【P田中】国際プロレスpart25【田中D】
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>>217
アル・コステロのは オースイスープレックスだよね マイティ井上なんて、客観的に見たらなべおさみと同カテゴリーのルックスなのに
モテ男だったなんて本当かね?w >>219
結婚相手は美人ばっかりだから美人にモテたことだけは間違いない。 >>219
いやいやどう見ても水商売の女性になんかもててもてて仕方がないタイプでしょ >>216
てことはルーインは81年の最強タッグ閉幕後は日本に居残って年越しをして新春ジャイアントシリーズに参加したんだな。 小綺麗でファッションに対する拘りが強くしかも歌が上手い
場末のチンピラみたいな風貌の連中が多い国際プロレス勢の中では比較的モテてたんじゃないの
あとは女性への細かな気配りが上手かったってのもあるかも フランス帰りだしモテ要素が多い(国際という枠の中でだけど) >>217
しかし、エミール・エルマンソーの
ジャーマン(ブリッジ)は綺麗だね。
誰にコーチを受けたんだろ?
見よう見まねでできたとしたら
天才だな。 >>216
ポーゴは売れてはいたけど、カブキやナガサキと比べると見た目地味だから当時じゃ取り上げられ難かったじゃない。 >>225
なるほど。ファッションに対するこだわりか……。
知らないけど、(下着の)パンツもサイケデリックだったのかなあ? ルーインはケビン・サリバンと結成した怪奇派パープルヘイズで
国際マットに来たら、再度ブレイクしたかもね >>231
パープル・ヘイズの頃はもう国際は崩壊していた >>232
おっと、すまん
80年にジェイク・ロバーツが来た時はペイントしてたけど
ダミアン連れて来れば面白かった…(このギミックもWWF特許かな) 西尾美枝子?って日活で主演張った女優やで。それ嫁にしただけでも
すげーやん >>226
新日での浜田とのトラブルとか、シャチ横内にカネ騙し取られたとか
ナガサキや戸口に悪口言われまくりとか、外野の悪いイメージが先行し過ぎたな あれ?戸口ってポーゴの悪口言ってたか?
晩年もポーゴの団体出たり、ポーゴにキムチのお土産頼んだりして先輩格じゃ1番仲よかったんじゃない。 >>237
GスピでW☆ING時代に何か打ち合わせに無いことをされたかなんかで
「バスの中で文句を言ったが、ポーゴは黙ったままだった。
あれからあいつとは口を利いてない。」と言ってたよ。 松永が書いてた、W☆ING一周年の決着戦のやつか。
「関川、何硬くなってんだ!」ってバスで怒ったっていう。
ただ、口をきいてないはドクの嘘か記憶違いだな。
元子全日離脱後、W☆INGの後楽園大会(伝説の茨城取り囲み)とWWSにドクは出てるから打ち合わせしてない事はないだろうし。 >>234
結婚生活1年もたず離婚したけどな
結婚したの80年だから崩壊秒読みカウントダウン中の中での結婚
西尾はどんな騙され口説かれ方したのやらな
井上は年収580万程で飲み食いで金も殆ど残らずと語ってたし
程なくして崩壊前には次第に給料も出なくなるわけだし騙されたな
新婚当時ですら給料遅配だったかもしれんのだし井上も罪な男だ トラック野郎にも出演してたのは女優と結婚して箔がついたというか
話題性での事だけで超人気プロレスラーって訳ではなかったんかな? マイティがビヤガーデンを出店したのは、西尾三枝子さんと結婚してた時だっけ? >>242
そうですね。
その年の夏は雨ばかりでまともにビアガーデンは
営業出来なかったという悲惨さ。
国際の選手らしいと言えばらしいけど。 西尾美枝子は井上と離婚して3年後に都内で暴漢に合って身の危険を感じて失踪
その後、地方の芸能仕事をドサ回りしてスナックのママへと流れに流れ落ち着く・・か。。
もちろん、暴漢とは関係無いとはいえ井上を選んだのを契機に運を下げたな・・ 奇声を上げながら繰り出すマイティ井上のサマーソルトドロップはなんでか頭に残ってる 井上は身体の小ささというハンデがありながらも、エース・クラスの選手としては
充分な待遇と知名度を得たと思う。 西尾三枝子は主役になれなかった日活時代よりもプレイガール出演の方が有名かも
関係ないが宝塚出身で菊田一夫の愛人として有名だった西尾恵美子という女優もいた
ので年配の方はごっちゃになっている人もいるそうだ >>225
あの時代の水商売だの芸能界だのの女性っていうのは
現在のキャバ嬢やアイドルなんかとは
またちょっと感覚違ってる人が多いからね
良く言えば世間知が豊富、悪くいうとスレてる人が多いから
そういう女性にとってさえ珍しいプロレスラーという特殊な職業で
それでいて一般的な荒くれ・粗暴的なイメージと違いお洒落でソフトな人当たり
しかも海外経験もあって話題も豊富とくれば
そりゃ興味も惹くし魅力も感じるものなんだろうね 速攻で全日移籍したのは正解だった>井上
国際で一時期エースになってしまったのが高すぎて
全日でのランクが妥当だったとも思う 井上が新日を拒んだ決定的な理由がヤマハへの負けブックをのまされたこと
あの試合で元IWA世界王者のプライドがズタズタにされたと言っている。
新日なんかに行ってもヒール役で使われるだけだから、
初めて吉原に抵抗したのは正解だったよ。
例え社長命令でも、レスラーは格というものに拘っているんだな… >>247
ドロップキックの高さは年を取ると打点が下がると言われるけど井上のサマーソルトドロップ
も国プロ時代の方が高く飛んでいた。
>>253
TVレギュラー放送打ち切り後に出直し出発を諮る国プロは一段団結をアピールし吉原社長
と確執のあった井上は詫びを入れて再出発。しかし国プロ崩壊後のミーティングで吉原社長
が勝手に決めた新日との対抗戦に「人を蹴落としてでも言う態度の新日は嫌いだ!!」と
言い反発した。この井上の発言を契機に「自分の行き先は自分で決めたい・・・」と対抗戦
から離脱する選手が続出した。 理由はいろいろいえるんだろうけど
要は、新日は自分には合わない、ってことだよね。
もし自分でも新日には合わないと思っていた。社風というか。 井上は若手時代、豊登と田中忠治から毎日の様に猪木がいかに金銭に汚いかや人間性の悪さを聞かされた
その猪木のイメージがあって新日も同じく思ったと言っていた
豊登の事もあれだけ猪木を嫌ってたのに、国際で引退式をした後金に困ったからと新日で復帰したのを信じられへんとも言っていた 井上は全日に行って正解だっのでは
Jr.ヘビー級王者として脚光を浴びたのだから
新日に行っていたら国際軍団→維新軍→ジャパンプロレス→全日の中堅→悪役商会→レフェリー・・・
という結末が同じになる流れじゃないかな
新日で初代タイガーや小林、キッドとJr.戦線で絡んだらそれはそれで面白かったのかもしれないけど 井上が新日に行ってたら米村、冬木、菅原はそのまま引退?になってたかも 米村は馬場のお気に入りだったから全日の線はあったと思うけど
冬木菅原は廃業だったかもね >>250
スター扱いされていた井上となんで付き合ったかよりも、なんで速攻で別れたかだろ
そりゃ給料すら払われず金が無いと分かったから、というのは当然だけど、じゃあ国際の実情を
隠したまま結婚に持ち込んでからウソがバレたのかとか、分かった上で結婚したけど別の理由が
離婚の決め手になったのかとか考えてしまう
まあバカ亭主を支えながらステータスをどんどん上げている小池栄子なんかは特別なんだろうけど >>240
1年もたず?
結婚から離婚まで2年4ヶ月だよ 息子さんが後継いだのかな?朱雀だっけ、もう少しで十両だったんだけどな >>261
TBSの爆報!THEフライデー 2012年3月16日の放送によれば
1年経たず西尾三枝子とマイティーは離婚したと言われてるぞ
https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=29386/page=48/ >>256
豊登って1970年に日本人で初めて引退セレモニーやってもらって
2年後に復帰するんだよね(頼まれてだけど)
テリーファンクみたいなことをやってたんだw プロレスラーは引退詐欺が多すぎる
大仁田が一番酷いかな
7回引退してまた復帰してる
長州はドームで派手に引退興行やって2年半で復帰
それから20年近く現役続行して引退
引退興行の記念品を買ったファンが気の毒だよ 初代NWA世界ヘビー級王者フランク・ゴッチも何度も引退復帰を繰り返してたらしい
その後も引退で集客、復帰で集客はアメリカプロレス界では珍しい事では無かった
だからテリーも復帰で非難を浴びるとは思っていなかった >>268
テリーの引退発表から引退セレモニー迄さんざんそれをネタに
ファンの気持ちを揺さぶるような演出をしてきて
悲しみと大声援の中での大団円で終わったのに
たった1年で復帰してヒールになるはハードコアに出場するわじゃ
非難されても仕方ないと思う イエス・キリストは
磔になって死んでも復活した(ことになっている)
だから、欧米人は引退→復活に寛大なんだよ。 全日十周年記念試合のメインが馬場とWWFのサンマルチノのスペシャルタッグマッチ
向こうのマットで大々的な引退試合やって来た後だったとは知らんかったな
定年退職した老レスラーが片手間にやってきた感じだったのかな >>271
馬場とサンマルチノは竹馬の友っていうのは
かなり有名やから友情からやない? >>271
シンも上田もサンマルチノがファイトバックしてきたときたじろぎ気味だった >>260
当時の週刊誌に西尾のコメントとして
「彼とは辛いことばかり。特に喧嘩の時に大声を出すのがイヤだった」
とあったのは覚えている。
井上はヨーロッパ遠征のおかげでフランス語も喋れたから
余計魅力的に見えたんだろう。
レコードも出しているぐらいだから歌も上手かったんだろうし。
NHKの連想ゲームに夫婦で出ていたのも見たことがある。
NHKに出たプロレスラーって、馬場猪木はあるだろうけど
その他となると井上ぐらいじゃないの。 欧米人の引退(リタイア)に対する考えは店舗を閉店するのと変わらないらしい
引退復帰を復帰は閉店したのをまた別の場所で新装開店するのと同じと思ってるみたい 鶴見が玉袋筋太郎との対談で「井上さんはしょっちゅう酒席にお呼ばれして
俺も一緒に連れてってもらった」と言ってたけどタニマチが国際の面子で
お座敷に誰呼ぼうか?ってなったらやっぱりまずマイティだろうなあとは思う 70年か71年の日本レコード大賞の招待客席に、草津と杉山だったか?
TBSのカメラが撮らえていたのを見た記憶がある >>257
井上が新日に行っていたらジュニアか?
猪木、藤波、健吾、長州よりも重いだろ。 >>240
井上と西尾が結婚したのは80年ではなく、77年頃だろ 数年前に古本屋で買ったプロレス雑誌をひっくり返してたら月刊プロレス1978年2月号(発売は1月.定価450円)に井上の結婚記事が出てきた
http://imepic.jp/20200528/693260
http://imepic.jp/20200528/679810
http://imepic.jp/20200528/679330
1977年12月11日に井上の実家の大阪市内にて挙式と披露宴、なんと世界オープンタッグシリーズの最中で披露宴終了後に速攻で大分へ移動
シリーズ終了2日後の12月17日に東京で2回目の披露宴
ミック博士のプロレスマガジンでのインタビューで井上は給料の遅配が離婚の原因と言ってるので、結婚当時は給料がキチンと出てたんだろう >>279
プロレスの階級や体重はいい加減だからね
ボクシングみたいに試合前に計量しないからね
井上は全日時代体重が100キロを超えていたのは誰の目にも明らかだったがジュニアヘビー級だった
寺西と身長が同じ小兵でテクニシャンの井上なら新日でもジュニアヘビー級で問題ないよ
ただ長州よりは体重は軽いでしょ 新日なんかはコブラがいなくなった途端にヘルスメーター持ち出し、ジュニアタイトル戦軽量し始めたよな。 西尾三枝子がマイティ井上と離婚後に再婚した松井誠という役者は西尾より13歳も
年下なのもスゴイが離婚後に付き合ったのが20歳も年上の浅丘ルリ子というのもスゴイ
同じ日活出身女優でも自分より格上の大先輩と元夫が付き合っているのを知って
西尾三枝子も複雑な心境だったはず >>277
欽ちゃん司会のオールスター家族対抗歌合戦に井上・西尾夫妻は出ていたが後に鶴田も
保子夫人と一緒に出演している。
>>282
全日のジュニアのリミットは105キロまでで国際時代よりは絞れたイメージ 井上はジュニアの為に減量したわけじゃ無く、糖尿病の影響で体重が落ちたみたい >>282
浜口がヘビー級なんだから井上もヘビー級だろ。
メキシコから帰国して咬ませ犬やった時の長州は96kgだった。 クイズです
プロレス界でコロナに感染しやすいレスラーは誰だ? >>278
1970年に杉山というのが妥当だな。
その時点でIWA王者だったし。
71年の大晦日では、草津はアメリカ遠征中だから
日本にはいない。 子どもの時に杉山を初めて見たのは、おはようこどもショーや底抜け脱線ゲームのタレントとしてだったな。
中学生になってからプレ日本選手権で杉山がプロレスやっているのを見て、とても驚いた記憶がある。 >>288
感染しやすいレスラーは分からんが、
観客を含め、感染させる選手は
永源だな。 国際と全日本に来たエド・モレッテイという選手
は唾を天に向かって吐いてそれを口で再キャッチ
して飲み込んでいたから無問題。 クラスター・リソワスキーなんて
もろコロナに罹りそう! >>268
>>269
あれほど皆、熱狂して引退を惜しんでくれたんだから
そんな人気者が復帰して再び雄姿をみれるのは良いこと
あれほど皆、熱狂して引退を惜しんでくれたんだから
引退した以上けじめをつけて復帰はしないのが当然
まあどちらの考え方もそれなりにアリなんだけど
日本ではやっぱり後者が優勢だよね
テリーも実際に膝の状態と家庭問題や地元でのビジネスの関係で
とりあえずアマリロに腰落ち着けて
しばらく休養を取りたいってのがあの「引退」の動機だったわけで
そもそも最初から本当に引退をするつもりは全くなかったわけで
そこはそういう事情を知っていながら引退→復帰のストーリーにgoを出して
眼前の大商いにつなげた日本側〜馬場や日テレをどう評価するって問題だと思う テリーさよならシリーズと銘打って、グランド・チャンピオン・カーニバルで宣伝したんだっけ >>285
交際中に鶴田夫人が客室乗務員で世界を飛び回るのを心配して鶴田から携帯用の
防犯ブザーをプレゼントされたと番組内で話していた。
>>286
インターJr王者として防衛戦を重ね淵、ドラゴン、セブン等を退けと「絶対王者」に
なっていたチャボからベルト奪還するために「もう井上しかいない!」と馬場が減量
を命じて挑戦させたと報道されていた。
>>283
佐山タイガーは90キロと言われていたけど高田をJr戦線に出場させるために105キロから
110キロに基準を改定した新日。第一回スーパージュニアリーグ戦の頃。
>>298
マッチメーカーで全権を握る佐藤は「今までのようにはいかないからね・・・」と
テリーに釘をさしたらしい・・ 1987年頃の新日は「厳密に計ったら猪木はジュニア落ちしてしまう」と言われていた
どう見ても高田の方が重そうだった >>301
高田、藤原は体幹、肩幅、体の幅が狭いから、あまり体重はない。
猪木は骨太で横幅がデカイから筋肉が落ちても体重はある。
17歳での入門当時で猪木90kg、高田65kgだから骨、骨格の差がある。 >>300
前にも同じような書き込みして
「チャボに挑戦は渕より井上が先、ドラゴンはチャボに挑戦してない」って指摘されたろ
学習能力ないのか >>272
竹馬の友って幼馴染のことだろw
実はNY時代は控室で挨拶する程度の関係だったらしい
初来日時にブルーノは知古だからと当時はエースではあっても一介のレスラーだった馬場が
会社に交渉して「世界王者にふさわしい扱いを」と色々便宜を図ってくれたことで親友になった >>302
藤波、佐山タイガーのときは99キロがジュニアのリミットだったな >>306
世界王者にふさわしい扱いだったけど、タッグを組んだスカル・マーフィーが
ブルーノに「お前が先に戦え」と格下扱いしたんだよなw
馬場とブルーノ・モラレス・モンスーンの友情はよく語られるな
井上とアンドレの友情も有名だけど、他にいるのかな? モラレスはロス時代の友達だから少し外れるな
むしろモンスーンとともにNY時代の馬場と仲良かったのは当時前座レスラー
だったスコーラン
でもジャイアント台風では悪役w キムケンとロディパイパー
剛とジェシーバーあたりも友人だな
レスラーじゃないけどフランク井上とタリー・ブランチャードは友達 >>309
スコーランは知らなかった。
>>310
剛とバーはビジネス以外でも気が合ったのかな?
>>311
上田とリップタイラーを忘れてた。
親友関係じゃないけど坂口とカマタも親交があって
カマタが全日に来日した時は馬場に頼んで会ってたみたいだね。
日本では敵対してたが、鶴田とハンセン(バックランドは違うか?)も
修行時代にラーメンを啜りあった仲 スコーランは息子が人数合わせ要員として一回全日本に来てたな >>314
ブッチャーと組んで格闘技の祭典に出たよな。 そういえばスコーラン同様息子が全日に来たストロンボーとは仲良かったのかな
その頃は偽インディアンじゃなくイタリア系をそのまま名乗ってた >>312
ジェシーの親父のサンディがオレゴンのブッカーからドンオーエンの後釜のプロモーター
に転業した時
AWAから引き抜いて売り出そうとしたスーパーニンジャ(高野俊二)が馬場に全日に呼び
戻され
穴埋めのニンジャキャラとしてブラックニンジャこと剛がオレゴン入りして急場を凌ぎ
そこにジェシーがWWFから離脱して帰ってきたのが関係の始まりとか
もしかすると85年の最強タッグのころから気が合ってたのかもしれんが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています