アントニオ猪木のライバルを語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ドリー・ファンク・ジュニア、カール・ゴッチ、
タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、
スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン…… >>1
その中だとシンだな
ハンセンやホーガンは長州と世代が同じだから弟子みたいなもんだ ジャイアント馬場、大木金太郎、ビル・ロビンソン、ドリー・ファンクジュニア、タイガー・ジェットシン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ヒロ・マツダ、マサ斎藤、スタン・ハンセン、ディック・マードック、ハルク・ホーガン、ブルーザー・ブロディ >>8
猪木ほど対世間を意識したレスラーはいなかったな >>2
猪木が一方的にライバル視しただけでむしろ目標かも、 観始めた時期にもよると思うんだけどプロレスラーのライバルっていない感じがする
対戦相手ではなく常にその先の一般社会の目を気にしてたというか ドリー、ブリスコ、ゴッチ、小林、大木とやった数年間はまさに猪木の全盛期。 シンだな
二人とも若くて元気良くて、猪木もシンもよく動いて、がんがんやり合って
何度やっても二人のケンカに客を巻き込んでいって飽きさせない
まだプロレスブームが来る前、新日の土台を築いたのは猪木シン 今日亡くなってしまったんだなぁ(´-﹏-`;)
あの世で馬場さんとタッグ再結成だ!
相手はディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーで。 バックランドとハンセンて鶴田とアマリロで同期だったんだよなあ バッドニュースアレン
マネージャーの若松
新国際軍団
維新軍団
たけしプロレス軍団
まだあるか?w アイデアもたくさん出してたな クラッシャーバンバンビガロ
マクガイヤ兄弟
まだら狼 上田馬之助 本当のライバルはプロレスに興味ない一般人
それらを引き込む事に成功した 猪木と名勝負をしたレスラー
ドリー、シン、ハンセン、アンドレがS
ロビンソン、ブロディ、ホーガンがA
バックランド、ブッチャー、フレアー、ベイダーがB
マードック、アレン、マリガン、ウィリアムスがC
対外国人ならこんな印象だ ワンツはCかD
ヨーロッパ関連で大事な人忘れてた
ボックはB ザ・デストロイヤー、ルー・テーズ、ジャック・ブリスコ(・_・;)まだまだいるかも。 異種格闘技戦なら
ルスカ、ウィリアムスがS
アリ、ペールワン、チョチョシビリがA
モンスターマン、ウエップナーがB 対日本人(在日コリアン含む)はエース級と戦ったのはだいたい名勝負だが、実はいちばん印象に残ってるのはラッシャー木村を5分くらいで血まみれにして勝った試合
勝利した猪木の後味の悪そうな顔と勝負のついた後も猪木猪木と叫び続けるラッシャーの姿はプロレスでしか味わえない世界だった ゴッチとのシングルは見ていないのでなんとも評価できないよ ビガロ、バンディ、オートンJr.、アドニスあたりはCかDだが楽しませてくれた 力道山が亡くなった時、フレッド・ブラッシーは
あのホラ吹き野郎のリキは俺様に勝ったなんてウソを墓場にまで持っていきやがった!
リキとはもう一度地獄で対戦して今度も血祭りに上げてやる!
とヒールレスラーとしての立場を守りつつ哀悼の意を示したらしいが
タイガー・ジェット・シンにも同じような感じのコメントを出してほしいなあ >>40
イノキは俺が地獄に送ってやったアゥ アゥ アゥ
と叫んでインタビュアーをサーベルの柄の部分で殴ると、 ザ・シークと対戦して血まみれにされた試合だけは、ちょっと可哀想に見えたタイガー・ジェット・シンさん。 何周年かのドームで猪木とタッグ組んで
試合後のマイクで猪木大好き宣言して抱き合ってオールドファンという名の老害を泣かせて、
そこから変わるわけないだろ ブッチャーは出待ちのガキにニコニコサインにも応じる対応のやさしいおじさんだったけど
シンは出待ちのガキを蹴散らしてリング外でもターガージェットシンを演じ切る、ブッチャーとは逆方向のプロだったけどな
もう素のシンでいいだろ >>45
ボックは>>33で追記した
評価はB、だけどAでもいいのかな
強さだけならたいしたもんだが、うーん ドリーとの試合はYouTubeで見ただけだが、
まだ若い猪木が王者ドリーに引っ張ってもらってた印象だった。 闘魂ライブ2は、海賊乱入直前まで本当に歴史に残る名試合の雰囲気がぷんぷんしてた。
照明の感じとかスモークっぽい空気とか。古館ラストというのもあったし。
一ヶ月後の両国のリターンマッチ(ノーロープよだれダラダラ流血)から巌流島まで、とにかくあの年はマサと手が合ってた。
猪木前田戦が実現しなかった理由の一つに、「マサとやった方が確実にいい試合になるし」というのもあった気がする。 巌流島は2回訪れたがそのうちの1回は一人では旅行が出来ない母親を連れての巌流島行きだった。🌅
3月下車だが雨でとても肌寒さを感じた。
母親は「早く帰りたい」と、とにかく我儘を言ってムッとさせた。
その母親も今年亡くなってしまい、もうこの世にいない。生きていれば今月で81歳だった。
燃える闘魂よりも1学年上だったことになる。
今年は著名人もかなり亡くなった。今は喪失感を噛み締めている。
アントニオ猪木VSマサ斎藤の巌流島決戦は宮本武蔵VS佐々木小次郎の対決と共に記念碑が建てられていた。
山口県下関市に巌流島は属する。🛥
下関からも門司港からもフェリーで10分で着ける。
門司港から下関まで海底トンネルを母親と歩いたのも懐かしく思い出す。 >>15
それだけは貰ってほしくない
破天荒な生き方をした猪木には勲章は似合わない >>31
86年IWGP決勝のマードック戦観てないのかよ…
まあ忘れてても仕方ないけど猪木とあれだけの試合が出来る外人はなかなかいない >>35
この中ではモンスターマンの試合前の期待度は凄かった
それまでの試合映像で凄い飛び蹴りとか見せられてたので、さすがの猪木も勝てないんじゃないかと不安で仕方なかった 磯村
「NHKで取り上げるまでもない茶番劇です。」 【一度対戦を見たかったレスラー】
ジャンボ鶴田、バーン・ガニア、マッド・ドッグ・バション、レイ・スティーブンス、ハーリー・レイス、ラジャ・ライオン、テリー・ゴディ、川田利明、鶴見五郎、ホースト・ホフマン 仏公共放送は受イ言米斗撤廃へ、日本も続こう 10/02 08:43 猪木は知人と別府温泉に行った際、
観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、
「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。
逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、
馬場は黙りこくだけだろうからな
間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」とはやらないだろ 猪木が盟友の死を見送った時、明確にライバルと言ったのはマサ斎藤だけ 巌流島から2年後の参院選で猪木の後ろで当確のバンザイしてたマサ斎藤 >>51
C評価というのは高評価なんだよ
マードックは藤浪との方が手が合ってたように思う
あとライバルというには継続性が無い 猪木の名勝負といえば、ハンマープライスで「猪木と戦える権利」を落札した大学の先生との一戦を挙げたい
相手は単なるプロレスファンで全くのド素人のはずだが、
「2の実力しかない相手でも7から8にして自分は10で勝つ」
猪木の真骨頂とも言える見応えのある良い試合になった
この試合に味をしめたフジテレビがその後
「アンディ・フグと戦える権利」を売り出したものの猪木戦のような名勝負になるはずもなく、フグが素人を一方的に叩きのめす後味の悪い試合になった 金曜8時と言ったら、政府広報のCM
「ちょっとお知〜らせ」が頭をよぎる カミーユビダン
シャアアズナブル
ジェリドメサ
パプティマスシロッコ
アムロレイ
ヤザンゲーブル キラーカールクラップ
こんなレスラーでワールドリーグと言い張った厚顔もすごいが
それでリーグ戦が面白かったのは輪をかけて凄い >>33
ギャグで書いたのにランク付けされててワロタ ダスティー・ローデスとは意外に凡戦だった(๑•﹏•) 猪木vsアンドレは、キャラが立ってるプロレスの天才同士が全盛期に戦ってたんだから、つまらなくなるはずないな 横浜アリーナのルスカ対猪木が何気に好き
あのはちゃめちゃさが猪木だ オットー・ワンツはAWA世界王者になっているのにIWGPでダークホースにも挙がっていなかったのは不思議。 >>64
「落選やバッシング等で落ち込んでいる時に真剣なファンの方に励まされた」と猪木自身が語っていた。
試合前は石橋が「タチの悪い素人」とからかい気味だったのが、試合後は感動気味だった。 >>31
隠れ名勝負なら1974年のシーン・リーガン戦
小林邦明もNO1名勝負に挙げているが
俺も同感! 今一つ大成しきれなかったキングコング・バンディ。
新日に来る前に米国でPWF王座に挑戦の実績あり。 猪木にとって不運だったのは、
ドリー、レイス、ブリスコ、テリー、ペドロ・モラレス
ミル・マスカラスといった70年代にブレイクした
中型のテクニシャンタイプの好敵手を全日に取られてしまったこと。
しかし、馬場も、こういうタイプの選手とは手が合わない。
両団体にとって、不都合な時代だった。 しかし、シンという好敵手を作り上げた。
シンは全日ではインパクトを残せなくてイマイチだったな。 レスラーとしての一番いい時期に名レスラーと対戦できなかったのは不幸だった
少しは選手を融通しろよ馬場 4年くらい前の蝶野の番組で言ってたこと総合すると、
・ジェットシン(猪木は常にシンをこう呼ぶ)、ハンセンはよく仕事してくれた素晴らしいレスラー
・自分より年下でライバルはいない
ホーガンは自分のシナリオでよくスターになってくれたという感じだろうし、アンドレは規格外すぎてライバルとも違う印象
坂口に常に一目置いていたのも事実だろうが、自分に忠実な参謀がライバルなわけない
マサ斎藤をライバルと言ったのは年齢的にもキャリア的にも実力的にも妥当
なお、馬場には散々悪態ついたが、結局相手にされなかったし、実際猪木の方が日本のプロレスを象徴するレスラーになったし、何より大仁田によると、馬場の死の直前でも夜の街で会ったら猪木から挨拶に来るんだからライバルじゃない 週プロのレスラー名鑑で猪木が「ライバル」の欄に必ず「ジャイアント馬場」と書いていたことにはある種の感動を覚えたけれどな
(馬場の方は「なし」) 1980.2.8のハンセンとのNWF戦はスリリングな名勝負。ハンセン株急上昇の一戦。
猪木タイトル奪回の4.3は、猪木がまだカバーに入っていないのに、レフェリーがカウントを始めてしまい
そのまま3カウント。
ハンセンがよく抗議しなかったと思う。 ハンセンvs猪木
ラリアットは喰らったら終了の必殺技扱いだったのでハンセンがロープに飛ばすと固唾を飲んで見守ってた ハンセン、バックランド、ホーガン、ブロディも鶴田と同世代で猪木より年下じゃないか >>94
あれは他の項目も毎年同じだったから、自動更新みたいなもの 同じものを翌年以降も使い回したのかどうかは知らんが、猪木に関しては最初の年は週プロの記者が聞き取りでアンケートしている
「ところで猪木さんのライバルは?」
「ライバル?ジャイアント馬場だな」
猪木さんはにっこり笑って答えた…みたいな起債があった 馬場さんのライバルと言うとディック・ザ・ブルーザー、ジン・キニスキー、ウィルバー・スナイダー、
ドリーにレイスにボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリックあたり!?🤔 >>100
ブルーノ・サンマルチノ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・デストロイヤー、スタン・ハンセンもだね。 >>101
フレアーとかマスカラスは格下扱いだったのにハンセンはちゃんと立てたよな
阿修羅原のファイトスタイルも好きだったみたいだし、ブルファイターが好きなんだろうなあ、馬場は
本当はファンクスとかどうでも良かったのかも知れん
調子こいたドリーを三沢や川田使って嬲り抜くとかヒドい指示出してるし BI共通の好敵手というと、ドリー、ハンセン、ブロディあたりが浮かぶ。
デストロイヤーに対しては猪木は若手時代に米国で大金星を挙げた試合はあるものの、やはり対戦成績ではデストロイヤーがかなり勝ち越していた模様。
馬場VSデストロイヤーは7勝7敗のイーブンだった記憶。デストロイヤーが日本在住から米国に戻る79年が
ラストマッチでデストロイヤー勝利だったと思う。 ブロディは、馬場さんが送り込んだ猪木潰しのための刺客なんて説もあって、うっかり信じかけたことがあった(@_@;) >>104
猪木が全日に送り込んだのが長州だからな ボブ ループ。一回対戦した後は新日に呼んでもらえなかったけれど。 twitterに、何人か猪木信者がへばりついて、うざい。本当にガチ最強と信じてる。 >>96
ようつべをいま観ると猪木はカウント2で返してるときもあるね ボブ・ループはハーリー・レイスが最初にNWA王座から転落した時に、流智美氏が東スポを買ってきて
「レイスが王座から転落したよ!誰に取られたと思う?」と訊ねたら
「分かった!ボブ・ループだろ!」と答えたらしい。
相当な実力者と認められていたようだ。
見出しは「レイス 毒針自殺」となっていて、トップロープからのエルボー自爆が敗因だった。 >>111
ボブ・ループが「ボブ・ループだろ!」と答えたように読めるが…
自分の実力を誇るジョークなのか 他の誰かが言ったのを書いてないのか >>111
ちょっと補正がいるね
流がそれって誰だ? と尋ねたレスラーが不明だな
最初に転落したのはブリスコ相手だし >>76
ナンバーツーって感じ
圧倒的身長と柔道の実績、フィジカルエリートの坂口がいる事でひきしまった 111に書き込んだ者ですが流氏の兄に、の箇所がスッポリ抜け落ちておりましたです😭 >ハーリー・レイスが最初にNWA王座から転落した時
ボブ・ループと答えるのは、かなりのマニアだし、
まだ、その時(73年)には、実力不足、NWA王者として
候補にも挙がっていなかっただろ?
普通に考えて、ドリーの後の王者はジャック・ブリスコと
決定していた。レイスは「つなぎの王者」だった。 ライバルって年代が近い方が相応しく思えるのは事実。
年代が離れるとライバルとは言いにくい、
シン、アンドレ、ハンセン、バックランド、ボック、パワーズ
この辺りだと年代的にもライバルだろうね。
ホーガン、ベイダーだと年代的に離れてる。
日本人でも藤波、長州、況してや前田だと世代ぎ違うからライバルとは言いにくいなあ。
上田、ラッシャー、マサ辺りが日本人のライバルに該当するかな。
坂口の場合は猪木の右腕的な存在だったからライバルという感覚は薄い。 >>118
しかもただの兄弟、ファン同士の会話じゃないですかw
いろいろと脱力 新日が持て余したボブ・ループは、MSGでボブ・バックランドかローランド・ボックあたりと組ませて
参加させたかった。
あるいは82年あたりの世界最強タッグでビル・ロビンソンあたりと組ませて参加させるとか。
ハンセン&ブロディ相手でも一方的にやられることはないのでは、と。 >>123
ループは全日でも持て余したから最強タッグは無理。 ボブ ループは全日本に外人の4番手くらいの位置で参戦したにもかかわらず、タッグで馬場から3カウントで勝ってしまった大馬鹿。 それだとリングアウトで馬場さんに勝ってしまったジ・アベンジャーの立場は!?
しかもチャンピオン・カーニバルで(´;ω;`) 猪木のライバルはプロレスに興味のない一般人
いかにそいつらをプロレスに引き込むか。馬場も同じ >>127
猪木が永久機関システムの記者会見を開いてもやってきたのはプロレスマスコミだけだった >>129
朝日が来たらちょっとだけ見直してやったんだがな
強制連行とか五十歩百歩のオカルト垂れ流してたし あなたが選ぶ「アントニオ猪木ベストバウト」を投票してください。締め切りは10月9日23時59分です。結果はニッカンスポーツ・コムなどで発表します。
https://www.nikkansports.com/m/battle/prowrestling/inoki_bestbout/ デビッド・シュルツは猪木に反則勝ち、以外はどういうレスラーだったのか、もう記憶にない。
85年くらいの記憶。 古舘を殴って干されて後年賞金稼ぎになったまでは覚えている ジ アベンジャーの場合はチャンピオン カーニバルだから、点数調整だろ。
新日本のワールドリーグで星野がグラップにクィックで勝ってしまった時。
国際のワールドシリーズで浜口がバションに勝った時と同じだよ。 ジャック・ブリスコに時間切れ引き分けの選手もいました。名前を忘れてしまった。チャンピオン・カーニバルに出た有名でない外国人選手。 >>136
ウェイン・ファリス
後のホンキ―トンクマン
ブロディには秒殺で負けた リーグ戦に「番狂わせ」は付き物。
古くは1969年の第11回ワールドリーグで
小鉄がモンスーンに、吉村がブラジルにフォール勝ちしている。 しかし皆さん詳しいなぁ😌
ライバルとは違うけれどもポール・オーンドーフあたりは、もう少し上のポジションで使えたような気が。
米国ではNWA王座になりかけたことも。 マシーン2号の力抜山辺りもコメント出して欲しいわ。
ボックは何年か前に紙プロにまさかの登場があったね。
音信不通で勝手に死亡説濃厚にされていたのに。
でもあれは何年も前だから今は既に故人になってるのかな?
健在ならコメント欲しい。 オーンドルフは前田のライバルにするつもりがあっさり3カウント入れられちゃったんで、なんか怒ってたみたい
もっとできたのにーて感じで試合後にうろうろポージングしてた でもオンドーフはその後のWWF参戦時に前田の面倒をめっちゃ見てくれてたんだよね 前田のパワー・オブ・ドリームではオーンドーフがヘタレでゴッチが潰せと指示したことになっていたが
イマイチ信用できない
オーンドーフは後にベイダーとストリート・ファイトをした位でしょ
どっちが勝ったかは人によって証言が違っているが オーンドーフとかボブ・オートン・ジュニアとか80年代前半の新日の外国人もなかなか味わい深い。
全日の外国人が豪華過ぎたせいか、長年外国人選手は全日の勝ち、という刷り込み現象が自分にはありましたが新日だって、かなり充実した布陣。
ハンセンを報復で引き抜き返された時に腹いせでテッド・デビアスを引き抜き返そうと新間氏が画策していたとか。
猪木VSデビアスは確かに見たいカードでした🌛 アドニスとオートンJr.のタッグはちぐはぐな感じがしたな オーンドーフは、怪物でもヒールでもないから
使いづらいよね。
初来日では、第一戦で藤波を破っているし、
2度目、83年の来日時は、WWFインターを取ったか、
取る直前の長州と両リン。
その一週間後くらいの両国で、前田に数分でフォール負け
って、ずいぶん前田を格上げしたが、すぐにメッキが剥がれた。 なぜかこのスレでまだ名前が出てきてないマスクド・スーパースター
たぶんものすごく強かったと思うね 妙に印象に残っているのがアイアン・マイク・シャープ
身体が良い意味でも悪い意味でも硬かったね こんなにしょぼい奴いるのかという意味で強烈な印象残したのはヘラクレス・ローンホーク
さすがに猪木とのシングルはなかったか? マスクド・スーパースターは確かに取り上げられないとおかしい選手ですなぁ。
アイアン・マイク・シャープ。懐かしい名前。力道山と戦ったシャープ兄弟のどちらかの息子😊
ヘラクレス・ローンホークちゅうのは知りませんな。
ヘラクレス・ヘルナンデスならば知ってますが🤔 アイアン・マイク・シャープがマイク・シャープ・ジュニアの
名で、最初に全日に来た時
アナウンサー「マイク・シャープ・ジュニア、素晴らしい筋肉です!」
田鶴浜弘「そう!まるで鉄腕アトムのようですね」
アトムは、全然筋肉隆々ではないだろ?
そこは、せめて鉄人28号のようだ、と言って欲しかった(苦笑) 田鶴浜さんの解説はちょっと違和感が・・・・・やはり山田隆さんがいい。 アドリアン・アドニスの名前を唐突に思い出した。
マードックとのコンビ。
トップロープに上るまではいいが、パンチを浴びてロープに股間を痛打してしまう選手。 81年のMSGタッグはハンセン・マードック組優勝が一番ピッタリくる。 >>150
ショボいと言えば
グレートアントニオですな マードックはハンセンの代わりとして売り出されることはなかった。
ハンセンの代わりはホーガン。
しかしホーガンもハンセンの代わりではなく別路線で大ブレイク。 新日の4回目のワールドリーグのメインで長州と組んだ猪木がマスクド スーパースターのランニングネックブリーカーで3カウントを取られたのは驚きだった。
馬場の代名詞のランニングネックブリーカーに敗れたわけだからね。 それなら、1974年3月21日
クリーブランドでのNWF戦でアーニー・ラッドに
スパイダー・キック(馬場で言えば16文キック)で
幻のフォールを奪われたシーンの方が強烈に印象に残っている。
当時の日本での放送は、ラッドのフォールを認めていた。
1本目が両リン、本来ならここでラッドが2−1で勝ったはず。 ストレング小林戦から数日後には渡米していたちゅうことですな(・_・;) >>74
あれって高田vs武藤の再戦超えてるよね
当時中学生だった俺が
あの試合ばかり俺の友達が聞いてきた
他にも馳の引退とか
あったのに
武藤の事とか誰一人聞いて来なかったよ
ベイダーvs猪木以外つまんなかったってさ ベイダーの投げっ放しジャーマンは恐ろしかった。
あの巨体でなんであんなに器用な動きが出来るのかと。内容ではベイダーの勝ちだが猪木の闘魂は元々は
全日派の私でも虜になるほど見事なファイトぶり
だった。 延髄斬りをフィニッシュに多用するようになってからの猪木はラクしてるなーという気はしたけどね トップロープに駆け上がってからニードロップを落とすまでが非常に速い。自爆もしない。
蛇足ながらトップロープからの自爆シーンが大好き。
You Tubeで見たラッシャー木村VSジプシー・ジョーの76年の金網デスマッチは素晴らしい。
AI評価値で言うところの99対1の形勢から逆転劇があった。ジプシー・ジョーが飛び過ぎて、ラッシャー木村が避けなくても自爆していたというくらいに
派手な自爆だった。ラッシャーさんの大反撃。
女性残り黄色い声援まで飛んでいた。 >>164
タッグを組んだ試合は覚えてるけど、対戦してたんだね。
バリバリのショーマンスタイルで猪木が大嫌いなタイプだと思うんだが。
馬場も腰フリムーブを嫌ってたらしいし。 >>167
猪木対ローデス、知らないと言うことは
名勝負として記憶や記録に残っていないってことだね。
通算、猪木の3勝(反則1、リングアウト2)1分け(両リン)
だったと思う。少なくとも、ローデスが勝ったことはない。
初来日の79年は、NWF戦で反則勝ち、この試合かな?
テレビ中継されていて途中、猪木がジャパニーズレッグクラッチで
幻の3カウントを取った。あと、ノンタイトルでリングアウト。
アメリカの大物相手にフォールは取らないものの、2戦2勝って、
ちょっとストレート過ぎるね。
また、翌80年MSGシリーズでは、公式戦で猪木、ハンセンにリングアウト負け。
この予選リーグで、猪木、ハンセン、アンドレはおろか、
坂口よりも下位だった。
もうファイターとしてローデスは見切りを付けられたと思うよ。
あとの来日は、MSGシリーズにしても特別参加で
猪木とはタッグを組んだが、シングルはなし。あくまで客寄せだったね。
最後の84年新春シリーズで、久々対戦して、両者リングアウト。 >>167
だけど大塚の話だと新日が呼んでいた外人で一番ギャラが高かったのはローデスだそうな
アンドレは皆が思っていた程高くなくてリーズナブルだったそうだ
「高かったらあんなに頻繁に日本に呼べない」と言っていた ベイダーが猪木に放った投げっぱなしジャーマンは,ベイダーがうまいのではなく,投げられた猪木がうまいんだよね。
秀逸の体重移動で頭から垂直に落ちて,四天王プロレスとの格の違いを見せつけた。 全盛期のローデスと好試合ができるレスラーが思い浮かばない >>169
やっぱり日本を好いてくれてたんだな
たとえば俺が台湾で怪物あつかいされ、台湾人嫌いなフリをする…
ちょっと想像できないw アンドレは全日を主戦場にするようになった時に「ギャラなんて今の半分でもいいよ。その代わり何回でも
呼んでくれ」と言ったらしい。扱いやすい、いい人だ😊 80年代だとシン、ハンセン、ホーガン、アンドレ、バックランドあたりだろうね。
70年代だとまた違った名前が出るだろう。
ロビンソンは一回のみの対戦だからライバルとなるかは疑問。 アンドレは全日移籍後もしばらくはムスッとした表情だったが、馬場と組むことでベビーフェイス認定され、柔和な優しい顔になった
アンドレはヒールとして観客から憎まれるのが辛かったのかもね >>174
国際に出た時は
M井上「うちじゃお前のギャラは払えないぞ」
アンドレ「ギャラは幾らだって良いんだ」
というやり取りがあったそうだ 後年ベイダーは「あの試合は、事前に思いっきりやってくれと言われていたのでメチャクチャやった」
「でも何度でもミスター猪木は立ち上がってくるんだよ」とインタビューで語っていたな >>174
新日本ではリング上では化物扱いでも、リングを降りれば、移動バスでは特別シートでビールまで完備。ディナーは飲み放題。そして猪木も藤波も「超一流」ってレスラーとしても最高評価。
晩年全日行った時も同じような境遇のBABAがいた。
nippon好きになるよ。日本人として嬉しいけど。 >>170
「馬場さんの弟子のお前ら。そんな事してたら、10年できる事が5年で終わるぞ。もっと巧くやれよ。馬場さんの弟子だろ」って言ってたのかな。猪木は引退後もちょくちょく介入してプロレス界をかき混ぜてたけど、全日四天王は…
以上妄想長文。 >>180
日本人は嫌いみたいだったけどね
化物扱いされるのが嫌だったとか
あとプロレスマスコミがうるさいと
ヒッププッシュは大好きだった アンドレからギブアップを奪った試合は
新日が当時のWWEと調整し、フォール負けはダメだけどギブアップならとなんとか了承を取り付け
アンドレに提案し交渉の末、苦い顔をするもOKとなり逆にアンドレの方からフィニッシュホールドはこの形でいいんじゃね?と提案があり
そのホールドの形を高橋経由で聞いた猪木が「ほー、確かにこれなら説得力あるなあ」と感心したんだよな あのギブアップの試合の後、ノーテレビだけどアンドレが猪木選手にリングアウト勝ちしたと聞いて、ちょっとホッとした思い。
対戦成績は恐らくイーブンだった記憶。急所の一戦は猪木選手が勝った印象があるけれどアンドレの格も保てた。 アンドレには長年使えてきた使用人がいて(名前忘れた)本人は普通のトイレに入れないからバスタブで用を足したり
そういう世話の全般をしていて、でアンドレが亡くなる前の遺書に「俺の全ての財産は世話になったコイツに・・・」というのがあって
所有していた牧場も含め、全ての財産を引き継いだという記事を思い出した 全日に移った後のアンドレは死に場所を見つけた巨象のようだったよ >>183
既に新日本を辞めていた新間が故人のマクマホンに逐一連絡して了承を得た、
という高橋本屈指の謎エピソードか >>187
当時の記憶を辿ると
その数か月後にハワイでバカンスでいたアンドレに猪木がプライベートで訪れていて
お互いにこやかに写真に写っていたな >>183
ギブアップよりクイックの3カウントフォールの方が
名前に傷が付かないと思うけれどね。
俺はアンドレにギブアップ勝ちしたことで
「完勝」したと思ったよ。
猪木だって、藤波、長州、天龍にフォールは取られたが
ギブアップはしていない。
94年1・4、天龍にWARスペシャルでギブアップしていたら
印象が違う。 >>189
に追記するが、クイックの3カウントフォール
なんて、中途半端なことはやめて、KOかギブアップで
勝負を決めよう、とした第二次UWFも支持されたしね。 猪木のギブアップ負けってあるの?(三本勝負の内の1本とかじゃなくて) >>189
アンドレにクイックは無理だろ
誰も試していないだろ? >>191
シンにアルゼンチンバックブリーカーで負けた位かな。 >>192
藤波が逆さ押さえ込みであわや、というのがあったはず。 >>191
新日初期、ジョニーパワーズの
足8の字固めがある。
日本プロレス時代では1971年9月、UN戦で
F・Vエリックの胃袋掴みでギブアップ。
デストロイヤーの4の字にもギブアップしたかも知れない。 >>194
逆さ押さえ込みではなく
コーナーポストから、アンドレの背中に
飛びつく、回転エビ固めでしょう?
アンドレに対し、背中を合わせて
押さえ込む逆さ押さえ込みは大変だよ(^^: 山崎がタッグの3本勝負ながら猪木からフォールを奪った結果ぎある事実。 新崎人生の拝み渡りでギブアップするレスラーがいてもいい。
アレは関節技で相手の心を折るだけの効果はある。
噛ませ犬発言以前の明確に格差があった頃の藤波VS長州の決まり手は殆ど回転足折り固めだった気がする。 藤波は「あまりにも危険すぎるので」ドラゴンスープレックスを封印した、ということになっているが、実際は腰が悪くなって使うのがしんどくなった >>185
フレンチ・バーナード?
(ワールドプロレスリングではベルナール・フレンチって言ってた記憶) >>202
猪木引退興行で健介にジャーマンで勝って「今僕に出来る精一杯のジャーマンです」って言ってたね >>202
86年にブロディをジャーマンで投げてたから必ずしもそうとは言えないと思う >>182
ヒッププッシュ。
あれはアンドレしかできない技ですよね。猪木も食らってたし、ハンセンも食らってた。藤波は可哀想なくらいほんとにペシャンコなイメージだった。
キラーカーンが食らった屁付きはほんとの話なのかな?ほんとなら最強必殺。 リング上でしばしば放屁していた模様。十分過ぎるほど反則である。 ストロングマシーン1号にドラゴンやったときは痺れた
平田がまた上手いんだよな 藤波さん(ついつい、さん付けで呼んでしまう(*´ω`*))の隠れた必殺技は不朽の名曲・マッチョ・ドラゴン。
この曲を聞くと、ちっぽけなことで悩むことがバカバカしくなってくる。脱力指数200%の曲。
試合中、ずっとこの曲を流し続けたら相手の闘争心を削ぐ効果もあり、クイックでアンドレあたりにも
勝てるかも知れない。受け身の天才が攻めに攻める曲だ。🎤🎼
城マニアという一面も味わい深い。藤波さんとならば円満な関係が築けそうだ😊🏯
ジャンボのドーリンク・ドリーマーもいいなぁ それまでプ界の迷曲と言えば鶴田のローリングドリーマーだったのに
藤波のマッチョドラゴンが一発で持って行った マッチョドラゴンの前に藤波はソロアルバムまで出してるのにそれは話題にならなかったのかな?
長州もレコード出してるよね。 ジャンボの女性人気は不思議だ
猪木の若い頃には猪木ギャルみたいなのがいたのかね 藤波ならゴーゴードラゴンだよ!
ヤッターマン歌手の代打説もある(笑) >>213
スープレックスドラゴンて歌もあったな
山本正之作曲の 猪木VSブロディは初対決は非常にスリリングな試合だった。結局一度も完全決着はなかったけれども。
新日にとっては多数の選手が出ていった冬の時代。
ハクソー・ヒギンズなどもいたが今一つブレイクしきれなかった。 >>216
ヒギンズは盗癖があったんだそうで若いのに呼ばれなくなった理由はそれだったんだそうな 歯糞との最初の対戦はイノキ史上でも最悪の内容だったね。
試合中に幻のピンフォールが何回あったかわからんぞ。 ブロディ参戦(85年3月)の前、外人で売り出していたのは
キングコング・バンディだよ(同年1月初来日)
怪物性としては、十分で、その年のIWGPにも抜擢されたが
アンドレとの特別試合でやる気なしの試合放棄、
あれで、もう脱落したな。
でも、この85年まではWWFのホーガン、アンドレ、
Pモラレスなんかも呼べたが、86年以降は提携は切れるは、
ブロディはボイコットするは、でビガロやSウイリアムスを
招聘。でも、前田らUWFや長州維新軍も新日に戻って来たので
外人は要らなくなった。 ノンテレビのタッグマッチといえ当時の猪木からピン取るっていう扱いまでされて、
これバンディ相当売り出す気あるんだろうと思いつつ、なんでノンテレビなんだろって思ったけど、
色々内部でも評価割れてたんかなと。
デビッド・シュルツみたいに古館暴行なんてアングルまで組んだレスラーもおったけど
結局続かんというあの時代 バンディは、初来日のとき一緒だったホーガンに敵意むき出しだったイメージ ブッチャーがなす術もなくやられてしまったのが85年来日時。
この時は「ブッチャーは終わった」と思った。
87年に久々に来日したときは動きが凄く良かった。パートナーのTNTも予想以上だった。 >>212
当時の会場の客はせいぜいクロウト筋のおねえさんじゃないか >>216
ビギンズは時期が悪すぎたね。
開幕戦の後楽園ホールでは猪木をあと一歩まで追い込んだ(シナリオを与えられた)。
当時の雑誌にも『ハンセンの再来』とまで書かれて。
最終戦も同じく後楽園ホールで猪木とビギンズのシングル。
しかしここにブロディが登場。
ファンの目は猪木VSブロディに。
試合自体も3分程度で猪木の勝利。
開幕戦のビギンズの大健闘ぎ嘘みたいな状態。
ビギンズは仮想ブロディにすらなれず。
ブロディ登場で新日もビギンズ売り出し計画は中止。
ビギンズの手癖の悪さは別としてブロディ登場の煽りを受けた。
でもブロディが移籍しなくてもビギンズがその後に日本に定着はなかったかも。 >>224
まさか流がヒギンズのせいにして、自分が・・・ マードックは86年に格上げされた感じがした。
前田対策の用心棒的意味合いの格上げだろうか。 >>228
WWFとの提携が切れてブロディもいなくなると
一流と言えるレスラーがマードックしかいなくなった
新日が必死に売り出したビガロもWWFに引き抜かれたし 1985年でWWFとの契約が切れて、と同時にブロディも
暮れのタッグリーグ戦をボイコット。
翌86年春のIWGPは、アンドレだけは招聘できたが、
ここで猪木がギブアップを取り、これが最後の新日参加となった。
IWGPは予選で、前田がマードックに勝てば猪木と対戦だったが
痛恨のリングアウト負け。あれはガックリきた。
で、決勝は猪木対マードックだが、所詮、彼はもうエース外人としては
通用しない。エリック兄弟なんかも呼んだが、いまひとつ。
ブロディと寄りを戻したが、結局、また暮れのタッグリーグをキャンセル。
それで秋から新外人エース候補にS・ウイリアムス、
明けて87年にビガロを売り出したが、夏にWWF転出。暮れに
現れたベイダーで久々、安定感のある外人エースが産まれた。 60年生まれのケリーの若くしての凋落が信じられない。
交通事故があったにせよ悲観せずに生きて欲しかった(´-﹏-`;) 試合中にタイツを下ろして白い尻を見せるのは
日本人なら藤波、外国人ならマードック 日本のリングで場外乱闘から上がろうとする相手の
タイツを引っ張って尻を出させたのは、国際プロレス、
1974年11月20日、バーン・ガニアvs.ビル・ロビンソンの
AWA世界選手権が最初ではないかな?
素晴らしいテクニック合戦の最後に笑ってしまった。
ロビンソンは半ケツ、ガニアは全ケツ。
youtubeのURL貼れなかったけれど
見たい人は検索してみて
3本目、40分53〜58秒あたり。 思い出す。NWA世界戦。リック・フレアー対ジャンボ鶴田。85年。両者リングアウトの試合。
フレアーが後ろからタイツを引っ張って…… >>234
あの頃の猪木は国債のガイジン引き抜いても良かったな。というかAWAと提携できればメンバー揃えたし、アリに莫大な金使うよりよっぽど >>237
AWA(国際)の外人ということでもないが、
アンドレとロビンソンは、引き抜いたことになるね。
あと、ガニアとだったら、猪木はテクニック合戦を
見せられたが、がっぽり金を取られる。
あとは、二ックか?ラフファイターのモーリス・バション
あたりかな?猪木とNWF戦を行えるのは。
バションが来たら、シンが霞む。 ロビンソンを一回で失ったのは大チョンボだよね
ギャラをケチったとかで全日にインターセプトされたわけだが
ロビンソンがワールドリーグに出てたら盛り上がったろうに 馬場の方もロビンソンを引き抜いたは良いがなんとも扱いに困っていたな
(馬場・鶴田vs.天龍・ロビンソン等名勝負もあるけれど)
「猪木とシン」「馬場とブッチャー」みたいに団体のカラーに合う合わないはあるよ >>240
正確には引き抜きじゃなくてロビンソン側からの売り込み
原因は新日のギャラ値切り
売り込みだったから馬場戦での2-1負けも飲んだわけだ 初めて見たプロレス中継はジャンボ鶴田大変ビル・ロビンソンのUNヘビー級選手権。
2対1でロビンソンが王座奪取。
次の試合が引き分け。海外でジャンボ鶴田が奪回に成功したと記憶している。
私の脳内ではビル・ロビンソン=全日本プロレス。後になって国際プロレスの常連だったことを知った。
ホースト・ホフマンとタッグを組んだオープン・タッグ。キラー・トーア・カマタに勝ってPWF王座奪取
を果たした試合。
1本目をワンハンド・バックブリーカーで圧勝しながら足のケガでブッチャーに敗れて失冠した試合。
ワイルド・アンガスと組んだ世界最強タッグリーグ。
ブロディに引き分けたチャンピオン・カーニバル。
結構記憶にある🙂 猪木ロビンソンドリーが世界の三強くらいな考え方されていた時期もあった。
もうドリーしかいないんだな。 ロビンソンが「俺が責任取るから自由にやれ」と言ったから、天龍は延髄斬りや卍固めを出したって本当なの? 幻に終わったゴッチ&ロビンソンの世界最強タッグ決定リーグ戦。 >>244
ロビンソンの日本人レスラー評はこうなので、天龍みたいなタイプは苦手だったと思う
私の評価は猪木が1位、2位が国際のボーイズ、3位が全日本のボーイズだよ
全日本にはいいレスラーがいなかったしせいぜい鶴田ぐらいだ、その鶴田でも私にとってはただのストロングボーイだよ
申し訳ないが私はビリージョイス、ジョージグレゴリー、ギディオンギダ、カールゴッチといったヨーロッパの本当に強かった
レスラーを基準にしていたから、全日本より国際のほうがベターだね バーン・ガニア、ジョージ・ゴーディエンコ、マッド・ドッグ・バション。対戦させたかったレスラー。 デビアス スレーター ゴディ ウォリアーズ カマタ ルーイン
こういう全日系との対戦も見たかった。 グレートマーシャルポーク
テッドデビアス カーネルデビアース
対戦相手に事欠かない ミスターXの中身はグレートマーシャルボーグという噂があったけど。 >>247
マッド・ドッグ・バションとは、
1968年、日本プロレスの秋のダイヤモンドシリーズで
4回対戦しているよ。
1勝(コブラ)1敗(リングアウト)2分け(両リン)
まぁ俺もリアルでは見ていないけれど >>250
なんとなく体型が似ている、前評判だけのダメレスラー
共通点はあるが肌の色が違う >>251
バションと対戦経験があることは知りませんでしたな。サンクスですど😊
レイ・スチーブンスあたりとも対戦させてみたかっただす。ルー・テーズはバションとスチーブンスとは
対戦経験がなく、是非戦ってみたかったとコメント。
達人的受け身は、のちのリック・フレアーにも多大な影響を与えた模様。マイティ井上の評価が非常に
高かった記憶があります。 スチーブンスともシングルで対戦してるしインタータッグ戦もやってる しかし、ここの皆さんは私以外は詳しい人ばかりですな。
自分の場合は、しばしば記憶違いをしていることに気付かされます。いい勉強になるスレ。感謝ですタイ。
色々な選手のち名前が挙がることが猪木選手への供養にもなると思います。😊 >>248
ウォリアーズ初来日のとき、「試合運びが単調だから、新日のリングで猪木に学ぶべき」って投稿があったな ディノ・ブラボー。IWGP北米代表も緊急帰国。
前夜祭に乱入したラッシャー木村が代替出場。
これは乱入したラッシャーさんの根性が買われたのだろう⁉ >>259
デイノブラボーは肌がやたらと白くて流血した写真が印象的だったけど、試合は覚えてない >>246
「新日本のボーイズ」になってないのは、新日では猪木しか対戦してないからか? 晩年のロビンソンの発言なら同じく晩年の猪木の側にいた宮戸が言わせているまでだからなあ タッグながら坂口征二とも対戦している。
坂口&S小林対B・ロビンソン&グレッグ・バレンタイン 皆さんお詳しい!
グレッグ・バレンタインの名前が出ましたが、猪木とはシングルで試合してましたか? >>267
どっかの地方ではシングルあったかもしれないね。
でもグレッグは日本ではビッグな存在ではなかったから、
それに世代的にも猪木より藤波とのたいけの方が主だった。 >>268
シングル対戦はあるよ。
初来日の1975年6月15日石巻、19日相馬、
23日桐生と立て続けに行われ、いうまでもなく
猪木が勝っている。
その後も、新日に来日しているから猪木と
対戦したかも知れないが調べる価値もないと
思ったので、これくらいにした。 グレッグ・バレンタインは蝶野がフィラデルフィアでのイベントに参加した時に会ってるな
https://youtu.be/WlA9KrFRlt8?t=215 ライバルではないけれど年末になると思い出すレネ・グレイ。 >>263
「宮戸フィルター」がかかる前から猪木を絶賛していたけどねロビンソンは
有名なのはプロレスアルバムにも再掲載されたデラプロのインタビューだけど
89年か90年頃のファイトの近況取材記事の中でも
猪木とドリーの事は高く評価していたから ロビンソンの片方の目はほとんど視力がなかったという話を聞いて衝撃を受けた。 ロビンソン、片目はギガンデスだろ?
だから、ちょっとロンパリな状態な写真もある。 ロビンソン電車の中で義眼取り出して、乗客のお婆さんがびっこらこいてた
っていう話を子供の頃にプロレス本で読んだ >>278
昔の書物にそれが書かれていたのを思い出した。
それでその事を知った。
放送中の実況ではそれには触れてなかったけど。 義眼と言えば漫画・ドカベンの重要キャラクターの不知火守も義眼だったがドカベン19巻の時点で父親から片眼を移植してもらったことが明らかになっている。
思えばドカベン・シリーズ全205巻に及ぶ大作を全て読破したが作者は今年亡くなってしまった。
猪木選手と幽鬼鉄山の異種格闘技戦は見たかった・(-ω-) >>281
そういうのは初期設定がちょっと面倒になったり
都合が悪くなったらさらっと流し加減で変更するね
古くは『男組』で流の手錠はもう必要ない、と止めてしまったり
ちょっと新しくて『リングに掛けろ2』で剣崎のタトゥが
イミテーションだったからもう貼らない、と言ってみたり 75年のオープン選手権に猪木参戦! となっていたらホースト・ホフマンやミスター・レスリングとは対戦していたことだろう。 ビル・ロビンソンと宮戸と言えばUWFスネークピットジャパンのスパーリングで
相手の首に足をかけてのチキンウイングアームロックを披露してたが
あんなの試合で使ったことあるん? >>284
そういうシューターと対戦させられ、
ダメージが蓄積した後に馬場戦を
組まされる、、と猪木は警戒し
オープン選手権の参加を断った そういうのもあるし
猪木だけバスに乗せずに変な乗り換えのチケットを渡すとか
間違った日程を教えるとか
倉庫を控え室にするみたいな嫌がらせがあるかも ハーリー・レイスとも対戦させるプランがあった。
パット・オコーナーも用心棒として用意。 オープン選手権が8戦するシステム
馬場鶴田デストドリーは当てておかなきゃファンが大ブーイングになる相手だから
あとはホフマンラシクレスリングオコーナーをアサインしておけば安泰か
マードックレイスジョナサンもいるし超危険なのがヘーシンク >>289
苦手か?
最近日プロ時代のデストロイヤーとの試合見たけどメチャクチャ手が合ってるじゃん 力道山、豊登、馬場、猪木
マスカラス、ブッチャー
だれでもそれなり以上の好試合をできるスーパーマンだな >>290
>馬場鶴田デストドリーは当てておかなきゃファンが大ブーイング
猪木がオープン選手権に参加したなら、番付を2位か3位に位置づけ
しないとファンは納得しない。
だいたい、相撲と同じく上位は上位、下位は下位と対戦した。
1975年時で、猪木対戦マストは、下り坂で日プロ時代に勝っている
デスト(番付11位)より、むしろシングル初体験、
前NWA世界王者のレイス(4位)だな。そしてブッチャー(3位)
6位のR木村、あとは新顔との対戦だったら、ホフマン(6位)、ラシク(11位)、
オコーナー(15位)レスリング(16位)は下位だが、対戦のチャンスはある。 >>291
合ってたけど、テクニックではデストが上回ってた所は多々あったよ オープン選手権、レイスの途中棄権は予定通りだったような気がする。 猪木もオープン戦に参加するなら
「第一戦で馬場との対戦にしてくれ!」
「ファンもそれを望んでいるはず」
と言って、強引にでも対戦をするべきだった。
それで30分時間切れで良い。
あとは、鶴田を一蹴。ドリーとレイスとは引き分け
(レイスとは両リンでも良い)
4戦戦って、負傷したとか言って、あとは欠場で良かったよ。 >>300
アホかお前は
馬場とやらせてくれ、と言えば馬場が了承して対戦できたと思ってるのか 単に猪木が新日の興行に穴を空けるほどのギャラを馬場が出せなかったってだけの話だろ
なんで陰謀論みたいになってんだ 当時をリアルでは知らないのだけどオープン選手権に猪木が参加しなかったことに対して当時のファンは猪木に対して批判的にはならなかったのかな?
あれだけ馬場を挑発して誹謗中傷もしていたのに猪木は逃げやがったチキン野郎とはならなかったのかな? >>303
猪木派は否定せずに『馬場も新日上がれ』と思ったらしい。
馬場派は『猪木逃げるな』と否定的だったとか。
当時をリアルで見た人からはそう聞いた。 >>301
アホはお前だ!呆れてモノが言えない
元々、馬場に対戦を要求していた猪木に
対し、馬場が「俺と戦いたいならオープン戦に出場しろ!」
と言った。挑戦状に対する回答なんだよ!
第一戦で対戦させろ!と言ってそれが実現したかどうかは
分からん。
しかし猪木がオープン戦出場=馬場との対戦だ。
それが実現しなければファンは納得しない!
本当にお前バカすぎる!wwwww
間違っても反論するなよ!恥を晒すだけだ。 >>305
>強引にでも対戦をするべきだった
と書いてるから「対戦なんかできるわけねえだろバーカ」と書いたまでだがw
そもそも反論になってないレスしてくんなよアホがw ところで誠に残念であったのは、新日本プロレスの参加が得られなかったことです。
新日本プロレスを代表するアントニオ・猪木君だけは、その日頃の言動からして、
何をおいても当大会に出場して普段対戦することのできない世界の強豪を前に
彼の真の実力を実証してくれるものと期待していたのですが、
当大会の趣向に賛同するといいながらも積極的に参加の意思表示もないまま、
早々に不参加表明をしたことは理解に苦しみます。
かねがね猪木君は、ジャイアント・馬場君への挑戦を繰り返し、
あらゆる条件を馬場君にまかせて、フリーの立場で戦うとまでいい切っていました。
馬場君が門戸を開放した本大会は、猪木君に与えられた唯一無二の舞台であったはずです。
この絶好の機会を自ら放棄した猪木君は、今後、自分本位の挑戦を繰り返す権利を
全て失ったものと解釈されても止むを得ないでしょう。 >>306
あーーあ、恥の上塗りだといったのに
レスしているどこまでバカなんだ?
お前、だいたい75年に行われた全日主催の
オープン選手権を分かっていないだろ?
馬鹿丸出しなんだよ。 >>306(ワッチョイ 8b89-Tk+f)
お前、オープン選手権のことを全く知らず、
ただ単に「猪木が馬場に挑戦要求したら」
という発言に対し、通常の時のように
馬場が「受けるわけがない!」とレスしたんだな?
ぐわははっははははっははっはははあ
バーカ、バーカバーカ
こんなバカ、5ちゃんでも見ないよ!
ああ、腹が痛い。笑い過ぎだ!! 馬場は新日に絶対上がらない前提で猪木新間が煽って、裏で猪木新間が侘びを入れる
後は坂口−馬場のホットラインで、所謂リング外もプロレスに収めてプロレスギョーカイの発展を約束する
リアルタイマーは基本的にそういう考え方をした上で妄想する >>308-309
バカが相手だと話が進まねえなあw
連レスしても全く中身がないw
早くオープン選手権で馬場と猪木が対戦する流れでも書いてくれよ >>304
先程読んだ『テレビはプロレスから始まった』でもオープン選手権での猪木への風評はそんな感じで書かれていましたね 最近の新間のインタビューだと他所の団体に上がるなんて有り得ないと当たり前のように言ってるから最初からその気はなかったんだろうな
挑戦するくせに自分の土俵でなきゃやらないって点で既に図々しい
ある意味では嘘でなかった事を証明するためにアリ戦の実現に突き進んだとも言えそう 馬場<完ちゃん本当にやるつもりなのか?
猪木<馬場さんあれはジョークですよ! >>313
80年代前半の時点でユセフ・トルコが書いていた
「馬場戦、馬場戦と言っていたが猪木は本気でやる気なんてさらさらなかった」って。 キラー・カール・クラップというレスラーがどうも気になる。
全日本の81年の世界最強タッグ決定リーグ戦にバロン・フォン・ラシクと組んで出た試合を見る限りでは
強いレスラーに見えなかったのだが新日草創期は猪木選手にてピンフォール勝ちしたことがあると聞いて
大いに驚いた😳 当時の東スポの流れやゴング誌の投書欄をタイムライン的に見た印象だと
馬場、やろうぜ、な
日本一かけてやるべきだよ、ほらほら
全部のフリーハンドやるから戦えよ と猪木がハードル下げて。
OP選手権っての開くから出ろよ、そしたらたぶん戦えると思うよ
スケジュールもあるし全日の利益になることはやらんよ、と落ち着いた。
馬場全日派はあれ猪木やるんじゃなかったのか? と訝り
猪木新日派はあんな条件じゃ猪木の損、出なくて当然、と居直った
って感じだったぞ。
ただ>>300みたいな初戦でBI当てろなんてことは誰も思えなかった
ある意味すごいアイディアだ ライバル?プロレスのライバルってなんだろう?
ttps://www.youtube.com/watch?v=kl1YOb0hzKU 高田はUインターでリング上から
前田さん!トーナメント1回戦で待ってます!
で大喝采浴びてたな。
まあ出てこないの見越してだろな。プロレスってこんなのばっかりで嫌んなるわな。
前田はヒクソン戦やります!って結局正式オファーしてないとか。 全日本は85年は選手を抱えすぎていたから、最初、ザ・ロードウォリアーズは新日本に
来日したら良かったのでは、と今では思う。 >>319
それは他四人が即決で拒否したのに前田だけが反応したから >>318
ライバルを作れ、そして勝て!
藤波辰巳 著
1983年発刊 >>324
別にそんな事ないんだけどなあ
圧倒的弱者がフルボッコにされる戦いとか普通にあるし
(例:ゴリ子) >>328
パワーズは東京プロレスに来日したんだが
自分と同い年の猪木が自分の団体を旗上げして既成の団体(日本プロレス)に対抗している姿を見て
刺激を受けてそれがNWF旗上げにつながったんだとか。 パワーズは国際プロレスの春のシリーズでラッシャー木村選手と対戦したことがありました。
ニックVS大木のAWA世界戦と同じ日です。 ジョニーパワーズ。その頃に全日に来てたら
馬場に5分くらいで16文で負けるだろな
鶴田天龍はいうにおよばず極道に両リンあたりか 全日本のリングに上がった際ロープに振られ自分からあの16文に当たりに行くとき、笑いそうになりましたよ
と言っていた日本人レスラーは誰だったかな? パワーズの最大の功績はNWFのベルトを一万ドルで売ってくれたこと。
あのベルトで稼がせてもらった金額を考えれば一万ドルは安い。
しかもNWFのベルトってデザインがかっこ良いんだよね。 ベルトがキレイでカッコイイのが権威に結びついてしまうようなとこあるからね
IWAの小林ベルトなんてどうしても貧相で格が高そうに見えない
もし猪木が当時締めたのがUNベルトだったらどうだったかと想像してみると
NWFベルトの見た目の良さが際立つ ハンセンにNWFを取られた試合はスリリングな攻防の名勝負。
奪回した4.3はブレーンバスターで投げた後、まだフォールの体勢に入っていないのにミスター高橋がカウントを数えてしまうボーンヘッド。
ハンセンからの抗議なし。 左からのラリアットだった。
猪木選手の賢いところは裏ワザを乱発しなかったこと。隠し持ったまま、あの世に持っていった技もきっとあると確信している。 馬場も、ウィスキーの瓶を真っ二つにするほどの斬れ味の裏16文キックを隠し持ったまま逝ってしまいましたからね… ラリアットってのは腕に渾身の力を込めて叩きつけるから威力が出る物であって
空中で使った所で二の足が踏ん張れない以上唯腕を当ててるだけでの見かけ倒しの技
当然延髄斬りも一緒で見せかけ打押しの技
だから世界中の格闘技での蹴りは二の足で踏ん張る回し蹴りが最強な理由 「二の足で踏ん張る」www
偉そうに日本語間違えてるの草 >>346-347
ああ義務教育程度の知能も無い奴の戯れか
「僕は馬鹿ですから日本語の運用は知りません」と告白する滑稽な奴だな >>348
ねえねえ、お前「二の足」は何の事だと思ってるの?w いわゆる『二の腕』は上腕二頭筋の事だとわかるけど、この場合の『二の足』あるいは『二の脚』とは何を指しているんだろうか 二つの足は踏ん張る事に使っているのだから真ん中の足で蹴るって事か
リスキーだな お前ら>>345の「見せかけ打押し」もスルーしちゃダメだぞ!
どうやって変換したんだコイツw 今頃「二の足」を検索して顔真っ赤にしてるんだろうな
何が義務教育だw >>330
そんな一(いち)レスラーが立ち上げたローカル団体のタイトルが
よく世界四大タイトルの一つと言われたもんだな。 >>355
NWFの猪木以前の歴代王者は一流から1.5流位のレスラーだったからね。
だから世界四大タイトルというハッタリが通用した
人望がないパワーズの団体にあれだけのレスラーが集まったのも謎だが。 まあ何というますかね、他のレスラーのやるそれと私の延髄斬りというのは紙一重の違いがあるわけですよ、紙一重とは僅かな厚みのことなんですが、これはアントニオ猪木流の言い回しということになりますが「二の足」で踏ん張って蹴るというのが紙一重の差なんですよ。まあわかる人にはわかると思いますがオレに言わせると天龍とかいうヤツのそれは「三の足」で蹴っているようなもんですよ、人間の足は二本なんですがね、ムフフッ
(プロレススーパースター列伝アントニオ猪木談) ディック・マードックの垂直落下式ブレーンバスターが良かった。 >>345
バックドロップやスープレックスもそうだよね。
足を地につけてブリッジを効かせたほうが相手へのダメージが大きい。
マサや長州の捻り式バックドロップよりテーズや猪木や鶴田のへそ投げ式、ドリーや鶴田の投げ捨て式ダブルアームより元祖ロビンソンやボックのようなブリッジを効かせて頭から落とすダブルアームのほうが威力は上。 パイルドライバーはどうだろう
ジャンピングした方がより効くと思われるが
そもそも頭に当たってない、という件はなしで 当たってないと言われず、かつケガをさせない加減のパイルドライバーってのが難しそうだ >>345
効かしてどうすんだよ
プロレスの話だぞ 色々な証言を聞いていると
・長州のストンピングはたまにガチで当たるので外人レスラーから嫌われていてボコボコと仕返しされた
・ハンセンのクローズドラインは眼が悪いのでどこにヒットするかわからない(テリー談)
・唯一プロレス技で使えるのはグラウンドコブラ、狙ってはいるものではないけど(桜庭談)
・ニークラッシャーは全然痛くない(俺の実験) 馬場 猪木
猪木のライバルは
ジャイアント馬場ただ1人。
馬場「猪木には負ける気がしない」
https://youtu.be/aOnkGRSOFQs 1987年1月。熊本の旅館でセメント興行がぁったと聞く。 古舘なんてその場にいなかったのに、すべらない話で、その場にいたテイで話してたな 古舘のトーキングブルース見た事
あるけどマジで引くわ。
あれで観客がウケるのがおかしい。 パワーボムの日本における元祖は猪木。モンスターマンとの戦いで見せてくれた。その後も使って欲しかった。 馬場猪木戦。
ぜひ観たかったんだけど、やっぱり実現しなくて良かったのかなぁ。
70年代に実現してれば?
80年代なら。90年代以降でも…
合掌。 馬場猪木戦が描かれた漫画とか小説。
スターウォーズと刃牙以外でなんかあります?
プレステとかのゲームでも実現はしてませんよね。 前座時代の16戦16連勝連敗はナシでお願いします。 いろんな意味でモハメドアリはライバルって言えますか? >>90 91 >>92
しかも馬場サンは「こっちはNWAのパイプと日テレとガッツリだよ」って余裕だったんだろうね。
でも、そこからしぶとい寛ちゃんにも期待してたのかな? >>165
今だから言えるんでしょう。
当時は、小学生で体育の時間とか体育座りで待機してる時に、座ってる隣のファン仲間に自分が寝っ転がって「延髄斬り〜」って足の甲当てて盛り上がって。センセに怒られたよ。 >>373
昭和44年〜45年に月刊ゴングに連載された
「真の世界王者を決めるトーナメント」とか言う
読み物があって、馬場、猪木、サンマルチノ、ドリー
ら10人くらいがトーナメントを行い、馬場、猪木が
2回戦くらいで対決。馬場が勝利。
その後、50年頃には「日本一を決めるトーナメント」
があり、これは猪木が勝ったんじゃなかったかな? >>373
夢枕獏『仰天・平成元年の空手チョップ』
お話の主軸は力道山vs前田日明だけど、それに負けず劣らず馬場vs猪木の描写にも重きを置いてる プロレススターウォーズでは猪木のジャーマンで両者の肩が付いてダブルフォールで引き分け >>375
イラクの人質解放はアリの力もかなり大きかったそうで、だから猪木も「俺の功績だ」って表立ってあまり言わなかった
全ては信頼関係の為せる業
やはりこの二人は親友とかソウルメイトというべきでは 皇民党の人たちとの同行を条件にチャーター機代を支払うという案を出したことは明らかです。かなり、あとのことですが、この件が問題化したとき、猪木議員自身が私にこんなボヤキをしていました。『皇民党のやつらを同行させるのが条件だったんだから、しかたがねえだろう』」(同書より引用)
https://www.excite.co.jp/news/article/Bizjournal_201306_post_2250/?p=3 これ前からずっと疑問なんですけど、皇民党の連中はどういう意図で同行を希望したんでしょう?
この件を自分たちで盛んに喧伝したわけでもなし、単なる物見遊山ってわけでもないでしょうし アリが日本以外の取材等で猪木に言及したことってあるのかな >>386
わからんよね。
というか、猪木が同行、便乗客寄せパンダだったと
見てるけどね。 佐川清と皇民党の関係考えると、他の気に食わない政治家が割り込んでくる話でもあったのかもな >>378
馬場と猪木は準決勝で当たった
猪木の四の字にギブアップしなかった馬場がレフリーストップ負けしたと思う
決勝は坂口と当たって猪木が勝利した >>386
wikiにはこういう記載があるね
同年12月、湾岸戦争の最中のイラクに人質解放のため向かったアントニオ猪木を護衛する名目で、稲本ほか日本皇民党隊員が同行し、多国籍軍を非難するとともにイラクを擁護する声明を出している。佐川は猪木のタニマチであり、人質救出のためのトルコ航空のチャーター費用も佐川が捻出しており、猪木は佐川の指示により、日本皇民党に便宜を図ったことを大筋で認めている[2]。日本皇民党を同行させることが、佐川から出されたチャーター費支払いの条件であったとも言われる >>390
それで、日本選手権者になった猪木が
初防衛戦で鶴田の挑戦を受けたんだっけ? 猪木の全盛期で猪木より後に
コールされるレスラーって
力道山、馬場くらい?
それとも今のプロレスファンなら
オカダや棚橋の方が後にコールされると
思っているのかな? 全盛期ではなかったけど横浜での藤波とのIWGP戦では挑戦者という時期もあって猪木が魚コールされた。
でもこれはシングルでの対戦。
タッグで猪木のパートナーなら猪木より後にコールされるのはあり得ない。
特に新日のリングなら。
オールスターってはそれらわ回避する為にコール前にシンとブッチャーが奇襲を仕掛けた。
猪木と馬場、シンとブッチャーでどちらが先にコールされるか。
先にコールされた方が必然的に下に見られるから。
些細な事と思うだろうけどこれは物凄く重要だったからね。 サ・カ・ナ!
サ・カ・ナ!
記者「魚コールされてたようですが…」
猪木「ギョッとしましたねw」 では仮に猪木が全日のリングで
お互い全盛期と仮定して鶴田と
ノンタイトルのシングルでメインで対決したら
どっちが後にコールされるのだろうか?
もちろん奇襲とか茶番は無しで
やはり鶴田だろうか? ソウルで大木金太郎のインターベルトに挑戦するっていう立場になったことはあったんだっけ
タッグ組んでもあの時期なら猪木が後になるんだろうなあ >>400
そりゃ所属選手が後にコールされるでしょ
羽田vs猪木でも一緒 ジャパンで行われた長州VS鶴田は新聞のテレビ欄では
「ジャンボ鶴田×長州力」になってたな。 本当にハンセンは引き抜きだったのか?
もし本当なら、その後も馬場と猪木、にこやかに談笑なんてできるのかな?
ハンセンがブロディのいる全日でコンビでやりたい、ダメならもう新日本には来ないとか言った可能性もある。
それをうまく興行戦争に見せかけた馬場と猪木の密約だったのかもしれない。 【追悼】アントニオ猪木VSローラン・ボック 前田が見たシュトゥットガルトの惨劇。 https://youtu.be/av8PZrCVb8I ブッチャーとシン、ハンセンは馬場と猪木が話し合って交換したんだと思う
それを東スポとかが引き抜き合戦お煽ってテレビ局が口出しして金を出してきたので
裏で話し合って外人のギャラ中抜きしながら上げて儲けてたと思う
ガチの引き抜き合戦だったら裏社会の人が出てくるはず 戸口については、新間が移動先のホテルにかけたら、鶴田の部屋に繋がって、馬場にバレたのが笑える。 https://fmmie.jp/special/2023/03/post-97.php
追悼 アントニオ猪木~テーマ曲で振り返るプロレス名場面~
2022年10月にこの世を去った日本プロレス界の重鎮アントニオ猪木を偲ぶ特別番組。
アントニオ猪木をはじめ、様々なプロレス関係者の取材を行い、多くの著書も手掛けてきた"Show"大谷泰顕と、元AKB48チームBキャプテンでプロレスをこよなく愛する倉持明日香をパーソナリティに、猪木の名勝負の数々をテーマ曲と共に振り返ります。その他、プロレス関係者も多数出演予定。
日 時: 3月21日(火・祝)13:30~15:55
出 演: "Show"大谷泰顕、倉持明日香
ゲスト: 猪木啓介、藤波辰爾、小川直也(いずれもコメント出演予定) 大谷ってなんで業界にいられるの?
誰かこいつを好きなやつっているのか? >>406
あの2人は許しがたい事件があったとしても、お互いがお互いを必要とするんだ。正にプロレス的としか言いようがない。 >>418
「#マネが(SEX)やってなかったあだ名(東京)キティ君」
「#マネがいつもだとサブンか?」
「#マネがそれが違うっなんとかこうとか」
「#マネが佐川なら違うかっ」
「#マネがお笑い芸人だよねー?」
「#マネが見えてるって油豚さんなのー?」
「#マネがこいつらがわかるあたりー」
「#マネがおチンチン測ったなー?」
「#マネが池沼の家で違うんでねー?」「#マネが佐川だと大学行ってるよー?」
「#マネが上で言って合ってるしよー」
「#マネが痔瘻じゃない」
「#マネてるとー佐川でしょー?」
「#マネがトシガクっ」
「#マネが出してる」
「#マネがここらへんでやんのー?」
「#マネがここが出しちゃってんのー?」
「#マネがサザンが違ったらー?」
「#マネがウェッピーって目指してんのかー?」
「#マネがネタをやってイララック」
「#マネがネタでオジサンだねー?」
「#マネが気づかなくてチクニーなんだもんねー?」
「#マネがあ痩せてるってー」
「#マネがサウナーさーん」
「#マネが太郎じゃお金なんか持ってないでしょー?」
「#マネがアニーでっ」
「#マネが一人暮らしじゃ出してんじゃん?」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています