北海道網走刑務所刑務官の息子として生まれた桜田一男さんは、自分も将来は刑務官になるものと思っていたところ、
中学で180センチを超えたところでスカウトがやって来て、卒業後、同郷の北の洋がいる大相撲の立浪部屋に入門しました。
7年後に、弟弟子をいじめる兄弟子を殴って廃業。
相撲時代の先輩の永源遙に誘われて1971年には日本プロレスへ入門しました
しかし、日本プロレスはジャイアント馬場がやめてから客の入りが悪くなり、
テレビ局もアントニオ猪木の新日本プロレスを放送することになって崩壊。
桜田一男は他のレスラー同様、ジャイアント馬場の全日本プロレスに合流します。