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それが大切なんだよ
斬られ役のいない時代劇なんて面白くないだろ >>168
レイス対バックランドもフレアー対ホーガンも契約上何の問題もなかったから実現したんやないか。アホ。
テレ朝と日テレ同時中継とかアホか。
なんのメリットがあるんだよ。
馬場がファンを裏切った?どうしてもやりたかったら、猪木がオープン選手権に出れば良かったのに。ジャンボ対藤波戦が実現しなかったことはなんで馬場の責任なんだ?
ちょっと意味がわからない。 観客動員・視聴率共に新日の方が上なのは、営業力の差と日本人好みの
緊張感のある真剣勝負のようなファイトスタイルを新日が提供したことに対し
オーソドックスな試合結果が読めるアメリカンプロレスを全日が提供したことによる差だと思う。
何が起こるか分からないハラハラ感が支持を得たんだよ。
ただ猪木の挑発は上にあるユセフ・トルコの発言が全て。
米マット界の事情は知らないけど、全国ネットのTV局がバックにあり
団体エース同士の対決なんて有り得ない。
前にもどこかで書いたけど、日本プロレスが日テレ1局独占放送してる時が
唯一の対戦チャンスで、あの時の「時期尚早」判断が幻の対決にしてしまった >>175
BBMは局からのオファーは断っていたのか?
それとも声もかからないポンコツ揃い? >>179
日プロはあのまま続いたとして
馬場猪木の関係をどう扱っていくつもりだったのかね?
猪木が挑戦声明した時には
既にそれまでの日本人体外人路線のジリ貧が始まってたし
猪木の後には坂口も迫ってきてる
日本人対決に踏み切らざる得ないとこまで
すぐに来てたんじゃないか? ↑
ごめん。
「時期尚早」は猪木が馬場に挑戦表明した71年だから
すでにNET参入してて2局時代だったね。
同じ日プロ所属時でも無理なのに、独立して別団体なら尚更だよ。 >>181
そんな先のことなんか一切考えてないだろ、2局放映が続いて銀座で飲めればそれでいい。 >>179
いや、日プロは元々が日本テレビだけだったのが、ダラ幹連中がダブルでの放映権料欲しさに
日本テレビの了解なしに勝手にNET(テレビ朝日)を引き入れた。
日テレの最大譲歩として猪木をNETのスターにするのはいいが馬場・坂口はNETに出してはいけない
という条件を出して、一旦はダラ幹も飲んだ。
でもすぐに反故にして坂口をNETに出すようになってしまった。
猪木追放後は馬場まで勝手にNET中継にだすようになり、日テレの堪忍袋の緒が切れて
日テレが放映を降りて馬場に日プロを辞めさせて全日本を設立させた。
ダラ幹連中は高千穂クズ久と同じくらい魂の障害者だったよ。 >>182
実現できたとしたらNETの放送開始前だったんだろうが、
その時点だとまだまだ実績不足だったのに加え、東プロの一件があったのに
拾ってもらった恩義もあるし、確実に猪木の負けブックだったな
本人もそれがわかっていたから、その時点では対戦アピールはしていないし
そもそも対戦ムードも盛り上がってなかった でも馬場はチャンピオンカーニバルで鶴田と30分時間切れをやってるし、
猪木も新日版ワールドリーグで坂口と30分時間切れをやってる。
だから馬場と猪木でインターとUNのダブルタイトルで60分3本勝負をやって
1−1の後に時間切れでも良かった。
後楽園球場が満員になったろうし、視聴率も30%以上取ったんじゃないだろうか?
ただ、検討はしたかもしれないが当時の馬場のスピードやスタミナを考えたらもう無理で
ボツになったかもしれない。 猪木は馬場の上に立ちたい願望が当時から凄かった。
いつまでも対戦が認められなければ遅かれ早かれ独立していた筈
馬場は「会社が決めてくれれば、僕はいつでも受ける」と表明してた。 >>186
馬場猪木戦の後楽園球場での開催は
一応は検討はされたらしいね 結論としては馬場と猪木の全盛期が微妙に違ってたことと、
幹部連中が甘い汁をいつまでも吸っていたかったこと。
だからこうなった。 オープン選手権中の12.11力道山十三回忌追善特別大試合は、蔵前で猪木vsロビンソンが入っているから出れない。
そうすると、馬場のプランだと最終戦の1496席の川崎市体育館で馬場vs猪木戦かw >>186
>>188
引き分けでは、追う立場の猪木/NETはともかく、追われる立場の馬場/日テレにはメリットがない
それに試合後に必ず出てくる再戦ムードをどうするのか。
どっちかに勝たせるのはもちろん、再度の引き分けも難しいし
大物外人(あの当時ならデストかブラジルあたり?)や大木の乱入での不透明決着もまず無理
どう検討しても結論は「不可能」しかないよ。 昔のゴングが出してた本で
猪木の馬場への挑戦表明の全文を読んだことがあるけど
そこで語ってる日本人対決や世代交代、中堅の底上げ、団体交流とか
今ではどこの団体でも普通にやってることばっかりなんだよな >>192
当時は民放2局放映とか、今はどこの団体もやれてない環境だったから仕方ないだろ。 オープン選手権は馬場が猪木に対戦のチャンスを与えた最初で最後の仕掛けで
これは猪木が絶対乗ってこれないと見越しての皮肉なやり返し。
新日は武道館にゴッチを派遣する案もあったが、立ち消えになった。
(その時はマードックが用意されてたらしい?) 今までの長い歴史で見れば主流として日本人対決に帰結してるな。人気外人が堂々とメイン張ってたのはやっぱ昭和までか。
それまでも新日は言うまでもないが、国際もリーグ戦以外でのエース対決はあったし、交流戦も積極的だった。
馬場のスタンス(的なもの)を否定するわけではないが、殺伐とした日本人同士の緊張感、高揚感のあるカードが興奮するよね。。 >>194
当時のゴングの馬場のインタビューで、オープン選手権で猪木が参加すれば、はっきりと馬場対猪木戦、可能性ありますと言っていた。
猪木が、不参加を見越しての発言はありありだが、万が一猪木が、参加しても連日あの強豪外人らと戦い、負傷したりして対馬場はたどり着けない馬場の計算だな。 新日本が絡むと殺伐だけど全日本国際はそうでもなかったな
ましてや今の日本人対決とかほのぼのだろ 「対等合併だと聞いていた!」
「日本テレビに頼まれたから来てやったんだ!」
死ね。 全日国際提携時代は馬場木村戦も鶴田木村戦も実現したが、新日国際提携時代は
藤波原戦くらいしか実現しなかったからな。結果的にだが国際がなくなってから
猪木木村戦が実現したから、みんな勘違いしているところはあると思う。 インター王者→大木
インタータッグ王者→大木・上田
UN王者→高千穂
死ね。 >>199
国際のエースだった木村が、74年に離脱した元エースの小林と対戦して
夢のオールスターでリングアウト勝ちしたのが79年
初めて完全ピン勝ちしたのはさらにその翌年
とっくにトップから脱落していた小林と木村の序列を逆転させるのにもこれだけ大変だったたんだから
馬場と猪木の序列を完全決着で逆転させるなんて絶対無理だよ 力道山は木村政彦と山口敏夫と対戦して勝って二人の団体を潰したが
別に力道山が強かったから勝った訳じゃなくて、二人の団体が日プロのせいで崩壊寸前だったから
話し合いの末二人に負けブック料払って撤退してもらったという説がある >>163
>だから残ったプロレスファンは仲良くしようよ。
これに尽きる。 >>201
ごめんなさい、私が>>199で書いてる意味とは違う。私は>>195に対して書いた。
猪木小林戦は実現したが、この時の小林は「他団体のエースを辞めさせた人」。
猪木木村戦は実現したが、この時の木村は「潰れた他団体のエースだった人」。
新日国際提携時代とか、猪木は他団体所属選手との対戦に全然積極的ではなかった。 >>186
それに、猪木なら
どんな汚い手を使ってブック破りしてくるかわからないって、警戒もしてたからだろうな。
まさに力道山と木村の再現。
信頼できる者同士でないと、試合なんてできない。 >>190
川崎市体育館ってそんなに小さかったか?
座席数も2400人の横浜文体より少し少ないくらいの感じだったが。 >>205
196だが、元プロボク編集顧問が考えたのか。
まだ小学生だった俺は、猪木が参加かな?って思いを寄せたもんだがw
ネットが普及し今だから判ることが多いな。 >>156
「大雪山で山籠もり特訓」
これが聞いた感じカッコイイなw >>186
あと坂口はともかく
猪木馬場が一回でもやっちゃうと結果の如何に拘わらず
ほら、あの人がまたなんか面倒くさいこと言いだしそうでw
インター王者とUN王者が真の王座を賭けて戦うなら
アジアヘビーのベルト持った私にもその資格がある
真の日本一を決めて今度こそ二代目力道山の名跡を…とかwww >>.209
絶対王者時代の小橋が本田多聞を帯同した
合宿特訓でヒグマの像にラリアットかましてたことあるけど、
あれひょっとしたら大雪山だったかも >>212
小橋の特訓で思い出したけど東スポで小橋が蒸気機関車が展示されてるところで特訓して
機関車ピストンチョップだかなんだがの新しいチョップ編み出してた記事を覚えてる
こういう胡散臭さは大好きw >>186
1−1からの時間切れでもいいから・・なんて言うが、信頼関係が無いからダメ!
前田戦をやらなかった猪木と一緒 猪木の執拗な馬場線アピールに対して鶴田は
「あの人そのうち自分が同じことやられますよ。そうなったらどうするんだろう」と
か言ってたけど、前田がそれを実行したな
テレビ局や契約の問題もないのに逃げる猪木はただただみっともなかった。
あの時猪木は馬場の気持ちがよくわかっただろうな 猪木は前田日明の挑戦から逃げ
前田も佐竹雅昭の挑戦から逃げた そうなると佐竹は凄いな
いろいろな人とやりまくって負けまくったけど >>215
その鶴田の台詞は実に正論で鶴田らしいけど…
でも当時のファンが期待してたのは
実際には実現性なんか無くとも
(そしてそれに皆薄々気が付いていても)やっぱり
「来るなら来い、馬場さんの前に俺がやってやるよ!」
「俺が全日のマットを守ってやるよ!」
って熱く言い放つ鶴田だったんだけどなあ >>218
新間寿「猪木と本当にやる気があるなら新日本の蔵前大会に挑戦状を持ってこい。」
と客寄せに使われるのがオチだな。 >>218
鶴田は顔じゃない。
うちの木村健吾でも勝てる
とかなんとか言われたんじゃなかった? 後にUインターが「一億円で招待状」をやって
長州が激怒していたけどあれってかって新日が全日に対して
やっていた事のコピーなんだよね 確か黒パンに変えて間もない頃だったと思うが、
鶴田が一度だけ「猪木さんと戦ってみたい」とか言ってたのが東スポに載ったことがあるんだよ。
猪木は「十年早い」「藤浪の方が上」とか相手にしてなかったが、
多分その時馬場に「相手の話題作りに利用されそうなこと言うもんじゃない」とか
こっぴどく叱られたんだろうな。
次に鶴田のその手の発言が出たのは、引退が決まった後で
「前田とやってみたかった」って言った時だったはず。 トルコ「馬場、ファンのために最後に馬場vs猪木戦をやれ。収益は恵まれない子供達に寄付するんだ。
そうすれば馬場vs猪木戦をやる大義名分もあるだろ」
馬場「分かりました。先輩、やります」
トルコ「帰って元子にひっくり返されるなよ」
馬場「大丈夫です」
後日・・・
馬場「すいません、カアちゃんがダメと言ってます・・・」
トルコ「テメエ、この野郎、ぶっ飛ばすぞ!!」
トルコによると「猪木&藤原vs馬場&ハンセンorラッシャー木村or渕」 しかし日プロのダラ幹連中はどこまでバカなんだろうか?
会社乗っ取りのレッテルを貼って猪木を通報したまではいい。
でもNET中継の顔だった猪木をクビにして、代わりのNETエースを立てないで
馬場を勝手にNET中継に出して日テレを激怒させて日テレから切られてるんだから。
しかも馬場を引き抜かれて。
その頃、猪木はカール・ゴッチをブッカー兼・外人エースに据えてたんだけど、
ここに答えがあるのに。
つまり、前年(昭和46年)の国際のIWAリーグ戦でゴッチと引き分けて準優勝してるビル・ロビンソンは
3年前は日本のプロレス史上初の外人エースをやっていて、人気もあった。
昭和43〜44年当時の日プロのゴッチ教室と共に国際プロのロビンソン教室も有名だった。
しかも、昭和47年当時、ゴッチは既に50才だったがロビンソンは確か馬場より2才くらい年下だったはず。
昭和46年当時の猪木の日プロでの年俸と同額を提示すれば
アメリカへ渡ってもなかなか売れないロビンソンは飛び付いただろう。
猪木が国際からゴッチを引っ張れたのは、ゴッチが国際と年間契約をしてなかったから。
当然、ロビンソンも国際と年間契約があった訳じゃない。
だからロビンソンを坂口と2枚看板でNETのスターに仕立て上げるべきだった。
インター王者・馬場、インタータッグは馬場&坂口(日テレ用)、
UN王者にロビンソン、アジアタッグを廃止して新設UNタッグ王者にロビンソン&坂口、
12月のNWAタッグリーグはロビンソン&坂口が優勝、
これをやれば2局放映が続いたものを。
芳ノ里と吉村は只のバカ、遠藤幸吉と九州山はリアル障害者だ。 >>225
日米で自分勝手な試合をする、人間性も酷評されると悪評のロビンソンをエースにしてうまくいくわけがない。 だいたいね、昭和47年って普通の年じゃないんだよ?
オリンピックイヤーなんだよ?
ダラ幹障害者は毎日銀座で遊んでないで、鶴田友美や吉田光雄に唾を着けておくべきだった。
スーパートルコで接待しまくって、2局放映をバックに契約金をドンと積む。
柔道の坂口は旭化成の社員だったけど、アマレスには当時その道は非常に少なかったからね。
鶴田と吉田以外に、もう一人くらい、重量級から引っ張れたろうに。
数年後にトップに立たせるはずだった猪木を追放しておいて、数年後をどうするのか、
全く考えてないんだわ、ダラ幹障害者の連中は。
坂口はショッパくてプロレスセンスが猪木より格段に劣るのは明白であり、
腰が悪いから猪木のようなブリッジで魅せるレスリングはおろか、ブレーンバスターひとつ満足に出来やしない。
ドリーvs猪木で目の肥えたファンに馬場や坂口では人気は長くは持たないのが
解らなかったんだろうか?
だからこそのロビンソンや鶴田の獲得なんだが、誰も考える奴は日プロにいなかったのか? 力道山も馬場と猪木の未来像は描けても、幹部になった弟子達までは
想像出来なかったんだろうな〜 >>220
新間「ウチのタイガーとどう?」
大仁田「…いつでも」
新間「大仁田がタイガーに挑戦してきた!」
こうだもんな >>225>>227
猪木の追放を強硬に主張したのは日プロ選手会だった。
そしてミツヒライは若手まとめていたと言われる。 新日って「挑戦」を使うのが好きなんだよね。
ブロディ移籍のときも猪木が「とんでもない奴から挑戦状が来ているんですよ、ムフフ」なんて言ってたし。 >>223
おまえなあ、よくおぼえとんな。
それははちじゅうにねんだぞ。
だいにかいおーるすたーかいさいないていのときだ。
いのきからはだめだしされてたな。
とうじのごんぐにそのきじはあったぞ。
いのきからは『じゅうねんはやい』ときゃっか。
『すべてにおいて、ふじなみがうえ』とも。
ただ『いいそざいではあるからもったいない』と。
これは、ほめるようでさらにだめだし。 唐突に話題がそれてすまん
全日10周年の蔵前や、1981最強タッグの時期
ある程度の認識できてたファンはどんな心境やノリだったの?
ある程度ってのは「リング上のレスラーの抗争や熱闘」だけでなく
「観客動員の実情も含む、興行戦争」や「引き抜きなどのパワーバランス」などのリング外までも見てた人
前置きが長くなったけど、10周年のメンツや最強タッグのメンバーを見ると、確かにネームバリューは凄いかもしれないが
今の目線だと「昔の名前で出ています」的な将来性もを考えると?がつくメンバーにしか見えない
結果的に最終日にハンセンが登場し、1982年への楽しみや興味もつながったけど、それまでの状況はあのメンバーでもファンはノレてたのかな?
ブッチャーがいないし、マードックもいない、戸口もいない
もちろんハンセンはまだ登場してないし、目新しいのはブロディとスヌーカぐらい?
シンや上田、クラップ、引退カウントダウンのファンクスのテリー、あとNWAとAWAの大御所
今だとうーん…て見ちゃうんだけど、同時期にアンドレvsハンセンとかで外人でも凄い試合をやっちゃう新日をを横目に見ててもどうだったんかな?とかね。
もちろん自分も見てたけど、子供過ぎてただ「怖いメンバーばっかだな」ぐらいに認識してただけだったんで…
全日の外人も含む将来なんかも含めて楽しめてたの? >>226
お前の脳は芳ノ里レベルだ。
ルックスがまあまあで実力があって人間性もまあまあなら、とっくにAWAで王者か
時期王者候補の筆頭になっとるわ。
それじゃあ日本に「NETの新エース」として呼べる訳がないだろうに。
ドリーなら、髪さえあれば、あっさりと猪木の代わりが務まるが
現役NWA王者や王者退任直後のドリーが日本の団体専属でやれる訳ないがに。
仮にやれてもハゲだし。
だからそれなりの容貌と実力はあっても性格に難アリのロビンソンを使うんだよ!
「馬場はレスリングは全く出来なかったが、待遇は良かったから
プロモーター馬場には感謝している。」
というロビンソン談が示すように、彼は性格に難アリでも仕事は仕事としてこなす。
鶴田とは名勝負となるフルタイムやUN奪取だけでなく、負けてのタイトル返却もやってるし
馬場からは見事に2フォール奪われて負けてる。
PWFをブッチャーに取られた時も、屈辱の10カウントKO負けを飲んでる。
天龍の引き上げにも一応貢献してる。
そもそも人間性を問題にするんなら、大木金太郎よりマシなら、それでいいんだよ!
だいたい、それを言い出せば馬場だって猪木だってブッチャーだって人間性に問題アリだろうがっ!
しかも、ロビンソンに10年間エースをやらせる訳じゃない。
飽きられるまでの《つなぎ》の2〜3年でいいんだよ!
その間に鶴田をしっかり育てりゃあいいんだし、何よりTVなしの新日本は2年で必ず潰れて
負債を抱えた猪木が自民党幹事長クラスとNETの口添えで日プロに2度目の出戻りをして来るから。
実は日テレの口添えになるかもしれない。
昭和49〜50年になれば、もはや馬場ののっそりプロレスでは視聴率が取れなくなるから。
だから何としても日テレとNETを離さない為に、2〜3年の間、
猪木の代わりが務まる《代役エース》が必要なんだよ!
ワカッタかっ! 芳ノ里猿めっ!
罰として遠藤幸吉の腐った糞をバケツ山盛り喰って死ね。 新日派と全日派で視点は違うだろな。俺は親日派なので10周年蔵前に関しては外人メンツはこっち(新日)が劣るが
向こうも新鮮味がないし、ただの顔見世興行程度。要は「テーマ」のないイベントという印象だった。
新日は猪木と木村を始めとした軍団対決(3人だけどw)や新顔のブッチャー、タイガーマスクへの期待等。
逆に全日でのシン(&上田)ってももう外人はお腹いっぱいでしょ、ってのがもっぱらの感覚。
年末タッグも似たような感覚だったが、まあ最後の最後でハンセンにやられたなw >>233
そんな不安を感じるなら
カーニバルと最強タッグ、それにカーニバル優勝でいつになく期待の高まった
鶴田が挑戦したNWA戦をやった5月の札幌と
マスカラス傘下のサマーアクション2、テリーが特参したジャイアントシリーズ
後半以外はガラガラの連続だった前年80年の時点でもうなってるってw
ブッチャー抜けた穴が思ったより小さかったんで一安心してたくらい
もっとも実際にはこの穴はハンセン人気をもってしても防ぎきれない致命的な
ものだったけど
会社としての全日は息を吹き返したが、古き良き全日の風景は消えた しかし馬場も猪木・坂口もTV局が付いての独立後になんでロビンソン獲得に動かなかったのかね?
馬場は手薄な日本陣営を埋める為に国際プロからサンダー杉山を借りたけど、
杉山じゃ馬場のパートナーとして猪木や坂口には大きく劣る。
同じく日本陣営に入れたデストロイヤーも力道山時代の人だからね、と言うより、
デストにベビーフェイスをやらせても、技も動きも退屈で、デストが日プロ時代に魅せてた
凄みや恐ろしさがみんな消えてしまってたよ。
やっぱりデストロイヤーには、日本人レスラーを痛めつける凶悪外人が向いてた。
一方でロビンソンは、その後(昭和50年)に猪木と60分フルタイムの名勝負をやってのける現役最盛期で、
でもアメリカじゃパッとしないで燻ってた。
「全日本に日本陣営として年間契約で入らないか?
今の年収の3割増しでどうだい? しかも米国と違って異動交通費もホテル代も会社持ちだよ?」
これでかなりあっさり飛び付いて来たと思うんだけどね。
そうすりゃあ、デストロイヤーも白覆面の魔王として絶対的ヒールの強豪として使えた。
結果論ではあるけど、デストを噂のチャンネルでコミカルタレントにしても
全日の視聴率や観客動員に活かせなかった訳だし。
新日ならNETが付いたらすぐに猪木のライバルとして採るべきだったな。 >>236
なるほど、自分は前述したとおりで「ハンセンvsアンドレ」が子供的にも衝撃的だったし
同時に「誰が強い」ってのは友達とのテーマであり
「全日系のチャンプのニック・レイス・フレアーってアンドレやハンセンに勝てるの?」
という疑問符だった、ていうかアンドレハンセンの方が強そうに見えた
つまり三段論法でその両者と互角以上の猪木は1番強い→猪木がNWAに挑戦すれば一発、と思ってた
だからといって新日のファンというわけでなく、華やかな全日の方が好きだった
でも「1番強いのは猪木」が根底にあるもんだから、全日のタイトルマッチは子供的に微妙に複雑に冷めてた記憶があるんですわ…
つまり「全日の方が好きだけど、微妙にノレなくなってきた…」って時代です。 >>237
> ガラガラの連続だった前年80年の時点でもうなってるってw
> ブッチャー抜けた穴が思ったより小さかったんで一安心してたくらい
ああなるほど、もう前年からそういう雰囲気というか、会場風景だったわけか…
たまたまかもしれないけど、自分がハマッた時期は「外人の全日」とういうのがピンとこなかった
どちらかといえば「権威あるチャンプを呼べる全日」という感覚
上記にも書いたけど、ニック・フレアー・レイス・ファンクスよりも
アンドレ・ハンセン・新参のホーガンの方がよほど強そうで(子供目線で)大きそうに思えた
「新日の外人の方が凄くない?」って自分が言うと「お前何もわかってねえな、WWWFNWAとAWA系の方が凄いんだぞ」 誤送信ごめんなさい
「新日の外人の方が凄くない?」って自分が言うと
「お前何もわかってねえな、WWWFよりもNWAとAWA系の方が凄いんだぞ」 とか言われてた
そういう記憶がのこってるので、今になって10周年や最強タッグを見直すと
「当時の自分より少し年長のファン」はどういう目線や心境だったのか興味があったので… >>233
人それぞれで楽しめてたんじゃないかな?
自分なんか全日本新日本関係無く見てたから、全日なんかはNWA世界戦に
馬場とサンマルチノの友情タッグ、息子ディンクの敵討ち要素がある
ドリーvsブロディ戦…オールスターが見れればそれで満足だったよ。
新日も崩壊した国際軍団との対抗戦や伝説試合アンドレvsハンセン等々
結構夢中で楽しんでたよ。
でも本気で夢中になれたのは、74年から79年の5年間で
馬場と猪木が一番張り合ってた時期(人によって感じ方は違うと思うけど)
馬場はNWA世界を初奪取から2度目まで、その間にもデストの覆面十番勝負や
鶴田試練の十番勝負、オープンのシングル&タッグ選手権にCカーニバル
猪木は日本人大物対決、シンの腕折り試合からテーズ、ロビンソン戦に
異種格闘技戦まで
とにかく毎週どっちも見てた。
ただ年々自分の中で感動する試合は少なくなってきてたw >>243
>でも本気で夢中になれたのは、74年から79年の5年間で
>馬場と猪木が一番張り合ってた時期
うーん、その時期は歴史で知ってても、全く体感してないのは本当に残念
野球で例えると、自分は巨人ファンでもあったけど、王さんの全盛時の体感は皆無
巨人の四番は原かホワイトって感覚、監督さえも長嶋さんではなく藤田監督
酒場で当時の巨人ファンのオッサン達が、70年代の巨人の話で盛り上ると全くついていけない…自分も同じオッサンになりかけなのにw
まあ、巨人の話はおいといて
馬場猪木を支点に考えると、プロレスでの70年代と80年代を知るか・知らないかは凄く大きな差を感じる
ファン的に年齢がそんなに差はないのに…タイミングというかほんの数年なのに大きな差を感じる。
自分がファンになった時はちょうど、言われてらっしゃるような「年々自分の中で感動する試合は少なくなってきてた」にあたるわけで
従来の新日からブームを起こす時期、従来の全日から下降線を辿る時期を全て体感して総括したかった。
すごく微妙な中途半端な時期にファンになったと感じる。 >>244
>>243氏は俺(新日派の>>236)より少し世代上なのかな。
自分はアリ戦あたりからワープロを中心に見始めたクチ。全日や国際はウチは定番放送じゃなかったので疎遠だった。
まあ年代による見方の違いは大きいねやっぱり。日プロ猪木追放〜崩壊から田コロや蔵前合戦で「わずか」10年だからまさに激動だったんだよな。
自分なりの観方だが、大筋で79年のオールスター実現でかなり馬場&猪木の具体的な接点を見出すことはできたが
正直、アレが最後でその後は興行(パイの取り合い、引き抜き等)に名を借りたBI対決だったと思う。 >>244
敬語なんてやめてよ。同じプロレスファン目線で書き込めなくなるからw
先ずファンになった時期なんか関係無いと思うし、
80年代や90年代に感受性が豊かな時期を過ごしてたら、後になって“あの頃は
良かった”になるもんだよw
確かにV9川上監督から長嶋時代、最下位からの翌年ペナント奪還や
日本中が王貞治のホームラン世界記録に釘付けだった頃は面白かった。
でもそれは、藤田時代がつまらないとかじゃなくその時代に見初めたら
記憶に残るのは皆同じだよ。 ロビンソンを日本陣営には面白いな。
そうなると人間風車十番勝負はあっただろうな。
@ガニア Aイヤウケア Bルーイン
〜
Gブッチャー Hテリー Iドリー
という感じかな。 >>238
俺は幼稚園の頃、噂のチャンネル見て、デストのファンになり、プロレスを見るようになったぞ。
そういう人間も少なくないだろう。
お前の書き込み、いつも決めつけと思い込みばっかり。 >>223
テレビ中継の試合後に、
「ホーガンともベイダーともやってやる!」って、
唐突に言い出したことがあったな、
プロレス雑誌にも、鶴田のこういう発言は珍しいと書かれていた。
どういう心境の変化だったんだろ。 >>245
>自分はアリ戦あたりからワープロを中心に見始めたクチ
アリ戦かあ…いやあその時は社会と共に体感したかった、特にプロレスジャンルを越えたイベントだから。
自分にとってのアリ戦は極論だけど、馬場vsブリスコ 猪木vs小林 もっといえば力道山vs木村も含めて未体感という本質は同じ
結局は歴史の後追い視聴でしかない、まあ時系列でそれを求めたらキリがないけどw
>>246
まあそうだね、確かに。
それでも「猪木アリ」や「王さん世界記録」はそのジャンルに留まってない事象だから特別感はあるなあ…
でも下の世代に「長州と藤波の仲間割れを見たんですか?!いいなあ羨ましい!」とか、
ブロディの新日時代のワガママも含めた無双っぷり、もっと言えばハンセン全日乱入をギリでリアルタイムで体感してる等…
それと同じことなのかもしれないね。 >>249
あの時期は平成の2、3年ぐらいだと思ったけど
ちょうど全日が崩壊を食い止めて、超世代で再び巻き返して経営も安定した頃
鶴田も業界内で「世代の壁役」も含めた問答無用のの強さで「プロレス界の最強論」まで言われてた頃
ある意味では1番評価が高かった頃、悪い気はもちろんしないはず
それと同時に長州藤波がG1で三銃士に不覚を取り、決勝に出れない始末
同世代にハッパをかけつつ、世界の象徴たるホーガンにそういう事を言ったのは
日本のプロレス界で「オレが1番認められてる」という高揚感覚が、あの発言になったのではないかと…
長州の「俺たちの時代だ」と同じような自負と自信と気概にあふれたんでは?
現実は知らないけど、自分にはそう感じた、「遅かったけど鶴田のポテンシャル」と「評価」が初めて一致した時期…って感覚。 >>248
お前と、全国であと300人くらいが噂のチャンネルからプロレスを観るようになっても、
(そこから新日へ流れた者も多いだろう。新日の方が観ていて面白い、興奮するのだから。)
それは全日の視聴率や観客動員にまったく反映されてはいない。
ブシロードがオカダを売り出すのに1億遣って3億売り上げた事は全く無駄ではなかったが、
レスポンスというのは一定以上の成果に繋がらなければ
有形無形のマイナスとなる。
そんな事もワカランのか?
また、前提は「ロビンソンを日本陣営に加えて」だぞ?
この場合、バラエティーに出るのは日本陣営に入ったロビンソンになる訳だが、
彼のキャラからしてコミカルタレントはやらずにニヒルな外人役となり、
それならばロビンソンのプロレスラーとしての価値を損ねる事にはならないだろう。
猪木がキーパッパでイメージをソコネナカッタようにな。
だが、ザ・デストロイヤーというのは本来が実力派の凶悪化ヒールであり、
それでこそ彼の魅力が最大限に生きる。
当時のプロレスは凄みのあるものを見せてこそ、視聴率と観客動員に繋がった時代だ。
デストロイヤーのコミカルタレント化は当時の状況で言えば
全日の視聴率UPと観客動員UPに全く繋がっていなかった。
お前の脳は猿以下だ。 >>251
平成3年だね、鶴田が東スポ大賞取った年。ベイダーの名前は出してないと思うけど・・ >>252
観客動員に反映されて、あの数字かも知れんだろ。
アホか。
大体、新日の方が面白いとか言ってるやつが、このスレに来んなよ。
何がしたいんだタココラ。 >>253
ホーガンでもベイダーでもって言ったと思うけどなあ。
二人言っただろ。
あとは誰だ? >>252
ロビンソンを日本陣営に加えてって意見がバカげてる。
時代背景考えてない単なるあとだしジャンケン。
どの面から考えても、あの時代にそんなこと実現できるわけがない。
だから、思い込みと決め付け男だと言っている。
そういうしょうもないことは、blogにでも書いとけ。少なくともここでは書くな。新日スレに帰れよアホ。 ロビンソンは国際時代すでに日本陣営の助っ人どころか
のちの全日でのテリーのようなほとんどエースみたいな立場になってるんだが >>223
82年の実現しなかった第二回オールスターの時だな
猪木には
「馬場さんがもう猪木には敵わない、鶴田が全日本代表だというなら受けて立つ。
しかし鶴田個人の意見なら一切相手にしない」と一蹴された
馬場も
「ジャンボも軽率だよ。藤波が俺に同じことを言ったらどう思うか・・・」
>>249
91年の武道館で三沢に勝った時だな
「長州にしろ天龍にしろちょっと元気がない。この世代はまだ負けないぞ、というのを見せてほしい
自分としてはたとえ負けてもいいから世界最強と言われるハルク・ホーガンとやってみたい」 ほーがんはそんざいがせかいさいきょうだったかんな。 >>223
83年のオールスター構想で、鶴田が猪木とのシングル戦要求、
猪木「10年早い」新間「顔じゃない」→これを受けて馬場「その言葉、そのまんまそっちに返す」だったはず。
鶴田の挑戦表明はオープン選手権開催と同様、馬場&日テレの「猪木は受けるわけない」って読みの上の戦略だね。
渕の本読むと、昭和49年あたりには猪木への馬場への挑戦表明に対して、
馬場と日テレの原章は「相手にすんな、すぐに黙らせるから」と泰然自若、鶴田は「猪木は卑怯者」ってカリカリしてて
桜田、羽田、伊藤以下の若手たちは「新日なんかに負けないからやってやる」と戦闘モードだったようだ。
で、「放映権、会場、すべてそっちの条件を飲むからシングルで戦え!」と言ってた猪木が、いろいろと理由つけてオープン選手権からは逃げるという流れw 73年に日テレが視聴率が取れない全日本へのテコ入れ的にヘーシンクを日本陣営でデビューさせたけど、
入れるべきはプロレスに全く順応出来ないヘーシンクではなく、即エースを務めてドリーと名勝負を作れたであろう
ロビンソンだった。
72年10月の旗揚げから入れるべきだったよ。当時アメリカではそれほど売れてなかったんだから。 >>262
鶴田はアマレス、桜田と羽田と伊藤は大相撲出身。
一応ガチの格闘技経験者から見ればガチ童貞の猪木が
偉そうにしてるのが我慢ならなかったのだろうな。 オープン選手権は力道山の追悼式でもあったから、参加しない猪木は不義理を働いた事になる
紙上で力道山未亡人に謝罪させて、これ以降は対戦アピールできなくなったんだっけ >>264
目の前にガチ童貞の野球崩れが、葉巻吸って偉そうにしているのだが、気にしなかったんだね。 >>265
後にオールスター戦の時も対戦要求したくらいだから
関係ないだろうな
時期的に考えれば
猪木の興味が馬場からアリに映っただけの話だろう >>266
葉巻吸ってるガチ童貞は自分に給料払ってくれる人で、強い強いアピールしないし。 >>265
「同日、蔵前で試合やるの決まってるのに、いきなり追善試合を後からかぶせてきた」って理由で断ってんだよね。
これに百田家が「そんなわけあるか!こっちの日程がとっくの昔に決まってて後から被せてきたのはそっちじゃないか」とさらに激怒w ちなみに百田兄弟の母親は百田敬子(田中敬子)ではなく、京都の芸者
力道山2番目の妻、綾。
有名だったね >>263
ロビンソンはレスラー間で、あまり評価されてなかった。日本陣営に入れるなんて、そんな案すら出なかったろう。
だから妄想はblogに書けって言ってるだろ。 >>259
知ってるわ。
国際と全日では事情が違うだろ。 >>263
アメリカ本場主義者の馬場が「アメリカでそれほど売れてなかった」ロビンソンを
トップに据えるはずないことぐらいわかりそうなもんだが
>>269
こりゃ当然だよな。力道山の命日は12月15日なんだから、追悼興行の期日は
その当日か前後数日内に決まってる。都心の大会場となればさらに候補が限られるのに
わざわざ他団体の興行に被せるとかありえないわ。 しかしあの時代の少ない武道館興行で、メインが馬場&デストロイヤーvsドリー&鶴田
ってカードはもう少しなんとかならなかったのかな?20周年の6人タッグは本当に
感動したから、追善興行カード発表の時のファンのリアクションが気になる。 >>274
凡庸なカードで誰も傷がつかないような糞ブックをメインにしたせいで
全日、国際、豪華外人が束になってかかっても
猪木ロビンソンの試合内容とインパクトの前に一蹴されるという無残な結末になった
全日ファンでもあの試合の内容と結果すら覚えてる人は少ないんじゃないの?w >>274
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