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前スレ
【日本テレビ】昭和の全日本プロレス109【スポーツテーマ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1625268199/ 335 朝から啓蒙 懐古系全日本ダさヲタクホイホイ(⌒‐⌒) (ワッチョイW df24-jdY3) 2021/04/15 07:16:28
>>333 理由↓プヲタ社会的に無価値になったから
592 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-A0sD) 2021/04/10 12:40:04
>>591
80〜90年代のプロレス雑誌も絶賛暴落中だな
http://imepic.jp/20210723/520930/SeGv
週プロ、週ゴンが39〜50冊まとめ売りでナンと一円w
一冊当たり2銭=通過単位0.02円也ww
他ジャンルじゃあり得ないたたき売り落札w
今読めば下らん駄文満載の活字ナンタラの経済的暴落はまさに底が丸見えの底無し沼だねぇww
十数年前なら、資料用に未読誌集めてるライターや物好きなんかには需要があってそれなりの値が付いたけど
今や回顧(懐古)本も全〜〜然売れないから二束三文いや、 50冊1円という惨状w
609 お前名無しだろ (ワッチョイW df24-A0sD) 2021/04/11 00:54:44
>>592
ついでだけど、かのNさんが言ってたけど
AWAのオフィシャルニューズレターやってたジェームズ・メルビーと生前に「これまでに活字詐欺で何人の『伝説の強豪』をデッチ上げてきたかなw」って談笑したとかw
80〜90年代のサブカル馬鹿ヲタクはそのもの頃一円落札物件なんかでよく使ってた「伝説の強豪」って言い回しにコロッと騙されてたと
あの世代交代のプロレス好きは致命的に基礎学力ないから
形而上・形而下どちらでも実証できないネタでもちょっとした語感やイメージでカッコ良さげなフレーズ見るとすぐ乗っちゃうから簡単に騙されると
今も昔のインチキ情報をろくに検証もしないでまんま自慢気にツイッターやらネットに書き込んでる基礎学力も怪しげなバカが結構いるとw
懐古ネタのウンチクひけらかしが如何に間抜けで愚鈍な所業かを悟ったからね
ネットで浅ましく卑しい承認欲求満たすような愚行は金輪際やらないな、俺はねww >>338 捕捉・事実関係の強調(笑)
1968年のゴング誌が軒並み一円落札された履歴の価格が見えなかったので、改めてハッキリ一円と分かるデータをimepicで(笑)
つまりはこの辺のデータ・情報も今やマジで一円以下の価値ってコトだな・・・(笑)
558 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-ueAK) 2021/04/22 12:40:19
1968年のゴング誌も一円落札かあ・・・
時代物だから他のジャンルなら資料的価値も見込んで万の単位が付くんだが・・・馬場だの猪木だの木村だの今やヲタに多少なりとも影響力のある旬の論者は誰も関心ナシ・・・
ていはうか忌避してるし、レトロプロレスのオワコンっぷりの証拠証左(笑)(笑)(笑)
市場は正直だからな お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/05 12:02:42
>>503 のソース拓取ったから啓蒙ついでに貼っとこう
http://imepic.jp/20210723/521840/dZso
>>549
懐古プロレス好き全日本ヲタは底の浅さがバレてツイッターでも相手にされなくなったなw
懐古プロレスの価値自体が大暴落してるという事実が衆目一致した見解になりつつあるからかも
実際、こういうネタで商売してた奴らも各方向からオファーが激減してるし
↓
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場だの猪木だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw 相変わらず不毛な誹謗中傷で他者を貶めて自己満足し、一円の得にもならない承認欲求を充たす懐古系全日本ヲタと
努力して着々と我が道を切り開く有能なジャスト
の、拡大する社会・経済的格差(笑)
三沢ネタをネットでよく書いてるジャスト日本が『プレジデント』に寄稿したぞ!
高木なんかも予算拠出してNOAH系のパブリで使えば良いのに・・・
誹謗中傷マニアの根性腐った懐古系(無能w)糞全日本ヲタと違ってこいつは前向きだし、これならCA藤田も納得するかもな(笑)
http://imepic.jp/20210723/522690/2wee
http://imepic.jp/20210723/524040/R7CB
http://imepic.jp/20210723/524590/vUrH
ジャストに嫉妬してtwitterで虚偽捏造ネタで執拗に誹謗中傷してた懐古系全日本系ヲタもこれじゃ立つ瀬ないな(笑)
恥も外聞もなくパクツイしてまでつまらん承認欲求充たそうとしてる懐古系全日本系ヲタ
は、当然の如くジャストに絶縁されたからダンマリだよな
こりゃ疫病神や貧乏神どもと絶縁すれば運が開けるっていう好例だな(笑)
まあその辺ずっと見てる輩は腹の底から大笑いしてるな
ジャストに筆力でここまで実力の差を見せ付けられて。生き恥晒してまだプロレスネタなんか書き込んでしょーもない承認欲求充たそうとしてる懐古系全日本系ヲタってのはなあ
普通なら恥ずかしくて、もうネットなんぞ止めるだろうに(笑) 9 お前名無しだろ (ワッチョイW 5324-jqPq) 2021/07/03 12:17:19
>>7
ひとつ補足すると、懐古系全日本ヲタみたいな卑屈で粘着質なバカヲタの承認欲求を満たすポイントは…(笑)
@パクツイした蘊蓄ひけらかしでも下らん大喜利ネタでもプロ格ポエムでも何でもRT、♡が多ければヨシ
Aそれが営業目的や安易なイメージアップの道具だろうがレスラーや関係者、著名人からRT、♡があればヨシ
Bレスラーや関係者、著名人からフォローされたらヨシ
これが満たされないとマスコミ界隈で実績作って目立つようになったヲタに向かって
ネットでイチャモン付けたり誹謗中傷したり、(自分の自己満優位性を保とうとw)弄って空しい(自己満足w)営業妨害したりすると
ま、プロレスにかこつけてこんなバカなこと十〜何十年もやり続けてたら、身辺で社会的地位や経済的なアドバンテージがとれるわけはないわな(笑)
だからマスコミに足踏み入れたり、タニマチ的な立場になったり準スタッフ扱いされて団体関係者と利害共有するようになったヲタへの嫉妬孟妄想ばかり際限なく膨らんでいくと(笑)
故に ここで叩いたりツイッターで揶揄したりすると(笑)(笑)(笑) 9 お前名無しだろ (ワッチョイW d524-x5Ij) 2021/07/14 17:29:10
毎度ながら↓はプロレスを見て心が貧しくなった虚しい自演魔の懐古系全日本ヲタだな
そりゃリアルな経済的にも毎度くなるわな(笑)
【最強】ジャンボ鶴田114【プロレスラー】
3 お前名無しだろ (JPW 0H13-m2Hx) 2021/07/14 00:28:42
>>1
乙です
人は誰でもローリングドリーマー♪
新日総合スレッド2890
3 お前名無しだろ (オッペケ Sra1-3Zjp) 2021/07/14 17:00:50
よし假屋崎省吾でオナニーだ! >>1
開幕のファンクス戦でこれからは彼らの時代と思った >>1
いいね
最近スレタイがネタ切れ気味だったもんな。
マーテル、ジンクがここまで出てなかったのが意外だった 輪島の東都デビュー戦に選ばれたのは最初疑問だったけど、意外と噛み合った試合になってたな マーテルって80〜81年頃はWWFで試合していてトニーガレアと組んでタッグ王者にもなったが
この時期に新日に来てもらいたかったな。藤波、キム健あたりとの試合は期待できたと思う。
他地区からWWFに転戦したレスラーはルート的に新日が招聘できる形(アドニスやベンチュラが好例)だが
デビアスやマーテルが来なかったのは全日との兼ね合いだろうか(マーテルは直近では80年2月に全日に参加)。
スヌーカもかなり後になって新日に上がったしな。 https://pbs.twimg.com/media/ElAdST7UwAExc8W.jpg
マーテルはディノ・ブラボー同様、地元カナダでは超一流。
彼がWWFに引き抜かれてカナダマットが一気に衰退したほど 国際プロレスはマーテルをロビンソンのジュニア版みたいな感じで売り出すべきだった >>13
一シリーズのみで伝説化したという点では新日本のアドニス・オートンと双璧か トムジンクにゴールデンアームボンバーが、初めてめっちゃキレイに決まったと記憶してる ジンクは一度だけ日本でタイトルに挑戦してたんだよな
三冠統一と同じ日にアジアタッグに >>22
あったな、トム・ジンク&ダニー・クロファット
クロファットはこの翌シリーズから本格的にダグ・ファーナスとのカンナム・エキスプレスを結成、ブルドックスとの五番勝負を経てアジアタッグ戴冠へと繋がるわけだ AWA末期には世界チャンピオンになるプランもあったのに >>15
自分の名前入りのタスキは結構、外人レスラーに好評でお土産に持ち帰りたいと言う
リクエストも多かった。また仏壇や昔の派手な霊柩車を持ち帰りたいと言うのも
あったらしいw ジンクはデビュー直後の中西にフォール負けしていた。
ナイドハートとのSGタッグでは全敗と
散々な成績だった。 昨夜の再放送、83年最強タッグ最終戦の蔵前
フレアーvsカブキのNWA戦をやってたけど
リーグ戦のシリーズはタイトルマッチをやらない、という不文律じゃなかった?
看板たるテリーのエントリーがない初めての最強タッグ、動員のテコ入れとか? >>28
まず最強タッグ最終戦にカブキ対フレアーの試合が決まっていて
1983年11月24日フレアーがNWAを奪還したのでタイトルマッチになったという流れ >>29
ありがとう、そういう流れだったんか
それなら素直にタイトル戦にする方がファンに対して誠意ある対応だね
注目度が高まったカブキも文句はないだろうし >>28
まあリーグ戦参加者でなければ問題無しってとこかも このシリーズの名古屋で鶴田vsフレアーのノンタイトル戦があったけど、元々はインター選手権の予定だったらしい >>31
>>32
確かあの頃の全日の試合ビデオってほとんど発売されてなくて
テリーとハンセンとカブキしなかった覚えがある
雑誌の広告ページでは新日(ほとんど猪木だけど)のはズラッと100本以上もあったのに…
馬場や鶴龍のビデオですら発売されてないのに、カブキがあったのは何だかんだで大衆的な需要はあったのかな?
馬場はいちおうハンセンのビデオに入ってはいたけど、もう一試合は木更津の阿修羅戦だったかな。
まあ、子供には手が出ない値段だったからどのみち沢山出ても買えなかっただろうけどね。 >>33
土曜トップスペシャルでの放送もあったから、その辺の事情も考慮したんだろうか?
83年〜84年の全日は三ヶ月に1度くらいのペースでゴールデンで放送してたから嬉しかったな
鶴田がAWAを獲った時期は、3月と4月で二ヶ月連続でゴールデンという気前の良さ
それよりもあの全日が二ヶ月続けて蔵前でやるなんて、かなり冒険というか珍しくない? >>33
鶴田のテーマ曲が「J」になった日だっけ? >>28
その場その場で適当に
これがこれまでの習わしです、みたいな歴史ある大会だ的な言いぐさをしているが
ほとんどが出任せの出たとこ対応だった。
そのうちタッグ選手権者は返上してリーグ戦に臨み、優勝者がタイトルも得る
なんて改変までするんだからそれに比べればリーグ線外のタイトルなんて微細なこと。 >>36
そうそう、この試合はJで入場して来てるね
鶴龍の合体テーマはまだローリングドリーマーだったけど >>35
プロレスファンにとっては、土曜19時で讀賣戦に潰されるよりは17:30からの定時中継+年数回の特番って結構良かったと思う 野球中継延長すると、後ろの番組もみんな繰り下げになるのも嫌だったな >>37
>タッグ選手権者は返上してリーグ戦に臨み、優勝者がタイトルも得る
あれは最悪、いつの年だったか忘れたが、秋ぐらいにタッグ選手権を組んでしまい
「防衛しても奪還しても、両チームともにすぐ強制返上が濃厚」
みたいなシラケる試合もあったと思う。 >>39
新日本は土曜の夕方で、年間1/4ぐらいゴルフ中継が優先されてたなー >>39
お得感が満載で良かった、夕方の放送は夜のゴールデンの前フリ的な試合も多かったから
新日ファンが毎週のように味わってる「連続ドラマ」的なストーリー性も堪能できたし
>>40
あの当時は今みたいにHDとか無いから、ビデオのタイマー録画で延長を考慮すると
わざわざ長時間の高額なやつを買ってたよ、三倍モードなら余裕なんだけど画質が悪いから…
全日の放送以外にも録りたい番組もあるときは悩ましかった、特に外出時はテープの入れ替えができなかったし。 >>42
関西はそれに加えて夏の高校野球完全中継という敵があってなw
ベイダーが長州からIWGPを獲った試合とか、G1の長州vs蝶野がそれで見れなかったんだわ >>41
最強タッグ優勝チームが年明けに世界タッグ王者と決戦という形にすればよかったのにな
最強タッグはリーグ戦で1回や2回負けても優勝できるわけで1回負けたら陥落のタッグ王者とは別物なのに 新日は北米タッグの価値を下げないために、王者組を解体してMSGタッグに参加させていたよな。 名古屋レインボーホール大会の当初のカード
藤波vsZマン
変更後
藤波vsライガー
めっちゃ嬉しかったこどなぜ最初からこのカードにしなかったと当時思った >>39
東京は良くても地方は曜日も時間帯も違うし、一週間遅れの結果が分かってから見るのはちょっとね。 >>29
それならフレアーはレイスの防衛スケジュールを引き継がなければならないはずなんだが
この辺りの詰めの甘さが全日本的 >>50
だからフレアーのNWA復帰は最初からの予定で最初はそれを伏せていたという感じか 1983最強タッグでセコンドで全戦参加
翌年のAWA戦でレフェリーで来日
夏の田園コロシアムで再びセコンドで来日→試合後に復帰宣言
1984最強タッグで日本復帰→リーグ戦参加
1983夏、ハンセン戦・長州谷津戦
秋のゴールデン復帰に合わせ来日、ウォリアーズ戦等…
1986はWWFや映画スケジュール等で秋に来日、ウォリアーズ戦、長州戦等…
1986最強タッグは優勝の可能性を残す&長州谷津の優勝の目を断つ…
結局はテリーは引退しても、来日じたいのペースは引退前と変わらなかったね… >>52
ていうかテリーの引退も日本向けのもんで、アメリカでは普通に現役だったんじゃね?
マネージャー等で来日しても体格はそのまんまだったし。
ネットもない時代だからファンを欺くのも容易だったしね。 >>53
引退を商売にすることは、立派に愛弟子の大仁田に引き継がれたからね。 全日十周年記念試合の馬場サンマルチノ対シン上田戦。
WWFではサンマルチノがすでにMSGで大々的に引退試合した後だという事を知らなかったな 知らないと言えば日本で血の抗争をしてた、ドリーとシークがデトロイトでタッグを組んでたという。
日本のテリーのチアガール達が知ったら気絶しそうなことが平然と行われてたからねw 当時は月刊のプロレス雑誌がほんの数ページしか海外マットの情報を掲載しなかったから知らない事は多かったよね。
日本で敵対している選手が向こうでは組んでたり、日本ではパッとしない選手が現地ではヒーローだったり、違和感あったけど楽しかった。 >>53
83最強タッグの頃には東スポでテリーの膝の状態が良くなってカムバックを唱える記事が出ていた。 友達と引退試合でのテリー・ファンクのモノマネしたなー。フォーエバー!フォーエバー! 月刊プロレスの巻頭カラーでテリーファンク対ジェリーローラーの試合が掲載されておりテリーが思いっきりヒールで子供心にビックリしたのを思い出だすよ 昔の月刊誌に地区別のランキングが掲載されていて、新日本系の選手がチャンピオンのテリトリーの1位が全日本系だったりして頭の中で夢の対決してたわ。 月プロの81年4月号の表紙はバックランド対ハンセンのMSGでのタイトルマッチだったな >日本ではパッとしない選手が現地ではヒーロー
自分的にはドイツのオットー・ワンツと
プエルトリコのカルロス・コロン
この二人だったかなあ…
もちろん政治的というか、プロモーター的な背景は無知の子供の頃ね >>63
カネックなんかも入るかな。日本ではジュニアの選手にもスッキリ勝てないのに、メキシコでは猪木やらアンドレやらホーガンやらブッチャーの挑戦を受けて渡り合っちゃうという 全日でメインを何度も任されてるドス・カラスが、メキシコのUWAでは
カネックの後塵を排してる事が何気に当時のプロレス雑誌に掲載されてた
ルードとリンピオで立ち位置が違うのがせめてもの救い >>57
リックマーテルがWWFで中堅ヒールやって落ちぶれたなぁって思ったけどあの程度ならプロレス界じゃ珍しいことじゃなかったのかな >>64
カネックはなんか幻想をもってた、「アンドレを投げた」という情報のせいかもしれない
実は「パッとしないのに」の最たるものかもしれないが、ちゃんと試合を見る前に情報だけが先に知ったせいかもしれない…
「敵前逃亡」のイメージよりも「アンドレを…」の方が大きかったw
マスカラスとどちらが強いのかは興味あったけどね。 子ども時代の自分が知らなかっただけで、日本では夢のカードが実現していたんだよね。
カネックとソリタリオがタッグを組むなんて、メキシコのファンは卒倒するんだろうな。
http://www.showapuroresu.com/file/file4.htm 新日だけど82年のサマーシリーズで猪木、ホーガン対アンドレ、カネックが組まれたけど意外にも両リンか何かだった
まだギリギリ扱いが良かった頃かも カネックは日本では扱いが悪かった。自分の中では、ハッキリ雑魚。 >>55
サンマルチノの米国で引退したというのは当時もゴングに書いてた
引退したのにブロディとシングルやって凄いと思った
馬場としてはサンマルチノの全盛期を知らない若いファンに凄さを見せたくてマッチメイクしたんだろうな >>55
そういや82年新春ジャイアントシリーズのパット・オコーナーもアメリカで引退したのちの訪日だったような。 プレ日本選手権のサンダー杉山とか、引退した元プロレスラーと思っていたから試合してて驚いた。 >>68
日本でアンドレがヒールのボスやってるのを知った時もひっくり返るだろうね 82年の新春ジャイアントシリーズの東京体育館は、
ハンセンが来る前から会場を押さえていたのか、
ハンセンが来ることが決まってから押さえたのか。 >>76
言うまでもないでしょ、毎年の12月と10周年の10月以外は大会場興行なかったんだから。 夏ごろには、ハンセン引き抜き成功が決まっていたんでしょう? 82年新春Gがいつもの年より長かったのはその後に馬場・鶴田・天龍のアメリカ遠征あったからか?
それにしても大会場押さえるなら何で蔵前じゃなかったんだ? 2月って蔵前で興行できないんじゃ?福祉大相撲とかあった気がする。使ったことあったかな? >>80
新日は83年に1対3マッチで蔵前使っているね。
確かに82年までは2月は東京体育館の使用
ばかりだけど。 ハッキリ言って
アメリカ人も日本人もメキシコ人を下に見てるよね。
いくらカネックがメキシコでは英雄でも、お前何言ってるのって感じじゃないのかな。
マスカラスが自分を別格として扱えと、
もはや嫌われてもいいぐらい待遇にこだわったのって、
ルチャドールの待遇のことも考えてだったのではないか・・
とかマスカラスの感動秘話を自作してみる >>76
前年暮れから発表になってて馬場x上田が予定されてた。 >>83
あの頃の全日を見ていて、いきなり東京都体育館興行なんて変だと思って当たり前だよね。 >>84
全日本の東京体育館使用は実に六年ぶりだったんだよな >>72
パット・オコーナーは日本であまり評価されてなかった気がする。
なんでだろう。 >>60
昭和50年代のプロレス大百科とかプロレス名鑑には
各ページの欄外に「プロレス豆知識」的なものが書かれていて
何度も読み返しているうち自然と暗記してたな
「テリー・ファンクはアメリカでは実は悪役である」というのも確かそこで覚えた 逆パターンで海外の記者の感想で
「アンドレが日本ではヒールなのに驚きました
彼はアメリカでは正統派のヒーローです」と書かれていた >>89
単純に来日回数が少なかったからじゃないかなあ。
初来日が昭和38年で、次の来日は10年後。
日プロ時代に何度か来日してたら違ってただろうけど。 オープン選手権のオコーナーVSマードックやVSマイティ井上とか見ると、何かヌメッとした独特の動きが癖になるw >>34
「^木にビデオは出し過ぎ」と言われるくらいだったが馬場の昔のビデオが出なかったのは
「全盛期と違い過ぎる」からと言う意見があった。元子夫人がストップかけていたんだろうね。
Gサービスを設立してTシャツやタオルのグッズ販売を新日よ先駆けで始めたのは元子夫人
に才覚だった。タオルは最初は関係者への贈答用だった。Tシャツに関しては滞在していた
ハワイのTシャツ文化がヒントになったらしい。
>>35
全日のゴールデン復帰はこの特番枠で視聴率が評価されたからだった。
>>77
ハンセン引き抜き前に発表された次期シリーズの新聞広告は「このメンツで(客が入らない
と言われる)都体が埋まるのか?」と言う状態だったのにハンセン乱入後にハンセンの参戦
と写真をつけ加えて急に華やかなるハシャギようだった。全日関係者はギリギリまで広告
の差替えをうれしい気持ちを押さえて我慢していたのがわかる作りようだった。 >>88
その昔は1月の最終戦は東体。その頃は馬場×レイスのPWF戦で使ったりしてる。
馬場鶴田×ブルクラなんてのもあった。
馬場×ガニアの3000試合は東京体育館でやれたらよかっただろうけど
やったら4000人くらいかなあ。 鶴田とブルクラみたいな60年代の古豪との対戦っていまいちイメージが湧かないな。
観戦し始めた頃に見た10番勝負最終戦のエリック戦もお互いの良さなんか出せそうになかったし、
つうかエリックも半分引退みたいな感じだし。中止になったキニスキーとのUN戦なんかも実現しても似た感じだったかも。 >>90
昔はアメリカで片腕のレスラーが試合してたみたいなのが書いてあった >>90
昔はアメリカで片腕のレスラーが試合してたみたいなのが書いてあった >>96
10番勝負最終戦の頃の鶴田には初々しさ・期待の若手という感じはもうなくなってたから仕方ないよ。
それでもそれまでのファンからすると少しワクワクする絡みだよ鶴田vsF.V.エリックは。
ちなみにブルクラとのインタータッグ戦を理容店のテレビで見てから全日と鶴田のファンになりました。 >>76
>>87
鶴田vsニック 馬場vs上田 天龍vsマスカラス
これじゃ確かに埋まらんよねえ…
フルメンバーの10周年ですら超満員でなく、空席があったんでしょ?
それと馬場がいきなり前面に出て、一騎打ちを参戦シリーズの最終戦で組むのも冒険だよね
まあ、その賭けに勝ったんだけど、そのせいで数年間は馬場vsハンセンが組まれる大会場は
鶴田のAWA戦などの世界戦は同日カードでもメインではなくなってしまった。 >>99
ちょっと嫌みたらしくて悪いね、エリック×鶴田でわくわくできたのなら羨ましいよ。
10番のラストなんだから特別感、ラスボス感が欲しかったんだが。
無理だったろうけどバックランドならうまく〆ったと思うよ。
何年か空いていたし消化しとけ、って感じも残念だった。
数年越しの企画だから途中で相手も変わってきてもいいけどもブラジルやエリック、
いつも戦っているブッチャーはいれてもらいたくなかった。
いつぞやのキニスキー→マイクシャープみたいにエリックが相手をブロディに譲る
みたいなアングルがあれば先見の明かつ大河的でよろしいが夢想的すぎるかな。 会場を押さえるのは、最低でも半年ぐらい前にはやっておかないといけないし、
ハンセンが来ると決まってから押さえたとしても、
当時の全日からすればなかなかの冒険者だね。
長州の「よし!押さえろ!」は、その時に押さえたかのようになってるけど、
その2ヶ月ぐらい前に、雑誌に10月にドーム大会があるって載ってたのを見たことある。 デストの10番ではラストのスーパーデストロイヤーは当時米マットではトップヒールのマスクマンだったから
それまでの何人かの急造マスクマンで数を稼いだ中では比較的期待が持てたのでは。 >>95
>>102
当時の全日の動員力なら横浜文化あたりの4000〜5000人ぐらいのキャパが相応しいんだろうけど
新日があれだけ蔵前とか連発してると対抗意識や格落ち感を防ぐためにも、年1回〜2回は1万人クラスは最低限なのかな?
上記の横浜文化は良い会場だし、でもなぜか動員が伸びないよね、新日も含めて…
どうしても同シリーズで大会場が重なるから、カード的に少し落ちるのもあるんだろうか?
東方角から来るには多少の時間がかかるけど、その分だけ西方面の人は距離が近くなるし悪くないと思うんだけどね。 「アンドレが日本ではヒールで驚いた」は関西人が「阪神が東京ではヒールで驚いた」と言うような違和感がある。
外敵、難敵と悪役は違うだろう。 >>94
>Gサービスを設立してTシャツやタオルのグッズ販売を新日よ先駆けで始めたのは元子夫人
に才覚だった。
そういえばGサービスでノーTVの試合を5000円ぐらいで馬場の解説入り(ターザンもいたかな?)
でビデオ販売してたが、あれも夫人の企画なんだろうか?
権利関係のバランスとか知らないが、あの定期的な発売でやっと新日と同じペースで出るようになった気がする。 >>104
横浜文化体育館、川崎市体育館、大田区体育館は、都心から決して遠くないのに、どこの団体も動員には苦労していたね >>106
放送時間短縮の影響でTVマッチが半減したのも大きいだろうな >>107
交通の便は良くないけど、不思議と客の入りは悪くない会場ってあるのかな? >>109
田園コロシアムとかは?カード次第という面もあるが、交通どころか駅からも距離があるし
会場周辺には店のたぐいはほとんど無かったし…
三沢タイガーのデビューの時は、あんな場所によくまあ人があんなに来たもんだと思う
鶴田マスカラスやハンセンアンドレの時は知らないけど… >>106
当初は若林とターザンだったけど若林が左遷されてから
馬場とターザンに変わった
初期のやつはヤフオクとかで今でも売られてるけど
96年以降のはヤフオクやメルカリで出されてもすぐ売り切れになるほど人気がある 十番勝負は一年くらいで完走しなければだめだったな。
あと、始まって早々にUN載冠しちゃったからチャレンジャー的な要素が失われた。 >>100
東京体育館は日本プロレスでも
1970年あたりからは不入りの目立つ会場に
なっていた。
馬場猪木のインタータッグ戦で5000人なんてこともあった。
横浜文体しかり。
この2つの会場は新日本でも埋められなかった。
文体を超満員にしたのは
80年全日本のテリーブッチャー戦。
そして東京体育館は馬場ハンセン戦であった >>104
何度も会場に行く余裕のない観客は、その辺の会場行くらいなら
国技館や武道館のビッグマッチ見に行こうと思うんだろうね
>>113
東京都体育館は球技メインの会場だから
床面や客席の構造が格闘技向きじゃないし、
立地的に周辺に飲食店がないから観戦後の盛り上がりも難しい。
使用料とか利用規定とかどうなっているのか知らんけど、
武道館や国技館が使えるなら、どこの団体も無理して使おうとは思わないのでは? >>113
確かに東京都体育館は客席構造がフラットで
後ろの席だとリングまでが遠かったなあ。
感情も通らず、盛り上がりにくい。
そんな場所が熱狂したから
馬場ハンセンは異例だったけど。 ていうか松根社長になって強気の興行姿勢というか、新日とテレ朝への対抗意識が顕著になったと思うな。
「プロレス中継の元祖はウチだ」みたいなプライドというか。 全日本で横浜文体が満員になった時と言えば、ジャパンプロレス初参戦の84最強タッグ最終戦と、最後の鶴龍対決かな。 やはり武道館や国技館って格闘技の殿堂。体育館ではない独特の雰囲気がある。
都体はプロレス史的には力道山のワールドリーグ優勝戦やデストとの死闘が行われた所として記憶される。
馬場対テーズのインター戦も客席に年配ファンがぎっしり収まってる風景は印象的。 一回だけ武道館行ったことあるけど、設備の古めかしさはともかく凄く見やすかったなぁ。
3階席だったけど全然問題なかった 77年に日大講堂が使用停止になってから
全日は東京の大会場開催をけちり出したな。
78年は蔵前2回、田コロ1回。
79年80年は年末の蔵前しか使わなかった。
82年からまた増やしていったけど。
80年夏あたりに東京都体育館で
レイス馬場のNWA世界戦くらい組めたと
思うが。 武道館や国技館、あと有明コロシアムとか
すり鉢状の会場は見やすいよね
体育館みたいな長方形の作りと違い、東西南北のどの席も平等の角度で見える
しいていえばリングアナやマイクの挨拶の時の向きと、レスラー入場位置で違いが出るくらいか…
そういう点では後楽園はすり鉢や正方形でもないのに、奇跡的に全方位で平等だな
南方面の奥がやや遠いが、そこは料金を安くしてバランスを取ってる
やはり北方面のステージの上を潰し、セットバックにしたというのは素晴らしいね
あれで中央にリングを置けるようになった、素人が言うのもなんだがナイスな設置だと思う。 >>120
80年夏の
馬場レイスでは東京体育館に発表4500実数2500くらいだろう
カード的に目新しさも何もないんだから >>122
勿論一枚看板じゃ無理だろうけどな。
92年8月のシリーズを想定して言うと、
鶴田対マスカラスのUN戦をセミに持ってくるとか。
ファンクスを特別参加させるとか
やりくりはあったろう。 >>121
後楽園はどこでも見やすいけど、北側ステージ席の二列目以降だけは地獄 東京体育館、83年の最強タッグリマッチの開幕戦
この時は満員だったんじゃない?
観戦したわけじゃないが、G+のクラシックの放送では画面越しでは空席がないように見える
ファンクスvsハンセンブロディ、馬場vsレイス、大仁田vsヘクター等…
これで入らなければ…という感じだけど、なぜ開幕がここで最終戦が京都府立なのか謎だけど。 >>117
10周年の時、テリーがフレアーに挑戦した時は入らなかったのかな?
テリーの返り咲き、それが日本で見られるかもという観点では動員力がありそうだけど
ただ、確かノーテレビだったような… 田園コロシアムは、当時の目蒲線からチラッと見えたから、田園調布駅に着く前に軽くテンションあがってたw 東京の試合会場って都心以外になるとめっきり数が少なくなるなw
町田市総合くらいしか思いつかない。あとは特設会場か。 >>121
ホールはボクシング興行を見据えた造りなんだっけ? ケリー・フォン・エリックの初来日第一戦が三鷹の特設リングで、友達が片道二時間近くかけて観に行ったらディスカスパンチであっさり大熊に勝っちゃって翌日怒ってたわwタイガークロー出せよって。 >>125
京都府立ってあまり使われんけどクソでかいんだよな
一回カーニバルの三沢と川田を観に行ったけど、びっくりした 後楽園がボクシング設定というのは知らんかった
でもそれ以外にも貸し出せたら有用だから、多目的ホールとして開始されたのかな?
スナックが昼間に定食を始めたように…
京都府立や神戸ワールドとか、時々全日は身の丈に合わない会場を使ったよね
その割にテリーvsハンセン 馬場vsガニア 馬場vs上田・鶴田vsシンを後楽園とか… >>101
エプロンに立つ鶴田にブレーンクローをしてリング内に引きずり込むとか衝撃的だっただろ >>120
テリー人気の絶頂期に蔵前でレイスとのNWA戦を組めば入ったと思う >>132
全日本は結構コケラ落としを狙う所がある >>117
>>113にある通り80年のブッチャーVSテリーで満員にしている。
ちなみにこのときの発表観客数は7500人で、1ヶ月前の新日の
武道館と同数だった。 >>132
元々ボクシング専用の
「後楽園ジムナジアム」というのがあって、
それが赤いビルに移転して「後楽園ホール」に
なったということ。
ただし後楽園ジム時代にも、力道山の日本プロレスに貸し出しされたことはあった。 ブッチャーとレイスが会場の外まで出て行って乱闘して警察に怒られたらしいけどブッチャーvsレイスじゃないんだよな >>138
日大講堂での大木・ブッチャー戦の時だったか
結局はブッチャーの初優勝を経て川崎で対戦 >>86
ありがとう。
初シングル結構遅かったんだな。
まあ馬場とシンはそんなに見たいとは思われて無かった気もするけど。 日本でのブッチャーとの抗争は、テリーよりもレイスの方が先輩なんだよな。
あの抗争を日本で続けなかったのは、レイスがNWA王者になってしまったから? 70年代後半の全日本が通常シリーズで蔵前
使った場合、ファンクス抜きではどんなカードでも満員は無理だったろうな。
鶴田、もしくはマスカラスが馬場のPWF挑戦、
みたいなマッチメイクでもいいとこ6000人位だろうね。 豪華メンバーのオープン選手権も、足立区体育館で開幕、最終戦が川崎市体育館だもんね。 >>143
当初は通常シリーズのはずを急遽オープン選手権にしたので
二年後のオープンタッグでは大会場ラッシュ >>137
あーなるほど、移転したのか…
そういえば力道山はボクサー育成にも興味があったとか
実際にジムも一般人にもインストラクター置いて開放してたんだっけ?
多角的な経営は猪木にも影響を与えたんだろうか? >>145
リキパレスを後楽園ホールの対抗馬にしようとしていたらしい >>147
元々かなりの不法建築だったらしいので撤退して正解だったかも 昔は地方・ノーテレビでタイトルマッチとか普通にあったよね。越中&三沢のアジアタッグ挑戦とか。フレアーがケリーからNWA奪回した後のレイス戦は中継なかった。テリー&鶴田&デビアスvsハンセン&ブロディ&スヌーカなんて試合をデラプロの写真で見た時は羨ましかった。 リキパレスどころかディファ有明ですら解体された
後楽園ホールが異例の長寿なのかも >>125
最強タッグリマッチの開幕戦は愛知県体育館で、
このシリーズ(グラチャン1)の開幕戦は後楽園。
>>149
83グラチャン1でブロディのインター防衛戦は4回も
行われたのにすべてノーテレビだった。 >>141
試合結果はともかくレイスは乱闘でブッチャーを圧倒してしまうから抗争にはなりにくい。
テリーはそのへん、がんがん受けてくれるからいいんだよ。リズムも合う。
レイス後の相手、ロビンソンも一時期盛り上がったがお互いやりにくそうだった。 なんだかんだ言ってもレイスは凄い
馬場はもちろんマスカラスや鶴田とも名勝負やってアンドレを場外でボディスラムやって完全KOしたりウォリアーズとも真正面からガンガンやりあうんだから ロビンソンってブッチャーの毒針エルボードロップを全然受けなかった記憶がある >>153
マスカラスもブッチャーを受けなかったね 逆にブッチャーは受けもうまいというか、やられる自分をうまく見せることができたから、
レイス、ロビンソン、マスカラス戦でも
うまくまとめたとも云える テリーのパフォーマンスは鼻につく、目立ちたがりという声も少なくなかったけど
それ以上に相手の攻撃を受け、目立たせてきたんだからなあ
ハンセンブロディとの対戦とかもうちょっと…というぐらい攻めても良かったんでは?
イメージとしたら8:2ぐらいで攻められてる印象しかない、完全フォールを免れるのがやっと、という感じの余韻だったもん。
そういえばUインターやUFCで台頭したダン・スバーンは中堅ポジション時代に
テリーのビデオを何度も繰り返し見て勉強したらしいね
「単なるパフォーマンスだけの者とは違う、レスリングできる本物のプロ・レスラー」と思ってたらしい。 >>120
会場を借りる時は苦労はGスピで大塚氏が語っている。全日は営業関係者が相撲協会と
懇意している人がいて「指定日」が使いやすかったとか武道館は担当者が大塚氏と旧知
の仲で使いやすかったとか逆に都体は担当者へ付け届けしても事務局全員に行き渡るまで
なかなか許可が出なかったとか京都は革新系の知事の時は使用許可を降りなかった。
全日は日大講堂は日テレがボクシングの世界戦で包括契約していたので関連会社扱いで
他団体よりかなり安く借りられた。武道館は逆に営業熱心だけど財務諸表の提出が求め
られるとかある。ドームも武道館も興行を成功させると「次回もどうですか?」と営業
がかかり「指定日」が取りやすくノアはこの連絡が無ければ二度目のドーム興行をやる
予定は無かったらしい。
>>129
北側の板張り席は3時間も観戦していると体に堪えるw
プロレス興行時の北側フラット席の下にはボクシングのリングが収納されている。 当時に新木場みたいな会場があればプロレス団体も増えてたかもね
東京の人間じゃないから当時のこの辺りの環境は知らないが夢の島跡地にプロレスで使う会場はなかったはず うちの地元の市民体育館は、プロの興行には年に一度許可を出すかどうかだったな。
なので、新日が来た年は全日は来ないし、その逆もあった。
今はもうプロには貸してないみたいだけど。 >>155
馬場との初対決のとき、決勝の3本目で
披露したジャンピングネックブリーカーの受けは見事だった
あの受けを他の試合でも披露してたらもっと使い道あっただろうに
いかんせん本人は常にカッコよく勝ちたいってタイプだからなあ
ブッチャーにPWF渡した試合も負けっぷり悪くて
今にして思えばみっともないことこの上ない 大田区体育館はいろいろ厳しくて、FMWが有刺鉄線チェーンデスマッチやろうとしたらダメで、インディアンストラップに変更。NOWが包丁持ち出したら2度と貸さなくなった >>161
自分の地元の市民体育館には、同じ月に全日と新日が興行に来てくれたことがあって、両方観に行ったよ。
夢のような時代だった。 >>164
あれホンモノだったのかな?
ホントに使うわけないんだから模造刀で十分だと思うが
今後施設が利用できなくなるリスク等考えてなかったとしたら
興行に首突っ込む資格のないバカとしかいいようがない。 フォークを使ったブッチャーのプロレス頭を少しでも出刃包丁馬之助に分けてあげたい
毒霧の仕込みは吐き出しちゃうし中途半端なペイントはするしホント超二流プロレスラーだな ファンクスが参戦しないと東京大会場を
使わなかった79年80年の全日本。
ならもっとファンクスを参戦させればよかったのに、
そこは温存傾向だった。 >>169
「プロレスの味方」で、村松は武器=もともと人を傷つけるためのもの
凶器=人を傷つけるために本来とは違う目的で使用するものと区別して、
プロレスに必要なのは武器ではなくて凶器だと書いていたな
この論理でいうと、ブッチャーはプロレスを分かっていたが
上田はわかってなかったということか カブキが鎧兜のコスで入場した時も日本刀持ってたけど振り回さなかった
模造刀でも金属製で先が尖ってるから、刺さったらシャレにならないよな >>173
カブキはムキムキのパワーファイターじゃないのにカランバのイベントに出てたな >>171
80年ではテリーは三回だがドリーは一回だけなんだよな
この年はロスにも登場していておそらくブッカーとしてチャボやデビルスに声を掛けていたはず 今大阪二大タイトルマッチを放送中
実際はアジアタッグも加えた三大だったんだよな この時の大阪、二日前に鶴田が王者になった事で当日券が伸びたはずだが、さすがに満員にはなったのかな?
あと記憶が薄れてるけど、ゴールデン特番はこの大阪の試合は番組後半の生中継で
番組の前半は蔵前のAWA奪取の録画放送ではなかったかな?
自信がないけど、そういうような変則的な二元中継をやった気がするんだけど…? >>177
1984年2月26日(日)大阪府立体育会館 観衆7800人(満員)
主催者発表の満員だから実際は8割くらいか? >>178
八割かあ…そんな偉業を達成しても札止めにならんか、鬼門だったんだな。
本当に入ったのは前年の引退前のテリーvsシンぐらいかね >>177
特番は2/23蔵前
大阪は翌週の通常枠
大阪は確か日曜日で、その夜の日テレのスポーツ番組?に鶴田が生出演した覚えがある
翌月の特番は前半で鶴田のアメリカ防衛サーキット
後半が蔵前からの生中継で天龍vsデビアス、鶴田vsニック、ハンセンvs馬場
だったと思うからそれと記憶が混ざってるのでは? >>181
ああそうだ、ありがとう
思い出した、確か馬場vsハンセンが生中継のいいとこで終ったんだよね…
続きは通常枠でやったと思ったが、まあとにかく蔵前の二ヶ月連戦なんて強気だったんだね。 3/24蔵前の馬場VSハンセンは以前ノーカット版で、ハンセンの蹴りで馬場が棒立ちの状態でトップロープに頭ぶつけながら倒れたのを見た >>178
それくらいの入りだった
見に行ったけど二階の端の方は割と空席があった 井上のセコンドに旧国際系にアジアタッグ組が就いていたのが印象的 >>180
とはいえハンセンの参戦以降は大阪府立の
動員は確実にアップした。 >>163
ゴング編集部でテリー引退本の編集に立ち会っていたテリーが深夜に突然、「日本デビュー
の会場に行きたい!」とリクエストし大田区体育館に急行した。そこになぜか屋台のラーメン屋
が営業していて「あそこでビジネスになるのか?」と妙な心配をしていた。
>>163
日テレとは資本関係に無いのに国プロは借りられなかった。日プロ時代に安田講堂攻防戦の
最中に近辺の本郷・水道橋一帯が厳戒体制になり封鎖されて後楽園ホールでの試合ができず
TVレギュラー放送のために日テレのスタジオから「日本初のTVスタジオプロレス」が開催された。 >>186
ハンセンの全日本での大阪府立初登場はレイスとのタッグだったか
次の登場ではレイスとの対戦なのも面白い >>187
あるいは全日本が旗揚げした時も貸すなとか要望したのかな
あるいは逆に追い出されると戦々恐々だったか テリーの日本デビュー戦はファンクスでアジアタッグ王者の猪木・吉村に勝ってるんだよな
但しBI砲のインタータッグへの挑戦ではストレート負け 大田区体育館は新日の旗揚げ会場ということもあって
どうしても新日の会場というイメージが強い。
全日にとっても三冠統一の会場なので記念すべき会場だが、
それ以降馬場存命時には二度と使われることはなかった。 そういや全日の旗揚げの地の町田って他にあまり使ってないような >>192
最近新日が町田市総合体育館を使ってるが、全日旗揚げ
(正確には前夜祭)会場の町田市体育館とは別物? >>191
大田区は今でこそ新日本は毎年使っているけど、84年10月以降は数年使わなかった。むしろ、大田区=全女のイメージ 自分が観戦した中では、大田区体育館はみちプロが一番印象深いな。
新崎人生の念仏ケブラーダを、生で見られたのはラッキーだった。 >>193
多分同じで改装されたんではないかと
町田市総合体育館は所用で行ったことがあるけど
町田駅ではなくて、隣駅の成瀬駅という方が近かった覚えがある
けっこう近代的で多目的ホールで、色々な催しをやってたなあ
昭和40年代後半の建物というイメージは一新されて、もう別物だね。
横浜文化体育館も閉館したけど、再建するならもう以前の面影もない令和感マシマシの体育館になるんだろうね… >>162
ブッチャーには許さなかったピン負けをカマタには許しているロビンソン。 >>192
町田は都心からも横浜からも遠いし、
収容人員の関係でそんなビッグマッチも組まれないし、
気軽に出かけるにはハードル高い会場かもね >>195
念願の東京でのビッグマッチで、第1試合から観客が出来上がってたね 東京の会場で言えば東村山の印象が強い、天龍同盟結成シリーズの最終戦で毎週最後に読み上げてたのと志村けんで、行ったことはないが >>202
原・井上と鶴見・ジョーの旧国際対決なアジアタッグもあったな >>202
東村山市民スポーツセンター。ユニバーサルの旗揚げシリーズで行った。駅からやたら歩いた記憶 >>203
何それ見たい
東村山まで行ってから歩くんなら後楽園ホールの客はあんまり行かないだろうな そういえば平成だが転勤で津田沼に4年住んでたが千葉公園体育館一度もいかなくて後楽園ホールばっかり行ってたな、新橋までの定期券があるから電車賃的な理由が大きいが
首都圏済みの人はカードが普通だとわざわざ行かないか 柏市住みだけど、昔は年に数回は必ず松戸運動公園体育館、船橋運動公園体育館、流山総合体育館、鎌ヶ谷市民体育館、野田市総合体育館で新日、全日、全女の興行があってプロレスはいつでも近所で観戦できるものだと思っていた。
けど、いつの間にか地方巡業が激減して観戦できなくなった。 >>206
今みたいにナビとかないから、JR千葉駅から果てしなく歩いて辿り着くのが千葉公園体育館。もっと近いルートもあるはずだけど。初めて行ったとき、体育館の裏側に出ちゃって、回り込むのめんどくさくて塀を乗り越えて正面にまわった >>207
松戸もよく聞く会場だね、行ったことないけど
今から思えば行っとけば良かったわ、世田谷とか >>203
>原・井上と鶴見・ジョー
テリーさよならシリーズで原・井上vsジョー・モローの国際アジアタッグもあった
このシリーズは自分もできるだけ観戦したが、モローの張り切りっぷりが凄く
会場人気も高かった、ほとんどノーテレビマッチだけど
後年にモローがGスピのインタビューで、元国際ばかりでさらにトップだったジョーと組めたり
郷愁感でとても楽しく、嬉しいシリーズだったと語ってた。 >>210
テリーVSシンの大阪大会だね
超満員の中で4人とも良いファイトだった >>209
北松戸駅から15分くらい歩けば着きます。
バスだと運動公園の目の前に着くので便利だったな
15年ぐらい前に新日に行ったときに鳴戸部屋の稀勢の里と若の里が観戦に来てた
もう使われないのかな >>210
鶴見とモローのコンビでのアジアタッグ戴冠が見たかった >>214
新日大嫌いのマイティが来るわけないと思ったのか、顔だけで名前がないのが笑えるよね。 >>208
東京も23区の西の方からだが
千葉公園体育館にも数度、行った。
まぁ確かに駅からちょっと歩いた記憶があるが、
それより、もっと遠かったのが「千葉県体育館」
93年の1月、三沢&川田対ゴディ&ウイリアムスの世界タッグを
見に行った。トイレでウイリアムスに遭遇して驚いた。
やっとの思いで「グッドラック!」と言ったら、王座奪取したよ。 >>216
オープン選手権の馬場vs木村が千葉公園で、レイスvsマードックのNWA世界戦が千葉県立だっけ? >>209
世田谷総合体育館は行きづらいよ。
それに、あそこは大田区体育館のような独立した
施設ではなく、単なる運動場の体育館。
付近の人に「世田谷体育館はどう行くか?」と聞いても
まず、分からない。
最寄りの駅からタクシーで「世田谷体育館」と言っても
通じない。 千葉公園は結構良いカードやってんだよな
武道館定着する前はよく最終戦だったし、ハンセンvsウィリアムスの初シングルの名勝負もここ 千葉ポートアリーナも意外と駅から遠いよ
千葉市の体育館はモノレールが最寄り駅が多い
幕張メッセも海浜幕張から意外と歩くよね まぁ、体育館は、どこも駅からちょっと距離がある。
駅の真ん前にあるのは東京体育館くらいだな。
代々1(代々木第一のことね)も、原宿から近いね。 大田区体育館は駅から近いよな。まあその駅が、各駅停車のみしか停まらない梅屋敷ってマイナーな駅だが。 >>219
1981年3月に千葉公園体育館に
馬場対コックスというレトロなタイトル戦を
見に行ったな。
4月には松戸体育館でファンクス対決、ブッチャー最後の全日本の試合を見た。
「何でここでビッグマッチ?」というローカル感はあったなあ。 >>223
ファンクス&鶴田vsブッチャー&シーク&大木の試合で、途中でキムドクが乱入して、
大木に反旗を翻した試合も松戸じゃなかったっけ?韓国師弟コンビはマンネリで、解散は必然だったね。 >>224
そうだったかも。
松戸はレイス馬場のNWA世界戦もあったと思う
けど、何でそんなにカード的に優遇されていたのだらろうかねw >>223
極道コンビとデビルスのアジアタッグもあったんだよな
ロスが主戦場だったのになぜ新日本に参加しなかったのかも気になる >>225
91年は6人タッグで鶴田が三沢から完全フォールを奪ってる
世界タッグの伏線になった重要な試合だった >>228
田上抜きで勝ってるのも大きい
同じ日にディートン・ブラックがカンナムにアジアタッグ陥落 松戸で思い出だすのはウォリアーズ対石川、後藤の1分半の名勝負 松戸は何度も話題に出てるけど、1984最強タッグの開幕戦という優遇ぶり
あの年は蔵前改装もあって最終戦が横浜文化だったし
ジャパンが初参戦したり、テリーは復帰するし、ラッシャーが馬場のパートナーになるし、かと思ったら仲間割れするし
大仁田は井上に負けて引退するし、キッドスミスがいきなり参加するしで…
ファンとしても例年と違う年末タッグで、色々と心が騒めくシリーズだったなあ…
眼前の最強タッグも話題がありすぎるんだけど、同時に「来年はどういう展開になるんだろう?」と気持ちが定まらなかった… >>231
なのに公式戦はファンクスとシン・ショーのみ
開幕戦が後楽園以外の時はハプニングが多い印象 84最強タッグは夢のシングルマッチも殆ど組まれなかった
生中継のオープニングで夢も希望もないシンVS小鹿が流れたくらいか
タイガーのタッグと超獣絡みの公式戦が夢の対決として年末放送された >>222
最寄り駅が梅屋敷というと不便感が増すけど、快速も停まる京急蒲田からでもさほど変わらないんだけどね >>233
キッド&スミス絡みの試合が一切放送されなかったから雑誌の写真だけでモヤモヤしたな。超獣コンビとかレイス&ニックとの試合は見たかった >>233
84年はオリンピアの初使用と公式戦の三十分化も重要 >>235
ブロディとはすれ違いに終わったから、
この時の対戦は貴重なんだよね。
キッドのコンディションも良かったから
動画で見てみたかった。 キッド自伝だと
「意外に思うかもしれないがフランク(ブロディ)はとても紳士でおれにはいつも良くしてくれた」 >>234
昭和の快特は、京浜蒲田には止まらなかった 新日本以前での大田区としてはBI砲の初戴冠とゴッチ対ロビンソンあたりか >>193
移転しているはず?ゴングのプロレス聖地巡りの本で取り壊されて草ボウボウの跡地が
載っていた。全日旗揚げ戦は日大講堂で二連戦する予定がスケジュールが既に
埋まっていて初日は町田での前夜祭になった。
>>218
最寄り駅は無いからバス頼みだね。比較的、近くにあった全日道場へ行くのに記者は
NHK放送研究所のそばのバスを降りてから徒歩で道場に向かった。道場はそばに小さな
公園ある隣だったみたい。新弟子時代の川田は筋トレ後の筋肉肉痛で2階の窓から吐いて
いた。今は世田谷通りはにぎやかだけどその頃ははチャンコの買い出しに行くのも困る
くらい店が無かったらしい。 >>234
快速って快特か?
その頃なら京浜蒲田停まらない >>243
昭和62年頃、京浜急行の京浜◯◯が京急◯◯に変わった 大田区体育館てアクセス良かったんだな、その割に集客がイマイチだった印象
後楽園ホールより見づらくて値段が高いからとかかな、ホームページがない時代だとアクセス先を調べるのも一苦労だろうが >>245
正式な旗揚げ戦になった日大講堂の観衆は当時の主催者発表でも
6500人だったのに2日連続だったらもっと悲惨な入りになってたのか。
初期の全日は毎シリーズのように日大講堂使ってたけど、客入りは
芳しいものじゃなかったな。発表でも2500人ってこともあったし。
1万人超えたことなんて殆どなかった。 >>207
柏市民なら柏市中央体育館を忘れてるんじゃねぇ >>249
2500人は馬場×サンマルチノか。ちょっと特殊な例。
それを除けば鶴田×ガニアあたりが客入り悪い。
1万を超えて発表されたのは確かに片手で数えられるくらいだね。 昨夜に買い置きしてたGスピのNWA特集(80年代当時のギャラ事情)をざっと読んだんだけど
WWF侵攻以前から既にNWAというのは形骸化(ファン目線に比べて)しつつあるのはショックだった。
皮肉にもチェッカードーム、馬場がレイスからPWF奪還した時がNWAにとって最後だったとは…
軽く読んだだけだから把握してるかはわからないけど、NWAというのはWWF侵攻により崩壊したんじゃなくて、
そもそもがニューヨークのWWFとセントルイスでは人口比が数倍以上も違い、場所感も含めるとWWFの方がメジャー感は上だったのかな?
だから例えると巨人(WWF)が阪神(NWA)の選手をどんどん引き抜いて
さらに大阪の甲子園球場のそばに後楽園球場をもう一つ建てて、大阪の公式戦までも奪い取ったイメージ?
例えが滅茶苦茶かもしれないけど…
NWA=色んな団体というかテリトリーが加盟して全米をシェアする集合体
WWF=日本でいえばインディーの成り上がり、侵攻後は成功したSWSみたいなもん
こんなイメージがあったんだけど、根本的に実情は違ったわけ?
でもWWFは実は70年代あたりからNWAの配下にいたわけだから、その辺の関係性がわからん
ただ85年とか86年あたりは普通に権威あると思ってたし、鶴田がAWAを獲ったのも全米第二のメジャータイトルかと思ってたよ…
そういう子供の頃のタイトル幻想(NWA)がかなり違ったのはわかった。
グダグダと長文でごめんなさい… >>252
飛行機料金の低下とかテレビの発達とか色々あるが一番はアメリカにおける地方都市の地盤沈下 各地のプロモーターの合議で決めた最後のNWA王者と呼べるのはフレアーなんだっけ
合議と言えば猪木と新間が「NWAに加盟したのに議場にも入れてもらえない」と愚痴っていたと
原悦生が回想していた >>245
>今は世田谷通りはにぎやかだけどその頃ははチャンコの買い出しに行くのも困る
>くらい店が無かったらしい
いや、、、砧周辺の世田谷通りは、今の方が寂れているだろ? >>255
に自己レス、今はストリートビューというのがある。
「NHK技研」から「東京成育病院」の間の世田谷区通り
(全日砧道場の最寄りの商店街)を見てみな。
今だって、チャンコの買い出しには苦労するような場所だよ。
川田が新弟子だった昭和の頃の方が、まだ店があったと記憶している。 商店街は全国的に寂れてるがチェーン店も増えてるし買い物不便かな、歩いては難しいし道は狭いが >>252
WWWFは関東地区の団体
AWAは関西地区の団体
WWAは四国の団体
NWAはそれ以外の地方プロモーターの組合組織
規模で言ったらそんな感じ フミ 70年代80年代前半のプロレス界は地方分権の時代だったけど、WWEはテリトリー制のプロレスに
風穴を開けようようとした。WWEだけで全米ツアーをやっちゃおう!と。テキサスにはフリッツ・フォン
・エリックの鉄の爪王国があり、ミネソタやシカゴの北部から中西部にはバーン・ガニアのAWA帝国が
あったり。どこにもそれなりの大きさのテリトリーがあったんです。テリトリーというのは日本語で「縄張り」ですね。
――当時のプロレスラーや関係者、ファンは、WWEの1984をどう見てたんですか?
「うまくいくわけないよ」と思った人がいても不思議じゃないですけど。
フミ そこは1984が起こらなくても、地方分権時代は緩やかに崩壊していったんじゃないかと思う。
当時ボクはミネソタの大学に通っていたからわかるけど、その街にいけばその街のプロレスがあった
んです。ところが80年代前半にケーブルテレビの全米中継が普及してくるでしょ。ケーブルテレビが
見られるようになると、アメリカにはその街以外のプロレスがあることがわかってくるわけですよ。
――そのテリトリー以外のプロレスも見られてしまう環境が整いつつあったんですね。
フミ ボクはミネソタだったから土曜日と日曜日の朝に放映するAWAを見ていた。たとえばデトロイトの
プロレスファンは、週1回のザ・シークのプロレスを見ていればよかった。その街その街のスターだけ
見ていた世界を壊したのは、ケーブルテレビとも言えるんだよね。 >>248
土日祭日になかなか借りられないとかはあったと思う。 >>187 >日テレとは資本関係に無いのに国プロは借りられなかった。
大田区体育館が国プロが借りられなかったってこと?
78年パイオニアシリーズでサモアンズと草津&浜口のIWAタッグ戦の記録があるが。。 >>262
国際プロレスは、1971年5月18日、第3回ワールドシリーズ
(ゴッチ、ロビンソン、ロシモフ参加)の決勝も大田区体育館で
行ったなぁ。 皆さんありがとう、何となくわかったような…
NWAが全米規模っていうのは、間違いないみたいね
ただ、地方商店の大型全国組合みたいな…
なんか今のネット直販みたいだなあ、地方のお年寄りが地元の店舗で買い物せず
スマホで広告を見て手軽に買えちゃうみたいな?
もちろん地元の店舗が衰弱してきた流れもあるんだろうけど。 >>265
セントルイスに本部があったのは地理的に中心でもあったから
月二回のキール定期戦のみで回していたという意味でもまさに米プロレス界のワシントンDCだった WWFはNWAから脱退する形で設立されますが、そのNWAの誕生にもテレビの存在が
大きな影響を及ぼしています。全米各地区の大物プロモーターたちは、第二次世界大戦が
終わるとすぐに新しい生活必需品なったテレビという“よくわからない機械”をとても警戒
しました。テレビでライブショーの中継などしたら、ただで試合が観られるようになる
から会場までお客さんが来なくなると脅威に感じたのです。
じっさいはテレビが宣伝媒体となってたくさんのファンが会場に足を運ぶようになるわけ
ですが、古い世代の興行師、とくに中西部のプロモーターたちにはそういう発想がなかっ
た。それでおたがいに手を取り合って統一の世界チャンピオンを決め、新参者の市場参入
を妨害し、自分たちの利益を守るための組織としてNWAが発足したんです。だからテレビ
の出現がなければNWAというカルテルは生まれていなかったかもしれない。
1950年代にいったんテレビブームが沈静すると全米ネットのプロレス中継も途絶えました。
そこからは各州の地方局が地元のプロレスを中継するローカルベースへと変わり、それが
70年代まで続きます。おらが町のプロレスをおらが町のテレビ局が放送することにより、
結果として全米各地のローカル団体は助けられ、“地方分権”型のビジネスモデルができ
あがったわけです。 やがて80年代前半にケーブルテレビが普及しはじめると、遠い土地の
TV番組が観られるようになり実質、全米中継としてのプロレス番組が
復活します。僕がミネソタに住んでいた頃、ケーブルでアトランタの
“ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング”やダラスの“ワールド
クラス・チャンピオンシップ・レスリング”が観られました。そして、
1984年からビンス・マクマホンが全米侵攻プランに打って出ます。
全米各地の地方局のプロレス番組を次々と買収して、WWEのTVショー
を流すわけです。
先週まで地元の団体のプロレス番組を放映していたはずなのに、同じ
チャンネルの同じ時間帯になんの予告もなくWWEのTVショーがはじ
まっていたわけですから、視聴者は驚いたでしょう。テレビがなくては
ローカルプロモーションはやっていけません。こうしてビンスは、
約30年つづいたテリトリー制を形骸化させていったのです。 >>23
今ちょうどジータスで放送中
実は旧大田区で唯一のアジアタッグ 千葉は日プロからのプロモーターがいたから好カードが多かったと、過去スレでみた >>266
でもそれはそれで凄い
人口数の比率がどれぐらい差があるかわからないけど
日本だと5000人規模の会場を月二回も数十年間も埋めるようなもんかな
>>267
昔でいえばデパートが各地方に進出し、地元の商店街を潰すようなもんだね… >>271
>デパートが各地方に進出し、地元の商店街を潰す
今、大型電気量販店が進出し、町の電気屋さんが潰れる。
そうすると、軽く電気製品の修理とか頼めなくなるんだよね。
大型店は、出張するだけで料金を取られる。
町の電気屋は、簡単な修理ならタダでやってくれた。
その分、入れ替えの電気製品(テレビ、冷蔵庫等)は
そこから購入したものだが。 >>262
借りられないとかあるんかね
金網だからとかじゃないの? >>273
国プロが後楽園ホールを借りられなかったのは日プロ時代で全日時代から解禁になった。 >>271
キールは公式で収容人数9000人
旧東京体育館とほぼ同じ大きさ >>274
やっぱそういうのあるんだね、圧力なのか忖度なのか、自分が見た頃は昼が新日本で夜が全日本とかあった ハンセンが来た後だが新間は外国人のギャラだけじゃなく興行のバッティングを避けるためにも話し合いしたいとか言ってたしその頃はなかったかもだが
猪木から戦え!と言われた頃は会場使用でも妨害とかあったのかも >>276
それ1月2日だけじゃないの?
他で同じ日後楽園ホールは記憶にない >>276
同じ日に、後楽園で昼、夜、違う団体が
興行することはあるが、昼の部が終わっても
ホールのどこかに隠れて、夜の部を只見する奴がいると言う。 >>274
日プロは国際の「あなたがプロモーター」で一位だった
スパイロス・アリオンを来日直前に引き抜いた位だから
そりゃその位の事はするだろうね >>281
しかし、その話、国際プロレスもバカだと思うよ。
「ファンが見たい未来日選手のアンケート」を取ったら、
日プロに対しても、有益な情報になるし、
そこでスパイロス・アリオンが一位になりました。
これから交渉します!と言ったら日プロが妨害するのは
目に見えている(苦笑) 妨害というが日プロが言うと後楽園は貸さなくなるんだね、日テレ的な理由もあるんか >>278
全日が新日とと同日に後楽園で行った日付
83年 1/2
86年 1/3
87年 1/2 1/3
正月以外はなかったはず。
83年だけが新日 昼 全日 夜で、他は全日 昼 新日 夜。 >>284
その頃の全日と新日はそんなに殺伐な関係ではなかったから
同日といっても、そんな興行戦争バチバチみたいな感じではなかったよね
もちろん正月というのもあるが、両団体ともご祝儀的なムードというか
新間部長が昼間の控室を訪問して馬場と握手するのも恒例だし
ハンセンの移籍で新日が手打ちを申し入れちゃったからね…
両団体ニアミスでバチバチ感があった最後は、10周年の蔵前連戦かな? >>280
初の同日、同場所の昼夜興行は専門誌の表紙になるくらい話題になった。友人はトイレに
隠れてw夜の新日を観戦できるかも?とか言っていたけどそんなに個室の数は無いし2階の
にもそんな場所は無いね。
>>281
デイリーと提携してのアンケート調査で「日プロにただで市場調査を提供してあげただけ」
になってしまった。しかしデイリーって東プロや国プロといい日プロのライバル団体に
肩入れするね。東スポは逆に日プロと組んでいた。 俺も後楽園にいくたびに昼夜の時に隠れられそうな場所ないか探してるが難しそう、トイレの個室は誰もが利用するし思い付く場所だからね、カーテンの中くらい? 客もスタッフも男性が多いから女性用トイレの個室ならチェックが緩そうだがバレたら違う意味でヤバイ シネコンでもう一回見てやれとトイレ隠れ作戦とか考えはする。
いつから一度しか見れなくなったんだか。 三が日興行はカードやメンバーこそ弱かったけどあの緩い雰囲気とバトルロイヤルが好きだった
全日も新日の方もスペシャル放送してくれてたのも良かった >>293
バトルロイヤルの定期開催は全日本が唯一になった感じか
新春二連戦の開始は76年からでタッグリーグをも超える日本プロレス界の最長定期イベントになってるのも凄い >>293
秋のジャイアントシリーズ・冬の最強タッグリーグ
全日はこの2シリーズで豪華外人を呼ぶからね
正月ぐらいは経費を落としても仕方ないよね…
夜にステーキを食ったら、翌日はアッサリした海苔やタクワンの朝食だけでも満足。
ちなみにジャパン参戦の1985年正月シリーズ、朝食から激辛ラーメン食ってるようなもんだね。 プロ野球で潰れる時間帯の時は冬シーズンのがテレビで見れてたからショボいメンツでもジャイアントシリーズの思い出は多い 82年の新春バトルロイヤルで天龍が優勝し胴上げで落とされてマジ切れの表情してたのを思い出す。 >>296
ジャイアントシリーズだと91年のは
カンナム、ブルドックス、ディートン&ブラック、マレンコ兄弟、
小橋&エースというアジアタッグレベルの中堅タッグチームが参加していたので連日アジアタッグレベルの試合が組まれていた。 ゴールデンタイム移動ってあまり全日中継に関してはプラスじゃなかった気がする
新日の金曜は基本野球がなかったからほぼ潰れることはなかったけど、日テレに関しては讀賣戦という癌があったからなぁ
そして、実況生中継にしてもジャパンがいた頃は選手が多すぎてあれもこれも見せなきゃいけないという感じで、雑で短時間の試合が多かった
なんだかんだで前日くらいの試合の録画中継をゆったりと流すくらいがいいよなぁと思いながら見てたわ >>298
91年は日プロ時代の66年と並ぶアジアタッグの最大激戦の年だからな
89年の世界ジュニアと共に大混戦って プロ野球だと月曜休みが多いから月曜20時はと思ったらワールドプロレスをやってたんだな、日プロ2放映時代か。
新日本が金曜20時に移ったからといって日テレが月曜にいくわけにはいかないか。
昭和50年代のこの時間は基本的に日テレの歌番組見てたな
http://i.imgur.com/Rf7TR3c.jpeg >>301
ちょっとズレた話になるけど
新聞って昔からテレビ番組欄、見出し、記事の字体、etc…
ほとんど変わらないよね、ぱっと見るだけでは日付を見ないと 令和・平成・昭和とか見分けられない
下手すると100年位は同じなんじゃないの?テレビ欄が増えた以外は…
こういう文化は残してもらいたいもんだ、何でもかんでも最新じゃなくていいよね。 >>302
文字サイズは大きくなった。高齢化で老眼が増えたかららしい。 >>302
昭和末期から平成初期の見出しフォントは、トーチューフォントを基本にデジタル化
されてたから、デイリーと報知以外はほぼ同じと、元システム担当が言ってみる。 野球シーズン中は深夜に放送だったが、夏休み中なんかは夜更かししてたから(まあ平時から土曜は夜更かしだが)
却ってそれはそれで記憶に残ってる。「マスカラス、夏、深夜」みたいなキーワード。
エリック兄弟が初来日した79年スーパーパワーなんかも妙に記憶に残ってる。
空位のアジアタッグ争奪で極道、エリック兄弟、キウイズらが参加。特にデビッドのはつらつとしたファイトが新鮮だったな。
デストロイヤーが帰国のため最後の参戦シリーズになったのもこの時だったかな。ちょっと寂しい思い出だった。 >>303
>>304
豆知識、いや貴重な裏話ありがとう
こういう歴史的な産物はノスタル感を引っ張りだされるから、時代の変化なく統一してほしいね
他にも映画の冒頭の映画会社のオープニングとか、ハンコ文化とか、切手なんかももそうだけど、
マジマジと見て初めて時代がわかる、という時間差がいいんだよね。 >>305
なんでアジアタッグを一年以上もほったらかしにしたのかが一番の謎 >>307
自分も謎。その前まで国際勢や同門のクツワダ高千穂らと盛り上がってたはずが、
戴冠以降に一気に沈んでしまった。マッチメイクとか何かしらの問題でもあったのかな。 >>311
あるいは馬場が取ったシングルと共にアジア王座を封印しようと一時は考えていたのか そうそう、丁度同時期に馬場が大木を降してアジアシングル就いたんだが
まるで防衛戦の動きも見せずにフェードアウトだったな。つうかこのアジアの単複両王座も
新日がアジアリーグで新設したのを良しとせず、対抗策で日プロ伝統を謳うべく復活させた経緯での王座だったが
事が進んだ先にもう用済みという扱いだったねえ・・。まあ結局シングルはもう大木に管理させた形で
タッグは80年代以降に再び脚光を浴びるんだな。 >>313
当時の全日本は中堅の層が薄すぎてアジア
タッグ戦を前提の筋書きが立てにくそうだね。
挑戦者は外国人なら3、4番手だけど、
タイトル戦まで大熊小鹿に負けさせられない
というのは少ないメンバーでやりくりするのにあ面倒くさい縛りになりそう。 極道が防衛期限切れから王座に復帰した後も、変な挑戦者ばかりだったよな。
ブラジル&コロン組とか、間違いなく日本でしか組むことのないタッグだし。 >>315
ブラジルというビッグネームを持ってきた事で直後のオールスター戦に向けての箔付けも意識したかって印象
最後の戴冠は一番長かったが日本人チームとは一度だけなんだよな
そして初防衛の相手のエリック兄弟の再挑戦に最終陥落 タイトルの期限というのも意味不明だわな、ボクシングのチャンピオンなら怪我で試合に出れないから剥奪というのでわかるが、毎日巡業で出てるのにタイトルマッチがないのは本人のせいじゃないだろう >>317
力道山なんかはWWAに関わってる間の一年間もインターの防衛戦をやっていない
最近では青木が亡くなった時に世界ジュニアを防衛期限の半年間凍結している 外国人が来日しないから剥奪ならわかるけどね、それだと日本人側のイメージ最悪だが。なので外国で奪回試合というのも話題やテレビ的には良いと言えるが。当時は外国人がタイトルとったままシリーズが終わると本気で流出を心配した 話の趣向とはズレたら申し訳ないが、アジアと聞いて想起するのは
自分がプロレス見始めたころ、倉持さんや山田さんが
「日本プロレス界で最古の由緒あるタイトル、それがアジアタッグ」みたいな意味の事を話していた
「ユイショ」なんて意味は子供には理解できなかったが、なんとなく一番価値があるんだろうと解釈してた
ところがそのタイトルを争うメンツは大熊や小鹿、石川や佐藤、Dマシン、越中や三沢といった面々…
他には原や井上やジョーがまあギリで一流の下っ端ぐらい?
でもタイトル移動で極道が粉をかけたり、普段ではシンに軽くフォールされるメンバーといったところ
プロレス初心者にとってアジアタッグは放送内容の美辞と、現実のリング上のギャップが不思議だったなあ… アジアタッグといえば妙に爽やかな「ストリート・ビート」が懐かしい >>225
確か、日プロのコミッショナーだった
川島庄次郎氏の選挙区だったとか、
前にここで書いてあったような。 >>321
初使用が石川・佐藤の時なんだよな
そのカップリング曲だったのが後にキッドのテーマとなるカー・ウォーズ 全日時代のアジアタッグは
「中堅レスラーが巻くベルト」→「将来のメインイベンターが巻くベルト」に
立ち位置が変わった NETテレビがプロレス放映参入した当初は、インター=馬場、インタータッグ=馬場&猪木、
アジアタッグ=猪木&吉村だったから、NETが放映可能な唯一のタイトルだったんだよね。
その後猪木悲願のシングル、UN王座を戴冠して番組の目玉にすることができたが。 >>295
ルーインが新春シリーズに来日するは日本人の夫人の里帰りを兼ねてだったがその分、
ファイトマネーも抑えて経費節減をはかっていたのかな?ちなみにレイスが
夫人同伴で来日する時は日本でショッピングしたい夫人の要求に受けてレイスが自ら
馬場に参戦をオファーしたw
>>320
馬場展に行ったらアジアタッグのベルトが一番、老朽化していた・・・ >>320
下部王座だが上位王座よりも歴史が古いので名誉職に格好というのもあるんだよな
いわばメキシコにおけるナショナル王座やレジェンド王座に相当する役割だって >>325
アジアタッグは復帰直後の猪木が一度巻いていたがインタータッグ奪取で一度返上してるんだよな
そこに返り咲いたのは明らかにNET用の看板王座にって感じ
また当時はまだ力道山時代からメイン王座だった印象が残っていたのもあったろうし 日プロ時代は現役の世界王者が挑戦してるタイトルだもんな
全日管理になってから外国人でビッグネームの挑戦者となると、やはりブラジルになるんだろうか >>331
ブラジルは日プロと全日本の双方でアジアタッグに絡んでる唯一の外国人でもあるんだよな
日本人でも馬場と小鹿だけ
そして双方で王者になったのは小鹿だけって >>332
残念だがルーファス・ジョーンズも
日プロと全日本両方で挑戦しているね。 >>333
失礼
猪木・大木とやったトム・ジョーンズがルーファスだったか バスター・ロイドは挑戦というか決定戦
どっちでもいいけど >>335
その一戦から日プロ時代はずっと決定戦で新王者だったか
試合での移動はようやく全日本時代でのオーツ兄弟が久しぶりで >>324
中堅の名誉職から若手の登竜門に変わったのは若手層が充実して来たのもあったろうし
ジュニアクラスが増えればジュニアタッグに使えるのも強味
いわばアジアタッグをどう使ってるかでその時の団体状況も分かるんだよな
あとマッチメイカーの腕前とかも >>332
>日本人でも馬場と小鹿だけ
>そして双方で王者になったのは小鹿だけって
いや、馬場もアジアタッグ王者になっているよ。
64〜65年に豊登、66年に吉村と組んで。 >>338
双方で王者って、日プロと全日の双方でって意味だろ? >>338
馬場は全日本では王者になっていない
あと双方で絡んでトロフィーとベルトの双方にも絡んだのは馬場のみ >>338
豊登との王者時代は唯一の王座でもあったんだよな
あと吉村とのコンビでは歴代最多の四度目の挑戦でやっと取ったが僅か半年で返上
むしろその後のインタータッグ王者時代の方が長いくらいで 馬場が全日でアジアタッグに絡んだのは、小橋との親子コンビでフットルースに挑戦した時だけか >>342
同時に馬場にとって最後のタイトル挑戦
こういうレジェンドやトップと若手を組ませるというタッグならではのハンデ手法もアジアタッグならではで以後における偉大な先例ともなった >>301
当時はまだトップテンの視聴率が高かったから月曜20時はあり得ない >>154
今日はレイスのUNの奪取日
あのフィニッシュは未だに強烈 小橋が馬場と組んでフットルースのアジアタッグに挑戦した同じ頃
飯塚は長州と組んで烈風隊のIWGPタッグに挑戦した
プロレス雑誌は「両団体に新しい世代の風」と記事にした
挑戦に失敗した小橋が大ブレイクし、タイトル奪取に成功した飯塚が落ちぶれた
なんて皮肉な >>346
飯塚がIWGPタッグ獲った試合と、小橋が鶴田と組んで天龍&ハンセンに玉砕した試合を並べたんじゃなかったかな 昭和ではないけど
天龍と渕が組んで「青春の忘れ物」としてアジアタッグに挑戦した事があったな
天龍は低迷したいっても、何だかんだでアジア以上のポジション
渕も全盛時や熟成時はジャパンとの抗争、ジュニアの壁、長期政権という役割でレスラー人生を費やした
確かに横目で見ながら縁がなかったのかも >>349
比較的最近では大仁田も渕と組んで取ってるしな
園田の遺影を二人で持って記念撮影をしたのも感動だった >>295
85激突オールスター・ウォーズ参戦のブラソ・デ・プラタ死去 飯塚は期待されてたからね。
新日の飯塚
全日の小橋
この二人ぎ双方の団体を担うとか記事あったし
89年頃は二人とも期待のホープと扱い
その後は大きく差が付いたけど 凄く失礼な見出しだと思いますが、私の中では一番印象に残るプロレスラーでした。
ユニバーサルでの大活躍は感動ものでした。ご冥福をお祈りします。
スーパー・ポルキーさん心臓発作で死去58歳 米プロレスWWEで活躍
https://news.yahoo.co.jp/articles/401dc3a26af6ff068c753f215e9cc079159019e0 飯塚は歯並びが悪すぎてなぁ。
口を閉じてる分には良いけど。 >>297
賞金を手にしたまま胴上げされて落とされて、その拍子に賞金を手放しちゃったのを映像で観た記憶がある。ゴングの記事では、天龍は「賞金、どこかに行っちゃったよ」みたいなコメントしていたが、真相はどうなんだろう? >>347
もし馳が欠場していなければ飯塚があそこでベルトを巻く事はなかったかも
とにかくベルトがやけにブカブカだったのも印象に残っている
そういえば飯塚も新日本でアジアタッグに挑戦してたか >>352
期待されてたのは鈴木実だったが、UWFに行かれたので
代わりに飯塚を推した。 飯塚がIWGPタッグ奪取した日、猪木が出馬していなかったら、猪木&チムール・ザラソフvs藤波&長州だったんだよね。シリーズ通して猪木と組んでたら、ザラソフの人生も変わっていたかも。 >>349
天龍は79年に高千穂とのタッグで極道コンビに挑戦して
2フォール取られて完敗したことがあるな
25年後に忘れ物を取り戻したのかw >>359
天龍は77年にも羽田とのコンビで挑戦して1−1から60分時間切れ
渕も85年に王座決定戦と挑戦1回ずつしてる >>359
決勝フォール取られたのは高千穂。天龍は1本目を取って2本目取られた。 >>363
浜口&寺西との決定戦では引分けなのに寺西&保永に挑戦ではフォール負け >>364
そこら辺のベテラン・中堅選手によるタッグマッチは、意外と勝敗読めなくて面白かったよ >>364
渕のアジアタッグ再挑戦はそれからまた七年後なんだよな
初挑戦の小川と組んで小橋・菊地の初防衛戦の相手を努めた時だが実は全日本デビュー組のみによる初のアジアタッグ戦でもある 小橋がゴディがスリンガーと組んでアジアに挑戦すればベルトの価値が上がると言っていた。
あの湯治だったら鶴田&小川とか小橋&浅子が
カンナムといい勝負していたのであっても良かったかも。 >>358
ザラソフはなんか線が細かったなあ…若いんだろうけど
ハシミコフはドシッとした厚み、一撃必殺の風車落とし
ザンギエフは毛むくじゃら、それでスープレックスが鋭い
やはりこの二人がプロレスラー然としてて需要があったのはわかる
ザラソフは大成したらジュニア時代の馳と良いライバルになったかもね
まあ、馳はすぐにヘビーにいったし、ライガーやブレイク後の保永あたりか…
片や平成元年の全日は…もう既に輪島・石川・原が去り、メンバー的にも分岐点を迎えてたね。 鶴田小橋対天龍小川なんてカードは週刊プロレスの意向だろうね
ジャパン時代に鶴田冬木組というのもあった気もするが凱旋帰国時の売り出しで基本的にはトップと若手コンビはなかったかと 天龍冬木vs長州谷津ってのがあったかな。
冬木が血だるまにされた試合。
あの頃の冬木の体型、髪型が長州ぽくて話題になってた。
後のフットルース時代と違ってヘビー級の新戦力って感じで頼もしかった。 >>368
地味だけどベルコビッチに期待してた。北尾の相手をつとめたぐらいだから、ある程度信用はされていたのかも。 >>367
鶴田は結局アジアタッグには一度も挑戦してないんだよな
但し大木のアジアヘビーとはUNとのダブル戦
浅子は菊地と組んでカンナムの最後の防衛相手に >>371
地味とはいえベルコビッチはマスクが良いし、厚みがあるしけっこう期待させるものがあった
あとウイリアムスが張り切ってたね、ビガロとベイダーがやられたもんだから米軍の最後の砦みたいになってた。
まさか半年後に全日に来るとは…でもあれだけ新日だとデカく厚く見えたのに
ゴディと組み、ハンセンやスパイビー、鶴田や天龍とやると並みのサイズにしか見えなかった。
新日時代は巨大冷蔵庫みたいなイメージだったのに…。 >>368
全日はUインターと契約が切れたオブライトを引っ張ってきたけど
ハシミコフとかのペレストロイカ軍団を引っ張る気はなかったのかな?
引っ張ってきたら、全日のリングで結構面白い光景が見られたかも。 >>375
秋山・本田・菊池・後に入団する馳
この辺のメンツをぶつけたら新日や世評に対しての
「全日は内輪のマンネリ」へのアンチテーゼになったかもね
特にその時期の新日はどんどんアマレスベースの選手を入団させてたし >>371
ベルコビッチが重用されたねは日本語が喋れたから ジータスで82世界最強タッグリーグ開幕戦と入場式があったので観た
レイスのファンクスに対する挑戦的な態度が渋くて良かったなぁ
パートナーのスレーターはファンクスに絶対服従なので
レイスとファンクスが乱闘しても絶対加わらない
代わりに鶴田を殴るというおとぼけぶり でも開幕直前のスヌーカWWF移籍は残念だった、やっぱりレイス&スヌーカで見たかったな。 >>377
ドームでの秋山と馳のシングルはまさにプロレスリングって感じだったよな
これからはこういう試合が主流にならねばって感じだったし レイス、スレーター組はスヌーカが出てた場合の成績をそのまま引き継いでいるんだろうけど、そうなるとファンクスとの45分時間切れがちょっと意外な気がするな
スヌーカに45分フルタイムのイメージがないだけに
ちゃんと最終戦まで優勝戦に絡んでるんだけども最後の馬場、鶴田戦の同士討ちのシーンだけは、もう少し上手くできなかったのかなと何度見ても思ってしまう >>383
スレーターの感覚がイカレてるのが分かる場面なんだよな
その前の馬場を足四の字で攻める場面が良かっただけに尚更残念 >>384
またカメラもちょうど横から捉えてただけにどうしようもないというね…トップロープからのエルボーもよかったし、試合自体は面白かったんだけど、その最後だけが… >>375
まぁ、参加メンバーがマンネリ化して、スティーブ・ウイリアムスが欠場した
95年、最強タッグ戦にハシミコフ&ザンギエフが参加したら、ちょっと目新しいモノが
あったな。でも、その程度。結局、新日でも、Uインターでもトップになれなかった選手が
(一時的にハシミコフはIWGP取ったけれど)全日でなったら、ファンが嘆くよ。
おっと、95年最強は、オブライトが参戦したのか!?なら余計、出番はなかったなぁ。 82最強タッグ入場式で上田が竹刀で頭叩いたカメラマンが恨めしそうに上田見てたけど
あのカメラマンってあの時点でもベテランで有名な人だったような >>382
あの試合のフィニッシュのリストクラッチ式は
自分の中では初見にして秋山の人生で最高の決まり方
鶴田の日本デビューのフロントスープレックスを想起させた >>376
冬木めちゃくちゃ善戦してるな、最後クイックだし、この体で動けたら重宝されるわ
フットルース末期に太ったのは不摂生だと思ってたがこの時期に戻ろうとイメチェンしてたのかも >>383
大阪での超獣組との公式戦も反則負けは決まっているとすれば、レイスじゃなくスヌーカの流血・暴走ってことになったのかな。 82最強タッグ入場式は、当時レイスのパートナー変更を知らずにテレビ見てたので、
あれスヌーカってこんな人だったっけ?と思った小学生の自分。
今思うと、さすがに別人すぎだろとw >>386
ソ連軍団はアマレス技だけで試合作ってた時は新鮮だったが、
プロレスに順応してロープワークや場外乱闘を覚えたら、あっという間に飽きられた
キャリア積むほど迫力も魅力もなくなるんだから、プロレスって難しいわ。
>>389
プロレス入り前にまともなスポーツ経験のなかった冬木は、同世代の他のレスラーと比べても
基礎体力がかなり低い。それを補うためには体重増やしてパワーアップする必要があると思い、
ムリして増量したんだろう。結果的にはそれが糖尿病の遠因になってしまうわけだが。 >>380
前シリーズで最強タッグ前哨戦として師弟コンビを撃破しブロディとの一騎打ちと
盛り上がった中でキャンセルだったからなおさらだった。
>>381
この時の最強タッグとMSGタッグを「プロレスブーム到来」と「TBSの報道特集」が
取り上げている。百科事典のような厚さの過去の週刊ファイトの記事が満載された
愛蔵版とかが店員が「そんなに売れないだろう?」と思っていたらかなり売れている
とかプロレス本出版ブームも書店からレポートしていた。 >>392
冬木は国プロは基礎体力が足りず「リング屋兼練習生扱い」での入団でリングを設営する
と若松と二人で練習していた。 >>392
>キャリア積むほど迫力も魅力もなくなるんだから、プロレスって難しいわ。
ちょっとズレるが、ボブサップを思い出した
テクもなにもない初期の傍若無人な頃、K-1や総合でホーストやノゲイラを圧倒してたのに
練習を積み、技術を覚えるうちにどんどん勝てなくなっていった
メンタル面が云々という声もあったが、新日での中西戦
武藤全日での武藤とのタッグなど良かったと思うけどね
サップが相手を肩車で担いで、武藤がコーナーポストからのダブルインパクト式シャイニングは名シーン… 「意外かもしれないが、フランクは俺にフランクに接してくれた」 1982年の最強タッグは上田のパートナーがシンで参加してたら
なんと白星配給チームがゼロになるという、少数厳選の凄い大会になったんでは?と思う
逆にとらえれば1985みたいに引き分けオンパレードの危惧もあるけれど… 毒舌が売りのタレントがだんだんおとなしくなってく感じと似てるな
格下レスラー相手に凄みを出せてもトップ相手ではそうはいかないと、例外はブロディだがあれはアメリカでも日本でも超トップ扱いでないとリングに上がらないから出来たんでは >>397
それでもちゃんと馬場組の足を引っ張って優勝させなかったからな
前々年のシーク・メフィストもだがそういう形で存在感を示すってのが上手い >>394
の割に冬木は川田よりも出世早かったよね、天龍同盟時代に並ばれて逆転したが、確か川田は帰国後に不整脈で入院したからそれもあってしばらく様子見だったのかも >>399
あと、ハンセンブロデイが天龍原に反則負けとかもね
しかしこの頃のテリーの老けっぷりは早いな、ファイトじゃなくて風貌がね
とても30代後半には見えん、肌ツヤというか体の張りも3歳上のドリーの方が若い
まあ引退直前だし、それはそれで哀愁感というか枯れっぷりが良い味を出してるが… ちょっと国際プロレスのスレをのぞいたら
各ベルトの成り立ちや歴史の事で盛り上がってて、少し読み込んだけど
ああいうの読むと、全日が新日のIWGPに対抗してG・チャンピオンカーニバルと銘打ってやってたけど
テリーとファンクスの因縁クライマックスがテーマの83年はともかく
84年の「タイトルマッチ乱発が売り」というのはどうなんだろ…実際にお客さんは入ったのかな…
自分なんかはタイトル戦が組まれる日が多いと、裏読みして「どうせ奪還されちゃうんだろう…」とガキでも思ってたけど
タイトルマッチって地方も含めて、そんなに動員が変わるもんなの? >>402
チャンカーは名前の通り元々最初はタイトルマッチ主体のシリーズのはずだったらしい
それにトーナメントを加えて最後はリーグ戦になったのが真相 >>399
俺は、シンとかが、序盤のロープブレークでクリーンに分かれて相手が困惑し、ペースを乱したまま両リンとか反則負けとか、そのパターンが好きw >>403
(ローカルのそれだが)チャンピオンが集まって
誰がいちばん強いんか決めたらええんや大会という計画だった。
トーナメント戦なので日本人同士を含む夢の対決が実現という触れ込みもあった
だが一回目から馬場がシードされるという
いちばん強いかを決めるには疑問符のつく態勢だった。 >>391
その年の入場式といえばやっぱり視力が悪いハンセンが
誤ってレイスに後ろからぶつかったときだな
レイスがハンセンに何か言ったらハンセンが一瞬シュンとなったからな >>401
最終戦では上田組にも勝ってるのがポイント
いずれも師弟コンビが無得点の相手だけに 馬場との初対決やレイスとのタッグでのゴング前の楽しそうな顔とか、
時折り、ハンセンの素が見られるのは面白い。 >>397
そうなったら白星配給係は龍原になるだろうな。78年の韓国コンビみたいに全敗とまではいかないにしても。 >>409
78年にはブリスコ兄弟に参加して欲しかった 考えてみれば80年最強タッグのニック、ブランゼル組ってAWA圏では普段組まない
面白いタッグチームだったんだな。
90年東京ドームでの天龍、タイガー組みたいな… >>412
その2人は普段敵同士だから意味が違うけど、オープンタッグで実現した
ロビンソン&ホフマンも、日本以外では絶対組まないって話もあったよね。 >>404
83最強タッグ蔵前の困惑する馬場ドリー、深刻なテリーの顔が忘れられない
新日では絶対再現出来ないゲーム性というか味わいがある >>411
ブリスコは日本ではタッグリーグどころかタッグ王座への挑戦も無いんだよな
兄弟揃っての来日も一度だけだし >>414
あらゆる引き分けが同点の新日本に対し反則やリングアウトでは点にならないというのが一番の違いなんだよな >>416
時間切れ引き分けにだけ1点の価値を与えているのは独特だよね。 >>402
地方大会で選手権試合を乱発してたのは選手権試合は別料金を興行主に請求する為ってのもあった
国際だと選手権試合が金網等のデスマッチになって別料金が発生してた >>417
まさに値千金の一点なんだよな
それを楽しめた昭和期の最強タッグは確かに格別だった 時間切れ以外は引き分けではなく
両者リングアウト負け、両者反則負けという解釈で
あらゆる負けは0点なんだな。 従来説
マクマホンの全米進出でNWAが崩壊した
新説
マクマホンはNWAの内部分裂・事実上の崩壊に乗じて全米に進出した 誤爆すまん
>>413
ホフマンがアメリカ行ってAWAでラシクと組んでヒールやってた頃はロビンソンが
あんまりAWAにいなかったから対戦は少なそうだけどね >>400
海外遠征から一時的に帰国した時に見違えるようにたくましくなったのを見た馬場が
「今日、試合に出ろ!リングネームはサムソン冬木だ!」と言う話がデカくなった
写真とともに専門誌に紹介されて川田より遙かに馬場に買われていた。
>>403
ボクシングも日本チャンピオンを揃えてのを防衛戦を「チャンピオンカーニバル」として
後楽園ホールで行い盛況だった。名称の使用や開催はプロレスの方が先だったように
な気がした?
>>413
ただチームワークはどうなんだろうね?
ロビンソンがホフマンと組むのを枝分かれしたBI砲が突然、地球の裏側でタッグを
組むようなモノと言われていた。 ボクシングのCCは確か二日間にわたってやったように思う。
当時ストロー級とかはなかったけどミドル級とライト級あたりがメインかな。 >>421
>>422
何のスレに対して書こうとしたのか教えて
NWAとWWFの興亡の歴史は興味あるもんで。 1990の最強タッグだと思うけど
最終戦でハンセン・スパイビーvsゴディ・ウイリアムス
時間切れ引き分け以上ならハンセン組の優勝という試合で
ゴディ組が29分59秒、あと1秒という所でフォール勝ち、逆転優勝したよね。
ジョーさんのカウント3が時間切れゴングより遅かったと、週プロやゴングで提議された試合。 世界マット界から強豪レスラーを集めて開催された「世界最強タッグ決定リーグ戦」に、鶴見五郎チームが出場した不思議。 >>427
来日中止になったバズソイヤーのせいでもある。鶴見がいてくれて助かったわけだし。 84年はそうだが、83年の鶴見&モンゴリアンはよくわからんw 鶴見はプロモーターの立場からすると便利
前座からメインまでどの位置でも使えてきちんと仕事ができる
負けも飲んでもらえる >>421
ジョージアでのクーデターの影響が特に大きかった
失脚したバーネットがビンスに接近したとか >>428
ピラタモルガンが赤っ恥かいた件ですなw >>432
恥なことないだろ?初めからそういう契約でも、そういう役割でもなかった。
ギャングもモルガンも被害者、組ませようとした側に問題があっただけ。
あのシリーズでタイガーマスクと対戦したモルガン、凄く良かったし。 >>433
あのモルガンvs2虎は、これまで観た全てのプロレス試合で
10本の指に入るすばらしいものだと考えている
今でも年に2回くらいは通して動画みてるよ
しかしその試合に至るまでが悲惨だったね
本来は2虎への第一の刺客も第二の刺客も
メヒコの優れた選手達だったわけだけど、当時のキッズには
そんなことわからず 単なるかませ犬にしか見えなかった
モルガンもそれを引きずらされ「どうせ負け役」としか当初思えなかった
なかでも、TVで流れたモルガンの最強タッグ戦は
ヘビー級相手になにもできず、パートナーにも困られていた感
おれは「この人、ほんとにプロレスラー?」て呆れて見てた
モルガンの能力が全く活かされないどころか、恥かかされたと考えているよ >>436
最強タッグでは小兵ゆえにかわいそうな目にあったモルガンも
メキシコでは大型の部類に入るんだよな。
後年ユニバーサルプロレスに来たときは他が小さかったので大きく見えた。
リスマルクも同様。 >>437
ユニバーサルにも来たね。サルバヘのパートナーで浅井とも対戦していた。 よく言われているけれど、「ホーガンをWWF王者に出来たから全米侵攻を
計画したわけじゃなく、侵攻部隊のエースだったホーガンを逆に迎撃
隊長としてより大規模に反撃した」というものだったんだな。
全米興行戦争はもう1982年にはケーブルTVの普及と共に始まっていて、
ビンスより先にガニアがNWA系の各プロモーションの株式を出資を口実に
買い集めた「プロレスリングUSA」を立ち上げて、ホーガンをエースにした
全米侵攻を画策してる。(プロレスリングUSAが興行団体としてファンの
前に姿を見せて「旗揚げ戦」を開催したのは84年9月だけど、会社としては
もっと前から動き出していた。)
結局WWFに同じことをより大規模かつ徹底的にやり返された上に、主役に
する予定で全米に顔を売ってたホーガンをそのまま使われたんだけど。
しかも1983年のWWFは(ある人の言葉を借りれば)「引き抜いたばかりの
ホーガンをすぐ使わず、しばらく各テリトリーを転戦させて顔を売って
(売り直して)から翌84年1月にWWF王者にするという用意周到ぶり。
これを当初他のNWAのプロモーターは傍観してしまった。」 ガニアがWWF侵略の尖兵にするつもりだったホーガンを引き抜かれて
そっくり同じことをやり返されたのが「WWFの侵略」と言われていた
1982年にWWFを実質的に買収したビンス・ジュニアの全米侵攻計画は
1983年にはもう具体化してた。
日本のファンが何が起きてるかほとんど理解できていなかったうちに。
夏には西海岸ロサンゼルス・サンノゼの2都市で、マイク・ラベールとの
ジョイント興行という形のWWF興行がスタート。
テキサス州サンアントニオでジョー・ブランチャードのSCWが放送していた
USAネットワークのプロレス番組をそっくり買収、初めは「全米各地の
プロレスを紹介する」という名目でAWA、NWAのクロケット派、フロリダ、
ダラスなどの試合を流して、そこで宣伝したレスラーを引き抜く下地を
作って、実際翌年にごっそり「WWFのレスラー」にしてしまう。
そして邪魔の入らない日本で、新日本に参戦していたホーガンと契約。
1983年12月、ホーガンはミネソタでのAWAのクリスマス・ショーを欠場、
それから2日後に(プロディをエースとした新団体の造反でガタガタに
なっていた)「NWAの聖地」セントルイスに侵攻、ここでも地元TVの
番組枠を買収し、AWAから引き抜かれたホーガン、パイパー、シュルツ、
ジーン・オーカーランドがWWFの宣伝を始めていた。
これがバックランドがシークに敗れた翌日のこと。 そして1984年にはまたNWA屈指の実力者、馬場のNWA獲得の功労者と言われる
ジム・バーネットが勇退、しかもオレイ・アンダーソンとのゴタゴタでブリスコ兄弟が
興行権をビンスに転売してWWFの侵攻を許してしまった。
ジム・クロケットをはじめNWAの各プロモーターは結束するどころか、誰もが自分も
第二のビンスになれると夢を見て自分のテリトリーで「世界王者」を名乗らせて、
1986年にはエリック派のWCCW、ビル・ワットのMSWAなどが次々とNWAから脱退。
NWAの名会長だったマソニックの地元セントルイスもプロレス興行を中止。
事実上NWAはここに崩壊、消滅した。
84年当時、日本では「無礼にも他のエリアに土足で踏み込んだ若いビンスジュニアが
一旦奪ったジョージアのTVも取り返され、NWAに撃退された」みたいな報じられ方を
していたけれど、もうこの時にWWFはレッスルマニアを準備していて大勢は決していた。
そして日本では1983年から84年にかけて、相も変わらず鶴田がNWA王者相手に
反則勝ちや時間切れで「善戦マン」を演じている呑気さ。AWA王座は引き抜かれた
ホーガンの代わりのように一度は獲得したものの、鶴田からマーテルにタイトルが
移動した4か月後には先の「プロレスリングUSA」の旗揚げ戦が行われている。
この頃のAWA王座は、後のWCW時代に蝶野やムタが巻いたNWAのような存在、
「一段下のベルト」になってしまっていたのかもしれないとすら思う。
1985年に全日本が「NWAとAWAの史上初の統一戦!」を喧伝していたものだけれど、
本場ではその二本のベルトは、既に「弱者連合」の看板になっていたんだな。 昔のプロレス板の書き込み。
ほんと勉強になります。
900 :お前名無しだろ:2008/02/26(火) 21:48:24 ID:5s5Acl4Q0
あと資産についても前にあるとおり。
先代のビンス・マクマホンSrは「生涯一興行師」というか、全米屈指のプロモーターであり
ながらプロレス意外にボクシングやコンサートなどを手がけることはあっても興行以外の
仕事は一切手を出さなかった。
クロケットやエリック、それにガニアあたりは副業を手広くやってそれぞれシャーロッテ、
ダラス、ミネアポリスを代表する資産家と言わせるくらいまで資産を持ってた。
それがビンスに負けた原因は典型的な「戦力の小出し」だな
破産覚悟で一気に勝負かけたビンスに後手に回ってるうちにズルズルと負けていき
本業が左前になるとサイドビジネスの方もうまくいかなくなり、ガニアに至っては本当に
破産してしまった(他の二人はその前にビジネスやめて悠々自適の老後を送るだけの
資産はなんとか残せた)
910 :お前名無しだろ:2008/02/27(水) 23:30:45 ID:fUd1iCte0
坂口の合流があと3ヶ月遅れたら、テレ朝がつく事もなく新日は潰れてただろうってのと同じく
全米ネットのNBCがつくのが、あと半年遅れたらWWFは、潰れてただろうって言われてたな
ビンスは持てる限りの資金を全部尽きこんで全米進攻に入ったもののMSG以外のハウスショーはガラガラ状態
そこへマット界ではタブーとされていた全米ネットに載せるや、一気にブレイクし各会場は、フルハウス状態
そしてレッスルマニアでマット界初のPPVをかけて、これまでつぎ込んできた資金を一気に回収出来たって話だ >>442
最初の亀裂はマソニックからバーネット体制への契機となったバトルオブアトランタという説も >>433
あの普段静かな名古屋の全日会場を一気に沸かせたんだからすごいよな
しかも対戦相手はあんまり熱血型じゃない二代目タイガーマスク
ラッシャー木村が馬場に裏切りのラリアット放ったシーンも、全日名古屋とは思えぬ大歓声だった >>445
名古屋はタイガーが出てくるとブーイング、試合中はモルガンコールが起こってしまった。 崩壊前夜とも言えるAWAで王者となり、数ヶ月間とはいえ現地で防衛ロードを行った
鶴田は貴重な経験をしたと思うけど、あの時の防衛相手のショボさとマーテルに王座を
奪われた事が、その後の鶴田が長期低迷(天龍革命による拡散まで)に陥る一因だった
様な気がする >>448
鶴田遠征時馬場がAWAのことをベテランと新人しかいないと歪な体制を指摘していた。
NWAはさほど評価してないフレアーが延々王座でクロケットプロモーションの私物だし、この頃には馬場にも今後は予想できたと思う。 >>440-443
凄い面白かった、と同時になるほどなあ…
どこまで私文でどこから文献かはわからないけど、お疲れ様です…。
しかし鶴田がAWA王者になった時点でその状況とは…
そこで思うのは、豪華外人路線で1984年以後もジャパンとの提携がなければどうなったのか?
ジャパンとの提携が結果論なのか、NWAの崩壊を予測してなのか、それはわからんけど
あの提携の二年間というのはとても大きな事だったんでは?と思う。
あの二年で日本人対決の下地ができて、ジャパン離脱後も天龍革命の流れも受け入れられた。
その流れはSWSで天龍離脱後、超世代・四天王という流れに行きつくし…
話は1984年に戻るけど、ジャパン提携がなく、ハンセンブロディが主軸で、おそらくファンクス復帰?
1985年以後はNWAやAWAはもっと衰退、ハンセンAWAという歴史はそのままにしても
鶴龍・ハンセンブロディ・ファンクス…この風景ではたして1986年、87年…どうなったんだろう?
その頃は鶴龍はアラフォーだし、タイガー抜きの三沢が出てきたんかなあ…? >>450
ジャパンが来なかったら一度ブッキングが決まってたレオン・ホワイトを新日本に譲ることなくハンセン、ブロディ、ゴディ、ホワイト、ウォリアーズと鶴竜がやり合ってた
馬場はあまり買ってなかったらしいけどニキタ・コロフあたりも常連になってたかも >>443
エリックの老後って、かなり慎ましい生活ではなかったの? >>450
普通に自然に老化とマンネリ化だろうね
レオン・ホワイトがぞのまま全日に来ても
国技館、武道館でシングルでメインを取れる所まで商品として育てられるとは思えない >>453
名前の売れてない外国人を育てるのヘタだもんな全日本は >>448
あの時点のAWAは興行的にまだまだ盛況
低迷が始まるのは次のマーテル時代 >>453
同じ時期に初来日したスパイビーとタッグ
を組ませてハンセン・ゴディ組と競わせるとか。。。
スーパーヘビー級の新顔はあまりいなかったから
そこそこ行けた気はするけど。 全日がレオン・ホワイトのまま呼んでも、ただのハードヒットのハゲのオッサンで終わり >>447
ただでさえ、全日で二代目という時点で胡散臭いのに
序盤にキッドと絡ませず、無名ルチャドールと闘わせて
連勝街道を走らせたのにはみんな白けてたんじゃないの
そこでモルガンが驚くような好ファイトを見せたんだもの
おれもリアルタイムで大興奮してた
「トぺ・レベルサですよ!」の実況もほんとによかった
その時点で、俺にとってはプラレス三四郎に出てくるSF技だったしw >>456
その中に入ったら一番小さいから難しいかもな。
他にも馬場、鶴田、テンタ、高野、田上とデカいのがゴロゴロしてたから。 ピラタ・モルガンと一緒に来たエル・エヒプシオはイマイチだったかな。あんまり覚えてないや。ソイヤーの穴埋めを最初から鶴見に任せてたら、開幕戦でラッシャー木村と鶴見五郎の対戦になってたんだよなー >>460
ギャングがモルガンを小馬鹿にしていて
見るからにコンビネーションが悪そうだった。 >>453
ジャパンとの提携がなければ全日は武道館を使うことは
なかったと思う。 >>460
エヒプシオは、来日より数年前に小学何年生かの雑誌のプロレス特集で、
エジプトのツタンカーメンのマスクマン!って大きく紹介されてて、面白そうだと思ってた。
来てみたらごく普通のマスクマンだったw >>456
レオン・ホワイトは元々、87年最強タッグにハンセンのパートナーとして来日する予定だったわけだから、
ハンセン&ホワイトが実現していたら、ブロディ&ゴディになった可能性もある。
でも、ホワイトは結果的に新日本に行って大正解だった。 >>447
タイガーへのブーイングって飛んでた?
ブーイングって89年になってからじゃなかったっけ。
既に名古屋ではブーって声上げてたのかな。 ハンセンとホワイトが組んでも
ハンセン・バス組のリバイバルって感じが想像できる
ハンセンと敵対させても、向こうで抗争してたバグジー・マグロ−ぐらいの対立軸
どちらにしてもハンセンが上位ポジション
バスもマグロ−も十分悪くない選手だけど、新日でのベイダー変身後ほどではない…
ベイダーはハンセンと同格までいったからね、最強タッグでも組んだけ同格コンビだったし。 >>465
ブーイングというか、タイガーの対戦相手というだけで誰でもコールを浴びる始末…
ある意味ではまだブーイングの方がマシ…後の北尾みたいな感じといえばわかる?
タイガーへのブーイングが止み、初めて声援が上回るようになったのは、
記憶の限りだと、翌年6月の武道館で小林に完全フォールされてタイトルを失い
二か月後の両国で再戦したあたりの頃だったと思う
過保護なイメージが消え、一度負けて欠場し、底から這いあがる姿勢をファンなりに感じたのでは? 今考えると三澤タイガーって可哀想だったよな。あんな社会現象の2代目なんて、
誰もやりたくないよね。最初から比較されちゃうに決まっているわけだから。 >>467
この日の愛知県体は観衆9000人と全日の名古屋大会ではありえないような客数だったけど、
田コロのように新日ヲタが大挙して押しかけたのか? >>467
問題なのは小林にリベンジしてからマスクを脱ぐまでの期間だな
約5年近く中途半端な扱いばっかりだった
これは三沢のせいではない
もっと早く鶴田、天龍とぶつかる構図があってもよかったと思う レオン・ホワイトのままじゃダメだろ
マイク・ジョージと大差ない
全日がベイダーみたいなキャラクター考えて
売り出すことできたかな? >>464
ブロディが全日にUターンした87年最強タッグなら、
ハンセン&ゴディ対ブロディ&スヌーカを見たいよ。
レオン・ホワイト?誰、それ?ハンセンとブロディの
闘いに足を引っ張るなよ!という感じになったな。 >>460
エヒプシオは倉持にずっとエプシオ呼ばわりされてて可哀想だった記憶 >>471
ウルトラセブンとか見てれば
大体どうなるか想像がつく >>471
やったところで、ベイダーよりほかに大きな外人がいくらでもいたからなあ。
それにあの程度で鶴田と対しても説得力がない ベイダープロジェクトは
テレ朝編成・東スポ・ビートたけしまで
巻き込んで視聴率取れなかったら
ゴールデンタイム降格。
それは必死で売り込むよ。 TPGの両国の暴動事件はベイダーそのものには意外にマイナスでもなかったかもね
悪名は無名に勝る 猪木がピン負け献上してからね
全日がレオン・ホワイト売り出しのために
馬場のピン負けを献上するわけないし 正直、最初はハクソー・ヒギンズレベルの選手だよな。
周りが良く育てたよ。
変に天狗にならずホワイトもいろいろ技やムーブを覚えていった そもそも大型外人が豊富だったんだから売り出す必要がなかった。 >>472
だから結果的にこれで良かったんだよ。
ベイダーの話だと「馬場と猪木が直接話し合って新日本に自分は譲られた」ということだから、
両巨頭の好判断だよ。 >>469
そうかな?確かに普通のインター戦などで勝負する興行に比べたら多いけど
最強タッグ、それも1984年は1・2を争う豪華メンバーだし
馬場木村組・ファンクス復活・テレビのゴールデン生中継・長州軍の来場
新日ファンが大挙詰めかけなくても十分集まる数字ではないかな?
>>470
「3T」とかで鶴田・天龍の次の序列だったんだろうけど
それ以上でもそれ以下でもない感じだったね
とにかく技を出してもお客さんが沸かない、無反応…ある意味ではキツイ
馬場やスヌーカと組んで最強タッグ出たり、長州とシングルやったり、
そういう非日常なカードやシリーズだと、それなりにファンもテンション高くなり沸いてたんだから
つまり、三沢タイガーを子供ファン向けの保険、それ以上に使わなかった全日のせいだと思う。 87年時点で馬場がハンセン、ブロディさえいれば
他の外人を売り出す必要がない
なんて思ってるとしたら見通しが甘すぎると言わざる得ない
ハンセン、ブロディは年齢的にもうロートル一歩手前だし
ゴディも目新しいわけでもないし
他の外人は全日でなければ食っていけないというわけでもない >>483
そこで、88年以降、売り出そうとした選手が
ダニースパイビーとジョニーエースじゃないか? まぁ馬場がクロケット体制に見切りつけたのは仕方ないが
我慢強くWCWでも提携していれば面白い展開があったはず
アンダーソンやダグラスを全日で修行させたりとか.. >>483
春の時点ではブロディもまだいないし
ジャパンが離脱した4月から〜6月ぐらいの天龍革命が始まるまでの二ヶ月は
まだまだガキのオレですら「マジでこれから全日はどうすんだ?」って思ってたよ…
NWAやAWAはもう死に体だったし…6月の武道館は馬場がラジャとやるのも見て
武道館を埋めるカードも足りず、よほどキツいんだろうな?と思ってた。 >>485
エースとダグラスは日本では対象的になったね。エースは全日本を選び90年代はほぼ毎シリーズ参戦、ダグラスはWCW,ECWで活躍してNWA王者になる。ダグラスがエースのように日本に定着していたらどの辺りにいたのかな。 >>430
そういう所が馬場に買われていてレスラー人生で待遇もギャラの全日時代が一番良かった
とコメントしている。
>>480
両団体からオファーがあるもハンセン、ブロディ、ギャング等の中では埋没すると新日を
選択したとも言われるけど新日と全日の綱引きを利用してギャラアップを勝ち取ったと
T服部が内幕を話していた。当時、ロクな外人のいなかった新日はベイダーがモノになりそう
だとわかると異例の5年と言う長期契約で縛り付けた。
>>483
馬場は天龍&輪島組の大相撲コンビを画策していた・・・第二次UとSWSで尻に火が付く
までの馬場はファンのニーズなど全く理解していなかった・・・ >>484
フィニッシャーが似すぎてたのはお互いにとって不運かな?
時代考証的には実現困難なれど、エース・ウオリアーなんて
悪ノリもみてみたかったかもw ジャパンが来なければブロディの新日本移籍もなくハンセン、ブロディ組は続きレオン・ホワイトはゴディがパートナー
あの不器用なウイリアムスがゴディと組んでた時期はあれだけ良かったんだからホワイトもかなり良くなったはず
ジャパンで日本人が溢れ返らなければウォリアーズやバリー・ウインダムとマイク・ロトンドのUSエキスプレス、ラシアンズも絡み第一次UWFが崩壊して前田日明高田延彦らも参戦
ジャパンが来ない方が良かった >>486
その時期ならレオンホワイトの売り出しもあっただろうね。そこで呼べなかった(呼ばなかった)
全日とは縁が無かったんだろうな・・ >>492
ウィリアムスって不思議な選手だったな
アマレスで相当な実績残しているのに、ファイトスタイルの形容は決まって「不器用」「強引」「力任せ」で
レスリングの技術が評価されたことがほとんどない 新日も長州達が離脱しなかったらマンネリもいいとこだっただろうね。
更にWWFに提携切られて悲惨だったかもしれない。
やっぱ色々上手く出来てるね。 >>471
レオンホワイトが全日に来ていたら
同じレスラーが同じ試合内容でても
新日でなら、ファイト紙がこれは掘り出し物、いずれエース外人になる、なんて上げてくれる。
その差はないようで、案外ある。 >>496
正月に猪木とシングルやったハクソー・ジム・デュガン
「第二のハンセン」「間違いなく新日の外人エース」だったからね
テレビのスペシャルしか見てないが、会場は失笑だらけで猪木も困ってるように見えた
まあ、パフォーマンスに対してで技そのものは悪くはないけど
馬場なら「あんなアピールするヒマがあるなら、どんどん攻撃すべきですよ」と苦言を言いそうだった。
まあ同時期に全日もトム・マギーを呼んで長州とやらせたりしてたけど…。 >>492
馬場は新日興行と提携したときは長州らの移籍は想定してたのだろうか? 1982年新春ジャイアントシリーズ
前年末ハンセンの全日本移籍が決まると、ポスターにハンセンの顔写真(新日本の興行ポスターからの切り抜きコピー)が貼られ「参加!」と煽っていた。
https://i.imgur.com/BaGX3hT.jpg ブロディが生きてたら鶴田ブロディ組対ハンセン天龍組が実現したらしい >>498
大塚氏の回想が全て事実なら、自分の主観も兼ねて…
@馬場が興行のテコ入れ(UWF騒動で揺れてる新日にジャブも?)に交渉→提携内定
➁それを知り、慌てた新日が「馬場さんとこと契約するのはまだしも、大々的に発表はやめてくれ」
B元々は大塚氏は年の頭に新日興行設立でパーティー不参加の猪木に微妙に疑念?を微妙に感じていた
C同時に新日興行主催の札幌大会の目玉、藤波長州を猪木の指令でテロでブチ壊し…
D上記の経緯があるから大塚氏も新日の命令?も素直に受け取れず
E大々的に提携発表→初興行の田コロ大会は大盛況、大塚氏のアイデアでタイガー誕生も…
F田コロ大会の翌日、新日から提携破棄の通知が届く
G怒った大塚氏は記者会見で「新日選手にどんどん声をかける」
H小林邦から「大丈夫ですか?自分たちは一蓮托生ですから」…同時期にフィリピンで藤波長州のタッグ→維新軍解体の流れ?
記憶が定かではないけど、新日から切られた大塚氏が馬場に「誰が欲しいですか?」と聞いたら
「長州はほしいなあ…維新軍全部はうーん…」とう手応え、あとIWGP決勝で乱入命令の事も長州は腹に一物があったらしい
なんとなく馬場はジャブをかます程度だったのが、維新軍が釣れたという結果論だったんではないかと…?
まあ、馬場の事だから先を読んでた可能性もあるけど…。 >>501
フィリピンじゃなくてパキスタンね。
あの遠征に参加したレスラー達は不満だったみたいね。 >>503
あ、失礼…。
飲料水の下痢、寝室の蚊の大群で睡眠できないとかだよね? 馬場には信頼できる参謀が必要だったけど、元子さんもいて色々と気を遣わないといけない人もいるから難しいね。 >>500
「龍艦砲」に対し。。。「鶴獣コンビ」かな(遠い目) >>502
オルソノスキーは不参加でしたが、ドス・カラスとアルフォンソ・ダンテスが参戦したので不満はありませんでした。 >>508
オルソノスキーとマイク・ジョージでの最強タッグ参加が見たかった >>509
国際つながりチーム?
マイク・ジョージならランディ・タイラーかなぁ。 >>500
いつも思うけど鶴田ハンセン対天龍ブロディのほうが良いなあ スティーブ・オルソノスキー
ジム・ブランゼル
ブラッド・レイガンズ
カート・ヘニング
鶴田の相手としては軽かった
マスクを脱いだ三沢光晴相手ならよかったが レイガンズは初来日でいきなり阿修羅にフォール勝ちしたりと扱いはよかったんだけどねえ
AWAでもアマレス出身てことでマーテルに挑戦してダブルフォール決着とかガニアもそれなりに大事にしてたようだし
テクニックはよかったがいかんせん地味なのが問題だったか >>500
ブロディってハンセンと比べると日本人との
タッグが殆どなかったね。ハンセンは馬場、鶴田、天龍、三沢、川田、小橋、大森、多聞、秋山、渕、小川、菊地辺りと組んでいるのに対してブロディはラッシャーと鶴見くらいだし。 >>514
ドリーム・マシーン(桜田)とも組んでいる 三沢は正式に正体を明かした88年ごろにマスクを脱いじゃえばよかったのに
89年なんてケガでほとんど休んでたし >>514
ハンセンは鶴田が病で倒れた後、代わりに四天王の壁役になり
四天王がそれぞれステップアップした後→デビアスが復帰→欠場→馬場とタッグ
馬場とタッグ組んだ以後あたりから若手のコーチ的な役割も担うようになり
必然的に組むようにもなったからね、そのままデストロイヤー的なポジションになるかと思ったら
小橋にケンカを売り、第一線に戻り、そのあとはエースやオブライト、ベイダーと組んでタッグでも第一線に戻ったよね。 代わりにというか鶴田セミリタイア前から三冠王者として三沢、川田らに勝って防衛してる
エースと組んだのは92〜93年でデビアス復帰前だぞ
あまり成功したとも思えないし >>516
バレバレであっても正式に正体を明かしてないからこそ
マスクマンの意味があるのにね
披露宴で正体明かした後もタイガーマスク演じ続けるとか
三沢も嫌だっただろうな
スター候補生なのに、マスク脱いだ後の売り出し方決まってなかったのか >>514
生きてる年数が違うんだから当たり前。
もっと生きてたらハンセンと同じくらい組んでた可能性は高い。 >>516
結果的にあの東京体育館がベストなタイミングだったのは間違いない。88年なんかにマスク脱いでも三沢に人気が出たとは思わない。
>>511
俺もそう思う。 ハンセンはゴディスパイビーがいなくなって手薄になったガイジン勢を盛り上げるためにボビー・ダンカンJr.ジョニー・エース、オブライトと組んでたな >>523
だからエースと組んだのはその前だっつーの
92最強タッグにはハンセン&エースもゴディもスパイビー出てる ブロディが日本人と組むのは想像できないけど、現役の終わりが見えてきた頃ならあったかも。いや、ないかな ブロディ、俊二組、ブロディ、田上組
なんかイメージが湧かないな。 >>440
ニューヨークを握ってたからな。
ガニアはロスをベースにスーパースター路線を作れればよかった。
ロッキー3の時期も気になる。 でもブロディ自身も、イメージを変えようとしていた兆しはあったよね。
インター奪取してファンに抱きつくとか、その数年前では考えられなかったし。 >>526
不甲斐ないパートナーに超獣キックぶち込む画なら想像出来るw >>521
仮定の話を言っても仕方がないが、
ブロディが、1988年に死なないで、あのまま10年間、全日にいても
ハンセンほど、日本人と組むとは思えない。
それをいうなら、
スティーブ・ウイリアムスもほとんど日本人と組んでいないよね。 >>524
92年の最強タッグはエースの頑張りが良かった
露橋で三沢・川田を破った試合とか最高
リングアウトでも良いから殺人魚雷にも勝って優勝戦に出て欲しかった ブロディは外人でさえ、
パトーナーと言えるのがハンセンとスヌーカしかいなかったからな
あの性格でユダヤ人だったから
まぁ、そういうことなんだろうな 野暮だがかつてのファンクスみたいに四天王に追い込まれる超獣組というのも見果てぬ夢 ブロディ生きてたら数年後にまた全日離脱してインディの団体に上がってそう。 >>536
FMW、IWAジャパン、ハッスル、DDT・・ シンはサーベル振り回して爆破マッチで被爆したが、ブロディはチェーン振り回して被爆かな? ハンセンが最初に日本人と組んだのって、上田のような外国人サイドにいた人を除くと、やっぱ天龍かな? >>539
アマリロ修行時代まで含めると鶴田と組んでファンクスのインタータッグに挑戦した試合ですかね
凱旋帰国当時、月刊プロレスのロングインタビューで鶴田がその試合に触れてて思わずニヤけてしまったw >>540
凱旋帰国戦が初のインタータッグ挑戦じゃなかったんだよな >>531
ウイリアムスと組んだことある日本人レスラーは栗栖、多聞、川田、安生、浪花、三宅が思いつくけど他にはいたかな? >>543
え、あなたすごい!川田とあったね!相手は天龍ハンセンだったかな? >>537
>>538
シンもテリーも天龍も大仁田相手のピン負けブック飲んだけど
ブロディは飲んだかな? >>545
天龍はタッグ負け→シングル勝ちだろ?それぐらいならブロディも飲むよ。 ハンセンは感情移入しやすいが、ブロディやウィリアムスはそれがないな。
素朴さがないからか。
肩組んでイエー!とはなれないな。 >>537
ブロディが95年に生きていたら
IWAジャパンの川崎球場のデスマッチトーナメント
出ていたのか。あの時はテリー、シン、ゴディ、
シリーズ開幕戦で帰国したけどスレーターもいて
すごい面子だった。 小鉄が
「意外に思うかもしれないがブロディはギャラについては一発サインだった
それ以外のところで文句をつけてくる」と回想していた
ボカしているが負けブックは一切飲まないとかそっちだろう
インディー団体に出ることがあっても王様扱いを要求して負けは一切飲まない
後にWING等に出場した時のマスカラスの待遇が近かったと思う
三宅綾が「マスカラスはギャラ、ホテル、控室、全て特別待遇でした」と回想していた >>503>>504
国賓待遇の名誉を受けた^木を尻目に酷暑と水事情で選手の心が離れたとも言われる。
高級ホテルの水でも飲めば壮絶な下痢に見舞われて長州はスーツケースに缶入りウーロン茶
を満載してお裾分けを受けた古舘アナはそれで顔を洗い歯を磨いたと言う珍経験を披露
していた。現地の水には細心の注意をしていたが帰国する前日にレスラーにプールに
投げ込まれて水を飲んでしまい地獄が始まった。この被害を受けなかった強者は美津子夫人
を含め数人だったらしい・・・レスラーより最強だな美津子夫人w
>>505
四天王の本を出すのに元子夫人の「馬場のさんの立ち位置はどうなってるんですか?」
と言われたり馬場死後にDVDを出す時も交渉が大変だったと言われる。
>>511
アマリロ修業時代に二人でインスタントラーメンを食べていた話を聞くにつけ
やはり「鶴田&ハンセン組」が見たい。鶴田もこの時に体験でブロディほど闘志が
燃えないとコメントしていた。
>>522
選手の大量離脱とあの気丈な元子夫人まで「もうダメかも・・・」と泣き出す馬場
の惨敗が重なりと三沢の件が無ければどうなった事かな?
鶴田対三沢戦を提案した週プロ・ター山とそれに難色を示したゴング・竹内氏だったが
博打は大成功でSWSの旗揚げにまでに反撃体制を立て直す事ができた。
この功績でター山は馬場のブレーンの一人となった。この提案は仲田アナまで後年まで
感謝していた。 竹内氏はどんな提案だったんだろうね
日本人x外人路線に戻そうとしたのかな >>550
丁度新日本で武藤が帰国して三銃士時代が
始まっていた。
ここで三沢、というのはこれ以上ないタイミングではあったね。 >>551
竹内氏も三沢が天龍軍団を引き継ぐ形で
三沢軍が鶴田と対決してく構造自体は
受け入れたんじゃないの。というかそれしかないし。
ただ「鶴田が三沢に負ける」というのが
受け入れ難いんしやないかね。
無理があると。
しかし結果的には初戦に鶴田が負けるインパクトが
ブレイクの要因となつたわけだが。 >>551
マスカラス、ドス・カラス、タイガーマスクの夢の編隊飛行 >>542
まだ「ジャンボ鶴田」になる前、昭和48年当時のインタビューでスタン・ハンセンの名前を出してた事に驚いた
四天王と最後の壁として二人が組む姿を見たかったな 鶴田ハンセン実現なら、唯一超獣コンビに肩並べられる 全日ファンとしては
鶴田ハンセンバックランドのトリオなんか夢だよな。
レイスマードックゴディ組あたりとやってほしい。
それよりも小さい夢なら越中三沢のタッグとか。 >>557
流れ的にレイスマードックときたらローデスの方がしっくりこないか? >>550
大量離脱って東体の時点では天龍だけだろ >>588
デビアスかスレーターでファンクファミリー勢揃いだろ >>550
>SWSの旗揚げにまでに反撃体制を立て直す事ができた。
ここがけっこうキーポイントだったと思う
その半年の間に三沢の勝利、60分近くの6人タッグ
新日からビガロなどの外人レンタルでシングル戦、川田や田上や小橋がそれぞれ善戦、格上げ
鶴田の三沢へのリベンジ、強烈な勝ち方で鶴田が大きな壁&柱を再認識
秋の段階では五月の東京体育館と違い、新規ファンも含め未来への希望がもてる展開
あとは週プロの攻撃が浸透してて、旗揚げの段階でかなりSWSは負荷を背負ったムードになったと思う。 翌年のチャンピオンカーニバルと30周年の45分時間切れタッグとごっちゃになってるんだろう
後に冬木軍と越中の維新軍が後楽園で60分やったがレスラーがワガママを言わない環境というのは大量離脱までは難しかったんだろうな >>562
>>563
ああ、記憶違いなら申し訳ない
三沢が鶴田を破った武道館の直前の五月末、後楽園で50分以上の試合をやらなかった?
試合後に「全日本コール」が起こったやつ
指摘されたとおりで翌年かもしれないけど… >>564
91年の4月の武道館の2日後の後楽園。少しは調べてから書いたら >>564
90年9月の、新日が横浜アリーナで全日が後楽園ホールでやった日に、6人タッグで長い試合があったような? 昭和スレと言いつつ、90年代の話題がちらほら出てくるw >>566
>90年9月の、新日が横浜アリーナで全日が後楽園ホールでやった日
90年9月30日、新日は横アリで猪木、
全日は、後楽園で馬場デビュー30周年記念試合をやった日だね。
後楽園は、セミの鶴田&田上対三沢&川田で45分時間切れだよ。
この時「全日本コール」があった。 >>557
現実的なところで秋山、大森、本田が相手でも見たかったトリオだ https://pbs.twimg.com/media/ENBzoK1U0AEWJr-.jpg
いい写真だ。
インターヘビーとジュニアベルトが揃ってるから、タッグ王者チームにも見えてしまう。 >>571
三沢鶴田馬場のトリオと対戦したんだよな >>525
ブロディと日本人コンビ、俺はまったく違和感を感じないのは木村鶴見と組んだことがあるからかな、パートナー無視だから誰と組んでも変わらない
それよりフットルース時代のハンセン冬木組の違和感が凄かった、冬木が劣勢になるとハンセンが助けに来てて、天龍ハンセン冬木組なら良いがハンセン冬木組はな。。と >>559>>561
全日離脱者の時系列的なの流れでは
4.19・天龍退団
6.8・鶴田vs.三沢戦
7.20・冬木・仲野・高野(俊)・北原・折原退団
7.27・鶴田&カブキ組世界タッグ奪還
8.7・カブキ・谷津・高木退団
9.1・三沢vs鶴田再戦
9.30・馬場デビュー30周年周年記念試合
10.21&22・SWS旗揚げ戦
11.30・馬場骨折
12.7・ウィリアムス&ゴディ最強タッグ優勝
鶴田・三沢初戦と馬場の記念試合までの間に激震が続いていた。世界タッグ王者になり
馬場の信任の厚かったはずのカブキの離脱は衝撃だった。この間に日プロ時代から馬場派
だった米沢渉外部長までSWSに走り仲田アナが和田レフェリーに泣きながら「京平さんも
(SWS)行くんですよね・・・」と言うような有様だった。
しかし年末の馬場の大怪我も含めてまさに全日、大激動の年だった。
>>572
かって団体を代表して闘った時は「若大将」対決と言われた。 >>572
スレチ承知でVSブラックハーツ戦が真っ先に浮かんでしまう 80年代の全日は、周期的に雰囲気がガラッと変わってる印象が強いのは、
90年代の顔ぶれが殆ど同じだったから、そう感じるのかな。
新日も、タイガーのデビューや突然の引退とか大量離脱があっても
猪木がメインでいた間は、そこまで変わったというイメージがない。
あくまでも俺個人の印象だけど。 >>578
実際変わってるじゃん。
81年春まではブッチャー路線。
82年〜84年はハンセンブロディが軸。
85年〜86年は長州と維新軍。
87〜89年は天龍同盟がメイン。
90年春に三沢超世代が誕生した後は、
それが四天王に以降しただけ。 ハンセンブロディ組で異変があったらハンセンに託されていたんだよな >>581
最後のチャンカーで秋山に敗れて役割を終えたって感じだよな
むしろよくあそこまで持った物だって >>581
鶴田とハンセンが最後に対戦したのは96最強タッグの新潟だったか
二年後には最強タッグの主役に返り咲くんだから大したもんだ >>583
最後の99年なんか全盛期ばりの大暴れだったからな
優勝出来なかった表彰式なんかぶっ壊せって >>578
>>579
80年代〜90年代はほぼ「3年周期」だったよね。
81年 ブッチャー、マードック、戸口の新日本移籍、シン、ハンセンの全日本参戦
84年 ジャパンプロレス参戦、テリー・ファンク復帰
87年 ジャパンプロレス分裂解散、天龍革命開始、ブロディ、ブッチャー復帰
90年 天龍他大量離脱、超世代軍、ゴディ&ウィリアムス結成、アンドレ初登場
93年 三沢&川田解消→川田&田上結成、ゴディ病気離脱→ゴディ&ウィリアムス実質解散、アンドレ死去
96年 馳浩 全日本加入
99年 馬場死去、鶴田引退、三沢社長
>>582
当時、秋山が「もっと早くにハンセンに勝ちたかった・・・」という旨のことを言っていたよね。
ハンセンは97年からいつ引退するか考えていた。 三沢全日本は小川とタッグ組んで説得力なくなった感じ >>587
カブキと小川は同業者とファンの評価のギャップが激しすぎた カブキはS旗揚げの横浜アリーナのメインで延々寝技ばかりやって盛り下げて限界が出た、カブキギミックと若手指導や中堅としての役どころとしては最適だしギャラ以上に働く姿勢から上で使いたくなる気持ちはわかるが このスレで、ちょっと昭和から外れたレスに対し
「平成の話はやめろ!」という人って、
川田の「シャー!」に対して、上から目線、ヒステリックに
「シャー!はやめろ!!」と怒鳴って、却って会場の雰囲気を
壊したファンとイメージが被る。 平成デビューの選手中心の流れならスレ違いだと思うけどねぇ
今の流れは全然OKでしょ >>588
吉村道明、高千穂のカブキ、小川良成と
続く職人の系譜は確実にある。
カブキはパートナー役としては最適だが、
以外に本人にスター意識があるから面倒くさかったが。 >>591
本人の述懐で鶴田に押し付けられた感じになってるけどブッカーとしての才覚は一流だったと思う >>595
吉村の系譜っていう意味では石川は見た目も技術も一番しっくりきてたのにね 名脇役なら石川のが上だと思うが若手指導とかを入れるとカブキになるんだろう、技術的なこともあるが社長のいうことを聞いて自ら率先して頑張ったり発言したりして引っ張っていく力
石川は優し過ぎなんだろうな、うるさいくらいの人のが意見が合えば上は重宝する >>595
短期間かもしれんがピンで売れてしまったからな 超世代軍が人気出たのは渕のマッチメイクも大きいのに馬場が死んだら渕を外してアンタッチャブルとかやり出してNOAHにも誘わなかった三沢光晴
まあ渕を誘ったら元子に筒抜けになりそうだけど マードックが全日本に戻って輪島のパートナーになりたがってた時戻して龍原砲とやらせれば面白かったのに >>600
アンタッチャブルは馬場が生きてる頃から >>602
あのジョー樋口がサジを投げるってマードックは一体何をやったんだか
公に出来ないレベルのとんでもない事やってそうで気になる 人種差別イジメをしたマードックが早死にし、それを受けたブッチャーが長生きは上手くできている。 >>598
その石川もタニマチを引き連れて東京プロレスを旗上げしている
やっぱり自分が主役になりたいんだろう >>576
天龍は4/23に辞表提出、26に受理、5/2に馬場が記者会見で退社発表だ
冬木たちはSWS入団発表(7/2だが)が全日退団になってて統一感がない
鶴田&カブキの世界タッグ獲得やSWS旗揚げ戦の日付も間違ってるしやり直し >>608
石川も冬木も真面目すぎたんだろうな後輩イジメとか悪い噂は聞かないし。他人を蹴落とさず自分で理想の団体を作ろうと
ただ石川は東プロのスポンサーを横取りされた恨みでFFFの旗揚げ試合を怪我のフリして途中放棄した印象が悪すぎて好きになれないが >>611
それは東京プロレスの「安生洋二社長就任パーティーin国技館」じゃなくて?
FFFは旗揚げ戦やってない >>608
冬木も冬木軍プロモーション立ち上げいたし誰もがエースになりたいものなんだね。
唯一団体のトップになる気はない自分は脇役だ
と言うのは井上雅央くらいか。 >>613
マイティ井上が「IWA王者から落ちてせいせいした」と回想していた
あと小林邦昭が「僕が見ると渕さんはメインイベンターになれる選手でしたが
渕さん本人に欲が無かったんでしょう」と言っていたな 昭和の時代は、鶴田や坂口のようなエリート入団以外は自分は脇役でも仕方ないって感じじゃない?
ジュニアクラスなら藤波やタイガーマスクや大仁田のように若手からのし上がったのもいるけど 99年最強タッグのハンセン、声援もひときわ多かった
ファンが亡き馬場に対しての思いをハンセンに投影してるように感じた
本来ならパートナーの田上や三沢とかの四天王でもおかしくないが、やはり弟子だからね
やはりずっと激闘してきたハンセンに向いたんだろうかな?…まあ自分の主観だけど、そう思えたもんで。 >>601
中堅としては間違いなくトップポジションにいた高千穂だが、日本プロレス末期にUNを取った本人的には
そのポジションが不服で、海外へ。
カブキで日本でもスターになって満足したと思ったら、やっばり馬場へのわだかまりはあって
全日本を離脱。
しかしどう見てもカブキに合うのはサポート役で
エース役も鶴田のライバル役も無理であった。 >>612
そっちだわ、全日本やWARまでの石川は大好きだったが東プロは応援する気になれなかった
名脇役として主役を支える姿が好きすぎたのか、主役になれない人だったのか、冬木は好きで最後まで会場に行ってたが >>617
カブキは上田ポジションでシンと組んで来日という形だったら良かったが、それだとシン並のギャラや待遇がいるからケチったのかも
帰国して凱旋という形なら善玉にするしかないし、それだと馬場鶴田天龍より上に出来ない >>618
冬木は早すぎたプロデューサーだったな。 カブキは凱旋帰国ではなく
ヒールとして外人サイドに置けばもっと光ったと思う マシオ駒が生きてればどうだったんだろうな
あまりに小さいか カブキは出落ちとか何だかんだ言われてたけど
天龍革命以後は龍原が限定だけど、ファイトでも光ってたんじゃない?
アッパーブロー対チョップ
トラースキック対延髄斬り
アッパーブロー合戦とか、アッパー対頭突きとか
見応えあったと思うよ。 駒がいて小鹿がいなければもっと早く若手が伸びてたかも、あと林と羽田もいなければ >>623
天龍は好んで戦ってたし俺も好きだったが当時は天龍相手だと日本人は大体見どころある試合してたかならな
ただ天龍革命初期は賛同者が少なかったところをカブキが正規軍の立場で理解者として自ら志願して戦ってたからその功績は評価していい ブロディって、87年の全日復帰戦が日本武道館初出場? >>626
以前の全日は武道館興行なんて考えられなかったからな。 >>628
細かい指摘ありがとうございます!!!!
これからもどんどん細かいを指摘なさってください! インパクト絶大な全日本プロレス中継再登場だったから復帰戦でいいでしょ
高木をとんでもない音の脳天杭打ちでKOして鶴龍対決に乱入したシーンも同日放送したんだよね >>629
>細かいを指摘なさってください!
細かい指摘をなさってください
だな あの武道館で、鶴龍対決の後にブロディを乱入させたのは馬場らしいなと思う
ブロディの復帰と鶴田vsブロディの因縁再燃をアピールする最大の舞台だったからな
天龍はダシに使われたとか思ってそうだが やってることは馬場ラジャライオンの試合後と同じだけどな、シンの乱入と同じく反則決着の試合後のブーイングを打ち消すだめの乱入だろうけど、お互いの得意技まで出して最高に良かった 和田京平のレフェリングがまた天龍リングアウト勝ち→全日軍抗議→白紙→鶴田暴走とバタバタだったしな
それを全部ブロディの乱入が掻き消した >>598
86年頃、全日取材拒否の真っただ中の週プロが「道場論」とかやってたけど、
「機能していない全日道場を再建するには、トレーニング理論に一家言ある石川を道場主にするしかない」なんて書いてた。
実際はその当時薗田が道場で若手指導してて、ちゃんと機能してたんたよな。
石川としても、「オフに毎日、合宿所に出勤して若手の世話なんてやってられないよ」て感じだろうな… 石川が特別な理論あったとは思えんが日大の関係かな
プロ野球、オリンピック、ラグビー選抜と日大以上の練習してそうな人が多いけど、プロレスのコーチは肩書きのない人が多いね、コテツ邦明も含め >>634
鶴田とブロディの大技の競演
そしてジョー樋口が当たり前のようにリング上に居たのも全く違和感なかった カブキはアッパーとトラースキックと水芸みたいな流血しかなかった ブロディのギロチンドロップを倉持がキングコングニードロップ!と連呼してたのは違和感だった、2回もやったのに >>639
倉持アナは技の言い間違い多かったからな
84最強タッグの名古屋では、シンのコブラクローを謎のタイガーコブラ連呼やったしw サソリ固めと逆片エビ、アキレス腱固めと膝十字はよく間違えててモニターだけじゃ分からないのかな?と思ってたが他のアナは全然間違わなかった、モニターが進化したのかもだけど タイガージェットシンのコブラクローを略したんだよきっと 若林アナはいつも対戦成績がおかしかった
リングアウトや反則裁定の時もテンパってたしモニター見ないで資料ばかり見てたような印象 >>641
それは「カナリコブラ」。カナリアとコブラの合体怪人。 >>628
え、復帰戦でしょ?駄目なの?数日前の地方が復帰戦ってこと?細かすぎるは(笑) >>648
元々ドタキャンしたフレアーのスケジュールを
引き継いでいるんだよね? >>649
その辺は全然知らないですわ。その頃忙しくてプロレス見てなかった。
全日に戻る前にブロディはマスク被ったりテキサスレッド(テイカー)と対戦したり
ブッチャーとやたらと対戦してるな、WCWA、CSW、NWF、AWA各プロモーションで
対戦してる。 87年もフレアードタキャンだっけか
覚えてないもんだな
しかし鶴龍対決の武道館で誰と防衛戦をやる予定だったんだろ >>651
残りのメンツ考えたら谷津かタイガーだろうな。
さすがに天龍革命後の体たらくを考えたら
輪島の再挑戦はないだろうし。 調べたらこの日の武道館で猛虎七番勝負として
タイガーvsフレアーをやる予定だったんだな。
これがNWA戦になったかどうかわからんけど。 >>595>>597
鶴田のパートナーに抜擢されて世界タッグを奪取すると馬場が「カブキには吉村さんの
ようになってほしい!」と喜びようで馬場的には高評価していたり新日ドーム大会に全日勢
が参戦した時に馬場から「(新日勢が)妙な事を仕掛けてきたらお前が対応しろ!」と
現場監督として一任されたり信任も厚いと思われたが当人は不平不満の嵐だったんだね。
後年、UN王者と東洋の神秘時代を通り抜けてSWS総括本では「"誰をトップしてどうすれ
ば団体がうまく回るか?"と言うのをレスラー全員がよく考えるべきだった・・・」と
SWS崩壊の原因を語っていた。
>>603
「男も惚れる天龍」に付いていったとか付き合いの長かった馬場とは「熟年離婚」のような
モノと語っていたけど選手の大量離脱が止まらず苛立つ馬場を慰めてつもりが逆ギレされて
「だったお前が止めてみろ!」と毒づかれて幻滅したと言うのが原因のひとつとも言われた。
馬場のブレーンだった菊池氏はSWS中継に解説をしゴング・竹内氏は天龍寄りの報道
する中で馬場と距離ができてそこにうまく入り込んでブレーンになったのがター山だった。 あぁ、七番勝負か…と思ったけど、その年の春に一回やってたよね?あと思い出したけど、その時期はフレアーからロニー・ガービンに世界タイトルが移動してたような覚えがある >>654
カブキは天龍同盟、その後は三沢のパートナーに起用して鶴田と敵対するポジションに置いておけば
ノリノリだったかもな。
だが馬場は逆のポジションで評価していたのが
すれ違い >>654
馬場としては吉村を引き合いに出したのは誉め言葉だったがカブキにとってはそうでなかったって事だろうな
とにかくSWSへの移籍組が馬場をボロクソに言うのは移籍したのは間違いでなかったという自他への言い訳にしか聞こえない
そうでなければあまりにも惨め過ぎるって 三沢タイガーとフレアーてタッグでも絡んだ事あったっけ? 高千穂なんぞUN王者になる器じゃないし、ジョニー・バレンタインに勝たせるとか狂気の沙汰 高千穂「俺のUN王座をとりあげて冷遇した」
馬場「押し売りされた日プロの残党だったがお前にピッタリの中堅で雇い続けてやった」
この意識のズレはずっと続いた
カブキは「タッグタイトルをとって返上して出ていったのはUNを取り上げられた仕返しだった」と
言っていた位だからね
客観的には馬場の評価が正しい
カブキギミックが飽きられたら元の中堅に戻った
新日に出向していた辻井が「レスラーのギャラは上げたら下げられないという妙なルールがある」と
言っていたがカブキのギャラを高くしたらバランスが取れなくなる 日プロ崩壊後に全日に吸収された時、大木はインター王者のままの扱いで、
高千穂はUN王者のままの扱いでいられると思っていたみたいだからな。
どう考えてもこの2人は頭がおかしい。 実際にカブキはSWSで吉村のようなマッチメイカーをやったが完全に失敗した
レボリューションはともかく他の部屋から見ればただの自派優先のお手盛りにしか見えなかったため
皮肉にもそれを憎んだカブキが今度は憎まれる側になってしまったわけで >>661
小鹿と松岡のアジアタッグもだな
それに対して馬場は防衛戦をやらせないという手段を取って身の程を知らせるという方法を取った
マッチメイカーは俺だと >>654
山本や市瀬は天龍離脱の1年以上前から馬場のブレーンになってるよ チャボの持ってきたNWAインターみたいに
王者保持者に最初のうちは敬意を表する扱いにすればね
チャボは大仁田にすぐ獲られたけど、もう一度再冠してるし
セブンや渕なども迎撃させ、井上に渡した
その戴冠時代が残ってるから無冠時代も「ジュニア王者」というイメージは残ってたし 馬場は独立する時に、未練タラタラで泣く泣くインター王座を手放したわけだからな。
その後のドサクサで王者になった大木に、自分の会社で防衛戦なんてさせられない。 >>647
細かくないだろ、誰かさんが大雑把すぎる。
>>650
ブロディがテキサス・レッド。 >>660
日本プロレス残党が合流した時、馬場は上田や松岡は切ったが、高千穂のことは評価して
中堅トップのポジションを与えた。
これは馬場にとっては厚遇で、エース格への
執着があった高千穂には冷遇だったわけだね。
本当にスレ違い。 >>635
全日道場に小橋が来ると「また練習時間が長くなる・・・」と若手はいつも思って
いたらしいw >>650
ブッチャーが新日本と契約が切れた時(1985年1月)とブロディが新日本の仙台大会をボイコットした時(1985年12月)がほぼ同時期で、
それ以降来日がなくなり(ブロディは一度新日に戻ったが)、2人は全日本に復帰するまで、AWA、プエルトリコ、テキサスをメインに
してきたからね。AWAではタッグも組んでるよ。プエルトリコやテキサスのような土地では、2人の対戦が最高に受けるんだよな。 >>668
ブロディの ”レッド” は『レッド・リバー・ジャック』だよ。
しかし、あれほど正体が分かりやすいマスクマンもなかったな(アンドレのマシーンは別格として)。
ちょうど同じ時期(87年1月〜2月)、猪木がフロリダで被った海賊男と同じくらい分かりやすいよw ブッチャーとブロディの対戦、チャンカーでの日本初対決も好試合だった。
この後すぐブッチャーが新日移籍、しばらく対戦がなくなり残念だったな。
https://youtube.com/watch?v=aHcU4ohVXPM >>671
>>673
記憶が混同してた、思い込みでした。
申し訳ない。 テキサスレッドってシンと一緒に来日して悪の軍団扱いで出てたよね?
こういうレスラーは印象が薄い、悪じゃなくてベビーフェイス顔した若手レスラーだったりも多いし >>663
防衛戦もさせずにタイトル剥奪すると言うのが
「お前ら、身の程を知れ!」という感じで見事だ >>677
鶴龍コンビ最後の対戦相手がシン&レッド
しかしそのことが話題に上がることは全くない >>675
広島となると前年での猪木の逆ラリアットの試合も照明が無くて閑散とした感じがあるが実際はどうだったのか >>681
そのときの新日の発表は4500人。
3年後のIWGPが8500人だから、あまり入ってないだろうな。
ちなみにブッチャーvsブロディの全日の発表は2500人。 広島に強いはずの新日本ですらそれなんだから当時の広島でのプロレス人気の低迷ぶりは相当な物って感じだな >>682
2500人…
発表でそれくらいなら実数は1500人ぐらいかもな
その直後にブッチャー引き抜かれ、ふんだりけったりだな
当時の馬場の心中はもの凄いものが想像できる
しかしそれで直ぐにハンセン獲得に動き、内諾させる馬場はさすがというしかない
でもその政治力をもってしても社長から追われるんだもんなあ… テイカーのWikipedia日本語版ではデビューが1984年で英語版では1987年なんだな。
ブロディ戦は1987年だから日本のが間違えてるんだろうけど、上の動画も1984年に
なってるからな。おそらくは1987年が正しいんだろうけど1984年デビューになってるの
米国でも多いな。アンダーテイカーとしては1990年ね。
https://www.reddit.com/r/SquaredCircle/comments/fvj73j/day_14_of_30_unexpected_matches_that_really/ テイカーはTexas Red Jackというのもあったんだな、ブロディのRed River Jackと
確かに似てる、紛らわしい。シンとも対戦して負けてるんだな。
>22.08.1987 Wrestling Im Rest der Welt - Freelance Shows
Tiger Singh defeats Texas Red Jack
Wrestling In Durban - Event @ Durban, South Africa >>685
80年エキサイトシリーズ開幕戦も史上最強クラスのガラガラ! >>667
更に馬場としてはPWFを看板王座にする必要があったからな
ならば尚更にインターは厄介物でしかない >>690
しかし、インター王座は認めないと言いながら、
タッグ王座はインタータッグの挑戦をし続けたというのが、
ちょっと矛盾したんだよね。 昭和の主催者観衆数の実数の読みって
どれぐらいなんだろうか?
後楽園を基準にすると、テリー引退前後は超満員発表で3500人とかやってたから
その比率だと実数は30%〜40%ぐらいか?
となると広島の2500人というのは実数は750人〜1000人ぐらいになる
両国で11000人とか発表してたけど、実数が4400人というのはさすがにないだろうけど… >>678
自分はレスラーじゃないので当事者の心境とかわからんのだが、
こういうときって、タイトル取り上げられる側は
それなりの相手と防衛戦させてもらって奪われる形にした方が
まだ納得がいくものなんだろうか。 >>694
もちろん自分もわからんけど、ただやはりそうだと思う
>666でチャボの件を書いたが、王者転落後もそれなりの強者に見えるイメージを持たせることが
最低限の敬意、というか礼儀なんじゃないかなと思う。
映画俳優とかも主役級から落とすときに、しばらくは「特別出演」って形を数作は続けると聞いたことがある
そこで元主役のステータスを維持してやれば、準主役や脇役になった時も
「転落した」というより「あ、あの俳優も出るんだ、お得感があるな、じゃあ見に行こう」とお客さんが思うらしい。 >>693
そこまで極端じゃないよ。
昭和の後楽園は通路にも人を入れてたしね。
大体実数の7割から8割じゃないか。 >>692
当時の馬場としてインターの正統はむしろPWFだくらいの意識だったんだろうな 当時のチャボので人気・実力を考えると、前王者としてリスペクトする価値は十二分にあるが、大木や高千穂にはその価値は無く、勿論ファンのニーズも無い。
よって馬場のとった態度は正解だと思うが >>698
高千穂にはUNのベルトを譲った後に一足先に復活のアジアタッグに就く機会も与えてるからな >>695
ボブがWWF王座降りるとき、ホーガンへのツナギは最初は
ビル・イーディ(マスクド・スーパースター)の予定だったのが
「レスリングできない奴に王座渡すのは嫌だ」と嫌がったことから
アマレスキャリアのあるアイアン・シークに変更されたんだっけ?
ボブに限らず、ガチ実績のあるレスラーはそういうこだわりありそうだな。 73年の日本プロレス合流後の馬場の冷遇ぶりが
言われるが、結局その後はまわりまわって
大木、上田→インタータッグ
高千穂、小鹿→アジアタッグ
とタイトル獲得の機会を与え、本人たちも
それに満足してたんだから、後になって
ぶつぶつ言われてもねえ ザ・グレート・カブキは実際ブームだったんだよ。みんな口に水含んで毒霧の真似して鼻に水入ってむせてたし。別コロとかでも特集あって、夢にカードとか妄想読物あったし。列伝16巻買ったけど、また貸しで帰ってこなかった。
今、当の本人は愚痴愚痴ばかり。
かつてのファンもアンチもガッカリキャラ
悲しさしかない。 >>700
テーズも1957年にNWA王座を降りる時、
後任は、人気があったバディ・ロジャースの声が大きかったが、
やはり「ああいうレスリングの出来ない男の負けるのは嫌だ!」
と言って、実力者のディック・ハットンに王座を譲ったのだが、
このハットンは全く集客力がなかったらしい。 >>703
あのマティシックもハットンは評価していなかったな
どんなに強くても動員力が無ければ駄目だって >>701
高千穂なんか最後は世界タッグだからな
むしろこれからのチャンスを棒に振ったのは向こうの勝手 >>703
ハットンはバーン・ガニアとはアマチュア時代からのライバルで、
一足先にプロ入りしたガニアの成功を見て「俺にもできる」と思ったらしいね。
NWA王者にもなるなど、レスリングの実力は互角だったけど、
ビジネスの才覚には大きな差があったんだろうね。 >>697
同感。
力道山のベルト→自分の巻いてたインターの正統的な後継がPWFってのが
馬場の感覚だろうね。
大木の巻いてたベルトは魂の抜かれた形骸で、松根日テレがそれを復活させて
ドリー、ブロディに再び魂を吹き込んでもらって、鶴田路線の看板にしたと。 自分の浅学な知識の中だけど、観客動員力に突出した歴代レスラー
G・ジョージ
B・ロジャース
B・サンマルチノ
A・ジャイアント
H・ホーガン
メキシコ限定ならエル・サント
確かに「強さ」というカテゴリーに属するタイプではないよね、しいていえば全盛時のアンドレは強いかな
あとサンマルチノは列伝の影響で「木偶の坊」のイメージだが現実の強さは知らない。 >>705
カブキが残ってたら
鶴田カブキ対三沢川田がゴールデンカードに
なってただろうなあ。
田上は超世代軍のままで、小橋の出世が
遅れたかも。 あらためて、武藤さんが一番影響を受けたアメリカのレスラーは誰ですか。
武藤 今と昔とプロレス界もシステムが違うんですよ。オレがいたころはね、
フロリダ(内の各地)だけを転々と回るフロリダチャンピオンシップっていう
のがあったんですよ。テネシーだけなら、テネシーだけ。テキサスなら、そこ
だけっていう。例えばバリー・ウインダムなら、フロリダ(の中で)の人気ナンバ
ーワンの若頭であって。それらの集合体がNWA(全米レスリング同盟)っていう
大きな管轄内にあって、各エリアにたまに本部から(チャンピオンの)フレアー
とかが来るんですよ。で、その各地方のトップとチャンピオンシップ(タイトル試合)
をやる。そうなったら、ハウス(来場客数)がブワーって上がるんすよ。そしたら、
俺たちの給料も上がる。「うっわ、フレアー様様だな」って(笑)。そんな感じ。
昔はそういうシステムだったわけ。
なるほど。つまりフレアーがあれだけ偉大なレスラーと言われるのは、レスラー仲間からも…。
武藤 そうそうそう、うん。こいつが来てくれたから俺たちのお米(給料)もこれだけ
上がったぞっていう。さっき言った封建社会じゃない典型だよね。(年功序列じゃなくて)
彼一人の集客力によって俺たちのギャラも変わるんですよ。人気ある者が強いっていうか。
今は違うよ。今はもうWWEが一本化しちゃって、契約とかで縛られちゃってるけど。 >>710
なるほど、ボクシングで例えると
後楽園ぐらいなら満員にはできる日本タイトル王者がいて
WBCやWBAの世界チャンピオンが来る時、両国や武道館で世界タイトルマッチに挑戦する
器が大きくなれば動員数も当然増える、テレビ中継もついて放映料も上がる
当然だけど前座の何回戦かの選手のファイトマネーも上がる…構造はやはり同じかな? >>707
全日本設立時に、G・馬場は力道山のインターベルト
(実際は、1962年Fブラッシーを破ったが、ベルトは貰えず
自前で作ったWWA世界ヘビー級ベルト)を持ち出し
「力道山ベルト」として権威付けしたが、「PWF 」とかいう
ペーパー団体を作り、ベルトそのものも作り替えたからなぁ。
(力道山のベルトは馬場には小さすぎた) >>705
たぶん最強タッグまでの暫定王者で終わったと思う
91年になったらまた中堅どころになって三沢、川田らのかませ犬になってただろう 全日本にテキサス・レッドってオーバーオール着たデブが来日してなかったっけ? >>714
それはビッグレッド、ブッチャーの子分扱いでチャンカーで全敗。
テキサスレッドは、オープンタッグでデストロイヤーのパートナー。 テキサス・レッドって85年の夏のシリーズに来日しなかったっけ
素顔で太めでハンセンのパートナーで その後もう一回天龍革命が始まったシリーズに、シンのパートナーででも来日したかな テキサス・レッドってザ・モンゴルと名乗ってたこともあったね。
デヴィッド・フォン・エリックにアイアンクローで流血させられて負けた試合が日本でも流れたな。 >>712
それを言ったらそもそもインター自体が根拠のあやふやなベルトだからな
それを日本の至宝にまでしたのはむしろ馬場の時代なわけで >>713
鶴田のパートナーに他に適当なのがいない限りはカブキで続いただろう >>716
一番有名なテキサス・レッドはレッド・バスチェン
MSGで猪木の格闘技ベルトに挑戦した いまG+で1985年、石川のギロチンでM・ミラノが失神した試合を放送してるが
当時もガキながら思ったが、この時の後楽園でフザけたコールをしたやつはマジで不快
それとは別にもし新日なら、こういうアクシデントも利用するんだろうな
石川vsマリオの因縁マッチを組み、あわよくば石川を第一線のスターにする狙いも… アンダーテイカーの人もデビュー初期は
テキサス・レッドだったそうだね 当時のチャボので人気・実力を考えると、前王者としてリスペクトする価値は十二分にあるが、大木や高千穂にはその価値は無く、勿論ファンのニーズも無い。
よって馬場のとった態度は正解だと思うが >>729
大方のファンもそう思うだろうな
但しレスラーってのは「分からない方が馬鹿」とむしろ見下してるのがほとんどだろうが >>682
全日ってビッグマッチのときはどんなに酷い入りでも2500人というのが
最低ラインとしていたんじゃないかしらん。
馬場×サンマルチノが2500だったし。
後楽園ホールは1500がいちばん少なかったかな。あのロビンソン天龍組の時に。
それと地方の話だが、1000を下回る発表は意地でもしなかったと思う。
国際ならたまに700人とかあったような。 国際の観客数は草津がその日の気分で「う〜ん、今日はとりあえず1200」みたいな
感じで適当に思い付きの数を公式発表してたそうだね 日プロ末期のUN王者の変遷、猪木→坂口→高千穂ってもの凄い落差だよな。
高千穂はラッキーだけど、本人はそれが永遠に続くと思っていたのかな? >>731
1980年 1981年のサマーアクションシリーズは2年連続ガラガラの入り。 80年 サマーアクションシリーズ
ブロディ、ラッド参加
トンガ、国内デビュー
81年 サマーアクションシリーズ
ロビンソン、カマタ、マーシャルボーグ参加
スレーター途中帰国
シン乱入〜単発参戦
天龍覚醒のインタータッグ戦 >>731
>馬場×サンマルチノが2500だったし。
それ、1975年5月9日、日大講堂のこと?
なら、その日は国鉄のストだから仕方がないよ。 >>733
毎週金曜20時に放送さえしてれば大丈夫と思ってた可能性はある、視聴率が半分でも凄い宣伝と放映権料だから、それでスター外人を呼べばなんとかなると
テレビを切られてヤバいと思ったんじゃ あっ日テレは馬場が抜けてすぐ切れたのか、テレ朝の月曜20時ね、上のレスにあったこれ
http://i.imgur.com/Rf7TR3c.jpeg >>733
高千穂がUN戴冠した試合を最後にNETは日プロ中継を打ち切った
これって、「お前が王者じゃ視聴率取れん」と見限られたと考えるのが普通だが
カブキの諸々のインタビュー読む限り、そう考えている様子は皆無なんだよな
>>738
馬場はこうなることがわかってたから再三ダラ幹連中に
「俺をNETに出したら日テレに切られますよ」と忠告してたのに
ダラ幹連中は何の根拠もなく大丈夫と思い込んでいて、
誰一人として馬場の忠告に耳を貸さなかった。
そりゃ馬場じゃなくても「こんな連中とはこれ以上
一書に仕事なんかできるか」と見限るわ。 >>737
あの連中はTVを打ち切られてガラガラの客席を自分の目で見て
団体が潰れて吸収された後も
「対等合併のはずだ!」「馬場鶴田じゃなくて馬場大木にすべきだろ!」
「日本テレビに頼まれて来てやった」「芳の里から「馬場を助けてやってくれ」と頼まれた」
だったんだぞ
脳みそが膿んでいる >>733
高千穂って猪木にも上から目線で批評するぐらいだし、ファミリーヒストリーで坂口取り上げた時も坂口は俺の言う事を聞いたとか偉そうな物言いだから(笑) >>740
気に入らなければ自分から出ていけばいいんだよな
それが出来ないくせに何だって 1981年エキサイトシリーズ 馬場vsコックス戦もなかなかのガラガラ! >>740
馬場大木にするべきだ、以外は
ほんとうに吉の里にそう説明されて来たたかのもしれないから
そう考えてもある程度は仕方がない。
信じ込むのはおめでたいとダメだしは簡単だけど
プロのレスラーなんだししょうがないよ。
日プロの方が老舗だ、新興の全日は一歩引いてろ、馬場はともかくだが鶴田なんか
と思っても不思議じゃないかも。 まあ日プロは年功序列だったから
入門半年の鶴田ごときがとは思っただろうな >>745
だからこそ馬場は踏絵に鶴田を使ったのかもな
気に入らない奴は出ていけって >>743
まさにニッパチなんだよな
ちなみにこの時期の新日本はオフで上手く避けてる印象 もし松岡上田はともかく大木が残っていたら
インターベルト争奪第二回チャンピオンカーニバルが行なわれたかもしれない。
馬場と大木はシードしてやればメンツも立つかと。 付き人だった越中のインタヴューだと
この当時の鶴田は全日の地方興行の旅館での宴会には出ないで
単独行動で飯を食ったりしていたらしい >>744
馬場がいなくなったから
インタータッグを取れた大木や上田を
パートナーに起用しろというのも、馬場から
すれば筋違いもいいところだが。 >>749
越中が付き人の頃って日プロ残党は小鹿以外離脱してた状態じゃなかったっけ
その頃鶴田が単独行動取ってたのは、サムソンクツワダのクーデター計画に加担してた罪で
馬場夫妻が他のレスラーとコミュニケーション取らせないようにしてた時期かと NETテレビ主導の、日プロと新日の合併が実現したらどうなっていたかな。
大木たち日プロ古参勢が、その後どんな扱いになったか興味ある。
坂口が離脱しなかったら、高千穂がUN王者になることもなかっただろうし。 >>709
カブキの対若手は渕やマイティのような筋道立った攻め方じゃなくて
自分だけが目立つための攻め方だから、あまり面白くなかったなあ。
その上、あの体のサイズとリーチの短さで受け方が様にならない上、
輪をかけて若手の技をしっかり受けない、見せ場を作らせない。
自分としては後の田上の成長、90年代全日の興隆を思うと、
カブキに関してはSWSに行ってくれて本当に良かったと思う。 鶴田も馬場はともかく元子にも監視されるのは苦痛だっただろうな >>747
ニッパチ理論でいくとサマーアクション2かスーパーアイドルにもかかってくる。
こっちはマスカラスでカバーしてる感じだね。
新日でもビッグファイトSとサマーファイトSは全日と同じく気の抜けたサイダー感はあった。
大概、シンかハンセンが来てた気がするけどノリが悪かった記憶。 >>749
カブキとかも、鶴田と菊地が部屋でコンビニ弁当と言ってたから、ずっとそうだったのでは?
倉持の言ってる個人スポンサーとの付き合いは、別にあるのかもしれない。 相撲出身者や中卒のロクでもない先輩たちと関わりたくなかっただけじゃね
相撲出身者は「メインイベンターなんだから俺らに奢ってくれよお!」みたいなさもしい連中だし
まともな神経をしていたら相手にしたくない >>744
>馬場はともかくだが鶴田なんか
そう思うのは自由なんだが、鶴田が馬場のパートナーに抜擢された
ファンクス戦でのスープレックスやドロップキックを見て、旧日プロ勢はどう思ったんだろう。
俺の方がもっと凄いファイトで客を沸かせられると思ったんだとしたらおめでたすぎる。
>>749
身から出た錆と言えばそれまでだが、鶴田もよくそんな扱いに耐えたよな。
その辺の連中との人間関係が煩わしくて、むしろその扱いが歓迎だったりしたんだろうか
>>752
NETの意向で黄金コンビ主導になるのは明らかだったから、
遅かれ早かれ離脱してただろうな。
行先は全日か国際か。単独ならともかく、子分を引き連れていたら韓国帰国は難しいか。
可能性としては、エース級で扱ってもらえそうな国際が一番高そう。 >>738
こういう過去の新聞のテレビ欄がアップされてるとき
必ず目に付くのが「和田アキ子」の名前…
プロレス中継日だから、基本的に金曜や土曜をアップしてるはずだから
週末には必ず何かしらの番組に50年も前からバリバリで出演してたという事だね
これはもう好き嫌いは抜きにして偉大だと思うわ。
今でも土曜の昼間と日曜の昼間、ラジオとテレビの生放送を30年以上も続けてるし凄いわ…。 >>702
カブキ編は高千穂時代も米良自身にも物語も面白エピソードもないから、
プロレススーパースター列伝ではほとんど創作なんだよなあ。。
他のレスラーは創作が5割程度だし、基本的に近い出来事を盛ってるみたいなのが多いんだが。。
カブキだけはホンコンで闇試合したりとかでたらめもいいとこ >>758
日プロと新日の合併が実現していたら、大木は間違いなくインター王座を
取り上げられるから、やっぱり退団するのは間違いなしだよね。
合併していたら、猪木のインター王者姿が見られたんだろうな。 日プロと新日本が合体してれば
猪木
坂口
大木
高千穂
上田
小鹿
山本
柴田
木戸
松岡
なんてメンバーになってたか。
高千穂は全日以上に冷遇されてたかも。 >>761
確かにね。あの内容はね。そもそも「じゃあなんで猪木の新日について行かなかったの?」って思った 大木が合併を潰したのは合併したら当然
インターナショナルを猪木に渡さなければならなくなるからだろうね
それは絶対に嫌だったと >>763
上田はクーデター裏切り、小鹿は猪木追放でバンザイしたらしいから、
合併したところでどちらにしても居場所はなかったんだろうね。 >>764
途中送信してしまった。
あと、日本デビュー戦で猪木張りの延髄切りでフィニッシュとか。
列伝は面白かったけど最後の方はファンタジーだったよ。タイガーマスク編も大概御伽噺だったし(やたら極真の連中が実名で大物扱いで出てた…)
スレ地でごめんなさい。ようは列伝は面白い漫画だったって事で。 坂口やカーンが全日本にいきたかったとか藤波が自分には決定権がなかったとか後になって談話が出てるね
特に日プロ崩壊組は好んで全日本じゃなかっただろうな、カブキも >>763
>>766
小鹿は世渡りうまいから、「あの時は仕方なかった」とかうまいこといって
猪木に取り入るんじゃないの?猪木も延々恨み言引きずるタイプじゃないし。
高千穂は猪木や坂口と合わないから、遅かれ早かれ海外出ちゃうだろうな
松岡は……このメンバーじゃ全日以上に居場所なさそう >>759
そう言われて力道山が載ってるテレビ欄に和田アキ子がいるか探してしまったがさすがにいなかった。さすがに今も生きてる人はほとんどいない、十朱幸代くらいか
https://pbs.twimg.com/media/EXT9TsSUwAMsRe3?format=jpg >>771
芳の里と遠藤のシングルっていいな。その後毎晩銀座で豪遊する社長と専務か。 イーデスハンソンまだ生きてたね、彼女は昭和の全日本プロレスのファンで有名だった。都内の試合にはリングサイドで見てたらしいがテレビに映ってたのかな >>771
小川真由美や野川由美子も存命じゃないか?池田昌子と野沢雅子はバリバリの現役だし。 >>776
本当だ、哲郎とメーテルがこの頃から今も現役ってすごいわ
てか遠藤幸吉もまだ存命みたいだな >>765
大木は坂口主導で自分が韓国にいる間に話を進めたからヘソを曲げただけだろ 他スレでも書いたが、
そもそも73年2月、猪木と坂口が会見した「日プロ、新日合併」
というのは、いわゆる「企業合併」ではない。
もし、「日プロと新日の合併なら」、両方の社長、つまり芳の里と
猪木が会見するべき。
この合併案というのは、新日は発展解消、日プロは坂口以下の所属選手が
日プロを脱退し、猪木を社長とする新団体に結集すると言うモノ。
つまり、新日はなくなるが、日プロは所属選手はいなくなるが、団体としては
残っており、また日プロの財産であるタイトル(インター、インタータッグ、
UN,アジアタッグ)は、新日にそのまま移行はしない(売却するなら、別だが)。
また、仮にインターなどのタイトルが新日に移ったとしたら、今度は馬場が
「NWA加盟団体ではない【猪木新団体】がインターやUNの防衛戦を行うのは
オカシイ!」とクレームを付けただろう。 >>771
本間千代子はコミュニティFM で喋ってる
柳沢真一はまだ死亡記事無し
高倉みゆきも 柳沢健 「1964年のジャイアント馬場」より
「馬場の論理はデタラメである。
NWAに加盟している全米各地のプロモーターたちは、それぞれ勝手に
興行を行なっている。NWAが管理するのはNWA世界ヘビー級チャンピオン
ただひとりであり、チャンピオンでない馬場と猪木の試合など、NWAの
関知するところではない。
「NWAに加盟していない団体の選手とは戦えない」のであれば、1967年
8月にNWAに正式加盟した全日本プロレスに、翌68年にWWWF世界王者
ブルーノ・サンマルチノがやってきて馬場以下のレスラーと戦ったことを
どう説明するのだろうか。
さらに、猪木のNWA加盟を妨害したのは馬場自身だった。
猪木のNWA加盟を妨害することは馬場にとっては陶然の企業防衛だが、
猪木がそう考えないのもまた当然だった。
全盛期にあった31歳の天才レスラーに追い詰められた36歳の馬場が
頼みとするのはただひとつ、NWAだけだった。」 >>771
岸恵子は力道山と対談してる。
>>775
イーデス・ハンソンは武道館で興行するようになってからの印象だなあ。
座ってた席も年間シートの場所っぽかったし。
でも武道館リングサイドの映り込みといったら、当時ブレーク寸前だった
レベッカのNOKKOでしょ。 全日のリングサイドと言えば
昭和のイーデス・ハンソン
平成のダチョウ倶楽部
上島が広川ひかると一緒に観に来ていたよ
>>786
小鹿は若手潰しがあるのでクビになっても全く同情できない
実際に小鹿をクビにしたら若手が残る様になった
相撲界の悪い面を体現する様な男 結構存命が多いな、レスラーが早死になだけで基本的には長寿だしね、Gスピでも高齢の関係者とかが昔話をしてるし >>790
このエアポケット、停滞が天龍革命を生んだともいえる… >>771
力道山と同時期、テレビに出ていて
今も、現役でレギュラー番組を持っていると言ったら
黒柳徹子だろう。 >>786
この日の1番のビッグカードは第三試合の
M井上vs渕かな…?
タイトル戦でもおかしくないのに前座でサラッと組んじゃう…
センスがないのか、豪華なのか… >>793
グッドタイミングというか、黒柳徹子は今日が誕生日(1933/8/9 生まれ)で、なんと米寿の88歳。
本人は「90を過ぎてテレビに出てるっていうことでは、私いいなと思ってるの。早くならないかなと思ってます。」
と言っていて、まだまだやる気十分だ。90歳のテレビ番組司会者ってギネスじゃないかな。 >>795
黒柳徹子は日本のテレビ草創期からずっとテレビに出続けていて
常にレギュラー番組を持っていたテレビ業界の生き証人
テレビの出演時間だと日本では断トツ、世界でもトップ3くらいに入るのでは?
日本のプロレスはテレビ主導で発達したんだから、黒柳徹子にも何らかの形で関わってほしかったな >>788
ハンソンは武道館よりずっと前から常連だろ
毎度試合開始から会場にいるし地方まで見に来るから元子から本部席横の席をもらってたんだぞ >>794
こないだ武道館での世界ジュニア戦をジータスで見たがまさに五年遅れの井上超えの一戦だったな >>786
原が血盟軍に吸収されたのは2年前だろ。
>>792
この4日後に天龍革命が始まったんだよな。 いいともに出てたミスターマッスル全日に参戦して欲しかったな
まあこの時代はともかく、四天王とは馬が合ったかも >>799
木村との最強タッグ出場の前に両国の六人タッグに出てたんだよな >>787
日プロ時代にはいた「コミッショナー」がいなくなったので
そのかわりにNWAが〜という枷を持ってきただけだな。
当時は中学生でもそんなの変だと思ってたよ。
もしまともなコミッショナーなり対戦カードの許認可権があるところがあっても
いつも流血する遺恨試合のほうを許可しないと思うな。まともなら。
>>781
ところがハーロック単行本では哲郎となっているんだよ。初版のミスプリかもしれないが。 >>738
渥美清主演のドラマ、こんなのがあったとは知らなかった。 団体の協力体制がない中で統一コミッションなんて無理だよ
新日本はマスコミを使って全日本に対戦要求をするだけだし全日本は新日本のやり方を批判するだけ、片方のファンがリーダーになる可能性も高いし >>789
何で大熊にあんなに偉そうなんだとかも馬場の静かな怒りを買ったり >>760
和田アキ子がプラベートで大嫌いな虫攻撃をせんだみつおにされた時は得意のに空手で
制裁したwがデストロイヤーが同じ事をやってもさすがに制裁はしなかった。
和田の兄は空手で全国大会に出た事があるらしい。
>>749
馬場はクーデター鎮圧後に鶴田に馬場利権のお裾分けをしてJBを設立させた代わりに
また同じ事されないように移動も宿泊も馬場と同じ所にして他の選手と隔離した。
三沢は馬場から慰労を込めて強制的にシリーズを全休させられた時に全日選手・スタッフ
から馬場夫妻への不平不満が耳に入ったのが全日改革の発端だった・・・
>>764
日プロ時代、高千穂は入門時からいろいろと世話になっていた芳の里派だった。 日プロからの合流先はほとんどが上に従っただけだろうな、付き人関係とか
唯一違う坂口も苦渋の決断みたいだし大木は力道山未亡人に従って 日プロ時代の馬場は一度NWA王座に挑戦したこともあるが
他の時は自分のインター王座への挑戦者として扱った
これは馬場ではなく日プロの意向かも知れないが
全日設立後も独自の世界王座設立に突っ走った
ところが、提携が始まっていた豪州のジム・バーネットが思いがけず米国に戻りNWA中枢に入ると
一転してNWAを対新日用の御旗の錦とした
姑息といえばそうだが、悪いとまではいえない、プロレスの権威などそんなもの >>809
猪木に渡さないためにもNWAを奉らざるを得ずPWFをインターのような絶対権威には出来なかったんだよな
そしてNWAに遠慮する必要の無くなった平成に入って三冠王座を全盛期のインターのような絶対権威に押し立てる事になったわけで >>809
まあ猪木の性格と新間のビジネス戦略からいってまずありえないが、
新日があんな執拗に馬場を挑発しなければ、
馬場も日プロ時代にはそこまでこだわっていなかった
NWAをあそこまでありがたがることもなかったわけか
90年代のSやWWFのような黒船がもっと早く出現していたら
両団体で協力して対抗したりしてたんだろうか 阿修羅原がフリーだったのはギミックで入団から解雇まで本当は全日の社員じゃないのかな? >>813
そりゃそうだろ、昭和のフリーレスラーなんてみんな半所属みたいなフリーだよ。
上田みたいに勝ち逃げみたいな形で、他団体に行かれたらたまらないからな。 天龍同盟も阿修羅がパートナーだったから、あそこまで大きく弾けたんだろうな。
カブキや石川が相方だったら、文字通りコップの中の嵐でしょぼく終わってたかもしれない。 79年って7月から12月までブッチャーは半年間皆勤?ここまで依存する必要あったのかな? >>724
馬場と石川のタッグとなると鶴田がAWAを取った蔵前でのブロディ組との対戦も思い出す ブッチャーは一般人ウケが抜群だったからな
特にジジババ ブッチャーは地方興行のときに地元の
プロモーター連との飲み会によく参加してたみたいだな >>817
同じ年の最強タッグ、大阪での超獣コンビとの試合も馬場がフォール負けしたこともあり、印象深い試合だな >>809
そりゃどうかな。
アメリカ修行時代、バディロジャースやテーズの
NWA王座に挑戦した馬場にとっては、
やはり強い憧れはあったろう。
それが全日本時代に開花したと見るべきだわね。 >>815
>文字通りコップの中の嵐でしょぼく終わってたかもしれない
その天龍革命が始まった直後、新日のIWGP優勝戦の終了後
長州軍やUWF軍も含めた世代闘争が開始された
「新日のスケールに比べ、天龍の意識改革はコップの中の嵐」
とまさにその言葉で週プロやゴングで揶揄されてたんだよね。
ところが年末には…新日は秋で頓挫し、全日は天龍革命の余波がブッチャー、ブロディやハンセンにも刺激を与え
団体のムードも上げ潮…
まさか六月の時点ではそんな展開になるとは思わんかった…
長州の世代闘争終結フライングと前田の襲撃が悪い方に向いたね。 >>818
愛しのボッチャーの連載開始でブッチャーブームはピークに達した。
>>819
新日時代はギャラやカードで揉める事無く試合後の急な後援者との宴会も快く応じて
服装の決めて参加しサインや写真にも応じて営業部にとっては非常に協力的だった。
アンドレはただ飲んで食べるだけどサインなんかとんでもないと言う有様だった・・・
>>821
WCWと提携してNWAを復活させた坂口が「(復活に)いくらかかったと思うんだ!」と
苦労を吐露していた。坂口も思い入れは深いみたいね。
>>822
開始当初は三沢タイガー戦、馬場とのタッグ戦、ハンセン&デビアス戦等と新日の比べて
派手さは無かったが試合内容は新日より遙かに充実していた。
こういう地味な成果かた叙情に実っていった。 天龍革命をマスコミが取り上げていたから前田はこれはいかんと思って長州なら顔面蹴りしても大丈夫だと思い実行したら運悪く当たり所悪くてテレ朝から首にされてしまった >>816
8月のシリーズは本来ならマスカラスだけで
展開できたはずだが、
8.26オールスターがあったから、ブッチャーを
シリーズ参戦させたと思う。 長州と前田は仲はいかが
船木と永田は永田が船木に怪我させたから船木は永田嫌いだよな >>824
それは口実だろう
当時UWFは新日から「解散しろ。神と鈴木は新日社員にしてやる。」と冷遇されたのに
長州は億の金を積まれて新日の役員待遇で復帰してきた
その事の怨念が根本にあったと思う
長州の性格だと「お前ら戻ってきてやったぞ!」でお詫びもなかったのが想像できる >>822
その上げ潮ムードが興行成績に繋がらなかったし、
テレビ中継はゴールデンから外されてしまった。 >>825
チャンカーでドスとも当たっていたから年末の最強タッグでの決着戦まで良い流れだったと思う >>826
船木は佐野と同期の畑のアゴを砕いて引退に追い込んでいる
自分のやった事棚にあげて何様だ >>823
NWAを復活させた事でその分IWGPを下げちゃったんだよな
そしてその後もやたらと新たなベルトを作っては統廃合を繰り返す >>827
世間の常識から言っても同じ出戻りでも
新日を盛り上げようと頑張る姿勢を持つ長州と
不平ばかり言ってる前田では
会社の扱いが違ってくるのは当然だろう >>818
会社の展示会で、隣の建物が大日本プロレス
の興行だった。
暇つぶしにブッチャーが展示会に来た。
会場にいた年寄りたちがざわめいたもんね。 ドリーは冷遇受けたのに代変わりしたからPWF会長引き受けたの 1980年〜81年のブッチャーは、
・『愛しのボッチャー』発行
・『吼えろ鉄拳』映画出演
・『ブッチャー・ザ・グレイテスト』レコード発売
・『サントリーレモン』CM出演
など、まさに社会現象で誰でも知る存在に。
この頃、「8時だョ!全員集合」でも志村がよくブッチャーのモノマネしてたよね。
『吼えろ鉄拳』のロケは81年5月だから、ちょうどブッチャーが新日本の川崎大会に登場する直前に撮影されたんだな。
当時、ブッチャーが40歳、今はそれから倍の時間が経過し80歳になった。 >>836
CMは共演モデルがクスリで捕まって、あっという間にお蔵入り PWF会長ってロードブレアースが群を抜いて長期政権だよな。
NWAにおけるルーテーズ
インターにおける大木金太郎 ブッチャーは全くの黒人でないから日本で人気あったのかな、黒人に対する
日本人の見方はかなり厳しかった。
エマニエル坊やなんかもあったけれど、あれは同調圧力で「可愛い」と言わないと
いけない様な空気があったからだと思うわ。 天龍の顔に覇気がないが後は秀逸だな。
馬場はかなりいい顔をしている。鶴田でさえ珍しく悪くない表情だ。
マスカラス兄弟なので竹内が張り切ったか。 >>822
そもそも、あの世代闘争だって長州をテレビに出す為の新日本とテレビ朝日による仕込みでしょ?
あれで馬場と日本テレビを説得する算段だったんだよ。
実際、長州がテレビに出るようになった途端に世代闘争を終わらせたし。 >>844
>>499
どちらも竹内さんのデザインだろうな。
竹内さんのセンスは好きだわ。 >>843
逆に力道山の頃は、黒人は同情が集まってしまって悪役になれなかったらしい。
シャープ兄弟みたいな白人をやっつけるのは大衆には受けるが、黒人がやられると、
アメリカでも日本でも虐げられ可哀想だという見方だったみたい。 黒人がヒールやるとファンに殺されるリスクがあるからベビーフェイスやってると
米国や豪州で活動してた黒人レスラーについて何かに書かれていた。 >>850
その意味では黒人コンビの勝利による日大暴動事件はむしろ例外か 全日時代のブラジルは花束食べたり怪奇派レスラーになったが、日プロ時代は
普通の正統派で悪さもしなかったよな。猪木のワールドリーグ初優勝の最終戦も、
馬場と死力を振り絞った好試合での時間切れ引き分けだったし。 ブッチャーとマスカラスをオールスター戦に出すのにブラジルを出さないのは気の毒だとマッチメイクしようとした馬場
ブラジルがオールスター戦に出てたら誰と戦ったのか? >>851
あと、1960年代初めの「公民権運動」もあるだろう?
映画ではシドニーポワチエが、ハンサムで正義感溢れる黒
人青年を演じて、白人は差別感を持った嫌な奴が多かった。
ポワチエ主演ではないが、ゾンビ映画の元祖「ザ・ナイト・オブ・リビングデッド
(’68年)」も、ゾンビから教会に逃げ込んだ人々のリーダーを黒人が務めた。
プロレス界では、ボボ・ブラジルが悪い白人、バディ・ロジャーズや
バディ・オースチンを懲らしめた。
しかし、そんな映画やプロレスを見せられた白人のストレスも溜まる。
そこで現れたのが「悪い黒人」アブドラ・ザ・ブッチャー」だ!
「見ろ!やはり黒人は悪い奴だ!」とね。
映画でも、だんだん黒人=良い奴という公式が薄れてきて、
10年程までに見たトム・クルーズの映画なんか、ポワチエそっくりな
黒人刑事、これが彼主演の「夜の捜査網」そっくりなんだが、
この黒人刑事が、本当はワルでした。というオチは笑ってしまった。 >>853
インターのベルト姿の写真が凄く格好良かった >>853
あれでも、日本ではチョーク攻撃をしたり、
精一杯、ヒールを演じていたらしい。 アーニー・ラッドはアメリカ本国でヘビーとヒールを使い分けてたが
実はハーフで純然たる黒人ではないらしいんだよな肌も薄いし >>854
なら羽田ではなくブラジルを坂口の相手にしてあげれば良かった >>854
バトルロイヤルへの参加を検討していたとか。 >>854
高千穂の代わりに6人タッグ出場でいいだろ、最後寝る役やってくれそうだし。
あのメンツで寝る役拒否した高千穂なんて、オールスターに出さなくてよし。 >>862
マスカラスが取るんだから、負けは高千穂が当然だよな。
あの中で一番の格下が高千穂なんだし。 >>863
高千穂にとって他人の評価などは関係ない >>843 >>855
俺は後追い組だからリアタイ世代とは見方が違うんだろうけど
ブッチャーはそう云う映画や社会的背景とはあまり関係無く
あの黒い肌と異形感があったからこそ日本で人気が出たのだと思う
もし白人であの体格だと下品でだらしない雰囲気と印象が先に立つだろうし
黒人というある種の物珍しさと70年代当時の意外に精悍な容貌
それに従前の悪党レスラーにない明るく愛嬌を醸し出す佇まい
これ等複数の要素が相まって人気を勝ち得たのではないのかと
後純粋な黒人云々というのはちょっと耳学問な情報込みのこじつけが過ぎるんじゃないかなあ
令和の今なら兎も角昭和の時代そこまで厳密に人種の分類を吟味しながら観戦する客がいたかというと あとは、ブッチャーはあの目のギョロリとした愛嬌ある顔も人気の要因じゃないかな。
レイ・キャンディやレロイ・ブラウンのようなイカつい顔立ちだとあんな人気者にはならんだろw 別に知識としてハーフだから受け入れられたという意味ではなくハーフ
だから容貌において黒人っぽさがマイルドになってた結果受け入れられた
って意味だけどな。 >>854
シングルならスーパースター
タッグならコロンと組んでハリウッド・ブロンドス >>428
大塚氏を交えた会談で^木から「戻ってきてくれ!そうすれば全てが丸く収まるから!」」
と言われてUターンしていうからね。 >>862
後輩のタイガー戸口が泥を被った形になったんだっけ
これから三番手として売り出さなきゃいけないってのに… >>870
違うよ、寝たのはマサ。オールスターで唯一、全日側が新日側をフォールした決着になった。 >>865
カラードとしていろいろなミスマッチがブッチャーにはあった。
当時は珍しい(アフロが流行り)スキンヘッド
すててこと言った方が適切みたいなあやしい空手着で裸足
プロレスラーというより相撲取りみたいな体型
鉄柱攻撃なしで流血できる額
センスがいいんだかわるいんだかわからない私服 ブッチャーはハンサムだからな。鼻の形も黒人特有の横に広がった形じゃないし。 >>866
そう、ブッチャーは可愛いんだよなw
あと、昔はビヤ樽のような体型なのに機敏で、空手のパフォーマンスをやったり、
凶器攻撃をするくせに、自分が攻撃されると「キェェェ〜〜〜」ともの凄い甲高い声で奇声を上げたり、
勿論、プロのレスラーとしての実力があればこそで「ブッチャーは唯一無二の存在」というのをファンに
認識させるだけのものを持っていた。
本人は、アメリカ本土、カナダで強い黒人差別を受ける中で、歓迎してくれる日本が大好きだった。
ブッチャーのホームリングは、プエルトリコと日本と言っていいと思う。 >>871
ん?第1試合バトルロイヤル決勝で
小鉄がカナディアンバックブリーカーで
大仁田を破ったのはノーカウント?
ギブアップはフォールではないと?
あるいは、バトルロイヤルは別? >>875
>>871の文を穴があくくらい見た方がいい >>874
ブッチャーWWCの役員じゃなかったか? バトルロイヤルは別だろ?優勝した小鉄以外は全員退場しているが、誰にフォールされたかわかるのか? >>877
WWCの株主だな。役員はビクター・ジョビカ。 >>879
ブッチャー役員だったか
ブロディがWWCの経営陣に食い込もうとしたのが、刺殺事件の遠因だったな。 >>860
こちらも欠場組の
グレート草津対ボボブラジルでいいよ。 >>884
坂口・草津の角刈りコンビと大木・ブラジルの頭突きコンビで 大木は「馬場、猪木が相手じゃない限り出ない」と言って欠場。 ジャンクヤード・ドッグもヒールじゃなかったな。確かに可愛らしい顔してた >>872
初来日したブッチャーの取材時に海外での写真にある「跪いてお祈りを捧げている絵」を
撮りたいので依頼すると怪訝そうな顔をしながら素直に応じてバックから敷物とベルトの
バックルのようなチャンピオンベルトを出して撮影に協力していたが後年はこんな依頼を
しようモノなら必ず「マネーは?」と謝礼を要求するようになり人気がある時はマスコミも
渋々、応じていたがこれが度が過ぎたらしく新日移籍後の人気が急落するとゴングに
「人気、急落の一因」と指摘されていたw
>>873
当時、全日勢が遠征していたオーストラリアマットを東スポ・門馬氏が取材した時にやはり
人種差別を受けて控室の外で暗くなっているブッチャーの姿を見たと門馬氏が証言していた。
>>883
引退セレモニーが行われた馬場追善興行の前の来日時に最後の来日と思ったのか闘道館に
コスチューム等の様々な私物を持ち込んで買い取ってもらったがグロス買いをしたい店側
と対して一品ずつ値踏みして買い取らせたいブッチャーとのせめぎ合いがあった。
かなり大量に購入したのに最後にサインを求めるとチャッカリ1000円要求されたらしいw
シンの守銭奴ぶりをブッチャーは本で貶していたけどこっちはブッチャーの圧勝だねw >>889
マスコミの慣習はよくわからんな。
プロになにかを依頼しておいてなんでタダでやってもらえると思うんだろう。
あげくにカネに汚いとかいうなんて表現が悪いが盗人猛々しいみたいに思うよ。
取材して宣伝してやっているなんて考えているんだろうけど。
すこし飛躍するが、インタビューの際に報道なら謝礼が出ないというのが一番わからない。 >>888
息子のカリートやプリモはどっちかっていうと白く見えるけどな 7月のシリーズで戸口正徳を名乗ったのに、ポスターはまだキムドクのままだな。 >>888
コロンは完全にアフリカ系黒人だろうね。コロンの世代のプエルトリカンの大部分を占めてる。
マードックもプロモで「黒人のチリチリ頭の臭えカルロス・コロンがよ!」と言っていたよ。
>>889
ブッチャーが日本を気に入った理由の一つが、ブッチャー専用の控え室を用意してくれていたからだしね。
とにかく白人と同じ控え室には絶対入らない。それが当たり前だった。
https://youtu.be/VcUO4CZYoxs?t=275
>>892
コロンの奥さんのナンシーが白人だからね。今は、この混血が進んでいるから、カリート達もこのパターンだな。
https://i.prcdn.co/img?regionKey=uQnvMXLAK4h3Wp32S4%2BwDA%3D%3D ブッチャーは黒人というよりはスーダン出身の野蛮土人みたいに思われてなかったか?
なんせ、子供時にライオン狩をしたり、レスラーになっても週1回鶏を生きたまま食べたり、したんだから(プロレス図鑑より)
当時のプロレス図鑑ってまるで民明書房みたいだよなw 北米生まれなら人種差別を受け入れることは現実としていたしかたないが
アフリカ生まれなので余所の国を文化(的なモノ)を受け入れる必要はない
黒人だとする差別扱いは御免だという思想だと思う。
昔のプロレス本だとぉ確かにブッチャーは狂人扱いされてもぉちゃる。
初来日のブッチャーはそぉゆぅキャラクだったとか。
そんでぇそれが継続されて。
スーダンでぁ子供の頃にライオン狩りしたっちゅうのも覚えちょる。
アフリカ出身ギミックで売り出されたかんな。
そんでもぉいつの間にかアメリカ生まれとなっちょった。
シークもヨルダン生まれっちゅうギミックだったかんな。
こちらもぉいつの間にかアメリカ生まれと。
キマラも最初はぁウガンダ生まれっちゅう触れ込みだったがぁ。
キマラ2もボツワナ生まれだっけか?
こちらは本当なんかぁ?
まぁプロレスにゃそぉゆぅギミックは必要不可欠だかんな。
アンドレの元樵←読めっか?
ウォリアーズのスラム街で生きたネズミを食っちょったとかもぉ。
こぉゆぅのもプロレスならではだかんな。
流石にザ・マミーが3000年の眠りから覚めたっちゅうのぁなあ。
ありゃあウルトラマンワールドだが。 >>896
この対談面白いよ
ttps://search.yahoo.co.jp/amp/s/sm47.ti-da.net/a2512163.html%3Fusqp%3Dmq331AQIKAGwASCAAgM%253D ↑↑
すまん!見れなかったら
ブッチャーvsコックス毒舌電話対談(その2)でググって >>889
サムソン・クツワダとブッチャーがオーストラリア遠征時に同じ飛行機になり、ブッチャーには機内食を出して貰えなかった。クツワダが自分の分をブッチャーに渡しもう一度機内食を注文するとまた出てきた。
すっかり忘れ去られているが子供の頃はオーストラリアは白豪主義を掲げる人種差別国家だったな。 昔、プロレス誌とゴング誌がハンセンが全日行った件で揉めてた時にゴングの
ニック・ボックウィンクルへの電話インタビューを捏造だとプロレスがバラしてたな。
あれ以来、プロレス関係だけでなくインタビュー記事は本当にやったものか一応は
疑って掛かるようになった。 >>898
凄い対談だな、こんなのが行われていたんだ。
ブッチャーはカナダ・オンタリオ州出身だけど、母親の先祖は実際にスーダン系だからね。
滅茶苦茶な人種の言い合いになっているが、きちんとレスリング事情の話もしているなw
1971年5月号で「50年後には黒人に征服されるくせにな。」
この約40年後にアメリカ大統領になるバラク・オバマの存在を予想していたか、ブッチャー。 前にも書いたことがあるが
昔読んでいた小学館の児童誌でハンセンが
「サンマルチノの首を折ったラリアットは改心の当たりだった」と回想していたぜ また荒らしのガラプーが復活したのかよ
せっかくの昭和スレでみんなの書き込みを昔を懐かしんで楽しんでいるのに Dutch Savage, Dom DeNucci, Nick Kozak, Terry Funk, Fred Blassie,
Bruno Sammartino
https://i.pinimg.com/originals/bb/72/07/bb7207377fe091fbf8172b0274871c6f.jpg >>906
遠近感かもしれないけど、サンマルチノそれほど背が低くない印象。 >>909
やはり、サンマルチノは前に出ているよ。 公称でサベージが193cm、デヌーチが190cmだからな、サンマルチノがチビに
見えないような配慮でのアングルおよび並び位置だな。 サンマルチノが後楽園における出たのは旗揚げシリーズだけだったか ニューヨークだとサンマルチノはイタリア系で
背が低いのはみんな承知で、かえって特徴になってた
そのサンマルチノが190cmを超えるルーク・グラハムとか
バロン・シクルナとかを倒すのがイタリア系観客にはウケた ハンセンが言うには「小さなベビーフェースが大きなヒールを倒すのが受ける」そうで
背が低いのは別にマイナスじゃなかったそうだ
ただサンマルチノやデストロイヤーは背は小さめでもチビって感じではないのは
骨格が太くて体の厚みが凄いからだろう もともとプロレスのルーツの一つである
カーニバルレスリングがそうで、ベビーフェイスのほうが小さい >>916
要するにダビデとゴリアテが受けるのは万国共通か
日本では義経と弁慶だし ゴリラ・モンスーンとかビル・ミラーみたいな巨漢レスラーに
180センチに満たない小兵のサンマルチノが勝つことで
イタリア系移民の多いニューヨーク市民は喝采を浴びせたと サンマルチノの試合は数試合しか見たことないけど
とくにパワー溢れるファイトって感じがしなかったんだけどどうだろう。
ブロディみたいにワンハンドでスラムするとか
アニマルみたいにリフトアップするとか
わかりやすい力の誇示ってほとんとなかったよね? イワン・プトスキーも小さなベビーフェースだね
サンマルチノが欠場してた時はプトスキーVSハンセンで客を集めていたとか サンマルチノはもともとカナディアンバックブリーカーが
必殺技だったのが腰を痛めてからベアハッグにしたんだよな >>923
ロジャースを秒殺したのもバックブリーカー
まさにプロレス史に残るカリスマ交代だった >>920
タイプ的には豊登より少し技が多いという感じかな >>890
その手の謝礼はケースバイケースで
言ってみれば「時価」だからね
タレントミュージシャンのインタビューだと
新曲出演番組の宣伝目的の色合いが強いから基本ノーギャラ
報道媒体側からコンタクトを取る場合は貴重なお時間お手間を戴いて...な理屈になるから
金銭や後援会イベント協賛等の見返りを要求される
この種の話題でよく語り草になるのは故マーガレット・サッチャー
兎に角金と自分がインタビューを受けるのに相応しい待遇と扱い
(収録場所は高級ホテルで話を聞く相手は有名ジャーナリストかキャスターに限る等々)
にうるさかったのだとか >>901
一時サッカーオタの間でも専門誌のどのインタビューが
実際に取材した物でどれがコメント程度の代物に尾ひれを付けた或は完全な創作なのかの
真贋論争みたいなのがあったなあ
ハンセン引き抜き当時ゴング側は月プロ側の糾弾と抗議を
鼻で嘲うかの様な態度だったけど
ピラニア山口が死ぬ3年ぐらい前かGスピのトークイベントで
自分達がハンセンと馬場との間の仲介役連絡役だったとゲロってて
やっぱりベーマガが関係者と昵懇な仲になるのは絶対許さないけど
自分等の癒着は業界を盛り上げる為の良い癒着だ的な
昭和ボンナカ論法を相も変わらず引き摺り続けてるんだなあと呆れたもんだよ
>>925
それ昔写真で見た事はある
ただ動画ではないので一瞬持ち上げた段階でタップ扱いになったのか
完全にバックブリーカーとしてホールドしきれていたかまでは解らない プロレススターウォーズでは失神した馬場とアンドレ2人を担いで退場してたね。good fantasy! >>906
サンマルチノは自分の見せ方をわかってんだな。
まるで190p級のデヌーチ、サベージと同じぐらいのデカさに見える。 サンマルチノは単純なパンチやキックがえげつなかったらしいね。
相手はそれでけっこう痛めつけられて、削られていく 新日の北沢に指摘されている通り、豊登は全盛期でも晩年の衰えた時も
試合をスタイルを変えることなくパワーファイト一辺倒
サンマルチノは腰を痛めてからは全盛期のスタイルを変えて
腰に負担を掛けないやり方に変えた。玄人気取りのマスコミには不評だったが
ニューヨークを中心とした東海岸のプロレスファンには大好評だった >>927
一番、最近のフレアーの武藤全日への来日時にインタビューに100万を要求されて
週プロがさすがに断り紙面で批判していた。昔、アドニスが外人レスラーと焼き肉店
に行った写真があったけどアドニスの「写真を撮らせるから代金だせ!」と言いファイト
側は「写真をやるから焼肉を奢れ!」とかわいい鬩ぎ合いを記事にしていたw
GG佐藤が西武ライオンズに入団して記者会見をする時に「これはギャラを貰えるのか?」
と球団スタッフに聞いて驚かせたらしい・・・
>>928
ピラニア山口記者はジプシージョーから崩壊寸前の国プロ後を相談されて全日関係者の
交渉を仲立ちしていた。井上は全日行きを竹内氏に馬場との仲立ちをしてもらい馬場は
東スポ・門馬氏に原の全日入団の意志を確認して貰ったりしているけど全日に深く食い込んだ
ゴングに比べて月刊プロレスが暗躍できなかったのが「引き抜き暗躍する一部マスコミ!」
と言う批判記事になるんだね。
>>930
「俺たちは天使だ!」と言うドラマで狂言誘拐をした少年を親の元に送り届けて「お子さん
には怒らないでね!今年は国際児童年だからね!」と言う探偵(柴田恭兵)の台詞があったw
>>934
「怪力だけのレスラーで無い」と晩年しか知らない友人は親に言われたらしい。
^木はマシンガンキックの凄さをコメントしていた。 音楽の話だが、メタルのロニージェイムスディオやクラウスマイネは160そこそこなので
バンドの写真は遠近差でバランスよく映るようにしているw
>>930 国際児童年と言えばビージーズやゴダイゴがテーマソング歌ってた。 サンクス、これこれ。。ww
でもロニーのいたこの頃のサバスはオジーとは違った魅力があったな 全日本を身長詐欺はなかった印象、天龍は寿司屋で見た時は189センチもなかった印象だが年齢を重ねて縮んだのかも ロードウォリアーズの初期来日の600ポンドは嘘だと思った、翌年から560ポンドになかったが サンマルチノはPowerHouse といよりもBrawler のタイプだな、対ハンセンとか
動画見ると。打撃が多い。 >>942
テレビ中継で600ポンドと聞いて「そんな馬鹿な」と思ったら翌週には数値下がってた記憶があるんだが 蝶野正洋 プロレスラー身長表記問題を語る
(宇多丸)プロレス界はどうですか?数字。
(蝶野正洋)プロレス界はね……バレー界が2センチ、3センチ?プロレス界は5センチですかね?
(一同)(笑)
(蝶野正洋)ただね、あと俺らも入った時に、たとえば長州さん、藤浪さんの身長が
「185センチ」っていう表記になっていると、俺らが入ったら自然とその人たちより
大きいから、大きくならざるをえないんですよ。
(宇多丸)背が(笑)。
(蝶野正洋)だからどんどんどんどんみんな身長の表示がズレていっちゃって。
どっかで修正しなきゃいけないんだよ。 >>941
天龍は大相撲時代で185cmだね。
http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=4088&l=j
プロレスに転向したのが26歳で、その後、身長が伸びたとは考えにくい。 ホークなんて100キロくらいしかなかったんじゃないか キム・ドクは後楽園ホールの廊下で見たけど、「でけぇ」としか言いようがなかった。193pは掛け値なしじゃないかと思ったけど、彼でも盛ってるのかな。 >>946
相撲界は髷付きだから7pくらいか。
ジャニーズ界も8p程度? オリンピックに出るような競技やギャンブル関連は正しいだろうが相撲や総合格闘技とかも怪しいね
プロレスは特に人気商売だから馬場や川田の結婚も含め隠すことも多い、ブッチャーも年齢のさば読みがあったし 公称身長変化と言えば、スティーブ・ウィリアムス。
新日初来日 197p
全日本参戦時 192p
数シリーズ後 190p
90年代前半 188p
90年代後半 186p
11pも公称身長変わったレスラーは他にいないと思う。
ただ、実際目の前でウィリアムスを見たときは180p程度に見えた。厚みは半端ないけど。 体重はタイトルマッチ前にマスコミ前で体重計にのることが多い(主に新日本だが)が身長はいい加減だろうしな、ちなみに年齢さば読みはシークも凄かった記憶、悪役ほど年齢が大事なんかも さば読みじゃないがテリーとスヌーカは年齢が近いのに世代闘争扱いしてることを指摘したマスコミはいなかった 学生時代の同クラス女子がマルイの下着売り場に配属された。
彼女がいうには女子自身がBWHの正しい測り方を知らず
とうぜん女子自身が思っている数字とは違うんだそうだ。
こういうものはサバとは違うんだろうが
われわれがB87とか聞いて目の色を変えるのは誤解だということらしい サムライでニックがテリーと楽しく呑んでたと語っていたな >>955
プロレスだと実年齢とトップとして売り出される年齢が、レスラーによってバラバラだからね。
当時のアメプロだと特にその傾向が強い。そもそもデビューの年齢がそれぞれ全く違う。
10代でデビューもあれば30代でデビューもあった。
例えば、ベイダーは30歳でAWAでプロレス入りして、90年に入り全盛期を迎えた。
ロード・ウォリアーズの2人やリック・マーテルなんかはベイダーより年下だけど、
ベイダーのデビュー前にすでにAWAでタイトルを獲得しバリバリのトップだった。
エリック兄弟のケビン、デビッド、ケリーは「80年代のレスラー」と言えるが、
全員ベイダーより年下。デビュー年齢と売り出される年齢が大きいプロレスで
「年齢だけの」世代闘争は違うよね。 ゴディが年齢を偽って13歳からリングに上がってたのは有名な話だが、上にさば読むのはこれくらいしか聞かない
体重も多め申告のが多い気がする
ベイダーとビガロの体重は新日、全日、週プロ、ゴングで全部違った
新日が1番重く、ゴングが1番軽かった カマタは190とパンフに書かれていたが、実際のカマタは185のラッシャーより明らかに低かった カマタ190やウィリアムス197はないわw
と思ったが確かにその数値を見た記憶があるな 馬場と高木で、アメリカのタッグ五輪出場とか無かった?
ネーミング的に大丈夫だったのかな? フジテレビの仮面ノリダーでトーア・カマタ男が出たとき
日テレにカマタ本人を来日させるための紹介が来たが
日テレで断ったんだよな カマタはジャンピングトーキックが欽ちゃんキックとか言われていた カマタはちゃんとお腹が下になる、綺麗なドロップキックやっていたよな。
晩年は全然やらなくなったが、デブキャラとは思えないドロップキックだった。 >>970
三沢の欽ちゃんキックとは当てる箇所が違ったな >>966
それどころか、鶴田谷津組のジャージには五輪マークと「Olympics」の文字が描かれてるぞ。
文字は小さくてよく見ないとわからん。 正道会館の格闘技オリンピックってのもあったし
オリンピックは使用が緩い感じ >>970
使うようになったのは全日本に動いてからだったか >>959
カブキにはこの十代の頃にプロレスのイロハを教えられたらしい・・・ >>976
馬場全日本での最後の相手がゴディだったのも因縁か フリーバーズが試合後の乱闘で鶴田と天龍を蹴散らしたのに
カブキがリングに入った途端、怯むのはリアリティが無いと思った
ダラス地区の事なんか観客は誰も知らないんだから >>976
嘘くさい
そんな話もし出したのゴディが死んでからだろ
新日本の来日をキャンセルしたブロディが全日本に戻れるようにフリッツから馬場に頼むように言ってくれとカブキに頼んできたとか信憑性ゼロなんだよ
馬場に頼んでくれとカブキに言うならわかるけどなんで自分の方が親しいフリッツに頼むのにわざわざカブキを通すのかと キラー・カーンの「ブロディに二―ドロップを教えたのはおれだ」と似たものがあるが
「死人に口なし」になってから言い出す奴は信用できない >>979
本当はカブキがフリーバーズの2人に「日本のファンは俺とお前らがダラスで抗争していたこと
なんか知らないから、俺のことは気にしないでくれ」と言っておかないといけないんだけどね。
プライドが邪魔して、自分が日本じゃ中堅に甘んじているって言えなかったんだろうな。 >>982
アニマル浜口がウォリアーズと対戦する前に「地元なんで見せ場いっこお願いします」と頼みにきたみたいにフリーバーズに試合前頼んだのかもな >>980
大阪には「俺は、中学時代の清原(あるはいは桑田)に、
野球を教えてやったんだぜ!」と自慢するオッちゃんが
100人はいるという(苦笑) >>980
エリックの息子たちが新日に上がっていた当時なのにホント有り得ない話だわ
カブキって残念な人だな アメリカでそこそこのポジションに座った日本人連中ってホラ吹きばっかりか? >>986
本人に言わせるならジョークか方便ってとこかも ×330パウンド(150kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー
〇481パウンド(218kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー 高千穂はSWS行った時から悪口言い始めたんじゃなく、馬場が死んだ途端に悪口言い始めたからな。 【ブルーノ・サンマルチノ】昭和の全日本プロレス111【デビッド・サンマルチノ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1629206822/
引き続き、小兵ながらもリングを熱くしたこの親子について語ろう >>990
息子はともかく、親父は「小兵」なのかな?
現役時代、影ではともかく、本人に面と向かって「チビ」という
レスラーや関係者はほとんどいなかったはず。
そう言わせないだけの実績とオーラがあったしね。 ホーガンみたいな身長があってスタイルの良いレスラーはなかなかいないからな ウインダム、スパイピーが筋肉質だったらもっとブレイクしたかも ビリー・グラハムなんかはホーガンよりちょっと小さいくらいで
アメリカではウケたけど
日本ではでくの坊として見られた >>992
首太い肩周りと背中の筋肉がブ厚いから
大きく見えるんだよねマルチノ(清水一郎アナ式の呼び方)
ブリスコも意外と上背が無いけど背筋が発達していたから小さくは見えない
一方で靴を履かない状態だと驚く程小柄なのがブッチャーとフレアー
>>995-996
そりゃグラハムはインタビューフリートークの巧さと
あのコスチュームが大ウケした上でのトップ待遇だもの 馬場鶴田天龍vs木村原鶴見 が全日本プロレス史上最高峰の闘い! このスレッドは1000を超えました。
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