90年代後半〜2002年頃の新日
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このあたりが実質全盛期だよな。
4大ドームツアー、年3回東京ドーム開催とか 2001年以降は人気が陰ってたよ。
2001年に藤田がベルト巻いた頃は、盛り下がってた。
そして安田永田と不人気チャンピオンが続く。 >>2
言われてみると2002年はもう落ち目かも。
猪木軍が絡んで来たあたりからおかしくなったよね
安田がIWGPとか何の冗談かと 2002年頃の新日より武藤小島カシン離脱がわかりやすい 2001年10月のドームを見に行ったけど、盛り上がりがイマイチだった。
あの頃から人気に陰りがあった。 やはり1.4が暗い影を落としたのは間違いない
完全に歯車が狂った >>6
1999年の?
あれで猪木の発言力が増しておかしくなったね。 でも99年は新日史上一番客が入ってたんだよな。
なんでこんなに客入ってんだ?と思ったものだった。 >>5
武藤・馳vs秋山・永田がメインの大会だっけ?
健介vs藤田もあったかな >>9
そう。
カードがイマイチで盛り上がらなかった。 >>8
99年は毎月サプライズが起きてた気がするな >>5
昭和ファンからしたら藤波 バックランドVSファンクスは夢のカード 対抗戦や外敵が充実してたけど格闘技が世に出てきてプロレスのメッキが剥がれたから 90年代後半なんかはもうドーム興行が年何回、と最初に決まっていて
後からカードをでっち上げる的な無理やり操業してる感もあった
「国技館や武道館じゃ収まりきらないカードだからドームでやろう」という
スケール感が完全に失われていた時代 折れ線グラフの下降曲線の始まりを定義づけるなら、
やっぱり2000年4月の橋本小川最終戦かなぁ
7月には99年の二大抗争の両極である、長州大仁田も完結
しかも、抗争のピーク時から大きく間が空いた最終回
10月には新日と全日の対抗戦が始まるも、2人というのはいかんせん、
対Uインターのような対決とは言い難い
盛り上がってはいたけど、何かが欠け出したのが2000年だよな
だいぶ畑が焼けてしまったというかw 刺激的な橋本小川抗争、大仁田を巡る抗争がドームで走り
その裏では武藤敬司の離脱前最後のチャンピオンロード
通常シリーズではnWo対T2000
おそらく一番盤石だったのが99年だろうな この時期退団したやつで成功したと言える選手皆無だよな? >>20
そう言う話じゃないかもだが
健介は退団してフリーになって一回成功して
でもまた評判悪くなった >>20
小島はG1とIWGP取って新日所属に戻ったから成功例かも。 高田がヒクソンに負けてプロレスは死んだといわれてたのに
なぜか観客動員数はうなぎ上りだったんだよな 橋本もいない、武藤もいない新日が2002年か
案の定、格段にカード弱くなってるな 01年G1優勝
その年の秋に秋山とタッグ結成
12/31にミルコ戦に踏み出し惨敗
※ヒョードルとは違いミルコ戦は永田自身の意志
02年1月、秋山と新日でGHC戦
02年4月、IWGPヘビー級王座奪取〜10連続防衛
改めて見るとこの頃の永田裕志って
世代2番手の位置から逆転するために
いろんな行動を起こしてトップを勝ち取ってるんだな
これだけ見るとホントにリスペクトに値する
結果は・・・言わずと知れているが ミルコ戦の動機が
「武藤に勝ってG1獲っても、声援は武藤の方が勝ってた。
これではトップに立てないと思った」だから、周りはすごく見えてたよ、当時
ミルコと少しでもいい勝負してたら話は違ってたかもな
ただ、根本的には「器」の問題としかいいようがない
ルックスも含め
難しいね、30そこそこで、トップ手前まで来てて、自分の器を自分で見切るなんてことができるのか 当時のプロレスラーの総合は、半分度胸試しだからな
ドンフライと真正面から殴り合ってボコボコにされた高山が評価あげたけど、
アレってふつうに完敗してるからなw強くはない
ただお客さんはそこを見てるって言うね
そういう意味では永田さんの結末は特に2戦目が最悪だな 上井がマッチメイクしてた頃のいかがわしさが好きだったんだけどなあ。
上井は今何やってんだろ。新日の営業に戻ってくれ 1.4東京ドームがない年って、どこで代用したの?
日付も同じ? 永田がミルコに勝ってたら善戦してたら或いはやらなかったら返上したGPどうしてたかな?安田に渡さず取ってたのかな
やっぱアイツはGP史上最大の汚点だよ人間性も含めていくらバンナに勝ったからってあれはねーわ他にもサップとかいたけどブーム去って落ちぶれる寸前にボノ勝利で紅白超えした後のだから有りっちゃ有りだな >>31
92年に始まってから、やらなかった年はないはずだが。 >>34
えっ?じゃないよ。
92年以降は1.4で毎年やってるだろ?
何と勘違いしてんだ? >>35
いや、東京D開催がなかった年ってなかったっけ? >>36
何人かから指摘されてんだから、自分で調べるくらいしろな 一回でも途切れたら次借りれるか分からんから無理してでも毎年1.4だけはドーム借りてるらしいぞ 1年だけやらなかった年があるんだけど。
無知ばっかりだなこのスレ >>40
いつだ?
来年はやらない可能性があるが。 そもそも後半ってのはどの辺りなんだ
nwoジャパンから? もうこの頃みたいなブームは来ないんだろうな
小川事件 総合進出 大仁田参戦
この頃は刺激や革命が多すぎて目新しすぎた とりあえず小原とかマイケルウォールストリートが負けてた時代 マイケルウォールストリートとかNWOスティングとか脇役ですら今の自称ヘビーの
奴らより体が大きかったもんな プロレスが一番面白かった時代
小川橋本に大仁田に、ヤオバレしても総合に対抗して俺がやってやるというレスラーの意気込みがすさまじかった
この頃の武藤や健介の鍛え具合は異常 猪木が引退してからみんなプロレスに飽きてた時期
小川と大仁田がプロレス復活させた 三銃士プロレスも四天王プロレスもやれること全部やり尽くしたような時期だったな 99年はドームプロレスの一種の到達点だな
ゴールデンタイムでのテレビ放映という大きな武器を失った新日本プロレスが
タイガーマスクを見て育った、ドームを満員にするほど大量の、
拗らせまくったプロレスオタクを味方につけ、
遠ざかっていく世間になんとか追いつこうとする闘いが90年代のドームプロレスだった
結果、小川橋本はゴールデンタイムだし、大仁田劇場は学校で流行った笑
なかなかの戦果だけど、どちらも劇薬だったのが皮肉だ 99年から00年が一番だったね
小川事変でヤオバレからのレスラーたちの総合挑戦の流れほどワクワクしたもんはない
みんなプロレスを守ろうと切羽詰まってたのがよかったな
ドームでヤオバレされた小川事変後の武藤のインタビューと放心状態のテンコジの表情がリアルすぎたw 小川事変後の誰が橋本の仇とるんだって流れとガチ幻想の復活も燃えたよな
小原や安田なら行けるとか今まで脇役だったやつにスポットがあたり強さを予想する楽しみもあった 01年以来福岡ドームで興行やってないな。
01年は東京、大阪、札幌、東京と4回ドーム興行開催したな。
札幌ドームは最初で最後になってしまったが。 >>65
札幌ドームは他のドームより安めの料金設定だったにも関わらず、
新日人気が下降局面に入ったこともあって満員になってなかったからな。
ナゴヤドームは満員だったけど1回こっきりだったな。 >>12
nwoとT2000、大仁田劇場、第3世代台頭、天龍IWGPと何かしら起こったな
個人的にはジュニアのピーク 小川事変でレスラーの地位がた落ち→総合に挑むレスラーたち
この流れはめちゃめちゃ燃えたのにな 小川事変は起爆剤になったけど本当に一回しか使えない仕掛けだったらからな
ガチ幻想も崩壊したしあれを会場で見れた客は歴史の証人だな どんだけの乱闘やってたんだ
現地で見てた客がうらやましい 小川事変は30回以上見たわあの頃並みの仕掛けやインパクトがないと客は戻らんよな あれやったから客が減ったんじゃないの?直後はともかく、何年か後に 橋本小川ほどもうかった仕掛けはないわな
関連書籍もDVDも何個も出たし 99年から02年あたりは最高過ぎたな
小川事変でヤオバレしてからの俺が敵討ちやってやるって感じでみんなプロレスが舐められないように
気合入ってたし99年から01年当たりの武藤や健介や中西の鍛え方は異常 >>50
そういうでかくて上手くて仕事ができる外国人レスラーが今の新日には足りない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています