90年代後半〜2002年頃の新日
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このあたりが実質全盛期だよな。
4大ドームツアー、年3回東京ドーム開催とか 2001年以降は人気が陰ってたよ。
2001年に藤田がベルト巻いた頃は、盛り下がってた。
そして安田永田と不人気チャンピオンが続く。 >>2
言われてみると2002年はもう落ち目かも。
猪木軍が絡んで来たあたりからおかしくなったよね
安田がIWGPとか何の冗談かと 2002年頃の新日より武藤小島カシン離脱がわかりやすい 2001年10月のドームを見に行ったけど、盛り上がりがイマイチだった。
あの頃から人気に陰りがあった。 やはり1.4が暗い影を落としたのは間違いない
完全に歯車が狂った >>6
1999年の?
あれで猪木の発言力が増しておかしくなったね。 でも99年は新日史上一番客が入ってたんだよな。
なんでこんなに客入ってんだ?と思ったものだった。 >>5
武藤・馳vs秋山・永田がメインの大会だっけ?
健介vs藤田もあったかな >>9
そう。
カードがイマイチで盛り上がらなかった。 >>8
99年は毎月サプライズが起きてた気がするな >>5
昭和ファンからしたら藤波 バックランドVSファンクスは夢のカード 対抗戦や外敵が充実してたけど格闘技が世に出てきてプロレスのメッキが剥がれたから 90年代後半なんかはもうドーム興行が年何回、と最初に決まっていて
後からカードをでっち上げる的な無理やり操業してる感もあった
「国技館や武道館じゃ収まりきらないカードだからドームでやろう」という
スケール感が完全に失われていた時代 折れ線グラフの下降曲線の始まりを定義づけるなら、
やっぱり2000年4月の橋本小川最終戦かなぁ
7月には99年の二大抗争の両極である、長州大仁田も完結
しかも、抗争のピーク時から大きく間が空いた最終回
10月には新日と全日の対抗戦が始まるも、2人というのはいかんせん、
対Uインターのような対決とは言い難い
盛り上がってはいたけど、何かが欠け出したのが2000年だよな
だいぶ畑が焼けてしまったというかw 刺激的な橋本小川抗争、大仁田を巡る抗争がドームで走り
その裏では武藤敬司の離脱前最後のチャンピオンロード
通常シリーズではnWo対T2000
おそらく一番盤石だったのが99年だろうな この時期退団したやつで成功したと言える選手皆無だよな? >>20
そう言う話じゃないかもだが
健介は退団してフリーになって一回成功して
でもまた評判悪くなった >>20
小島はG1とIWGP取って新日所属に戻ったから成功例かも。 高田がヒクソンに負けてプロレスは死んだといわれてたのに
なぜか観客動員数はうなぎ上りだったんだよな 橋本もいない、武藤もいない新日が2002年か
案の定、格段にカード弱くなってるな 01年G1優勝
その年の秋に秋山とタッグ結成
12/31にミルコ戦に踏み出し惨敗
※ヒョードルとは違いミルコ戦は永田自身の意志
02年1月、秋山と新日でGHC戦
02年4月、IWGPヘビー級王座奪取〜10連続防衛
改めて見るとこの頃の永田裕志って
世代2番手の位置から逆転するために
いろんな行動を起こしてトップを勝ち取ってるんだな
これだけ見るとホントにリスペクトに値する
結果は・・・言わずと知れているが ミルコ戦の動機が
「武藤に勝ってG1獲っても、声援は武藤の方が勝ってた。
これではトップに立てないと思った」だから、周りはすごく見えてたよ、当時
ミルコと少しでもいい勝負してたら話は違ってたかもな
ただ、根本的には「器」の問題としかいいようがない
ルックスも含め
難しいね、30そこそこで、トップ手前まで来てて、自分の器を自分で見切るなんてことができるのか 当時のプロレスラーの総合は、半分度胸試しだからな
ドンフライと真正面から殴り合ってボコボコにされた高山が評価あげたけど、
アレってふつうに完敗してるからなw強くはない
ただお客さんはそこを見てるって言うね
そういう意味では永田さんの結末は特に2戦目が最悪だな 上井がマッチメイクしてた頃のいかがわしさが好きだったんだけどなあ。
上井は今何やってんだろ。新日の営業に戻ってくれ 1.4東京ドームがない年って、どこで代用したの?
日付も同じ? 永田がミルコに勝ってたら善戦してたら或いはやらなかったら返上したGPどうしてたかな?安田に渡さず取ってたのかな
やっぱアイツはGP史上最大の汚点だよ人間性も含めていくらバンナに勝ったからってあれはねーわ他にもサップとかいたけどブーム去って落ちぶれる寸前にボノ勝利で紅白超えした後のだから有りっちゃ有りだな >>31
92年に始まってから、やらなかった年はないはずだが。 >>34
えっ?じゃないよ。
92年以降は1.4で毎年やってるだろ?
何と勘違いしてんだ? >>35
いや、東京D開催がなかった年ってなかったっけ? >>36
何人かから指摘されてんだから、自分で調べるくらいしろな 一回でも途切れたら次借りれるか分からんから無理してでも毎年1.4だけはドーム借りてるらしいぞ 1年だけやらなかった年があるんだけど。
無知ばっかりだなこのスレ >>40
いつだ?
来年はやらない可能性があるが。 そもそも後半ってのはどの辺りなんだ
nwoジャパンから? もうこの頃みたいなブームは来ないんだろうな
小川事件 総合進出 大仁田参戦
この頃は刺激や革命が多すぎて目新しすぎた とりあえず小原とかマイケルウォールストリートが負けてた時代 マイケルウォールストリートとかNWOスティングとか脇役ですら今の自称ヘビーの
奴らより体が大きかったもんな プロレスが一番面白かった時代
小川橋本に大仁田に、ヤオバレしても総合に対抗して俺がやってやるというレスラーの意気込みがすさまじかった
この頃の武藤や健介の鍛え具合は異常 猪木が引退してからみんなプロレスに飽きてた時期
小川と大仁田がプロレス復活させた 三銃士プロレスも四天王プロレスもやれること全部やり尽くしたような時期だったな 99年はドームプロレスの一種の到達点だな
ゴールデンタイムでのテレビ放映という大きな武器を失った新日本プロレスが
タイガーマスクを見て育った、ドームを満員にするほど大量の、
拗らせまくったプロレスオタクを味方につけ、
遠ざかっていく世間になんとか追いつこうとする闘いが90年代のドームプロレスだった
結果、小川橋本はゴールデンタイムだし、大仁田劇場は学校で流行った笑
なかなかの戦果だけど、どちらも劇薬だったのが皮肉だ 99年から00年が一番だったね
小川事変でヤオバレからのレスラーたちの総合挑戦の流れほどワクワクしたもんはない
みんなプロレスを守ろうと切羽詰まってたのがよかったな
ドームでヤオバレされた小川事変後の武藤のインタビューと放心状態のテンコジの表情がリアルすぎたw 小川事変後の誰が橋本の仇とるんだって流れとガチ幻想の復活も燃えたよな
小原や安田なら行けるとか今まで脇役だったやつにスポットがあたり強さを予想する楽しみもあった 01年以来福岡ドームで興行やってないな。
01年は東京、大阪、札幌、東京と4回ドーム興行開催したな。
札幌ドームは最初で最後になってしまったが。 >>65
札幌ドームは他のドームより安めの料金設定だったにも関わらず、
新日人気が下降局面に入ったこともあって満員になってなかったからな。
ナゴヤドームは満員だったけど1回こっきりだったな。 >>12
nwoとT2000、大仁田劇場、第3世代台頭、天龍IWGPと何かしら起こったな
個人的にはジュニアのピーク 小川事変でレスラーの地位がた落ち→総合に挑むレスラーたち
この流れはめちゃめちゃ燃えたのにな 小川事変は起爆剤になったけど本当に一回しか使えない仕掛けだったらからな
ガチ幻想も崩壊したしあれを会場で見れた客は歴史の証人だな どんだけの乱闘やってたんだ
現地で見てた客がうらやましい 小川事変は30回以上見たわあの頃並みの仕掛けやインパクトがないと客は戻らんよな あれやったから客が減ったんじゃないの?直後はともかく、何年か後に 橋本小川ほどもうかった仕掛けはないわな
関連書籍もDVDも何個も出たし 99年から02年あたりは最高過ぎたな
小川事変でヤオバレしてからの俺が敵討ちやってやるって感じでみんなプロレスが舐められないように
気合入ってたし99年から01年当たりの武藤や健介や中西の鍛え方は異常 >>50
そういうでかくて上手くて仕事ができる外国人レスラーが今の新日には足りない 安生だの大仁田だのが乗り込んで来るあの頃のワクワク感が全くないからな 小川vs橋本は結局のところ焼き畑農業だったからな
一時的に大きな収穫得られるけど焼き払った土地からはもう収穫得られない
正に禁じ手だ
猪木はこの小川vs橋本の試合を理想として「お前らの試合には戦いが見えない」とか何とか言って
他の選手にも同じような試合を毎回やるように強要しようとしてた。
まああんな試合毎回出来るはずもない。 他のレスラー「あんな試合毎回やってたら体がもたないよ〜」と猪木に反発するのでした
猪木「お前らの試合には真剣みが足りない!!」とダメ出しするばかりでした 猪木もあそこまで過激になるとは予想せず会場から逃げてたからな
前田アンドレみたいなよくわからないグダグダなのを想像していたんだろう >>107
猪木の予想では普通のプロレスに固い攻撃を入れる感じの奴にしたかったんだろうな。
それなら過去にもあったしさ。橋本vs小川の第二戦目をより過激にしたような感じの。
でもヤバい雰囲気察して会場から逃亡して、あとで小川に「あそこまでやる奴がいるか!!」と怒ったらしいし。 99年に馬場が亡くなって三沢が社長になった全日と交流が実現していたらどうなっていたんだろうと思う
分裂後の全日との交流も良かったけどやはり分裂前と交流していたら凄いことになったろうな
武藤-三沢、橋本-小橋、蝶野-田上、中西-秋山、テンコジ-ノーフィアー、ライガー-小川とか見たかった プロレスが一番面白かった時代
三銃士 小川 大仁田 フライ ノートン 藤田
今考えたら豪華すぎるメンツだったな
猪木さんや長州もちょいちょい介入してたし 猪木は知人と別府温泉に行った際、
観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、
「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。
逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、
馬場は黙りこくだけだろうからな
間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」とは絶対にやらないだろ 90年代は新日と全日で大差が付いていったが
馬場は何とかしようと思わなかったのかね
ジャイアントサービスが潤えばどうでもよかったのか ビッグマッチが武道館とドームじゃそりゃ大差開くだろ >>123
全日が新日並みのペースでビッグマッチ打ったらすぐにパンクするだろ。 >>108
どこが喧嘩?
>>109
逆
ネットと高橋本のおかげで
ショーの重要性が分かった 猪木引退から小川事変まではガチで盛り上がってたのになプロレスも 大仁田の京都乱入からの健介戦、蝶野戦までのワクワク感は異常 小川事件から始まり、永田と中西、石澤のガチ試合での惨敗が止め刺しちゃったよな〜
おかげで彼らの「強い」と言う設定が嘘っぽくなっちゃったし
プロレスでその設定に説得力が無くなるのは致命的
全て猪木が悪いね 永田絶対王者路線とか・・・・
永田さんはいいレスラーだと今も思っているけど、ちょっとまずかったね
顔も精悍で強そうって感じじゃなくて、お笑い系の腹話術みたいな顔だし
その点中西は強そうな顔つきしてたけど、センスが無さ過ぎた
ガチで惨敗してもそれら欠点が無かったら何とかなったんだろうけどそうはいかなかった >>143
藤田や安田が格闘技で勝ってもそっちのファンを新日本の会場に引っ張ってくることもないし
本当にノーリターン 小原がプライドで結果残してたらIWGPシングルチャンピオン小原道由があったのかな 新日 uインター NWOがピークだろ
NWOは社会現象までになった あんなの
二度と無いだろう ロスインゴなんてあれに比べたらゴミ以下
小川がプロレスに水を差した 奴の試合はつまらん >>146
いくらなんでもそれは
IWGPマーシャルアーツ王座が創設されたかも 猪木さんと武藤に見捨てられてから終わったよな
小川事変でヤオバレしてから総合でミルコに負けるまでのレスラーの俺がプロレスがなめられないように
総合でやってやるって業界の感じが最高だったわ
あの頃の武藤や蝶野や健介や中西の肉体見ると総合になめられまいとめちゃバキバキしてたからなw >>146
ヘンゾ、ランデルマンに勝ててたらその可能性もあったかもしれんが、無理だろ
実際負けるの恐れて塩漬けの試合だったし 実際小原は強かったよな、ランデルマン相手に最後まで立って判定まで行ったし
秒で負けた永田より全然強かった 小原は開始20秒ぐらいで心折れて勝つ戦法じゃなくて負けない戦法取ってた
永田さんは心折れる前にもう負けてた この頃が一番面白かったね
小川に大仁田にフライだもんな、今のしょぼいメンツじゃありえん >>155
且つ天龍とかをサブラインで使ってて贅沢 武藤が頭丸めてシャイニングウィザード出してきた時は本当にワクワクした
これからBATTとT2000の抗争激化するだろうと楽しみにしてた矢先にアレだったからな 一時期狂ったようにドラゴンスクリュー連発してて武藤終わったと思ったな 99年あたりのドラスクからの低空ドロップキックや足四の字連発はストイック感が出てて良かった
フライ戦とか変化球で頭突き出したり必死感が出てよかったしね
シャイニング使いだしてから相手が片膝立てて待ってるの丸出しだし、
ラブポーズとかおちゃらけが多くなりショー色が強くなりプロレスが終わったと思った
ちょうど亀がミルコに負けてプロレスがおちゃらけ路線に入る頃だったしな 2004年に乗っ取られてからは完全に学プロ路線になっちゃったもんな
小川事変や総合の台頭からのプロレスが潰されるからからだ張ってがんばらなくちゃ感がでてた
99〜01年あたりは最高に面白かった
この頃の武藤や健介や中西なんて総合や客になめられまいとバキバキに体鍛えてたもんな ヘビー級の小型化、学プロインディあがりの外様ばかり、なぁなあの内輪ノリ
これを変えないとガラガラ真暗黒期のままだな 実は今が超暗黒機だよな
ノアと対抗戦やるのに盛り上がるどころか
冷えまくってる 選手がだれそれ?状態だし >>162
ノアもノアじゃないし新日も新日じゃないしね >>162
90年代でいえばオリプロとレッスル夢ファクトリーの
対抗戦みたいなもんだからな。 やっぱり90年代後半の新日vs全日見たかったな
実現しなかったからこそロマンがあるんだろうけど >>165
小学生当時よくそのマッチメイクを考えてたわ >>166
俺は年間のビッグマッチとマッチメイク考えてノートに書いてたぞ。今考えるとアホなことやってたわ 対抗戦もなぁなぁの接待試合になるのかね
ハッピーファイトがどうこういってるありさまだし 生中継は夕方に中西がG1取ってゴールデン枠で永田が高山をハイキックで沈めたあたりまでかな
実際二人はこの頃おいしいとことってるけどパッとしなかったな 武藤中西の当日夕方地上波放送はマジブームだったね
小川大仁田バブルの余韻がすごかった 90年代の坂口長州体制が過去最高の利益でNWOやUインター等の世間に届くブームを巻き起こしたが
2000年代に猪木が復権してメチャクチャになったな メンコ屋に乗っ取られてからめちゃめちゃになったんだよ
2004年からだな 真猪木軍のあたりはまだ良かったぞ
サップとか上がってたし >>182
東京ドームのイリミネーションマッチ割と好きだわ 2000年頃の武藤、橋本抜き以降の正規軍メンバー
健介、永田、中西、吉江、越中、飯塚、西村が主力は厳しかったよね
チーム2000は蝶野、天山、小島か
大谷もヘビーになったら魅力が半減してしまったし 会社の決定事項を東スポで知るというリーダーシップをくまなく発揮していた この時代は明らかに蝶野だろ。
nWoジャパン→大仁田との抗争→TEAN2000。 99年は新日全日と楽しかっけど
2000年がどちらもおもしろくなかった 2000年は
桜庭‐帆椅子
船木‐引く孫
即引退スペシャル
全日大量離脱でノア立ち上げ
全日の新日参戦
橋本解雇
思いつくだけで数年に一度歩かないかの事件がこれだけあった 若手が海外遠征に行かなくても格上げされるようになったけど
まあ時代の変化に合わせてって考えなのだろうけどあまりいい策ではなかった気がする
だんだん調子に乗ってエスカレートさせてたよね
それでトンガリコーンズとかライガーに何度も勝って世代交代とイキっていたけど
これも大谷や高岩が海外に行ってればある程度は納得できたと思うのだが
しまいには夢勝ちで若手の方が当たり前のように上位陣に勝って当然の結果と息巻く始末、大会のコンセプトが台無しになってるぞ
時代の流れでこういう方針の転換は違うと思った 99年は蝶野がやけに強かった印象
時の王者武藤にタッグ等で何度もピンし、あれだけ勝てなかった橋本にG1と神宮で二連勝
特に蝶野のSTFに橋本がタップするのは結構衝撃的だったぞ
蝶野が橋本に勝ったのはおそらく91年のG1以来じゃなかったかな、まあ橋本も弱体化も凄まじかったけど 神宮はSTFの形に入る前のレッグロックじゃなかったっけ?
そして足が痛くてタップしたはずの橋本が花道ダッシュして蝶野を追いかけてて客が笑ってた そのころ使ってたクロス式STFは逃れるのが不可能なチート技だったな でも00年に蝶野が健介のストラングルホールドにあっさり負けたのは萎えたな
首が相当きてたのかな 神宮の橋本は色々笑かしてくれたな
場外でスクワット始めたり、試合後のマイク
「蝶野!マジメにやれ!!」とか 98年の新日は長州引退で観客動員が減少傾向にあったけど結構堅実でわりと好きでした
G1や大阪ドームは面白かった
大阪ドームで藤波からIWGPを取った蝶野が花道でベルトを巻かず抱き抱えて退場する所は印象的だった プロレスにガチ求めていたレスラー達がU系にいったからこの時代の新日ってほぼエンタメのプロレスしていたのに歴代でも人気あった時代という事は結構エンタメプロレス望んでいるファンの方が多いのか 90年代後半は後楽園ホールに行くと三銃士の誰か一人が必ずいなかったな 若手の抜擢も別にいいのだがお楽しみは海外からの凱旋帰国後ってことで程々にしてほしかったな
どんどん抜擢が当たり前になって週プロも「彼らはもはやヤングライオンではない」とフォローしてたし
時代の変化に応じたつもりなんだろうけど基本的に若手は若手という旧来の方針でも良かったと思う
その上でちょいちょい抜擢するって程度で良かったんじゃないのかな 1・4事変
これが無かったら村上は無名のまま終わってたんだと思う 中西推しに力を入れてた時期があったけどいまいちだった
ヤングライオンの時にシングル初対決の上位陣にはヒロさん以外には負けたけど
海外修行後に初めてシングルで戦った上位陣には綺麗に勝利を収めてる
て、寧ろ不自然だろこれ
だったらなんで負けて当然の若手時代に橋本や武藤とのシングルを組んだんだよ
エリートからイチ若手で出直しからのこれってなんか違うなって思った 勝ち負け関係なく総合に出た奴を勇者扱いしてIWGPを与えてしまった所がな
藤田
安田
永田 海外修行に行かずに格上げするなら高岩もサムライあたりと
少し同格になったけど半歩ほど格下、ぐらいで留めておけばよかったのに
完全な格上げはゼロワン参戦してからとか
遅すぎるしそんな未来は分かるわけがない、まあ確かにそうだが
だったらとっとと海外に出せば良かったのに
BOSJ制覇やらジュニア王座戴冠やら些かやり過ぎ 「昔の新日やいわゆるマニアと呼ばれる奴らを切ったから今の新日の成功がある」などと自慢気にしているけど
方針転換した直後に石井が第3世代より強くなったりヘビーに転向したタイチなんかがあっさりとヘビーのトップクラスに食いこんだり
この間までジュニアだったオメガやオスプレイが簡単にヘビーでトップになったり、こんな無茶苦茶なのがマニアを切った方針ね
俺にはマニアを切る云々抜きに単にWWEの猿真似を押し進めたようにしか見えないけどね、一色汰にするなよ
WWEのシステムを取り入れたと称して(称してないけど理由を説明してオリジナルと言い張ってる分こっちは糞だけど)猿真似するのは違うだろ
シリーズ中毎日同じカードほぼ同じ試合結果に何が面白いのかね、WWEはテレビーショーの調整って意味があるからいいのだが
外れカードでガッカリさせないため?お客様を平等にするため?地方のファンのため?それでWWEの猿真似?糞すぎるんだけど? 蝶天みたいにこれまで組んだことがないもの同士でゼロからタッグを結成するのをもっと見たかったな
若手時代にちょっと組んだことがあるなら仕方がないけど
天山が海外に行ったあたりから若手を抜擢と称してやたらと三銃士とかと組ませるようになったから
ヘルレイザースのジョバー要員とか無意義な理由で、抜擢って当たり前にするもんじゃないよ
するとしても2人というのはなるべく避けて6人タッグや8人タッグのメンバーに入れるという具合で考えればいいのに マッチメークって人が考えて組むものだからここは自然の流れっぽくする必要なくね?
90年代の新日のマッチメークはそんな感じ
カード自体はいいカードを連発してたけどね 90年に長州vs橋本のIWGP戦が組まれたのにその直前でなぜか二人が組んでたりして、新日のマッチメイクは一時期謎だった時期ある 今の新日はマッチメークもブックも格付けも糞
マニアと呼ばれる輩を切ったとは言うがだからって素人みたいなセンスになってどうする
石井とかヘビーになったタイチが簡単にトップクラスに格上げされたり
そういうのって猪木や昔やマニアなファンを切るのとは違うと思うけどね 大谷や金本がライガー相手にヒールになるのはわからなくもない
「時代を切り開くにはライガーファンの憎まれ役になるのは当然」と
でもガチで好かれてないイキってるガキって印象が拭えなかったな
結果を出してるのにもかかわらず、結果を出して息巻けばいいってもんじゃないな
この辺もう少し何とかならなかったのかな 90年代中盤くらいまで似顔絵入りのTシャツが独特の絵柄だったけど、いつからそのデザイナー使わなくなったんだろ 使わなくなって正解だと思う
プロレスTシャツとにかくダサすぎた
あんなの良く売ってたなって思う で?マウントディスりが出来るぐらい全日のシャツは格好良かったの? 全日のシャツは更にカッコ悪い
今でもカッコ悪くて洗練されないあのセンス失われないの奇跡だ そういや四天王が馬場のお下がりっぽい爺臭いスーツを着てダサイポーズで撮った写真の入ったテレカもあったっけwww この頃は土曜夕方にTVでやってて毎週楽しみにしてたわ。 >>220
ロケーション酷すぎて草
三沢以外は元子から色付きNGでも出てたのかな ダサくてこその全日だろ
締まらない顔と体の選手
ダサイ軍団名
古臭い曲調の入場テーマ
やる気のない選手コール
無演出の会場
このダサさがよかったのにノアになって新日のマネをしだして滑稽にしか映らなかった 新日のマネに加えて開国と称して他団体選手参戦時の格付けや扱い最強アピールなどといった馬場の独りよがりが更に酷い方向にエスカレートしていったからな
インディのみに飽き足らず新日も含めた全ての団体に対して、要するに一線超えちゃったんだよね
馬場の弟子馬場の弟子と自慢気にしてるけど学んだことがこれですか、特に故ガラドラ氏 96年の東京体育館のワンナイトタッグトーナメントは意外と良かったな
その時行われたヤングライオン杯で永田じゃなくて石澤が優勝したのもちょっとした驚き
まあ二人共海外行けたけど いらぬ変化球をつけずに永田優勝で良かったと思うけどね
いくら順当ばかりじゃつまらないからってやっぱ余計な意表突きだったと思う
一人対抗がいて下馬評覆して優勝するならともかく
このYL杯は一応横一線で誰が優勝してもおかしくないってことになってたわけだよね
だったら余計に形を崩さないように本命を優勝させた方がよかったんじゃないの 95年のSGタッグで武藤のパートナーとして帰国した西村がヤングライオンそのものだったのは驚いたな
そして長州引退ドームで再び帰国した西村は相当野次られてたけどその後紙面でファンばバカとか言ってたけどあの試合の後では流石に説得力無かったけど
健介とのIWGP戦は珍試合だったけど橋本と組んで武藤蝶野とのIWGPタッグは良かったかな 藤波最後のIWGPは色々と面白かったな
初防衛戦で橋本をスリーパーで絞め落とすとは思わなかったよ なんでUインターとの対抗戦で高田対越中をやったのかなあ
80年代のジュニア版名勝負数え歌の思い出は思い出で綺麗なままそっとしとけば良かったのに
ただでさえあのころのようにもしくはそれを上回ることなど難しいのに
時代も変わって互いに立場も変った90年代にあのころアゲインを期待してやってところであの程度で終わるのは察しがつくのに
美しい思い出に余計な蛇足をつけたよね、再会マッチはタッグだけにしとけば良かったのにね まあ興行ビジネスが大事なのは分かるけどそれ故よく余計なことをしてたな
そこがウザくもあった >>224
ZERO1両国での三沢が小川と橋本に放ったマイクアピールが汚くて聞くに聞けないレベルだったな
ガラの悪い親父が路上でがやってる感じで、この人はこのスタイルは合わない事が分かったよ
対して川田のマイクは思った以上に綺麗だったな 98年の大阪ドームで橋本と天龍楽しみにしてたんだがあれがJ1選手権になった途端に萎えたな
橋本には必要の無いベルトで負け確定になったから
橋本の激勝を期待してたのに >>236
俺は普通にG1の星返しただけと解釈してた
タイトルは蛇足 それにしてもあの大阪ドームはカードも内容も客入りも全部ショボかった
前年~上半期の長州、猪木引退ビジネスやUFOのしわ寄せが思いっきり来た感じ
大阪府立で十分だったわ >>240
2002年の6月頃かな。棚橋が自由が丘の駅前で華奢な女性と抱き合っていたのを見かけた。棚橋の腕が太すぎて女性が窒息するんじゃないかと思った笑 こんな無自覚な奴は新日のエースには絶対なれないと友人とその後の居酒屋で熱く語った。で、10年後、棚橋のTシャツを買うぐらいファンになってた俺笑 ちなみにその女性は例の人とは別の女性でした。 あの時高校生だったけど別れ話で女に刺されるなんて現実に起きることなんだと感心した やたらと猪木の名にこだわるオカダ、令和維新軍、令和三銃士
「猪木や過去を切ったから今の新日の成功がある」とか抜かしていたクセして、おそらく舞台裏ではいろいろと結構苦しいのだろうな
前々から思っていたのだが、経営状態をガラス張りとか言ってるけどこれがウソか見栄と見受けられるんだけど
どうも方針が他スポーツよろしくアメリカ基準っぽいけど規模や文化やテレビ事情が違うのにそれはどうかと思ったよ
とりあえずブシロードプロレスと揶揄されてるあれはダメだな、テレビゲームみたいで面白くない 大谷や高岩みたいに海外修行に行ってないのにトップクラスまで格上げするのは好きじゃなかった
するとしても中堅か強くはなったがまだそこまではいかないぐらいで留めないと
柴田や井上亘のときは夢勝ちで上位陣に勝って当然の結果と息巻いてたがここまでくるとやり過ぎだと思った 今の新日はブシロードプロレスと揶揄してあまり快く思ってない人をちらほらみかける
そう思っている人結構いるんだな、確かに畑違いの人間が弄ったようなテレビゲーム的な感じは面白くないもんな
ありのままで大本営してないなんてほざいてそれを売りにしてるけど絶対嘘だな 海外修行から凱旋して強くなり脱若手という定番の形を壊し始めたのが
時代の変化に合わせてのつもりの方針なんだろうけど嫌だった
別にこれは古いも新しいもないのだから変えることはないだろ 飯伏の話を聞いて、やっぱ今の新日の人気とか栄光とクリーンな会社とか
全て綺麗事を並べて虚勢張ってただけじゃん
木谷って英雄気取りのとんだペテン師だな 人気は昔の新日を超えたとか言ってることが大袈裟すぎるんだよ
昭和の黄金時代や90年代を知ってれば明白だもの
水増し無しとかデータとか持ち出してどやってるけど
少なくとも熱の差は明らかだし
今の新日だって水増し無しっていうのが嘘くさい
「興行ビジネスに大事な方便の見栄」と称して嘘ついてるっぽいし
木谷の常とう手段だな 若手を抜擢しすぎ、たまにやるから抜擢なのに
「彼らはもう若手じゃない(by週プロ)」と称しそれが当たり前になるのは違うと思った
時代の流れの方針転換らしいけど海外修行からの凱旋後のお楽しみを半減させただけ 石井が第3世代に勝って当然の格上になったのは全く解せない
プロレス素人がプロレス団体のトップに立つと意味不明なことをやり始めるよね >>250
第一試合から入場テーマ曲ありは違うわな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています