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そのカードは馬場が拒否した。
このカードだと藤波が寝るしかないが、藤波は新日で物凄い人気があったから寝させるわけにはいかないという馬場の配慮だと思う。
猪木vs鶴田はいいが、馬場vsジュニア時代の藤波はミスマッチで16文1発で終わってしまう。 ジュニア時代の藤波はアンドレを相手にシングルやってるくらいだから
馬場相手にどう立ち回るかは興味深いけど
武道館のメインとしては厳しいな ちなみにファン投票ベスト5
1位 ブッチャー・シン
2位 ファンクス
3位 鶴田・藤波
4位 アンドレ・ブッチャー
5位 レイス・バックランド >5位 レイス・バックランド
約1年後にはBIとレイス、バックランドが微妙にリンクするんだよな >>463
そのカードを組むと、ブッチャーとシンの使いどころが難しくなり
アンダーカードにあった鶴田藤波マスカラスのアイドルトリオも組めなくなる
「夢のオールスター」なんだから、見どころは多い方がいいに決まってるよ
>>466
2、3、4、はどれも馬場が難色を示しそうだな
5は日本限定で実現可能かもしれないが、どっちも現役王者だから寝てもらうのは無理そう >>469
「ファンクスは困る。ウチからブッチャー、新日本からはシンかアンドレを希望したい」
馬場は月刊プロレスの取材で、こんなコメントを残していたぞ。よく覚えている。 新日側にしてもメインの3/4が全日系は許容できないでしょ
全日2 新日2にしないとね
本当の投票一位はファンクスだったらしいがやっぱり無理だ >>469
そのコメントは覚えていないが、馬場は自分の商品価値を脅かす
アンドレと同じリングに上がることには慎重だった印象がある
(このときから約10年後のレスリングサミットのときまで、バトルロイヤルを除いては
タッグも対戦もなく、2ショット写真もNGだったはず)
またそももそも、いくら日本とは言え、デビュー以来ノーフォールを継続中だったアンドレを
こんな大舞台で寝かせられるわけない
選択肢を示しているようでいて、実はシン一択だぞという馬場の意思表示だったのでは? >>472
アンドレを寝かせる必要なんかどこにもないだろ?
馬場はブッチャー&シンとも、両軍リングアウト決着のつもりだったわけで。 6人タッグで馬場と猪木を絡ませる
という折衷案は出なかったのかな?
馬場ラッシャー藤波 対 猪木鶴田坂口
これだと両リン決着でも組み合わせの妙がある。 >>473 本気で両リンで良いと思っていたなら、馬場は相当なアホだぞ。 >>475
オールスター戦で暴動を招いた戦犯になったかもなw >>442
高木の造反、ラッシャーとマイティーの天竜包囲網 >>476
本当にそう思う?当時、自分はまだガキだったし、このカードが発表された時は鳥肌が立った。
BI復活と地上最強悪コンビ実現という二つの夢がかなうというだけで、結果は二の次だったな。ましてシンとブッチャーだけに仲間割れとかも想定していた。
さすがに5分以内に両リンなら暴動も仕方ないけど、実際の内容があれだけよかったから最後は両リンでも観客は満足じゃないかな。 5位以下は、ブッチャー・シーク組、レイス・ニック組、鶴田・坂口組、
アンドレ・バックランド組、ロビンソン・ガニア組
10位以下は、ドリー・アンドレ組、ロビンソン・マスカラス組、
鶴田・マスカラス組、ニック・バックランド組、レイス・ブリスコ組、
坂口・木村組、シン・上田組、アンドレ・ローデス組、坂口・藤波組、
アンドレ・シーク組
これが当時のファン投票20位までだけど、1979年の人気ランクなのかな?
個人的には8位鶴田・坂口組なんか面白そうだけど‥ 『はんせん』『ぶろでぃ』『ほーがん』
かれらのなまえがいっさいないのがじだいをかんじる。
はんせんはこのはるにだいぶれいく。
しかしこのとうひょうはそのじきのはず。
ぶろでぃはまだこのとしのいちがつにはつらいにち。
ほーがんにいたってはまだはつらいにちもしていない。
さんにんともにほんではまだしんとうしてなかった。 このさんねんごのときははんせん ぶろでぃ ほーがんのなまえはあった。
とくにはんせん ぶろでぃがちゅうしんてきなたちばで。
このさんねんでこのさんにんはいっきになまえがしんとうした。 >>479
馬場・猪木vs坂口・鶴田は面白いが、やはり鶴田と藤波の絡みも必要だったと思う。
馬場・猪木vsシン・ブッチャー
鶴田・藤波vsマスカラス・井上で空中戦。
木村vs小林
大木vs上田
浜口・長州vs原・天龍
とか色々考えると面白いな。 >>479
そのへんは正直あんまり順位は関係無いかと
オールスター戦がBIのタッグになるとなった時点で
あの時代の一般的なファンの対戦相手への興味は
・最人気外国人タッグであり最後のインタ戦の因縁もあるファンクス
・ブッチャーシンの最凶悪にして当時のエース外国人コンビ
・鶴田藤波とのW師弟対決
この三択に集中してたと思う
で、1と3が実質難しい以上残るは2しかなかったから
まあ至極妥当なところってかんじに思ったけどなあ >>479
こうして見ると国際絡みが殆どないね。
あと79年ということもあってかハンセンが
入っていないというのも。
これが1年後であれば間違いなくランクイン
していたはず。 これから2年ももたずに崩壊した位で国際はマイナー団体化していたからな
新間に「キップの配分を4:4:2にする(2は国際)」と言われて通されてしまう始末 ハコが当時の屋内日本最大とはいえ、武道館だなんてイベント自体が勿体ないよ。
後楽園球場でやるべきだった。
雨が降ったら知らん。
でも、それまでにも後楽園球場や田園コロシアムでもプロレス興行やってる訳だし。
雨が降ったら知らん。 主催者である東スポは、雨が降ったら知らんってわけにはいかないからな。 >>485
国際からは、バトルロイヤルで鶴見高杉若松デビル米村
第2試合でスネークが荒川と、第3試合で井上が星野と組み木戸石川組と対戦
第4試合は健吾佐藤原vs藤原永源寺西の6人タッグ
第5試合で後の維新コンビ長州浜口vs極道コンビ小鹿大熊
草津が逃げたとされる第6試合が坂口vs羽田戦、第7試合は国際は絡まず
鶴田藤波マスカラスvs斎藤戸口高千穂、第8試合で木村vs小林の元同門対決
そしてメインの馬場猪木vsブッチャーシン
人気投票では国際勢は寂しい結果だけど試合はほぼ出てる。
草津が残念だけど、負けブックの拒否だとか
対戦相手との格を対等に扱えとか主張して干されたとの話もある。
(第1試合の新日全日勢バトルロイヤル参加選手も一応
小鉄魁邦昭平田前田斉藤ジョージ
渕薗田大仁田百田肥後伊藤林) 当時行った病院の待合室にあった週マガの愛しのボッチャーが、丁度オールスター戦をネタにしていた
ボッチャーとチョットシン(だったかな?)が注射針を凶器に使って葉場と猪林の血をぬき
二人の血液を試合中に販売するというオチだった まあね、日プロ時代に馬場vsキニスキー(後楽園球場)とか馬場vsサンマルチノ(大阪球場)とか
実際やってる訳だしね。
その後の田園コロシアムのハンセンvsアンドレとか猪木・谷津vsハンセン・ブッチャーとか
何度も屋外ビッグマッチやってるんだし。
オールスター戦も後楽園球場でやるべきだったよ。
「TV放映出来ない分だけ、より多くの皆さんにお見せしたいから」とか言ってさ。
きっと日本中から何万人も集まったはずだよ。
雨が降ったら知らん。 馬場vsキニスキーが後楽園球場?
田園コロシアムや大阪球場なら知ってるが
猪木・谷津vsハンセン・ブッチャーが屋外ビッグマッチ? 力道山テーズと馬場サンマルチノは雨で順延してるから
やりづらい前例になってるのかもね 猪木&谷津組って蔵前だったよね?生観戦した記憶があるんだが。 1979年のオールスター戦のメンツを見ると(特に全日)
ここからたった10年ちょいで全日が大量離脱で崩壊危機になり
それを救った中心メンバー、三沢川田小橋田上がまだ入門すらしてないんだね
もちろん中心の鶴田がいた、という前提ではあるけれど
全日が経営的(馬場の立場も)に1番キツイであろう時期に入門したのが三沢
川田にいたっては馬場ハンセン戦(この日の成否もまた運命を決めた?)の東京体育館の控室での面談だっけ?
たった10年で、プロレス界最高のメンバーの大会に存在しないメンツで
設立史上最高の収益を上げる時代が来るんだから10年の時ってすごく大きいね
まあ、これは新日本と全日本の10周年の頃の新間氏のコメントなんかにも同じような事を言ってるけど。 >>495
新日みたいに初代タイガーみたいな大衆キャラがいれば
社会現象になったかも、全日本も。惜しい。 >>495
四天王の時代は全日本の完成形、黄金時代だよ。
外人天国を脱却したのが王道プロレスと言えるのかは別だけど、
馬場がまだ健在でいてくれたことが良かった すたは ぶるぶ あぶちゃ
たじぇし じゃいば あのき
おーるすたーすれ ばかすれ うんこすれ >>485
お前いっつもそればっかり。
ハンセンか入ってないのは当たり前。 二代目タイガーマスクのデビュー戦を田園コロシアム大会にしたのは
特別な理由とかあったのかな?雨が降ったらえらい事やないか >>497
プロレスで可能な強さの競い合い完成形かも。 >>500
元々は新日プロ興行の大塚氏が押さえてたはずでは?
詳細の記憶は自信がないが、提携時は両団体との関係が保たれてて
どこかのタイミングで新日から切られたから、全日にスライドしたとか?だったかな。
5月に田コロをやって不入りなのに、再びやる発想は全日フロントにはなかったと思うよ。 >>500
ごめん、疑問の意図を履き違えた
会場場所の問題ではなく、「なぜ大事なデビュー戦を野外にしたの?」という事ね。
それは提携第一弾だし、ちょうど大塚氏が大会場を押さえていたのと
その大会場を埋めるためには、センセーショナルな話題が必要だったんでは?
それに下手に違う会場に変更するよりも、興行手腕とその会場宣伝の慣れてる人に任せた方がいいと判断したとか…
興行の事は良くわからないけど、会場近辺に近い所に売りやすいとかありそうだし
あとはハンセンアンドレの田コロや、前年にも猪木木村で開催してるし、声をかけやすい企業などのお客さんも沢山いそうだし。 三沢が1962年生まれだから、10歳の時に全日本が旗揚げすることに‥
その日のカードを調べてみた
1972年10月21日 町田市立体育館 観衆3500人(前夜祭)
馬場・杉山(1ー2)サンマルチノ・テリー
10月22日 日大講堂 観衆6100人(開幕戦)
20分1本勝負
鶴見五郎(11分45秒体固め)藤井誠之
百田光雄(12分48秒逆さ押さえ込み)デビル紫
30分1本勝負
ジェリー・コザック(13分38秒体固め)佐藤昭夫
ドン・デヌーチ(15分5秒体固め)サムソン・クツワダ
テリー・ファンク(17分23秒体固め)サンダー杉山
45分3本勝負
大熊・駒(2ー1)ブラッシー・サベージ
駒(12分23秒体固め)サベージ
ブラッシー(2分20秒体固め)大熊
大熊(5分6秒体固め)ブラッシー
世界ヘビー級王座争奪戦第1戦 60分3本勝負
ジャイアント馬場(1ー1)ブルーノ・サンマルチノ
サンマルチノ(19分42秒エビ固め)馬場
馬場(8分18秒体固め)サンマルチノ
馬場(3分15秒両者カウントアウト)サンマルチノ
データを見ると、ブラッシーが現役なんだねーw 8月26日東京・田園コロシアム 観衆13500人(超)
PWF世界タッグ選手権 60分1本勝負
ブルーザー・ブロディ(1-0)ジャイアント馬場
スタン・ハンセン ドリー・ファンク・ジュニア
@ブロディ組(12分13秒反則勝ち)馬場組
タッグマッチ60分1本勝負
ジャンボ鶴田(1-0)クラッシャー・ブラックウェル
天龍源一郎 ジム・ガービン
@鶴田(13分36秒体固め)ガービン
インターナショナル・ジュニア・ヘビー級選手権 60分1本勝負
マイティ井上(0-0)大仁田厚
@(11分50秒両者リングアウト)
タイガーマスクデビュー戦 30分1本勝負
タイガーマスク(9分37秒猛虎原爆固め)ラ・フィエラ
メインのタッグ戦にテリーが乱入→世界タッグ戦で復帰して超獣コンビに復讐を誓う >>506
大仁田は目の前で直接、師匠の引退商法を学んだわけだな。 >>506
>メインのタッグ戦にテリーが乱入→世界タッグ戦で復帰して超獣コンビに復讐を誓う
引退してた部外者のテリーが、ハンセン&ブロディに突っ込んで行って袋叩きにされ復讐を誓い現役復帰を希望・・・
子供心にも「それは道理が合わんやろ」と当時テレビを見て思いましたわ。
多くのファンもテリーにドン引きしたんじゃね? >メインのタッグ戦にテリーが乱入→世界タッグ戦で復帰して超獣コンビに復讐を誓う
これは数週間前の週プロでネタバレされてたなw テリーが引退後に何度もマネージャーで帯同してるのを
テリー復帰の前フリだと見てた人、けっこうスレでは多いみたいだけど
自分はまだ子供だったから、単にテリーファンの残党へのファンサービスだと思ってた
また同時に日本のファンが恋しくて仕方がないのかな?とピュアに思っていた
テリーのその時のファイトマネー(ファイトというのも変だが)って現役時と同じだったんだろか?
最強タッグなんて丸々数週間も付き添うわけだし、でもマネージャーでさすがに動員が増えるとは思えんが… >>510
ファンクスは年間契約だったから恐らく変わらなかったんじゃないかな?
逆にいうと引退してマネージャー名目でも来なけりゃ当然だが金にならないというか テリーの3年後引退発言から引退シリーズ、引退試合
ドリーのマネージャーから現役復帰の一連の流れを見ると、
最初から全日本と日本テレビが仕組んだビジネスの様な気がする。
本当に膝が悲鳴をあげ満身創痍なら、即引退なり長期休養するのが自然だし
「フォーエバー」の連呼は「永遠に引退しない」に聞こえてくる。 すたは ぶるぶ あぶちゃ
たじぇし じゃいば あのき
おーるすたーすれ ばかすれ うんこすれ 復帰後の試合で、
テリーコールではなく長州コールだったのが
なんか哀しかった 外人レスラーにマネージャーがいるのは普通だったけどな、ギャラは知らないけど >>511
変わらないのか、それってテリー的にはおいしい契約だね
まあ、根っからのプロレスラーであるテリーは逆に戦えないのはもの足りないか…
>>514
復帰後というか、復帰初シリーズのの最強タッグでは大歓声もないけどブーイングもない感じだったね
翌85年の夏に初めて長州と遭遇するけど、対戦した両国では長州コール一辺倒でもない
長州コールに包まれたのが86年の両国シングルの時
テリーはウェートダウンして、風貌もチョビヒゲでいかにも悪党っぽかった
1986年最強タッグ、ここで長州コールというか対戦チームに声援がいく、自分の記憶だとこんな流れ。 復帰後のテリーは髭面が良くなかった
それまでのテリーのファン層にはウケが悪いだろう 1996年のジャイアントシリーズで「全日本プロレス創立24周年記念試合」
として行われた【馬場、ドリー、田上 VS 鶴田、三沢、秋山】
90年代半ばのドリーは衰えが激しく、馬場夫妻としては一線級(当時は四天王プロレス全盛期)ではなく
「功労者」として義理で来日させていたのだが、そんな中でのドリーのギャラアップ要求は「勘違い」としか言いようがなかった。
それゆえ「じゃあ一線級の攻撃を入れてやれ!」という制裁指令につながっていったと推測できる。
ちなみに長年続いていたドリーの来日も、この時をもって途絶えることとなった。 >>517
ヒゲ面でも二種類あったよね?
85年の来日での全面ヒゲ、86年のチャップリンみたいなちょびヒゲ
85年の方はワイルドで、また引退前よりウェートアップしてコンデイションも良さそうだったし
あのガタイにあのヒゲは迫力があった、マネージャーの時も一度生やしてたし自分は違和感がなかったな。
86年の方は皆も指摘してるけど急激な?ウェートダウンで下手するとジュニア近いと思わせるほどスリム
まあ、身長があるからジュニアはさすがにないだろうけど、あの小悪党みたいな雰囲気は好きではなかった。
そのまま最強タッグでも来日したけど、あの風貌はそのまま、開幕戦でマーテル・コールが出る始末…悲しかった ぼろぼろだった膝は凄く良くなった、これなら引退前以上の試合ができそうなんだ。
やりたいんだ。
なんて会見をやって中堅相手からならしていくようなプロセスなら
優しく歓迎されたんじゃないかと思わんでもない。
全日デフォルトの乱入、手を出す、で従前のポジションでやらせようとしたのがまずかったかな。 >>502
ジャパンで一番、客が入った興行は大阪城ホールに長州vs.天龍初対決とこの田園コロシアム
興行だったと大塚氏が述べていた。 >>520
鶴龍とジャパン勢がメインの抗争してる時に復帰しても無理だよ。
時代は確実に変わっている。
まして大々的に引退ツアーやってのカムバックは、日本人の心情からすると
素直に受け入れ難いものがある。 >>522
復帰のきっかけとなった田園コロシアムでの乱入劇では物凄いテリーコールで
まだまだ大人気だなと思ったんだけどね。 >>522
復帰未定の休養宣言だったら良かったのかもね
「確率や見通しは非常に難しいが、絶対に愛するファンの前に戻ってくる!」みたいな感じで
例えが不謹慎だが、成功率が低い手術に挑む患者みたいなモードで。
そうなれば、「休養とはいっても見納めかもしれない」とファンは思い、休養ツアーも満員続き
よしんば復帰しても「奇跡の生還」的な感じで涙で受け入れられるだろうし。 テリーのサドマゾショー的なやられ方は好きになれなかったな
最強タッグで人気爆発したけど、ヤラレっぷりが受けたと勘違いしたのか、そればっかり見せられてウンザリだったわ >>524
それでは休むまで長期間は引っぱれんだろう
宣言から引退するまで3年、実際辞めたら1年で戻ってきたからな >>525
鶴田AWA奪取試合のテリーパフォーマンスは「おいおい、大事な試合で
また始まったよ! 勘弁してくれよ〜」の気分だったw テリーって復帰後の試合見てもブーイングが全然飛んでなかったんだよね。
ゴディ&ウイリアムのようにカット入る度に
ブーイングが飛んでたけど、そんな感じでなかったし。 猪木が日プロ時代を振り返って
「馬場さんと話そうとしてもカミさん(元子)のガードが固くてロクに話せなかった」
みたいな事を言ってるんだよね。
元子って日プロ時代も巡業に付いて廻ってたの? >>518の試合でドリーが三沢と秋山にエルボー連打で制裁されてた時
テリーは大仁田引退で不在のFMWでハヤブサ&田中相手にメインで戦ってました
https://pbs.twimg.com/media/DKdbiOQVoAAFENc.jpg ニックって鶴田にAWA渡したとき50歳になる直前なんだよな
動きはいいし体もいいしスゴイ >>528
レスラーにとってブーイングも飛ばないのはかなり重症だと思うけど‥ >>524
実際ゴングやプロレス誌の読者の声では
そんな要望は多かったよ。
それと膝が悪いといっても、ブッチャー
絡みの試合になると大袈裟にのたうちまわる
んだけど、格下相手の試合だとそこまで
悪いように見えず、熱狂的ファン以外からは
そんなに深刻に捉えてもらえていなかった
よくに思う。 テリーにブーイングが飛び始めたのは、ジャパン軍と絡み始めたころだと思うけど
ハンセンやデビアスとテキサス遺恨モードの延長の頃はそうでもなかった
85年の夏のハンセンとのシングルではテリーびいき、という空気でもないけど、声援は半々ぐらいだったし
長州谷津と両国でやった時もブーイングという感じではなかった、声援数では押されてたが。
やはり86年秋の長州やウォリアーズ戦、最強タッグの頃からじゃない?
でも1年後のブッチャーブロディ復帰の87最強タッグ、そこでは再び声援を受けてたな >>533
テリー引退宣言時からの頃は年齢的に微妙で…
東スポはおろか、雑誌を買う年齢に到達してなかった
だから良くも悪くもテレビの倉持さんや田鶴浜さん、山田さんの語りが情報源で、
ファンの声とかいうのは知らなかった。
せいぜい友達と小学校で語るぐらいで、週プロが出たあたりのテリー引退前後はやっと買えたり、立ち読みできた。
やはり当時のファンも考えは同じなんだなあ…未練というのも含めて >>495
昭和プロレスの10年ってホント、どの年を基準にしても激動の様相。
ジジイになった今は10年なってあっという間だよな。
だが例えば71年暮れから81年暮れまでなにがあったか、
BIコンビが最後の姿、そして猪木追放、日プロ崩壊、三団体時代、馬場NWA奪取 猪木アリ世紀の決戦、
鶴田&藤波の成長、オールスター戦、タッグリーグ合戦、引き抜き合戦、佐山タイガーデビュー
国際崩壊、10周年興行、ハンセン乱入。。
軽く1スレ消費できる。。 ファンクスvsマーテルの試合で
声援が圧倒的にマーテルに飛んでたことがあったな >>537
そういう効果もまた良かったんじゃないの?
俺はファンクス全盛期より、50過ぎてムーンサルト使い始めたり、
WWFでストッキング被ってチェインソーチャーリーとかやってたテリーの方が好きやで >>28
佐山以降のタイガーマスク史上初のフォール負けもあったね。
佐山より前にタイガーマスクを名乗ったレスラーについては知らん。
それだけでスレをたてられそうな気がするが。 >>538
同意、FMWやIWAジャパンの頃の血みどろテリーも好きだ
またそういうファイトスタイルが天龍のプロレス観に影響を与え
後のミスタープロレスまで昇華させるんだから、本当にリビングレジェンドだわ。 リックマーテルはAWAチャンピオンの時より1986最強タッグの時が一番良かった。ジンクとのコンビもなかなかだったし。あのまま定着していたらと、、、ジンクとのカンナムコンビでWWF入り内定していたから仕方ないが >>542
チャンプの時は受けのファイトになるから、タッグの方が良かったね
トムジンクが期待以上だったから尚更いいコンビだったよ。 当時はLGBTに対する偏見が強かったが、
今のならマーテル&ジンクは違う意味ですごい人気が出ただろう >>534
テリーのブーングと言っても85〜86年の試合でも
そこまで豪快なものでなかったね。
ハンセン&ゴディvsキッド&スミスなんて
ゴディが出たらブー!攻撃したらブー!カットに入ったらブー!
と容赦ないブーイングだったけど、さすがにテリーに
対してそういったブーング飛ばすのは抵抗があったのかな。 ふぁんくすとぶっちゃー、しんのしあいをみたかった。 86年の週刊ゴングをパラパラ見てたら、輪島のトレーニングの手厚さに驚いた。
馬場、P・オコーナー、N・ロイヤル、たまにデストロイヤー、ドリーが加わり、
日本からタイガー時代の三沢が練習パートナーとして参加。
冗談抜きでプロレス界でも「横綱」になってもらおうという布陣。
86年デビューから87年春までは相手(シン、マーテル&ジンク、フレアー、ウォリアーズ)にも恵まれいい感じだった。
でも87新春シリーズあたりからすぐにカブキが纏わりつき始めw、数か月後には天龍革命がはじまり、
その渦の巻きこまれて目に見えて失速していく。末期(88年)の輪島は殴る蹴るだけが印象的な雑なレスラーになってた。 >>549
ヘーシンクも輪島も柔道や相撲の動きが染み付いているから
何かぎこちないんだよね。
適応出来てないというか、その点ジョン・テンタは相撲の他にレスリング経験
あるからプロレスに順応していた。センスがあったよ。 長州対テリーのPWF戦は、テリーが痩せていて、黒ひげを付け、
ノラリクラリとしていたから、チャップリンのプロレスみたいだったな。 >>549
『輪島のアメリカ珍道中』なw
亡くなったウォーリー山口が同行して「一冊の本が書けるほど色々なことがあった」と言っていた。
日本から持って行った電気釜が空港の探知機に反応して壊れた、車の発進で思いっきり逆走、
能登半島名産・こんかいわしを天龍、鶴田とホテルで舌鼓、ナイアガラフォールズを橋から眺めていると
石川県の観光ツアーと鉢合わせ「横綱、こんなところで何やってるんですか?」と言われる、
アメリカの若手に練習中、相撲の四股を指導・・・
後に天龍との対談で「相撲やっていて、誰がノースカロライナ、ジョージア、カンザス、
プエルトリコなんて行けるんですか?プロレスとは別の部分で、本当に良い思い出になってますよ。」
と言っていた。アメリカ修行で色々、考え方が変わったと。 >>516
> 復帰後というか、復帰初シリーズのの最強タッグでは大歓声もないけどブーイングもない感じだったね
正直テリーも引退前の頃にはもう熱狂的ファンクスファン以外からは
全日ファンからでさえ「本当のところちょっと微妙じゃない?」ってかんじはあったんだけど
一応引退までは馬場の十六文なんかと同じで
「もうそういうもんだから」フィルター越しの強豪大物ってことで丸く収まってたのが
さすがにマネージャーやレフェリー経由の復帰時期になると大半のファンは
「もうさすがに…これ以上付き合わなくてもいいよね」みたいな感じだったと思う >>555
テリーの親衛隊の黄色いボンボンも
ゴールデン復帰のウォリアーズ戦では
確認できるんだよなぁ。
以降の試合では記憶に無い。 >>528
もうファンの興味の対象じゃなくなってたんだと思う
仮にあの時代になってゴディ・ウィリアムスにファンクスがピン取るようなことあっても
素直なファンでさえ「ああ、さすがファンクス、勝ったんだ巧いねえ〜(冷え〜」くらいだった
リーグ戦の中の星取り上の波乱?のひとつってだけで
>>538
あのマーテルに対する声援は
プロレス的な「ベビー・マーテル/ヒール・テリー」に対する声援ではなく
正直時代遅れのオーバーアクションを大物設定で
未だに続けてるテリーやファンクスに対する本当の意味でのノーの裏返しとしての
時代に沿ったマーテルへの声援だったと思う
書かれてるような歳とってからの(本来の)ハチャメチャなテリーが
日本でも喜ばれ再び声援受けられるようになるには
ファンの側にそういうのもまたぐるっと一周してアリじゃね?
ってなるまでの時間がもう少し必要だったということかと 馬場はそんなテリーにアドバイスとかしなかったんかねえ?
今はそういうのウケないからやめろ。キャラ変えない
なら呼ばないぞ的な。 >>550
タカシも忘れないでいただきたい
あの顔であの小回りのきく動きという・・・
今で言うギャップ萌えというやつだ >>519
俺も85年秋のテリーの口周りに蓄えたヒゲが好きだったな。本来、テリーはこういう田舎の小汚い牧童スタイルでヒールをやるのが
持ち味だったんだよな。ハンセンよりもだいぶ悪党に見えたし。 おれは全日ファンでずっときたが、テリーで熱狂した事は一度もないなあ。
蔵前フォーク攻撃の時も、ファンクスが勝つと馬場鶴田の優勝がなくなる、と困ってた。 >>561
当時の雰囲気はどうせ最後は日本の馬場鶴田組の優勝だろう
日プロWリーグからの優勝は日本人が定番だったから新鮮で感動的だったな
そのインパクトもファンクス人気を後押しした部分が少しはあったと思う
だから第4回カーニバルのブッチャー優勝も、馬場じゃないから印象に残った
ファンクスにしろブッチャーにしろその後の全日本ではドル箱になったからね なんで百田義浩がリングアナなの?
ダミ声で耳障りで全然カッコよく聞こえない。
倍賞鉄夫や田中ケロは響き渡るイイ声してたんだが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています