【まだわかりません!】昭和の全日本プロレス98【まだどっちが強いのかわかりません!】
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【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
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【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
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【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 ジョー樋口は失神芸はオリジナルだが、ミスター高橋は若松マシン時代に阿部四郎のパクリまでやっていたよな。 >>693
ハンセンの身長が192p→195pになったのは、1991年の夏だったはず。
全日本のパンフレットで表記が突如に変わったからハッキリ覚えている。
ウィリアムスなんか
197p(新日本初来日)→192p(全日本登場時)→190p→188p→186pと、どんどん下がっていたなw
でも、ショックだったのは実際会場で見ると180p程度にしか見えなかったこと。
>>708
田上なんか十両だけど元横綱・輪島の頭を蹴っていたもんなw
川田との対談で、言われて輪島を呼びに行くと「玉麒麟、来るんじゃねえよ!」
と敬遠されて、どうしたらいいか困ったと言っていたな。
>>722
あの奇声のインパクトは凄まじいよ。一度聞くと頭から離れないw >>736
>ハンセンの身長が192p→195pになったのは、1991年の夏だったはず
鶴龍より小さい三沢川田との絡みが増えたから、そのサバ読みに合わせたんだろうな
>197p(新日本初来日)→192p(全日本登場時)→190p→188p→186pと、どんどん下がっていたなw
公称195のゴディより明らかに小さかったから修正しないといけなかったか。
にしても197とか、公称188の武藤より小さいのに盛りすぎだろw
>あの奇声のインパクトは凄まじいよ
ブッチャーのあの奇声、孔雀の鳴き声にそっくりなんだよな ハンセンとベイダーは握手してもらったことある
でけえなあと思ったのはハンセンでベイダーは小さかった
試合前だったからまだ厚底シューズ履いてなかったんだろうなと思った 全日本のタイトル戦線と言えば平成で確立した三冠・世界タッグ・世界ジュニア・アジアタッグのイメージ
昭和ならPWF・インタータッグ・UN・アジアタッグの時期が一番長いか >>739
70年代だとデストロイヤー持参?のUSもそれなりに稼働していた >>730
ああ、こいつ、鶴田スレで
荒らしまくってるバイキン野郎だな。 USの位置付けは確立させておきたかったと思う。
PWFよりは下なんだろうが、UNとの違いとかもあやふや。
全日以来でもマスカラスやブッチャーが戴冠している一流タイトルにも思える
ブッチャーは被っているしマードックが獲ったUNと同等かな、とも。
まぁ覆面系の挑戦者は困った奴も多かったが。 そう言えばUS王座ってどうなったんだろ?ブッチャーとの抗争やマスカラス相手とかは目立っていたが、
デストロイヤーが日本にいた終盤の時期は、防衛戦すらやらなくなっていたような? USはずっとアメリカでも防衛戦やってる形跡あったから
メジャータイトルだと思ってたが。 学校での身体測定が午前中に行われるのは
軟骨が減って身長が小さくなる前に測定するというのが目的
午後に身体測定をすると午前と比べて身長が小さくなっている
プロレスぐらい激しい運動をすれば身長で5cmぐらいの違いは出てくる >>742
事実を書いたら荒らしってw
流石プロレスアンチだな。 >>744
デストロイヤーが72年全日に初参戦した時に持参したUSヘビー級王座は
70年ハワイでモラレスから奪取した北米ヘビー級王座といわれている。
全日での初防衛は72年岡山武道館でのサンダー杉山戦
73年日本陣営になるとPWF認定USヘビー級王座となり、以降第1回カーニバルや
秋のマスカラス戦、覆面十番勝負と定期的にに防衛戦が行われた。
日本滞在中にマスカラスとブッチャーに移動したがいずれも奪還に成功
79年の帰国と同時に自然消滅したベルト
覆面世界一になるとUSと同じデザインのベルトが制作された。
https://livedoor.blogimg.jp/fmiz/5a8b6d66.jpg デストが絡まない唯一のUS戦は蔵前でのブッチャー・鶴田なんだな >>748
PWF争奪戦の頃に日本で防衛戦が行われてたのか
全日本で杉山がタイトル戦に絡んだ試合があった事に驚いた >>746
>身長は朝と夜で異なります。これを知らない人は、身長を測定するときに間違いを犯して
いると思うかもしれませんが、身長は最大2cmまたは3/4インチ変動する可能性がある
http://www.heightdb.com/blog/best-time-of-day-to-measure-your-height#:~:text=Humans%20lose%20height%20from%20morning,we%20couldn't%20possibly%20move. 最初は馬場の個人王座的に始まったPWFだがカマタからブッチャーまでの移動を絡める事でそれを弱めた印象
逆にNWFは猪木に渡って以後は全て猪木絡み 坂口からシンが奪った方の北米ヘビーなんか、リターンマッチどころか防衛戦すら行われなかったな。 アジア王座も全日本が先手を取った以降はほったらかしだし 上田が持っていたWOW世界ヘビー級チャンピオンというわけのわからんタイトルもあった そう言えば上田の新日本初登場はアジアリーグの最終戦だったか >>755
確か上田が最後に全日本に参加したシリーズで持ち込んだんだか
力道山の墓前にも報告してたし >>752
猪木引退後に一時的に復活したことはあった。 >>758
あれはやめて欲しかった
IWGPよりNWFの方が猪木全盛期のイメージがあるから
安易な復活なんかせず、もっと大切に扱うべきだった。 地方のプロモーターからタイトルマッチの希望が多いから弱小タイトルは必要と言う話もある プロモーターというか小鹿かも、小鹿が抜けてから三冠やタッグのベルト統一の話が出て来たし 天龍vs上田のランバージャックマッチ見たときは
鶴見が憎くてしょうがなかったな >>762
流石はアジアタッグの小鹿
同時に再編しても唯一不変なアジアタッグ >>761
UN王者は、NETテレビの猪木中継のために必要になったんだからな。 >>763
あの頃の天龍は、ムキになって上田に突っかかっていたなw インター王者とUN王者のどちらが強いのか決めよう。と猪木が言っていたことを
馬場がやってしまった。 >>768
序列としては、インター>PWF>UNでいいのか?
WCW USヘビー級王者ゴールドバーグ>WCW世界ヘビー級王者ホーガンがあった。
こうなると序列が訳分からなくなる。 >>769
コールや試合順からすれば長州まではPWF>インターの印象 よく出る話だが力道山時代からの伝統があるインターナショナルが一番格上が定説
一番下は団体のNo.2が持つベルトのUN 全日の場合、セミでPWFの馬場VSロビンソン、メインがUNの鶴田VSブッチャーとかあったな >>771
会長と社長の関係みたいな物かと思ってた
そもそもインターと言っても力道山と馬場のそれは別物でPWFは力道山版の復活とも解釈出来るだけに >>771
> よく出る話だが力道山時代からの伝統があるインターナショナルが一番格上が定説
馬場もそういう意識が無かったら長州にPWFは巻かせなかっただろうしな。 長州がPWFを取った時点で馬場の返り咲きはもう無くなったんだよな
そして三つのタイトルの序列が意味を持たなくなってきたのも三冠統一の要因 インターナショナル選手権はNWA認定なのか?PWF認定なのか?そのへんもその時の都合で行ったり来たり >>772
ブッチャーがUNを奪取した試合でありそもそも初挑戦なんだよな
その後のレイスの奪取も合わせてあの辺りからUNの価値自体が上がってきた印象 >>776
馬場時代の初期はWWAと日本プロレスコミッションの認定 倉持アナウンサーから「日本の至宝インターナショナルヘビー」と教え込まれて来たから、鶴田がブロディから日本人に奪還して嬉しかったな。
故に個人的なイメージだけど権威としてはインター>PWF>UNだな。
好きなのはインター>UN>PWFだけど。
選手権試合で印象深いのは鶴田王者時代のUNが好き。鶴田王者時代のインター戦は鶴田が強くなりすぎてブロディ戦くらいしか印象が薄い。 昭和56年までは、インター王者大木>PWF王者馬場>UN王者鶴田という序列か。 全日本としての解釈では日プロ崩壊後からドリーが就くまでのインターはタイトルとして無効
単にベルトを大木が個人保有していたに過ぎないという扱い 日プロが崩壊して全日に合流した時、大木は全日でインター防衛戦ができると思っていたアホだからな。 >>784は韓国が好きそうだけど
原爆頭突きのネーミングを考えたのはマスコミだよ SNSで昔のカブキの写真見たけど
まあ汚らしいな
あんな不潔な見た目の人気者なんか二度と出ないだろう >>786
凱旋帰国当時、様々なオファーを全日フロントが断ったという話があるが今思えば正解だよな >>781
日テレ中継でインターナショナル選手権者大木と言ってしまったからw
馬場はPWFを最低でもインターと同格にしたかったが世間の評価はインター>PWFは動かしがたい >>786
ビートたけしが林家ぺーの体を見て
「ぺーさん、見事な体です。死臭が漂っています。」と言ったが
カブキの肉体の方がその言葉にふさわしいと思う >>781
全日の勝手な解釈ね。
健吾→チャボ→大仁田へと移ったNWAインターナショナル世界Jr.ヘビーの解釈は? >>790
そりゃチャボはベルト込みで引き抜いたんだから、倒産会社残党で自称王者の大木と比べるまでもない。 最終的にはインタージュニア〜世界ジュニアとして上書きしちゃったからなあ。 インターヘビーのWikiによると「大木は馬場の推薦で韓国のプロモーターとしてNWAに加盟しており」とあり、
韓国で猪木、杉山、ブッチャーらと防衛戦をやってる。
インターヘビーはNWA認定だったがルー・テーズ→力道山と移動して日プロ中心に防衛戦をやっていたが、
大木が王座獲得後の日プロ崩壊で、韓国に移動して防衛戦は継続されていた。
アメリカ→日本→韓国→日本と主戦場が移動した。 一応力道山が米国(ハワイ?)にてテーズからタイトルを奪取したけど、それ以外にアメリカで選手権試合が行われたことあるのだろうか? >>793
大木は猪木との防衛戦までに二年のブランクがある >>790
王座のアメリカ側の肝煎りであるエディ・グラハムが全日本に再接近したのも大きい感じ
結局新日本は同王座の存在を無かった事にしてソントンのベルトを改めて導入 >>788
オープンタッグ以降の日プロ時代のインターの権威を知らない新しいファンにとっては単に大木の持ってるベルトでしかなかったろうが
再びインターが伝統あるベルトと喧伝されだすのはドリー以降だし >>794
ハワイじゃなくてロスのオリンピックオーデトリアム インターナショナルヘビー級選手権試合のタイトルマッチ宣言
NWAが認定するインターナショナルヘビー級選手権試合であることを宣言する
↓
NWAが認可し、PWFが認定するインターナショナルヘビー級選手権試合であることを宣言する
上部組織のNWAが認定するから下部組織のPWFが認定するに変わったということは
インターナショナルヘビー級選手権の格下げじゃないのか
タイトルマッチ宣言ではNWAが認可し、PWFが認定すると宣言していrが
全日本プロレス中継のテロップでは
NWA認定インターナショナルヘビー級選手権試合
統一性がとれていない 大木が日本プロレスと新日の合併を拒否したのはそれを容認したら
インターナショナルは当然猪木のものになるって理由もあっただろうね
全日でのインターナショナル復活トーナメントはこれでもかって位に気合が入っている
馬場、ドリー、テリー、ブリスコと元NWA世界王者が4人にブッチャー、ブロディだから 気合が入ってたら
決勝が松戸なんてしょぼいことにはならない
オープンタッグ並みの大会規模になってるよ >>800
ハワイに事務所もなく、実体のないPWF認定なんて格下げどころの話じゃないだろ。 そもそもNWA本部が本当に認定管理しているのは世界ヘビー級王座だけ
インターの三タイトルが正式に全日本の管理と認められたと報じられたの82年のNWA総会の時だったか 最強タッグとテリー参加以外のシリーズはほぼガラガラ。
そこそこ入ってたのは札幌と後楽園だけ。
大会場で勝負することもままならないころだね。 トーナメントの時の最大会場は横浜文体だったか
久しぶりにファンクスがインタータッグに挑戦の NWA世界ヘビー級チャンピオン
威厳のある響きをいまだに感じさせられる。 >>802
当時の馬場は日本テレビにおんぶに抱っこだから会場の規模はどうでも良かったのだろう。 日プロが日テレの怒りを買うようなことしなければ、馬場はサラリーマンレスラー続けただろうしな。 >>801
スレーターが予定通り参加していたら、どんな方法で負けさせられたのかな? >>460
ルート配送のルーティン仕事なら嫌でも頭に入るだろうよ
天地開闢依頼のβακα..._φ(゚∀゚ )アヒャ >>810
当時の日プロ幹部は何かNET側に弱味でも握られていたのかってくらいだったよな
むしろNET側を怒らせたくないって感じで >>814
新日との合併を拒否しても「NETはうちの放映を打ち切らない」と楽観視していたのは
「うちとNETには絆がある」と勝手に勘違いしていたのかもしれんね
エース:大木 No.2:高千穂なんてそんな団体を誰が続けるんだよ 81年は日テレに現存する素材も少ないし、改革に着手する前で観客動員が一番苦しい時期だったは だからこそ起死回生のハンセン獲得だったんだよな
最強タッグでの登場が最高に盛り上がったのはそれまでの苦境も大きかった >>791
ベルトを持って来れば「移籍金+ボーナスをやる!」と馬場に言われたらしい・・・ >>805
やっぱり1981年CC広島大会、空前絶後のガラガラが全日本らしくて好き。 >>821
広島は元々弱いところだが
あるいはブッチャーが全日本離脱を決めたのはあの辺りか 1980年サマーアクションシリーズ、1981年エキサイトシリーズやスーパーパワーシリーズのガラガラも堪らない! 80年サマーはブロディの集客力の無さの代表みたいな感じ
もっともあの時点ではまだブロディにはテーマ曲も無く売り出しも中途半端な印象だが 1980年や1981年位のガラガラの地方興行体感したかったわ >>824
後楽園のUN挑戦は初期のベストバウト
鶴田の全力ドロップキックで旋回するぐらい吹っ飛ばされて胸板から流血してた ブロディが全日本で最初に取ったベルトが復活間もないインターだったというのも面白い 松戸はBI時代の日本プロレスコミッショナーだった川島庄次郎ゆかりの地
しょぼいどころがインター王座復活の地が松戸であることに大きな政治的意味があった インターナショナルヘビー級選手権
インターナショナルタッグ選手権
インターナショナルジュニアヘビー級選手権
この3つのインター王座は同じインターでも生まれも育ちも全く違う 共通しているのは準世界王座的な位置付けという点かな >>811
テリーがCCやインタートーナメントの決勝に進められんかったパターンじゃない?
ブロディとなかなかおもろい試合してるのにも関わらずブッチャーの乱入に気を取られてリングアウト負けとか セントルイスではブリスコがスレーターとブロディのアシストをやってたんだな ブリスコって
ビスコみたいなネーミングでイマイチだったなあ。子供の頃だが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています