【エディグラハム】国際プロレスpart21【ジエンフォーサー】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
死んだ歳の子を数えてけなすしかできない奴は書き込むな! 木村エースの国際プロレスを12chの演歌の花道に例えたのは別冊宝島で見た。 木村はビクトル古賀直伝のサンボ技をマスターしてるのに、自分のスタイルに合わないからと試合で使わなかった。
10年以上過ぎて新日のリングで脚光を浴びるのなら、木村にも使って欲しかったな。
あと札幌遠征があると情深い木村が必ず立ち寄った「スナック奄美」
まだあるのかな? >>9
新日移籍後はマードックらとビール園に行くようになった。 80年のデビリッシュファイトシリーズは、スミルノフ・クラップ・ムルンバがいるのに
IWA世界タッグ王者の井上・浜口にはプラタ・ドーベルマンが挑戦した。
大木は国際最後のシリーズ(半年毎の見直しで、更新されず)
2大エース時代は呆気なく終了した。
シリーズ終了後には木村・浜口・寺西が新日本の東京体育館大会に出場
木村はS小林の挑戦を受けIWA世界ヘビー級の防衛戦
バックドロップでフォール勝ち(レフェリー:Rドゥーガン)
浜口・寺西は藤波・木村と対戦、藤波が寺西を原爆固めで破った。
2試合共にテレビ収録はなかった。 >>13
打ち切る前提の枠移動していた頃で田中さんがプロレス中継から外れて
後任の人はそれほど熱心な人ではなかったそうだからだから無理かな。 田中さんがいたらせめて12チャンネルで放送させたかもな 81年ダイナマイトシリーズ最終戦の6月25日清水大会が12ch最後の収録だったが、
放送されたのは団体活動停止後の9月24日の深夜0時〜1時(関東地方)の60分枠
もはや放送したところで何の役にも立ってない。 他スレで話題になったのだが
国際プロレス史上、最多観客動員興行は
1972年11月27日、愛知県体育館の
ブルクラvs小林・草津の金網デスマッチで8500人、
確かに、WIKIでも、そうなっているが
1971年3月バション兄弟やBミラーが参加、
M井上も急遽、帰国したAWAビッグファイトで
どこかの野外興行が1万人越えたとかで、
テレビでもその大観衆を写していた記憶がある。
記憶にあるひといる? >>16
レギュラー放送は打ち切りだけど月1回の予定で放送すると言われていたけど
どうしてお蔵入りされていたのだろうね。
>>17
菊池さんの話だと都内の興行で大入り袋が出たのが5回だけ(木村vsベーカーの
台東区の金網戦)だから興行でのもうけは厳しいだろうし、何せ当時はグッズを
作って売るという発想もなかったから >>17
国際プロレス歴代観客数
1位 1971/2/28 AWAビッグファイトS
盛岡市体育館 10800人
2位 1969/8/3 ビッグサマーs
中津市営球場 9500人
3位 1969/11/29 IWAワールドタッグ挑戦S
平戸相撲場 9300人
12チャン時代で1番入ったのは
8位 1977/3/26 第6回IWAワールドS
蔵前国技館 8200人 >>17
野外興行は知らないけど、3月2日の国際・東京体育館と日プロ蔵前国技館の
同日同時刻興行の山の手、下町興行戦争があった。
国際はAWA世界タッグ戦 バション兄弟vs杉山・草津と木村vsザ・?の金網デスマッチ
この日帰国した井上はBミラーに敗れた。(観衆3,000人)
日プロは馬場・猪木vsマスカラス・アリオンのインタータッグ選手権(観衆9,000人)
興行日をぶつけたのも、招聘したマスカラス・アリオンも日本プロレスの妨害工作 マスカラスは妨害じゃないぞ
国際が勝手にやった「あなたがプロモーター」という呼んでほしいレスラー投票で2位になっただけで
(実際は1位だったらしいが) >>19
>盛岡市体育館 10800人
野外というのは、俺の記憶違いだが
やはり、AWAビッグファイトS
で1万人越えの興行があったよね!
サンクス! >>22
そのAWAビッグファイトシリーズ小倉大会でIWA王者杉山がミラーに破れ王座転落
ベルトが海外流失することに。
4月には伝説の第3回ワールドシリーズが開幕(ゴッチ国際初参加)
個人的には国際が最も面白かった時代だなー >>23
その3月4日の小倉大会、
急遽IWA戦が開催されたようで
テレビ中継はおろか、
「ゴング」も「プロレス&ボクシング」も
取材に行っておらず、写真もない。
試合の詳細もいまだかつて
語られていないんだよな。 >>24
IWA王座の移動劇には謎があるね。
小倉の杉山vsミラーは急遽決まったタイトルマッチだから、当時はマスコミも
取材できなかったんだろうけど、詳細や試合写真は公表するべきだったよね。
ミネソタ州ダルースのミラーから小林への移動はフェイクだったし、
コロラド州デンバーのロビンソンからグラハムの王座移動も、別のタッグマッチの
写真が使用されてた。(グラハムのベルト姿も合成) ロビンソンがグラハムに負けるのを拒んだから?
そんな自分勝手なレスラーを使うから 田中さんからしたら木村がロビンソンへ雪辱する流れを期待していたら、まさかのグラハム
奪取に加えて挑戦して奪取したのは井上で、それも半年したらバション経由で木村だからね。 >>26
>ロビンソンがグラハムに負けるのを拒んだ
それ以前に、
別に最初からロビンソンとグラハムを
対戦させる必要はなかったんでしょう。
グラハムをIWA王者として来日させれば良いだけ。
と言う前に、アメリカで国際プロレスが
ロビンソンとグラハムを対戦させる
ことって出来たか?
ってことになる。 >>26
>ロビンソンがグラハムに負けるのを拒んだ
それ以前に、
別に最初からロビンソンとグラハムを
対戦させる必要はなかったんでしょう。
グラハムをIWA王者として来日させれば良いだけ。
と言う前に、アメリカで国際プロレスが
ロビンソンとグラハムを対戦させる
ことって出来たか?
ってことになる。 >>26
>ロビンソンがグラハムに負けるのを拒んだ
それ以前に、
別に最初からロビンソンとグラハムを
対戦させる必要はなかったんでしょう。
グラハムをIWA王者として来日させれば良いだけ。
と言う前に、アメリカで国際プロレスが
ロビンソンとグラハムを対戦させる
ことって出来たか?
ってことになる。 政治的に負けさせられないんなら最初っからロビンソンを国際に絡ませるなって事だろ いや、ロビンソンに負けさせる前に
アメリカ(国際プロレスのプロモートの外)で、
グラハムと戦わせることができたか?
ってこと。
だって、それを見るのはアメリカの客だよ。
まぁ悪いカードではないかも知れないが。
カードを組むのは、現地のプロモーター。
それにIWA世界選手権?
なにそれ?という感じでしょ? グラハムは何かの新設王者(インターナショナル、US、ノースアメリカス、ブラスナックル等どれか)にして木村に挑戦させて王者に
次のシリーズに来日したロビンソンには井上が挑戦、試合中キューバンアサシンズが乱入してロビンソンが負傷して井上が勝利して王者にとかならまだ良かった 杉山がミラーに負けてIWA王座が米国流出
次のIWAワールドSで杉山・草津・木村が優勝戦線に絡めず、この3人ではダメと印象付ける
そして次のビッグサマーSで小林が新王者として凱旋、連続防衛開始
絶対王者・小林誕生への完璧なマッチメイクではないか >>32
デンバーオーデトリアムのIWA移動劇は、1対1から3本目にセコンドのラシクが
王者ロビンソンの足をすくってグラハムのフォール勝ち
という、もっともらしい説明がなされている。
しかしそんな記録は何処にも残ってないw
まあ急遽決まった小倉大会のタイトルマッチは、プロレス雑誌も月刊誌の時代だから
納得しても、九州スポーツは写真入りで掲載してたのかな?
アメリカでのミラーvs小林戦、ロビンソンvsグラハム戦の王座移動劇は、
今の時代では絶対通用しないアングルだね。 今の時代では通用しない----というアングルでは
ほぼ同じ時期にグラハム×ラシク+ホフマンってのがあった。
グラハムはユダヤ人でドイツ人のラシクと抗争。
ラシクとの抗争が一段落するとホフマンが代わってグラハムと続ける。
酷いのはここから。ラシクはなんちゃってだがホフマンは本当のドイツ人なので
ユダヤ人を心の底から憎んでいる、なんてやつ。 ホフマンはドイツ人じゃなくアルメニア人説もあるし
ドイツの団体でホフマンをエースとして売る為にドイツ人ギミックにしたのが広まった説 そんなこんなで71年後半は小林時代が到来するんだけど、暮れに猪木が
会社乗っ取りを企てたとして日本プロレスを除名・追放処分になっている。
国際プロレスが猪木獲得に動くのでは!?との報道がされたが、67年の東京プロレス
との合同興行の際、袂を別れた猪木を吉原は快く思っておらず、きっぱりと否定。
もしこの時、吉原が私情を捨てTBSから多額の資金を引っ張り、猪木獲得に動いていたら日本のプロレスの歴史は大きく違っていたし、国際が盟主になってたかもねw フランス人のプロレスラーはナチスギミックのレスラーと戦いたがらないのだろうか >>41
例え吉原が支度金を用意して
猪木獲得に動いても、当の猪木が
国際に入るかどうかは分からないだろ?
そして、猪木だけではなく、彼に同調して
日本プロレスに辞表を出した小鉄、木戸、藤波も
受け入れただろうか?
藤波なんか、そこで国際にも入れなかったら
引退していたかも知れない。
猪木が72年早々、国際に入団したら、
エースになったばかりの小林の立場も微妙になるしね。
もしかしたら、同年秋に旗揚げした馬場の全日に、
杉山と共に移籍したりして。 猪木が国際に入団って事で小鉄、木戸、藤波が付いてくるのは良いと思う
猪木との軋轢よりも取り巻きのトルコや木村昭政が介入してきて揉めるのは明らか
特にトルコは吉原社長のリキパレス買収事件による追放で遠藤幸吉と共に吉原社長を糾弾した1人 日プロ追放後に反撃記者会見を開きその後も恨みつらみを吐き出していた姿は今から
見ても凄く見苦しいそんな人物をコントロールできるとは思えない例え国プロに移籍
してもファンの支持は得られなかったはず。当時の吉原社長の「レスラーとしてはいい
モノがあるが人間としてゼロ近い!」と発言にも表れている。数人のレスラーと
ノーテレビで旗揚げした姿が判官びいきで支持を得たんだと思う。 確かにシュミレートすると猪木獲得は現実味はないんだけど、
71年末には日本プロレスと国際プロレスの2団体時代だったのが
10ヵ月で日本、国際、新日本、全日本の4団体となり、
観客動員、テレビ視聴率ともに低下したプロレス冬の時代。
1枚のチケットで済んだ日プロファンが3枚必要になったこの時期に
猪木は無理でもTBSに特別予算を依頼して、AWAとの提携路線による豪華外国人選手を
招聘して強力なカード編成を組み、一気に他3団体と勝負していたら
分裂でファンの信頼を失墜させた日本プロレス3派の隙をついて浮上できたかと
思うんだけどな。
あくまで個人的には、72年の日プロ分裂時が最初で最後のチャンスだったと思う。
吉原の金のかけどころの経営者判断は正しかったのか、見誤ったのか…? そういうのはよくわかるんだけど
株価のチャートを見ながら「ここが歴史的買い場だった」と思うようなもんだから。
で、猪木が来ていたとして猪木向けの外人は居るのかな。ロビンソン? 東京プロレスも初期の新日も、最初から猪木向けの外国人なんかいなかったんじゃないの? >>46
過去を振り返って想像してるだけで、論破されるのは十分承知してるよw
株の売買の例えは、正にその通りなんだけどね‥
国プロ15年の歴史の中で、日プロ分裂時に一番内外ともに充実していたにも関わらず
業界のトップを取れなかった、天下盗りのチャンスを逃したのは、
TBSとのリレーションが上手く構築されなかったことと、日本側メンバーの力量不足
この2つのような気がするんだよな。 TBSでの放送は72年1月から放送時間枠30分に短縮、放送日移動を繰り返してTBSとの蜜月期を過ぎていた
短縮や時間枠移動に伴って地方局によると深夜や昼間等に放送時間移動、放送自体無くなった局も出ていた時期
奇しくも小林エース時代になってからTBS迷走期が始まってしまった
その時期にTBSが猪木の為に別予算を出す事は無いと思う
すでにTBSにとってプロレス中継はB級番組扱いになってしまった時期でもあったしね >>49
TBSは68年1月の放送開始時から71年末までが毎週水曜日19時〜19時55分
72年1月〜3月末までが毎週水曜日19時〜19時30分に短縮
72年4月〜9月末までが毎週日曜日18時〜18時55分
72年10月〜毎週日曜日18時〜18時30分に再び短縮と推移している。
最初からTBSが主導権を握り「TBSプロレス」にされていた時期もあったことから
吉原は不快に思っていた部分もあり、良好な関係とは言えなかったね。
旗揚げのテーズ×草津からTBSの思惑が反故にされ、そこから狂ったのかな? >>45
その説に従って、話を進めれば
72年暮れの日本マット界は
日プロ=大木、坂口、上田、高千穂、小鹿
国際=猪木、S小林、草津、R木村(海外遠征中)、小鉄、
全日=G・馬場、杉山、(遅れてデストロイヤー)
で、73年春の日プロ崩壊は免れない。
となると、日プロ勢は全日に行っただろうな。
ただその時、NETはどう動くか?
プロレスを完全に手放すか?
その後は、
国際勢は変わらず、M井上、木戸らが成長。
全日=G・馬場、杉山に加え、というか杉山は後退し、
それに坂口、鶴田、そして小沢と言った大型レスラーが集結するのか!?
これは、2大勢力になるな。馬場とそりが合わない大木は離脱
ただ、国際はどう考えても、猪木と吉原+草津がマッチメークなどで
対立するだろうが。 国際が猪木獲得に動くと言っても、
猪木は、小林(ましてや、木村や草津)に
下には付かないだろうな。
絶対に国際のエース(IWA王者)にしろ!と要求する。
それまでの猪木ファンだって、国際の2番手、3番手
に落ちた猪木なんか見たくないよ。
そうなったら、小林、草津はどう動くかな? 国際が1980年大木を入団させた時は、
彼はインターナショナル王者だったので
IWA王者木村と、並行して興行が打てた。
しかし、72年時点の猪木は無冠。
やはりタイトルを与えないと、ファンが付いてこない。
IWA認定インターナショナル王者にするか?ww >>44氏も言ってるが、日プロを追放されたばかりの
猪木には、ファンの風当たりが強かった。
その猪木を72年の春頃、国際に入団させても
観客の反応は冷たかったと思うよ。
72年の秋に馬場も日プロを退団した時から、
「あれ?やはり日プロの幹部にも
問題があるんだな」とファンも
思い始めたんだよな。
猪木新日は、73年春まで、(ほとんど)ノーテレビで
頑張ってそれで坂口とNETテレビが付いたので、
ファンも戻って来た。
あれがなければ新日は潰れていただろう。 猪木が国際に来るにあたって
豊登がいる時期だとどうなるか、もあるな。 >>55
豊登は70年2月に国際で一旦引退してる
仮に日プロ追放後猪木が国際に上がるとしたら入団って形をとらず、最初は猪木、小鉄(木戸、藤波はセコンド)殴り込みによる登場で国際と対立しか小林、草津と並び立たないのでは?
猪木「こんばんは、アントニオ猪木です。日本プロレスを追放後上野毛の自宅を改装してトレーニングを続けてまいりました!」 皆さんの考えを読むと猪木国際はやっぱり現実離れしてるねw
吉原さんは全日には旗揚げから杉山を移籍させたり、若手をレンタルしたりと
敵に塩を贈るじゃないけど、馬場には協力的だったのも、
今まで散々興行を邪魔された日本プロレス憎し、猪木憎しの思いから
馬場と手を組んで日本プロレス、新日本プロレスを潰そうと考えたんだろうね。
でも全日本は半年でNWAに加盟が認められ、国際とのパワーバランスが
徐々に逆転していくんだね… 73年のワールドシリーズをコロフ・バション・カーペンティアが来た春のシリーズではなく、秋に
実施したのもの参加外人メンバーがしょぼかったのも吉原さんのミスなんだろうな。国際に
とってトップに立てる最後のチャンスだった。 >>58
当時の雑誌で吉原社長の談話が載ってて、秋にAWAの強豪が来日するので秋に開催するって読んだ記憶がある
実際にはリーグ戦と別枠でAWA王者のガニアが来日した あるいは旧日プロ系の内紛と抗争の時期を避けたかもだが結局は全日本と新日本の蔵前タッグ戦争に埋没した印象 ここは60過ぎのお爺さんたちの昔話スレか
プロレス見ててもこういう年の取り方はしたくないわ 歴史に「もし・たら・れば」はなくて今があるってことで、どーだい? >>58
70年から毎年春に開催されて来たIWAワールドシリーズは、強調関係にあった
全日本のチャンピオンカーニバル開催により「無益な興行戦争は避けたい」と
秋に開催すると発表。
ここでも馬場を立てて譲歩している。 >>48
プロレス放映に企画書やパイロット版まで作りTBS上層部を説得した森Pがスポーツ
部を離れて営業部に異動していたのも大きかった。「このままではスポーツ馬鹿になる
」と自ら志願して"人に頭を下げたり折衝力"を学んだらしい。森Pや12chの田中Pのような
プロレス情熱のある人がいれば少しは変わった状況だったかも・・・
NETは実力者である三浦専務が居たのが大きかった!
TBS以外の他局は視聴率が12〜15%でも及第点なのにTBSは基準が他局より高かった
のも災いした。復活したウルトラマンシリーズが視聴率25%を取ったのに
「もの足りない・・・」と言われる始末だった。
時間短縮に関してはTBS社内事情で1時間より30分番組を2本並べた方が
スポンサー料の効率がいいと言う判断ですぐに戻されたが放映時間も変わったりして
イメージダウンも大きかった。またこの頃はプロレスブーム自体の熱狂がかなり落ちて
きていた・・・ >>53
73年7月欧州遠征から帰国した木村が小林に挑戦を直訴
大阪で日本人同士のタイトルマッチが行われ、小林の勝利
馬場のインター21度を上回る24度目の防衛を達成するも、観衆は4,500人と
満員には届かなかった。
この頃からマッチメーカーを任された草津と吉原のリレーションが構築され、
客を呼べない不甲斐ないエース小林との間に確執が生じるようになる。 >>62
歴史に法則なんてない。
歴史は偶然の連続だ。
歴史に、もし、たら、れば、はありえない、なんてただの後だしジャンケンだ。 小林としては「国際のエース」が通用する内に出来るだけ高く売り付けたという感じかな
どうせならいっそワフーに奪われた時点で金網デスマッチで木村にスイッチしても良かったかも >>65
小林が客を呼べないって言ったって
それ以上に呼べなそうなレスラーしかいなかったと思うけどな。
海外でも小林が一番実績を残して帰った来たんだし。
木村や草津は脇役に徹して小林をエースとして盛り上げる以外になかったと思う。 Gスピか何かの媒体で新間氏が「国際は営業が弱かったから、
自分が建て直しに行きたかった」と発言していた。
国際の最大の弱点は、テレビ局からの金に依存し過ぎていて、
肝心の興業利益に至る「システムが解らなかったこと」にあったと思う。
興業=巡業をどう作って行くか・・・東郷と切れてヨーロッパ路線になり、
その他のツテも出来て、TBSの金も入って来てAWAとも関係が
出来たことの、総括を吉原社長はしてから次の戦略を練るべきだったかと。 お爺ちゃんになると、いまさらどうにもならないことを延々と繰り返すんだね >>70
新間は魔法使いじゃないし国際に行っててこ入れみたいなことは無理だったと思うし
そもそもその気はないのに自分をフレームアップするために言ってただけだろ。
で、あとになって俺ならなんとかできたのに〜と。 >>72
いや、その話は聞いたことあるよ。
どの時期か忘れたけど、新日の職はそのままでいいから国際プロの社長を兼任して
欲しいと、吉原自ら新間にアプローチしたことがあると。
国際を立て直しながら、自由にコントロール出来るとあって新日本にとっては
悪くない話。
新間は乗り気になったが、猪木の反対でダメになった。 72年から比較的良好な関係を築いてきた全日本とギクシャクしだしたのは
78年のマスカラスレンタルの件からだろうな。
吉原は激怒してたらしい(自業自得の面もあるが)
でも、どうマスカラスを使おうとしてたのか? お爺ちゃんたち、今日も平日の真っ昼間から昔話頼むぜ >>75
ラッシャーとクロスチョップ世界一決定戦。 >>75
マスカラスのレンタル話はポスターまであったみたいだから
かなり実現に近かったんだろうけどどういう経緯でぽしゃったの?
全日の中でも一番ギャラが高かったと言われているマスカラスを呼ぶのは
国際としてはかなりの負担だと思うんだが、なぜマスカラスだったんだろうか。
もっと安くて効果のある外人をレンタルしてもらってもよかったと思う。
例えば78年くらいならマークルーイン&イヤウケア。 >>79
吉原社長がマスカラスの斡旋を馬場に依頼
馬場の返答はマスカラスに聞いてみる
その返事を聞いた時点で吉原社長はポスター制作を指示したり、興行主にマスカラス参戦しますと話した
マスカラスはスケジュール的にその頃来日するのは無理で馬場に無理だと返答
馬場から吉原社長に話したら吉原社長激怒の流れみたい ありがとう。長い間の謎だったんだ。
しかし社長も逆恨みだな。こんな人とは仕事したくないわ。 あのさあ、昔のプロレスはさあ ってもっとやってくれ さあ、お爺ちゃん達、みんなで叫ぼうぜ
吉原のバカヤロー >>79
吉原が馬場にマスカラスのレンタルをオファーしたのは78年のサマーアクションS2
の終了後の国際ダイナマイトシリーズのはず。
9月15日大分津久見大会のマスカラスの写真が載った幻のポスターがヤフオクに
出されていた。
馬場は最初は拒否していたが、吉原はカマタ移籍の件を持ちだし「ウチはカマタを
気持ちよく送り出している。レンタル参戦も出来んのか!」
馬場も渋々再検討、マスカラスを説得してどうにか口約束で了解を取り付けた。
それで吉原ポスターを発注するも、マスカラスが期間の短縮やギャランティの
上乗せ宿泊等の特別待遇を要求、飲めなければメキシコに帰ると言い出し
色々駆け引きを使ってきた。
結果的にマスカラスの要求を飲むことはできず話は破談になる。
吉原としてはマスカラス参戦を見込んで売り興行の値段を上げ交渉し、不参加となったことで興行のキャンセルやダンピングがあり信用は失墜してしまった。
怒る気持ちもわかるが口約束でポスターや売り興行の段取りまで進めた甘さ…
急遽オックス・ベーカーを特別参加させ木村とのデスマッチ三番勝負を売りにした。 単発レンタルとして考えた場合、マスカラス以外でコストパフォーマンスの良い顔ぶれはいくらでもいただろうに。 木村とのIWAダブル世界戦でもやろうとしたのかなw
仮にロビンソンのように日本陣営に入れても、
木村のタイトル挑戦者に簡単にマスカラスを勝たせる訳にもいかないし…
どう使うつもりだったのかね。 吉原のプロレス音痴ぶりが発揮されたドタバタ劇
本当にマスカラスをどうするつもりだったのか 78年あたりなら>>79の言うように、ルーイン&イヤウケアにラモス。
スーパー・デストやハリケーンのマスクマン。
ブラジルなんかまだまだネームバリューはあった時期。
全日でも単発だったけどワルドー・フォン・エリック、格はかなり落ちるけどレッド・ウルフやフランク・モレルなんか国際向きだったろう。
日本リーグ争覇戦のタナカやホーも全日ブッキングじゃないのか? >>89
トークイベントで話してたのはルーイン、イヤウケヤ、ラモス、ブラジル辺りの斡旋の話はあったが障害になったのがギャラ
全日と同額のギャラと待遇ならって話で、そうなると国際の外国人エース勢よりも高額
その為、全日の外国人選手の斡旋の話は無くなった
唯一ポスター制作までいったのがマスカラスで吉原社長からみてギャラと集客が見合った選手って事だったのかも? >>70
全日も外人のギャラは日テレが出していてテレビ局依存体質で興行が疎かになっていて、
地方だと国際並みの不入りも多かった。 トークイベントって
お爺ちゃん達集っちゃつてるのかよw >>91
北海道、東北、新潟、北陸、九州なら客入るけど、東海、関西あたりがからきし弱かったな、全日本は
国際は北海道と九州北部が頑張るくらいで得意地域無さすぎた しかし、1978年に国際に
マスカラスを招聘したら、
M井上となら、好試合を演じられそうだが
R木村のIWAに挑戦させたのかね?
噛みあいそうもないし、
どうせ、引き分け防衛だろ?
と予想するファンが「木村に勝てないマスカラスは
見たくない」「マスカラスそのものは、全日でも
また見られる」とならべ、あまり観客動員にも
結びつかない気がする。 そうなってくるとオールスター戦でのカードが尚更に皮肉
吉原としてはマスカラスの場所に原を入れたかったろうだけに まずドスカラスで様子見したらよかったんじゃないかな。 >>96
ドスは78年サマーアクションシリーズ2が初来日じゃなかったかな?
マスカラスと一緒に来日して、まだどんなレスラーかわからなかったし
シコデリコみたいなトンデモレスラーかも知れなかった。 トンデモなお爺ちゃん達は今日も頑張ってるね
さあ昔話熱く語れや 使い道が難解なマスカラスよりデストロイヤーに来てもらった方が良かったんじゃないか。
デストVS草津のUSヘビーとか木村や井上との絡みも見たかったけど。 >>99
馬場がデストロイヤーの負けを許可しないから使いづらい。
落ち目のロビンソンを戻してIWA戦で木村が勝つのもいい。 シコデリコは国際によく似合う
国際はシコデリコを推せばよかったのではないか 吉原は自分の団体の所属レスラーを何の躊躇もなく外人レスラーに負けさせる
日本人差し置いてゴッチロビンソンロシモフの三つ巴決勝戦決行するアホさ加減
そんな団体誰が観に行くんだよ よっお爺ちゃん達ノッテ来たね
吉原ってのは相当バカそうだから、もっと面白いバカ話頼んだぜ
バカの団体のウォッチーもバカそうだけど 蔵前・大阪の2連戦を井上vsロビンソンと井上vsガニアにして井上の売り出しに力を注ぐ
発想がないのが残念だったな。ガニアvsロビンソンはドリームマッチではあったのは確か
なんだけどね。 ブッチャーの乱入でフォール負けになってしまった馬場vs木村の試合、
ジョーさんの裁定に必死の形相で抗議する吉原社長、それをなだめるラッシャー。
他には見ない珍しいパターンだよな。木村が必死に抗議し、吉原がなだめるのが普通。 マスカラス呼ぶぐらいだったら
ブッチャー呼べばよかったのにな。
木村とも因縁があるし、地方だったら
ブッチャーの方が受けると思う。 >>104
言えてるが、前のシリーズで井上=ロビンソンやったんだよな。
ロビンソンが井上と二連戦で勝ちなしは飲まなそう。
むしろ、蔵前の井上vsニックの3本勝負で決勝を回転ドロップでフォール勝ちを何故IWA戦にしなかったのか? 78年のマスカラス騒動は水面下の交渉で当時報道されなかったと思うけど、
年末の「日本リーグ争覇戦」は貴重なデスマッチ無しのシリーズだったw
優勝した木村は「プレ日本選手権」の優勝者と対戦したいと発言し、
6年間続いた全日本との最後の交流となったね。 >>99
デストはいいね。
あんまりブックを気にしないで日本陣営主体でよかったんじゃない?
最終戦あたりだけ、木村デスト×井上浜口くらいで。 >>107
ニックは当時AWAタッグ王者だったが
知名度(観客動員数)がなかっただろ?
むしろ、パートナーのRスチーブンスの方が上。
俺、1975年に二ックがAWA王者になったと聞いて
「なんで、40歳に近いニックがいまさら?」と思ったよ。 >>110
スチーブンスが前に来日したのは前過ぎてプロレス観て無かった
ニックはその4年前に来日してNWAタッグリーグ戦で準優勝したのを覚えてたからニックの方が馴染みはあった 74年ワールドチャンピオンシリーズは、ガニア・ロビンソン・ニック・スチーブンス
1度に招聘したからな。(1人くらいヒールの大物がいればいいのに)
小林離脱とTBS終了からの東京12ch放送開始だから
5年ぶりに蔵前国技館で勝負を賭けたが、観衆は4,500人だった。
メインにプロレスファンしか興味を持たないガニアvsロビンソンだもんな。
マニアは唸るけど、ベビー対ヒールの重要性が分かる気がする。
新日では猪木vs小林の再戦、全日では日本人初NWA戴冠のブリスコvs馬場戦で、
後発2団体に話題をさらわれた。
吉原・草津のセンスがわからんよ。 国際プロレスって相当おバカな団体だったんだね
それを論じてる奴も相当なおバカだね MMb2-Ijp+ 全然かまってもらえなくて可哀そうw 豪華なワールドチャンピオンシリーズの次の75新春パイオニアシリーズは、
ダニー&ブッチャーのリンチ兄弟、ボビー・スローター、ボブ・オートン(シニア)
と、一気にランクが落ちた。 ID:CEHpSqTj0
やっとお爺ちゃん構ってもらって嬉しいよ
さあ、休日返上ておバカな国際プロレスを熱く語ってごらんw 女人禁制の蔵前でどうして女子プロレス
やってるんだ? >>120
昔は花束嬢含め女人OKだったが次第にやらなくなった。蔵前国技館のwikiにも表記がある。 >>112
ニックとスチーブンスは対木村・草津の為だろうけどその二人よりバションにして
ガニア・ロビンソン・バションに井上を絡ませた方が面白かったような。
>>113
それならなんで井上とニックの試合をメインにしてタイトルマッチにしないのか。
吉原さんと草津には呆れる他ないな。 IWAワールドシリーズにした方がよかった。
井上、木村、草津、浜口、寺西
ガニア、ロビンソン、ニック、スティーブンス
日程的に総当たりリーグ戦が難しければトーナメントにして
ガニアとロビンソンを引き分けで両者脱落にして、決勝は井上>ニック。
シリーズとは別枠でのIWA防衛戦でスティーブンス、ガニアとのWタイトル戦。 >>122
草津の蔵前メインは極道コンビとのダブル戦だけかと思ってた
ちなみにそこで井上もようやく蔵前メイン登場 >>123
ニック、スティーブンスは
AWA世界タッグ王者チームとして
来日したんだから、、、
ガニア、ロビンソンを招いて
ワールドシリーズを開催するなら
ちょっと落ちても、
中堅どころのシングルプレーヤーを
呼んだ方がいいよ。 井上はガニア、ロビンソンと引き分け、ニック、スチーブンスに勝ったこのシリーズがキャリアピークになったな。
翌年の年末にはピエールマーチンやヒロマツダ、オコーナーに負けている。 74年のワールドチャンピオンシリーズは11/4〜12/1の日程でスチーブンス&ニックは開幕から21日まで
ロビンソンは17日〜21日、ガニアは20日21日
4人が帰国してからはウォルフ(後にアリと対戦)、キューバンアサシンズ、ザ・キラー(二郎が覆面を被った変身)のみに(+女子選手2名) >>127
この史上最弱ともいえるメンバーで回ったワールドチャンピオンS終盤6戦のうち
岩手の遠野市では観衆5000人、前橋4000人、他も3000人以上と発表されている
ガニア対ロビンソンの蔵前が4500人なのにw >>123
ガニアはシードして決勝からにしてやらないといけないと思われます。 >>128
どこも水増しだらけの主催者発表w
蔵前の4,500人もだいぶ盛ってるだろ。 ガニアは銭ゲバで有名だから大金を持ってかれただろうし
赤字になったのが想像がつく >>129
IWAワールドシリーズ・トーナメント
井上とガニアがシード
ロビンソン>寺西
ニック>浜口
草津>スティーブンス
木村>ウォルフ
準々決勝
ロビンソン>木村
草津>ニック
蔵前 準決勝、決勝
井上(時間切れドロー)ロビンソンで両者失格
決勝戦 草津(4の字)ガニアで草津が優勝
大阪
IWA,AWAダブルタイトル戦・井上=ガニア
IWA世界タッグ戦・草津&木村>ニック&スティーブンス
ロビンソン>浜口 >>112
ガニアvs.ロビンソン戦が急に決まりに一回の収録に二週間分の放映をため撮りなので
十分な宣伝がテレビではできなかったと12ch・田中Pが語っていてテレビ局との連携も
うまくいって無かった・・・ 81年8月に国際は活動停止するんだけど、82年にワンナイトマッチでいいから
創立15周年解散大会を蔵前か東京体育館で開催して欲しかった。
業務提携していた新日本と、東スポの尽力で全日本からも参加してもらって
(もちろんBIの参加は見込めないが)盛大な解散興行を見たかった。
最果ての羅臼でひっそりとじゃ哀れ過ぎて…(草津は引退してるから出なくていいが) >>134
不渡り出して倒産する団体が、そんな興行やってから解散したなんて他にはあったの? >>135
国プロファンの夢物語だから、真面目にとらないで下さい。 UWFインターナショナルの最終興行は
「プロレス団体の最期にしては珍しく爽やかな終わり方だった」と言われていた
日本プロレス、ジャパン・プロレス、第二次UWF、SWSと悍ましい終わり方の団体が多かったからな >>114
国プロ崩壊後にプロレス見始めたけど、しばらくは「ニック・ボック・ウインクル」だと思ってた。ボックウインクルなんて名前があると思わないし。 ちなみにマスカラスには「ミル」が付くのに、ドスカラスには何故付かないのかも疑問だった。 >>139
俺はドス・カラスはなんでドス・マスカラスじゃないんだ?と思ったわ よみうりの竹山アナが、ドス・マスカラスって何回か間違えて言ってたな >>140
俺は何でミル・ドスカラスじゃないんだと思った。
MILは千、MASCARASはマスク。ミル・マスカラスは千のマスクという意味。
DOSは2、CARASは顔。ドス・カラスは2つの顔という意味。 >>143
一緒だwwあと「D・カラス」って表示されたりもしたから、だったら「M・M・カラス」なんじゃないの?とか思ったり。そもそもカラスって烏?とも思った幼き俺www 職場のラジオからスカイハイ流れてきた時、同僚の一人がそれを聴いて「懐かしいな、昔プロレスでミル・マンタカラスって居て・・・、」って話出したから笑いを嚙み殺した >>145
やめろww出先で読んで笑いを噛み殺したじゃないかwwwマスクしていて助かったわ。マンタじゃまさに「千のプランクトンを食べる魚」だろwww >>147
そうなるとさしずめ「千の音を奏でる強い子」となるな。 アンドレがメヒコで試合した時の表記がANDRE EL GIANTで何とも違和感を覚えたな。 エルは英語で言うTHEの意味だっけ
ゴング誌に載ってたところでは、カネックには本来エルは付かないらしい 浜田がメキシコから帰国した直後はエルグラン浜田だった >>151
本来、カネックにエルは付かないし、古舘節のおかげでスペイン語でならず者を意味する言葉がカネックだと長年思われてたし散々だわ。 74年ワールドの動画が見れたが、ニック、井上に負けてるんだな。
やっぱ当時のIWA世界王者の勝ちブックといえど、昭和50年代以降のファンとしては納得のいかない結末ではあるw
ところで、ガニアが79年(昭和54)に久々に顔を出したが、𠮷原旧知のバションも引き連れて
AWA世界タッグ戦(井上&浜口とのWタイトル戦)を敢行すればそれなりに話題になったかもしれないね。。 来日したガニアに、翌55年の新春パイオニアシリーズにバロン・フォン・ラシクの来日を交渉して内定していた
だが当てにしていた東京12チャンからの特別予算が支払われなくてキャンセルになった
ラシクは54年1月全日の新春ジャイアントシリーズから全日への来日が途絶えていて次に来日したのは56月11月の世界最強タッグ
全日への来日が途絶えたのはこの来日が影響も大きくないらしい
55年も54年の様に東京12チャンから特別予算があればガニアからのブッキングがニック以外も増えた可能性もある ラシクは惜しい話だね。ただ、3月のスーパーファイトシリーズでディックザブルーザーの突然の参加は
寝耳に水だったな。インディアナWWAとどういうルートを介して招聘できたのか。
夏にもブルーザーの娘婿であるスパイクヒューバが来日したりと、新たな外人ルート締結が期待できたが。 >>150
アンドレ・エル・ヒガンテって発音したんだろな。 中学の時、
教師が「男は男らしく!女は女らしく!」
と言った後、クラスのM君が
「プロレスラーはバロン・フォン・ラシク!」
教師「なんじゃ?それは!」
M君「いや、そういうプロレスラーがいるんです」
教師「アホ!」 それではお聴きいただきましょう。木村健吾で「バロン・フォン・ラシクもないぜ」 特報
マイティ井上VSドクトルルチャIN闘道館2020/1/19
https://youtu.be/YVgWk9wZ5t4 IWA世界ヘビー級ベルトのサイドのプレートには何で象、鹿、魚がいるんだ? >>163
ニキタ・マルコビッチことアレックス・マルコにベルト製作を依頼をした際、アジア的なデザインでと注文して出来上がったのが3代目IWAヘビー級ベルトと2代目IWAタッグベルト
参考資料にした写真に大仏や象等の写真があったのでベルトに反映された >>155
結局、80新春パイオニアシリーズはKKクラップ、Gジョーが主役だった。
阿修羅のWWUジュニアに挑戦が発表されてたダイナマイト・キッドは、
新日本に鞍替えして来日をキャンセルした。 >>154
79年のガニアは、AWAとの提携が解消された後の一本釣り(前シリーズのニックも)
この年の国際は、新日勢の参戦や世界三大タイトルマッチ等で
観客動員、視聴率アップで、局より特別強化費800万が出された。
田中チーフDは「大切に分けて使いましょう」と言ったが吉原は、会社の運用資金と
ガニアを呼ぶために使い切ってしまった。
ガニアはビッグネームだが、全盛期に日本プロレスに来日してないせいか
集客力は弱いレスラー。
蔵前のロビンソン戦が、4,500人発表も実際は2,000人程度
鶴田十番勝負の日大講堂も4,100人と振るわず、
馬場が3,000試合突破興行を後楽園ホールにして超満員にしたのは賢明な判断 ガニアがまだ比較的若い時に来て
小林とタイトルマッチを続けてやったときも客は入らなかったの?
まぁ外見も含めて地味なレスラーだけど。 >>165
てことは全日に先駆けて“恐怖のダブルクローコンビ”が実現の予定だったんだな。 >>167
ガニアは初来日の時点で44歳
レスラー人生でいったら既に晩年期だった 国際プロレスの道場兼合宿所が旧大宮市にあったのをはじめて知った時は、地元民としては感慨深かった。
ただ疑問に思ったのは、なぜ埼玉県の大宮市に道場を移転したのかだ。
今や大宮は合併して人口126万人の大都市であるさいたま市になった。
道場があった辺りはさいたま新都心として発展し、住みたい街ランキングの上位にも上がっている。
しかし当時の大宮市は埼玉県の一都市で、新幹線もまだ開業しておらず、都内在住者からしてみれば田舎。
都内から通うには遠い。
神奈川や千葉からも遠い。
大宮に道場を移転する事に当時のレスラーは反対しなかったのだろうか。
なぜ都内に道場を移転しなかったのか。
なぜ大宮が選ばれたのか。 >>170
最初は青山や渋谷に事務所と道場は同居だったが、72年に事務所は高田馬場に
73年に道場は大宮市に移転(経費削減?)する。
80年7月簡易なプレハブの合宿兼道場にタクシーが突っ込み、ガス爆発で全焼する。 >>168
全日本にブロディが初来日した新春ジャイアントシリーズでエリック・ラシク組の
インタータッグ挑戦が発表されたが、エリックの来日が遅れクローコンビは幻に。
末期日プロ時代にはエリック・クラップ組がインタータッグを戴冠している。 >>170
吉原さんの自宅がたしか埼玉で道場から比較的近かったはず
トレーニングに目が届くようにってこともあるだろうけど
基本は選手たちと一緒に身体動かしたり声出して
練習の後には選手たちと一緒にチャンコ囲んで食ったり飲んだりってのが
好き(理想)だったんじゃないかね
実際は経営の厳しい会社で高田馬場の事務所いるか
打ち合わせや営業や金策に外出してる事が多かったんだろうけど 大宮に道場が移転してから上の選手は遠すぎてあまり練習に来なくなったと鶴見が言ってるのを聞いた
草津なんかは三島から朝から向かってきて昼に着いて昼食べて昼寝して起床したら帰宅ラッシュになるからと帰っていって何しに来てるのかわからなかったらしい >>175
まあ練習をちゃんとするしないはともかくw
合宿所に入ってる若手中堅はともかく家庭もある上の選手は
いくら9時5時の仕事じゃないとはいっても
車で都心通過したり鉄道乗り継いで片道1時間半とか2時間とかかけてとなると
いくらオフの間とはいえそりゃ足も遠のくよねえ >>175
思わず笑ってしまいました。
貴重なお話をありがとうございます。 大宮に道場作ったのは吉原が大宮在住だから。
長州が大田区久が原にWJ道場作ったのも自宅の近くだから。
健介に三郷なら物件が安いと言われたが、通えないと言ったら、北斗が「健介は毎日通ってた」
第2次UWF道場は世田谷区大蔵にあったが、藤原は川越だか川口在住のため足が遠のいた。 日本サッカー協会会長の田嶋幸三は、
世田谷区用賀(大蔵の隣街)から埼玉のサッカー名門高、
浦和南高校に越境通学した。
ただ通学するだけでも大変なのに、毎日サッカーの練習、
それも3年時にはキャプテンを務めて全国優勝。 都内で練習してた時は近所の商店等から差入れがあってちゃんこの足しに出来た
大宮に移ったばかりの頃(途中で宅地開発されて住宅地になる)は田舎で周りに商店も無くちゃんこの買い物に行くのも一苦労だったらしい 国際プロレスのチャンコの歴史みたいなものが知りたいなぁ。
例えば、青山の時代は?だけど、旧東プロ時代の木村が作ったチャンコが美味かった話とか、
渋谷時代はチャンコ場が無くて、近所のスナック?のカレー、ピラフ、ヤキソバが
チャンコ代わりだったとか、大宮道場時代は大位山のカレーチャンコが美味だったとかの話は
Gスピで出ていた。加えて、アニマル浜口の店で出していたチャンコはプロレスファンの
憧れだったとも聞いたことがある。
これからの寒い季節、どこかのメディアで「伝説のIWAチャンコ特集」みたいなものをやって欲しい。 >>175-176
やる気の無いマンションの管理人(元警察官や元教師が多い)みたいな態度だなそれ
>>179
北尾は上野毛の新日道場が家から遠いと言い訳して顰蹙を買い
葛西純もZERO-ONE(当時)の道場が遠いからと合同練習をサボり続けて
道場番長だった田中将斗を敵に回したのが退団に繋がった
>>181
冬木がデラプロかビッグレスラーだったか専門誌のインタビューの中で
その当時の苦労を話していたね
近くにあったスーパーは小さな店で肉や野菜がすぐ売り切れになるから
バスに乗って遠くまで買い出しに行ってたって 冬木は痩せていたが、骨折して休んでいた時
大量にクリームパンを食べたことにより
マッチョボディと化したらしいw >>183
今は賑やかな世田谷通りだけど全日・砧道場時代は川田の新弟子の頃でも店が
あまり無くて買い出しに苦労したと語っていた。 九州は遠い、とか言ってライオンズの指名を蹴った江川を思い出すなあ。
今は遠いだのなんだの不平不満を言う輩が減ったのはたいへんよろしいな。
>冬木が近くにあったスーパーは小さな店で肉や野菜がすぐ売り切れになる
スーパーに多量に要ると言えばたくさん仕入れて出してくれるだろうに……。
冬木ちょっと変。 >>179 吉原=北浦和、藤原組長=川口だったかな >>186
冬木が変じゃなくて
あの頃のスーパーはよほどの上客か大手企業でもない限り
そこまでの細かい受注仕入れは受け付けてくれなかったんじゃないの?
早くからその手のサービスを始めていた
生協か一部の農協系スーパーなら対応してくれただろうけど
当時の道場の近くには開店してなかったんだろうね
時代を少し下ると新日のパンフレット(闘魂スペシャル)に
若手だったゴタツがちゃんこ番を担当する記事があったけど
その時も近所の八百屋やスーパーへ買い出しに行く写真を載せていたくらいだったから
プロレス団体の若手程度の人数分の食材をわざわざ市場や卸元に注文しても
利益にならないとか思われていたのでは >>185
砧合宿所近くの世田谷通りは、
川田がいた頃より、今の方が
店が少なくなった。
だいたいあそこは「陸の孤島」
パチンコ屋もなく、飲み屋も少ない。
プロレスに専念するのは良い環境だ。 全日本プロレス
新日本プロレス
国際日本プロレス
最初はそう勘違いした。 若松一政とかの作るちゃんこはまずそうだよなあ。
いや食ったことないけど知らんけど。 国際道場があった当時の地名は大宮市北袋、駅で言うと現在のさいたま新都心〜与野
付近ですね。昔は住宅、学校、公園しかなかったような地域。 >>185
世田谷通りって、言っても
ここを読んでいる人は
知らんだろうが、
喜多見と三軒茶だけでも
5〜6キロある長い通りだよ。
単なる商店街ではないよ。www 喜多見からのことなの?
てっきり、学園前駅からの世田通の事かと思ってた。
砧って書いてあるし。 ストリートビューで世田谷区砧町の
NHK技術研究所から東京成育医療センターを見てみな。
その通りが、世田谷区通りの一部で、
全日砧道場は、その北側に入ったところにあった。
今では、スーパーはSANTOKUという店しか見当たらん。
以前の方があった気がする。 国際道場のリングは小さいな。3mちょいしかないのでは?
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2296419710456265&set=t.100003204027253&type=3&theater >>187
吉原の北浦和の与野寄りだったから道場まで自転車移動の範囲だったと思う
組長は川口のなかでも安行慈林という一番の奥地で2000年に開通した埼玉高速鉄道
の最寄り駅まで徒歩40分、JRに接続するにはバス停まで徒歩15分バスで30分と不便、
でも足立区花畑の道場に行くには車で10分くらいと便利ではあった 国際の最後のシリーズのポスター、エンフォーサーの記述が「ザ・エンフォーサー」になっていた。 >>198
東京23区内なのに交通の便が悪くて東京のチベットと言われていたらしい。
藤原組が道場を作れたのはその辺りに事情もあったのかな?
SWS&メガネスーパーの粗探しやっきになっていた週プロ・ター山は道場の登記簿まで
取り寄せてメガネスーパーとの関係を探っていた・・・ >>199
最後のビッグサマーシリーズは当初ジプシー・ジョーの名前はなく、MS1&2の
来日が発表されていたが、最後のツアーには功労者のジョーも追加された。
ジョーは国際プロレス活動休止後の他団体売り込みを狙って、自分の価値を下げたくないと、負けブックを拒否。(タッグマッチで原に1フォール奪われただけ)
功労者ジョーの依頼には吉原もノーとは言えなかった。
7月25日広島大会で練習生だった秋吉豊幸がデビュー
第1試合で冬木弘道と対戦、逆エビ固めで敗れている。
「国際プロレスは最後になるから秋吉をデビューさせて欲しい」と木村が吉原に直訴したものだった。 >>200
花畑のあたり東武バスがガンガン走っているイメージ
バス分かればなんてことないが、鉄道だけみたら絶望的な立地 >>201
その結果、全日本初参戦のスーパーアイドルシリーズでは好待遇だったジプシージョーだが
数年後には大熊元司に負けていた >>203
カマタ、スミルノフ、ジョーの中で、全日で一番優遇されたのはカマタだったな。 70年代の思い出だけど、昔は会場内でタバコの煙がもくもくと舞ってた記憶がある。
禁煙のはずなんだけどな‥ >>207
禁煙でない会場多くなかった?
相撲も昭和のうちはたばこもくもくだったような 野球とかサッカーとか屋外競技は、普通に座席でタバコ吸っていたよな。 禁煙の場所の方が少なかったよ
交通機関の車内や飲食店、映画館も吸えたし
さすがにスーパーマーケットや百貨店の売場で吸ってる人は見かけなかったけど >>207
CSのプロレスクラシックを見ると普通に吸ってるね 新生UWFが武道館でスモーク演出をした時は
週刊ゴングの「三者三様」で「スモークがOKなら煙草もOKにしろ」みたいに書かれてたね
確か門馬さんの発言だったかな? >>210
平塚、熊谷、小山以遠なら中電は煙草吸えたな 銭湯の脱衣場も喫煙していて籠に入れた服が燻されて煙草臭くなった >>210
電車内の席に灰皿があった時代だった・・・
映画館も休憩時間に席でガンガン吸う人もいていぶくて辛かった・・・
>>201
国プロ先行きに不安を持ったジョーがゴング・ピラニア山口記者に相談すると全日
関係者と会談を新宿ワシントンホテルでセッティングされて全日移籍が決定した。
井上グループの移籍を竹内氏が橋渡したり等の事もありライバル誌の月刊プロレスに
「引き抜き暗躍する一部マスコミ!」と言う記事になり国プロとの対抗戦にクサビを
入れられた新日が激怒した。 >>217
引き抜きに暗躍するはハンセンの時だね。
雑誌社もライバル関係だが、元々竹内氏はベースボールマガジン社で
『プロレス&ボクシング』担当カメラマン
ヘッドハンティングされて『ゴング』を創刊するんだよね。 竹内氏は全日の印象だが、後年は新日のゲスト解説もしてたな。
国際の会場ではニコニコした門馬さんを見たことがある。 原については馬場から門馬に電話があって
「原が長崎に帰るって本当なの?やる気があるなら引き留めてくれないかな」と
頼まれたそうだ 国際の解説が門馬、菊池、竹内、芳の里だったかな。
実況の杉浦アナは、古舘以降のわざとらしい新日のアナや全日の倉持よりよかった。 国際崩壊後、ジョーは85年まで全日に参戦していて井上や原と対戦したり
鶴見や稲妻(ジェリー・モロー)とタッグ組んだりしてたけど血盟軍の
ラッシャーや剛、ジャパンの浜口や寺西とは絡んでたっけ? 竹内は新間・桜井とリングの目撃者なる本も共著で出版していたぐらいで、新間との仲も
良かった。 >>224
続き(ミスった)
熱戦譜見たら、井上浜口寺西剛鶴見なんかとは戦っているけど、木村戦が
見つからなかった。 マイテイが米村菅原冬木引き連れて全日に移籍した時、馬場から
「原の給料はお前より上にするつもりだから」とわざわざ説明受けたというのは興味深い
国際時代の格を考えたらそういう気遣いも必要かもしれんけど
社長の馬場自らというのが義理堅いし、新日ならそもそもそんな説明すらなかったろう >>226
馬場は金に厳しいけどレスラーのプライドは大事にするからな。 >>226
馬場のマイティの扱い良かったと思うよ。
フォール負けも少ないし。 >>226
>>228
外国人に対してもそうだけど外からの人に対してはすごくちゃんとしてるんだよね
その分子飼いに対しては渋いみたいだけど
あれも馬場本人的には渋いっていうより
旧い人にありがちだけど逆に身内と認めたからこそ
そういうウェットな関係性にちょっと甘えてるみたいなかんじなのかもね
下の人間にとってはビジネスなんだから組織のボスがそれじゃ困るって話だけど
馬場的には長年所属してきてある程度時間が経って仕事も勤め上げてきた結果
晴れて(本当の意味で)馬場一家の一員になったんだから
家族ならそんな細かいことまで言ってくれるなよみたいな >>230
外から来た人にちゃんとしてるとなると、そうかなと思うのは、
上田、松岡ら日プロからの合流組
国際との交流戦での馬場>木村=鶴田、デストロイヤー>草津
ジャパンから新日に行かなかった寺西、栗栖の引退
国際血盟軍の剛、高杉、菅原らはどうなんだと思ってしまう。 >>226-231
馬場の他者への待遇や評価の基準に
かなりの部分で依怙贔屓や気まぐれが入り込んでしまっていたのは
否定出来ないんじゃないの?
鶴見みたいに厚遇してもらえた側の話ばかり大きく扱われる傾向があるけど
一方では越中への仕打ちなんかまんま任侠映画の悪役みたいで
ちょっと擁護出来ないからね 栗栖は、Gスピで全日に骨を埋めようとしたけど永源だか浜田が居るから辞めたって言ってたな。
剛達は、人が多すぎての人員整理+剛と菅原は馬場との食事会で馬場のプロレス論を否定があったから。
寺西は引退した後、グッズ販売かなんかで働いて貰えばって提案したけど寺西が断ったんじゃなかったかな?
プロモーターとして、同列の人間が何人かいたらそりゃ自分が使い易い方を残すだろ。 原:馬場が望んで獲得したレスラー
日プロの残党:馬場が望んでもいないのに日本テレビの意向で来てしまって
断れなかったレスラー達
という根本的な違いがある カブキが参戦した時、大人気にもかかわらず
「ギャラは小鹿、大熊よりはあげられねえぞ」て言われたのも
小鹿達のプライドを考えると全くの間違いではない。
けど、それでは新しいスターはできないし、やっぱりアメリカ式の
客を呼べる者が多く取る、がいいと思う。
馬場は?地方では見世物感覚で馬場を見にくる客が多かったわけだから、
馬場が一番とってよかった。
だが元子、てめえはダメだ。 しかし、、
同時期のタイガーマスクに比べて
カブキなんか、人気は出ないだろ?
古くからのファンは、正体が
あの万年中堅・高千穂だってことを
知っていたし、ヌンチャクも珍しくない。
ただ汚い中年太りのオッサンが
色付きの霧を吹いているだけww >>235
1回出ていったレスラーは2度と上げないのもそうだけど、
経営者としては間違いではないとはいえ、馬場のやり方だと
結局は先細るだけなんだよな。 馬場の外人レスラーの格付けってレスラーの実感に近いんじゃないのか?これに関しては不満は聞いたことが無い。
日本人は将来のスター候補抜かせば年功序列。カブキが人気だけど中身は高千穂だからいきなり上げる事も出来ない。
カブキが面白いところばかり話しているが、その後もギャラは少しずつ上がり続けて最後は全戦出場に年収1..5千万になっていたはず。
>>231
上田は猪木と組んで馬場を嵌めようとした裏切り者だから絶対許さない。松岡と剛は日本プロレス歴史上屈指の嫌われ者。栗栖もかなりクセがあって嫌われ者。
寺西は当時かなり首が悪かったらしく何ともならない。高杉は本当に塩で成長も見込めないので当然。プロスポーツ選手なのに終身雇用なんておかしすぎる。
デスト>草津は実績キャリアを考えれば当然すぎるし、木村は鶴田にピン勝ちしてるぞ。ビデオで見れる2試合とも好試合だしな。 寺西はジャパンの流れで全日に来ただけだし、
彼らが新日復帰の時も単におよびが掛からなかっただけ。
全日本愛みたいなのは全然感じられなかったし、
馬場から冷たくされても仕方がないと思う。 >>239
寺西は初代タイガーマスクの最後の対戦相手を務めたから、
プロレス史に名を残せたな。(厳密には最後じゃないが) >>240
厳密に初代タイガーマスク最後の試合ですよ。
それ以降は肖像権の問題で佐山は「タイガーマスク」という名称は一切使ってません。 初代タイガーマスクは使っている。マスカラス、サスケとのトリオとか。 国際プロレスは一流の外国人レスラーを呼べたのに、
馬場や猪木のようなカリスマ的な日本人レスラーがいなかったのが悔やまれますね。 TBSの森Pは「ヒロ・マツダが離脱したのが痛い」と言っていたが
マツダも馬場猪木と比べると日本ではカリスマ的に劣っていたみたいだ
日プロの「マツダブーム」とは何だったのか ミスターポーゴが全日本に来たら?予想
「おう、関川、お前な、50万でどうだ?」
「一週間50万ですか?」
「バカヤロウ、1シリーズ50万だよ。それ以上元子が出すなって言ってるんだよ」
「・・・・」 ナガサキと組んでた新日時代の賑やかしポジションのポーゴなら妥当すぎる金額かと…
ナガサキはプロレススターウォーズでカブキと組んでてカッコよかったのに
何でこんないつも負ける奴と組んでるんだろと思ってた ミスター・ポーゴが後援者を通じて全日参戦をオファーしたら
ジャンボが断ったと言う話が門茂男の本にあったが凄まじく創作っぽいな
出場させるか決めるのは馬場に決まっているしね >>231
> 上田、松岡ら日プロからの合流組
先に一緒に付いてきてくれたレスラーを優先するのは当然。
> 国際との交流戦での馬場>木村=鶴田、デストロイヤー>草津
交流戦は自団体のレスラーを優先するのは当然。
> ジャパンから新日に行かなかった寺西、栗栖の引退
寺西は引退時は本当に試合させられないくらい危険な状態だったと井上が言ってた。
栗栖は「谷津と永源に嵌められた。」「馬場さんには良くしてもらった。感謝しかない。」と自身が言ってた。
> 国際血盟軍の剛、高杉、菅原らはどうなんだと思ってしまう。
鶴見曰く「剛と菅原は馬場さんからの助言に口答えしてた。高杉はそんなことなかったけど。」
「レフェリーからもあの二人は良い恰好をし過ぎると言われていた。」そうだ。 >>248
結局、外から来た人にちゃんとしてないじゃん。 >>231
85年のシリーズで剛、菅原はヘイスタックジョーの対戦で両リンの結果はどうかと思った。
外国人組に花を持たせろよ、と。 >>249
ちゃんとはしてるだろ。
どこがちゃんとしてないんだよw >>243
仮にいたとしたら吉原さんや草津が対立することもなく上手く関係を築けるのかは難しい
のではないかと思う。木村が一番従順且つカリスマ性には程遠いタイプだから長くエース
を務められたのだろうけど。
>>249
新日も基本は小鉄や藤波らの生え抜きに気を使うのは90年代を見ているとわかる。 >>252
長州が仕切るようになってから、やたらと藤波に気を使ってたのは覚えてる。 >>252
> 仮にいたとしたら吉原さんや草津が対立することもなく上手く関係を築けるのかは難しい
> のではないかと思う。
社長レスラーじゃないとカリスマは無理だろうな。 ミスター林やロッキー羽田みたいにやる気がなくダラダラしてたレスラーも
外様組同様にリストラしてれば公平だったのにな >>255
どっちも日プロ残党組だから厳密には外様。 末期国際プロレスの功労者は木村、浜口、と鶴見に若松だろうな >>257
末期国際プロでの浜口は健吾のプランチャーで欠場、崩壊時も肝炎で欠場していて全く功労者じゃない。
若松がなぜ功労者? >>258
最終興行の有った羅臼大会の当日に 若松は東北まで次期シリーズ(有ると聞かされてた)の営業をしていた 浜口や若松が功労者とか言ってる人は、新日のリングだけの印象なんだろうな。
倒産する前の国際のリングで、頑張っていた印象はまったくないわけだし。 若松の功労は裏方としてじゃないの?
リング屋、営業、トラックの運転、レフェリー、事務所の雑務、道場の管理と何役もこなして人件費削減に一役買っていた >>255
小鹿からすれば林も羽田も首を切られたそうな。ファンの感覚と全く違い過ぎて唖然とする。
小鹿は極道コンビでしっかりとした実績あったから新人イビリなどしなかったら、幹部とは言わないまでももう少し長く良い地位に入れたた思う。 若松は国際と全日の対抗戦の頃から、馬場が全日に欲しい人物として吉原さんに
交渉していた。が、それはレスラーとしてではなく、オールマイティな社員としての若松に対して
だった。 >>247
どうだろ、鶴田の柔道部入りを先輩命令とはいえ追い返してたから、馬場に聞かれてやめた方いいとかは言ってたんじゃない。
確かに、お仕事は出来るヒールだったけどFMW以前はインパクトに欠けてたから参戦しても印象に残らなそう。 >>264
真面目で誠実な性格も評価されていた。国プロ時代は社長以外は全ての業務をこなして
高田馬場オフィスの掃除、売れる備品は販売、管理人に鍵を返す等の残務整理も最後まで
行った。海外遠征に出ると地元や友人から餞別をもらっていたので伝手のあるカルガリー
に飛んで悪徳マネジャーでブレイクし帰国して新日道場に出入りしている所を吉原社長と
旧知のテレ朝から新日へ二度目の出向中の永里氏に出遭いKYワカマツとなる。 >>264
> 確かに、お仕事は出来るヒールだったけどFMW以前はインパクトに欠けてたから参戦しても印象に残らなそう。
全日では鎌使ったり火を噴いたりさせないだろうから
鶴見みたいな便利屋に徹しない限りすぐ消えただろうな。 >>265
若松って、一般社員で国際に入ったんだよな?
なんでレスラーになったんだろう
あとショーグンKYワカマツのKYの意味がわからん… >>252
馬場猪木とは言わないが、マツダや大木は国際のエースになる可能性は
あった。このクラスが居座ってたらどうなってたんだろう。 >>268
リングネームの「KY」とは、かつてカナダにKYという狂気的な将軍が実在しており、それにあやかってハート・ファミリーが命名したものである >>262
小鹿は永源が全日入りしてお役御免になったのかな。 >>268
もともとレスラーとしての入団を希望したが
正直見込みがないので断られた
そこで一般社員としてでもいいから入れてくれと懇願してとりあえず入社した
社員として働く傍ら練習生としてトレーニングも続け
その後仕事にも練習にも真面目な姿勢と、
なにより末期になり使える選手が少なくなってきたため
背に腹は〜的にデビューを果たした >>271
まあそういうことだね
逆に言うと馬場にすれば小鹿は最後まで真の意味での身内ではなかったってことだ
旧日プロ組でいち早く全面的に服従して幇間持ちに徹したのと
自分の苦手な裏社会との付き合いを任せられるという職能において重用していただけで
日プロ末期のゴタゴタは最後まで忘れていなかったってことだろう
それに小鹿は古参としてそれなりのファイトマネーを貰っていたけど
永源はファイトマネー自体はキャリアに比してそれほど高くなかったらしい
永源的には自分が買い付けた興行のプロモーターとしての収入やタニマチからの諸々
それに表裏問わず営業・渉外としての「経費」などがあったので
ファイトマネーの額よりも現役としてリングに登場することの方が重要だったそうな 今の感じから見れば、残しても元子さんが亡くなったら絶対文句言ってたな。
小鹿は年金貰ってないのかな?
ナガサキ、阿修羅は足りてない分足して、カブキは年数的に貰ってるはずだけど、未だにリング上がるって事は足さずに貰えなかったか、借金があるかだよな。 国際が弱かったのがタニマチや闇社会との付き合い
永源は猪木と日プロに復帰して新日へ行ってしまったけど
東プロから国際に入っていたら国際の弱点を永源が補っていたかもしれない >>273
永源だと早々に引退してたとしても各プロモーター達と繋がりは維持出来てたと思うけど、
やっぱり「現役のプロレスラー」であることの価値や意義は大きいわな。 なかばムリヤリ引退させられた山本小鉄は捻くれてしまい、会社のカネを私的流用するようになってしまった
あんなチビハゲにキャデラックとか分不相応だっての >>270
Kは国際、Yは吉原社長の意味もあるらしい。
>>273
日プロを離脱して馬場に付いていく佐藤に対して先輩レスラーが「馬場なんか葉巻を
吹かしてステーキを食べてるだけだぜ!(経営能力は無い!)」と言われたらしい。
初期のシリーズは好調だったがのちに下り坂になり経営手腕のある元子夫人が全面に
出て陣頭指揮あたる事となった・・・ でも、それが本当は一番良いんだよ。
対外的には、レスラーが社長でも実際は経営が上手い人がやるってのが。 新日も新間がいなかったらNETがつく前に終わってたかもね。 >>273
小鹿を切ったのは本当は当時の松根社長。
佐藤昭雄が全日のブッカーになったとき
「大熊、小鹿等のベテランに辞めてもらって若手中心で行きたい。」と
言われたって。
小鹿以前の羽田、林もそうだったのだろう。 国際プロレスって阿修羅原売り出すのに星の王子さまコスチュームやっちゃつたの?
これスゲエな
プロレス史に残るズンドコだろ >>281
松根は馬場に引退を迫って、鶴田をエースに擁立する気だったしな。
若返りやリストラもそうだけど、小鹿はオヤジに問題があったような‥ >>265
>>278
ちょっとググッたら
恩人である吉原 功のイニシャルを
取ったと言う説もあるが、
(よしはら いさお)ならI Yだよな。
功を「こう」だと思っている。 上がってる国際動画見てると結構プロ野球などで中継が休みになってたんだな
2週連続休止とかあったけど別時間に放送出来なかったのかねぇ?w >>282
星の王子様はマイティで原はチャールズ・ブロンソンでいくべきだった。 阿修羅・原と言えばプロレス史に残る傑作入場テーマだろう 特別レフェリーとしてFMWにあがった時、入場であの曲かけられて苦笑いしてましたねw >>236
こういう人はチビッコのファンの気持ちをわかってない
ヌンチャク、ペイント、毒霧、海外で人気…
当時小学3年生だったからそりゃワクワクしましたよ
もちろん高千穂なんて知るわけもなく
佐山聡時代のタイガーも知らない
国際プロレスは最終回見た記憶がぼんやりとある プロレスは何も知らずに目の前の闘いをただ見てればいい
みんな裏を知りすぎたね 阿修羅原の星の王子さまとテーマ曲は致命的な大失敗みたいね
テーマ曲いま聴いても凄いわ
客や視聴者はドン引きで国際最後の希望がついえた瞬間
これじゃ何のために次世代エースとして原をスカウトしたのか全く不可解
歴史的な谷津デビュー戦より悲惨だな
流さんの本では指摘されてないが、草津か吉原のアイデアならこれこそ徹底的に糾弾すべき案件 >>281
確か小鹿は、馬場に松根に切るように言われたって言われたから松根に聞いたら、自分がそんな事する権限ないって言われたんだよな・・・
これが本当なら、今小鹿が馬場の悪口言ってるの完全に逆恨みじゃんw
確か、引退して欲しいならそう言って欲しかったのに松根に責任なすりつけたのが気にくわなかったんだよな小鹿は。 原のコスチュームは予算は東京12チャンから
デザインは原の知り合いのデザイナーと原が話し合って決めた
原個人は気に入っていたらしいよ
入場テーマ曲は個人的には当時凄く格好良く聴こえた
学校の仲間内でも国際のテーマ曲の中では評判が良かったよ 80年代中盤の新日でブロディやUWF勢の影に隠れてしまった
ハクソー・ヒギンズ
コンガ・ザ・バーバリアン
ビリー・ジャック
あたりは国際が存続していたらエース外人として活躍していたと思う。
キングコング・バンディもかな? >>287
それは言えるw
全日で他団体のテーマ曲を使ったのは原・上田・長州の3人だけ
長州も最初は新テーマ曲使ったからな >>293
WWUベルトも12ch・田中Pが知り合いのトロフィ屋に頼んで割引で制作してもらった。
売り出しにはTV局はかなりの力を入れていた。泥臭い「マット界のブロンソン」路線と
言われるのはオールスター戦の頃だね。ただ全日にレフェリーと参加した時でさえテーズ
は素材としてかなりの高評価をしていて「自分の手で育てたかったがヨシワラが許して
くれなかった・・・肉が固く付き過ぎたけどいいレスラーになった!」とか話していた。
天龍とともにまだハンセンの首折りの餌食になっていた頃だから違和感があった。
テーズはのちの龍原砲の原になる先見の明があったのかな> >>295
長州の新テーマ曲って、軟弱な「パワーホール」のこと?
あのヴァージョンは強そうなイメージがしなかった。 >>297
最初は後の谷津のテーマであるComin' Homeを使ってたんじゃなかったかな?すぐにパワーホールになったけど >>291
銀ラメのコスチュームはありえなかったな 大木金太郎の入場曲がバトラーツの石川雄規の入場曲と同じやつだったな YouTube⇒ Roy Lucier Japanese Classics
たくさん上がってるよ >>297
あのバージョンのパワーホールはスーパーのBGMで流れてそうなカバー曲にありがちな雰囲気だった。 ふと思い出したけど、エリック・ザ・レッドの参加が発表されたけど、来日直前になって事故死でご破算になったことがあったよね? >>304
別名エリック・ザ・アニマルは77年の来日がキャンセルされ
スミルノフが来日
78年に交通事故死だった。 >>305
そうだったか、記憶がごっちゃになってた。 国際プロは、来日中止やキャンセルが一番多い団体の印象がある。 ちゃんと来日してもヘラクレスローンホーク
きちんと来てもジャイアントグスタブ >>307
しかもエース外人が頻繁にキャンセルする。
新日も全日も流石にエース外人のキャンセル
はそうそう無い。
特別参加や2番手扱いの初来日選手とかは
たまにあるけど。 >>296
79年秋に国際に来たテーズが、ジュニア王者としてネルソン・ロイヤルやマーク・ロコと正統派ファイトをする原が
デビュー1年そこそこと聞いて天才だと評した
これは後付けではなく、リアルタイムで報道されたこと
別に後の龍原砲をイメージしたわけではないw 晩年のテーズの必殺技、リップサービス・ドロップ炸裂してまんなw テーズ
「馬場、猪木、木村で最強は木村だ
木村はスモーとレスリングをマスターしているから」 >>293
阿修羅原の国内デビュー戦(78年大阪府立の寺西戦)は、
バリーホワイト&ラブアンリミテッド『愛の花束』が入場テーマ曲 テーズーは晩節汚したな 冠タイトル連発、最後はUインターまで
元々商売人なのか単に生活苦なのか 晩年のテーズってプロレス練習生から金巻き上げなかったっけ テーズは2度破産してるしな。
晩年はベルトを貸したり、ウィットネスやコーチで儲けてる。
でもリングが全ての人で、あとはオマケみたいなもんだから‥ セッドジニアスが主催でメインに出る興行があったわけだからね
親が資産家だったらしいけど無茶するよね
一応テーズ最後の日本の弟子になるのかなジニアスは
国際どころじゃない悲惨さだぞ テーズもさることながら
あの取り巻きが悪いよ。
ジニアスの話を半分と聞いても。
実際に、腹黒い男だよ。
一見、紳士だが皆、騙されている。 >>319-320
ジニアスじゃ話半分どころか
1/5か1/6ぐらいの信憑性しかないな
もう消されたみたいだけど元新日の練習生みたいな人のブログにも書かれていたよな
コネで入ってきたらしい新弟子当時のジニアスの態度の悪さが
たぶん業界では悪い意味での有名人だったんだろうな昔から
だから専門紙誌の扱い(ファイトはボロカス週プロはほんの少し触れる程度
東スポ週ゴンに至ってはほぼ黙殺)も
妙に冷ややかだった理由が今となってはよく解る でもどういう経緯か知らないがカネをふんだくられたのは本当なんじゃないの?
カネが絡まなきゃ騒ぎようがないだろうし
態度悪いのと、ボッタクリは別の話の気がするけど >>322
ジニアスブログには海外送金書まで出てるから事実だろ。
仲介者がマスコミだから週プロ、ゴングには載らないはな。 でも、まぁ金を積んで
テーズに弟子入りすれば
アメリカでプロレスラーになれる!
王者として、全米をサーキットするとか(苦笑)
と思うのも甘いけれどね。 金でNWA王者になったのは馬場だから正当路線か?
取った額が大きい、Uインター持ち上げて手が切れると批判、公務員やりながらプロレスビジネス・・・
史上最高のプロレスマスコミだな。 逆にカネ出して弟子入りすればプロレスラーにさせてやる、っていう方も相当問題あるよな
全米デビューなんて勘違いしてる時点で、ちょっとタイム
銭ゲバじゃなきゃ、その時点で断るんじゃない
さすがの鉄人もカモネギの誘惑に3カウントだったのかな テーズとジニアスのアレは、ぼったくりというよりもジニアス本人に請求した金額と別に実家の方へ追加料金を請求していたのが問題だったのでは? >>324>>326
でもまあ、あの時代に日本の団体に新弟子で入団するんでなくレスラーになるにはって考えた時、
向こうに渡って金払って往年のレスラーがやってるような養成ジムに通って
技量を身につけると共にプロでやってけそうなやつは卒業?後に
そのままコーチの伝手でデビュー先のプロモーターに紹介してもらう
さらに見込みありそうなやつはある程度の時期までブッキングマネジメントもやってもらう
この仕組みに気付いて、またそういうジムってのが
向こうでは実際はあくまでビジネスなんだってのを知らしめたって意味では面白くはあるなw
日本だと力道山の相撲部屋文化からきた入門制と
『タイガーマスク』(漫画の方ね)の「虎の穴」がごっちゃになったような
なんか常人では想像もできないような厳しく謎の修行をする徒弟制度のイメージがあったから
ファンク道場とかガニアのレスリングスクールとか
コワルスキージムとかモンスターファクトリーとか云われるといかにもなロマンがあった
それまでは南部のレスラーは全員ウェストテキサス州大学のフットボール部中退、
AWAのレスラーは全員ガニアにスカウトされたか
酒場で喧嘩してたところ腕っぷしをバションに見込まれて〜wかのどちらかで
とりあえず納得してた時代だったからなw しかし、
テーズ道場出身のレスラーって
せいぜいマーク・フレミングだろ?
(北尾や蝶野もちょっと指導を受けたが)
テーズの指導が下手なのか?
教える気がないのか?www ひでえな、これ
こいつはひでえや
結局、誰の懐に入ったんだ?ポッポしたのは誰なんだ?
これじゃテーズって鉄人じゃなくて20世紀最大の銭人じゃないの
カネだけ取って何教えてんだか
それにしてもこれは地方公務員法違反なんじゃないの これって要するに、流とテーズにジニアスが詐欺られたってことだよね。 そんな疑惑の男が今じゃ国際プロレスの
研究第一人者
DVDの解説も担当
画質最悪の画像提供も彼
ようつべで見たほうが画質も良く、入場テーマも
いじられておらずオリジナルのまま。
削除とかすんなよRT 最近は簡単に動画で昔の試合見れるようになり良い時代になったが
やっぱり木村の試合の下手さ粗ばかり目立つてしまう 強いのはわかるし格好悪くても良いのだが
子供時代の月曜8時の興奮はいったい何だったのか >>329
妄想を膨らませるからプロレスは楽しかったし、夢中になれた。
現実はどうあれ、そんなのどうでもいいじゃんw テーズ本人は「そんなに勝ってない」と否定しているが、
936連勝も好きなエピソードだな。
佐山がつけた、ヒクソンの400戦無敗のキャッチコピーも独り歩きしてるけど… リンク先の読んだよ
テーズってレスラーとしては紳士然としたイメージがあるけど、金銭面では人格破綻してたのかね
レスラーとして神格化してたのに、実際付き合ってみたらトンデモだったとか
晩節もいろんなとこに出没してたもんな
そこに勘違いした人間が絡んだからプロレス顔負けの壮絶な展開になったように見えるが
ただ仲介する方も、ちょっと両者おかしいと思ったら撤退すればいいのに、親からカネ受け取ったらテーズに加担してるように見えるけど >>338
まず、昔は936連勝ではなく「不敗(引き分け含む)」だった。
それがいつのまにか、多分、梶原一騎の漫画あたりで
936戦勝って、引き分けを含めば2000連勝とかになった。
要は、1948年7月20日のB・ロンソン戦から55年3月22日の
L・ロメリーニ戦までシングルで不敗ということだろ?
この6年8ヵ月=80ヵ月で2000戦、闘うと言うのは、
シングルだけで1か月25試合やることになる。
それも全米各地を移動しながら。
936戦なら、1ヵ月に12戦。まぁ分かる。 >>339
金銭面のシビアさも、おいそれと「テーズの名を安売りできない」と言う
最高のレスラーとしてのプライド(よく言えばだけど) IWA世界ヘビー、世界タッグ等の旧国際プロレスのチャンピオンベルトは今どこにあるのですか? >>339
>仲介する方も、ちょっと両者おかしいと思ったら撤退すればいいの
ジニアスのブログにもあるが
仲介者とテーズはズブズブの関係だし、
>テーズに加担してるように見えるけど
いや、もろテーズに加担しているだろ?
極悪同盟と阿部(四郎)レフリーの関係だよww >>342
2020年1月19日(日)、13時(開場12時45分)。巣鴨・闘道館にて。ゲストはマイティ井上。『望郷の国際プロレス IWA世界ヘビー級王座復活祭』(トークライブ&サイン&ベルト撮影会)です。
このイベントでベルトがお披露目される >>344
IWAは欧州で誕生した王座だろ?
歴代の誰でもいいから、ロイヤル・アルバート・ホールで防衛戦をして欲しかった。 >>346
IWA本部がパリにあるって設定なだけで国際プロレスで誕生した王座です 井上はIWA世界タッグを新日本に格下扱いされるのを許した吉原への反発から
全日本を選んだのかな?
それとも単に新日本の体質が嫌いだったのかな? >>348
マイティは猪木嫌い、新日嫌いだったらしい。wikiにも表記がある。 >>348
若手時代、豊登から猪木の悪口を毎日聞かされて猪木個人を嫌いになったと言っていた
国際で引退したのに金に困ったからとあれだけ嫌っていた猪木の新日で復帰したとあきれていた プロレスラーってお互いに批判し合ったり、表面的には仲が悪いように見えても、
根っこの部分ではみんなしっかりと繋がっているように思えます。
道で偶然会ったら殺し合いが始まるくらい険悪な仲のレスラーはいませんよね。 小林と草津、栗栖と浜田、長州と佐々木&カーン、猪木と小鉄、前田と高田&安生 同じカルガリーに居た大剛鉄之助とミスターヒトは相当に険悪な仲だった >>346
初代IWA世界ヘビー級ベルト
↓の写真はちょっと見にくいかも知れないが、
http://www.showapuroresu.com/belt/iwe/index2.htm
日本(太平洋)が中心になっている世界が描かれている。
もし、IWAがパリに本部のある欧州の団体なら
大西洋が中心の世界を描くはず。
なにが悲しくて、本部が隅っこなんだ?ということになる。 健悟は永源と不仲だけどIWAタッグは会社の指示で組んでたな。 テーズのベルト使用料
Uインター鈴木が結構な金額て言ってたけどいくらぐらいだったんだろうか
潰れる寸前の国際もかなりぶん取られたのかな >>352-353
猪木と小鉄の関係なんか
正に根っこ部分での繋がりと信頼が残っていた例の代表格だろ
今は小鉄が何かにつけて悪者扱いされる立ち位置に居るから曲解され易いけど ジニアスに対する反論や第三者による検証記事はどこかにあるのかな?
地方公務員の話にしても、本人が沈黙してると本当のことに見られても仕方ないね
UWFインターともテーズと組んでるから同盟関係は続いたんだね
そうなると草津KOなんかもテーズは東郷となんか商売を考えていたのかな?
テーズの身内となれば都合の悪いことは目をつむって記事かくテーズ御用達ライターが書くものに信頼性疑われるけど >>360
ちなみに、流智美は
ジニアスのテーズ道場口利きや
週刊プロレス等のエッセイ執筆時は
日本郵船の会社員だった。
地方公務員というのはそこを退職した後、
でも、公務員時代も、
バイト的にプロレスの仕事をやっていたが。 テーズ杯だと金もかかるし二番煎じだから ディックザブルーザ杯で良かったのでは提携もしてるし国際向きだし 当時の大人ファンには集客力あるのでは こないだ動画初めて見たらあの雰囲気にぞくぞくしました 知名度いまいちだから無理かな オックス・ベーカー杯
ゴージャスジョージ二世杯
キラー・カール・クラップ杯
ジエンフォーサー杯
しつこいって?わかったもうやめる 国際の外国人じや冠なるの当時居ないし 昔は大物多数来てだがビルロビンソンは当時多分全日本かな
ところで草津と木村は対戦歴はあるのですか?噛み合い良さそうな感じするのだが >>366
77年3月25日横浜文化体育館第4回ワールドシリーズ公式リーグ戦Aブロック30分1本勝負
ラッシャー木村(18分11秒体固め)グレート草津 さっそく結果ありがとうございます
ここは本当に皆さん親切な国際ファンばかり中学生時代隠れキリシタン並みの扱い受けた私には楽園です >>364
ブルーザー杯、いいかもしれんね。ラフファイターの王。
正統派枠のテーズ杯と両建てでやって覇者同士が統一戦みたいなことができれば素晴らしい。 国プロらしく日本で初めて木村と金網デスマッチをやったMモロウスキーを讃え、
ドクター・デス杯でいいのでは? 崩壊した年だったら草津がもうリングに上がってなかったから草津のゴリ押しでテーズ杯と並んで草津杯を開催 幼い頃、新国際軍団という響きがいかにも悪い人たちというイメージあったなぁw 好き好きなんてほんと人によってバラバラで
例えばルーテーズは実はガチのジプシージョーのファンだったり
対戦相手のビッグバンベイダーは猪木の大ファンだったり kaminogeのマイティのインタビューを読んだ。興味深い話が多かったけど、
一番印象的だったのが、晩年、腰を悪くしてバスまで移動するのが、やっとだ
ったラッシャーを馬場が宿舎の窓から、じーっと見下ろしてたって言う話。何
となく嫌な気分になった。 >>371
草津は80年7月9日熊本市体育館のメインイベント
木村・大木・草津vsSヒューバー・Rタイラー・Gジョー戦で
ジョーとの対戦中に右足アキレス腱を切断する重傷を負い
現役復帰することなく引退
81年の団体活動停止後は日本バスコン株式会社の営業部長に転職している。 当時のプロレス雑誌が
「木村のIWAの挑戦者から2シリーズ続けて外されたジョーがマッチメイカーの草津
を恨んで故意に怪我させた」とか書いてたなw
草津とジョーの因縁マッチを企図したのかもしれんが
草津が復帰しなかったので無意味に ラッシャー木村は、新日のシリーズ合間に行った韓国遠征の時
トラックに乗ってパレードしていた。
休憩中トラックの荷台に腰掛けていたら、急にトラックが動き出して
路上に転落、腰を痛めたらしい。
それからしばらくして猪木にワンサイドで負け、親日を去る。 ロスではホテル強盗に金を盗まれ
カルガリーではアレン戦のアクシデントで喉骨骨折
新日時代のラッシャーさん海外に行くと災難ばかりだな ラッシャーをメキシコに行かせてUWA世界ヘビー級王者にして
トペ、プランチャー、ウラカンラナを覚えてイメチェンしてきたら面白かったかも。 >>380
アレンに壊されたのは
それまでラッシャーは美声だっただけに 田園コロシアムのときの「こんばんは」と
晩年の「おい渕!」は声が全然違うよね。 昔のラッシャー木村は相撲甚句を会や地方興行で披露するくらいには美声だった
アレンに壊されて見る影もなく ラッシャー木村の短パン姿が見たかったな
あの黒タイツは力道山リスペクトかな 最後に生でラッシャーを見たのは、まだ三沢が存命の頃のノア北海きたえーる大会だったけど…
めちゃくちゃカッコいい入場テーマ曲が流れる中、黒タイツに黒いエプロン(?)をしたラッシャーが長い花道をそろりそろりと歩を進めるのを、満員の観衆がドキドキしながら見つめていたものです >>376
まだインタビュー読んでないからわからんけど
馬場も腰痛で苦しんだから無視できなかったって話じゃないの 43歳国際ファンですが最近の若いプロレスファンは国際さえ知らない
基本的過去には関心ない 現代の格好良いプロレスよりも泥臭くダサく痛そうな国際プロレスは伝統芸能扱い プロレス居酒屋とかは二度と行きません 国際プロレスIWEに初来日した主な強豪レスラー
Dホッジ、Bロビンソン、Gゴーディエンコ、Wアンガス、Dリンチ、Oベーカー、
Mロシモフ、Vガニア、Eカーペンティア、Bウィンダム、Mバション、BVラシク、
Dローデス、Hホフマン、Kパテラ、Wマクダニエル、Rフレアー、SBグラハム、
KTカマタ、Gジョー、Rマーテル、サモアンズ、Jロバーツ、Mロコ、Dキッド等々
後に各団体に引き抜かれた選手の多いこと… 和風幕谷絵留「ケン、パ♪ ケン、パ♪ ケン・パテラ♪」 暇つぶしに全日本に来日した外人は
一度は国際に上がった経験がある選手が
多いのではないかとチェックした事
あるんだが、
80年の新春ジャイアントシリーズから(ガニア)
85年の最強タッグまで(ニック、キッド)
1シリーズ最低1人は前か後に国際参戦経験がある
外人が入っていた。
82年最強タッグとその次の新春ジャイアント
シリーズが該当者がいなかったんだが、テーズと上田鶴見を入れれば全部埋まった。 >>391
セーラーホワイト
ピエールマーチン
あたりが抜けてるな。
一応国債では強豪扱いだったw スレ見る限りテーズの虚飾には気付いていても、それには目をつぶって一緒に商売してたってことなのかな
そもそもテーズってガチンコに強かったから王者になったんじゃなくてレイスとかフレアーみたいにプロレスが上手かったら王者になったんじやないって気がしてきた
鉄人なんて日本限定のニックネームだろうし >>396
だったらピーター・メイビア、ドン・ムラコ、レネ・グレイ、オットー・ワンツ、
ジム・ブランゼル、サージェント・スローター、デビッド・シュルツ、ミレ・ツルノ、
ジャンクヤード・ドッグ、スパイク・ヒューバー、ポール・エラリング
なんかも国際が初来日 >>397
> レイスとかフレアーみたいにプロレスが上手かったら王者になったんじやないって気がしてきた
ガチが強かったかどうかは別として、それは前提条件じゃん。 >>398
それもそうだがダニーホッジを忘れていたw >>402
テーズ59歳時の32歳猪木戦見ると、猪木はバックも取れずレスリング技術に差があるように見える。
テーズは映像がある1950年代から上になるとマウントを取り、下になるとボディシザースでガードしているので
1950年代から唯一ポジショニングを取り入れてる選手。 >>391
ブルドック・ブラワー、ザ・カンガルーズ
(アル・コステロ&ドン・ケイト)も。
フレッド・カーリーも、国際に一度きりの
来日だったが、もっと見たかった。 国際が初来日じゃないけど、
レイキャンデーが好きだ。
キャンディーじゃねえぞ。キャンデーだ。
全日ではどうか知らんが、国際じゃキャンデーだぞ。 >>406
国際のブルドッグブラワー、カンガルーズを見ている人がいるならスゴイ! 女子部だが、ビッキーウィリアムスが好きだ
キビキビしていて気の強そうなファイト
DVDでちょこっとしか見れないが >>406
国際でも間違いではないけど、正確には全員『TBSプロレス』時代
でもフレッド・カーリーは見たかったな。
できればブル・カーリーとの親子タッグで‥ アメリカ ガニア ジョナサン
イギリス ロビンソン
フランス ロシモフ
ドイツ ゴッチ ホフマン
カナダ バション ゴーデイエンコ
日本 小林 草津
1971年の国際なら、プロレス版ワールドカップがやれましたな! >>411
この時期のメンバーは日本プロレスを遥かに凌ぐ豪華なメンツ
ただ肝心の日本陣営が弱すぎたw 弱すぎたって、プロレスなんだからみんなブックだろ?魅力なさすぎたならわかるが。 >>413
ブックといっても、相手が納得するしないとか、観客への説得力の問題もあるし。
◯草津 回転エビ固め ゴッチ
◯小林 体固め ロビンソン
というわけにはいかんからな。 >>415
> ◯草津 回転エビ固め ゴッチ
> ◯小林 体固め ロビンソン
この結果を観客が受け入れないとしたら
それはゴッチ、ロビンソンのプロとしての力量不足だろ。 >>416
普通はこう。
この結果を観客が受け入れないとしたら
それは小林、草津のプロとしての力量不足だろ。 >>414
プロレスは格(ランク)にこだわりがあるから、格上のレスラーは
負けブックを簡単に呑まないと思う。 無理にワールドカップにしなくてもオールスター戦みたいでもいいじゃないの。
両リンばっかでも嫌でしょう?
三大都市の日大講堂、愛知県体育館、大阪府立で。 >>417
小林、草津よりゴッチ、ロビンソンの方が上なのは誰もわかってるんだから
上手く負けられないゴッチ、ロビンソンが下手なんだよ。
>>418
ギャラ次第だろうな。 オットーワンツみたいに寝るのがうまいレスラーは
インパクトも弱く、弱っちいとされてしまうのだ 夢のワールドリーグ戦ですね 毎年開催は難しいから ところで末期のテーズ杯優勝戦あったら誰が出場してブックはどのようになってましたか? >>422
決勝大会迄に勝ち上がったのは、木村、井上、浜口、寺西、マイク・ジョージ、
ホセ・アローヨ、レイ・キャンディ
このメンバーにテーズ推薦と国プロ推薦(おそらく阿修羅)でトーナメントかリーグ戦
テーズ推薦が気になるが、この時期優勝は木村以外ないでしょw ガニア● ジョナサン ○
ロビンソン △
ロシモフ 〇
ゴッチ● ホフマン 〇
バション〇 ゴーデイエンコ〇
草津 △
あえてリーグ戦強行したら・・・
この時期の小林なら5勝2敗2分けくらいでイケそうw
後は草津が白星配給係を受けるかだがw >>411
ベルギー バイテン
ハンガリー コパ
ウェールズ トニー・チャールズ X字固めの入りかたって簡単だったんですね。貴重な情報をありがとうございました。 国際時代のキッドって阿修羅と寺西としか対戦しなかったの? 数々動画見ても本当に大木の頭突きは効きそうだな 外人嫌がるのもわかる気がします 決め技あるレスラーはわかりやすい 井上のサーマソルト 浜口の飛行機投げ 寺西のジャーマン 木村は器用だからイメージは金網攻撃 原は? >>433
ヘビー級の原はラグビータックルを生かしたヒットマン・ラリアットだよ。
木村の決め技は逆エビ固めの勝率が一番
あとヘッドバットは大木よりブラジルの方が効くと思うよ。
CSで流れた、馬場・大木vsブラジル・マルコフ戦で
大木とブラジルの頭突き合戦があって、途中まで互角だったが
ブラジルがジャンピングヘッドバットを放つと大木が片膝ついて動きが止まった。
するとブラジルは攻撃をやめ、次の大木の頭突きから逃げた。
一見、大木の方が石頭かと思うが、ブラジルは大木の商品価値を守ったと思う。
大木がジャンピングヘッドバットでフォールを取られてはいけないレスラー
だということをブラジルは理解しているから…
石頭ではブラジルが1番で、大木とブッチャーが同じくらいじゃないかな? 藤原が言うには一番頭が固かったのはブッチャー
まるで鉄の塊だったと 藤原はブラジルと対戦していないだろ?
あくまで藤原の経験内ね? 木村と藤原、どっちが石頭かな?
猪木もかなり石頭らしいけど… 木村や藤原は相手の頭を掴んだ自分の手の甲に頭突きしてる事が多い
大木は手の甲でガードしないでホントに当てている 大木さんは頭突きが当たる瞬間に体重を軸足側に逃がすんだってね
そうすれば間違って当たっても互いに痛くないらしい
髪の毛がある相手には当てないで済むから楽
大木に教わった千なんとかいう韓国選手の話 頭突き一つとっても、奥が深いんだねー
レイスやキッドのダイビング・ヘッドバットも、体重移動で調整してそうだ。
それが出来ないと逆に危ないね。 プロレス技って受ける方次第で見え方が変わるからな
実際は全然痛くないのに、客には物凄く痛く見えるってのが肝
それにしても大木の頭突きを痛がり方じゃなくて、堪え方で魅せた猪木は、多分、天才 >>441
藤波の足4の字を「折ってみろ!コノ野郎」と、脂汗流しながら耐える猪木を
思い出したが、あの技も調整しやすいなw キッドとスキップ・ヤングの時は事故だな。
一発で額が割れたし、勝ったキッドが朦朧として足取りもおぼつかなかった。 藤原のアキレス腱固めを全く痛がらない猪木も凄かったな
あれ、痛がったフリもしてくんないよ、と狼狽する藤原の表情がまたリアル
俺の関節はダブルジョイントという猪木の発言も凄い バディ・オースチンはドリル・ア・ホールで2人の死亡事故やらかし、
アンドレはツームストンでターザン・タイラーの首やって封印したし、
パイルドライバーは怖い(難しい)イメージ 平成だけどWARで北尾のキタオドリラーがとんでもないパイルドライバーだった
普通は太ももに相手の頭を挟み、頭がマットに直にぶつからない様にするのに完全に天龍の頭が太ももの下に出ていた
天龍は負傷して数か月欠場 >>430
X固めって新卍固めと同じ技だったんだな。
どっちが先なんだろ? >>445
>バディ・オースチンはドリル・ア・ホールで2人の死亡事故
いや、その話はフィクションらしい。 >>448
新卍は新日の初期から使ってたけど定着しなかった
大木のX固めはマッハ隼人から教えたもらったメキシカンストレッチ
因みにX固めは2バージョンある
木村の風車吊りや裏4の字もマッハ隼人から師事された >>450
そうなんだ。
卍固めもゴッチがメキシコで仕入れた技だったようだし
高杉正彦が使ってた風車固めも似たような技だったが
やはりメキシコ仕込みだったのかな。 >>449
アングルだったのか…
オックス・ベーカーのパンチでハートアタックも怪しいなぁw >>452
ベーカーのキックね
>>451
卍(オクトパス)は欧州が発祥のはず。
その欧州と交流があったメキシコに伝わったと思う。 >>453
> 卍(オクトパス)は欧州が発祥のはず。
> その欧州と交流があったメキシコに伝わったと思う。
それならX固めも元は欧州なんだろうか?
似たような技がいっぱいあるからわけが分からなくなるなw 高杉氏のインタビュー見ましたけど、しょっぱい割には偉そうな事を言う人だなと感じました。
UWF入団を年齢を理由に前田に断られたのに、その後に歳上の藤原が入団したとか。
年齢がどうのとかそんな次元じゃないと思います。
新日でライガーとやってかなり酷評されているし。
国際時代の試合は見た事がありませんが、しょっぱかったんだろうなと容易に想像できます。 レスリング的なものは高杉もある程度は出来るとは思うけど
高杉のUスタイルを見たがる人がいるのかって話しになる。 東京12チャンネル田中Pの意見が通り全日本プロレスと決別
オープンタッグに対抗してタッグリーグ戦を開催
IWAタッグリーグ争覇戦(1977/11/25〜12/8全10戦)
全9チームによる総当たりリーグ戦を行い、最終戦の越谷市大会にて上位2チームのよる決勝戦を行い勝者チームを優勝とする
優勝チームにはIWA本部より優勝賞金1万フランが贈られる
前シリーズより残留 キラー・ブルックス&キューバン・アサシン1号
サモアからの刺客 サモアンズ1号&2号
ザ・コンバット ピエール・マーチン&マイク・マーテル
英国の巨漢コンビ ジャイアント・ヘイスタック&キングコング・コジャック
兄弟コンビ ジャック・クレイボーン&稲妻二郎
IWAタッグ王者コンビ グレート・草津&アニマル浜口
エース&新鋭コンビ ラッシャー・木村&剛竜馬
和製カーペンティアコンビ マイティ・井上&寺西勇
中堅コンビ 鶴見五郎&大位山勝三
優勝は草津&浜口がリーグ戦全勝、決勝戦は英国の巨漢コンビを下し優勝
草津は全ての試合をフォール&ギブアップ勝ちと言う快挙 >>458
草津は絶対にそんなブックは書かない。自分は飲んでクダ巻きたいだけだし。 71年暮れなら
ヘニング&ウインダム(マリガン)
バション兄弟
ロビンソン&リーガン
ゴッチ&クレインボーン
ランザ&ヒーナン
バスチェン&ハワード
ブラウン&ロバーツ
ラシク&ローデス
ロシモフ&コパ
あたりの面子でオープンタッグやれるだろ >>461
流石に1シリーズに外国人18人は非現実的 >>458
夢みたいなビッグネームを並べ立てるよりは現実的でいいんでないのw
あえていえば、77年時点では英国ルートは完全に途切れているから巨漢コンビはちょっとないかなというのと
パリが本部だからIWAから賞金1万フランというのは、ギミックとしてもこの時代ではあり得ない 足かけ7年に及ぶ12chの国際プロレスアワーで
IWAの本部がパリにあると放送されたことはたぶんないだろう PWFの本部はハワイですが、誰も本部を見た事がありません。 吉原のプロレス音痴ぶりがすべて。
パリが本部?よくわからんが凄そうと思わせなきゃだめなのに。 >>465
馬場の別荘が本部。
シリーズ中の電話番はカールフォンスタイガー。
参加外人のドタキャンが出るとスタイガーが
飛んでくる。
たいした事ないレスラーなのにやたら
来日しているのはそれが理由。 >>462
「あたりの面子」って書いてあるだろw
この中から5チーム6チームと考えればいい PWFは馬場が自分で作った王座だよな。NWFは猪木が金払ってパワーズから買い取った王座。 PWFは見た目に威厳があるロード・ブレアースを会長にしていたが
国際のIWAにはそういう気づかいすらなかった >>470
一応はパリのプロモーターのロジャー・デラポルトがIWA会長と言うことになっていた。 >>463
77年前後にも英国ルートでピート・スチュワートやコーリン・ジョイソン等が来日している >>461
「オープン」タッグをやったら日プロからBIが参加してきて
全勝優勝してしまうんじゃ……。 全国ネットで放送してほしい国際は木村&草津組を参加させたが、
もともと全国ネットで放送されている日プロが参加してくるはずがない。 ここはロビンソンは、ゴッチと欧州最強コンビで
仏代表ロシモフは、カーペンティアと凸凹コンビの方が夢がある。(妄想だから) >>474
71年の暮なら猪木の造反で
BI砲はガタガタになっていたから
参加はしないだろ? 70年と72年の国際にジプシー・ジョーが来日してるが、同名の別人だったw TWWA世界タッグを26回防衛した豊登&サンダー杉山組も一度は見たかったな。 >>478
暮れは無理かもしれんが、夏あたりにワンナイトトーナメントならどうなの
ゴッチ&ロビンソン
ロシモフ&カーペンティア
バション兄弟
ヘニング&ウインダム(マリガン)
ランザ&ヒーナン
小林&木村
杉山&草津
馬場&猪木 全日本は最強タッグ、新日本はMSGタッグリーグ戦
追撃戦など景気の良い餅代稼ぎシリーズに邁進する2団体を尻目に
我らが国際は早々に仕事納めとなり、某氏は三島に帰って飲み籠り。
他のメンバーも大宮、高田馬場など各所に散って結局はダラダラと飲んで暮らすのであった。 KAMINOGEの井上インタビュー笑った。
「フランスに行った時、ストロング小林は鬼瓦みたいな顔なのにリップクリーム塗ってた。
1968年でそんなもの塗ってる男はいない」 ラッシャーの金網デスマッチは恐いくらい薄力あったよね 「はくりょく」と打っても
「迫力」としか変換しない。
「薄力」はわざと打ったの? 大宮の道場は合宿所住まいの少数の連中の生活の場でしかなかった
当時から練習嫌いで知られていた草津や井上はもちろん
木村、浜口、寺西らもほとんど大宮で練習することはなかった
浜口はトレーニングには熱心だが、もっぱら都内のジムでやっていた
奄美や米村も地方に家庭を持っており、オフはそこに帰っていた 遠い記憶だとロシモフて印象ないな
本当に活躍してたんすか? 国際プロレスのジムの歴史
・初期
南青山共同ビル屋上で、マティ鈴木が青空レスリング教室をやっていた
・1970年頃
渋谷の三貴ビルにオフィス+ジム+合宿所があったので、ビルの地下室に作った
ジムで練習していた。ただし、室内の高さが無かったので空中技のトレーニングには
不向きだった。
・団体崩壊まで
大宮の産業道路沿いに、ジムと合宿所兼用の建物を作った。当時のプロレス雑誌によれば、
ジムは完璧で合宿所もホテル並みの豪華さとあった。 >>483
本当にゲイだったのかな
気が弱いという話は聞いた事があるけど
ハンセンのアソコを握るなんて凄い度胸だよね
>>488
練習しなくても試合に支障は出なかったのかな
>>490
大宮はプレハブじゃなかったかな
タクシーが突っ込んで燃えちゃうくらいだから
簡素な造りだよね >>474
> 「オープン」タッグをやったら日プロからBIが参加してきて
> 全勝優勝してしまうんじゃ……。
開幕戦を伊勢原市青果市場特設会場
シリーズ最終戦の決勝を大和市車体工業体育館
さらにシリーズ終了後にも北海道で4〜5戦ほど追加興行として
『北海タイムズ杯争奪IWAタッグ選抜戦』を組んでおけばOK
「馬場、猪木、ここでやってやるからから来てみろ、オラ!」 >>492
移動式テントの興行でやってもらうのもいいかも。 >>481 >>491
オープン選手権が執拗だった猪木の挑戦に対しての馬場なりの回答で
猪木がもし出てきたらシューターを次々と当てて潰すつもりだった、という話は有名だよね。
その伝で
ゴッチ&ロビンソン(三島)
ゴーディエンコ&誰でもいいや(刈谷)
バション兄弟(笠岡)
に因果を含めれば、馬場猪木は最終戦を待たずにリタイアしてしまうかも。
ボーナス次第だろうが。 ゴーディエンコ&ジョナサンなんて見てみたかったな。 だから全国ネットの日プロが、他団体に所属レスラーを上げるはずがないだろ? >>494
馬場猪木が出場なら、初戦からゴッチロビンソン戦の可能性大だねw >>498
71年のロビンソンはジュニア体型だからBIが勝つか、時間切れ引き分けかな
むしろジョナサン・ゴーディエンコ組の方が怖い。
でも国際のリングなんだよな…(誰が書くかだわ) ゴーディエンコは
72年春のワールドシリーズでは
もうすでに衰えていた。
71年時でも、どうかな?
まぁ、ジョナサンと組んでも
狙われただろう。 >誰も国際の日本人勢に期待してない
というか
>>481で挙がった
小林&木村
杉山&草津
他の組み合わせもあるとしても、
1969年〜72年の間で
この4人がシリーズ中に揃ったことって
ないんだよね。
誰かが海外に遠征に行って、
帰ってくると、誰がか海外に行く。
杉山はずっと日本だったが、72年に離脱。 >>501
小林・木村と杉山・草津がタイムアップドロー 馬場猪木が出てくるならまだいいけど。
「猪木星野」組あたりが出てきた方がまずいかも。
猪木・星野(2−1)杉山・草津
@星野(体固め)草津
⓶草津(エビ固め)星野
B猪木(アバラ折り)杉山
ゴッチロビンソン組に敗れる代わりに、こんなブックを要求されそう 猪木&星野組ってNETテレビで放送するために考えたんだろ、なんで国際に上がるんだ? 国際の価値を落とすため。
肩書的にはタッグリーグチャンピオンだから「役不足」とは
言えず、でも実質は格落ち中堅星野の入ったタッグ。
それが国際の王者コンビに勝ったら、団体の格差は歴然。
要は、後に実際新日本がやったやり方を、この時の日本プロレスが
やったとしたらという話さ >>506
猪木星野に限らず、日プロは保険を掛けてBIを温存するかもね
かといって坂口に傷を付けたくないから、やっぱり猪木星野組が適役かな
星野は気の毒だけど、リーグ戦は面白そうだ。 >>507
俺もそう思う。
馬場も猪木も坂口も出さない。
ヤマハでは、力不足。
そうなると、
1971年なら、
大木金太郎&上田馬之助を出す。
勝敗を無視して暴れさせる。
ガチを仕掛ける! 大木上田組は1979年に国際で実現してるが、ここでも出てくる運命かw
大木はTBSプロレス旗揚げを参戦寸前でキャンセルした遺恨もあるしな。
大木上田対ゴッチロビンソン、
大木上田対杉山草津。
硬い試合になりそうw 大木と上田だったら芳の里社長も「TBSで放送しても構わない」とか言いそうだなw 大木はTBSプロレス移籍未遂事件があるからTBSが難色を出しそう 結局、馬場のTBS出場を日テレが許可するわけないから、猪木大木吉村上田小鹿星野山本の
どれかの組み合わせにはなるねw >>512
猪木だってTBSには出せないよ、NETテレビが激怒するだろうし。 >>513
いや当時のNETはネット局が少なかったので、
そこまで頑固には言わない。
それに、日本プロレスがそう決めたら逆らえないでしょう もともと国際は、全日のシリーズに参加するメリットがあったから参戦した。
当時の日プロが、国際のシリーズに参加するメリットなんか全然ない。 >>515
そもそも「日本プロレスが国際のオープン選手権に参加する」という仮定自体が都合がいいんだからよw
それを承知で楽しもうというだからさ >>517
オープン選手権なの?さっきまではオープンタッグだったような? >>518
文脈でわかるだろw
オープンタッグ選手権てw 実際オープンを呼びかけてもオープン選手権やオープンタッグの時の新日と同じで決して参加しない
闇組織も暗躍してた時代だからテレビ局云々の前に闇組織が許さなかった シュートで行くならエルマンソン・ブラザーズ、アルバート・ウォールも
出してほしい。アルバート・ウォールのパートナーはトニー・チャールズで。 エルマンソン・ブラザーズって
シュートも強かったっけ? そんな凄い大物呼ぶより怪しい外人とか、海外在住日本レスラー呼んで
タッグ選手権やって欲しかった 外人大物だと国際日本レスラーは刺身のつまになってしまう 吉原は所属日本人より外人のプライドを尊重するからなぁ
マイテイがグラハム破ってIWA王者になったっていっても
その前に二連敗してるし 71年の猪木とロビンソンが戦えば、どっちが強いか興味ある。
それまで両者ともにドリーのNWAに挑戦し時間切れ引き分け
本当なら年末にドリーvs猪木のNWA&UNダブル選手権だった。 どっちが強いかって、プロレスなんだからブックなしで試合しないだろ? 71年に国際プロのリングでという条件だったら、
猪木はロビンソンに負けると言うか、勝てないブックになるのかな? なんで猪木が国際に上がるの?日プロがロビンソンを引き抜くならわかるが。 もしもシリーズで話が進んでたから
スレッド全体がややこしくなってるよw >>527
勿論引き分けブックでしょう。それ以外ない。 ビリー・ジョイスとジョージ・ゴーディエンコの全盛期の試合が見たかった。 まあ言いたいことはだな。
ヨーロッパルートもまだつながっていて、AWAルートも開いていた1971年頃の国際は、
世界各地から強豪を集めた大規模大会も開催可能であったということです。 エルマンソー兄弟をブッカーに中東のレスラーを呼べば面白かったかも。
杉山vsアクラム・ペールワンのIWA戦とかできたかも。 >>458
第2回IWAタッグリーグ争覇戦(1979/11/1〜12/5)
モンゴル師弟最強コンビ モンゴリアン・ストンパー&トム・スタントン
ロシア最強コンビ アレックス・スミルノフ&イワン・コロフ
実はプエルトリコ最強コンビ ジプシー・ジョー&キューバン・アサシン1号
米国マット日本人最強コンビ 上田馬之助&ヤス・フジイ
日米最強コンビ ラッシャー・木村&ルー・テーズ
IWAタッグ王者コンビ アニマル・浜口&マイティ・井上
静岡県在住最強コンビ グレート・草津&寺西勇
日黒中堅コンビ 鶴見五郎&稲妻二郎
シードコンビ
米国最強親子コンビ バーン・ガニア&グレッグ・ガニア
備考
参加8チームにより予選リーグ戦を行い、上位2チームにシードチームを加えた3チームにより決勝リーグ戦を行う
鶴見&稲妻コンビは序盤に鶴見の遅刻を理由に仲間割れ、残りの公式戦は不戦敗
ガニア親子は1週間の滞在中、試合を行ったのは2試合のみ(試合以外の日は観光。観光代は12チャンネルからの特別予算から捻出)
決勝リーグ進出コンビは木村&テーズと浪速ブラザーズ
2勝したガニア親子が優勝 12chの田中pも新団体の構想はスケールは大きかったけどな ラッシャーはポンコツ
寡黙で男らしいイメージだが、腰の引けた
ポンコツレスラー 79年末ならガニアはバションとAWA世界タッグコンビで来日してほしいな。
R木村&草津
浜口&井上
寺西&阿修羅 以上、日本組
スミルノフ&ストンパー
ジョー&ブルックス
サモアンズはもうWWF入りで無理か。
ミレツルノ&チャールズベレッツ(ジョニーロンドス) どんな外人でも木村相手だと1回で飽きた
ジョー、スミルノフ相手はマンネリ感満載だった
ジョーは井上相手の方が面白かった さっき動画で井上対ジョー両者KO見たが 面白いねブックとか抜きにしても二人は好敵手 木村は単調でつまらない >>540
それだけ揃えても
馬場&鶴田
ドリー&テリー
ブッチャー&シーク
マスカラス&ドスカラス
マクダニエル&ヒル
大木&カマタ
レスリング&ストラングラー
参加の全日最強タッグが同時開催では… >>543
まあねw 最強タッグブッチャー&シークとファンクスは優勝戦は凶悪組の仲間割れの波乱の舞台。
確か新日も79年闘魂シリーズはかなり奮発したメンツで、全戦とおしてモラレス、ボルコフ
グレッグバレンタイン、特別参加で初登場のローデス、パターソン、バックランド、シン、
猪木もWWF戴冠と充実したシリーズだったしなあ。 >>536
原はシリーズ中「阿修羅十番勝負」を行う
1戦テーズ ●
2戦スタントン 〇
3戦アサシン1号 〇
4戦ジョー △
5戦フジイ △
6戦ストンパー ●
7戦スミルノフ ●
8戦コロフ ●
9戦上田 〇
10戦草津 ●
4勝4敗2分 ガニアはケチで傲慢で先見の明が無いんだよね
ハルクホーガンみたいなスターレスラーがみんなガニアを見限ってWWFに引き抜かれちゃったもんね
ホーガンをAWA世界ヘビー級チャンピオンにしていたら歴史が変わっていたかも知れない >>546
間違いました
何回か練り直したのに結果だけそのままでした
>>545
3勝5敗2分 >>547
ガニアはホーガンを金の成る木と見抜いて自分の娘婿にしようと工作したんだよ
ホーガンは「俺はあんな男と親子になる気はさらさら無かった」そうだ リッキー・スティムボートやボブ・バックランドはガニアにレスリングコーチ料名義で
ギャラをピンハネされて閉口してたんだっけ でも、コーチとしての
テーズよりはマシ!
とジニアスが言いそうwww 今手元にフレアーの自叙伝無いけど、フレアーの自叙伝で読んだのはガニアはコーチ料は取らないがレスラーとしてデビュー後、ファイトマネーの数十%ガニアに支払うって契約書を交わす
フレアーはクロケットJrにその話をしたらそんなのをしてるのはガニアだけで必要無いと言われた
フレアーまとまった数万ドルを送金して今後は払わないと断った
スティムボートにもその話をしてフレアーと同じ事を勧めた
他の選手は払い続けたり、払うのを無視した選手はガニアからお達しが各プロモーターに行って干される 82年からホーガンがAWA入りしても新日との繋がりを断たずに頻繁に来日してくれたのも
新日への恩義も少なからずあったのだろう。ただWWF(ビンスジュニア)との契約に関しては
シビアに自分の主戦場を見据えた行動だったな。ホーガンもなかなかクレバーではある。 >>552 >>553
ジニアスがテーズベルトを巻いていたらマネージャー料を取られたんだろうな?
10%? >>553
「虎の穴」もコーチ料は無料
(しかも、部屋、食事つき)で
デビュー後、ファイトマネーの
50%を払うんだよな。
それを断れば、虎の穴の刺客に
リング上で制裁を受ける。
でも、マッチメークするのは
興行主だが、それをどうやって
虎の穴が介入したんだろ?ww >>553
ガニア・キャンプはいままでずっとスクールの先駆とかって言われてたけど無料だったのか。 >>556
そのやり方が日本のやり方だった。
衣食住保証でコーチ料は無料だが徒弟制度で固められる。
その会社でデビューし、他団体への移籍は困難。 >>558
それに虎の穴の誘拐ほどではないが
昭和時代は、地方の身体の大きい子供に
「東京見物に連れて行ってあげる」
と言って、誘い出し相撲部屋に
入れたこともあったそうだなww。 Gスピリッツ最新号読んだが、
小林がミラーからIWA王座を奪った試合は「実際には行なわれていない」と、流智美がはっきり書いてるな。
それどころか小倉で杉山がミラーに負けた試合も、実際に行われたか疑わしいと。
全く予選が行われずに小林が決勝進出した
70年のワールドシリーズといい、国際はイージーなところがあったな 韓国のパクソンナムが来てたらかなり話題に
なってたかもしれない。
まあアメリカで売れっ子だったから、わざわざ日本に来る必要なかったかも。
猪木とは戦ってるけどね。 >>561
猪木にシュートを仕掛けられて、目ん玉やられた韓国の馬場だね。
生涯で3度のリアルファイト(アリ、パク、ペールワン)の試合で、
パク戦は本来2試合やって、1勝1敗の予定だったのに猪木が嫌がった。
アリとの試合を酷評され、パクごときに負ける姿を日本の中継で見せたくない。
しかも韓国の馬場と言われるレスラーならなおさら。
残念ながらシュート試合の初戦は中継がなかったが、
猪木が負けるはずだった第2戦の試合は凡戦で、パクは戦意喪失状態だった。 >>560
公務員やりながらプロレスやってた流の言うことは・・・
>>563
高橋本「負けが嫌ならプロレスという職業に就くな」
「アリと戦った猪木さんをパクソンナンのジョブになどできない」
言ってることとやってることが違う。 >>564
「この日にダルースで興行はなく、小林とミラーはそれぞれ違う都市で違う相手と試合をしている」。
まあね、何となく「そうかな」と思ってたけどね。 >>560
今さら流に指摘されても、このスレでは度々出てた話だよな >>566
このスレで出てくるのと雑誌、それもゴングの流れを汲む雑誌に載るのとは重みが違うなあ。
何せ当時そのゴングで「小林が王座奪取」の記事を読んだので。バックドロップでミラーを叩きつけたとか何とか。
プロレス記者が「グル」になった時代か。 >>567
マスコミとグルって、プロレスはすべからくそうでしょ。 >>567
団体とマスコミがグルになってたw
グラハムとロビンソンの王座移動も騙された。
タッグマッチの絡みを、シングルマッチにされ、
グラハムのベルトを締めた写真もフェイクだったな。
いい時代だったのか、悪い時代だったのかww グラハムの締めたベルトもなぜかいきなりのニューベルトだったしね〜。
あれが古い(小林)ベルトだったらまだよかったかな。
レイス→ブリスコの前に新旧ベルト交換式があればもっと新時代到来を感じさせられただろうに。 奇遇というか、73年全日サマーアクションシリーズで移籍した杉山とビルミラーが何度か対戦してるな。 IWAの本部がパリって設定だったからIWAワールドシリーズでなくIWAモンドグランプリだったらそれらしかったのに >>572
杉山がしっかりミラーに勝ってるのが面白いね >>571
レイスとブリスコの移動劇は、試合前に新旧ベルト交換式があったよ。
当時のゴングで見た。 >>572
日プロがこのシリーズから合流したのかな。
73年は映像が残ってないのが多いから残念だ。
確かミラー最後の来日で、ツーショルダーのタイツ姿だった。 >>560
71年3月4日、小倉で興行そのものは
あったんだろ?
いくらなんでも、その日杉山対ミラーの
IWA世界戦が行われていなければ、
後日、小倉のファンが騒ぎ出し、
ネットがない時代とはいえ
噂になると思うがな。
海外の試合は騙し通せるが。 >>577
国際は地方各地で闇選手権や闇デスマッチを行ってたけど騒ぎになった事は無い
マスコミが来てない地方大会の結果を電話でマスコミに伝えるのに誰も結果を書いてなかった >>578
闇選手権や闇デスマッチを行っても
それを見たファンは怒りはしないだろ?
むしろ、事前に発表されたカード以上のモノが
見られたからラッキー。それをマスコミが報道しなくてもOK!
ただ、小倉の興行、メインが杉山、ミラー絡みの
普通のタッグマッチ。あるいはシングルだったとして
その後、「3月4日、小倉でミラーが杉山を破ってIWA王者に
なりました!」と報道されたら、見た観客は黙っていないと思うがな。
そういう噂が、この50年、全くないというのも解せない。
ネットが始まった20年前に、この5ちゃんに書き込まれても
不思議はないと思うわ。 当時のスポーツ新聞(特に九州スポーツ)のバックナンバーは無いのかな? “気付いて騒いでも広く伝播しなかった”ってのが実状じゃない? まぁ、>>560を読めば。
流智美だって
「杉山対ミラーのIWA戦は行われなかった」
と断定したわけではないんだろ?
「疑わしい」レベル。 なんかAWAは良いレスラーを発掘するのは上手いけど、
トップレスラーになると引き抜かれているイメージ
国際プロと似てるなー >>581
575本人だが、あっさり書き間違ってるな、失礼。
×レイス→ブリスコの前に新旧ベルト交換式があれば
○レイス→ブリスコの前みたいに新旧ベルト交換式があれば 闇選手権、闇デスマッチをライブで見てない奴は完全にニワカ認定
あれこそライブで国際を見る醍醐味
テレビマッチ見て、あーだこーだなんて国際の魅力を知らんわな
田中忠治や寺西、果ては上田馬之助の金網見た奴の勝ち >>585
恥の上塗りだがまた間違った……。
571が575にレスしたのです。 >>582
流も断定はしていないね。
むしろこの試合の放送、報道を控えるようなマスコミ管制が
あったことを強調してる。
当時杉山が名古屋で副業やってたので「王座転落」というマイナス
イメージを控える必要があり、ノーテレビ、マスコミ取材なしという
状況を選んでベルトを渡したとか。 >>588
マスコミ規制とか、その感覚がそもそも国際のズレてるところだな マスコミがいないところで闇金網で剛竜馬がシリーズの目玉外人をKOしちゃうのが国際の面白さなんじゃないの
新日、全日と同列に語ってるところが、雑誌の中だけで国際を語るニワカなんだよな
国際ってのは放映権料が安い地方で客入れなきゃ持たないゲリラ団体だったのよ 俺は浜松で田中忠治対チンリーの金網メイン見たけどねw
IWAタッグ戦をセミに押しやってのメイン。チンリーは三流外人だったけど。
しかし客入りは前年暮れの新日本(猪木対パターソンのシングルがメイン)
を圧倒する、超満員の大入りであった。
ちなみにポスターはラッシャー木村の金網戦で「壮絶! 金網デスマッチ」の
煽り文句。当然木村が金網やると思ってた・・・ >>591 キミは国際ファンとして間違いなく勝ち組だよ
草津VSチンリー見た奴もいるからな
上田馬之助VSブラックロッキードも凄かったよ >>584
小林は日本にいなかった
あの日の興行に出て存命なのは井上、寺西、浜口くらいか この木村vs井上のIWA戦はテレビで見て内容も覚えてるが、コールの後にファンファーレは記憶にないw
https://www.youtube.com/watch?v=0XDH4sKaXrg >>571
日本ではベルトは会社の持ち物だけど、あちらでは基本的に王者の個人的
所有物になるんだなあ
デザインチェンジして新しいベルトを作るのは、それまでのベルトを王者
(もしくは前王者)に寄贈するための措置だったりするのか
WWFでバックランドが王座転落する直前、いきなりベルトが今までと違う
何ともいえないエスニックなデザインになったことがあったけど、あれは
次期王者にしてすぐホーガンに王座を渡すアイアン・シークが、すぐに自分の
個人所有になるはずのベルトに
「こういうデザインにしてくれ」と注文したものだったんだろうな
(もちろんホーガン時代になったらすぐにアメリカン調の新ベルトに変わった) >>593
タイトルマッチ開催の事前発表なし
当日取材記者ゼロ
ノーテレビ
これでは、たとえ杉山ミラーの試合が行われていたとしても、やってないのに等しいとも言える >>592
ブラック・ロッキード。覆面の横の飛行機マークが可愛かった。 >>595
>日本ではベルトは会社の持ち物だけど、あちらでは基本的に王者の個人的所有物になるんだなあ
ならねえよ >>539
寡黙で男らしいと思ったら、何にも考え無く行動力も無い奴 ラッシャー木村は新日からUWF→全日に移籍して結果的には良かったよね。
あのままずっと新日に残留していたらどうなっていたのかな。 ユーチューブで国際あげてくれる人、ありがたいな。
深夜時間がある時見てる。
DVDで販売してるのもより画像きれい。
入場テーマそのままだから、当時の録画だろうね。 >>600
残留と言っても、ラッシャーは
新日の「所属」じゃないだろ?
フリー契約だから、商品価値が
なくなれば切られたよ。
所属でも切られるがな(^^: というか、
新日では、もうラッシャーはいらない、
ってことで第一次UWFに「出向」になったんだろ? >>601
ジャパン一派と入れ替わりで
木村、剛、若松、モローで新日版
国際血盟軍結成?
ガラクタ感半端ないな。 ラッシャーが新日本に殴り込んだ時期に、ストロング姐さんの腰が
悪くならなければ、猪木ワールドで国際魂の復活があったかも知れない。 >>606
小林が元気だったら、スキンヘッドで悪役レスラーに変貌した
ストロング金剛&木村を核に、新国際軍団の結成もいいね。 >>595
>日本ではベルトは会社の持ち物だけど
これがそもそもが妙な話だ、「団体」のものならわかるんだけどね。
ボクシングはベルトを巻く権利を得るようなもんでしょ。
そんで勝ったら団体指定業者からベルトを言い値で買ってコスチュームの一部にする。
相撲の綱はどうせ後援会が手配してくれるんだろうけど、所有権は誰かな? >>608
ベルトの所有権は金を出して作った人・会社・団体など。
チャンピオンになって証としてベルトを巻けるの繰り返しで
相撲や甲子園の優勝旗・杯と同じで勝った者に渡されていく。
相撲の綱は贈呈したのなら関取。 >>608
そうそう。だから新王者には王座奪取後しばらくしてWBCとかの本部から
ベルトが郵送されてくるw
タイトルマッチで勝った後にインタビューなどで見せびらかしてるのは
負けた前王者から一時的に「貸してもらった」だけで、前王者が帰国する時には返してるのはなんか笑える
日本のベルトやレイス時代のNWAなんかは「あくまで会社組織の備品」という
論理が一般化していたけど、力道山の時代から既にベルトは新王者が新しく
自分で作って持ちものにしておくもの」というのが常識だったみたいだね
それこそ力道山がテーズから「インター王座」なるものを「奪った」けれど
テーズ個人所有のベルトをもらい受けることができるはずもなく、帰国時に
「ベルトは勝者が持つもの」と思い込んでた昭和の記者に「勝ったならなぜ
ベルトがないのか」と問い詰められ言い訳に窮していたり、それじゃと日本で
本場のようなベルトを作らせようとしたのに、時代が時代で不細工なものしか
出来なかったとかの珍事も、元はそこのギャップに起因していたんだろうし
日本は猪木のためのUNベルトを三冠時代まで後生大事に使うように、伝統を
やたら重んじるけど、藤波用に文字通り「作った」WWWFジュニアベルトは
完全に藤波個人のコレクションになってたよね
ジュニアの祭典とかで何度となく優勝者に「贈呈」されたはずなのに、
いつの間にかまた藤波の家に戻っているというw 見てみたら、1998年に発行されたゴング別冊「検証チャンピオンベルトの謎」
のインターナショナルベルトの項に当たり前のように書いてあった。
「力道山は王座を得たが、テーズはベルトは個人の所有物として渡さずに
王座の移動だけを認めた。当然、帰国した力道山の手にベルトはなかった。
力道山はただちにアキバ徽章に依頼し、テーズが保持していたベルトを参考に
して日本式のインターナショナルのチャンピオンベルトを作り、初防衛戦から
そのベルトを使用」
「力道山はグレート東郷に頼んで、当時WWAが世界チャンピオンベルトとして
使っていた何本かの中の一本を譲ってもらった。それを日本に持ち帰った力道山は
テーズが個人所有しているベルトとまったく同じデザインのそのベルトを、
今度はインターナショナル選手権のニューベルトとして1962年10月9日の
防衛戦から使用。当然、このベルトには『インターナショナル』の文字はなく、
『ワールドヘビーウェイトチャンピオン』と記されている」 1962年3月、力道山はロスで
フレッドブラッシーを破って
WWA世界選手権(当時の呼称はAWA)を
奪ったが、ベルトの譲受はなかった。
これまた、日本に帰って旧NWAチャンピオンベルト
(いわゆるルーテーズベルト)を真似て作成。
WWA王座をブラッシーに奪い返されると
それを新インターベルトとして使用、、(^^: 猪木が個人所有していた「WWFマーシャルアーツヘビー級ベルト」を、
プレートだけ変えて「グレーテスト18クラブ認定王者」ベルトにした時は
呆れたものだったけど、師匠譲りの伝統じゃ仕方がないのかw チャンピオンベルトの使い回しなんか
初期の国際プロレスでも、よくあったらしいよ。
田中忠治のIWAミッドヘビーベルトは
英国西部や、初代IWAヘビーベルトだったとか。
ゴング別冊「検証チャンピオンベルトの謎」に書いてあった。 >>608
そもそもプロレス界にボクシング団体のような興行会社ではない統括機関は戦前の旧NWA
戦後1988年までのNWAの二つしかない
強いて言えばWWWFとNWFは発足時にはミニNWA的な複数のプロモーションの合同組織
だったがどちらもすぐ内部分裂しヴィンスシニアとパワーズ&マルティネスの会社のお手盛り
のタイトルに
後は全部最初から興行会社の所有物 ガキの頃は、プロレスマスクとチャンピオンベルトに憧れたなぁw
あと興味なかったけど、ボクシンググローブもインテリアとしてね。 >>557
>>583
コワルスキージムとかモンスターファクトリーみたいなプロレス学校が
基本的に金さえ払えば素人にも1から教えてくれる文字通りのスクールなのに対して
ガニアキャンプってのはアマレスやフットボールなど他のスポーツで実績のある選手や
マイナーテリトリーで活動している埋もれた原石系のグリーンボーイとかを
スカウトしてきてプロレスラーとしての英才教育を施してそのうえで
基本的にはAWAでスターにするか
他地区へのブッキングの際にマネジメントコミッションを稼ぐためのもの
AWAが新人発掘に長けていたのは
この有望選手のスカウトを行いコーチを施してデビューさせるという
言ってみればエリート育成システムを導入していたから
アマエリートだったガニアらしいやり方 >>560
>それどころか小倉で杉山がミラーに負けた試合も、
>実際に行われたか疑わしいと。
「Gスピリッツ」の記事を立ち読みしたが、ニュアンスが違うよ!
記憶で抜粋すると
「国際プロレスは、3月4日小倉の杉山対ミラーのIWA世界戦を
前日に発表した。突然のことでプロレスマスコミは、誰も
その試合を取材できず、誰も見ていない。
だから菊池孝が【あれこそ本当に行われた試合か疑わしい】と
笑っていた」
最後に「笑っていた」で結んでいたが、
これ、菊地孝がジョークで言ったことだろ?(苦笑)
これを文字通りに解釈する人は、マジでアスペだと思う。
また、なぜ国際プロレス(吉原社長)が、この試合を大きく、
報じさせなかったかと
言えば、杉山はその月の終わりには、スズケンに正式に入社した。
元プロレスの世界王者だったという肩書を活かしたいだろうから、
王座転落のニュースを大きくしないという配慮だっただろう、
とも書いていあった。 >>618
だから>>588で書いてるじゃんw
>流も断定はしていないね。
むしろこの試合の放送、報道を控えるようなマスコミ管制が
あったことを強調してる。
当時杉山が名古屋で副業やってたので「王座転落」というマイナス
イメージを控える必要があり、ノーテレビ、マスコミ取材なしという
状況を選んでベルトを渡したとか。 それとあれだけ国際シンパだった菊池孝が「あの試合こそ、本当に行われたかどうか疑わしかったよ」と笑っていた、というのは相当な重みがある事実と思うがね。
あの試合「こそ」と言ってるからね。 1971年6月にミネソタ州で行われたとされる
Bミラー対ストロング小林のIWA戦。
同じく74年8月デンバ―でのロビンソン対グラハム。
これなんか国際プロレスがアメリカで
マッチメークできない=フェイクだった。
しかし、71年3月の小倉での杉山対ミラーは、
当然、試合を組める。
試合をやらなかった(やれなかった)という
理由が見当たらない。
タイトル戦を行わず、嘘の試合結果(ミラーのタイトル奪取)を
流したら、当然、その日、見に行った客が後で言いふらす。
いくらネットが無い時代だったとはいえ、その噂が
いまだに皆無だったというのは信じられん。 >>622
そら「全く発表されない、記録にも残らない」タイトル戦をやってた団体なんだから、その逆もありうると疑われても仕方ないわ Gスピ53号
もう完全に「ストーリーを作る上で捏造した架空の試合」
と断言しちゃってるなあ
流 「この時に、実際には行われていない試合なのですが、
アメリカでロビンソンが来日前のビリー・グラハムに負けて
IWA世界王座を失うというシナリオが使われました。それに
ついては田中さんはどのように対処したんですか?」
田中 「東京スポーツで報道されるまで、王座移動があった
ことは白石さんも私も知らなかったんです。その時点で
ビリー・グラハムが9月に来ることは決定していましたから
『白石さん、これ、日本では誰がグラハムの挑戦者になるん
ですか?』って聞いたのを憶えてますよ。」
(東スポ写真のキャプション)
「当時、架空の試合をさも実現したかのように報道することは
稀にあったが、日本マット史に与えたインパクトという側面で
比較すると、この一戦とストロング小林vsビル・ミラー(71年
6月、ダルースの架空試合で小林がベルトを奪回したとされる
IWA世界戦)を上回るケースはないだろう。」 テーズベルトはマーク・フレミングが巻いていた。
フレミングは負けていないのにUインターで高田vsオブライトで王座決定戦が行われ、
フレミングはUインターの常連となった。
テーズとUインターを結びつけたのは誰だ?
そいつが疑惑のベルト移動の黒幕か?
テーズベルトではなく、3つに分裂した“UWF”ヘビー級王座ではイマイチである。
その後の高田のブレイクを考えれば、日本マット史に残るインパクトとフェイク王座移動では。 >>536
第3回IWAタッグリーグ争覇戦(1980/11/1〜11/28全20戦)
復讐のロシアコンビ
アレックス・スミルノフ&ザ・USSR(チャーリー・フルトン)
恐怖!ナチスコンビ
キラー・カール・クラップ&マスクド・フォン・SS(日本人選手が日替わり)
華麗!ルチャコンビ
カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン
地獄の用心棒コンビ
グレート・ムルンバ&鶴見五郎
前回大会準優勝コンビ
ラッシャー・木村&ルー・テーズ
現IWAタッグ王者コンビ
アニマル・浜口&マイティ・井上
韓国兄弟コンビ
大木金太郎(梁承揮)&金光植
軽量コンビ
寺西勇&マッハ・隼人
シードチーム
第1回NWAタッグリーグ戦準優勝コンビ
ニック・ボックウインクル&ビッグ・ジョン・クイン
備考
・全8チームにより総当たり予選リーグ戦を行い、上位2チームにシードチームの3チームによる決勝総当たり戦を行う
2勝したチームが優勝とする
・予選リーグを木村&テーズ、浜口&井上が勝ち上がり1勝同士の木村&テーズ対ニック&クインが最終公式戦
ニックとクインの仲間割れを突いて木村&テーズが優勝
・シリーズ最終戦は追撃戦
トリプルメインイベント
金網デスマッチ 〇スミルノフ対クラップ●
AWA世界ヘビー級選手権
〇ニック対クイン●
IWA世界タッグ選手権
△浜口&井上対木村&テーズ△(スミルノフ乱入の影響で両リン)
・大木は途中より欠場
梁承揮が代わりに公式戦を引き継ぐ
・阿修羅原は史実と違い同年9月よりMSWA地区へ武者修行へ
・テーズは公式戦以外の日はエキビションマッチを行う
・マスクド・フォン・SSは米村、寺西、高杉、等が日替わりでマスクを被る >>626
追記
ニック・ボックウインクルとビッグ・ジョン・クインは終盤戦1週間の来日
ニックは公式戦以外に木村、クインと防衛戦を行う
ニックは全日本プロレス世界最強タッグにも参加を発表
国際と全日本での争奪戦が表面化するが史実と違い吉原社長と東京12チャンネル上層部がAWAに飛び直々に会談の末来日が決まる
翌1981年9月に国際プロレスがリニューアルし旗揚げするNINプロレスリング(ニュー・インターナショナル・プロレスリング)への協力も取り付ける >>614
WWU世界ジュニアヘビー級のベルトは、初代IWA世界ヘビー級ベルトの使い回しか
レプリカベルトじゃないの? >>628
12チャンの田中プロデューサーが知り合いのトロフィー制作会社にIWAヘビーとタッグのベルトの写真を預けて発注した
鶴見の国際プロレスプロモーションの時、IWAヘビーとWWUJr.(IWAミッドヘビーで使ってた)のベルトが売店に展示されてるのを見たけど、WWUのベルトはIWAヘビーのと違い厚みが無く重厚さが無かったから明らかに別物 >>629
IWA世界ヘビーのベルトは今現在誰が所有してますか? >>630
誰か知らないけど、ドクトル・ルチャの知り合い 絶対にフカシだと思うけど、石川が旗揚げしたとき
何億円高のベルトだとか言ってたな
タイに発注して、宝石をたくさん使ったとか言っていた
本当の宝石を使っても、タイで作ったならせいぜい数十万でできるだろ。
あと、タイトルマッチ当日にベルトが完成してなかった。
国際っぽい話なんでかいたけど、あのベルトって結局完成したんだろうか? >>633
完成して使用してた
団体崩壊後、一時国際プロレスプロモーションでIWA(インディペンデント・レスリング・アライアンス)タッグベルトとして使ってた >>633
石川の東京プロレスのタッグベルトは、3億円って言われてた。
本当にその値段なら、石澤オーナーは夜逃げしてないわなw S藤はいつも写真パクってるな。本当に酷い奴や!
ウンチ臭いし、人が親切に教えてるのに有り難さを知れ!ネズミ豚野郎!
恥さらしやわ。
臭いし、嘘つくし、最悪や!
このオッサン一体何考えてるんや。
クッサイ、クッサイ、クッサイ。
不潔親父でチンポもウンチも臭い。
えらそうな態度取るのもいい加減にしろよ、変態野郎 確か「日本で作ったら三億円相当の可能性もあるから三億円ベルト」
とギリギリセーフの公式リリースだった気がする
ちなみにTWA認定世界タッグ初代王者安生と石川はその後「社長争奪マッチ」で
戦い、勝った安生が「社長」になったのだけど、その翌日JWP女子プロレスに
抜き打ちゲストで参加した安生は、テーマ曲がかかるや嵐のように巻き起こった
「社長」コールに迎えられ珍しくパニックに陥って、しばらくのあいだは
コメントがしどろもどろになっていたw >>630
初代のIWA世界ヘビー級チャンピオンのベルトは、
亡くなったビル・ロビンソンが所持していた。
今現在、そのベルトがどうなっているのかは、
息子のスペンサー氏が知っているはずだ。 >>638
社長就任後のWARの大会での、安生のコメントの端々から聞いてた話と違う感が出てた。 子供ファンにはベルト格好よさは、重要でした 個人的にはニックのAWAベルト好きでした 40過ぎた今はアジアタッグとか大木のインターベルトの良さわかるようになりました AWAビッグベルトは留めるのがマジックテープで幻滅した あのニックベルトは86年ハンセンがトラックでひき潰しAWAへ突き返したw マスカラスのニューヨークIWA、カネックのUWaみたいに潰れた団体のベルトが最後の王者の
個人所有になるパターンあるけど
国プロが潰れた後はラッシャーがベルトを巻くことはWWFでのフレアー(認定されてないが
コスチュームの一部として使用)みたいな形ですらなかったな >>644
ゴッチベルトが悪く使われた。
AWA王者ゴッチがNWA王者テーズとの統一戦で負けるも、テーズは記録だけ得てベルトはゴッチに残した。
新日が初代世界王者フランク・ゴッチから続く実力世界一ベルトと嘘ついて復活して猪木が戴冠。
ワープロ引退の古舘にプレゼント。 >>646
ゴッチから猪木→古舘へ渡ったベルトはレプリカって話だよ >>42
小鉄が厄介だな
こんなやつ入れたら派閥を作って猪木派とかになり分裂は必至
若かった藤波や木戸なら国際の若手に溶け込んで行っただろうけど >>647
レプリカを渡すはずが、間に合わなかったのでとりあえず本物を渡したらしい。そして後でフロントから返してくれて言われて、それはないでしょうと猪木に言ったらそのまま本物持っててくれてたらいいって話になったはず。徳光との番組で本人が言ってた >>413
船木を始めいろんなレスラーの話を聞くとやっていてこの人強いなとか言うのはあるみたいよ
辺りがキツイとかトモ違う話 >>649
ゴッチ所有の小さいAWAベルトをモチーフに新日がベルト部分が赤と青の大きめのレプリカを作った。
真ん中のレスリング部分やサイドのプレートは健吾のNWAインター世界Jr.、WWFインターヘビーとかでも使われてる。 >>649
そもそもゴッチから猪木に贈られたというベルト自体が
新日本が作ったレプリカだという話だよ >>651-652
なるほど、そういうことか
勉強になるわ 世界ヘビー級ベルトは、ゴッチ本人が所持していたオハイオ版AWA世界ヘビー級王座のレプリカで、のちに古舘伊知郎氏の実況引退セレモニーで贈呈している。(*数年後に、古館氏がテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定依頼したところ600万円の値段がつきました。)
https://love.ap.teacup.com/championbelt/55.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) >>655
レプレカで600万は、相当付加価値が付いてる気もする。 Roy Lucierさん
どんどん貴重な試合をYouTubeにアップしてくれるなー
有難い。 >>656
フレアーがレイスモデルのNWA、ニックがデカイAWAベルトを売りに出してたが売れたのか? >>657
市販DVDで貴重でも無い。国プロの濃いファンはみんな持ってる >>659
日本で市販されたDVDBOXに収録されていない試合もアップされてる
おそらく15年位前にアメリカで発売された海賊版DVDのだと思う
あれには流監修のDVDBOXに無い試合が結構あって画質も良かった >>656
プロレスに詳しくない鑑定人だと本物かレプリカか判別できないよ 昔、ヤフオクに70年代の国際プロレスの映像を録画したビデオだかDVDを
多量に出品していた「ハチ」とかいう奴がいた。そいつの映像を買った人が
youtubeに流している可能性もある。 ラグビー世界選抜に選ばれた原のプロレス転向って今で言えば
稲垣啓太がプロレス入りしるようなもん? >>658
NWAベルトはロブ・コンウェイが出品者の復刻版で、テンコジのサイン入り。
返品不可らしいけど、どインディーに転落したベルトだからなーw
オークションのスタートが2,498,99USドルで、買い手は不明
AWAのニックベルトは、ハンセンが破壊して送り還したから
これも復刻版だと思われる。
詳細は分からない。 >>643
それ本当か?
そんなことしたら馬場も怒るし、業界追放になるだろ。 ハンセンが
「ガニアは50年代のプロレスをやっている
いまだに「TVで良いカードを放映すると会場に客が来なくなる」という
考え方なんだ」と怒ってたけど流石にベルト潰しなんてするわけがない >>668
この記事は誰が書いたんだ?
告訴は刑事告訴のことで、民事での損害賠償や慰謝料請求等は提訴と言う。
ベルトを持ったままのハンセンの告訴罪状は何だ?窃盗か?
本当に刑事事件になったのか?判決は? >>669
書いたのは清水勉のようだな
その後までは知らん。調べてくれ ハンセンのAWAビッグベルトをピックアップトラックで引いてから返還した事はWWEで発売されたDVDにハンセン、ニック双方がインタビューで話してるから事実でしょ
話してる内容も差異はそれ程無いし、わざわざ口裏合わせる事でも無いしね >>666
馬場はハンセンから事情を聴いた上で、AWAの権威は完全に落ちたと思い
咎めもしなかったらしい。 ハンセンがマーテルからAWAのタイトルを奪取した試合だが、あれはブック破りなのかな。
コーナーポストに頭を付けての執拗な逆エビ固めでのギブアップ勝ちは変だ。
シナリオがあるならばラリアットからのフォール勝ちにすると思うが。 >>673
当時のAWAはWWFの全米侵攻のターゲットにされ、選手・スタッフが引き抜かれて
組織として衰え始めていた。
そしてニックの長期政権にピリオドを打ち、鶴田からマーテルと若返りを図ろうと
していたが、マーテルのベビーフェイス的なカラーがAWAのファンから支持されず、
王者としての力量も不足していた。
そこで全日本プロレスでヒール的な立場にいたハンセンに白羽の矢を立て
ハンセンを出向という形でAWAへ送り出した。
ハンセンはあくまでAWAよりも全日本のスケジュールを優先し防衛戦を行って
いたことでAWAと亀裂が生じ、例の反則暴走からの出場停止、防衛戦ドタキャン
王座剥奪で新王者ニックを指名でハンセン激怒、ベルトの返還に応じず
そのまま日本で防衛戦を行うも、AWAはハンセンを告訴する構えをみせたため
ベルトを破壊して突き返した。
‥‥話が変わってしまって申し訳ないw
シナリオがあるならラリアットは、日本ならベストかもしれないが
米国では誰でもやるクローズラインでも逆エビ固めでも良かったのでは? あのコーナーポストに頭をぶつけて威力を増すボストンクラブ、キニスキーがNWA王者時代に使ってた古典的反則フィニッシュ 末期AWA 事情興味深いです マサ斎藤戴冠事情等教えて貰えますか >>674
ウエスタンラリアットは日本限定のフィニッシュ技なんだよね、アックスボンバーもしかり。
俺がシナリオ書くなら、豪快なウエスタンラリアットでマーテルを豪快に吹っ飛ばし完全KOだわ。
失神したマーテルが担架で運ばれて、AWA最強王者スタンハンセンの誕生。
だけどハンセンはAWAのタイトルなんか興味無いんだよね。 >>676
90.2.10の当初のカードは、AWA王座には藤波が挑戦するはずだった。
しかし腰痛から復帰できず、AWA王座には斎藤が挑戦することに。
NWA戦はフレアーvsムタがWCWのキャンセルで、全日本勢が助っ人参戦
大幅にカードが変更された。
仮に藤波が復帰していれば、鶴田絡みのタッグに出場することになり
どちらにしても斎藤のAWA挑戦に変わりなかった。
王座を奪取した時にはドーム中にウェーブがおこった。
2ヶ月後の4月セントポール大会でズビスコが王座奪還。
翌91年にはAWAは崩壊する。 >>677
> 俺がシナリオ書くなら、豪快なウエスタンラリアットでマーテルを豪快に吹っ飛ばし完全KOだわ。
そんなのはアメリカじゃ受けないから
ホーガンもアックスボンバーを決め技にしなかったんだよ。 >>675
その通り。
>>677
>失神したマーテルが担架で運ばれて、AWA最強王者スタンハンセンの誕生。
人気者マーテルの価値が下がるからダメ。 この時はハンセンは挑戦者だが、悪役王者は善玉挑戦者の格を落とさずに防衛しなければならない
前王者のマーテルの格を落とさずに勝たなければいけない S・B・グラハムは足をロープにかけてサンマルチノにフォール勝ちしてたね
あれ足をロープにかけて何のメリットがあるのか分からんけど >>682
客に「ロープに足をかけてフォールしたから反則だから王座移動はおかしい」と思わせて
サンマルチノの価値を落とさない配慮。 >>682
覆いかぶさってる部分により重みが加わって返しにくいということだろ。
足を高いところに置くと腕立て伏せがきつくなるのと同じ原理。
足を高くして腹筋運動をするときつくなるのと同じ原理。 アメリカのショープロレスはつまらない。
大技の連発で勝つ新日本プロレスこそ最強至極のプロレスだと思う。 >>686
そうだよね。
ここは国際プロレスを語る所だからこれで終わり。 セーラー・ホワイト
公称183cmだが、木村よりデカいな。
https://youtu.be/_l-EI46Pe5c >>688
確かに。
逆にディーン・ホーの188p130kgって実況序盤での説明は嘘だろ
っての動画が以下
https://www.youtube.com/watch?v=hzlUKU0p2yw プロレスラーの身長詐称は有名だよね
長州や藤波はは10cmくらいサバ読んでるよ
175cmの俺と並んだら背丈が同じくらいだった
ラッシャー木村は公称185cm〜187cmだけど
10cmくらいサバ読んでると思う 日本のプロレスは初期、力道山が4pのさば読みしたのでそれに倣って他の選手も4pさば読みで揃えていた
アメリカでさば読みが横行していたのは元々アメリカのプロレスはフリークショー等と一緒に巡業していたから >>688
木村がSTFやってるじゃん。(4分35秒あたり〜) >>692
ルー・テーズ直伝かもね。
テーズは馬場や猪木よりも木村の実力を買っていたから伝授したのかもね。 セーラー・ホワイト来日の頃は、テーズと木村の接点ないと思うけど… >>693
原型じゃなくて蝶野曰く「改良した」型だった。
蝶野が改良したわけじゃなかったんだなw 渋谷東急で開催中の全日本プロレスオールスター展行ってきたら鶴見五郎の日記セットが27万で売ってた >>696
そんなのあったんだ?
今日言ったけど気が付かなかったw 鶴見の日記あったら読みたいな
マサさんみたいに電子書籍で出版してみませんか? 鶴見はメモ魔というか記録魔だから面白い話あると思うんだよな
桜田なんかよりよっぽど良い本出せると思うけど依頼来ないんだろうな 鶴見五郎日記と高杉正彦の山本小鉄ファンクラブ会報豆タンク書籍化希望 >>700
一般的にいうと桜田や高千穂はカブキやナガサキという
米本土で不気味なメイクしてオリエンタルキャラで一匹狼として活躍したっていう
わかりやすく通りの良いキャラがあるから
取次や書店に流した時にも表紙や帯にメイクしたあの姿があるだけでわかりやすい
これは馬之助の自伝なんかでも同じ
プロレス知らないトーハンや日版の窓口や書店の売り場担当に
ある程度の部数引き受けて店頭においてもらうのにはこういうのは重要
アフロヘア―で小太りのおっさんが竹刀持った表紙の
『鶴見五郎自伝〜悪の愚連隊魂(適当』とかじゃ流通も部数取ってくれないし
それで初版千部とかじゃ価格もエライお高くなっちゃう
とはいえ、個人的には出版業界もプロレス業界も縮小した現在では
昔と違って今更桜田自伝と鶴見自伝で昭和のプロレスファンに対して
むしろそこまで実際の需要の差があるとも思えないんだがw
まあそこに至るまでの過程の問題かなと
カブキやナガサキ本や国際本の実績次第では可能性も?ってかんじだろうけど
正直あれらもごくコアなファン以外には別に売れてるってわけでもないだろうからねえ 鶴見の日記はプロレスショップ闘道館で販売したり、オークションに出したりもあったけど全日本プロレスオールスター展にあるって事は今まで売れなかったって事
ドクトルルチャはコピーしたみたいでトークイベントやコラムで引用してる >>692-693 >>695
寝技の体勢からバックを取ってフェイスロックするムーブは
昔から猪木やドリーなんかも見せていたし
テーズもSTFの創始者は自分ではなくてレイ・スチールだと言ってた筈
だからSTFの型自体は
ヘッドロックフルネルソンダブルリストロックといった古典的な技同様
所謂ガス灯時代からレスリングの基本的な動きの一つだったんだろうね 晩年の馬場がSTF使ってたなぁw
川田やジョニー・エースに掛けてた。
あの技は蝶野がメジャーにするまで気付かなかったけど、
グランドの動きの中で昔から使われてた気がする。 鶴見は海外はヨーロッパ、メキシコ、カナダだけだっけ >>707
全日本出場停止処分のときにプエルトリコ メキシコ行ったらみんな体調崩しちゃうのに
鶴見五郎とストロングマシーンだけが増量したんだっけ 鶴見がNWA世界ライトヘビーを奪取したけど試合後の計量でウエイトオーバー発覚して
無効にされたって話が眉唾なんだよな
当時のルチャはタイトル戦はめちゃくちゃ厳格に行われる…ことになってたから
ルードですらタイトル戦では反則負けとかすると出場停止になるから反則しない、という
アングルだったほど
計量なんて試合前にするだろう スレ違いだが逆にそういうことをバンバンやってたのがNWA世界ジュニア
初代王者のプロモーター、オクラホマのレロイ・マクガークが自分の現役時代の勲章として
執着していたのは有名だが
60年代後半から70年代前半にはダニー・ホッジがヒールと抗争する為の小道具としても
役立った
どう見てもヘビー級のヒールが減量したと称して挑戦→反則などでチート勝利→「試合後」
の計量でオーバーウェイトが発覚し、奪取無効→次のビッグマッチでノンタイトルで決着戦
というパターン
「計量するまでもなくヘビー級だろ」「試合前に計量しろよ」と突込みどころ満載の流れw
オクラホマに遠征していた上田馬之助(グレート・イトー)もこのパターンで「幻のNWA
世界ジュニア王者」になってるが
何かの手違いか一部の系譜では正式王者に認定されている >>711
厳格なのはメキシコシティでEMLLの目の行き届いた試合
地方大会で開催される選手権試合だといい加減らしい >>713
すると地方試合でのEMLLに無許可の移動未遂劇の可能性があるってことかな >>712
新日が1987年頃に高田vs越中とかで、小鉄が家庭用ヘルスメーターで計測してて笑った。
トーナメントの時は道場で計量してヒロ斎藤が来なくて
坂口「あいつ今頃カッパ着て多摩川走ってんだぜ」
遅れて来た斎藤が計測機に乗ったら100kgを大きく超えて、針がブレている間に降りたという説と、
坂口が「もういい降りろ」と言ったという二説ある。 そーいやSBグラハムもWWFベルトをぶっ壊す!って感じでやっちゃったんだっけ。
末期に国際にルークグラハムが来日したが、グラハム兄弟コンビでもよかったな。 4年前の闘道館YouTubeチャンネルの動画
鶴見の非常識振りがわかる話
https://youtu.be/kjTsLXsWfpw S藤はセックスが汚くて、不潔なオッサンや。
日本一セックスが汚くて、だらしない。
本当にやらしい奴や。
生活保護の暇人め!
恥さらしやないか、 偉そうに言うな!
感謝と有難みを分かれちゅうねん、このメガネデブ !
今日もウンチ飯と大量のエロDVD買うのか。
毎日暇なんやろう、気持ち悪いオッサンや ルークも短期間はいえ一応元WWA世界王者だったから
末期国際では十分大物だな
グラハム兄弟にはこの手のレスリングブラザースには一人はいる味噌っかすがいない
感じ
逆にバス兄弟なんてロン以外は全部二流というかアラバマのローカルレスラーw >>719
バス一家は二流にも届かない連中ばかりだったね。
某博士のサイトには5人とあるが、かなり前に見た海外サイトでは、女性マネジャーを含めて7人か8人と写真付きで記されていた記憶がある。 ロンバスは全日本行ったらインタータッグ獲得で、スミルノフジョーブルックスより格上にw タッグとしてのバランスの良さでは、バスはハンセンのパートナーとしてはブロディやデビアスよりも
優れていたと思う 全日に、もしもストロング小林が入ったとしたら、
サンダー杉山や本郷篤と国際軍団、またはAWA派のような
グループを作り、全日がNWAとAWAを股にかける団体に
なっただろうか? 吉原と猪木の関係が良好だったら、国際の歴史は全然違うものになってたと思うな。
吉原とヒロ・マツダで設立した国際プロは、東京プロと合同興行でスタート
猪木・マツダを2大エースとしていた。
そのまま猪木を取り込んでいたら、日プロ復帰もBI砲もなかったことになり
その後のNET介入も無く、日本テレビ馬場とTBS猪木の視聴率争い
マツダや猪木はロビンソンやロシモフ、ガニアらと対戦
若手の小林や草津・木村も育っていき、団体として日プロを凌駕しただろう。
実際は、吉原・マツダ・猪木の関係が全て金絡み?で破綻するんだよな。 マティ鈴木がマツダを悪く言ってたね
「国際の負債を背負おうとせず全て吉原に押し付けてアメリカに帰ってしまった」とか
「地元フロリダでもたいして顔が広くなくて良いレスラーを呼べなかった」とか >>727
マツダが負債を背負う義務があるのかは国際との契約書を見ないと判断できないな。
フロリダからいい選手を呼んでたじゃん。
ダニーホッジは東郷よりもマツダルートでは?
じゃあ、マティ鈴木は国際にいい外人を呼んだのか? 「日本プロレス事件史vol.8」マティ鈴木の回顧によると、興行が赤字で吉原は
自宅を担保に金を都合したものの、マツダの負担について十分ではなかったことが
袂を分かつ真の原因だったと。
マツダにしても、安いギャラでリングに上がり、外人レスラーのブッキング料も
取らなかったなど、いい思いをしたわけではないが、それほど赤字が大きかった。
当時、どういう登記だったか不明だが、どちらにも代表権があれば
マツダも応分の負担をするべきだった。
マティ鈴木はそのままアメリカに行き、2年間ギャラの半分を借金返済にあてた。
そんな状態のため、国際プロは広島の乳業会社社長岩田弘氏に
株を譲渡する形で資金援助を受け、岩田氏とTBSの森忠大運動部副部長の関係で
プロレス中継が決定した。 >>729
門もマスコミなら登記と契約内容を確認してから記事にするべきだな。
マツダの住所はフロリダだから登記に載せられるのか? 代表が個人保証つける習慣はアメリカにはないしな。
そういう文化の違いかもしれん。 >>727
無我の西村が生前のマツダに頼まれて鈴木の連絡先聞こうとしたら断られたのは
国際時代のわだかまりがあったからか、流智美の奴それを書かないとはとんだ片手落ちだな >>732
流は、自分が仲介してテーズに大金出してくれたジニアスのことも書かないのはなぜだ?
やましいことがなければ書けるはずだが。 後輩の鈴木が借金を背負ったのに先輩のマツダがバックれたんだから
そりゃ鈴木も怒りは治まらんし今さら会いたくないだろう 流、マイティ井上、マティ鈴木のトークイベント
マツダ自身は金銭出さなかったがマツダ名義でマツダの親族が出資はした
マツダ名義だからマツダにも負債を背負う責任はあるはずと言っていた >>715
ヒロ自身が言ってたけど針がブレてるのを見て坂口が「もうええ、もうええ」と言って
ヒロを下したそうだ 全日本の初期には、マツダも鈴木もシリーズに参戦してなかったかな?
(同時かどうか忘れたけど)
75年にはマツダのNWA世界ジュニアに井上が挑戦しているし、
その場に吉原もいたはず。
マツダと吉原の関係は修復したのかな? >>738
73年のCCではタッグも組んでるよ
タッグマッチ45分1本勝負
ヒロ・マツダ (1-0) ムース・モロウスキー
マティ鈴木 アントニオ・プグリシー
@マツダ(16分19秒首固め)プグリシー 全日初期はマツダ、鈴木、杉山が居た
YouTubeにマツダ&杉山のタッグマッチとかアップされてる
今思い返してみると木村&草津&井上VSマツダ&鈴木&杉山とかやったら観たかった >>738
あの時点で井上をマツダに負けさせたのは
吉原の大変なミス!
ジュニア選手権で負けて井上の格は決まり、2度とエースに持っていけなかった。とも言える >>741
吉原はそういうプロレス的意味合いを察するのが苦手。 新年おめでとう。
今年も国際プロレスについて、熱い書き込みを交そうぜ。 >>742
素人やプロレスファン以下って事になりますが 単独でマッチメイクしても
草津がテーズに無残なKO負けとか
ロシモフ、ゴッチ、ロビンソンの優勝争いをやるお方だからな
「テーズに勝った馬場は凄い」とタダで宣伝しているようなもん >>745
IWAワールドシリーズのロビンソンvsゴッチ戦あたりから
2人の仲が微妙になって、特にゴッチがロビンソンを嫌うようになった。 吉原社長は長期的に考える前に目の前の現金
現金は欲しいけどプライドは人一倍
タニマチになりそうな人を紹介されても上から対応をして結局無かった事に >>747
国際と旧UWFの関係者のインタビューを見て
資金力があっても結局は終わってたんだろうなぁと感じる。 吉原社長って、自身が海外修行の経験あったのかな?
なかったから、プライドばかり先行したんじゃないのかな。 新日や全日と違って国際の新春興行って印象に残ってない。 >>749
海外武者修行経験は無いけど、数少ないアマレス経験者で大卒で力道山がレスリングの教えを乞うた
昭和スポーツ経験者にありがちの理系文系を見下すタイプだったらしい https://pbs.twimg.com/media/ELv8lbhU4AAlp5_.jpg
https://pbs.twimg.com/media/ELv8lfrUwAE03L4.jpg
>第4回IWAワールドシリーズ優勝戦。モンスター・ロシモフを下し、
>4回目にしてついに日本人初制覇の偉業を成し遂げたストロング小林さんに物凄い数の紙テープが舞う。
>この頃の猪木さんは新日旗揚げ直後でTV中継もなく大苦戦していた。
反則&リングアウト勝ちだけどな!そして小林はツームストンでピン負け >>745
ラッシャー木村のオープン選手権、オープンタッグでのドリーファンクジュニアへの2連敗。
2連続フォール負けもありました >>741
力道山13回忌大会でトリプルメインが力道山と繋がりが深かった馬場&デスト、マツダ、大木だから負けは仕方ないよ。
ましてやマツダは井上が国際入りした時の師匠なんだから、初対決でNWA Jr.賭けて井上の勝ちはない。
大物揃いの当日のカードを見れば、井上は大抜擢で馬場の評価が高かったと言える。 >>754
マツダは力道山と喧嘩別れして、全然繋がりは深くないけどね。
前年暮れにはヘビーの世界王者でAWA王者ガニアと引き分けた井上が、ジュニアに挑戦した負けはいかんよ。せめて引き分け >>755
力道山が「俺の目の黒いうちはマツダはリングに上げない」と言っていたとのこと。
力道山にそこまで言わせたのはマツダだけだから、遺恨ぽい関係が深いと言っていいのでは?
ドローじゃ試合が締まらないし、既に井上は国際エースから落ちていた。
井上引っ込めて力道山を知る高千穂、極道、平井あたりとタイトル戦のがいいか? 6日後の17日オープン選手権千葉大会では、マツダと井上は30分時間切れ引き分け
この日は馬場が木村と初対決している。 珍は晩年になってもマツダを悪く言ってたとのこと
BIは自分のリングにあげたんだからそんなに悪感情は無かったんだろう
6 :お前名無しだろ:2016/01/11(月) 13:08:50.66 ID:6O7HJgMJ
FMW後期 ミスター珍さん
正直、昭和レスラー独特のわがままなところはたくさんありました。
しかし時々、しんみりと昔話をしてくれました。
「馬場は、若い頃、セメント強かったよ。あれだけでかいと、決めれんよ。
ヒロマツダは、練習がきつくて逃げたんや。みんな、マツダマツダ言うけど、俺らからしたら、
何がマツダや思うわ。
わしら、どんなに力さん(力道山)の練習がきつくても絶対逃げんかったよ。
大木金太郎が、試合中、変な動きするんや。
どうした?どうした?と話し掛けたけど、返事せんから
金玉殴って、倒してやった。
後で聞いたら豊さん(豊登)に焚き付けられて、セメント仕掛けたと言うとった。
わしもセメント強かったよ。今は見る影もなくなってしまったけど」 >>757
オープン選手権で引き分ける代わりに
武道館では負けを受けたんだろうけど、そういう取り引きに応じてしまうところがなあ。 >>756
マツダの挑戦者はジャンボ鶴田。
メインは馬場デストロイヤー対木村草津。
で良かったよね。 おれの妄想メニューにはまったくないカードだけど
それでいいわ、すごくいい。 >>760
極道vsシャープ兄弟も入れてやってくれ。
マツダ=井上よりも、木村=鶴田の方が問題だろ。 (よそでの扱いが悪かったってぶーぶー言ってんのって国際ヲタだけだよな) >>763
吉原の戦略のなさ、采配に嘆いてるんだよ。 >>756
高千穂も力道山を知らない。
力道山の没後に日本プロレス入門(昭和64年春)
最初に、入門志願に行った時も
力道山が亡くなった直後(64年の1月頃か?)で
「プロレスは、もうどうなるか分からんから
やめておいた方が良い」とか諭されたとか。 >>763 >>764
TBSに打ち切りされなければ弱気な取引することもなかっただろうし、馬場が吉原からの
求めに応じる形で国際と交流する代わりに木村=鶴田とか草津・井上=小鹿・大熊という
結果で全日>国際を印象づけさせた強かさに吉原さんはしてやられた。 TBS時代といえば馬場の友情出場はあったね。
馬場草津対バスチェンミラノ。 >>768
「馬場さん、先に歩いて下さい」と入場時に言って、非難された草津の言い訳は
「欧米では格上が先に入場するもんだから…」
国プロ設立時に馬場と会って「馬場さんは日プロのエース、僕は国際のエース
お互い頑張りましょう」と、まるで同格かのような言い方に馬場も呆れた。
馬場にとって草津は、日プロ時代の付き人なんだよなw >>769
そんなことするもんだからオープン選手権では
白星配給係にされたw 小林vs馬場、井上vs馬場の頂上決戦だと、どんな結果になってたのか? >>772
もちろん馬場vs木村と同じような結果でしょう?全国ネットで放送してほしい、
あのメンバーで手打ち興行を開催したい、ってのは国際側なんだから。 >>773
小林エース時代ならTBSが全国ネットだろ。 >>774
そもそもTBSの中継時代なら、オープン選手権に出るメリットないんじゃないかな? >>141
竹山アナは解説の山田さんにいつも冷たくされてたなw 74〜75年頃にフリーの小林が馬場と対戦したら
どんな展開になるのかな?
大木戦のように短時間でランニングネックブリーカー決着にして
全日本に入団させるか、引っ張って馬場vs小林の抗争を興行の目玉にするのか
フリーのまま鶴田のライバル(ロビンソンのパターン)にするのか‥ >>775
女子プロレスの話だけど、他団体に対して上から目線で
都合のいいカードを押し付けていた全日本女子プロレスが、
フジTVに放送を切られて不渡りを出し、選手離脱などで
弱体化した途端、エース格だった豊田真奈美がガイアの
長与に、井上京子がJWPの福岡にと、他団体の選手を
相手にバタバタと負け試合を見せて、団体の力関係って
こんなにあっさりと勝敗に現れるものかと思ったことがある
新日の選手がノアやK1相手にボロボロ負け役をやるのは
もう少し後のことだった >>777
猪木vs小林戦の前か後で違うと思うけど。 馬場vs大木、馬場vsロビンソンの肩透かしな結着も
「相対的に猪木に差を付けたい」という小学生みたいな
目先の意地わ優先させてしまった結果だからなあ
徳光の漫画で馬場信者が
「その時その時は間違っているように見えても、長い目で
見たら必ず正しい、それがジャイアント馬場イズムだ」
と言っていたけど、むしろ「その時その時は正しいように
言われていたのに、長い目で見たらたいてい間違ってる」
のが全日馬場の事績のように見えてしまうという気も 1月19日
マイティ井上 対 ドクトル・ルチャ
『望郷の国際プロレス・至宝再会!IWA世界ベビーベルト復活祭』トークライブ&サイン&ベルト撮影会
https://www.toudoukan.com/s/page/$/page_id/4769/
皆さんは参加されますか? >>781
> 馬場vs大木、馬場vsロビンソンの肩透かしな結着も
どっちも完全フォールで決着付けてるのに肩透かしという表現はおかしい。 >>777
>>779
仮の話だが、74年フリーになった小林が
猪木の対戦の前に馬場に対戦を
求めても、馬場は「まず鶴田と戦え!」
と言うと思う。
で、鶴田に勝った小林と対戦しても、
一蹴するだろうな。
あと、>フリーのまま鶴田のライバル
鶴田に星を返してもらい、
用がなくなったら、ポイ!
タッグパートナーがいないと
全日では使いにくい。 >>784
仮の話としても
小林は猪木の挑戦と言う形にしただけで新日に引き抜かれただけだから
もし全日だったら挑戦という形を取らず、普通に全日に入団してただろ。 >>785
入団というのは、どうなのかな?
サンダー杉山みたいに国際プロレスを
円満に退団して、全日に入団?
それだと、馬場の配下(部下)に収まると言う感じでしょう?
建前だけでも、国際を飛び出し(フリーとなって)、背水の陣で
馬場、猪木に挑戦するという心意気があったから、
ファンも期待した。
それが、IWA王者がベルトを捨てて、
全日に入団というのは?
まぁ大木もそうじゃないか!?と言われそうだが、
状況が違うし。 >>786
全日が引き抜くわけがないんだから
これ以上考察しても無駄だよ。 小林の国際離脱は小林の一存だけで行ったわけじゃ無い
小林と草津の確執をみて清美川が暗躍して新日に手引きした >>786
>>787でこれ以上の考察は無駄と言っておいてなんだが
「国際では全てやりつくした。世界の最高峰NWA王者に挑戦するために
全日本に入団したい。」というのはどうだろうか。 与太話だけど
小林が全日に上がるならマツダ、鈴木、杉山と結託
馬場と吉原社長の蜜月期だから両団体を股にかけて暴れる「はぐれ国際軍団」を結成 小林も剛も国際から新日にただ転職しただけだからね
小林はIWA世界タイトルを、剛は将来のエースの座を
捨てても構わないくらい国際はギャラが安すぎたとか
高杉の話だと入門した頃にはすでにギャラの遅配が起きていたとか
国際は一体何がダメだったのか?!って話だよね >>791
馬場、猪木に挑戦するといって実際には新日の引き抜きだった。
全日が引き抜く際にもそれに匹敵する大義名分が必要だろ。
これが妄想と言うなら、考察と妄想の違いを教えてくれ。 >>793
井上は新日に行かず全日に行った時「マスカラスと闘いたい」と言ってたな。
だから「国際では全てやりつくした。世界最高峰NWAに挑戦したい」はいい文句だと思う。 馬場も「小林のは挑戦ではなく新日が小林を引き抜いただけだ」と言わなかったのは
それを暴露するのは業界のタブーだってことなのか >>795
新日の指令で小林が「馬場猪木に挑戦」という形を取っただけに、「これは引き抜き」と告発したら効果はあったと思うがね。
ちなみにTBS時代の小林が馬場と対戦したら、
3本勝負で小林も1本取って面子を立てて、
最終的には馬場勝利という、穏やかな試合になったのではないか。 >>796
3本勝負でも馬場が日本人レスラーにフォールを取らせるとは思えないなぁ >>796
だからTBS放映時代にそんな試合して負けてもメリットないからやらない。アホなのかな? >>798
現実味のあるなしではなくて、「やるとしたら」って話だから。
それとTBS時代と言っても、平日昼間の放送にまわされた1973年なら事情も違うしね。
小林も負けブックつくようになってたし >>797
仮にやるとなると1本勝負になるだろうと思う。日本人ではないが日プロ時代の兄弟子
大木とは一度も3本勝負やらなかった。 >>800
それでも73年の小林木村戦は3本勝負。
76年の鶴田木村戦も3本勝負。
国際吉原の好む形式ではあった。 それにしてもグレート草津は顔がデカくて気持ち悪いな
コイツがエースになることなんて絶対無いわ >>801
馬場が3本勝負ならやらないと思うだけどね。猪木もやらなかったでしょ。 >>802
顔がデカくて気持ち悪いはエースの条件だろ。
馬場、猪木、小林、木村、鶴田、ホーガン、フレアー・・・ >>804
でも草津の顔は受け入れがたい
ハロウィンのカボチャが浮いてるみたいだ 馬場はインターでもPWFでも2−0の
ストレート勝ち防衛(それも2本ともフォール)が
結構あるんだよね。
C・マルコフ、P・田中、B・マリガン、O・ベーカー。
愛想がないよww
S・小林と3本勝負をやっても容赦しなかったかも知れない。 >>805
草津、大剛、浜口、大位山、米村は似てるよな。 猪木は若い頃に顎について悩んで医者に相談したが
「あなたの顔は一度見たら忘れない。人気商売にはもってこいの顔だ。」と
励まされたそうだ >>804
その中でも、全盛期の猪木は
さすがに顎はデカいが、鍛えた身体
からすれば、特に広い肩幅からして
顔がデカいとは言えないよ。
均整がとれている。
だからスターになれた。 >>803
だからこそ吉原としては「3本勝負で小林にも1本取らせて花持たせてくれ」という交渉をしないとな。
馬場は1本勝負だったら勝ちを譲らないだろうし。そうなれば1本もらって負けの方がいい >>806
リングアウトも許さなかったかな
両リンからの2−1ぐらいかな 12チャンネルだったから、吉原は木村を全日のリングに上げて馬場に負けるブックを選んだの。
TBSが放映してるのに、小林をわざわざ全日のリングに上げて負けブックを組む理由はないの。 >>811
地方の大会だとシリーズ3番手くらいの
相手のシングルマッチでストレート勝ちの
場合、一本ピンフォール一本反則というのが
よくあったからそのパターンかも。 全日の馬場はPWFをタイトル化してから、三本勝負での負け方は
1973年
ブッチャー 体固め
ブッチャー 体固め
オコーナー エビ固め
ドリー 体固め
レイス 体固め
エリック 片エビ固め
1974年
ブリスコ 4の字固め
レイス 体固め
ドリー 体固め
キニスキー 体固め
ブッチャー 体固め
モラレス 体固め
テリー 体固め
ブッチャー 体固め
ブッチャー 体固め
マードック 体固め
ブリスコ 片エビ固め
…と、この二年間でタナカ、マルコフ、ベーカー以外にはすべて
三本のうち一本はピンフォールを許している
以後もタイトルを奪還できなくなるまで、2-0のストレート勝ちは
75年のベーカー戦一試合しかない >>799
それだけに馬場に草津の前を歩かせる事の出来た1972年末の力関係が興味深い >>815
全日は旗揚げ直後で、杉山を譲ってもらったり、
肥後を借りたり、井上寺西に出場してもらったりで、国際には恩がある立場だったからね。
1974年3月には小林離脱、TBS打ち切りで苦しい国際に、馬場がシリーズに助っ人参戦しているけど、この間に力関係が逆転したね。 74年も色々あったね。
王者小林の離脱から始まり、TBSの放送打ち切り。
凱旋帰国直前の大剛が高速アイスバーンの交通事故で右足を切断
レスラー生命を絶たれることに。(同乗のデビル紫は軽症)
このピンチに全日本の馬場が大熊・高千穂・クツワダの4人で約2週間に亘り参戦した。
6月のシリーズにはアンドレが序盤1週間に特別参加
マスコミには「ビンス(シニア)には俺が話を付けた。俺はギャラなんていらない」と
吉原を泣かせるような発言をしている。
実はアンドレは3月19日猪木vs小林戦の控室に訪れた親友のマイティ井上から
古巣国際の窮状を聞いていた。井上と小林はニアミスだった。
秋からは東京12チャンネルでレギュラー放送が始まる。 小林は顔がちょっと猪木に似ているからな。
そういう相手に対しては馬場はピンフォールは取らせないだろう。
猪木がパクソンには一本もやらないみたいなもんだ。 >>818
そうかな。
猪木は馬場と同タイプのアニーラッドのカウンターキックでピンフォールされてるけどな。
後タッグだが、ますくとスーパースターの
フライングネックブリーカーでフォール取られてる。馬場の技が猪木に効くwと思ったよ 馬場は、猪木がロビンソンとフルタイムだから、短時間でロビンソンに勝って馬場>ロビンソン=猪木を印象付けようとした。
ハンセンは猪木にフォール勝ちできなかったが、馬場はハンセンにフォール負けしたため、ヘエ〜って思った。
猪木が天龍にフォール負けで、星を返して貰わなかってのも驚いた。
この辺りの印象戦はどうなんだろう? >>814
あと、B・マリガンにもストレート勝ち防衛をしている
1974年11月7日沼津大会
馬場(体固め10分2秒)
馬場(片エビ固め2分15秒)
ストレートでフォール負けするなんて、
挑戦者の資格がないと思うよ。
それを選んだマッチメーカーにも責任があるな。 馬場にとってはアメリカで実績のあるマリガンも評価に値しないレスラーって事かな
ケンカは強いがレスリングがダメと言えば桜田みたいなタイプだったのかな
馬場の勝手な判断だから他の評価は違うのだろうが >>822
菊池か竹内かどっちかの本で
「新人のボブ・ウィンダムは素晴らしかったが
ブラックジャック・マリガンは愚鈍な中年レスラーと化していた」と記述があったし
後に新日に来た時も大会場での試合から外されたりしているな>マリガン ハンセンが突然マリガンを襲ったりして「??」だった
新日の闘魂シリーズ1977だったけど、そんな事情が
あったのか >>822
> ケンカは強いがレスリングがダメと言えば桜田みたいなタイプだったのかな
どこの誰がそんなことを言ってたんだよ? >>824
マリガンが試合を外されたのは1983/2/8の大阪府立体育会館だよ
流が当日にインタビューしたら凄く不機嫌だったと書いていた マイク・ジョージが国際軍と結託して乱入したシリーズか
この府立の試合は恐ろしいほど記憶にないなあ
新日本プロレス 新春黄金シリーズ第33戦 大阪府立体育会館
試合開始18:30 観衆:9000人(超満員)
タッグマッチ60分1本勝負
アントニオ猪木、坂口征二(13分35秒反則)ラッシャー木村、アニマル浜口
45分1本勝負
藤波辰巳(14分9秒反則)マサ斎藤
WWFジュニアヘビー級選手権試合60分1本勝負
タイガーマスク(16分50秒エビ固め)小林邦昭
※ タイガーマスクが16度目の王座防衛。
60分1本勝負
ハルク・ホーガン(7分21秒リングアウト)キラー・カーン
タッグマッチ30分1本勝負
○木村健吾、木戸修(13分48秒エビ固め)●剛竜馬、寺西勇
30分1本勝負
マイク・ジョージ(11分35秒体固め)藤原喜明
タッグマッチ30分1本勝負
カルロス・ホセ・エストラーダ、○ブラック・タイガー(11分14秒体固め)●クロネコ、グラン浜田
タッグマッチ20分1本勝負
○星野勘太郎、栗栖正伸(11分6秒体固め)力抜山、●崔
15分1本勝負
高田信彦(12分27秒逆さ押さえ込み)山崎一夫 >>823
馬場も著書(多分「たまには俺もエンターテイナー」)で
マリガンを「イージーな中年レスラー」と酷評していたと
記憶している。
ボブ・ウィンダムとして、IWAタッグを奪い、
シリーズ中に3度も防衛したのは立派だが
「新人にしては」の前置きが入る。 マリガンと次男のケンドールは確か
偽札作って逮捕されたと思うんだけど
ケンドールはその後も全日本に来日したな。
そんな結構な犯罪犯してまた日本に入国
できるものなのか? マリガンもだが、マルコフ、ベーカー、タナカといったB級相手にPWF戦を敢行し、
ことごとk2−0のストレートで降してた(んだっけ)馬場の、ストイックなまでの権威主義。
名の無いものはおのずとその地位に甘んぜよとばかりの無愛なスタンス。。
でも国際じゃベーカーやタナカ(日本リーグだけだが)って割とそのキャラを前に出して
活躍したんだよね、っと。 マリガンは73年のIWAワールドSの決勝で木村に負け、公式戦では草津にもフォール負けしている
全日への登場はそれから僅か1年後で、木村と草津は若輩で北米での試合経験もない井上に追い抜かれていた
この状況で馬場がマリガンに1フォールも許せないのは当然
逆に2-0で勝つことによって、格の違いを強調するマッチメイクをしたということ
ただ国際とは協調関係だったから、小林離脱後すぐに木村がエースになっていたら、1フォールは取らせていたかも知れない
マリガンがダメだのというのは後付けの理由で、タイミングに恵まれなかっただけ
あくまで日本限定の話だから、本人はたいして痛くもかゆくもないだろうが 馬場が日本プロレス時代の1971年
猪木のライバルであるマルコフの挑戦を受け
インター戦で2−0ストレート勝ちしたのも
猪木との格の違いを見せつけた、とも取れるな。 そんな話だと、まさに75年末の猪木VSロビンソン引き分けからの翌76年の馬場VSロビンソン完全勝利なんて
あてつけ以外の何物でもないが、ファンの目でも何かしらの含蓄のある見方はしていたんだろうかねえ。 >>834
猪木も馬場のライバルのプラッシーに
ストレート勝ちしてる。
インターに挑戦したイワンコロフに30分1本勝負でアッサリ勝ったり、猪木は猪木で色々やってたよ 今は亡きプラッシーって昔はお米屋さんでしか買えなかったな >>833
でもこの時のマリガンはタイトル挑戦があっただけマシともいえる。
次の77年新日への来日では、シングルタッグとも
ハンセンに挑戦権を奪われ、83年の来日では
ホーガンのかませ役。 馬場はダニーホッジに一度も勝っていないのが興味深い >>834
>>836
ストレート勝ちとか本人が決めるんじゃなく、当時もマッチメイカーが決めていたんじゃないのか?
馬場ブラジルと猪木マルコフの組み合わせにして猪木優勝とか、猪木デストロイヤーと馬場ブッチャーの
組み合わせにして馬場優勝とか、当然だけどマッチメイカーが決めていたんだと思うんだけど? >>836
S・B・グラハムがWWF王者として来日した時に
猪木じゃなくて坂口に挑戦させたのは
「井上に負けたグラハムに猪木が勝てないというわけには行かない」という
理由だったと言われているね >>843
75年の猪木vsロビンソンのフルタイムの前年に井上vsロビンソンが30分?フルタイムやってるんだよな。
井上=ロビンソン=猪木となることを新日は考えなかったのか? >>844
だからか、猪木とやる前にストロング小林にロビンソンと戦わせて完敗させてる。
国際時代にロビンソンと引き分けてた小林が完敗することで、上下関係は作れた。
ちなみに75年暮れの時点で井上は、マツダに負けたり、オープン選手権で前年には勝ったラシクに負けたりしてるし、あまつさえ国際のシリーズではピエールマーチンにも負けてたので、あまり問題にはならんかと >猪木とやる前にストロング小林にロビンソンと戦わせて完敗させてる。
>国際時代にロビンソンと引き分けてた小林が完敗することで、上下関係は作れた
そういうのも含めて井上って猪木新日嫌いなんだろうね。 >>846
第1次Uで高田がマーク・ルーインに勝って、新日、全日が嫌がった。
井上がIWA戴冠前にホフマン、ラシクに勝ってロビンソンと引き分け、
戴冠後にニック、スティーブンスに勝ってガニアとドローも新日、全日は嫌がったのでは?
藤波がイワン・コロフにドラゴンスープレッスで勝ったのも全日、国際は嫌がったと思う。 井上は国際崩壊後阿修羅原に「新日に行ったら利用されて終わりだよ」と言ったそうだが
木村浜口寺西の三人は新日に行って正解だったよな、小林は本人の格だけでなく
国際という老舗団体の元エースという肩書をすら貶められて終わったけど >>848
1981年当時だと移籍の前例が小林と剛だからそう言われてもしょうがない
むしろよくあの3人は新日移籍を選択したよ >>847
マーク・ルーインは、全日初期のエースだったが、
新日には未来日だから、新日は嫌がらないと思うが?
だいたいこの時のルーインはもう衰えていたし、
UWFはノーテレビで、後楽園でやった高田戦は、
そう広まらなかったのでは?
それを言うなら、国際のエース外人が、全日で
せいぜい準エース、中堅にしか使われないのが残念だったよ。
Oベーカー、スミノロフ、ロビンソンだって、
あっさり馬場に負けたし。
藤波に秒殺されたイワン・コロフについて言えば、
その2年程前にカナディアンバックブリーカーで
ギブアップ寸前になった猪木の方が面目が立たないww。 >>850
ルーインが高田に負けた時には雑誌でも結構採り上げられてたよ。
週プロなんか含みのある書き方してた記憶がある。 >>850
藤波に秒殺された試合はカネック逃亡によるダブルヘッダーだったし、
この時期のコロフはウェイトダウンして本来の調子じゃなかった。 >>852
それにしても、コロフという人選は如何なもんだろう。
ロン・スターでよかっただろう。 その手のブックでいえば、旗揚げ直後の国際プロレスこそが業界を混乱させたんだよ。
日本プロレスでシングル無敗のハンスシュミットやワルドーフォンエリックが、新人の草津や木村、ジュニアの田中忠治に負ける始末 >>848
> 木村浜口寺西の三人は新日に行って正解だったよな
ジャパンプロレスとUWFができなかったら
いずれ小林みたいにされてたと思うぞ。
剛は元々過大評価だっただろうから落ちぶれたのは仕方がないと思う。 >>850
ルーインと高田の試合は動画で見たが
どう見てもルーインの方が強そうだった。
高田が細くて弱弱しく見えたのもあるかもしれんが
ルーインがそれほど衰えたようには見えなかった。
ミサイルキックからのアームロックっていう、取ってつけたようなフィニッシュで
実際に見てた人は、UWFの思想に洗脳されてない限り
本当はどっちが強いかわかってたと思う。 >>856
この試合は俺も後から見たけど、
高田はやたらイキッて無駄にステップ
踏んでるけどあんまりルーインへの
接触は無い。
ルーインは動揺する事無く淡々と試合
をこなしている感じ。最後も唐突。
高田が強いなんて印象は全然残らない
試合だな。
同時期に既存の大物から次々に白星を
あげて行ったコブラと被る。 新生UWFやUインターでのバックランドへの仕打ちといい
高田は過去にネームバリューを持つ大物レスラーに勝つことで
己の格をムリヤリ上げる強引で卑劣な印象をもったな
宮戸だけの差し金じゃないんだろうけど
Uインター旗揚げの時、新生Uで前田に勝った事のある
日本人レスラーは高田だけだみたいなやり方で盛り上げようとした
Uインターのフロントの人格は目を疑った >>858
過去にネームバリューを持つ大物レスラーに勝つのは大仁田もやってる。
シン、レオン・スピンクス、天龍・・・
テリー、シークには勝ったっけ? >>859
大仁田が天龍をフォールしたのは、天龍が猪木をフォールした直後だったから価値があったよな。
あの時の天龍は新日から切られるのが決まっていたから、あのブックを飲んだんだと思うけど。 大仁田とUインター以降の高田は団体のトップだから仕方ない。
そこまでに積み上げてきたものがあったし。
ルーインに勝った当時の高田は団体のトップどころか、下から二番目くらい。
移籍前の新日でも若手のホープに過ぎなかったから
旧UWFのやり方は露骨過ぎた。 国際がTBS初中継で草津をテーズに勝たせていればメジャーになれたかも
という議論は昔はともかく今では失笑されて終わる
その後の草津の体たらくを見ればそんな茶番ブックでは
あんな二流レスラーで馬場猪木に対抗出来るわけがなかった まあ昔からある手法だよな
他団体で功績のある移籍選手をを片付ければ自分たちの格が上がるという
昔はちゃんとシリーズで流れがあって最終戦でエースが、という風だったけどね 開幕戦でいきなりテーズに勝つってのが無理があり過ぎ
1シリーズかけてタッグでクイック勝ち、ノンタイトルシングルで外国人が乱入からの草津勝利
最終戦のタイトルマッチで奪取位じゃないと >>864
しかも当時の草津はデビューから2年も経っていない
無茶すぎるわな
エリートだった馬場でもきちんと海外遠征して売れて凱旋帰国だったからな >>862
当時のTBSにはラグビー神話でもあったのかな、
まあ時代の先端を言ってたともいえるが。 もともと第一戦でいきなり勝つ予定じゃなかったんじゃなかったっけか
一般的に草津失神事件について言われているのは
・TBSに実権を奪われ社長からも降ろされてしまって不満の吉原
・草津ごときに負けろと言われて怒り心頭のテーズ
・日プロから大木金太郎を引き抜く算段をつけたグレート東郷
の思惑が一致して、「三連敗はするものの徐々に善戦する草津が
四連戦の最終戦で涙の戴冠を果たす」…というTBSの当初の計画を
こっそりブチ壊してしまう密約をしたという話だと思った
第一戦はもともとテーズが勝つことになっていたし、当時テーズは
バックドロップかリバースバックスラム(投げっぱなしパワーポム)で
一本目を取り、やられた相手は半失神で二本目を放棄する、っていう
スタイルを格下相手の防衛戦の定番にしていた
だから、まずその「いつものやり方」で草津を片づけるけれど、その
テーズのルーティーンを知らないTBS役員がオタオタするのに
付け込んで、以降、草津→杉山→豊登と挑戦者をとっかえひっかえ
して、いよいよ人が尽きた第三戦の会場・宮城にさっそうと現れた
大木金太郎が挑戦を表明、急遽第四戦は大木が挑戦して涙の戴冠、
以後大木がTBSプロレスのエースとして馬場・猪木と対抗し、東郷と
吉原が現場のかじ取りをTBSから奪い返す、という計画だったという話
東郷が草津がフラフラになってるのをフォローもしなかったのは
第一線の時点で大木の引き抜きが決まっていて、しかし第三戦で
乱入する以前に圧力で潰されたゴタゴタノ現れだったとか >>837
>今は亡きプラッシーって昔はお米屋さんでしか買えなかったな
まだ売ってるよ TBSをもってすれば一夜にスターを作り上げるのは簡単なことと言って
草津をエーススターにする目算だったんだな >>867
しかし3連敗して4度目の挑戦があるというのも
よく考えたら滅茶苦茶なストーリーだなw 猪木は一敗して一勝してまた一敗、しかも猪木はリングアウト勝ち
ただし後のタッグ戦でピン勝ちできたんだっけ
マイテイはグラハムに二連敗して三戦目で初勝利 俺の中では草津と坂口が被るんだよね
団体のエースより二番手を好むタイプ
体がでかくて身体能力は高いけど地味で不器用 草津と坂口
共に出身が九州。
1942年2月生まれ(水瓶座)。
早くも高校時代スポーツで注目された
と共通点が多いな。
あと、息子が格闘技をやったことも。 >>871
井上はグラハムに2連敗してないでしょ。負けの後引き分けじゃなかったか。3戦目で勝利で >>872
草津は適当に器用だったけど。
ドロップキック、ジャーマン、ジャパニーズレッグロール、一通り何でもやれてたと思う。
坂口はドロップキックできなかったけど。 草津は坂口と同い年で風貌が似ていたせいか、かなりライバル意識はあった。
プロレス夢のオールスター戦で対戦が決まっていたが
負けブックだったので故障を理由に試合を拒否したとか。 木村小林は木村のフォール勝ち、坂口草津は坂口のフォール勝ちで
イーブンにしようと思ってたのかな。
しかし草津の対戦拒否で、木村と小林の決着を曖昧なリングアウトにして
調整せざるを得なかったのかも。 >>875
草津は風貌は坂口似だけど
そういう面では劣化鶴田という感じだな。 坂口はガチガチで硬い感じ。体も硬そう。
草津はふにゃふにゃした感じ。けどアキレス腱切るなど、実は体硬そう。 >>877
坂口に間違われるのを嫌がってた草津が坂口に負けるのは嫌だろう。
「偽坂口が本物に負けた!」とか揶揄されそうw >>876
オールスター戦ではタッグ結成で坂口、草津>戸口、羽田でよかったと思う。
新日vs国際の対抗戦時には両リンでいいと思う。 新間に舐められまくっている
この後から2年持たずに潰れる団体だからしょうがないが
『櫻井さん、私は一歩下がって5割欲しい。新日本が5で全日本が3、国際が2だ。
いま、一番、団体として勢いがあるのは新日本だから。
しかし、今回、馬場さんのオールスター戦に気持ちよく引き受けてくれたことに対して、
誠意をみせなきゃいけない。だから、キップの配分は4:4:2という形でどうですか』と言った。
それで売り場も新日本、全日本、国際の売り場を決めて分けようということを提案した。
そのあとで三者(新間、米沢、鈴木)が集まった。
でね、私が「キップの配分を4:4:2だと言ったら、国際の鈴木が立ち上がって猛反対。
『冗談じゃない。オールスターというからには3団体が出るんだから平等にやってほしい』と。 馬場猪木木村対ブッチャーシンジョー。
鶴田藤波原対戸口斎藤フジイ。
3団体イーブンならこんな感じになったのか。
やらなくてよかったね。 オールスター戦や草津のボイコットがカードにどう影響したかで
盛り上がってたのはこのスレだったか
【竹下民夫】国際プロレスpart18【飯橋一敏】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1550362250/ >>883
シンとジョーって全日で組んだことあったかな?
ブッチャーとジョーはすれ違いだったと思うけど >>883
鶴田・藤波・井上vs戸口・斎藤・藤井orヒトorセキor横内
長州・浜口・天龍・原をシャッフルでのタッグマッチ。 天龍はオールスター戦の時、海外遠征中だから出なかったんだろ?大成したからって後出しジャンケンだな。 >>883
メインで、三団体のエースが、
それぞれの敵役と6人タッグで対戦って、
2011年のALL TOGETHERだよね。
棚橋(新日)&潮崎(NOAH)&諏訪魔(全日)対
中邑&杉浦&KENZO >>889
国際から2人出ていて、1人の全日が負け役なんてあり得ない。原は寺西を、星野は木戸を、同じ団体が勝ち役と負け役やっただろ? >>885
何度も組んでるよ。
少なくとも4シリーズで一緒になっている。 >>885
とりあえず85年の新春シリーズで、馬場&カブキ&渕vsシン&ジョー&鶴見だかのテレビマッチがあったはず >>888
諏訪魔が中邑&杉浦とやった唯一の試合でもあるんだよな
入場は棚橋でコールは諏訪魔がトリ
そしてどちらも真っ先だったのが潮崎 >>886
小鹿星野浜口対大熊山本寺西
パートナー分断マッチもやったら良かった >>894
そりゃ小鹿大熊対星野山本が一番面白いに
決まってるよ!
でもそれはできんだろw
第一国際関係ないしw 馬場&猪木 vs 木村&小林
藤波&鶴田&マスカラス vs ブッチャー&シン&カネック
坂口&草津&羽田 vs 斎藤&戸口&高千穂 草津は出場拒否せずに色々あった小林とやって欲しかった。
テーズに裁いてもらうということでw そりゃ無理だろ、木村小林戦を熱望したのは国際側なんだから。 オールスターのブックは誰が書くのかな?
対抗戦になると団体同士で決めるのは想像出来るけど、揉めるだろうなぁw
まさか東スポは口を挟めないだろうしね。 >>899
違う。
櫻井「当初、坂口vsR木村だったが、猪木が「小林の方が因縁があるから面白い」と言い、吉原が了承した。 >>900
マスカラスとマサ以外、タッグ戦は全部団体内決着だったでしょう?
>>901
坂口相手だった場合、木村は勝ちブックもらえたのかな?引き分け決着はないだろうし。 木村×坂口はどんなブックにしても難しいだろうな。
すでに木村は鶴田と引き分けてるから余計に。 壮絶な肉弾戦の末、両者KOの引き分けが落としどころ。 >>903
79年だったら反則絡みかな?
どっちにしろクリーン決着はなさそうだ。 根本さんがインタビューで語っていたけど、オールスター戦に
ついては国際はほとんどカヤの外、全日と新日が勝手に話を
決めてから国際に一方的に話を降ろして来て「飲めなければ
出なくていいよ」のスタンス、吉原さんどころか鈴木さんたち
他の営業部員まで「もういい!俺は行かない!」と激怒、
とうとう何の肩書もない営業三年目の根本さんが代表として
新間倍賞大峡米沢飯山といった海千山千のいる会議に
参加することになっちゃってるんだから何にも言えない
そんな中で決められたカード編成について、櫻井康男が
「ラッシャー木村と小林の対戦は国際側から要望があった」
と言っていたから、これは木村が勝つこと前提、新日も今の
小林なら負けてもダメージはないと判断したんだろう
しかしそこで、それまで全日のオープンタッグとかには
木村に次ぐ副将格で出ていた草津を坂口に負けさせろ、
とセット売りを仕掛けてくるのが新日だよなあ
草津はこの年の1月に、浜口とのIWAタッグ王座をなんとヤマハに
奪われている体たらくで、ある意味新日の小林より格が下がった
状態なんだから文句を言えた義理じゃ
ないとも思うんだが、そこで
ゴネちゃうのが草津たるゆえんw 当時の力関係からしたら国際が屈辱的な条件を呑まざるを得ないんだろうけど、
もしプロレスの仕組が晒されてないこの時代に
国際だけオールスター戦に参加しなかったら、世間の評価はどうなっていたのか?
どんどんマイナー団体に突っ走っていくのか、
「まだ国際の木村がいるぞ」と、希少価値になっていたのか…
な訳ないなw 当時少年ファンの私は坂口草津見たかったな 草津はわりと器用だが坂口が不器用だから両リン決着でも納得 草津負けならアクシデントによるリングアウト負けなら納得
草津はだらしない やっぱり偽坂口 >>906
> 草津はこの年の1月に、浜口とのIWAタッグ王座をなんとヤマハに
> 奪われている体たらくで
草津自体はフォールを奪われていないから
やっぱり負けるのは嫌だったんだろ。 オールスター戦代替案
・バック・トゥ・ザ・1973 木村&小林&草津VS坂口&大木&上田(両チーム仲間割れの為無効試合) >>903
木村vs坂口は場外で小林、剛が木村襲撃、国際側から草津、井上応戦でノーコンテスト。
さっきタッグ組んだ浜口と長州も大乱闘で新日vs国際開戦かな。 >>906
>「ラッシャー木村と小林の対戦は国際側から要望があった」は違う。
Gスピ20での櫻井「当初は坂口vs木村だったが、猪木が小林の方が遺恨があるから面白いと言い、吉原も了承した。
馬場は健吾&星野vs極道は星野と極道に日プロ崩壊時の遺恨があるからダメなど遺恨がある者同士の試合はNGだったが、
猪木と吉原はOKだった」 >>911
オールスター戦前からとっくに開戦してるだろw 当時は中学生だったが、シンとブッチャーが組むってのがとにかく驚きだったな。
当時の中学生はみんな、シンもシークも本当に狂っていると思って疑わなかった。 ブッチャーシーク組(日本だけ幻チーム)初タッグのように、
初めてかめったに見られない新鮮なものだからオールスターなんだろうに。
だったら坂口対木村のほうが良かった。
後年IWGP予選で坂口対木村を生でみられて興奮した。
まあ凡戦だったけれどもw 国際のレスラー前歴
・大相撲
・柔道
・アマレス
・ボディビル
・ラグビー
・野球
・アメフト
・海上自衛隊
・電気技師+湾岸労働者
・フランスの不良崩れ
こんなとこ? >>914
> 当時の中学生はみんな、シンもシークも本当に狂っていると思って疑わなかった。
ご機嫌な中学生ですね
何となくプロレスの仕組みも
分かってますよ、普通は 外人選手では全日からはブッチャーとマスカラス、新日からはシンが参加したけど
国際からは外人選手の参加は無かったな。 維新軍に加入以降だけど、猪木と馬場から称賛されたのは浜口だけだよな。
猪木は新日の若手に交ざって声を張り真剣に練習する浜口を見て、
「お前ら、浜口を見習え!」と激を飛ばしているし、
対抗戦で鶴田に全力でぶつかる浜口の気合いに満ちたファイトスタイルを
解説席の馬場も褒めていた。 >>919
シリーズ開催中かどうかの問題があるから仕方ない面もあるし
誰を呼んでもブッチャーシンマスカラスよりは何枚も落ちる面もあるし >>921
嫌がらせでキューバンアサシンとか
チンリーとか参加をねじ込めば良かったんだよ。 >>922
却下されて終わりだろ。
嫌がらせできるほどの力も国際にはねえよw >>922
その人選は極端な例だと思うが、
オールスター戦自体はメイン外人が3人だけで少なくて華やかさが足りない。
前座にも外人のタッグが欲しかった。新日全日国際から一人づつのトリオが
国際外人トリオと戦う第5試合とかあればよかったと思うな。
そのうち一人はワイルドヌウでいいし。 >>924
長州石川寺西1−0スミルノフジョーブルックス
〇長州 体固め ジョー
なんてカードと結果にされそう >>925
このころの長州だったらそれはないだろう。
〇スミルノフ 体固め 寺西● が妥当。 しかし特にオールスターという感じもないなw
国際だけの外人では今ひとつね。
全日新日来日組でいうと
ボボブラジル、マスクトスーパースターがいるから、これにスミルノフをからめるくらいはしてほしい >>927
ブラジルは、なぜかバトルロイヤルに入れるプランもあったらしいね。
武道館で観戦していたようだけどw >>928
バトルロイヤルにミスター珍を入れるべきだった。 ハリウッド・ブロンドスやカルロス・コロンも来てたね。 どうせならオールスター戦でメモリアルマッチもやってほしかった
吉原&鈴木&珍&長沢VS芳の里&豊登&遠藤&トルコ “日本プロレス史上最悪チーム” 芳の里&豊登&遠藤&トルコ ゴングのマッチメイク予想では、
大木対スーパースター
ラッシャー対ブラジル
鶴田対ブッチャー
坂口対シン
BI対ファンクス
とあった。最初の二つと最後は
兎も角、坂口な鶴田はなんでオールスター
戦で普段やっている相手とやらなきゃならんのか? 当時はまだ日本人対外人対決が主流だった。
ゴングもその流れでカードを予想したのだろう。
考えてみると外人外して、タッグとはいえ
日本人対決に絞ったのは主催側の英断。
よく実現できたものとも思う >>933
>鶴田対ブッチャー、坂口対シン
これはタッグを組ませて坂口鶴田×ブッチャーシンにしたいのがやまやまだが
それやると、BI対ファンクスが霞んでしまうからだろうな、と推測。 ・木村&坂口&鶴田VSブッチャー&シン&スミルノフ
・マスカラス&藤波&原VS斎藤&戸口&高千穂
国際忖度版 ブロディのギミックの元になった1人と言われてるパンピロ・フィルポが亡くなった
フィルポは12チャン時代の国際に来日してたら合ってそう 猪木対オックスベーカーなんて夢の対決だと思ったんだけどな当時は
しかしハンセン、ホーガン、シンにアンドレまで揃ったタッグリーグ戦に
ベーカーの居場所はなく途中帰国
期待のシングル対決も3分延髄斬りで大凡戦に終わった。 >>942
せめて新日登場が5年早ければシリーズエースになれた。 >>944
馬場がストレート勝ちしたベーカーを
猪木が重宝するはずがない。 全日スレでのベーカー緊急参加の話題からの話
14 名前:お前名無しだろ 2019/09/26(木) 05:45:53.65
新日のMSGタッグリーグ戦で、功労者のジョニー・パワーズを
マスクド・スーパースターと組ませて参加させようとしたけど
スーパースターが断固拒否
嫌われ者だったパワーズと組もうと言ってくれるレスラーがおらず
パワーズ自身に組める相手を探させたら承知してくれたのが、その昔
NWFエリアで付き合いのあったベイカーだったとか
32 名前:お前名無しだろ 2019/09/26(木) 19:05:54.22
ちなみに先のMSGタッグのパワーズ・ベーカー組については
「不仲がたたって途中でチーム解消したという話だったが、実は
猪木が余りにしょっぱい二人のファイトぶりに強制帰国を命じたのが
真相のようである」
という話が定説みたいになってるけど、案外パートナーが決まらなくて
スケジュールが開かない中で急遽来てもらうベーカーに
「適当な理由をつけて二週間だけで帰国できるようにするから」
と譲歩したんじゃないかと邪推もしたくなる。
というのも新日のMSGタッグは、後にWWFのエージェントだった
パターソン、売れっ子だったホーガンをリーグ戦に参加すると告知して
「負傷して継続参戦不可能」という名目できっちり一週間で帰国させる
当て馬チームの短期参加が常套手段化していたから
(だいたいパートナーがそれぞれアレン、サモアンと実に投げやり)
まあ全日もオープン選手権とかがあるし、大物外人のよく分からない
途中帰国は日本マットの華と割り切る方がいいのかもw
35 名前:お前名無しだろ 2019/09/26(木) 19:24:28.87
78年最強タッグのシーク途中帰国もアヤしいよな、そんな大ケガのわけないし。
38 名前:お前名無しだろ 019/09/26(木) 19:40:39.54
>>32
サモアンズも負傷して途中帰国だったが、一週間後にはニューヨークの
定期戦にラインナップされてた。
>>35
翌日から代打でカマタが…って本当にブルペンで待機していたかのように来日。
40 名前:お前名無しだろ 2019/09/26(木) 20:19:38.44
あの当時だから通用した手だわな負傷欠場→帰国って
最初から1週間契約ですってバレないようにするにはそれしかないけど スミルノフとベーカーの抗争の時は「ベーカーはもう呼ばないから、スミルノフの勝ちブックでいいだろう」
スミルノフとストンパーの抗争の時は「二人とも次も呼びたいから、決着つかない結末にすればいいかな」
こんな感じだったのかな?当時のマッチメイカーはやっぱり草津? >>945
5年前なんで、当時全日に行かずに新日に来ていればという意味。
悪い、言葉足らずだった。 >>946
カマタのツアー参戦は実際は蔵前大会の
2日後なんだが、だとしても蔵前大会の夜に
ブレアースから参加要請受けてアメリカ
本土から大急ぎで出国して翌々日には
福島のリングに立っていたというテイなのか?
どういうルートで来たんだ?と突っ込みたくなるよね。 ワイルドサモアンと組んだ時のホーガンは、1週間どころか開幕戦1日だけで帰国じゃなかったかな? >>949
スレ違いかとも思うが
あのシーク→カマタの件でプロレスっておかしいと思った。
それまでも怪しい、疑問、嘘くさい、とは思っていたが
あれで決定的におかしい、ドロナワだとと思った。 >>940
フィルポってどこかで見たと思ったら、コンビクトのマネージャー役してた奴だ。
確かに国際向きだわw >>951
あの時点で最凶悪コンビリタイアの方が自然だったな。 >>950
もともと一試合だけで帰国の予定だったらしい
新人の頃は「あんなに取材に協力的なレスラーは見たことがない」と言われたホーガンも
WWFチャンピオンになってからは尊大になっていたとか WWFから届いたというホーガンの釈明ビデオが流されて
「医者にドクターストップをかけられて日本に戻ることが
できなくなった。ファンに申し訳ない」
なんて医者を横にホーガンが訴える絵が見られたけど
当時から「あの横にいる医者、その辺のオッサンに白衣を
着せたようにしか見えない」と言われていたものなあ
たぶんWWFの新人レスラーだったんだろうけど むしろWWFのフロントというかスタッフか
TVのケーブルを敷いて歩く係の人とか >>954
新日参戦時に何試合したか知らないけど、シリーズ契約して途中帰国し
シリーズのギャラを払えと言ってきたザ・シーク
新間は「こいつが一番嫌いなんだよ」と言っているw ドタキャンによるプロモーターへの割引が一番大きかったといってたな
それこそ後の猪木以上にってことか 国際の歴史の中でドタキャンは多かったけど、途中帰国はあったのかな? >>942
猪木対ベーカーが夢の対決てw
ベーカーは馬場に負けただけじゃなくて
極道クラスに負けてたよ。終盤だけど >>960
極道に負けた後で、国際に移籍して木村のIWAに挑戦したりしていたのか? https://pbs.twimg.com/media/Dpb_aTMU4AAzcTW.jpg
ハンセン日本初来日の全日ではベーカーが偉そうにしてたって流智美がデタラメ書いてた
全日時代はすでにロートルで馬場にも「見た目は一流実力は三流」と見下されてた >>962
余談だけど、昔は移動も込みで八連戦とか普通だったんだな。 つべで80年くらいのベーカーのアメリカの試合見たらラフファイターとしてちゃんと動けてた
国際は木村のテンポに合わせたんだろうが新日では「何もせず3分で負けろ」とでも言われてたのか >>961
大剛路線以降の国際は他団体なら良くて2〜3番手でもシリーズのエースにしないと
資金不足だから仕方ないでしょ。知名度もそこそこあるし、木村との因縁もあって
ストーリーも作りやすいから。 >>963
フレアーなんて全米、ハワイ、日本、プエルトリコ・・・を20年ほど続けていた。 全日に来日したS50年、ベーカーはWWA世界ヘビー級王者になったりまだまだ全盛期だった
元々ベーカーがレスラーデビューしたのは20代後半の遅いデビューだった 84年IWGPで一緒だったケンパテラとオットーワンツ。
73年新春パイオニアでも一緒だったという不思議な?縁。パテラ初来日、ワンツはグランラパン名。 まあ地方でポスター貼ってあって、
ジプシージョー、オックスベーカー、スミルノフ、エンフォーサー、バション
が映ってるポスターと
バーンガニア、ビルロビンソン、ルーテーズ、ニックボックウインクル
が映ってるポスターとどっちが客が入るかと言ったら当時は前者が圧倒的でしょう。
それ考えたらカマタ、セーラーホワイトとかもポスター映えするね。
国際の外人はかくしてスキンヘッド、ヒゲばっかりとなった のかな 馬場は同時期の国際プロレス出身でも
ムースモロウスキーなんかはきちんと
評価して、それなりのポジションを与えていたのだが、ベーカーに関しては全くで、タイトル戦以降は小鹿大熊クツワダに負ける位置に落としてた 井上のトークライブもうすぐだぞ
というかチケット売れてないのかw
https://6611.teacup.com/drmick/bbs/15950
井上の話はDVDでも某マガジンでも散々見聞きしてるし
DREAMショット撮影とかいわれてもなw >>973
ドクトル・ルチャのイベントは常連ばかりだよ 全日本がマスカラスのIWA戦を許可したってのはまさに国際の死亡認定だったんだよな https://pbs.twimg.com/media/ENfLm_5VAAIwdAr.jpg
ケンドー・ナガサキ亡くなったって本当か…?
桜田時代、石川と国際のリーグ戦参加してたんだよな いや、みのもは5日に頼まれた仕事してたら訃報を聞いたと2時間前にツイートしてるぞ ペースメーカーの故障でなくなったと桜田のwikiに出ているが 桜田はイギリスの初代ケンドーナガサキと接点はあったのかな?
初代はミスター・ギロチン名義で初期国際に来日してるけど、
同じ剣道ギミックで年齢も近いし… >>976
桜田の日本でのピークはやはり日本リーグ争覇戦かな 一番ギャラを貰ったのは、ケンドーナガサキ名義で新日に参戦した時だろ。 大日が殴り込んだ時?
あん時は、小鹿が半分取ってあと三等分だから大して貰ってないよ。
やっぱり、SWSの時でしょ。
真面目に道場通ってたから、毎年ギャラが上がってたらしいから。 >>983
SWSの田中社長は、全日オーナーだった白石と同じ思考回路で
ガチの世界だと思ってたんだろ >>976
男の中で一番若く元気そうに見えるけどな >>976
一番若い谷津が
最も老け込んでいる。
まぁ、仕方がないけれど。 >>976 どういう面子なんだろう。高杉と健吾はハブられそう。 阿修羅はカルガリーでの修行時代にナガサキから指導受けてるんだよね。 >>981
日本リーグ争覇戦のタナカの決勝進出って、桜田に反則勝ち、鶴田に反則勝ちだったよな。 ナガサキの自伝によるとSWSに移籍した時の契約金は五千万だったそうな
ナガサキのレスラーとしての価値に相当するかどうかはともかく
そんな莫大なカネさっさと使っちゃうナガサキも悪い意味で昭和のレスラーだなぁ 新日全日スレに“昭和の‥”がつくのに
国際には付かないのは何故なのか?
吉原国際は昭和しか存在しないからなんだねw 令和国際プロレス復活!
誰か吉原家から看板を買ってくれんかな。 鶴見が吉原家の許可をえて国際プロレスを名乗っていた 許可が要るのかな?
事実上(登記はしらん)消滅している企業の名称なんかどうしようと自由だろ。 次スレのタイトル『勇猛シリーズ』
最初聞いた時、変なシリーズ名だなと思った。
新日も『戦国合戦シリーズ』とかあって、流行りなのかと思ったが
勇猛は76年、戦国合戦は87年(翌年は戦国)と開きがある。
さすが国際にはパイオニア精神があるw
(闘魂Sや新春黄金Sは古くからあって馴染みがある) >>997
WCW以降もNWAの名称使用で揉めてるから、あり得る。
と言うより、鶴見が義理立てて筋を通してるんだと思う。 このスレッドは1000を超えました。
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