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487 お前名無しだろ (ワッチョイW e36d-0zgZ) 2020/10/01 11:32:30
>>482
いつから?力道山の時代からだね
格闘技にしろ、リング上では無くとも事前に会見やらで舌戦を繰り広げるのは普通
プロレスに何を求めているんだ?
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
新たな世代交代の懐古マニアも出てこないしねぇ、だってwww
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
https://aucfree.com/m/search?from=2019-11&o=t2&q=%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B0+1968&to=2019-11
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場崎町ダノン猪之木町だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
679 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/05 12:02:42
>>503 のソース拓取ったから啓蒙ついでに貼っとこう
http://imepic.jp/20201005/430880
ゴング創刊号(1968)年の各号がついにオクで一円落札に…(笑)
流智美先生曰く「この辺のプロレスの懐古ネタってのは、ただ知ったるだけで何も生まない。
他の娯楽・スポーツジャンルのレトロソースには大概は後世のファンにとっても教示・教訓的な要素があるけど、プロレスにはそれが全く無いから、それを掘り下げてみようっていうマニアも出てこないんだよ。」ですと。
馬場だの猪木だの木村だの、彼らがやってきた事績のどこを探しても、今さらそれを語って人間的な深みを増すような要素は皆無だからね。とつけ加えた(笑)
浅薄な懐古ヲタ系全日本&スターダムヲタが日夜ネットに碌でもない書き込みして、愚にもつかない日常・人生を送ってきたのがそのもの確たる証左だ >>5
フレアーがパンフレットに載ってるが来日中止は本当にに急だったんだな、世界選としてチケットを売ってたんだ 創立1周年のポスター
鶴田友美、体重132キロって・・w >>5
ラッシャーと健介の間の若手は誰だっけ
山本?字が擦れてて判別不明 >>9
鶴田の体重って、公式発表では
星パン時代ー115s
鶴龍コンビ時代ー120s
鶴龍対決時代ー127s
だっけ?
天龍によると、一番重いときは138sあったが、
馬場より重いのはまずいと修正されていたとか
リタイア後はだいぶ減ったけどどれくらいだったんだろう? >>6
妊婦みたいな膨れたお腹…これ写真加工してるだろ
三沢をこんな風に貶めるなんてひどい 開始早々スレと関係ない画像貼られて会話が止まってしまった こういう当時のパンフレット家にけっこうある。アイドールだったかな?ショップで買って割高だった。 >>5
高野俊二が合流してないシリーズもあったのか 俊二がマクドナルドで大暴れして
全日所属と嘘言って立ち去った記事を見たことがある。
読者投稿だったかな。 >>10
実際顔立ちは整ってるだろう
ただ決定的に華がない地味イケメン
菅原もそんな感じだったけどあれは和風ハンサム
保永の場合はいわゆるバタくさい顔なのになぜか地味w 創立1周年のポスターと15周年のパンフのレスラー見比べると優しい顔が一気に増えてる
というか初期のレスラーが怖すぎw鶴田を入れたのは素質もあるけど爽やかさを出したかったのもありそう
https://stat.ameba.jp/user_images/20201008/20/van-der-rohe/c2/13/j/o1080123814831860551.jpg >>5
86年のラシアンズはこの面子に混じってパンフ表紙飾るのが不自然な感じだな
一応ニキタがPWFに挑戦はしてたけど完全に顔見世来日
初来日の新春シリーズはともかく二回目でもお客さん待遇のままだった
そして87年の方ではパンフで大きく載ってるのにほとんど出番がなかったゴディ
ピンで来てたニキタは顔すら載ってないけど というか87年が外人レスラーいなさすぎ、ムーンドックズとかいたのに >>25
高野がファストフード店に入って「早く持ってこないと店ぶっ潰すぞ」と凄んだりして、店のペナント奪って帰ろうとしたのを店長が必死で取り返したって話だったよね。店長自身の投稿だった。「店を潰す?相手レスラーも潰せない貴方に店が潰せますか」「かつて龍原砲に潰されてリング上で流した涙は何だったのか」とか、なかなか名投稿だった。 >>32
つい最近ドラフト会議の歴史の本で入団時の星野の写真見たからなんとなくわかるw 佐藤とかいい人エピソードいっぱいあるけど風貌や客向けにはぶっきらぼうだったね、
鶴見もそうだが童顔だからわざと怖い風貌にしてるのも多いんだろうな 俊二高木仲野の3人はかなり悪さしてたらしいな
ゴディやホークなんかのヤンチャ外人ともつるんでたらしい デストとマードックは前歯が無いし
佐藤は小林旭も入ってる
杉山は左右対称すぎて怖い、、 >>27
ミツ・ヒライの写真は何度か見たけどここまで息子にそっくりなのは初めて見た >>31
レスラーの変なエピソードを書いた本にはコンビニで立ち読みを注意されたらその店の雑誌を全部びりびりに裂いたって書いてあった >>27
マードックの表情は怖いというより
アホすぎ。 レスラーは近寄りがたくあるべき、というのもあるけどアメリカ修業時代にヒール役をやってたまんまで日本に戻ってきたというのもあるかも ブッチャーが単なるヒールでなくユーモアを漂わせ始めたのはいつ頃からなんだろう
オープンタッグのフォーク攻撃の時点で本来の悪い怖いブッチヤーが戻ってきたと
言われたんだから
その前からすでにそういう雰囲気になってたということだよね シークと仲間割れした頃からじゃない?
二人の一騎打ちでは大ブッチャーコールだったし
「愛しのボッチャー」にCM出演と続いたから
79〜80年頃だよ。 >>5
マードックてわりと大物扱いだったんだな
新日本時代しか知らないけど フレアーはデビューして間もないのにローデスやマードックとも仲良くしていた
から処世術に長けてるんだろうな。ガニアやロビンソンと映画にも出てたし。
http://imgur.com/dR84CDE.jpg >>48
フレアー初来日(国プロ)はアウトローズと一緒で、その時の写真だね まだ当時は、ブラッシーの方が認知度ある気がするんだけど…..
日プロより新しいのを浸透させたかったんだろうな。 >>45
よく読めよw
>>48
ローデスから最初にNMA獲ったころは初来日でアウトローズに
嫌がらせうけたみたいなノンフィクション(偽)記事が載ってたな
自伝からすると確かに悪質な悪戯もされたが悪気は感じなかったので
本人はそれも含めて楽しい思い出だったと
ローデスとの関係が悪くなったのは80年代にローデスがクロケットプロの
ブッカーになってからだな >>36仲野hsカートへニングと仲良くなってヒロの眉毛剃ったりネルソンロイヤルを
酔いつぶしたりシンにもちょっかいを出してたみたい。 >>52
カートはロビンズデール高校の大問題児だったからな。 カート・ヘニングのイタズラのせいでキッドがカナダ人レスラーにぶん殴られた
んだったな。キッドは嫌われてたからいつかはやられてたろうけど。 >>53
ロビンスデール高校ってリック・ルードやトム・ジンクも輩出した
名門だよね。残念ながらだいぶ前に閉校したらしいが
(地理的にあり得ないけど)ここからウエストテキサス大学に進学したら、
もうプロレスラーになるしかなさそう
日本で多数レスラー輩出している学校ったらどこだろう(除くプロレス学校)? 今日はキラー・コワルスキー耳そぎ事件の日なんだって ユーコン・エリックのまさかのジャーマンスープレックス。
ダブルフォールとちゃいますの?
https://youtu.be/Mss3L0M8b2U フレアーは髪をカールさせてリッキー・ローデスと名乗ることを希望したって話を読んだな
結果的にはローデスではなく第二のバディ・ロジャース路線になったけど >>55
3年にカート、ルード、ジンク、ブーン
2年にニキタとノード
1年はクルスチェフ
とんでもない高校だ。
でもってホークとノートン率いるヘンリー高校と喧嘩ばかりしていたという。
http://www.tomzenk.net/class_76.htm
確か上の世代でフロリダのタンパ高校も人材の宝庫だったんじゃない? >>27
新人の鶴田友美を馬場は全面的にプッシュアップしたけど、他の先輩レスラーたちからの
嫉妬やイジメなんかはなかったのかな?
特に日本プロレスからやってきたレスラーたちは横目に見てて面白くなかったのではないかい
あの国際プロレスですら崩壊直前に救世主のように現れた阿修羅原に対しての嫉妬があったぐらいだし >>60
バカ負けした日プロ勢は出て行った
頭いい奴らは将来食わせてもらうんだなと思って虐めたりしない >>29
ラシアンズはウォリアーズのライバルになり得るという評判だったから 鶴田を虐める度胸のあるやつなんかいるかな…
どう考えても10倍返しされそう 日本でもこのくらいの乱激戦見たかった。
あの頃のブロディアゲアゲは見ていて嫌になるほどだった。
https://youtu.be/ATDeOyk9cuc >>60
その辺りはマシオ駒が目を光らせてたらしい >>59
ロビンスデール高校とヘンリー高校の抗争か
きっと高橋ヒロシのヤンキー漫画に出てくる抗争を
数段上回る凄まじさだったんだろうな ウエストテキサス大ではブロディ、ローデス、ダンカンが同級生。
3人一緒の店でバウンサーのアルバイトをしていたそうです。 194センチ115キロをいじめられる奴は
全日にいなかっただろう。 渕が入門しようと訪ねてきた時に鶴田は「君はレスリングをやっていたのか?」と喜んで
渕とスパーをし続けたそうだから日プロの連中は負けるのが嫌でスパーを拒んでたんじゃね 日プロ連中の方が実は
新日とかよりシュート知ってるんだよね >>47
デビアスより早く次期NWAチャンピオン候補だった逸材 >>76
妄想乙www
前スレより
487 お前名無しだろ (ワッチョイW e36d-0zgZ) 2020/10/01 11:32:30
>>482
いつから?力道山の時代からだね
格闘技にしろ、リング上では無くとも事前に会見やらで舌戦を繰り広げるのは普通
プロレスに何を求めているんだ?
503 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/01 20:18:42
>>487
力道山がどうしたってw
どうでも良いけどゴング創刊年(1968年)のバックナンバーがヤフオクで古書転売業者に衝撃を与えた一円落札されて早一年w
流センセ曰く、十数年前には200人位いたカイコプロレスマニアが鬼籍に入って今は50人くらいに減ったからじゃない?
新たな世代交代の懐古マニアも出てこないしねぇ、だってwww
大暴落では〜い、レトロプロレス終了ーーー( ´,_ゝ`)プッ
https://aucfree.com/m/search?from=2019-11&o=t2&q=%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%B0+1968&to=2019-11
この後、この年代の出品・落札履歴なんかも殆んどナシw
数年前は一札3000円位で落札されてたのに昭和レトロプロレスアイテムの超大暴落っぷり見てると馬場崎町ダノン猪之木町だのってこの辺は「本当に」オワコンだなw
市場は正直だからな
679 お前名無しだろ (ワッチョイW 8324-yKFi) 2020/10/05 12:02:42
>>503 のソース拓取ったから啓蒙ついでに貼っとこう
http://imepic.jp/20201005/430880
ゴング創刊号(1968)年の各号がついにオクで一円落札に…(笑)
流智美先生曰く「この辺のプロレスの懐古ネタってのは、ただ知ったるだけで何も生まない。
他の娯楽・スポーツジャンルのレトロソースには大概は後世のファンにとっても教示・教訓的な要素があるけど、プロレスにはそれが全く無いから、それを掘り下げてみようっていうマニアも出てこないんだよ。」ですと。
馬場だの猪木だの木村だの、彼らがやってきた事績のどこを探しても、今さらそれを語って人間的な深みを増すような要素は皆無だからね。とつけ加えた(笑)
浅薄な懐古ヲタ系全日本&スターダムヲタが日夜ネットに碌でもない書き込みして、愚にもつかない日常・人生を送ってきたのがそのもの確たる証左だな >>25>>31
SWSネガティブキャンペーンのまっただ中での投稿だった。当時は既にSWS所属だった
のに「全日本プロレス!」と吐き捨てるように立ち去ったなんて書いてあった。
>>35
童顔で「ヤングアイドル」と言うキャッチフレーズだった後藤は佐藤の命令で髭をはやし
てコスチュームも変えて野性味溢れるキャラへ転身させられた。
>>67
プロレス入りしてイロハを教えてもらい一番の恩人だった。 大熊小鹿とひとくくりにされがちだが二人は立ち位置がかなり違う。
大熊は馬場の元付き人で全日旗揚げメンバー、小鹿は日プロ残党。でも小鹿のほうが海外の実績やレスラーのポジションも上。
本来なら先輩格上で小鹿大熊組となるのだろうが、チームリーダーは小鹿、名称は大熊小鹿でバランス取ったのかなと?単なる大小のゴロあわせじゃなさそう。
元若手達から悪い思い出しか聞かない小鹿だが大熊は酒以外での嫌な話は聞かない。酒が絡むとちょっとねという感じなのか。 >>81
川田も大熊は良い人だったと言ってたね
全日本若手の嫌なエピソードとして大熊に夜中酒を買いに行かされたのがあるけど、それくらいしか問題なかったのかも。小鹿は色々あるが 佐藤のインタビューで日プロ時代の馬場夫妻と大熊佐藤がいつも一緒にいてアットホームな雰囲気だった話は読んでて凄い和んだ。
だからこの二人はその後もなんも問題なかったんじゃないかと思ってる >>68
スゲー、教えてくれてありがとうございます。 大熊「馬場さんはうそつきだ」
日プロ時代にしたギャラの約束が守られなかったことに不満があったらしいが
自分が客を呼べない存在だった事を弁えていたから、致命的なアレはなかったらしい 練習やらせりゃなんでもこなし、試合じゃ超一流相手に馬場のパートナー
嫉妬してるのは大勢いただろうけど鶴田をいじめられる奴なんか皆無だろ
駒も見張ってたらしいしな 新日はいつの時代にも新弟子が複数人いたから雑用も何日かに一回だけど
川田選手や小川選手みたいに連日のちゃんこ番や電話番、先輩からの雑用を言われすぎちゃって、あんなクセの強い性格になっちゃったんかな 若死にするのは信頼していた駒、可愛がっていた薗田に付き人も務めた大熊と
馬場の現役中は、お気に入りのレスラーが先立っていった。
羽田に関してはどんな感情があったのかな? 大器と信じて盛り立てようとしたが内臓疾患で挫折
ミスター林と同様に団体に居座り続けたお荷物 >>64
日本とは逆にバック・ロブレイがストンパー側に付いてるのが面白い。 >>86
鶴田も最初の頃は嫌がらせみたいな事はあったみたいだけど
帰国して最初の巡業の集合場所に下駄履き姿で現れて呆れられたり
(鶴田曰く自分に合うサイズの靴は売ってる店も品数も少ないので
大学の頃から少しでも靴を長持ちさせる為に下駄や草履で過ごす事が多かったとか)
当時は酒が飲めないタチだったのに
連日夜の宴席に参加してはぶっ倒れて宿舎まで肩を担がれて運ばれたり
リング設営や雑用に加わっても意外に不器用で要領が悪いせいで
駒クツワダ百田兄弟等から「ジャンボもういいよ俺達でやるから練習でもしてろ」と周りから遠ざけられたりしたりと
あまりにド天然でマイペースである種いじられキャラ的な振舞いの数々もあって
“いじめがいの無いヤツ”と思われて放っておかれたというのが本当の所らしい >>84
73年国際ビッグサマー参加選手はアウトローズ、フレアー、バディウォルフ、スカンドルアクバの5人。
アクバは中東系なので黒髪。ということだな。。
正直、俺は70年代半ばからのファンでこんな知識も伝聞なんだよ。数年早ければ猪木追放、鶴田入門も
目の当たりに出来たんだがねえ。生まれてはいたんだが。 >>64
チャンカンでストンパーが秒殺されなきゃならなかったのは会社の命令なのか?
だとしたら馬場は最低のクソ野郎だな、元国際のエース外人を辱めて…
次のシリーズではグレート小鹿にシングルで負けさせやがって >>93
アレックス・スミルノフがエース級の国際をかばわれても。。。 TBS系列がなかった田舎の県では
馬場も猪木もでないプロレス興行がきても
今日は馬場はでないのか?という声ばかりだったからなあ。 >>93
国際は馬場と引き分けた、負けてないって事をアピールして塩なストンパーを目玉外人に使ったんだからお互い様だろ >>87
試合会場で先輩から雑用を言われて自分の試合の準備もできない川田が編み出したのが
トイレでリングシューズを結ぶと言う方法だった。さすがにトイレで雑用を頼む人も
いないかな?若手時代に入場が遅れて観客の横を通り抜けて息を切らせながら走って
来たのが凄く印象に残っている。まだパンフの印字は「カワダ」だった時代・・・ >>93
ブロディからの要望もあったんじゃないの。「俺が勝つ時は長くても3分台にしてくれ。10分で勝つよりもはるかにインパクトが大きい」とか言って。
デビアスには10分近くかかって勝ったが、これは両者の格を考えれば、よくてブロディのリングアウト勝ちが妥当。だが、ブロディも帰国したら、次期NWA王者最有力候補にフォール勝ちしたという格好の宣伝材料になるから、馬場に頼み込んだんじゃないか。 >>93
馬場本人はリーグ戦の直接対決で引き分けてんだから、
ストンパーを辱める意図はなかったんじゃないの?
途中から急激に戦績が悪化したのには、なんか裏がありそうだけど
でも>>64のビデオ見る限りは、ストンパーって体格もパワーも
ブロディに見劣りしないね(肌の弛みに年齢は感じるけど)
もう少し上の方で使えなかったのかな? >>81
戸口がインタビューで新人の頃イジメをしなかった例外的存在として平井と大熊を挙げてたような それにしても雨で休みの日の運動はゴディダンスにかぎるな! >>100
イジメに関しては京平や仲田龍もやられたって言ってたな
真夜中に花札買ってこいとか 越中は大熊に頭突きの練習に付き合わされたと言ってた
しごきであってもイジメじゃないというのはイジメた側の理屈 大津のイジメ自殺裁判の被告も「遊びのつもりだった」で押し通してるしな 大熊は酔っ払って生意気な屋台のオヤジをボディスラムで投げて屋台引っ張って帰って来たというエピソードあったけど今なら大事件だな >>105
「たけしのテレビに出たい奴みんな来い」だっけ?
クマさんが芸のスベった出演者をたたき出す場面思い出した
その時のクマさんはマフィアみたいに全身黒づくめで、
リングの上よりずっと強そうに見えたw 昭和のレスラーは、伝統的に先輩からの理不尽な要求なんて
普通にあったんだろうな〜 (みんな通って来た道みたいに)
だからそんな事に加わらなかった先輩が凄くいい人に思えてくる。
草津のように精神的(マッチメイクや仲間外れ)に追い詰める虐めはキツいけどね 小鹿の様々な悪行を聞くと「全日をクビにされた」なんて言っても全く同情できない
むしろあの時期まで雇ってもらえて感謝しやがれとしか思わん
川田の自伝ではジェリー・モローの話は出てきても小鹿の小の字も出てこない
三沢も小鹿と全く関わろうとしなかった ハンセン組VS馬場・大熊組、長州・浜口組VS天龍・大熊組などで、
10分過ぎくらいに馬場や天龍が場外乱闘を始め、リング上は大熊だけになったときの終末感 >>110
それ大熊に限らないだろ。石川の方が多かった記憶。
鶴龍コンビで最強タッグ優勝前の天龍だって
馬場と組んでハンセン組と当たった時はそうだった。 月刊プロレスで、大熊と上田が二大酒豪と書かれてた。
大熊がワンカップ30本で上田が缶ビール60本とか。 今日は師弟コンビがロビンソン・ワフーにインタータッグ防衛して四十年
とにかくこのシリーズは豪華だった印象 >>109
>むしろあの時期まで雇ってもらえて
結局、日プロ残党の9人では一番長いこと全日にいたんだっけ?
退団は高千穂の方が後だが、海外長かったから
全日本の在籍期間は小鹿の方が長いはず 昭和全日本でのアジアタッグは挑戦者も含めて生抜と外様の混成といった感じが強いんだよな
それもまた団体内融和の一環といったところか ハンセンがクルト・フォン・ヘスと組んでのタッグ戦
ハンセンが場外乱闘してる間に、ヘスが馬場か鶴田にフォール負け
試合後ハンセンがヘスを制裁、なんであんな暴挙が許される 全日本でのヘスって蔵前の馬場とシンの対戦に上田と一緒に乱入してきたのが一番の印象 >>113
確かに豪華だった。
柱は全戦参加のブッチャーと後半から参加のテリーの抗争。
しかし前半参加の過去に因縁のあったロビンソンとワフーは絡みなし。
勿体無い。 >>104
イジメのつもりだったと言ったら
罪になるからだろうな。 このシリーズはスタッドが全日本初来日。
しかし豪華メンバーすぎて霞んだ。
結局はスタッドは全日本はこの一回だけ。
後は新日本常連になるも中堅外国人留まり。
勿体ないと思うけど。
でもスタッドも日本よりアメリカ中心だったから仕方ないか。 ムース・モロウスキー(ジ・アベンジャー)とスコット・アーウィン(ジ・アステロイド)の
新旧大型中堅選手もスタッドのでかさには霞むか。 スタッドよりデカいレスラーなんてアメリカ本国探しても
アーニー・ラッドくらいしかいない(アンドレは新日が手放さないし) >>122
スタッドもラッドもモッサリしてたな
あの2人と同じくらいのサイズでドロップキックができた
馬場って、本当に運動神経よかったんだな >>116
当たり前だろ。
大枚はたいたガイジンエースと出涸らしに近いガイジンなんだから。
別にハンセンが特に世話になったわけでもないし。
待遇気に入らないなら馬場に直接言えばいい。
全日の良いところは馬場と直接話せる事なんだから。 >>124
馬場商店だからね
店主の馬場がOKを出せばそれが答えになるのは全日本の長所 俺は仲間割れや同士討ちは別にどうとも思わなかったけど
エースガイジンが弱体パートナーを試合後
敗戦のうっぷん晴らしに制裁の流れはあまり好きじゃなかったなあ
単純に試合でおまえがガンバレヨみたいなかんじでw ブッチャーとシークの仲間割れ、シークが火をつけてブッチャーは転げ回るだけの一方的な
制裁だったよな。翌年からの対立ブックに向けて、あの方が良かったんだとは思うが。 >>127
翌年の最強タッグでそれぞれチームが分かれて
ブッチャー、カマタ組はシーク、メフィスト組との両軍リングアウトで
優勝を逃すってストーリーにつながるからあれはあれで良かったと思う >>98
全日マットでコーナーポスト最上段からのニードロップを受けたのはデビアスと天龍
だけかな?二人はブロディが実力者として認めていたからかな?これでオーストラリア
でアンドレを幻のフォール勝ちの話があるけど列伝で少し再現されていたが
真実はどうだったのかな?
>>103
そんな越中もギャンブルが嫌いな川田と花札三昧だった・・・
>>107
「スタンハンセンにまたやられた大熊さんです!」とか退場マンとして合格点に足りない
出演者をつまみ出す時に「ハンセンにもそのくらいやってくださいよ!」とつっこまれていたw
しかしハンセンが引退会見で強かった日本人レスラーに極道コンビの名前を挙げたのは
驚きだった。
>>127
二人ともコンビを続ける事に限界を感じて抗争した方がウケると言う判断があったらしい。 >>129
試合後だけど、ドリーと鶴田も食らってる。ドリーは何事もなかったかのように、スックと起き上がってまた乱闘していたが。 あの最上段からのキングコング・ニーでアンドレをフォールしたけど、
トップロープからの攻撃が反則に取られたんだっけ?
オーストラリア説、セントルイス説とあるが… て言うか、81年1月にはセントルイス・キールオーデトリアムで
アンドレとブロディが組んで、フレアー&マードック組と対戦している。 >>132
お前よく知ってるな。
感心したよ、感心 感心(笑)
81年3月号の別冊ゴングに白黒で掲載されてた。
月プロレスに掲載されてたな。
フレアーはまだ世界王者になる前で日本でも馴染みは薄かった時期。
でもこの時期はフレアーは『次期NWA王者候補』と言われていた。
期待のホープとか。
フレアー スレーター デビアス マードック 鶴田
主にこの辺りが次期NWA王者候補と言われとったわな。 ガラケーキチガイは書き込むな!
何を上から目線でよく知っているなだキチガイのくせにw >>131
NWAお膝元のセントルイスでアンドレ幻のKOなんて試合があったら
さすがにいろいろ証言や写真が残ってるだろう
干されたブロディがオーストラリアに出稼ぎに行ってた時の
試合で、写真も証言も残ってないってところに
このエピソードの信ぴょう性があるんだよ NWAお膝元のセントルイスでのビッグマッチ開催の時呼ばれがちなアンドレ
本人へのギャラはNWA王者と同額な上に、ブッキング料まで支払らわなきゃならん
そんなリスクを負ってまでアンドレを呼ぶのはそれだけ集客力があったから
そんな金の卵を売り出し中だったとはいえ、ブロディに負けさしたりするだろうか 阿修羅は試合以外でもセコンドとして試合後荒れるハンセンのラリアットの餌食に結構なった
ちなみにマイティや菅原は喰らったことない >>137
菅原は82年世界最強タッグ最終戦の試合後食らってなかったかな?
嫌々ロープに振られて不格好なかまされかたされてたような覚えがあるけど >>134
バカモンが!
82年にアメリカでアンドレ ブルーザー 対 ブロディ ラッドの試合があった。
その試合をお前は知らんだろ。
お前なんか知らんでいいわぃ。
ようつべ動画でアンドレ ブロディ 対 マードック フレアーは見たな。
昔の海外の貴重な試合がようつべ動画には沢山上がってもうちゃるから嬉しい。
ハンセンとマードックのタッグでの対決も上がってたとか。
かなり前にどっかのスレでカキコられてた。
それは是非見たいんだが、探しても見当たらないんよ。 >>134
バカモンが!
82年にアメリカでアンドレ ブルーザー 対 ブロディ ラッドの試合があった。
その試合をお前は知らんだろ。
お前なんか知らんでいいわぃ。
ようつべ動画でアンドレ ブロディ 対 マードック フレアーは見たな。
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ハンセンとマードックのタッグでの対決も上がってたとか。
かなり前にどっかのスレでカキコられてた。
それは是非見たいんだが、探しても見当たらないんよ。 >>134
バカモンが!
82年にアメリカでアンドレ ブルーザー 対 ブロディ ラッドの試合があった。
その試合をお前は知らんだろ。
お前なんか知らんでいいわぃ。
ようつべ動画でアンドレ ブロディ 対 マードック フレアーは見たな。
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ハンセンとマードックのタッグでの対決も上がってたとか。
かなり前にどっかのスレでカキコられてた。
それは是非見たいんだが、探しても見当たらないんよ。 >>134
バカモンが!
82年にアメリカでアンドレ ブルーザー 対 ブロディ ラッドの試合があった。
その試合をお前は知らんだろ。
お前なんか知らんでいいわぃ。
ようつべ動画でアンドレ ブロディ 対 マードック フレアーは見たな。
昔の海外の貴重な試合がようつべ動画には沢山上がってもうちゃるから嬉しい。
ハンセンとマードックのタッグでの対決も上がってたとか。
かなり前にどっかのスレでカキコられてた。
それは是非見たいんだが、探しても見当たらないんよ。 >>134
お前のせいで連投になってもうた。
お前、昔のプロレスの知識無さすぎ。 アンドレ ブロディ組の動画見たことないわ、いいな。 ハーリー・レイスが場外でアンドレにボディスラムやってアンドレが立てずにリングアウトの完全KOした試合を見たことある ハンセン、ブロディ、ホーガン対アンドレ、レイス、ニック
を知らないのか? お前らなあ、81年最強タッグはブロディ、ホーガン組で参加予定だったんよ。
知らんのか。
ファイト紙がフライング発表したんだよ。
全日のホーガン引き抜きに便乗して。
>>134
お前は知らんかっただろうから知らんでいいわぃ。
ブロディ、ホーガン組
シン、シーク組
更にラシク、クラップ組もシン組に匹敵する極悪チームと煽って書かれてた。
でもホーガンは新日に留まり、ブロディ、ホーガン組は実現せず。
>>134
お前はここは読まんでいいかんな。 お、効いているねw
さっそく狂いながらアニマルウォリアースレで荒らし書き込みしちゃってw カーンが試合中(?)に長州を裏切ってトップロープからニードロップした大会を覚えている方いませんか? >>152
だかましぃ、わぃ、お前なんか探して●●して……ナンツッテ
カーンはウォリアーズ初来日の名古屋でのホークへのニードロップ
あれは凄かった。
長州がサソリ掛けてる状態だったかんな 神無で神無月。 ここ最近のクラシックとかで世界タッグの初期の試合が流れてるけど、最初はPWFタッグのベルトしか使われてなかったの? >>118
まさかブッチャーとテリーがUNを巡って対戦というのも
そして今日はその二年前にブッチャーがロビンソンからPWF奪取の日 >>158
インタータッグのベルトも使われるようになったのは翌年のカンザスから
原にもインタータッグのベルトを持たせたかった >>161
うわーーーーーーーーーん。知らないんだあーーーー。 >>160
なーる
てことはわざわざ2本(計4本)のベルトをアメリカまで運んだんですか。
アメリカで何かしらアピールする狙いがあったんですかね? 実際はこの時の手応えからして今後のメリットなしとして完全な国内体制に転じるんだよな >>157
いや、土曜日の19時だった記憶だから全日だと思います >>137
マイティも喰らっているよ。
最強タッグ夢の対決で福岡で鶴田とシングルマッチの後
原、マイティと立て続けに喰らっている。
ただしなんかもたもたした間があったから
本来は若手が喰らうはずが近眼のハンセンが
相手を見間違えた可能性もあるかもと思う。 >>166
これです!
やっとモヤモヤが解決しました!
ありがとうございます >>166
この試合、週プロでボロクソだったね。自分的にはこの年のシングル戦ベストバウトと思ってるけど >>153
若林「恩知らずのキラーカーン!」のやつだっけ? >>151
その前に10/9蔵前で馬場サンマルチノ×ブロディホーガンの予定があったじゃない?
次いで最強タッグにも来るよ、ってことでしょう。
蔵前の抜かしていきなり、という誤読してしまいそうだよ。 >>167
あくまで俺の記憶だけど三沢が喰らったのは
テリー引退試合での一回だけのような気がする
マイティあったんだね
ハンセンは基本若手か阿修羅にしかやらないイメージがあったから意外だった
ちなみに受けっぷりの良さで印象にあるのが
蔵前で馬場に首固めで負けたときの腹いせでマジックドラゴンにやったときの
ドラゴンの受けっぷりは見事だった いつも天龍プロジェクトオフィシャルWebショップをご利用いただきまして、ありがとうございます。
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『昭和のプロレス』を今お手元に!! >>116 >>117
この時のヘスは来日予定に入ってなく、シンが強引な連れてきてきた
その経緯について、週刊ファイトが書いていた
当時、シンはジョニー・パワーズと組んで東南アジアでの試合をブローモートしており
その仲間としてパワーズがヘスを引き込んだ
シンは、ヘスほどの男を連れてきてやったという感覚だが、全日としてはお呼びではなかった
テレビマッチではハンセンとのタッグで負け役での出番だけだったが、蔵前ではシンのセコンドについた
ファイトの記事を読んでないと、ポジションがわかり難かった 全日でのヘスはスタイガーとのジャーマンズでPWFタッグトーナメントに参戦した時の
もっさりとした印象(マスカラス兄弟相手に一回戦敗退)が強い。
新日ではカール・フォン・ショッツをパートナーに北米タッグ王者として来日、
黄金コンビの挑戦を1回退けて、
国際ではクインをパートナーにIWAタッグトーナメントで優勝しIWAタッグ王者に。
なかなかの厚遇。エース級に次ぐクラスの選手だったんだな。 >>179
Gスピリッツ読んでたらリッキースティンボードの時に視聴率20パーセントいったみたいだね
適当な枠とかスポンサーがあればゴールデン復帰もありそうな感じだった。昭和末期はもう難しそうだったが スタイガー健在ならインタビューしてほしい。馬場の側近で晩年はハワイの管理人してたらしいし。裏話を。 興奮したファンが爆竹鳴らすなんていい時代だったなあ >>116 >>180
ヘス絡みだと確か鶴田天龍vsハンセンヘスの試合だったかな?
ヘスが天龍の延髄斬りでフォール負けした後ハンセンが若手中堅勢に止まらずヘスを攻撃していたのは
後ノーテレビだった筈だけど馬場鶴田にインタータッグを奪回された試合後の控室で
腹いせなのかパートナーのロン・バスを蹴りまくっていた写真が専門誌に掲載されていたりしたね当時は
この辺り新日から移ってきた「外敵」ポジションで尚且テリーの抗争相手でもあった
ハンセンの暴君的なイメージを強調する目的があったのかも (>>186の続き)
後ちょうど今G+でやっている82〜84年頃のハンセンって
兎に角相手の技を受けないんだよねそれ以前やそれ以後と較べても
当時上田馬之助があちこちのインタビューで
「今のハンセンは楽ばかりしている。新日にいた時はもっとちゃんとした試合をしていた。」
と皮肉っていてあの時はまだ子供だったから上田が何故そんな事を言うのかよく分からなかったけど
確かに今試合を観直すと同業者の不興を買いかねないくらいリング上では“優遇”されていたねハンセンは 同士打ちでハンセンのラリアット食らったのって、ヘスじゃなかったっけ。 >>187
ろくにセールやピン負けもせず肩揉みみたいなクローばかりの上田のほうが楽してるだろ。 受けずに楽してると言えばシン
かなり後に猪木戦を見て技は受けるわブレンバスターとかやるわでかなり驚いた >>183
最強タッグ開幕戦、土曜5時半で21.8%の高視聴率だったがこれはニールセン物だった。
日テレはなぜか?ニールセンを重要視していたが他局や広告代理店はビデオリサーチを
重視していた。ただこっちでも14.4%と言う夕方では異例の高視聴率だった。前週の
ジャイアントシリーズは10.2%だったから馬場はご満悦だった。
ちなみに同時期のテレ朝のMSGタッグ開幕戦は15.3%、次の週が13.9%だった。
こちらはともにビデオリサーチの視聴率。
この辺りから世間が「第○次プロレスブーム到来か?」と騒ぎ始めた。 >>191
ビデオリサーチでは14パーセントだったのかw乖離が凄いな プロレス誌の巻末の方に視聴率が乗ってたよね。
ビデオよりニールセンの方が数字がいいのはいつものことだったが
それを見てたおれはニールセンの方が信用できる、と思い込んでいたよ……
人間見たいモノしか見えないんだよね。マスゴミがどうこうじゃなくて自分が歪んでる。 俺は「ニールセンのが正しくあって欲しい」と願望で見てたな、ビデオリサーチのが見られてる的な話はザテレビジョンとかでも言われてたし >>187
> 後ちょうど今G+でやっている82〜84年頃のハンセンって
> 兎に角相手の技を受けないんだよねそれ以前やそれ以後と較べても
俺はこの頃のイメージが強いので
「ブロディは相手の技を受けない。」との評を見ても
「ハンセンの方が受けなかっただろ?」と思えてしまう。 >>191-193
ビデオリサーチはNHKや報道番組が高め、
ニールセンは民放の娯楽番組が高めに出る傾向があり
プロレス以外にも、水戸黄門とか西部警察なんかも
両者の数字には大きな開きがあった
特に関西ではその傾向が顕著で、日によっては10%近い開きがあったはず
ただ学校で友達の話を総合する限り、ビデオリサーチの数字の方が
明らかに実態に近かったよ(プロレスファンとしては残念だが)
そういや前田vsドン中矢ニールセン戦が決まったとき、誰か(たぶんあおやま英雄)が
馬場や猪木が「アキラ頑張れ!ニールセンなんて視聴率野郎はぶっ飛ばせ」
と声援を送る1コマ漫画を描いていたような 超獣コンビならブロディが主にセル役をやっていたな。
上田・ハンセン組と天龍・スレーターの時は上田が2人の攻撃を受けまくっていた。肝心なところは逃げてハンセンにタッチしてしまうが
この当時はハンセンが世界最強っていう扱いだった >>199
プロ野球の数字はビデオとそんな変わらなかったような。
あとニールセンは、水戸黄門や必殺シリーズの数字が異様にかったから
ビデオと比べて高齢者のサンプル世帯が多いのではとよく言われていた アメリカ本国でスヌーカとハンセンのシングル戦、ベビーがスヌーカでヒールがハンセン
アメリカでの序列は断然スヌーカが上だから、序盤はハンセンが攻めてても
後半でスヌーカが大逆転して勝利するのかと思いきや、ハンセンは大してセルせずに
場外で不透明決着、全日マットとほとんど変わらない試合内容
ハンセンはプロモーターに怒られなかったのだろうか?
アメリカでのハンセンは二流なのにあんなワガママな試合スタイルで カブキのハンディキャップマッチ
相手の一人はジェシーバーと言ってるけど最強タッグでレイスと組んだ奴か?
https://youtu.be/O_u-itJSMrY スポーツスポーツ報知での小林邦昭
「「全日本は、当時、インタビューか試合後のコメントかなんかで“動きが遅い”というか、
向こうをこき下ろすようなこと言った覚えがあります。“俺たちの試合は、ピストルだけど
向こうの連中はまるっきり刀だ”みたいな、物足りないみたいなニュアンスで言ったんですけど、
それは本音でした。全日本は、あまり動かないオーソドックスなスタイルですけど
僕たちはハイスパートレスリングで休みなく次から次へ動くのが維新軍の持ち味でしたから、
その動きをそのまま持って全日本へ行ったんです。最初は、動きが遅くてやりずらかったんですが、
向こうの動きを維新軍の色に染めて同化させようとしました。
事実、時間が経つにつれ、全日本の動きも変わっていきました」 >>204
Yahoo!ニュースでこれ読んだが、「やりずらかった」じゃなくて、「やりづらかった」だよな? 昭和全日本出身のレスラーで初代タイガーマスクと名勝負が出来るレスラーはいるのかな?小川良成が1番いい線いってるかな >>207
新日出身レスラーでも、佐山タイガーと名勝負ができたのは小林邦昭だけだろ?
藤原喜明も前田日明も、タイガーを辞めた後の佐山と試合をやっていただけなんだから。 馬場より先にNWA世界チャンピオンになったマシオ駒 小川っていいと思ったこと無いわ
三沢は妙に買ってたな 10周年記念大会の蔵前大会をゴールデンで放送して欲しかった。
まだ土曜トップスペシャル枠で全日が放送されてなかった時代。
あの蔵前大会がゴールデンで放送されてたら視聴率もそれなりに取れただろう。 維新軍も外人相手だと
インサイドワークで持ち味が出ずに新日じ帰っていった。
カラータイマープロレスは麻薬。ハイテンションになれる。
が鶴田は全て呑み込んでいった。 小林邦昭は渕を絶賛している
ザ・コブラの事は「期待外れ」「佐山とは月とすっぽん」と酷評していたのに
https://news.yahoo.co.jp/articles/10b93fdfc82e52fe4056d03b1a3cedfcbe74d664
「渕(正信)さんはよかったですよ。やってみて、“この選手は、こんなに凄い選手なんだ”って思いました。
何しろ、試合の先を読む力にたけていました。ある意味、全日本の中で一番、うまい選手でした。
当時、渕さんは、中堅どころで試合をしていましたが、僕から見れば。ああいうところで試合をする人間じゃなかった。
ジャンボ(鶴田)とタッグを組んでメインを張ってもおかしくないぐらいの選手だったと思います。
ただ、肝心の本人は、欲がなさそうでしたね。あれで欲があったらトップを取っていたと思います」 >>208
タイガーマスクとグラン浜田の試合も噛み合ってたよ 小林は体格がヘビー級並みで、パンタロンスタイルで
さらに頑丈に見えた。 >>213
そんなことだから鶴田、全日は人気なかったんだよ。
>>214
渕が良くてコブラがダメってよく分からん。 >>213
そんなことだから鶴田、全日は人気なかったんだよ。
>>214
渕が良くてコブラがダメってよく分からん。 カブキが、アメリカへ帰ろうとしたら馬場夫妻から、
高千穂さんがいなくなったら誰が若手を教えるの、と引き留められたらしいが、
それ読むたびに、渕は何なの、と思う >>193
週プロの最後の方に関東と関西の視聴率が載ってきたけど比較的に関西の方が高い
気がした。
>>205
「スローなプロレスにしてくれ!」の全日と揶揄されていた。
>>212
ハンセン移籍前で世間では「新日ブーム」の真っ最中と引き抜き戦争の真っ只中だった。
この頃は日テレは全日の再建計画を練っている最中で財務担当役員が全日に送り込まれて
再建請負人として松根氏の社長就任、馬場は会長へ棚上げと言う荒療治を模索していて
とてもゴールデン特番どころでは無かった。松根氏は社長就任後に採算度外視の来日レスラー
の数を批判している・・・
最強タッグから松根氏は巡業に同行して年明けに社長の辞令が出た。土曜日のゴールデン
特番はその1年後まで待たなければならなかった。この特番の数字が良くゴールデン復帰の
検討が始まったらしい。 テレビ番組でもテコ入れがあって司会者やレギュラーがちょっと嫌そうにすることがあるよね
劇団ひとりの番組に池上彰が来て途中から池上彰の番組に変わったりすることもあるし 放送席にプロレス関係以外の有名人が来るのもテコ入れのうちかな?
>>222
「プロレスファン」とか「○○選手を応援している」という有名人に限る >>219
カブキが元子からそれを言われたのって1978年の話だよ。
渕はまだデビュー4年で大仁田、薗田と共に「若手三羽烏」と呼ばれていた頃だから、
自分自身が若手で指導を受ける立場だった。その頃は若手指導としてカブキや佐藤昭雄がいた。 >>224
佐藤はいない
74年4月〜79年8月までアメリカだから >>224
駒がいなくなって若手の指導者が手薄だった頃だね
アメリカへ帰るの意味が分からないけど… 紙テープが無いからってトイレットペーパー投げ込むファンがいたが、やはりソコの体育館の備品だったんかな? 遅レスだけど、鶴田は弟属性で体育会系の習わしも知らないマイペースな幕下付出しクラス。
気の弱さや体型に関わらず、そういう人を虐める人なんていなかったと思う。
相撲界を知ってる天龍の後のエピソードを聞いても、後輩虐めてたのは小鹿さんという印象 >>207
渕と園田かな
個人的な好みに過ぎないが 渕の本に書いてあった
鶴田「大きい人はいつも気まぐれさ…」
いろんな意味が込められてる気がして興味深かった
泉田本の
鶴田「プロレスに上も下も無いんだよ」は深イイ話かと思いきや
「馬場さんだって俺だって前座でお笑いやってるのに、お前ごときが贅沢いいやがって」 今日は旗揚げ記念日
昭和での同じ日の記念興行となればジャパンのいた85年と86年の両国なんだな UWFが新日本に上がってた86〜7年頃、前田と高田のトークショーがあって、質問コーナーで、
「高田さんは越中さんと良い試合をされてますが、同じく全日本の渕選手と戦いたいと思いますか?」
と訊かれ、高田は何てこと訊くんだと嘆いてみせ、
「渕選手にはあまり興味ないですね」
横の前田が「あまり、なのかよ!」と突っ込むと、
「いや、全然興味ないですね」 高田と渕では合わないだろうな
藤原や木戸ならともかく >>207
>>230
百田とかどうよ
ライガーと意外といい試合やってたし、
佐山タイガー戦が実現するとしたらそのときより20歳も若い頃だから
さらに動けたはず >>207
夢の対決だったら、タイガーマスクvsウルトラセブンだが、いい試合になるかどうかは高杉次第。
佐山タイガーvsレイス、テリーが面白いかも。 >>233
渕が若手時代ゴッチの指導受けてた事なんて前田高田にはどうでいいことなんだろうな
86〜87のあの二人はオラオラ状態で自己評価メチャクチャ高かっただろうし >>207
小林とのあの熱戦(全日vsジャパン6対6)からするとやはり石川敬士。
石川にはよみうりテレビ版力度山タイツのタイガーマスクをやってもらいたかった。 >>239
どうだろう?
渕はアマレスの下地があるし、ゴッチの指導も受けてるし
明らかに越中よりは危ない相手だから(だから233みたいな質問出るんだろうし)
対戦ムードが盛り上がるのを嫌って笑い話にしてごまかした、
という線はないんだろうか? >>225
そうか。『プロレス夢のオールスター戦』に合わせての帰国だったな。
その後、越中、三沢、川田の若手指導をしたんだな。 83年前半時期の両団体人気者対決!としてタイガーマスクvsザ・グレート・カブキはどうだ?
と思ったが、90年代半ばに東京プロレスあたりで実現してたようなw >>228
当時は自宅からわざわざ持ってくるバカが
いっぱいいたんだよ。 >>243
シングルはなかったかな。
安生・タイガー対カブキ・ブッチャーはあった。 東京プロレス 1996年10月8日(火)大阪府立体育会館大会
F初代タイガーマスク(11分3秒 場外で殴り合い→無効試合)ザ・グレート・カブキ
初代タイガーマスク「今日みたいなキックが連発で出せるようになればいいんだけど。体重を98キロくらいにしてヘビー級でやっていきたい。(ザ・グレート・カブキについて)うまいことはうまいです。」
ザ・グレート・カブキ「昔は軽そうだったけど、今は重いね。ま、今回はお手合わせということで。」 初代タイガーとならばチャボゲレロだろう、丁度入れ違いで全日移籍が惜しまれる。 >>201
>アメリカでのハンセンは二流
それがプロレス都市伝説だよ
ハンセンはホームテリトリーのジョージアではトップランク
他テリトリーに遠征した時なんかはラングが下がるのは一部のトップスター以外は
当たり前の話だが
それでも負け役とはいえその地区のエース級と対戦したりしてる
日本で子分だったバスや圧勝したマグローに負けてるのも
彼らがその地区のトップだったというだけ >>233
高田。ヒクソン戦で「本当は家に帰りたかった」と
マスコミに行ったお前にプロレスラーの資格はない。格闘家の資格はない。
タレントは、、まあせいぜい稼げや。 >>251
だが全日に海外遠征とか世界のプロレスみると
ハンセンって盛り上がらないんだよな。
ラリアットもシーンと。 >>233
実際、渕と試合したら絶賛しそうだな。
武藤が塩介と川田の試合を小結同士の試合と不遜なこと言っておきながら
川田と対戦すると絶賛。 >>219
あんたはエースにするつもりないから
中堅でコーチ役なのよと言われて
カブキも気分悪かったろうな。 渕はアマレスの下地があってゴッチの指導を受けてる上にテネシーで田吾作スタイルとかやって修羅場もくぐり抜けてるから前田や高田は舐めすぎ >>256
あの試合に関してはスミスが悪い。というか若すぎた。あまりにもワガママな戦いっぷり。 小林邦は新日復帰後も
「渕は悪役商会なんてやるようなレスラーじゃない」と言っていたから
それだけ高く評価していたんだろうね しかし、渕が高田より強いと思ってる者もそうそうおるまい
希少種だな >>252
高田を悪く言ったらダメだ
債務返済のために、大観衆の前で武藤に足4の字で負けるブックを飲んだんでしょ?
偉いじゃないか プロレスなのにどっちが強いとかアホみたい。高田だって真剣勝負ごっこ演じていただけなのに。 >>258
本当はコブラのデビュー戦でバンピートが勝って
「アイム・デイビーボーイスミス!」とマスクを脱げば良かったが、
スミスがジョバーだったから(負ければアピールできない)
最初から脱いでインパクトを与えるというシナリオが書かれていたんじゃないの?
でも、スミスの戦いぶりは確かにワガママだったね
カルガリーで何度も対戦しているんだから
もう少しコブラの良さを引き出すこともできたはず。 >>258
あれ限りなくブック破りに近いよね
ケツギメだけは守ったけど
ただその後もデビュー戦の悪印笑を払拭するほどのファイトを見せられなかったのは確か ただああいうことはジョナサンみたいに天然でやっちゃう人もいるからな
オープン選手権のブッチャー戦は酷過ぎたが
カーニバルの再戦では本人も意識したのかかなりブッチャーにセルはしたものの
やっぱりどう見てもジョナサンの方が強そうに見えちゃうというw 渕と高田なら実際にガチで戦うまでもなく渕が強いと普通は思うだろ。 ジョナサンはS小林戦もあんな感じ
解説の吉原が「これは運良く勝ちましたね」とか言っていた モンスーンなんかはジョナサン同様強すぎキャラだけど
体形のおかげで「強いけどデブだからスタミナ切れで負けた」
という風に見せることができた >>257
ゴッチ「Who is Fuchi?」
>>264
凱旋帰国でスターにするコブラをコール前から襲撃してリフトアップして場外に投げるなんてあり得ない。
トップロープノータッチトペをスカして膝に怪我させるのもあり得ない。 >>269
ジョナサンは強過ぎキャラというか強いと思うよ。
ヘーシンクとやった超凡戦の柔道ジャケットマッチでも負けたけど
試合後ヘーシンクは「オリンピックや世界選手権で戦ったどの選手より強かった」と
語っているが、お世辞とかじゃなくてアスリートとして組み合って感じた
本音だと思うよ。 ジョナサンもだが、モンスーンとも柔道ジャケットマッチで戦っている。
ジョナサンは絶賛しているみたいだが、モンスーンはどうだったのか。
ヘーシンクに聞いてみたいね。
でも「どの選手より強かった」というのは体幹が強くて崩せない、
みたいな柔道の立ち技攻防的な意味だと解釈している。
そもそもジョナサンにもヘーシンクの件きいてみたいね−。 オールスター戦のバトルロイヤルでの
前田が語る武勇伝?で
前田の蹴りに声をあげてビビった?相手は
渕の時と大仁田の時の2パターンあるよな。
まあ、プロレスだし
前座・中堅試合くらいまでは
相手の硬い攻撃に
「オワァッ」と受けるのは
全日本では定石。
ただ前田の脳内変換では
これも「ケンカ千勝無敗」のひとつに都合よくカウントされ、
前田自身心の底からそう思っている可能性はある。 >>263
>>264
ノータッチトペを普通によけるとかないよね。負けたあともノーダメージでスタスタ帰るし。 全日スレなのに恐縮だが、せっかくなんで質問。あの試合でのコブラのフィニッシュは何の予定だったの?あのジャンピングネックブリーカーじゃないよね。 むしろデイビー・ボーイ・スミスが
全日でブッチャーから
シングルで完全ピンフォールを奪った意味を知りたい。
あの時はビックリした!
完全決着時代移行の象徴?
キッド>スミスをキッド≒スミスにしてコンビ自体の格上げ?
小さいが、バート・アシラティ的な怪力無双キャラにしてスミスのシングルヘビーエース外人の一員化を図った?
世代交代の象徴?ブッチャーを格下げ?し、セミ前の馬場相手に固定? フィニッシュが直前で変わることはあるんかも
馬場対ラッシャーのフィニッシュがラリアットからのギロチンドロップとハルクホーガンみたいだったのとか >>276
年下の田中正悟にも負けて舎弟やってたのも変換したのかしらね? >>279
ノータッチトペをスカされて膝の皿が割れたんだろ?
ダラダラやるよりレフェリーが見極めて、
キリのいいところでフィニッシュにしたんだと思うよ。
(決められていたフィニッシュなんて知る由もないけど…)
それと、スミスはキッドも手を焼くウルトラトンパチだったらしいねw
今考えると、コブラのデビュー戦は無難なメキシカンにするか
キッドを相手に完敗デビューにして、這い上がる姿を見せてもよかったのかな?
テレ朝と新日以外、ファンの誰もが佐山を超えるなんて期待してなかったと思う。 >>279
ネックブリーカーじゃなくて当たって回転するフライングラリアットな。一応オリジナル。 >>280
いつだろう?もし90年だとしたらブッチャーは全日復帰して上のほうで一通り使い切った
感があったし前座降格への移行措置だったかと
逆にスミスはすごく期待値が上がっててタッグ屋からシングルプレイヤーとして売り出そう
としてる時期だったと思う、もっとも天龍離脱後の一発目の東京体育館でセミファイナル
でシングル戦に抜擢されたけどいきなりそこでこけて塩分過多がばれちゃったけど >>245
正直、もうちょいデザインはなんとかならなかったのだろうか >>279
ブラックタイガー戦でもあの技で勝ってるから
当初はあの技をフィニッシュホールドとしてプッシュしていたんだと思う。 >>286
ジャイアントサービスからしたら、夢のよう コブラは確かに酷かったが
三沢タイガーのほうがマシだったか?
と言われたらそんな根拠は何ひとつない >>255
全日旗揚げの前に大木は勧誘したけど高千穂は別に誘ったわけでもないし、付き人時代
の昭雄にお前はスターになれないという人なんだから高千穂をスターになれるとは
思ってないだろう。 タイガーマスクに関しては三沢は気の毒だよ、誰だってあんな凄いのの二代目なんかやりたくない。 二代目タイガーマスクのデビュー戦は違った意味で酷かった
リングサイドの新日ファンがTV越しに聞こえる大声で
「佐山じゃねえじゃねえかーッ!佐山じゃーッ!」
あいつらはこんな事の為にチケットを買ったのか
暇な奴らだ スポーツ報知で小林邦昭ヒストリーが連載されてるけど、一昨日昨日辺りがちょうど全日本回顧ですね 新日が凄いんじゃなくて、佐山が凄かっただけなのにな。誰も代わりにはなれなかったし。 >>286
決して下手なデザインではないが….鶴龍はやっぱ漢字だな。
どっちにしても相当なプヲタ意識高くないと着れんわ。 佐山タイガーマスクはジュニア枠に守られ過ぎでまともなヘビーとやってないからつまらん
どうせならアンドレとかホーガンとかとやったら面白かったのに 佐山と大仁田はプロレスの歴史を変えた人。鶴藤長天や三銃士や四天王より遥かに格上の存在。 >>245
こんなTシャツ、恥ずかしくてプロレス会場以外で着られないわ。 >>297
ミステリオみたいなヘビー級チャンピオンになれたかもね
スピーディーな打撃で困惑させて丸め込む
みたいなムーヴで >>295
武藤のほうがヘビー級であの動きしてるのは凄いと思うけどな
未だに現役で誰でも知ってるプロレスラーの一人だし
大仁田はすっかり消えたじゃん 全日という土壌で
佐山や武藤みたいなレスラーが出てくる可能性はないなあ
鶴田は素材は最高だけどプロとしては気概がなさ過ぎる 久々に見たくなってYoutube漁ってみたけど、やっぱ武藤すげーわ
https://youtu.be/z8XwbfiNNX8 >>280
WWF帰りのデイビーボーイがパトリオットミサイル1発でピン負けした方が驚いた パトリオットが多国籍軍とかいってWWFにシャムロックとかと出てたのはデイビーボーイ達が全日本に復帰した後だっけ? >>305
確か同時期所属でアメリカvsカナダで戦ってた
ちょうどパーフェクTVでRAWが見られるようになった時期だったから覚えてる
当時はフミ斎藤やケロの解説ではなく現地の実況が字幕なのが新鮮だった >>308
今からするとそうだけど、当時は渕は過小評価で前田高田は過大評価だったから
新日ファンは前田や高田が当然のように強いと思ってたろ。 >>309
あなたが今朝書いていたことと矛盾してないか?普通=全日ファン、普通じゃない=新日ファンってこと?
267 名前:お前名無しだろ (ワッチョイW 8989-ESh2) [sage] :2020/10/22(木) 08:38:46.63 ID:j1W9EgIC0
渕と高田なら実際にガチで戦うまでもなく渕が強いと普通は思うだろ。 そんなに渕が強いとも思えんけどな
アマレス経験者といっても高校の部活レベルだろ >>302
そういう鶴田だからこそ馬場と長く共存できたともいえるんだよな >>310
新日ファンはプロレスをガチだと思ってたんだから普通じゃない。
>>311
素人とは雲泥の差だわ。 >>314
準備万端の岩釣兼生との急なスパーリングで引き分けた
岩釣兼生
大学卒業後は兵庫県警に入り、下宿の庭に電柱を立てて毎晩1000本の打ち込みをするなど猛練習を重ね、各種警察大会で何度も優勝したほか、
1971年の全日本選手権では、3回目の出場にて初制覇を果たした。
世界選手権チャンピオンの佐藤宣践や後のオリンピック金メダリスト関根忍、二宮和弘らを退けての優勝であった。
この優勝は拓殖大学としては木村政彦以来の快挙である。 プロレスなのに強いとか弱いとかアホみたいだな。強い弱いを競う世界じゃないんだろ? >>315
スパーリングに引き分けとかないでしょ
そもそも勝ち負けが無い 前田や高田はプロレスなのにガチ風を装って集客していたからガチならどうだろうと
言われるのは仕方ない。バックグラウンドあって身体能力も割とある渕が強いだろうな。
スパーリングで双方決められずの引き分けってあるんじゃないか?
プロレスは勝負事ではないけど、スパーリングはまあガチだろ。
先輩、年寄りに遠慮とかはあるにしても。 からみたいだけのバカがいるな
酔っぱらってんのかしら? 前田・高田・渕の中で真剣勝負の場に打って出たのは高田だけだろ
それだけで十分な価値がある >>285
あの年は全日が完全決着をやり始めた年だから
ブッチャー・シン組もそれを受け入れざるを
得なかった。
最終戦のブルドックス対カンナムが武道館の
セミとしては当時だったらやや弱いカード
だったのでブルドックスの格を少し上げて
おきたかったのでは? 「(馬場さんを)ホントに殺すつもりだった」
「強化合宿でアントン・ヘーシンクを締めた」
「(金メダリスト)ハハレイシビリは愛弟子」
「ドン荒川は40年来の親友」
https://ameblo.jp/leegakwho/entry-10156695941.html 高田 vsヒクソン・グレイシーもヤオ言うたら八百だな。
高田に勝つ気(勝てる自信)なかったんだから。 >>318
ドン荒川がスパーで引き分けが多い。
船木「荒川さんは亀になって手足頭引っ込めて小山状態だから掴む所がないから何もできない」
船木は荒川を極められない、荒川も亀になってるだけだから船木を極められない。
つまり、引き分けw >>327
俺もそれは思ったw
あんなサイコパスと40年間親友はマズいわ 桜田をドリーム・マシーンではなくケンドーナガサキとして全日のリングに上げていたら
カブキブームは起きなかったかもしれない 岩釣りもノー着衣なら渕にかなわなかったということ。
サンボ世界選手権は、柔道メダリストなら簡単に優勝できる。
サンボなのに投げで一本勝ちなんだから。 馬場のボディシザーズが決まったら岩釣りは悶絶してた。 猪木vsルスカなんて猪木裸でルスカ着衣だからな。どう考えてもルスカが勝てるわけがない。 渕が馬場が直接やれば良いのにって言ったら
突然馬場が道場に来て渕を血だるまにした
渕が岩釣がかわいそうと言ったら、鶴田が、
後で勝ったとか言いふらされると困るから徹底的に潰しとくんだ!
だとやっぱり全日でもシュートだわ ヒクソンがビデオ回して、
安生をワザと血だるまにして腫れ上がらせた
のはそういう、俺が優勢だったと言いふらされるからだそうだね。 ハーリーレイスは挑戦してきた相手は必ず骨折させ
病院へ連れていきレイスが治療費払い、領収書をレイスが受け取り
証拠にするって読んだことあるな。 「俺が勝ったと言いふらす」
新日本道場における中学生の川田! >>207
川田は面白いと思うけど
>>215
タイガー対浜田は予定調和に見えて期待ハズレだった >>338
骨折させた証拠を残してしまい不利では?
ボコって放っぽり出し、問題があったら知らんぷりがいいのでは? >>343
「治療費払ったんだから文句ないだろ?挑戦してきたオマエが無謀だったんだぞ」って諭す為かな? >>330
カブキ&ナガサキで最強タッグに出てほしかったな。 >>335
異種格闘技戦が一番やりにくかっただろうね
なにしろ相手はプロレスを知らない真剣を持った格闘家だから
リハーサルも入念にしないと怪我の元
プロレスラーのようにアドリブも出来ないと思うから
一つの試合(作品)として成立させるのは難しい作業だと思う。
最初はプロレスの試合なのに「格闘技世界一決定戦」と謳っていたが
途中から「異種格闘技戦」に変わっていったのも
格闘技界からのクレームでもあったからなのかな? >>332
注目点は準備万端で来た岩釣に対して、馬場の命令で急遽スパーをすることになった渕 >>364
「騙された」とは語弊があって、どっちかといえば「話が違う」っていうニュアンスでしょ
新天地に夢を求めて猪木に不義理を働いてしまってまで移籍したのに、
行ってみたら、上でも誰か書いてたけどまさに「新・全日本プロレス」だったんだもの >>338
天龍の話だとレイスの右腕に金属製のものが入ってたのは事実らしい。
鉄柱とかにぶつかると「コ〜ン」と音がしたと言っていたw 猪木とか前田とか書いてるのは全部誤爆、あわてんぼさんが多い ダイナマイト・キッドが
「当時のNWA世界王者は簡単になれるものじゃなかった
もしNWA世界王者が町のチンピラにのされたらプロレスというジャンルが崩壊してしまう
レイスがあれだけ長く王座にいた事で彼がいかに凄いレスラーか分かってもらえるだろう」
なんてことを自伝に書いていた >>337
海外のあの手の「格闘技道場」はプロレスの道場や
体育会部活と違って殆どは生徒の月謝で食ってるわけだから
本当だろうが嘘だろうが誇張があろうが
その手の話が広まるのは直接メシの食い上げにつながるからねえ 道着着用の柔道家と着てないレスラーの対戦というと昭和53年の鶴田対アントン・ヘーシンク戦のイメージが強くて、どうせ柔道家の反則負けなんだよね?と思ってしまう。 >>344
いや、レイスはヘトヘトで俺が優勢だったと吹聴するからだってさ。 >>346
前田、ゴルドー戦はリハーサルあったしね。
レッドブルも。 グレイシーは「グレイシーチャレンジ」
って公然とやってたんだからすごいよな。
ホイスとジェイソン・デルーシアの
道場マッチをツベで見たけど。
デルーシア、ボッコボコに素手グーでやられてたな。 >>351
メモとかにいくつか書いておいて、それを貼り付けしようとして違うスレに貼り付けでは? >>359
SWSスレでの↓へのレスの誤爆だ
悪かったな
364 名前:お前名無しだろ (スップ Sd02-A8Qy)[sage] 投稿日:2020/10/23(金) 08:16:08.04 ID:Y3puwzv+d
週刊文春誌上で「俺たちメガネスーパーに騙された」なんて暴露をしたジョージが田中社長の葬儀に参列して、一番金をもらっていたレボリューションの連中は誰一人田中社長の葬儀に参列していないんだからプロレスラーってつくづく不思議な生き物だ >>331
そのスパーリングは東スポの記者も見てる。
当然岩釣による「道場破り」なんかじゃなくて、全日マットに上がりたいという岩釣の評価スパーリングみたいなもの。
「岩釣、一番下の若いのとやってみたらどうだ?」てな具合で5分一本だか10分一本だかで始まって、
最初に渕のタックルですっころぱされて下になった岩釣がそのまま最後まで
渕に抑え込まれて終了。スタミナ切れでへとへとになってた岩釣に「今、臨時でコーチやってるガイジン選手だ。いい経験になるからやってみ」
と「もう結構です」状態の岩釣に、I・シークが「ヘイ、カマーン」。
突っ込んできたシークをものの見事に一本投げした岩釣だけど、そのままシークに腕を極められ「参った」。 >>126
故人も荒しのダシにするからな
故人とはいえ男子レスラーならアゲサゲしてダシにするのもまあ恥ずかしくないが
懐古系ヲタの荒しの一派、泡沫荒しの四国の薄らハゲは◯里のストーカーらしいが洒落にならん虚偽情報で貶めたりして
アゲサゲやるにしてもその手口が卑怯極まりない
何故にそこまでして自業自得で凋落の一途を辿る全日や、今となっては市場価値一円也の唯唯ダサくて詰まらんぷろれす懐古ネタなんか必死でアゲようとしてるのかワケわからんw
それもクッサイ自演や成りすましまでしてwww
誰も興味持たないであろうダサいパクり視点で書き込んでるし
生来無教養でいくら需要がなくてもネットでも知ったかかませるネタがそれしかないんだろうが( ´,_ゝ`)プッ スマン(^.^)(-.-)(__)誤爆した
全日すれかに書き込むつもりが… >>361
仮に岩釣が全日入りしても、大した戦力にはならなかったろうな
馬場はヘーシンクの失敗で柔道出身者にいい印象なかったろうし、
そのヘーシンクより体格、実績ともに数段劣るし、
元全日本王者の肩書きに配慮したとしても、いいとこ高千穂、クツワダクラスかな。 ちなみに岩釣が全日マットに上がりたかった経緯がこれね
なぜルスカを破った猪木のいる新日じゃなかったのか、アリ戦実現させた猪木にビビッたのか
晩年なんかは坂口道場でコーチやってるし
Wikipediaより
1976年、全日本プロレス入りが決まっていたが、契約書にサインする段階になって
社長のジャイアント馬場と拓殖大学側の要求にずれがあり決裂、全日本プロレス入りは幻に終わった。
このとき、岩釣は師匠木村政彦とともに裸でのスパーリング、空手、ボクシング、脚関節などを含めた
真剣勝負(いわゆるバーリトゥード)を前提にした一日7時間に及ぶ秘密特訓を続けていた。
1954年の木村政彦vs力道山の復讐をしようとしていたのだ。
この試合は通常のプロレスで、結果は引き分けで終わるはずだったが、
突如力道山が本気で殴りかかって木村が流血、失神KO負けを喫している。
拓殖大学側は「力道山にだまし討ちにあった木村政彦先生の敵を討ちたい」という考えで、
社長の馬場に「デビュー戦はジャイアント馬場とやり、プロレスのアングルとして岩釣を勝たせる。
その要求を呑めないならばリング上で真剣勝負に持ち込み馬場を潰す」という条件を突きつけた。
馬場はこの拓殖大学側の要求に怒り、「もしそういうことになったらウチの若いレスラーたちが岩釣君をリングから降ろさないが、
そういう覚悟があるのか」と応じた。
それに対して岩釣に付き添っていた拓殖大学の先輩が「この野郎っ! 拓大をなめるんじゃねえ!
貴様こそリングから降ろさんぞ!」と激怒、契約は白紙に戻された。
後に岩釣は「命をかけて木村先生の敵討ちをするつもりでした」と語っている。 >>365
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の終わりの方で
岩釣の入団交渉の話が出てくるが、それによると
馬場に「誰とやりたいんだ」と聞かれて
岩釣は「猪木さんです」と答えたらしい。
それなら最初から新日行けよというか、これから自分の職業にしようとしている
プロレスってものを全然理解してなかったみたい >>366
『木村正彦はなぜ〜』は基本良いノンフィクション作品と思うが
作者が柔道側の人間のため仕方がないかもしれないが
後半、特に力道山に敗れ表舞台から次第に姿を消していく木村の
客観的に言えば「単なる落ちぶれてドサ廻りのB級レスラー」になっていく様や振舞いを
あまりに美化・神聖化、あるいは擁護しすぎているのが欠点。
終盤の岩釣に関する記述については全日道場での経緯もそうだが
そもそも「地下格闘技場」での最強王者といった
“そりゃ刃牙の読みすぎでしょw”としか言いようのないロマン話まで出して
岩釣を「不遇な最強の格闘家」と云わんばかりに持ち上げようとしてるのなどは失笑モノ。
当たり前だが本当にそんな「ナンデモアリ」の地下格闘技界があるのなら
そこでの王者は「最強」の人間ではなくく単に「キ○ガイ」「人格破綻者」か
あるいは借金やクスリなどで893やマフィアにがんじがらめにされて
地下賭博等の対象として止む無く出場させられている類の「闘鶏のシャモ」でしかない
そして「キ○ガイ」や「シャモ」を闘わせて愉しむ悪趣味なショーに
表の世界で相応の肩書を持つであろう各競技の「最強」の人間が
様々なリスク犯してまで出る理由も出る必然も無い >>366
作品なのでどこまで事実なのか創作なのかはわからないが、
実際にGスピリッツの岩釣兼生のインタビュー記事で
「馬場さんをホントに殺すつもりだった」というコメントが出ている >>366
逆に最初に新日に行ってても
新間にたぶらかされて
結局「全日本で馬場を潰してから」と
言われて帰されたりして。 まあ強いて考えられるとしたら、新日にいる世界の荒鷲に気を使ったこと、
ドン荒川と親友だったこと、全日にはルスカを破ったアントン・ヘーシンクがいたこと
そんなとこなのかな? >>224
ゴミみたいなの三羽烏やな。大仁田は全日の枠から外れてブレイクしたけど。 >>301
身体能力は凄いんだろうけど、つまらない試合が多い。新日のプッシュと運の良さで、ビッグネームになったとしか思えない。橋本の方が面白かった。 >>345
俺も一票。なんでそうしなかったのかなあ。 >>365
岩釣や拓大の先輩とやらも、木村信者というか木村の名を利用した
チンピラの売名行為に思えてくるなw
そんな事を木村政彦は望んでないだろうに…
力道山vs木村戦に関しては、リングサイドで観戦していた大山倍達が
ブック破りにキレて力道山に殴りかかろうとして止められたという話もあるね
その大山も「力道山が勝てなかったタム・ライス?に勝った」発言で
激怒した大木金太郎が対戦要求したとか、しなかったとか… >>372
>全日にはルスカを破ったアントン・ヘーシンクがいた
岩釣がレスラーになっても大成したとは思えないが、
まだヘーシンクがいたんだったら、柔道ジャケットマッチはやってほしかったな
地下格闘技の王者の実力が、表の世界王者にどれだけ通用するのかぜひ見たかった 力道山vs木村戦については
木村川の話ばかりで構成されてて
書いてる作家陣の創作度が強すぎ >>365
実話だとすれば、そもそも岩釣、拓大柔道は、
入団も契約もギャラもフェイクで、つまり木村のように金銭のため
反撃できなかった。のとは全く違う罠に馬場をはめようとしたんだな。
つまり一戦だけの復讐だな。 木村政彦が金に困っていなければ
力道山は反撃されて虫の息だったろうな。 >>369
最後の地下格闘王者、それもベルトを締めた写真の件で
あれ? これって……
と落としてしまうのはドラマや小説が夢オチだったときみたいな感じだった。
確信犯だったのだろうか。 >>372
猪木とやりたいのに全日本に入団しようとしたのは敵対団体だから全日本に入れば全日本の代表として新日本の猪木と戦えると思ったらしいよ 力道山と木村政彦が対戦した時期は体格年齢コンディションが違いすぎてガチでやっても力道山の圧勝だよ。
自信満々で前かがみのレスリングのスタイルで構えている力道山に対して及び腰でなかなかコーナーの方から出てこようとしない木村。
自信があればあんな事にはならない。
力道山は最後の瞬間までプロレスしようとまってるのに木村が乗ってこないのでだんだんイライラしてきているのが丸わかり。
そもそも最初のシャープ兄弟戦で背負投しか技がなく何度も同じ技を出さざる得ない木村とロープに当ってからのタックル等ダイナミックに動ける力道山ではプロレスラーとしての経験が違いすぎる。
ってグレイシーが話題になった頃書いたら世の中に突然出てきた木村信者に色々絡まれたことを思い出した。それまで柔道や柔術プロレスの事なんかちっとも話したことなかったのにね。 裸にパンツ一丁って時点で力士が有利だし
あと年齢差が7歳あるのは大きいから力道山が勝つのは全然不自然じゃない
「麒麟も老いては駑馬に劣る」の格言の通り同じレベルで鍛えているなら若い方が強いに決まっている
ヨボヨボの老人が若くて屈強な男をボコるなんて漫画の中だけの話だよ そのそも木村は体が小さすぎる
外人に比べてはるかに小柄な力道山より2回りも小さくては
ボコボコにされても当然
たぶん沖識名にも木村は負けるよ 岩釣さんは、あとほんの少しだけでも顔が良ければ
きっと全日に良好に入団してそれなりにキャリアを積めたと思ったりする… Fラン大学の、拓大や国士舘の体育会系や応援団ってヤクザみたなモンだからな。 木村政彦は170センチ。今のジュニアくらいの身長か。でもいい身体してるな。
プロレスラーらしいというか。亡くなった青木篤志みたいな感じか。 >>365
>岩釣は師匠木村政彦とともに裸でのスパーリング、空手、ボクシング、脚関節などを含めた
>真剣勝負(いわゆるバーリトゥード)を前提にした一日7時間に及ぶ秘密特訓を続けていた。
それで、入門2,3年目の渕と5分スパーリングをやって、やっと引き分けか?弱いじゃないか?(笑)。
俺は「宝島ムック」の漫画を読んで、柔道着(柔道しかできない)岩釣なら、仕方がないと思ったんだが。 >>391
ロートルの木村さんと何時間練習しようが強くなるわけないと思ったりもする >>385
「体重差がありすぎるから試合しても…」という言葉から木村も力道山が相手は厳しいと考えていたと思う。
打撃無しのジャケットマッチならば木村も対抗出来たのだろうけど、打撃ありで実際に喰らった衝撃と力道山の迫力に茫然自失だったんだろうなぁ。
プロレスはショーであるのだけれどガチンコが強ければ展開を好きに動かせるのが面白い部分でもある。
マスカラスなんてショーの最たる選手だけれどその硬さ(ワガママ)たるや今の目で見ると面白くてw
馬場が怒りマスカラスを潰したり、猪木がレスリングで勝負してマスカラスのが強かったり面白いものだ。
今は変わってしまったのだろうけどね。 >>387
1970年代の国士館はヤクザが避けて通る。
こいつら、1973年には、国会で問題になったんだぞい! 木村がグレイシーの真祖に勝っているという事実を得てから
あの本を出したわけだから木村ガチ強い説に信憑性が増したんだよな アポロ菅原いわく「プロレスは印籠が効かないときもある水戸黄門」 >>393
木村はギャラ貰う立場だから反撃できなかったんだよ。
というかブック破りにどうしようもなかった。
グレート・アントニオと同じ。 力道山の年齢サバ、本当だとしても大したサバじゃないな。
>力道山は誕生年や年齢を欺い疑惑があり生年月日も確実ではない。故郷の友人である
シン ミョングンは1923年生まれだったが、力道山の年齢を自分より一つ上だったと
記憶している。このため、実際には1922年生だったと推測される。
https://namu.wiki/w/%EC%97%AD%EB%8F%84%EC%82%B0 木村は40年位前の自伝からグレイシーと戦ったと書いていた。我が柔道だったかな?話が膨らんで超大男と戦ったみたいに後に書いてた記事もあった。
当時は力道山に負けた奴としてプロレスファンにかすかに知られてて柔道界では過去の人、主流じゃ無い人扱いだった。
実際、エリオ?を見るといいとこ町道場レベルで柔道の実力は疑問だと思う。でも柔道にない荒々しさは感じるのでそれを木村は評価したのかな?
町道場レベルのエリオからヒクソンになると柔術&レスリングみたいな感じで洗練されてるけど、柔道の試合に出たら高校生にも勝てんと思う。 >>392
カリスマ師匠とばっかり練習していると気功で吹っ飛んだり痺れたりしちゃうからな。
裸の練習するならレスリング部、打撃の練習するんだったらボクシングジム行くべきだったのだろう。
仮にめちゃくちゃ強くなってもそんな人を受け入れる競技や団体ないんでどっちにしろ無意味なんだろうとは感じる。 東富士の場合もそうだが半島出身の力道山が国民的英雄になるのを喜ばなかった層は相当いただろうな
そうした連中に後押しされたという感じもありそう >>397
ブック破りというほど大した攻撃だとは思えないんだよな
いつもの力道山だしプロレスではあるあるの範囲に思える
それに木村が本当にどうしようもなく強い人なら
うまい受け方も心得ていたはずだし
あの程度で伸びちゃうとかマジで実力が疑われる
作家陣が木村をいいように持ち上げたとしか思えない >>402
かつてプロレスラーが総合格闘技やらK-1やらに駆り出された時に
どんな“強い”レスラーでも、打撃の受けに関してはやっぱりあんなもんだったんじゃないだろうか
真剣にしっかり打撃を練習して、その試合に望んだ人でなければ ルスカ息上がってKO寸前だね。結末が詳しく伝わってない試合だけどルスカが劣勢だったのは間違いなさそうだ。
柔道金メダリストでも違うルールに現役離れて数年もするとこんな風になる。ライオンも水の中では金魚以下ってか。 今日の後楽園に行ったが昭和の最強タッグを控えた前のシリーズは前哨戦も見所だった 岩釣って、柔道家としてオリンピック(出るとしたら72年ミュンヘン)にも
出られなかったんだろ?
何が木村の復讐とか、馬場を殺す、って、ただの通り魔じゃないか?www >>407
71年世界選手権では日本人選手で岩釣だけメダルなし(他は金5銀4銅2 >>387
もう、00年代に入学した時は皆無だったなぁ。
体育関係のエリートは皆多摩校舎だったし、応援団も学内で殆ど見なかった。 >>399
ブラジル遠征したときのナンバー2の加藤、だったかな。
エリオと対戦して何回も投げ飛ばしたが柔道ルールでは無いので、粘ったエリオに
締め落とされて負けた。
これで木村が対戦するところまで追い込まれた経緯があるんだよ。 >>403
ある雑誌で「最強の格闘技は?」と言う話題で一撃必殺の破壊力は空手を一番に上げていた。
瞬発力では相撲だった。
>>406
師弟コンビが"最強タッグ前哨戦"でレイス・スヌーカ組に負けて本戦への期待が盛り上がり
ながら寸前にスレーターになったのはかなりのトーンダウンだった。超獣コンビとの
遺恨対決の話題もあったのにね。既にWWF転出が決まって予定通りだったらしいけど
来日したレイスが「スヌーカとブロディの抗争が熱くなりすぎてこのままでは優勝できない」
と言う判断でパートナーを変えたとインタビューに答えていた。 >>403
そりゃそうだ。
野球を知らずに野球をしにいくようなもんだからさ。
守備がうまいが打撃が駄目、打撃は凄いが守備がからきし等そんな状態で試合するようなもんだよ。
所が時代が変わり野球は広く知られてそれぞれが技術を突き詰めている状態に型だけで飛び込むんだから勝てるわけがない。 >>403
サクラダの試合なんて正にその典型だよねえ
「相手の攻撃を受けてみせるタフネス」には自信があったため
「一発は喰らうの覚悟で至近距離に踏み込んで捕まえればこっちのもの」と考えて
プロボクサーがグローブ付けてピンポイントで急所狙って放つパンチを
街の喧嘩で輩が適当に顔面を狙って振り回すベアナックルと同じに考えてた >>403
言いたいことはわかるが
力道山の打撃がすごいとは思わないので
あの試合にそれが当てはまるかは違うな
プロレスラー同士のプロレスの試合での決着ということでいいと思う
引き分けにするはずだったというけど
当時の両者の立場からすればやる必要も感じないし
シャープ兄弟に1本取られる役立った木村が国民の英雄の力道山と引き分けるとかないわ
最初から力道山の勝ちにすべきだわ 引き分けの念書交換の
会合に、力道山は、忘れたと言って木村の念書だけ取られて、
試合敢行された。
この事実だけでどれだけ木村が不利な立場だったかわかる。 >>406
来週から最強タッグ開幕、の紹介は
その前40分頃までの試合よりも楽しみだったよ >>416
最強タッグに限らず、次期シリーズの予告は楽しみだったな。 >>417
↑これ、宮崎美子の昔のCM集で、
プロレスには関係ないから。 82年の最強タッグは代役のスレーターが最後の最後でミソを付けた印象
まあおそらくは事故の後遺症なんだろうが
その前に馬場に足四の字を掛けた場面が良かっただけに尚更 ディック・スレーターは事故さえなければNWA王者になれたというのが定説だったが
それ以前から王者に相応しくないとダメだしされてた
マリファナに手を出していたという スレーターの日本での最後のトップ待遇は翌年にパイパーとのコンビでインタータッグに挑戦した時だったか マードックもズボラじゃなかったらとっくの昔にNWA世界王者だったと言われていたね
レイスやフレアーはきちんとすべき時はきちんとしていたから 逆にもうちょっとズボラ化というか脱力できていたら
王者になれていたのに、と思うのがデビアスだな。
それと少しでかすぎたか。やられることに説得力がなさそうだ。 顔が地味だったもんね。、身体もNWA王者としては少し大き過ぎた。
フレアーは見たいと思ってもデビアスはそうでもないな、モンゴロイドっぽい
顔してるから日本人からすると有り難みないからね。米国人から見ては知らんけど。 親父と似てないと思ったらマイク・デビアスは義父だった 87年4月にビル・ワットのUWFがジム・クロケット・プロモーションズ(JCP)に売却された時に
UWFを主戦場にしていたデビアスはクロケットから強いオファーを受けたんだけど、
当時、同じくデビアスにオファーを出していたビンスに応じてNYに入った。
この時JCPではフレアーとの抗争が予定されていたから、もしデビアスがJCPに入っていたら
NWA王者になっていたんじゃないかな。「遅すぎた世界チャンプ」とか書かれただろうけど。
でも、結果的にNY入りで成功したから良かったと思う。
殺人的サーキットでボロボロになったけど、デビアスもビンスの待遇は最高だったと言っている。 >>421
ホーガンの自伝で、猫に火をつけて振り回していたのスレーターだっけ?
本当なら常人じゃないな…..
テリーもハッパ夫婦で楽しもうと思って持って帰ったら、ベッキー夫人に速攻でトイレに流されたらしいww
>>427
フレアー栄冠以前は、フレアー相手にミズーリ王座防衛していたから、中坊からはデビアスの方が格上だった気がする。
クロケットのとこにいたら間違いなくNWA取っただろう。
あと、プヲタを自負していたのにロニー・ガービン知らなくてマジで愕然としたww > ホーガンの自伝で、猫に火をつけて振り回していたのスレーターだっけ
ありえない。。 日本でのマーテルとのダブル戦の時点で既にクロケットの占有になっていたNWA王座 レッスルマニアに対抗して
グレート・アメリカン・バッシュ
って大会やってたな。クロケットjr。 フレアー対ローデスのNWA世界戦でどっちもド派手なロングガウン着ていた
フレアーはともかくローデスには全く似合ってなくて、ローデス本人も不満そうだった >>434
ローデスは配管工がアメリカンドリームで成り上がって不似合いな派手な格好するギャップが狙いだから >>434
ローデスのロングガウンは新日本プロレスでファンにプレゼントされた。
その時、リング上でモデルになったのは若き日の前田日明。 >>435
ローデスの派手なコスチュームとか、アメリカドリームは
「ギャグ」なんだよな。
それを本当に格好良いと勘違いしていた日本のファンは痛いよ。 WWFで黒地に黄色の水玉模様のコスチュームで出てた時はメッチャ楽しそうだった
キールオーデトリアムの時は別のキャラを演じてたって事か >>439
でも、初来日の「まだ見ぬ強豪」でもなかった。
75年の全日参戦の頃と、4年で、どう違うかと言えば、ショーマンシップが
きつくなっただけで、その当時、新日が求める強さはなかったなぁ。 新間によればローデスのギャラはアンドレより上だったらしい >>439
少し前に猪木、藤波対ローデス、モラレスの後楽園での初対決の動画を見たけど
新日ファンの外人勢への声援の大きさとそれに負けまいと猪木ファンの声援もあって
会場がそれ以前の新日にはないような異様な雰囲気だった
全日の場合だと外人への声援は同様に大きいけど
日本人へは声援があんまりないからこの点は違うなあw アメプロも理解出来ないと狭量なプヲタだと思われそうでローデスを面白がってた人は
多いと思うな。
実際に試合は悪くなかったし新日にゴージャス感をもたらしたな。
スレチだからもうやめるけど。 全日のスレに相応しいことを書けば
ローデスに対する馬場の評価「全てにおいてマードックの方が上」
「(特にローデスの尻振りダンスに対して)あんなモノが流行るとは
考えられない」
アメリカプロレスを土台に生きて来た馬場の評価が、これだよ。 新日でブッチャーとローデスが乱闘してたが、全日で実現していたかもしれないカードだったのかな 現にローデスの方が人気あったし、NWAタイトルも馬場と同じ3回獲得した。
WWEはブロンズ像造ってくれたしどうみてもマードックより業界に足跡残した。
https://cdn.sescoops.com/wp-content/uploads/2016/03/dusty.jpg >>447
そりゃやる気のない天才と笑われキャラも辞さない努力家だからな マソニックは「ファンには面白いかもしれないが、私の目の黒いうちは
テキサス(金網)・デスマッチはやらせない」と言っていたって話を読んだことがあるな
古き良きプロレスが好きだったらしい >>440
水玉コーデ、70年代からしてたんだな。知らんかった。 >>421>>423
クスリをやるようなレスラーはNWA幹部連から王者候補に推薦されなかった。
>>427
ブリスコは殺人的スケジュールを嫌いNWA王者の再々登板は断った。サイドビジネスの
自動車修理工場の経営が順調でギャラの良い日本等の数ヶ所地区の招聘だけに絞った。
新日への参戦もギャラが良かったからなかな?特別参戦だったし。ワープロのPはこの時
の猪木戦を一番、印象深い試合に上げていた。
>>424
ローデスはアンドレ、ハンセンより遙かに高額ギャラでフル参戦できないので「特別参戦」
が多かった。アンドレは意外とリーズナブルなギャラだったらしい。 >>421
スレーターって、これっていう決め技がないよな。日本ではダイビング・エルボー・スタッブを多用していたイメージだが。デビアスほど引き出しが多くもないし。 ジョニー・エースがデビューするときにプロモーターだかブッカーだったローデスが
「おみゃあさんはグッドルッキンだからジョニー・エンジェルてリングネームにすっぺ」
と決めかかったのを泣いて頼んでジョニー・エースにしてもらったという話があったな >>454
おもしろいw
ジョニー・エンジェルは嫌だなw ローデスがNWA王者になった時に全日本にいきたくないとと言い出し、それを聞いた馬場が
「そんなやつにチャンピオンでいて欲しくない」
とローデス来日に合わせてフレアーとデビアスをブッキングして日本で連続挑戦させてローデスの王座陥落を狙った話には子供ながらワクワクした 馬場のそんな一存でNWA王者の交代なんてできるの?
しかも日本で >>452
ブリスコが新日上がったときは、本人が「これが最初で最後」といっていたらしいね。
馬場も引き抜きだとか怒ったり慌てたりしている様子全くなかったし、
最初から1回だけの約束だったんだろうけど、どういう経緯で実現したんだろう? 全日に戻った後のブリスコも可哀想な役回りだったな。ブロディに一方的にやられてリングアウト負け。 >>458
NWA系だけどフロリダCWFのプロモーターだったエディ・グラハムとブッカーのヒロ・マツダが
新日本と懇意だったからだよ。ローデス、スティーブ・カーン、ブリスコ達はこのラインだった。
この時期のフロリダマットは全盛期で、日本人ではマサ斎藤、カブキに天龍もいた。 アニマルの弟がエンジェルとターミネーターw
ごめん、つまらんことにツボってしまったw >>445
しかし輪島デビュー戦では
「あの相手だからできたが、もっと強い選手
ハンセンとかウォリアーズとかフレアーとかローデスとか」
ローデスの名が出たのは当時から意外だった
https://www.youtube.com/watch?v=sB5sd3buryQ
(24:00あたり >>459
ブリスコとブロディって両リンじゃなかったか? >>454
そんなだから息子があんなになるんだよ
いや、ゴールダスト好きだけど >>452
>ブリスコは殺人的スケジュールを嫌いNWA王者の再々登板は断った
ブリスコに限らず、キニスキーやファンクスが一度王座から陥落したら
二度と返り咲かなかったのもおんなじ理由なんだろうな
「もうあんなハードスケジュールは御免だ。これからは元王者の肩書き生かして
もっと楽に商売しよう」みたいに。
レイスやフレアーが何度も返り咲いたのは、ハードスケジュールをものともしない
タフさがあって、それをプロモーターにも見込まれていたからか。
WWFだと、ボブが10年ぐらいあとに返り咲いて三日天下に終わったことがあるけど、
あれは陥落した後も王座に恋々としていたのを見かねた周囲が
「もう一回だけベルト巻かせてやるか」と思ったのか キニスキーの時代にスケジュールのハード化が始まったと馬場が書いてたな。同時にマイナーな見世物へと地位が低下した。
レイスや続くフレアーはもうなり手がいないという時代の終焉なんだろう。 >>463
ローデスvsフレアーのNWA世界選手権を見学した直後だからだろ
テレビクルーにわかりやすく直前までNWA王者だったローデスの名前も出した >>465
カーニバル公式戦じゃなく、インター王座決定トーナメント。 >>469
テリーと昨年亡くなったビッキー夫人は離婚してたっけ? >>463
最後のNWA総会に出席したのが馬場、ローデス、カルロス・コロンで
その時に馬場とローデスが和解したって話があったな
馬場も「ローデスはこんなに義理堅い男だったのか」と見直したのかもしれない
後にダスティ・ローデス・ジュニアを全日に呼んでいるしね ローデスjrは一時プッシュされてたな、武道館でセミ前、東京体育館でセミ登場があった
すぐ見切りつけられたっぽいけど >>469
NWA王者に限らず、アメリカ人の多くが離婚、複数回の結婚をする。
エドルイスは7回結婚したらしい。 >>470
つーか輪島デビューの時点でローデスがNWA王者だったんだな
(2日後にフレアーに移動)
そりゃローデスの名前出すしかないか
非WWFだとブロディもいないしゴディやデビアスくらいか >>473
馬場も家を空けることの多いNWA王者がほぼ例外なく離婚していたことは知ってただろうから
万一日本でベルトを返さず、NWA王者としてアメリカをサーキットすることになったら、
その時は元子も遠征に帯同したんだろうな。 鶴田本読んでタイガー戸口が韓国人じゃなく日本人(父親韓国人母親日本人)だと初めて知った。戸口は通名でキムドクが本名だとずっと思ってた キニスキー・ドリー・レイスは降りてからがむしろ強い
ブリスコはセミリタイア
テリーはむしろ本番
ちなみに今日はレイスのPWF戴冠日 >>472
ゴメン、ベッキーじゃなくてビッキーさんだったな。
一回別れて、ビッキーさんは他の男性と再婚したがあんまり上手くいかなかったらしく
テリーが王座転落して「もう世界中を旅する事はなくなった」的な口説き文句で、復縁したはず。 テリーについてオープンタッグ以前の日本での評価はどんなだったのかな >>482
インタビューで本人が日本国籍って言ってたわ
今の奥さん韓国人なんで韓国に自由に出入りできるらしい >>453
デビアスもスレーターも技から何から中途半端なんだよなぁ、同じ分類にジャンボもいたんだが
バックドロップ一発でジャンボは流れ変えたな、本来のパフォーマンス出せる状況にした。
デビアスもスレーターも◯◯のコピーのまま一皮剥けずに終わった印象 >>483
日プロへの初来日のときからタイトル挑戦の
機会に恵まれるなど結構優遇されていたけど、
兄貴の七光りという声が多かった。
エース級と認められるようになったのは、やはり
NWA戴冠後かな。 デビアスのキャリアハイはミリオンダラーマンだろ、あんなに似合うキャラを見つけたのは素晴らしい。 デビアスは渡世の義理でビル・ワットと離れなかったのが
王者になれなかった要因とみられている。ルイジアナ地区は発言権が弱かったのかな 戸口の国籍なんてどうでもいいじゃない
そんな事よか戸口に阿修羅ロッキーと菅原に大仁田渕三沢越中の前座中堅でテレビでも放映されないのに熱い戦い
また見たいよなぁ、会場に行かなきゃ見れない本当のプロレス >>490
なんで鶴田のDVDボックスには
ドク戦が収録されてないんだろう
鶴田の70年代後半を代表する名勝負なのに >>483
良くも悪くも「あのドリーの実弟」
これ以上でも以下でもない 英語ペラペラのドクは子ども心にカッコよかったよな、当時は倉持アナや松永アナも全然英語話せなかったし。 キムドクでもタイガー戸口でもいいけどまた観たいよね、鶴田の試合ならどこかに残ってるはずだけど
でも、俺が本当に欲しいのは戸口とかが中堅に堕ちた後の全日本前座の映像
残ってないだろうけどね >>494
戸口が前座に落ちた時代なんかないよ、戸口は全日ナンバー3のまま全日に引き抜かれた。
戸口が天龍に追い抜かれたと勘違いしてる人がいるが、全日時代の戸口にそんな時期はない。 NWA王者時代のテリーは日本では蔵前での鶴田としか防衛戦をやってないんだよな
馬場が挑戦しなかったのは後のフレアーみたいに自分が挑戦するまでの相手ではないと見たからか >>488
ミリオンダラーマンとして大成功を収めて、その直後に自分の原点とも言えるアマリロと
大学の先輩であるハンセンとのコンビを復活。
初戦で世界タッグ(片方は元保持していたPWFタッグ)を奪取、2ヶ月パートナーを努めて、
怪我の限界でレスラー人生を終えたのが運命的。
>>495
81年、天龍が最後の海外修行となったミッドアトランティックにいた時、戸口の奥さんも
ノースカロライナにいたから、そこで戸口とも会った。
その時、戸口から「天龍ちゃん、今度でかいことやるからその時はヘルプしてよ」と言われて、
しばらくしたら馬場から「戸口が新日本に行くことになったから、すぐ帰ってきてくれ」という流れだよね。
天龍は当時、日本に帰るつもりはなかったから、戸口が全日本に残っていたらアメリカ滞在が延びていたんだな。
いずれは帰国しただろうけど、どんな流れになっていたのか。 >>497
各キャラクターの賞味期限が短いWWFで、ミリオンダラーマンという悪役ギミックを7年間も続けたのは驚異的。たいていは、ベビーターンしたりしてリフレッシュを図るが、デビアスはヒールを貫いた。全日をリタイアしてから、またWWFに戻って、ミリオンダラー軍団のボスに収まっていたから、相当にビンスにも気に入られたんだろうな。 デビアスの母親がWWWFでプロレスやってたからコネがあったのかもしれんね。 佐藤昭雄が誰かが言ってた
「デビアスはジャンボやブロディと遜色ないくらいデカいのに器用すぎて俺たちがやるような動きまでするからデカさが目立たない」
というのが的を得てる
鶴田、ブロディ、ゴディ、デビアス、ベイダーてサイズ的に同じくらいなのにデビアスが大きく感じたのはハンセンとタッグを組んでハンセンより一回り大きかったからだもんな >>495
戸口のあのデカさで、痩せてた天龍がって事はない。
当時の天龍のしょっぱさを知らない世代だろうね >>495
>>502
天龍が初めてウケた?急遽代役でロビンソンと組んでのインタータッグ戦が81年7月末
戸口の新日登場は81年6月の蔵前だから天龍云々やまして中堅格下げとかはないよね
むしろ戸口からすると“将来のエース”鶴田に対してさえ
未だにトップを明け渡すどころか「若大将」「善戦マン」キャラのまま
「格差」を縮めてやる気配さえ見えない馬場全日に対しての
「人気・動員低迷中の全日でいつまでも馬場.>>>鶴田>戸口で序列固定のNo,3なら
米にベースある自分にとっては人気があって条件も良い新日でフリーの大物役やった方がマシ」
っていうまぁビジネス的な判断だよね
あの時点では天龍より高千穂や桜田伊藤といった
海外に出されてそのまま戻る席無しに半ば放っておかれてる面々の処遇の方が
将来の自分の姿に重なったってのが大きかったと思う
あとは団体内にいる限りは外様扱いで
日プロ時代も馬場シンパではなかった自分に対する元子の心象の悪さへの不満・不安とか。 >>494
ヤフオクで熱き名勝負集の制作時に使用されたテロップが最近まで出品されてた
戸口、羽田VS大木、カマタがあったから79最強タッグ最終戦のセミ前なら残ってると思う
リーグ戦に参加出来ず、この試合も当時テレビ放映されてないんじゃないかな 戸口は全日にいたら
日本人史上最大のヒール実力者になってたかもな。 子供のおれの目には鶴田がアップアップで息が上がってるようにしか
見えなかった。ブッチャー、やレイスにピン負けした時も。
あれがまさか余裕の塊だとはなあ。 戸口は全日に残っていても3、4番手のままだろう
馬場はデカいレスラーが好きだからそのランクより下には落ちなかっただろうが
エース級になれたとは思えない
戸口の離脱がプロレス史に巨大な影響を与えたのは天龍の売り出しにつながったからなんだよね
戸口が残っていたら天龍がなかなか戸口を抜けずに35歳位になってエース級になんてなれなかった可能性がある >>496
馬場はNWA王者になる以前のテリー相手に
PWFの防衛戦やってるけど、その時の感触で
自分とは手が合わないと感じたのでは? 場所はそちらも蔵前なんだよな
そして次にテリーがPWFに挑戦したのは両国での長州戦
まさに蔵前に登った太陽が両国に沈んだって >>486
日プロ時代は青二才臭かったテリーが全日で馬場のPWFに挑戦した時は「シリーズの
エース」に相応しい貫禄がついてきたと馬場は喜んだらしい。
>>480
NWAチャンプの呪縛から解放されて暫くたったオープン選手権の頃がドリーの全盛期と言う
声もあるね。
それまで強さをあまり感じないのにブッチャー相手に喧嘩ファイト、ブレンバースター
で投げる力強さだった。そんなドリーにめずらしく試合ペースを握らせないジョナサンも
本気モードで強かった。この二人の試合が事実上の決勝戦だった・・・ >>511
https://pbs.twimg.com/media/DqPVfixUcAArB4O.jpg
ドリーのピンナップ(別冊ゴング』1976年9月号)のいかにもタフに見えること。
アンドレと対戦しても、体中からパワーがみなぎってる。腕の太さや髭面もいかにもタフなテキサン。
この76年のファンクスと80年代前半のハンセン&ブロディがやったらまた全く違うものになる。
妄想が膨らむよw テリーいわく「地元のスターが世界チャンピオン以上の力があるように見せるのが
NWA世界王者の役割」なのでドリーもレイスもNWA世界王者を降りた後の方が強くなった印象になる テーズからいつの間にそういう役回りになったんでしょう? >>515
鶴田はそれができないからNWA王者にはなれない。
藤波はそれができる。 >>516
テリーの自叙伝に書いてあるが、
「テーズは、時に、レスリングが出来ない挑戦者に対し、徹底的に潰してしまい、
そのテリトリーを壊滅状態にしてしまった」
例としてブル・カリーやアントニオ・ロッカも挙げて
「だから、テーズは偉大なレスラーであっても偉大なNWA世界王者とは言いにくい」
と語っている。
NWA戦ではないが、日本で行われたG草津とのTWWA世界戦も、
この例に当てはまるな。 馬場の著書でよく書いてあるのが
頑固親父フレッド・アトキンスはロッカの事は
「あんな飛んだり跳ねたりする奴はまともなプロレスラーじゃねえ」と酷評していたが
バディ・ロジャースの事は高く買って親しく付き合っていたということ >>517
日本に放送されるから藤波でも無理だよ。
ダーティに勝ったり、反則負けタイトル移動無し防衛繰り返すからね。 サンマルチノも酷評してたロジャースは嫌われ者だったらしいが馬場は絶賛なんだよな 桜井康雄なんかロジャースが好きすぎて、フレアーをパチモノ扱いしてボロクソに言っていた。 >>517
>鶴田はそれができないからNWA王者にはなれない
AWA王者時代それやってなかった?
ピン勝ちで防衛したのはロビンソンやブランゼルくらいで、
大半は反則負け防衛だったような。
マリガン、ランザ、ラシクみたいデカいのと多く当たっていたのは
鶴田の反則負け防衛に説得力もたせるためだったんだろうな。 藤波は小さくて鈍臭いから普通にしていても弱々しく見えるだろな、実際弱いし。 藤波「本当は馬場のところに行きたかった。猪木さんの付き人だったから否応なしに新日行かされた」 猪木が独立したとき馬場は日プロだが
日プロに残りたかった?馬場が独立したとき全日に行きたかった? >>518
ということは、馬場にフォール負けを許したのはレスリングの技術と実力を認めたということなんだな。 >>518
ブル・カリーはキワモノではくて
シューターだが、、 >>525
>>526
佐藤は「藤波は猪木さんのところに行きたくないと泣いていた」と証言してるね。
そりゃ先の見えない新団体より安定している日プロの方がいいに決まってるが
結局は出奔して猪木のところにいっちゃったわけで、右も左もわからない十代の
付き人なんて、結局親分のとこ行く以外の選択肢ないんだろうな
>>527
テーズが馬場のレスリング技術を評価していたという話は聞いたことがないが
かといって、草津みたい恥をかかせてやろうとしたって話も聞いたことない
プロレスをやる相手として評価していたけど、それ以上でも以下でもなかったのでは >>523
鶴田は反則負けをやったけど、やり方がショッパイんだよ。
客席やカメラを見ながらオリエンタル色を出した憎々しい表情でやらないと客に日本人のヒール感が伝わらない。
ヒロ・マツダもローデス相手にお辞儀、塩投げ、空手チョップ、オリエンタルクローなど日本色を出して憎々しくやってる。
https://www.youtube.com/watch?v=297xcCBbgNk 鶴田みたいに大きくて動けるとどうやって負けるかが難しい。
キャリアの初期には若さを露呈して逆転や反則暴走が使えるけど5年もキャリアが付いちゃうと難しいね。
AWA遠征時は日本向けの全日エースとしての試合と現地向けのヒールの両方同時にやらなきゃいけないから中途半端の極み。いくらなんでもブレーンドリルでギブアップできないし。
レスリングが重視されてるAWAとはいえこの当時は出てくる選手みんなロートルでびっくりした。さすがの名選手達も動きが悪くてね。 でも、藤波は全日行ってたら小川みたいな感じで終わったんじゃないか >>532
藤波が全日に行っていたら
ルックスが良くてプロレスセンスもあるからクビにはならなかったとは思う
ただあの体格じゃずっと渕のポジションだっただろう この頃から天龍とター山は仲悪かったんだよね
ター山はSWSとWAR共に取材拒否食らってるし ター山は「俺が、俺が」で他のライターみたいに「よっ大将!日本一」って持ち上げないから >>531
NWA王者が日本に来てもアメリカ向けの事情なんて考えなかったので
日本向けの事情をと考えるのであれば王者になるべきではない。
ホーガン、アンダーテイカー、ルーガー、ウォリアーズ・・・
鶴田よりデカイ筋肉マンは沢山いるからのっぺり体型の鶴田の負け方なんていくらでもある。
ジャンピングニーを避けられてコーナーに激突→スクールボーイでタイツ引っ張られて高速3カウント負け。
確かAWAはトップロープからの攻撃と鉄柱攻撃は即反則負け、オーバーザトップロープ負けなどを双方でやればいい。 馬場がセントルイスでブリスコのNWAに挑戦したとき昔みたいな悪党ファイトをしたらしいがウケなかったらしい >>536
AWA戴冠は鶴田に箔つけて海外防衛戦までやるのが決まりだからそんなこと言ってもね。戴冠したら放送しなきゃならんし。
日本とアメリカのプロレスが完全に別れた時期でもあるんで客の嗜好が違いすぎて両者満足させるのは無理だよ。ニック鶴田戦は日本じゃ好試合だけどアメリカじゃ喜ばれないよね?
ホーガンもウォリアーズも当時の日本の古いファンから見れば不器用で下手糞な見栄えだけいいやつ扱いだっただろう。ルガーなんて試合見てないのに見かけで完全な塩扱いだった。 ルガーは実際、塩だったじゃん
日本的なプロレスでは 鶴田がAWA王者としてサーキットした時のヒールっぷりは
鶴田「最前列のご婦人にぬぐった汗を振ってかけたりしたよ」
永源レベルw >>514
全く同感。ジュニアが南アフリカ(?)での重度の食中毒でのウェートダウンは大きかった。
それで一旦ファンクス神話は終わり。70年代のレスラーにカテゴライズされちゃうんだな..
ヒューストンでのテリーのレイスへのリマッチのコンディション観てよ。脂乗りきった大トロだよ。 >>537
セントルイスでのブリスコは外様でヒールだから、馬場は日本での戦いをすれば良かったと昭雄は言ってたな
じゃあ試合当時忠告すりゃよかったじゃんと思ったが、馬場は付き人のいう事なんか聞き入れる器量は無かった Youtubeにあるミズーリのやつだろうな。音声ないから観客の受け具合分かりにくいけど
ブリスコが1本目取った時は湧いてるように見えるな。
https://youtu.be/JGknKAqW4N4 いまジータスで鶴龍とジャパンのインタータッグ抗争を放送中
これでPWFタッグ新設以来は微妙な位置になっていたインタータッグが一気に復権 PWF世界タッグって要はハンセン、ブロディのためにこしらえたベルトでしょ?
片割れのブロディがいなくなったんだから存在意義なくなったはな。 >>364
柔道礼歳作家が反論してきそう。分厚い本で 最強タッグリーグが開催されるようになって以降は
タッグ選手権もおざなりになってた気がする
ファンクスもハンセン、ブロディもほとんど挑戦してないし
ブッチャー、シーク組は一度もインタータッグに挑戦したことがない ブロディ離脱後のPWFタッグはデビアス売り出しに使われた印象 >>531
でもランザのこめかみグリグリで鶴田がやられてるシーンが一番受けてたなw >>530
それはね、日テレが放送してなければデビル鶴田になれたんだ。
日本での強い鶴田。全日本もエース鶴田を崩すわけにはいかなかった。 >>550
これはプロレスごっこでも十分ウケる技でお笑いだよな。 >>542
出場レスラーの経歴を事細かに記したパンフなど
アメプロでは珍しく通のファンが多かったといわれるセントルイスでも
ヒールマッチやベビーマッチは受けないんだな
ヒール軍団同士の抗争売り物にしたダラスマットは進んでいたのか >>543
馬場がランニングネックブリーカードロップをかわされるのはめずらしいね。海外だと
ドリーもかわしているみたいだけど。ブロディは体を反転させてダメージをやわらげる
これもめずらしい攻防をPWFタッグ王者決定戦にやっている・・・ 天龍はゼニクレージーみたいな男だな
どこが男気なんだ? まさかのコンドールマン! でもレインボーマン程有名ではないのが残念。 >>550
梅干しと言って担任教師にやられた思い出
当時は50センチ定規で太股をバッチーんで打っ叩かれたりもした
昭和は体罰上等だった >>555
馬場はスモッグトンで鶴田はコインマーってところか 良い記事だ
ハンセン人気にマスカラスとばっちり!? 馬場元子も絶賛の名勝負!ジャイアント馬場23回忌追善興行のテーマに!馬場vsハンセンを振り返る!
ttp://boku-pro.com/news/view/20444 今日は韓国コンビのインタータッグ奪取日
いきなり初挑戦で奪取のドクが凄い https://pbs.twimg.com/media/EimxnHPVkAAcgg5.jpg
マイテイ、石川、渕、ドラゴン、大熊対永源、栗栖、保永、新倉、仲野
さすがにこれで全日が負けたら恥だ ジャパン参戦時代を知ってたから武藤全日本にも違和感が無かった ドクはシングルだとデストロイヤーにピン負けだし、大木とのタッグもピンは殆ど
大木で影が薄い感じに見えたからタイトル奪取はまさにサプライズだなあ。 >>563
こんな5vs5あったんだ?
結果教えて。 インタータッグは昭和全日本ではむしろ登竜門的な王座だったが一発で取ったのはドクとキャンディだけか あれだけさんざん荒らしていたガラプーが、急に真面目な書き込みしても誰も相手するわけないよな。 >>567
ポスターのデザイン的にそう見えただけでそんなカードはない。 よーく見ると大熊と小鹿の扱いの差も凄いポスターだな、笹崎と同じ扱いとか小鹿は激怒しそう。 >>563
日本人イケメンランキング
保永>剛>小林邦 貶める気は無いが、保永も剛も小林もイケメンとは思えないな
このポスターの中ではマジックドラゴンが一番ハンサムと思う >>566
全日本の蔵前でのインタータッグは鶴田の凱旋とこの時だけか
ある意味ではドクの凱旋試合ともいえそうだが お世辞でも皮肉でもなく、国際時代〜新日で藤波のWWFジュニアを
奪った頃の剛はハンサムだったよ。それも含め、国際の新人オーディションに
合格し、若くして海外に出され将来を嘱望されたんだから、
でも、全日時代から、だんだん顔に品性がなくなったよ。 全日本時代の剛のハイライトはやはり名古屋での乱入か
お前なんか俺で十分だとばかりに井上が掴み掛かったのも印象に残る >>573
このポスターの中じゃ菅原が一番ハンサムだと思うけどなあ
写真小さいから目鼻立ちよくわからないが。
>>575
「警視庁殺人課」だっけ?最終回で全員殉職した菅原文太主演の伝説のドラマ
あのレギュラーに抜擢されたくらいだからあの頃はハンサムに見えたんだろうな 剛竜馬やロッキー羽田が
一時とは言え
イケメン扱いされていたのは
長年理解出来ないでいる現象のひとつ。
剛に至っては応援団!がいたり
黄色い声援!があったなんて
ガチ信じられない。
味が感じられる「雅夫女」、
ついぞ本人と結婚した?アポロの嫁の方が全然わかる。 昔、週プロ?ビッグレスラー?
プロレスカフェ?で
やたらアポロをイケメンアゲしてた投稿者がいたが、
あれは現在のアポロの嫁なんじゃないかと半分くらい思ってたりする。
半分なw 田上だって美男力士と呼ばれた位プロレスや角界の美男のハードルは低い 新日は藤波と健吾がイケ面スターだったが、
他が小鉄、星野、永源、キラーカーン、荒川、栗栖、藤原らだからな。
全日は鶴田、三沢、小橋あたりがイケ面として人気があったが、
他が馬場、戸口、極道、カブキ、クツワダ、林、百田兄弟、伊藤、肥後、石川らだからな。 京平は、天龍入団のさい、馬場に、
「これで新日本さんしか行かないお姉ちゃん客がこっちにも来ますねえ」
と話していたらしいよ
確かに相撲時代は…
https://i.imgur.com/tFp8sw2.jpg まぁ昔はスポーツ選手で整った顔を持っている
人材は少なっかったからなぁ。。。
肥後とか伊藤正男あたりのマスクでも
標準レベル。 ケビンナッシュって全日にいた時は雑魚外人だったよね >>580
>剛竜馬やロッキー羽田が一時とは言え
>イケメン扱いされていたのは長年理解出来ないでいる現象のひとつ。
晩年の惨めなイメージが強いからじゃないの?
藤波のライバルだったころの剛はイケメンに見えたよ
羽田がハンサム扱いされてたのは当時でも不思議だったが
>>584
天龍は「大きさもそこそこ、スピードもそこそこ、顔もそこそこ良い」と自称してたな
相撲時代から美男扱いされててまんざらでもなかった半面、馬場や鶴田と比べて、
プロレスラーとしてこれといって突出したものがないことを悩んでたんだろうな
結果的に、全日は岩釣から天龍に乗り換えて正解だったけど 新日だって男前はほとんどいなかったよな
藤波は飛び抜けてたけど 内館牧子だったっけ?
「プロレスラー美男子列伝」とかいうエッセイ連載してた
横審の委員勤めている作家。
あの連載のラインナップには無理を感じた
>>588
藤波って鼻低いし、顔立ちそこまで整ってるわけでもないでしょ
カッコよく見えたのは、腹筋バキバキの細マッチョ体型補正がかなり大きかったのでは >>580
旧UWFの頃の剛は佐々木剛っぽくて
今見てもカッコよかった。 >>590
さすがにそれはおかしい
80年代頃までの藤波は誰がどう見ても男前だよ >>592
そんなだった藤波が美人の夫人との間に……。
遺伝ってうまくいかないよなあ。
鶴田の息子は父親に似ちゃあしょうがないなあと思うけど。 >>595
ナッシュが来日したのは2012年の全日 ハンサムじゃなくても女性ファンを魅了したファンクス。 >>600
長年の疑問。
テリー人気が爆発したのはオープンタッグ決勝の
ブッチャー、シーク組戦の
フォーク攻撃からの「テリーがいったーー!!」倉持絶叫。
と定説だが
あの流血戦に女性が惹かれるのだろうか? >>602
ドリーと比べてイケメン、兄弟愛、やんちゃ、欧米人コンプレックス…
母性がくすぐられる要素はあるなw
翌年からはGIカット風の短髪から伸ばし、人気にも拍車がかかったのでは?
あと、キン肉マンの連載は始まってたのかな⁇ 初来日が全日本でパッとしなかったのは
ハンセン、バックランド、スタッド、ヘラクレス・ヘルナンデス、ボブ・オートンジュニア >>584
全日本にはイーデスハンソンくらいしか来てなかったからな
工藤静香や常盤貴子が来る様になるとは >>605
リック・ルードとマニー・ヘルナンデスも仲間に入れて下さい >>605
バックランドもオートンジュニアも光るものはあったぞ バックランドとオートンjrが全日に来た時は公称身長どうだったんだろ。
二人とも本国では6フィート1インチ185〜6cm。
新日ではオートン195cm、バックランド193cmだった。 >>605
スミルノフ、チャボ、ホンキートンクマン スマザーズはスリンガーと組んで最強タッグに出てたか >>605
バズソイヤー、マーティジャネッティあたりも スマザーズ、昭和の全日に来日してた?平成じゃない? >>615
ソイヤーは良かったよ。
翌シリーズも連続でブッキングされてたし、来なかったけど。 >>607
マジで!全日では微妙だったけど、インディでは名バイプレイヤーだったなぁ。
RIP >>615
>>617
バズ・ソイヤーは素晴らしくて最強タッグにエントリーされたしブラッド・レイガンズは鶴田ともシングルやったりして週刊ゴングでレイガンズのスープレックス講座が連載された
その時ダミー人形みたいに投げられ役やってたのが三沢光晴 ソイヤーはギャングとのコンビの予定だったか
超獣コンビとの対戦が見たかった 最近のハンセンのインタビューでロン・バスとインタータッグ奪取した事を聞いたら
「それはその当時の全日が決めたことで…」と身も蓋もないことを言っていた
ハンセンはバスに特に思い入れはないみたいだね マーティジャネッティやティムホーナーも全日本初来日だったね
その後の活躍は知らん 以前に週プロでハンセン特集をやった時にはバスをデビアスよりも評価していが カルロスコロンって全日に来た事ある?ハンセンがその人のタイトルに挑戦する動画見たんで >>625
もちろん来てるぞ。ブラックパワーシリーズとか、今ではそんな名称は放送できないだろうな。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm22493357 コロンは肌が黒かったなーまさにブラックパワーシリーズに相応しい 急に思い出したが、ブラジル&コロン組で極道コンビのアジアタッグに挑戦したんだよな。
タイトル奪取したところで、日本だけでしか一緒のツアー回ることなんか絶対ないよね。 >>625
全日本には2回来てるよ。
@79年8月『ブラック・パワー・シリーズ』
A87年3月『'87チャンピオン・カーニバル』
Aではそのハンセンと一緒に来日してるよ。
コロンは「ハンセン軍団の一員として暴れ回るだろう」と言われていたけど、
ハンセンと絡むことはなかった。
"プエルトリコの帝王"も日本では谷津やタイガーにピン負け、石川や仲野と両リンがやっと。
ハンセンがプエルトリコでコロンの保持するWWCユニバーサル・ヘビー級選手権に挑戦していたのも同時期だよ。
AWAでトラブったハンセンが86年10月からWWCに再登場。半年にわたるコロンとの大抗争がスタート。
馬場とコロンがプロモーター同士としていかに蜜月関係だったかということ。
前年の86年9月には、馬場がプエルトリコ遠征してWWCのリングに上がってるよ。
ブッチャーと5年ぶりに対戦したり、ちょうど輪島もいたな。 ジャパン大量離脱後のテレビ一発目のテレビ中継オープニングマッチが石川対コロンだった
81年頃に時が戻ったかと思ったな… ブロディを刺したゴンザレスを権力で無罪にした事で
プロレスファンにダーティーなイメージが付きすぎたな 当時のアジアタッグへのブラジルの挑戦は直後のオールスター戦に向けた極道コンビへの箔付の印象
とにかく外人で日プロと全日本のアジアタッグに挑戦したのはブラジルだけか 来年の五輪のハイライト番組あたりで
カクトウギのテーマでも使ってくれないかなぁ・・・日テレ カクトウギのテーマは時間切れ引き分けのテーマにされて
しまったが、次回予告編のテーマにこそ相応しい。
あのワクワク感がたまらない。 石川ーコロン、コロンが4の字固めかけたまま両者リングアウトというショボーンな終わり方だったな。 >>638
そこはコモドアーズの『マシンガン』だよ! カクトウギのテーマは引き分けに終わった場合の延長コールやブーイングを封じ込めるのに最適な選曲
あれが流れ出したらもう拍手するしかない
まさに大団円だって カクトウギのテーマは哀愁感があるから次期シリーズ予告にはチョットなー
スターウォーズもCカーニバルならいいと思うが、AWAや海外遠征のイメージが強い。 マスカラスが来るサマーアクションシリーズ予告のスカイハイは鳥肌ものだったな。 カクトウギのテーマは、どうもファンクスがハンセン&ブロディにめった打ちにされてるシーンがリンクしてしまう カクトウギのテーマは、1988年3月の放送時間変更による告知VTR以降しばらく使用されなかった
久々に流れたのは1990年6月の鶴田VSゴディの三冠移動劇だった カクトウギのテーマが入ってるアルバムは音楽界でも名盤扱いされてるよね。 「サマー・ナーヴス」にはシックや渡辺香津美も参加していた
(香津美はレーベルの関係でAブッチャーを捩ったような別名義) 同じ千葉大会では田上の唯一のアジアタッグもあったな
ちなみに今日はマシン唯一のアジアタッグ 仲野信市はそのアジアタッグの次の日から欠場結局離脱したので仲野にとっては全日本ラストマッチになったんだな プエルトリコのエースでもあるカルロスコロンの得意技って何だったんだろう >>617
ジェリーローラーを忘れてた
待望の初来日のテレビ登場がオープニングテーマの中でのマサ斎藤、カーン戦だけだった >>644
バックに倉持の絶叫が入ってるのが最高!
だと思ってたんだが。 >>655
レッグドロップだったような?あまり迫力ないから、ギロチンドロップとは呼ばれてなかった。 プエルトリコは島だけどギャラがWWFの次位に高額だったので
アメリカの一流どころが遠征して来ていた
そういう点は日本と似ていた(治安は天地の差だけど) ジャイアントヘイスタックが小鹿に2分台で負けた試合の決まり手は何だったんだろう… 仲野はその二年前には同じ会場で俊二とアジアタッグを取ってたんだよな
ちなみに十年後には田上が同じパターンで離脱 >>660
谷津、カーンに負けたのはコーナーを利用してフォールと書いてあったが
足をひっかけてフォールなのかな? >>651
タイトルトラックはマジ大好きだが、人に聴かせると
教授のボーカルに皆引っくり返る…. >>650
鶴田と三沢のシングルもさりながらゴディが先に奪取した三冠でハンセンの挑戦を迎えるという図式にも新鮮さを感じた当時 カクトウギのテーマは、新日時代のローデスの入場曲で使っていたイメージも強いな。 カレリン戦用の肉体改造前の前田日明の体形とどっち酷い? ニューブラックジャックスてテレビに出たっけ?
スーパーJのサンダー&ライトニングスはテレビ出なかった >>673
バリー・ウィンダムとJBLのニューブラックジャックス?
最強タッグの試合が一試合TV放映されてた。
相手がオブライトとウィリアムスだったかな? >>674
ウィンダムとウィリアムスのパンチの撃ち合いは迫力満点 >>673
ハンセン&ダンカンJrも一緒に参加してたけど、あの面子だったら
ハンセン&バリー
JBL&ダンカンJrのテキサスムスタングス
の方がしっくりくるし面白かっただろう。
WWEからの派遣だったから仕方ないけど。 全日と新日
ゲームなら全日の方が上
ってか新日ゲーが糞ゲーすぎるのか、闘魂烈伝もゲーム性は結構酷いからな 元祖ブラックジャックスは日本では実現してないんだったか 馬場が著書で「ランザよりマリガンの方が上」と書いていた
ここらへんはレスラーじゃないと分からんな ジャイアント・ヘイスタックもテレビで、見た記憶があまりないな・・ >>679
そのマリガンにPWFストレート防衛してしまうのはどうなんだろう。 ヘイスタックは番組オープニングで馬場に羽交い締めされてたな。
馬場の方が少し背が高かった。 >>659
日本のギャラはテレビ放映権料の
おかげで、入場料収益じゃあないよなあ。 アメリカはテレビで放送されると、客が会場にこなくなるという
商売形態だったんだよな。 「この結末は会場で!見逃すな!」ていう商法みたいだったはず。今はPPVとかあるしね。 WWEは、RAWやSMACKDOWNで煽ってからのPPVが定着しているが
やっぱり一大エンターテイメントをライブで体感したいのか、
どこもフルハウスみたいだな。 マリガン大きいからな。
ウィンダムとブラッドショーとではブラッドショーが大きかった。
タイガースープレックスみたいの最初の方でやってるな。
https://www.youtube.com/watch?v=Ml6uoHBKUXw バリーは分裂後の最強タッグにも兄弟コンビで出てたな
そしてドームではロトンドにカートとトリオ結成 >>682
羽交い絞めにしたのはヘイスタックスの方ですよ、シンのサーベル攻撃を誘発するために
案の定馬場はかわしてシンのサーベル&馬場の16文&カブキの正拳突きで完全フォール負け >>654
最終戦の武道館で前半戦の解説してたな
マークスカルパにブレイクダンス習ってるって言ってた >>690
あっさりフォール負け多くてそんなに弱いとはとがっかりした。
初戦の小鹿には秒殺、次のカーン戦も鶴見乱入の反則負けだからそれなりとは思っていたのに。 ヘイスタックスと同じくIWGP候補に挙げられたワラスも不振だったか >>679
いや、わりとハッキリわかったと思うw
向こうでランザの方が上だったのはAWAの幹部だったから
ランザは立場的にはマリガンはもとよりニックよりも上だったんだよ ランザは長身だが、ろくに筋肉もないし、少しも強そうに見えなかったな。顔は味があったが。 Wikiに記載されている、テリーをブレーンクローのまま場外に投げ捨てたというのは本当だろうか
ランザにそんな胆力と怪力があったとは ランザが現役王者ニックのパートナーとして最強タッグに来たのは介添役という意味もあったか >>697
テリーが協力すれば可能ww
F.Vエリックが、初来日時、馬場をブレーンクローのまま
リング下からリングに持ち上げた!と伝えられているが、
あれも、馬場が協力している。 >>699
エプロンに立ってブレーンクローで掴まれた鶴田もトップロープ越しにリング内に引きずり込まれてたな ブラックジャックスとテキサスアウトローズは
70年代の最強タッグで見たかったな >>684>>686
昔のプロレスもTV放映は会場に客を入れるために宣伝番組の色合いが強かった。
だから挑発するインタビューが重要で日本人レスラーには捲し立てる悪徳マネジャーが
必要だった。
MLB等は地元のチケットが完売になってやっと地元のTV局で放映する場合がある。
試合数が少なくTV放映権の恩恵が大きいNFLはチケットはいつも完売状態なのでTV放送
のCMを打っている。
WWEはTVショーでひと月かけてPPVの宣伝を行っている。あとPPVだけで無く劇場での
クローズドサーキットも行っていて盛況。レッスルマニアなんかは早めに予約しないと
チケットも取れない。 ブラックアウトルールね。
NFLはチケット完売しなかったらスタジアムから半径何十マイルのエリアはテレビ中継受信できない、ってのがあったけど今は撤廃されてるね。 プロレス見始めたガキの頃、新日は金曜ゴールデンで定番だったから毎週見れて
内外の選手の顔も覚えて親近感があったが、全日は深夜か夕方。つうか当初いつ放映してるのか知らなかった。国際も同様。
月刊誌なんかで馬場や鶴田、ブッチャー、デストロイヤーらの試合グラビアを見ても
その誌面だけのイメージでしか接することが無かったな。 >>704
ゴールデンタイムに居続けるのは苦労もあったと思う。山田邦子出したり海賊男出したりビートたけし出したり。 >>705
>山田邦子出したり海賊男出したりビートたけし出したり。
皆、裏目に出て、結局、それでゴールデンから外された。
まぁ、そういう仕掛けを、なにもしなくても外された、と思うが(苦笑) 過激な仕掛人がいなくなった後の仕掛けが全て失敗
新間は新間で失敗
猪木あっての新間で新間あっての猪木だった 小2の時バイオマンの話を学校で馬鹿にされてショックを受けてたまたま裏の全日見てはまった
でもシャイダーは許されたんだよな何故か
三人大集合の時ギャバン禿げてたってクラスじゅう騒いでた 78年の最強タッグで元インタータッグ王者の大木&ドクが全敗ってのも、あんまりだな。ニック&ランザ、ロビンソン&アンガスとなら最低でも引き分けにできそうなもんだが。前年は大木&ドクはロビンソン&ホフマンという強力チームに勝ってるのに。 >>710
この時点で韓国師弟コンビは賞味期限切れだったから、全敗最下位にしたんだろうな。
半年後の師弟仲間割れブックも、この時にはその構想がもうできていたと思われる。 >>710
大木とドクのコンビを解体する前提なら全敗でも納得。現に大木はブッチャーと
組み、それに対してドクは全日入りしてタイガー・戸口となったから。 >>710
入場テーマ曲まで与えられたのに酷い扱いだったな
翌年の新春ジャイアントS最終戦の鶴田VSドクで全日入りの伏線が出来ていた オープンタッグ戦と78最強タッグでは出場チームの数が全然違うんだな
フレッシュチームと混合チーム、格下のレッドがいる覆面組
チームワークが最悪の欧州組に韓国組が勝利を収めても
最強タッグは少数精鋭のリーグ戦だったから韓国組に白星配給係を押し付けたと オープンタッグ時、インタータッグ王者だったのに優勝候補に挙がらなかった大木&ドク 今日は横浜文体でのブッチャーとテリーのUN戦の日
その後の全日本の文体重視の原点はここか >>707
逆に逆にいってたからな
新日本ファンならUWFにいくのにな >>709
まぁ、金剛レギュラーだからプヲタ的にはバイオマンは正解だよね。
ジュウオウとのタッグは今でも評価高いし。
前作ダイナマンでは、ギロチントカゲと試合してたし。
っていうか、何故か小学生になると昔は特撮見てると馬鹿にされる傾向あったよね。
で小学校卒業すると、見てても個性のひとつとして許されるんだよなぁ〜 >>720
YAMA TO MIZU(山と水)
鈴木宏昌の作編曲、演奏は早稲田大学ハイ・ソサエティー・オーケストラ
78最強タッグの入場式で確認出来る
1984年頃のキューアタックで頻繁に使用された >>708
恋人・猪木を巡り小鉄、新間、坂口と奪い合う四角関係だったと言う話は面白いね。
それだけ「レスラー猪木」はとても魅力的だったんだね。 >>718
それまでの中規模会場のメインが川崎から文体に移行し始めたという意味 川崎行ったことないけど文体よりアクセス良いんじゃない?
首都圏に転勤の時津田沼に住んでたから文体は滅多に行かなかったわ、横アリはカードが良いからいってたが >>725
駅から会場までの距離が文体と川崎では3倍位違った
京急駅からなら多少近かったけど国鉄駅だと結構歩いた 川崎は行ってないけど、文体は関内駅から歩いて10分もしないで着く 駅から遠いんなら話は違うな、文体は関内の駅前からすぐだし。会社は新橋だったが飲み会で中華街によく行ってた むしろ川崎の方がBI分裂以後に使いだした感じなんだよな
そして両団体共に昭和五十年代の終わりと共に使わなくなった印象 オープン選手権最終戦、川崎市体育館。
駅から何分はいうにおよばず、どんな場所かも皆目わからない地方の中学生だったが
威厳と風格のある会場なんだと思ってたよ… 川崎は 馬場vsホフマン、鶴田vsエリック、鶴田vsマスカラス、
猪木vsボブ・ループの印象 シンとブッチャーの新日本初登場
そして両者共に馬場のPWFに挑戦 ブロディ日本で最後の試合
セミは鶴田がブバに足関節で勝ち https://pbs.twimg.com/media/EWKTWhKUcAAhvZY.jpg
1988年4.21川崎市体育館輪島大士vsトム・マギー!
行き過ぎた現代プロレスに向けたアンチテーゼ! ブロディは川崎でデビューして川崎で最終マッチを行った 文体、文体って言っている人は、皆、横浜の人なの?
横浜以外の人が「文体」と呼ぶのはオカシイよね?
東京か横浜以外の人間は「横浜文体」あるいは「横文」だと思うがね。 まぁ地方から東京に来た人は、「文体」というものだと
思って、そう呼ぶかも知れないが、、根っからの東京人は、
「なんで横浜の言葉を使わなければならんだ?」と思うよ。 >>736
ちょうど今日はジータスで最終マッチを放映
あるいはこれが全日本としての川崎ラストマッチでもあるか
そして新日本は猪木がホーガンを病院送りの最後のMSGタッグ開幕戦だったか >>742
あれヒドいよな、最初から1試合だけ出場の契約だったんだろ?だからパートナーがワイルドサモアンだったと納得。 全日本ファンだがマードック・アドニスとキッド・スミスの一戦も見たかった マードック&アドニスとブロディ&スヌーカの対決は85年の1WGPタッグの目玉だったのに、アドニス不参加で心からがっかりしたな。 >>742
地上波テレビ収録はこれが最後かもね
平成以降もノーテレビで年一回くらい使用してた 別にいいじゃん
リック・フレアーなんかテレビインタビューで
GIクライマックスって言ってたからな
俺は聞き逃さなかった >>746
Iと1を打ち間違えた。IWGPタッグ・リーグ戦 のことね。 >>743
最初のIWGPでの鉄柱送りを今度は猪木が延髄斬りでお返しといった感じでしたね
そして二年後には前田組との公式戦で誤爆 デイビーボーイ・スミスって、ある意味テリー・ゴディより早熟タイプだよね。
13歳デビューのゴディより若干遅いけど、15歳でプロレス入り。
19歳でキッドを破って英連邦ミッド・ヘビー級王座獲得。
翌年に20歳になる直前に新日本へ初来日して、そこからトップクラスで活躍。
練習生として日本に来ていたクリス・ベノワやリチャード・スリンガーなんかは別として、
既に確立された外国人レスラーが19歳で初来日って一番若いんじゃないかな。
ゴディより早い39歳で亡くなってしまったが。 >>747
代わりに文体が目立ち始めるんだよな
昭和最後の年では藤波対猪木に鶴龍対決で >>730
50年代以降は両団体とも首都圏興行は
23区内では2,000規模だが「本拠地扱い」のホールと
シリーズ内のビッグマッチ開催で8,000〜10,000規模の国技館や武道館、田コロで開催、
その中間の4,000〜5,000規模での開催は
意図的に大宮や文体や千葉公園といった周辺地域の中規模会場に割り振っていたと思う
なお国際にとっての「国技館・武道館」は大田区体育館 国際の大田区となると二階のガラガラが目立ったサモアンズと草津・浜口のリターンマッチかな
同時の浜口はアジアタッグとの二冠王 >>739
藤沢の秋葉台文化体育館も神戸の兵庫県立文化体育館も
「文体」と呼んでいるけどな。 川崎は会場内のラーメンがうまかったな。
文体は温かいホットドッグ。
大田区は何だったかなあ? >>739>>740
ドラマ「まほろ駅番外地」で横浜に調査に出向いた主人公が現地のチンピラにボコ
られて情報屋に「横浜文体でプロレスかよ〜w」なんてシーンがあった。 >>752
ザ・コブラの日本デビュー戦をぶち壊したのは若さゆえの過ち
だから大目に見ろと? >>747
四天王初期の93年の5月にテレビ中継があった。 >>760
調べたら98年10月も日テレ収録(サムライTV放送分)あったね
しかも観に行ってたのにまるで憶えてないwww >>754
6000人ほど入る台東区体育館が使えれば重宝したと思う
あるいは80年代の品川PHゴールドホール。 行ったことないけど、鶴間にある大和車体工業体育館もよく使われたね
キャパ 2,000人程かな? >>759
大目に見たのは新日本
まあ翌年のリーグ戦ではキッドが公式戦で負けて始末を付けた感じか >>759
その10年後、WWF帰りのスミスに負けブック呑ませまくった全日ってやっぱ凄い サマースラムで八万人集めたのはブレットじゃなくて自分の功績だと思い込んで天狗になったとか
三沢にガチエルボー入れられて日本嫌いになったとかネガティブなイメージ付きまくり >>766
三沢は三沢で、スミスの髪の毛のジャラジャラがグラウンドのとき痛いから嫌いだって言ってたな。 三沢とスミスといえば三沢の唯一のアジアタッグで当たってたか
確か全日本の広島県立体育館でのラスト興行でバトルロイヤルでスミスが優勝 >>768
攻撃が少しも痛くなくて困ったよww
あ、でも腕のジャラジャラで締められると痛かったww
これが週プロに載ってたかなぁ。
雑誌が日本贔屓とはいえ三沢も書かれるとは思わなかったろうなぁ。 スミスは仮にも東京体育館のセミでローデスJrを破った男なんだけどな >>770
まあ、これが三沢達のスタイルの凄い部分でもあったけど狭めてしまったデメリットでもあった。 狭めてしまった事が後の事故にもつながっていくしな
六冠達成もだが会場は違えど三沢と広島の因縁も興味深い キッド&スミスは最強タッグでフォール負けは84年のハンセン&ブロディ戦、85年のハンセン&デビアス戦だけか。なかなか厚遇されてたな。 やたら売店が充実していた横浜文体。二階席でお菓子食べながら見てた
川崎は二階にトイレがあって何気に便利だった。
照明が吊れない大田区は、中継があるときは野球場の照明みたいので四方から照らしてた。中継が無い興行ではその照明を設置するスペースに座って見てた。 >>774
移籍直後公式戦じゃないけど天龍ラッシャー組と両リンだった 地方民から見て川崎は野球もプロレスもガラガラで風俗街とか場末のイメージ
初めて川崎駅に行って小綺麗さに驚いたわ、蒲田駅前みたいなイメージを持ってた。蒲田も今は綺麗だけど 川崎の全盛期はやはり大仁田が球場でビッグマッチをやってた時か >>762
まあ昭和も50年代以降はシリーズヤマ場は
国技館や武道館といった大会場での自主興行ってのが定着した分、
都内23区外及び横浜埼玉千葉といった首都圏近郊のプロモーターにも
売り興行で儲けてもらう機会を提供するために配慮して
23区内での中規模会場での興行は控えていったのかもしれない
あとはやっぱり日大講堂の閉鎖かな
この時期辺りからの23区内でのホール〜国技館/武道館の間を埋める
中規模会場での興行が減ったのは 大仁田が川崎をよく使ってたのは使用ルールが緩かったからかもね、メインとか試合時間10分で試合後に20分くらい場外乱闘してたし
全日本のブッチャーシークの時は会場からクレームとか聞いたことないけど >>773
事故は直接的には関係ない。
普通のバックドロップだもん。 普通のバックドロップが死因になるくらいのダメージが蓄積されてたって事だろう… エルボーとフェイスロックだけやってればいいファミリー軍団枠を作っておけば良かったのに >>780
93年の川崎球場なんかまずセミ前に有刺鉄線6人タッグだったから
設置に20分、はずすのに20分
その後のセミがベリチェフvsスピンクス
それが終わりメインの時限爆弾デスマッチの設置に30分
それ以外にもFMW女子vs全女の対抗戦が20分以上の試合だったし
確か15時開始で終わったのが20時過ぎだった記憶がある https://pbs.twimg.com/media/D6cUl1_V4AATd1C.jpg
瞬間的とはいえ、大仁田も全日本の注目株だったんだよな
膝ぶっ壊れる前までは石川、阿修羅より上だった 録画してたプロレスクラシック見てるけど、馬場軍団vs国際血盟軍の試合がメチャ面白い
この日のベストバウトじゃないか? 愛知の乱入劇の決着戦かな
解説でも言ってたが井上と剛のインタージュニア戦も見たかった >>789
そうです。両国国技館こけら落としの試合。
最初の歓声はそこそこだったのに、徐々にお客さんの声が大きくなって魅入ってノッてるのがわかります。
パープル石川も鶴見もハッスルしてるし、国際万歳!て感じw なにそれみたい
両国こけら落としってブロディと長州の日でしょ、これとメインは10回は見たけど プロレスクラシック何度か観てると自分が好きな昭和全日本は昭和59年まで
ジャパンが参戦した翌年から面白くなくなってく
ジャパン長州勢が離脱した後、天龍革命が始まっても昭和50年代の面白さは帰ってこなかった >>778
FMWは球場は使っても体育館はi一度も使ってないんじゃないか? >>794
ジャパンの参戦期はNWAの崩壊も進むなど内外状況の激変期だからな
だからもはや古き良き時代は戻らない >>798
WWFの全米侵攻とNWAの実質的崩壊とAWA崩壊が重なって以前みたいに外人レスラーを呼べなくなったからね 大統領選でテキサス・フロリダ・ジョージア・ノースカロライナ・ミシガンが連呼されると、反応してしまう。三つ子の魂w ノースキャロライナの地図が出た時に
グリーンズボロ、シャーロッテとかがあって、あ〜 となるね。 全日本の海外遠征シリーズはまさに全米の紹介シリーズでもあった ずっとスターウォーズのテーマが脳内再生してるwww >>798>>799
ジャパン参戦時期は、まだ色々なギリギリ外国人呼べただろ。海外の事情よりも、日本人飽和状態のための日本側の理由が大きい。 >>804
ある一流外人が来て鶴田天龍長州と戦ったとして
全員両リンとかにしていい時代じゃなくなってきつつあるし
リングアウト、時間切れ、反則なんてのを入れ替えて使うのももう白々しい
そんな手詰まりになってしまってもいたんだよ
相手によって勝ち負けが変えられたらよかったんだろうが… >>807
長州はシングルだとテリー、マーテル、ヘニング、バー、ホーナー、ボブブラウンにはフォール、ギブアップ勝ちしたけど他の大物とは両リン、反則決着だった
日本人だとフォール勝ちはカーン、原かな >>809
ならタイガーとデイビーボーイスミスも。 ジャパンがきて
谷津がフレアーNWA挑戦したが
場外足4の字で両リン。
NWA王者招聘団体は善戦マンが必要になる。 みんな谷津がNWA獲れるとはこれっぽっちも思っていなかっただろう。 TV放送でも実況で「谷津はアメリカ武者修行時代にフレアーと遭遇しており対戦は
しなかったがその時コカ・コーラをおごってもらった思い出がある、いい人だと言ってました」
とエピソードを披露されてた、子供心に絶対谷津が負けると思ったな カブキや輪島が挑戦しても獲れるなんて全く思わなかったよ。
天龍もだが、鶴田にだけは少しだけ期待した(結果は読めるけどね) ハンセン対フレアーかレイスのNWA戦を1回は見たかった
アメリカでは実現してるにしても フレアーはリッキーとの試合でも一方的に受けてクイック勝ちだった、リングアウト決着だと五分五分も多いのに >>801
カリフォルニアと出てロスのオリンピックオーデトリアム、
ジョージアはアトランタのオムニ、フロリダはタンパ、テキサスといえばアマリロ、ダラス。
プロレスで世界の地名を知った。 鶴田の海外試合動画見つけた。1976年2月7日タンパのベイフロントセンター
エディグラハム相手に情けない負け方してるけど
これは全日勢の海外遠征の試合?鶴田個人の海外武者修行?
https://youtu.be/8IPAM7oXb9w ユニオン時代のNWA王者の最後の来日は85年4月のフレアー
だから長州はギリギリで本物のNWAに触れられた事になる >>818
2日前に馬場とインタータッグの防衛やってますね。 >>815
ハンセンは日本でレイスを倒してNWA王者になっているが。
セミファイナルはアンドレ対ブロディの時の大会。 >>818
情けない負け方というより、最後のフィニッシュに
つながるシーンが映っていない。
急所撃ちでも食らったのか? 長州は、75年1月〜7月までの半年間、全盛期のフロリダマットでNWAを体感してるんだよな。
勿論、当時NWA王者だったブリスコやトップとの対戦はないけど、その時代にフロリダに上がっていた
ブリスコ、ドリー、テリー、マードック、ローデス、スレーターなんかと半年に渡って一緒にサーキットしていた。
若手時代のバックランド、サベージ、マーテルとも対戦している。
ちょうど10年後、85年4月に全日本でスレーターと対戦して、スレーターが長州の鼻っ柱にモロに入れたシーンがあったな。
スレーターがやたら興奮していたのも「10年前の若造ミツ・ヨシダだろ?」という気持ちが強かったんだろう。
2人は同年齢だけど、スレーターは当時既に地元・フロリダでトップクラスにいた。 米国での戦績見たらハンセンはよくスレーターに負けてるな、どういう負け方か不明だけど。
ローデスとは5分くらいだったのに、1978年くらいの話ね。 >>812
NWAはともかく、ハンセンからPWAは獲れるかなとは思わせるほどの勢いがあったよ、87年は。 >>822
この試合は当然日テレでは放送してないよね?w >>821
>ハンセンは日本でレイスを倒してNWA王者になっているが。
いつ? >>804
全日の創立から深く関わった日テレ・原Pは全日の最盛期を個人的にはこの時代を
あげていた。鶴田、天龍、長州、谷津等と日本陣営も充実して豪華外人もまだ呼ぶ事
ができた時代だったからだろうね。 >>831
アメリカンプロレスが日本侵攻してきた時。セミのブロディ対アンドレはブロディが2試合目だったから残念だった。国技館だったかな。
武道館では、馬場対猪木メインで新日全日が手を組んで対抗したなあ。
どっちもチケット取れんかった。 >>832
確かにNWA世界戦もAWAも王者が呼べて
鶴田、長州らが挑戦し
全日、ジャパンが抗争し、未知の強豪も呼べた。
三沢タイガーマスクもいた。 >>832
充実期はそのへんかな。
でも夢があったのは、馬場鶴田デストヘーシンクがいた頃だな。
枠外と思えたガニアやロビンソンが来るとなった頃には
ネームバリューのある外人がどんどん、シリーズ毎に来てくれる夢のような時代だった
ブッチャー対外人の誰々という構図から、ちょっと違うものになっていったよ。
楽しんではいたんだけどね。 >>839
うん、73年〜74年は夢があったね。
ヘーシンクは1年程でトーンダウンするけどw >>842
そんなケリー政権も横須賀でフレアーに敗れ18日天下
最前列には新婚のフレアー夫人ベスさん(シャーロットの母)もいたな。 >>840
ちょうどブリスコのNWA王者時代か
オープン選手権までを含めても良いと思う マシオ駒も健在だったし、夢があったのはその辺りまでかもね 旗揚げから1周年ぐらいまでが試行錯誤の時期で、オープン選手権ぐらいまでが
方向性が定まった時期って感じかなあ。 >>836
オープンしたばかりの両国国技館もきらびやかさを高めていたし
そして同時に日本武道館も使用開始 オープンタッグのテリーのブレイク以前の全日の方が好きだったな。 >>848
ジャパンと提携してなかったら
武道館なんて使う発想もなかっただろうな。 阿修羅vs薗田、タイガーvs小林がさっき連続して放送されてたけどお馴染み「顎の先端に」フレーズが計3回使われてた >>844
>>849
ロビンソンが来るまでって感じだね。 >>849
馬場を独立させてプロレス中継を復活させたが思っていたほど視聴率が上がらずカンフル
剤として投入したのがへーシンクだった。海外の通信社まで報道して話題性は輪島を遙かに
越えていた。輪島と同じく一時的に視聴率に貢献した。ギャラから契約まで日テレ主導だった
ので全日は楽だったと馬場は述べていたけどのちに扱いに困ったろうね。
>>839>>847
テリーの大ブレークからスカイハイブームの頃が一番、夢があったとかしみじみと語って
いた全日ファンの友人がいた・・・ 日テレとしては常にNETの数字を気にしていたはずだから
デストロイヤーやヘーシンクしかり、覆面&試練の十番勝負しかり
日プロ時代にはない新しい企画をどんどん打ち出してきた。
そう考えると猪木が派手にやってくれた方が
日テレや馬場を刺激してよかった面もあったのかなぁ〜 プロ野球のオフシーズンは毎週ゴールデンで中継あるし、視聴率も裏が強力だが意外と
善戦していたりするからプロ野球がある4月からの約半年間が鬼門だったのかなあ。 世代の差が表れるなあ。俺は全日見始めた頃は、ブッチャー、シークとファンクスの抗争が目玉になっていたし、子ども心に物凄く興奮したんだけど。当時、大人だった人はあの一連の抗争に白けていたのかな? >>856
オープンタッグのあたりからファン層が入れかわって来ている印象はある
最初の踏絵はデストロイヤーのバラエティー化だったかもだが >>853
時系列では、スカイハイからオープンタッグの順だよ。 >>856
それ以前からのファンを代表するわけではないけれども。
あれにはもう興奮したよ、すごい刺激だった。
だからこそ、あんな感じ、あれに似た試合、を求めてしまってね
でもどれにしたってあれには及ばないんわけでさ。
テリーとブッチャーがいないとなにか足りない感じを受けてしまっていた。
熱湯が好きでも限界はあるってもんだった、ぬるま湯がいいとはいわないけど
それは知らなくても良かったな、と今は思う オープンタッグはスカイハイからの音楽との結合をより進めた感じ
その意味でも革命的だった 今思うと一番ワクワクしながら見てたのは74年かな
現前元NWA王者のそろい踏みに始まり馬場のNWA奪取で締め
鶴田の成長、デストブッチャーの抗争、覆面十番勝負と話題も豊富
何よりまだ馬場が元気に動けていてPWFの防衛戦もハイペースでこなしていたし
モラレスに凄い切れ味の空中首折りをかましたりマードックに回転エビ決めたりと
試合を見てて楽しかった ホッジやループも参加して非常にアスリート色が強かった印象も >>860
マスカラスもオープンタッグも煽りPVが画期的で素晴らしい出来だった。 >>862
この時期のミスターレスリングとかガチ強い選手呼びまくるのは、俺は一流しか呼ばないんだというプロモーター馬場の鼻持ちならんエリート意識が見えて大好き。 倉持「ラッシャー木村の怨念が火を噴くかどうか。頭には黒い鉢巻、
6月10日に亡くなりました元国際プロレス社長、故・吉原功氏に哀悼の意を表しているわけであります」
https://pbs.twimg.com/media/EmMkjtSVoAAooHd.jpg >>864
子供の自分には
ミスターレスリングがちっとも強そうに見えなかった。 ブッチャー ファンクス マスカラス シーク NWA王者(レイス)AWA王者(ガニア ニック)
彼等が主軸の頃が最も全日らしかった。
ゴングの故竹内氏はそう言ってた。 まぁいいからアニマルウォリアースレに帰ってねガラプーさん ハンセンが全日に移籍した82年からは別の全日。
更に長州軍団全日初登場の85年は更に別物だとも。
いい悪いではなく故竹内氏は82年と85年が全日の大きな転換期だったと。 >>814
輪島のときは普段、プロレスを見ない人も結構、見ててフレアー戦は輪島惜しかったんだけどね、みたいなこと言ってた人もいたな
その人はシンとの抗争のときは輪島にダメ出ししてたけど
当時はプロレスの仕組みなんて知られてなかったし周りの大人も基本的に真剣勝負だと思ってた(地方はて抜いたり八百長はあるが、タイトル戦やビックマッチは真剣にやってるってやつ)
輪島対フレアーなんて典型的なフレアーの手のひらに乗せられてるだけの一人相撲なんだけど、世間一般的には輪島が善戦してるように見えたんだろうな
輪島戦なんてフレアーからしたら試合してて楽しくて仕方なかったんじゃないか?と思うけどね >>870
どっちも絶頂期に移ったんだから中古じゃない。
中古はブッチャーやシンだろ。 >>871
そのフレアーも長州戦では長州を圧倒してたよなあ。
マスコミは長州が惜しかったみたいなことを書いてたが。 なんかフレアーって日本を馬鹿にしてる態度丸出しで好きになれない
プロレスが上手とかヘタ以前の問題で、全日時代はやたら来日ドタキャンが多かった印象がある >>874
(現在のところ)全日に最後の来日となった武藤とのタッグで藤波、蝶野戦も来日はしたが試合なドタキャンだからな
まあ、あれは武藤も最初からフレアーがWWEの契約で他団体に上がって試合してはいけない、って決まりがあるのを知ってたそうだから会社ぐるみのグルって話だからフレアーだけの責任ではなさそうだけど
一応クレーム対策で、最初から武藤、R(リードとも受けとれるように)フレアー組ってアルファベット表記になってたものもあったそうだからな フレアーが一番馬鹿にしてる態度に見えたのは
鶴田に0−1の時間切れの試合
大流血で負けたはずのフレアーが
終盤にグロッキーになって動けなくなった鶴田を尻目に
ピンピンしながら自分が勝ったみたいな何食わぬ顔をして
悠然と引き上げていった >>875
現に急病(エコノミー症候群によるドクターストップ)だったんだからしょうがないだろ
のちの4年後に心臓病で死にかけたけど、このとき万が一のことになったら大変だったぞ
肺塞栓症・肺血栓塞栓症(エコノミークラス症候群):
「肺塞栓症」とは、心臓から肺に血液を送り込むための肺動脈が、
塞栓子(そくせんし)という物質により詰まってしまう病気。 >>874
一番重要なのは86年10月で長州とのダブル戦が流れた時かな >>876
野辺地町でUNに挑戦した時も3本目取られたくせに全く同じ態度取ってたな
身の丈に合ってないヒール像を演じてた印象が強い >>881
80最強タッグのニックが日本における最盛期かな
ファンクスとの公式戦、ロビンソンとの夢の対決は何度見ても面白い ニックもフレアーもバディ・ロジャースのフォロワー
馬場はロジャースを史上最高のプロレスラーと言っている オープンタッグついでにホフマンはこれが最後の来日となった。
相方のロビンソンは日本に定着していたが(つか国際から考えても比べるべくもないが)
ホフマンはスッと消えてしまったな。その後の海外での情報も殆ど聴かなかったし、
三沢がリスペクトしたってのにこの尻切れ的な存在感。。 フレアーって馬場やドリーが鼻で笑ってたしな
WCWでさらに伸びたけど全日時代はピンとこなかったわ >>882
馬場とのシングルが大凡戦だった
10分もやらずにあっさり両リンだった ドリーもレイスもWWFではヘンテコキャラに変身させられたがフレアーはそのままのキャラで続けられたからな
向こうではそういう評価なんだろうな >>886
新日本参戦時代がカリスマとしての最後の絶頂期かな >>887
序盤いきなりニックがラフファイトを仕掛けた試合だったね
タイガー服部が和田京平を差し置いて馬場VSニック、鶴田VSリッキーを裁いた
基地外じみたハンマーロックを多用した82年、現役最後の来日だった87年も印象深い タイガー服部って
全日に行けば樋口よりも
新日に行けば高橋よりも
重要な試合裁くことがあったけど
団体側から見ればそんなに優秀なのかな? >>891
ジャパン主催を除いて、全日本では樋口に次ぐ二番手だったね
長州と共に新日Uターン後は高橋を差し置いてメインレフェリーになった
蝶野曰く、レスラー側から見てやり辛い(プロレス頭の足りない)レフェリーだったそうな >>890
当時の和田京平はペーペーだから服部が来たら
そりゃ抜かれるよ。 >>893
ミスター林がレフェリー転向した時も追いやられてたな
かれこれ15年くらいペーペーだったんだなwww 5月に蝶野が自分のチャンネルで長州と対談した時。
服部の名前がすぐに出てこなかった。
あの…服部半三じゃなくて…あぁっ、タイガー服部さんでしたね。
蝶野と服部はあんま接点や関わりがなかったんだろう。
関わりがあれば名前はすぐに出るし。 >>882
ニックvsロビンソンは30分間が濃密すぎて10分でお腹いっぱいになった >>890
最後の来日の時がニックの最後の現役試合でもあったんだよな ちょっとウロ覚えなんだが、90年代にエキシビジョンで(多分)WCWで
ドリーVSニックやっていたよね。ドリーのセコンドがキニスキーで、ニックのセコンドがガニアであってる?? タイガー服部はアメリカ時代に天龍と仲良かったみたいだね
天龍が新日本に上がった時にカットプレーやグーパンチを執拗に注意してて、当時は本気で頭に来たもんだが仲良かったからなのかも 服部が長州と天龍の間を横切る、天龍の注意がそれる、リキラリアット命中、フォール、の流れはうまかったよね。天龍フォール負けの傷を浅くするシナリオを絶妙に演じた。 レフェリー服部の日本デビューは80年全日で、馬場は気に入りずっと使いたかったが
長州(斎藤?)に誘われて新日に行っちゃった >>876
あれが鶴田がNWAに1番近づいた日って
言われてた。バックドロップで1本取って、
3本勝負なのに、相手にピン取らせなかった。
終盤は4の字地獄で耐えて時間切れ。 >>900
レフェリーでは、ジョー樋口以外は
みんな下手くそにしか見えなかった。
あの安定感、安心感はなんなのだろう。
マットに叩き方が本当に完璧。
大袈裟過ぎず、地味過ぎず。 ファンクス二人のシングルが
強豪相手の時の灰色決着なのは仕方ないとしても
いつしか明らかな格下とやるセミ前とか以外では
ピン勝ちするのはいつも回転エビや相手の回転エビだの首固めだのボディアタックだのを
勢い利用してのそのそもっさりとした動きでもう半回転して丸め込むのばかりになって
観てても直前のムーブで「あぁ〜、またアレかあ…”」状態だった
で、それをまた山田さんや倉持が「さすが巧いですねえ〜」なんて大袈裟に褒めるわけよ。
あれがどうもねぇ…
逆にいうとカマタやスミルノフが
普通にスピニングトゥホールドなんかであっさり負けるようになった時には
ああ、もう彼らがメイン級で重宝されることは無いんだなあとわかりやすかったけどw ジョーさんは馬場3度目のNWA奪取の時、カウントが途中で止まる狼狽ぶりが可哀想だったな。 あれはアクシデントだったというNWA本部への言い訳のため
わざと入れざる負えなかったというポーズでは? >>905
失神で残尿感、カウントが遅いから「123」の大合唱ができない・・・
下手くそのトップ3は樋口、小鉄、マイティ。 同世代のレスラーからボロクソに言われることが多いマスカラスを賞賛している
天龍源一郎が語る“ダンディズム” ダンディーな松方弘樹さんとの飲み比べ 勝敗は思わぬ結果に!〈dot.〉
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd6b6d5861cfa77c50980fa3b8105a2e95b3669c >>902
今から見るとあの位置からからの移動は不自然だけど服部が横切って天龍の視線が
動いて姿を現した長州のラリアット猛爆と言うと展開は非常に痺れたよ。
>>904
善戦マンを脱したと言われていたね。
>>906
ハンセンが来て全日でも時短ファイトがウケ始めると特に師弟コンビのとのマラソンマッチ
は「だらだらしたファイトはやめろ!」と世界のアイドルだったファンクスが野次られる
ようになってしまった。 >>912
猪木―国際の1対3のときは小鉄のタックルが名場面だぞ >>915
あれ猪木より小鉄が目立ったからか、次は外されたなあ。 >>906
テリーの引退試合が
ゴディへのダイビング回転エビ固めだからな。 小鉄は肉体自慢したくて
すぐシャツ脱いでアピールするのが鼻についた。 >>888
ドリーは本国のヒールスタイルそのままでヘンテコでもなかったろう。
ヘンテコはテリー自らが売り込んだチェーンソー・チャーリー。 >>905
常にテレビカメラの位置を把握し、選手のアピールタイムにさり気なく赤ランプが点灯しているカメラへ誘導するジョー樋口はAD兼NWA公認レフェリー
試合毎に替える多彩なコスチュームも良い 外国人レフェリーではジェリー・マードックがわりと好きだった。
レッドシューズ・ドゥーガンはレスラーを飛び越えてカウントするのが
途中からパフォーマンスに思えて嫌になった。
ニックは良かったが、テーズやテリーは論外 たしかに樋口の衣装はよかった。
垢抜けないださい田舎者のおれに画面をとおして
カラーコーディネイトとはなにか、を教えてくれたんだ 上下水色の勝負服
黄色と緑は初夏の装い
大仁田くんをぶっ叩きブロディにガチギレする黒樋口
白と赤、日の丸樋口はハンセン乱入記念日
ブロディ最後インター戦、仙台の王座移動劇はワインレッドのシックな樋口
どれも味わい深い レスラーのタイツの色と被らないように考えてたんじゃないの?
赤いタイツ同士の試合には青か緑みたいな感じで。 >>888
レイスは最初、マスクマンになる予定だったんだよな。それを固辞して「キング」のギミックになったけど、移籍2年目にはアンダーカードの扱いになり、サベージやサンタナあたりにフォール負けする格下げぶりだった。その点、フレアーはそのまま「フレアー」として最後までメインイベンターだったからな。 樋口のカラーコーディネートにはいままで気づかなかった。
水色上下は焼き付いてるけど。
恐れ入った。 https://pbs.twimg.com/media/EaHfFv8UMAAnVVq.jpg
シンが全日移籍初期にモップを持っていたのは、全日側がサーベル用意出来なかったから
シン自ら持参してこなかったのは飛行機税関の関係かな 同一カードでも樋口の色で日付を特定出来るのが何気に便利 >>904
ベルトに挑戦してる側が
「タイトルを取れなくていいからとりあえず勝ってほしい」
なんてテレビで実況されるなんて
こんなに情けない話はなかったなw
時間ギリギリまでさんざん追い込んでたのならともかく
最後の10分ぐらいはほとんど攻撃せずに
マットに寝てばかりの挑戦者なんて
この試合での鶴田以外には見たことがない >>904
ロビンソンVS猪木と同じパターンで、タイにならず1本先勝のまま時間切れに持ち込んだ試合だったな >>930
これ以上ない最高の舞台とタイミングだっただけに鶴田のNWA挑戦はここで終わった印象 シンのターバン、クルタ、タイツも統一されたコーディネートで何種類もあった。
青、赤、黄色、ピンク、緑・・・どれもカラフルだった。 1983年の天龍対ニックで、ニックがサードロープを使用したバックドロップで
天龍に完勝。ニック流の細かいテクニックとして絶賛されただけでなく、
デラプロでは何故かこのシーンが付録のジャンボポスターとなっていた。
渋すぎる付録。 今日、新アメリカ副大統領の当選演説していたカマラ・ハリスの名前を聞いて、
8月に亡くなったカマラ(本名:ジェームズ・ハリス)を思い出した。
同じアフリカ系アメリカ人だしね。副大統領はインド系も入っているけど。 >>930
最初からそう言う条件だったんでしょ
フレアーにしてみれば、ただ0-1で負けるブック飲んでも
何のメリットもないわけだし >>917
俺はあのシーン大好きだわ
浜口も寺西もなす術なかったな >>930
3本勝負で1−0フルタイム。
ピン取らせず。
に意味があったとずっと思ってたけどな。
そもそも論だが、NWAって2週間以上だかなんだか保持期間が
ないと王者レコードに載らないのが
馬場は特例じゃなかったっけ? >>935
シンもだけど、ブッチャーやシークの私服姿とか小綺麗でメチャクチャ格好良かった
反面、アマリロ勢は大体が小汚いwww >>938
フレアーは強さを売りにした王者ではないから
その条件は必要ない >>942
当時からプロレス誌面に載ってたよ。
まぐれ勝ちは王座として認めないんだろうと思ってた。 前哨戦のタッグマッチでも鶴田がフレアーにピンフォール勝ちしてたな
ノーテレビのはずがTVカメラは入っていてフォールの場面だけ放送された >>940
4日しか保持しなかったリッチも載ってるだろ セントルイスでのフレアー対ブロディ戦は三本勝負2-1でフレアーの勝ち
ブロディはピン勝ちなのにフレアーはリングアウトと反則
四の字でギブアップさせられた鶴田の面目丸つぶれ >>940
ちゃんとソースを示してから書けよ。ローデス(5日)、レイス(2日)とかごく短期のチャンピオンも
居ただろ。 キールオーデトリアムでジョー樋口がNWA世界戦を裁いたよね
ブリスコvsドリーだったと思うけど、、 フレアー対ブロディは1本目ブロディピン勝ち2本目フレアーリングアウト勝ち
で1−1のフルタイムドロー
鶴田対フレアーは上にも書いてあるように1本目鶴田ピン勝ち2本目時間切れ1−0では
(鶴田が4の字で1本とられたのは56年のNWA戦) >>950
10周年の蔵前といえばロード・ブレアースが急遽レフェリー登板
さすがに樋口が4試合裁くのはキツかったかwww >>951
ブレアースはニックvsホーガンのAWA世界戦裁いてるんだよな >>948
いやいや。なんか馬場の場合功績を認められて。とか
リッチも若くして、とか理由がつけられてて、そういう規約はあったはず。
というかそんなに知られてないとは思わなかったなあ。 >>953
規約はあったはずじゃなくて、きっちりソース出してから書けよ。
あやふやな記憶でいい加減な事書くなって事。 テリトリーによっては公式にはならなかったけどそういうその場限りの王者ってのもいたのかな?
観客もマニアじゃない限りは公式で認められたかどうかなんかはわからないから王者になったと信じちゃったとか
当時は情報化社会じゃないからマスコミも取材しないような田舎も田舎のテリトリーなら騙せたってのはあるか、と
公式には載らなくとも良いから例え一日だけでも良いから観客の前で王者と思われたいとか 何度も短期王者を許したレイスが最後は自身で最短記録を更新したのが面白い ちなみに今日は馬場から奪還してブッチャーに初防衛した日
そして日本でのNWAの最短時間試合か 10周年の晴れのイベントで、鶴田をフレアーに2−1で(しかもTギブアップ、1フォール9
負けさせるってのはひどいな。天龍と同じ扱いになってる。 ↑すまん、「2−1で」の後は(しかも1ギブアップ、1フォール)ね。 >>940
NWAに、そういう規約があったかどうかは知らないが、
馬場が1週間(74年の12月)NWA王者に就く前に、
2週間以内、認定された王者は確かにいない。
トミーリッチや、Dローデスの数日間王者は、その後。
つまり「同じテリトリー内で王者のキャッチボール(受け渡し)」
を最初にやったのが馬場ということだな。
悪い習慣を始めてしまい、NWA世界王座の権威を落としてしまった。 82年はダブルフォール、83年は3本勝負だけど1フォール勝ちって、
年を追うごとに王座奪取が近づいているっていうことにしたかったんじゃないの? >>962
リッチが公式に認められたのは諸説あるけどね
かなりダーティー(マフィア絡み)とか男色絡みまで
いずれにしろなんかあったんだろうな
仕組みがわからなかったガキ時分でもリッチはちょっと疑問に感じたからな
あとオットーワンツのAWAとか
ワンツは新日だと中堅くらいのポジションだったし >>964
新日で中堅云々は関係ないだろ。
カネックなんてメキシコの猪木なのに新日だと酷い扱い。
ニューヨークでチャンピオンになる前の藤波はノースカロライナで前座でトップは戸口。 >>965
だからガキ時分はそう思ったって話してるだけだろ?
お前、いちいち突っかかるな >>962
馬場が翌年にセントルイスで挑戦したのは短期王座の公認というのもあったかも >>964
リッチはあの頃のジョージアマットが新スター必要だったんで
バーネットが若くてルックス良くてお気に入りのリッチを中堅クラスから大抜擢
テリ内期間限定の「世界王者」にして盛り上げたかったパンダ役だっただけだろ
バーネットがゲイだったんで「お稚児さん疑惑」が語られたけど
それについては真実はわからない
※これについては否定するコメントが圧倒的だが
もはや昔のことでバーネットも亡くなって随分経つんでわからない
仮に現在のリッチ本人が否定しようが逆に認めようが
「スポーツ選手とゲイ疑惑」の社会的意味自体が
当時とは全然違うため話題性や小金目的のコメントかもしれないし真実はわからない
ワンツはガニアAWAが欧州のワンツのプロモーションと提携したんで
その御礼&視察旅行も兼ねた遠征での接待みたいなもん
そしてそんな米マットの事情なんかは当時の日本のファンはわからなかったから
リッチにしろワンツにしろ来日前はさぞ強かろう的に期待高かった分
実際のファイトぶりのこれじゃない感や扱いのもったいない感も高かった
確かなことはリッチにしろワンツにしろ
少なくとも日本や米国で各テリトリーを遠征重ねて
各地で王者として興行の看板を務められるほどの選手ではなかったこと
まあワンツの新日での扱いはともかくw
リッチに関しては一時期ジョージアマットはそれで盛り上がったんだし
日本でもリッチは一応大物として興行の目玉の一つくらいには扱われたんで
「NWA王者の権威が落ちたこと(!)」以外は誰も実害被ったわけでもないしねw 馬場がいつまでもベルト欲しがったせいで鶴田は割を食いっぱなしだったな
AWAも最初は自分が獲る気だったし、タッグやりゃ美味しいとこ持っていかれるだけだしな 二週間ルールというのはわからんが
馬場はバディロジャーズに勝ってベルト巻いたという話だよな
何連戦だかして結局取り返されて記録に残らなかったといことだが >>962
『1964年のジャイアント馬場』によると、ブリスコの自伝に
馬場にベルトを一時預けたときの経緯が出ているらしい。
それによると、馬場は一週間日本限定でベルト借りるのに6,000万円
くらい使ったとか。
日プロ時代は現役NWA王者のキニスキーを挑戦者として迎え撃つなど、
NWAに大して執着していなかった馬場の変節は何なんだろう? >>970
>馬場はバディロジャーズに勝ってベルト巻いたという話
1962年7月、コロンバスでのタイトル戦のことだろうが、
それは「都市伝説」らしい。
プロレス研究家、小泉悦次の「力道山門下生三羽烏」でも否定されていた。
百歩譲って、試合後にベルトが馬場に渡されたが、翌日、判定が覆され
移動は無効となったケースだろうな。 >>971
小林・大木を立て続けに破り実力日本一と自他共に認める猪木へ対する、俺はNWAを取ったから世界一と言う当てつけ マシオ駒が死ななければ、
日本の現場は駒に任せ
(鶴田の小鹿・高千穂らからの防護含む)
馬場もひと月ふた月くらいは
NWAチャンプとして全米に最後の爪痕残せたかもね。
「新潟出身なのでコシヒカリを食べないと力が出ない」
全米防衛戦行脚ふた月後、レイスに敗れての馬場談。
そして馬場の全米防衛戦行脚中、試合会場にが訪れた伊藤正男が佐藤昭雄と共にセコンドに。そして馬場と共に日本に凱旋帰国!とかも。。。
はたまた駒がいて駒の指導があればこそ鶴田のNWA戴冠、全米行脚もAWAの前にあったかもかと。同行は渕あたりか?
馬場も直臣の駒の進言、また自分も既にNWA王者として全米サーキットしていたからこそ「善戦マン」からの脱却、新日・猪木藤波との差別化に鶴田の戴冠・全米行脚に首を縦に振っていた可能性はある。 >>971
>日プロ時代は現役NWA王者のキニスキーを挑戦者として迎え撃つ
>NWAに大して執着していなかった
日プロは、馬場がプロモーターじゃないし、、
この時(1968年)は、馬場のインターはNWA(そしてWWA,WWWF)よりも
格が上に見せかける日プロの思惑でしょう。 >>973
当てつけたつもりだったんだろうが
1週間天下で逆に白けたファンの方が多かった
もちろん人気も逆転するはずもない
流石に猪木も裏事情を察したのか
馬場の王座のキャッチボールについては
対小林の調印式の時にコメントを求められて
笑いながら
「とくにコメントはありませんよ、まあ、あれがあの人の生き方なんでしょう」
と語ったのみ >>969
ミネアポリスに遠征した時は自分の挑戦は伏せさせてたくらいだからその辺の真相は不明
ガニアとしては馬場が巻いてくれた方が良かっただろうが 馬場がアメリカでNWAヘビー級のベルトを奪取し、2か月ほどチャンピオンとして全米をサーキットしてから全日本プロレス旗揚げってできなかったかなあ
どうやったって無理か >>976
後には猪木もWWFで一週間天下をやるが
それも乱入混じりの >>974
>マシオ駒が死ななければ、
>日本の現場は駒に任せ馬場もひと月ふた月くらいは
>NWAチャンプとして全米に最後の爪痕残せたかもね
いや、その間、日本での興行はどうすんの?
鶴田だけでは、客が入らないよ。 短期王者の最初の先例はむしろレイスの初戴冠かもしれない
あれもいわばシニアのフライングだったらしいし >>972
馬場本人が巻いたと言ってるのに、
小泉某の説を信じるとか、意味がよくわからない。 >>979
新日もNWA加盟しようとしたが何度も却下されて
しまいには「ヘビー級のNWA王者来日は全日占有」という屈辱的条件を受け入れて
加盟したからね
加盟後もNWA総会で猪木や新間は議場にも入らせてもらえない冷遇だった
WWF奪取はNWAの代替だったんだろうけど猪木本人もほとんど触れない位で
全く誇りだと思っていない >>983
猪木が誇りとしているのはバレンタイン戦とドリー戦とアリ戦の三つだけ >>962
要は王者として認定されたか否かだろ、カルロス・コロンは認められなかったが馬場は
認められた。
猪木とバックランドの件は認定されてないからなかった事と一緒。 陥落も含めてシンの乱入という茶番まで入れてだからな
無かった事にするのが名誉だろう 知恵袋ソースですまんが似た証言コメントがありました。
「その当時、タイトルを獲っても保持期間が 5日以内だと公式記録に認め
られないと聞いた事があります。」 >>985
フレアーvsコロンはこれか?
これはWWCタイトル戦でベルトもNWAベルトではない。
ベルトは35:40〜 https://www.youtube.com/watch?v=VwlX0e1TZZQ&t=5s 馬場がブリスコから獲って半年くらいすぎた時のことだが
ゴング誌に短期間の戴冠は公式記録にはならない
一週間は短期間であるから公式にはのらない
がNWAの慣習なのだが、今回は馬場の王者がカウントされた、これはとても異例なこと
という記事があったよ。まぁそっから基準がグダグダになったかもしれないが。 >>962
GスピのNWA特集を見ると短命王者以外の問題のが大きい感じだけどね
これも含めてプロモーターや上層部のわがままが原因なんだろうが ブロディがNWAのベルト持ってる写真もあるだろ、幻の王者みたいのはいくつかあるんだろな。
王者として認定されれば正式な戴冠だし、そうでなければよくあるやつで済む話だな。 テーズはカーペンティアに敗れてNWA王座移動が認められたが
直後、カーペンティアのマネージャー兼プロモーターのエディ・クインが
NWA脱退を宣言してベルトを持ち逃げ、別団体設立を画策する(後のロス地区WWA)
それによってNWAは王座移動を無効にした。
脱退していなかったらカーペンティアは歴代王者に名を連ねていた。 >>982
本人が「こう言っている」と言っても、確か、馬場の本にもあったような
気がするが、記憶違いや、記者の捏造ということもある。
(馬場の本、インタビューには多いよ、ゴーストライターが書いていたり)
俺も、「一時的にベルトを渡されたが、後に判定が覆ったのだろう」
と書いた。正式な試合記録はロジャーズの勝ちらしいし、
(いくらなんでも、デビュー2年の馬場が仮にも世界王者には
勝てないだろ?)記録にも残らなかった、それだけ。 >>982
今年のアメリカ大統領選は、不正があったから無効だ!
現役の大統領が言っているから真実だ!
キミは、これに従うんだな?www >>989
これってユニバーサル・ヘビー級タイトルってやつ? >>998
トランプは投票用紙に透かし入れたり
囮仕掛けてたと言ってるから
裁判でどうなるかまだわからんぞ。 このスレッドは1000を超えました。
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