ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス
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この時代の全日は日本人も外国人も充実していておもしろかった ゴディ、ウィリアムスにKISSの曲を選んだスタッフは評価されてもイイ ゴディ、ウィリアムスにKISSの曲を選んだスタッフは評価されてもイイ スパイビーが劣化し、鶴田が肝炎で離脱し、ゴディが鎮痛剤で離脱して
一気に層が薄くなってつまらなくなった。 >>4
その三人が普通に活躍し、デビアス、エースも活躍していたら四天王プロレスもまた違ったものになっていただろうな スパイビーが抜けてたもしてもジョニーエースでは弱かったんだよね 秋山、昨夜YouTubeライブしてたね
ハンセンの初ラリアットくらった時
アゴ外れてそのまま巡業移動も余儀なくされたと言ってた >>1
こういうスレは好きだね。
ありがとうございます。 >>11
話を盛ってるな
アゴ外れたら飯も食えない 超世代軍が爆発的な人気だったからその壁役たる外国人のトップ4も印象に残ってる人は多いだろうな。
ゴディは鶴田やハンセンからもシングルで勝ってたし、本当なら三沢のライバルとして90年代中盤以降もハンセン以降の外国人エースとして君臨してたのにな。
年は田上と同い年で超世代の同世代だったし。 ただゴディって怪物感はなかったな。
早いうちに三沢にシングルでピン取られていたし、
90年の最強タッグで馬場にピンとられていたし。
外人版藤波って感じ。 脇を固める外国人メンバーも充実してた
ブッチャー、キマラ2とか ブッチャー、キマラ2はこの脇を固めるというより、
別枠というイメージだった。ファミリー軍団や悪役商会と同様に。
脇を固める外国人メンバーというとカンナム、ディートン、ブラック、
マレンコ兄弟のイメージ。 ゴディって当時からタッグ屋のイメージの方が強くて…何故ハンセンや鶴田にシングル勝ち出来たのか不思議でしょうがなかった
30周年記念だかの6人タッグ(馬場アンドレドリーvsハンセン鶴田ゴディ?組合せ失念)も、1人格落ち感持ってた >>18
馬場ハンセンドリー対ジャンボアンドレゴーディだな
ゴーディのとこブッチャーもしくはテリーでもよかった
ブッチャーはその前の馬場デビュー30周年で馬場ブッチャー対アンドレハンセンが
あったから外されたのかな ホーガンvsゴディがホーガンvsハンセンになったのはゴディが負けブック飲みたくなかったらしいが、ドームのメインでホーガンと戦うことで負けても格上がったと思うのが >>10がメイン
ゴディ、スリンガーvsカンナムがセミで
札幌中島体育センターに7800人 >>20
それを馬場が『ゴディは勿体無いことした』と言ってたって動画があった。
ホーガンVSゴディも見たかったが。
でもあのときのドームではそれだと埋まらない。
やっぱりホーガンVSハンセンてま大正解。
ハンセンとゴディの差を思い知った。
あの頃はゴディもトップとして売り出されてハンセンと肩を並べる存在に。
しかしこういうときにその差が出ると思った。
日本でのキャリアや実績の差はすぐには埋められないから。 アックス・ボンバーvsウエスタン・ラリアットで客を呼べないわけないわな グローバル・エネルギッシュ・タフでGET
週プロ見てなんだそりゃ?と思った この時期に突然引退したダイナマイト・キッド
テリーと違って復帰することはないと言いきるも
後にあっさり撤回 リチャードシャラン、エリックエンブリー、ダグサマーズとかここら辺は
二度と見る機会なかった >>28
リチャードシャラン&エリックエンブリーの合体パイルドライバーはヤバい
ダグサマーズはこの時期はもう来てなかったんじゃないかな? サマーズは平成になってすぐのエキサイトシリーズに来てたかな
後楽園でカブキとのシングル見たなあ、子供にはタル過ぎて無理めな
試合だったがバルコニーから「日本に居ながらにして本場のアメプロが見れるぞ!
カブキさんありがとう」みたいな野次が飛んでたのは覚えてる この頃の全日系ガイジンはWCWに出て解説のケロに酷評されてたイメージ >>22
あれは本当は最初からメインでホーガンが全日本のトップ外国人に勝つという約束の中全日本が出したのはゴーディだった。
ビンスが興味なかったのか何も言わなかったが日本の交渉担当の佐藤が馬場に話ししてハンセンに変わったんじゃない?
You Tubeの動画ではゴーディが負けを飲みたがらなかったと言ってるのはあったが… ウッチャンナンチャンがゲストで来た時にナンチャンが鶴田に強めに背中ぶっ叩かれてたのがおもしろかった プロレスニュースは試合中継されなさそうな外人なども紹介してくれてありがたかった 俺がプロレス中継見始めた90年に、レンジャーロスがテレビに出てて
次の日通ってた中学校でロスの変な地獄突きが一部で流行った。 世界最強タッグで地味に勝点を稼ぐブッチャーキマラ組 スティーブウィリアムス、ビッグブーバー組が好きだった ファンタスティックスとかブラックハーツとかステイトポリスとかナスティーボーイズとか ブラックハーツにガチの椅子攻撃したスタン・ハンセンは覚えてる ビッグブーバーもいい選手だったけど、服着てるのとか体格的にもあまり技を受けれない感じで当事の全日本向きではなかった感じ。 レンジャーロスは近鉄のブライアントに似ていた。
十六文で倒れなくて元子を激怒させたとか。 >>44
良い選手だったけど四天王と交わって良い試合をするのは厳しかった。
ただ全日でルードやブーバーが活きてるのを見て全日が凄いことをしてると思うと同時に新日は面白く見せる力が凄いなと思ったな。 全日の戦いが至高だから他から来ても着いていけないってのは当時から嫌だった
一流のレスラーなら誰相手でも名勝負作れるべきだろ >>47
別にレベルがそれぞれなのは当たり前の話だよ。
受け身一つ取ったってレベルの差で受けれる技には違いが出るしスタミナが無ければ激しい試合は長時間無理なんだから。
ただ全日の進化(深化)は幅が狭くなって厳しくなった。
新日は幅の広さから繁栄したんだから評価は視点でなんぼでも変わる。
三沢がマッチメーク権を馬場から貰ってからストーリー展開を入れたのは当然の選択だと思ったし。 >>47
リック・ルード~WWFを辞め全日に登場した後WCWへ
ビック・ブーバー~同じくWWFを辞め全日に登場した後WCWへ
デービーボーイ・スミス~WCWを辞め94年チャンカーに参加の後WWFへ
馳浩~政治活動の合間に全日参加
他所での格が高くてもレギュラー参戦できない選手を厚遇はしないという事だろう ブーバーは常連のスパイビー、エースより上の扱いだから結構良かったよ
確かに着衣で試合ではあれより上に行くのは難しかったと思うけど
新日本でも数試合したけどパッとしなかったな >>51
Uインターの武道館出て高田に負けたほうが良かったかな 網投げる奴いたろ?
それからブラックハーツにランドオブジャイアンツとかキャラが際立ってたのはドリーラインなのか?
それとファイアーキャット、クリスキャンディートとかいたね。
キャンディートはその後よくわからんNWAチャンピオンになってたけど。 CS日テレの番組ってなぜかこの辺あんまりやってくれないんだよな
プロレスクラシック伝承でやっとウィリアムス初登場したので期待しているが >>53
アンダーテイカーズ、ステイトポリスもインパクトあった アメリカのテレビドラマのV(ブイ)とタイアップして登場したマスクマンっていたよね。あれは誰だったのかな? 長身レスラーが好きだからThe Land of Giants (Giant Warrior/Skywalker Nitron) が良かった。
https://m.youtube.com/watch?v=vE2M5PPsL4A 93年5月の札幌二連戦が一つの分岐点だったと思う。
あそこで日本人が全勝して外国人レスラーの価値観の崩壊が始まった。 全日で鶴田&田上、三沢&川田、小橋&エース、ゴディ&ウィリアムス、ハンセン&デビアスの5チームが競い合う時代が見たかったよ ゴディの早期離脱があまりにも痛かったな
そのせいでハンセンが四天王の壁+ライバル役として48歳までチャンピオンカーニバルに出ることに >>59
とんだいっぱい食わせ者って言われてたやつか スレタイ4人とベイダー、ビガロ、ノートン、ホームの8人タッグを見たかった。 パトリオットやジイーグル、カンナムはこの時代はどういう扱いだったんだ? コーナーからショルダータックルしようとして足滑ってそのまま下に落っこちたんだっけ
場外にプランチャしようとしてロープから手を離せずにエプロンに落ちた奴もいたと思う 外人4強と言われていたがスパイビーはタッグを含めてもゴディ&ウイリアムスに勝ったことは一度も無いし三冠にも挑戦できなかった >>50
ブーバーは上手かったのに半年で外国の団体に行っちゃたし、デビアスも契約の問題か何かで最強タッグ3試合くらいで離脱
エース、スパイビーみたいなしょっぱいのが皮肉にも残ったw >>51
チャンピオンカーニバルでパトリに負けたのは意外だった >>61
小橋&パトリオットの方が好きだったな
エース&オブライトだな >>72
小橋&エースはアジアタッグ時代もGETでも魅力がなかったな
アジアタッグのタイトル戦でディートン&ブラックに完全に食われてベルト取られてたし
個人的にはパトリオット&エース>小橋&パトリオット>小橋&エース ウィリアムス&エースの下手くそ余り物コンビがあんなに良いのは意外だった
ウィリアムス復帰後組んだのは今一つだったな、世界タッグ取ったけど >>70
デビアスは首の怪我でしょ。
事実上の引退のようなもの。
最強タッグは1試合もやってないよ。 >>75
3試合出て公式戦も1試合やったよ(vsスマザース&スリンガー 全日の外人ってのちのオブライトやベイダーみたいに参戦時点でトップ扱いじゃないとどうにもならんのが辛かったねぇ
色んなデカめの外人が来るんだけどどれもこれもジョバー扱いして数シリーズでポイで何がしたいのかと
かと言ってデカいからと言ってダンカンジュニアやビッグ・ジョンノードみたいなのをトップで使うわけにもいかないし難しい >>77
うん、wikiが間違ってる。11/14後楽園大会で公式戦やってるね。翌・戸田大会が最後の試合。 ロックンロールエクスプレス
カンナムエクスプレス
ブラックハーツ
名タッグ多くて楽しかった このころに全日見に行ってたら印象変わったかなぁ
俺が見に行った時はもう四天王時代で同じ会場で3連続見に行って3連続メインが時間切れ引き分け
アホらしくなって以降は行ってない >>83
忘れてた~
あと愛国仮面コンビ?
パトリオットとジイーグルも ブロディ、天龍、ゴディ、鶴田とトップ選手が逝去、離脱、リタイアしまくったのは痛かったよな そこまで需要ないのは分かってるがカンナムの試合を集めたDVDかBlu-rayボックスセットが欲しい ランドオブジャイアンツ、スカイウォーカーナイトロン&ブレイドブッチマスターズなんて、凄く声に出して読みたい素晴らしい名前だよね。
それで必ず対戦相手の「ジョニーエース&渕」という謎タッグチームも思い出す。 >>88
WWF時代とかも含めると正式デビュー前のハーディーボーイズなんかと試合してたり結構需要ありそう 中3になりたての91年4月18日武道館 鶴田vs三沢、ハンセン スパイビーvsゴディ ウィリアムス、川田vs田上 観に行ってエラく興奮と満足した。
その最中の武道館通路では、馬場と全日入団テストしてたって人のブログを後年このプ板で知って、何か感慨深かった。 ハンセンが自伝で馬場は自分の後はゴディを外人エースにしようとしていたが素行不良でクビになったと言ってたな。馬場は自分でも二回くらいゴディにピン取らせてるし、レスラーとしての技量は買ってたんだろうなと思う。
全日にこなくなって数年後にIWAのデスマッチトーナメントに出て来て一回戦であっさり負けた時は哀しかった。
相手はミックフォーリーではあったけど。 >>75
違うよ、首が痛い素振りなんか全く無かったのに外国の団体から契約の件でクレームが入って首の負傷というていで緊急帰国。結局、復帰せず
最強タッグはハンセン&秋山組も考えたがそれだと星取調整が上手くいかないから馬場が自ら出陣した ゴディの息子はノアに留学してたらしいから
馬場全日は関係断絶したけど三沢全日本ノアとは良好だったのかな? デビアスJr.もノアに来てたっけな
三沢と関係良好だったってか大方エース辺りが紹介先頼まれて売り込んだんじゃないか
武藤全日は外人はベテランばっかの一方でノアは日本で無名だったり若い素材型の外人よく呼んでたし ノアも序盤は良い外人呼んでたよなあ。
モデストさんとか、、、名前忘れちゃったよ、ほら何つーたっけ?! >>99
もう一人、身長高くて良い選手がおった
名前が思い出せん ゴディが1961年生まれで息子が1979年生まれってのも大分早いな。
娘もプロレスラーで以前来日してたんだっけ。 >>100
ブルシュミット
バイソンスミス
のどちらかかな?
ノア黎明期の外国人はベイダー、スコーピオ、リチャードスリンガー、マイケルモデスト、ドノバンモーガン、スーパースタースティーブは懐かしい 一番身長の高いスパイビーが末っ子扱いなのがなんかおもろかったな スパイビーは期待されてたけどポンコツになるのも早かったな
しょうがない、90年代になったらお呼びがかからなくなったスレーターと歳が1つしか違わないもんな プロレスゲームが出るとエディットでまずはスパイビー作ってたなぁ
コスチュームも技も特殊な物がなかったから作りやすかったし
そして身長がある分橋本のDDTよりスパイビースパイクの方が威力があると当時思ってた スパイビーはゴディ・ウイリアムスに勝って世界タッグ獲ってる。それが誇り。 >>87
ブロディ、原、輪島、石川、天龍、鶴田、ゴディ、デビアス、、、一気だったからね。 Uインター時代のオブライトは強くてエースとしての風格があったけど全日来たら前に出てこない地味なイメージになってしまった オブライトは体型的に受けれない技も多いし、得意のスープレックスも四天王プロレス全盛で一撃必殺にするのが難しかった感じ。 俺の長いプロレス観戦歴の中で最もひどい試合が
ゴディとデイビーボーイ・スミスのシングル戦。
そこそこの知名度のある選手がやらかすお互いにやる気のない試合は怒りすら覚えた >>78
それを言うなら80年代の新日の方がひどかったけどね。
ヒギンズ、シュルツ、ダイスモーガン、スコットホール、
ビリージャック、バンディ
そこそこの素材をまったく活かしきれなかった。 >>109
後の四天王を一気に底上げしないといけなかったわけだが、
結果それが全日の再生になるという皮肉 >>109
輪島は産廃化してたから全く痛くないし石川は良い選手だがトップ選手ではない
ブロディ~デビアスで5年以上あるから一気でもない 徐々に慣れたけど三沢や川田がトップの外国人と対等に渡り合ってたのは無理があるように感じた >>112
外国人は本人の意識によるところが大きいな
たまに日本を舐めてる奴いるもんね、WJに来た時のウォリアーズなんか酷かった >>116
まあ三沢は87年夏時点でPWF世界タッグ王者なってるしゴディクラスにもフォール負けはなかった
川田は天龍離脱2つ前のシリーズでマイティ井上にフォール負けしたしカンナムと完全互角って感じだったから
ずいぶん無理があるなと思ってたのは確か
試合内容で説得力持たせたのは凄い 三沢に関してはエルボーという、まあギリ、プロレスの範疇内のKO技があったのが大きい。
大型外人もあれを喰らって形勢逆転という流れなら説得力はある 三沢のフェースロックで落とせコールが出てたのは謎だった >>116
天龍が脱退して急遽格上げ感は確かに否めない
当時天龍が鶴田が三沢に合わせてやってるって言ったしな 92年のチャンピオンカーニバルは日本人、外国人含めて充実したメンバーだった
マスター・ブラスターやデビッド・アイズリーみたいな外国人も参加してたし >>123
やっぱり2ブロック制がいいよな
完全総当たりは失敗としか思えん >>118
まだ2代目タイガーマスク時代
対リック・フレアーのシングル
試合は勝つが2代目タイガーマスク時代であれじゃリック・フレアー弱すぎだろと思ってな
なんかプロレス漫画あってオールスタープロレス列伝だっけ ハンセンブロディよりラスボス感が痛くてしょうがなかった まあアメリカの実績は上だけどさ ショーンマイケルがベイダーに勝つくらいしょーもない弱さ >>66
その辺羅列しておいて当時みてかったの?当時見てないと知らない様なメンツねw
ゲームから入ったとか? この時期に全日に来た後他所で出世
ビック・ブーバー
ウェイン・シャムロック
ナスティボーイズ
レイヴェン
カクタス・ジャック
ロブ・ヴァン・ダム
TNTは87年だから少しずれるか >>120
ただ騒ぎたいだけの輩だよな
>>124
1ブロックだとシングルのカード約半分が残せるし、選手の負担も約半分だから2ブロックの方が良いね >>129
ナスティってタッグのベルト獲るような「出世」したっけ? >>116
90年5月にハンセン、6月にビガロ、7月にウイリアムスとやったのを見たが当時はかなり差があった
でも92年6月の武道館でハンセンと凄い試合やるまでの2年間で相当な努力をして力の差を埋めたんだなあと思う >>111
オブライトは怪物感は無くなったがウィリアムスとのタッグは楽しそうだったからなんか嫌いになれなかった
ゴツゴツした不器用さがなんか異物感あったのも良かった カンナムにとってアジアタッグは役不足
でも世界タッグでは力不足だったな
唯一の世界タッグ戦である新潟で行われた川田&田上は凡戦だった >>104
寝落ちしてしまってました、ゴメンナサイ。
調べたらナイジェル・マッギネスでした。
試合も面白かったし、華もある良いレスラーだったなあ。 少し格下だけど若くてフレッシュな超世代軍が鶴田や強豪外人に精一杯のプロレスで挑んでいったからあれだけの熱狂が生まれたんだろうとは思う。
全日本プロレスが一番盛り上がってたのはこの時期だったと思うし。 チャンピオンカーニバルはイーグルみたいな少し格落ちする選手も出てて、そういう選手のシングル見るのも好きだった >>136
前年の最強タッグ辺りから、カンナム上げの流れになっていたが、やはり常々馬場が言っていたように、スーパーベビー級の外国人に比べると体が一回り小さかったからな。
他団体ならばもう少しよい扱いだったかもしれん。
初期のNOAHに参戦していたモデスト、モーガンもカンナムと同じような扱いだったし、こちらは他の外国人と言うよりも他団体の選手の参戦の煽りを受けた感じか。 >>133
7月のウイリアムス戦の危険なバックドロップで会場は騒然となったけど
カウント2で返したときの盛り上がりは凄かったな
あの試合が川田の分岐点だと思ってる >>55
WCWに短期参戦して
レックス・ルーガーと抗争したりもしてるから
ヒドイというほどでもない
三役~張出し大関くらいか
その頃はベイダーがキャリアのピーク
スティングやシモンズ(後のダムおじさん)
とベルトを取り合っていた 身長が正味で2メートル超えてルックスも良い方。
タイラー・メインはナッシュよりは少し低かったけど好素材だった。
http://imgur.com/y8TrxIH.jpg >>133
本人の努力は当然としてSWS離脱で1番得したのが川田だな
何事もなかったら遠からず小橋に越されてたと思う ハンセン→悠々自適
ゴディ→死亡
ウィリアムス→死亡
スパイビー→兄の会社で一般職
オブライト→死亡
ジョンノード→車のセールス
パトリオット→死亡
クロファット→ソーシャルワーカー
フォーナス→死亡
トミーロジャース→死亡
ボビーフルトン→先日引退
ジャッキーフルトン(ジョージハインズ=イーグル)→たまに試合
リチャードスリンガー→引退後消息不明
ジョーマレンコ→薬剤師
ディーンマレンコ→認知症
ジミーデルレイ→死亡
トムプリチャード→WWE背広組
ジョニースミス→行方不明
ジャイアントキマラ→行方不明
ジムスティール→行方不明
ダイナマイトキッド→死亡
スティーヴアームストロング(ファルコン)→たまに試合
バルプーチオ(アンダーテイカーズ)→死亡
トニープーチオ(アンダーテイカーズ)→引退
スカイウォーカーナイトロン→俳優転向
ブッチマスターズ→たまに試合 ファイヤーキャット→死亡
ボビーダンカンジュニア→死亡
ロブヴァンダム→現役
サブゥー→たまに試合
レイヴェン→たまに試合
バルビーナス→たまに試合
トミードリーマー→引退
レックスキング→死亡 >>146
田上とか高野みたいなでかいのがいたけど、彼らより小さいのに出世した川田は凄い努力家だよな
>>147
詳しいな、ステイトポリスはどうなったのか教えてください トレイシー・スマザースが川田に試合でボコボコにされて控室で泣いてたという噂は本当なんだろうか >>149
ステイトポリスのバディリーパーカーはWCWでコーチやってたばず
その後は不明
もう1人はわからん オブライトのスープレックスは一撃必殺が売りだったのに、全日だとポイポイ投げっぱなしやら、垂直落下を連発するスタイルだから合わないよね。もったいなかった。 >>149
川田が田上と高野を追い抜いたのは川田の努力が凄いってかそのデカい連中が怠けモノだったのあるけどな 追い抜いたって常に川田>田上だったろ
と思ったが田上がデビューしたシリーズで引分けたバディ・ランデルに川田は負けてたな >>145
ホモっぽいしヘソ上パンツが全日本っぽいな 90年の初頭だったと思うけど、来日したジン・キニスキーが
「今のレスラーはミゼットかステロイダーばかりだ」と批判し、
印象に残った日本人レスラーを聞かれて小橋を挙げていた(小橋の名前は
知らなかった)。
あと「鶴田はハードなトレーニングを積んでいるか?恐らく積んで
いないだろう。だとしたらナチュラルな強さがあるということだ。
こういうタイプが一番強い。」と言っていた。 >>129
ブーバーは違うっしょ
昭和に初来日→WWFで出世した後の93年参戦だから
その後のWCWではそうでもなかった >>157
合ってる、90年サマーアクションシリーズ2ね
元レスの人は93サマーアクションシリーズ2の豊橋の川田vsスマザースと記憶が混同しているのだと思う >>154
正確に言うと「彼らより小さいのに出世した」と言いたかっただけで元のレスに「追い抜いた」とは書いていない
高野と川田が互角くらいでその2人に田上が少し劣るくらい。あすなろ杯の戦績を見てもその評価で妥当かなとは思う
田上がデビュー戦から別格の扱いだったのは事実だが >>133
関係ないけど川田vsゴディのシングルって93CCの1回しかやってないんだよな
ハンセン、ウィリアムスとはその時点で3回ずつやってたのに
三沢vsウィリアムスもその時がシングル初対決 >>161
川田が武者修行中に高野はインタータッグに挑戦したり長州とシングルでやったりしてたからな
話にならないくらい高野>川田だった 初期ファイプロで楽しめた時代が懐かしい。
梶原 「へへへ…ボキッ!」 ゴディは93年夏頃に全日に呼ばれなくなった?
94、95年あたりに1回だけ呼ばれたような記憶が・・
スパイビーだったかな? >>165
94年だね
ウィリアムスが三冠獲った武道館が最後のはず
ゴディ&スリンガー&ベイヤーvsスミス&イーグル&ジンク >>160
そのシリーズにリップ・モーガンも来日したけど全く目立たなかった
猪木とシングルやった事あるのに >>147
マレンコ弟まだ60くらいなのにもう認知症なのか スコット・ザ・ボディの話は
川田に試合で蹴られまくって、あまりの痛さに
なんでこんな辛い目に遭わなきゃいけないんだって、
六本木の路上で泣き出したって話だったような気がする。
以前はwikiにも書いてあったはずだが、削除されたようだな。
まあ、アメプロしか経験ない人が、あんな蹴られ方したら確かにキツいわな。 スレタイの時代だとブラックハーツとかいたよね。
怪奇派のくせに何かUWFが好きだったみたいで、カルガリーで北原(パートナーはたしか健介)にUスタイルでやろうぜって持ちかけて、対応できずにボコボコにされたって話が面白かった。 悪役商会がカラーボール投げで客の気を引いている間にファミリー軍団が既に鉄柵のすぐ外までゆっくり歩いてきているw >>172
アポカリプス、ディストラクション、デバステーションだっけ?
途中中身が代わったのププププロレスニュースで紹介したよね。
次期シリーズ来日外国人紹介で、若林がおどけた声で
顔がモザイク?だったか墨ベタ?とか紹介してたの覚えてる。 ブラックハーツ、ステイトポリス、ヘブンリー・ボディーズ
強くはなかったが個性があって他のタッグが使わないような合体技を複数もっているのが良かった
特にブラックハーツは大好きだった、彼ら目当てで93年3月の市原大会だったかな、観に行ったけど菊地&浅子に負けて驚いたよ 90年代半ばにそういう職人的なレスラーの来日減ったの残念だった >>134
お互い全盛期であれば
この二人、かなり凶悪なタッグだった
筈なんだけど
組んだ頃ってもう衰えが隠せなかったよね、オブライトが特に
それでも
デンジャラスバックドロップと
ぶっこ抜きフルネルソンスープレックス
の二重奏で三沢を秒殺したことも
あったね ダスティローデスjrなんかもああいう形で後年ブレイクするとは思わなかった 91年に来たブラックハーツはアポカリプス(トムナッシュ)、ディストラクション(デビットヒース=ギャングレル)
93年に来たのはアポカリプスとデバステーション(デーブジョンソン)でハンセンにボコボコにされたのはアポカリプス
96年にIWAに来たのはディストラクションとアゴニー(バリーヒューストン)
ブラックハーツ脱退後のディストラクションはバンパイヤウォリアーになり98年に素顔で全日にデビットヒースの名前で1回来日した後WWFでギャングレルで再び吸血鬼ギミック アゴニーはIジャだと知名度の問題かアポカリプス名乗ってたね 結局、ダニースパイビーの必殺技は普通のDDTなのか?中学生時代のスーパーファミコンゲームのスパイビーしか知らないから分からん。確かスパイビースパイクとか言ってなかった?ゲームだとDDTにしか見えなかったけどジョニースパイクかな?とか脳内で美化してる >>181
ハーディーボーイズのボスもやってた
地味に元手下が大物ばかりって凄い経歴だな フロントネックロックの状態で片方の手を人差し指くるくる回してからやるのがスパイビースパイクだ、って当時中学生の俺はDDTとの区別をつけていた。 スパイビースパイクを初めて見たときは凄い必殺技だと思った スパイビーに詳しい人いたら教えてほしい。顔はハゲてるが中々オーラがある。スパイビースパイク、デストロイヤーの娘を貰った、全日本ではスティングに勝った、黒パン、他の外国人と間違われがち、試合のイメージが無い…くらいしか思い出せない。まぁアメリカでスターだったビックブーバーが三冠前の小橋に負ける時代だったしな。 レッスルエンジェルスに明らかにキッドがモデルなのにスパイビーが元ネタってことになってるキャラがいたな >>185
TOP結成する前年に2回くらいシングルやってるんだよね
テレビで放送しなかったから雑誌でしか
見れなかったけど
武道館でやって欲しかったカードだよね スパイビーといえばハンセンとのタッグで田上に放った合体バックドロップ
>>185
初シングル大阪で見たけど客席もすごい緊張感だった
確かその時は若き日の関本も見に来てたんだよね >>178
それが三沢が負けた世界タッグ戦のことなら秒殺ではなく8分くらいは戦ったような気がする 後楽園のvs三沢&川田でブラックハーツの入れ替わりを阻止した京平はガチ アレ?スパイビー何気に凄いじゃん!スティングに勝つのも納得!確かにスティングって言ってもかなり昔のオレが中学生時代の話だしな ゴメン小学生時代かな。中学生時代なら武藤と組んでハルクホーガンと戦ってたな。 ファンタスティックス、ヤングブラッズ、ドリーファンクは96年を境に来なくなった。このあたりが転機だな
それ以降はジョニー・エースがブッキングしていたんだったか パトリオット、イーグル、ファルコン、ラクロス、トルネードの覆面レスラー達 >>193
当時の全日のタイトルマッチで8分は秒殺みたいなもんだろう >>189
ガチならかなり強い、レスラーなる前は取り立て屋、年齢詐称、ウェイロンマーシー、ステロイド リチャードスリンガーの蹴り好きだったわ
水色ロングタイツに白レガースもかっこいい 三沢、川田、小橋対ゴディ、ウィリアムス、スリンガー >>204
いつかのシリーズ開幕戦で三沢久々の?タイガースープレックスが印象的 なんでかわからないけど、全日ってスポットで呼ぶ外国人も芋臭いの多いよな。
新日はオーエンハートとかブライアンピルマンとかお洒落な外人呼んでた >>165
スパイビーも95年のチャンカーに来たが、全然動けてなかったな。 スパイビーが三冠取ってたら、浜みたいに黒歴史扱いされてたのかな? >>207
カナダの選手ってなんとなくアメリカより華があるイメージだわ リチャードスリンガーとかジョニースミスとか紛らわしい。 ダニースパイビーとかケンドールウィンダムとかも紛らわしいし分類的には一緒なんだよな
スパイビー科ケンドール目みたいな感じで バリー・ホロウィッツとアル・ペレスはプロレスニュースでもネタにされていたような ディートンはウィーヤツだけど、ちょっぴり情けなウィー
ブラックの技は何にも効かない。やられてるフリをするの正直疲れるよね ディートンはブッチャーの引退興行で車いす押してたからね
あれはいいシーンだった
悪役商会にも参加してくれたし、本当にいい人なんだと思う
サニービーチ⛱は元気だろうか? ゴディが着てたキャピタルのジャージって、背中に日本語カタカナで「テリーゴディ」って書いてあって、あんなのよく着るなーって当時思った。ウィリアムスとかカンナムも名前の着てたかな?
後にタトゥーで日本語彫る外国人がいたけど、あれのハシリだったかも。 93年の最強タッグに秋山は出られなかったのにスマザース&スリンガーなんて弱小チームしかも急造タッグがエントリーされたことが納得いかなかった、白星配給係を作りたかったのだろうか >>220
試合当日に文体の周りをブラブラ散歩してるゴディウィリアムスを見かけたけど
二人ともカタカナネーム入りのお揃いのジャージ着用だったな >>218
警備会社だかを経営してるとか聞いたような サニービーチは向こうでもそんなパッとしなかった筈なのに米Wikipediaの記事結構充実してるの面白い
引退後立ち上げた警備会社が成功してるらしいし 昔のマサ齋藤とか健介の入場スタジャンのイニシャルもダサすぎた。三沢ジャンパーもMとかデカデカと入ってたし。キンコロ2には収録されてるし今見ると越中の入場ガウンとかWJ健介イモムシ革ジャンとか変なのばかりだな。永田さんのガウンが無駄にカッコイイ この時代くらいがちょうど良かったな。ハンセンのラリアットもそうだけど、ゴディのパワーボム。ウィリアムスのオクラホマスタンピート、鶴田のバックドロップ。三沢のタイガードライバーetc.。一発で決まる時は決まってた。
この少し前は自爆→片エビ固めとかリングアウトが主流で、その後は四天王プロレス。
三沢のフェイスロックとか川田のストレッチプラムみたいに絞め技でのフィニッシュもあったし。 田上の喉輪落としを喰らわないようにみんな必死な顔で耐えてた時代 93年の最強タッグのスパイビー&エース組はもしかしたら台風の目になるんじゃないかの期待したけど、完全に白星配給タッグで終わったのは哀しかった。エースは酷評される事も多かったけど、出来る限り最大限の所までは行った時思う。
スパイビーは小橋にシングルで負けたくらいからもう記憶にない。 川田のキックを押し潰してそのままピンフォールとか水車落としでピンフォールとかたまに意外な技で終わるのも良かった >>229
場外アームボンバーでの失神、自らジャンプしての喉輪落としの見事な受けっぷりと川田は本当に田上の出世に貢献してたな 丸藤に負けた試合か天龍のパワーボムを屁で切り返そうとした試合だろ。 田上は高角度喉輪落としを編み出してその後鶴田が離脱してからは一気に覚醒した感じだった。
その頃は馬場も解説で絶賛してたし。 >>234
力皇戦じゃね?
武道館の客の殆どが田上応援してて
オレガタウエダでカウント3取ったときのあの爆発ぶりはそうそう見られないはず
レスラーとしてのピークはとっくに過ぎてたけどさ 高角度の方が見栄えするし必殺技感あるんだけどシンプルに叩きつける通常喉輪落としの方が好きだった >>230
エースはハンセンと組んだ92年の最強タッグがピークの印象 エースを新日本で見たかった。今でこそ「週プロの表紙が~!」とか言ってるがエースも週プロの表紙飾ってたよな。ゴングだっけ?忘れたけど この4人の試合だと91年4月の武道館セミが印象的。途中試合権利が変わってるのに、カウントし続けるジョー樋口と、それを指摘する和田京平。スパイビーの奮闘ぶりに「馬場社長!これはギャラアップしかない!」と解説の馬場に訴えるも無視され続ける若林アナ。 >>229
初の三冠戦のハンセンとの試合では、ノド輪落としが決められるかどうかの攻防で試合を作ってたね。結局、最後までノド輪が決まらずに田上の負け。
そんな事はないだろうけど、ノド輪が決まれば、もしかして!みたいな感じ出してたのが良かったな。 喉輪落としって要はチョークスラムだよな。ハンセン持ち上げるとかムリだろw協力か「かわず落とし」みたいに反動で後ろに倒すかって感じだな
その後それまでのアームボンバーは使わなくなったね 若林アナが飛ばされてからも馬場はラジオのゲストに来てくれたりして気にかけてくれてたらしい。
自伝のエピソードを見る限りは馬場は若林の事をやたらと一生懸命な小僧みたいに思ってたんじゃないか。
実況は若林・福澤時代が一番好きだったな。 若林はプロレスが本当に好きだからと夫人にまで歓迎されてたしレスラーからも実況してもらいたいと思われてたよ。
ただギャラアップしかな~い!は馬場は完全沈黙したしアキレス腱固めはどこが痛い?とかの質問には呆れてたけどねw 若林の実況は鶴田に立ち向かう三沢等超世代に完全に合ってた。
ただ鶴田がセミリタイアして三沢達がトップになった時に合わなくなった印象。
まあ戻せ60分枠~!なんて言うもんだから出向になっちゃったが…
全日末期に復活した時もブランクと三沢が絶対トップになってるから応援実況はフィットしなかったかなぁ…
平川とか矢島、中京の佐藤も好きだったなぁ… 復活後の三沢秋山のシングルでの秋山応援実況は良かったよ プロレス見てる層の気持ちを代弁する実況は全然不快には思わんし、過激な事を言っても細かい事気にしなそうな業界だから良いと思う
だが、局アナの立場で考えるとアウトなのかもね 若林はプロレス好きすぎるがゆえに馬場からすると「そういうことは聞いてくれるな
言ってくれるな」という領域にファン気質の好奇心で踏み込んでくることがあったんだろう >>253
> まあ戻せ60分枠~!なんて言うもんだから出向になっちゃったが
Gスピリッツのインタビューではそう言ってたがその後出た本では
「怒られたことはない。周りがそういう風に話を作り上げたんじゃないですか」
と真逆のこと言ってる
若林ってただのプロレスファン上がりかと思ってたら結構壮絶な人生で驚いた >>233
三冠、世界タッグ、チャンピオンカーニバル、最強タッグ、それらがあってノアのGHC戴冠にも繋がっているから出世と言って間違いないと思う
本田、泉田、雅央あたりに比べると実績は桁違い 福澤だか若林の実況だか忘れたが、
ハンセン&エースvs三沢&小橋だかで、
試合権利のないハンセンが小橋にウエスタンかまして、エースのごっちゃんフォール
悠然とウィーするハンセンに、
「ウィーじゃないですよ!」と突っ込んで笑った 福沢の「なーにがウィーなんですかあああ!!!」のやつかな
三沢にもラリアットかまして外人勢が全員出てきてハンセン止めてるシーンだったはず >>259
個人的に1996年は小橋より田上がMVPに相応しかったと思う
グランドスラムは大きい >>261
https://youtu.be/pWWwM4g8Sho
これな。外人勢がハンセンを止めに入った時の「どうしたんだよ?どうしたんだよ!?」という福澤アナの叫びがリアルだった。
これと関係ないけど、97年1月の三沢小橋戦での読売テレビ山本アナの「タイガードライバー91!」と「タイガースープレックス84!」の叫び方がめちゃくちゃリアルで好き。 >>259
アジアタッグ経験はいきなり奪取の一回だけなんだよな 福澤だと三沢がゴディにシングル初勝利した時の声を枯らしながらの「三沢が勝ったー」には感動した
福澤はプロレス自体にはあんまり興味なさそうだけど三沢とか超世代には思い入れあったのかなぁ?あってて欲しいな >>264
ハンセン無茶苦茶すぎて笑った
エースもちょっと引いてるやん 福澤アナは実況の技量は高かったな。入社一年目くらいだったのにプロレスニュースとかもやってたし。
プロレス技を最初は全然知らなかったから若林アナがプールで実際にかけて教えたらしい。 >>237
外人相手にシングルのメインを張れたチャンカー優勝のウィリアムス戦も忘れ難い >>266
つい1週間前に小橋と福澤アナのコンビで四天王時代の試合の上映イベントやってるよ >>264
この試合の前に行われた川田、菊地対カンナムも好勝負だったね >>274
カンナムエクスプレスは世界タッグにも通用するかもと期待してたんだけどね。そんな声が高まって、川田&田上組との待望のタイトルマッチがあったんだけど完敗して残念だった。
あの試合がダメだったのは、初の大舞台のプレッシャーにやられたのか、川田がイジワルしたかだと。 おとぉーちゃんだけんがなや。
カンナムのバワイはあと一回り大きけりゃあ良かったしんが、ファーナスは大型ならまた違ったがな。
ファーナスが190以上あればウィリアムスとも互角のパワーだった、かんが、パワーは凄かったけんがな。 >>276
ファーナスはパワーはあるけど致命的に下手だった
クロファットがいないとダメだよ、チャンピオンカーニバルでハンセン相手に何もできなかったし >>275
前年の最強タッグで三沢&小橋相手に善戦したけど相手がある程度は受けてくれないとダメなことがよくわかった
新潟で川田&田上相手に完敗しそれ以降は急下降して最強タッグではアジアタッグ王者の秋山&大森や馬場&本田にも負けたしな >>269
ゴディ戦の三沢にフェイスロックで「落とせ〜」と言ったりドラゴンスープレックスを「タイガースープレックス」と言ったり浅子のラ・マヒストラル、三沢のウラカン・ラナ、雅央のブロックバスターも知らない福澤の低レベルな実況なんか聞きたくなかったわ
それで金もらったんなら予習くらいちゃんとしてこい、金払って観にくる客より良い席で観ているくせに
プロレス好きじゃない奴に実況やらせるとこれだから困る >>280
確かになw
まぁ2代目ブラックタイガーの実況で「エディはねぇ…」とか語り出すマサさんには敵わないけど >>94
ミリオンダラーマンになってしまったね。
相方のロトンドはIRSに。 >>279
タイトル挑戦では勝てなかった秋山&大森にとってはギリギリのカンナム卒業だったな ファーナスはフランケンシュタイナーで三沢の首を負傷させて絶望してたときにハンセンにとりあえず謝罪してこい!と言われて謝りに行ったが三沢が笑顔で「これはビジネスだよ」とか言ってハンセンもニコニコしてて全身の力が抜けたって話があったね。
エースの三沢を負傷させてハンセンには激怒されプロレス人生終わったと思ったって語っていた。
クロファットはよくケツだしツバ飛ばすイメージ。YouTubeで見たカンナムvsブリティッシュブルドッグスは名勝負だった やはり最強タッグでやった最後の対戦がベストかな
現存してるはずだがクラシックでは龍艦の試合ばかりでやってくれなかったのが残念 スレタイ4人で外人4強とか言われてたけど、
川田がストレッチプラムでギブアップ取るようになった頃かな?
スパイビーあっさりギブアップ。長身がアダになったか知らないが、膝ついた状態であっさりギブアップ負け
そのあたりからスパイビーは転落人生になったような気がする。
田上にも負けて小橋にも負けて、力関係が逆転
四天王に勝てなくなっていったな スレタイ4人だとどうしてもスパイビーは格下感があるな。 >>288
それでもハンセンと世界タッグ巻いたりしているから、エースと比べると大分扱いはいいだろ。
エースなんて、ハンセンと組んで世界タッグに挑戦させてすらもらえていないから。
デビアスは別格としても、デビアスの後にハンセンのパートナーに抜擢されたノードなんて3シリーズで見切れていたし。 90年のCC開幕戦の後楽園ホールでメインがジャンボ田上対ハンセン○○
xとかでなく空欄になってて皆なんとなくスパイビーなのはわかってたけど
それでもハンセンと入場してきたときの会場のどよめきは今でも思い出せる位すごかったな >>291
ハンセンとスパイビーを組ませる発想が上手かった >>291
スパイビーは何だかんだで話題があるけどウイリアムスは93年の小橋戦まで単独で目立つことが無かった気がする >>294
ゴディがいなくなってすぐにシングルプレイヤーとして頭角表した感じだったね スティーブはゴディのパートナー時代も鶴田とハンセンにそれぞれ三冠挑戦したけど別に・・・って内容だったね
ハンセンとの三冠戦に到ってはタイトルマッチなのにセミで次期三冠挑戦者決定戦の鶴田三沢のシングルがメインという歪な構成に 豊橋の小橋戦のバックドロップは引いたなぁ
1試合で3度もやることじゃない 全日に移籍してきた初期によくやってたウィリアムスの相手をコーナーポストに詰めて
からのスペースローリングエルボーみたいのがすごく好きだった ウィリアムスはショートタイツのがカッコいいのに似合わない吊りパン履きたがるのは困った >>280
技名間違いは倉持も若林も結構あったけどね。 >>287
92年のチャンピオンカーニバルで川田がスパイビーに勝ってやっと彼らの力関係が逆転する時がきたね
当時は「お!」と思ったが川田はハンセンと良い勝負する選手に成長していた頃だし >>299
そういえば93年くらいにウイリアムスが串刺し側転エルボーを始めた、エルボーというより背面アタックだったがw
ある試合で相手が早めにかわしてしまったがウイリアムスが停まれなかったため相手がいないことが視界に入っているはずなのにそれでも突っ込んで自爆して笑いが起きていたなw 技間違いと言えば田上の技で福澤がバックフリップ、若林がブロックバスターと実況している技があったが、あれは福澤のバックフリップが正解だったような。 当時新春一発目の後楽園で試合開始前に放送席の連中が客席に挨拶するのを
見たんだが若林には大拍手と歓声、福澤にはパラパラ拍手とブーイングだった
まあブーイングをものともせず「新年あけましてプププ〜プロレスニュウウ〜ス」と
言い切った福澤も見事だったな >>304
今となってはバックフリップとブロックバスターごっちゃにしてる方が通な感ある >>304
プロレス好きな人でも間違えるんだよ
正しくはバックフリップなのにブロックバスターと言う奴が多いせいで俺も中学生くらいの時、誤って記憶していた
週プロの流智美さんというライターのコーナーでそれを知った 2003年頃に出た『プロレス異人伝』というムック本にウィリアムスの
インタビューが載っていて「ゴディ、ウィリアムス、俺のパートナーは
皆早く死んでしまうなぁ。」と言っていたが、
ウィリアムス本人も間もなく死んでしまったなぁ。 スパイビー転落人生その2
最強タッグ最終戦。勝てば優勝決まる状況で、鶴田田上と対戦。
やや押しぎみで進めてたのに、ハンセンが大ポカ
試合権利のないハンセンと田上が揉み合って、田上の意外な奮闘にイラついたハンセンがウエスタンで突っ込んで来た。
田上は完全に読んでてかわされて、止まれないハンセンはスパイビーにウエスタンを誤爆。
一気にスタミナロスしたスパイビーがあっさり鶴田のダイビングボディーアタックなんかでフォール負け。
武道館のセミでスパイビー大恥
まあチームリーダーのハンセンの責任なんだけどね >>294
ウィリアムスは新日時代にかなりインパクトがある活躍をして
全日移籍当初にも谷津を負傷させたりして危険な男みたいなキャラが有り、
充分単独で目立っていたと思う。
寧ろゴディが単独で目立つことが無かったんじゃないかな。
もともとハンセンのパートナーというイメージが強かったし。 格関係無く全日本で好きだったレスラーはハンセン、ウィリアムス、エース、パトリオット、ジョニースミス辺り。ダイナマイトキッドやテリーゴディも好きだが時代的に全日本で見た記憶は少ない。キッドはYouTubeとDVDくらいだな。 >>307
オクラホマスタンピートも肩抱え式とアバランシュホールド式があるね
後者はアバランシュホールドでもあるし、パワースラムっていう人もいる おとぉーちゃんだけんがなや。
こん頃の全日は外人も充実しちゃった、かんが、本当にいい時代だったけんがなや。
ゴディの離脱は確かに突然で驚いたしんが、そんでもまだまだ外人の駒は沢山おったがな。ら >>312
肩抱えのほうが、担ぐのが楽だが、後ろに着地されやすいのがネック・・・。 バックフィリップとブロックバスターの違いは、後ろに倒すかブリッジしてフォールするかの違いだっけ?
カメハメはフォールしてたね。
あえて、ググらずコメしてみるけど、どう? バックフィリップと呼ぶ人は何より通っぽく聞こえる。
ブッチャーは山嵐だったな。 バックフリップ
肩に担いで倒れる
ブロックバスター
ボディスラムで担いで胸で止めて、後ろに反り投げ
でOK? >>309
何言ってんだ
誤爆負けって格を落とさない負け方のテンプレだろ
どこが転落人生なんだよ >>317
合ってる
ブロックバスターをホールド無しで放り投げるとレーザーラモンのやってたフォールアウェイスラム >>309
その前のシリーズで川田、小橋組にもラリアット誤爆でフォール負け >>309
あの試合のクライマックスは場外のハンセンに田上が放ったスライディングキック 鶴田対ウイリアムスの三冠のセミで小橋がハンセンにエグい逆エビで負けてた試合あったよね >>320
確か小橋を押さえつけてウエスタン呼び込むスパイビーを、横から川田が押したせいで立ち位置がズレ、
物の見事にスパイビーに誤爆 こうしてみるとスパイビーがタッグ戦のここ一番で勝てないのは、決して彼の技量不足だけではないと思う。
90年の最強タッグだって負けたのはハンセンのせいだし。
残り時間なくて焦ったか、ウイリアムスの残り体力を侮ったか、
決めに来たところを待ってましたのカウンターのパワースラムでフォール負け。
ハンセンのポカで目の前で優勝されるし スパイビーはスティングにも勝利してこれからという時にWCWを優先させて全日を離れてたから冷遇されてたんじゃないの? 三沢の「五冠王の軌跡」ってビデオ見てたら、ゴディもゴディで90年7月に三冠獲って、防衛戦で三沢を迎えるはずが急病でベルト返還。で、それ以降がチャレンジなくて、次が93年の9月にチャンピオン三沢に挑戦するはずが、これも急病でウィリアムスに挑戦者変更。めちゃくちゃ脂の乗ってた90〜93の3年間なぜ三冠に挑戦しなかったのだろう。 身体も素行もボロボロで三冠戦を飛ばすなんてやっぱり馬場としてはあり得ないことだから懲罰的な意味合いじゃね?
あとそれが怖くてもうカード組みにくかったとか 個人的には三沢とゴディの戦いは当時一番楽しみだったから三冠戦が流れた時は残念だったな。
まさかもう二度と見れないとは思わなかった。94年に一回来てそれが最後になったけどよっぽど酷かったのかな。
ハンセンの次の外人エースにと考えていた馬場が見切りをつけてしまう程に。 ゴディがちゃんと節制できるレスラーだったら歴史変わってたな イグナショフ戦は十分練習して勝ってほしかった
まぁ前日にガン宣告受けて、
通りであたふたキレ、作戦なさそだった
フライ対アビディみたいな展開になると思ってたけど スタン・ハンセン
「ベストコンディションなら総合でも決して負けることはなかった。
彼ほど腕力があってパワフルな選手はいないことを私は身をもって知っている。」 マードック、スレーターあたりは、総合で負けない自信あったみたい ハンセンは総合の選手については
身をもって知っている知っているわけじゃないし。 1988年位に行われた武藤vsスティーブ・ウィリアムス見たら武藤が圧倒されてて、あんなに圧倒される武藤初めて見た
その頃のコンディションで総合見たかった ウィリアムスは1998年のWWFガチ企画、ブロウル・フォー・オールでバート・ガン(マイク・バートン)にKO負けしてたから特にショックはなかったな 90年代半ば頃ならMMAのレベルやウィリアムスの年齢的にも通用出来たかもしれんけど2000年代も半ばだとバックボーンの強みだけじゃどうにもならんよ 喧嘩自慢が自由に参加できたボクシング&レスリングのトーナメント
初期UFCを意識したこの企画、俺は好きだったんだけどな
トニー・ホームのかませだったゴッドファーザー(ザ・ソウルテイカー)vs バート・ガン(マイク・バートン)
https://youtu.be/5nFnQT2mlgY 画質悪いけど、バート・ガンvsウィリアムスも発見
どうかなあ
https://youtu.be/XJ3deUKoHs8 ホークの方が若い頃ならまだ適性あったかも
ホーク・ウォリアーvsドロズ
https://youtu.be/EAmMSm2XBMs ホークは本当にいいコーチに当たったらシングルでホーガンに近いレベルまで行けたかもしれない。
あんな美しいフィストドロップは見たことがない。
あとはいわゆるプロレス脳とレスリングの下地だよな。 >>324
まるでガチ前提みたいな言い方やめてくれよ
負けたのはハンセンせいとか侮ったとかポカとか
そういう楽しみ方をして楽しかったのを懐かしんで楽しむスレだけど今そんなこと言われても気持ち悪いだけなんだわ
>>331
癌告知は試合後
試合前というのはデマらしいぞ
ガチンコ系の話題はハクには誰も勝てないで終わってしまうんだよ
ハク以外の全日系だとスパイビーとウィリアムスぐらいしか強いと聞かんよな
クロファットもまあまあ強かったみたいだけど >>336
売り出そうと思ってたウィリアムスに勝ってしまったガンを団体がバタービーンを使って制裁したのが不穏 >>343
バター・ビーン戦だけボクシングルールなのが不穏
実はバートンが全日と契約してしまったので(’98.11)レッスルマニア前にWWFを解雇(’99.1)されてたんだよね
ビーン戦だけ出たけど(’99.3)ある意味、制裁マッチか >>342
同意
「油断して負けた」みたいなこと言う奴とかな >>312
ウイリアムスのオクラホマは肩に担いだ時は後方に着地される、前に抱えるとそれが無い
その違いに気付いてからは肩に担いだ時は相手が後方に着地して回避するんだなと予測できて醒めた ウィリアムスはオクラホマで相手を抱えてコーナータッチするのが、なんだかバタバタしてて説得力なくて。あの怪力でも、やっぱ100kg級の人間を抱えて走るのは無理あったのかな。
フェバリットをバックドロップに変えて出世した印象。 ベイダーはガチでも強かったのかな
アマボクシングのアメリカ王者になったこともあるらしいけど >>348
ウソ。
スーパーボウルに出場したというのもウソ。 ベイダーと言えばオーンドーフとの喧嘩
これオーンドーフが勝った説とベイダーが勝った説が混在していて
どっちが真実なのか分からん おとぉーちゃんだがな。
ウィリアムスは馬場、猪木全盛時代なら評価も違った、しんが、そうなるとボックみたいな扱いだったかも知らぬ存ぜぬたなや。
ゴディは猪木とは全く対戦が無かったかんが、全日からインヂィーの流れで新日には関連がなかったけんが。
全日の常連で猪木と対戦しちょらんっちゅうのは沢山いちゃる、しんが、スパイビーやデビアス、スレーターもそうだがな。 >>346
1回だけ肩に担いで切り替えされなかったときがあるな
相手はハンセンで確か延髄ラリアットで終わった試合 >>352
このスレで猪木の話なんかするなバカ
スレタイ読め 控室でハンセンがルスカにイタズラされても文句言えなかったとか、ベイダーはオブライトに逆らえなかったとかそういう話聞くけどどこまで本当なのかも分からない
この時代の全日外国人の控室はどんな感じだったのか気にはなるけど オブライトって日本に住んでいたことでもあるの?
街で見かけたレスラー、的なスレでのオブライトの目撃情報は異常な多さ。 >>357
新日本で、カネックがホテルでリンチにあったが、全日本ではなかったのだろうか。 オクラホマスタンピートは肩に担ぐイメージ。
アバランシュホールドはボディスラムみたいに持つイメージ。
ウィリアムスのコーナーへのオクラホマスタンピートも最初は肩に担いでたけど、大抵後ろに降りられて切り替えされるからその後はボディスラムからの形になったような。
その時点でいわゆる「オクラホマスタンピート」とは別の技になったと言えるような気がする。 おとぉーちゃんだがなや。
猪木はウィリアムスとは名勝負は残せなかった、しんが、猪木とデビアスやスレーターならあい試合んなったかも、がな。
でもデビアスやスレーターが新日に上がるのは考えられんかった、しんが、当時の状況からまず無理だけんがなや。
でも後々にはフレアーが新日に上がった、かんが、そんで北朝鮮ではあっても猪木との対決も実現でけたけんが。
猪木とデビアスならかなりぃいい試合んなった可能性大、しんが、デビアスがやたら大きく見えたはずだがな。 またまたおとぉーちゃんだけんがぁー。
そいから猪木とカマタやルーインとの試合も見たかったしんが、海外では実現したか不明だけんがな。
若い子頃に海外で実際しちょるかも知れぬ存ぜぬだけんが、それこそ猪木が20代前半位ん頃、かんが。
猪木とルーインなら手が合いそうな感じがしゅるしんが、このたいけなら80番頃にやれば良かったがかや。 いやビルワットのボディスラムの体勢からのそれがオクラホマスタンピートだよ。 >>359
当時のアメリカ内におけるメキシカンへの差別はすごかったからね。
不法移民が安い賃金でどんどんアメリカ人の仕事を奪っていってたから。
全日ではマスカラスがその立場にあるのかもしれないが、マスカラスは強いどうのこうの以前に、
あまりにも毅然としていたから、なかったろうね。 オクラホマスタンピートと言えばテリーマンのイメージがある。少し助走つけて浴びせるヤツ
アバランシュホールドはシュミット式バックブリーカーみたいに抱えてそのまま浴びせるイメージ。アバランシュプレスとかとも言われてたな 新春ジャイアントシリーズの3軍対抗戦のたつぐで負けたブラックがハンセンにリング上でボコられてたな >>367
それテレビマッチではないよね、そもそもハンセン&ブラック組またはエースかディートンを含めたトリオなんてあったかな? >>368
それ見に行ってたわ、正月2連戦の2日目
ディートンはジャンボとセミでシングル(かなり緩い角度のバックドロップでフィニッシュ)
やったんであぶれたブラックはメインでハンセンと組んで三沢加田組と対戦
当然ハンセンの足引っ張りまくるんだけど試合後倒れてるブラックを腹いせ紛れに
蹴ったりブルロープでひっぱたいてたような 話の腰を折ってすまんが、
オクラホマ・スタンピー「ド亅
じゃないの? ホーガンのカリフォルニア・クラッシュは超低空だった ハンセンディートンvsゴディウイリアムスで珍しくハンセンがボコボコってのもあったな ディートンとブラックのコンビというのも傑作だったな >>374
ディートンもブラックもその後の控室で気まずかっただろうな >>376
そのシリーズブラックは参戦してないぞ。
(現地観戦民) >>359
全日本でキマラ2が白人レスラーから差別を受けていて
仕方なくトイレで着替えをしていた、というのはプ板で過去に読んだけど
真偽のほどは知らん。
しかし当時全日の常連の白人レスラーで人種差別をしそうなのって
誰だろうな?アンドレはレイシストで有名だが、ハンセンやゴディは
差別しない感じ。 >>372
ゲームでも実況でもスタンピートの方が使われてる。稀にスタンピード
通ぶってる奴はスタンピードだが滅多に言ってる奴はいない。オクラホマスタンピートでググれば分かる。キン肉マンでもスタンピート いつもキャプチュードをキャプチャードじゃないのとか、ビンス・マクマホンをビンス・マクマーンじゃないのとか言い直させてそう おとぉーちゃんだがな。
ハンセン ゴディ ウィリアムス スパイビー×ベイダー ビガロ ノートン ホームを見たかったけんが、90年代前半に見たかったしんが。
そいからベイダーとゴディの対決も見たかったっちゅうにおもうちょるかんが、ハマればかなりぃいい試合んなったと思う、けんがな。 スパイビーの話が出てたが、一時川田はシングルでどうしても勝てなかった記憶
まぁ直近までクロファットと抗争していた位だし、ボディサイズ違うからなぁ 真夜中おとぉーちゃんだけんがぁー。
♪〜〜〜♪
だっけんが、だっけんが、おとおちゃんっ ”アソォーリャッ”
だっけんが、だっけんが、おとおちゃんっ ”アヨイッショッ”
だっけんが、だっけんが、おとおちゃんっ ”アワッショイッ”
だっけんが、だっけんが、おとおちゃんっ ”アドッコイッ” >>374
世界タッグの前哨戦で、ハンセンが集中砲火食らって10分足らずでピン取られたやつじゃなかったっけ?四天王前はああいうのがあって格やバランスがうまく保たれてた。 >>386
仙台でハンセンがゴディに負けた件のことなら、あれはその2日前の武道館大会およびチャンピオンカーニバルの長岡でハンセンが勝っているから星を返したんだな、タッグ戦だけど
ハンセンのパートナーがディートンだからハンセンが不利というマッチメイクを故意にしたわけだ >>371
思い出した、この年は1・3後楽園てノーテレビだったね >>237
負け試合になっちゃうけど
千葉県でやった川田との
三冠選手権挑戦者決定戦がベストバウトかなぁ 武道館で田上が鶴田に勝った時、現地だったけど驚いたなあ
鶴田も田上相手なら寝ていいと思ったんだろうけど >>391
喉輪落とし一発であっさり決まっちゃったのが寂しい感じしけどね
あのコンディションじゃ無理もないか ハンセンはゴディによく寝ていたが、ウィリアムスには負けてないよね? >>392
四年前にドリーが鶴田に負けた時を連想したな >>387
その辺りは川田がパートナーの最強タッグで天龍が玉砕したのと同じか 朝っぱらからおとぉーちゃんだがにゃや。
♪〜〜〜♪
っんだけんが、っんだけんが、おとおちゃんっ ”アソォーリャッ”
っんだけんが、っんだけんが、おとおちゃんっ ”アヨイッショッ”
っんだけんが、っんだけんが、おとおちゃんっ ”アワッショイッ”
っんだけんが、っんだけんが、おとおちゃんっ ”アドッコイッ” >>393
チャンピオンカーニバルでもオクラホマスタンピートでやられたような 93年のCCでウィリアムスがハンセンから勝ってる。
その時に肋骨にヒビが入り、それはパートナーのゴディだけが知っている。
とその後のゴディ対ウィリアムスの公式戦で解説の馬場が言っていたような。
どこまで本当かは不明。 >>384
それは完全に記憶違い
1回しか負けてないしそれもリング下に現れたハンセンに川田が気を取られたスキに
後方回転エビ固めというセコいフィニッシュ
田上と間違ってるんじゃないかな
世界タッグ王者時代でさえ10分であっさりスパイビースパイクで負けてシングル4連敗 90年最強タッグの決勝はどうしてああいう結末になったのかね?
単純に時間を間違えていたことによるアクシデント?
それとも「本当は時間切れ引き分けであり、優勝したのはハンセン。
ハンセンは不運だった。」という演出を狙ったブック? >>402
ハリードク‼ってハンセンの声が入ってるとか
プロレス板で見たような気がする
それが本当なら29分59秒で決着だったんだろね ボケレフェリーが試合権利を間違えてカウント入れるシーンもあったしな >>403
声と言えば鶴田がゴディに負けた試合でゴディにDDTと言ってたり、川田がウィリアムスに負けた試合でバックドロップと言ってたりしてるのが入ってしまってたね
川田のは頭から突き刺さった千葉の試合だったかな >>402
あれウィリアムスが段取り間違えたんじゃないかな?ハンセンの中途半端なラリアットスイングから2人の表情が焦りだした。実際に時間ギリギリに終わる予定はそうだったと思うが、かなり過ぎてしまってた。 >>406
川田はバックドロップ食らった後も横になりながら何か口動かしてたよね >>401
川田とスパイビーのシングルってその一度だけかな
タッグですら川田はスパイビーに負けていないんだよね このスレに92・1・3後楽園の三沢&川田vsハンセン&ブラックを憶えている猛者がいることに驚いた、ノーテレビ大会なのに
最強タッグで殺人魚雷が優勝
殺人魚雷不参加シリーズで三軍対抗戦を行い世界タッグ挑戦者チームを決める
殺人魚雷抜きのあのメンバーで1シリーズやるんだから凄いなw儲けて笑いが止まらなかっただろう、ブッチャーも来ていなかったな 段取り間違えたっぽい試合だと、劣化し始めたハンセンが川田戦で、多分ハンセンは川田が避けると思ってチョンってだしたラリアットを、川田が普通に受け身取っちゃってグダグダになったの思い出す。客もざわついちゃって。
あそこから、ハンセンはシングルで試合作れなくなっちゃったな。でもタッグになると、その後もけっこう息長く活躍してた。 >>412
避ける場合もけっこう振り抜くからあのときはかなり体調悪かったんじゃないかね
なんにせよハンセンはもうシングル無理だなと悲しくなったわ >>412
左腕攻めがやはり効いているか!!!みたいな咄嗟の実況をどのアナウンサーか忘れたけどしてたような >>412
95年3・4武道館の三冠戦か?実況が「半ラリアット」とまるで車の半クラッチみたいな表現をしていたw
>>411
92年8月の武道館で川田vsスパイビーってあったね。俺、現地だったから思い出した 新日の時のハンセンのラリアットは猪木に完璧に返された直後に延髄斬りでピンされたのはともかく、ジュニアの藤波にまで返されたけど全日では絶対無比のフィニッシャーになったな
馬場は逃げられないようによっぽど気を使ったんだろう 前にカンナムのDVDが出たら買うとか言う人いたけどオレも欲しい
ただ需要がまったく無いよね カンナムで思い出したがアジアタッグにサザンロッカーズが挑戦したな、なぜかノーテレビマッチで
96年にも来日したけどしょっぱかったよ 新日本プロレスワールドみたいなのを全日でもやって欲しいのだけど日テレやらないだろうな 因みにカンナムは10.9新日Uインタードームで蝶野戦をボイコットした宮戸優光と同じ入場テーマ曲 テレビ中継の試合後に静止画と字幕で選手のコメントでるのが好きだった。あれも30分枠になった時になくなったんだっけ。 最後に四天王の好きな曲が流れてる時期もあったな。
三沢「新造人間キャシャーン」 川田「みちのく一人旅」 小橋「モーニングムーン」 田上「忘れた」…筋肉少女帯の「くるくる少女」も流れてたがまさか田上じゃないよな
スーパースロー映像とか。三沢が「ぶっちゃけ」ばかり言ってたのも懐かしい オリンピアが流れながらのスーパースローで、永源のツバ飛ばしが見たかったな ダニスのデカさは魅力的だったけど、いかんせん不器用 土曜日の超深夜での暗いふんいきは我慢するとして30分番組になったのはキツかった
1つの試合を2週に分けて放送したり ウィリアムスの殺人バックドロップは一撃必殺じゃなかった所が面倒臭かったよね
三冠奪取した時の三沢なんて何発喰らったんだか
そう言えばバトルロイヤルでも三沢にいきなりかました事もあったよな
三沢はウィリアムスとは試合したく無かったらしいけどそんなウィリアムスもノアに行こうとしてたらしいな ウィリアムスのバックドロップは制御が効いてない感じで「うわっ」って目を背けたくなる。森嶋とかもそうだけど。個人的にはあまり好きじゃない。
鶴田とかそれこそテーズのバックドロップは制御が効いてて美しさを感じるから急角度でもそう思わない。 >>427
新年のちょっとしたお楽しみ的なバトルロイヤルでウイリアムスのバックドロップくらった三沢は流石に気の毒に思った ウィリアムスは真横から見た、
体の厚味が圧巻だった! >>428
森嶋は体型さえちゃんとしてたらな
GHC防衛戦で三沢自ら寝て泊を付けようとしたけど虚しく結局自身がエースにならざるおえなくなった結果… スパイビースパイクよりかっこいい名前の必殺技って無いよな スパイビーが割り食ったのはDDTが流行りすぎて猫も杓子もつなぎ技で使うように
なってしまったことが挙げられると思う、素人目に見るに練習なしでもコピー
出来そうな手軽さを感じる技だった、馬場までレパートリーに加えてたもんな >>433
的を射ていると思うけどスパイビー自身の努力不足もあると思う、長身なんだから他のフィニッシュ技を模索した方が良かったと思う
あんなしょっぱいジョニー・エースですら技の改良に関しては努力していた
ただエースに限っては技の精度が酷過ぎたけどw ハンセンとのパートナーを解消されたエースとスパイビーが組まされて世界タッグリーグ出てた時あったよね。DJブロンドスとか投げやりなチーム名つけられた哀愁極まる存在だった。本人達らも全くやる気出なかったんだろうな… スパイビー、ネックブリーカードロップが、意外に効く技だったとか。 おとぉーちゃんだけんがなや。
>>433クゥーン、ちみはかなりぃ的を得とる、さんが、取り敢えずちみには感心するがなや。
しかしラリアットが主流になってもハンセンの価値は落ちなかったかんが、ハンセンは特別けんがな。 おとぉーちゃんだがなやぁー。
>>433クゥーン、ちみはこれからも的を得た事をバンバンカキコってけれ、かんが、褒めたるがなや。
ちみは見込みあるけんが、おとぉーちゃんもちみみたいのは本当に感心してまう、しんが。 ジョニースパイクなんてひどい技も出て来たな
あんなのを長身のスパイビーが新技として出したらオンリーワンな技の使い手としてトップ外人の座も狙えたと思う。やっぱ本人のやる気大事ね >>435
やる気ないなら参戦するなよって思うけどエースは背が高くて顔が良いから扱いはかなり良かった
過剰なプッシュぶりだった、ウイリアムスのパートナーがいない時にその座に収まって世界タッグも挑戦したし(94年5月、青森で三沢&小橋にノンタイトルで唐突に勝利w)
小さくて顔も悪かったら呼ばれないよ 98年チャンカンのハンセンvsウィリアムス好き
お互いピークは過ぎててハンセンなんてボロボロだったけど、だからこそあのラリアットには感動する 89年の新春ジャイアントシリーズ最終戦、伝説となったマレンコ兄弟対ブルドッグス
当初発表されてた目玉カードはスパイビー対テンタのみで余裕でチケット買えた記憶がある
当日の記憶は伝説の試合は覚えてるけどスパイビー対テンタの記憶が全く残ってない
たしか短時間でスパイビースパイクが出て終わったかなくらい エースは元子のお気に入りだから、しょっぱくても重宝されてたとも言われてたな 95年のCCの三沢対スパイビーがテレビ中継されたときに、解説の馬場が酷評していたからな。
顔色が悪いとか、足が重そうだとか、この頃のスパイビーはタイトル戦線にも絡んでいなかったけど、どこか悪かったのだろうな。 >>435
週刊ゴング命名か
DJブロンドスは結構力作じゃない
ハンセン&デビアスだかハンセン&オブライトは最凶コンビみたいな酷い名称だった >>444
ステロイド抜いたときで体重減りまくってた
あと風邪もひいてた エースがしょっぱいなら当時の外国人全員しょっぱいんじゃね?
強い弱い、人気の有る無しは別にしてね。 >>448
94年の三冠戦線にいたウイリアムス
ラクロス、スミスはしょっぱいとは思わなかったなあ
オブライトもエースほど酷くなかった、俺の主観 エースが酷かったのは小橋またはパトリがバックドロップで持ち上げてエースクラッシャーと合体するやつ
始めはちゃんときれいに決めていたがいつからかエースはただ手を添えるだけになっていたw >>450
> >>448
> 94年の三冠戦線にいたウイリアムス
> ラクロス、スミスはしょっぱいとは思わなかったなあ
> オブライトもエースほど酷くなかった、俺の主観
一時期、ウルフ名義でプッシュしてましたね。 >>406
松戸な
シリーズの最終戦だったけどこの試合を境に川田の格はグンと上がったと思う
次のシリーズから本格的に三沢とタッグ結成してメインに出る機会も増えてきた 馬場は解説の時にエースに厳しかったのは、エース自身の塩っぱさもさる事ながら
元子の絡みで妬いてたとかも多少あるのかね >>454
元子は関係ないんじゃない?そういうのを差し引いてもエースは酷かったよ
週プロにも危機感が無い。タイツ、ジャケットのデザインを変える、そんなことするだけで試合内容が向上されていないというような評価をされていたし
顔が良いだけで得という典型例 90年代中頃の総当たりチャンピオンカーニバルはシリーズ中後楽園が3〜4回あって
カードもわからぬうちにあてずっぽうでチケット買うんだけど自分が選んだ日に
配分されたカードが田上対オブライト、川田対エースだった時はちょっと行く気を
失いかけた。ハンセン対ウィリアムス(久々の待ちに待った来日)があったのが救いだった >>444
それ覚えてる。
全然動けてないし、何で呼んだんだろう? 田上オブライトとか観たいけどな。どっち勝ったんだろう >>455
プロレス活動は日本のみって割り切っててしかもレスラーとしてトップ立つよりブッカーのポジに拘ってたし向上心なんかちっとも無かったんだろうな オブライトは一切見せ場なし、スープレックスやる態勢にはなるんだけど
ことごとく田上が切り返してダラダラ時間が経過し最後はのど輪で田上の勝ち スパイビーはプロレスニュースで対永源がほぼフルレングスで放送されたのを見て
「もう四強じゃないんだな」と思わせられた 30年前のゴディ、ウィリアムス、エースがもし現代の選手ならエースの方が2人より序列が高くなりそう
今のプロレスラーはルックスの良さも求められるからいかにもむさ苦しい2人よりエースの方が推しやすいはず アーイ、アーム、スーパーストロングおとぉーちゃんだかな。
今のプロレチュは実力や強さよりも見た目重視なのぉー?しんが、よくわからんがなや。
おとぉーちゃん的には見た目よりも強さや強さ演出が優先と思うけんが、怪物性重視だがな。 スーパーファミコンの全日本プロレスダッシュではスパイビーと秋山の残り物タッグ組まされてたな
秋山にエクスプロイダーが無かったころ >>456
それ96年じゃないか?三沢と小橋が本格開戦する前の時期で両者が6人タッグで対戦した貴重な日 三冠が統一されなければファーナスなんかUNに挑戦、戴冠してそこそこ使い途ちがあった気がする。別に好きな選手じゃないけどw
ラクロス(ウルフ)もそうか。ラクロスって素材は良かったと思う。パワーあって跳べるし >>464
この書き込みよく見かけるけどエースはイケメンとして推すには顔も腹も肉付きすぎだしゴディやウィリアムスのような厳つい顔の方が結局格上になるだろうな
パワーファイターなのに日本人でも投げれるサイズなのも扱いやすいし >>471
シープハーダーズのマネージャーで迷彩ズボン履いてたの見たことある
レスラーじゃないんかい!って エースは各種エースクラッシャーを開発しただけでプロレス界に大きな功績残してるな
スタナー、カッター、フェイマサー、ペディグリーとか全部エースクラッシャー ジョニースパイクもギャングレルやエッジが使ってたな
あとメキシカンエースクラッシャーも1人で3Dやってるようなもんだ
ただコブラクラッチスープレックスはクロファットからパクった 最強タッグでゴディ、ウイリアムスが馬場、アンドレにフォール負けしたのはビックリした スーパーストロングおとぉーちゃんだがな。
ゴディとウィリアムスは平成のハンセン、ブロディと言われたけんが、そんでもスケールや扱いは超獣組よりも低かったがなや。
この頃は日本人対決、三沢達の大ブレイクがあったしんが、ゴディとウィリアムスは割を食ったとも思う、だけんがな。 >>475
でもあれ、馬場のフォール勝ちが不自然に見えない説得力が有った。
ゴディのセルの上手さなんだろうな。 >>477
あれがゴディの上手いとこだな。
ウィリアムスだったらわざとらしくみえる。 ウィリアムスがゴディを思い切り振って魚雷ラリアットの流れでしょ
そこを16文カウンターだから、自滅の説得力がある。
加えてランニングネックブリーカーまでやられたら、
さすがにピンは仕方ない。
最強タッグにおける馬場最後の輝きだったね ガンと組んでた時のエースって結局は大森と同格にされちゃったんだよな
ついでに00年CCでの大森急プッシュは無理がありすぎた(秋山、ウィリアムス撃破) >>461
永源「もっと弱いヤツとやらせろよ〜」
真似したの福澤だっけ? >>>444
不調のスパイビーを2週連続でTVマッチで見た気がする
30分なんだからもっといいカード放送してよ〜って思った スパイビーだけ格落ちするんだよな
ハンセン&ブロディvsゴディ&ウィリアムスが見たかった >>469
どっちが良かったんだろうね、唯一無二のチャンピオンを作る三冠か、中堅クラスにも良い選手には陽の目を与えるためにタイトルを増やすか。
後者の例は、今の新日とスターダムなのかな。 たらればやけどブロディ殺されてなければ何年まで全日本参戦してたか
三冠巻いてたか
鶴田離脱後にブロディに超世代が挑むことになってたから
違う未来も見てみたい 違う未来ならプロレスより、現嫁と結婚してなかった場合の俺自身のが見たいわ ブロディは殺された時点で引退考えててWWCの経営に携わる予定だったらしい
節制してたし40後半までは身体作れてたと思うけどキャリアの後半に若手の格上げに付き合ってくれるのかな おとぉーちゃんだがにゃ。
ブロディはよっぽど認めた相手じゃないと踏み台にはならぬ存ぜぬだけんが、三沢達の踏み台になるとは思えない、がな。
しかし三沢の事は認めたかも知らなんだ、かんが、そうなりゃ三沢にフォールブックも飲む可能性もあり得るけんがなや。 >>441
佐藤啓アナが実況した名古屋の公式戦か
フィニッシュのラリアットはたまにスロー再生する
風邪引きそうなときに見返すと体調持ち直すから >>483
その頃にはノア旗揚げが視野に入っているから小橋vs秋山という目玉カードを残した
その代わりに大森をプッシュ。一石二鳥 >>480
ウィリアムスは身体も小さくなってたし
劣化著しかったからなぁ
猛プッシュって程でもないかと
ベイダーに勝ってたらそう思ったかもしれんけど >>487
その分アジアタッグを引き上げた感じだったな
少なくともカンナム時代は >>487
現代で例えるとタマ&タンガみたいなタッグ屋として世界タッグ獲らせたかな?
世界タッグにカンナムだと力不足かな >>494
同年新日でやったウィリアムスとノートンも迫力無かったよな
もうただのバックドロップだったから あれはノートンの衰えも有ったからな
95年ぐらいに見たかった クロハットをジュニアでなく、UN王者として見たかったなあ おぱよんごじゃいまスーパーストロングおとぉーちゃんだがな。
ウィリアムスとノートンの対決は最悪だったかんが、もう5年前に見たかったがなや。
ウィリアムスとノートンの対決は前から見たかった、しんが、夢の対決だったけんがな。
ノートン初来日ん時には何とウィリアムスも参戦していたかんが、接点はあった、だがなや。
でもタッグは組んでない、しんが、勿論この2人の対決も一歳なかった、けんがな。
ウィリアムスの新日最後の参戦だった、けんが、ノートンの新日最初の参加っちゅうになっあ^_^な。
バトルファイナル90だった、かんが、控え室や移動時には色々と接点あったはずだけんがな。 >>499
UN相当のベルトあった方が、若手の台頭に貢献したと思います。ノアが、白ベルトという形を取って、近いものを作りました。 ウイリアムス、オブライト、ラクロスのTOPを真剣に応援してた人いたのかな あのおにぎり山みたいな指ポーズは全然流行らなかったな オブライトも途中から全然パッとしなくなったな。
まだ若かったけどコンディションは既に悪かったのかな。 >>504
糖尿で早々に動けんようになってたからな スーパーストロングおとぉーちゃんだけんが。
♪〜〜〜♪
おとおちゃんっ ”アソォーリャッ”
おとおちゃんっ ”アヨイッショッ”
おとおちゃんっ ”アワッショイッ”
スゥーパァースットロングおとおちゃんっ ”アドッコイッ” 各選手の全盛期に
ハンセン対ノートン
ゴディ対ベイダー
ウイリアムス対ホーム
スパイビー対ビガロ
の4大シングルマッチをやってほしかったな TOPは全日が少しずつ変わろうとしてるの感じてたから期待したが、結局全日も変わらずTOPも中途半端に終わった おとぉーちゃんだがな。
>>508クゥーン、ちみもわかってる、しんが、この組み合わせならば全てが未対決だがなや。
ハンセンとノートンやゴディとベイダーは見たかったけんが、やって欲しかったがなや。
92年頃ならベスツ!だった、しんが、この4大シングルは夢の対決だけんがなや。 >>147
>>148の続き
スティーブドール→死亡
トレーシースマザーズ→死亡
ケンドールウィンダム→バリーと会社運営
ヘッドハンターズ→Aが集中治療
アルコステロ→死亡
トムジンク→死亡
シェーンダグラス→単発的にECWリユニオン開催
ボスマン→死亡
ナスティボーイズ→たまに試合
フィルヒッカーソン→車のセールス、DJ
サンダー→引退
ライトニング(nwoスティング、スーパーJ)→たまに試合
カートベイヤー→引退
クリスヤングブラッド→死亡
マークヤングブラッド→養成所でコーチ
スカルフォンクラッシュ→ヴィトーに変身して活躍後スタントコーディネイター
バディフォロウィッツ→栄養士
アルペレス→引退
デビッドアイズリー→引退
マスターブラスター→死亡 ロッキーイアウケア→ワイキキでボートの船長
ジムブランゼル→セールスマン、糖尿病の子供のために慈善事業
サニービーチ→セキュリティ会社運営
ナイジェルタワーズ→引退
マイクオーサム→死亡
カマラ→死亡
ジョニースミス→試合前に倒れ緊急帰国後消息不明 マスターブラスター亡くなってたのか
見た目だけはめちゃくちゃ強そうだった >>513
アニマル弟と組んでレッキングクルーというタッグチーム組んでたな
元々はマスターブラスターズってタッグでケビンナッシュと組んでたのが単体で来日となりそのまま名前使った
95年にレッキングクルーとしても全日に2回来日してるよ ジョニースミスまじでどうした
誰か面倒みたりしなかったんかな >>513
マスター・ブラスターといえばデビッド・アイズリー
その年のチャンピオンカーニバル観に行ったよ
小川が得点4で一時的に首位タイだったらしいw ブライアン・コステロって外国人レスラーが今までに見たことが無いくらい酷かったな
小さいし個々の技で光るものも無いし見た目も地味
何でこんな奴が全日に上がれたんだろ ヒドイと言えばビリーブラック。飛び技とか華やかで悪くない印象だったのに、あるとき三沢がボロクソに貶したから、当時の従順な全日ファンとか週プロ読者が、三沢のコメントに右にならえして、ブラックをダメ外人扱いしちゃって可哀想だった。 ブラックは愛されてたというかファンにおもちゃ扱いされてる感じだったな
「ブラックはリクエストすればなんでもやってくれるぞ」という後楽園での野次が
週プロに取り上げられてた覚えがある 好き嫌いはあるんだろうけど、プロレスニュースは当時実際はどれくらい賛否両論だったんだろう。
真面目なファンは嫌いだろうし、超世代人気で入って来たライトなファンには好評だったのかな。
選手達はどう思ってたんだろう。 あの時代、夜中にしては視聴率がそこそこ良くて、福澤が10%目指すと張り切っていた記憶がある。 河田がダメ外人は蹴るとか宣言してたのもなんとも、、、 >>517
「今シリーズ期待の初来日トリオ、ビッグ・ジョン・ノード、ブライアン・コステロ、そして、ジョニー・ガン」
三沢対ガンの試合で実況していた福沢アナが言っていましたね。
実際は期待の〜ではなくて、とんだ一杯食わせ者トリオだったな。 >>520
自分は当時小学生から中学生だったんでプロレスニュースは面白くて好きだった、当時の全日は新日に比べて地味だったから。
福澤の選手のものまねが好きだったな、田上のものまねだと舌打ちしてたけど実際もあな感じだったのかな?
後ハンセンの語尾にウィーと言う喋りも印象に残ったが、でも子供ながらに馬鹿にしてる感じは有ったなぁ、後日馳が怒るのも分かる気がする。 >>523
本来ならポリスマンが顔合わせしてから上位に当てるはずだけど、この頃の全日にポリスマンがいなかった気がする
大熊の後のポリスマンって誰? >>525
いないと言われたらいなかったな
まあ強いてあげれば泉田だろうな
身体は頑丈だったし >>469>>499
UNってそんなショボいタイトルじゃないよ
基本参加外国人序列2番手以内じゃないと挑戦もできない >>523
ジョニーガンはデルウィルクスからパトリオットの権利を買って一時期パトリオットで活躍してた >>524
三沢のコメントは「ハッキリ言って」川田は「んっ」でいちいち付けてておもしろかった 全日本プロレス見はじめてから一番酷い外国人がノードだった。見た目ブロディーっぽいし(当時ゲームでしか知らんけど)ハンセンのパートナーだったからワクワクしたけど酷すぎた。ミスだらけで勝手に場外落ちたり あっ。RVDも酷かったな、まさかアメリカのスター選手になるなんて微塵も思わなかった
でんぐり返しからのセントーンで皆笑ってた記憶 >>531
その頃は伝繰り返しからのセントーンはやってない
ボディプレスや
てか伝繰り返しからのセントーンなんて今までに1度も無いがサマーソルトドロップと間違えてるやろ >>529
後小橋は語尾に○○っすと凄い馬鹿っぽく真似してて、菊地は語尾にバクハツってやってたのを思い出した。
後ハンセン以外の外人選手の真似は凄い適当に真似したのも思い出したよ。 >>532
やってた気がするんだけど?でんぐり返しからのサンセットフリップかも知れんが。ってかRVDの試合って全日本時代しか多分見たことないし ロブバンタムも動きはアクロバティックで警戒だったけど、軽量だしボディプレスとかもあまり体重が乗ってない感じで説得力がイマイチだったかな。解説の馬場もそこを指摘してた気がする。 >>501
大物相手のシングルマッチでそれに代えてた印象 >>520
福沢死ねとかは本当にハガキ来てたんじゃないかなぁ >>528
ジョニーガンって懐かしいな
三沢とシングルやってなかったけ?
水色のタイツのやつだっけね >>534
でんぐり返しからのボディプレスでなかった?
クロファットとの世界ジュニア戦はいい試合だったよ >>516
当時若気の至りで会場でデビッド・アイズリーを応援するフリしてパイズリーと大声で叫んでいた苦い思い出 >>541
そうだったかな?とにかくでんぐり返しだった。ジャンクロードヴァンダムから名前付けたのはすぐ分かった 93年だかに初来日の時はおもろい選手だったけど
すぐ来なくなって95だか6くらいまたちょろっと来たよね >>540
三沢対ジョニー・ガンのシングルは、テレビマッチだったよ。
解説の百田さんも、実況の福沢アナも何とかガンを持ち上げようと放送していたが、ガンは打たれ弱すぎた。
三沢も何とかガンの見せ場を作ろうとしていたが、反撃されてあっさり敗退。 >>545
フェイスロックで決まった?
そんな記憶 フェイスロックでしたね
週プロでも酷評されてたけど、カード組んだ奴が悪いと思う
トレイシースマザーズだっけ?wingのシリーズ途中放棄して全日参戦した人
彼も川田とシングルやって潰されてた気がする
こういうのはメイン張る選手の仕事じゃなくてポリスマンの仕事だと思うけど… プロレスニュースでゴディとスパイビーがそれぞれ入院してた時、「迷惑カケタ。心配ナイヨ!」の言い方が全く一緒で、あぁ彼らには言い回しに個性がないんだなと感じた。
でも絶対に馬場社長には声を当てず「通路は開けるように」というところに力関係を感じた。 >>547
小橋vsウイリアムスが行われた日と同じ豊橋で川田vsスマザースが行われたが放送されなかったんだよな…
手応えが無くて川田が制裁したらしいが放送できない内容だったのかと思っている、それは謎のままもう30年か スマザースのあのバタバタしたスタイルはだめだめやったな
裏拳三連発から構え直してゼロ戦キックみたいなの
全然効かなそうだもん 長浜市民体育館で行われた、小橋vsウイリアムスこそ名勝負。 小橋のムーンサルトは三沢、川田、ウィリアムスを仕留める事は出来なかったんだな
田上もタッグでは仕留めてもシングルでは出来なかったな
初勝利&三冠初戴冠の時はダイビングギロチンだった、ウィリアムス初勝利の時も 川田だけゴディにシングルで勝つことなく
ゴディが病気と奇行によって離脱したわけか
世界タッグでピンフォールは奪ってたけど >>551
それ現地で観た人っているのかね
小橋が勝ちブック云々言われているのって少しは同情する余地があるんだよなあ
試合内容は良いのに善戦マン扱いが長すぎた
三冠初挑戦が94年9月って遅すぎだろ 小橋は試合中に見せる一つ一つの表情がいいよな
試合運び自体は無骨でもそれを払拭する応援したくなるレスラー
だから橋本戦は見たかったけど運命のすれ違いで一度も交わる事は無かった 本来なら三沢→ゴディ→川田って順番で三冠を流して行きたかったと思う 馬場もレスラーの格の調整にゴディを良く使ってたイメージ。
馬場鶴田ハンセン三沢から普通にピンを取るけど、田上小橋川田にもポンポンピンを取られてたというか。
レスラーとしての技量を評価されていればこそだとは思うけど。 >>557
日本人→外国人→別の日本人というベルトの移動の仕方って現代でもたまにあるよねw 朝っぱらからおとぉーちゃんだがにゃや。
♪〜〜〜♪
おとおちゃんっ ”アソォーリャッ”
おとおちゃんっ ”アヨイッショッ”
おとおちゃんっ ”アワッショイッ”
スゥーパァースットロングおとおちゃんっ ”アドッコイッ” ノーTVの最強タッグ後楽園で見たウィリアムスブーバークロファット対馬場川田渕は
今でも思い出す至高の名勝負だった
馬場が混じっているのにハイテンポなうえどんどん試合のリズムというかペースが
雪だるま式に早くなっていき息つく暇も隙もない見せ場連続のあっという間の20分、ずっと
見続けていたい多幸感あふれる一戦だった。今思うとキーマンはクロファットだったか
セミの公式戦三沢小橋対スマザーズスリンガーも捨てがたい好試合でした あのころすでにドリーさんはリングに上がるだけで老人虐待の趣があったよね
正直すごく退屈な試合だったけど今見直したらまた違った見方ができるかもとは思う
この試合中に「今新聞読んだら追い出されちゃうかな?」というボソッと独り言系
の野次が飛んで局地的にすごくウケてた記憶があります >>561
クロファット上手かったよな
末期は薬漬けでラリってたらしいけど
ツバセルフキャッチは今思えばラリってたからできたのかもしれんw クロファットも一時病み上がりで痩せちゃってパンタロン姿で登場したときは心配したけど復活して良かったよね >>548
いやスパイビーは荒々しくゴディはひょうきんな感じで全然違ったよ おとぉーちゃんだがなや。
ドリーはボックを一回り以上小さくした感じって記事があった、しんが、かなりぃ昔だがなや、
でもドリーの動画見ると意外にデカいかんが、ボックと同サイズ位っちゅう感じがするけんが。 >>565
パンタロンのときは事故で痩せたんだつけ?
引退したのも事故が原因だし色々と受難だよな カード忘れたけど三沢組との試合でジョニースミスが頑張りまくってカットに入った三沢にブーイングの嵐が起こった試合良かったな。スミスが本当に頑張って誰が見ても応援したくなる試合だった
最後はスミス負けたのか時間切れか忘れたけどファンになった >>568
膝が悪いからパンタロンを履いていて7月くらいに膝が良くなったからショートタイツに戻したような気がする 最強タッグの1回戦目で三沢&秋山に勝ったキマラ&泉田が3ヶ月後のアジアタッグ戦で秋山&大森に負けたのは釈然としなかった
当時は「三沢&秋山に勝って秋山&大森に負けるっておかしいだろ」と思った ラッシャーのマイク、90年代前半は特に面白かった。
永源!俺は昨日ものすごくいい夢を見たんだよ。
誰にも言わないつもりだったけど、言っちゃうからな!
俺の寝ている部屋に宮沢りえが裸で入ってきたんだよ!(爆笑)
その後をよく見るとものすごくゴツい奴がやっぱり裸で立っているんだよ。
よーくみたらコノヤロー!永源じゃないか!(大爆笑)
永源の場合は少しヘアーが見えたぞ。
永源!頼むからこういういい夢を見ている時は出てこないでくれよ! ラッシャーのマイク、90年代前半は特に面白かった。
永源!俺は昨日ものすごくいい夢を見たんだよ。
誰にも言わないつもりだったけど、言っちゃうからな!
俺の寝ている部屋に宮沢りえが裸で入ってきたんだよ!(爆笑)
その後をよく見るとものすごくゴツい奴がやっぱり裸で立っているんだよ。
よーくみたらコノヤロー!永源じゃないか!(大爆笑)
永源の場合は少しヘアーが見えたぞ。
永源!頼むからこういういい夢を見ている時は出てこないでくれよ! 「木村さん今こういうのが世間では流行ってますよ、なんて三沢社長が気を使って
色々マイクのネタを提供してくれるんだけど三沢はいまいちわかってねえんだよなあ」
とラッシャーがこぼしてたらしい 川田も正月の特番でラッシャーさんにマイクアピールの提案するけど一度も使ってくれない(笑)とか言ってたなw >>554
現地観戦しました。長浜市民体育館史上最高の盛り上がりでした。 千葉公園体育館の
鶴田対ゴディなんて現地観戦した人いる?
みんなびっくりしたでしょう 三大大合唱
「キョーヘー!」
「ディー、ヤー!」
「ジョー!ジョー!ジョー!ジョー!」 >>576
>>577
面白い。
芸人さんは素人さんを弄って笑いを取るけど、それで調子に乗った素人には冷たい。 >>585
俺も当時は91年に短命で獲っていたことに後から気づいたw
外国人サイドのジョバーだったからねえ >>578
93年の小橋ってシングルは良い試合ばかりだったもんねえ
1月の大阪、田上戦
チャンピオンカーニバルの三沢、川田、ハンセン戦
8月のウイリアムス戦
10月のブーバー戦、川田戦
小橋ファンではなかった俺でも凄いと思うよ >>586
キッドの最後の戴冠でもあった
また外人同士の初のアジアタッグ戦でカンナムに陥落 >>587
そして最後に川田をフォールしての最強タッグ初優勝 >>578
この年からリーグ分けなしの総当たりになったんだね
前日に京都でビッグマッチやった翌日のいち地方大会(失礼)で手抜きなしでこういうカードが
組まれてたのがすごいな、ウィリアムスはハンセン小橋と連続シングルできつかったろうに >>587
本人は札幌のゴディ戦を重要な試合として振り返ることが多いな 93年の札幌大会で小橋本人は「この時ゴディを倒してから四天王と呼ばれるようになった」とよく言ってるけど、実際は諸説ある。
でも、ここから並び立つ扱いになったという事はあるかも。
この時のゴディはCCでは三沢を倒してたし、タッグではハンセンから前シリーズピン取ってたから小橋に取っては間違いなく格上だった。 >>590
総当たりだからノンテレビ(全てが小規模とは言わないが)の会場でのトップレスラー同士の対戦は多かった。
この年は、三沢対ウィリアムス、三沢対田上、川田対ハンセン川田対ゴディ、田上対ゴディ、田上対ウィリアムス、田上対小橋、小橋対ハンセン、小橋対ゴディ、小橋対ウィリアムス、ハンセン対ゴディはテレビ中継なし。
翌年からは、チャンピオンカーニバルからテレビ中継が30分枠になったから、CCどころか、最強タッグのトップ同士の対戦もノンテレビマッチが増えた。
それを利用したのか、ミヤギテレビなんかは仙台大会をローカル放送していたが。 川田がハンセンに初勝利した試合も確かノーテレビなんだよな >>592
この時の初の札幌二連戦を四天王時代の開始と見る向きは多いな >>593
皮肉にも三十分枠になった事でやっとバップがビデオ販売に積極的になったんだよな >>594
プロレスニュースで川田がハンセンに初勝利という一言があっただけ。
その後に川田がゴディに敗れ、ゴディは田上に敗れましたとコメントがあったので、あっさりと伝えられた感じは否めない。
ちなみに、その年のリーグ戦の終盤戦もテレビ中継はなかったため、ハンセンがゴディに勝ち、三沢がウィリアムスに勝ったので、決勝戦は三沢対ハンセンですと、プロレスニュースで伝えられた。 >>596
30分枠になってからは、開幕戦の後楽園大会と最終戦の武道館しか放送しなかったからな。
大型のシリーズのときは、地方から1大会放送していたが、これも大阪、名古屋、仙台など地元に実況できるアナウンサーがいる地域がほとんどで、今考えると経費削減していたんだろうな。 93年の10月にも小橋は青タイツ版スパイビーとシングルしてるんだがノーTVなうえプロレス雑誌にすら載って無くて残念
結構デカい試合カードだと思うんだが当時は関心低かったんだろうか >>599
その頃のスパイビーはエースとコンビを組まされていた頃で、ハンセン,デビアス組が6人タッグ組まれたさいに3人目として組み込まれていたな。スパイビーの他には、エースやウィンダム(弟)。あまりにも扱いがひどかったね。
最強タッグのパートナーも92年はウィンダム、93年はエース、94年はスティール。
一方のエースは、92年はハンセン、93年はスパイビー、94年と96年はウィリアムス、95年はパトリオット、97年は小橋、98年と99年はガン。
スパイビーとエースでも扱いに差が出ている。 >>600
94年では仙台大会でアジアタッグ前の秋山大森に敗れたのが目立った 実家が馬場さんの出身地だったから地方だけどタイトルマッチとかあって嬉しかった。当時小学生だったけど殺人魚雷のタイトルマッチ観に行った記憶がある。
何故か3年間くらい馬場さん(会社じゃなく)から年賀状来てたのは謎過ぎる
馬場さん亡くなった後も武藤全日本までは地元でタイトルマッチとか多かったな。新日本は目当ての選手が毎回誰か欠場… >>601
ああ、大森のフランケンシュタイナーでスティールが負けたやつね >>600
最強タッグはデビアス欠場で正にハンセン軍って感じのハンセンスパイビーエース組ってのがあったね
相手が馬場三沢小橋組、三沢小橋秋山組、ウィリアムスブーバパトリ組という特別試合があったがリーグ戦より気になるカードだった
スパイビーは94年の最強タッグでは調子良さそうだったな
ハンセンと組んで出て欲しかった エースもウィリアムスと組始めた頃は、ゴディが来れなくなったから、コイツでいいだろみたいな感じだったな。
最初は、ハンセン,ノード対ウィリアムス,エースというカードでエース寝かされていたし。
エースは選手よりも背広組があっていたんだな。
バートガンをつれてきたり、WWEで副社長したり。副社長としては、某団体のフクシャチョーよりは有能だったと思うし。 エースって背広だと、イメージしやすい感じの外国人デキリーマンの見た目まんまだったね エースが出世したのはビンスの不正行為に関与したからってのもあるけどな
結局それで解雇されたし 「全日外国人四天王」というくくりだったけれど、スパイビーだけ随分格が落ちる
「全日四天王」における田上のような存在 ダニー・スパイビー、ダニー・クロファットによる「ダニーズ」と
ジョニー・エース、ジョニー・スミスからなる「ジョニーズ」の対決が実現することをずっと待ち望んでいた >>603
同郷だから分かる。長岡の厚生会館はカード良かった。うち上越だからカードしょぼくて、CCの公式戦が秋山vsノードで秋山が首固めで勝ち。新日にいたってはパンフの表紙が蝶野なのに蝶野含め主要レスラー複数人欠場で完全になめられてた。 秋山ノードのCC公式戦ってゴングで「ノードは場外戦に持ち込みすぎ」とかめっちゃ叩かれてたんだけど実際そういう試合だったの? オレは市内だけど武藤、馳が欠場とかあったからな…全日本は小島vs長井のタイトルマッチも観に行ったな。何のタイトルマッチなのか分からなかったけどたまたまタイトルマッチだった。
メジャーは新潟市体育館しか行ったこと無い。後は新潟フェイズ(闘龍門)とか新潟競馬場w(みちのく、無料)とか おとぉーちゃんだけんがな。
ノートンとノードのタッグを日本で見たかった、しんが、2人は高校の同級生だがなや。
他にはホーク、ヘニング、ジンク、ルードと錚々たる面子だけんが、半分は故人、かんが。 >>608
なんか田上だけ格が落ちるとかたまに見るけど俺は小橋より上手いし外人やU系相手にも強さもアピールできてたと思うけどな
スパイビーが落ちるのは同意する ゴディは93年に欠場して以降、94年に一回来てそれが全日本では最後になったけどよっぽど駄目だったのかな?
その時にどんな試合してたのかはテレビとかでやったことあったっけ? >>590
ちなみに長浜大会、田上vsファーナスの公式戦も実現。 >>615
髭面になってたときよな
テレビで見た記憶はないな
まあ無理だろ
後にECWで殺人魚雷復活させてイリミネーターズとやってたけどゴディだけ全く動けてなかったな >>611
記者も真剣前提に記事書いてるし、熱あって良いな
ネットは本当諸刃の剣だわ >>593
ジャイアントサービスでビデオ販売してくれたのはありがたかった
ただ金はかかったけどな スタイナー兄弟の投げっぱなしが凄いと言われ始めて93年7月の三沢対川田、93年8月の小橋対ウイリアムスあたりから技が雑で危険な試合が増えていった気がする >>614
1996年のMVPは小橋より田上だったと思う
むしろ年間グランドスラム達成しておきながら同じ団体の小橋がMVPなんて田上からしたらこれ以上何をすれば良かったんだ? >>622
プロ野球のゴールデングラブ賞と一緒。
記者投票なんて、記者のイメージでしか投票されない。
さらに、プロレス記者の中には自分の担当団体以外知らない記者もいる。
全日本プロレスの話ではないが、年間タッグ大賞の候補にノミネートされた土井吉について、土井吉って誰?こんな選手知らないとほざいた記いるらしいから。 >>606
エースは今の全日の社長になったらいいんじゃないかと思う
かつての生徒が母校の教師として赴任するみたいな感じで
WWEでのノウハウを活かせば今の全日を浮上させられるかもしれないしWWEを解雇された外国人を全日に呼んで盛り上げられるかも 90年代の全日のリーグ戦は波乱が起きないから面白くなかった。カンナムが川田&田上、三沢&小橋に勝つことも無いしファーナスが四天王クラスに勝つことも無いから単なる消化試合
キマラ&泉田が三沢&秋山、オブライト&サブゥーが小橋&パトリ、ハンセン&大森が川田&田上に勝った時はわざとらしくて乗れなかったw >>625
昭和時代みたく反則、両リンができないからな
最後のは2回総当たりだからだし >>615
ウイリアムスが三沢に勝って初三冠のときのセコンドだったが、精彩なかったよゴディ。別人のようだった。 >>624
98年後半だったと思うが外国人グループのリーダーとなった時の週プロのインタビューでこいつの勘違いぶりが酷かった
全日本に10年もいるのに三冠に一度しか挑戦させてもらえない
記者が「ハンセン選手はそんな全日のリングで戦い続けているんですが」とふられると
エース「スタンは他に行く所が無い(笑)」
これでもうこいつは駄目だとわかった
週プロにタイツを変えたりコスチュームを変えるだけで試合に関する向上心が無いかのように酷評されたことすらあったのに人間の本質って変わらないんだなwと、その典型例 ファンクラブでブライアンコステロのサイン500円で買ったわー。
日本に100人もいないだろ。 ジョニーエースのガイジンムーヴメントもそれなりに支持してたファンはいたというか、マンネリを打破してほしいという期待感は無くは無かった気がする。 おとぉーちゃんだがなや。
エースは兄のアニマルの身体を模倣しなかったのは意外だけんが、逆にステロに嫌悪感があった?しんが。
更に小走りと組んどった時にも小橋の身体見て影響受けんがったんかっちゅうに思うかんが、謎だがなや。
周りにあんだけ身体重視がおったにも関わらず、けんが、そういう事には目が向かなかった?かんが。 >>631
定期的に話題に出てひどい身体のことしか無いのマジで草
それだけインパクトあるだらしなさだったよなw >>614
他の三人と比べて田上の格が落ちるのは人気の面だな
デカいし、上手いし、ナチュラルに強いんだろうけれど、つかみどころがなくて感情移入できない
脇役にはなれても主演は張れないタイプ ちなみに90ジャンアントシリーズの試合後コメントでした。 田上は体格だけでなく意外と器用さもあって運動神経も優れていた
そこは川田や小橋にはなかった部分
ただ華やかさで他の3人に劣るのは否めない >>636
スコッティ・ザ・ボディ(レイヴェン)かな? エースとか田上ってしょっぱいところが応援しがいがあったんだけどこの感覚わかるだろうか!? >>631
同意
小せえし、テリーにフォーク刺したシークみたいな汚え身体 >>628
98年後半ごろだとエースからすれば「スタンはそろそろ隠居してくんねえかな」
という時期だったかもね 鶴田のファンでプロレス観はじめたからパートナーに抜擢された不甲斐ない田上の事も仕方なく応援してたけど、だんだん成長していくのはカタルシスあったな 三沢対田上は見応えあったけどな。
なんかプロレス頭の競い会いみたいな感じで、頭から落とす危険技も少なかったし。
世間は、三沢対川田、三沢対小橋みたいな派手な攻防を期待する人が多かったけど。個人的には、三沢対田上は好きだった。 あの頃の武道館ってとりあえずカード発表待たずにチケット買っちゃうじゃん?
それで後になってメインが田上だと正直なとこけっこうテンション落ちたな
まあ見れば面白い試合なんだけど テンション下がるけどいざ見たら面白いのは凄いわかるわ 田上は喉輪落としが外人だと高く上げられなくて
決まり手としてしょぼかった 少数派だと思うが秋山が鶴田軍(鶴田不在)にいた時期が好き 92最強タッグはあくまで代役だから
実質93新春ジャイアントとエキサイトの2シリーズだね アーイ、アーム、スーパーストロングおとぉーちゃんがにゃや。
田上はあの身体が本当に酷かったかんが、あれでリングに上がるのは恥ずかしくなかったんかいな?がなや。
田上は身長があったからそれで練習せんかったっちゅう話しだけんが、小橋とは対照的な身体だっただがな。
小橋の影響を受けなかったのかも我慢、かんが、これはエースにも言えちゃるっちゅうに思うしんが。 田上ってそんなに運動神経良かったか?
四天王で1番もっさりした動きだったような >>652
一番下運動神経無いのは小橋だろ
技は雑だしリズム感もない
田上はダイナミックボムとドロップキックは綺麗だけどトペとダイビングボディプレス汚いしよくわからんよなw
跳躍力で言えばファーナスが断トツだろうな
次いでファイヤーキャット、RVD 四天王本に書いてたけど田上はゴルフも野球(キャッチボール程度だけど)も一番上手かったみたいね
そりゃ馬場から気に入られるわ >>653
パトリオットも跳躍力だけならファーナスにも負けてないんじゃないかな 三沢と川田はゴルフ下手クソなんてレベルじゃ済まなかったらしいからな
なんでも三沢が打ったティーショットが打順待ってた川田のケツに思い切り命中したとか >>627
ゴディは、IWAジャパンでデスマッチもどきやっていたような。Iジャにはブラックハーツも出ていた(タッグタイトルに挑戦していた)
ブッチャーは、東京プロレスでポーゴと抗争していた。 >>652
斜め飛びのミサイルキックはあの大きさの割にはきれいだったな スーパーストロングおとぉーちゃんだがな。
田上が小橋みたいな身体なら全日の歴史が変わってたっちゅう意見あった、かんが、あの身体はプロレスを舐めとったがなや。
もっと人員がいちゃれば田上は中堅止まり、羽田みたいな立場で終わったしんが、田上が売り出される事もなかったけんが。 >>656
これわざとじゃないのか?
じゃないと相当のアホとしか
わざとなら相当の悪意があるけど >>662
ゴルフはよくわからんが狙って当てれるのは上手いのではw 真横とか斜め後ろとかとんでもない方向にボール飛んだんだろうな
まあ馬場に当たらなくてよかったなとしか ディートン&ブラック、ファンタスティックスが多用したスローイングボディプレスはスローイングする意味が無いw >>653
小橋は運動神経ないプロレス下手くそ格闘技系の経験もない
それをわかってたからファンを大事にし一生懸命さをウリにした
一生懸命さだけであの位置に行った奇跡 >>662
狙って当てれるならプロゴルファーになってるな
三沢ってゴルファーっぽい見た目してるし >>666
言いたいことはわかる
最後の方なんか「チョップしかしないんでしょ」なんて言うファンもいたし
全日最後の方、99年なんて地方の消化試合でもオレンジクラッシュを三沢相手に使っていたからな
消化試合でオレンジクラッシュなんか出しても技の価値が落ちるだけなのに オレンジクラッシュって普通に考えたらバーニングハンマー(笑)以上に説得力あるよな。それを秋山デビュー戦で使ったりしたセンスの無さ >>669
秋山のデビュー戦のフィニッシュはストレッチボムだぞ。 >>674
にわかファンだからな。オレはヲタをバカにしてる。 この辺のレスラーで子供がレスラーになったのは息子と娘がレスラーになったゴディくらいか。
ゴディの息子は三沢も気にかけてたけど、体格的に父みたいにはいかなかったな。娘もプロレスラーだったのは最近知った。 おとぉーちゃんだがなや。
ハンセンのまさかもアニマルの息子もプロレチュの世界には入らんかったけんが、残念無念何でやねん、だがなや。
ハンセンの息子はハンセンを見ていてプロレチュには魅力を感じなかったらしいかんが、寧ろぜっに入りたくないっちゅうに思うたらしいがな。
かなりぃ前にハンセンが何かの記事であったしんが、ハンセンも息子をレチュラーにはしたくなかったかんが。 改めてスレタイを正しく解釈するのならスパイビーを外国人4強とされていた時期とすると
90年チャンピオンカーニバルから91年の最強タッグまでということになるな
93年5月からが四天王時代
5強時代の始まりは96年か97年(秋山が四天王に加わった時期は意見が分かれそうなため) 大阪で田上倒した辺りが5強スタートかね
93年で一気に崩壊したね外人4強
ハンセンとウィリアムスだけになっちゃった ハンセン、ディートンVSゴディ、ウィリアムスでハンセンが一方的に攻められて
5,6分でピンフォール負けしたのは印象に残ってる >>685
仙台大会
会場にいました、ささっとパワーボムで終わっちゃいましたけど
今考えるとハンセン負けた姿なんてレアなもん見れたかなと あの試合ゴディが単独でハンセンにパワーボム決めてたな。ボム系の技をハンセンが受けるのはかなり珍しかった。今まで受けた事あったのかな?
ディートンがちょっと可哀想だった。 天龍のパワーボム食らってたような…?
あとはウイリアムスのドクターボムはくらってたね 昔、場外乱闘の時にフラフラ歩いてたオッサンがハンセンのラリアットを見事にかわしてたな。
神がかり的なかわし方で何かの番組で紹介されてた >>689
93年福井市体育館
三沢、小橋vsハンセン、アルペレス
三沢が小橋のアシスト受けてジャーマン決めてる >>688
ちょっと毛色が違うがパトリのフルネルソンボムも受けてたな >>691
ペレスの来日は1月と5,6月のシリーズだが、93年の福井大会は3月下旬じゃなかったか スーパーストロングおとぉーちゃんだけんがぁー。
ハンセン ゴディ ウィリアムス×ベイダー ビガロ ノートンを見たかったしんが、どの6人よりも凄い顔触れだがなや。
ここにスパイビーとホームを入れてもいいかんが、そんでもそうなると2人は他の6人よりも落ちるけんがな。 >>473
フェイマサーの元ネタはギロチンエースクラッシャーって主張なんだろうけどあれオリジナルはエースじゃないぞ
エースがギロチン使い始める前の90年にマーティジャネッティがあの技でジョバーの首折った映像残ってるし >>695
マーティジャネッティが元祖やね
その後エース、ホセエストラーダジュニアが使い始めてビリーガンでメジャーになった印象 >>685
福澤が実況してたよ
「カットに入ったジョーディートンを『君に用はないんだよ』と2人がかり」 >>685
福澤が実況してたよ
「カットに入ったジョーディートンを『君に用はないんだよ』と2人がかり」 牧場の怪力男、トミー・アングル
パトリオット、マスター・ブラスターに比べてしょぼかった おとぉーちゃんだけんがなや。
この頃の全日は確かに外人の粒揃いだったけんが、そんでもハンセン、ゴディ、ウィリアムスが抜きん出てたがな。
この3人の下に色んな外人が揃っちろったっちゅう感じ、しんが、3人との差が大きかったけんがなや。
もう少し他の外人の扱いも良くすりゃあ良かったっちゅうに思うかんが、エース、パトリと勿体ない、だがなや。り パトリオットは初参戦のシリーズで小橋にシングルで負けたのが勿体なかった
昭和だったら両者リングアウトだっただろう このスレが面白過ぎて当時の動画を漁ったけど、
https://youtu.be/wOGo3rtkvVQ
これとか川田ハンセンの前哨戦?川田がロブバンダムをフォールしつつハンセン意識して、3カウント入った瞬間にハンセン蹴り飛ばすとか、セオリー度外視の流れ今あんまりなくてめちゃくちゃ新鮮だった。 >>703
ストレッチプラムでバンダムがタップしなかった試合のことかな? この年のバトルロイヤルで大乱闘してから
しばらく川田とハンセンの因縁引っ張ったもんな ハクとウィリアムスなら、
どっちが力あっただろ
喧嘩じゃなくてね
ウィリアムスは元々は真面目なエリートそうだし 警察に手錠かけられても引きちぎった話が本当ならハクだろうな。ヤバイ人なのは間違いなくハク >>705
たしか、ハンセンのイスで頭から流血したんだよね。 川田が「あんなプロレスがやりたいならFMWに行けばいいんだ。体力が落ちてるからああいう事しか出来ないんだよ」とハンセンに対してのインタビューで言ってた記憶。 >>708
そうそう
場外でめちゃくちゃ振りかぶった椅子を頭にズドーンって https://m.youtube.com/watch?v=L--I2HVW24E
イス攻撃がカタいのはハンセンとナガサキだと思うけど、後頭部にイスをフルスイングするのはハンセンだけでは?
ブラックハーツは後頭部から流血してたけど、馬場に何も言われなかったのだろうか… >>706
身体のゴツさや力はウィリアムスの方がありそうなんだけど、
ハクからは身体から底知れないパワー感じるw >>707
ハクってネタだろ
三沢さんみたいなもんで どうなんだろうな。実際に何回も捕まってるし耳だか鼻を噛みちぎって凄い金支払った事もあるし、デビアスとか色んな選手も証言してるんだよな
手錠の話も他のレスラー周りにいたんじゃ無かったかな。まぁ信じがたいけど >>703
前にも書いたけど鶴田軍時代の秋山やっぱりいいな
小橋菊地とは組むより対戦したほうが絶対面白い >>709
それはまた別で96年くらいの話だったような
仕切りの鉄柵みたいなのを引っこ抜いて思いっきりぶん投げたとき >>716
96年1・2のバトルロイヤルじゃないか? >>708>>710
93年に川田とブラックハーツがやられて96年にホールの仕切りの鉄柵を投げたから
川田が「今まで何人やったか(やられたか)」と言っていたね >>715
小川と組んでアジアタッグに初挑戦してたな >>714
ハクの話で好きなのはハクが控え室で冗談言ったらあまり受けなくてションボリしてるだけなのに控え室の全員が恐怖で固まってたってやつ >>711
キレたハンセンヤバすぎだろ。
92年にも試合後に三沢に番外ラリアット連発して、「何が“ウィー”何ですか💢」by福沢ということもあったし。 ウィリアムスとリックスタイナー(だったかな?)が炎上してる車から人を救出したが当時アメリカで敵対してたのに一緒に飲みに行ってるのがバレてしばらく干されたって話もあったな。 フレアー、バッドニュース・アレン、ボビー・ヒーナン等の色々な人がハクは喧嘩最強と言っているね
ウルティモ・ドラゴンが海外遠征したら色々なプロレス関係者から妙に親切にされて
不思議に思ったら「あいつはハクの親しい友人だ」と言う事が向こうに知られてたからだったって話 喧嘩の話は確かめようもないが
リング上ではいつも圧倒的なパワー誇ってた ライガーはハクがルール無しなら宇宙一とまで言ってる。ハーリーレイス、アレン、キッド何かの猛者も声を揃えてガチでNo1はハクと語ってるな。国が国だけに実際強すぎるんだろう。すぐネタとか言い始める人いるがネタばかりじゃないと思うよ
キッドもそうだが一般人に想像できないくらい危険な事平気でするし >>709
ハヤブサと対戦したときも「変なものに染まらないでウチで新弟子からやってほしかった」みたいなこと言ってたし、川田ってFMW(というか大仁田?)嫌いだったのかな おじさんってほんと未だにガチ最強()とかそういう話好きだねぇ >>358
六本木のガスパニック垢扉で見かけてビール買ってやったのに飲まずに消えてったわ。 大仁田がハヤブサの全日本参戦を叶える為に馬場に会いにくるってなった時に川田が「世間では嘘つきと言われている人。そんなのと関わったら全日本の格が落ちる。馬場さんが大仁田と関わったら俺も考えなくちゃいけないな」みたいな事を言ってた記憶がある。当時の川田は結構尖ってたような印象。 WWF離脱した後のテンタはWARやUインターでなく全日復帰して欲しかった >>733
この年に三冠チャンピオンになったが、「何がウィー何ですか💢」のときは、奪取失敗。
その次の挑戦で三冠奪取。ちなみにその時も実況は福沢。 ゴディを「ゴーディ」と表記するのは謎だった
発音も「ゴディー」と言っている人が大半なんだがw
仲田アナは正確に「ゴーディ〜」とコールしていたな ジ・イーグルじゃなくてダ・イーグルなんだよな。プロレスニュースで福澤に教わった イーグルとスマザースはバタバタしてて
弱そうだったなぁ 川田、田上、小橋は外国人と名勝負してたけど三沢さんだけは全く外人と手が合わなかったんだよな >>715
鶴田欠場後の田上は鶴田軍のトップでエースの風格があった
川田と組んでNO2になっちゃった感じで残念 オブライトは道場で井上雅央に怪我させて馬場にプロレスのスープレックスを1から教えてもらったんだってよ
受け身取れない投げ方してたみたい
Uインターではどうしてたんだろうな >>739
手が合わなかったとは思わない、逆にハンセンを筆頭に「三沢を壊したら俺たちが飯を
食えなくなる、但しその分川田小橋田上には何やってもよし」という不文律が外国人
選手の間で共有されてたんじゃないかと思う、三沢に対しては遠慮があったかと >>741
ジャーマンで多聞を担架送りにしたこともあったし、
投げ方が云々よりも引き抜く力が強過ぎるから相手の器量によって加減をしろ、
ってくらいじゃないの? 個人的にはゴディと三沢は手があったと思ってる。
この二人の戦いはもっと見たかったな。 >>743
和田京平がYoutubeで言ってたんだよ
同じ技でも月1開催のUインターとは肉体に掛かる負担が段違いだと個人的には思ったな アーイ、アーム、スーパーストロングおとぉーちゃんだけんがなや。
ハンセンは三沢に遠慮とかは感じなかったしんが、寧ろ遠慮なしひガンガンやっちょったっちゅう印象だがなや。
ハンセンは三沢、川田、こばしと遠慮なくやっちょったけんが、田上には遠慮よりも別の意味で本気んなれんかったっぽいがな。
ハンセンを最も本気にさせる男 三沢
ハンセンを最も怒らせる男 川田
ハンセンを最も熱くさせる男 小橋
ハンセンを最も白けさせる男 田上
かなりぃ前にこういうキャッチフレーズがあった、しんが、田上のは皮肉を込めた駄洒落っぽいけんがなや。 ファーナスが三沢怪我させた時ハンセンがメチャクチャキレたんじゃなかったっけ
三沢本人はこれもビジネスだからって済ましたらしいけど イーグルってハインズになってからデカくなったよな。身長も
馬場全日本から去って武藤全日本に来るまで海外で試合してたのかな >>747
三沢は怪我してない
ハンセンのドッキリや >>748
海外では兄のボビーフルトンと組んで試合してる ファーナスがフランケンで三沢を負傷させたって嘘くせえな
あの技で仕掛ける方がどうやって相手を怪我させるんだよ? しかしどんな意図があって三沢をチャンカーから離脱させたのだろうか94年は
川田のさらなる格上げ? >>752
三沢を優勝させると次のスーパーパワーシリーズで三冠王者VSチャンピオンカーニバル優勝者が出来ないからじゃないか?
欠場自体は身体のメンテナンスあたりで >>754
レスリングオブザーバーのファーナス追悼記事 三沢がCC欠場した時にシリーズのどこかで三沢対川田の特別試合組まれなかったっけ?記憶違いかもしれないけど >>756
フランケンで三沢負傷→翌日三沢負傷欠場発表、ファーナスはハンセンに仕事が下手、三沢抜きで客が入ると思ってんのかと厳しい説教→ファーナス三沢に呼び出され控え室に行くと三沢コルセットで悲痛な表情でファーナス半泣き→三沢笑いながらコルセット外してこれは全部ワークだよと説明→馬場によると川田を優勝させたかったが三沢に負けブックを書きたくなかった→ファーナスが外人控え室に戻ってハンセンに説明→ハンセンに今度は嘘まででっち上げるのかとさらに激怒 >>758
わざわざありがとう
これはファーナス本人がインタビューで喋ってたの?
> 馬場によると川田を優勝させたかったが三沢に負けブックを書きたくなかった
この部分はファーナスが馬場から直接聞いたってこと? 自分で書いてて気付いたが三沢欠場させた理由も載っとるやないか
要は馬場がエースの三沢を負けさせずに川田を優勝させたかったということやな >>757
三沢欠場中だったけど、事前カード発表してての売り興行だから、やむを得ず組んでドロー決着。大阪府立だったはず? 三沢vsハンセンは93年5月の札幌大会まではいい試合してたけど
それ以降は凡戦の連続だった 馬場さんは2メートル近いとか150キロ以上とかのモンスター選手が好き
三沢さんは動けるテクニカルな選手が好き
三沢さんが金丸入れた時も結構文句言われたみたいだしな スーパーストロングおとぉーちゃんだがなや。
プロレチュもそういう部分が本当に難しいかんが、負ける=キズが付く、だがなや。
確かに三沢はキズを付けたくないパパの気持ちもわかるさんが、経営側としてそれは当然、けんが。 >>764
三沢のダメなところは外人嫌いなところだな 94チャンピオンカーニバルで看板選手の三沢をシリーズの半分近く欠場させるかよ
でたらめの記事を信じるなよ。売り、手打ちに関係なくそんな馬鹿なことやるわけねえだろ じゃあお前はフランケンシュタイナーで本当に負傷したと勝手に思ってればいいやん >>766
嫌いならファーナスに>>758こんな懇切に説明せんだろ 92年7月に三沢が肩を負傷した時は1試合しか休ませなかったのに、その時とは随分と違う方針なんだな ジャンボがシリーズ全休してたからじゃないかな
二人いないのはさすがにまずいだろう 鶴田とゴディが健在だったら四天王プロレスにはならなかったかな?
小橋と秋山が割を食ってトップ戦線に出てくるのが遅れたか。
ウィリアムスもタッグ屋のままだったかも。 ハンセンが徐々にタイトル戦線から
下がっていったし、
ウリアムスは何だかんだトップなったんじゃない? 四天王プロレスってか危険技乱発は変わらないでしょ。
そもそも全日本が四天王プロレスとか言われてただけで新日本はそれ以上に垂直落下乱発だし。新日本ジュニアは更に危険だったし全日本程の受けの技術無いから怪我人多数
全日本が危険技ばかりのイメージって主にバックドロップでしょ?
新日本の雪崩式リバースフランケンとか雪崩式ツームストン、垂直落下DDTとかの方が遥かに危険だと思う。ノアなってからは断崖式タイガースープレックスとか危なかったけど
今は新日本と同じグループのスターダムが危険技乱発路線に行ってるし 90年代のプロレススタイルの変化は新日全日どころか海外のマット界でもあったしな
アルティメットウォリアーがホーガン2世になれなかったのは80年代のスタイルから抜け出せなかったからって海外で言われてるらしいし >>774
少なくともハンセンは少しは楽出来てもう少し選手生命が伸びたかなと。 >>776
バックドロップと投げ捨てジャーマン
そんでも決まらないから91
オブライトが来てフルネルソン
ラリアットに回帰するも
バーニングハンマー、リストクラッチエクスプロイダー
、三冠パワーボム
こんなの長年やってたら三沢みたいな事故起きるわ 三冠パワーボムはあの日だけのアクシデント的な技で良かったのに武藤との三冠戦やノアドームの三沢でも無理にやる必要無かったのに >>723
ほっこりするwズンドコスレに出そうなネタね 馬場さんはバカデカいモンスター同士がガンガンやるのがプロレス ジュニアは女子供向けの前座の賑やかし
三沢さんは動ける者どうしが技の応酬するのがプロレス
馬場さんは四天王プロレスを「解説しようがない 自分がやった事がないから」
三沢さんは王道プロレスを「ぶっちゃけわからない 馬場さんにしかわからない感覚」 >>779
自分にレスして変な話だけど
静岡の6人タッグで小橋がウィリアムスにくらったバックドロップは本当にそのままリング禍にならんでよかったと思う それとあれか上にも出たけど田上にやった
ハンセンとスパイビーの合体バックドロップ >>776
打撃と投げ、固め技しかないのが四天王プロレスだと思う。なんといったらいいのかわからんのだけど、蹴る、チョップエルボーなり二、三発して投げるの繰り返し?
まあとはいえ新日もグラップリングなんか最初の1分やるかどうかなんだけど。なんか、全日のはブツぎりな感覚で見てたなあ wcwだったかで殺人魚雷vsスタイナーズ戦があって殺人魚雷勝利と週ゴンに載ってて記事自体は本当に小さくだったけどバリバリの全日派だった自分はめちゃめちゃ誇らしかった スパイビーはいらんけど
ゴディはもったいなかったよなぁ エースなのにノーコメント、
まるで宮沢賢治の世界だとか言われたころの三沢さん
なんと、魁男塾の剣桃太郎のモデルになっているらしいね >>786
タッグのトーナメントかな?そんなカードあってビックリした記憶 たしか世界タッグ王座とWCWタッグ王座
両方巻いてなかったけ 92年の殺人魚雷はWCWと契約する話があったのかね?
あの年はスパイビーもWCWに顔出してたけどな ゴディもウィリアムスも80年代にアメリカで名を馳せたレスラーなのに殺人魚雷コンビでWCW参戦するときに日本から来たタッグチームみたいな感じで出てるのが不思議だった >>779
千葉公園で秋山が三沢に雪崩式エクスプロイダーやって三沢が危険な角度で落ちたから自ら禁じ手にしたしな
四天王プロレスは怖すぎて楽しめなくなった >>783
でも豊橋でバックドロップ3連発
95年のバトルロイヤルでも三沢にバックドロップ三発見舞ったよな
酷い奴だ、あんなことやっていたら選手生命が縮まるぞ グラジエーターは最初から全日だったら勢力図いくらか変わってたのかな
ビッグ・タイトンは塩だけど >>518
ビリーブラックのムーンサルトは中々良かった気がするよ。極めれば武藤並の華やかさになったんじゃないかな。気がついたら日本に来なくなってた >>796
怪我とかで早々と飛べなくなっちゃったパターンかな >>598
30分枠になってから武道館のタイトルマッチか何か忘れたけどノーカットで放送するために一試合を二週に分けて放送するとかいう前代未聞のアホな事してたよね?それ以降テレビ中継から距離を置く事になったよ 初めて30分枠になった時にあまりの短さにショックを受けた記憶がある。
カードも普通だったし、プロレスニュースも試合後のコメントも無くなって単純に番組としてつまらなくなってしまった。 放送時間が半分になった94年は一気に観客数が減ったな。
94年は大仁田引退詐欺のFMWよりも少なかった(ただし発表数の合計)。 >>799
同時期に新日も深夜に移動になったがゴルフ中継で潰れず毎週放送することになったので凄いありがたかった。 >>794
個人的にはその6人タッグの時のバックドロップが一番ゾッとしたわ
半身不随になるよ、あんなの
豊橋の脳天真っ逆さまも恐ろしかったけどさ 94エキサイトシリーズ最終戦で福澤アナが刺されてプロレスニュース終了→まだ60分枠だったチャンピオンカーニバル開幕戦でプロレスニュースがなくなった時でさえ物足りなく感じたもん。でシリーズ途中で30分枠になり、決勝戦で若林アナ「戻せ1時間枠!」発言→降板 この頃から試合時間の尺が異様に長くなり、スーパーパワーシリーズ札幌の世界タッグ三沢小橋vs川田田上なんて放送開始直後に「20分経過」のアナウンス。最終戦武道館の三沢vs川田で初めて2週に分かれたのはめちゃくちゃショックだったわ。ショック過ぎて、川田がトップロープからニードロップした瞬間「続きは次週放送。お楽しみに!」のテンション高めのテロップすら覚えてるし、めちゃくちゃ頭に来た覚えがある。で、その年のウィリアムスvs小橋の三冠戦で謎の効果音をつけて、全日中継から離れた人は多かったと思う。 30分に短縮されてから金子がメイン実況者になってから更に最悪になったな。先輩福沢の影響をモロに受けている抑揚の付け方や甲高い声技の名前は間違えるししょっちゅう噛むしコイツのせいでテレビで全日観るの止めたわ。要するにプロレスの実況に全く向いてないんだよな。 そもそも60分時代の後半時に金子野口後藤が実況やり始めたのが全日中継の終わりの始まりだったんだな。
どっかの地方大会では川尻とかいう女が実況してたが寒かったし、それらを察してか後楽園なのに中京の佐藤やよみうりの山本が実況してた時があったぞ。
その後恩知らずさんが復活となるわけだが… おとぉーちゃんだけんがなや。
ハンセン×ノートンやベイダー×ゴディは見たかったかんが、未対決だったけんがな。
ハンセン、ゴディ×ベイダー、ノートンでもらいい感が、おとぉーちゃん見たかったしんが。 >>807
川尻アナはテレビ新潟だね。女性初のプロレス実況で話題になってたけど、「カウント3です!」の「です!」って丁寧かよって思った。確か川田田上カンナムの世界タッグが新潟だから、川尻アナが担当だったのでは?不評だったのかすぐいなくなったけど。 川尻アナ技名間違えないし丁寧で良かったんだけどな
金子、野口とか最悪だった 凄い懐かしいな。俺も金子ダメだった…声が甲高いし耳障りだったな、高校生の頃友達ともそんな話したわ
>>804
ジャストミートが誰かに刺されたの?馳から文句言われてたのは覚えてるwwプロレスニュース+1なんかでもネタにもしてたし >>812
声が高くても、ミヤテレの水本アナの実況は評判よかったと思うけど。
実況機会が少ないから、話題にならないけど。
福沢アナがプロレス実況を抜けるから平川アナがプロレス班に入ったらしいが、日テレの上層部金子と野口だけでは心許なかったのかな? 平川アナが台頭して来て若林アナが復帰した所でようやく実況暗黒時代が終わったという感じ。
金子アナは若林福澤と比べてあまりに下手すぎたから、実況:金子だと心底がっかりした記憶。 >>812
「プロレスニュースはプロレスに対する冒涜だ!」と叫ぶアンチに刺されて「いつかこんな日が来ると思ってた…(バタリ)」と死んだ。で、スタッフから「okでーす」と言われたら、福澤がすぐに立ち上がって「はい、おつかれー」って偉そうに帰ってった。めちゃくちゃ偉そうだった。 >>814
煽りVの中でスタッフがイグナショフにウィリアムスのプロレスの試合の動画
(ヤバい角度のバックドロップで3カウント取ったシーンのダイジェスト集)
を見せるんだけどそれをやつがニヤニヤ小馬鹿にしたような表情で見てたのは
すごくというか不愉快だったわ ブロディが存命の頃はまだ反則決着、両者リングアウトが許されていたから大会場で行われる大物同士のビックマッチはほとんど不透明決着で大物レスラーはほとんど負けることがなかった
ところが90年代以降不透明決着が一掃され毎回きっちり3カウント決着が求められるようになり、それまで負けることがなかった大物レスラーも3カウント負けを喫するようになった
ハンセンが偉いのはちゃんと3カウント負けを受け入れるようになったこと >>806
金子の実況は酷かったな、福澤も酷かったけど
プロレス好きじゃないから無理もない
平川さんみたいなにプロレス好きな人でないと駄目だわ 福澤って探偵ナイトスクープに藤波出演して過去の映像流れた時にドラゴンロケット見て「藤波さん昔飛んでたんですね!?」とか言っててマジで知らないのか!?と思った
因みに藤波さんのお宝、息子レオナが本人からもらったミル・マスカラスのサイン付きサメ口オーバーマスク。本人評価額130万位(忘れた)気になるその結果は………残念!13万位(忘れた)
試合用マスクならもう少し高かったらしい。鶴田の使い込まれたリングシューズ(青)も意外と安かったな
鶴田はリングシューズはダメになるまで履きつぶすらしい >>819
好きでも若林までいくとちょっと引いちゃうんだよな
その後の事件でもっと引くことになるんだけど >>810
川尻直美さんはシットダウン式のパワーボムって言うんだったかな?
何年かのチャンピオンカーニバルの武道館で決勝に残れなかった川田&田上vsエース&スミスというカードだったかな?
「パワープレート❗」と自信を持って言っていたのを見て(聞いて)只者ではないと思った
女性の実況ということを売りにしていたが疎い男性アナより詳しいじゃねえか!と
川尻直美さんに注目するドキュメントで部屋に全日のカレンダー貼っていたくらいだからねえ >>817
中邑との再戦の時も直前でシュルトと試合してたしな >>813
週プロの吉田七瀬さんというライターのコーナーでテレビ中継を評論する企画があったが共感する内容ばかりだった
実況者に対する評価も的を射た意見ばかりだった
オブライトが参戦してから日テレ実況陣の関節技の知識の浅さが露呈されたなんて言われていたねえ、「膝十字」すら言えなかったから
同時期でテレ朝のアナは膝十字を言えていたような記憶があるよ 途中まで良スレだったけど気持ち悪い初老プオタが自分の嫌いなものを腐すだけのスレになっちゃったね >>820
福澤ジャストミート全盛時(辰爾になつてから)にも頻繁に使ってたよな
天龍にグーパンチで迎撃されてから徐々に使わなくなった >>824
吉田七瀬氏は日テレのアナには厳しかったが、平川アナと水本アナは評価していたような。
平川さんは単純に実況を評価されていて、水本さんは、宮城限定のプロレス中継を吉田七瀬氏にプレゼントしたのが評価されたのかもしれない、
吉田七瀬氏に仙台大会のビデオを送るくらいだから水本アナもプロレスマニアなんだろうな。 >>824
倉持アナは膝十字をアキレス腱、アキレス腱を膝十字と実況してたほど無知だった 天龍は新生Uを意識して膝十字とか寝技系を不器用ながらもよく使ってた
実況解説はそういうのを拾わんとな 佐山の本読んで研究したと言ってたよ
ビクトル古賀と出したサンボの本のことだろうね >>820
ただプロレス好きじゃないとプロレスニュースとかあんなの絶対できないから、完全に全日に特化したプヲタだったんだろうね いや福澤は「最後の最後までプロレスには興味持てなかった」って言いきってる
元々俳優志望だったし高校生クイズもノリノリだったしああやってハシャぐの好きだったんだろ 91年〜92年頃の全日はチケットが取れなくて
川田対ハンセン戦の武道館をケチって安い席を買ったら発売初日なのにL列になってしまい後ろ過ぎて感情移入が出来ず非常に後悔した。 >>828
あの人は一度間違えると修正効かない。よせばいいのに2度3度と繰り返す。 福澤は単純にプロレスの知識は素人だったけど曲がりなりにも仕事なんだから全力でやってはいただろう。
技については若林アナがプールで実際技をかけて教えたって自伝に書いてたな。
好き嫌いはともかくとしてアナウンサーとしての実力は確かだった。
プロレスニュースも含めて入社2~3年目でよくあれだけやれたと思う。 >>822
パワープレートって元々はジョニースミスのサンダーファイヤー(カナディアン)式のシットダウンボム(ジャンピングボム)でしょ。
金村キンタローも同型の技使ってた気がする。しかしみんな回を重ねる毎に普通のジャンピングボムになって行く。サンダーファイヤーパワーボムと同様に… 生ダラで石橋なんかとも楽しくやってたっぽいし、プロレス担当して良かったんじゃないかな >>817
イグナショフも結局大成しなかったな
体格差のあるガオグライに負けてから転落の一途 >>828
又裂きって実況していた野◻もいるから許してやれ。 泉田がこの頃の全日のポリスマンだったらしいね
暴露本で
ケンカなら小橋はちょろいとか言うてたなwww おとぉーちゃんだがなや。
福澤はプロレチュを見下しちょったっちゅう話があったけんが、それは意外にも事実かも知らぬ存ぜぬだがなや。
若林のバワイはプロレチュが本当に好きだった、しんが、プロレチュを見下す事はなかったかんが。 YouTubeでもガチなら誰にも負けないとか言ってた。あんな同業者いたら嫌だよな >>840
96年9月の武道館、大森vsオブライトな
無知な実況には解説を付けないと駄目だよ 金もらってんなら技の名称くらい予習しないと。学生がテスト勉強しないでテストに挑むようなもの
若林さんはわからない技があったら試合後にリングスタッフに訊きに行ったらしいけど福澤、金子、野口はそのようには思えなかった
知らないなら訊きに行けって、最前列で観られて金まで貰えるくせに
金払ってる観ているファンが馬鹿にされているみたい 昔、団体からチケット買うと武道館の先行予約のハガキが来たんだよな
で来たその日に93年最強タッグ最終戦10000円席速達で送ったら前から4列の席が取れたよ
小橋がバックドロップで川田をフォールして自身初優勝&世界タッグ初戴冠で感涙したやつ 若林アナと竹内さん一番良かった
馬場と若林アナだと
若林アナが熱くなりすぎて馬場さんちょいと不機嫌そうな時あるもんな クリス・キャンディッド
トミー・ドリーマー
サザンロッカーズ&ストライク・ハード
ハンセンvsレックス・キングというシングルを生で観たことがある
B級外国人は楽しめた 渕がたまーに解説やってたけどすぐやめちゃった
そもそも話が得意じゃない馬場がなぜ解説してたんだろ? 99年5月にハインズが参戦してきた時、彼が92年9月まで参戦していたジャッキー・フルトンだったことに全く気づかなかった
スキンヘッドになっていたせいもあるが仮に髪があっても気づかなかったかも >>850
渕の解説良かったなー。ただ当時超世代と鶴田軍がガチで敵対してると思ってたから、そんな渕が三沢ハンセンの試合とか解説してて「三沢チャンスですよ!頑張ってほしい」とか言ってるのを聞いてゾワゾワしたわ。
ゆくゆく実はフェイスロックを教えたのが渕で、初公開の相手が渕だったり、91年くらいの海外視察で三沢と渕が一緒に渡米してたりと、試合以外では距離が近かったんだよね。 ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、エースになって
ハンセン抜けて
ゴディ、ウィリアムス、エース、パトリオット
とかになってたかなぁ ゴディは梅酒飲みまくってたとかなんとかなんかの記事で見たことあるな
酒の量が凄いからウィリアムスがいつもそろそろやめようと止めてたとか >>820
今更気付いたけど探偵ナイトスクープじゃなくて、なんでも鑑定団だね…恥ずかし過ぎる 馬場さんの解説は喋りがスロー過ぎて
馬場 「三沢はああ見えてもね…」
実況 「あぁーっ!バックドロップ!垂直落下ーっ!…はい、、馬場さん失礼しました」
馬場 「三沢はね…」
実況 「あぁーっ!顔面!顔面ハイキックーっ!返せるか三沢!」
馬場 「…」
って展開が多かったけど話が成功すれば面白かったよ。解説でやたら小川のヘビー級転向を薦めたりしてたのは意外だった 解説は何を言うかもそうだけど誰が言うかというのも重要視されるからな。
馬場の見解と言うだけで価値がある。他にもベテランで技術がしっかりしてて実力派みたいなのが受けがいい印象。 馬場が自分をどう評価してるかわかるからレスラーは馬場解説を気にしてたろうな
鶴見は「若手相手にチェーンのような凶器使ったりはいただけませんねえ」と
馬場に解説されたので凶器を使用するのはタイガーマスク以上の相手限定にしたらしい 実況 「馬場さん、技の極まりはどうですか?」
馬場 「まだまだ全然極まってませんねぇ…これじゃあすぐ逃げられてしまいますよ…」
ゴング 「カンカンカン!」
実況 「決まったーっ!たまらずギブアップ!」
馬場 「…」
って展開には爆笑したw >>852
92年3月の三沢vsハンセンで若林さんが喋っているのに渕って話を最後まで聞かずに口を挟んでくるんだよな
地上波の情報番組の司会者並みに相手の話を最後まで聞かないw 馬場さんは解説で「小川は全日本で一番プロレスが上手いんですよ」なんて言っときながら
実際は普段全く会話なんかしなかったしな
ジュニアには塩対応
体がデカイ高山、大森、秋山なんかは猫可愛がり そりゃ上手いからでしょコーチとしても有能
他の団体のレスラーは小川にリスト取られたら取り返せるのか >>865
そういえば後ろ髪が出ていなかったもんな
当時は子供だったから髪の色とかつい最近まで素顔で参戦していたとか正体は誰か?とか考えず純粋に観ていた >>863
小川はノアでコーチだったりマッチメイカーやったり上手さは評価されているからだろう
マッチメイカーとしての手腕は疑問だけどw >>863
連投すまん
95年の1月に馬場さんが「ジュニアのチャンピオンには小川が1番近いんじゃないですかねえ」と言って実際に菊地より先に獲らせたし
ファンではわからない次元での選手間での評価も高いと思う >>869
小川は外国人選手にあてがうグルーピーのスカウトもやってたらしいな 未だに、小川(弱)とか弱成とか
書かれるのは
ファンサがめちゃくちゃ悪いのも関係してそう 小川は外国人選手のアテンドみたいなのもやってたんだっけ? >>814
レスラーのタックルに膝合わせるのは
ミルコ永田で定番になってたからな。 >>873
チンクラッシャーはキッドから引き継がれたんじゃなかったかな
あと武道館のブッチャーvsシンで菊地がシンに小川がブッチャーに付き添って入場していたのが印象的 馬場も解説で「せめて後10㎏体重があれば…」とは言ってたね。
レスラー馬場としては小川の事を高く評価してたんだろうけど、経営者馬場としては難し勝ったんだろうな。
小川自身も三沢のパートナーを長くやり過ぎてヘビー級戦線に顔を出しすぎた感じ。ジュニアで丸ケンとやり合ってた方が良かった。 某元プロレス記者(もちろん宍倉ではない)のブログで三沢と小川のタッグ結成の成り行きが書いてあったので読んでみると、馬場は小川のヘビーへの参戦にかなり反対してたみたい。それを三沢が強行して、もう俺のやることにガタガタ言うなよって意味でタッグ名をアンタッチャブルにしたみたい。
ってゴメン、外人スレだったか。 ジャッキーフルトン➡イーグル➡ハインズ
ジムスティール➡ラクロス➡ウルフ➡スティール
トルーパー➡パトリオット おとぉーちゃんだけんがぁー。
パトリ、イーグル、ラクロスのマスクマントリオは良かったっちゅうに思うしんが、大型マスクマントリオは画期的だった、だがなや。
しかしぃトップと中堅の間のポジションだったけんが、もう少し活躍の場を与えても良かったっちゅうにも思うちょるかんが。 ハインズになってキンコロ2に収録されるくらいまで元イーグルだと思わなかったしイーグルって新人の若いマスクマンだと思ってたらもう還暦なるんだな 馬場があと5年生きてたらノアは無かったかな。
晩年の馬場と三沢の関係も元子を巡って微妙だったし、三沢1人でフリーで抜ける可能性はあったか。
馬場が健在なら大量離脱も無かっただろうし。 俺がプロレス観る前の子供の頃、馬場はアッポーとかウスノロモノマネされてたので、
プロレス中継での流暢な喋りにびっくりしたけどな。頭のいい人だなってのも伝わってきてた ハインズは武藤全日本で人気あった
イーグルやらせずに素顔で良いプロデュースすれば世界タッグチャンピオンくらいにはなれたんじゃないか? >>884
ファルコン→スティーブアームストロング
リチャードスリンガー→トルネード→リチャードスリンガー
トムナッシュ→アポカリプス
テビットヒース→デストラクション→バンパイヤウォリアー→アポカリプス→デビットヒース→ギャングレル
デイブジョンソン→デバステーション
ブラディブーン→ファイヤーキャット スコットアームストロングも1回だけ来日したけどどんなレスラーなのかわからないままだった >>880
馬場「カンナムは身長と体重が足りない」だからね。デカイレスラーが好きだったのだろう。
ビッグジョンノードとかいう塩もデカイからという理由でハンセンのパートナーにしようとしていたし。
カンナムなんて、全日本以外ならばもっと上で使ってもらえただろうに。 >>893
現代なら新日のGODみたいなタッグ屋として使い途ちがあったと思う
逆に言うとシングルだと使いこなすのはかなり難しいなと >>890
正確には元子全日本時代
分裂最初の後楽園でブレイクしたんだよな
あの時のジョージコールの爆発はその前の天龍登場をも凌ぐくらいだった >>893
アジアタッグがあったのも大きい
ジュニアタッグでは大きいし NOAHの初期の外国人にモデストとモーガンがいたけれど、カンナムエキスプレス的な雰囲気のタッグチームだった。
GHCタッグにも挑戦していたが、カンナムの世界タッグ戦みたいな残念な内容になってしまったのも一緒だったのは残念だった。
初期のNOAHには、ダグ・ウィリアムやナイジェル・マッギネス、バイソン・スミスなど自前で連れてきた、いい選手がいたんだけどな。 NOAHにはアジアタッグが無かったのも大きかった
いっそ旗上時に借りていたWEWタッグを定着させていれば良かった ノアの外人もいい選手達はいたけど、ここのスレタイのレスラー達のようなスケール感には欠けた感じ。
リックスタイナーが少しだけノアに来てたけど、もう少し使って欲しかったな。 外人もデケええええ!やべえええ!みたいの来なくなったな
それだけじゃもう通用しないし難しい時代だ >>852
元子は3カウント決着推進派
三沢のフェースロックをダメ出ししてた
毎回嫌味を言われて三沢も辟易してた そういえばノアでのリックスタイナーって完全に空気だっな。アビスモネグロも同じく
最初から呼ばなきゃいいのに意味が分からん。 98〜99辺りの
三沢小川
川田田上
小橋秋山
エースガン
ベイダーウィリアムスorハンセン
のタッグ戦線良かったけどなぁ。
オブライトも現在なら
ベイダーハンセン
ウィリアムスオブライト
でも良かった。 >>901
三沢も結局ノアではフェースロックを使わなかったしな
フェースロックとエルボーだけで見せる形を確立出来てたらああはならなかったはず ジャンボがスリーパーを決め技に使い出した92年あたりで2.9プロレスから違う流れが生まれそうだったのにね >>904
武藤の四の字みたいに出来てればな
武藤もあれで選手生命延びたって言ってたし >>903
ウイリアムスは同系統よりゴディとかロトンドとかエースとか違うタイプと組んだ方が上手く機能してたと思うわ >>903
三沢小川肯定派だったが最強タッグ開幕戦のvsハンセン&ベイダー見て諦めたわ
何をどうやってどうにもならないのが分かった デカい外人に勝てる説得力って難しいよな
昔新日にレスナー来た時化け物みたいな身体してて誰も勝てねーだろコイツって思ったし >>881
小川、北原に舐められたエピソードあって、評価しづらい。試合運びは認めるが、それだけの印象。 小川の新弟子いびりはひどかったらしい。
入ってくる新人で自分より大きいのは、いびって辞めさそうとしてたんだよな。
結果井上と浅子しか残らなかった。
元子が気付いて小橋や秋山大森あたりからやっと改善されたらしいね。 こないだの福澤アナと小橋のイベントで、三沢小橋が最強タッグ3連覇したから、馬場からタッグ解消を言われたと。ただ三沢は秋山に対し自分はキマラとか謎のタッグにされて、馬場に嫌だと訴えても有耶無耶にされてヤケ酒してた時に、いまの奥さんに介抱されたそう。
て考えたら三沢小川は馬場のアイデアもあるのかな? >>914
三沢なりにインフレを抑える要素にしたかったんだと思うなぁ…
客も秋山も賛同しなかったと思うけど >>913
折原いじめ。しかし、天龍が折原に「小川呼ぶぞ!」と一喝したくらいだから、団体内評価は高い? >>916
さすがに小橋でもパートナーがキマラは嫌なんだな >>913
小橋が虐め止めさせて道場にも常に小橋がいるようになったから虐め無くなったって記事見た気がする。確か小橋、大森、浅子だったかは道場行けば大体いたとか 俺も小橋がキマラと組むのは嫌がったと見たことがある、そりゃそうだろ
キマラのシングルマッチってショルダークローを延々と繰り返すだけだから全く面白くない
ブッチャーのパートナー、それしか価値が無い
あとは泉田とのタッグくらいか 小川、「前座を経験しない奴は駄目」と、暗に秋山を批判していた。インタビュー少ない人だが、昭和の生き証人の一人。 そんなキマラだがハンセンとのシングルで武道館のセミを張った事もあるんだよな >>924
鶴田と高千穂みたいだな
秋山が抜擢されたのはプロレスに対する順応力が高かったのも大きい >>922
ゴディがエルボーバットを打った際に右肘を痛めるんだがその数分後にラリアットを放っているんだよなwセールか 下手なレスラーって前座を何年経験しても下手なままだからな テレビでシングルかタッグかとか試合の詳細は全く覚えてないけどゴディがキマラにラリアットしたらパコーンていう良い音が鳴ったシーンを何故か覚えている >>916
なんで馬場は、小橋&キマラなんてタッグチームを推し進めようとしたんだろ?
意味分からん 小川が若手の頃はダイナマイトキッド、ゴディ、テッドデビアス、ドリーが色々アドバイスしてくれたって言ってるな。
如何にもという面子ではある。 >>902
どこの団体か覚えてないけどwweで売れた後のミックフォーリー呼んで川田ぶつけて、川田のいつものハードヒット試合させてミックの良さ何も出ない試合を覚えてる
ミックが望んだのか?日本式やってみたいだの川田のいつもの試合体感したいとか? >>932
ハッスルでやった三冠戦かな?川田も最大限妥協してミックの悪臭靴下(ソッコだっけ?)
攻撃は受けてたが有刺鉄線バットは使わせなかったな >>933
その年は川田の三冠と小橋のGHCの防衛ロード(川田はV10小橋はV13)だったがどちらも疑問に思う挑戦者いたよな
川田だとそのミックとか西村、小橋だと彰俊やグラジエーター辺りか >>932
当時はカクタスジャックと川田が戦うのかぁ!と喜んだがカクタスジャックの動き悪すぎてガッカリだった
流石にもぅ歳かな?と思ってたけど現在でまだ57歳なんだな
しかも川田に負けたのも初めてじゃないの知ってビックリした >>917
ドームでやった秋山と馳の一戦なんかまさに次のスタイルへの模索だったな
これからはああいうスタイルに行かなきゃならんって感じだったが ノア旗揚げのフロントネックロックとか、秋山のセンスは正しい。しかし、小橋のナンバーツーに徹したのは、誤算。 小橋&キマラは札幌でパトリ&エース組に勝ってるのに驚いた
あの年は96年だったが小橋とキマラで新タッグチームで始動するという雰囲気は感じられなかったな 新団体旗揚げ戦でダサい白パンにイメチェンしたり(しかもノーフィアーと被る)
森嶋をジャンボ鶴田にしたりドームのタッグ王座挑戦のパートナーを橋にしたりする人のセンスはちょっとね
鈴木みのる戦も凡戦だったし >>933,935
ハッスルだったか、しかも川田がどうこうよりも相手が動けてなかったのか、俺が変に覚えちゃってたんだね >>938
ドームで小橋に勝てなかった時に終わったと思った
大森が抜けて団体内のバランスが崩れたんだよな
後に全日本で再会するがまさに失われた十年だった この禿山オタ何年も同じこと言ってるな
あんな塩トップにできるわけないだろ >>942
その頃のミック・フォーリーはすでに怪我でボロボロ 分裂後の川田の絶対王者路線は好きだったな
毎回防衛戦に新鮮味があった。ドンフライまで来ちゃった 意外と実現していない秋山とスパイビーのシングルマッチ
確か1度だけか 天龍離脱後と四天王時代の合間の時代は若手の引き上げや今までだったら呼ばれなかったであろう外国人レスラーが来日してたので個人的には面白かった
四天王以降は閉塞感有りすぎた >>946
だが秋山の場合は安定したNo.1がいないのが問題
だから彼自身がやるしかない >>950
その三人よりツブシが利いたのが一番大きい 1番潰しがきいたのは小島だろ
アイツ団体フラフラしてんのに全然落ちぶれないし 秋山は天龍の系譜なんだろうな
エースに噛みつく反体制 小島は落ちぶれるほど上がってないからな
ABCで言えばBがいいとこ そもそも、ハンセンのパートナーをスパイビーからエースに変えた理由がよくわからん。
ハンセンのパートナーがスパイビーで不都合があったのだろうか? ハンセンのタッグパートナーっていつもなんとなく組んでなんとなく解消してる感じ。
天龍みたいに明確な仲間割れもあるけど。 >>961
ハンセンに大森預けたのと理由は同じじゃない?
次世代スター育成 >>959
どう考えてもAだろ。ってかS無しで語ると面倒臭いよ。
しかもその小島評価付けの基準が分からないし、普通ならその選手の過去から現在までのランクだろ?それなら小島は間違いなくSクラスだぜ?三冠、IWGP同時王者はもちろん、武藤からタップ奪ったり川田、橋本に勝って見たり…それでBクラスなのか? ランディローズの逆河津落としみたいなフェースバスターが好きだった >>961
最強タッグの露橋で三沢と川田を破った時がこのチームのベストバウトだったな 俺も小島は評価低いわ。実績云々より散々足掻いて足掻いて殻破れなかった印象
永田の方が若干格上。天山とはドッコイかなぁ ハンセンってそんな育成タイプに見えないけど時折
エースやら大森やらボビーダンカンジュニアやら預けられるな 三沢以外の四天王、川田・田上・小橋がスレタイの外人に勝つか負けるのかの試合してた時は面白かったな。
四天王プロレスとは別に、対外人戦ならではの面白さがあったよね。 >>964
また「どう考えても」って自分の価値観を押し付ける馬鹿か
あとこのスレで永田とか小島って言ってるバカって何なの?
スレタイ読めないバカか?知識自慢したいなら他のスレでやれよ >>969
ハンセンは組んで育てるよりも、戦って育てるタイプだろう。
実際、四天王も鶴田やハンセンと戦って成長したわけだし。
田上は鶴田と戦う機会は少なかったが、三沢や川田と戦いながら成長した。 それにしても永田が三冠王者か。なんか嬉しいぜ。小島が挑戦者とかの三冠戦みてみたいぜ!
そういえば健介vs小島の三冠戦とかあったんだよな。 >>975
健介と間違えたwでも橋本に勝って無かったっけ?勘違いかな ちょっとスレに沿う話にするならば、最後は新日に行ってしまったバートン、スティールとタッグを組んで6人タッグで勝利した永田が、勝利者インタビュー中に最高のリングは(全日ではなくて)どっちだ?新日だろ?みたいな事を二人に聞いて答えさせてたな。イエスと言うしかない状況だろ
あの時は心の底から永田に嫌悪感を覚えたな。今となってはまあ永田さんじゃしょうがねーな…ってなるけどさ… この辺のファンならスーファミの全日本プロレス3.4日本武道館やるといいよ
スーファミながら動きが意外と多彩
ドリキャスのジャイアントグラム3も良いけどちょっと難しいかな 全日本のゲームはスーファミ時代から全て持ってたな。もちろん「ファイトだポン!」もね
全日本単体のゲームはパトリオットやスパイビーが嬉しかった
ファイプロだとパトリオットの再現は無理があったからな。最近キンコロ2をたまにやるがスパイビーはどうにでもできても(作ってないけど)パトリオットは到底無理 90年代の末に体がデカくなった小橋とウィリアムスがチョップ合戦してたけどウィリアムスの方が優勢に見えた。
ウィリアムスは平然と受けていたのに、小橋はチョップを受け続けてる内に一発一発のチョップ後に握り拳で耐えるというアクションが会場からの小橋の声援になっていったので、あるいは小橋が会場を盛り上げる為にセールとして握り拳で耐えるアクションをしていたかもしれないけど。
でもまあ純粋なパワーでは小橋よりもウィリアムスだろうな。
新日だと健介や中西よりもノートン。
だから高山が小橋健介戦でどちらもパワーファイターと称していたけど、これも間違いではないがテレビ向けに分かりやすく又視聴者に向かって二人の対決を盛り上げる為に発した言葉でもあって、本音では外国人の方がこの二人よりもパワーでは優るとは思っているんだけど、それ言ったら白けるから言わない、と。 馬場が解説で小橋のチョップに対して「鍛えている胸板にチョップしても効かない。喉笛を狙わないと。自分は力道山先生からそう教わった」みたいな事を言ったエピソードがあった気がする。
馬場は小橋の事を最大限評価しつつも、レスラーとしての方向性については思う所があった感じはする。 小橋に関しては京平が聞いたという「なんで小橋はあんなに自分を強く
見せたがるんだろうな?焦ってんのかなぁ、そんなことする必要ないのにな」という
馬場の言葉がすべてな気がする >>980
小橋、中西、健介も新技開発に熱心だったのは単純なパワー押しだけじゃ見劣りするって理解してたからじゃ無いのか >>979
馬場はゲーム会社に色々と釘刺したらしいね
団体ゲーは大概お粗末に終わる中全日ゲーは稀に見る良作 >>985
ハズレなかった記憶。強いていえばスーファミのは三沢と小川が同じ顔だったくらいか…試合後のコメントや馬場さんの評価も良かった。マッチメークなんかもあった記憶
新日のゲームもスーファミ時代は買ったな、三代目タイガーや二代目ブラックタイガーがいたゲーム。何故かオープニングが馳の偽曲だったりしたのもあった気がする おとぉーちゃんだがなや。
>>985クゥーン、ちみは自分にレスっちょるかんが、これはかなりぃ恥ずかちいがなや。
ちみも次スレではこんな恥ずかちい事はせん方がいいしんが、周りからも笑われてまうけんがな。 >>981
片や天龍と対戦した新日のレスラーが『チョップが喉に入った。反則だ!』と盛んにアピールしてた。
保守的と思われてる馬場の方が過激じゃんと思ったよ。 コキーナの事?
ヨコヅナとして天龍と対戦
「ノドに入ったでゴンス!」ってアピールしてたよ >>978
田上のギロチンホイップ後の
ブーイング喰らうの最高ww
だけど興行モードでやると
その後観客ガラガラになる スーファミゲームでの馬場の動きのスピードだけはガチ スーファミにしては入場とかよくできてたな。当時9800円とか小学生には夢の額だったから当たりゲームで良かったよ
確かにプランチャー変だったけどwスパイビーの必殺技ってただのDDTだったのかな…記憶に無い。何故かスパイビーがストンピングしてる姿が頭に焼き付いてる >>980
耐える演出あったほうが弱さが垣間見える事よりも客の盛り上がりが大きいからでしょう。
痛くねーよ?で反応しない、は最初はいいかもしれんけどその路線では伸び代少ないよ >>987
新日レスラーは天龍がおでこを蹴り上げるステップキックまで反則だとギャアギャア騒いでたな >>961
エースが元子のお気に入りだったから
チャンカンでエースがスパイビーに勝って全日本は面白くなくなった スーファミの全日ゲーは確か3作目まで出てて最後のはすごく完成度高かったんだけど、なぜか効果音がブリュリュ、って耳障りなものになってたからそれほどやりこむ気がしなかったんだよな LRボタンで三沢の汗ワイパーとかめっちゃやってた!小橋は青春の握り拳で、田上は客席をにらむ、川田は寡黙キャラだから特にムーブはなかった気がする。 おとぉーちゃんだがなやぁー。
♪〜〜〜♪
おとおちゃんっ ”アソォーリャッ”
おとおちゃんっ ”アヨイッショッ”
おとおちゃんっ ”アワッショイッ”
スゥーパァースットロングおとおちゃんっ ”アドッコイッ” アーイ、アーム、スーパーストロングおとぉーちゃんぎなやぁー。 このスレッドは1000を超えました。
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