【新春ジャイアント】昭和の全日本プロレス81【シリーズ】
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【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 鶴田天龍長州藤波の第二世代四天王?の中で
一番格下にランクされてた天龍が最終的には
1番格上にランクされて輝いた感じだね。 「昭和の怪物」って称号は新日に参戦してる時についたもんだけど、この表現は大好きだ
なんか間接的に「馬場全日本」の「昭和の鶴龍時代」の強さを体現・証明されてるようで…。 長州が藤波への噛ませ犬発言で鶴田藤波からだいぶ遅れながもやっと花開いて格上げされた頃
まだ天龍はハンセンブロディ には歯が立たない準ジョパー扱いだったんだよな。
天龍はそこから、よく巻き返したな! >>872
馬場も56歳時にハンセンと組んで三沢、小橋と武道館のメインでやってるぞ。
KENTAみたいな小兵とのシングルよりよっぽど凄いと思うけど。 >>870
馬場は新間のような計画を嫌がるだろう。
ドリー息子のブロディのニードロップ事件は、シンの伊勢丹に匹敵するどんでもブックろ。 >>874
「ミスタープロレス」まで登りつめたもんな
結果的にSWS移籍でWARになり、新日主力や大仁田と電流爆破
Uインターで高田を初めU系とも戦い・女子の神取ともやったからな
BIと戦い・同世代のハンセンブロディ・鶴田・長州・藤波
一世代下の三沢や川田や小橋とも戦い、三世代と一線で戦ったのも凄いのに
柴田やKENTAとも重要な試合でやった、合計四世代と看板カードの位置でやったのはとんんでもない。 >>879
対戦しなかった大物は、日本人だと前田、坂口、外国人だとアンドレ位か?
ベイダーとは対戦してたっけ? >>880
ベイダーとは…記憶にないなあ
98年頃の天龍参戦が実現してたら間違いなく組まれただろうね
天龍チョップとベイダーハンマーの応酬、メチャ盛り上るし絵になるだろうなあ… >>881
ノアでも天龍とベイダーは未接触?
天龍が新日参戦時の時はベイダーは新日本に上がって無かったよね? >>882
ノアの初期にベイダー参戦してた頃は、天龍は元子・武藤全日だし
天龍がノアに上がった2005年頃、ベイダーはノアを解雇されてたような?
もっと遡ると、WARが新日と提携してた頃、ベイダーはUインター
新日にワンマッチだけ戻った頃は天龍は接触がないし、新日に定期参戦した頃はベイダーは全日
なんか天龍とベイダーって同じリングに上がってるんだけど、微妙に時期がずれてて一緒になってない気がする >>881
WJでは、同じリングに上がったんだけれどね
2003年7月、両国でグレートマグマとか初代王者
決定トーナメントが行われ、健介が優勝。
(天龍は大森に敗退)
トーナメントとは別にベイダーとDフライが対戦
(ベイダーの反則勝ち)
これによって、ベイダーが健介に挑戦する予定だったが
その後、キャンセル。
引き続きベイダーがWJに参戦していたら天龍戦が
実現していたかも知れない。 >>838
ココに全対戦が書いてある。
https://kissatalk.web.fc2.com/inoki_senseki.html
> 馬場は85年10月のテレビゴールデンタイム復帰から第一線を降りたと思ってる
>
> それ以降のシングルは、木村(2回)シン(2回)ブッチャー、ディートン、ロジャース、ラジャライオン
> の計8試合か?
>
> 猪木が第一線を引いたのは89年7月の参院選出馬からだから
> それ以降のシングルは、馳、天龍、スティング、ゴルドー、フライの5試合?
> もしそうなら5試合共東京ドームだね。 >>876
天龍がUNめぐって、NWA王者の第一コンデンダーと言われてたデビアスとガンガンやりあってた頃
すごくフレッシュな感じがしたけど、結構いい歳だったんだな。 >>884
WJは盲点だったなw
そういう目線だとW1(上井の頃)もチャンコ鍋的に色んなレスラーが集結してたな
天龍は村上とやってるし、秋山が柴田とやって、武藤は曙とやってるw
昭和と違い、「○○と××はどこかで戦ってるかな?」という会話になること自体が平成のボーダーレスなんだよなあ…
>>886
33〜34歳かな?
長州参戦が30代の半ば、天龍革命が30代後半、SWS旗揚げが40歳越えてたと思う
やはり加速度がついたのが30代の後半からかねえ…
WARで20代の橋本とガンガンやってる頃が40代の半ばで、体も最重量である意味では全盛時かも。 >>887
>W1
三沢対曙、秋山対サップも代々木第一次でやっている。 >>888
あ、そんなのやってたんだ
途中でW1は頓挫したのかと思ってたよ、もったいないねえ。 >>879
海外武者修行中には、馬場が尊敬するバディ・ロジャースとも対戦しているよ。
また著書『完本天龍源一郎』では全日本プロレスを一軒家に例え
「土台が馬場さんとジャンボで、長州と輪島によって外観ができて、
天龍で内装ができて、三沢たちの四天王プロレスで
ちゃんと一軒完成したと思っている。」と述べている。
天龍が引退まで第一線で頑張れたのは、馬場と猪木を破って
「両巨頭の名前を汚すわけにはいかない!」という強烈な思いがあったからでは。 鶴龍解散後、馬場の計画通りに
鶴田谷津の五輪コンビと天龍輪島の相撲コンビで戦ってたら
阿修羅原は中堅に毛の生えた程度のランクで選手生命を終えたんだろうな。 >>887
93年の43歳の時の天龍は焼けた肌に岩のようなごつごつしたカラダがめちゃくちゃカッコ良かったな…翌年から赤いベルトみたいなのしてたな 天龍の外国人とのシングル名勝負って88年大阪のブロディ戦が一番になるのかな… >>889
三沢対曙はタッグだよ。
三沢&小川対曙&スコーピオ ブロディのトップロープからのニードロップはデビアスが先に喰らってたんだな 最後の来日時のブロディは細かったな
その3年前くらいに比べたらかなり痩せてる >>887
天龍って不格好だったけど雪崩式フランケンやスパイダージャーマンまでこなすなど、
50過ぎまでは同世代の日本人レスラーのなかでもダントツにコンディションよかったけど、
パワーボムから53歳に切り替えたころから急速に衰えた印象がある。
やはり人間、いつまでも元気ではいられないね >>892
五輪x天龍輪島じゃ、圧倒的に天龍輪島組が弱いだろ・・・w >>899
天龍のパートナーになれば、それなりの格に引き上げられるって意味の組み合わせじゃないか?
プロレスはもともとブックありなのに、強いだの弱いだのって何のこと言ってるの? >>865
85年6月は武道館初にして馬場最後のPWF防衛
また木村の唯一の武道館メイン >>901
木村の蔵前国技館メインは、三軍対抗戦の馬場戦と、日本リーグ争覇戦のキムドク戦の2回かな?
木村vsキムドクが蔵前国技館のメインなんて、今考えるとかなり無謀なマッチメイクだよね。 >>900
龍原砲以前の原は、
タイトルはアジアタッグ止まり
ヒットマンになってもハンセンに4分で敗北
シングルタッグ両方で長州デビアスにフォール負け
ウォリアーズに完敗
輪島と比べたらポジションが低かった原ですら
天龍のパートナーになってからはかなり持ち上げられたんだから、
輪島だって持ち上げるだろ? >>902
最初はバションとのワールドシリーズ決勝戦 >>903
>>900の私にではなく、>>899へのレスではないですか? >>899
その4人じゃ、輪島がプロレスの技術が圧倒的に稚拙なのは間違いないのは、
強い弱いはまた別の話じゃないの?
何といっても横綱だ。
過去300年以上の大相撲の歴史のなかで、72人しか到達できなかった最高位の
力士の力を侮ったらいけない >>906
ですね。アンカー打ち間違えました。m(__)m 輪島より小さくて格も輪島より下の原が、格上げされて成功したんだから
輪島だって何とか形にはなっただろ?
技術面は、千切っては投げ千切っては投げのスタイルで良いんだしね。 >>907
麒麟も老いては駑馬に劣る。
(「駑馬」とは歩みののろい馬、駄馬のことね) 原は確かに格上げされたけど、原自身が
谷津やゴディ、輪島やタイガーからピンフォールを取ることは無かった。
それがタッグであっても。
分相応であり、「今まで何だったんだ?」
というような不自然な上げ方では無かったね。
国際血盟軍時代にも原はトップの選手にしか
負けてないし。 輪島は子供の頃から相撲に慣れ親しみ極めてる分だけ
プロレスへの応用性は他の元力士よりも低そうだと思う >>886
米国ではハンセン、ブロディよりもトップクラスにいたデビアスから84年3月時点の天龍がピン勝ちさせてもらったんだから、
相当なプッシュだよね。てっきり両リンで初防衛と思っていたから、この結果には驚いた。 >>912
そんなの当たり前だろ、輪島の年齢になってからプロレスに転向した元力士が何人いると思っているの? >>855
94年最強タッグのウイリアムスに取られてた。それが最後かな。 天龍は26歳で全日入団、三十代後半まで燻ってた訳だが
阿修羅原は30歳から国際プロレスでブレイクしきれず、全日でも中堅の域を脱せず
天龍同盟でようやくメインの扱いになったと思えば体力の限界が来たって感じだ
(借金のアレはおいといて)SWSやWARの頃はなんか搾りカスって感じで >>916
原は88年の夏からは、動きが格段に落ちたしね。 /^ヽ
,ィ : ',
(ノ : () l
l : / |
イi : ,ヘ、 | <セブンのライバルで呼んでくれればよかったのに
|lll|、/ l }.: ト、/⌒i
{ ) ,l.}.: l-/ /、l
ヽ_ノ" }ヨ.:__{ニ_ム }
, - 、 ノ、 三__`ノ
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(二旦__  ̄二) 、 ノ / //
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/___________/___ // >>911
阿修羅がテリゴやテドデビからピンするのは無理があったけど、輪島さんや谷津さんからはとっっても良かったよ >>917
自分にとっての原の実質的なラストは88年6月の札幌、革命1周年の日
札幌で鶴田谷津に負けた試合だな
確かフォール獲られた禊ぎで試合後に坊主にしたんじゃなかったかな?
その風貌のせいもあるけど、何かレスラーとしては一気に老けたイメージ
良くいえばブルファイター的な、また人間としてはシブいオッサン然として新たな魅力もあるんだけど
ずっとデビュー時からの精悍なセミロングヘアーの若い印象で、ハツラツとした感もあったから…
事実、その半年後に全日を解雇されちゃうし、SWSの復帰劇は天龍に介錯されるためという意味でしかないと思ってるし…。 龍原砲はプロレス版昭和残侠伝。
元々スポーツマンの原は、プロレスがショーであることは受け入れても
痛くない攻撃を痛いように芝居する事は、受け入れられなかったんだろう。
そういう武骨さに天龍が共鳴したからこそ、あの雰囲気が出せた。 88年後半に阿修羅動き落ちたか?
若手の決起軍相手に同じ土俵で戦ってたしブロディメモリアルのタッグ連戦も凄かったし、10月に腰痛で休んで復帰したのも借金取りから逃げるための嘘だったし動きは悪くなかったけど >>916
>天龍は三十代後半まで燻ってた訳だが
三十代後半まで燻ってはいないだろ?
それをいうなら30歳までだよ。
33歳で鶴田とタッグを組んでプロレス大賞の最優秀タッグ賞獲得
34歳で、UN王者。
35歳、長州と名勝負
まぁ、このあたりは鶴田の後ろだったが、
36歳の時は、天龍同盟結成。
37歳、リングアウトながら鶴田を破り、その年のプロレス大賞を受賞と。 >>913
天龍がUN獲ってから、全日がグッと厚みを増した。
NWAが形骸化する直前まで、インター戦線は世界にはちょっと届かない選手、
UN戦線は、これから世界に届きそうな選手と棲み分けできてたね。 >>915
ありがとう。調べたら、馬場・ハンセンvsウイリアムス・エースってカードで、
ウイリアムスのダイビングショルダーで負けてるね。
それ以降は、最強タッグも本田多聞がパートナーだし馬場が負けそうなカード自体なかったね。 >>917
動き落ちてねーわ。
少なくとも一般ファンにはわからん。
そんなこと話題にもなってなかったし、
通ぶりたいんか? >>922
痛くないことを痛いと芝居するのは無理
って何を言ってるんだよ。 原の動きが落ちた話がでてるが、天龍組と鶴田組の抗争はなんだかんだで原の動きがワンランク落ちる。天龍=鶴田>谷津>原という感じ。技の切れ・多彩さも含めて。 >>930
通ぶりたいだけ。そんなことねーよ。タコ! 88最強タッグのメインが天龍・原xハンセン・ゴディだったので
龍原の初優勝だったと思う。繰り上げでハンセン組に。 龍原砲晩年の原は、体重オーバー気味で落ちた動きを誤魔化す為に
やたらとヘッドバットを多用して重量感あるプロレスをしてた感がある 天龍と戸口って明暗分かれたね
戸口離脱で天龍格上げ。スレーター帰国でインタタッグ挑戦。
阿修羅入団で抗争⇒タッグ結成。すべてが上手くいった81年だった。 原の試合や格が落ちるのはわかるけど87年より88年が劣るとはとても思えないけど
87年はタッグベルトを取ったのに88年下半期は毎日のように決起軍と戦ってたからそう見える?
>>920
髪の毛を短くしたのは9月の後楽園大会前、ブロディメモリアルの再選を馬場に直訴するためだったはず >>890
> >>879
>> 天龍が引退まで第一線で頑張れたのは、馬場と猪木を破って
> 「両巨頭の名前を汚すわけにはいかない!」という強烈な思いがあったからでは。
ハッスルでお笑い芸人に負けたのは天龍最悪の過ちだと思う
リングに上がり込んだWAR武井社長をチョップ一発で叩き落した厳しさ見せればよかったのに >>937
猪木だったタッキーに負けたし、
小川もインリン様に負けたんだっけ?
芸能人に負ける分には傷付かないよ。 >>894
そのあとに長野で7月にやった対ハンセンもよかった
天龍は外人相手でも好勝負が多い印象、対ランディサベージとか 天龍対ハンセンなら88年の武道館89年の後楽園だな、どっちもチャンピオンカーニバル >>938
お笑い芸人が馬場猪木からフォール奪った天龍の攻めを受け切っちゃったのが問題なんだよ
チョップ一発でKOすべき >>938
> 猪木だったタッキーに負けたし、
> 小川もインリン様に負けたんだっけ?
この試合と同質のものとは違うだろ?
もっと真剣なものだったんじゃないの? >>942
猪木vsタッキーはレフェリーの藤原が速くカウントした忖度ノリの試合だし
小川がインリン様に負けたのはがっつりハッスル内のストーリーの話だしな
どっちも参考にすらならん >>940
89年チャンピオンカーニバル後楽園で天龍対ハンセンってあったけ?
鶴田対ハンセンの三冠統一戦しか思い浮かばないが・・・ >>944
序盤にあった。
ハンセンがフォール勝ち セミは五輪コンビがフットルースをボコボコにした試合だよね >>946
この日見に行ったなぁ…
高野俊二対ゴディ、渕対百田のタイトルマッチ
仲野、高木、田上対ジンク、ファーナス、クロファット等もあった >>945
パワーボムをリバーススープレックスで返されて
そのまま抑え込まれたんだっけ? >>945
1989年4.16だね。
ハンセンが持つPWFとUNに
天龍が挑戦した試合。
見に行ったよ。
この日は、試合の前にハンセンの
トークショーがあるということで
早めに会場入りしたのに、
ハンセンが「今日のタイトルマッチで
気持ちがナーバスになっているので
トークショーは中止」
まぁ、俺はそれほど楽しみにしていた
わけでもないから、そう失望しなかったが、
なら、最初からタイトル戦の前に
トークショーをやります、なんて発表するなよ! >>952
惜しいな、3/29じゃなかったか?
4月の後楽園はハンセンと鶴田の統一戦じゃなかったかな >>939
長野での試合は年間ベストバウトにもなったし 3/27は、フットルースvs馬場小橋のアジアタッグ選手権
馬場現役最後のタイトル挑戦だったかな? >>955
馬場がベルトとしてのアジアタッグに挑戦した唯一の試合でもあるんだよな
とにかくあれでアジアタッグの幅が一気に広がった 1989年のチャンピオンカーニバルも熱いね、リーグ戦がない分タイトルマッチを増やすシリーズという位置付けだったはず
3/25熊谷市体育館、開幕戦
世界タッグ選手権
鶴田谷津(リングアウト)ハンセンゴディ
3/29後楽園ホール
世界ジュニア
渕(フォール)百田
PWF UNダブルタイトル
ハンセン(フォール)天龍
4/4横浜文化体育館
世界タッグ
鶴田谷津(リングアウト)天龍ハンセン
4/16後楽園ホール
中野(フォール)渕
三冠統一トリプルタイトルマッチ
鶴田(無効試合)ハンセン
4/18大田区体育館
鶴田(フォール)ハンセン
鶴田が初代三冠王者に
アジアタッグ
フットルース(フォール)カンナム
4/20大阪府立体育館
世界ジュニア
百田(フォール)中野
三冠統一ヘビー
鶴田(フォール)天龍
記憶と数少ないネット情報で書いてみた、違ってたらすまん
>>955
その試合もあったね、懐かしい >>958
本当だこの日ファーナスは天龍とシングルやってる。その試合天龍が大苦戦してた記憶があるな >>936
原はラグビー時代は90キロくらいしか買ったのに
プロレス入りして約1,5倍増量したからな
そりゃちょっとでもコンディション落ちたらすぐ動き悪くなるだろう
>>938
>芸能人に負ける分には傷付かないよ
一番振り切ってたのはやっぱり空中元彌チョップかな 馬場と小橋がアジア挑戦した後楽園のメインカードが思い出せん
ノーテレビだったから仕方ないか
2月の後楽園は世界タッグ2連戦で、馬場&木村と天龍&川田が挑戦したんだよな ハンセン、ゴディ対ファーナス、クロファットでは…天龍対田上もあった この頃の全日本は地方(特に西日本)が、壊滅状態で東京の会場だけえらく盛り上がってた印象だね。 テレビがゴールデンじゃなくなったからね、首都圏は日曜22時半からという次の電波少年で30パーセント取った枠だったのに、地方は深夜2時とか悲惨な時間が多かった >>963
得意の札幌や新潟でもこの頃は苦戦してたしな。
このスレでよく80年頃が一番ひどかったという意見をよく目にするけど、
天龍革命や四天王末期もそれに匹敵するんじゃないか?
(勿論東京を除く) >>956
同時期に長州が飯塚と組んでIWGPタッグ奪取に成功した事で
「次代を担う両団体の明暗」みたいに書かれていた
惜しくもタイトル獲得ならなかった小橋が大躍進し
お膳立てでタッグチャンプになった飯塚は伸び悩むという >>954
あの試合でUNベルトの台座が変形したんだよなw >>965
前年の輪島、原、石川引退。
春のタイガー休養が地味に効いていた。
3、4番手が枯渇し、外人もマンネリ化して
大会場のセミのカードが異様にしょぼくなった。 >>938
福祉大相撲なんか大関が豆力士に押し出されている >>969
愛知県体育館でキッドvs仲野がセミだっけ?
この時は天龍欠場で、ハンセンとゴディは途中参戦なので
愛知大会は最初から未出場。ウィリアムスは翌年から参戦
愛知大会のメインは、世界タッグ鶴田谷津vsスレーター&スパイビー
ハンセンゴディが合流するまではスパイビーが外国人暫定エースだった。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。