カブキ 灰色の追憶 付き人制度の蹉跌

力道山が相撲界からプロレス界に持ち込んだ物の1つに付き人制度がある。
上位レスラーに与えられた特権で、付き人となった若手は先輩の身の回りの世話をする。
ただ、これはそのレスラーの人生を大きく変えてしまう恐ろしい制度であった。

日プロに入団したカブキは芳ノ里、豊登、吉村の付き人を務めた。

1960年代後半の日プロ全盛時代。
芳ノ里社長は全国で超VIPと会合し、都内では高級店をハシゴしていた。
カブキは付き人としてついて回り、社会を勉強したのであった。

後の馬場や猪木もそうだが社長の付き人というのは出世の最短コース。
日プロがそのまま順調にいけばカブキにも明るい未来が待っていたに違いない。

だが猪木と馬場が抜けて日プロは崩壊。
猪木と馬場が憎むべきダラ幹の筆頭が社長の芳ノ里。
その付き人で芳ノ里派のカブキには国内にもう居場所がなかった。

カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
マシオ、大熊、クツワダ、佐藤ら馬場の歴代付き人の格下にランク。
大仁田、渕、園田、天龍たちのコーチと踏み台としての役目しか与えられなかった。

日プロから全日本へ行って天から地へ落ちたのである。

UN王座や海外遠征など、カブキは大きなチャンスが逆の結果となることが多い。
この付き人制度もまさにそうで、日プロ社長の付き人というもっともよい位置にいたが
それゆえに馬場と猪木から蛇蝎のように嫌われてしまった。

思うにカブキが最初に馬場についていれば、そのままうまくやっていたであろう。
芳ノ里についたことにより天国から地獄への垂直落下を食ったのだ。

このように付き人制度はレスラーの人生を変えてしまう恐ろしい制度であった。
そしてカブキはその恐ろしさを、自らの身を持って万天下に示したのである。