【ニックボックウインクル】昭和の全日本プロレス74【ジャックブリスコ】
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【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 新日本がホーガンをうまくベビーに持って行けたのはブッチャーの功績もある。
しかしブッチャー自身はホーガン戦以後新日から切られたな >>850
マスカラスは馬場に新日移籍をちらつかせる一方で、親しい知人には
「新日は全日ほど自分を大事にしないだろうし、新日のメキシカン招聘ルートは
自分とは違うから移籍する気はないよ」ともらしていたらしい。
馬場もそれを知ってか知らずか、必要以上のギャラアップには応じなかったし、
そのうちドスにセットで声をかけるのを辞めてしまったため、ドスは
「全日が呼んでくれないなら新日に行くしかない。俺だって稼ぎたい」と
単独で新日に行ってしまった 移籍後の新日本の扱いの悪さに後悔したらしいが
ドスの単独来日としてはこの前に大仁田とのインタージュニア戦をジータスでやっていた
一番のピークは74年のチャンカーになるか ドス・カラスは息子のAデル・リオがWWEで成功した。
マスカラス、シコデリコ、ドスにデル・リオとプロレスファミリー‥
もう一人ドスの息子がいたような?
WWE見てると怪奇派のブレイ・ワイアットも祖父がBマリガンらしく、
バリー、ケンドールとこれもファミリー
しかもマリガンとマードックは従兄弟
サモアンズのアノアイ一族からもWWEローマン・レインズやファミリーには
ピーター・メイビア、ロッキー・ジョンソン、ザ・ロック、ヨコズナ、リキシ、トンガ・キッド、ゲーリー・オブライト、ウーソズ‥めっちゃいるw メキシカンってイメージとしては空中戦や独特の密着技、6人タッグ攻防とか
割りとショーアップされた感じだが、ガチ(セメント)も強いのだろうか。
ドスジュニアは総合の試合にも出てたし。 >>855
技術体系化された現代のMMAには通用しないかも
しれないが、喧嘩っ早い性格なのは事実みたい。
ユニバに来てた太っちょ3人組兄弟のギャグ担当だった
末っ子(プラタだっけ?)も、平気で目をくり抜きに
きたりするらしい。町の喧嘩では。 >>856
あ〜、いわゆる「ラテンの血が騒ぐ」ってやつだw?
昔もあったなブラックゴードマン、ブルラモスとマルコフの耳食いちぎり事件だっけ。 >>855
メキシカンは実は本国ではそんなに飛ばない。
ねちっこい間接の攻防が多い。 >>825
そうなの?
ジョナサンの余命がわずかだから最初に呼んだと馬場は言ってなかったか?
結局ジョナサンはその後も生きて、馬場の方が先に亡くなってしまったが。 >>854
メイビア、ジョンソン、ロックはこの3人がファミリーでアノアイファミリーとは関係ないだろ。 >>851
次の来日から抗争相手をアンドレにスイッチしたし >>859
馬場とターザンの好みが合致したから。
ターザンは元々ジョナサンのファン。
馬場もターザンと絡む遥かに前に出した
「16文が行く」でジョナサンを、「真面目で
人に気を使い、人間性もいい」と
評価している。 ジョナサンが経営してた潜水会社は今もあるし
ダイバーとしても有名だったし
どっちかといえばプロレスが副業のまともな人だった >>851
前年(81年)に引き抜かれたハンセンに代わるエース外人の一角として、翌年早くから新日やファンから
目をかけられてた雰囲気はあったように思う。ロッキー3の出演はすでに周知だったし、第5回MSGでも
藤波の10番勝負の時の声援は結構あった。さらにその頃からの猪木の不調で、次のビッグファイトシリーズで
日本陣営入り〜ブッチャーとの抗争で人気は確定的になった。 >>861
アファ、シカの父親の義兄弟がピーター・メイビアだから、この一族もアノアイファミリーに加えて語られる。(wiki) >>866
ジェシー・メイビア ってキン肉マンにいたなあ ブラジルの弟ハンク・ジェームスは駄目レスラーと言われるけど、兄貴が偉大すぎたな。
デビッド・サンマルチノ、ケリー・キニスキー、グレッグ・カニア
3大世界王者の息子も大成してないな(グレッグはマシ?)
不幸な運命背負ったエリックの息子はよかったかな‥ 賢兄愚弟といえばバション兄弟。
ビルミラーとダンミラーはビルが凄すぎてダンが霞んじゃった感じ。。? マリオミラノもチャンカーに弟連れてきていたな、あれ1回だけの来日だったかな? >>870
ドン・ミラノのこと?
某サイトによると、弟ではなく弟子らしいよ
マリオに全然似てないし、歳も20以上離れてるし
兄弟とは考えにくい
来日は1回こっきりみたいだね >>871
ギミックの弟だったのか、サンクスです。 >>868
ブラジル兄弟はBI砲と師弟コンビの双方とインタータッグ戦をやってるんだよな
他はブルクラとファンクスくらいか 80年代中盤では、リングアウトや反則は飽きられていた。
でも、鶴田のインター初戴冠はリングアウトでも意外に盛り上がっていた。 >>874
ブルクラと鶴田・・。鶴田と馬場世代のライバルの対決っていまいち試合のイメージが浮かばないなw
10番勝負最後のFVエリック戦もなんかもキャリアが違いすぎてマッタリした感じだったような。 >>876
でも、あの時代は三本勝負主体だから、反則絡みでも三本目はフォール決着にすることが出来だけ良かった。
一本勝負だけの時代なら、リングアウトや反則で「エリックに傷をつけない」のがバレバレで白けたと思う。 ムゴーございますっ!
, -r-─r,-- 、
_ /)"´ ヽ
,/ ゙ 、
! /-へハ\!`ヽ、 ヽ
ノ !' ヽ ゙ 、 Yヾ .i
.i' イ ____ , -- 、 | 、 !
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.! ,' rェェュ; ,rf_tュ Y l
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!ヘ! / ,i 、_ , ! }j.}
}.ト! ,/ ヽ ,イ!
.し! ! ,_ニニニ、 .i /-'
゙、 ,/ヾ二二/ヽ ノ
i- -! j-'i
__,-| ゙ ‐-- ." .!、_
////ヾ、 j//7ヽ、、, >>875
あれは樋口のカウントの入れ方も最高だった
あと反則勝ちでも大熱狂の方はオープンタッグ最終戦で >>868
グレッグはハイフライヤーズで一時売れっ子になったから成功者。ドロップキックはブランゼルが数段上だが。 >>880
グレッグは華がないがテクニックは一流だった >>876
鶴田の初期映像で一番見たい第一期のインタータッグ王者時代
ブルクラとの二連戦の最初は国際での暴動以来となるブルクラの名古屋登場だったんだよな
>>882
グレッグ用でも良いからジュニアヘビー級王座もAWAに作って欲しかった
NWA世界ジュニアヘビー級王者にもなっているガニアだけに >>883
> グレッグ用でも良いからジュニアヘビー級王座もAWAに作って欲しかった
> NWA世界ジュニアヘビー級王者にもなっているガニアだけに
ライトヘビー級王座があったから。 84年4月19日福島 AWA世界ヘビー級選手権
ジャンボ鶴田vsグレッグ・ガニア
最後鶴田のシュミット流バックブリーカーからフォールするも
ガニアの足は完全にロープに掛かってた。
樋口のミスジャッジ試合 本家ハイフライヤーズと、井上&浜口の和製ハイフライヤーズの試合って
やったかな? それ、UN選手権なら、クイックのピンフォール。
インター選手権ならバックドロップのピンフォールになるんだろうにな。 >>884
ライトヘビー級王座を作ったのはずっと後の末期近く
AWAはヘビー級とタッグの二本柱が基本だった >>885
その試合の映像、アメリカでも放映される前提だったんじゃないの?
だとしたら、ヒール王者鶴田の姑息な防衛をアシストした
樋口のナイスジャッジだったと思うが
そういや、ハイフライヤーズの片割れのブランゼル相手にもタイトル戦やってたな
終始押されながら、なぜか最後だけブリッジの効いてないしょぼいバックドロップ
でピン勝ち
あれはアメリカでの試合だったか >>888
末期が厳密にいつからを指してるかわからないけど、ライトヘビー級王座が制定されたのは81年
個人的に末期は86年以降だと思っていた >>889
ブランゼルとは2回やってる。
最初はソルトレイクでバックドロップ決着
見事で綺麗に決まったが、マットが異常に跳ねてたから柔らかそうだったな
次に東京でニックのリマッチを反則で防衛して、福島のガニア戦
2回目のブランゼル戦は大宮の試合で、リバーススープレックスで防衛
その次がミネソタのマーテル戦 ターザン後藤でーす!
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iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
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iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii 鶴田かAWA王者の時に馬場とAWA戦やれば面白かったのにな。 >>893
それよりも馬場のインター挑戦を見たかった。日プロ時代の馬場の象徴だったし。 >>888
81年以前に作ればグレッグ用になったとでも? >>864
デラプロの馬場の「忘れえぬ人々」と言う往年の名レスラーを回想するコーナーに登場し鶴田
より遥か前にキーロックをしたまま簡単にコーナーポストに持ち上げられたと述べて
鶴田に時は少しグラついて「さすがジョナサンも衰えが・・・」とか「相手が弱すぎる
気をつかい」とか述べていた。最後に現役の来日からしばらく経ってから突然、来日
して馬場が食事に招待すると"本業の潜水会社”の必要な機材の買い付けにで来て
「ユーはちゃんと教会に行ってるか?」とかプロレスの話は全く出なかったとか
思い出を語っていた。
オープン選手権のドリー戦が一番の試合かな?
NWAチャンプの重荷が取れて最強時代とも言われたあの頃のドリーが試合の主導権を
取れずにジョナサンは馬場の優勝をアシストした試合。 ドリーvsジョナサンは力と技の攻防戦だったね
ジョナサンのシャイアントスウィングが久々に出て
最後はドリーのキーロックを持ち上げて場外へ、そのまま両者リングアウト
それまで首位だったドリーに土をつけた。 >>890
81年とは意外に古い
85年くらいにスティーブ・リーガルが初代王者だと思っていた
個人的にAWAの末期は興行成績が急激に落ちたマーテル時代以降の印象 AWAのライトヘビー=バック・ズモフというイメージ。 >>893
なんにも面白くない。
馬場はAWAのイメージないしなあ。
ガニアとのダブルタイトルマッチの印象しかない。 >>899
俺はジミー・バックランドというイメージ 85年頃の「世界のプロレス」でAWA圏の放送で
確かラシク組とウォリアーズを見た覚えがある
ラシクがアイアンクローの構えを見せただけで、ウォリアーズが恐れたポーズを見せた
ガキだった自分には「あんなオジサンが強いわけないだろ、何を恐れてるんだよ!」
と単純に思ってたが、あの頃のラシクはまだまだ本当に強かったんだろうね… >>893
>>901
まあでも、最初は鶴田ではなく馬場にAWAチャンプのオファーがあったんでしょ?
現王者vs予定王者という意味ではちょっとした因縁?で面白いかも
もし馬場が王者になってたら、フィニッシュはやはりネックブリーカーかな? ドリーとの試合はyoutubeにあるけど
ラシクが最初からクロ―に行かずにアマレステクニックをちらちらっと見せるとこがよかった 馬場とラシクの初シングルはクロー一辺倒で客からヤジられてたなw 81世界最強タッグのクロ―コンビはロートルで最下位になったと酷評されていたが
昭和プロレスマニアによれば「ラシクとクラップ一緒にするな!クラップは確かに老いぼれていたが
ラシクはまだまだ元気でクロ―以外にもアマレス仕込みのテクニックは健在だった」
カナダのトロント地区ではタイガー・ジェット・シンすら恐れる強さと観客動員を誇っていたという
AWAでロード・ウォリアーズに負けていたのはプロモーターに命令されたからにすぎぬと ラシクはプロレス大百科みたいな本に載っていた「妖獣」という
ニックネームがピッタリの風貌だったし子供心にちょっと怖かった
でもこの人インテリなんだよね ラシクが鶴田のAWAに挑戦しなかったのは惜しい
あんなボロボロのマリガンに挑戦させるならラシクに代わって欲しかった >>911
マリガンは鶴田が2度目の遠征の際
挑戦しているよ。
テレビ収録がなかったので印象が
薄いのかも。
2回の遠征で一番印象に残るのは
ランザのグリグリ攻撃だなぁ。。。 デスマッチインタビューでの竹内サンへの紳士的応対から「ラシクは良い人」の印象。
他が酷すぎるだけなんだけどw ラシク、マリガン、ランザ
みんなデカいな
自分よりデカいやつと対戦した経験の乏しい鶴田にとって
連日これではきつかったろうな
でもなんでガニアは、これだけでかいの揃ってるのに
ちびのマーテルを王者にしたんだろう >>914
> ラシク、マリガン、ランザ
全員もう若くなかっただろ。
ガニア、ニックと同年代を新王者にしたら世代交代できないじゃん。 >>915
でもガニアの感覚だったら、あの時でも
バションやクラッシャーを王者に
すえかねないんだよね。
あまりにベテラン中心のマッチメイクに
ホーガンを始め伸び盛りの若手中堅が
みんなこの時期出て行った。 >>911
挑戦している。
ラシクの反則勝ち。鶴田が10度の防衛に成功。 >>916
> あまりにベテラン中心のマッチメイクに
> ホーガンを始め伸び盛りの若手中堅が
> みんなこの時期出て行った。
それでようやくまずいことに気付いてマーテルにお鉢が回ってきたんじゃないの。 マーテルが王者の頃はガニアは他の事業に時間を割かれて息子のグレッグが現場で指示を出してた
ベテラン勢が減ったのはWWFに流れたのもあるけどグレッグに指図されるのを嫌って去っていったのもあるらしい 鶴田VSランザのAWA戦は
ランザが白いジャケットでカウボーイハットに羽をつけ
ジャック・ランザというベビーフェイスになってるのに驚いた >>919
ちょうどその時期に84年GCC(PWF認定世界タック王座決定リーグ戦)が開催されてハイフライヤーズが来日したんだけど、
ホテルの部屋でブランゼルを含めて皆でグレッグについてネガティブな話(バーン・ガニアのよるプッシュによる立場)をしていたら、
部屋のドア口にグレッグが来ていた。グレッグはカンカンに怒ってドアを叩いて部屋に入ってきて「かかってこいよ!」と怒鳴った。
皆、おかしがりながらも「シーン」と沈黙が流れた。グレッグは体は大きくないが、その気概はたいしたものだ。
こうハンセンの自伝(アメリカ版)に書かれていた。 >>921
訂正
「バーン・ガニアのプッシュによる立場」 グレッグは大きくないというか90kgあるかも怪しいくらい小さいんだよな >>923
晩年はランボースタイルでスカスカに
なったAWAの客寄せを
測ってたね。
あれはもの寂しかった。 >>916
でもガニアの感覚ってのもよくわからないね。
アマレスの名選手だったからレスリングのできる選手を重用したとかよく言われるけど、
スリーパーとかドロップキックとか、抱え式のバックドロップとか
本人の得意技のムーブはどれもアマレスっぽくないし
親の七光りと散々いわれたけど、グレッグにはちゃんと下積みもさせたし
それでいて等々AWA王者にはしなかったし そりゃ王者にしたかったけどそれじゃ客が呼べないと判断したんだろう ニック「ガニアはいつでもグレッグをAWA王者にできたのに、しなかったのは偉い」 ランザ&マリガンは、ザ・ブラックジャックスでの来日がなかったのが残念
バリーとブラッドショーのニュー・ブラックジャックスは最強タッグに来た。 ガニアはレスリングのオリンピック代表に選ばれると同時にNFLのドラフトにも指名されていたが、
両者を天秤にかけ、レスリングの方が稼げると判断してプロレス入りした男
オリンピックにしても(本人は明言していないが)賭け試合に出場していたことがばれて、当時の
アマチュア規定に触れることから本番には出場していないみたいだし、
若い頃から優れたアスリートであると同時にがめつい商売人だったようだ グレッグはほぼ間違いなく禿げるからじゃないの?
親子二代の王者はよくても親子二代の禿げチャンプはかっこわるい。 >>926
アマレスムーブ使うレスラーの方が少ない。
それじゃ客に受けないんだろ。 小さいというか細い。
ブランゼルと並んでいると余計に際立ってしまう。 黒装束(キラーカーン)
馬場「ははぁあの体格はカーンですね!」
あれは馬場も長州谷津、ファンもすぐには気がつかなかったな。 グレッグは細いし顔立ちが地味
アメドラとかで出てくる真面目で収入も良いけどフラれる様な顔 >>851
82年秋に来日した時のブッチャーは、他の来日時よりも一番存在感がなかったな。 ガニアがホーガンを手放したのは諸説あるけど
@WWFが好待遇の条件を提示、ホーガンがのった
Aガニアの娘婿になるのが嫌だった、婿はともかくガニアの息子になるのを拒否
だいたいこの2つに絞られると思うけど、もし娘婿を薦めなければホーガンは残ったんだろうか?
WWFの侵攻はホーガンありきだったと思うし、下手するとホーガン抜きでは不成功だったかも
それを考えるとガニアのホーガン手放しは世界プロレス史を変えた? >>899
最も長くベルトを巻いた王者兼最終王者だからね
WWFでジョバー扱いだったズモフが末期AWAに戻ってきて最期を看取った
>>902
ジミーのタイトルはAWA非公認
その時期の王者はマイク・グラハム
ただwikiにはグラハムがフロリダで勝手に防衛戦やってタイトル落とした可能性があると
書いてたな
マクガーク引退後管理者のいなくなったNWAジュニアでソントンがよくやってたみたいにw >>939
近年のインタビューで、ホーガンが日本に行ってる間に一番TシャツやホーガンイラストのTシャツを会場で売って荒稼ぎしたけど、ホーガンには一銭も払わなくて揉めたって言ってた >>932
ブリスコもアマレステクを「ここそ”!」と言う時くらいしか使わなかったと天龍がコメント
していた。
>>919
「グレッグの統治能力の無さ」がAWA崩壊の一因でもあったらしい・・・ 関係ないけど大島てるでクリス・ベノワの家を発見してしまった… >>856
鈴木みのる対エルソラール
試合後の乱闘でパンクラスセコンドの目に指突っ込む
ドスカラスのえげつなさにギョッとした
あれ絶対に喧嘩強いよ >>856
>太っちょ3人組兄弟のギャグ担当だった
>末っ子(プラタだっけ?)
控え室で血達磨にした某有名レスラーに拳銃で追いかけ回されたって話
ハーリーレイスのことじゃないかな WWWF、WWFはその歴史の前半はヴィンス・マクマホン・シニアの興行会社
キャピタル・レスリングのお手盛りタイトルで実在しない団体だった
全日のPWF、国際のIWA同様の存在
ただ設立当初はNWA内の政変で脱退したNYのヴィンス、シカゴのフレッド・
コーラー、バッファローのジョセフ・モントの三人のプロモーターの連盟組織で
(当初はWWWAという名称)会員三名と規模こそ小さいがNWAと同じ複数の
プロモーションが認定する公式王座で、東部大都市圏を押さえているためNWA
にとっては脅威だったが、主導者のコーラーとヴィンスが決裂
結成時の契約のある王者共有以外は交流が絶えた影響はコーラーの方が大きく、
ほどなく興行不振と本人の体調不良で引退、モントも軍門にくだり、自前の団体を
持たずヴィンスから興行を買うプロモーターに
WWWFは完全にキャピタル・レスリングの私物となった
不要となったWWWFのオフィスは閉鎖、WWWF会長はヴィンスと契約している
興行買いプロモーターや知人の実業家が名前だけ歴任するようになった
82年にヴィンス・ジュニアがキャピタルを自分の会社であるタイタン・スポーツの
子会社として買収した後、83年末にNWAを脱退して全米侵攻を開始した際に
キャピタルをWWFと改称し、約20年ぶりに実体を持った
その後WWFのブランドが大きくなった後で株式の移動でWWFの方を親会社にし
WWEと改称して今に至る AWAもMBWC(ミネアポリス・ボクシング・レスリング・クラブ)という会社のお手盛り
王座で幽霊団体だが、60年代にはネブラスカのジョー・ディセックという独自団体を
持ったプロモーターが参加していた
ただしオマハでのビッグマッチにはMBWC本隊からレスラーを借りないとやって
いけなかった
ちなみに一緒に遠征したストロング小林とグレート草津だが、小林がMBWC本隊
の興行でミネアポリスやシカゴでビッグマッチに出てる間草津はネブラスカの田舎
でドサ回りさせられてた
もっともマイナーテリトリーで戦ってたことが幸いして、ネブラスカの王座である
AWA中西部ヘビー、タッグを奪取しそれを帰国後大袈裟に喧伝できたのは怪我の
功名、本隊にいたらAWA王座なんて奪取どころか挑戦すらさせてもらえなかった
あと加盟団体ではないがインディアナのディック・アフィルス(ブルーザー)の
WWAはAWA王座を認め
トロントのフランク・タニー、テネシーのジェリー・ジャレット、ヒューストンの
もポール・ボーシュもNWAに加盟しながらAWA王者も招聘してた ごめん
誤爆は何度かしたが一レス目で気づかず連投までしたのはさすがに馬鹿すぎたわ
>>941
「一番」Tシャツはホーガンにも権利ないような
もともと既製品だろアレw ヒューストンはよくニックが防衛戦やってたな。テネシーだとジェリーローラー戦
カナダはトロントのほかにウィニペグの遠征も多かった。
AWAのルーツはテーズに挑戦したカーペンティアが奪取を認められず云々と言うのはよく聞くが
出自はよくわからんw オマハ版とかありガニアが統一とか。 オマハ版はまだデュセックが羽振りがよかったころにカーペンティアを初代に
して作った世界タイトルだね
カーペンティアはWWAの初代王者でもあるけど
上記のように後にジリ貧になったオマハ地区がAWAを名乗るMBWCの傘下
に入ったことで系譜がややこしくなって今も詳細は不明
プロレスマスコミに流布したミネアポリス版とオマハ版の王者系譜は限られた
資料による便宜的なもので事実はガニアもデュセックもウォーリー・カルボも
他界した今は闇の中だね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。