前年怪我(首負傷アングルだったっけ?)で欠場してるから絶対に欠場出来ないで苦しかったんだろう 三冠防衛記録を伸ばしてた三沢からベルト奪取したのがスティーブ・ウイリアムスだったのは意外だった >>334
三沢のチャンカー初優勝にして春冬連覇だったんだよな
冬春冬の三連覇もこの時の三沢が最初か
そして単独として歴代最長の最強タッグ四連覇も達成 >>332
95年の特別大賞はドームの新日本vsUインターだよ
三沢が特別大賞は92年でその時は出席して高田とツーショットとか撮られてた
翌年から行かなくなったんじゃないかな 「夜の虹を架ける」の中で92年の頃から東スポの記事に腹を立てた三沢がプロレス大賞の表彰式をボイコットし続けたという記載がある。
「ガラスのエース」と書かれた事とか、怪我で欠場した際の書かれ方に腹を立てたとか諸説あるけど、結局何が原因かまでは迫れてなかったけど。 三沢東スポ特別大賞の訂正ありがとう
失礼しました… >>330
いや、三沢が投げっぱなしジャーマン使えてた。ファーナスもかな?ロープ際でロープを背にして投げっぱなしかけたら場外まで相手が吹っ飛ぶという危険技 馬場は、九州スポーツが朝刊であるため、鹿児島でNWAとったのに。 ババは考えることがセコイな
そりゃ視聴率6パーセントだわ 三沢は晩年で苦笑されたMVPじゃなくて、過去に大活躍してた時期に授与してやっても良かったのにと思って歴史を紐解いたら、その辺にMVP取ってる連中は業界内につよいインパクト残してる連中なんだよな。
だからなのか、良心として試合自体は良いものを残してた三沢たちを最高試合賞にしてバランス取ってたのかな。
業界全体の言い訳なのか、週刊誌とかでMVPより試合賞取れる方がスゴイんだぜ、みたいな論調あったよね。 三沢が東スポMVPを獲るとしたら三冠初戴冠した92年が相応しかったと思う。 >>347
バランス取るというのは考えられる
大して試合していないIGFとか年間最高試合が葛西vs伊東なんてことが起きてから価値を感じなくなったw
葛西vs伊東がプロレスというカテゴリーの中で最高の試合なんて、プロレスに興味が無い人に対して自信を持って言えるかっつーのw >>330
小橋のムーンサルトプレスの軌道がおかしいんだよなw
飯伏並みの身体能力かよw >>335
川田に三冠を巻かせてやりたいから三沢からではなく間にウイリアムスを挟んだんだよ >>351
同時に外人エースとしてウイリアムスを持ち上げる意味もあるだろう
要するにカマタ方式 単純に三沢は川田の挑戦者に回りたく無かったんだと思われ あすなろ杯、あすなろ戦士って
口にするの恥ずかしいw 何でもいいが、自分の妄想を決定事項みたいな言い方するのは気持ち悪いから止めようぜ >>348
その年のMVP誰かと調べたら高田か!
北尾をKOしたインパクトに比べたら流石に弱いな ベストバウトはハンセンと川田の三冠戦か
そしてその日は小橋が初の武道館メインと世界タッグ挑戦 そして今日はちょうどハンセンが川田から三冠奪取の日 >>359
ハンセンサイズかあ、よく高木がハンセンと身長体重が同じだと紹介されてたな 全日時代にたいして大きくない(やや小さい部類か?)に見えた高木が武藤全日に入って久々に見たら、こんなにデカかったの?とビックリした。
SWSでの高木は見たこと無かったし、当時はインディーも見てなかったのでホントに久々に見たんよ。
でもって、昨今にYouTubeなんかで当時の全日見ると、やっぱり相対的に大きくは見えない。
全日のデカいレスラーのがっぷり四つなプロレスが好きだったんだよなあ、自分は。 >>360
三沢にチャンカン優勝させて、三冠挑戦させるのに川田が王者じゃあ都合が悪かったのかな?
その代わり川田にタッグながら三沢からピンを取らせて三冠挑戦させたんだろうな。 高木対田上は夢の一戦だった
冬木川田小橋俊二高木田上が参加したあすなろ杯、後楽園でカード組まれてて
楽しみにいてたんだけどな。もし実現してたら2月の百田対マイティを超える
熱量が発生したんではないかと今も思ってる 三冠戦で三沢は小橋に挑戦しても負けてない
逆に川田と田上には負けても挑戦していない
また武道館で陥落したのはウィリアムスのみにだけなんだよな SWSは馬場とター山に潰されたような物だからそれをアングルにして対抗戦をやったら新日Uインターに匹敵する一大イベントになったはず
三沢VS天龍
川田VS冬木
田上VS高木
小橋VS北原
菊池VS折原
とこんな所か、高野俊二もいれたら誰がいいかな >>366
分裂後に川田と冬木でやってるんだよな
その時のメインが武藤と蝶野の最後のシングルでもある 馬場対高野俊二
ポシャった馬場対寺西の凸凹対決と反対のオーバー2m対決を見たかった。
期待を掛けていた高野を制裁するキラー馬場に武道館が震撼する! 98年のドームの時に天龍を呼ぶか呼ばないかの話になったんだっけ?
当初予定されてた田上対北尾は見たかったな。 >>369
噂レベルでは鶴田vs藤波も有ったから馬場が本気でやる気になったらオールスター戦出来たのにな 最初のドームだけで十分な話題だから一発目はあれくらいで良かったんじゃないかな >>371
98年に鶴田ー藤波の対決を見てもなあ。 98年の鶴田は身体は病人丸出しで全く動けなくなってたな
ドームの6人タッグ見て切なくなったわ 三沢vs川田
田上vs北尾
小橋&モスマンvsグラジェーター&保坂
秋山vs馳
WWFから誰か呼ぶをアピールしていたとは言え、微妙過ぎるカードだったな。 >>375
やはりハンセンとベイダーのタッグ実現は大きかった 全日の新東京体育館はこけら落としの1回だけだったかな 鶴田×藤波は91年に見たかった。
実際に藤波も腰痛から復帰して91年には何とか軌道に乗っていたから。
91年残る新日ドームでは2人のタッグ対決が実現すると勝手に思ってた。 あれだけ
ゲンが悪かったとも使い勝手が悪かったとも
あるいは武道館との義理を優先したとも
但しあの会場はやはり三沢の脱マスクで一番歴史に残ってる印象 >>379
セミのスミス対ローデスJrも歴史的な一戦だったね あの頃の鶴田にシングルマッチはもう無理でしょう
6人タッグをスポット参戦だったのに >>378
藤波はフレアーに勝ってNWAチャンピオンにもなってたね
タッグで鶴田、小川対藤波、飯塚とか勿体ぶったカードが組まれてそう >>348
92年の三沢は最強タッグの優勝戦の凡戦がな・・・念願の初優勝なのに週プロの表紙は佐野だった
感動的な優勝だったらMVPだったよ スパイビーは凄く強い印象があった。
あれガチならハンセンもゴディーもウィリアムズも勝てないよなぁ。 >>380
足が先に着くダイビングエルボードロップで笑いが起きていたな 負けブックを拒んでタッグマッチへの変更を希望した北尾w >>379
三沢がマスク脱いだ試合も谷津の動きの悪さと冬木の急な体型の変更で試合自体は良くなかった印象
カブキの解説が忘れられない 北尾にガチ仕掛けられた時の田上の反応とか見たかったかも
意外と堂々とした男気溢れる対応してたかもしれん >>360
試合内容はアレだったけどバップのビデオに収録されたスーパースロー映像はメチャクチャ格好良い 95年の三冠奪取のハンセンより96年の小橋に負けたハンセンの方が動き良かったわ
ただあの時期ぐらいから本格的にキツくなってたけど >>378
一番の理想は86~88年かなとは思う
60分フルタイムドローだろうけど >>383
一番の焦点はむしろメイン抜擢の秋山がどれだけやれるかだったからな
得点的にはハンセンエースと殺人魚雷がメインになるべきだったし 小橋建太は雑草
秋山準はエリート
しかしエリートは雑草を超える事は出来なかった 三沢 川田 小橋 田上の中で前座第一試合からのスタートではなかったのは田上だけ。
その田上は四天王の中では評価や実績が一番低いわけだし。 >>392
セミで三沢組が勝って、メインで外人対決が引き分けて三沢組が優勝からの三沢五冠王っていうのも白けるけどな。
実際94年にセミで三沢組が勝ち、メインで川田組が負けて三沢組が優勝って流れがあったが評判が悪かったのか、翌年からは優勝決定戦が導入された。
優勝決定戦も98年のハンセン&ベイダーみたいにリーグ戦全勝なのに決定戦で負けるというシナリオでリーグ戦の意味がなくなることもあるから一概にいいとは言えないが。 秋山は大好きな小橋に天下を取って欲しかったんだろう。
小橋にボブ・サップを倒させる為にわざわざ負けて来たくらいだし。
結局サップはノアに来なかったけど。 >>396
あの時の状況ではハンセン組が勝って公式戦で勝ってる三沢組とやるのがベストだったろうな
やはりそこまでエースを持ち上げられないのもあったか >>385
そういやオカダは、今でも変わらずそのエルボー使ってるの? >>396
ABリーグで最終日に決定戦有るのが理想なんだなと思う 復活チャンカーも最初の二回はそれだった
タッグチームをそれぞれに分けるのが基本だが例外もあるのがポイント >>377
旧東京体育館はコンパクトでどこの席からも見やすかったけど
新東京体育館は横長になってしまい見づらい席もあった
今のきたえーるもそんな感じ 新設の東京体育館でも頻繁に興行やると思ってた。
でも全日は一回のみで新日も3月頃に数回か。
全日だと名勝負というか最大の出来事があったけど。 最後の師弟コンビでもあったんだよな
馬場の方が先にコールされた時の響めきも凄かった 85最強タッグ?の武道館、セミ30分ドロー、メインも30分ドローw
86年。セミ両リン、メインも両リンw
客的にはボーナスの優勝決定戦が組まれた
91年。セミでハンスパが勝てばメインは消化試合になる状況でハンスパ負け(まあそうなるわなw)
92年。既出、消化不良
94年。セミで勝ったチームが優勝というそれまでに無かったケースを実施
結局、95年から優勝決定戦を採用。ここに辿り着くまでが長いw 秋山って結局小橋の格下ってイメージだけどプロレス的に見たら全盛期の小橋に勝ってるし、三沢にも田上にも勝ってる。ってかデビュー戦から小橋と良い試合してるんだよな。全日本プロレス社長にもなったし…ただ小川(弱)に負けたり、大森に秒殺されたのが印象悪すぎた。その大森は垣原にサンドバッグにされたり泉田に負けたり池田に負けたりしてたからな 一時期、長州が秋山を相当評価していた、と記憶している。パニック障害や小橋ラブがなければ・・・。 >>406
秒殺で負けたのは秋山の価値を落とさないためだと思う、全力を出し切った負けの方が価値が落ちると思う
あとそれは小橋vs秋山をノアでやるために取っておいたわけで、ノアの旗揚げは決定的だから秋山を1回戦で負けさせたんだろ
その後の秋山がケアの再生に一役買う動きは良かった、ケアが生き返っていた 秋山が小橋を評価してたのが本当に謎
大技乱発のバタバタ試合ばかりで1番嫌うタイプと思うんだがね 新人の頃から滅茶苦茶お世話になって助けてもらったという恩義もあるだろう。
秋山は田上に対してもデビュー直後の最強タッグに恩義を感じてるコメントしてるし。 正直、小橋のプロレスはガンダムっぽくて好きじゃなかったな
筋肉ばかり付けて動き悪すぎた印象…ドラゴンボールで言ったらトランスがスーパーサイヤ人の壁を超えたと勘違いした筋肉ムキムキパワーアップして全く動き悪くなりセルに負けてベジータに駄目出しされたみたいな 鶴田、秋山は一般人に近くて、トンパチではなさそう。この世界でプラスかは、分からない。 >>405
第一回の78年で既に引き分け優勝を採用
80年はその逆だったので盛り上がった >>409
小橋のプロレスはただ力任せの大技を出すばかりでつまらなくなったな 小橋は早い段階で膝がオシャカになってたから上半身のプロレスになってしまって超世代の時みたいなプロレスはもう出来なかったんだと思う。
ムーンサルトプレスを必殺技にしなければまた違ったレスラー人生になったのかな。 >>417
欠場中に会場内を歩いているのを見たが、ロボットみたいで、ショックだった。 秋山の小橋ラブは自分がトップに立ちたくないって気持ちも入ってるんだろうな 秋山みたいのはプロレスラーには珍しいね。実力も華も実績もあるのに、自らがトップに立ちたがらない
なのにノア旗上げ時みたいムーブメント作れたり、トラッシュトークも出来る
ただケンタが実力付けて来て噛み付く様に成ってからはからはダンマリだった記憶wそしたら憎かった川田を評価し始めたww上に立つ者の気持ちが分かったてとこか 渕の三沢や小橋への膝破壊はガチでやってたからな
後輩がメインイベンターになっていくことに嫉妬したみたいだし 秋山は割と簡単に負けブック飲み過ぎたかもね。馬場の意向に反論したりそれでいて先輩立てる柔軟性もある、馬場の教えは真面目に聞いてロープワークなんかはDDT選手にまで受け継がせたからな。
欲があったら日本の代表格のレスラーになれたと思う
現に全盛期で永田とライバルストーリーの時も試合前から秋山勝利が見え見えくらい格が違ったしね 90年代の渕は「ジュニアチャンピオン」「悪役商会」「聖鬼軍」と多羅尾伴内真っ青の色とりどりな顔の持ち主だったな。 >>289
一般会員のインストラクターならなにが関係ないの?
インストラクターの意味わかってる? 秋山も狙えば天下を取れたとは思うけど、分を弁えてたという感じ。
ただ、素晴らしいレスラーだったとは思うけど、何か足りない感じはする。
まとまりすぎてて突出した部分が無いというか、スケール感は四天王と比べて少し劣ってた気がする。 秋山は、志賀橋いじり、井上雅プッシュ、とかだんだんおかしくなっていった。 トップに立てるってのはホントに選ばれた人なんだなぁと思うね
良いレスラーはいっぱいいるけど数多くの選手が「下の立場から上に立ち向かってる時は良かった」
ということに陥ってしまうしトップに立って下を迎え撃つ難しさってのはあるね >>422
渕はボム系の技食らわなかったよね
タイガードライバーとかパワーボム食らっているシーン見たことあまり無いかも(クロファットのタイガードライバーは食らっていたが)
後大型外国人との試合もあまり見なかったかな
殺人魚雷やハンセン絡みのタッグマッチだと渕ではなくて小川が入っていたし >>421
馬場としては小橋の次に秋山大森体制を考えてだんだろうな
秋山単独でなくあくまで大森との共同で 小橋の次が秋山、大森、高山
その次が森嶋、力皇
その次が潮崎
この辺が上手くいってたらなとは思う
無理やりスレタイに戻すとゴディもスパイビーもああなるとは思わなかっただろうし育成は難しいんだな 小橋の次が秋山、大森、高山
その次が森嶋、力皇
その次が潮崎
この辺が上手くいってたらなとは思う
無理やりスレタイに戻すとゴディもスパイビーもああなるとは思わなかっただろうし育成は難しいんだな >>431
小橋秋山大森高山で新四天王だったんだろうな
あのタッグマッチは見応えがあった
あくまで秋山と大森を核にしつつ小橋と高山を添える感じか >>433
三沢がその辺を整然と考えられなかったんだろうな
あるいは馬場方式の踏襲を嫌ったのか
とにかく大森の離脱でバランスが崩れた >>432
ハンセンとしては自分の後継者と見込んでいたゴディの離脱が痛かったと著書にあったな 無事だったらゴディ、ウィリアムス、パトリオット、エースの外人四強になってたか。 デビアスが好きなんだけど離脱しなかったとしてもハンセン、ゴディ、ウィリアムス、デビアスの外人四天王は何か違和感有る デビアスはファンクスと同じ昭和の遺物な感じだったな
その意味で平成に上手く渡れたハンセンはやはり凄い スレーター、交通事故なければ、どういうポジション? >>427
頭良くて弁が立つせいか、ネチネチと嫌味っぽく弄る感じが嫌だわ
上に居ると嫌な先輩。まぁその辺本人も自認してるだろうけど 志賀をヘッドロックでギブアップさせた試合とか後味が悪かった 当時の全日で外人四天王ならハンセン、ゴディ、ウィリアムス以下の4人目がしっくりこないよね。スパイビー、エース、デビアス、パトリオット…好きだったけど、なんか違う感。
後年になると、ベイダー、ハンセン、ウィリアムス、で少し落ちてオブライトやエースとかで外人では四天王を構成しづらい感。 ブーバーがもう少し頑張ってくれてたら体格的にも外人四天王にしっくりきてたかも >>445
あー、ブーバー良かったよね。田上と小橋とのシングル面白かったよ。ハンセンとかウィリアムスみたいな過激な技で試合つくるタイプと違う試合巧者、新日で言うビガロ枠みたいな。
シングル王者になるのは難しかったと思うけど、良い選手だったね。 >>443
残酷なだけだったな
他の試合と違う色を見せたいという意図だったんだろうけど ブーバー、デビアスがいた93ジャイアントシリーズでエースは酷評されていた
その上手い2人が去ってしょっぱいエースが残ったのが皮肉
せめてどちらか片方が残ってくれたらね ハンセン&ベイダーvsウィリアムス&オブライトが実現していたら4強勢揃い感が出て91年4月の武道館のような雰囲気になったんだろうなと思う。実現するチャンスは無かったんだっけ? ベイダーが来た頃はウィリアムスがWWFに行っててまた全日本に本格参戦した頃にはオブライトが亡くなってたような。 日本で雑な扱いで若い小橋にも寝てたのにアメリカでホーガンと抗争してたブーバーは千両役者
パトリオット大好きだけどシングルで勝利したのを見た記憶がない… ベイダーは四天王三銃士と猪木藤波長州そして長らく最強と謳われた高田を土につかせてるからな ブーバーは服を来てる時点で少し難しかったかな。
体型的にもスープレックス系を綺麗に受けれる感じじゃなかったし。
この時代より少し前の時代の方が活躍できた気がする。 >>450
98年のスーパーパワーシリーズでウィリアムスが抜け、最強タッグからベイダーが本格参戦
ウィリアムスが出戻りしたのは2000年の新春ジャイアントシリーズからで、その新春ジャイアントシリーズ中にオブライトが死去だから被ってないんだわね。 >>453
ブーバーは三沢のジャーマンを受けたことがあるぞ 上手く無いって話しだろ?
確かにブーバーみたいな服きてたりすると全日本プロレスよりは新日本プロレスって感じはするな。アメプロ詳しくなかったけどブーバーはゲームとか雑誌とかで知ってたのに全日本での扱いにビックリしたw >>451
95年の三冠ヘビー級挑戦者決定リーグ戦で小橋からフォール勝ちしているけど、見た事無いなら正しいわね。
確かあれノーTVだったから バート・ガンって強いイメージしか無いけど嫌いだった。理由無いし、ウィリアムスKOしたのも当時知らなかったけど
新日本行ってからは存在すら知らなくなった。それこそキンコロ2に収録されてて懐かしかったな、バーネットとか数少ない新日本外国人だった。ジュニアだと二代目ブラックタイガーだし ジム・スティールもだけど、バート・ガンは少し細い感じした
全日のトップ外人って良くも悪くも太いレスラーでなければダメなイメージ有る >>449
99年ならグラジもいたんだよな、タイミングが合わずに勢揃いしなかったんだよな
または強い外国人が故意に勢揃いしないように調整していたか ベイダーは太ってるだけって感じだがでかい奴らが小細工なしでガンガンぶつかるのもプロレスの醍醐味の一つだと思う
90年7月の後楽園の6人タッグのような。たまには理屈抜きのプロレスを観るのも面白い >>456
「ビッグブーバ−!びっくりブーバ−!」bz金子アナ 10年くらい前だったかベイダーら4人くらい巨漢外国人レスラーを挙げて「ただ殴って潰すだけのデブ」というスレタイがあったなw
ビガロはデブだけど上手い 小橋のムーンサルト最大のハイライトは返された時の泣き顔 ベイダーもビガロも運動神経、身体能力はかなり高いと思う。
他のレスラーがあのサイズならあれだけの動きはできないはず。
ムーンサルトなんて怖くてまずできないだろうし。 >>467
ムーンサルトは誰でも出来るぞ
ベイダー以上のサイズのビッグディックダッドリー、ブルーミーニーはベイダー以上に綺麗だしインディには200キロ超えの奴がムーンサルトやってたりする
誰でも出来ると言ったが怖がるとエースみたいなきったないムーンサルトになる ブラッドレイガンスがベイダーは逆立ちでトラック一周した恐ろしいアスリートと言ってる 誰でもできるといってもハヤブサ小橋と武藤のムーンサルトの違いは何だろう 雪崩式フランケンシュタイナーも、天龍とか誰でも使った時代があった。ムーンサルトは、テリーも使ったし、コツつかむと簡単みたい。 99年だったか全日のゲームソフトで架空の選手が何人か登場するんだが高山が甲山w
邪道&外道もいたなあ 森嶋猛さんのムーンサルトはなんで忘れ去られてるのか…悲しい >>470
上に飛ぶか後ろに飛ぶかでもかなり変わる
小橋は上、武藤は後ろでハヤブサはその中間
どう飛んでも怖がると顔が横になってしまってエースとか泉田みたいになってしまう エースのムーンサルトは相手がよけていないのに当たらないw 小島のムーンサルトは回転が斜めで個性出してるのかと思ったら回りきれてないだけだった >>478
ジュニアじゃないといないね。
小島、天山、小橋、外人だとベイダー、テリーと様々いたけど。 ノアなんかに逃げないで、あのまま全日続けてた方が可能性秘めてたのに。 動けるデブ
クラッシャー・ブラックウェル
ワンマン・ギャング
ブライアン・ノッブス
ジェリー・セガノヴィッチ
アブドーラ・ザ・ブッチャー ブラックウェルとギャングはやはり武道館でのタッグ戦が素晴らしい 三沢社長時代の全日本が結構好きだったな。武道館五大シングルとかノーフィアーの台頭とかベイダー旋風とか。
三沢に取っては色々と苦しかったんだろうとは思うけどさ。 昔、全日ヲタの同級生が新日は出来レースって揶揄してたけど
小橋「子供の頃バックドロップで世界チャンピオンになる夢を見ました」
そして93世界最強タッグで自信の決め技でもないバックドロップで川田を仕留め最強タッグ優勝&世界タッグ初戴冠
こう言うの出来レースって言わないか?まあプロレスだから出来レースでもいいんだけどさ >>483
三沢は馬場から直接後継指名されなかったのが全て。 >>483
合議制だったのではないか?
三沢や仲田がやりたい放題やってたノアはカードつまらなかった >>472
それプレステの王者の魂でしょ、ちゃんと専用のフォントが有ってコールも有った記憶があるな。
後垣原、池田、ハヤブサ、人生も居たね、エディットでアンドレの体に初代タイガーのムーブを付けてアンドレがローリングソバットして笑ったな、全日はゲームではちょっと前にスーファミの話題も有ったけど良作揃いだったね。
自分は新日のゲームは全くやった事無いな。
新日は隠しにタイガー服部が出てたらしいけど全日はジョー樋口を隠しキャラで出したら面白かったのに。 >>486
元子の抑圧によるストレスを吐き出すような試合やってた頃の全日は面白かった。
やってる方はたまらんかっただろうけど。 ノアドームでの三沢と川田は哀愁漂う一戦だったな
もうこの人達は終わりの人なんだなと
あのドームは四天王全員揃った所に意義があるんだな ゴディ・ウィリアムスにブーイングするのが流行っていた頃のテレビ中継で、小学生か中坊ぐらいのクソガキの声で「へいゴディ、ふぁっくゆー」てのが2、3回聞こえた。オーやオリャもこの頃かな。 >>490
それでもドームで川田に勝ちたいの一念だったんだよな
そうでなければ上げるもんかって >>492
あのドームで四天王世代の人達はプロレス卒業式を迎えた人多かったんじゃないかな
それ以降ノアはもう言うまでもなく
ノアと分裂後の全日最高潮は小橋と川田がお互い防衛ロードを突き進んでた時だな
見えない所で小橋VS川田って所が >>492
三沢が川田を過剰に意識するからおかしくなる。 プロレスはヤオ!が定着してるけどヨシコや天龍vs神取忍みたいな例もあるから一概には言えないんだよな。
昔のデルフィン股くぐりも本気で東郷達がキレてた説と実はデルフィンの長期休暇説もあるし。まぁあの時のみちのくプロレスの不仲はガチっぽいけど飯伏なんかもガチだろうしねアクシデントからガチになったんだろうけど 四天王時代の全日はヤオならヤオであの台本を自ら選んで毎日やってるのは逆に凄いと思ってたね。 >>496
ブック守る為に、重症負ってもケツまで試合遂行するとかな。
SWS以降は選手の自主規制任せで試合やってたから、管理下でのガチンコよりヤバかった。 ヤオだとしてもそれはそれで演技力凄いのがプロのレスラーなんだよな。ビガロやウィリアムスみたいに命張って人を助けるスターも実在したし。川田や武藤は演技力もガチもずば抜けてた印象 >>28
っていうか、若い頃に四天王プロレスで団体を支えた代償に身体ボロボロになってた三沢と、デビュー以来骨身を削るような試合なんて一度もせずにダラダラ生き延びてただけの谷津を比べるのは、流石にアレなんじゃないの >>36
それはつまり全日本サイドの演出がヘタクソだったってことだよね、Uインターに比べて。昔から全日は、他団体のエース級を招いては馬場や鶴田がケチョンケチョンに格下扱いして、他団体より自分らの格を上に見せようとするセコいやり口を多用してたからな。 ショーと言っても豊登とかS小林とかG高野みたいにトップの器じゃないレスラーを推しても破綻する
そこもプロレスの面白いところ >>58
あまりの悪臭に、タッグマッチということでリングサイドにいた他の選手が場外へ逃げたという噂があるw >>56
黒毛和牛太だの宇和野だの、ゲームを遊ぶ側からすれば明らかなデータ容量の無駄遣いだったけどなw
今なら選手個人のツイッターアカウントに突撃して、何でお前がいるんだよ、絶対お前ではプレイしない、お前の分だけ金返せとメーカーにクレームを入れたる、等々無茶苦茶な言いがかりを繰り返して、最悪の思い出に変えてやるんだけどな。 >>110
少なくとも谷津、高木、高野は素養はともかく人間性が腐れきっていたからいずれにしてもろくな死に方はしていないだろうね。 >>500
木村、大木、ロビンソンには酷かった。ハンセンは例外。シンは微妙。ラッキーは、カマタの最初? ジョーやスミルノフと国際系の扱いは酷かった。
国際のエース外人は全日では中堅というのを当て付けの様に見せて。
元国際ファンはショックだったとか。 >>503
黒毛和牛太ってTwitterでファンに変な絡み方する奴でしょ? 元子全日の時に参戦してた相島勇人って初めから全日だったら井上雅央や浅子覚よりは上行ってたのかな
身体つきは結構良いから この頃地方会場のTVマッチで通路を開けてくださいと言うアナウンスをよく聞いたな 「通路を空けてください」
「お座りください」
「物を投げないでください」
田中リングアナがうるさくアナウンスするので仲田リングアナもアナウンスするようになった。 結局はCIMAみたいにワンカップ頭に投げ付けられて流血する事態になるんだよな
裏ボスさ観客だよ。最近の回転寿司客と一緒 トイレットペーパーや生卵、何故か乾電池を投げ入れられたことがあったな。 プロレスニュースで観客のマナーが悪いって福澤が怒ってた事あったな
入場するハンセンに飛びついてボディスラムされてた客の映像とか流されてた >>516
リングアナが言わないと団体側は何もしていないと批判されるからね
俺から見たら試合中に立つ奴が馬鹿なだけだよ、野球場でもそういう奴いるよ
他人の前で立ち止まったら後ろの人が見えなくなるなんてわからないものかね 全日に残って激闘した人よりも、Sや途中退団したひとのほうが元気なんだよね
たまたまか?戸口が一番元気だと思う。 >>170
そうか、小川の方はお前みたいな口の減らない雑魚は大嫌いだろうけどなw >>180
イジメにたえかねて出刃包丁で刺していれば、全日本にとどまらず、日本マット史にその名を刻むことが出来ていたのにな。いやいや、折原や菊地らイジメ被害者の証言を集めれば、殺しさえしてなかったら情状酌量の余地も与えられたと思うよ。 >>522
千葉での開催多かったからな
東京近郊だからやむを得ないのだろうけど
マナーが悪いところでの開催が多いのはストレスだろうね >>192
SKが相手ならば、刺すだけで終わらせず、完全に息の根を止めたとしても執行猶予がついたかも知れないねw
そのタイミングだと残念ながら北斗晶とのモンスターカップルの成婚は阻止できてないけれども、あの気色悪いヤカラ夫婦が理想のカップル面してテレビ番組でのさばったり、最悪の遺伝子を持つクソガキ健之介兄弟が低能児のくせにデカい顔して世を渡っていくことは無かったかも知れない。
・・・どうして刺さなかった? >>196
健介は自身が幼年時代に受けたDVの影響をモロに受けていて、新日本の後輩や健介オフィスの入門生を片っ端から暴力衝動のえじきにしていたというサイコバーサーカーだよ。
お前のようにテレビで、嫁の北斗に頭が上がらない力持ちだけど優しいお父さんなんてうすら寒いキャラ作りに騙されているアホは想像も出来んだろうけど。
天山に小島、真壁ら後輩連中の証言を調べて読んでみれば少しは理解出来るかもよ。 最近、日テレジータスのプロレスクラシックがちょうどこの時代に突入したね。
馬場が意外にウイリアムスを評価してるのも驚いたが、バリーウインダムをかなり買ってる発言にもっと驚いたw
スパイビーは90年ごろはまだまだ動きがいいね バリーウィンダムは最後の正調NWA戦士って感じだね >>531
ああ、馬場もバリーウィンダムを評価してたんだ。アメリカでも高い評価で、当時の武藤も憧れてたって話だけど、売り時逃して職人枠に落ち着いちゃったんだってさ。 バリー、ウィリアムス双方とタッグを組んでたロトンドの評価はどうだったんだろう 新日に来たときは一緒に来たアーン・アンダーソンの方が人気有ったな >>534
馬場はロトンドは『あと10年早ければビッグな存在になれた』とか。
バリーの事もそういう評価だった。
生まれた時期が遅かったって。
でもこういう事は仕方がないからね。 >>533
ムタがNWAを明け渡したのもバリーだったな >>537
向こうでのウィンダムの格からしたら、別に違和感のない王座移動だったけど、日本だとウィンダムの評価低かったから、専門誌のレポートだとムタが風邪ひいて調子悪かったって事にしてたの思い出したw >>536
へー高評価っちゃ高評価なんだな
ホーストホフマンみたいになれてたのかな アメリカでは十分にビッグな存在だったんだから何の問題もないだろ
何様なんだよババは
ハンセンゴディウィリアムスはウィンダムロトンド以下のカス まぁレスラーからの評価なんてファンには関係ないしなw
評価ばかりするレスラーに限ってファンからの評価が分かれるし。スパイビーだって塩代表みたいだけど何だかんだ心に残る外国人だしな
ビックジョンノードみたいなのは下手過ぎるイメージしか残さなかった
新日本のヘラクレスヘルナンデスも怪しい感じしたけど意外に活躍したのにね >>529
プロレスの練習なんか厳しくて当たり前だろ
水飲ませてくれないだの超回復できないだのブログに書き散らすようなガキは要らん
例の事件のことなら健介は冤罪
証言者のワイルドペガサスは当時新日道場どころか日本にいなかった
金本の動画見ればその日の状況がほとんど分かる
鬼畜呼ばわりしてるオマエラはスマイリーキクチ事件の加害者と同じことしてる >>528
なんで包丁で刺さないんだなんて赤の他人をそこまで憎むのはオマエの気が狂ってるからだよ
遺伝子だの低能児だの喚き散らす無能な差別主義者でもある
生ゴミの日に自分をゴミ捨て場に出せ 久々に90年6月の鶴田三沢見たら、セコンドが川田小橋田上なんだよね。他のゆくゆく離脱する冬木高野北原高木とかじゃなくこのメンバーというところに何か意味があったのか、冬木高野北原高木は鶴田三沢戦の間に転職活動してたのか… >>545
離脱組の情報は馬場は既に知っていて、彼らにセコンドに着くなと厳命していた。 >>545
仲野は千葉のアジアタッグ奪取がラスト試合だったんだよな 98年ドームで鶴田藤波が噂になったのは同年1月4日ドームでの藤波の鶴田戦発言からだな
しかし藤波は鶴田の容態を知ってた上でもの言ってたのだろうか >>528
もしかしてオマエ練習中にお水飲ませてぇと訴えてた本人なのかw
宮原中嶋北宮の強靭さ見るに健介はいい鍛え方したんだろうな
受け身取ったらすぐ立てすぐ立て急かされるのは当たり前なのに
さも残虐な仕打ち受けたかのように被害者意識たっぷりに泣き言ブログにつづるようなカスなんか
リングに上がる資格なかったのさ >>547
仲野はシリーズ中にMスカルパからブレイクダンスを教わり
それを元子に見られ大激怒された
まあ元々離脱するつもりではあったんだろうけど >>550
元子は多分仲野の事そこそこ気に入ってたみたいだから「あなたには人よりチャンスも
あげてるのになにふざけたことしてんの?」みたいな可愛さ余って憎さ百倍みたいな
激おこだったんだろうな
仲野はハワイで「これ信ちゃんに絶対似合うわよ」って感じで服を買ってもらったこと
があったらしい >>349
そりゃお前個人の趣味の問題だろうが。プロレス界全体の意向みたいに語ってんじゃねぇよ豚がw >>362
デカい図体したいかにもいかつそうな連中が、反則負けだの両者リングアウトだの、セコい結果ばかり並べてドヤ顔ぶらさげてたから、当時の全日本は笑いモノにされてたんだよねw
四天王台頭以降は逆に反則決着どころかリングアウトの勝ち負けさえ無くなってしまったのも、それはそれで極端過ぎて失笑だったけど。全日本はお客さん第一です、正々堂々全力の試合を提供します、とか、散々ビッグカードを不透明決着でどっちらけに終わらせてた馬場がどの口でぬかしてるんだと思ったよね。 >>409
いや、ホモだから。
惚れた腫れたの話になったら、プロレスのスタイルなんか関係ないよ。 なんかみんなが思い出話でキャッキャしてるのに未だに30年前から全然前に進めてない人いるよねここ 収入も世の中からの位置付けも変わってないだろうね
得てして周囲にキツくあたる ブレイクダンスやって何がいけないのかサッパリわからんな レンジャーロス&マークスカルパ、なかなか面白いタッグだったな
回数呼べばアジアタッグ要員にはなれたかも >>562
オレもこんな事で怒る元子の意図がわからないw
ダンスと言えば、京平なんかリング屋やってた時の休憩中にダンスしてたのを馬場が見て、イイ動きしてるなってレフェリーにされたんじゃなかったっけ?うろ覚えだから、違ってたらゴメンw アル・ペレスとバリー・フォロウィッツは似たようなルックスだったからか、タッグを組む機会が多く、タイツやコスチュームも合わせていたのにアジアタッグ挑戦の機会すらなかったな。
まあ、二人揃っての参戦は2シリーズくらいしかなかったけど。
次の都市には名前忘れたけど天使みたいな2人組も来ていたがタイトルには一切絡まなかった。
これは、ヤングブラッド兄弟枠みたいなものだったのか? 二番手タッグで争うPWFタッグリーグ戦を継続していたら90年代も面白かったのにね。 >>566
ヘブンリーボディーズかな?
ジミーデルレイとトムプリシャード >>468
ブルーミーニーって腹回りはベイダーよか凄いけど体重はベイダーのが50キロくらい重いぞ
ベイダーは最盛期200キロあったらしいしそれでトンボ切れるんだから身体能力はやっぱ高いよ 四天王とは言うけど三沢と3人を同列にするのはどうなの?って未だに思う。
ドーム後の三沢不在の武道館、電光掲示板には満員御礼とあったものの実際は9000人台位で空席が目立ったと言う話だし >>571
ドームも武道館の川田対小橋も行ったけど初めて超満員にならない武道館を体感して絶対エース三沢を思い知らされたね >>566
アルペレスはウェンデルクーニーとチーム組んでたような記憶がある。 >>572
ドームという山を超えて三沢が出ても同じだった気もするがな
とにかくあれで三沢がいなかったからというイメージになったのは大きい ドームはカードはともかく、演出とかもうちょっと何とかならなかったのかな
新日ドームで花道をつけた理由は別に演出を派手にさせるためだけじゃないんだぞ なんせ野球出身の馬場だからな
それぞれのボックスから出てくるのに拘ったのかも ファイトのI編集長が花道演出について、「対決する両者が同じ場所から出てくるのはおかしい」
みたいなこと言ってたが俺もそう思う。
「裏で打合せしてました」と言ってるようなもんだからな。 >>574
ドームから一ヶ月ぐらいの武道館迄だと営業もキツイものもあるから仕方ない。そもそも武道館を年7回やってドームは厳しい。 あの頃は同じカードの連発だったから三沢がいても同じだったんじゃないかなぁ
秋山に三冠獲らせるとか、馬場存命時に秋山持ち上げなかったのはなんでなんだろ。 秋山のサソリを小橋が自力でロープ迄逃げられなくて京平が技を解かせてたのを見てたら、小橋は無理してリングに上がっていたのは良くなかった。 >>579
全日本で、鶴田の跡を継げるのは、秋山だけだったと思う。突然、エクスプロイダーで四天王を無双した時期あったが、そのまま絶対エースにすべきだった。小川に寝るなど、もってのほか。 四天王と言いつつ田上火山が混じってたのがな…噴火しないと塩っぱいと言ってるような事だし
三沢、川田、小橋、秋山なら誰が勝っても違和感ないが田上が勝つとなったら違和感しかない。むしろ大森に負けても驚かない
四天王初期ならまぁ納得するけど 秋山は馬場が自らスカウトして、順調にお客さんが呼べるメインイベンターとして成長していったから、いずれは社長にみたいな考えがあってもおかしくないよな
馬場からの信頼を得ていて、さらに大きな存在の三沢をトップに据えていたから、その後ぐらいに秋山がトップの構想を存命中の馬場が思い描いていた可能性はあるかも >>579
新日と比べてタレント不足だったと思う
ビッグマッチ連発するならそれなりにタレント必要だけど、スレタイの時代から増えたの秋山、大森、オブライト位だろ
そりゃマンネリ化するわ 一時期、高山もプッシュされました。バートガンを、押し上げると思った割に、重用しませんでした。 オレ自身も田上火山は嫌いでは無いよ。シングルで強敵に勝つと異常に会場が盛り上がるし >>580
その試合後珍しく馬場が腐してて驚いた
「秋山の足攻めは悪くないがもっと技があっても良かった」
「昔のプロレスは(身を乗り出して)熱くなるものがあったが今日はなんか足らんな」
「俺には解説不能だよ。お客さんがどう思うかだ」
マッチメーク権取られた直後だから自棄になってだけかもしれんが あのサソリ固めの攻防(実質レフェリーストップなのに試合続行?)は、いただけなかった。小橋が勝った記憶あるものの、後味悪いでしょうか ハンセンのラリアットを封じる為に左腕を攻めると、小橋の壊れてる膝を攻めるのは似て非なるものというか、何を面白いと思うかというのもあるけど。 >>585
バートガンは、必殺がゴールデンレフトなる所謂パンチだったのが、日本のファンにはウケなかったよね。
パンチは反則じゃないのか!?みたいな空気になっちゃう。 この時期は、色々外人がいたし、ノア初期もバイソンスミスとかいて、それなりに見れたが。 バート・ガンは大技がかなり多かっただろ、ラストスライドみたいなのとか。技多くて楽しかったからゲームで使いまくってた バートガンの紹介は「ウィリアムスをKOした男」という触れ込みだったか。
馬場も「それしか知らない」みたいな事を言ってたな。
それでもあの時期は四天王のライバルになる強豪外人なり外敵を待望する空気は強かったな。
ベイダーが全部持っていった感もあるけど。 >>579>>584
いつも勝つ奴が決まっているから面白くなかったな >>596
プロレスって基本そうでしょ
力道山、馬場、猪木皆いつも勝ってた
面白くなかったのは別の問題 ラクロス→ウルフ→ジムスティール
ウルフ変身時は、ゲームとのタイアップで、プッシュされていた。もうひと踏ん張りほしかった。 >>597
GET結成時にエースプッシュが唐突に始まったが本人のスキル不足のためかすぐ無かったことにw ウルフの試合を解説してた馬場がヘッドロックしてるウルフを見て
「この人はこういう時に足が閉じるでしょ?体の使い方をまだ分かってないんですよねぇ」
とか言ってて結構そういうとこ見てるんだなと驚いた 馬場のプロレスにも暗黙の基本の動きがあるという意味合いの解説は良かったな ガチじゃなくてもガチを装うのは大切
ただ必殺技を故意にロープ際で使って、カウント2で相手にロープブレイクさせるのには乗れなかった
わざとらしいんだよねw >>600
寧ろ馬場の解説って、一般じゃ分からない点を言ってくれるトコに味が合ったと思うが 三沢の花道演出の提案を突っぱねた元子だが数年後の川田武藤の武道館で花道演出をやったのは何故かな 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、的な
何言われても修復不可能な間柄だったのでは? 秋山のサソリの試合で三冠奪取で良かったのに。あの時点で四天王みんな巻いていたんだから
新時代到来で良かったのに。結局全日での三冠が巻けなかった秋山。 そこから2シリーズ後くらいに小橋秋山組が誕生するから
あそこで小橋を秋山の下に出来なかったんだろう 小橋秋山も、短かったはず。互いに新パートナーで迷走か。 小橋のパートナーに志賀って不可能に近い人選
小橋のパートナーの座が志賀に務まると思っていた人ってどれくらいいるんだろ それ以前に志賀が何でプロレスやってるのかが疑問
確か志賀はゲームのモーションキャプチャーでタイガードライバー91喰らって首駄目にしたんだよな >>611
首を痛めても痛めなくても結果は同じだったと思う
練習熱心らしいけど練習と出世は比例しないことを証明してしまった
玉砕ファイトの時は良かったけどそこから次の段階に進むのが難しいんだよな、菊地も浅子も志賀も 秋山の志賀いじりは、最低だった。後年、志賀がパンチ頭でキャラ変したのも、意味不明だった。 志賀は実際は難病での欠場だったはずだけど。
それとは別にタイガードライバー91のモーション録りで怪我した論がデマなのかは不明。
マットが柔らかすぎて逆に痛めたとかもっともらしい情報もあったけど。 これらの流れの中で、小川が現在も現役なのには、恐れ入る。デビュー当時は、脱臼癖で、欠場が多かったのでは。 5強時代に突入してからはエースはしょっぱいし大森と多聞をプッシュしないからマンネリ
99年にノーフィアーが世界タッグを獲るまでは面白くなかった
三冠は5強の中で回しているだけ(秋山は挑戦するだけで戴冠しなかったが) >>616
GETとかTOPとかあったけど結局いつものメンバーでチーム作ってるだけなので見てて全然ワクワクしなかった >>612
菊地は悪役商会、浅子はノーフィアーと自分の立ち位置を見つけたが志賀は殺られ役から脱却できなかったのがいたい。
だいたいジュニアクラスなのにヘビーでやらせること自体無理がある。これは、志賀に限ったことじゃないが。 どんな選手でも相手の必殺技を受けたら3カウントが入るかもしれないという緊張感が四天王プロレスが続いて無くなってしまった感。
リングアウトや反則決着は無くしてもいいから、一瞬の丸め込みだったりタイミングでの3カウントはもっとあっても良かったかな。
小川の四の字ジャックナイフとか。秋山も秒殺みたいな試合は時々あったけど。 全日本後期の反省を踏まえて、ノア開幕は、秋山が色々魅せてくれた。しかし、すぐに急降下する。 三沢社長時代は色々と変わりつつあって結構好きだったけどなあ。
もう少し続けてほしかった気もするけど、株もグッズの利権も元子が握ってたのなら流石に難しかったかな。
ノアはノアで天下を取った時期もあったけどさ。
他の四天王達のように三沢が無事に引退して思い出を語れないのはつくづく残念。 >>619
新日は必殺技をキックアウトしないのに四天王プロレスは必殺技でも当たり前のようにキックアウトしちゃうからね
どうせ決まらないんでしょと思ってしまう >>621
ノアは武道館に戻ってから急速に全日本のデッドコピーになったからな
表面的な厚化粧と新日本の弱目に付け込めただけ >>623
デッドコピーってw
全日本は94年までは面白かったけどそれ以降は三沢がマッチメークするまでは金太郎飴だったろ…
ノアになって三沢は最後の選手としての仕事を終えて小橋に繋いで安泰だったはずなんだ… >>625
2人のセンスに差がありすぎるからコンビで上昇は難しいな
漫才コンビだって片方だけ売れるパターンが一杯あるし >>624
武道館体制が更に強化されリーグ戦を無くしたのでメリハリが無くなった
組合の発展だから成員の立場が中心でドンドン高齢化
更に小橋の絶対化が進行し過ぎて組織としてのバランスを壊してしまいしかも欠場がちだからますます悪循環に陥った 大森って見た目がイケメンでデカかったから期待されすぎたと思う。
それがデビューしてからいつまでもネックブリーカーばかりやって最後は負けるから塩認定されたんじゃないか?ノーフィアー後期からはそんな塩でも無いだろ
まぁノアになって垣原にいきなりサンドバッグにされて泉田、池田に負け、小橋にボコられて喧嘩売った橋本にもコテンパンにされたりしてたから仕方ないけど。
だけど橋本にコテンパンにされた試合でプロレス紙の表紙を飾った気がする 大森は身体もデカいしルックスも悪くないし秋山の同世代ライバルとしての期待は大きかったと思うんだよな。
でもWJに行って天龍長州からシングルで勝って、ゼロワンを経て全日本プロレスに戻ってから秋山と再開して三冠やチャンピオンカーニバルも優勝して今も元気なわけで。
レスラーとしてはむしろ成功の部類なのかな。 >>612
> >>611
長身で骨太の志賀は伸びしろあると期待されるよ
病気だったり怪我だったり不運だったた ノーフィアー決別のタッグマッチでひたすら高山に大森がボコられてたけど
何もあんな試合内容にしなくてもなぁ
大森高山に多少の格の差は当時生まれてたかもしれんがそこまでではなかっただろうに 大森さんがイマイチなのは同意だけど(でも橋本を迎え撃ったシングルは良かった)、垣原からのアレに対応できなかったのを叩くのはちょっとね…事前に話を通さないであんなことするんならシュート仕掛けてるのと何が違うんだっていう 大森は強さが足りなかった
なんて書くとプロレスに強さとかwと書かれるだろうが…
橋本に蹴られて目が飛んでるんだよな
秋山はすっこんでろと蹴り散らされそうでも向かっていく強さがあったのに対して大森は目が飛んで痛みから逃げるしかできなかった
あれだと少し攻められただけで展開飛ぶから強めの試合は出来ないとなるからね… 高山は総合参戦の度胸をプロレスに還元できた
垣原の連打はちょっとだけやりすぎで
ぎりぎりプロレスの範囲内に収まったりはみ出したり絶妙な塩梅だったと思うよ
大森さんが巨体に物言わせてアメフトタックルで垣原ふっ飛ばせばよかったのに
力皇が村上を相撲のぶちかましで吹っ飛ばしたり
健想が村上をラグビータックルで吹っ飛ばしたり
ワシはそういう場面が大好きなんじゃ 大森はドラゴンスープレックスのフォームだけはカッコいい >>636
ドラゴンスープレックスとドロップキックだけ見ると武藤に見えたよ… 大森がレッスルマニアに参戦した時にそのビジュアルから現地では「ムタか?」と言う声があがったらしい。
大森の気の小ささを揶揄してスイミングアイとかいい人とかネット界隈では言われてたな。 大森はダイビングニーもダイナミックで良かった
大森と垣原なら間違いなく垣原の方がいらなかったから余計な事してくれたよな 大森がダイビングエルボーで、マイティを失神させたけど、アングルだよね。 95年ぐらいの大森は成長してたしいい試合多かった
高山が来てからパフォーマンスに力を入れるようになってしまった 東洋水産のでかまる党に当選して党首にまで就任してるよな。
なのにあまり話題にならなかった…大森って名字の党だっけ?しかもスタッフが勝手に応募したという。母親がジャニーズ事務所に勝手に応募してジャニーズJr.になったみたいな経緯だし 大森のピークでもありベストバウトでもあるのは2000年チャンピオンカーニバルでの秋山秒殺だよね 秋山、大森と同時期に入門した青年がパンフレットに紹介されていたな。
https://i.imgur.com/mwNiXj7.jpg >>645
高校卒業後すぐ入門して5ヶ月くらいは居たのか
体重94kgはかなり盛ってるな バックボーンが剣道とは珍しい
プロレスに活かせる技術あるのかな
大森さんのアメフトタックルなら垣原吹っ飛ばせたのに バックボーンの強み活かせば相手倒せるなんて都合のいい幻想はレスラーがMMAリングでボコボコにされてとっくに消滅してるだろ
結局垣原に手も足も出なかったのが現実 >>641
大森は高山と組む前にもっとガンガンやりあうべきだった
珍しく敵愾心剥き出しにしてたのに 剣道やっていたのなら二代目ケンドーナガサキを襲名(正確には三代目か?) 大谷翔平がプロレスラーに転向したら192㎝92だか94㎏で220㎏持ち上げる最強のジュニア戦士になる。 183センチは少し全日では小さい感じするが良い顔してると思う
デビューできてればまだ現役だったかもしれないのか 大森さんは大学でアメフトやってたのにインタビュー時に「アメフトって何人でやるん
でしたっけ?」と聞かれて答えられなかったのを思い出す >>654
何て残念なエピソード…若かれし大森は静止画だと本当にオレパン(赤含む)時の武藤に似てたなぁ
あの体格とルックスで化けなかったんだもんな
奥さんの旅館業と兼任でレスラーしてたり、ちょっと良く分からない感じだったな >>645
92年7月の松戸市運動公園体育館で守光がセコンド業務してるところは目撃した
秋山、大森がデビューする前後あたりで辞めちゃったんだろう >>656
守光さんがデビューできたら92年デビューは4人と豊作だったな
だいたい一年に一度のペースだもんな >>647
船木がパンクラスで変な構えしてた時あったけど、ちょっと前のインタビューであれは剣道の構えだったって言ってたの思い出したw 旅館業務に対応できなくてスイミングアイになってる大森さんが目に浮かぶわ 素人の旅館のお客様を数人相手にするのに泳がないだろ。撮影されてるわけでもないし
とんでもない大物でもくれば泳ぐだろうけど 剣道殺法プロレスラー見たかったな
手刀に応用可能だったんじゃないか オレが観に行った92年出雲大会
三沢川田小橋
vs
田上渕小川
結果当てられる? >>663
田上、渕、小川に対して三沢、川田、小橋はバランス悪いな。
超世代軍は菊地を入れなきゃフェアじゃない。 >>663
これ、田上が小橋を押さえたんじゃなかったっけ? >>665
そうそう!まさか超世代が負けるとは。
山陰は三沢が前年最強タッグで川田にボコられてやすんで、この年は脱臼してたんよ。だからちゃんと動く三沢をナマで見られたのは随分後 地方興行の結果を覚えてる我らがプヲタ…興味ない人からは冷ややかに見られるよねw
俺も週プロ、ゴングの誌面で写真特集してない地方興行なんかを白黒ページのトコで結果追ったりしたなぁ >>662
埼玉プロレスに登場した『アステカ・ケンドー』というレスラー?がいましてね… >>657
守光くん、どこかのインディーに再入門とかしてないのかな? >>657
81年(T後藤・滝沢・高野直樹・三沢)、88年(田上・小橋・菊地・北原)は
4人デビューしてた。
88年は新日より多かった(鈴木みのるのみ)。 田上が三冠奪取した時のダイビングネックブリーカーをキャッチしての喉輪落としは格好良かったな
この頃は格闘ゲーム最盛期だったからリアルギースハワードって感じで >>672
たしかチャンカンの公式戦では三沢のダイビングネックブレーカーで敗れていた田上が研究して切り返したと週プロには書いてあった
この年は札幌大会2連戦だったが初戦は客入りが悪く満員にもならなかったらしい
その初戦は秋山が川田からスリーカウントを奪い世界タッグを奪取するという当時では衝撃的な大会だった 98年俺が馬場なら、秋山サソリ勝利で、秋山大森組最強タッグ優勝で秋山時代にするけどね。 >>676
デルフィンと浪花を呼んでも第一試合でそのシリーズにデビューした丸藤と当てているんだもんな
全日ファンだった俺でもデルフィンと浪花に失礼だと思うわ
デルフィンなんて新日のリーグ戦で準優勝した実績があるのに 三沢が復帰前のインタビューでデルフィンや邪道外道について
「扱いが悪い。社長が小さいの好きじゃないのはわかるけどやる気を出せせるってのも必要だと思う」
世界ジュニア王者決定リーグ戦が第2、3試合でやってたこともかなり批判してた
ずいぶん言うな~って思ったよ デルフィンは子どもお年寄りにも喜んで見てもらえるプロレスと言いながら
試合自体は基本的な組み合いのルチャで好きなんだよね
拳王が諏訪魔に張り手一発で幽体離脱させられたの見ると
丸藤対ケンタを小さくてもトップになってもいいと肯定した三沢が間違いで
デカいは強いの馬場が正しかったんじゃないかと思うね >>680
気に入らないなら呼ばなきゃ良いんであって、呼んでおいてあの扱いは無いと思うよ >>676
小橋はデビュー時はよかったけど、膝を壊してからは、難しいポジションだったと思う。ラリアットで絶対王者君臨だったが、秋山の芽を摘んでしまった感が強い。 >>680
邪道が三沢に今の扱い酷すぎないか?と愚痴ったのは覺えてる 藤原組長呼んだ時も最初は第一試合とかだったような。
一回だけその後に川田とタッグで当たったけど。
藤原「川田って誰だ?あんなキック俺には当たらない」
川田「俺の言う通りに書いてくれよ。人の名前も覚えられないような老いぼれ爺は全日本のリングに上がってくるな!」
みたいな試合前に舌戦があった記憶。 元子全日の時に藤原がエントリーされて川田とシングルしてたな
後楽園のメインになってた気がする
普通のフロントハイキックで組長がピン負けしてた 第一試合は馳
高山は武道館のセミ
藤原は札幌2連戦。相手が本田多聞&浅子なんて藤原に失礼だわ 藤原は、テロリスト以前は、前座でも試合が面白かったかどうか微妙。第一期UWFで、大格上げして、扱いにくいレスラーになった。 相手よりもマッチメークが中途半端
初日6人タッグで本田と組んで渕と対戦
翌日渕と組んで本田と対戦
2日目は藤原vs菊地あたりのシングルでよかった
翌年のハヤブサも変なタッグが続いたし 高山はやっぱりデカいから馬場は気にいったのかな。
でも、負けっぷりも良かったしその後の大成を考えれば正しかったとも言える。最終的にあんなことになってしまったのは残念だけど。 >>692
ハヤブサ&人生で小橋と対戦するまではハヤブサも人生もよく分からんタッグ組まされていたし。
マッチメーカーが下手だったんだろうな。 >>690
多聞はともかく浅子なんて藤原に失礼だわ ハヤブサの時もそうだよ、リーグ戦やっているからとはいえモスマン&浅子なんてハヤブサに失礼だわ。FMWのトップの選手なのに 人生出場のチャンカン
最下位は人生に唯一白星を献上した大森 ちょっとずれるが、力道山メモリアルだったかで、百田井上シングルは、弱りました。 馬場も全日本プロレスはそんな甘い所じゃないよという気持ちだったのかね。まずは前座でどれくらい出来るか見せてみろ的な。 ハヤブサ&人生も最強タッグわずか2勝勝ち点4で最下位だもんな
熱戦だったとはいえ大森&本田に負けたのは意外だった 国際プロレスにも、惨い扱いだった。そこから這い上がった、原と井上は大したものかも。 馬場は高身長主義に凝り固まってたのに、そんな中で川田が重用されたのは、そんな馬場の固定概念を吹き飛ばすほど川田がプロレスうまかったのでは?…と予想。 川田は前座で連敗記録作ったり、海外遠征でパッとしなかったのに、天龍同盟加入で化けた感ある。 >>703-704
川田をタイガーマスク2号にする話が実現直前だったから
ジュニアのスターにする気ではいたんだろう
ただしヘビー級で四天王まで行ったのは想定外だったかもしれない >>703
なんだかんだグッズの売れ行きが最終判断だった
三沢が圧倒的で小橋と川田が競ってたんじゃないかな?
馬場は田上を上げたかったのだろうがグッズの売れ行きで上げるのは諦めたんじゃない? 三沢>川田、小橋だが、タイガーマスク後期は、故障のせいで不甲斐ない印象。 >>700
ジャパンプロレスには随分と気を遣ったのに最後は契約違反で泥ぶっかけられたよ 馬場は開放路線とかドーム興行は本当は不本意だったのかも。今泉Pからご意見するのが面白くなかったみたいでって、今泉Pも認めていたから。馬場商店の限界だったのだろうけど。 開国路線も始まりは三沢と川田がそれぞれ「もう鎖国してる時じゃない」的な事を訴え始めてからだったような。
それから川田のUインターへの参戦の話から開国が始まったんだっけ?
あれも元はハンセンへのオファーを川田田上でもいい?って馬場が言って進んだ話だったような。 >>703
小川直也やイリューヒン・ミーシャ相手に普通にいい試合を成立させられるレスラーが、全日本プロレスの歴史の中に何人いるだろうかって話ですよ 90年から92年くらいまでみたいに武道館は年4回とかにして、大阪、横浜、名古屋、札幌、仙台辺りの地方の7000人規模の会場や、稀にタイトル間開催していた松本、石川、新潟辺りの会場辺りも大切にしていればよかったと思う。
94年くらいからシリーズの最終戦は武道館みたいな風潮になり、テレビ中継も30分枠になり後楽園と武道館しか放送しなくなり、タイトルマッチも武道館に集中してしまい、団体として右肩下がりになっていったように思える。
後は、馬場の死だな。馬場は自分が生きている間はテレビ中継はなくさないように日テレと約束していたらしいし。 >>679
一方のサスケは新日で超破格な扱い受けてたよね
ライガーいきなり寝かしたり初挑戦でIWGPジュニア取ったり >>703
普通に川田の人気高かったからだろ
馬場が体格より上手さ重視するなら小川は三沢政権になる前に上に行ってた 馬場「◯◯は身長と体重がちょっと足りないんですよ」
カンナムとかよく言われていたな。 >>710
Uインターの鈴木健が川田じゃ客呼べないって馬場に言い放ったんだよな >>713
初挑戦は95年保永に負け
ドームとはいえ第2試合で内容も乏しかった ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーを迎え撃つ、鶴田+四天王+秋山の頃の全日は凄かったね。
これぞプロレスの試合ってカードだらけだった! >>716
それって鈴木健が川田を何故か知らなくて、田が呆れていたとか。 >>718
個人的には、鶴田と秋山に一時代を築いてほしかった。馬場が鶴田を抑えて、四天王が秋山を抑えた印象ある。 高田が報告受けて「何いってんの?川田が良いよ!」って言ったんだよな
鈴木っていつも自分上げばっかしたがる胡散臭いやつでしょうがないわ
みんなが恐れる馬場にも引かなかってって自分で吹聴して回るもんな それでもあの時代に全日本の開国路線の初っぱなを取れたのは無知で怖いもの知らずだったからこそなのかな。
その前の一億円トーナメントの事もあったから馬場が「高田とだったらやってもいいよ」と言ったのは意外だった。 >>718
確かにね。
無駄な試合がなくハイレベルだった、
この時代ならゴールデン放送でもたかい視聴率取れたと思う。
プロレスの醍醐味が満載だったし。 >>725
超世代ブームで若い女性ファンを中心にライトなファンが獲得できたし、日テレもプロレスニュースとか、放送にメリハリつけたりして視聴者の取り込みの努力をしていたからな。
新日本よりも確実に支持されていた時代。
新日本がWAR(天龍)と対抗戦やり始めた辺りで逆転された感じかな? いつぐらいから、小橋のプロレス=下手くそみたいな構文て出来た?逆に川田がいちばん上手いという風潮。
どっちも好きだったけど 小橋は、ガムシャラが売りで、元々プロレスは上手では無かった。 小橋、表情(表現)良かったじゃないの。
ああいうトコもプロレスの上手さだと思うけどな。 川田は天龍が原の後釜に据えた事でメイン格に引っ張り上げられた
馬場が評価してたというよりは天龍が引っ張ってそれを維持してたイメージ、あと完全な生え抜きだし 小橋が表情とか感情の出し方とか猪木を参考にしていたと言うのは結構意外だった 小橋はフレアーやビガロみたいに、箒と試合をやらせるのは向いてないけど素質のあるレスラーを光らせるのは抜群というイメージ
体調が万全の時に中西と絡んでほしかったな でも小橋は引退試合でも勝ちブックを得るのは何だか
便乗して田上まで勝ちブック貰った時には笑った >>722
引かなかったどころか、馬場に殴りかかって京平に止められたとかインタビュー本でムチャクチャ言ってたよなw 引退試合でキッチリ負けたのって天龍武藤以外に誰かいたっけ
勝ったのは猪木小橋大仁田冬木まで思い出した 引退試合が負けての世代交代マッチか、花相撲路線かはまあそれぞれだろう。
スレ違いすぎるけど、猪木の引退試合は小川直也にしておけばなと思う。
ドンフライ相手の猪木ショーで終わらせたのは少し残念だった。
まあ、引退試合が出来るだけ幸せなんだろうけど。 >>736
長州は5人がけで飯塚か誰かに負けた気がする 良い試合なら負けても評価は下がらないとか言っても、当のレスラー達は勝ちブックに拘るだろう。引退試合でも負けるのは嫌なんだな。 木戸の引退が思い出せない・・・。あと、石川は引退試合しただろうか? >>736
マサ斎藤
自分が発掘したノートンに完敗 阿修羅原も引退試合で天龍にピン取られてたな
まあ対戦相手がトップの選手だったら辞める方が勝つわけにはいかんやろ、やっぱ大仁田ってクソだわ >>740
木戸は、木戸&長州VS藤波&木村健悟で時間切れ引き分け
引退試合で負けブックって最近の傾向じゃね?
長州だって現役相手に五人掛けで4勝1敗だよ >>737
猪木vs小川の予定が小川が負け嫌がったからフライになったって噂はある タイトルマッチでとかチャンピオンに勝って引退でもない限り勝敗はどっちでも良いけどなぁ 猪木の最後のトーナメントは多分万人が小川に期待してた >>735
そもそも頭がおかしいんだろうな
大江が協力することを一人だけ反対してたし 猪木引退試合で小川が負けるとか絶対にあり得ないしなwフライでも違和感しか無いけど
流石に引退する人間が元金メダリストに勝つ訳にはいかないよw 予定調和を嫌う猪木らしいけど本当はプロレスファンが見たかったのは藤波とのシングルだと思う。藤波はその日健介に勝ってIWGP取ったけどさ。 >>730
序列的には冬木だが馬場が川田を当てたとも
川田は馬場の付き人でもあったし
川田としては昭和の内に三沢に先んじて武道館のメインに出た事がとにかく大きい フライは試合当日の朝まで飲んでたからものすごく酒臭かったって猪木が後日談で語ってたなw >>712
めっちゃ納得。あと93年からのチャンカンがワンブロック制になったことでカードがいつか尽きる・・と感じた。
鶴田がいなくなって焦りを感じたんだろうか。シングルの大会は2ブロックを保っていってほしかった。 >>753
馬場「カードが尽きたらリーグ2巡すればいいだろー」(葉巻を吸いながら) あのウルトラセブンって円谷プロからどんな風に思われてたんだか知りたい
あれは泉田のペイントと同じ位酷いが当の本人はまだ現役で今でもウルトラセブンなんだよな
息子もプロレスラーだし >>755
97年はそれを止めてもらう代わりに三つ巴を呑んだとも言うな >>751
この時期、タイガーが故障のせいで、低評価だったか。 リングアウトでも公式戦で五輪コンビに勝ったので翌年に世界タッグにも先行挑戦出来たんだよな >>759
97年は最強タッグの参加チーム多かったからな。たしか、10チームくらいは出ていたと思うけど。
出場チームが少なかったのは93年。8チーム。これは、2回戦総当たりの96年の7チームと対して変わらん。 >>757
昭和57年当時のウルトラマンシリーズは「ウルトラマン80」の放送が終了して次なる展開を模索していた時期。
そこへ全日本プロレスからウルトラセブンの名称と意匠を使いたいと申し出されたら二つ返事で了承したのではと想像する。
過去にメキシコの選手に勝手にウルトラマンの名称と意匠を使われたことと比べたらきちんと手続きを踏んだ全日本の誠意には快く思ったに違いない。 90年の分裂直前が詳しくないんだけど、何であすなろ杯で冬木川田田上小橋高野あたりが横一線だったの?川田冬木って6〜7年先輩でしょ?冬木なんて三沢の同期なのに。でフットルースも何で冬木にばっかりブーイングなの?? 全日は選手余らしてたキライはあるね
馬場の外人偏重に加えて国際と維新軍の残党まで抱えて上がつっかえて若手を伸ばせなかった感ある
その点新日は定期的に出ていく人がいたから… >>765
冬木が相手の技を受ける役してたから客からは弱く見られてたんだと思う
んで冬木が受けまくった分川田が出れば攻守逆転になるから余計に 泉田はキマラとのタッグに合わせてボディペイントしたわけだがそれを本人が悪のりしてバカ殿メイクで秋山からブチ切れられ馬場に怒られる始末 一度、冬木が三沢タイガーに刃向かうアングルあったが、すぐに無かったようにタッグ組んで失望した。 志村よく全日来てたからサービスのつもりだったんだろうけどバカ殿フジ系列やんけ
そら馬場も怒るわ >>762
2回戦総当たりの頃から選手が可哀相になってたまにしか見なくなった・・
同じカードばかりで悲壮感しか感じなかった >>771
同じメンバーでやればマンネリになるが、新しいメンバーを入れれば違う遣り方を模索する事になるけど、そうなると四天王スタイルは必然的に変わらざるを得ない訳で、それに客が納得するか否かが読めなかったからとか。 ベイダーが来てから今までの30分台の重たい試合展開から徐々に変わってきてたのに解散してしまったのは残念だった そうなんだよねー ノーフィアー、ベイダーの登場でマンネリが無くなったころに解散・・・
なんともついていない 宮戸なんかオブライトはUWFがきつくなってきたから全日行ったみたいなこと言ってたが
全日のほうが困難だったろう
もっと全日でのファイト見たかったがコンディション落ちていったのは残念だった 99年の新春ジャイアントシリーズから対戦カードの流れがガラッと変わったね
確かシリーズ中盤で小橋対ベイダーがあったり
最終戦のカードがベイダー対秋山のシングルになってたりしてた
試合時間も15分前後で決着してたし >>773>>774
「解散」なんかしていない、言葉は正確に使いなよ >>776
そもそもベイダー相手に30分とか
闘ったら身体持たんよ、普通 >>776
三沢のマッチメイクでしょ
ハヤブサ&人生のアジアタッグ挑戦なんて 三沢が馬場からマッチメイク権譲られたというかやらせてくれと言ったて話はなんかで聞いた
それで余計に元子との関係もこじれてそうな気がする 馬場が健在ならばノーフィアーがノーフィアーできるわけないからな 馬場が最後のドームで人生とハヤブサと絡んだ試合は素晴らしかった。
馬場ってほんとうにプロレスが上手いんだよな >>788
馬場のはず。
同期で同年だから敢えて組ませて切磋琢磨させて互いに成長させる為に。
でも最初の段階で差が付いてしまった。 >>788
そりゃ三沢よ
サマーアクション2からマッチメークやってたんだから
馬場だったら無難にオブライト&高山とかだったろう
>>789
大森と高山は同年齢じゃないよ 三沢小川組を見て俺もああいうのしたいとベイダーがスコーピオとのコンビを提案してきたが
三沢は「それをしたいならスミスと組め」とベイダースミス組で最強タッグ出場と世界タッグ挑戦
ただベイダーはあんま乗り気じゃなかったのか世界タッグ戦の前にスミスと仲間割れみたいな試合してウィリアムスと握手したりしてた 小橋のムーンサルトは三沢と川田を仕留められなかったのが痛いな
田上もタッグのみで三冠の時はダイビングギロチンだったからな >>791
それがアナタの妄想な。発表しなくていいよ >>792
馬場が「山」が一緒ということで秋山・大森にしたいところ高山・大森にしたというのは有名な話だよね シングルプレーヤー同士が組んでも10や100の力は出なかったりするじゃん?そのクチかもよ
でも実際どうなの?プロレスって事で楽しんでる所あるけど、実際に組む事で個の力以上出し合えたり、何かしらケミストリー産まれたりとか有るの? 馬場さんが生きてたら秋山はどのタイミングで三冠戴冠だったんだろな?
丸藤がヘビー転向とかKENTA杉浦が入門とかできたんだろか? CSで久しぶりにバイソン・スミスの試合見たけど体も大きいし結構良いレスラーだったからこの頃のハンセンと組んだらきっと面白いチームになったろうなと思った >>800
KENTA、小林姓で入門済だったかと? KENTAは1999年入門らしいから馬場の死去直後じゃないかな >>694
人生は初戦が秋山&馳、2戦目にはハヤブサが辿り着くまで時間が掛かった小橋との対戦に早々に辿り着いたし、
扱いは高山に次いで良かった方でしょ。
タッグ対戦も然ることながら、その後徳島でタッグ結成(馬場&人生&浅子だったかな)までしてるし、ハヤブサよりも扱い良かった。 馬場が居る売店前に来て合掌のみで参戦決定だからな。
あんなんよく馬場許したなってレベルだったけど、ハヤブサに関しては参戦初戦の試合「見ていない」だったから、差はあったな。 新崎は三沢と60分1本勝負のシングルで対戦してるのも高評価だな
全日本では45分1本勝負とでは全然違うらしい >>805
さすがにそれは誌面作りだろ
あとデルフィンの扱いがやたら悪かった記憶 馬場全日は軽量級は基本的にレスラー扱いされないからな
元子とか大っ嫌いだろ >>808
嫌ってはいないでしょ主役はヘビー級という信条があるだけで
軽量級をあからさまに嫌ったのはブロディ >>776
小橋ーベイダーの横浜文化は凄い入りでした >>805
「部外者」がどうやって会場の中に入ったんだろ? >>805
俺の記憶ではハヤブサが参戦する前のシリーズあたりで、
馬場が解説でハヤブサも来ますからねーとなんか嬉しそうに話してた記憶があるんだが 川田と田上の合体テーマ曲はかっこいいな
但しオリジナル音源に限り
田上のカバーはレベルが違いすぎて >>810
ブロディもダイナマイト・キッドや藤波はチビでもOK
嫌っていたのはマスカラスと長州
キッドは「信じられないかもしれないがフランクはとても紳士で
おれにはいつも良くしてくれた」と回想していた >>815
キッドの試合見たブロディがこのスタイルは俺には出来ないと舌を巻いたぐらいだからな スカイウォーカー・ナイトロン
ブレイドブッチ・マスターズ 菊池ってヘビー級外人選手とシングル、誰かとやったことあるっけ?ハンセンはあったような曖昧な記憶 ハンセンとはtvで見たような見てないような…
92年はチャンピオンカーニバルに出場したから意外な外国人とシングルやってる
ゴディ、エース、ファーナス、キマラ2、ディートンあたり
ハンセンとウィリアムスは別ブロックだった ハンセン対菊地
福澤アナが当時ドラマで流行ったセリフ「ボクは死にましぇ~ん!」を絶叫していたな。 菊地対ブッチャーのシングルもあった
あと小川対ブッチャー >>822
ずっと小川が上やろ
たしかに超世代軍の頃は人気は上の時期あったかもやけど 世界ジュニア挑戦、アジアタッグ挑戦&戴冠、最強タッグ出場など菊地が先 この頃の菊地は「あいつは頑丈みたいだから多分何やっても平気だろ、よく知らんけど」
みたいな扱いを全方位から受けてたイメージだ 小川は全日時代末期に三沢に引き上げてもらうまでパッとしなかっただろ。 この時期に、北原が残留していたら、どのポジションに? 多分だけど馬場の評価では人気は菊池、実力は小川の認識あって、集客につながるタイトルマッチに菊池を多用するけど取らせない、で実際に渕からジュニアをもぎ取って世代交代する役目は小川が果たすみたいな感じだったような。 菊池と小川では実力的には小川の方が上だったイメージ。
テレビマッチで菊池が勝った時も一方的にやられて、たまたま丸め込みで勝ったみたいな試合だった気がする。 >>831
でも初戴冠の時は小川の時はクロファットを挟んだのに、菊地の時はわざわざ小川から渕に移してから菊地に取らせている
ま、何かの意図があってそうしたんだろうけど 小川vs渕て試合あったっけ
極力同門対決させない意向だったんかな 同シリーズで小川→渕→菊地の聖鬼軍ベルトたらい回しはよくわからんな 菊地も大量離脱の時に残留した功労者だから、一度でもシングルのベルトを巻かせてあげたかったのだろうけど遅すぎた。 菊地はある意味小橋以上にやられている姿が魅力だったからなぁ
しかし渕戦でのバックドロップ連発負けってどういう気持ちで受けたんだろうな 田上が意外とエグかった気がする。
秋山や菊地相手にテーブルクラッシュのホイップしたり、場外マット外してパワーボムや喉輪落とししたり。 菊地って間近で見ると異様にごつくて重量感あるのに
バランスボールのように軽々扱ってた鶴田はどれだけ怪力だったのか 何年もやられ芸以上のキャラクター性が作れず、一周して芸の無いキャラクターと言う扱いになり(馬場からもそう言われていた)、
それが更に一周して新日本との対抗戦では打たれ強さに変わってたから、面白い選手ではあったな。 菊地もゼロ戦キックとかゼロ戦スタナーとか火の玉ボムとか意外とオリジナル技多かったな ゼロ戦と名付けるのが玉砕をイメージさせて効かない技としか思えなかった。 >>850
テレビで見てる時は弱いチビだと思ってたけど実際に間近で見てゴツさにビビった。
リアルで知ってる誰よりもゴツかった。
ガリガリのイメージのある志賀あたりで恐らくリアル知り合いで一番のムキムキだったと思う。 ライガーは全身タイツなので筋肉見えなかったが脱ぐとムキムキで驚いたな。 小川が冷や飯食いのまま、長らく辞めなかったのは、雑用係が必要だったからか? >>829
観てたオレはカッコイー!にはならないぞ。ただのプヲタ イチローでも細く見えるけど実際に近く行くとゴツ過ぎて驚く。
ってか相撲中継にタイチが前例で観戦してて笑った。 四天王プロレス激化の兆しは田上の断崖式喉輪落としだよね >>850
誰も「観てはオレはカッコイー!」なんて言ってねえよ
勘違いすんなバカ 断崖技が出たしてから、ゴロゴロ休憩が増えだして
試合のクオリティは下がった。 >>853
あの技は元子にアドバイスされて始めたやつ
あの技でるたび飛び跳ねて喜んでた 投げっぱなしジャーマンとかやり始めた時点で限界点超えているから行き詰まるのは必然だった。 投げっぱなしジャーマンはUインターが始めたんじゃなかったか。
フリーノックダウン制で休み放題で。 >>855
ゴングと週プロで名付け合戦やってた
誰だったか忘れたけど奈落喉輪落として言ってた週プロ側の記者、落の字が被るから良くなかったと後年反省してたな そう言えば田上の高角度喉輪落としを若林アナは最初ネックハンギングアームボンバーと呼んでたな。
技名も初出の時は結構ブレがある。
新技の命名とか記者がつけたり本人がつけたり色々あるんだろうか。 95年頃の三沢、小橋対川田、田上の40分以上〜60分時間切れ引き分けの試合は重たかった 読売テレビの山本アナは三沢のローリングエルボーを「スピニングエルボー」と言っていた。 ブレーンバスターをバーティカルスープレックスという水本アナ 健太ッキーボムのことをストレッチボムとか呼ぶアナウンサー何なの? つーか健太ッキーボムって呼んだアナウンサーいたんか >>865
ローリングだったら前転しないとおかしい。スピニングで正しいと思ってた。 >>869
スピンキックだしな。
これは、山本アナが正しいわ。 >>866
水本アナ
コブラツイストをアブドミナルストレッチと実況していたな。金子が真似してアブドミナルストレッチ言い出したら、グレープバインストレッチと実況し始めた。 >>866
垂直落下ブレーンバスターをバーディカルスープレックスって言ってたな。
キラーカールコックスの得意技だったらしい。
水本アナは多分プロレスマニアだな。アルゼンチンバックブレーカーの元祖は、アルゼンチンレスラーのアントニオ・ロカ。無冠の帝王アントニオ・ロカとか普通に実況してるし。
実況機会が少なかったから残念たが、プロレスアナとしては、平川アナと同じ匂いがする。 エルボー・スイシーダは最初実況でトペ・エルボーて言われてたね >>869
俺も最初はスピニングエルボーが正しいのではと思ったが、三沢の軸足が回転からエルボーを撃つときに移動するのでローリングでも良いかなと思い受け入れたわ。
回転しバックで撃つエルボーは軸足が移動しないのでバックスピンエルボーと呼ばれているからね。 倉持は
ツープラトンパイルドライバー
→ツームストンパイルドライバー
と間違えていたと記憶している。 三沢が初めて三冠取った試合の実況は福沢アナだったな
あの試合に関しては若林アナではなくて福沢アナでよかった思う
あと小橋と菊地が初めてアジアタッグを取った試合も福沢アナの実況でよかったと思う 福沢自体は好きじゃないがあの時代の
アナだからなあ。
小橋がゴディ越えした時も声枯らしてたな。 福澤は好き嫌いはあるだろうけど、アナウンサーとしての技量はやっぱりズバ抜けてたと思う。 ファンニメイワクカケタ。
モウダイジョウブダカラ、
シンパイナイヨ!
ゴディバージョンとスパイビーバージョンがあったはず。スパイビーはアメリカの彼女からの手紙が励ましになっていた気がする。 アメリカから郵便届く前にシリーズ終わりそうだけどな。 >>867
同時期にゴングはストレッチボムと書いていたんだよ
健太ッキーボムもどうかと思うが >>882
副音声で実況ナシの会場音だけをやってたけどそれでも時々福澤アナの絶叫が聞こえてた。プロだねぇって思ったよ。 ゲームではストレッチボム。火の玉ボムとブルーサンダーの違いがよく分からないぜ どれもいわゆるシットダウン系のボム技だけど、
火の玉ボムとブルーサンダーは基本一緒で抱え込みバックドロップの体勢から持ち上げて前に落とす。
ストレッチボムはコブラツイストの体勢から相手の手を股下をくぐらせてロックして持ち上げてから前に落とす。
火の玉ボムは持ち上げてから溜めて落として、ブルーサンダーは素早く落としてるイメージ。
正しいかどうかは知らん。 あぁ、ストレッチボムはコブラツイストみたいなクラッチからのシットダウンボムだったね
ストレッチボムってカッコイイのに小橋以外に使ってるの見たこと無いかも。 >>891
細かく言えば火の玉ボムはバックドロップじゃなくてリバースのボディスラムの体勢からシットダウンボムらしい 火の玉ボムはバックドロップから自分の身体反転させて落として、ブルーサンダーはバックドロップから相手の身体回転させて落とす技じゃないのか
ストレッチボムは関節技とパワーボムの複合技のようでテクい感じがするからケンタッキーボムより好きだわ >>819
92年1月後楽園ホールのスタン・ハンセンvs菊地毅
逆コの字固めで有名な一戦 >>902
冬木のマッチョバディボムも同系だけど、思い出せない。 >>892
スコットスタイナーが使ってた。というか元々スコットがオリジナルらしい
新日でこの技でナスティボーイズのどっちかをフォールした試合があったはず スコットスタイナーの方が先だったけど同じ形で持ち上げて前に叩きつけるだけでシットダウンのボムの形にしたのは小橋が初のはず スコットスタイナーのはストレッチボムの形から前方に叩きつける、ゲームで言うストレッチバスターだよな。
マッチョ何とかはシットダウンじゃないしSKのトルネードボムっぽい技だった気がする ドクターボムがシンプルで好き
ウイリアムスの技にしてはだいぶ見栄え良かった気がする ウィリアムスはバックドロップ解禁してからシングルプレイヤーとして頭角表した感じだが、彼からしたら良い時期に鶴田とゴディが離脱したよな。
鶴田がいればバックドロップを決め技にできなかったかもしれないし、ゴディがいれば殺人魚雷はタッグ屋のままだったかもしれない。
そもそも、ウィリアムスが頭角を表したシリーズも本来ならばゴディの三冠挑戦が予定されていて、ゴディが体調不良でこられなかったからウィリアムスに挑戦の機会が回って来たわけだし。
仮にゴディが三冠挑戦だったらメインではなくてセミだったのかな?もともとメインはハンセン&デビアスの世界タッグだったはずだし。
ゴディが倒れなければ、最強タッグで、ハンセン&デビアス対殺人魚雷が見れたかもしれないな。 >>902
小橋が金子アナにクレーム付けていたな。「福沢さんのモノマネ全然似ていませんよ。ボクはあんなしゃべり方しませんよ。あれじゃまるでバカみたいじゃないですか。」と >>903
ようつべに上がってるのだとデビアスとウィリアムスは組んでる。
敵味方に分かれて対決とかもある。
アメリカマットは状況ぎよくわからんな。 ハンセンが日本では外人勢は横の繋がりはなかったと言ってたな。
それぞれがそれぞれやってるみたいな。
ゴディとウィリアムスは私生活でも一緒に飲みに言ってたけど。
後年ベイダーがジョニーエースが俺達外人勢をまとめてくれたと感謝してたな。
エースはやっぱりそっちの方に才があったんだろうな。 マンモス若林が分裂前に実況に復活したが
「チャンピオンカーニバルで優勝したベイダーと握手をしていたエース!でも我々はそんなベイダーを倒すエースを見たいんだ!!!」
とか言ってたわ 何かの番組でウンナンのどっちかわからないけど試合前の川田に「ウッチャンナンチャンって知ってます?」って聞いたら「試合前なんだからそんな事いいよっ!」って切れられてたな >>908
生稲晃子のときはニヤニヤしていたくせに 川田「チャンピオンベルトって言っても何の事か分からないでしょ?」
アイドル(上がり?)に開口一番、このしょっぱい出だしの会話。。。当時学生だった俺でも うわぁ… てなった >>908
物を投げつけたとか怒鳴ったわけでもないからそれを「キレた」とは言わない
バカかお前は >>908
あと正確には「試合のインタビューじゃないならもういいよ」だよ
プロレスと関係ない質問しかしないからそうなった
日テレがそう仕向けた説があるけど 「キレる」を調べると、感情が抑えきれなくなり一気に露わになる。
とあるから怒鳴ったり殴ったりするのがボーダーラインでは無いと思うよ。嫌悪感を露わにする時点でキレてんじゃね? >>906
ドリーの後はエースがブッカーだったらしいな 当時の川田は天龍リスペクトと言うか、無骨で一本気な男みたいなキャラだったからな。
あまり浮わついた対応は駄目だと思って塩対応をしたんじゃないか。 >>910
生稲晃子がゲスト来たとき真夏の体育館だったから腋汗が凄くて福沢に見せてたな 常盤貴子は永源の唾がジャストミートして泣いていたな 川田、著書では今も生稲晃子のファンで、昔はお世話になったと書いていたな。 >>908
学生のとき、あの番組はクラスの大体が見てたんだけど、その川田が出た放送のみんなの感想が、プロレスファンは「さすが硬派の川田」みたいな事言ってて、それ以外の一般層は「なんだ?あの襟足チョビ伸ばした小デブがえらそうに」って話してたの思い出した。 たんが混じってないとあんな飛ばないし…気持ち悪すぎる やっと立てたのでよろしく
【キッド&スミス電撃移籍】昭和の全日本プロレス127【ブリティッシュ・ブルドッグス】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1679225759/ >>916
それが数年後のハッスルで見事な芸人との絡みを披露するとは
HGを秒殺した後のマイクで「HG、お前は芸人としてもプロレスラーとしても終わったな、ハッスルにはRGだけいればいいんだよ」
しかしこのマイクが見事に的中しHGは本当に芸人として終わりRGが躍進する結果に >>899
後に小島もストレッチボム使ってたね
あとあんま効くのか分からん
ライディーンバスターw ゴディ、ウィリアムスのシングル対決って何回やった? >>932
あの時のチャンカンの目玉はゴディvsウィリアムスとデービーボーイ・スミスだったが、両方とも微妙だった ゴディとウィリアムスって組む前はライバル関係だったんでしょ?日本来る前だと思うけど >>915
連れて来た外国人がイマイチだったのもドリーに似てたな。 ネットでもゴディがウィリアムスと海外で試合してる動画は出てくるな。
自分が見たのは不格好なジャーマンでウィリアムスがゴディからピン勝ちしてた記憶。
殺人魚雷対スタイナーブラザーズの試合とかも出てくるけど、期待してるような試合でも無いんだよな。
少なくとも日本でやってたらこうはならないだろうな的な違和感というか。 >>933
ゴディvsウィリアムス
川田vs田上
三沢vs小橋
これが同じ日に行われた事実 >>936
殺人魚雷とスタイナーズがやってた頃のWCWは、フロントのビルワットが選手たちに昔ながらのレスリング路線を強いて、なんか選手の持ち味が出せないチグハグな試合ばかりしてた時代。そんな舞台で念願の殺人魚雷とスタイナーズがやって凡戦したのは、もったいなかった。 ウィリアムスは大森と高山両方にシングルで負けてるんだな
高山には初期のフィニッシャーであるギロチンで(初期は他にも片羽絞めなんてのもあったが)大森にはゲームからの逆輸入のアックストレインで >>937
大阪府立だったか
そして最後はハンセンが二連覇 93年のチャンピオンカーニバルは四天王とハンセン、ゴディ、ウィリアムスで星を潰しあってかなり面白かった。
最強タッグもそうだけど、この時代の映像が残ってるなら全部見たい。 そう言えば三沢ってカットしたことあった?アクシデントで顎の辺りから出血したのは見た事あるけど
他の三人はやってたよね >>943
93年までは、テレビ中継も1時間だったから、いろんな大会が見れたしいろんなカードも見れた。
94年以降は、テレビ中継が30分枠になり一つの会場を何週間に分けて放送するようになったからあれで離れたファンもかなりいたのでは? 層が薄いのに、武道館級のカードを連日やっちゃって将来ヤバいぞ。。。と本気で思った ゴディ、ウィリアムスの入場、リングインパフォーマンスの
時代はウォリアーズ、ハンセン、ブロディ組を超えるど迫力だったな。
リングがぶっ壊れそうだったし
ヘイヘイ!のテーマ曲とリングイン手足どたばたアクション。
場内は興奮の坩堝と化してたな。 >>947
実際中継枠が30分になった94年は観客数が前年比15%だったからな。 94カーニバルは小橋田上のハンセン戦初勝利や川田の優勝で感動的だったが、
オンエアされたカードが弱く、全く感動が伝わらなかった。
三沢欠場は本当のハプニングだったように思う >>951
あれはガチ欠場。
結局は三沢がいないとダメというの。証明した形に。
当時の川田や小橋ではまだまだってね。 >>951
高山にはタッグで一度取られたけど
ドームでリベンジ
あと00年にベイダーと組んだときに高山をバックドロップでピン
シングルはやってないんじゃない?
オブライトは高山に片羽絞めで負けたけど >>950
ミヤギテレビは仙台大会をローカル中継で、一時間枠で中継していた。
実況アナもミヤテレのアナが担当していたし。
お陰で仙台大会は最強タッグやチャンカンでそこそこのカード組まれていた。 >>942
Uインター、全女と立て続けにやったんだよな
ちなみに観客動員では全日が一番少なく一階は7割、二階は半分程度しか埋まらなかった
Uインターはギッシリ札止めで全女でも8割方埋まってた 高山は引退してもタレントとして十分やっていけそうだったから本当に残念だわ 高山は顔が福笑いみたいだったが
超絶カッコよかったな。 >>956
オレはUインターの時に山ちゃんが高山に負けたのが哀しかったわ~。どうせ辞めるんだろ?みたいな、会社からの扱いが透けて見えて。 山がタレントとして成功するなら、脳梗塞を患った時に引退するべきだった。串焼き屋閉じたから商売の方も上手く行かなかったのもリングに上がらざるを得ない状況だったからか。 プロレスラーも現役の長い商売だけど、50になっても第一線はファイトスタイルにもよるけど危険だなあと思う。40過ぎたら徐々にペースを落として45を過ぎたら最前線からは撤退くらいが丁度いい。
生活もあるから難しい所もあるんだろうけど、50近くになって危険技喰らって再起不能とかさすがにあんまりだ。 >>962
お前の脳みそで良く今まで生きて来れたな。 >>961
小川良成を見ると、垂直落下プロレスしなければ、長期現役も可能なのか。 タイガージエットシンが元気なのは極力受け身とること避けてたからだよ >>965
自分の妄想では、って前置きくらい付けろ。キモいから >>967
鈴木みのるがタイガージェットシンに長く現役レスラーやれる秘訣を尋ねたら
極力受け身を取らないことだと答えた
妄想じゃねえよ謝れ ほう。鈴木みのるとタイガージェットシンとは、何とも意外な組み合わせだね。
2000年代のハッスルかIGFあたりで接点があったのかな? 佐藤昭雄は引退してもう受け身とらなくていいのがうれしいと言っていた
安生は受け身しっかりとってもダメージあることをプロレスファンは分かってほしいと
ランディオートンも背中から落ちるRKOフィニッシュホールドにしたのはハードだ
背中からバンバン落ちるのは動物として不自然なんだよ >>965
シンは受け身取らないから楽だよな、パワーボム受けないし垂直落下式ブレンも受けないし鶴田のバックドロップ受けたのは見たけど優しい落とし方だったw
四天王プロレスは寿命縮めるよな 楽だよな、なんて言っちゃうのは簡単だけど、そこはコロンブスの卵みたいなもんで、
シンはあの試合スタイルを新日時代に独自に確立させたんだからあれでいいんだよ。
むしろ、全日末期の89年あたりは時々フォール取られるのが、らしくなかったな。
平成全日には合わなくなっていったって事か。 船木はプロレスラーの中ではトップクラスのイケメンだからヒクソン戦後は役者に転身するつもりだったが所詮はプロレス村ではだから通用せず再びリングに上がる結果となった
船木の動画見て分かるけどこれじゃ芸能界は無理だわ >>973
ドラマに何回か船木出てきたけど
背広パンパンで無理と思ったな。 そんな船木も今じゃ電流爆破やってるし何があるかわからんなw >>973-974
プロレスラーではイケメンでも芸能界ではあの程度の二枚目は腐るほどいるからな
プロレスラーがゲストで芸能活動ならお客様扱いでも正式に芸能界に入れば
ただの駆け出しとして扱われる
そこらへんをわかっていない人が多い >>976
船木は紳士的なスーツ着たボディーガード役でハマってたんだが
なんせハイブリッドダイエットしたからと言って一般人よりガタイがゴツくて
スーツがパンパンでゴツくてイケメン。
あれじゃ主役はないと思ったな。
顔も意外と横幅があった。
サスペンス劇場によく出てた。 >>972
受け身を取らない方が楽なのは事実だと思うけどシンのスタイルは他人には真似できないと思う
あれは楽しめたよ UWFとシンはラクだった。
シンは毎日試合やったが、Uは真剣勝負は
疲れるから月一。
酷い詐欺。 >>979
月一、月二は彼らの自由なんだがそれでよく生活できたなと素朴な疑問が
チケット売れるなら興行を増やせば良いのに Uインターなんかはギリギリの自転車操業だったらしいな
最終的にそれが破綻してアウト 経営だけを考えたら全日も月1の武道館だけにしたかっただろうな。
ただプロレスは試合数をこなさないと上達しないからな。
ノアの連中がしょっぱかったのも90年代後半の全日が
地方での興行不振で興行数がかなり減ったのもあるんじゃないか・ >>980
パトロンスポンサーいたんだろ。
リングスはwowow
インター、パンクラスは何だろね。
つうかいなきゃ無理。
あとパンクラスの外人レスラーは安上がりだろうね。 初期のUWFは道場(ってか練習場所)も運送会社が無料で倉庫貸してくれてたりラッキーだったな。 パンクラスは旗揚げのときにケンシャムに吹っ掛けられたって言ってたな
ギャラの相場が分からなかったから言われるままに払ってキツかったとか パンクラス、数年前にTOKYOMXの日曜夜に生放送見たが、今は? 天龍同盟の頃も地方興行の客入りは良くなかったが、あの頃は伸び代はありそうだったけど、馬場全日末期は行き詰まり感が感じられた。 >>985
Kindleで無料のシャムロックの自伝漫画を読んでたんだけど、船木がパンクラス旗揚げの時に金がないから、家庭があるシャムロックになかなか参加してほしいと言えず、意を決して電話したら、シャムロックが「金なんかいいんだよ!」みたいなノリでOKしたシーンには吹いたw
最近bフ船木のインタャrューで、旗揚bー時にシャムロャbクから大分吹bチ掛けられたてbフを見てたからw 格闘技的なのはUWFとか藤原組じゃないか?全日本プロレス来たときは塩過ぎて雑誌にもダメな外国人レスラーに選ばれてたらしい。
因みに総合前はアメリカのプライベートで酔ったナスティーボーイズに殺されかけてるけど格闘技で実績残してからナスティーボーイズは逃げ回っていた 外人の格を日本人と照らし合わせてどうするかは難しい問題だけど、97年の最強タッグでのウインダム・ブラッドショー組の扱いは大分酷かった気がする。当時の二人は格的にそんなもんだったのか? イケメンマッチョがビキニで戦うから船木は需要があった
スーツ着ちゃ意味ないんだわ 95年のハンセン・オブライトを決勝戦に出させないブックもどうかと思うけど、98年のハンセン・ベイダーをあんだけ押しといて最後にバーニングをに勝たすのはなあ。 92はセミ・ゴディ組勝利、メイン・三沢組勝利で決定戦なら盛り上がったと思う
ゴディ組3連覇でもよかったんじゃないかな〜 >>996
公式戦で既に勝ってたからな
公式戦で敗れたハンセン組でも良かったか ハンセン「ウィー!」
??「何がウィー!何ですか?何がウィー何ですか?💢」 このスレッドは1000を超えました。
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